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-件のコメント

[C4004] 主役は誰

個がプレーしたならば誰だれのプレーがよかった、何であそこでミスをしたんだと、後ずけでいろんな評価をしてしまいます。それにまた一喜一憂してしまいます。しかし全体がプレーしたのならなんにも残りません。印象が個に向けられなければ個を追っ掛けしているファンの人からみれば、そっけなく物足りないい感覚なんでしょう。ですから早稲田の斎藤君には人だかりになるのはわかりますが。全体のプレーにはとても深さをかんじました。新たな視点で新たなスポーツの始まりの様に感じ、視点移動の大切さをしりました。
  • 2006/09/13-09:17:26
  • 投稿者 : じんのり
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[C3987] >この爽快感は何だ


本の抜粋も、もりけんさんの文章もすごいパワーだ・・。
熱すぎるぜ・・

見えない何かに全身を任せて燃え上がる選手たち・・。

たしかに個々を見れば、からっぽのような気がします。
「俺がオレが!」という気負いは見られません。

しかし、熱い・・
熱すぎる。

全体の流れに乗るというのは、こんなにも激しく燃え上がることだったのか・・・

爆発。

このエネルギーを前にしては、天才の個人技もかすんでしまいそうです。

[C3972] スター選手のいないサッカー

スター選手のいないサッカーがこんなにもエレガントで面白いものだとは思いませんでした。
 
読んでいるだけで爽快感を感じました。
 
個で見せるサッカーよいうよりも全体で見せるサッカーとでもいうんでしょうか。全体が一度に変わる、とてもダイナミックで壮大な面白さがあります。
 
時空も、もしかして、こんな風に変わってみたいのではないかと思いました(汗)。
 
そういえば、レアルマドリッドという世界一流のスター選手を集めたチームがあります。11人全員をスター選手にしてしまったようなチームですが、なぜここまでスターを集める必要があるのか不思議でした。
 
でも、全員をスターにしなければ、全体が成り立たないので、スター選手を集めるのであろうことが、良く分かりました。
 
そして、全員がスターでなければ、逆に、全体は成立しやすいのではないかとも思いました。
  • 2006/09/11-23:38:57
  • 投稿者 : ななし
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[C3968] 試合中は

ゴールにボールを入れる筋道は決まっているわけではないので、誰も味方がいなくてもそこに蹴るのは、ボールを出してみないとわからないです。でも、そこに味方が来て、後を上手に受けてつないでくれて、そしてまた今度は自分が動いて受けたボールを出して‥そうして誰かが予期せぬチャンスでゴールを決める‥
誰かがメインプレーヤーだと、その人がゴールを決める確率が高いですが、全員駒だと、だれがいつどこでゴールを決めることになるかわからなくて、その予想もつかない試合の流れを作っている、その中にいるというのが、すごい緊張の中にいながら、爽快なのではという気がしました。たとえ点が入らなくて負けたとしても、その試合そのものを、敵味方の両チームで作り上げた感じがするのではないかと思いました。
  • 2006/09/11-21:58:33
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3967] >サッカーは美しく

集団プレーが美しいというと、シンクロナイズドスイミングを思いだす。集団で一斉に動くとき、考えてたらあんなにそろって動けない。コツはわからないけど、そろったとき、外から見ても美しいし、競技者もきっと爽快感があるだろうと思う。ふだんはバラバラな他者同士なだけに、つかの間呼吸があって、同時に同じゴールを目指して動くときできる連携は、ふだんは味わえない感覚なのだろう‥
  • 2006/09/11-21:25:26
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3966] >主役は誰?

何度読んでも、何かこみあげてくるものがあります。
 
個を解き放って、サッカーに溶け込んで、限界の疲労の中で、爽快感を感じる選手たち。
思い上がりも、恐れも無く、全員が全員のメイドになって、前年の王者に立ち向かう。
 
負けていても、そんなことを意識しないで走り続ける事が出来るような状態にあったのだと思いました。
 
「間違いなく今年のベストマッチであるという確信」は、サポーターにも伝わるのだと思いました。
サポーターにも、爽快感が伝わっていたのではないかと思います。
 
強いも弱いもなく、何も残らない。
 
サッカーはサッカーだけど、これがサッカーで、こんなサッカーがありえるのだと思いました。
  • 2006/09/11-20:24:59
  • 投稿者 : ワヲン
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[C3965] >主役は誰?

意識は無意識より0,5秒遅れるということでいえば、オシム氏によって、無意識でのプレ―を促されているのかもしれないと思います。とすれば、主役は無意識かもと思います。

[C3964]

>考えすぎるな・・・


 無意識にまかせて体が動く・・・・・
いつのまにか勝手に足が動いている。動かしてるのは誰だ!そんな感じかな。。。。


爽快感を感じる試合は確かに鳥肌・涙うるるるです。
そういう試合って選手だけでなく全体がその場に共振しているみたいで応援する自分もイッチャってます。。。

[C3963] なんだかわからない爽快感

「全体」で感じる爽快感だ・・!と思いました。

勝ち負けにこだわらなくなったとき、
ただ、ボールを追うだけの気持ちよさとか。。
(書いていて、運命が決まっている、とした時に
感じる気持ちと似ている、と思いました)
それは、「固定(制御でもいいかもです)」する
ポイントかも、と思いました。


ひとりのスタープレーヤーに固定すると、自然と
狭い枠の主従関係が生まれてしまうのかも
しれないとも思いました。
それは、見ているひと(観客)の視点も一緒だと思いました。

見ている人と、選手の視点が、全体に移動(固定)
されたとき、
ひとりで感じない(爽)感、なんだかわからない
(どこから来るのかわからないけど、ものすごい)
爽快感がクルのかもしれないと思いました。

・・・共振できる、間接的とか、いろいろな事を
思いましたが、どこから来るのかわからないからこその、
ものすごい爽快感だとも思いました。
  • 2006/09/11-16:40:47
  • 投稿者 : マリ
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[C3961] >主役は誰?

オシム監督が「負けてもいい」といって送り出した試合が、終わってから「肉でも魚でもない」といった試合が、こんなにすばらしいものだったとは・・
本当に、何度よんでも泣けてしまいます。
サッカーのこと、特に試合の流れなどはよく知らないのですが、それでも、目の前でその試合が行われているような感覚になりました。
すごく感動しました。


試合が終わった後、何も残らない・・という一文にも感動しました。
試合すら、時空の流れの中の一こまで、終わってしまえば過去のもの・・
それは後ろに流れていくのだと思いました。
それを後から、あーだこーだと批評するのは、傍観者たち・・


すぎたことはもう忘れろ、とかそういうのではないと思います。
状態に入り込んで、個を解き放し、すべてを出し切ったら、本当に後には何も残らないのだと思いました。
ハンセイも後悔も何もない。。


そんな状態のサッカーの試合を作り出したオシム監督・・
やっぱりすごいと思いました。。

[C3959] >主役は誰?

今年のワールドカップを見ているとき、感じたことがありました。

ドイツ大会では、日本はワールドカップ出場三回目ということもあってか、
一次リーグ突破が至上命令というように感じました。
中田・中村を中心にして何としてでも勝つという感じがしていました。

しかし、一次リーグのブラジルとの戦いを見ていて感じたことがありました。

試合では、「日本は間違いなく負けるだろう。」というのがもっぱらの見方でした。
僕もそのつもりで見ていました。
しかし、いざ試合が始まってみると、先制したのは日本でした。
前半の終了間際までリードしているときまでは日本が勝つかもしれない・・・と思いました。

しかし、案の定というか、ブラジルに同点に追いつかれてしまいました。

ハーフタイムで戻ってくる選手達の顔は暗く、後半は明らかに「勝てないんだ・・・」
と思って戦っている感じが見えました。
しかし、反対に、同点に追いついたブラジルは、楽しそうにサッカーをしているように感じました。

ブラジルと日本がまともに戦って勝てるとは思いません。
しかし、善戦することは出来ると思います。
それが前半の日本でした。

しかし、ブラジルが得点を入れてから状況は一変しました。

後半の試合を見ながら、「両チームの違いは何だろう?・・・」と考えていました。

思ったことは、「日本は勝つことが目的になっていて、ブラジルはゴールを決めることが目的なんだ。」ということでした。

日本はゴールを決めて勝つことが目的だけれども、
ブラジルは勝つためにゴールを決めることが目的なのだと感じました。

今までの日本のサッカーは勝つことを目的として来たのだと思います。

しかしオシム監督の目指しているサッカーは、ゲームに勝つことではなく、ゴールを決めることを目的としたチーム作りなのだと思いました。

  • 2006/09/11-10:28:09
  • 投稿者 : キュナード
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[C3958] 読んでるとついていけない加速感

「いいから出せ」「考えすぎるな」と立て続けに言われていくなかで薄れて行く選手個人の自意識を感じました。と同時に内と外とが裏返って行く感覚になりそう。
サッカーという仕組みチームという仕組みは無意識の部分に大半があるように思う。ゲームメーカーとしての個人意識はなんと狭いことだったのか!

