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-件のコメント

[C4141] 死闘の終わり

もともと試合が引き分けになることを知っていたとしても、
彼は走ることを辞めなかったと思います。
そんな、運命どおり事をなぞって何がおもしろいというのでしょう。
それに走る事を辞めれば、自分とオシムを裏切る事だと思うのです。
たとえ、引き分けの結果があったとしても、走る事が生きるという事ではないかと思うのです。

「あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか」
この言葉の為に生きていると思います。

最後の走りがなければ、体中が震える程の思いは味わえなかったはず。この震える思いがあるから、走る事ができると思うのです。

[C4083] 勇人は走ったか

コインで引き分けを知っていても勇人選手は走っただろうか。をずっと考えています。やはり走ったのではないかと感じるのですが、何が彼を走らせたのか分からなかったです。ナカタもW杯の対ブラジル戦でなんで走るのというくらい走っていたと思います。だけど、引退が脳裏によぎっていて有終の美を飾ろうとする選手のような時間がない走りとは、勇人選手の走りは違うと思いました。W杯の日本代表を全員引退を感じた選手ばかりにしたとしても、勇人選手のような走りはなかったと思いました。昨夜のメインを読み、メイドの時間が勇人を走る起動になった。と読んでから、自分の意志とかだけで走ったわけではなかったんだ。とうっすら感じてきています。まだ、未来に広がる過去の蓄積についてしっかり分からないので、メインを読んだり、ブログにきたりしながらほんとにパスをしているように感じます。もっとメイドの時間について感じていきたいと思いました。
  • 2006/09/15-17:14:24
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4079] 運命の分岐点

>しかし勇人は、それで走ろうとする足を止めたでしょうか?
 
 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。
 
盲師派推命占術では、運命に分岐点があるようです。
どっちへ行くか、あるいはどれになるか、この分岐点は、六爻占術では、どう卦として出るのだろうとふっと思いました。そして、どうして、そっちへ流されて行くのだろうかと思いました。

勇人は、結果が分かっていたとしても、やはり走り続けたと思います。「運命を変えられたら・・・」、この思いは過ぎるかも知れませんが、主な動機にはならないでしょう。
勝負の世界は厳しいでしょう。でも結果だけをを見るような生き方では、プロのサッカー選手にはなれなかったと思います。

運命は決まっていても、ボールを追って走り続ける、「拾えるか?」「シュートできるか?」、ずっと問い続けています。

運命は決まっているけれど、この問いが分岐点を左右するかも知れないと思いました。

[C4069] >死闘の終わり

勝ってなんぼのプロの世界・・それも大一番の試合であっても、結果ではなく、そこにいたる過程を見ているオシム監督に感動しました。
たった5ヶ月という短い期間とはいえ、その間に、選手の中に、オシム監督のその考えはしっかり染み込んでいたのだと思います。
だから・・・負けていようが、引き分けていようが、最後の最後まで、最後の力を振り絞って、ひたすら走れたのではないかと思いました。

結果だけを見ている記者とオシム監督のやり取りに、とてもドキッとさせられます。
直接自分の意見をいうのではなく、相手に問い返すという形で、自分の意を伝え、その上、最後には笑いまでとる・・
試合直後にここまでできるのもすごいと思いました。

そして何より、そこできちっと選手を守ってることに、とても感動しました。

たぶん・・勇人選手は、勝っていようが負けていようが引き分けだろうが・・そしてそれが分かっていようが・・ただ、ひたすら走ったのではないかと思いました。
体は疲れているのに、なぜか湧き上がる爽快感に突き動かされ、よけいなことは考えず、最後まで走りきったのではないかと思います。

[C4060] >死闘の終わり

選手を駒にするのには、駒になる人に対して「この人の下であったら喜んで駒になりたい」と思わせる魅力、人徳が必要なのでしょうか、オシムの記者会見での「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」 といったフォローを見てそう感じさせられました。

> 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

オシム監督の下で駒として無我夢中で動きながらも、それがとてつもない爽快であり、試合の勝敗の運命を予め知っていたとしてもその状態では運命を勇人選手は受け入れているのではないかと思いました。

  • 2006/09/14-23:19:53
  • 投稿者 : おかだ
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[C4059] >死闘の終わり

自分がもしハーフタイムの時に、
「この試合の結果は決まっているよ。」と
誰かに言われたらどう感じるのか考えて見ました。

初めは「何を言ってるの?」と感じると思います。
そしてしばらくして、残り10分くらいになって、
「本当に引き分けかもしれない・・・」と思うと思います。
そして、残り5分くらいになって、
「引き分けだとしたら、バカバカしくてやってられない・・・」
と思い、「ここまで来れたのも、出会いや練習や試合も全て演出だったのか・・・」
と呆れて、完全にあきらめると思います。

しかし、残り3分くらいになって、「決まってたとしても楯突いてやろうじゃん!!!」
と思い、ゴールに向かって突進すると思います。
「やってらんね~よ!!!」と思いつつも、突っ走ると思います。

結果がどうとか、運命がどうとか相手が仲間が監督がサポーターがとか何も考えずに、
とりあえず全力を出すと思います。

  • 2006/09/14-23:05:44
  • 投稿者 : キュナード
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[C4057] >死闘の終わり

なんだかプロジェクトXを見ているようだと思いました。(じ~~~ん)
選手を駒のように扱いながら、声高に あらわにはしなくとも平等に愛情を持って見守る監督・・。
それに答えて、無我夢中に考えるより先に(多分)全力疾走する選手・・。
監督って、選手にこの人の為なら死ねる(ちょっとおおげさだけど)・・と思われる程でないとチームを引っ張っていけないのかもしれないと思いました・・。

ボールを追って走り回る爽快感の前に 勝ちたいという目的は あってないようなものだったと思います。

それまで選手にとって「試合に勝つ」ことがご主人さまでした・・。

しかしその日、ご主人様も自分もそして時間さえもが対等なメイドだったのを体感したのかもしれません。
自分がメイドなのに爽快感を味わうって、めったにないことだと思います。
  • 2006/09/14-22:28:40
  • 投稿者 : 空タネ
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[C4056] 理想を生きる

勝ちに行くことと、理想に向かっていくことはまったく別物だと思います。
これまで、
「理想と現実は違う」とか・・
「きれい事では世間に通用しない」とか・・
「大人になれ」とか・・
「世間はおまえが考えているより汚いんだ」とか
「上手に折り合いをつけなきゃ」とか
イヤというほど、聞かされてきました。
しかし・・なぜ理想を追ったら、いけないのでしょうか。
なぜ私は、大人にならないといけないのでしょうか。
「現実はきびしいからだ」
では、なぜ、現実が厳しければ、私が変節しなくてははならないのでしょうか?
「そうしないと、生きていけないでしょう?」
ならば、別に死んだっていいではないですか。
世間体と、常識と気配りの中で身をすり減らしつつ、なお自殺を選んでしまう人だってたくさんいます。
ならば私ひとりくらい、理想を語る青二才のままでくたばったっていいでしょう。
オシムのサッカーは、勝ちを追いかけるサッカーには見えません。理想を追いかけるサッカーをしているように見えます。
監督がそういう風ならば、選手もそういう風に動くはずです。
オシムは、ジェフを足がかりに、さらにステップアップして、ビッグクラブの監督に就任して・・というような成功の絵を描いてはいないと思います。
いつやめてもいいと思っているでしょう。
だから、理想のサッカーを追いかけることができると思います。
理想のサッカーとは、個をベースにしていないサッカーのことです。
本気でそれをやろうという人がいれば、ついてくる選手は必ずいると思いました。
心の底では、みんな、青臭い理想サッカーで燃えたいのではないでしょうか。
大人の分別と、プロ意識を働かせたサッカーなど本当は、やりたくないのではないでしょうか。
負けるとわかっていて、走る選手は、勝つためでなく、燃えるために走っている理想主義者だと思います。
勝ちを目指さすことなく燃えている人は、誰もが理想主義者だと思います。
  • 2006/09/14-21:39:36
  • 投稿者 : L.B.
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[C4055] >「魚でも肉でもない」

