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[C4873] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/11/09-20:16:18
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[C4824] 自分はボールの道具

パスやドリブルでポールがうまくコントロールされているとき、ボールが命をもっていて、自分の意思でうごいているかのように見えることがあります。
ボールが自分の意思でゴールに向かっているような感じです。
そうみえるようにボールを扱えるのがファンタジスタだと思っていました。
ファンタジスタはポールに生命を吹き込めるような感じです。
そこには、見せ場があって、ヒーローがいると思います。
それは、ポールの道具になるという感じではないと思いました。
ポールの道具になると、自分は主体ではなくなります。
ボールも、生き生きと動くかも知れませんが、主体ではないと思います。
ポールの道具になるとき、何が主体になるのかわからない、なんともいえない状態だと思いました。
強いて言えば、相手も含めた、ゲーム全体が、主体となるような気がしました。
  • 2006/10/12-22:12:32
  • 投稿者 : ワヲン
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[C4822] インド戦

試合よりもオシムについて多く気がついたことがありました。ブログ再開後もテーマがオシムだったらレスに入れたいと思います。オシムの前では誰もごまかしがきかないような気がします。チープなプレーをしている選手はオシムのチームには入れないと思う...。オシムは好きではないと思うし。それと、怪我をした選手がおおかったけど、羽生の体のやわらかさが思い出されました。個人的には今野のエレガントさと羽生の柔軟性に注目です。
  • 2006/10/12-11:50:24
  • 投稿者 : ナイル
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[C4821]

今読んでいる最中の本にこんなフレーズがありました。

「この世は神のおもちゃか?」
人間の感情は太陽、月、.火星等の天体の位置によって
コントロールされている。
人間にの自由意志というのは幻想なのか?

人間は神や運命のおもちゃなのかどうかはわかりません。

でも、サッカーボールは選手たちの感情をコントロールしているのかもしれないと思いました。





  • 2006/10/11-23:25:26
  • 投稿者 : ばなな
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[C4820] FAX DMうざいです

占いのレポートの評価がほしいんだったらブログにでも載せて反応してもらえばいいんじゃないですか?
なぜわざわざお金をかけてFAXで送るのでしょう?

ちなみに送られてきたFAXに立腹の場合、紙代、インク代に相当する品物を送りますとありますが100円にも満たない金額の物って何送りつけるつもりですか?まさかあなたのレポート?
  • 2006/10/11-14:53:16
  • 投稿者 : 飯田
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[C4819]

くろこちゃん見に来ました。
くろこちゃん…何をする訳でもなくふっとみるといるのだよなと思います。おっきなお目目でこっち(かどっか)をみてる。見てるっていつも思います。私はブログに書き込みにくるだけで…ふとみると目が会う、何をする訳でもないクロコちゃん。クロコについては…夢の話しもあいまって…今日はずっと考えてます。しかし新感触で浮かんでは消えてく感じです…v-283

[C4818] >自分はボールの道具

という言葉は、ファンタジスタと言われる人の
苦悩(汗)も、楽(爽快)になると思いました。

駒化は、不思議です。
スポーツマン精神とか、そういう事ではくくりきれないと
思いました。
スポーツマンシップは、、やはり”人が主語”になっているから、、だと思いました・・。

ボールの道具になることを想像してみました。
とても面白く、ワクワクすると思いました。
意識と無意識が瞬間に同居できる(?)ような、
ものすごい爽快感があるように感じました。

  • 2006/10/10-16:18:24
  • 投稿者 : マリ
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[C4816] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/10/10-13:00:32
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[C4815] ファンタジスタとは....

e-345一番最後に出てきて、平気で一番おいしいところだけをもっていく選手なのだと思います。

シロウトの観客を喜ばすことはできても、チームのみんなからは、とても嫌われていると思います。ファンタジスタのいるチームはうまくいかなくなるという原因はこれだと思いました。

本当にファンタジスタはいらないと思います。オシムはしろうとではありません。オシムがよく見ているから選手は安心してプレーができるのでしょう。
  • 2006/10/10-07:56:28
  • 投稿者 : ナイル
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[C4814] >自分はボールの道具

ファンタジスタがシュートを決めれば、それはファンタジスタの芸術的な技のみが賞賛されますが、ワンタッチでの素早いパス回しによる3人目のシュートというのは、実質決めたのは3人目であっても、それはたまたま最後だったというだけで、みなで決めたシュートという感じがすごくします。
きっと選手たちにとってもそうなんじゃないかと思います。
ボールが最もロスなくゴールまで通れる道筋を選手みながつくっているという感じがします。
  • 2006/10/10-01:21:36
  • 投稿者 : くるみ
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[C4813] 中村俊輔はファンタジスタか

テレ朝の「やべっち」というスポーツ番組で中村俊輔の特集を見ました。

俊輔はW杯後のインタビューでマイクを向けられても涙が溢れてきてずっと顔があげられませんでした。長い長い沈黙の後、

>「俺があそこでシュートを決められなかったのが原因でした」

ではなく、顔をあげずに「課題が多いと思いました」と小さな声で言った場面も放送されました。

また、セルティックでの俊輔の活躍も放送されました。解説者は、前は止まってボールを受けることが多かったけれど動きながらボールをさばくことができるようになったことを指摘していました。

映像での俊輔の動きは、スライディングで相手のボールを奪うディフェンス、あるいは攻撃に加わったときにゴールに身体ごと飛び込んでいく果敢さを見てもわかるように、「芸術的なパス」をFWの選手に出す役割を持った俊輔といったイメージを払拭するに十分なものでした。

身を粉にするようにして、ディフェンスもやれれば攻撃もやる...。「いいときの俊輔」という言い方があるとしたら「きっと、これなんだろうな」と思わせました。俊輔の動きは、自分はMFだからその役割を果たせばいいというところはなく、ディフエンスや攻撃も一生懸命やり、ただただボールの動きに仕えているという感じがしました。

また、フェイントという言葉を使っていいのかわかりませんが、まっすぐ目的地に向かうと思わせて自分をマークしている相手の選手をかく乱し、前が開いたところで相手ゴールにボールをシュートするといった、攻撃に効率性と効果をもたらす、駆け引きの動作も、ゲーム中何度も成功したことを、テレ朝の解説者は指摘していました。たぶんこれは、今はまだそんなに強調してはいませんが、オシムがゆくゆくは、選手にしてほしいことのひとつなのではないかと思いました(教えてできるものではないと思いますが俊輔は自分なりにマスターしていました)。

その後、スタジアムの誰もいない観客席に座った俊輔のインタビューも放送されました。インタビュアーが「あのファンをわかせたフリーキック、自分でも何度も見たりするんですか?」と聞かれると、「ああいうのは自分が調子が悪いときには見るけど..。普段は、自分が調子がいいときには、相手のいいところを見る。 それに自分の悪いところをチェックする。その繰り返しですね。」と答えていました。

ところで、最近ずっと考えているのですが、フアンタジスタというのは、物語性がなくてはならないと思います。アルゼンチンのメッシ(自分の難病の治療費を稼ぐためにプロサッカー選手になった)などはファンタジスタだと思います。俊輔は華やかな雰囲気もありプレーも芸術的だけれどファンタジスタというのとは少し違うと思いました。

また早口で俊輔が言ったので本当にそういう意味だったのか確信はもてないですが、スターがめだって活躍するというようなサッカーは、試合中にはそういう展開にはなかなかならないというようなことを言っていたようなニュアンスも感じられました(私の誤解かもしれませんが)。

俊輔とオシム、地球の反対側で活動している二人のサッカー関係者ですが、同じ方向に向かっているように感じられました。

本当に「サッカーは進化している」のだとしたら、その進化は、選手や関係者が、W杯や世界のプロリーグで、試合を何百回も重ねることによって、またそうしている間に、進化するのだと思います。そうであれば、慧眼の指導者と実際にプレーしている一流の選手が同じトレンドに気がつくのが自然だと思います。

ということは、俊輔とオシムは一年後の合流に向けて、すでにパスを出していても不思議ではありません。
  • 2006/10/09-22:53:54
  • 投稿者 : ナイル
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[C4812] オンオフなく常に通電中

オシムチームはネットワーク…それは場所と時間いっぱいにボールの筋道が存在する状態。選手は意識での想定より広い範囲でサッカーする。まさか!の範囲にもパスを出すから。いる相手にパスより見えない3人目にパスをだす方が選択枝が多い。すると主役のボールは最も抵抗が少ない道筋で回るかも。まるで雷のよう!
  • 2006/10/09-15:04:00
  • 投稿者 : テクノン
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[C4811] ファンタジスタはまず自分視点