[C3957] 下位の問いを発することは

個を解き放つということと、たぶん、同じだと思います。
ジェフは、問うサッカーをやっていたと思います。
答えようとするのは、個です。
だから、天才のサッカーは、個のサッカーだと思います。
一方、ジェフの選手たちが、「開かれたままの問い」の意識状態で、ピッチを動き回っているとき、カラダはリラックスし、開放されて、融通無碍に動き回るのではないかと思います。
  • 2006/09/10-22:43:24
  • 投稿者 : L.B.
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[C3956] >主役は誰?

>負けてもいい
>プレーを止めるな、リスタートは早くしろ、と監督は言い続けた。

「負けてもいい」と言って、勝つことにはこだわっていないのにもかかわらず、オシム監督は他のどんな監督よりもかなり熱いです。
勝ち負けのことから解き放たれながらも、プレー中でも、そうでないときでも、ここまで熱かったサッカーの監督は今までいなかったのではないかと思います(とは言っても、サッカーに関しては全く無知なのですが・・・)。

本の抜粋部分を読んでいると、オシム監督が作るサッカーは、スター選手たちが個人技を披露して、個々のプレーが光るという形態のサッカーではありません。

むしろ「個人技」などの考え方が無く、全員が必死になってボールを追いかけ、ボールをつなぐという、何か「命がけのサッカー」って感じがします。

その選手たちの姿は、もりけんさんのおっしゃるように、「プレイヤー」ではなくまさに「駒」という感じを与えます。
なぜなら、「プレイヤー」という言葉にはどことなく「私を見て!」、「私にボールを回して!」という印象を与えるからです。

逆に、全員がその一瞬一瞬のプレーに命がけだから、そんな考えから解き放たれているように感じられます。
だからこそ、「個」にスポットが当たらず、「駒」として動いてる印象を与えるのかなぁ思います。

しかし、個にスポットが当たらずとも、監督はとても熱くなれ、そして選手も爽快感を感じれる・・。
これが今までの感覚とは大きく違うのではないかと思います・・。

前のジーコ時代は、逆に「個」にスポットが大きく当たり、スター選手がたくさんいて、彼らの個人技プレーがとてももてはやされていました。
しかし、彼らの中で熱くなったり爽快感を感じたりする選手はほとんどいなかったのではないかと思います。

サッカーに対する爽快感は、大きく見れば、生きることへの爽快感とも捉えることができると思います。
以上のことから、「個」にスポットが当たることが、生きることへの爽快感にはつながらないのかなぁと思いました。

[C3955] >天才にボールが集められ、個の技を披露するサッカーに、爽快感は無いと思うのです。

中田が去る時、グラウンドに横たわり寂しそうでした。日本代表の司令塔としてボールを一身に集めてプレーしていた中田です。しかし去る中田からは爽快感といった爽やかなものは感じられず、一抹の寂しさしか感じられませんでした。

ジェフの各々の選手は中田ほどのプレーヤーではないかもしれません。でも、オシムの下で力いっぱい戦って爽やかです。中田のような司令塔の後について泳ぐ、または自らが司令塔になってチームを先導して泳ぐよりも、メダカの群れのように誰が先導しているのか分からず、また、どこへ向かっているのかも分からない、そんな流れの中で泳いだ方がはるかに気持ちが良いのかもしれません。流れは監督が作っているのかもしれません、でもそれさえ良くわからずに流れに任せて泳ぐとすごい爽快感があるのだと思います。
  • 2006/09/10-22:35:25
  • 投稿者 : おかだ
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[C3954] 個と爽快感

>個を解き放ったとき、強いも弱いも無いと思います。

爽快感が何なのか・・・なんとなく見えてきた気がしました。
というか個と爽快感の関係です。

個は全体=外側に対して開放した時、快を感じるのだと思いました。
ということは逆に個に内向きになっていくと快を感じなくなるのだと思います。

快と外側への表出は比例するのかもしれません。
そして個がカラッポになった時全体と一致している。ダイナミックな生がその瞬間に存在しているように思いました。

だからその時間が過ぎれば跡形も無く何にも無いのだと思いました。

[C3953] >主役は誰

 主役は誰でも無く、誰でもなれると思いました。駒が駒として確実に機能したときに、駒は全体とつながりその関係性は爽快感を生むうおではないかと思いました。駒が駒として機能したときに外側と広く深くつながれるのではないかと思いました。
  • 2006/09/10-20:01:35
  • 投稿者 : yk
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[C3952] >主役は誰?

自分がと考えていたら一歩遅れます。
ボールに向かえば良いとは考えられなくなります。
>考えすぎるな
考えることと体が動くことは別なんだと思いました。
まだ動ける。
まだ大丈夫。
そんなことを感じながら試合をしているのはとても楽しいのだと思います。
サッカーと共に有るように思いました。
  • 2006/09/10-19:53:52
  • 投稿者 : 小町
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[C3951] >主役は誰?

天才は閉じられた「個」の中で完結しようとしているかに見えます。
盲師派推命占術の命式は、その8個の干支だけではなく、大運や流年の干支も命式の8字
の代替になったりします。
天才も凡人も自分の命式の八字以外からの影響は免れないとするならば、外側に開け放し
た方が勝ちという感じもします。
佐々木小次郎は素早く飛ぶツバメを斬るための動体視力はすごかったかもしれませんが、
計算して飛びかかってきた武蔵の背後の太陽光線には小次郎の目は耐えられませんでした。
駒は内側に何も持っていないから外側とつながれるのであり、それは天才より凡人の方が
駒になることに抵抗は無いと思いました。
自分と外側との境界線を喪失した時が、強いも弱いも無くなった時であり、無敵の状態に
なるのだと思いました。
  • 2006/09/10-18:05:36
  • 投稿者 : イーキン
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[C3950] >主役は誰?

スポーツには、「ゾーン」ということばがあります。
スタープレーヤーが、誰にも手が付けられないほどのすばらしいプレーを連発しているとき、「彼はゾーンに入っている」というような表現をします。もちろんその試合の主役は「彼」です。

このジェフの試合には、ゾーンにはいっている「選手」はいなかったように思えます。チーム全体、というか相手チームや、観客さえも巻き込んで「ゾーンにはいっている」ような気がしました。
そういえば、ゾーンって「場」かも。
  • 2006/09/10-16:38:31
  • 投稿者 : くまぽん
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[C3949] 主役は誰?

「サッカーは美しく、こんなにも楽しいものだったのか」
読んでいて、マラソンを思い出しました。
ただひたすら走る。でも走っているとだんだん動きが調子に乗ってきて疲れているはずなのに体は一定の動きでぐんぐん走って・・1位とか後ろの人とか関係なくなって・・走りが気持ちいい・・
駒になるって本当に空洞なんだと思います。
そういう爽快感ってやめられないと思います。
成田にファンが詰め寄らなくっても関係ないのだと思います。
  • 2006/09/10-15:38:44
  • 投稿者 : Ciel
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[C3945] 負けてもいい

個が自己を解き放って、空洞になったとき、初めて生き生きとするのだと思いました。私という感覚も、自分を自分で空洞にするために必要なものだと思いました。私の感覚は、負けてもいいを聞いて、パチッと自己空洞装置のスイッチをONにするためにあるのだと思いました。もう、空洞になれたならどんなに離れている空洞ともつながれるから淋しくない。誰とつながろうと関係ない。空洞になったら全体とつながれるから。
  • 2006/09/10-13:16:52
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C3944] まだ泣いています

仕事の合間に裏で嗚咽しています。スラムダンクやピンポンが下位の問いの快の漫画やったなんて今気付きました。ジェフ千葉の試合を見た人、場を共有できた人、ほんとにすごかったんだろなぁと思いました。オシムの本がいつも本屋さんで一位なのがやっと分かりました。私の中で、オシムと新しい日本代表への見るめが変わりました。
  • 2006/09/10-12:23:50
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C3943] >主役は誰?

>自分を解き放ち、全体として動くカラッポな駒
>パーツがパーツ以上の力を出せるのです
>爽快感
少しイメージできただけでワクワクします・・

中学高校時代に文化祭や体育祭でクラス対抗の出し物をがんばって上手くいって皆でわぁ~っ♪と盛り上がったこと、PTAの役員時、郡部の数校での文集作りはたいへんだったけど仕上げたときの嬉しさ・・そのときの快感を思い出しました。
ひとりじゃあり得なくて、皆でやったからこその快感、自分はただ一つの駒であると同時に、いつもにない力を出せたような満たされた思い、そういうものを感じました。

走り続けるサッカー試合のスピードまっただ中で、プレイしながら爽快感を感じるなんて、その素晴らしさに驚き憧れます。
きっと、メンバーは視界だけでなく無意識領域においてもお互いを感じながらボールをつないでいるのだと思いました。
そういう試合を是非見てみたいと思います。
  • 2006/09/10-12:16:34
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C3941] 主役は誰?