あれほどの死闘をした後に、この一言で済ませてしまえるとは、言い訳をしない世界に
身を置いているからだと思いました。
プロスポーツの世界は、イコール外側からの評価をされる世界でもあります。
結果オーライではなくて、途中の過程に命懸けになるのはリスクが大きいです。
しかしサッカーとはこんなにも美しい、さらには爽快感を味わうことができたのは、
終わりの結果に向かってボールを蹴ったのではなく、今という瞬間を広げたからだった
のかと思いました。
選手はサッカーの奴隷でもない、勝利のために服従するものでもない、ゴールを決める・
または外して失敗することも、途中の試合運びもすべて横一列に見ているのだとしたら、
オシム氏の問いとはどのような問いを持っているのかなと思いました。
  • 2006/09/14-21:24:59
  • 投稿者 : イーキン
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[C4053] >死闘の終わり

 仮に負けを知っていても走りつづけたと思います。自分のしていることするべきことだからです。自分の意志でサッカーというものを選んでピッチに立つているのに、それを走るのを止めたら自分を否定してしまうことになるのではないかと思ったからです。多分、自分だったら、負けてもなんとかみっともない試合だけはしたくないと思いながら走ると思いました。 
 運命をかえるかどうかについては、わかりません。勝ちたいと思う自分がいるだろうけど、変更して勝つことによって次に来るべき何かを失うかもしれないからです。それとチーム競技なので一人の意志で変えるのはあまりにもエゴかなと思ったりもしました。ただ勝負ごとなので、その場にいないと変更しないとまでは言い切れない自分がいます。
  • 2006/09/14-20:51:09
  • 投稿者 : yk
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[C4052] 駒だからこそ

>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。

ここまで読んでなんだかうるっと泣いてしまいました。
だから天才は不要なのかと思いました。

天才という突出したポジションがあるとそこにばかり注目が行きます。
縁の下の力持ちやミスしたものには無視や批判こそあれ、なかなかねぎらえなかったりするような気がします。
全員を同列にしかししっかりと見守ることは選手を駒にしないとできないのかもしれません。

>元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

彼ならその運命を最後の最後まで見届けてやろうとするように思います。
決められた結末を追い込むというか味わいつくすというか燃やし尽くすというか、運命をどこまでも自分のものとして体感しようとぶつかっていったような気がします。

その映像が浮かんでしまってまた泣きそうです。
ジェフは選手も知らずの内に運命自身と対峙していたような気がしました。

[C4051] >なぜ褒めてあげないのかと言われたよ

オシム監督から記者さんへの問いだと思いました。
これを受けた記者さんは、体が熱くなって佐藤選手にこのことを伝えずにはいられなったのだと思います。
この本を書いたのはどなたなのかまだ知りませんが、オシム監督と率いるチームへの思いがあふれた、なんて暖かい文章だろうと引き込まれます。
オシム監督の「一番ミスするのは通訳だ」は、通訳氏への深い信頼がうかがえるし、通訳氏を瞬間表舞台のスポットライトの下へ押し出したと思います。
オシム監督は父性愛ともいえそうな、選手たちにときには厳しく、そして余計なことから解き放ち大きく包み込むようなリードをされていると思います。
けれど、決して最高位に君臨して選手に命令するわけでも、マスコミに怒りを向けるわけでもなく、対等に皆を巻き込んでいるのを感じます。
居合わせた人の中には、それまでの自分のイメージを捨てきれないで反発する記事を書く人もいるようだけど、それよりも、オシム監督のやり方に好奇心をかき立てられ思わず奮起する記者さんの方が多いのではと思います。
もりけんさんが紹介してくださるそういう記事は、それまでサッカーニュースなど読んだことないものにもすごく面白いです。
通訳氏からマスコミと、間接的でもこんなに意外で新鮮、面白いオシム監督の言葉を、直に聞ける記者さんたちがうらやましいとさえ思います・・
なので、夜のひとりごとでもりけんさんが、どんなに感情の起伏を表現しようと、リアルタイムの貴重な場だという認識のもと、画面に張り付きたいと思います。
もりけんさんの足の写真を前にしたとき、同時にものすごくたくさんの人が思わず自分の足を観察したのだと思って、翌日、ものすごく思い出し笑いしてしまいました。
話を戻します・・オシム監督の下ならば、もう好きにしてくださいと、選手は喜んで駒になると思います。
こういう監督に巡り会えて良かったと、心から思っていられることと思います。
  • 2006/09/14-17:20:38
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4050]

フィールドにいたらどんなに疲れていても死んでもいいと思いながら走るんじゃないかな....

だから.シュートをミスした勇人選手に対するあのようなコメントがオシム監督の口からでたのかもと思います。

一番ミスするのは通訳....
アハハ。そうかも。通訳の仕方次第で書かれる記事の内容も変わりそうだし。
  • 2006/09/14-17:18:21
  • 投稿者 : 935
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[C4049] 決まっている運命って、

一体何だろうと思います。
引き分けが分かっていて適当にやる・・
変えてやろうと、必死に走る・・
そんなことでは全くない・・と思います。
決まっている運命(引き分け)に行きつくまでにある
物語や「その時」は、決まっている結果とは
ある場所が違うようなそんな気がしてなりません。
同じ次元ではないというのか・・。
決まっている運命があるなかでの、完全な
見事なまでのメイド化・・。
そしてそれを見ることが出来る、分かる監督・・。
スゴイ・・としか出てこないです。
  • 2006/09/14-15:12:23
  • 投稿者 : まる
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[C4048] >元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

勇人はただ走って、自分が透明になっていく感じがしたんだと思いました。その中に快感があった。
運命どうとか、結果どうとか関係なく、走るという方へ吸い込まれていくような感覚だったのではと思います。 
 
>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。

これを思ったとき、そのイメージの中では選手たちの横一線のライン上に、オシム監督も立っていたのではないかと思いました。同じラインに立って、同じ方向をみて、自分たちをどこまでも見てくれている。このことに気づいたら、ゲームという「場」のなかに、もっともっと吸い込まれるように思いました。信頼というか、母性愛のようなそういうものに、応えたいという「快」が、引っ張るように思いました。
  • 2006/09/14-15:04:26
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4047] 結果

瞬間瞬間を全力投球した時、結果というのは目的ではなくて付録にすぎないのではないかと思います。側面を見るとはそういう事かもしれないと思います。

[C4046] >死闘の終わり

> これを見た勇人は最期の力を振り絞って、攻め上がった。溜まった乳酸で筋肉は縮み、血管は押しつぶされる。疲労は極限に達していたが、再び長い距離を走破してペナルティボックスに走り込んだ。

ここには「何故そうするのか」も「誰かが見てくれているから」もないです。
あるのは「やりぬく」だけでなく、「チャンス到来」を誤りなく判断していることなのだと思います。
その判断は「考えるな」「考えろ」が渾然とした中から生まれるものなのかも知れません。

