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[C4126] >駒

人を駒のように扱ってもいいのか?という声が聞こえそうです。
しかし、その選手ごとの長所を伸ばしたり、短所を改善したりすることで、勝利をつかむことができるのかと考えたとき答えはイエスとは言えないような気がします。
オシムジャパンにスター選手がいないのにはその点と関係しているかのような気がします。
でも、駒として扱うことは実はすべてを対等と見ていることではないかと思いました。
長所や短所はそもそも生まれたときから持ち寄ったものだから、そこ視点にこだわりを見せないところがオシム監督なのかと思いました。

生きがいについては、勝つことの喜びを感じようとか、努力すればそれは実現すると言ったことではないと思います。
このような考えは実という感じです。
決められた運命の中で生きがいを見つけることは、三次元では見つけられず、虚の空間を見ることから存在するような気がします。
だから、どうすればよいのかを考えると頭が痛くなりますが(汗)
私は絶対監督にはなれないな・・・

[C3759] 駒

確かに部品と思うとなんとなく抵抗があるかもしれないって思います。華のある選手の華麗な独占プレーではなく全員駒の対等なプレーをだとしたら、監督が駒として使うことによって代替可能な部品を認識することが出来るのだろうと思います。
部品としての認識って駒全体が揃ってくる感じがします。それによってなんでもできるようになるのかなって思います。



  • 2006/09/05-04:21:25
  • 投稿者 : Ciel
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[C3625] 部品

ガチガチに決まっている時こそ(ほど)、生き生き出来るという事を、考えてみました。
ガチガチにはまった歯車の自分は、代替可能を知るのかもしれないと思いました。
ガチガチを制御だとしたら、思考の方向性は行き場を求めて激しくぶつかる(問い)のかもしれないと思いました。
ただ、その際の問いの発信源(?)は、水平方向からでないと共振しないのかも…とも思いました。(何か、抽象的になってしまいました)
  • 2006/08/30-19:34:02
  • 投稿者 : マリ
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[C3605] >生きがい

「駒(私)に生きがいなんかあってたまるか」と思います。

たとえ時空も代替可能であったことが将来わかったとしても、駒の代替性や入れ替え可能性を償うことはできないと思います。でも代替可能性で使いすてだからこそ、人間は私という意識を持つことになったのかもしれません。自分が永遠で宇宙の全てであるならば、他者と自分をわける私という意識などいらないと思われるからです。

私は今死ぬけれどあなたは生きる、あなたは死ぬけれど私はこれからも生きる。私が死んでも宇宙は終わるわけではない...。

私が消滅すれば自分が死んだことがわかる。私という意識がなければ自分がしんでも自分が死んだことがわからないと思います。永遠にいき続けるならば私という意識はいらないわけです。

自分と他人を区別するものが、たぶん、私だと思います。そして私があるから、たぶん、私は宇宙を自分と違う他者として意識することができるのだと思います。

>アダルト
もうひとつのイキがい。でも「顔射」は追加料金かかります(爆)。
  • 2006/08/29-21:18:45
  • 投稿者 : ナイル
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[C3598] 駒として動かされるのは初めてだと思います。

「駒」だからこそ、今まで代表として選ばれなかった人が数多く選ばれていると思いました。

自分が駒として、というより、日本代表として選ばれたってことで、そこまで気づかないかもと思ったりしました。たとえ、駒だとわかっても日本代表の方がうれしいから耐えられると思いました。

生きがいは、勝つことになるのかなぁと思いました。

それにしても、ここに代替可能がでてくるとは・・見てたのにオシムのサッカー。。。

[C3595] もしもオシムが本当にこの戦略を貫くというのなら、数々の問題が生じるはずです。

ああ~。。そうだなあという感じです。。多少の誤作動が瞬間に作用したりするかもでっすううう。。未来からのメッセージを受信してのいくらかの変更なども考えられるので即答は避けたいと思います。。考え中。。★☆丼((o(*´・ω・`*)o))舞☆★
  • 2006/08/29-10:54:40
  • 投稿者 : バニー
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[C3589] >駒

部品のように扱われる・・というと、なんとなくイヤだなと思う人が多いのではと思います。。
でも、駒、部品としてあつかうということは、みなを対等にあつかってることになると思いました。

自己主張をさせない・・
これを自由がなくてイヤだ・・と思ってしまうと、オシムジャパンではやっていけないのかもしれません。

でも、先日からのメインで、決められたルールの中での自由、というのがありました。
オシム監督のやり方の中に、その自由を見出した人は、すごい力を発揮するかもしれないと思いました。

それにしても、オシム監督のやり方が、私たちの運命の問題とこんなに重なってるとは・・


[C3585] >駒

 フレームは、すでにオシムの中にできあがっていてまさしくパーツ化する選手の何を具現化するフレームなのかということと役割の重要さについて徹底することと何をする集団であるかということを全員が認識していく必要性があるのかと思いました。自分が自分らしく生きるのは、人と同じになるのではなくフレームの駒として自分のしっかりと役割を演じきることではないのかと思いました。
  • 2006/08/29-02:20:50
  • 投稿者 : yk
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[C3580] 駒

確かに「駒」や「パーツ」だって、全体の中の一部を形成しており、その一部がなくなると「全体」が成り立たなくなるのであれば、大事なのかもしれませんが、「駒」のなかにも様々な「駒」があると思います。

よく目立ち重要な部分の形成に使われる「駒」とほとんど目立たない部分の形成に使われる「駒」もありで。

いいポジションの「駒」の役を割当てられたらはいいかもしれないけれど、割りの合わない「駒」を割り当てられたら
暗澹とした気持ちになると思います。

そして、こんなポジションでも「全体」にはなくてはならないものなのだと無理に自分を納得させているのだと思います。


「運命」は不公正で、本当に一握りの人たちの幸せの為に、
大多数の人を「不幸」にしていて、一部の人間の良い運命は多数の人間の悪運のうえで成り立っているかのようです。

「一将功なりて万骨枯る」という諺がありますが、
一将のために喜んで枯れようという心意気にはなれません。




  • 2006/08/29-00:19:07
  • 投稿者 : ばなな
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[C3579] >駒

