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-件のコメント

[C4331] 「創造性」と「中心」

オシム監督は全員で攻めて、守って、走るというサッカーをかんがえていると思います。
日本にあったサッカーをやると聞いているので、
全員サッカーが日本人にはあっているという判断でしょう。
日本人レベルのファンタジスタではとても世界に通用しない事も私たちでもわかっています。

しかし、全員サッカーが出来れば、世界に通用するかもしれません。

それには、創造性や中心はいらないのでしょう。
返って、邪魔になると思います。

[C4278] 「創造性」と「中心」

>ひとりが創造性を発揮されても困るのです。
 >ひとりが中心となられても困るのです。

1人だけ花形がいるというのは、他が引けるということになると思います。
1人を中心に回るサッカー。。他の選手はここまでやればいいというルールを勝手に作ってしまいそうです。
分業的なサッカーになってしまったら
全体の快はありえないと思います。
オシムって秀でた人を作るなんてこととは間逆のサッカーをしたいのだと思いました。個なんてとっくに手放しているのだなって思います。

  • 2006/09/21-01:40:44
  • 投稿者 : Ciel
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[C4263] (たまちゃんカップ時計!)

かわいいです。気になります。
  • 2006/09/20-18:02:55
  • 投稿者 : マリ
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[C4262] 全体のパワーというのは

ものすごい、気がしました。
弱いのに、何にも依存していないから・・・
ひとりが中心になるパワーは、依存だという気がしました。

依存から生まれるものは、責任転嫁・・・
と書こうとして、そうすると代替可能とは矛盾しそうな気が
してきてしまいました・・。

依存→責任転嫁→もしくは目指すもの→裏切られる、裏切られないの感覚が生まれる・・
のように考えると、代替可能と駒という概念は、
裏切りとは無縁なのかもしれないと思いました。


なんか限りなくそれてきた気がします
  • 2006/09/20-18:01:37
  • 投稿者 : マリ
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[C4232] 全体が得意とは

大陸的発想ではなく、ものすごい上とものすごい下の差があまりなく、島国としての平均的能力といいますか、駒や歯車としてものすごく莫大なエネルギーを発する国なのかもしれないと思いました。オシムはその国に一番適した判断をくだせる人なのかもしれないと感じました。
  • 2006/09/19-19:34:39
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4231] オシムの欲しかったものは

創造の反意語が分からないのですが、感覚として、今までの日本人サッカーの概念を破壊したかったのではないか、突破口をみいだしたかったのではないかと感じました。そしてそれは中心とかではなく、全体でやらなければ無理とふんだのではないかと感じました。もっともっと複雑だと思いますが、オシムは日本にすべて置き換えて考えると言っていたのを何かで読んだのですが、ほんとは日本は中心よりも全体が得意な民族なのではないかと感じました。
  • 2006/09/19-19:20:25
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4213] >「創造性」と「中心」


スター選手がいるということは、中心が固定化されていることでしょう。固定化されるということは、流動性がなくなり、
停滞につながると思います。

中心がないということは、誰でも中心になりえるし、脇役にもなりえると思います。つまり、機会均等。

でも、人間の運命を考えると、「中心」が存在して、運命が固定がされているような気がしてなりません。

「中心」という存在に運の強さを集中的に与えているように思えます。 

だから、「好運」と「悪運」が存在するのでしょう。                                                                                                     

  • 2006/09/18-23:17:59
  • 投稿者 : ばなな
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[C4208] >「創造性」と「中心」

世の中には、中心があることが良いという考えがあります。
スポーツでは、攻撃の中心になる選手、守備の要になる選手という表現をします。
この場合、この選手によってゲームがコントロールされていくことになります。
当たり前の事のように考えられていますが、見方を変えればこの選手はチームの
短所になるのだと思います。
 
対戦相手は中心になる選手に照準を合わせます。
その選手を押さえれば勝ち、押さえきれなければ負けという図式です。
 
とてもわかりやすいです。
そして、中心選手の良し悪しで勝負が決まると言うことは、リスキーでもあります。
 
オシムのサッカーはこのリスクを回避するサッカーなのかもしれません。
中心がどこにもない、もしくは軸がいくつもある、対戦相手には対策の取りようがありません。
 
マスコミの側も、中心を探すということに慣れてしまっているので、
オシムのメンバー構成の意味するところが、まだわかっていないのかも知れません。
 
  • 2006/09/18-20:36:55
  • 投稿者 : 福
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[C4204] 「いつものビールじゃない!」と怒る客

>創造性あふれるプレーで攻撃の中心となり、ゴールへの道を明るく照らすことのできる

とは、従来の「サッカーの楽しみ方醍醐味その一」みたいな気がしました。
というかこういう「感じ方」が定番であるかのような口調だと思います。

スタープレーヤーがすごい技で鮮やかにゴールを決めるのが定番
文章から、オシムジャパンのサッカーはスカッとしないことが多いというか、定番の感じ方ができないがゆえの苛立ちを感じました。

敢えて例えていうなら、居酒屋で頼んで出てきた飲み物がビールだけどもいつものビールの感じがしなくてなんか気持ち悪い、いらつくという感じに思えてしまいました。

オシム監督のチーム作りは多分状況を攻めていった上での選択である気がします。
思いついたからこうしようではなく。

本当の意味で構造改革をしてしまっているから、サッカーの楽しみ方も必然的に変わらざるえない気がしました。

[C4202] >「創造性」と「中心」

海外組の中で「松井」は入れる予定だと、オシムが記者会見で言っているのを以前見ました。
松井というのはフランスチームにいる選手らしいですが、海外組で唯一レギュラーで出ている選手だそうです。
中村俊輔とかは騒がれているわりにはレギュラーじゃないんだなと思いました(最近はどうなのか知りませんが)。
おそらくオシムは国内外をとわず、運動量が多くて功守ともにできる選手、つまり駒になれる選手を探しているのだろうと思いました。
オシムはことあるごとに、サッカーはチームプレイだ、集団で行うスポーツだと言っています。
創造性や中心はチームプレイを阻害すると思います。
  • 2006/09/18-13:58:52
  • 投稿者 : くるみ
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[C4198] 「創造性」と「中心」で跳ね上がるのはギャラだけ

「創造性」と「中心」を問題は、プレイヤー個人のギャラには大きく響きますが、チームの勝敗には、決定的な影響にならないというのが、今回のワールドカップの例えばブラジルチームを通して目に見えたんではないかと、思います。

時空解明でも、飛びぬけた個が布を引っ張るかのように、全体を持ち上げることがありうるかもしれないと、考えてたことがありました。

個を中心にした結束力は、サッカーチームの例えば攻撃力を上げるといった強化はできるでしょうが、サッカーチームをブロード化することはできなそうです。


サッカーに限らず、すごい力をもつ個が組織を救うという発想は、多いと思います。
そう思って、組織内でがんばる人も多いと思います
  • 2006/09/18-11:15:59
  • 投稿者 : テクノン
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[C4187]

サッカー雑誌のトップ記事にこういう内容が取り上げられるということは、多くのサッカーファンや記者たちが、天才と呼ばれる人たちがなぜ代表に呼ばれないのか・・呼ばれて欲しい・・彼らのプレーが見たい・・そう思ってるのかもしれないと思いました。

夫もしかり・・ですe-263
先日、中村俊輔選手が、すごいシュートをしたそうです。
まだ、代表から外れた天才たちに未練のある夫は「やっぱりこれが日本代表のシュートや!」などといってました・・(汗)
個人技を見たいなら、別に日本代表の場でなくてもいいはずです。
でも、なぜか「代表」の場でのプレーが見たいようです。

ひとりの天才が創造性溢れるプレーをしても、それを受け取る味方がそこに現れるのか・・
その天才がシュートを打つだけのボールをくれる味方がいるのか・・
その選手がつぶれたらどうするのか・・
HPやブログをよんでいればそう思います。
私は元々サッカーはよく知らないし、俊輔選手のキックの魅力も分からないから、よけいそう思います。
でも、これまでのサッカーファン、サッカー関係者の中にある、一人の選手の「創造性」や、チームの「中心」がいる・・いて当たり前・・というような考え方は、なかなか根強いものがあるのではないかと思いました。