>「監督に、最後の佐藤のシュートが残念でしたね、と聞いたんだよ。そしたら『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』と言われたよ」

監督と選手のネットワークのつながりの深さの前では、サッカーを教えることが上手いとか、そうでないとかは、取るに足らないことと思います。
ここには能書きはどこにもないです。
頭に詰め込んだものがどこにもないです。
研ぎ澄まされ、純化したものとしか言いようがないです。

[C4044] 勇人選手

勇人選手は「何か」掴みたかったんじゃないかと思う。
これは憶測だけれど・・
双子だし、ずっと・・
何やっても「個」を見てくれる人がいなかったのかも
しれない。
なんでサッカーをはじめたのかは知らないけれど
でも・・何したって、自分が消えそうだったんじゃないか
って思います。
だから・・オシム監督と出会って、
自分が自分を強く感じたんだと思う。
自分は「勇人」なんだ・・ってそんな風に思えたから
走ったんじゃないかと思って。
自分の足で、自分が走っているとゆうことを
オシム監督から・・
オシム監督がそのままの自分を
勇人は勇人だって見てくれたから
走れたんじゃないかと思います。
オシム監督の為・・かわからない
そうでもあるし
自分の足で走っていることが
嬉しいのかもしれない・・そう思いました。

[C4043] >元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って

もともとの運命を知っても、自分が走らなかったら、引き分けにもならないかもしれない、と思います。自分が油断したために、相手チームに点が入って、引き分けの未来が破れたらどうするんだ‥引き分けの未来も、必死にやらないと、手に入らない未来かもしれない。必死にやってはじめて引き分けの未来なのかも、という気が、勇人さんはどうかわかりませんが、自分にはなんかそんな気がしてます。
コインを振って未来の運命が出たとして、でも、その運命を実現さそうと思わなくて、こうすればはずれるだろうと、運命をはずすであろうと思われる行動をしまくって、それでも運命どおりになっていくのかどうか‥。それでも運命どおりになるなら、ほんとに決まっていると思うのですが、でも、コインを振ると、なにかその運命を、自分がはずせないような気がしてしまいます。その運命を実現させないといけないような気持ちになって‥。自分がそんなことを思わなくても、運命どおりなのかもしれないですが‥。コインを振っても、自分の問いが元になってるので、自分の問いがたいして思ってもいないことを試みに、こんなことしてみたらどうか、と振ってみて、それが吉であっても、結局そのあと問いのとおりに行動しなければ、その吉は未来に存在しないわけで、そうすると、なにが自分のほんとの未来なのか、よくわからなくなったりします。
  • 2006/09/14-13:06:35
  • 投稿者 : リョウコ
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[C4042] 死闘の終わり

もし、私が勇人選手だったら
監督にこたえたい、その気持ちしかないと思う。
自分をちゃんと見てくれた監督だから
ただそれが嬉しかっただけじゃないかと思う。
ただそれにこたえたかったんじゃないのかなって思う。
ほんとの勇人の気持ち、
どうかは知らないけど、
ずっとなんか違う、って
思ってきてて・・
なんかどれも違うな・・
わからないけど
そんな風に思ってきたんじゃないかと思う。

でも監督は違った・・
自分を見てくれた
 
だから、この人にはこたえたい・・そうゆう気持ち
だったんじゃないかと思う。
私が勇人だったら、それで走ると思います。
運命でどうなろうと知ったこっちゃない・・




[C4041]

ミスについて責められず、しかも、なぜ褒めてあげないのか?・・・
「負けてもいい」というオシムの言葉を聞けば、自分だって結果がわかっていても、その人のために走り続けちゃうと思った。
  • 2006/09/14-12:54:07
  • 投稿者 : 文蔵
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[C4040] 死闘の終わり

オシムは選手の状態を誰よりも理解し結果に捕われることなく選手との関係を含めて試合を通じてサッカーの美を感じているかの様です。たとえ運命がガチガチに決まっていようと、走り込みのでしょう。変更できる、する、しないなどの目先に捕われず。走り続けることによって生きている今を実感しているのかもしれません。それは一人一人が代替可能な駒だと選手たちが理解してるかの様です。私たちはメイドなんだと。
  • 2006/09/14-12:15:06
  • 投稿者 : じんのり
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[C4039] 爽快感

ロスタイム、元気な者を投入して、
それに、答えようと必死に走ったヤツがいたことを
オシムは、どんなに喜んだかと思うと涙が出そうです。
結果、ゴールには結びつかなかったけれど、
その途中経過が重要なんだと思いました。
そのとき、結果を考えて走っていったとは
思えませんでした。
今は、走るときなんだ!と、ただそれだけで、
走りこんだように感じます。
読んでいるこちらにも、爽快感が広がりました。
  • 2006/09/14-10:56:34
  • 投稿者 : よねこ
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[C4038]

オシム監督と「わたしは一生百姓をやっていきます」といったトラさんとダブリました。。。。
なんと表現したらいいのかよくわからないけれど・・・・


いいんだよと言ってくれたご主人様のようでメイドはとても嬉しいです。。。。

うらないで結果を知っていたとしても「瞬間を生ききる」と思っていたと思います。

[C4037] >死闘の終わり

勇人はコインを振って引き分けと分かっていようがいまいが、あるいは、運命を変えられると知っていようがいまいが、関係なかったと思います。

勇人が走ったのは、チャンスが「来た!」から、シュートしたかったから、それだけだと思います。

彼が乗っている運命の流れに、任せるでもなく逆らうでもなく変更をかけるでもなく、運命そのものに考えを馳せる間もなく、「これだ!今だ!来たぞ!」のひらめきに瞬時に反応したのだと思います。

あらかじめ知っていても、瞬間の自分の内なる反応に身も心もゆだねたと思います。


  • 2006/09/14-10:25:09
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4036] >しかし勇人は、それで走ろうとする足を止めたでしょうか?

走ろうとすると思います。
でもそれがなぜかはわからない。
知りたい・・
  • 2006/09/14-10:21:58
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4035] 死闘の終わり

コメントをどうぞ
  • 2006/09/14-10:15:19
  • 投稿者 :
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[C4034] >勇人選手は、いままでだって無我夢中だったのではないですか?

はい、そう思います。
私は自分が他人のことを感じるときの感覚にあまり自信が無く、思い込みだと言われるのが怖くて、ああいう書き込みになってしまったんだと思います。

[C4033] >ただ、プロの選手がどうかはわかりませんが、自分がスポーツなどをしている時は大概夢中になってやっていると思います。

勇人選手は、いままでだって無我夢中だったのではないですか?
 