これまでのチームは核になる選手がいて、それを軸にチーム作りを
していたように思います。
オシムの場合、彼の中に、すでに出来上がったチームがあり、それに
見合う選手が選ばれているようです。
本当に「駒」だな・・と思いました。
細かなプレーが彼の描くプレーでなければならず、突出した個性よりも
チームのために働けるかが選ばれる要素だと思います。
ファンタジスタと呼ばれる選手でさえも、チームの中心ではなく、「駒」の
一つになり切らなければ、代表のピッチに立つことはないかもしれません。
とすれば、技術力の高い選手ほど、「駒」になることが難しいかもしれません。
しかし、「代替可能」がゆえに、自分にもチャンスがあると思う選手も多いような
気がします。

[C3578]

オシムの采配の背景には民族問題があります。ユーゴ監督であったオシムはユーゴ内のセルビア人、クロアチア人、モスレム人、スロベニア人、マケドニア人等、同じ南スラブ人で言語も同じような言葉を話しますが、異なる歴史・宗教でちょっとお互いの仲がデリケートになってしまった民族達を監督としていじらなければなりません。後に戦争してしまう民族間なので、彼らの扱いには相当気を使って、ストレスたまりまくりだったかもしれません。それでも、それなりに成果を出してWカップでベスト8ぐらいには勝たせています。おそらく、本当にそれぞれクセのある民族の選手達を駒化することに成功していたのだと思います。ベスト8になったのは90年頃であり、91年のユーゴ内戦勃発寸前で、ユーゴナショナリズムで選手を駒化するのはまず不可能だったと思われます。各民族から民族出身の選手を前面に出せという圧力もオシムにかなり押しかかっていたらしいです。どう色んな民族の選手を駒化するか、本当に命がけだったと思います。
  • 2006/08/28-22:52:11
  • 投稿者 : おかだ
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[C3577] でも

チームのため、勝つため、とか思ったら、プロだから、オシムさんのやり方のほうが勝てると思えば、自分を制御することができるのかもと思いました。全体のために自分を捨てて当たる‥のが生き甲斐とかになるのだろうか‥でも、それだとなんか社会のためっぽいような‥
  • 2006/08/28-22:11:17
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3576] 選手は

プロで、こんなにたくさんメニューをこなして、鍛えて、やってきているというプライドがたくさんありそうです。普通の会社員などよりアクが強そうな印象を持っています。オシムさんも記者の質問回答からすると、すごいアクが強そうで、ぶつかる度合いは普通の会社の比じゃないかもって気がします。
  • 2006/08/28-22:06:32
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3575] >駒

監督が代わってチームが強くなる場合があります。監督すら駒のようにコロコロ変えられてしまうのはそういう事が期待されているからであり、これは監督チェンジによってのチームの運命変更を狙っているのでしょう。それでは、何故監督によってチームの運命も変わる場合があるのか、それは監督によるチームの選手の制御のあり方が変わるからだと思いました。おそらく、強いチームというのは監督の制御が強いチームであるかもしれません。もちろんチームの強さは各々の選手の実力に拠るところが大きいですが、それでもチーム強化のために監督に求められているのは選手の制御能力だと思います。いかにクセがあり実力のある選手でも、個人プレーでは勝てないわけですから、彼らを駒化し、代替可能な状態でチーム全体に奉仕させる状態に制御しないと強いチームにはなれないのかもしれません。クロアチア人オシムは日本人をどう制御するのか今後、関心が出来ました。
  • 2006/08/28-22:03:23
  • 投稿者 : おかだ
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[C3574] オシムさん

部品として扱われると、個性のある人には我慢ならないだろうなと思います。自己判断でスタンドプレーとか、厳禁なのかな‥(普通そうか‥)。どのあたりが部品ということなのかまだ不明ですが、選手と監督がぶつかることもたくさんあるかもと思いました。そこを空中分解せずにやっていけるのかどうか‥会社とかだったら、社員が全員やめたりするかもしれないし‥
  • 2006/08/28-22:01:48
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3573] 画面が‥

いきなり変わっていて驚きました。クールでかっこいい。
  • 2006/08/28-21:54:13
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3572] >駒

中田ヒデが天皇陛下の招待を受けた時、彼は「自分なりのサッカーをやりたい」と言って
いたそうですが、この時以外でも常に彼は“自分”“自分”を強調していたように私には聞
こえました。
 
ドイツW杯の開催中はここでは宮本武蔵を題材にしていました。
 
だから思いっきりもりけんさんの受け売りですが(汗)、中田ヒデの発言に「ああダメだ・・
負ける、これ以上は勝てない」と思ってしまったのです。
 
ヒデだけではありません、他の代表選手、代表に選ばれなかったJリーグ選手もすべて
「佐々木小次郎」だと思います。
 
そして南米や欧州の選手は日本の100倍も「佐々木小次郎」です。
 
「佐々木小次郎」に「佐々木小次郎」でぶつかって勝てるわけがないと思いました。
 
櫂や日照時間などの工夫をしないと太刀打ちできるわけないと思います。
 
今日本は中国よりランクが上かもしれませんが、あちらの方がはるかに人材豊富です。
追い越されるのも時間の問題です。
 
欧州へ修行に行くのも悪くないかもしれませんが、ただ単に「個」のプライドを満足させ
ているだけかもしれないと思いました。
 
サッカーは団体競技ですが、個人プレーの競技でも、“勝つ”ことを前にして、「個」のプ
ライドを捨てられるのかどうか、“勝つ”ことを前にして「個」のプライドなどたかが知れ
ていると、もしオシム氏がそのように考えているのなら、彼はどのようにこれから発言・
行動していくのだろうかと興味深いです。
e-219v-39v-496
  • 2006/08/28-21:32:25
  • 投稿者 : イーキン
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[C3571] >駒

駒だということを聞くとまだまだやれると思うこととこれが限界かとという狭間にいるように思います。
投げやりなほうに気持ちが行きやすいです。
自分ということを主張したいですが、ここまでやってきた選手の差はごく僅かです。
どれだけ駒になりきれるかに掛かっているように思います。
オシム自身も駒であることを自覚していると思います。
私が駒だと宣言されればすごく微妙な心理状況になってしまうと思います。
「駒」って考える時、自分自身でどこまで何かを求めて動くことが出来るかが問題のように思います。
考えろと突きつけられているようです。
  • 2006/08/28-19:18:28
  • 投稿者 : 小町
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[C3570] 投稿ボタンを押したときに