人の人生でも、「創造性」や、「中心」があることが、いいことだと、多くの人が思っているのではないかと思います。
「私は原因」の考えだと、それがいいとおもうのは当たり前かもしれません。
そういう中、オシム監督がこういうやり方でチームを作っているのは、ほんとにすごいことと思いました。

おお・・たまちゃん・・寝てる~!
(絵文字が5ページ分もあるのに今気づきました~)

[C4183] >この時間だと寝顔だ(^^)

いや~ん。。かわいい。。。

  • 2006/09/18-02:11:53
  • 投稿者 : あかり
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[C4179]

体の中心や創造性を考えると頭になると思うけれど
頭だけでは表現して実行することは出来ません。
サッカーはメンバーがそれぞれ違った動きがあるからコンビネーションができて試合になっていると思います。
誰かが目立ってもそこにボールが無ければサッカーになりません。
中心を作れば弱点も生まれると思います。
誰もがボールを繋いで行けたほうがチャンスも生まれやすいし強いと思いました。
 
たまちゃんカップ時計
とても可愛いです。
この時間だと寝顔だ(^^)
クイックしたら寝ぼけてくれる♪
  • 2006/09/18-00:38:28
  • 投稿者 : 小町
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[C4178] >「創造性」と「中心」

「創造性」と「中心」、これらは「私は原因」の中核を成す言葉だと思います。俺がこの試合をクリエイトするんだ、リードするんだ、このタイプの選手、この発想を持つ選手は駒として他力的に監督の采配に身をゆだねることを選手に期待するオシムにとってウェルカムではなく、オシムにとって選手は駒として皆対等であるので、創造性を発揮して司令塔として中心になってチーム内に序列を作るようなことは好まないのであり、オシムは「私は原因」型の選手ではなく、他力的でハンドルを手放した「私は結果」型の選手を求めているのだと思いました。
  • 2006/09/17-22:53:24
  • 投稿者 : おかだ
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[C4177] サッカー選手が

ボールを操るようにして
監督が選手を操るという考え方は、オシムにはないのではないでしょうか。
操っている・・コントロールしている・・という考え方は、自分と対象物との関係を、直接的なものとして見ていることが前提になると思います。
この「直接性」が、創造性と中心性に共通している性質だと思います。
 創造性と中心性を唱える人は、「点を入れようと思った人が点を入れるのだ」という考え方を持っていると思います。
 一方、味方がいなくてもいいからボールを入れるサッカーでは、 「点を入れよう」と思うことと、実際に点が入ってしまうこととは、直接はつながっていないでしょう。
 オシムが選手に求めていることは、手放すことではないでしょうか。創造性や中心は、手放しからもっとも遠いところにあると思います。
  • 2006/09/17-22:48:24
  • 投稿者 : L.B.
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[C4174] 創造性と中心

団体のスポーツで誰かが中心だとその人のメイドでその人が絶対です。まして、中心選手からのスルーパスなんかが通らなければ被害者意識でバリバリです。しかし、カヌーなんかの団体スポーツですと全員が同じリズムで同じテンポで漕かないとなかなか前に進みません。みんなが対等でないと前に進まないとしたら。そこにスター選手あるいは中心選手はなかなかわかりません!時間をみんなが対等に感じてるようです。同じリズムで。
  • 2006/09/17-19:58:50
  • 投稿者 : じんのり
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[C4172] >「創造性」と「中心」

俊輔、小笠原、あるいは小野、国内ではトップ選手ですが、世界は広くてもっとすごい
選手はいくらでもいます。
日本国内でどんなに創造性と中心を「個」の内部で磨いても、あるいは海外のチームで
修行したとしても、世界は、特に欧州や南米にはもっとすごい選手がいてとても太刀打ち
できないはずです。
今のW杯は佐々木小次郎の世界です。
「個」同士で海外の選手と日本の選手を比較すると、残念ながらどうしても差があると
思います。
日本は宮本武蔵流に自分以外の外側と一体となる作戦をとらないと勝てないと思います。
もしオシム氏がこの武蔵流のサッカーを目指しているとしたら、オシム氏は奇跡や偶然を
まったく当てにしていなくても、見ている私達はまるで奇跡が起こったかのように思って
しまうでしょう。
それこそサッカー界に革命を起こしているのではないかと思ってしまいました。
欧州組がオシムのチームに入るには、それこそ「個」のプライドを捨てないと入れないで
しょう。
どうやったら捨てることができるのか、捨てるのはとても大変なことだと思います
(凡人の私でも大変ですから)。
日本の代表チームとして勝ちたいのだという気持ちが「個」のプライドより勝れば、
捨てることができるかもしれないと思いました。
  • 2006/09/17-19:34:08
  • 投稿者 : イーキン
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[C4171] あ。。

たまちゃん初めまして^^
こんにちわ。。

  • 2006/09/17-17:41:17
  • 投稿者 : あかり
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[C4170] >「創造性」と「中心」

>ひとりが創造性を発揮されても困るのです。
 
>ひとりが中心となられても困るのです。


ひとりが創造性を発揮したり、中心になったら、
その他の人たちは、脇役になります。

それはハイアラキー構造といえると思いますが、
その構造だと、全体がリスタートを早くすることはできないと思いました。

なぜなら、常に上位の存在に注意を払い、
彼らにとって都合のいいように動くことが必要とされるからです。

オシムのサッカーは、全員が代替可能であり、
メイドになれるサッカーだと思います。

オシムにとって、「創造性」と「中心」は、
あっては困るのだと思います。

だから、スター選手はメンバーにしないと思いました。




  • 2006/09/17-17:40:09
  • 投稿者 : あかり
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[C4169] >「創造性」と「中心」

たいへんデス!
サイトもブログもカキコ満載でしかも濃いからヒィヒィ嬉し泣きしながら読んでマス・・
ビー玉を11個箱に入れてゆすったら、どれもが好きなところに好きなだけ動けそうだけど、どれか1,2個を中心に据えたり、ある玉にだけクセのある動きをさせたなら、軽やかだったりズムが不規則運動になってスピードも落ちそうです。
それでは、アノ憧れの爽快感を選手は味わえそうもありません・・・
それにしても、味方を認知する以前にボールを出す走るサッカーは、ノンストップのものすごい運動量だと思います。
撮影のカメラワークもさぞ忙しくなるのではと思います。
今度テレビで見るのがますます楽しみデス・・・
  • 2006/09/17-17:18:29
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4168] >「創造性」と「中心」

11人のメンバーの中で、数人の人が試合中に創造性を発揮するということは、今まで練習してきたこと以外のプレーが、試合中に要求されることになります。
となると、他の人は「味方がいなくてもボールを蹴りだす」ことが出来なくなると思いました。一瞬の戸惑いがリスタートを遅くさせます。動きがギクシャクしてくるかもしれません。
ひとりが中心、ということはその人のために他の選手がいるような感じがしました。それでは主人とメイドみたいです。それでは爽快感は感じられないと思いました。
選手同士の関係で、主人は必要ないです。
  • 2006/09/17-16:02:23
  • 投稿者 : REI
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[C4167] >「創造性」と「中心」

サッカーも見てないので、名前の出ている選手がどういうプレーを選手かも知らないし、創造性あるプレーというのがどういう事を指しているのか私はしりません。また、ファンタジスタというのもわかりません。それでも、今までのことから考えると、誰かが中心ではなく、いろんな人が入れ替わっていく事が出来る、また、創造性ではなく、条件反射みたいなものなのか、そのへんよくわかりませんが、縦組織のプレーではなく、横並びのプレーってことかと思います。

[C4166] >創造性あふれるプレーで攻撃の中心となり・・

今まで見てきたサッカーに当たり前のように存在し、
こちらも期待していたものだな~と思いました。
「創造性」と「中心」・・。
確かに誰かがこれを持つことにより、他の選手に
スキが生まれるかもしれないと思いました。
自分がどうにでもなれのお任せではなく、
相手に完全にやってもらうお任せ・・。
動きもワンテンポ遅れそうな気がします。
ひとりが「創造性」と「中心」を発揮しても上手く
いかなかった今までのサッカー・・。
でも「創造性」と「中心」のイメージは疑う余地もなく
定着しているものなんだと思いました。
オシムサッカーかなり面白そうです・・。

