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-件のコメント

[C4135] >泣いた「策略家」

優勝後、監督が最終的に感じたことは
「プレーしたのは選手なのだ」ということだったのかと思いました。
この気持ちには対等と代替可能という言葉が埋まっているような気がします。
試合中はネットワーク化を図り、水平な状態で試合を行った。
しかし、勝利をつかんだとき、監督自ら代替を行ったのではないかと思いました。
日本好きなオシム監督だけに武士のような魂を持たれているような気がしました。
駒のように選手を扱うことができたことは自分も駒であるという認識があるから、ここまでチームが強くなったのかと思いました。
そして、勝利をつかんだ後も、パーツという認識があるからこそ、胴上げを拒否し、涙を流せれたのだと思います。
う~ん、なんかかっこいいかも・・・

[C3762] 泣いた「策略家」

>たぶん作られたパフォーマンスではないと思います。
監督であるという壁なんてないのだと思いました。
すべてチームの駒なのだと・・
こんな監督の元だったらうれしさも悲しみも全部共有できるかもしれないって思いました。
>彼は策略家ではありますが「策略家」ではないのです。
深いと思いました。
  • 2006/09/05-04:54:40
  • 投稿者 : Ciel
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[C3742] 策略は…

人に対してするものじゃなくて、法則や、チャンスに対して行うものかも…と、思いました。
  • 2006/09/04-19:11:04
  • 投稿者 : マリ
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[C3707] チーム(組織)に中心を置かない

オシムにとってリーグ戦の市原というチームはファンを含めた千葉から全体にひろがったエリアに浮いているものなんではないか。オシムはご主人様感覚のむしろ逆かも。この時ばかりはオシムはメイドみたい。
あと、涙は自分の就任期間だけを考えた涙じゃないかも。かんとく業に一過性で代替可能な感覚があるように思う
  • 2006/09/03-11:29:53
  • 投稿者 : テクノンvf
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[C3698] >泣いた「策略家」

つけたしです

>その駒は自分の駒だと思ってやっていたわけではないのではないかと思いました。

「自分の駒」→「自分のための駒」

[C3695] >泣いた「策略家」


どこまでも、選手と対等な立場、同じ立場でいる監督だと思いました。
それは、いつでも、どこでも・・
対等だから、自分だけ胴上げされることはない、と思ったのかと思いました。

また、優勝したのは、自分が強くした・・のではなく、選手やチームが強くなった、と思ってるのではないかと思いました。

それに、これまでの優勝チームがどうだったかは知りませんが、記事になるほどだから、優勝すれば、監督の胴上げが当たり前なのかもしれません。
でもそういう「今まではこうだった」というのが、全く頭にない人であるとも思いました。

選手を駒のように扱っても、その駒は自分の駒だと思ってやっていたわけではないのではないかと思いました。
自分の地位や名誉のため、自分の利益のために、駒にしたのではない・・
それを選手は感じていたのではないかと思います・
だから、駒にされても、ついていけたのではないか・・

そしてやはり、頂点に立ったとき、自分をアピールするのではなく、ただ、その優勝を静かにかみ締めていただけ・・

たぶん・・オシム監督にすれば、この優勝も、このときだけの事実で、この後、このことを引っさげてサッカー人生を送るのではないように思います。
これはこれ・・で、また一からはじめるのではないか・・と思いました。

[C3662] >彼の第一声

胴上げを拒否するのは、自分よりも選手をねぎらってと心から思ってる感じです。
  • 2006/09/02-02:30:10
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3657] >泣いた「策略家」

>なにがそうさせたのか、
そして最終的には「駒」として扱われる選手たちは
どう感じたのか、ブログでテーマにしたかった理由でもあります。
 
胴上げを拒否した時、涙を見せた時、おめでとうの言葉はスタッフや
選手たちに・・と言った時、
オシム監督は、ご主人さまかと思っていましたが・・
メイドだなあとも思いました。
どうゆうことをすればよいのか、わかっていたような気も
しますが・・わかりません。

>なにがそうさせたのか・・

何だろう・・
私がこのブログやフシケンのHPに書き込みするのと
似ているかもしれないと思いました(私は選手・・どこが?)
私は、もりけんさんが大好きだし・・とっても尊敬している。
でもどうしてそう思ったのかな・・と考えると、
(運命で決められていたから、とかは抜きにして・・)
どんなに小さなことでも、それが下らないことだとしても
大きなことでも、何でも・・
最終的に、そもそもの所、一番深いところまで問いを下ろして
考えているところだと思います。
いや・・違うかも、それだけじゃなくって。
こうだ!って答えをおしつけない所だ・・と思います。
どんな些細なことでも、気になったらすぐ突っ込んで
くれるし、いつだって対等で、上にたつことのない人
だからかもしれない・・
そう思いました。
事実を自慢するもりけんさんはいるけれど、
いばったりするとこは知らない。
下品なこともいっぱい言ってくれるし、
私と変わらないじゃんって(全然違うけれど・・汗)
そんな風に今は思っています。
あらら・・
最後はもりけんさんの話になっちまったよーん(笑)