画面が切り替わっていたので、一瞬自分がどこに居るのかわからなくなりました。新しいヴァージョン、きれいですね...。
  • 2006/08/28-19:11:32
  • 投稿者 : ナイル
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[C3569] 今日の問題提起は興味深いです

というのは、「もりけんさん」がこのような問題提起をするということ自体が、なぜだかまだはっきりと言葉にはできないのですが、面白いなと思ったからです。

>日本人は部品として扱われるのを嫌うのではないか・・
1)ゲームは多くの人が見ているわけですから、監督はとった戦略について説明することができなくてはなりません。それが監督の仕事であると選手も理解していると思います。

また、2)監督も結局使い捨ての駒だということは、監督自身、選手、観客など全員がわかっているのでその点では選手と監督は平等だと思います。監督の替えはいくらでもいます。ただ、選手は調子が悪ければはずせますが、監督をかえるのは少々面倒だということはいえると思います。合理的な理由が要ります。でも結局、「駒」が「駒」を使っているだけです。

3)選手たるもの自分が起用されなかったときの感情処理ができるということは、全日本に選出される最低条件だと思います。

>次は、私個人の問題です。 私たち人間は、すべて部品です。運命の中で、なすすべもありません。生き甲斐をどう見つけるのか、それが問題です。

「私個人の問題」という部分と「生き甲斐を同見つけるのか、それが問題です」という部分に、いままでのもりけんさんのアプローチの仕方とは、少し違うものを感じました。このような問題は、もりけんさんにすれば、いまさら論じることもない決着のついた問題だと、私は勝手に思っていたからです。この部分は一旦逃げさせてください。

さて(笑)、今日のもりけんさんの書き込みを読んで私が浮かんだアイデアというのは、日本人選手ということについてです。

日本では、サッカー選手になってもスポーツエリートになれるにすぎません(それだけでもすごいことですが)。将来のことを考えるとサッカー選手になろうか大学に進学して就職しようかという「選択」が生じても、誰もあまり不思議には思いません。

しかしサッカーの強い国ではサッカーをやればヒーローや「神様」になれる可能性があります。一方、経済的な理由から進学という選択肢はそもそもないかもしれません。もしあったとしても、エリートになることが上限である環境よりも、神様になれる、神様になれないまでもヒーロー(英雄)になれるという上限のない環境でサッカーをやっている子供たちのほうが、サッカーをやるということに対して、自分の持っているありったけの時間とエネルギーと情熱を注ぎ込めるという意味でサッカーと自分との間に一体感があるのではないかと思います。

エリートになれる可能性があることに対してより、神様やヒーローになれる可能性のあることに対して走るほうが、たぶん、人間は、幸せです。
  • 2006/08/28-19:03:27
  • 投稿者 : ナイル
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[C3568] ブツだけでなく役割かも

オフェンスがオフェンスしかできなかったら、もしディフェンスが足りない時、代替不可能です。
逆も同じだと思います。
これではチーム全体が危機にさらされます。

もし同じブツでも役割が数種類できる人がいれば、人数さえ会えばすぐに危機から脱します。

また一方の立場だけしかできないと、視点が固定されます。
例えばオフェンスの人がディフェンスを行った時、立場や役割が変わるので視点が移動できます。
見えていなかった面が見えてチームに貢献できると思います。

個レベルで考えてもマルチタスクを問われてくるので、質は上がらざるえない気がします。

駒は一見自由度を狭めるようで、逆に自由度がかなり広がる気がします。

[C3567] >駒

駒として扱われたら、多くの人は、いい気分はしないと思います。
いい気分になるのは、いたぶられるのが好きなM男であり、M女だと思います。

しかし、私たち人間も運命の駒であり、
自分で考えて走っているように見えても、
実は、そう思い込まされているだけかもしれません。
だとすれば、「個」としての生き甲斐などないでしょう。
生き甲斐を感じるのは、そう思い込まされているということに気づいていないからだと思います。

オシム監督のサッカーは、いったいどこに向かっているのでしょうか・・

オシムは、選手を代替可能な駒として扱いながら、
考えながら走れるように助けてやるといいます。

もし、単なる駒であれば、考えることを助けたりはしないでしょう。

オシムのサッカーは、何かもっと大きなものに向かっているように思いました。

思考をし、走りながら、皆がフィールド「場」全体を見渡せる視点を皆が持てるような・・

ところで、体育会系は、特に上下の関係が厳しいハイアラキーな関係性が強いと思います。

でも、オシムは、選手を対等に扱うので、選手同士の関係性も水平な感じになりそうです。

考えて走って、選手同士は、皆代替可能で、
オンリーワンの存在はいなくて、
誰にでもなれて・・

そのような試合をしていくと、
個性が消滅するとともに、全体のしくみ、地図のようなもの(「場」)があぶりだされていくような気がします。

メイドがご主人様の秘密を解明していくように・・

で・・その場は、代替可能だから、いつだって個が飛び出してよい、場であるということだと思います。


いてもいいし、いなくてもいいような・・
いなくてもいいのだから場に入墓することがないような・・


  • 2006/08/28-16:14:31
  • 投稿者 : あかり
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[C3566] あー

すいませんでした

[C3565] 和佳さん

本の内容を先走るのは、待って下さい。
  • 2006/08/28-15:40:12
  • 投稿者 : もりけん
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[C3564] >駒

 
まだオシムの試合は見たことがないのですが、練習風景は見ました。
選手たちはビブスと呼ばれる数色に色分けしたゼッケンを身につけ、ディフェンスとオフェンスに分かれてシュートやパス練習をするのですが、そのディフェンスとオフェンスが目まぐるしく変わるのです。
さっきまでディフェンスだった人がいつのまにかオフェンスに、オフェンスだった人がいつのまにかディフェンスに・・
まさに代替可能を具現化したような練習メニューで驚きました。
身体も使うけれど、それ以上に頭を使わなければできない練習だと思います。
選手たちは、いったい誰が敵なのか味方なのか混乱して動けなくなり、フリーズしていましたが、その一方で、「頭を使う練習メニュー」に新鮮さと充実感を感じているようでもありました。
 