[C4032] >記者「・・・あります」

この一言にとても引きつけられます。
 
質問をされて逆に質問を返したのはオシムですが、記者は気まずい気分のまま
無言で次のオシムの言葉を待つことだって出来たと思います。
でもそうなっていたら、オシムの次の言葉はもっと辛辣だったかもしれません。
 
たった一言、それも思わず口から出た言葉かもしれません。
でもそれで双方向の会話になったように思いました。
 
これは記者会見に限らないんだと思います。
会話でも話し合いでも、話す以外の人間同士の関係でも、これが足りないんだ
と思いました。
  • 2006/09/14-09:02:23
  • 投稿者 : ぷく
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[C4031] >『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』

 
自分が言われたみたいにちょっと泣きそうになりました。
こんなに嬉しい言葉ってないと思います。
 
結果だけを見られているんじゃなく、状態を分かっていてくれて、動きの全てを見ていてくれているのが分かるのは、慰められたりするよりずっと嬉しいし心強いと思いました。
 
オシムは本人に直接言葉を掛けるつもりはなくても、選手全員の動きをしっかり見ているんだと思いました。
 
勝つという結果はすごく大事だと思います。
プロならば生活もかかっているから、そういう意味でも勝つのは大事だと思います。
 
でもそれだけではサッカーの試合に出続けることは出来ないんじゃないかと思いました。
 
ひとたびホイッスルが鳴れば、後は全力で向かっていくこと以外出来ないし、試合の中でしか味わえない何かがあるから、選手はみんなグラウンドに向かうのだと思いました。
  • 2006/09/14-09:01:02
  • 投稿者 : ぷく
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[C4030] >

> 「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」
>『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』
>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。
 
私なら…走ります。監督のその言動に答えるすべはそれしかないから。運命が決まっていてもなんだかこの気持ちにはかないません。だってどこの誰がこれほどまでに自分を見てくれるだろうかと思います。利用すべき相手でもなく、格下の駒でもなく…たぶんオシム自体が必死で生きてるのだと思います。いつも走って。誰よりもミスする自分を感じてるし、それでも走らなきゃいけないのを感じてるのだと思います。そして選手には言葉以外にも感じるものがあったんじゃないかと思いました。いつものオシムの言動からして。いっつもマジでぶつかってくるオシムだから…同じだけ走りたいと思うんじゃないかと思いました。
 
勇人は食らいついて走ったのだと思います。その言動(心情)をくんだオシムって…いつも戦略のために人の心情を見てるんじゃないと思いました。なんていうか…この人は見てるんだと思います。人間というものを。そして人間がどんなに弱くて、それでもどんなにあきらめないか、気持ちがあるか、生きてるか…知ってるんじゃないかと思います。なんか涙がでてきました。オシムって人はキレイごとで生きてないんじゃないかと思います。泥臭い生身の人間として生きてるんじゃないかと思います。オシムにとっては、サッカーもそういう人間の集まりがしてるのかなと思います。

[C4029] >死闘の終わり

> 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

僕には勇人さんが運命を変えてやろうと思うかは分かりません。。。
ただ、プロの選手がどうかはわかりませんが、自分がスポーツなどをしている時は大概夢中になってやっていると思います。目の前のスペースに走ったり、練習でやったこと言われたことを出せるようにとか、周りのチームメイトや相手選手のことを感じたり考えたりとか・・・
本当に集中(?)している時は自分の精神も含め環境とかに身を任せているような感じになります。

運命変更って変えてやろうと力んでいても変えられない印象があります。もし運命変更をしたらその場にいる本人の衝動自体が変わってしまうような・・・
だとしたら、勇人さんがそのプレーができるのはその一度だけではないでしょうか・・・
僕はそのシーンをもりけんさんのアップした文章とテレビのハイライトみたいなのでしか知りません。でも、文章から伝わってくるものはとても感動的なものです。もしも運命変更をしてその日の出来事が消えてしまうなら、惜しい気もします。

その場の中でプレーすることと運命変更って同時に起こりうるのでしょうか?運命変更は用意周到なイメージがあります。

もともと何も判らないですが、この世界がまた判らなくなってきました(汗)

[C4028]

>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。
 

オシム監督は、結果ではなく
すべての過程をみているのだと思いました。

>『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』

だから、オシムには、
ミスとか失敗とか責任とかはないのだと思いました。

生きていると、ミスをしたり、後悔をしたり、
責任を感じたりすることは多いですが、
そういう重いものをふっとばす力があると思いました。

だから爽快感があって・・

やれるだけやったことを肯定できると思いました。


>元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

まだ、想像がつかないです。
運命を知っていたとき、いったいどうなるのか・・


でもきっと、失敗というものがなくなり、
すべてを肯定して、走りきったと思います。
 

オシム監督に

>「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」

といわれて得た爽快感を、
誰にいわれなくても、自動的に感じるのかも。。
と思いました。

でも、もうひとつ思ったのが、
結果が決まっているサッカーの試合に臨むのだろうか・・
ということでした。

臨むのだとすれば、それは結果のためではない・・
ということです。

だとすれば、臨むことそのものが、
結果のため・・という枠がとっぱらわれて、

臨むことそのものが、
下位の問いになるかも。。と考えています。




 

  • 2006/09/14-06:48:59
  • 投稿者 : あかり
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[C4027] 運命は決まっている

> 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。
 
 もりけんさん、トラさんを通して運命は決まっていることを知りました、けれど頭では解ったつもりでも日々の私は、決まっている運命に身を任せようとはいきません、そのときを大切にしている感じがあります、その時間を「真剣」に生きている感じがあります。
 
 ただ1年前と確実に違うのは、「真剣」な自分は、「自分が原因」ではない、自力の結果では無くて、他力のお陰だと思えることです。
 
 私は、もりけんさんのオシム監督のプログで感動するのは、「ゴール」でない「結果」でない、「過程」が大切にされているからです。
 
 オシム監督が記者に言った「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」 の言葉に惚れます、そして、「過程をどう走るかです」とつながるのでと勝手に思っています。

[C4024] >死闘の終わり

記者会見の時、話の流れと雰囲気で自分の言った事が思うように伝わってなかったと気付き、通訳という言葉が出てきたのではないかと思いました。しかし、根本的に人間は誰でもミスするからかばい合うというのがあると思いました。オシム氏というのは温かい人だという印象です。選手に望むプレーというのもとにかく走るのも次々にプレーを続けて行くのも、そういう状態だとミスというのがほとんど浮かび上がってこないと思いました。いつでもフォロー体制ができているプレーという感じがします。そういう状態なら、ミスを恐れずどんどん行けそうに思います。
 

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死闘の終わり

 
 まずは前回載せた本の部分です。
 
**********************
 
 75分、サンドロが飛び出してついに勝ち越す。しかしジェビロも前年の王者。その1分後、ジブコピッチが上げたクロスに前田が合わせて2-2.
 
 騒然とする場内では今、目の前で行われている試合が、間違いなく今年のベストマッチであるという確信が広がり始めた。
 サポーターが燃える。チャントやコールが活性化する。
 お互いが引こうともせず、アグレッシブに打ち合うスペクタクルな戦いは、終わりが来ないような錯覚さえ起こさせた。
 
***********************
 
 きょうはこの続きです。
 
************************
 
 ロスタイム、オシムは羽生に代えて山岸を投入する。U-20代表に名を連ねるサイドアタッカーは、ピッチに降り立つや、すぐさま突破を図り、右からの扉をこじ開けた。
 
 これを見た勇人は最期の力を振り絞って、攻め上がった。溜まった乳酸で筋肉は縮み、血管は押しつぶされる。疲労は極限に達していたが、再び長い距離を走破してペナルティボックスに走り込んだ。
 
 来た!
 