オシム監督も「自分で考えろ!」と言って
選手と一緒になって考えていったのだと思います。
オシム監督のそうゆう姿勢が、この監督は何か違う・・
と思わせたのだと思います。
選手もホントに尊敬していたと思います。




 

[C3651] ああ実は逆かも

今までオシム=主、選手=従かと思っていました。
しかし不思議研究所の昨夜のひとりごとを読んで、感じたのはオシムジャパンとのシンクロでした。

オシムは多分自分を主だと思っていないと思いました。
「私が、私が・・・」という自分が極端に少なく前に出ないようにしていると思います。
語録だったたぶん周りが持ち上げているだけに過ぎない(語録自体はとても面白いですが)。

選手達あるいはチームが主であるという意識があるから、多分それに徹底的に付き従うという感覚なのかもしれません。

チームに対して徹底的に貢献するという従の姿勢を感じます。
だから胴上げも拒否し、選手達におめでとうの言葉をと言い、泣いたのだと思います。
メインで展開されているメイド的な役割に徹していると思いました。

だとしたら、オシムはすごいです。

[C3646] >保釈されたときにホリエモンは

この投稿をした人は、共通点を列挙しています。
しかし・・
私にとっての説得力はありません。
  • 2006/09/01-01:30:42
  • 投稿者 : もりけん
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[C3645]

低迷していたチームが監督が変わっただけで、優勝できるようになることが不思議です。

しかも、選手の入れ替えをすることなしに。
試合に勝つには監督が重大なファクターなんですね。

「駒」には「駒」を自在に動かせる「存在」.が必要なのでしょうか。





  • 2006/09/01-00:53:58
  • 投稿者 : ばなな
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[C3644] >泣いた「策略家」

オシム氏はサッカー選手になっていなかったら、数学者になっていたということをちらっ
と聞いたのですが、選手を数式のパーツ(=駒)とみなせば、自分の構想通りに動いてく
れれば必ず数式のごとく結果は出ると思っていたのかなあなんて思ってしまいました。
たとえ異国の地であっても同じ人間なのだから、できるはずだと確信していたのかと思い
ました。
しかし彼の今までの人生では日本の情報が身近になることは決してなかっただろうし、は
っきりいって日本には興味もそれほど無かっただろうと思います(汗)。
同じ人間とはいっても、文化や生活習慣がまったく違うし、自信満々どころかその正反対
で、いつも自信なんて全然無かったのではないかと思いました。
理論だけではなく、「からだ」で何かをつかもうとして、魚をさばいた日本酒を飲んだりし
たのかなと思いました。
  • 2006/08/31-22:22:00
  • 投稿者 : イーキン
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[C3643] 保釈されたときにホリエモンは

車から降りるとフラッシュの嵐の中何かカメラにむかって言い、深々と頭を下げました。謝罪の言葉だったらしいと後からどこかで読みました。そのときに、少し顔が細くなって髪がのびたホリエモンの目元が潤んでいるような気がしました。

そのときに私はなぜか「ああホリエモンが生きていて良かった」と思いました。

ホリエモンは時代のアイコンでした。その儲けっぷりや言動から、おそらくずいぶん人の怨恨を買うことも多かったのではないかと思います。マスコミへの露出も多く、私もそのような番組を見るうちに、そんなに根が悪い人ではないのではないかと思うようになりました。

しかし、もりけんさんの言葉を借りれば「でかい山」をはって、その歯車が動き出すときに、時空はどうも残忍な方法で生贄を要求するようです。

だからホリエモンが保釈されてマスコミのカメラの前に姿を現したときにこんなことになってしまったけれど、そしてこれから大変だろうけど、「彼」は無事でよかったという感じがしたのだと思います。

さて、ホリエモンの涙(あのとき流していたとしたら)もオシムの涙も日ごろ感情を抑えて「でかい山」と戦っている人物が流したという意味では同じだと思います。かたや栄光から転がり堕ちた末に流した涙であり、もう一方は栄光に上り詰めた末に流した涙です。しかし、なぜか私には同じものに見えました。

なぜ人はそのような場合に涙を流すのでしょうか。それはたぶん気圧が変わるからだと思います。いや、気圧と呼ばずに「運圧」とでもよんだほうがいいかもしれません。

エレベータやジェットコースターで上昇をしたり、下降したりするときに人間は快感を感じるのではないかと思います。いわゆる落下感です。このときに人はおそらくいきそうになるのではないかと思います。

