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-件のコメント

[C4333] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

パスを出した瞬間、そのパスがすばらしいものであれば、足を止めるのは理解できるし、実際皆よくやっていると思います。

このプレイではすばらしいパスだったようです。

それでも、走るのを止めるのはいけないとオシムを言っている訳で、どんなプレイも勝利の原因になる事はなく、試合終了の時間だけが、足を止める要因であるようです。

足を止めないという事は常に動き続ける事です。
動き続ける事はつねに、結果が連続して現れる事であり、点が入らなければ、この方法は失敗したと判るので、次の方法へ、そして、さらに動いてチャンスを作る。

走らないサッカーの場合、これが出来にくいと思います。
足を止めないサッカーというのは、勝利をより確実にすると思いました。

[C4285] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

そのアシストしたパスの後、シュートが決まらなければ、もしかしたら、「なぜ足を止めた?」という人もいるかもしれません。
それは、シュートが入らなかった原因をそこに見た場合だと思います。

でも、その後のシュートが結果として決まり、報道陣に絶賛されてるなか、「なぜ足を止めた?」と激怒したオシム監督は、やはり視点が違うと思いました。
結果オーライではないんだ。
ボールの軌跡ばかり追っているのではなく、選手をよく見ている・・本当によく見ていると思いました。

最後にシュートを決めれなかった勇人選手のように、自分も周りも責めていることを、オシム監督はほめ、みなが絶賛し、本人も喜んでいることをばっさり斬る・・

その視点は、結果だけにとらわれず、またその原因を探ることにもとらわれず、常にどういう状態でいるか・・を見ているような気がしました。

[C4279] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

>原因と結果は常に連動し、どの時点で切っても、原因として独立することはあり得ないのではないか・・と。

どこを切っても同じ金太郎飴状態でないとイケナイのだと思いました。あのへんから美味しいとかこの辺は今一とかは
選んでいるのだと思います。足を止めるて酔ったのは
美味しいところをゲットした酔いだと思いました。最後まで
試合に徹してないと全体で連動のプレイとは言えないのだなって思いました。
>だから記者がオシムを絶賛することは、自分の問題として返ってくるため
監督ってバリアをはれる人でないと出来ないかもしれないって思いました。その張りかたがオシムと他の監督とは
違うのだろうって思いました。


  • 2006/09/21-01:56:27
  • 投稿者 : Ciel
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[C4266] 流れを止めるな

ナイスパスの悦に入った瞬間オシムの構造から切断した。個人プレイの連続がサッカーと私は誤解してた。記者の視点はもりけんさんの浮遊とは違う。でもオシムサッカーなら記者でも参加できる。オシムサッカーは時間も含むくらい広いだろう。このブログからもオシムサッカーにログイン中。武蔵の件を思い出します。
  • 2006/09/20-19:38:59
  • 投稿者 : テクノン
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[C4254] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

サッカーに限らず、スポーツ新聞の見出しでは、試合を決めた選手が一面にきます。
 
もりけんさんがオシムのことを書くまで、そのことに何の違和感も持っていませんでした。

試合を決めたということは、結果に対する原因になったということですが、
原因を探っていくと、アシストした人、その前のパスを出した人・・・
と、どんどんさかのぼれます。
 
本当の原因はどこにあるのかは、わからないと思います。
 
でも、スポーツ新聞の一面には、最期に決めた選手がくることが多いです。
 
マスコミ関係者は「私は結果」を受け入れていないと思いますが、
原因を特定したわかりやすい記事を求めている側も、受け入れていないのだと思いました。
 

オシムジャパンが勝ち続けていくと、マスコミはどんな記事を書くことになるのか・・

勝因がとても、わかりいくい記事を書くのか、
それとも、勝因を特定してわかりやすく書くのか、
 
無理矢理、原因となる選手を特定した記事を書くような気がしました。。
 
  • 2006/09/20-12:46:13
  • 投稿者 : 福
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[C4243] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