ファンタジスタはまず自分の能力、次にそれをチームに役立てることを考えるだろう。オシムサッカーはワンタッチでボールが繋がる。個を発揮するのはボールを持ったとき。ファンタジスタが最もホットなのはその時。あとは緩急があるはず。持ち場があるから。でもオシムチームはボールなくてもいつでもどこでもホット。
  • 2006/10/09-14:50:55
  • 投稿者 : テクノン
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[C4810] >オシム本

 今、発注しました。しばらくブログがお休みなので。サッカー情報はHPとここと新聞の大見出し以外は意識的に見ないできました。金魚のパクパク状態でしたが、でも何故か不自由さのなかに何かどうにか食らいつこうという、快感がありました。ここに封印を解こうと思います。(笑)
  • 2006/10/09-11:09:29
  • 投稿者 : yk
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[C4807] >自分はボールの道具

HPにアップされた選手たちの顔・・
本当に、悲壮感は全く感じませんでした、
負けた・・という雰囲気はもちろん、試合が終わった・・という感じもあまりしませんでした。
もう一本いけ!と言われたらいけそうな・・
まだまだ途中、通過点・・そんな表情に思いました。

自分ひとりに責任はない・・というのは、責任を転嫁しているのではなく、自分だけでなんとかしようという、思い上がったことを思っていない・・ということだと思います。
みんなで「1」というサッカーをしよう・・と思ってるのだと思いました。

試合中もいい顔をしていて、試合後もいい顔をしていた・・というのは、試合中はもちろん、終わってからも、爽快感がまだ続いていたのではないかと思いました。
試合中、確かに選手たちは汗だくでした。
その汗など全く気にせず、ただただボールを追いかけて走っていました。
すごい視線でした・・

すぐパスをしてしまうと、確かにボールを持った上での個人の見せ場はありません・・
でも自分はボールの道具・・主人公はボール・・
ああ、ほんとに、そんな感じだ・・と思いました。

もりけんさんが、主役はデータ・・と言ってたのを思い出しました。
ボールとデータはちょっと違いますが、生きている人間の立ち位置を、ご主人様におかないという点で似ていると思いました。
結局人は、ボールの動きに感動します。
ボールを動かしているのは人間なのだけど・・

データも、データそのものが、それを知った人を動かすのではないかと思います。
だから、データを伝える人間が、自分のいいように変えるなんてとんでもないことなのだと思いました。
データの道具となって、ただそのまま伝えることが大事なのだと思いました。

駒・・道具・・とくれば、もう、ほんとに、メイド状態だと思いました。
メイド状態になかなかなれないのは、自分で自分の体を動かすことができるからかもしれないと思います。

>伝わってくる気持ちの良さは、その辺にもあるような気がしました。
本当に見ていて気持ちがよかったです。
動ける人間が道具になっている状態って、動いている方が気持ちがいいから、見てる方も気持ちいいのだと思います。

オシム監督のやり方は、知らず知らずのうちに選手たちをボールの道具にしてしまってるんだと思いました。
そうして気持ちよさを味わった選手たちは、どこまでもいつまでも走れるのだと思いました・・

[C4806] 簡単に答えがでるようなことをあの「もりけん」がいうわけがない

という気持ちがどこかにあります。私の意識もストレートな答えをすぐに出してしまうのを嫌がります。考えてみれば「意識」というのは特異点ではないかと思います。そして特異点を「万有」というようなことを考えるタイプの人は極端に嫌がります。

これをサッカーのゲームにあてはめると「読める展開」というのをボールは嫌うのではないかと思いました。ボールの軌道の決まり方というのは、誰かが予測している選択肢を次々と消していった末に消去法で決まるのではないかと思いました。

大多数がそれを意識化した瞬間にその選択肢は消えるのかもしません。AからBへ行く、誰もが予測可能な一番太い最短距離は自動的に消去され残っているのはまだ道筋さえついていない細い迂回路ばかりです。

なぜ予測可能でありきたりということが排除されるべきことなのか私にもわかりません。しかし、予測可能であるということは意識と癒着しているから予測可能であるわけでそれがボールの軌道の可塑性を妨げるためにボールは嫌がるのかもしれません。

金融市場には大多数の人が予測していることは実現しやすいという場合があります。しかしボールの軌道に関して言えば大多数の人が安易に予測可能な軌道の選択肢から排除されていくというがあるのかもしれないと思いました。v-182
  • 2006/10/07-22:39:55
  • 投稿者 : ナイル
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[C4805] >自分はボールの道具

もりけんさんの視点にまたまた驚愕しました・・
ボールが主役、ボールのメイド、誰にも責任はない・・
スラムダンクで流川と桜木が、負けたのはお互いが自分のせいだと譲らずに、ボカスカやりあうシーンが浮かびました。二人が原因・・?皆が原因・・?
オシム流サッカーは、素早い走りとパス回しに見とれているとあっという間に試合終了で、勝ち負けよりも心地よい興奮が残ります。
責任などという重い言葉は似合わない気がしてきました。
  • 2006/10/07-21:57:36
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4804] たとえば、野球には

イチローなんかがいます。
バスケには、かつてマイケル・ジョーダンがいました。
ゴルフではタイガーウッズとか・・
 
誰も、ファンタジスタとは呼ばれていません。
天才とは呼ばれますが・・
サッカーは、足しか使えません。
はじめてサッカーをやったときは、「なんて不自由なんだ・・」と思いました。
パスを受けようたって、ボールは、なかなか足元に収まらないし、パスを出したところで、出したいところに出すことなど、まったく、できません。蹴ったらさいご、ボールは運命のままに飛んでいくという・・(笑)
そういや、このあいだ、どの選手か忘れたけど、Jの選手が、ほかの選手のことをほめるのに、「彼はボールの収まりがいい」と言っていました。
ボールを、自分が思ったとおりの場所に置いておける、というだけで、プロがプロにほめられるといのが、サッカーの世界なのか・・と感心しました。
一方、ゴルフの世界では、数10ヤード先の小さな穴に数十センチのところまで、ボールを寄せても、ちょっと拍手が起こるだけです。
イチローは、ライトからホームまで、矢のような送球ができました。
でも、それで、肩の強さをほめられることはあっても、ファンタジスタとは呼ばれません。
それは、手を使っているからではないでしょうか。
手を使えば、コントロールできるのは、前提という感じがあるからではないでしょうか。
 
言い換えると、手を使えば、人間がボールのご主人様になるのが当たり前・・というか、手を使いながら、ご主人様にならないでいるというのはすごく大変なことだと思います。
 
手は吸い込むようにボールをつかみます。
あんなことができる器官は、カラダのどこをさがしてもほかにありません。
手が吸い込むのは、ボールだけではありません。ラケットやバットや、クラブも、吸い込むように握られて、細かなコントロールを与えられます。
しかし、足は、ボールをつかんでいるというより、ぶつけているだけです。
だからこそ、選手はボールのご主人様になろうとして、やっきになるし、また、それができる人は、ファンタジスタと呼ばれるようになったりします。
内臓は、意識的に動かすことはできません。無意識の領域です。随意筋というのは、内臓に比べれば意識の領域です。その中でも、手より足のほうが、より無意識に近いのではないかと思います。
  • 2006/10/07-21:51:43
  • 投稿者 : L.B.
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[C4803] 自分はボールの道具

>選手はボールの道具なのです。
そうかぁ、そうきたならひたすらボールを
追うしかないと思いました。
負けたって、道具の自分であったなら悲壮感なんて
もつことなんてないですね。。
流れるようなプレイはとても美しかったです。
流した汗もとびきり綺麗に見えるのはそこに笑顔があったからなんだって思いました。v-272

  • 2006/10/07-21:27:17
  • 投稿者 : Ciel
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[C4802] こういう本が出るそうです

 なんかよく分かりませんが、やはり関連がありそうな・・
-------------------
 冬弓舎の本:新刊(2006年10月10日刊行)

FLOW
──韓氏意拳の哲学

尹雄大(ユン・ウンデ)著
監修:光岡英稔(国際韓氏意拳総会日本館代表)

推薦文:甲野善紀(武術家)
帯文:内田樹(思想家)

定価1995円(税込)


■目次
はじめに  3

◆1 韓氏意拳は武学をめざす
王向齋はなぜ不敗といえたのか  16
具体性を求めれば誤る  19
世界は淀みなく運動している  24
意拳は道を表す手段にすぎない  29
型は人の能力を限定する  31
武学という概念  34

◆2 感覚は世界をリアルに伝える
人為的につくられた癖を人はありのままの自分と呼ぶ  40
形体で自分の身体の動きを取り戻す  42
伸びやかな動きが躍動をもたらす  48
経験は自信に結びつくか?  51
わからないからよく動ける  53
感覚はリアルさを正確に伝える  55
言葉による思考は世界を二次元に縮小する  58