 足下に山岸からの絶妙のクロスが届けられた。フリーだ。ただヒットをすれば勝利が来る。同時に優勝をほぼ手中に収めることができる。足を振る。決まったと思った。
 
 しかし。ボールに触りながらも、軌道は定まらなかった。
 黄色い悲鳴と水色の安堵の叫び。勇人は責任の重さと悔しさに天を仰いだ。
 
 ホイッスル。死闘は終わった。
 
 
 ジェフというチームにとっては初めて経験する報道陣の数。
 
記者「引き分けという結果についてはどう考えますか?」
 
オシム「魚でも肉でもない」
 
記者「○○がミスをしましたが」
 
 質問の意味を汲み取ると、オシムは即座に返した。
 
オシム「あなたは今までミスをしたことがありませんか?」
 
 怒らせてしまったのか。緊張した空気が瞬間、会見場に流れた。
 
記者「・・・あります」
 
オシム「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」
 
 場内は静まりかえる。
 
オシム「しかし一番ミスをするのは・・」
 
 ここで一泊置くと、笑って言った。
 
「通訳だ!」
 
 当の通訳にそう訳させている。爆発した笑いは止まらない。
 選手個人のミスをメディアの前で庇(かば)い、質問者を牽制する。その上で洒脱に笑わせて、雰囲気を柔和に戻す。
 緊張と緩和を操り、優勝を占う大一番の直後、大勢のベテラン記者を相手に会見を意のままにコントロールした。
 
 ミックスゾーンにいた勇人は、悔しくてたまらなかった。そこへ記者が話しかけた。
 
「監督に、最後の佐藤のシュートが残念でしたね、と聞いたんだよ。そしたら『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』と言われたよ」
 
 全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。
 
********************
 
 コインを振れば、この日の試合が引き分けることは、元々決まっていたものとして判断できるでしょう。
 しかし勇人は、それで走ろうとする足を止めたでしょうか?
 
 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。
 


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36件のコメント

[C4141] 死闘の終わり

もともと試合が引き分けになることを知っていたとしても、
彼は走ることを辞めなかったと思います。
そんな、運命どおり事をなぞって何がおもしろいというのでしょう。
それに走る事を辞めれば、自分とオシムを裏切る事だと思うのです。
たとえ、引き分けの結果があったとしても、走る事が生きるという事ではないかと思うのです。

「あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか」
この言葉の為に生きていると思います。

最後の走りがなければ、体中が震える程の思いは味わえなかったはず。この震える思いがあるから、走る事ができると思うのです。

[C4083] 勇人は走ったか

コインで引き分けを知っていても勇人選手は走っただろうか。をずっと考えています。やはり走ったのではないかと感じるのですが、何が彼を走らせたのか分からなかったです。ナカタもW杯の対ブラジル戦でなんで走るのというくらい走っていたと思います。だけど、引退が脳裏によぎっていて有終の美を飾ろうとする選手のような時間がない走りとは、勇人選手の走りは違うと思いました。W杯の日本代表を全員引退を感じた選手ばかりにしたとしても、勇人選手のような走りはなかったと思いました。昨夜のメインを読み、メイドの時間が勇人を走る起動になった。と読んでから、自分の意志とかだけで走ったわけではなかったんだ。とうっすら感じてきています。まだ、未来に広がる過去の蓄積についてしっかり分からないので、メインを読んだり、ブログにきたりしながらほんとにパスをしているように感じます。もっとメイドの時間について感じていきたいと思いました。
  • 2006/09/15-17:14:24
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4079] 運命の分岐点

>しかし勇人は、それで走ろうとする足を止めたでしょうか?
 
 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。
 
盲師派推命占術では、運命に分岐点があるようです。
どっちへ行くか、あるいはどれになるか、この分岐点は、六爻占術では、どう卦として出るのだろうとふっと思いました。そして、どうして、そっちへ流されて行くのだろうかと思いました。

勇人は、結果が分かっていたとしても、やはり走り続けたと思います。「運命を変えられたら・・・」、この思いは過ぎるかも知れませんが、主な動機にはならないでしょう。
勝負の世界は厳しいでしょう。でも結果だけをを見るような生き方では、プロのサッカー選手にはなれなかったと思います。

運命は決まっていても、ボールを追って走り続ける、「拾えるか?」「シュートできるか?」、ずっと問い続けています。

運命は決まっているけれど、この問いが分岐点を左右するかも知れないと思いました。

[C4069] >死闘の終わり

勝ってなんぼのプロの世界・・それも大一番の試合であっても、結果ではなく、そこにいたる過程を見ているオシム監督に感動しました。
たった5ヶ月という短い期間とはいえ、その間に、選手の中に、オシム監督のその考えはしっかり染み込んでいたのだと思います。
だから・・・負けていようが、引き分けていようが、最後の最後まで、最後の力を振り絞って、ひたすら走れたのではないかと思いました。

結果だけを見ている記者とオシム監督のやり取りに、とてもドキッとさせられます。
直接自分の意見をいうのではなく、相手に問い返すという形で、自分の意を伝え、その上、最後には笑いまでとる・・
試合直後にここまでできるのもすごいと思いました。

そして何より、そこできちっと選手を守ってることに、とても感動しました。

たぶん・・勇人選手は、勝っていようが負けていようが引き分けだろうが・・そしてそれが分かっていようが・・ただ、ひたすら走ったのではないかと思いました。
体は疲れているのに、なぜか湧き上がる爽快感に突き動かされ、よけいなことは考えず、最後まで走りきったのではないかと思います。

[C4060] >死闘の終わり

選手を駒にするのには、駒になる人に対して「この人の下であったら喜んで駒になりたい」と思わせる魅力、人徳が必要なのでしょうか、オシムの記者会見での「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」 といったフォローを見てそう感じさせられました。

> 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

オシム監督の下で駒として無我夢中で動きながらも、それがとてつもない爽快であり、試合の勝敗の運命を予め知っていたとしてもその状態では運命を勇人選手は受け入れているのではないかと思いました。

  • 2006/09/14-23:19:53
  • 投稿者 : おかだ
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[C4059] >死闘の終わり

自分がもしハーフタイムの時に、
「この試合の結果は決まっているよ。」と
誰かに言われたらどう感じるのか考えて見ました。

初めは「何を言ってるの?」と感じると思います。
そしてしばらくして、残り10分くらいになって、
「本当に引き分けかもしれない・・・」と思うと思います。
そして、残り5分くらいになって、
「引き分けだとしたら、バカバカしくてやってられない・・・」
と思い、「ここまで来れたのも、出会いや練習や試合も全て演出だったのか・・・」
と呆れて、完全にあきらめると思います。

しかし、残り3分くらいになって、「決まってたとしても楯突いてやろうじゃん!!!」
と思い、ゴールに向かって突進すると思います。
「やってらんね~よ!!!」と思いつつも、突っ走ると思います。

結果がどうとか、運命がどうとか相手が仲間が監督がサポーターがとか何も考えずに、
とりあえず全力を出すと思います。

  • 2006/09/14-23:05:44
  • 投稿者 : キュナード
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[C4057] >死闘の終わり

なんだかプロジェクトXを見ているようだと思いました。(じ~~~ん)
選手を駒のように扱いながら、声高に あらわにはしなくとも平等に愛情を持って見守る監督・・。
それに答えて、無我夢中に考えるより先に(多分)全力疾走する選手・・。
監督って、選手にこの人の為なら死ねる(ちょっとおおげさだけど)・・と思われる程でないとチームを引っ張っていけないのかもしれないと思いました・・。

ボールを追って走り回る爽快感の前に 勝ちたいという目的は あってないようなものだったと思います。

それまで選手にとって「試合に勝つ」ことがご主人さまでした・・。

しかしその日、ご主人様も自分もそして時間さえもが対等なメイドだったのを体感したのかもしれません。
自分がメイドなのに爽快感を味わうって、めったにないことだと思います。
  • 2006/09/14-22:28:40
  • 投稿者 : 空タネ
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[C4056] 理想を生きる