すみません謝ってEnterキーを押してしまいました

> 負けてもいい。
 
 監督が、この言葉を言い放つことは大変なことです、ましてや「優勝」を賭けた試合に対して、日本人の美徳感から言えば、負けると解っていても「命を賭けても優勝します」とファン・マスコミ受けの言葉を選びます。
 
 オシム監督は、ヒーローは入らない、俺でなければ上手くいくはずがないといった「私が原因」の選手は、必要ないと思っているように思えます、与えられたポジションと役割を果たしてくれる選手で在ればよい、監督の指導と戦術を実践してくれだけ十分。
 
 選手の立場に為ったとき、与えられた役割をこなすことが監督の起用に答えること、自分に求められていることはただそれだけ、と理解しているのだと思います、イエメン戦は、空気の薄い悪条件の地、周囲の危惧にも関わらず最後まで動きが良かったように思えます、そして、試合終了前にゴールした我覇那選手の控えめな仕草が印象に残りました。
 
 俺たちは、「ヒーロー」でも「エキスパート」でもないんだ、オシム監督のパーツです、みんながパーツなんです、そして満足しています、と選手達が言ってたように感じる試合でした。

[C3940] 天才にボールが集められ、個の技を披露するサッカーに、爽快感は無いと思うのです。

流れるような描写に。。思わず。。飲み込まれそうになちゃいましたああ~♪♪。。オシム監督自身が天才的存在だったと書いてあるので。。それだけでもないようなかんじがしまっすうう~♪♪天才の気持ちも熟知してる監督だから。。こういう采配ができるかもでっすううう~~♪♪。。時空的には。。。汗汗。。。わたし的にはここでも。。。役立たず~~。。もとい。。ここで。。完全な役立たずになりさがるかなああ~~。。汗汗。。
  • 2006/09/10-10:17:16
  • 投稿者 : バニー
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[C3939] >主役は誰?

一般的にスポーツは娯楽であって、ルールを守って「快」の状態でプレーするのが目的と思います。

しかし、この場合のサッカーの選手と監督は遊びではありません。
オシムのブログがはじまった当初、彼らは環境によって作り出された「快」とは違った状態でプレーしているのだろうか?の思いがありました。

ブログを読んだ今「ネットワークの快」を感じました。
「個」はネットワークにつながったとき(それもより多く)「個」から「生命の躍動状態」に変わると思いました。
限りない「快」を獲得したのだと思いました。

試合がはじまることはネットワークのはじまり。
試合がはじまることは「個」はネットワークの一部分になること。

11人の中の1人でもネットワークの一部分になれなかったら、バイオリン協奏曲の最中に一人ベースを鳴らすようなものかと思います。

[C3937] 主役は誰?

> 負けてもいい。

[C3936] > けれど、この爽快感は何だ。

ちょっと何と言っていいかわかりません。
それ以上気持ちのいい状態って、他にはないんじゃないかと思います。
そんな体験をした選手がたまらなく羨ましいです。
 
何かに夢中になっている時に、自分の頭の回転がすごく速くなったように感じることがあります、テキパキと判断して、身体の動きもそれに連動して驚くほど俊敏で、しかもそれが自動的に行われているような感じがします。不安とか焦りも吹き飛びます。
だからといって意識がぶっ飛んでいるかといえばそうではなく、そんな状態の自分に驚いている自分という意識があったりします。
 
選手が体験していたことを私の体験で想像してみましたが、同じかどうかはわかりません。でも爽快感という言葉はピッタリのように思いました。
 
何かを気にしたままなら。。。たとえば得点を入れなければならないとか、一点先取されているとか、負けられないとか、考えれば考えるほど、頭の回転はそれに使われて、それに合わせるように身体は動かなくなるように思います。
 
変な表現かもしれませんが、身体は激しいトレーニングを積んで、考えて動くという経験もして、そのことを覚えているのだと思います。でも頭がその動きにブレーキを掛けてきたら、身体は動きたいように動けなくてイライラするんじゃないかと思います。
それは頭の側も同じで、頭脳プレイは経験を積んでいつでもOKなのに、気持ちでブレーキを掛けられてしまったら身動きが取れないと思います。だから頭と身体は自転車の両輪のようなものだと思いました。
そして身体と頭にブレーキを掛けるのは個の意識なんだと思いました。
 
個の意識だけで得る快感には限度があるかもしれませんが、個の感覚が吹き飛び、全体の意識だけになった時の快感には限度なんて無いのかもしれないと思いました。
  • 2006/09/10-08:51:45
  • 投稿者 : ぷく
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[C3935] > 主役は誰?

「天才にボールが集められ、個の技を披露するサッカー」というのは「グラウのマークという大役を背負ったストッパーの斉藤までが、チャンスと見れば相手ペナルティエリアへの侵犯を繰り返した。 」という部分を読んでもわかるように、やりたくても出来ないというのが実情かもしれません。

今回のW杯を見ても、守りのかたいチームが勝ち進み、スタープレーヤーはマークがきつく(時に二人がかり)あまりボールに触らせてさえもらえないというのがあると思います。しかしヘディングでまだ点が入ることも比較的多いJリーグの試合では、そこまで「天才」がゲームの蚊帳の外に置かれることはなかったのかもしれません...。

考えてみれば攻撃のスタープレーヤーは目立ちますが、ディフェンスが強いチームというのは、これといったスーパースターは居ないような印象を受けるような気がします。穴があったらディフエンスが強いとはいえないからです。

そうなった場合、最初から「天才」はマークがきつく、二人も3人も(?)ディフエンスが張付いているため、チームの中でほとんど機能しないと考えて戦略を成り立たせるのが自然です。

「天才」の出番はもちろんあります。コーナーキックやフリーキックを確実に決めて得点に結びつけるという重要な役割があります。あるいは他の選手が追従しがたいスピードを持っているのであれば相手のゴールを脅かすチャンスもあるのではないかと思います。

しかし、全体の守りのレベルがあがっているのであれば、やはり「誰でも」がミドルシュートが打てるというのが最低の要求になっていくかもしれません。相手は非常に守りにくくなるからです。同じ意味で、背の非常に高い選手が何人かいたほうがいいということになるかもしれません。

このブログでオシム・シリーズがはじまったときは、オシムが何を目指しているのか全くわからなかったのですが、少しだけ見えてきたような気がします。

今回のW杯はロナウジーニョやロナウドも不振でベッカムも調子が悪く、いわゆるスーパースターがあまり活躍できなかった大会のような気もします。スーパースターがいて、司令塔型のサッカーというのを私はよく知らないのですが、全体の守りのレベルも上がっていることから、天才依存型のサッカーの時代というのは、終わりつつあるのかもしれません。
  • 2006/09/10-08:20:34
  • 投稿者 : ナイル
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[C3934] 訂正

過あらだが→体が

[C3933] >主役は誰?

オシムのやるサッカーは今まで誰も教えることないサッカーなのではないかと思いました。>「味方が動き出していないので、出せない」<これでは遅いのだと思います.これって,多くの人の状態かもしれないと思います.誰かが動いたら動く。。オシムはその動く人をまず作り出しているのだと思います。そうすることで、長年サッカーやってきた人達ですから,最初の動く1人を作ることで後は過あらだが勝手に反応したりするのかもと想像したりします。主役は誰?という事で言えば,全体であり、また、主役は常に入れ替わると言えるのではないかと思います。相手にしてみたら,何がなんだかわからないかもしれないと思います。面白そうだと思います。

[C3931] >主役は誰?