◆3 確認から体認へ
感覚がいちばん自分を騙す  64
部分的に正しいから誤りは埋まる  67
身体の構造に嘘はない  71
運動というFLOWを知る体認  74
雨音を知るような感覚  80
実感を持つと体認は失われる  82
緊張することには何の意味もない  88
認識を捨てたとき世界はその姿を現す  91
未知の事柄を人は既に知っている  94

◆4 站椿──能力を求める仮の方法
難解だった王向齋の指導  100
站椿は身体構造を理解するための手段  102
絶対のセオリーはセオリーとしては存在しない  106
意拳は存在を科学する  110
韓氏意拳の站椿  114
站椿の理解には新しい運動の概念が必要  117
知ろうと望むことを放棄する  122
教学同一というコミュニケーション  124
站椿は名指しできない何かをそっと感じ続ける  128
抱とは物理的変化の起こる臨界状態を指す  131
心は多面体で出来ている  135
勝敗は、力ではなく能力が分ける  140
意念ではなく一形一意で動く  144
緊張と弛緩は意造が生み出す  151
習慣化は自然といえるのか?  154

◆5 時間と記憶
記憶とは捏造である  160
人は世界を自我のバイアスに従って見ている  162
思い返される痛みの記憶  166
自分の中に仮想敵をつくらない  171
理解したことに真実はない  175
善悪を立てる自己を捨てる  178
時は流れない  182
茶の味にはそれぞれの味がある  184
因果はあってもなくても一緒  187

◆6 限りない自由を得るために
現実とはただそうあること  194
ただの自分のいる場所  198
この一動は何のためにあるか?  205
意拳はあくまで自己の開放をめざす  208

おわりに  215
参考文献  217

[C4801]

快感システムの変更とは、自分の内側が主体ではなく、主体が自分以外の外側だとしても、自分以外のものを認識するのは難しいと思いましたが、ボールを主役とすることで視点移動が容易にできるのだと思いました。
“自分”がご主人様としてメイドのボールを蹴ってゴールへ入れてやるのではなく、ボールをご主人様として、ボール自身がゴールへたどり着くために、選手がメイド化するのだと思いました。
自分以外へ主体を置くことがなぜ爽快感をもたらすのか、それは「私」が存在するのは私以外との関係性おいて成り立っていることと関係があるのかなと思いました。
俺のせいで負けたというのが「個」を孤立化させているのだとしたら、駒は自分以外のものとつながってこそ駒本来の姿であり、駒の内側に悲壮感は無いのだと思いました。v-224
  • 2006/10/07-21:12:49
  • 投稿者 : イーキン
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[C4800] 自分はボールの道具

試合の後の選手の顔は皆、爽やかな顔をしていました。
それに大して苦しそうでもありませんでした。
羽生選手は息をしていないかと思ったくらいです。

それぞれの顔には、「この試合の結果はこうだったのか」とまるで、テストをしたように試合の内容を吟味しているような顔だと思いました。

でも、それって、オシム監督がやる事だよね。とも思いましたが、監督と選手が同じ事を考えつつあるのではないかと思いました。

[C4799]

主人公はボールですか。。。

ボールを蹴って走る選手が主役だと思ってきたのですが。

でも考えてみると、 ボールという存在があってサッカーというスポーツが成り立っているのです。

ボールがなければ、サッカーはできませんし。

もしかして、ボールのほうで選手を選んでいるのかもしれません。

l「運命」とのかかわりにおいて、自分が主人公になろうとするよりも、率先して使われたほうがよいのでしょうね。

主役になろうとする人間は運命に力ずくで引きずり下ろされるのでしょうから。

でも、「主役」や「中心」という概念を人間に植えつけたのは運命だと思います。

「運命」は「人間」を自分の「隠れ蓑」として使いたいのでしょうか。


  • 2006/10/07-18:55:44
  • 投稿者 : ばなな
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[C4798] 月が

今夜の月はこのブログの月のようにまん丸でとっても綺麗ですo(^▽^)o

先制点を取られても悲壮感などまったくなく、さわやかだったのは、勝つことだけにこだわらないで瞬間の快に生きてたように思いました。
強い相手だから負けるかも...とか考えない今できることを全力でやっている.....

やはり今生きるしかないんだと思いました。
  • 2006/10/07-18:08:49
  • 投稿者 : 935
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[C4797]

投稿画面が出ないのでキレそうになりました(爆)

>ボールが主役
 そうか、そうだったのね。ボールも外側の選手がうごかないと自分で動けないんだな。。。。
 選手も道具になれないといけないんだ。。。道具だから勝ち負けも持ち越さないし、いつも瞬間で生きられるんだ。。。。

 試合中の選手のアセは水をかぶったように流れていました。。。。。
 先点とられていてもまったく悲壮感なくて爽やかでした。

v-22  v-22  v-22

 わたしも時空の「わたしは誰」の道具なのに自分が主役のように生きてきました。努力しても、願望があってもどうにもならないのに・・・・
 もう諦めた・・・(なにを)  どうにでもしてくれv-42

[C4795] >自分はボールの道具

う~ん、と唸ってしまいました。
普通によく聞くのは、ボールと一体となって・・、云々です。
でも、それではまだまだ自分が主体的でした。
道具を使うのではなく、道具と一体も通り越して、道具に使われろ。
新しい地平が開けそうになります。

[C4794] >自分はボールの道具

「ボールの進む方向はわがはからいにあらず、ただ我はそれに従うのみ」といった感じで、敵選手のスパイクの下に突っ込んで額を切った播戸でさえ、それはボールの動きに従った結果によるもので、ケガをしても爽やかないい顔をしているのだと思います。オシムのサッカーはパスが回されるたびにスタートラインに立っており、ファンタジスタを中心とした自力的なボールの進め方と違い、ボールがどのように進もうとも選手の各々には責任がありません。責任が無いのでそのボールが回る瞬間、瞬間に選手たちは運命から解放されているような感じです。ハンドルを手放すとはこういうことかと思いました。
  • 2006/10/07-14:52:44
  • 投稿者 : おかだ
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[C4793] 道具になる時の心構え

ボールが自分の道具である時は、ボールを使うための理由や意味が存在すると思います。

その背後にあるもののために、ボールが駒として使われていたのだと思います。
W杯代表もそうだったような気がします。

しかし、今回の選手の表情や画像を見るにつけ、その理由や意味をどこかに置いて来たのだと思いました。
そしてパスを回しながら、ボールが主役なんだとふと気づいたように思いました。
喜んでボールにとっての駒になったようです。

だからあんなに軽やかで激しく、瞬間瞬間に打ち込めたように思います。

全身全霊とは多分自分が道具となった時に、その状態になれるのかもしれません。

[C4792] 自分はボールの道具

うまく蹴るとか上手なプレーに今まででみせられていましたが、それは選手の技術をみているだけです。それだとボールは道具でしかありません。しかし走り込む走り続けてボールの流れに乗れた時に選手はボールのメイド駒になっているのだと想います。ボール君がつぎはあそこに行ってきてと選手に無意識に声をかけてるかのようです。選手は知らず知らずそこに走り込んでいる様な感じを受けるます。意識してしえばボールを道具として見てしまう様に感じるからです。
  • 2006/10/07-13:18:18
  • 投稿者 : じんのり
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[C4791] 6針も縫う怪我をした播戸は、

まだまだいけそうだし、他の選手は爽やかな感じだし・・。
確かに写真を見る限り、険しい顔をして責任を感じている風な人は、
いないように思います。
考え、走り・・ファンタジスタにボールを託すのではなく、
皆がボールと向かい合ったんだと思います。
ボールに対して道具になったとき、勝った負けたの悲壮感なんて
出る幕ないんだと思いました。

オマケの羽生選手の写真・・同じ場にいるのにそこだけ空気が
なんとなく違うような感じが・・。
  • 2006/10/07-13:17:26
  • 投稿者 : まる
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[C4790] >バウンドした~(焦った、汗)すごい、ボーンってなります・・(爆)

うわ~
ほんとだ!
面白い~~v-238

おーもいっきり投げたら、バウンドしまくりです。。

とても弾力性のあるボールだぁぁ。。。

  • 2006/10/07-12:59:57
  • 投稿者 : あかり
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[C4789] >自分はボールの道具

ボールの道具化がされれば、責任という言葉さえ薄くなるような気がしました。
ますます個が全体と化すなのだと思いました。
分からないと思っていた播戸選手が試合中に生き生きと走り続けることができたのも、ボールが主役だったからなのかと思いました。
道具化され、ボールに魂をこめることで、個の強さはなくなり、プラスマイナスもなくなっていくのだと思いました。
そして選手が感じる爽快感は意識から生まれるものではなく、間接的に訪れるもので、「分からない」けど気持ちいい状態になれるのだと思いました。
爽快感というのはメイド化されて外側から訪れるものなのだと思いました。
それは、自分の満足とか蓄積とかで感じるものとぜんぜん質の違うものなのだと感じました。