能力の高い選手にとっては駒として扱われるのは不服かもしれません。
しかし、たった一人では試合はできないのですから、駒である自分を受け入れるしかないのではないかと思います。
それはいい意味での緊張感を生み出し、全体の質を向上させるのではないかと思います。
 
スラダンの流川を思い出しました。
流川は途中まで絶対にゴール前でパスを出さない選手でした。常にシュートを決めるのは自分だと、ゴール前では誰にもボールを譲ることがありませんでした。
しかし、途中からパスを出せるようになり、それによってプレイの幅が広がり、敵に対して今まで以上に脅威を与える存在になります。
 
代替可能であるということはオールマイティであるということでもあるのではないかと思いました。
シュートも決めるし、パスも出せる。
ディフェンスもできるし、オフェンスもできる。
駒であることを受け入れることで、目まぐるしく立場を変えられるようになり、幅が広がるのかもしれないと思います。
  • 2006/08/28-15:16:41
  • 投稿者 : くるみ
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[C3562] 駒

自分の中の御主人の意向に従う・・なんだなと思いました。
誰かが自分の御主人さまではないんだと思います。
監督の指示をあおぐのが、選手ではない・・
のだと思います。
自分で走って、考えて、気がつくんだ・・と言ってる気がしました。
自分の中の御主人とつながれ!なんだと思います。
はじめの一歩が、自分が「駒」だと気がつくことだと思います。

[C3561] >駒

日本代表チームの選手を大幅に‥というより殆ど入れ替えてしまったというのを
聞いた時には驚きました。
それには代表になっていない色々な選手を試してみるという理由もあるのかなと
思いましたが、オシム監督は今だけじゃなく、これからもずっとそれを続けるか
もしれないと思いました。
 
試合を見て楽しむ側としては、選手がガラリと変わるのはワクワクしました。
動きがあまり良くなくても、有名選手だし日本代表の経験が多いという理由でそ
の経験が良い方向に作用する可能性に賭けて選手を起用し続けるより、未経験で
も元気いっぱいでよく動きまわる選手のほうが面白い試合をするんじゃないかと
思ったからです。
 
でも選ばれる選手の側を考えたら、大勢の選手の中から選ばれた自分は特別な存
在なはずなのに、それを全く無視されて大勢いる選手の中の一選手として扱われ
るのは苦痛だと思いました。
 
>日本人は部品として扱われるのを嫌うのではないか・・と思います。
 
会社の部品のようになってせっせと働いて、会社全体として良い仕事をするのが
日本人の得意とするところだと思っていました。
でも分業化していても「私は私にしか出来ない仕事をする」とか「この分野のス
ペシャリストになる」と考えているのは、自分は部品という考えじゃないのだと
思いました。
 
> 私たち人間は、すべて部品です。運命の中で、なすすべもありません。生き甲斐を
>どう見つけるのか、それが問題です。
 
「当たり前だが、プレーするのは選手であって監督ではない」が、「当たり前だが、
プレーするのは人間であって運命ではない」に置き換えられた時、選手はガチガ
チに縛られていて自由なんてないと思いました。
 
でも運命の中で選手は身動きがとれなくて芝の上に座り込んでいるわけじゃない
です。
オシム監督は「考えて走れ」と言います。
そして選手は、考えることが出来るし、走ることが出来ます。
  • 2006/08/28-13:04:25
  • 投稿者 : ぷく
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[C3560]

すっごく難しいなと思って考えてしまいました。
唸りながら書いてます。 

>まず、部品として扱われる選手は、それをどう思うか
 
『ただ、そういういい選手が一つのチームに固まっていたら、チームは成り立たない。誰が彼らのためにはしるのか』(『オシムの言葉』p21 P120中程にも似たような言葉があります)という言葉が好きです。どんなスターもサッカーに走らないヤツはいらない…ということだと思いました。サッカーと言う競技はまず走ってなんぼなんだと思いました。その上でのプレイなんだと思います。
私は「駒」だって言われると、腹立たしいです。だけど誰が彼らのためにはしるのか…という言葉は深いと思いました。駒が走るからゲームは展開してくのです。スター(個性輝くヤツ)がイイとこ決めるからじゃない。駒は駒でしかないから必死で走ると思います。でもイイとこどりのスター(になりたい人→私とか)で待ち構えててそれってゲームになんのかと思います。。なんか…代替え可能な駒でしかないのですが、考える暇もなく、カッコつけられなく走る…その時の燃焼度はスゴイと思います。スター然と構えてボールを待つのと、どっちがゲーム作ってんだろうと思います。
 
>生き甲斐をどう見つけるのか
 
『オシムの言葉』を読み返しててP17~でオシムが選手に一対一をさせるシーンが出てきました。でも見てる選手にむかって途中で怒りだすのです。「なんで助けにに行かないんだ!」って。選手は言われた通りにしてたのだから困惑します。しかしオシムは考えろと言う。こんなシーンが実戦でつづくか?漫然とこなすな考えろ。。。と
生き甲斐かはわかんないけど、なんか徹底的にこだわるというふうに思いました。そのシーンがなんなのかと徹底的にかかわるというのが…同じときを過ごしても全く違う様相になるんじゃないかと思いました。
 
ご主人様との日々(アダルト)かぁ……思う事には、ご主人様との日々はキモチイイって気がします。ははは、壊れ気味です(汗)

[C3558] >駒

代替可能という事は広~くチャンスがあるという事ではないかと思いました。
サッカーはチームプレーですから、1つの駒として、動くことで、全体が生きてくるのかもと思ったりします。

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 オシムのふたつの試合を見ました。
 
 いきなり本題に入ります。
 試合から私が感じたものは「駒」でした。
 
 選手を駒のように使う・・それがオシムでした。
 
 駒という言葉から連想されるのは「代替可能」です。言い換えれば交換可能な部品です。
 
 もしもオシムが本当にこの戦略を貫くというのなら、数々の問題が生じるはずです。
 
 まず、部品として扱われる選手は、それをどう思うか・・です。特に選手は日本人です。日本人は部品として扱われるのを嫌うのではないか・・と思います。
 
 次は、私個人の問題です。
 私たち人間は、すべて部品です。運命の中で、なすすべもありません。生き甲斐をどう見つけるのか、それが問題です。
 
 このふたつの問題を、同時に持っているのが、オシムジャパンだと思います。
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29件のコメント