制御と自由というのをなんとなく考えてしまいました。

凄く主観ですが、トルシエ監督の時の日本代表はトルシエ監督の描いたサッカーを叩き込まれて実行している感じで、窮屈に感じあまり自由を感じませんでした。

また、ジーコ前日本代表監督は「自由」を掲げてサッカーをしていましたが、選手はどうしたら良いか分からず、経験と知識のある選手が何とかしようとしてメッセージを沢山発信していましたが逆に衝突したりしているようにも見え、みんなあまり楽しそうではなく窮屈そうに感じました。

オシム監督のサッカーは不思議です。経験と知識で制御をかけているように思えるのに、まるで窮屈に見えないのです。

私は経験や知識で自分に制限をかけることが嫌いじゃないです。また、自由を求めて技を磨くことも嫌いじゃないです。それをすると便利な時にそれを使うはとても有効だと思います。オシムはそのことをよく分かっていると思います。
しかし、それだけに固執しているとオシムのようなサッカーが生まれることは出来ない気がしました。

オシム監督は以前「私にとって、サッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない。」とインタビューに答えていますが、逃げられないということを悟っているからああいう瞬間から瞬間へ生まれかわっていくようなサッカーが生まれるのかもしれないと思いました。勘違いかもしれないし、上手く書けないですが(汗)
  • 2006/09/10-04:56:28
  • 投稿者 : ラボ
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[C3929] 終わったとき、誰が主役だったかわからなくなるからです

読んでいて なぜかスラムダンクのアニメを思い出しました。あのアニメは最後誰が主役なのかわからなくなります。爽快感のアニメだと思います。全国制覇もせず終わるにもかかわらずです。確か作者も続きを書く気もないと言っていました。最後 桜木も主役ではなかったと思います。ただバスケがしたいんです。と。
この、アニメみたいな ほんとに サッカーだけしている
チームになったこと自体が 全員が死闘の中でなぜか笑ってる感じが
爽快感なのかと思いました。
ピンポンて映画でもペコがドラゴンとの試合で白い天にのぼって ただ卓球だけを楽しむシーンがあります。ドラゴンは 此処はいいまたつれてきてくれと言います。負けることを怯えていたドラゴンがはじめて笑うんです。
そんな、アニメとか映画とかそんな世界を 現実におこしてしまったジェフ千葉
かっこよすぎます。涙でますよ。
勝つとか負けるとかに怯えていないで ただサッカーがしたいだけ 走って走って パスを出すだけ 死闘のなか
もう最後 だれのためとか なんのためとか
なかったと思いました。強いとか弱いとかもうなんにもない。ただサッカーがしたいだけ。
そんなジェフと試合ができたジュビロも幸せだったのではと思います。
  • 2006/09/10-04:12:46
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C3928] からっぽの駒

すごくリアルでスピード感のある描写でした。読んでいて自分がその中にいるようでドキドキしました。
最近初めてハンドルを手放すことの快感を実感したときと、この試合のスピード感が、はっきり自分の中で重なりました。だから、選手たちが感じた爽快感というのがどんなものだったのか、すごくよく分かります。
それは自分を完全に空っぽにして場と一体化する、最高の快感だと思います。ハンドルを手放して生きると、理屈でもたもた考えている暇さえないような感覚がありますが、この試合での選手たちも、ほとんど本能というか、生物反射だけで動いていたのだと思います。
その中ではもはや勝ち負けなど何の意味もなく、自分の存在さえ意味もなく、ただただ「サッカーを感じていた」という感覚だけだったのだろうと思います。天才プレーヤーは、自分のプレーに感じているのだと思いますが、サッカーそのものを感じることは出来ないはずです。それではサッカーの持つ美しさに触れることもないと思います。それは、すごくもったいない気がします。「自分がご主人」で生きているつまらなさと同じです。
ああ・・幸せって、やっぱりメイドになりきってしまうことだと思いました。

[C3927]

>まるで地面から人が湧き出てくるかのように2,3人と躊躇なく攻め上がっていく。
この文がすきだと思いました。躊躇なくというところが好きです。
 
>それでもいいのか、と皆は言った。
ココもきました。全員が鍵を手にしたと思いました。
 
> マイボールになってからの判断スピードが、自分でも驚くほど速くなっていた。いつまでも自分は走れる。労はいとわない。
ここの無敵感はもりけんさんみたいだと思いました。(勝手に想像☆)問いはマイボール。(私も私のマイボールが欲しい)描写を読みながら、イエメン戦を思い出しました。私は後半45分とかでゴールを決めたのに感動したのです。最後まであのペースだった。あのスピードだった。なにか考えてる(考えすぎてる)感じがしなかった。終りは意識されてたとは思うけどプレーにそれを感じなかった。ずっと走ってた。
 
>爽快感とは、個を解き放った時に訪れる感覚だと思うからです。
 
ハーフタイムにオシムは「考えすぎるな」といってるのがぐぐっときました。オシムは考えろと言うけど考えすぎるなとも言う。何を考えろといってるのか、なにを考えすぎるなといっているのか…サッカーの美しさってなんだろう、楽しさってなんだろう。オシムは集団として扱う、個はパーツです、でもなんか…お前個人に責任はないよ、負えるものも今更ないよ、って言われてる気がする。だけど全体を見ろ、だと思いました。サッカーの楽しさって(分らないけど)まるで全体が自分のように動いてく感じなんじゃないかと思いました。それは中にいてしか分らないかもしれないと思います。出したパスが思うようにひろわれていく、ゴールまで以心伝心していくかのように相手の裏をかいて伝わる、どこまでが自分か分らないような感じかと想像しました。だとしたら…ファンは…はいれないよなぁと思いました。その場にいたものにしか共有できないもんじゃないかと思いました。入り込むという事を思いました。そのとき個はジャマかもしれないと思います。

[C3926] 主役は誰?

これを読む限り・・サッカーは勝負じゃない、と思いました。
何か・・ボールの流れをすごく感じました。
主役は誰か・・誰だろうとゆう感じです。ゆうなれば、全体です。
観客も含まれている気がします・・。もしかしたら、その日のその場
とゆう感じかもしれません。
選手は強いも弱くもなく・・プレイに集中している姿が浮かびます。
ひたすら出来事の中に入り込んでいて、全体と一体化していて
その中の駒の動き・・とゆう感じがしました。
嗚呼・・文章も素晴らしいけど、この試合を観てないと
書けない文章だろうと思います・・。
勝ちにこだわった時、負けたかもしれない・・
負けてもいいと言われ・・普段のプレイが出来たのかも
しれない・・
オシム監督はやはりすごい監督だと思います。
よーーーーーく考えて言ってる言葉だと思います。
それは選手を奮起させる、とゆうよりも(それもあると思うけれど)
心にひっかかっているものがあれば、取り除く言葉のような気が
します。
そして空にさせている気がします。もしくは、中和させる言葉。
打ち消し合ってゼロ・・(もりけんさんがこんな言葉を言ってた
気がしますが)なんじゃないかと思います。
なんかまた深く感動しました。

[C3925] >主役は誰?

>個を解き放ったとき、強いも弱いも無いと思います。
 
>試合が終われば、何も残らないと思います。だから成田にファンは詰めかけません。プレーしたのは「全体」だからです。
 終わったとき、誰が主役だったか分からなくなるからです。
 
>だからこそ、パーツがパーツ以上の力を出せるのです。


すごい爽快感だと思いました・・


勝っていても負けていても、
サッカーをすること・・
プレーすることそのものが、とても楽しくて・・

からっぽになって、プレーを楽しんでいたんだと思いました。。

だから、サッカーが終わったあとは、
なんにも残らない・・

賞賛も無く、責任もない・・

なぜなら、すべてはプレーの中で完全燃焼されたのからだ思いました。




 
  • 2006/09/10-02:48:26
  • 投稿者 : あかり
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主役は誰?

 
 本の抜萃です。
 
***********************
 
 負けてもいい。
 
 厳格な監督がホッと漏らしたその言葉が、「優勝」という未体験の領域に挑もうとする選手たちを呪縛から解き放った。
 
 序盤は試合巧者ジュビロがゲームを支配した。
 Jリーグ屈指の中盤が高速でパスを回す攻撃は多彩だった。左サイドからえぐってくると思えば、中央突破を敢行する。
 
 ジェフは立ち上がり、圧倒的にボールをキープされつつも運動量で対抗した。
 ディフェンスをタイトに固め、一旦ボールを奪うと鋭利にカウンターを仕掛ける。まるで地面から人が湧き出てくるかのように2,3人と躊躇なく攻め上がっていく。
 一旦、攻撃が途切れると素早くディフェンスに舞い戻る。攻守の切り替えは、瞬時にそしてスムーズに行われた。
 
 勇人は中盤の底から幾度も駆け上がっていく中で、フルコートの3対3はこういう意図だったのか、と思い描いていた。
 
 プレーを止めるな、リスタートは早くしろ、と監督は言い続けた。「味方が動き出していないので、出せない」と反論しても「それでもいいから出せ」と怒鳴った。それでもいいのか、と皆は言った。
 
 けれど、この爽快感は何だ。
 
 マイボールになってからの判断スピードが、自分でも驚くほど速くなっていた。いつまでも自分は走れる。労はいとわない。
 サッカーは美しく、こんなにも楽しいものだったのか。
 
 前半27分に、セットプレーからこぼれたところをヘディングで決められるが、負けているという意識はまったくなかった。
 
 ハーフタイム。オシムは「考えすぎるな」という指示を出した。
 
 後半開始早々、ボールが左サイドにいた羽生に渡った瞬間、勇人は前線に向かって爆発、奪取を敢行した。長い距離を上がり、フリーのままにクロスに合わせるとボールは枠に向かってすっ飛んでいった。これはGKに好捕されたが、リスクを恐れぬランニングは攻撃にリズムをもたらした。
 
 50分、勇気のある坂本の突入が好機を呼び込んだ。エリアで倒されてもらったPKを、チェが落ち着いて左隅に流し込んだ。
 
 
 1 - 1.
 