そのときの気圧の変化というか高度の変化というか、そのような快感はすごいストリーテラーの小説を読んだときとか、ギャンブルで大当たりをとったとき(大損をしたとき)にも感じられるのではないかと思います。

同様に運勢が急変するときに人間はそれをどこかの器官で感知して、それが自分の運勢の場合も他人の身にそれが起きたときも、劇的に悪化する場合も奇跡のように好転する場合も、肉体的な快感を感じるのではないかと思います。

そして圧倒的な運気の流れや乱気流の中に居るときは、それが良い方向へでも悪い方向へでも変化したときに、人間は圧倒的な快感を感じ、思わず涙を流すのではないかと思います。

高いところに居ると脚がすくみます。これは飛び降りると気持ちがいいだろうなということを人間は本能的に知っているからだと思います。とても怖いことです。ちょっとたまたまそのような状況で理性の抑圧がゆるんでいるときっと両手を広げて飛び降りてしまうと思います。

たぶんオシムもホリエモンも「でかい山」を張って、時空の乱気流の渦中にいたのです。だから泣いたのだと思います。意味があるとしてもたぶんそれは後付けです。本人は、なぜ泣いたのかとたずねられても答えられないのではないかと思います。

オシムとホリエモンという二人の「策略家」の両方とも、です。
  • 2006/08/31-22:16:00
  • 投稿者 : ナイル
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[C3641] >泣いた「策略家」

胴上げを拒否した監督なんて初めて聞きました。
選手たちがここまでついてきてくれて、そして、よくやってくれた、だから優勝できたのだ・・という気持ちが誰よりも強かったのではないかと思いました。
「監督としての自分が」というよりも「選手たちが」よくやってくれた、という・・
 
オシムの練習を見れば、いかに厳しく難しい練習か、よくわかります。
それをやり抜いたからこそ、選手一人一人が「考える」サッカーができるようになり優勝できたのだろうと思います。
なんとかしてオシムについていこうとした選手たちは、駒だと思っても、それでも充実していたのではないかと思いました。
  • 2006/08/31-17:18:25
  • 投稿者 : くるみ
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[C3640] >泣いた「策略家」

 
オシムは、選手たちと、一心同体となっていたのだと思います。

こころもからだも・・

だから、胴上げを拒否し、涙が流れ、
おめでとうのことばを選手やチームのスタッフたちに・・
といったのだと思いました。


> 彼は策略家ではありますが「策略家」ではないのです。


もりけんさんが、カギかっこをはずして、オシムを策略家といったのは、
選手と監督が一体となっていたからだと思いました。

ひとりひとりが駒として扱われ、
選手たちは個としてのプライドはもはやなかったかもしれませんが、
それは、監督とて同じだったのだと思いました。

監督もひとつの駒だった・・

監督という駒だった・・

でも、駒にも命があって、
熱い感情が流れているんだ。。
と思いました。


>低迷していたころの「水源」をそのまま引き継いでいます。

「水源」をそのまま引き継いだということは、
「個」は何も変わっていない・・
ということだと思います。

選手たちは、個としての自分を全肯定されていたってことでもあると思いました。

プライドはひっぺがされたけれど、
ひっぺがされて透明になったから、
チームは全体としての力が自ずと発揮できたのかもしれないと思いました。


 
  • 2006/08/31-14:42:18
  • 投稿者 : あかり
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[C3639] 森田健^^

本当に素晴らしい描写です

作為を感じさせない「作為」は
  優しさの極みかもしれません

いつもありがとうございます

[C3638] >泣いた「策略家」

選手を「駒」として扱うということは、将棋の駒のように道具的に扱う意味の対極にあって、選手一人一人を個であって個でない状態にしてしまう感じを抱きます。
チームがネットワークでつながっている状態とも言えそうです。

ここまで来るためには、想像を超えた厳しい練習があったと思います。
途中でやめようと思った選手もいたのではと想像します。
しかし、どこかで「こんなのやってられるか」を越えたのだと思います。

それは、胴上げを拒否し、泣き、おめでとうの言葉は選手にと言う、オシム自身が個を手放している人だからなのではと思いました。


[C3637]

> ひとつは、胴上げを拒否したことです。
> ふたつめは、オシムが泣いたことです。
> みっつ目は、おめでとうの言葉は選手たちに・・という言葉です。
 
> 彼は策略家ではありますが「策略家」ではないのです。
 
私はオシムは立ち場こそ監督(指導者)だったけど…後が無いぐらい必死だったのではないかと思いました。監督という立ち場はやはりこえられないけれど、知力の限りをつくして選手と外野と渡り合ったのだと思います。対等になるぐらいギリギリの線で。確かに策略家であるとは思うのですが、策略が勝利を導く確信などなかったのではないかと思います。オシムはギリギリまで走った、選手もそれにこたえたのではないかと思いました。オシムが思った以上に。ヤバい橋を音を上げないで、オシム以上に突っ走ったんだと思います。
そういう場を作ったのはオシムだけど…オシムだってどう転ぶかは賭けだったのではないかと思います。
駒がどうおもったのか…駒だと思う暇すらなかったのではないかと思いました。なんか立ち場を挟みながら、苦しい場を共有して止まらないできた、戦友になってたんじゃないかと思います。みーんな役割は違えど戦場の駒というか。
涙をながすオシムは人間だなって思います。戦略だけでサッカーしてないと思いました。(今日も妄想オシムを…滝汗)