勝ちに行くことと、理想に向かっていくことはまったく別物だと思います。
これまで、
「理想と現実は違う」とか・・
「きれい事では世間に通用しない」とか・・
「大人になれ」とか・・
「世間はおまえが考えているより汚いんだ」とか
「上手に折り合いをつけなきゃ」とか
イヤというほど、聞かされてきました。
しかし・・なぜ理想を追ったら、いけないのでしょうか。
なぜ私は、大人にならないといけないのでしょうか。
「現実はきびしいからだ」
では、なぜ、現実が厳しければ、私が変節しなくてははならないのでしょうか?
「そうしないと、生きていけないでしょう?」
ならば、別に死んだっていいではないですか。
世間体と、常識と気配りの中で身をすり減らしつつ、なお自殺を選んでしまう人だってたくさんいます。
ならば私ひとりくらい、理想を語る青二才のままでくたばったっていいでしょう。
オシムのサッカーは、勝ちを追いかけるサッカーには見えません。理想を追いかけるサッカーをしているように見えます。
監督がそういう風ならば、選手もそういう風に動くはずです。
オシムは、ジェフを足がかりに、さらにステップアップして、ビッグクラブの監督に就任して・・というような成功の絵を描いてはいないと思います。
いつやめてもいいと思っているでしょう。
だから、理想のサッカーを追いかけることができると思います。
理想のサッカーとは、個をベースにしていないサッカーのことです。
本気でそれをやろうという人がいれば、ついてくる選手は必ずいると思いました。
心の底では、みんな、青臭い理想サッカーで燃えたいのではないでしょうか。
大人の分別と、プロ意識を働かせたサッカーなど本当は、やりたくないのではないでしょうか。
負けるとわかっていて、走る選手は、勝つためでなく、燃えるために走っている理想主義者だと思います。
勝ちを目指さすことなく燃えている人は、誰もが理想主義者だと思います。
  • 2006/09/14-21:39:36
  • 投稿者 : L.B.
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[C4055] >「魚でも肉でもない」

あれほどの死闘をした後に、この一言で済ませてしまえるとは、言い訳をしない世界に
身を置いているからだと思いました。
プロスポーツの世界は、イコール外側からの評価をされる世界でもあります。
結果オーライではなくて、途中の過程に命懸けになるのはリスクが大きいです。
しかしサッカーとはこんなにも美しい、さらには爽快感を味わうことができたのは、
終わりの結果に向かってボールを蹴ったのではなく、今という瞬間を広げたからだった
のかと思いました。
選手はサッカーの奴隷でもない、勝利のために服従するものでもない、ゴールを決める・
または外して失敗することも、途中の試合運びもすべて横一列に見ているのだとしたら、
オシム氏の問いとはどのような問いを持っているのかなと思いました。
  • 2006/09/14-21:24:59
  • 投稿者 : イーキン
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[C4053] >死闘の終わり

 仮に負けを知っていても走りつづけたと思います。自分のしていることするべきことだからです。自分の意志でサッカーというものを選んでピッチに立つているのに、それを走るのを止めたら自分を否定してしまうことになるのではないかと思ったからです。多分、自分だったら、負けてもなんとかみっともない試合だけはしたくないと思いながら走ると思いました。 
 運命をかえるかどうかについては、わかりません。勝ちたいと思う自分がいるだろうけど、変更して勝つことによって次に来るべき何かを失うかもしれないからです。それとチーム競技なので一人の意志で変えるのはあまりにもエゴかなと思ったりもしました。ただ勝負ごとなので、その場にいないと変更しないとまでは言い切れない自分がいます。
  • 2006/09/14-20:51:09
  • 投稿者 : yk
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[C4052] 駒だからこそ

>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。

ここまで読んでなんだかうるっと泣いてしまいました。
だから天才は不要なのかと思いました。

天才という突出したポジションがあるとそこにばかり注目が行きます。
縁の下の力持ちやミスしたものには無視や批判こそあれ、なかなかねぎらえなかったりするような気がします。
全員を同列にしかししっかりと見守ることは選手を駒にしないとできないのかもしれません。

>元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

彼ならその運命を最後の最後まで見届けてやろうとするように思います。
決められた結末を追い込むというか味わいつくすというか燃やし尽くすというか、運命をどこまでも自分のものとして体感しようとぶつかっていったような気がします。

その映像が浮かんでしまってまた泣きそうです。
ジェフは選手も知らずの内に運命自身と対峙していたような気がしました。

[C4051] >なぜ褒めてあげないのかと言われたよ

オシム監督から記者さんへの問いだと思いました。
これを受けた記者さんは、体が熱くなって佐藤選手にこのことを伝えずにはいられなったのだと思います。
この本を書いたのはどなたなのかまだ知りませんが、オシム監督と率いるチームへの思いがあふれた、なんて暖かい文章だろうと引き込まれます。
オシム監督の「一番ミスするのは通訳だ」は、通訳氏への深い信頼がうかがえるし、通訳氏を瞬間表舞台のスポットライトの下へ押し出したと思います。
オシム監督は父性愛ともいえそうな、選手たちにときには厳しく、そして余計なことから解き放ち大きく包み込むようなリードをされていると思います。
けれど、決して最高位に君臨して選手に命令するわけでも、マスコミに怒りを向けるわけでもなく、対等に皆を巻き込んでいるのを感じます。
居合わせた人の中には、それまでの自分のイメージを捨てきれないで反発する記事を書く人もいるようだけど、それよりも、オシム監督のやり方に好奇心をかき立てられ思わず奮起する記者さんの方が多いのではと思います。
もりけんさんが紹介してくださるそういう記事は、それまでサッカーニュースなど読んだことないものにもすごく面白いです。
通訳氏からマスコミと、間接的でもこんなに意外で新鮮、面白いオシム監督の言葉を、直に聞ける記者さんたちがうらやましいとさえ思います・・
なので、夜のひとりごとでもりけんさんが、どんなに感情の起伏を表現しようと、リアルタイムの貴重な場だという認識のもと、画面に張り付きたいと思います。
もりけんさんの足の写真を前にしたとき、同時にものすごくたくさんの人が思わず自分の足を観察したのだと思って、翌日、ものすごく思い出し笑いしてしまいました。
話を戻します・・オシム監督の下ならば、もう好きにしてくださいと、選手は喜んで駒になると思います。
こういう監督に巡り会えて良かったと、心から思っていられることと思います。
  • 2006/09/14-17:20:38
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4050]

フィールドにいたらどんなに疲れていても死んでもいいと思いながら走るんじゃないかな....