[C4786] >自分はボールの道具

 サッカーという全体をよくよく考えてみたら、ゲ-ムはボールが動くことが主であると思いました。組織的プレーで統一されたチームにとってボールの動きこそが総意であって個人技はどうでもよく、どうしたらボールをゴールまで運べるかということを考えたときに余分な情緒や動きは徹底的に排除されていくのではないかと思いました。その無駄を排除した機能美こそが、オシムジャパンであり、その機能美はすべての個の言い訳までも排除して、ボールを運ぶことに意志は集約され、それをするコトに徹することができる喜びのようなものからは無駄な感情は無く清々しさを感じるのではないかと思いました。私は道具を具現化できたときにまったく「私」を捨てた新しい至福のような視点が開けているような気がしました。
  • 2006/10/07-10:29:53
  • 投稿者 : yk
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[C4785]

なんか読みながらオシムと魚を思い出しました。
 
日本食って素材と水の料理かなと思います。
薄味で、素材を生かして時には生で食べる。

なんかサッカーってボールと流れかなと思いました。ワンタッチで、ボールを生かして、時には触れないぐらいの。主役の素材感を殺さない。すごくボールを感じるサッカーなんじゃないかと思いました。なんか足も差し出すだけではじいていくような、パチンコみたいな(でもパチンコよく知らないんだけど)サッカー。←オシムのサッカーってなんかハマるサッカーなのではないかと言う気がしました。
 
汗はスゴかったです。我那覇選手なんてまさに(滝汗)だと思いました。
 
言われて思ったのですが、確かに後半に変な失速と落胆を感じないなと思いました。あれって「私が原因」だったら…ないよなと思いました。スパン短くパスで攻め上がるサッカーだからかと思いました。なんか想像してるんですが、ギリギリの時間、まだ行くぞって思います。回せ、回せ、このスキマから行くかも知んない…です。時間がないダメだ…!って落胆がない。ワンタッチって持ち時間がすくない。ワンタッチに関して計算しようがない。ボールが足元にほとんどないから、責任て感じないかもと思います。ミスがあっても、ワンタッチ分だし、つぎのワンタッチに上手く噛めたら、まいっかと思いそうだ。(って自分の想像ですが)
 
> 自分が道具と化すことで、意識から無意識の世界にバトンタッチするような気がしました。
 
自分が上がって来れないぐらいワンタッチって短い時間なのかと思いました。0.5秒に入り込むのかもしんないなと思いました。そこじゃボールi-25が主役なのかもとマジ思います。

[C4784] さらにps

お月様、つかんで遊べるんですね、こはなさんのレスを思い出してやってみたら、ボールが弾むようにボーンってなって、かえでの陰も見えて、素敵!おしゃれです。
  • 2006/10/07-08:25:50
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4783] >自分はボールの道具

爽快な顔には、3つの理由があった。
①自分ひとりに責任はない。ひとりでカッコ良く背負い込む発言がなかった。
②試合中も汗びっしょりになりながら、いい顔をしてプレーしていた。 
③流れるようなプレーは、本人の技の見せ場ではなく、主人公がボールとなって、ボールが流れるように動いていたから。選手はボールの道具だった。

なるほど、です。

責任を背負い込むと、「俺が~してやった、俺が~してやれなかった」という言葉が出てきそうです。これって、以前のメインにあった、プライドからくる被害者意識だと思います。小4の責任事件のことが思い出されます。これだったんだな、これに繋がってたんだな、と思います。

試合中はまさに走ることに熱中しているときです。選手が3人目へのパスを考えながら、ひたすら走り続けている真っ最中です。一番いい顔している時かもしれません。

昨日のズームインで大西という元サッカープレイヤーが「オシムのリスクを侵せという言葉は、人にリスクを侵せという意味だけでなく、ボールにリスクを侵させろという意味でもあります」と言っていたのを連想しました。「ボールに?」とそのとき思いました。ボールが自ら走るがごとくの言い方に聞こえたからです。ボールが主役という発想と同じだと思います。

初動でボールに動きを与えなければ(力を加えなければ)、ボールは動き始めませんが、いったん動きだせば、後はボールの思うがまま、なのかもしれません。いつも自分が主体でコトを動かしてきたと思ってましたが、その思い上がりを一蹴された気がします。

意識ガチガチで自分がやっているからコトが運んでると思う世界から、無意識の、ボールが主役で自分がその道具になってボールに従って動いてるという世界に「バトンタッチ」すると、自分などどうでもいいような、とても自由な気持ちになります。従っているのに、不思議ですが、自分を明け渡すと、とても自由になれる気がしました。

ps:お月様に触れると、たくさんのお星様が流れ出てくるのですね、知りませんでした、キラキラっていう音が聞こえてくるようです。とっても、綺麗です。
  • 2006/10/07-08:21:40
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4781] >自分はボールの道具

試合をすれば,勝ち負けというのがついてきて,勝つ事が良しとされ、勝つ事が目的になってしまっていて、普通はある意味それが全てという感じになりがちだと思います。
しかし、オシムのサッカーは勝ち負け以前に目指す状態というのがあって,それに皆で向かっている感じだと思います。そこには、目の前の相手でさえ敵というより、ゲームを成り立たせる1つの駒ということだと思います。
それはどこを切っても同じ金太郎あめ状態的気持ちで,爽やかな風が、ボールを動かす選手達の心の中を吹き抜けているのではないかと思ったりします。

[C4780] いま・・

オレンジ色の月をサッカーボールみたいに
えーいぃ、ボンって投げたら、見えない壁にブツかって
バウンドした~(焦った、汗)すごい、ボーンってなります・・(爆)
 
e-466

[C4778] 自分はボールの道具

>自分が道具と化すことで、意識から無意識の世界に
バトンタッチするような気がしました。
伝わってくる気持ちの良さは、その辺にもあるような気がしました。
自分がしてやった(ファンタジスタ)とゆうのは、誰かがパスを
出してくれた・・とゆうのを忘れていることだと思います。
でもずっと繋がって、ここまで来たのだと思います。しかも
いつの地点で山頂に来た、とか、そうゆうわけでもないと思います。
ぐるぐる回っている車輪の一部なら、上に来たと思ったら下になり、それもものすごく素早い早さで、あっという間に変わってしまいます。
それに全体が「車輪」なので、どこが主役とゆうわけでもありません。
(誰かの書き込みにこうゆうレスがありました、昨日のメインの書き
込みかもしれない)
車を動かす道具に過ぎないとゆうことだと思います。
そういえば、ボールの動きだけ見ることはありませんでした。
いつも選手に目がいっていたと思います(選手の動き)けれど
ボールが主役となると、ボールの動く軌跡は決まっていて
選手がそれに合わせて動いているだけかもしれません。
そしてボールが、選手のいないところへ行く時・・それは、
ボールがそっちの「まさか!」の方向へ行きたいのかもしれない・・
わかりませんが、そうかもしれません(汗)

v-474





[C4777] 主人公はボール

流れるようなボールの動きがきれいでした。選手の顔も、みんな生き生きしていました。見ていて気持ちよかったです。ボールが主役。今まで考えたことなかったです。選手が主役だとばかり…。ほんとうにすごいことなのではないかと、考えたこともないことや、思ってもみなかったことってたくさんあるのかもしれないなと思いました。私ひとりの責任じゃない。すごいことかも。ボールが主役。かみしめています。
  • 2006/10/07-01:15:57
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4776] 自分はボールの道具


ああ。。そうか。。そうだったんだ。。

主人公はボールだったんだ。。

当たり前のことだと思うのに、今まで、全然気がつきませんでした。

私たちは、ボールを道具と思っていた。。


ゴールをするのはボールなのであり、
選手は、それを運ぶ運びやなのだと思いました。

これは運命と人間の関係にもいえるかもしれません。

私たちは、運命の運びやであると。。


  • 2006/10/07-01:02:40
  • 投稿者 : あかり
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自分はボールの道具

 
 試合が負けても、なぜかみんな、いい顔をしていました。
 いままでのサッカーなら違います。
 悲壮な顔をしています(笑)。
 
 爽快な顔をしていた一つの理由は、「自分ひとりに責任はない」ということだからだと思います。
「自分ひとりに責任はない」・・というのは私の著書「私は結果」の帯のコピーです。
 
 そこにファンタジスタがいれば
「俺があそこでシュートを決められなかったのが原因でした」
 などと、ひとりでカッコ良く背負い込む発言をするでしょう・・
 
 でもそういう発言は、ほとんどありませんでした。
 
 もうひとつの理由・・それは試合中にも、やはりいい顔をしていたことです。
 みんな汗びっしょりでした。
 今回は、あまりの汗に、飲んでいたお茶を置いたくらいです。
 のうのうと飲んでちゃ、悪いような・・。
 