[C3636] >たぶん作られたパフォーマンスではないと思います。

優勝が決まって、監督が胴上げされる姿を見て感動することがあります。
でも胴上げを断って泣いている監督を見たら、私も泣いてしまいそうです。
喜びを爆発させるくらいでは済まないほど、オシムは喜んでいたのではないかと思
いました。 
  
もし真っ先に自分の監督としての勝利を喜んだとしたら、オシムは宙を舞っていた
かもしれません。
でもオシムは選手達のことを一瞬も忘れていなかったのだと思いました。
 
だから会見の場で記者からお祝いの言葉を掛けられても、儀礼的な返事などする気
はなかったんじゃないかと思いました。
 
 
自分が駒扱いされたとしたら、プライドが傷つく選手もいると思いますが、自分の
調子が良ければスタメンに選ばれる可能性があるというのは、選手全体としてはや
る気も出てくるし、同時に明日は選ばれないかもしれないという厳しさも出てくる
かもしれません。
そこには特別扱いがないかわりに、駒としての面白さがあるように思いました。
 
オシムが望むのは、事前に用意された強い駒ではなく、そこにある駒を自分の思い
通りに使ってもよい環境と、ドライだけど選手と監督がお互いから目を逸らさない
関係かもしれないと思いました。
  • 2006/08/31-10:58:16
  • 投稿者 : ぷく
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[C3635] 男はつらいよ☆サッカー編☆駒になるのも楽じゃない

 駒になるのは感情を殺す事です、ひたすら自分を殺してチームのメイドと化して選手としてのプライドを捨ててことにあたらなければならなかったと思います。チームのためであっても、その大変さと血の気とプライドの多い選手達がしてくれるということは、どういうことなのかとオシムが良く知っていたと思います。プロスポーツならプレーの細部にインセンティブがついてるのは当然でしょう。その駒になるを再現してくれたからこそ優勝してその主役は自分ではないという認識だったのだと思います。そして、その駒になることの厳しさ自分の考えが正しかったこと、血の通った人間が駒になることの痛みを知っていた監督だと思いました。策略に徹するのではなく、策略を使うことの痛みを選手とともにわかちあうことのできる人なのではないかと思いました。 
 その栄誉は駒になってくれた人々へ、そして駒になってくれたことに涙がでるくらいうれしかったのだと思いました。
  • 2006/08/31-09:48:48
  • 投稿者 : yk
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[C3634] >泣いた「策略家」

オシム氏自身が、自分自身を勝つための駒の1つだと思っていたのではないかと思います。
オシム氏はJ開幕以降無冠だったジェフの選手やスタッフの人達が
どれだけ優勝を待ち望んでいたのか知っていたから「おめでとうの言葉は、私よりも選手やチームのスタッフに言ってあげて下さい」  となったのではないかと思います。
そして、プレーしたのは選手達で自分ではないと思っていたかもしれないと思いました.優勝した瞬間。。それが、胴上げの拒否ともなったのではないかと思います。
オシム氏は自分は優勝に導くために選ばれた駒であるというのが根底に流れていたのではないかと思います。
しかし、駒として、優勝に導くために、心底傾けてきたのではないかと思います。それが、涙となってあふれてきたのかもと思います。
オシム氏が選手を駒として使えるのは、自分自身を1つの駒だと思ってるからではないかと思います。

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泣いた「策略家」

 
 いきなり本の巻末部分に飛びます。
 
********************
 
 J開幕以降無冠だったジェフ。13年分の黄色の歓喜が爆発した。
 フィールドに姿を見せたオシムは、選手たちが行おうとしていた胴上げを拒否する。
 それでも。
 確かに彼は泣いていた。間違いなく泣いていた。潤んだ青い目は何よりも饒舌に彼の内面を語っていた。
 ジェフのサポーターの凱歌がいつまでも国立競技場に続いていた。
 