>たまちゃんカップ時計
かわゆい~です。最初くろこちゃんかと思いました。
おめめがパチパチと秒針を刻むのですね・・何ともかわいい・・。
時間がたまちゃんと共にあります~。
  • 2006/09/17-15:23:08
  • 投稿者 : まる
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[C4165] >「創造性」と「中心」

ヒデや俊輔がファンタジスタに見えるとしたら、それは国内組との差がありすぎるからだと思います。先日ファンタスティックなFCを決め、昨日もホームのダンファームリン戦でアシストを決め、ガーナ戦への召集がささやかれている俊輔とて、セルティックでポジションも確保しないうちから司令塔の役割を果たしていたとは思えません。

ヒデや俊輔のプレーが創造的に見え、中心としてボールが集まってしまうように見えるとしたら、欧州組と国内組の差が単にあるからだと思います。

オシムは自分のチーム(国内国外をとわず)でしっかりとプレーしている選手を最終的には自分のチームに入れると思います。俊輔などの「ファンタジスタ」をはずしてもチームのレベルを下げることはしないと思います。チームの面子もジーコ・ジャパンに最終的には似てくると思います。

しかし、これから出来上がるチームは、うまくいった場合、面子は同じでも、プレーの内容も、考え方も、メンタル面でも違う、全く別のチームと考えたほうがいいような気がします。
  • 2006/09/17-15:04:26
  • 投稿者 : ナイル
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[C4164] >「創造性」と「中心」

> おそらく記者は、このふたつの単語に対して何の違和感も持っていないと思います。
>むしろ、必要であり素晴らしいものとして捉えていると思います。
 
私も今までだったら「そうだよね」って思いながら頷いていたと思います。
スター選手が活躍するチームってカッコイイし、強いと思ってました。
 
でもオシム監督の目指すチームの強さは今までとは形がガラリと変わるから、今の他
のチームと比較することは出来ないんだと思いました。
 
>「創造性」と「中心」・・です。
 
神様。。。というイメージが浮かびます。
サッカーの神様と呼ばれた人は、まさにこの二つの言葉の通りであることを要求され
ていたし、実際にそうだったんだと思いました。
 
でもそうであったとしても、試合では同じチームの選手との連携がなければ神様とし
ての動きをして得点を上げるということは出来なかったと思います。
もし神様たった一人なら、試合に出ることすら出来ないと思います。
 
オシムはなにも、天才的な技を持つ選手が必要ないとは言っていないんじゃないかと
思います。選手全員の能力が高いのは、もちろん大歓迎だと思います。
 
ただし、チームの中の一つの駒として、他の駒と同じに連携してプレーが出来なけれ
ば、神様は逆に全体の動きの妨げになってしまうのだと思います。
そしてファンタジスタと呼ばれる選手が駒になるというのは、とても難しいのだと思
いました。
 
 
あっ!!!!
投稿しようと思って画面をスクロールしていったら「くろこ」じゃない猫発見!!
たまちゃんは時間を教えてくれるんですね~♪(^^)
  • 2006/09/17-14:50:06
  • 投稿者 : ぷく
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[C4162] 小魚の群

 こちらの内容が、ある本の内容と関連性があるように感じますので、ちょっと引用してみます。

「不安定だから強い 武術家・甲野善紀の世界」田中聡 晶文社 -----
(p174)
 甲野師範は、全身を割って使うことの効用を、「小さな魚の群がパッと一斉に向きを変える方が、大きな魚が向きを変えるよりも早い」というたとえで説明する。
 ・・中略・・
 小魚の群には、指令もなければ、連絡網もない。個々の魚たちは信号や物理的な力でやりとりしているわけではなく、その意味では協力関係にはない。
 だから一瞬で変わることができるのだ。
 これは「運命は完全に決まっていて、同時にまったく自由である」というあり方に一致する。個々は、まったく自由に活動しているが、全体の活動としての有効性のためになすべき役割を果たしてもいるのである。
 甲野師範の追究する「運命の二重性」は、このような形ですでに実感されているのかもしれない。

(p177)
 甲野師範が実現しているように、部分はバラバラに独立して動き、結果として全体の力となるという身体では、個々の部分はそれぞれに感覚を規矩として動いており、目的意識の上に統合された動きをしているわけではない。
 全体主義の理想とする効率性が、個々のまったくバラバラな活動の上に成立しているのである。
 このような身体モデルは、新しい組織のあり方の元型となることができる。


(p184)
 意識を操作するということでは、「時間退行モデル」というユニークな術理があった。
 ・・中略・・
 ・・身体の体勢のことには一切かまうことなく、「ただ時間を巻き戻して」動いてみたのである。
 ・・時間が巻き戻るだけだから、なにもしなくても当たり前に元の姿勢に戻る。
 ・・中略・・
 道を歩いているときにも、僕らは空間を歩いている。時間を歩いてはいない。・・
 ・・時間を進んでいるうちに空間を移動していたというふうに認識することはむずかしい。
 もし時間そのものによって動くことが出来たなら、世界を見る目の作法も根本的に変わるだろう。
------------------

 甲野善紀氏は、「人間の運命は、完璧に決まっており、同時にまったく自由でもある」はずと考え、それを実感として確認するために、生死の分かれ目、運命に直接関与する殺傷技術をとことん追究している方です。 

[C4160] >「創造性」と「中心」

調べたら、「ファンタジスタ」とは、創造力ある才能で魅了させてくれる人たちのこと、と出ていました。まさに、「創造性」と「中心」だと思いました。オシム監督がやっていることは、これを排除していると思います。駒にとって、全然必要な要素ではないからです。「創造性」と聞いて、もりけんさんの総合企画室でのお話を思い出しました。

スター選手が盛り上げて観客はそれを期待して一喜一憂するというスタイルがこれまでのサッカーであるならば、オシム監督のサッカーは、全ての選手が主役であり、だれかがファンタジスタとなって引っ張っていき、どれだけゴールを決められるかを競うのではなく、対等な駒となって全体でボールを繋げていく、そのために全ての駒が代替可能で機能できるように繰り返し訓練していく、ゴールが決まるかどうかは一番最後に付いて来る結果であって、それが一番の目標としてはいないのではないか、と思いました。勝ってナンボの世界にこの感覚を持ち込める人はそうはいないと思いました。

  • 2006/09/17-09:34:47
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4159] 個人としての創造性

オシム監督は、「個」にスポットが当たるようなサッカーを目指していないと思います。
だからこそ、個人としての創造性や、誰かが中心となることは求めていないし、ましてや、そうなろうとする選手は必要でないと考えていると思われます。

逆に、創造性という意味では、選手個々はあくまで駒として機能するが、しかし「全体」として創造性を持つようなサッカーを目指しているのではないかと考えられます。

そのようなサッカーを目指す場合、選手一人一人は常に「自分は今どう動くべきか?」をとにかく考え動き続ければならないと思います。
なぜなら、駒として機能するということは、自分は他の選手の代替でもあるということです。その分だけ個々のやるべき仕事量が増え、それをすべてこなしていくためにはより多くの思考と運動量が必要となると思われるからです。

一方、もし個人として創造性を発揮するサッカーを目指した場合、選手個々は思考することよりもむしろ才能を伸ばすことに重きを置いてしまうと考えられます。

つまり、オシム監督が大事としているのは、選手の才能云々よりも、選手がいかに考え、動こうとする力(意思)があるかではないかと思われます。

[C4158]

> 「戦えない」お嫁さま(姑&舅問題)
 
朝になってスレッドテーマに気づいた(汗)
ではもうひとカキコ…一つの台所に「創造性」と「中心」をもった主婦(神)は二人は要らないのです。それは支配を巡って喧嘩になるから。コレに関してだけは戦いになること多いと思います。例えば、食べ物(利権)がかかわると人って以外と単純に腹立つ気がする。すると…スター選手というのはなにかオイシいのだと思います。オシムはそういうオイシさの行方を見てるのかもしれないと思います。そのオイシさを巡ってチームは内部分裂とかするのかもしれないと思います。味見したり、ちょろまかしたり、喰った喰わないの言い争い。そういう利権争いってサッカーの力をそぐかもな…と思いました。喧嘩してるうちに夕方になって、旦那さんのすきなメニューは出ないみたいな。下手すりゃ食事もないし…食卓は険悪ムード(笑)ちなみに…ウチは同居ではないでっす(だれも聞いてない)……終ります…