 さらにもうひとつの理由は、あの流れるようなプレイです。
 ワンタッチでパスを出せば、本人の技の見せ場はありません。
 しかしボールは流れるように動いていました。
 
 主人公はボールなんだと思いました。
 いままではそれを勘違いしていたと思います。
 ボールは、ファンタジスタが芸を披露するための道具である・・と。
 
 逆でした。
 選手はボールの道具なのです。
 
 自分が道具と化すことで、意識から無意識の世界にバトンタッチするような気がしました。
 伝わってくる気持ちの良さは、その辺にもあるような気がしました。
 
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41件のコメント

[C4873] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/11/09-20:16:18
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[C4824] 自分はボールの道具

パスやドリブルでポールがうまくコントロールされているとき、ボールが命をもっていて、自分の意思でうごいているかのように見えることがあります。
ボールが自分の意思でゴールに向かっているような感じです。
そうみえるようにボールを扱えるのがファンタジスタだと思っていました。
ファンタジスタはポールに生命を吹き込めるような感じです。
そこには、見せ場があって、ヒーローがいると思います。
それは、ポールの道具になるという感じではないと思いました。
ポールの道具になると、自分は主体ではなくなります。
ボールも、生き生きと動くかも知れませんが、主体ではないと思います。
ポールの道具になるとき、何が主体になるのかわからない、なんともいえない状態だと思いました。
強いて言えば、相手も含めた、ゲーム全体が、主体となるような気がしました。
  • 2006/10/12-22:12:32
  • 投稿者 : ワヲン
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[C4822] インド戦

試合よりもオシムについて多く気がついたことがありました。ブログ再開後もテーマがオシムだったらレスに入れたいと思います。オシムの前では誰もごまかしがきかないような気がします。チープなプレーをしている選手はオシムのチームには入れないと思う...。オシムは好きではないと思うし。それと、怪我をした選手がおおかったけど、羽生の体のやわらかさが思い出されました。個人的には今野のエレガントさと羽生の柔軟性に注目です。
  • 2006/10/12-11:50:24
  • 投稿者 : ナイル
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[C4821]

今読んでいる最中の本にこんなフレーズがありました。

「この世は神のおもちゃか?」
人間の感情は太陽、月、.火星等の天体の位置によって
コントロールされている。
人間にの自由意志というのは幻想なのか?

人間は神や運命のおもちゃなのかどうかはわかりません。

でも、サッカーボールは選手たちの感情をコントロールしているのかもしれないと思いました。





  • 2006/10/11-23:25:26
  • 投稿者 : ばなな
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[C4820] FAX DMうざいです

占いのレポートの評価がほしいんだったらブログにでも載せて反応してもらえばいいんじゃないですか?
なぜわざわざお金をかけてFAXで送るのでしょう?

ちなみに送られてきたFAXに立腹の場合、紙代、インク代に相当する品物を送りますとありますが100円にも満たない金額の物って何送りつけるつもりですか?まさかあなたのレポート?
  • 2006/10/11-14:53:16
  • 投稿者 : 飯田
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[C4819]

くろこちゃん見に来ました。
くろこちゃん…何をする訳でもなくふっとみるといるのだよなと思います。おっきなお目目でこっち(かどっか)をみてる。見てるっていつも思います。私はブログに書き込みにくるだけで…ふとみると目が会う、何をする訳でもないクロコちゃん。クロコについては…夢の話しもあいまって…今日はずっと考えてます。しかし新感触で浮かんでは消えてく感じです…v-283

[C4818] >自分はボールの道具

という言葉は、ファンタジスタと言われる人の
苦悩(汗)も、楽(爽快)になると思いました。

駒化は、不思議です。
スポーツマン精神とか、そういう事ではくくりきれないと
思いました。
スポーツマンシップは、、やはり”人が主語”になっているから、、だと思いました・・。

ボールの道具になることを想像してみました。
とても面白く、ワクワクすると思いました。
意識と無意識が瞬間に同居できる(?)ような、
ものすごい爽快感があるように感じました。

  • 2006/10/10-16:18:24
  • 投稿者 : マリ
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[C4816] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/10/10-13:00:32
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[C4815] ファンタジスタとは....

e-345一番最後に出てきて、平気で一番おいしいところだけをもっていく選手なのだと思います。

シロウトの観客を喜ばすことはできても、チームのみんなからは、とても嫌われていると思います。ファンタジスタのいるチームはうまくいかなくなるという原因はこれだと思いました。

本当にファンタジスタはいらないと思います。オシムはしろうとではありません。オシムがよく見ているから選手は安心してプレーができるのでしょう。
  • 2006/10/10-07:56:28
  • 投稿者 : ナイル
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[C4814] >自分はボールの道具

ファンタジスタがシュートを決めれば、それはファンタジスタの芸術的な技のみが賞賛されますが、ワンタッチでの素早いパス回しによる3人目のシュートというのは、実質決めたのは3人目であっても、それはたまたま最後だったというだけで、みなで決めたシュートという感じがすごくします。
きっと選手たちにとってもそうなんじゃないかと思います。
ボールが最もロスなくゴールまで通れる道筋を選手みながつくっているという感じがします。
  • 2006/10/10-01:21:36
  • 投稿者 : くるみ
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[C4813] 中村俊輔はファンタジスタか

テレ朝の「やべっち」というスポーツ番組で中村俊輔の特集を見ました。

俊輔はW杯後のインタビューでマイクを向けられても涙が溢れてきてずっと顔があげられませんでした。長い長い沈黙の後、

>「俺があそこでシュートを決められなかったのが原因でした」

ではなく、顔をあげずに「課題が多いと思いました」と小さな声で言った場面も放送されました。

また、セルティックでの俊輔の活躍も放送されました。解説者は、前は止まってボールを受けることが多かったけれど動きながらボールをさばくことができるようになったことを指摘していました。

映像での俊輔の動きは、スライディングで相手のボールを奪うディフェンス、あるいは攻撃に加わったときにゴールに身体ごと飛び込んでいく果敢さを見てもわかるように、「芸術的なパス」をFWの選手に出す役割を持った俊輔といったイメージを払拭するに十分なものでした。

身を粉にするようにして、ディフェンスもやれれば攻撃もやる...。「いいときの俊輔」という言い方があるとしたら「きっと、これなんだろうな」と思わせました。俊輔の動きは、自分はMFだからその役割を果たせばいいというところはなく、ディフエンスや攻撃も一生懸命やり、ただただボールの動きに仕えているという感じがしました。

また、フェイントという言葉を使っていいのかわかりませんが、まっすぐ目的地に向かうと思わせて自分をマークしている相手の選手をかく乱し、前が開いたところで相手ゴールにボールをシュートするといった、攻撃に効率性と効果をもたらす、駆け引きの動作も、ゲーム中何度も成功したことを、テレ朝の解説者は指摘していました。たぶんこれは、今はまだそんなに強調してはいませんが、オシムがゆくゆくは、選手にしてほしいことのひとつなのではないかと思いました(教えてできるものではないと思いますが俊輔は自分なりにマスターしていました)。

その後、スタジアムの誰もいない観客席に座った俊輔のインタビューも放送されました。インタビュアーが「あのファンをわかせたフリーキック、自分でも何度も見たりするんですか?」と聞かれると、「ああいうのは自分が調子が悪いときには見るけど..。普段は、自分が調子がいいときには、相手のいいところを見る。 それに自分の悪いところをチェックする。その繰り返しですね。」と答えていました。

ところで、最近ずっと考えているのですが、フアンタジスタというのは、物語性がなくてはならないと思います。アルゼンチンのメッシ(自分の難病の治療費を稼ぐためにプロサッカー選手になった)などはファンタジスタだと思います。俊輔は華やかな雰囲気もありプレーも芸術的だけれどファンタジスタというのとは少し違うと思いました。

また早口で俊輔が言ったので本当にそういう意味だったのか確信はもてないですが、スターがめだって活躍するというようなサッカーは、試合中にはそういう展開にはなかなかならないというようなことを言っていたようなニュアンスも感じられました(私の誤解かもしれませんが)。

俊輔とオシム、地球の反対側で活動している二人のサッカー関係者ですが、同じ方向に向かっているように感じられました。

本当に「サッカーは進化している」のだとしたら、その進化は、選手や関係者が、W杯や世界のプロリーグで、試合を何百回も重ねることによって、またそうしている間に、進化するのだと思います。そうであれば、慧眼の指導者と実際にプレーしている一流の選手が同じトレンドに気がつくのが自然だと思います。