 会見場に現れた彼の第一声
「おめでとうの言葉は、私よりも選手やチームのスタッフに言ってあげて下さい」
 
********************
 
 低迷していたチームを新しい監督が優勝に導きます。
 この間、選手を総入れ替えしたわけではありません。
 低迷していたころの「水源」をそのまま引き継いでいます。
 
 なにがそうさせたのか、そして最終的には「駒」として扱われる選手たちはどう感じたのか、ブログでテーマにしたかった理由でもあります。
 
 今回の記事では、みっつのことが注目されます。
 
 ひとつは、胴上げを拒否したことです。
 常識的に考えれば、監督はそのまま胴上げをされても、何の違和感もありません。
 
 ふたつめは、オシムが泣いたことです。
 選手を「駒」として扱うオシムは、それでもクールでは無いのです。
 
 みっつ目は、おめでとうの言葉は選手たちに・・という言葉です。
 
 たぶん作られたパフォーマンスではないと思います。
 だから優勝できたのだと思います。
 彼は策略家ではありますが「策略家」ではないのです。
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21件のコメント

[C4135] >泣いた「策略家」

優勝後、監督が最終的に感じたことは
「プレーしたのは選手なのだ」ということだったのかと思いました。
この気持ちには対等と代替可能という言葉が埋まっているような気がします。
試合中はネットワーク化を図り、水平な状態で試合を行った。
しかし、勝利をつかんだとき、監督自ら代替を行ったのではないかと思いました。
日本好きなオシム監督だけに武士のような魂を持たれているような気がしました。
駒のように選手を扱うことができたことは自分も駒であるという認識があるから、ここまでチームが強くなったのかと思いました。
そして、勝利をつかんだ後も、パーツという認識があるからこそ、胴上げを拒否し、涙を流せれたのだと思います。
う~ん、なんかかっこいいかも・・・

[C3762] 泣いた「策略家」

>たぶん作られたパフォーマンスではないと思います。
監督であるという壁なんてないのだと思いました。
すべてチームの駒なのだと・・
こんな監督の元だったらうれしさも悲しみも全部共有できるかもしれないって思いました。
>彼は策略家ではありますが「策略家」ではないのです。
深いと思いました。
  • 2006/09/05-04:54:40
  • 投稿者 : Ciel
  • URL
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[C3742] 策略は…

人に対してするものじゃなくて、法則や、チャンスに対して行うものかも…と、思いました。
  • 2006/09/04-19:11:04
  • 投稿者 : マリ
  • URL
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[C3707] チーム(組織)に中心を置かない

オシムにとってリーグ戦の市原というチームはファンを含めた千葉から全体にひろがったエリアに浮いているものなんではないか。オシムはご主人様感覚のむしろ逆かも。この時ばかりはオシムはメイドみたい。
あと、涙は自分の就任期間だけを考えた涙じゃないかも。かんとく業に一過性で代替可能な感覚があるように思う
  • 2006/09/03-11:29:53
  • 投稿者 : テクノンvf
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  • 編集

[C3698] >泣いた「策略家」

つけたしです

>その駒は自分の駒だと思ってやっていたわけではないのではないかと思いました。

「自分の駒」→「自分のための駒」

[C3695] >泣いた「策略家」


どこまでも、選手と対等な立場、同じ立場でいる監督だと思いました。
それは、いつでも、どこでも・・
対等だから、自分だけ胴上げされることはない、と思ったのかと思いました。

また、優勝したのは、自分が強くした・・のではなく、選手やチームが強くなった、と思ってるのではないかと思いました。

それに、これまでの優勝チームがどうだったかは知りませんが、記事になるほどだから、優勝すれば、監督の胴上げが当たり前なのかもしれません。
でもそういう「今まではこうだった」というのが、全く頭にない人であるとも思いました。

選手を駒のように扱っても、その駒は自分の駒だと思ってやっていたわけではないのではないかと思いました。
自分の地位や名誉のため、自分の利益のために、駒にしたのではない・・
それを選手は感じていたのではないかと思います・
だから、駒にされても、ついていけたのではないか・・

そしてやはり、頂点に立ったとき、自分をアピールするのではなく、ただ、その優勝を静かにかみ締めていただけ・・

たぶん・・オシム監督にすれば、この優勝も、このときだけの事実で、この後、このことを引っさげてサッカー人生を送るのではないように思います。
これはこれ・・で、また一からはじめるのではないか・・と思いました。

[C3662] >彼の第一声

胴上げを拒否するのは、自分よりも選手をねぎらってと心から思ってる感じです。
  • 2006/09/02-02:30:10
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3657] >泣いた「策略家」

>なにがそうさせたのか、
そして最終的には「駒」として扱われる選手たちは
どう感じたのか、ブログでテーマにしたかった理由でもあります。
 
胴上げを拒否した時、涙を見せた時、おめでとうの言葉はスタッフや
選手たちに・・と言った時、
オシム監督は、ご主人さまかと思っていましたが・・
メイドだなあとも思いました。
どうゆうことをすればよいのか、わかっていたような気も
しますが・・わかりません。