[C4157] オシムの顔のアップが怖い

Numberという雑誌を読んだのですが、代表監督の仕事の半分以上は選手の選抜なのだそうです。シュートの強化などはオシムの仕事ではなく、三都主などのクラブチームに自分のチームでもっと練習するように申し入れたことなどが書いてありました。

またオシムは意外と?先進的で最新鋭の練習や独自に工夫した練習を他のチームの監督時代、自分のチームに取り入れていたりしたそうです。

オシムはどんなに素晴らしい選手でも、選手は生身だから怪我をすれば出ることができず、また調子が悪いこともあるので、ひとりの選手に依存しすぎる危険を知っているのだと思いました。

また、同雑誌によれば、日本チームの弱点として、ゴールを狙える隙があればどんどんゴールを狙っていくというようなことが自分のホームチームでプレーしているときにも選手はできていないために、全日本のチームでも、チャンスがあってもシュートを打つのにためらいがあるというようなことも言っていたような気がします。

それから、外見はジーコのチームとすっかり変わったように見えても、メンバーの顔ぶれを見てみるとジーコのチームとほんの一部が変わっただけというようなことも指摘していました。しかし、雰囲気はあきらかにジーコのときとはがらりと変わったようです。

個人的には欧州組はいずれオシムのチームに入ると思います。しかしそれまでにオシムのチームとして欧州組をインスパイヤする何かを作り上げることができなければ、国内組と欧州組の間にテンションやコミュニケーションのギャップが生じてしまうということが、ジーコのチームのときに起きたことだと思います。

チャンスがあれば誰でもがゴールを狙うということ、相手に簡単に支配しているボールをカットされないこと、相手のボールをカットしてから攻撃に移るまでの時間を大幅に短くすること、FKやCKのチャンスを確実にものにすること、試合中にぼんやりしないこと...。このようなことは海外組は身体でわかっていると思います。

ヒデがチームにうまく伝えられなかったことを、オシムは噛み砕いて選手に伝えているような気がします。
  • 2006/09/17-06:34:50
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
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[C4156] >「創造性」と「中心」

 まさしくオシムの目指す代替可能な駒と対極にある言葉だと思いました。記者は今までの経験をもとにそれが当たり前であることを疑うこともなく思っていたのだと感じました。その中から司令塔がでて抜擢されるのであろうと・・。 スター選手がヒエラルキーの頂点に君臨する スタイルではなく、全体が機能性を持って駒となり、サブの選手と代わっても、変化のない機械のようななんのヘンテツもないけど、いつも正確で狂わない一人が一人以上の役割を負わないことによって、1を11乗したときに11以下いにならずに11以上になるような(笑)全体で表現するサッカーをオシムは、欲していたのではないかと思いました。
  • 2006/09/17-05:30:41
  • 投稿者 : yk
  • URL
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[C4155] 「創造性」と「中心」

>しかしオシムが必要としないのが、このふたつの単語だと思います。
 
 ふたつの単語に共通するのが「自分が原因」だと思います、決して「駒」であり、「全体」では無いと思います、私のサッカーのイメージは、中田でした、中村でした、二人の今日の活躍はどうだったでした、いつも「私が主人公」の結果を追い求めていました。
 
 オシム監督のサッカーは、ネットワークのサッカーだと思います、私が知っている限り初めてのスタイルだと思います、誰が「主役」でなく、誰が「脇役」でもない間接的なサッカーが、これからも私を楽しましてくれると思っています。
 
 最もこのプログを読んでいるだけ楽しんでいるのですが ‥‥。

[C4154] >「創造性」と「中心」

「個人プレーをして、自分を見せようとした選手がいた。その結果、リズムを失った時間があった。サッカーはサーカスではない。」
と、オシムはある試合のあと話したそうです。
 
サッカーはサーカスではないんですよ、個人の曲芸でよろこびたいなら、サーカス言って来い!ってことです。
そんなことよりもリズムが大事なんだ、と。
オシムはチームの重要なチェックポイントとして、リズムをみているんだと思いました。

リズムは独りでつくるものではないと思います。そこに重心を置いているオシムにとって、「創造性」だとか「中心」だとかの曲芸をしたがる選手は、それを失わせてしまう「足手まとい」でしかないのだと思いました。
  • 2006/09/17-01:56:06
  • 投稿者 : くまぽん
  • URL
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[C4153] ありゃ

>現場の空きそうなオシムには…超不要な気がしました。
現場の好きそうなオシム に訂正
 
やっぱ思うのですが、スターがいないとチームはどこまでも平坦になり、コーチまでもがサッカーして楽しいんだと思います。いろんな垣根や段差をつくらないようにオシムは配慮してるんじゃないかと思います。でも…そこまで平坦にするのはなんでだろう。なんかあるって気がします。

[C4152] >「創造性」と「中心」

オシム監督は個人が中心になって創造性を発揮するような選手は全く求めていないと思います。

しかし、創造性は必要としていると思います。

でも、前提として求めている気がします。

これは日本代表を選ぶ際の条件にフィジカルやメンタルのコンディションやテクニックや戦術理解力といった能力を挙げたことや「私が何をいうか待っているような選手はいらない。自分で判断しないといけない。サッカーは創造的なゲーム。考えない選手、アイデアのない選手はサッカーに向いていない」といった発言からも見えてきます。

ここでオシム監督が言う創造とは駒としての創造性だと思います。ここを認識しないと中心で創造性を発揮するようなタイプの選手が幾ら走ってオシム監督にアピールしても使ってもらえない気がします(汗)

チームやゲーム全体として創造が起こるようなサッカーにオシム監督は挑んでるのかなと漠然と思っています。今までスポットライトが当たってきたような個人を中心にするようなサッカーで考えると訳が解からない気もしますが(汗)

なんか想像すると気持ちよくなってきます(謎)
  • 2006/09/17-01:43:48
  • 投稿者 : ラボ
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[C4151] 「創造性」と「中心」

・・読んでいて、すごく難しいと思いました。
前は「司令塔」とゆう役割もありました。
何かの記事に(この雑誌ではないと思います)
羽生(・・汗)が「新型の司令塔」とゆう記事も
見つけました。でも本人もオシム監督もそんな事は
言ってないのではないかと思いました。
オシム監督のサッカーは、今はまだそうでない
かもしれませんが、主役がいないかわりに、
全体でダイナミックに動いているもの・・
全体がひとつの生きモノのようなチームを
作っているのではないかと思います。
・・ちょっと、違うかもしれません(汗)
そこに中心はなく、創造性とゆうよりも
変幻自在で、相手にあわせて形を変えてしまう
ような・・そんなチームなのかもしれません。
選手個人の何かが評価されるとか、
そんな事ではないと思います。
またそれを期待する選手も必要ないのかも
しれません。
これからまた生き物のように「新陳代謝」を
してゆきながら、だんだんと、チームの全体像が
見えてくるのかもしれないと思いました。






[C4150]

>ゴールへの道を明るく照らす
 
ゴールへの道を明るく照らす「創造性」と「中心」で…ってまるで絶対の「神」。そうなると…残りのチームメイトはどうなるんだろう。彼の創造性と中心に協力しないといけないのだろうか…どんな創造性も中心も…サッカーでは、11人+11人でつくるゲームのなかだというのに。
そうなると…チーム競技じゃないです。個人演技というかアイドルとその後ろで踊る人みたいになるのではないかと思いました。アイドルはゴールを照らしてんじゃなくて彼がスポットライトに照らされてるのだと思います。
そうなると監督はマネージャー業務って感じです。現場の空きそうなオシムには…超不要な気がしました。じゃぁ…オシムって…サッカー(現場)してるんだ。おぉ~スターがいないと監督もコーチもサッカーできるのかと思いました。(なんかうまく書けませんが)オシムって…楽しんでんのかもしれないと思います。

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「創造性」と「中心」

 
「サッカーウイークリーマガジン」を買いました。「日本代表にファンタジスタは不要なのか」という見出しに釣られたのです。
 
 そのグラビアに次のように書いてありました。
 
「中村俊輔、松井大輔、小笠満男、あるいは小野伸二のように、国内でプレーしている選手でも創造性あふれるプレーで攻撃の中心となり、ゴールへの道を明るく照らすことのできる選手は存在するのだが・・。オシム監督は『ファンタジスタは不要論』とも言えるコメントを残しているが、本当に彼らはいらないのだろうか」