ということは、俊輔とオシムは一年後の合流に向けて、すでにパスを出していても不思議ではありません。
  • 2006/10/09-22:53:54
  • 投稿者 : ナイル
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[C4812] オンオフなく常に通電中

オシムチームはネットワーク…それは場所と時間いっぱいにボールの筋道が存在する状態。選手は意識での想定より広い範囲でサッカーする。まさか!の範囲にもパスを出すから。いる相手にパスより見えない3人目にパスをだす方が選択枝が多い。すると主役のボールは最も抵抗が少ない道筋で回るかも。まるで雷のよう!
  • 2006/10/09-15:04:00
  • 投稿者 : テクノン
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[C4811] ファンタジスタはまず自分視点

ファンタジスタはまず自分の能力、次にそれをチームに役立てることを考えるだろう。オシムサッカーはワンタッチでボールが繋がる。個を発揮するのはボールを持ったとき。ファンタジスタが最もホットなのはその時。あとは緩急があるはず。持ち場があるから。でもオシムチームはボールなくてもいつでもどこでもホット。
  • 2006/10/09-14:50:55
  • 投稿者 : テクノン
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[C4810] >オシム本

 今、発注しました。しばらくブログがお休みなので。サッカー情報はHPとここと新聞の大見出し以外は意識的に見ないできました。金魚のパクパク状態でしたが、でも何故か不自由さのなかに何かどうにか食らいつこうという、快感がありました。ここに封印を解こうと思います。(笑)
  • 2006/10/09-11:09:29
  • 投稿者 : yk
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[C4807] >自分はボールの道具

HPにアップされた選手たちの顔・・
本当に、悲壮感は全く感じませんでした、
負けた・・という雰囲気はもちろん、試合が終わった・・という感じもあまりしませんでした。
もう一本いけ!と言われたらいけそうな・・
まだまだ途中、通過点・・そんな表情に思いました。

自分ひとりに責任はない・・というのは、責任を転嫁しているのではなく、自分だけでなんとかしようという、思い上がったことを思っていない・・ということだと思います。
みんなで「1」というサッカーをしよう・・と思ってるのだと思いました。

試合中もいい顔をしていて、試合後もいい顔をしていた・・というのは、試合中はもちろん、終わってからも、爽快感がまだ続いていたのではないかと思いました。
試合中、確かに選手たちは汗だくでした。
その汗など全く気にせず、ただただボールを追いかけて走っていました。
すごい視線でした・・

すぐパスをしてしまうと、確かにボールを持った上での個人の見せ場はありません・・
でも自分はボールの道具・・主人公はボール・・
ああ、ほんとに、そんな感じだ・・と思いました。

もりけんさんが、主役はデータ・・と言ってたのを思い出しました。
ボールとデータはちょっと違いますが、生きている人間の立ち位置を、ご主人様におかないという点で似ていると思いました。
結局人は、ボールの動きに感動します。
ボールを動かしているのは人間なのだけど・・

データも、データそのものが、それを知った人を動かすのではないかと思います。
だから、データを伝える人間が、自分のいいように変えるなんてとんでもないことなのだと思いました。
データの道具となって、ただそのまま伝えることが大事なのだと思いました。

駒・・道具・・とくれば、もう、ほんとに、メイド状態だと思いました。
メイド状態になかなかなれないのは、自分で自分の体を動かすことができるからかもしれないと思います。

>伝わってくる気持ちの良さは、その辺にもあるような気がしました。
本当に見ていて気持ちがよかったです。
動ける人間が道具になっている状態って、動いている方が気持ちがいいから、見てる方も気持ちいいのだと思います。

オシム監督のやり方は、知らず知らずのうちに選手たちをボールの道具にしてしまってるんだと思いました。
そうして気持ちよさを味わった選手たちは、どこまでもいつまでも走れるのだと思いました・・

[C4806] 簡単に答えがでるようなことをあの「もりけん」がいうわけがない

という気持ちがどこかにあります。私の意識もストレートな答えをすぐに出してしまうのを嫌がります。考えてみれば「意識」というのは特異点ではないかと思います。そして特異点を「万有」というようなことを考えるタイプの人は極端に嫌がります。

これをサッカーのゲームにあてはめると「読める展開」というのをボールは嫌うのではないかと思いました。ボールの軌道の決まり方というのは、誰かが予測している選択肢を次々と消していった末に消去法で決まるのではないかと思いました。

大多数がそれを意識化した瞬間にその選択肢は消えるのかもしません。AからBへ行く、誰もが予測可能な一番太い最短距離は自動的に消去され残っているのはまだ道筋さえついていない細い迂回路ばかりです。

なぜ予測可能でありきたりということが排除されるべきことなのか私にもわかりません。しかし、予測可能であるということは意識と癒着しているから予測可能であるわけでそれがボールの軌道の可塑性を妨げるためにボールは嫌がるのかもしれません。

金融市場には大多数の人が予測していることは実現しやすいという場合があります。しかしボールの軌道に関して言えば大多数の人が安易に予測可能な軌道の選択肢から排除されていくというがあるのかもしれないと思いました。v-182
  • 2006/10/07-22:39:55
  • 投稿者 : ナイル
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[C4805] >自分はボールの道具

もりけんさんの視点にまたまた驚愕しました・・
ボールが主役、ボールのメイド、誰にも責任はない・・
スラムダンクで流川と桜木が、負けたのはお互いが自分のせいだと譲らずに、ボカスカやりあうシーンが浮かびました。二人が原因・・?皆が原因・・?
オシム流サッカーは、素早い走りとパス回しに見とれているとあっという間に試合終了で、勝ち負けよりも心地よい興奮が残ります。
責任などという重い言葉は似合わない気がしてきました。
  • 2006/10/07-21:57:36
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4804] たとえば、野球には

イチローなんかがいます。
バスケには、かつてマイケル・ジョーダンがいました。
ゴルフではタイガーウッズとか・・
 
誰も、ファンタジスタとは呼ばれていません。
天才とは呼ばれますが・・
サッカーは、足しか使えません。
はじめてサッカーをやったときは、「なんて不自由なんだ・・」と思いました。
パスを受けようたって、ボールは、なかなか足元に収まらないし、パスを出したところで、出したいところに出すことなど、まったく、できません。蹴ったらさいご、ボールは運命のままに飛んでいくという・・(笑)
そういや、このあいだ、どの選手か忘れたけど、Jの選手が、ほかの選手のことをほめるのに、「彼はボールの収まりがいい」と言っていました。
ボールを、自分が思ったとおりの場所に置いておける、というだけで、プロがプロにほめられるといのが、サッカーの世界なのか・・と感心しました。
一方、ゴルフの世界では、数10ヤード先の小さな穴に数十センチのところまで、ボールを寄せても、ちょっと拍手が起こるだけです。
イチローは、ライトからホームまで、矢のような送球ができました。
でも、それで、肩の強さをほめられることはあっても、ファンタジスタとは呼ばれません。
それは、手を使っているからではないでしょうか。
手を使えば、コントロールできるのは、前提という感じがあるからではないでしょうか。
 
言い換えると、手を使えば、人間がボールのご主人様になるのが当たり前・・というか、手を使いながら、ご主人様にならないでいるというのはすごく大変なことだと思います。
 
手は吸い込むようにボールをつかみます。
あんなことができる器官は、カラダのどこをさがしてもほかにありません。
手が吸い込むのは、ボールだけではありません。ラケットやバットや、クラブも、吸い込むように握られて、細かなコントロールを与えられます。
しかし、足は、ボールをつかんでいるというより、ぶつけているだけです。
だからこそ、選手はボールのご主人様になろうとして、やっきになるし、また、それができる人は、ファンタジスタと呼ばれるようになったりします。
内臓は、意識的に動かすことはできません。無意識の領域です。随意筋というのは、内臓に比べれば意識の領域です。その中でも、手より足のほうが、より無意識に近いのではないかと思います。
  • 2006/10/07-21:51:43
  • 投稿者 : L.B.
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[C4803] 自分はボールの道具

>選手はボールの道具なのです。
そうかぁ、そうきたならひたすらボールを
追うしかないと思いました。
負けたって、道具の自分であったなら悲壮感なんて
もつことなんてないですね。。
流れるようなプレイはとても美しかったです。
流した汗もとびきり綺麗に見えるのはそこに笑顔があったからなんだって思いました。v-272

  • 2006/10/07-21:27:17
  • 投稿者 : Ciel
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[C4802] こういう本が出るそうです

 なんかよく分かりませんが、やはり関連がありそうな・・
-------------------
 冬弓舎の本:新刊(2006年10月10日刊行)

FLOW
──韓氏意拳の哲学

尹雄大(ユン・ウンデ)著
監修:光岡英稔(国際韓氏意拳総会日本館代表)

推薦文:甲野善紀(武術家)
帯文:内田樹(思想家)

定価1995円(税込)