 同点となったところで猛暑の戦いはますます激化する。ジェフの攻撃意識は研ぎ澄まされ、グラウのマークという大役を背負ったストッパーの斉藤までが、チャンスと見れば相手ペナルティエリアへの侵犯を繰り返した。
 
 困難に対して考えることもなく、攻守が入れ替われば、黄色のユニフォームをまとった戦士たちは自らの意志で2列目、3列目から津波のように相手神内に押し寄せた。
 
 75分、サンドロが飛び出してついに勝ち越す。しかしジェビロも前年の王者。その1分後、ジブコピッチが上げたクロスに前田が合わせて

2 - 2.
 
 騒然とする場内では今、目の前で行われている試合が、間違いなく今年のベストマッチであるという確信が広がり始めた。
 サポーターが燃える。チャントやコールが活性化する。
 お互いが引こうともせず、アグレッシブに打ち合うスペクタクルな戦いは、終わりが来ないような錯覚さえ起こさせた。
 
(続く)
 
************************
 
「けれど、この爽快感は何だ」
 
 このワンセンテンスが、オシムのサッカーなのだと思いました。
 もちろんそれに続く「サッカーは美しく、こんなにも楽しいものだったのか」もそれを物語っています。
 
 天才にボールが集められ、個の技を披露するサッカーに、爽快感は無いと思うのです。
 爽快感とは、個を解き放った時に訪れる感覚だと思うからです。
 
 好きにして・・というメイドの感覚にも似ています。
 
 確かにオシムはご主人様の役をしています。でもこの試合の描写を見る限り、選手は命令されて動いている感じはしません。
 さらに、自己の個に固執している感じもしません。
 
 自分を解き放ち、全体として動くカラッポな駒がいるだけです。
 
 だから、負けていても勝っていても、変わらない動きが出来るのだと思います。
 
 昨日は精神的な強さが話題になりました。
 この時の選手は、精神的に強かったのでしょうか、弱かったのでしょうか・・。
 
 個を解き放ったとき、強いも弱いも無いと思います。
 
 試合が終われば、何も残らないと思います。だから成田にファンは詰めかけません。プレーしたのは「全体」だからです。
 終わったとき、誰が主役だったか分からなくなるからです。
 
 だからこそ、パーツがパーツ以上の力を出せるのです。
 
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38件のコメント

[C4004] 主役は誰

個がプレーしたならば誰だれのプレーがよかった、何であそこでミスをしたんだと、後ずけでいろんな評価をしてしまいます。それにまた一喜一憂してしまいます。しかし全体がプレーしたのならなんにも残りません。印象が個に向けられなければ個を追っ掛けしているファンの人からみれば、そっけなく物足りないい感覚なんでしょう。ですから早稲田の斎藤君には人だかりになるのはわかりますが。全体のプレーにはとても深さをかんじました。新たな視点で新たなスポーツの始まりの様に感じ、視点移動の大切さをしりました。
  • 2006/09/13-09:17:26
  • 投稿者 : じんのり
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[C3987] >この爽快感は何だ


本の抜粋も、もりけんさんの文章もすごいパワーだ・・。
熱すぎるぜ・・

見えない何かに全身を任せて燃え上がる選手たち・・。

たしかに個々を見れば、からっぽのような気がします。
「俺がオレが!」という気負いは見られません。

しかし、熱い・・
熱すぎる。

全体の流れに乗るというのは、こんなにも激しく燃え上がることだったのか・・・

爆発。

このエネルギーを前にしては、天才の個人技もかすんでしまいそうです。

[C3972] スター選手のいないサッカー

スター選手のいないサッカーがこんなにもエレガントで面白いものだとは思いませんでした。
 
読んでいるだけで爽快感を感じました。
 
個で見せるサッカーよいうよりも全体で見せるサッカーとでもいうんでしょうか。全体が一度に変わる、とてもダイナミックで壮大な面白さがあります。
 
時空も、もしかして、こんな風に変わってみたいのではないかと思いました(汗)。
 
そういえば、レアルマドリッドという世界一流のスター選手を集めたチームがあります。11人全員をスター選手にしてしまったようなチームですが、なぜここまでスターを集める必要があるのか不思議でした。
 
でも、全員をスターにしなければ、全体が成り立たないので、スター選手を集めるのであろうことが、良く分かりました。
 
そして、全員がスターでなければ、逆に、全体は成立しやすいのではないかとも思いました。
  • 2006/09/11-23:38:57
  • 投稿者 : ななし
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[C3968] 試合中は

ゴールにボールを入れる筋道は決まっているわけではないので、誰も味方がいなくてもそこに蹴るのは、ボールを出してみないとわからないです。でも、そこに味方が来て、後を上手に受けてつないでくれて、そしてまた今度は自分が動いて受けたボールを出して‥そうして誰かが予期せぬチャンスでゴールを決める‥
誰かがメインプレーヤーだと、その人がゴールを決める確率が高いですが、全員駒だと、だれがいつどこでゴールを決めることになるかわからなくて、その予想もつかない試合の流れを作っている、その中にいるというのが、すごい緊張の中にいながら、爽快なのではという気がしました。たとえ点が入らなくて負けたとしても、その試合そのものを、敵味方の両チームで作り上げた感じがするのではないかと思いました。
  • 2006/09/11-21:58:33
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3967] >サッカーは美しく

集団プレーが美しいというと、シンクロナイズドスイミングを思いだす。集団で一斉に動くとき、考えてたらあんなにそろって動けない。コツはわからないけど、そろったとき、外から見ても美しいし、競技者もきっと爽快感があるだろうと思う。ふだんはバラバラな他者同士なだけに、つかの間呼吸があって、同時に同じゴールを目指して動くときできる連携は、ふだんは味わえない感覚なのだろう‥
  • 2006/09/11-21:25:26
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3966] >主役は誰?

何度読んでも、何かこみあげてくるものがあります。
 
個を解き放って、サッカーに溶け込んで、限界の疲労の中で、爽快感を感じる選手たち。
思い上がりも、恐れも無く、全員が全員のメイドになって、前年の王者に立ち向かう。
 
負けていても、そんなことを意識しないで走り続ける事が出来るような状態にあったのだと思いました。
 
「間違いなく今年のベストマッチであるという確信」は、サポーターにも伝わるのだと思いました。
サポーターにも、爽快感が伝わっていたのではないかと思います。
 
強いも弱いもなく、何も残らない。
 
サッカーはサッカーだけど、これがサッカーで、こんなサッカーがありえるのだと思いました。
  • 2006/09/11-20:24:59
  • 投稿者 : ワヲン
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[C3965] >主役は誰?

意識は無意識より0,5秒遅れるということでいえば、オシム氏によって、無意識でのプレ―を促されているのかもしれないと思います。とすれば、主役は無意識かもと思います。

[C3964]

>考えすぎるな・・・


 無意識にまかせて体が動く・・・・・
いつのまにか勝手に足が動いている。動かしてるのは誰だ!そんな感じかな。。。。


爽快感を感じる試合は確かに鳥肌・涙うるるるです。
そういう試合って選手だけでなく全体がその場に共振しているみたいで応援する自分もイッチャってます。。。

[C3963] なんだかわからない爽快感

「全体」で感じる爽快感だ・・!と思いました。

勝ち負けにこだわらなくなったとき、
ただ、ボールを追うだけの気持ちよさとか。。
(書いていて、運命が決まっている、とした時に
感じる気持ちと似ている、と思いました)
それは、「固定(制御でもいいかもです)」する
ポイントかも、と思いました。


ひとりのスタープレーヤーに固定すると、自然と
狭い枠の主従関係が生まれてしまうのかも
しれないとも思いました。
それは、見ているひと(観客)の視点も一緒だと思いました。

見ている人と、選手の視点が、全体に移動(固定)
されたとき、
ひとりで感じない(爽)感、なんだかわからない
(どこから来るのかわからないけど、ものすごい)
爽快感がクルのかもしれないと思いました。

・・・共振できる、間接的とか、いろいろな事を
思いましたが、どこから来るのかわからないからこその、
ものすごい爽快感だとも思いました。
  • 2006/09/11-16:40:47
  • 投稿者 : マリ
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[C3961] >主役は誰?

オシム監督が「負けてもいい」といって送り出した試合が、終わってから「肉でも魚でもない」といった試合が、こんなにすばらしいものだったとは・・
本当に、何度よんでも泣けてしまいます。
サッカーのこと、特に試合の流れなどはよく知らないのですが、それでも、目の前でその試合が行われているような感覚になりました。
すごく感動しました。


試合が終わった後、何も残らない・・という一文にも感動しました。
試合すら、時空の流れの中の一こまで、終わってしまえば過去のもの・・
それは後ろに流れていくのだと思いました。
それを後から、あーだこーだと批評するのは、傍観者たち・・


すぎたことはもう忘れろ、とかそういうのではないと思います。
状態に入り込んで、個を解き放し、すべてを出し切ったら、本当に後には何も残らないのだと思いました。
ハンセイも後悔も何もない。。


そんな状態のサッカーの試合を作り出したオシム監督・・
やっぱりすごいと思いました。。

[C3959] >主役は誰?