 私はふたつの単語に反応しました。
 
「創造性」と「中心」・・です。
 
 おそらく記者は、このふたつの単語に対して何の違和感も持っていないと思います。むしろ、必要であり素晴らしいものとして捉えていると思います。
 
 しかしオシムが必要としないのが、このふたつの単語だと思います。
 
 ひとりが創造性を発揮されても困るのです。
 
 ひとりが中心となられても困るのです。
 
 
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38件のコメント

[C4331] 「創造性」と「中心」

オシム監督は全員で攻めて、守って、走るというサッカーをかんがえていると思います。
日本にあったサッカーをやると聞いているので、
全員サッカーが日本人にはあっているという判断でしょう。
日本人レベルのファンタジスタではとても世界に通用しない事も私たちでもわかっています。

しかし、全員サッカーが出来れば、世界に通用するかもしれません。

それには、創造性や中心はいらないのでしょう。
返って、邪魔になると思います。

[C4278] 「創造性」と「中心」

>ひとりが創造性を発揮されても困るのです。
 >ひとりが中心となられても困るのです。

1人だけ花形がいるというのは、他が引けるということになると思います。
1人を中心に回るサッカー。。他の選手はここまでやればいいというルールを勝手に作ってしまいそうです。
分業的なサッカーになってしまったら
全体の快はありえないと思います。
オシムって秀でた人を作るなんてこととは間逆のサッカーをしたいのだと思いました。個なんてとっくに手放しているのだなって思います。

  • 2006/09/21-01:40:44
  • 投稿者 : Ciel
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[C4263] (たまちゃんカップ時計!)

かわいいです。気になります。
  • 2006/09/20-18:02:55
  • 投稿者 : マリ
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[C4262] 全体のパワーというのは

ものすごい、気がしました。
弱いのに、何にも依存していないから・・・
ひとりが中心になるパワーは、依存だという気がしました。

依存から生まれるものは、責任転嫁・・・
と書こうとして、そうすると代替可能とは矛盾しそうな気が
してきてしまいました・・。

依存→責任転嫁→もしくは目指すもの→裏切られる、裏切られないの感覚が生まれる・・
のように考えると、代替可能と駒という概念は、
裏切りとは無縁なのかもしれないと思いました。


なんか限りなくそれてきた気がします
  • 2006/09/20-18:01:37
  • 投稿者 : マリ
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[C4232] 全体が得意とは

大陸的発想ではなく、ものすごい上とものすごい下の差があまりなく、島国としての平均的能力といいますか、駒や歯車としてものすごく莫大なエネルギーを発する国なのかもしれないと思いました。オシムはその国に一番適した判断をくだせる人なのかもしれないと感じました。
  • 2006/09/19-19:34:39
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4231] オシムの欲しかったものは

創造の反意語が分からないのですが、感覚として、今までの日本人サッカーの概念を破壊したかったのではないか、突破口をみいだしたかったのではないかと感じました。そしてそれは中心とかではなく、全体でやらなければ無理とふんだのではないかと感じました。もっともっと複雑だと思いますが、オシムは日本にすべて置き換えて考えると言っていたのを何かで読んだのですが、ほんとは日本は中心よりも全体が得意な民族なのではないかと感じました。
  • 2006/09/19-19:20:25
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4213] >「創造性」と「中心」


スター選手がいるということは、中心が固定化されていることでしょう。固定化されるということは、流動性がなくなり、
停滞につながると思います。

中心がないということは、誰でも中心になりえるし、脇役にもなりえると思います。つまり、機会均等。

でも、人間の運命を考えると、「中心」が存在して、運命が固定がされているような気がしてなりません。

「中心」という存在に運の強さを集中的に与えているように思えます。 

だから、「好運」と「悪運」が存在するのでしょう。                                                                                                     

  • 2006/09/18-23:17:59
  • 投稿者 : ばなな
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[C4208] >「創造性」と「中心」

世の中には、中心があることが良いという考えがあります。
スポーツでは、攻撃の中心になる選手、守備の要になる選手という表現をします。
この場合、この選手によってゲームがコントロールされていくことになります。
当たり前の事のように考えられていますが、見方を変えればこの選手はチームの
短所になるのだと思います。
 
対戦相手は中心になる選手に照準を合わせます。
その選手を押さえれば勝ち、押さえきれなければ負けという図式です。
 
とてもわかりやすいです。
そして、中心選手の良し悪しで勝負が決まると言うことは、リスキーでもあります。
 
オシムのサッカーはこのリスクを回避するサッカーなのかもしれません。
中心がどこにもない、もしくは軸がいくつもある、対戦相手には対策の取りようがありません。
 
マスコミの側も、中心を探すということに慣れてしまっているので、
オシムのメンバー構成の意味するところが、まだわかっていないのかも知れません。
 
  • 2006/09/18-20:36:55
  • 投稿者 : 福
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[C4204] 「いつものビールじゃない!」と怒る客

>創造性あふれるプレーで攻撃の中心となり、ゴールへの道を明るく照らすことのできる

とは、従来の「サッカーの楽しみ方醍醐味その一」みたいな気がしました。
というかこういう「感じ方」が定番であるかのような口調だと思います。

スタープレーヤーがすごい技で鮮やかにゴールを決めるのが定番
文章から、オシムジャパンのサッカーはスカッとしないことが多いというか、定番の感じ方ができないがゆえの苛立ちを感じました。

敢えて例えていうなら、居酒屋で頼んで出てきた飲み物がビールだけどもいつものビールの感じがしなくてなんか気持ち悪い、いらつくという感じに思えてしまいました。

オシム監督のチーム作りは多分状況を攻めていった上での選択である気がします。
思いついたからこうしようではなく。

本当の意味で構造改革をしてしまっているから、サッカーの楽しみ方も必然的に変わらざるえない気がしました。

[C4202] >「創造性」と「中心」

海外組の中で「松井」は入れる予定だと、オシムが記者会見で言っているのを以前見ました。
松井というのはフランスチームにいる選手らしいですが、海外組で唯一レギュラーで出ている選手だそうです。
中村俊輔とかは騒がれているわりにはレギュラーじゃないんだなと思いました(最近はどうなのか知りませんが)。
おそらくオシムは国内外をとわず、運動量が多くて功守ともにできる選手、つまり駒になれる選手を探しているのだろうと思いました。
オシムはことあるごとに、サッカーはチームプレイだ、集団で行うスポーツだと言っています。
創造性や中心はチームプレイを阻害すると思います。
  • 2006/09/18-13:58:52
  • 投稿者 : くるみ
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[C4198] 「創造性」と「中心」で跳ね上がるのはギャラだけ

「創造性」と「中心」を問題は、プレイヤー個人のギャラには大きく響きますが、チームの勝敗には、決定的な影響にならないというのが、今回のワールドカップの例えばブラジルチームを通して目に見えたんではないかと、思います。

時空解明でも、飛びぬけた個が布を引っ張るかのように、全体を持ち上げることがありうるかもしれないと、考えてたことがありました。

個を中心にした結束力は、サッカーチームの例えば攻撃力を上げるといった強化はできるでしょうが、サッカーチームをブロード化することはできなそうです。


サッカーに限らず、すごい力をもつ個が組織を救うという発想は、多いと思います。
そう思って、組織内でがんばる人も多いと思います
  • 2006/09/18-11:15:59
  • 投稿者 : テクノン
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[C4187]

サッカー雑誌のトップ記事にこういう内容が取り上げられるということは、多くのサッカーファンや記者たちが、天才と呼ばれる人たちがなぜ代表に呼ばれないのか・・呼ばれて欲しい・・彼らのプレーが見たい・・そう思ってるのかもしれないと思いました。

夫もしかり・・ですe-263
先日、中村俊輔選手が、すごいシュートをしたそうです。
まだ、代表から外れた天才たちに未練のある夫は「やっぱりこれが日本代表のシュートや!」などといってました・・(汗)
個人技を見たいなら、別に日本代表の場でなくてもいいはずです。
でも、なぜか「代表」の場でのプレーが見たいようです。