だから.シュートをミスした勇人選手に対するあのようなコメントがオシム監督の口からでたのかもと思います。

一番ミスするのは通訳....
アハハ。そうかも。通訳の仕方次第で書かれる記事の内容も変わりそうだし。
  • 2006/09/14-17:18:21
  • 投稿者 : 935
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[C4049] 決まっている運命って、

一体何だろうと思います。
引き分けが分かっていて適当にやる・・
変えてやろうと、必死に走る・・
そんなことでは全くない・・と思います。
決まっている運命(引き分け)に行きつくまでにある
物語や「その時」は、決まっている結果とは
ある場所が違うようなそんな気がしてなりません。
同じ次元ではないというのか・・。
決まっている運命があるなかでの、完全な
見事なまでのメイド化・・。
そしてそれを見ることが出来る、分かる監督・・。
スゴイ・・としか出てこないです。
  • 2006/09/14-15:12:23
  • 投稿者 : まる
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[C4048] >元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

勇人はただ走って、自分が透明になっていく感じがしたんだと思いました。その中に快感があった。
運命どうとか、結果どうとか関係なく、走るという方へ吸い込まれていくような感覚だったのではと思います。 
 
>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。

これを思ったとき、そのイメージの中では選手たちの横一線のライン上に、オシム監督も立っていたのではないかと思いました。同じラインに立って、同じ方向をみて、自分たちをどこまでも見てくれている。このことに気づいたら、ゲームという「場」のなかに、もっともっと吸い込まれるように思いました。信頼というか、母性愛のようなそういうものに、応えたいという「快」が、引っ張るように思いました。
  • 2006/09/14-15:04:26
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4047] 結果

瞬間瞬間を全力投球した時、結果というのは目的ではなくて付録にすぎないのではないかと思います。側面を見るとはそういう事かもしれないと思います。

[C4046] >死闘の終わり

> これを見た勇人は最期の力を振り絞って、攻め上がった。溜まった乳酸で筋肉は縮み、血管は押しつぶされる。疲労は極限に達していたが、再び長い距離を走破してペナルティボックスに走り込んだ。

ここには「何故そうするのか」も「誰かが見てくれているから」もないです。
あるのは「やりぬく」だけでなく、「チャンス到来」を誤りなく判断していることなのだと思います。
その判断は「考えるな」「考えろ」が渾然とした中から生まれるものなのかも知れません。

>「監督に、最後の佐藤のシュートが残念でしたね、と聞いたんだよ。そしたら『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』と言われたよ」

監督と選手のネットワークのつながりの深さの前では、サッカーを教えることが上手いとか、そうでないとかは、取るに足らないことと思います。
ここには能書きはどこにもないです。
頭に詰め込んだものがどこにもないです。
研ぎ澄まされ、純化したものとしか言いようがないです。

[C4044] 勇人選手

勇人選手は「何か」掴みたかったんじゃないかと思う。
これは憶測だけれど・・
双子だし、ずっと・・
何やっても「個」を見てくれる人がいなかったのかも
しれない。
なんでサッカーをはじめたのかは知らないけれど
でも・・何したって、自分が消えそうだったんじゃないか
って思います。
だから・・オシム監督と出会って、
自分が自分を強く感じたんだと思う。
自分は「勇人」なんだ・・ってそんな風に思えたから
走ったんじゃないかと思って。
自分の足で、自分が走っているとゆうことを
オシム監督から・・
オシム監督がそのままの自分を
勇人は勇人だって見てくれたから
走れたんじゃないかと思います。
オシム監督の為・・かわからない
そうでもあるし
自分の足で走っていることが
嬉しいのかもしれない・・そう思いました。

[C4043] >元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って

もともとの運命を知っても、自分が走らなかったら、引き分けにもならないかもしれない、と思います。自分が油断したために、相手チームに点が入って、引き分けの未来が破れたらどうするんだ‥引き分けの未来も、必死にやらないと、手に入らない未来かもしれない。必死にやってはじめて引き分けの未来なのかも、という気が、勇人さんはどうかわかりませんが、自分にはなんかそんな気がしてます。
コインを振って未来の運命が出たとして、でも、その運命を実現さそうと思わなくて、こうすればはずれるだろうと、運命をはずすであろうと思われる行動をしまくって、それでも運命どおりになっていくのかどうか‥。それでも運命どおりになるなら、ほんとに決まっていると思うのですが、でも、コインを振ると、なにかその運命を、自分がはずせないような気がしてしまいます。その運命を実現させないといけないような気持ちになって‥。自分がそんなことを思わなくても、運命どおりなのかもしれないですが‥。コインを振っても、自分の問いが元になってるので、自分の問いがたいして思ってもいないことを試みに、こんなことしてみたらどうか、と振ってみて、それが吉であっても、結局そのあと問いのとおりに行動しなければ、その吉は未来に存在しないわけで、そうすると、なにが自分のほんとの未来なのか、よくわからなくなったりします。
  • 2006/09/14-13:06:35
  • 投稿者 : リョウコ
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[C4042] 死闘の終わり

もし、私が勇人選手だったら
監督にこたえたい、その気持ちしかないと思う。
自分をちゃんと見てくれた監督だから
ただそれが嬉しかっただけじゃないかと思う。
ただそれにこたえたかったんじゃないのかなって思う。
ほんとの勇人の気持ち、
どうかは知らないけど、
ずっとなんか違う、って
思ってきてて・・
なんかどれも違うな・・
わからないけど
そんな風に思ってきたんじゃないかと思う。

でも監督は違った・・
自分を見てくれた
 
だから、この人にはこたえたい・・そうゆう気持ち
だったんじゃないかと思う。
私が勇人だったら、それで走ると思います。
運命でどうなろうと知ったこっちゃない・・




[C4041]

ミスについて責められず、しかも、なぜ褒めてあげないのか?・・・
「負けてもいい」というオシムの言葉を聞けば、自分だって結果がわかっていても、その人のために走り続けちゃうと思った。
  • 2006/09/14-12:54:07
  • 投稿者 : 文蔵
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[C4040] 死闘の終わり

オシムは選手の状態を誰よりも理解し結果に捕われることなく選手との関係を含めて試合を通じてサッカーの美を感じているかの様です。たとえ運命がガチガチに決まっていようと、走り込みのでしょう。変更できる、する、しないなどの目先に捕われず。走り続けることによって生きている今を実感しているのかもしれません。それは一人一人が代替可能な駒だと選手たちが理解してるかの様です。私たちはメイドなんだと。
  • 2006/09/14-12:15:06
  • 投稿者 : じんのり
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[C4039] 爽快感

ロスタイム、元気な者を投入して、
それに、答えようと必死に走ったヤツがいたことを
オシムは、どんなに喜んだかと思うと涙が出そうです。
結果、ゴールには結びつかなかったけれど、
その途中経過が重要なんだと思いました。
そのとき、結果を考えて走っていったとは
思えませんでした。
今は、走るときなんだ!と、ただそれだけで、
走りこんだように感じます。
読んでいるこちらにも、爽快感が広がりました。
  • 2006/09/14-10:56:34
  • 投稿者 : よねこ
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[C4038]

オシム監督と「わたしは一生百姓をやっていきます」といったトラさんとダブリました。。。。
なんと表現したらいいのかよくわからないけれど・・・・


いいんだよと言ってくれたご主人様のようでメイドはとても嬉しいです。。。。

うらないで結果を知っていたとしても「瞬間を生ききる」と思っていたと思います。

[C4037] >死闘の終わり

勇人はコインを振って引き分けと分かっていようがいまいが、あるいは、運命を変えられると知っていようがいまいが、関係なかったと思います。

勇人が走ったのは、チャンスが「来た!」から、シュートしたかったから、それだけだと思います。

彼が乗っている運命の流れに、任せるでもなく逆らうでもなく変更をかけるでもなく、運命そのものに考えを馳せる間もなく、「これだ!今だ!来たぞ!」のひらめきに瞬時に反応したのだと思います。

あらかじめ知っていても、瞬間の自分の内なる反応に身も心もゆだねたと思います。


  • 2006/09/14-10:25:09
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4036] >しかし勇人は、それで走ろうとする足を止めたでしょうか?