今年のワールドカップを見ているとき、感じたことがありました。

ドイツ大会では、日本はワールドカップ出場三回目ということもあってか、
一次リーグ突破が至上命令というように感じました。
中田・中村を中心にして何としてでも勝つという感じがしていました。

しかし、一次リーグのブラジルとの戦いを見ていて感じたことがありました。

試合では、「日本は間違いなく負けるだろう。」というのがもっぱらの見方でした。
僕もそのつもりで見ていました。
しかし、いざ試合が始まってみると、先制したのは日本でした。
前半の終了間際までリードしているときまでは日本が勝つかもしれない・・・と思いました。

しかし、案の定というか、ブラジルに同点に追いつかれてしまいました。

ハーフタイムで戻ってくる選手達の顔は暗く、後半は明らかに「勝てないんだ・・・」
と思って戦っている感じが見えました。
しかし、反対に、同点に追いついたブラジルは、楽しそうにサッカーをしているように感じました。

ブラジルと日本がまともに戦って勝てるとは思いません。
しかし、善戦することは出来ると思います。
それが前半の日本でした。

しかし、ブラジルが得点を入れてから状況は一変しました。

後半の試合を見ながら、「両チームの違いは何だろう?・・・」と考えていました。

思ったことは、「日本は勝つことが目的になっていて、ブラジルはゴールを決めることが目的なんだ。」ということでした。

日本はゴールを決めて勝つことが目的だけれども、
ブラジルは勝つためにゴールを決めることが目的なのだと感じました。

今までの日本のサッカーは勝つことを目的として来たのだと思います。

しかしオシム監督の目指しているサッカーは、ゲームに勝つことではなく、ゴールを決めることを目的としたチーム作りなのだと思いました。

  • 2006/09/11-10:28:09
  • 投稿者 : キュナード
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[C3958] 読んでるとついていけない加速感

「いいから出せ」「考えすぎるな」と立て続けに言われていくなかで薄れて行く選手個人の自意識を感じました。と同時に内と外とが裏返って行く感覚になりそう。
サッカーという仕組みチームという仕組みは無意識の部分に大半があるように思う。ゲームメーカーとしての個人意識はなんと狭いことだったのか!

[C3957] 下位の問いを発することは

個を解き放つということと、たぶん、同じだと思います。
ジェフは、問うサッカーをやっていたと思います。
答えようとするのは、個です。
だから、天才のサッカーは、個のサッカーだと思います。
一方、ジェフの選手たちが、「開かれたままの問い」の意識状態で、ピッチを動き回っているとき、カラダはリラックスし、開放されて、融通無碍に動き回るのではないかと思います。
  • 2006/09/10-22:43:24
  • 投稿者 : L.B.
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[C3956] >主役は誰?

>負けてもいい
>プレーを止めるな、リスタートは早くしろ、と監督は言い続けた。

「負けてもいい」と言って、勝つことにはこだわっていないのにもかかわらず、オシム監督は他のどんな監督よりもかなり熱いです。
勝ち負けのことから解き放たれながらも、プレー中でも、そうでないときでも、ここまで熱かったサッカーの監督は今までいなかったのではないかと思います(とは言っても、サッカーに関しては全く無知なのですが・・・)。

本の抜粋部分を読んでいると、オシム監督が作るサッカーは、スター選手たちが個人技を披露して、個々のプレーが光るという形態のサッカーではありません。

むしろ「個人技」などの考え方が無く、全員が必死になってボールを追いかけ、ボールをつなぐという、何か「命がけのサッカー」って感じがします。

その選手たちの姿は、もりけんさんのおっしゃるように、「プレイヤー」ではなくまさに「駒」という感じを与えます。
なぜなら、「プレイヤー」という言葉にはどことなく「私を見て!」、「私にボールを回して!」という印象を与えるからです。

逆に、全員がその一瞬一瞬のプレーに命がけだから、そんな考えから解き放たれているように感じられます。
だからこそ、「個」にスポットが当たらず、「駒」として動いてる印象を与えるのかなぁ思います。

しかし、個にスポットが当たらずとも、監督はとても熱くなれ、そして選手も爽快感を感じれる・・。
これが今までの感覚とは大きく違うのではないかと思います・・。

前のジーコ時代は、逆に「個」にスポットが大きく当たり、スター選手がたくさんいて、彼らの個人技プレーがとてももてはやされていました。
しかし、彼らの中で熱くなったり爽快感を感じたりする選手はほとんどいなかったのではないかと思います。

サッカーに対する爽快感は、大きく見れば、生きることへの爽快感とも捉えることができると思います。
以上のことから、「個」にスポットが当たることが、生きることへの爽快感にはつながらないのかなぁと思いました。

[C3955] >天才にボールが集められ、個の技を披露するサッカーに、爽快感は無いと思うのです。

中田が去る時、グラウンドに横たわり寂しそうでした。日本代表の司令塔としてボールを一身に集めてプレーしていた中田です。しかし去る中田からは爽快感といった爽やかなものは感じられず、一抹の寂しさしか感じられませんでした。

ジェフの各々の選手は中田ほどのプレーヤーではないかもしれません。でも、オシムの下で力いっぱい戦って爽やかです。中田のような司令塔の後について泳ぐ、または自らが司令塔になってチームを先導して泳ぐよりも、メダカの群れのように誰が先導しているのか分からず、また、どこへ向かっているのかも分からない、そんな流れの中で泳いだ方がはるかに気持ちが良いのかもしれません。流れは監督が作っているのかもしれません、でもそれさえ良くわからずに流れに任せて泳ぐとすごい爽快感があるのだと思います。
  • 2006/09/10-22:35:25
  • 投稿者 : おかだ
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[C3954] 個と爽快感

>個を解き放ったとき、強いも弱いも無いと思います。

爽快感が何なのか・・・なんとなく見えてきた気がしました。
というか個と爽快感の関係です。

個は全体=外側に対して開放した時、快を感じるのだと思いました。
ということは逆に個に内向きになっていくと快を感じなくなるのだと思います。

快と外側への表出は比例するのかもしれません。
そして個がカラッポになった時全体と一致している。ダイナミックな生がその瞬間に存在しているように思いました。

だからその時間が過ぎれば跡形も無く何にも無いのだと思いました。

[C3953] >主役は誰

 主役は誰でも無く、誰でもなれると思いました。駒が駒として確実に機能したときに、駒は全体とつながりその関係性は爽快感を生むうおではないかと思いました。駒が駒として機能したときに外側と広く深くつながれるのではないかと思いました。
  • 2006/09/10-20:01:35
  • 投稿者 : yk
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[C3952] >主役は誰?

自分がと考えていたら一歩遅れます。
ボールに向かえば良いとは考えられなくなります。
>考えすぎるな
考えることと体が動くことは別なんだと思いました。
まだ動ける。
まだ大丈夫。
そんなことを感じながら試合をしているのはとても楽しいのだと思います。
サッカーと共に有るように思いました。
  • 2006/09/10-19:53:52
  • 投稿者 : 小町
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[C3951] >主役は誰?

天才は閉じられた「個」の中で完結しようとしているかに見えます。
盲師派推命占術の命式は、その8個の干支だけではなく、大運や流年の干支も命式の8字
の代替になったりします。
天才も凡人も自分の命式の八字以外からの影響は免れないとするならば、外側に開け放し
た方が勝ちという感じもします。
佐々木小次郎は素早く飛ぶツバメを斬るための動体視力はすごかったかもしれませんが、
計算して飛びかかってきた武蔵の背後の太陽光線には小次郎の目は耐えられませんでした。
駒は内側に何も持っていないから外側とつながれるのであり、それは天才より凡人の方が
駒になることに抵抗は無いと思いました。
自分と外側との境界線を喪失した時が、強いも弱いも無くなった時であり、無敵の状態に
なるのだと思いました。
  • 2006/09/10-18:05:36
  • 投稿者 : イーキン
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[C3950] >主役は誰?

スポーツには、「ゾーン」ということばがあります。
スタープレーヤーが、誰にも手が付けられないほどのすばらしいプレーを連発しているとき、「彼はゾーンに入っている」というような表現をします。もちろんその試合の主役は「彼」です。

このジェフの試合には、ゾーンにはいっている「選手」はいなかったように思えます。チーム全体、というか相手チームや、観客さえも巻き込んで「ゾーンにはいっている」ような気がしました。
そういえば、ゾーンって「場」かも。
  • 2006/09/10-16:38:31
  • 投稿者 : くまぽん
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[C3949] 主役は誰?