[C4126] >駒

人を駒のように扱ってもいいのか?という声が聞こえそうです。
しかし、その選手ごとの長所を伸ばしたり、短所を改善したりすることで、勝利をつかむことができるのかと考えたとき答えはイエスとは言えないような気がします。
オシムジャパンにスター選手がいないのにはその点と関係しているかのような気がします。
でも、駒として扱うことは実はすべてを対等と見ていることではないかと思いました。
長所や短所はそもそも生まれたときから持ち寄ったものだから、そこ視点にこだわりを見せないところがオシム監督なのかと思いました。

生きがいについては、勝つことの喜びを感じようとか、努力すればそれは実現すると言ったことではないと思います。
このような考えは実という感じです。
決められた運命の中で生きがいを見つけることは、三次元では見つけられず、虚の空間を見ることから存在するような気がします。
だから、どうすればよいのかを考えると頭が痛くなりますが(汗)
私は絶対監督にはなれないな・・・

[C3759] 駒

確かに部品と思うとなんとなく抵抗があるかもしれないって思います。華のある選手の華麗な独占プレーではなく全員駒の対等なプレーをだとしたら、監督が駒として使うことによって代替可能な部品を認識することが出来るのだろうと思います。
部品としての認識って駒全体が揃ってくる感じがします。それによってなんでもできるようになるのかなって思います。



  • 2006/09/05-04:21:25
  • 投稿者 : Ciel
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[C3625] 部品

ガチガチに決まっている時こそ(ほど)、生き生き出来るという事を、考えてみました。
ガチガチにはまった歯車の自分は、代替可能を知るのかもしれないと思いました。
ガチガチを制御だとしたら、思考の方向性は行き場を求めて激しくぶつかる(問い)のかもしれないと思いました。
ただ、その際の問いの発信源(?)は、水平方向からでないと共振しないのかも…とも思いました。(何か、抽象的になってしまいました)
  • 2006/08/30-19:34:02
  • 投稿者 : マリ
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[C3605] >生きがい

「駒(私)に生きがいなんかあってたまるか」と思います。

たとえ時空も代替可能であったことが将来わかったとしても、駒の代替性や入れ替え可能性を償うことはできないと思います。でも代替可能性で使いすてだからこそ、人間は私という意識を持つことになったのかもしれません。自分が永遠で宇宙の全てであるならば、他者と自分をわける私という意識などいらないと思われるからです。

私は今死ぬけれどあなたは生きる、あなたは死ぬけれど私はこれからも生きる。私が死んでも宇宙は終わるわけではない...。

私が消滅すれば自分が死んだことがわかる。私という意識がなければ自分がしんでも自分が死んだことがわからないと思います。永遠にいき続けるならば私という意識はいらないわけです。

自分と他人を区別するものが、たぶん、私だと思います。そして私があるから、たぶん、私は宇宙を自分と違う他者として意識することができるのだと思います。

>アダルト
もうひとつのイキがい。でも「顔射」は追加料金かかります(爆)。
  • 2006/08/29-21:18:45
  • 投稿者 : ナイル
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[C3598] 駒として動かされるのは初めてだと思います。

「駒」だからこそ、今まで代表として選ばれなかった人が数多く選ばれていると思いました。

自分が駒として、というより、日本代表として選ばれたってことで、そこまで気づかないかもと思ったりしました。たとえ、駒だとわかっても日本代表の方がうれしいから耐えられると思いました。

生きがいは、勝つことになるのかなぁと思いました。

それにしても、ここに代替可能がでてくるとは・・見てたのにオシムのサッカー。。。

[C3595] もしもオシムが本当にこの戦略を貫くというのなら、数々の問題が生じるはずです。

ああ~。。そうだなあという感じです。。多少の誤作動が瞬間に作用したりするかもでっすううう。。未来からのメッセージを受信してのいくらかの変更なども考えられるので即答は避けたいと思います。。考え中。。★☆丼((o(*´・ω・`*)o))舞☆★
  • 2006/08/29-10:54:40
  • 投稿者 : バニー
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[C3589] >駒

部品のように扱われる・・というと、なんとなくイヤだなと思う人が多いのではと思います。。
でも、駒、部品としてあつかうということは、みなを対等にあつかってることになると思いました。

自己主張をさせない・・
これを自由がなくてイヤだ・・と思ってしまうと、オシムジャパンではやっていけないのかもしれません。

でも、先日からのメインで、決められたルールの中での自由、というのがありました。
オシム監督のやり方の中に、その自由を見出した人は、すごい力を発揮するかもしれないと思いました。

それにしても、オシム監督のやり方が、私たちの運命の問題とこんなに重なってるとは・・


[C3585] >駒

 フレームは、すでにオシムの中にできあがっていてまさしくパーツ化する選手の何を具現化するフレームなのかということと役割の重要さについて徹底することと何をする集団であるかということを全員が認識していく必要性があるのかと思いました。自分が自分らしく生きるのは、人と同じになるのではなくフレームの駒として自分のしっかりと役割を演じきることではないのかと思いました。
  • 2006/08/29-02:20:50
  • 投稿者 : yk
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[C3580] 駒

確かに「駒」や「パーツ」だって、全体の中の一部を形成しており、その一部がなくなると「全体」が成り立たなくなるのであれば、大事なのかもしれませんが、「駒」のなかにも様々な「駒」があると思います。

よく目立ち重要な部分の形成に使われる「駒」とほとんど目立たない部分の形成に使われる「駒」もありで。

いいポジションの「駒」の役を割当てられたらはいいかもしれないけれど、割りの合わない「駒」を割り当てられたら
暗澹とした気持ちになると思います。

そして、こんなポジションでも「全体」にはなくてはならないものなのだと無理に自分を納得させているのだと思います。


「運命」は不公正で、本当に一握りの人たちの幸せの為に、
大多数の人を「不幸」にしていて、一部の人間の良い運命は多数の人間の悪運のうえで成り立っているかのようです。