ひとりの天才が創造性溢れるプレーをしても、それを受け取る味方がそこに現れるのか・・
その天才がシュートを打つだけのボールをくれる味方がいるのか・・
その選手がつぶれたらどうするのか・・
HPやブログをよんでいればそう思います。
私は元々サッカーはよく知らないし、俊輔選手のキックの魅力も分からないから、よけいそう思います。
でも、これまでのサッカーファン、サッカー関係者の中にある、一人の選手の「創造性」や、チームの「中心」がいる・・いて当たり前・・というような考え方は、なかなか根強いものがあるのではないかと思いました。

人の人生でも、「創造性」や、「中心」があることが、いいことだと、多くの人が思っているのではないかと思います。
「私は原因」の考えだと、それがいいとおもうのは当たり前かもしれません。
そういう中、オシム監督がこういうやり方でチームを作っているのは、ほんとにすごいことと思いました。

おお・・たまちゃん・・寝てる~!
(絵文字が5ページ分もあるのに今気づきました~)

[C4183] >この時間だと寝顔だ(^^)

いや~ん。。かわいい。。。

  • 2006/09/18-02:11:53
  • 投稿者 : あかり
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[C4179]

体の中心や創造性を考えると頭になると思うけれど
頭だけでは表現して実行することは出来ません。
サッカーはメンバーがそれぞれ違った動きがあるからコンビネーションができて試合になっていると思います。
誰かが目立ってもそこにボールが無ければサッカーになりません。
中心を作れば弱点も生まれると思います。
誰もがボールを繋いで行けたほうがチャンスも生まれやすいし強いと思いました。
 
たまちゃんカップ時計
とても可愛いです。
この時間だと寝顔だ(^^)
クイックしたら寝ぼけてくれる♪
  • 2006/09/18-00:38:28
  • 投稿者 : 小町
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[C4178] >「創造性」と「中心」

「創造性」と「中心」、これらは「私は原因」の中核を成す言葉だと思います。俺がこの試合をクリエイトするんだ、リードするんだ、このタイプの選手、この発想を持つ選手は駒として他力的に監督の采配に身をゆだねることを選手に期待するオシムにとってウェルカムではなく、オシムにとって選手は駒として皆対等であるので、創造性を発揮して司令塔として中心になってチーム内に序列を作るようなことは好まないのであり、オシムは「私は原因」型の選手ではなく、他力的でハンドルを手放した「私は結果」型の選手を求めているのだと思いました。
  • 2006/09/17-22:53:24
  • 投稿者 : おかだ
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[C4177] サッカー選手が

ボールを操るようにして
監督が選手を操るという考え方は、オシムにはないのではないでしょうか。
操っている・・コントロールしている・・という考え方は、自分と対象物との関係を、直接的なものとして見ていることが前提になると思います。
この「直接性」が、創造性と中心性に共通している性質だと思います。
 創造性と中心性を唱える人は、「点を入れようと思った人が点を入れるのだ」という考え方を持っていると思います。
 一方、味方がいなくてもいいからボールを入れるサッカーでは、 「点を入れよう」と思うことと、実際に点が入ってしまうこととは、直接はつながっていないでしょう。
 オシムが選手に求めていることは、手放すことではないでしょうか。創造性や中心は、手放しからもっとも遠いところにあると思います。
  • 2006/09/17-22:48:24
  • 投稿者 : L.B.
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[C4174] 創造性と中心

団体のスポーツで誰かが中心だとその人のメイドでその人が絶対です。まして、中心選手からのスルーパスなんかが通らなければ被害者意識でバリバリです。しかし、カヌーなんかの団体スポーツですと全員が同じリズムで同じテンポで漕かないとなかなか前に進みません。みんなが対等でないと前に進まないとしたら。そこにスター選手あるいは中心選手はなかなかわかりません!時間をみんなが対等に感じてるようです。同じリズムで。
  • 2006/09/17-19:58:50
  • 投稿者 : じんのり
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[C4172] >「創造性」と「中心」

俊輔、小笠原、あるいは小野、国内ではトップ選手ですが、世界は広くてもっとすごい
選手はいくらでもいます。
日本国内でどんなに創造性と中心を「個」の内部で磨いても、あるいは海外のチームで
修行したとしても、世界は、特に欧州や南米にはもっとすごい選手がいてとても太刀打ち
できないはずです。
今のW杯は佐々木小次郎の世界です。
「個」同士で海外の選手と日本の選手を比較すると、残念ながらどうしても差があると
思います。
日本は宮本武蔵流に自分以外の外側と一体となる作戦をとらないと勝てないと思います。
もしオシム氏がこの武蔵流のサッカーを目指しているとしたら、オシム氏は奇跡や偶然を
まったく当てにしていなくても、見ている私達はまるで奇跡が起こったかのように思って
しまうでしょう。
それこそサッカー界に革命を起こしているのではないかと思ってしまいました。
欧州組がオシムのチームに入るには、それこそ「個」のプライドを捨てないと入れないで
しょう。
どうやったら捨てることができるのか、捨てるのはとても大変なことだと思います
(凡人の私でも大変ですから)。
日本の代表チームとして勝ちたいのだという気持ちが「個」のプライドより勝れば、
捨てることができるかもしれないと思いました。
  • 2006/09/17-19:34:08
  • 投稿者 : イーキン
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[C4171] あ。。

たまちゃん初めまして^^
こんにちわ。。

  • 2006/09/17-17:41:17
  • 投稿者 : あかり
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[C4170] >「創造性」と「中心」

>ひとりが創造性を発揮されても困るのです。
 
>ひとりが中心となられても困るのです。


ひとりが創造性を発揮したり、中心になったら、
その他の人たちは、脇役になります。

それはハイアラキー構造といえると思いますが、
その構造だと、全体がリスタートを早くすることはできないと思いました。

なぜなら、常に上位の存在に注意を払い、
彼らにとって都合のいいように動くことが必要とされるからです。

オシムのサッカーは、全員が代替可能であり、
メイドになれるサッカーだと思います。

オシムにとって、「創造性」と「中心」は、
あっては困るのだと思います。

だから、スター選手はメンバーにしないと思いました。




  • 2006/09/17-17:40:09
  • 投稿者 : あかり
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[C4169] >「創造性」と「中心」

たいへんデス!
サイトもブログもカキコ満載でしかも濃いからヒィヒィ嬉し泣きしながら読んでマス・・
ビー玉を11個箱に入れてゆすったら、どれもが好きなところに好きなだけ動けそうだけど、どれか1,2個を中心に据えたり、ある玉にだけクセのある動きをさせたなら、軽やかだったりズムが不規則運動になってスピードも落ちそうです。
それでは、アノ憧れの爽快感を選手は味わえそうもありません・・・
それにしても、味方を認知する以前にボールを出す走るサッカーは、ノンストップのものすごい運動量だと思います。
撮影のカメラワークもさぞ忙しくなるのではと思います。
今度テレビで見るのがますます楽しみデス・・・
  • 2006/09/17-17:18:29
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4168] >「創造性」と「中心」

11人のメンバーの中で、数人の人が試合中に創造性を発揮するということは、今まで練習してきたこと以外のプレーが、試合中に要求されることになります。
となると、他の人は「味方がいなくてもボールを蹴りだす」ことが出来なくなると思いました。一瞬の戸惑いがリスタートを遅くさせます。動きがギクシャクしてくるかもしれません。
ひとりが中心、ということはその人のために他の選手がいるような感じがしました。それでは主人とメイドみたいです。それでは爽快感は感じられないと思いました。
選手同士の関係で、主人は必要ないです。
  • 2006/09/17-16:02:23
  • 投稿者 : REI
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[C4167] >「創造性」と「中心」

サッカーも見てないので、名前の出ている選手がどういうプレーを選手かも知らないし、創造性あるプレーというのがどういう事を指しているのか私はしりません。また、ファンタジスタというのもわかりません。それでも、今までのことから考えると、誰かが中心ではなく、いろんな人が入れ替わっていく事が出来る、また、創造性ではなく、条件反射みたいなものなのか、そのへんよくわかりませんが、縦組織のプレーではなく、横並びのプレーってことかと思います。