>なにがそうさせたのか・・

何だろう・・
私がこのブログやフシケンのHPに書き込みするのと
似ているかもしれないと思いました(私は選手・・どこが?)
私は、もりけんさんが大好きだし・・とっても尊敬している。
でもどうしてそう思ったのかな・・と考えると、
(運命で決められていたから、とかは抜きにして・・)
どんなに小さなことでも、それが下らないことだとしても
大きなことでも、何でも・・
最終的に、そもそもの所、一番深いところまで問いを下ろして
考えているところだと思います。
いや・・違うかも、それだけじゃなくって。
こうだ!って答えをおしつけない所だ・・と思います。
どんな些細なことでも、気になったらすぐ突っ込んで
くれるし、いつだって対等で、上にたつことのない人
だからかもしれない・・
そう思いました。
事実を自慢するもりけんさんはいるけれど、
いばったりするとこは知らない。
下品なこともいっぱい言ってくれるし、
私と変わらないじゃんって(全然違うけれど・・汗)
そんな風に今は思っています。
あらら・・
最後はもりけんさんの話になっちまったよーん(笑)

オシム監督も「自分で考えろ!」と言って
選手と一緒になって考えていったのだと思います。
オシム監督のそうゆう姿勢が、この監督は何か違う・・
と思わせたのだと思います。
選手もホントに尊敬していたと思います。




 

[C3651] ああ実は逆かも

今までオシム=主、選手=従かと思っていました。
しかし不思議研究所の昨夜のひとりごとを読んで、感じたのはオシムジャパンとのシンクロでした。

オシムは多分自分を主だと思っていないと思いました。
「私が、私が・・・」という自分が極端に少なく前に出ないようにしていると思います。
語録だったたぶん周りが持ち上げているだけに過ぎない(語録自体はとても面白いですが)。

選手達あるいはチームが主であるという意識があるから、多分それに徹底的に付き従うという感覚なのかもしれません。

チームに対して徹底的に貢献するという従の姿勢を感じます。
だから胴上げも拒否し、選手達におめでとうの言葉をと言い、泣いたのだと思います。
メインで展開されているメイド的な役割に徹していると思いました。

だとしたら、オシムはすごいです。

[C3646] >保釈されたときにホリエモンは

この投稿をした人は、共通点を列挙しています。
しかし・・
私にとっての説得力はありません。
  • 2006/09/01-01:30:42
  • 投稿者 : もりけん
  • URL
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[C3645]

低迷していたチームが監督が変わっただけで、優勝できるようになることが不思議です。

しかも、選手の入れ替えをすることなしに。
試合に勝つには監督が重大なファクターなんですね。

「駒」には「駒」を自在に動かせる「存在」.が必要なのでしょうか。





  • 2006/09/01-00:53:58
  • 投稿者 : ばなな
  • URL
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[C3644] >泣いた「策略家」

オシム氏はサッカー選手になっていなかったら、数学者になっていたということをちらっ
と聞いたのですが、選手を数式のパーツ(=駒)とみなせば、自分の構想通りに動いてく
れれば必ず数式のごとく結果は出ると思っていたのかなあなんて思ってしまいました。
たとえ異国の地であっても同じ人間なのだから、できるはずだと確信していたのかと思い
ました。
しかし彼の今までの人生では日本の情報が身近になることは決してなかっただろうし、は
っきりいって日本には興味もそれほど無かっただろうと思います(汗)。
同じ人間とはいっても、文化や生活習慣がまったく違うし、自信満々どころかその正反対
で、いつも自信なんて全然無かったのではないかと思いました。
理論だけではなく、「からだ」で何かをつかもうとして、魚をさばいた日本酒を飲んだりし
たのかなと思いました。
  • 2006/08/31-22:22:00
  • 投稿者 : イーキン
  • URL
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[C3643] 保釈されたときにホリエモンは

車から降りるとフラッシュの嵐の中何かカメラにむかって言い、深々と頭を下げました。謝罪の言葉だったらしいと後からどこかで読みました。そのときに、少し顔が細くなって髪がのびたホリエモンの目元が潤んでいるような気がしました。

そのときに私はなぜか「ああホリエモンが生きていて良かった」と思いました。

ホリエモンは時代のアイコンでした。その儲けっぷりや言動から、おそらくずいぶん人の怨恨を買うことも多かったのではないかと思います。マスコミへの露出も多く、私もそのような番組を見るうちに、そんなに根が悪い人ではないのではないかと思うようになりました。

しかし、もりけんさんの言葉を借りれば「でかい山」をはって、その歯車が動き出すときに、時空はどうも残忍な方法で生贄を要求するようです。

だからホリエモンが保釈されてマスコミのカメラの前に姿を現したときにこんなことになってしまったけれど、そしてこれから大変だろうけど、「彼」は無事でよかったという感じがしたのだと思います。