走ろうとすると思います。
でもそれがなぜかはわからない。
知りたい・・
  • 2006/09/14-10:21:58
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4035] 死闘の終わり

コメントをどうぞ
  • 2006/09/14-10:15:19
  • 投稿者 :
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[C4034] >勇人選手は、いままでだって無我夢中だったのではないですか?

はい、そう思います。
私は自分が他人のことを感じるときの感覚にあまり自信が無く、思い込みだと言われるのが怖くて、ああいう書き込みになってしまったんだと思います。

[C4033] >ただ、プロの選手がどうかはわかりませんが、自分がスポーツなどをしている時は大概夢中になってやっていると思います。

勇人選手は、いままでだって無我夢中だったのではないですか?
 

[C4032] >記者「・・・あります」

この一言にとても引きつけられます。
 
質問をされて逆に質問を返したのはオシムですが、記者は気まずい気分のまま
無言で次のオシムの言葉を待つことだって出来たと思います。
でもそうなっていたら、オシムの次の言葉はもっと辛辣だったかもしれません。
 
たった一言、それも思わず口から出た言葉かもしれません。
でもそれで双方向の会話になったように思いました。
 
これは記者会見に限らないんだと思います。
会話でも話し合いでも、話す以外の人間同士の関係でも、これが足りないんだ
と思いました。
  • 2006/09/14-09:02:23
  • 投稿者 : ぷく
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[C4031] >『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』

 
自分が言われたみたいにちょっと泣きそうになりました。
こんなに嬉しい言葉ってないと思います。
 
結果だけを見られているんじゃなく、状態を分かっていてくれて、動きの全てを見ていてくれているのが分かるのは、慰められたりするよりずっと嬉しいし心強いと思いました。
 
オシムは本人に直接言葉を掛けるつもりはなくても、選手全員の動きをしっかり見ているんだと思いました。
 
勝つという結果はすごく大事だと思います。
プロならば生活もかかっているから、そういう意味でも勝つのは大事だと思います。
 
でもそれだけではサッカーの試合に出続けることは出来ないんじゃないかと思いました。
 
ひとたびホイッスルが鳴れば、後は全力で向かっていくこと以外出来ないし、試合の中でしか味わえない何かがあるから、選手はみんなグラウンドに向かうのだと思いました。
  • 2006/09/14-09:01:02
  • 投稿者 : ぷく
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[C4030] >

> 「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」
>『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』
>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。
 
私なら…走ります。監督のその言動に答えるすべはそれしかないから。運命が決まっていてもなんだかこの気持ちにはかないません。だってどこの誰がこれほどまでに自分を見てくれるだろうかと思います。利用すべき相手でもなく、格下の駒でもなく…たぶんオシム自体が必死で生きてるのだと思います。いつも走って。誰よりもミスする自分を感じてるし、それでも走らなきゃいけないのを感じてるのだと思います。そして選手には言葉以外にも感じるものがあったんじゃないかと思いました。いつものオシムの言動からして。いっつもマジでぶつかってくるオシムだから…同じだけ走りたいと思うんじゃないかと思いました。
 
勇人は食らいついて走ったのだと思います。その言動(心情)をくんだオシムって…いつも戦略のために人の心情を見てるんじゃないと思いました。なんていうか…この人は見てるんだと思います。人間というものを。そして人間がどんなに弱くて、それでもどんなにあきらめないか、気持ちがあるか、生きてるか…知ってるんじゃないかと思います。なんか涙がでてきました。オシムって人はキレイごとで生きてないんじゃないかと思います。泥臭い生身の人間として生きてるんじゃないかと思います。オシムにとっては、サッカーもそういう人間の集まりがしてるのかなと思います。

[C4029] >死闘の終わり

> 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

僕には勇人さんが運命を変えてやろうと思うかは分かりません。。。
ただ、プロの選手がどうかはわかりませんが、自分がスポーツなどをしている時は大概夢中になってやっていると思います。目の前のスペースに走ったり、練習でやったこと言われたことを出せるようにとか、周りのチームメイトや相手選手のことを感じたり考えたりとか・・・
本当に集中(?)している時は自分の精神も含め環境とかに身を任せているような感じになります。

運命変更って変えてやろうと力んでいても変えられない印象があります。もし運命変更をしたらその場にいる本人の衝動自体が変わってしまうような・・・
だとしたら、勇人さんがそのプレーができるのはその一度だけではないでしょうか・・・
僕はそのシーンをもりけんさんのアップした文章とテレビのハイライトみたいなのでしか知りません。でも、文章から伝わってくるものはとても感動的なものです。もしも運命変更をしてその日の出来事が消えてしまうなら、惜しい気もします。

その場の中でプレーすることと運命変更って同時に起こりうるのでしょうか?運命変更は用意周到なイメージがあります。

もともと何も判らないですが、この世界がまた判らなくなってきました(汗)

[C4028]

>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。
 

オシム監督は、結果ではなく
すべての過程をみているのだと思いました。

>『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』

だから、オシムには、
ミスとか失敗とか責任とかはないのだと思いました。

生きていると、ミスをしたり、後悔をしたり、
責任を感じたりすることは多いですが、
そういう重いものをふっとばす力があると思いました。

だから爽快感があって・・

やれるだけやったことを肯定できると思いました。


>元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。

まだ、想像がつかないです。
運命を知っていたとき、いったいどうなるのか・・


でもきっと、失敗というものがなくなり、
すべてを肯定して、走りきったと思います。
 

オシム監督に

>「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」

といわれて得た爽快感を、
誰にいわれなくても、自動的に感じるのかも。。
と思いました。

でも、もうひとつ思ったのが、
結果が決まっているサッカーの試合に臨むのだろうか・・
ということでした。

臨むのだとすれば、それは結果のためではない・・
ということです。

だとすれば、臨むことそのものが、
結果のため・・という枠がとっぱらわれて、

臨むことそのものが、
下位の問いになるかも。。と考えています。




 

  • 2006/09/14-06:48:59
  • 投稿者 : あかり
  • URL
  • 編集

[C4027] 運命は決まっている

> 元々の運命を知っていたとして、勇人は運命を変えてやろうと思って走ったでしょうか・・。
 
 もりけんさん、トラさんを通して運命は決まっていることを知りました、けれど頭では解ったつもりでも日々の私は、決まっている運命に身を任せようとはいきません、そのときを大切にしている感じがあります、その時間を「真剣」に生きている感じがあります。
 
 ただ1年前と確実に違うのは、「真剣」な自分は、「自分が原因」ではない、自力の結果では無くて、他力のお陰だと思えることです。
 
 私は、もりけんさんのオシム監督のプログで感動するのは、「ゴール」でない「結果」でない、「過程」が大切にされているからです。
 
 オシム監督が記者に言った「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」 の言葉に惚れます、そして、「過程をどう走るかです」とつながるのでと勝手に思っています。

[C4024] >死闘の終わり

記者会見の時、話の流れと雰囲気で自分の言った事が思うように伝わってなかったと気付き、通訳という言葉が出てきたのではないかと思いました。しかし、根本的に人間は誰でもミスするからかばい合うというのがあると思いました。オシム氏というのは温かい人だという印象です。選手に望むプレーというのもとにかく走るのも次々にプレーを続けて行くのも、そういう状態だとミスというのがほとんど浮かび上がってこないと思いました。いつでもフォロー体制ができているプレーという感じがします。そういう状態なら、ミスを恐れずどんどん行けそうに思います。
 

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