■目次
はじめに  3

◆1 韓氏意拳は武学をめざす
王向齋はなぜ不敗といえたのか  16
具体性を求めれば誤る  19
世界は淀みなく運動している  24
意拳は道を表す手段にすぎない  29
型は人の能力を限定する  31
武学という概念  34

◆2 感覚は世界をリアルに伝える
人為的につくられた癖を人はありのままの自分と呼ぶ  40
形体で自分の身体の動きを取り戻す  42
伸びやかな動きが躍動をもたらす  48
経験は自信に結びつくか?  51
わからないからよく動ける  53
感覚はリアルさを正確に伝える  55
言葉による思考は世界を二次元に縮小する  58

◆3 確認から体認へ
感覚がいちばん自分を騙す  64
部分的に正しいから誤りは埋まる  67
身体の構造に嘘はない  71
運動というFLOWを知る体認  74
雨音を知るような感覚  80
実感を持つと体認は失われる  82
緊張することには何の意味もない  88
認識を捨てたとき世界はその姿を現す  91
未知の事柄を人は既に知っている  94

◆4 站椿──能力を求める仮の方法
難解だった王向齋の指導  100
站椿は身体構造を理解するための手段  102
絶対のセオリーはセオリーとしては存在しない  106
意拳は存在を科学する  110
韓氏意拳の站椿  114
站椿の理解には新しい運動の概念が必要  117
知ろうと望むことを放棄する  122
教学同一というコミュニケーション  124
站椿は名指しできない何かをそっと感じ続ける  128
抱とは物理的変化の起こる臨界状態を指す  131
心は多面体で出来ている  135
勝敗は、力ではなく能力が分ける  140
意念ではなく一形一意で動く  144
緊張と弛緩は意造が生み出す  151
習慣化は自然といえるのか?  154

◆5 時間と記憶
記憶とは捏造である  160
人は世界を自我のバイアスに従って見ている  162
思い返される痛みの記憶  166
自分の中に仮想敵をつくらない  171
理解したことに真実はない  175
善悪を立てる自己を捨てる  178
時は流れない  182
茶の味にはそれぞれの味がある  184
因果はあってもなくても一緒  187

◆6 限りない自由を得るために
現実とはただそうあること  194
ただの自分のいる場所  198
この一動は何のためにあるか?  205
意拳はあくまで自己の開放をめざす  208

おわりに  215
参考文献  217

[C4801]

快感システムの変更とは、自分の内側が主体ではなく、主体が自分以外の外側だとしても、自分以外のものを認識するのは難しいと思いましたが、ボールを主役とすることで視点移動が容易にできるのだと思いました。
“自分”がご主人様としてメイドのボールを蹴ってゴールへ入れてやるのではなく、ボールをご主人様として、ボール自身がゴールへたどり着くために、選手がメイド化するのだと思いました。
自分以外へ主体を置くことがなぜ爽快感をもたらすのか、それは「私」が存在するのは私以外との関係性おいて成り立っていることと関係があるのかなと思いました。
俺のせいで負けたというのが「個」を孤立化させているのだとしたら、駒は自分以外のものとつながってこそ駒本来の姿であり、駒の内側に悲壮感は無いのだと思いました。v-224
  • 2006/10/07-21:12:49
  • 投稿者 : イーキン
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[C4800] 自分はボールの道具

試合の後の選手の顔は皆、爽やかな顔をしていました。
それに大して苦しそうでもありませんでした。
羽生選手は息をしていないかと思ったくらいです。

それぞれの顔には、「この試合の結果はこうだったのか」とまるで、テストをしたように試合の内容を吟味しているような顔だと思いました。

でも、それって、オシム監督がやる事だよね。とも思いましたが、監督と選手が同じ事を考えつつあるのではないかと思いました。

[C4799]

主人公はボールですか。。。

ボールを蹴って走る選手が主役だと思ってきたのですが。

でも考えてみると、 ボールという存在があってサッカーというスポーツが成り立っているのです。

ボールがなければ、サッカーはできませんし。

もしかして、ボールのほうで選手を選んでいるのかもしれません。

l「運命」とのかかわりにおいて、自分が主人公になろうとするよりも、率先して使われたほうがよいのでしょうね。

主役になろうとする人間は運命に力ずくで引きずり下ろされるのでしょうから。

でも、「主役」や「中心」という概念を人間に植えつけたのは運命だと思います。

「運命」は「人間」を自分の「隠れ蓑」として使いたいのでしょうか。


  • 2006/10/07-18:55:44
  • 投稿者 : ばなな
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[C4798] 月が

今夜の月はこのブログの月のようにまん丸でとっても綺麗ですo(^▽^)o

先制点を取られても悲壮感などまったくなく、さわやかだったのは、勝つことだけにこだわらないで瞬間の快に生きてたように思いました。
強い相手だから負けるかも...とか考えない今できることを全力でやっている.....

やはり今生きるしかないんだと思いました。
  • 2006/10/07-18:08:49
  • 投稿者 : 935
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[C4797]

投稿画面が出ないのでキレそうになりました(爆)

>ボールが主役
 そうか、そうだったのね。ボールも外側の選手がうごかないと自分で動けないんだな。。。。
 選手も道具になれないといけないんだ。。。道具だから勝ち負けも持ち越さないし、いつも瞬間で生きられるんだ。。。。

 試合中の選手のアセは水をかぶったように流れていました。。。。。
 先点とられていてもまったく悲壮感なくて爽やかでした。

v-22  v-22  v-22

 わたしも時空の「わたしは誰」の道具なのに自分が主役のように生きてきました。努力しても、願望があってもどうにもならないのに・・・・
 もう諦めた・・・(なにを)  どうにでもしてくれv-42

[C4795] >自分はボールの道具

う~ん、と唸ってしまいました。
普通によく聞くのは、ボールと一体となって・・、云々です。
でも、それではまだまだ自分が主体的でした。
道具を使うのではなく、道具と一体も通り越して、道具に使われろ。
新しい地平が開けそうになります。

[C4794] >自分はボールの道具

「ボールの進む方向はわがはからいにあらず、ただ我はそれに従うのみ」といった感じで、敵選手のスパイクの下に突っ込んで額を切った播戸でさえ、それはボールの動きに従った結果によるもので、ケガをしても爽やかないい顔をしているのだと思います。オシムのサッカーはパスが回されるたびにスタートラインに立っており、ファンタジスタを中心とした自力的なボールの進め方と違い、ボールがどのように進もうとも選手の各々には責任がありません。責任が無いのでそのボールが回る瞬間、瞬間に選手たちは運命から解放されているような感じです。ハンドルを手放すとはこういうことかと思いました。
  • 2006/10/07-14:52:44
  • 投稿者 : おかだ
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[C4793] 道具になる時の心構え

ボールが自分の道具である時は、ボールを使うための理由や意味が存在すると思います。

その背後にあるもののために、ボールが駒として使われていたのだと思います。
W杯代表もそうだったような気がします。

しかし、今回の選手の表情や画像を見るにつけ、その理由や意味をどこかに置いて来たのだと思いました。
そしてパスを回しながら、ボールが主役なんだとふと気づいたように思いました。
喜んでボールにとっての駒になったようです。

だからあんなに軽やかで激しく、瞬間瞬間に打ち込めたように思います。

全身全霊とは多分自分が道具となった時に、その状態になれるのかもしれません。

[C4792] 自分はボールの道具

うまく蹴るとか上手なプレーに今まででみせられていましたが、それは選手の技術をみているだけです。それだとボールは道具でしかありません。しかし走り込む走り続けてボールの流れに乗れた時に選手はボールのメイド駒になっているのだと想います。ボール君がつぎはあそこに行ってきてと選手に無意識に声をかけてるかのようです。選手は知らず知らずそこに走り込んでいる様な感じを受けるます。意識してしえばボールを道具として見てしまう様に感じるからです。
  • 2006/10/07-13:18:18
  • 投稿者 : じんのり
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[C4791] 6針も縫う怪我をした播戸は、

まだまだいけそうだし、他の選手は爽やかな感じだし・・。
確かに写真を見る限り、険しい顔をして責任を感じている風な人は、
いないように思います。
考え、走り・・ファンタジスタにボールを託すのではなく、
皆がボールと向かい合ったんだと思います。
ボールに対して道具になったとき、勝った負けたの悲壮感なんて
出る幕ないんだと思いました。

オマケの羽生選手の写真・・同じ場にいるのにそこだけ空気が
なんとなく違うような感じが・・。
  • 2006/10/07-13:17:26
  • 投稿者 : まる
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[C4790] >バウンドした~(焦った、汗)すごい、ボーンってなります・・(爆)