さて、ホリエモンの涙(あのとき流していたとしたら)もオシムの涙も日ごろ感情を抑えて「でかい山」と戦っている人物が流したという意味では同じだと思います。かたや栄光から転がり堕ちた末に流した涙であり、もう一方は栄光に上り詰めた末に流した涙です。しかし、なぜか私には同じものに見えました。

なぜ人はそのような場合に涙を流すのでしょうか。それはたぶん気圧が変わるからだと思います。いや、気圧と呼ばずに「運圧」とでもよんだほうがいいかもしれません。

エレベータやジェットコースターで上昇をしたり、下降したりするときに人間は快感を感じるのではないかと思います。いわゆる落下感です。このときに人はおそらくいきそうになるのではないかと思います。

そのときの気圧の変化というか高度の変化というか、そのような快感はすごいストリーテラーの小説を読んだときとか、ギャンブルで大当たりをとったとき(大損をしたとき)にも感じられるのではないかと思います。

同様に運勢が急変するときに人間はそれをどこかの器官で感知して、それが自分の運勢の場合も他人の身にそれが起きたときも、劇的に悪化する場合も奇跡のように好転する場合も、肉体的な快感を感じるのではないかと思います。

そして圧倒的な運気の流れや乱気流の中に居るときは、それが良い方向へでも悪い方向へでも変化したときに、人間は圧倒的な快感を感じ、思わず涙を流すのではないかと思います。

高いところに居ると脚がすくみます。これは飛び降りると気持ちがいいだろうなということを人間は本能的に知っているからだと思います。とても怖いことです。ちょっとたまたまそのような状況で理性の抑圧がゆるんでいるときっと両手を広げて飛び降りてしまうと思います。

たぶんオシムもホリエモンも「でかい山」を張って、時空の乱気流の渦中にいたのです。だから泣いたのだと思います。意味があるとしてもたぶんそれは後付けです。本人は、なぜ泣いたのかとたずねられても答えられないのではないかと思います。

オシムとホリエモンという二人の「策略家」の両方とも、です。
  • 2006/08/31-22:16:00
  • 投稿者 : ナイル
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[C3641] >泣いた「策略家」

胴上げを拒否した監督なんて初めて聞きました。
選手たちがここまでついてきてくれて、そして、よくやってくれた、だから優勝できたのだ・・という気持ちが誰よりも強かったのではないかと思いました。
「監督としての自分が」というよりも「選手たちが」よくやってくれた、という・・
 
オシムの練習を見れば、いかに厳しく難しい練習か、よくわかります。
それをやり抜いたからこそ、選手一人一人が「考える」サッカーができるようになり優勝できたのだろうと思います。
なんとかしてオシムについていこうとした選手たちは、駒だと思っても、それでも充実していたのではないかと思いました。
  • 2006/08/31-17:18:25
  • 投稿者 : くるみ
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[C3640] >泣いた「策略家」

 
オシムは、選手たちと、一心同体となっていたのだと思います。

こころもからだも・・

だから、胴上げを拒否し、涙が流れ、
おめでとうのことばを選手やチームのスタッフたちに・・
といったのだと思いました。


> 彼は策略家ではありますが「策略家」ではないのです。


もりけんさんが、カギかっこをはずして、オシムを策略家といったのは、
選手と監督が一体となっていたからだと思いました。

ひとりひとりが駒として扱われ、
選手たちは個としてのプライドはもはやなかったかもしれませんが、
それは、監督とて同じだったのだと思いました。

監督もひとつの駒だった・・

監督という駒だった・・

でも、駒にも命があって、
熱い感情が流れているんだ。。
と思いました。


>低迷していたころの「水源」をそのまま引き継いでいます。

「水源」をそのまま引き継いだということは、
「個」は何も変わっていない・・
ということだと思います。

選手たちは、個としての自分を全肯定されていたってことでもあると思いました。

プライドはひっぺがされたけれど、
ひっぺがされて透明になったから、
チームは全体としての力が自ずと発揮できたのかもしれないと思いました。


 
  • 2006/08/31-14:42:18
  • 投稿者 : あかり
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[C3639] 森田健^^

本当に素晴らしい描写です

作為を感じさせない「作為」は
  優しさの極みかもしれません

いつもありがとうございます

[C3638] >泣いた「策略家」

選手を「駒」として扱うということは、将棋の駒のように道具的に扱う意味の対極にあって、選手一人一人を個であって個でない状態にしてしまう感じを抱きます。
チームがネットワークでつながっている状態とも言えそうです。

ここまで来るためには、想像を超えた厳しい練習があったと思います。
途中でやめようと思った選手もいたのではと想像します。
しかし、どこかで「こんなのやってられるか」を越えたのだと思います。