「サッカーは美しく、こんなにも楽しいものだったのか」
読んでいて、マラソンを思い出しました。
ただひたすら走る。でも走っているとだんだん動きが調子に乗ってきて疲れているはずなのに体は一定の動きでぐんぐん走って・・1位とか後ろの人とか関係なくなって・・走りが気持ちいい・・
駒になるって本当に空洞なんだと思います。
そういう爽快感ってやめられないと思います。
成田にファンが詰め寄らなくっても関係ないのだと思います。
  • 2006/09/10-15:38:44
  • 投稿者 : Ciel
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[C3945] 負けてもいい

個が自己を解き放って、空洞になったとき、初めて生き生きとするのだと思いました。私という感覚も、自分を自分で空洞にするために必要なものだと思いました。私の感覚は、負けてもいいを聞いて、パチッと自己空洞装置のスイッチをONにするためにあるのだと思いました。もう、空洞になれたならどんなに離れている空洞ともつながれるから淋しくない。誰とつながろうと関係ない。空洞になったら全体とつながれるから。
  • 2006/09/10-13:16:52
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C3944] まだ泣いています

仕事の合間に裏で嗚咽しています。スラムダンクやピンポンが下位の問いの快の漫画やったなんて今気付きました。ジェフ千葉の試合を見た人、場を共有できた人、ほんとにすごかったんだろなぁと思いました。オシムの本がいつも本屋さんで一位なのがやっと分かりました。私の中で、オシムと新しい日本代表への見るめが変わりました。
  • 2006/09/10-12:23:50
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C3943] >主役は誰?

>自分を解き放ち、全体として動くカラッポな駒
>パーツがパーツ以上の力を出せるのです
>爽快感
少しイメージできただけでワクワクします・・

中学高校時代に文化祭や体育祭でクラス対抗の出し物をがんばって上手くいって皆でわぁ~っ♪と盛り上がったこと、PTAの役員時、郡部の数校での文集作りはたいへんだったけど仕上げたときの嬉しさ・・そのときの快感を思い出しました。
ひとりじゃあり得なくて、皆でやったからこその快感、自分はただ一つの駒であると同時に、いつもにない力を出せたような満たされた思い、そういうものを感じました。

走り続けるサッカー試合のスピードまっただ中で、プレイしながら爽快感を感じるなんて、その素晴らしさに驚き憧れます。
きっと、メンバーは視界だけでなく無意識領域においてもお互いを感じながらボールをつないでいるのだと思いました。
そういう試合を是非見てみたいと思います。
  • 2006/09/10-12:16:34
  • 投稿者 : ゆくえ
  • URL
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[C3941] 主役は誰?

すみません謝ってEnterキーを押してしまいました

> 負けてもいい。
 
 監督が、この言葉を言い放つことは大変なことです、ましてや「優勝」を賭けた試合に対して、日本人の美徳感から言えば、負けると解っていても「命を賭けても優勝します」とファン・マスコミ受けの言葉を選びます。
 
 オシム監督は、ヒーローは入らない、俺でなければ上手くいくはずがないといった「私が原因」の選手は、必要ないと思っているように思えます、与えられたポジションと役割を果たしてくれる選手で在ればよい、監督の指導と戦術を実践してくれだけ十分。
 
 選手の立場に為ったとき、与えられた役割をこなすことが監督の起用に答えること、自分に求められていることはただそれだけ、と理解しているのだと思います、イエメン戦は、空気の薄い悪条件の地、周囲の危惧にも関わらず最後まで動きが良かったように思えます、そして、試合終了前にゴールした我覇那選手の控えめな仕草が印象に残りました。
 
 俺たちは、「ヒーロー」でも「エキスパート」でもないんだ、オシム監督のパーツです、みんながパーツなんです、そして満足しています、と選手達が言ってたように感じる試合でした。

[C3940] 天才にボールが集められ、個の技を披露するサッカーに、爽快感は無いと思うのです。

流れるような描写に。。思わず。。飲み込まれそうになちゃいましたああ~♪♪。。オシム監督自身が天才的存在だったと書いてあるので。。それだけでもないようなかんじがしまっすうう~♪♪天才の気持ちも熟知してる監督だから。。こういう采配ができるかもでっすううう~~♪♪。。時空的には。。。汗汗。。。わたし的にはここでも。。。役立たず~~。。もとい。。ここで。。完全な役立たずになりさがるかなああ~~。。汗汗。。
  • 2006/09/10-10:17:16
  • 投稿者 : バニー
  • URL
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[C3939] >主役は誰?

一般的にスポーツは娯楽であって、ルールを守って「快」の状態でプレーするのが目的と思います。

しかし、この場合のサッカーの選手と監督は遊びではありません。
オシムのブログがはじまった当初、彼らは環境によって作り出された「快」とは違った状態でプレーしているのだろうか?の思いがありました。

ブログを読んだ今「ネットワークの快」を感じました。
「個」はネットワークにつながったとき(それもより多く)「個」から「生命の躍動状態」に変わると思いました。
限りない「快」を獲得したのだと思いました。

試合がはじまることはネットワークのはじまり。
試合がはじまることは「個」はネットワークの一部分になること。

11人の中の1人でもネットワークの一部分になれなかったら、バイオリン協奏曲の最中に一人ベースを鳴らすようなものかと思います。

[C3937] 主役は誰?

> 負けてもいい。

[C3936] > けれど、この爽快感は何だ。

ちょっと何と言っていいかわかりません。
それ以上気持ちのいい状態って、他にはないんじゃないかと思います。
そんな体験をした選手がたまらなく羨ましいです。
 
何かに夢中になっている時に、自分の頭の回転がすごく速くなったように感じることがあります、テキパキと判断して、身体の動きもそれに連動して驚くほど俊敏で、しかもそれが自動的に行われているような感じがします。不安とか焦りも吹き飛びます。
だからといって意識がぶっ飛んでいるかといえばそうではなく、そんな状態の自分に驚いている自分という意識があったりします。
 
選手が体験していたことを私の体験で想像してみましたが、同じかどうかはわかりません。でも爽快感という言葉はピッタリのように思いました。
 
何かを気にしたままなら。。。たとえば得点を入れなければならないとか、一点先取されているとか、負けられないとか、考えれば考えるほど、頭の回転はそれに使われて、それに合わせるように身体は動かなくなるように思います。
 
変な表現かもしれませんが、身体は激しいトレーニングを積んで、考えて動くという経験もして、そのことを覚えているのだと思います。でも頭がその動きにブレーキを掛けてきたら、身体は動きたいように動けなくてイライラするんじゃないかと思います。
それは頭の側も同じで、頭脳プレイは経験を積んでいつでもOKなのに、気持ちでブレーキを掛けられてしまったら身動きが取れないと思います。だから頭と身体は自転車の両輪のようなものだと思いました。
そして身体と頭にブレーキを掛けるのは個の意識なんだと思いました。
 
個の意識だけで得る快感には限度があるかもしれませんが、個の感覚が吹き飛び、全体の意識だけになった時の快感には限度なんて無いのかもしれないと思いました。
  • 2006/09/10-08:51:45
  • 投稿者 : ぷく
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[C3935] > 主役は誰?

「天才にボールが集められ、個の技を披露するサッカー」というのは「グラウのマークという大役を背負ったストッパーの斉藤までが、チャンスと見れば相手ペナルティエリアへの侵犯を繰り返した。 」という部分を読んでもわかるように、やりたくても出来ないというのが実情かもしれません。

今回のW杯を見ても、守りのかたいチームが勝ち進み、スタープレーヤーはマークがきつく(時に二人がかり)あまりボールに触らせてさえもらえないというのがあると思います。しかしヘディングでまだ点が入ることも比較的多いJリーグの試合では、そこまで「天才」がゲームの蚊帳の外に置かれることはなかったのかもしれません...。

考えてみれば攻撃のスタープレーヤーは目立ちますが、ディフェンスが強いチームというのは、これといったスーパースターは居ないような印象を受けるような気がします。穴があったらディフエンスが強いとはいえないからです。

そうなった場合、最初から「天才」はマークがきつく、二人も3人も(?)ディフエンスが張付いているため、チームの中でほとんど機能しないと考えて戦略を成り立たせるのが自然です。

「天才」の出番はもちろんあります。コーナーキックやフリーキックを確実に決めて得点に結びつけるという重要な役割があります。あるいは他の選手が追従しがたいスピードを持っているのであれば相手のゴールを脅かすチャンスもあるのではないかと思います。

しかし、全体の守りのレベルがあがっているのであれば、やはり「誰でも」がミドルシュートが打てるというのが最低の要求になっていくかもしれません。相手は非常に守りにくくなるからです。同じ意味で、背の非常に高い選手が何人かいたほうがいいということになるかもしれません。

このブログでオシム・シリーズがはじまったときは、オシムが何を目指しているのか全くわからなかったのですが、少しだけ見えてきたような気がします。

今回のW杯はロナウジーニョやロナウドも不振でベッカムも調子が悪く、いわゆるスーパースターがあまり活躍できなかった大会のような気もします。スーパースターがいて、司令塔型のサッカーというのを私はよく知らないのですが、全体の守りのレベルも上がっていることから、天才依存型のサッカーの時代というのは、終わりつつあるのかもしれません。
  • 2006/09/10-08:20:34
  • 投稿者 : ナイル
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[C3934] 訂正

過あらだが→体が

[C3933] >主役は誰?