うわ~
ほんとだ!
面白い~~v-238

おーもいっきり投げたら、バウンドしまくりです。。

とても弾力性のあるボールだぁぁ。。。

  • 2006/10/07-12:59:57
  • 投稿者 : あかり
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[C4789] >自分はボールの道具

ボールの道具化がされれば、責任という言葉さえ薄くなるような気がしました。
ますます個が全体と化すなのだと思いました。
分からないと思っていた播戸選手が試合中に生き生きと走り続けることができたのも、ボールが主役だったからなのかと思いました。
道具化され、ボールに魂をこめることで、個の強さはなくなり、プラスマイナスもなくなっていくのだと思いました。
そして選手が感じる爽快感は意識から生まれるものではなく、間接的に訪れるもので、「分からない」けど気持ちいい状態になれるのだと思いました。
爽快感というのはメイド化されて外側から訪れるものなのだと思いました。
それは、自分の満足とか蓄積とかで感じるものとぜんぜん質の違うものなのだと感じました。

[C4786] >自分はボールの道具

 サッカーという全体をよくよく考えてみたら、ゲ-ムはボールが動くことが主であると思いました。組織的プレーで統一されたチームにとってボールの動きこそが総意であって個人技はどうでもよく、どうしたらボールをゴールまで運べるかということを考えたときに余分な情緒や動きは徹底的に排除されていくのではないかと思いました。その無駄を排除した機能美こそが、オシムジャパンであり、その機能美はすべての個の言い訳までも排除して、ボールを運ぶことに意志は集約され、それをするコトに徹することができる喜びのようなものからは無駄な感情は無く清々しさを感じるのではないかと思いました。私は道具を具現化できたときにまったく「私」を捨てた新しい至福のような視点が開けているような気がしました。
  • 2006/10/07-10:29:53
  • 投稿者 : yk
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[C4785]

なんか読みながらオシムと魚を思い出しました。
 
日本食って素材と水の料理かなと思います。
薄味で、素材を生かして時には生で食べる。

なんかサッカーってボールと流れかなと思いました。ワンタッチで、ボールを生かして、時には触れないぐらいの。主役の素材感を殺さない。すごくボールを感じるサッカーなんじゃないかと思いました。なんか足も差し出すだけではじいていくような、パチンコみたいな(でもパチンコよく知らないんだけど)サッカー。←オシムのサッカーってなんかハマるサッカーなのではないかと言う気がしました。
 
汗はスゴかったです。我那覇選手なんてまさに(滝汗)だと思いました。
 
言われて思ったのですが、確かに後半に変な失速と落胆を感じないなと思いました。あれって「私が原因」だったら…ないよなと思いました。スパン短くパスで攻め上がるサッカーだからかと思いました。なんか想像してるんですが、ギリギリの時間、まだ行くぞって思います。回せ、回せ、このスキマから行くかも知んない…です。時間がないダメだ…!って落胆がない。ワンタッチって持ち時間がすくない。ワンタッチに関して計算しようがない。ボールが足元にほとんどないから、責任て感じないかもと思います。ミスがあっても、ワンタッチ分だし、つぎのワンタッチに上手く噛めたら、まいっかと思いそうだ。(って自分の想像ですが)
 
> 自分が道具と化すことで、意識から無意識の世界にバトンタッチするような気がしました。
 
自分が上がって来れないぐらいワンタッチって短い時間なのかと思いました。0.5秒に入り込むのかもしんないなと思いました。そこじゃボールi-25が主役なのかもとマジ思います。

[C4784] さらにps

お月様、つかんで遊べるんですね、こはなさんのレスを思い出してやってみたら、ボールが弾むようにボーンってなって、かえでの陰も見えて、素敵!おしゃれです。
  • 2006/10/07-08:25:50
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4783] >自分はボールの道具

爽快な顔には、3つの理由があった。
①自分ひとりに責任はない。ひとりでカッコ良く背負い込む発言がなかった。
②試合中も汗びっしょりになりながら、いい顔をしてプレーしていた。 
③流れるようなプレーは、本人の技の見せ場ではなく、主人公がボールとなって、ボールが流れるように動いていたから。選手はボールの道具だった。

なるほど、です。

責任を背負い込むと、「俺が~してやった、俺が~してやれなかった」という言葉が出てきそうです。これって、以前のメインにあった、プライドからくる被害者意識だと思います。小4の責任事件のことが思い出されます。これだったんだな、これに繋がってたんだな、と思います。

試合中はまさに走ることに熱中しているときです。選手が3人目へのパスを考えながら、ひたすら走り続けている真っ最中です。一番いい顔している時かもしれません。

昨日のズームインで大西という元サッカープレイヤーが「オシムのリスクを侵せという言葉は、人にリスクを侵せという意味だけでなく、ボールにリスクを侵させろという意味でもあります」と言っていたのを連想しました。「ボールに?」とそのとき思いました。ボールが自ら走るがごとくの言い方に聞こえたからです。ボールが主役という発想と同じだと思います。

初動でボールに動きを与えなければ(力を加えなければ)、ボールは動き始めませんが、いったん動きだせば、後はボールの思うがまま、なのかもしれません。いつも自分が主体でコトを動かしてきたと思ってましたが、その思い上がりを一蹴された気がします。

意識ガチガチで自分がやっているからコトが運んでると思う世界から、無意識の、ボールが主役で自分がその道具になってボールに従って動いてるという世界に「バトンタッチ」すると、自分などどうでもいいような、とても自由な気持ちになります。従っているのに、不思議ですが、自分を明け渡すと、とても自由になれる気がしました。

ps:お月様に触れると、たくさんのお星様が流れ出てくるのですね、知りませんでした、キラキラっていう音が聞こえてくるようです。とっても、綺麗です。
  • 2006/10/07-08:21:40
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4781] >自分はボールの道具

試合をすれば,勝ち負けというのがついてきて,勝つ事が良しとされ、勝つ事が目的になってしまっていて、普通はある意味それが全てという感じになりがちだと思います。
しかし、オシムのサッカーは勝ち負け以前に目指す状態というのがあって,それに皆で向かっている感じだと思います。そこには、目の前の相手でさえ敵というより、ゲームを成り立たせる1つの駒ということだと思います。
それはどこを切っても同じ金太郎あめ状態的気持ちで,爽やかな風が、ボールを動かす選手達の心の中を吹き抜けているのではないかと思ったりします。

[C4780] いま・・

オレンジ色の月をサッカーボールみたいに
えーいぃ、ボンって投げたら、見えない壁にブツかって
バウンドした~(焦った、汗)すごい、ボーンってなります・・(爆)
 
e-466

[C4778] 自分はボールの道具

>自分が道具と化すことで、意識から無意識の世界に
バトンタッチするような気がしました。
伝わってくる気持ちの良さは、その辺にもあるような気がしました。
自分がしてやった(ファンタジスタ)とゆうのは、誰かがパスを
出してくれた・・とゆうのを忘れていることだと思います。
でもずっと繋がって、ここまで来たのだと思います。しかも
いつの地点で山頂に来た、とか、そうゆうわけでもないと思います。
ぐるぐる回っている車輪の一部なら、上に来たと思ったら下になり、それもものすごく素早い早さで、あっという間に変わってしまいます。
それに全体が「車輪」なので、どこが主役とゆうわけでもありません。
(誰かの書き込みにこうゆうレスがありました、昨日のメインの書き
込みかもしれない)
車を動かす道具に過ぎないとゆうことだと思います。
そういえば、ボールの動きだけ見ることはありませんでした。
いつも選手に目がいっていたと思います(選手の動き)けれど
ボールが主役となると、ボールの動く軌跡は決まっていて
選手がそれに合わせて動いているだけかもしれません。
そしてボールが、選手のいないところへ行く時・・それは、
ボールがそっちの「まさか!」の方向へ行きたいのかもしれない・・
わかりませんが、そうかもしれません(汗)

v-474





[C4777] 主人公はボール

流れるようなボールの動きがきれいでした。選手の顔も、みんな生き生きしていました。見ていて気持ちよかったです。ボールが主役。今まで考えたことなかったです。選手が主役だとばかり…。ほんとうにすごいことなのではないかと、考えたこともないことや、思ってもみなかったことってたくさんあるのかもしれないなと思いました。私ひとりの責任じゃない。すごいことかも。ボールが主役。かみしめています。
  • 2006/10/07-01:15:57
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4776] 自分はボールの道具


ああ。。そうか。。そうだったんだ。。

主人公はボールだったんだ。。

当たり前のことだと思うのに、今まで、全然気がつきませんでした。

私たちは、ボールを道具と思っていた。。


ゴールをするのはボールなのであり、
選手は、それを運ぶ運びやなのだと思いました。

これは運命と人間の関係にもいえるかもしれません。

私たちは、運命の運びやであると。。


  • 2006/10/07-01:02:40
  • 投稿者 : あかり
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