それは、胴上げを拒否し、泣き、おめでとうの言葉は選手にと言う、オシム自身が個を手放している人だからなのではと思いました。


[C3637]

> ひとつは、胴上げを拒否したことです。
> ふたつめは、オシムが泣いたことです。
> みっつ目は、おめでとうの言葉は選手たちに・・という言葉です。
 
> 彼は策略家ではありますが「策略家」ではないのです。
 
私はオシムは立ち場こそ監督(指導者)だったけど…後が無いぐらい必死だったのではないかと思いました。監督という立ち場はやはりこえられないけれど、知力の限りをつくして選手と外野と渡り合ったのだと思います。対等になるぐらいギリギリの線で。確かに策略家であるとは思うのですが、策略が勝利を導く確信などなかったのではないかと思います。オシムはギリギリまで走った、選手もそれにこたえたのではないかと思いました。オシムが思った以上に。ヤバい橋を音を上げないで、オシム以上に突っ走ったんだと思います。
そういう場を作ったのはオシムだけど…オシムだってどう転ぶかは賭けだったのではないかと思います。
駒がどうおもったのか…駒だと思う暇すらなかったのではないかと思いました。なんか立ち場を挟みながら、苦しい場を共有して止まらないできた、戦友になってたんじゃないかと思います。みーんな役割は違えど戦場の駒というか。
涙をながすオシムは人間だなって思います。戦略だけでサッカーしてないと思いました。(今日も妄想オシムを…滝汗)

[C3636] >たぶん作られたパフォーマンスではないと思います。

優勝が決まって、監督が胴上げされる姿を見て感動することがあります。
でも胴上げを断って泣いている監督を見たら、私も泣いてしまいそうです。
喜びを爆発させるくらいでは済まないほど、オシムは喜んでいたのではないかと思
いました。 
  
もし真っ先に自分の監督としての勝利を喜んだとしたら、オシムは宙を舞っていた
かもしれません。
でもオシムは選手達のことを一瞬も忘れていなかったのだと思いました。
 
だから会見の場で記者からお祝いの言葉を掛けられても、儀礼的な返事などする気
はなかったんじゃないかと思いました。
 
 
自分が駒扱いされたとしたら、プライドが傷つく選手もいると思いますが、自分の
調子が良ければスタメンに選ばれる可能性があるというのは、選手全体としてはや
る気も出てくるし、同時に明日は選ばれないかもしれないという厳しさも出てくる
かもしれません。
そこには特別扱いがないかわりに、駒としての面白さがあるように思いました。
 
オシムが望むのは、事前に用意された強い駒ではなく、そこにある駒を自分の思い
通りに使ってもよい環境と、ドライだけど選手と監督がお互いから目を逸らさない
関係かもしれないと思いました。
  • 2006/08/31-10:58:16
  • 投稿者 : ぷく
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[C3635] 男はつらいよ☆サッカー編☆駒になるのも楽じゃない

 駒になるのは感情を殺す事です、ひたすら自分を殺してチームのメイドと化して選手としてのプライドを捨ててことにあたらなければならなかったと思います。チームのためであっても、その大変さと血の気とプライドの多い選手達がしてくれるということは、どういうことなのかとオシムが良く知っていたと思います。プロスポーツならプレーの細部にインセンティブがついてるのは当然でしょう。その駒になるを再現してくれたからこそ優勝してその主役は自分ではないという認識だったのだと思います。そして、その駒になることの厳しさ自分の考えが正しかったこと、血の通った人間が駒になることの痛みを知っていた監督だと思いました。策略に徹するのではなく、策略を使うことの痛みを選手とともにわかちあうことのできる人なのではないかと思いました。 
 その栄誉は駒になってくれた人々へ、そして駒になってくれたことに涙がでるくらいうれしかったのだと思いました。
  • 2006/08/31-09:48:48
  • 投稿者 : yk
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[C3634] >泣いた「策略家」

オシム氏自身が、自分自身を勝つための駒の1つだと思っていたのではないかと思います。
オシム氏はJ開幕以降無冠だったジェフの選手やスタッフの人達が
どれだけ優勝を待ち望んでいたのか知っていたから「おめでとうの言葉は、私よりも選手やチームのスタッフに言ってあげて下さい」  となったのではないかと思います。
そして、プレーしたのは選手達で自分ではないと思っていたかもしれないと思いました.優勝した瞬間。。それが、胴上げの拒否ともなったのではないかと思います。
オシム氏は自分は優勝に導くために選ばれた駒であるというのが根底に流れていたのではないかと思います。
しかし、駒として、優勝に導くために、心底傾けてきたのではないかと思います。それが、涙となってあふれてきたのかもと思います。
オシム氏が選手を駒として使えるのは、自分自身を1つの駒だと思ってるからではないかと思います。

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