「一将功なりて万骨枯る」という諺がありますが、
一将のために喜んで枯れようという心意気にはなれません。




  • 2006/08/29-00:19:07
  • 投稿者 : ばなな
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[C3579] >駒

これまでのチームは核になる選手がいて、それを軸にチーム作りを
していたように思います。
オシムの場合、彼の中に、すでに出来上がったチームがあり、それに
見合う選手が選ばれているようです。
本当に「駒」だな・・と思いました。
細かなプレーが彼の描くプレーでなければならず、突出した個性よりも
チームのために働けるかが選ばれる要素だと思います。
ファンタジスタと呼ばれる選手でさえも、チームの中心ではなく、「駒」の
一つになり切らなければ、代表のピッチに立つことはないかもしれません。
とすれば、技術力の高い選手ほど、「駒」になることが難しいかもしれません。
しかし、「代替可能」がゆえに、自分にもチャンスがあると思う選手も多いような
気がします。

[C3578]

オシムの采配の背景には民族問題があります。ユーゴ監督であったオシムはユーゴ内のセルビア人、クロアチア人、モスレム人、スロベニア人、マケドニア人等、同じ南スラブ人で言語も同じような言葉を話しますが、異なる歴史・宗教でちょっとお互いの仲がデリケートになってしまった民族達を監督としていじらなければなりません。後に戦争してしまう民族間なので、彼らの扱いには相当気を使って、ストレスたまりまくりだったかもしれません。それでも、それなりに成果を出してWカップでベスト8ぐらいには勝たせています。おそらく、本当にそれぞれクセのある民族の選手達を駒化することに成功していたのだと思います。ベスト8になったのは90年頃であり、91年のユーゴ内戦勃発寸前で、ユーゴナショナリズムで選手を駒化するのはまず不可能だったと思われます。各民族から民族出身の選手を前面に出せという圧力もオシムにかなり押しかかっていたらしいです。どう色んな民族の選手を駒化するか、本当に命がけだったと思います。
  • 2006/08/28-22:52:11
  • 投稿者 : おかだ
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[C3577] でも

チームのため、勝つため、とか思ったら、プロだから、オシムさんのやり方のほうが勝てると思えば、自分を制御することができるのかもと思いました。全体のために自分を捨てて当たる‥のが生き甲斐とかになるのだろうか‥でも、それだとなんか社会のためっぽいような‥
  • 2006/08/28-22:11:17
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3576] 選手は

プロで、こんなにたくさんメニューをこなして、鍛えて、やってきているというプライドがたくさんありそうです。普通の会社員などよりアクが強そうな印象を持っています。オシムさんも記者の質問回答からすると、すごいアクが強そうで、ぶつかる度合いは普通の会社の比じゃないかもって気がします。
  • 2006/08/28-22:06:32
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3575] >駒

監督が代わってチームが強くなる場合があります。監督すら駒のようにコロコロ変えられてしまうのはそういう事が期待されているからであり、これは監督チェンジによってのチームの運命変更を狙っているのでしょう。それでは、何故監督によってチームの運命も変わる場合があるのか、それは監督によるチームの選手の制御のあり方が変わるからだと思いました。おそらく、強いチームというのは監督の制御が強いチームであるかもしれません。もちろんチームの強さは各々の選手の実力に拠るところが大きいですが、それでもチーム強化のために監督に求められているのは選手の制御能力だと思います。いかにクセがあり実力のある選手でも、個人プレーでは勝てないわけですから、彼らを駒化し、代替可能な状態でチーム全体に奉仕させる状態に制御しないと強いチームにはなれないのかもしれません。クロアチア人オシムは日本人をどう制御するのか今後、関心が出来ました。
  • 2006/08/28-22:03:23
  • 投稿者 : おかだ
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[C3574] オシムさん

部品として扱われると、個性のある人には我慢ならないだろうなと思います。自己判断でスタンドプレーとか、厳禁なのかな‥(普通そうか‥)。どのあたりが部品ということなのかまだ不明ですが、選手と監督がぶつかることもたくさんあるかもと思いました。そこを空中分解せずにやっていけるのかどうか‥会社とかだったら、社員が全員やめたりするかもしれないし‥
  • 2006/08/28-22:01:48
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3573] 画面が‥

いきなり変わっていて驚きました。クールでかっこいい。
  • 2006/08/28-21:54:13
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3572] >駒

中田ヒデが天皇陛下の招待を受けた時、彼は「自分なりのサッカーをやりたい」と言って
いたそうですが、この時以外でも常に彼は“自分”“自分”を強調していたように私には聞
こえました。
 
ドイツW杯の開催中はここでは宮本武蔵を題材にしていました。
 
だから思いっきりもりけんさんの受け売りですが(汗)、中田ヒデの発言に「ああダメだ・・
負ける、これ以上は勝てない」と思ってしまったのです。
 
ヒデだけではありません、他の代表選手、代表に選ばれなかったJリーグ選手もすべて
「佐々木小次郎」だと思います。
 
そして南米や欧州の選手は日本の100倍も「佐々木小次郎」です。
 
「佐々木小次郎」に「佐々木小次郎」でぶつかって勝てるわけがないと思いました。
 
櫂や日照時間などの工夫をしないと太刀打ちできるわけないと思います。
 
今日本は中国よりランクが上かもしれませんが、あちらの方がはるかに人材豊富です。
追い越されるのも時間の問題です。
 
欧州へ修行に行くのも悪くないかもしれませんが、ただ単に「個」のプライドを満足させ
ているだけかもしれないと思いました。
 
サッカーは団体競技ですが、個人プレーの競技でも、“勝つ”ことを前にして、「個」のプ
ライドを捨てられるのかどうか、“勝つ”ことを前にして「個」のプライドなどたかが知れ
ていると、もしオシム氏がそのように考えているのなら、彼はどのようにこれから発言・
行動していくのだろうかと興味深いです。
e-219v-39v-496
  • 2006/08/28-21:32:25
  • 投稿者 : イーキン
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[C3571] >駒