[C4166] >創造性あふれるプレーで攻撃の中心となり・・

今まで見てきたサッカーに当たり前のように存在し、
こちらも期待していたものだな~と思いました。
「創造性」と「中心」・・。
確かに誰かがこれを持つことにより、他の選手に
スキが生まれるかもしれないと思いました。
自分がどうにでもなれのお任せではなく、
相手に完全にやってもらうお任せ・・。
動きもワンテンポ遅れそうな気がします。
ひとりが「創造性」と「中心」を発揮しても上手く
いかなかった今までのサッカー・・。
でも「創造性」と「中心」のイメージは疑う余地もなく
定着しているものなんだと思いました。
オシムサッカーかなり面白そうです・・。

>たまちゃんカップ時計
かわゆい~です。最初くろこちゃんかと思いました。
おめめがパチパチと秒針を刻むのですね・・何ともかわいい・・。
時間がたまちゃんと共にあります~。
  • 2006/09/17-15:23:08
  • 投稿者 : まる
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[C4165] >「創造性」と「中心」

ヒデや俊輔がファンタジスタに見えるとしたら、それは国内組との差がありすぎるからだと思います。先日ファンタスティックなFCを決め、昨日もホームのダンファームリン戦でアシストを決め、ガーナ戦への召集がささやかれている俊輔とて、セルティックでポジションも確保しないうちから司令塔の役割を果たしていたとは思えません。

ヒデや俊輔のプレーが創造的に見え、中心としてボールが集まってしまうように見えるとしたら、欧州組と国内組の差が単にあるからだと思います。

オシムは自分のチーム(国内国外をとわず)でしっかりとプレーしている選手を最終的には自分のチームに入れると思います。俊輔などの「ファンタジスタ」をはずしてもチームのレベルを下げることはしないと思います。チームの面子もジーコ・ジャパンに最終的には似てくると思います。

しかし、これから出来上がるチームは、うまくいった場合、面子は同じでも、プレーの内容も、考え方も、メンタル面でも違う、全く別のチームと考えたほうがいいような気がします。
  • 2006/09/17-15:04:26
  • 投稿者 : ナイル
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[C4164] >「創造性」と「中心」

> おそらく記者は、このふたつの単語に対して何の違和感も持っていないと思います。
>むしろ、必要であり素晴らしいものとして捉えていると思います。
 
私も今までだったら「そうだよね」って思いながら頷いていたと思います。
スター選手が活躍するチームってカッコイイし、強いと思ってました。
 
でもオシム監督の目指すチームの強さは今までとは形がガラリと変わるから、今の他
のチームと比較することは出来ないんだと思いました。
 
>「創造性」と「中心」・・です。
 
神様。。。というイメージが浮かびます。
サッカーの神様と呼ばれた人は、まさにこの二つの言葉の通りであることを要求され
ていたし、実際にそうだったんだと思いました。
 
でもそうであったとしても、試合では同じチームの選手との連携がなければ神様とし
ての動きをして得点を上げるということは出来なかったと思います。
もし神様たった一人なら、試合に出ることすら出来ないと思います。
 
オシムはなにも、天才的な技を持つ選手が必要ないとは言っていないんじゃないかと
思います。選手全員の能力が高いのは、もちろん大歓迎だと思います。
 
ただし、チームの中の一つの駒として、他の駒と同じに連携してプレーが出来なけれ
ば、神様は逆に全体の動きの妨げになってしまうのだと思います。
そしてファンタジスタと呼ばれる選手が駒になるというのは、とても難しいのだと思
いました。
 
 
あっ!!!!
投稿しようと思って画面をスクロールしていったら「くろこ」じゃない猫発見!!
たまちゃんは時間を教えてくれるんですね~♪(^^)
  • 2006/09/17-14:50:06
  • 投稿者 : ぷく
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[C4162] 小魚の群

 こちらの内容が、ある本の内容と関連性があるように感じますので、ちょっと引用してみます。

「不安定だから強い 武術家・甲野善紀の世界」田中聡 晶文社 -----
(p174)
 甲野師範は、全身を割って使うことの効用を、「小さな魚の群がパッと一斉に向きを変える方が、大きな魚が向きを変えるよりも早い」というたとえで説明する。
 ・・中略・・
 小魚の群には、指令もなければ、連絡網もない。個々の魚たちは信号や物理的な力でやりとりしているわけではなく、その意味では協力関係にはない。
 だから一瞬で変わることができるのだ。
 これは「運命は完全に決まっていて、同時にまったく自由である」というあり方に一致する。個々は、まったく自由に活動しているが、全体の活動としての有効性のためになすべき役割を果たしてもいるのである。
 甲野師範の追究する「運命の二重性」は、このような形ですでに実感されているのかもしれない。

(p177)
 甲野師範が実現しているように、部分はバラバラに独立して動き、結果として全体の力となるという身体では、個々の部分はそれぞれに感覚を規矩として動いており、目的意識の上に統合された動きをしているわけではない。
 全体主義の理想とする効率性が、個々のまったくバラバラな活動の上に成立しているのである。
 このような身体モデルは、新しい組織のあり方の元型となることができる。


(p184)
 意識を操作するということでは、「時間退行モデル」というユニークな術理があった。
 ・・中略・・
 ・・身体の体勢のことには一切かまうことなく、「ただ時間を巻き戻して」動いてみたのである。
 ・・時間が巻き戻るだけだから、なにもしなくても当たり前に元の姿勢に戻る。
 ・・中略・・
 道を歩いているときにも、僕らは空間を歩いている。時間を歩いてはいない。・・
 ・・時間を進んでいるうちに空間を移動していたというふうに認識することはむずかしい。
 もし時間そのものによって動くことが出来たなら、世界を見る目の作法も根本的に変わるだろう。
------------------

 甲野善紀氏は、「人間の運命は、完璧に決まっており、同時にまったく自由でもある」はずと考え、それを実感として確認するために、生死の分かれ目、運命に直接関与する殺傷技術をとことん追究している方です。 

[C4160] >「創造性」と「中心」

調べたら、「ファンタジスタ」とは、創造力ある才能で魅了させてくれる人たちのこと、と出ていました。まさに、「創造性」と「中心」だと思いました。オシム監督がやっていることは、これを排除していると思います。駒にとって、全然必要な要素ではないからです。「創造性」と聞いて、もりけんさんの総合企画室でのお話を思い出しました。

スター選手が盛り上げて観客はそれを期待して一喜一憂するというスタイルがこれまでのサッカーであるならば、オシム監督のサッカーは、全ての選手が主役であり、だれかがファンタジスタとなって引っ張っていき、どれだけゴールを決められるかを競うのではなく、対等な駒となって全体でボールを繋げていく、そのために全ての駒が代替可能で機能できるように繰り返し訓練していく、ゴールが決まるかどうかは一番最後に付いて来る結果であって、それが一番の目標としてはいないのではないか、と思いました。勝ってナンボの世界にこの感覚を持ち込める人はそうはいないと思いました。

  • 2006/09/17-09:34:47
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4159] 個人としての創造性

オシム監督は、「個」にスポットが当たるようなサッカーを目指していないと思います。
だからこそ、個人としての創造性や、誰かが中心となることは求めていないし、ましてや、そうなろうとする選手は必要でないと考えていると思われます。

逆に、創造性という意味では、選手個々はあくまで駒として機能するが、しかし「全体」として創造性を持つようなサッカーを目指しているのではないかと考えられます。

そのようなサッカーを目指す場合、選手一人一人は常に「自分は今どう動くべきか?」をとにかく考え動き続ければならないと思います。
なぜなら、駒として機能するということは、自分は他の選手の代替でもあるということです。その分だけ個々のやるべき仕事量が増え、それをすべてこなしていくためにはより多くの思考と運動量が必要となると思われるからです。

一方、もし個人として創造性を発揮するサッカーを目指した場合、選手個々は思考することよりもむしろ才能を伸ばすことに重きを置いてしまうと考えられます。

つまり、オシム監督が大事としているのは、選手の才能云々よりも、選手がいかに考え、動こうとする力(意思)があるかではないかと思われます。

[C4158]

> 「戦えない」お嫁さま(姑&舅問題)
 