オシムのやるサッカーは今まで誰も教えることないサッカーなのではないかと思いました。>「味方が動き出していないので、出せない」<これでは遅いのだと思います.これって,多くの人の状態かもしれないと思います.誰かが動いたら動く。。オシムはその動く人をまず作り出しているのだと思います。そうすることで、長年サッカーやってきた人達ですから,最初の動く1人を作ることで後は過あらだが勝手に反応したりするのかもと想像したりします。主役は誰?という事で言えば,全体であり、また、主役は常に入れ替わると言えるのではないかと思います。相手にしてみたら,何がなんだかわからないかもしれないと思います。面白そうだと思います。

[C3931] >主役は誰?

制御と自由というのをなんとなく考えてしまいました。

凄く主観ですが、トルシエ監督の時の日本代表はトルシエ監督の描いたサッカーを叩き込まれて実行している感じで、窮屈に感じあまり自由を感じませんでした。

また、ジーコ前日本代表監督は「自由」を掲げてサッカーをしていましたが、選手はどうしたら良いか分からず、経験と知識のある選手が何とかしようとしてメッセージを沢山発信していましたが逆に衝突したりしているようにも見え、みんなあまり楽しそうではなく窮屈そうに感じました。

オシム監督のサッカーは不思議です。経験と知識で制御をかけているように思えるのに、まるで窮屈に見えないのです。

私は経験や知識で自分に制限をかけることが嫌いじゃないです。また、自由を求めて技を磨くことも嫌いじゃないです。それをすると便利な時にそれを使うはとても有効だと思います。オシムはそのことをよく分かっていると思います。
しかし、それだけに固執しているとオシムのようなサッカーが生まれることは出来ない気がしました。

オシム監督は以前「私にとって、サッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない。」とインタビューに答えていますが、逃げられないということを悟っているからああいう瞬間から瞬間へ生まれかわっていくようなサッカーが生まれるのかもしれないと思いました。勘違いかもしれないし、上手く書けないですが(汗)
  • 2006/09/10-04:56:28
  • 投稿者 : ラボ
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[C3929] 終わったとき、誰が主役だったかわからなくなるからです

読んでいて なぜかスラムダンクのアニメを思い出しました。あのアニメは最後誰が主役なのかわからなくなります。爽快感のアニメだと思います。全国制覇もせず終わるにもかかわらずです。確か作者も続きを書く気もないと言っていました。最後 桜木も主役ではなかったと思います。ただバスケがしたいんです。と。
この、アニメみたいな ほんとに サッカーだけしている
チームになったこと自体が 全員が死闘の中でなぜか笑ってる感じが
爽快感なのかと思いました。
ピンポンて映画でもペコがドラゴンとの試合で白い天にのぼって ただ卓球だけを楽しむシーンがあります。ドラゴンは 此処はいいまたつれてきてくれと言います。負けることを怯えていたドラゴンがはじめて笑うんです。
そんな、アニメとか映画とかそんな世界を 現実におこしてしまったジェフ千葉
かっこよすぎます。涙でますよ。
勝つとか負けるとかに怯えていないで ただサッカーがしたいだけ 走って走って パスを出すだけ 死闘のなか
もう最後 だれのためとか なんのためとか
なかったと思いました。強いとか弱いとかもうなんにもない。ただサッカーがしたいだけ。
そんなジェフと試合ができたジュビロも幸せだったのではと思います。
  • 2006/09/10-04:12:46
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C3928] からっぽの駒

すごくリアルでスピード感のある描写でした。読んでいて自分がその中にいるようでドキドキしました。
最近初めてハンドルを手放すことの快感を実感したときと、この試合のスピード感が、はっきり自分の中で重なりました。だから、選手たちが感じた爽快感というのがどんなものだったのか、すごくよく分かります。
それは自分を完全に空っぽにして場と一体化する、最高の快感だと思います。ハンドルを手放して生きると、理屈でもたもた考えている暇さえないような感覚がありますが、この試合での選手たちも、ほとんど本能というか、生物反射だけで動いていたのだと思います。
その中ではもはや勝ち負けなど何の意味もなく、自分の存在さえ意味もなく、ただただ「サッカーを感じていた」という感覚だけだったのだろうと思います。天才プレーヤーは、自分のプレーに感じているのだと思いますが、サッカーそのものを感じることは出来ないはずです。それではサッカーの持つ美しさに触れることもないと思います。それは、すごくもったいない気がします。「自分がご主人」で生きているつまらなさと同じです。
ああ・・幸せって、やっぱりメイドになりきってしまうことだと思いました。

[C3927]

>まるで地面から人が湧き出てくるかのように2,3人と躊躇なく攻め上がっていく。
この文がすきだと思いました。躊躇なくというところが好きです。
 
>それでもいいのか、と皆は言った。
ココもきました。全員が鍵を手にしたと思いました。
 
> マイボールになってからの判断スピードが、自分でも驚くほど速くなっていた。いつまでも自分は走れる。労はいとわない。
ここの無敵感はもりけんさんみたいだと思いました。(勝手に想像☆)問いはマイボール。(私も私のマイボールが欲しい)描写を読みながら、イエメン戦を思い出しました。私は後半45分とかでゴールを決めたのに感動したのです。最後まであのペースだった。あのスピードだった。なにか考えてる(考えすぎてる)感じがしなかった。終りは意識されてたとは思うけどプレーにそれを感じなかった。ずっと走ってた。
 
>爽快感とは、個を解き放った時に訪れる感覚だと思うからです。
 
ハーフタイムにオシムは「考えすぎるな」といってるのがぐぐっときました。オシムは考えろと言うけど考えすぎるなとも言う。何を考えろといってるのか、なにを考えすぎるなといっているのか…サッカーの美しさってなんだろう、楽しさってなんだろう。オシムは集団として扱う、個はパーツです、でもなんか…お前個人に責任はないよ、負えるものも今更ないよ、って言われてる気がする。だけど全体を見ろ、だと思いました。サッカーの楽しさって(分らないけど)まるで全体が自分のように動いてく感じなんじゃないかと思いました。それは中にいてしか分らないかもしれないと思います。出したパスが思うようにひろわれていく、ゴールまで以心伝心していくかのように相手の裏をかいて伝わる、どこまでが自分か分らないような感じかと想像しました。だとしたら…ファンは…はいれないよなぁと思いました。その場にいたものにしか共有できないもんじゃないかと思いました。入り込むという事を思いました。そのとき個はジャマかもしれないと思います。

[C3926] 主役は誰?

これを読む限り・・サッカーは勝負じゃない、と思いました。
何か・・ボールの流れをすごく感じました。
主役は誰か・・誰だろうとゆう感じです。ゆうなれば、全体です。
観客も含まれている気がします・・。もしかしたら、その日のその場
とゆう感じかもしれません。
選手は強いも弱くもなく・・プレイに集中している姿が浮かびます。
ひたすら出来事の中に入り込んでいて、全体と一体化していて
その中の駒の動き・・とゆう感じがしました。
嗚呼・・文章も素晴らしいけど、この試合を観てないと
書けない文章だろうと思います・・。
勝ちにこだわった時、負けたかもしれない・・
負けてもいいと言われ・・普段のプレイが出来たのかも
しれない・・
オシム監督はやはりすごい監督だと思います。
よーーーーーく考えて言ってる言葉だと思います。
それは選手を奮起させる、とゆうよりも(それもあると思うけれど)
心にひっかかっているものがあれば、取り除く言葉のような気が
します。
そして空にさせている気がします。もしくは、中和させる言葉。
打ち消し合ってゼロ・・(もりけんさんがこんな言葉を言ってた
気がしますが)なんじゃないかと思います。
なんかまた深く感動しました。

[C3925] >主役は誰?

>個を解き放ったとき、強いも弱いも無いと思います。
 
>試合が終われば、何も残らないと思います。だから成田にファンは詰めかけません。プレーしたのは「全体」だからです。
 終わったとき、誰が主役だったか分からなくなるからです。
 
>だからこそ、パーツがパーツ以上の力を出せるのです。


すごい爽快感だと思いました・・


勝っていても負けていても、
サッカーをすること・・
プレーすることそのものが、とても楽しくて・・

からっぽになって、プレーを楽しんでいたんだと思いました。。

だから、サッカーが終わったあとは、
なんにも残らない・・

賞賛も無く、責任もない・・

なぜなら、すべてはプレーの中で完全燃焼されたのからだ思いました。




 
  • 2006/09/10-02:48:26
  • 投稿者 : あかり
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