駒だということを聞くとまだまだやれると思うこととこれが限界かとという狭間にいるように思います。
投げやりなほうに気持ちが行きやすいです。
自分ということを主張したいですが、ここまでやってきた選手の差はごく僅かです。
どれだけ駒になりきれるかに掛かっているように思います。
オシム自身も駒であることを自覚していると思います。
私が駒だと宣言されればすごく微妙な心理状況になってしまうと思います。
「駒」って考える時、自分自身でどこまで何かを求めて動くことが出来るかが問題のように思います。
考えろと突きつけられているようです。
  • 2006/08/28-19:18:28
  • 投稿者 : 小町
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[C3570] 投稿ボタンを押したときに

画面が切り替わっていたので、一瞬自分がどこに居るのかわからなくなりました。新しいヴァージョン、きれいですね...。
  • 2006/08/28-19:11:32
  • 投稿者 : ナイル
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[C3569] 今日の問題提起は興味深いです

というのは、「もりけんさん」がこのような問題提起をするということ自体が、なぜだかまだはっきりと言葉にはできないのですが、面白いなと思ったからです。

>日本人は部品として扱われるのを嫌うのではないか・・
1)ゲームは多くの人が見ているわけですから、監督はとった戦略について説明することができなくてはなりません。それが監督の仕事であると選手も理解していると思います。

また、2)監督も結局使い捨ての駒だということは、監督自身、選手、観客など全員がわかっているのでその点では選手と監督は平等だと思います。監督の替えはいくらでもいます。ただ、選手は調子が悪ければはずせますが、監督をかえるのは少々面倒だということはいえると思います。合理的な理由が要ります。でも結局、「駒」が「駒」を使っているだけです。

3)選手たるもの自分が起用されなかったときの感情処理ができるということは、全日本に選出される最低条件だと思います。

>次は、私個人の問題です。 私たち人間は、すべて部品です。運命の中で、なすすべもありません。生き甲斐をどう見つけるのか、それが問題です。

「私個人の問題」という部分と「生き甲斐を同見つけるのか、それが問題です」という部分に、いままでのもりけんさんのアプローチの仕方とは、少し違うものを感じました。このような問題は、もりけんさんにすれば、いまさら論じることもない決着のついた問題だと、私は勝手に思っていたからです。この部分は一旦逃げさせてください。

さて(笑)、今日のもりけんさんの書き込みを読んで私が浮かんだアイデアというのは、日本人選手ということについてです。

日本では、サッカー選手になってもスポーツエリートになれるにすぎません(それだけでもすごいことですが)。将来のことを考えるとサッカー選手になろうか大学に進学して就職しようかという「選択」が生じても、誰もあまり不思議には思いません。

しかしサッカーの強い国ではサッカーをやればヒーローや「神様」になれる可能性があります。一方、経済的な理由から進学という選択肢はそもそもないかもしれません。もしあったとしても、エリートになることが上限である環境よりも、神様になれる、神様になれないまでもヒーロー(英雄)になれるという上限のない環境でサッカーをやっている子供たちのほうが、サッカーをやるということに対して、自分の持っているありったけの時間とエネルギーと情熱を注ぎ込めるという意味でサッカーと自分との間に一体感があるのではないかと思います。

エリートになれる可能性があることに対してより、神様やヒーローになれる可能性のあることに対して走るほうが、たぶん、人間は、幸せです。
  • 2006/08/28-19:03:27
  • 投稿者 : ナイル
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[C3568] ブツだけでなく役割かも

オフェンスがオフェンスしかできなかったら、もしディフェンスが足りない時、代替不可能です。
逆も同じだと思います。
これではチーム全体が危機にさらされます。

もし同じブツでも役割が数種類できる人がいれば、人数さえ会えばすぐに危機から脱します。

また一方の立場だけしかできないと、視点が固定されます。
例えばオフェンスの人がディフェンスを行った時、立場や役割が変わるので視点が移動できます。
見えていなかった面が見えてチームに貢献できると思います。

個レベルで考えてもマルチタスクを問われてくるので、質は上がらざるえない気がします。

駒は一見自由度を狭めるようで、逆に自由度がかなり広がる気がします。

[C3567] >駒

駒として扱われたら、多くの人は、いい気分はしないと思います。
いい気分になるのは、いたぶられるのが好きなM男であり、M女だと思います。

しかし、私たち人間も運命の駒であり、
自分で考えて走っているように見えても、
実は、そう思い込まされているだけかもしれません。
だとすれば、「個」としての生き甲斐などないでしょう。
生き甲斐を感じるのは、そう思い込まされているということに気づいていないからだと思います。

オシム監督のサッカーは、いったいどこに向かっているのでしょうか・・

オシムは、選手を代替可能な駒として扱いながら、
考えながら走れるように助けてやるといいます。

もし、単なる駒であれば、考えることを助けたりはしないでしょう。

オシムのサッカーは、何かもっと大きなものに向かっているように思いました。

思考をし、走りながら、皆がフィールド「場」全体を見渡せる視点を皆が持てるような・・

ところで、体育会系は、特に上下の関係が厳しいハイアラキーな関係性が強いと思います。

でも、オシムは、選手を対等に扱うので、選手同士の関係性も水平な感じになりそうです。

考えて走って、選手同士は、皆代替可能で、
オンリーワンの存在はいなくて、
誰にでもなれて・・

そのような試合をしていくと、
個性が消滅するとともに、全体のしくみ、地図のようなもの(「場」)があぶりだされていくような気がします。

メイドがご主人様の秘密を解明していくように・・

で・・その場は、代替可能だから、いつだって個が飛び出してよい、場であるということだと思います。


いてもいいし、いなくてもいいような・・
いなくてもいいのだから場に入墓することがないような・・


  • 2006/08/28-16:14:31
  • 投稿者 : あかり
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[C3566] あー

すいませんでした

[C3565] 和佳さん

本の内容を先走るのは、待って下さい。
  • 2006/08/28-15:40:12
  • 投稿者 : もりけん
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[C3564] >駒