朝になってスレッドテーマに気づいた(汗)
ではもうひとカキコ…一つの台所に「創造性」と「中心」をもった主婦(神)は二人は要らないのです。それは支配を巡って喧嘩になるから。コレに関してだけは戦いになること多いと思います。例えば、食べ物(利権)がかかわると人って以外と単純に腹立つ気がする。すると…スター選手というのはなにかオイシいのだと思います。オシムはそういうオイシさの行方を見てるのかもしれないと思います。そのオイシさを巡ってチームは内部分裂とかするのかもしれないと思います。味見したり、ちょろまかしたり、喰った喰わないの言い争い。そういう利権争いってサッカーの力をそぐかもな…と思いました。喧嘩してるうちに夕方になって、旦那さんのすきなメニューは出ないみたいな。下手すりゃ食事もないし…食卓は険悪ムード(笑)ちなみに…ウチは同居ではないでっす(だれも聞いてない)……終ります…

[C4157] オシムの顔のアップが怖い

Numberという雑誌を読んだのですが、代表監督の仕事の半分以上は選手の選抜なのだそうです。シュートの強化などはオシムの仕事ではなく、三都主などのクラブチームに自分のチームでもっと練習するように申し入れたことなどが書いてありました。

またオシムは意外と?先進的で最新鋭の練習や独自に工夫した練習を他のチームの監督時代、自分のチームに取り入れていたりしたそうです。

オシムはどんなに素晴らしい選手でも、選手は生身だから怪我をすれば出ることができず、また調子が悪いこともあるので、ひとりの選手に依存しすぎる危険を知っているのだと思いました。

また、同雑誌によれば、日本チームの弱点として、ゴールを狙える隙があればどんどんゴールを狙っていくというようなことが自分のホームチームでプレーしているときにも選手はできていないために、全日本のチームでも、チャンスがあってもシュートを打つのにためらいがあるというようなことも言っていたような気がします。

それから、外見はジーコのチームとすっかり変わったように見えても、メンバーの顔ぶれを見てみるとジーコのチームとほんの一部が変わっただけというようなことも指摘していました。しかし、雰囲気はあきらかにジーコのときとはがらりと変わったようです。

個人的には欧州組はいずれオシムのチームに入ると思います。しかしそれまでにオシムのチームとして欧州組をインスパイヤする何かを作り上げることができなければ、国内組と欧州組の間にテンションやコミュニケーションのギャップが生じてしまうということが、ジーコのチームのときに起きたことだと思います。

チャンスがあれば誰でもがゴールを狙うということ、相手に簡単に支配しているボールをカットされないこと、相手のボールをカットしてから攻撃に移るまでの時間を大幅に短くすること、FKやCKのチャンスを確実にものにすること、試合中にぼんやりしないこと...。このようなことは海外組は身体でわかっていると思います。

ヒデがチームにうまく伝えられなかったことを、オシムは噛み砕いて選手に伝えているような気がします。
  • 2006/09/17-06:34:50
  • 投稿者 : ナイル
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[C4156] >「創造性」と「中心」

 まさしくオシムの目指す代替可能な駒と対極にある言葉だと思いました。記者は今までの経験をもとにそれが当たり前であることを疑うこともなく思っていたのだと感じました。その中から司令塔がでて抜擢されるのであろうと・・。 スター選手がヒエラルキーの頂点に君臨する スタイルではなく、全体が機能性を持って駒となり、サブの選手と代わっても、変化のない機械のようななんのヘンテツもないけど、いつも正確で狂わない一人が一人以上の役割を負わないことによって、1を11乗したときに11以下いにならずに11以上になるような(笑)全体で表現するサッカーをオシムは、欲していたのではないかと思いました。
  • 2006/09/17-05:30:41
  • 投稿者 : yk
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[C4155] 「創造性」と「中心」

>しかしオシムが必要としないのが、このふたつの単語だと思います。
 
 ふたつの単語に共通するのが「自分が原因」だと思います、決して「駒」であり、「全体」では無いと思います、私のサッカーのイメージは、中田でした、中村でした、二人の今日の活躍はどうだったでした、いつも「私が主人公」の結果を追い求めていました。
 
 オシム監督のサッカーは、ネットワークのサッカーだと思います、私が知っている限り初めてのスタイルだと思います、誰が「主役」でなく、誰が「脇役」でもない間接的なサッカーが、これからも私を楽しましてくれると思っています。
 
 最もこのプログを読んでいるだけ楽しんでいるのですが ‥‥。

[C4154] >「創造性」と「中心」

「個人プレーをして、自分を見せようとした選手がいた。その結果、リズムを失った時間があった。サッカーはサーカスではない。」
と、オシムはある試合のあと話したそうです。
 
サッカーはサーカスではないんですよ、個人の曲芸でよろこびたいなら、サーカス言って来い!ってことです。
そんなことよりもリズムが大事なんだ、と。
オシムはチームの重要なチェックポイントとして、リズムをみているんだと思いました。

リズムは独りでつくるものではないと思います。そこに重心を置いているオシムにとって、「創造性」だとか「中心」だとかの曲芸をしたがる選手は、それを失わせてしまう「足手まとい」でしかないのだと思いました。
  • 2006/09/17-01:56:06
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4153] ありゃ

>現場の空きそうなオシムには…超不要な気がしました。
現場の好きそうなオシム に訂正
 
やっぱ思うのですが、スターがいないとチームはどこまでも平坦になり、コーチまでもがサッカーして楽しいんだと思います。いろんな垣根や段差をつくらないようにオシムは配慮してるんじゃないかと思います。でも…そこまで平坦にするのはなんでだろう。なんかあるって気がします。

[C4152] >「創造性」と「中心」

オシム監督は個人が中心になって創造性を発揮するような選手は全く求めていないと思います。

しかし、創造性は必要としていると思います。

でも、前提として求めている気がします。

これは日本代表を選ぶ際の条件にフィジカルやメンタルのコンディションやテクニックや戦術理解力といった能力を挙げたことや「私が何をいうか待っているような選手はいらない。自分で判断しないといけない。サッカーは創造的なゲーム。考えない選手、アイデアのない選手はサッカーに向いていない」といった発言からも見えてきます。

ここでオシム監督が言う創造とは駒としての創造性だと思います。ここを認識しないと中心で創造性を発揮するようなタイプの選手が幾ら走ってオシム監督にアピールしても使ってもらえない気がします(汗)

チームやゲーム全体として創造が起こるようなサッカーにオシム監督は挑んでるのかなと漠然と思っています。今までスポットライトが当たってきたような個人を中心にするようなサッカーで考えると訳が解からない気もしますが(汗)

なんか想像すると気持ちよくなってきます(謎)
  • 2006/09/17-01:43:48
  • 投稿者 : ラボ
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[C4151] 「創造性」と「中心」

・・読んでいて、すごく難しいと思いました。
前は「司令塔」とゆう役割もありました。
何かの記事に(この雑誌ではないと思います)
羽生(・・汗)が「新型の司令塔」とゆう記事も
見つけました。でも本人もオシム監督もそんな事は
言ってないのではないかと思いました。
オシム監督のサッカーは、今はまだそうでない
かもしれませんが、主役がいないかわりに、
全体でダイナミックに動いているもの・・
全体がひとつの生きモノのようなチームを
作っているのではないかと思います。
・・ちょっと、違うかもしれません(汗)
そこに中心はなく、創造性とゆうよりも
変幻自在で、相手にあわせて形を変えてしまう
ような・・そんなチームなのかもしれません。
選手個人の何かが評価されるとか、
そんな事ではないと思います。
またそれを期待する選手も必要ないのかも
しれません。
これからまた生き物のように「新陳代謝」を
してゆきながら、だんだんと、チームの全体像が
見えてくるのかもしれないと思いました。






[C4150]

>ゴールへの道を明るく照らす
 
ゴールへの道を明るく照らす「創造性」と「中心」で…ってまるで絶対の「神」。そうなると…残りのチームメイトはどうなるんだろう。彼の創造性と中心に協力しないといけないのだろうか…どんな創造性も中心も…サッカーでは、11人+11人でつくるゲームのなかだというのに。
そうなると…チーム競技じゃないです。個人演技というかアイドルとその後ろで踊る人みたいになるのではないかと思いました。アイドルはゴールを照らしてんじゃなくて彼がスポットライトに照らされてるのだと思います。
そうなると監督はマネージャー業務って感じです。現場の空きそうなオシムには…超不要な気がしました。じゃぁ…オシムって…サッカー(現場)してるんだ。おぉ~スターがいないと監督もコーチもサッカーできるのかと思いました。(なんかうまく書けませんが)オシムって…楽しんでんのかもしれないと思います。

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