 
まだオシムの試合は見たことがないのですが、練習風景は見ました。
選手たちはビブスと呼ばれる数色に色分けしたゼッケンを身につけ、ディフェンスとオフェンスに分かれてシュートやパス練習をするのですが、そのディフェンスとオフェンスが目まぐるしく変わるのです。
さっきまでディフェンスだった人がいつのまにかオフェンスに、オフェンスだった人がいつのまにかディフェンスに・・
まさに代替可能を具現化したような練習メニューで驚きました。
身体も使うけれど、それ以上に頭を使わなければできない練習だと思います。
選手たちは、いったい誰が敵なのか味方なのか混乱して動けなくなり、フリーズしていましたが、その一方で、「頭を使う練習メニュー」に新鮮さと充実感を感じているようでもありました。
 
能力の高い選手にとっては駒として扱われるのは不服かもしれません。
しかし、たった一人では試合はできないのですから、駒である自分を受け入れるしかないのではないかと思います。
それはいい意味での緊張感を生み出し、全体の質を向上させるのではないかと思います。
 
スラダンの流川を思い出しました。
流川は途中まで絶対にゴール前でパスを出さない選手でした。常にシュートを決めるのは自分だと、ゴール前では誰にもボールを譲ることがありませんでした。
しかし、途中からパスを出せるようになり、それによってプレイの幅が広がり、敵に対して今まで以上に脅威を与える存在になります。
 
代替可能であるということはオールマイティであるということでもあるのではないかと思いました。
シュートも決めるし、パスも出せる。
ディフェンスもできるし、オフェンスもできる。
駒であることを受け入れることで、目まぐるしく立場を変えられるようになり、幅が広がるのかもしれないと思います。
  • 2006/08/28-15:16:41
  • 投稿者 : くるみ
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[C3562] 駒

自分の中の御主人の意向に従う・・なんだなと思いました。
誰かが自分の御主人さまではないんだと思います。
監督の指示をあおぐのが、選手ではない・・
のだと思います。
自分で走って、考えて、気がつくんだ・・と言ってる気がしました。
自分の中の御主人とつながれ!なんだと思います。
はじめの一歩が、自分が「駒」だと気がつくことだと思います。

[C3561] >駒

日本代表チームの選手を大幅に‥というより殆ど入れ替えてしまったというのを
聞いた時には驚きました。
それには代表になっていない色々な選手を試してみるという理由もあるのかなと
思いましたが、オシム監督は今だけじゃなく、これからもずっとそれを続けるか
もしれないと思いました。
 
試合を見て楽しむ側としては、選手がガラリと変わるのはワクワクしました。
動きがあまり良くなくても、有名選手だし日本代表の経験が多いという理由でそ
の経験が良い方向に作用する可能性に賭けて選手を起用し続けるより、未経験で
も元気いっぱいでよく動きまわる選手のほうが面白い試合をするんじゃないかと
思ったからです。
 
でも選ばれる選手の側を考えたら、大勢の選手の中から選ばれた自分は特別な存
在なはずなのに、それを全く無視されて大勢いる選手の中の一選手として扱われ
るのは苦痛だと思いました。
 
>日本人は部品として扱われるのを嫌うのではないか・・と思います。
 
会社の部品のようになってせっせと働いて、会社全体として良い仕事をするのが
日本人の得意とするところだと思っていました。
でも分業化していても「私は私にしか出来ない仕事をする」とか「この分野のス
ペシャリストになる」と考えているのは、自分は部品という考えじゃないのだと
思いました。
 
> 私たち人間は、すべて部品です。運命の中で、なすすべもありません。生き甲斐を
>どう見つけるのか、それが問題です。
 
「当たり前だが、プレーするのは選手であって監督ではない」が、「当たり前だが、
プレーするのは人間であって運命ではない」に置き換えられた時、選手はガチガ
チに縛られていて自由なんてないと思いました。
 
でも運命の中で選手は身動きがとれなくて芝の上に座り込んでいるわけじゃない
です。
オシム監督は「考えて走れ」と言います。
そして選手は、考えることが出来るし、走ることが出来ます。
  • 2006/08/28-13:04:25
  • 投稿者 : ぷく
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[C3560]

すっごく難しいなと思って考えてしまいました。
唸りながら書いてます。 

>まず、部品として扱われる選手は、それをどう思うか
 
『ただ、そういういい選手が一つのチームに固まっていたら、チームは成り立たない。誰が彼らのためにはしるのか』(『オシムの言葉』p21 P120中程にも似たような言葉があります)という言葉が好きです。どんなスターもサッカーに走らないヤツはいらない…ということだと思いました。サッカーと言う競技はまず走ってなんぼなんだと思いました。その上でのプレイなんだと思います。
私は「駒」だって言われると、腹立たしいです。だけど誰が彼らのためにはしるのか…という言葉は深いと思いました。駒が走るからゲームは展開してくのです。スター(個性輝くヤツ)がイイとこ決めるからじゃない。駒は駒でしかないから必死で走ると思います。でもイイとこどりのスター(になりたい人→私とか)で待ち構えててそれってゲームになんのかと思います。。なんか…代替え可能な駒でしかないのですが、考える暇もなく、カッコつけられなく走る…その時の燃焼度はスゴイと思います。スター然と構えてボールを待つのと、どっちがゲーム作ってんだろうと思います。
 
>生き甲斐をどう見つけるのか
 
『オシムの言葉』を読み返しててP17~でオシムが選手に一対一をさせるシーンが出てきました。でも見てる選手にむかって途中で怒りだすのです。「なんで助けにに行かないんだ!」って。選手は言われた通りにしてたのだから困惑します。しかしオシムは考えろと言う。こんなシーンが実戦でつづくか?漫然とこなすな考えろ。。。と
生き甲斐かはわかんないけど、なんか徹底的にこだわるというふうに思いました。そのシーンがなんなのかと徹底的にかかわるというのが…同じときを過ごしても全く違う様相になるんじゃないかと思いました。
 
ご主人様との日々(アダルト)かぁ……思う事には、ご主人様との日々はキモチイイって気がします。ははは、壊れ気味です(汗)

[C3558] >駒

代替可能という事は広~くチャンスがあるという事ではないかと思いました。
サッカーはチームプレーですから、1つの駒として、動くことで、全体が生きてくるのかもと思ったりします。

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Author:森田健(もりけん)
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