記者に絶賛されてその選手はさぞかしうれしかった事でしょう。
うれしくて、次も絶賛されるようなプレイをしようと思うでしょう。
子供を褒めて育てるなと言うが、褒められるともっともっと目立つプレイにあこがれるでしょう。
目立つプレイとは直接勝ち点を入れる行為につながるもの・・・原因になりたがること・・。

しかしその選手がうまくパスできたのもその前に彼にボールを渡した別の選手がいたからであり、その前にもうまく敵をけん制できた選手がいたからであり・・と勝利への道は果てしなくつながる連鎖によって形成されるもの・・。
決して一人のスター選手によって成し遂げられるものではありません・・。

すべての選手のその一挙一動すべてが他と繋がり合うことによってラストの大団円へと進む。
やっとゴールチャンスが出来ても、うまく点の入らない悔しさはテレビを見ているだけで会場の応援団とも気持ちがシンクロしてため息が出る。
そしてうまく入った時は一緒に歓声を上げてコーフンする。
やはりスター選手は観客に一種のカタルシスを与える。
そんなファンの気持ちを代弁することがマスコミが持つ宿命かもしれない。
サッカーを育てるより、目の前の観客の興味を繋げるためなのかもしれない。
だからプロは結果がすべてだといわれるのかもしれない。
オシム監督は結果そのものよりも経過を大事にしてる・・。
実際今育てている真っ最中だし・・・。
マスコミって外側の安全地帯で批評することだけで飯を食ってるからスター選手の原因を独立させて憚らないのだと思います。
v-16
  • 2006/09/20-00:50:50
  • 投稿者 : 空タネ
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[C4242] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

推測になってしまいますが、マスコミは基本は読者に興味を持ってもらいたいという気持ちがたくさんあるから、原因となるもの(めだったもの等)を選別したいのだと思いました。

原因を選別するから、読者にいろいろな想像を膨らませることができるのではないかと思いました。
想像が膨らんだ読者は、じゃー次の展開は?という興味を持ってしまうから、どんどんマスコミの情報に飛びつくのかと思います。

でも、そんな近くに原因なんてないんだよと感じているオシム監督に対するマスコミは一般的な筋道が通らないから困惑してしまうのかと思いました。

つまり、マスコミは結果が原因を変えるというシステムは流行ではないと思っているのだと感じました。

マスコミもたじたじしてしまう、オシム監督の視点や考えはやはりかっこよいと感じます。 

[C4241] 客観性

人間は誰しも主観的にしか物事を見れないと思います。

人間は誰しも何がしかの偏見を持っています。
偏見の肯定的な表現が視点なのです。
主観を通しての客観なのです。

ですから、記者蓮中が物事を客観的に書くというこはありえません。

考えてみれば、運命というものも主観的に観なければ
悪運も好運も存在しないのかもしれません。
  • 2006/09/20-00:01:03
  • 投稿者 : ばなな
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[C4240]

人事として捉えるといくらでも偉そうに言えてしまいます。
マスコミだけでなく日頃仕事をしていると客観的に進めないと物事は進まないと思いながら行動していると思いました。
もし何々だったらこうなっただろうの話は責任がありません。
 
だから目立つ選手やプレーに標準を合わせて議論していたほうが楽だろうと思います。
 
目立つ目立たないは本来、試合には関係ないというのを忘れていると思います。
 
逆に目立つことのほうが機能的に邪魔になるとオシムが言っているように思いました。
 
サッカーをちゃんと見ていないから原因ばかりを取り上げるように思います。
 
結果につながるのはひとつではないから自分の足を止めて流れを止めるな
まだ試合は続いていたんだと言っているように思いました。
 
 
  • 2006/09/19-23:17:17
  • 投稿者 : 小町
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[C4239] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

マスコミのやっていることは、サッカー報道のみならず、政治や経済の報道でも原因探しとその分析です。今、見ている報道ステーションでも、コメンテーターが何故こういうことになったのかとかしきりに原因を分析しています。サッカー報道ではスポーツ(サッカー)評論家がゲストとして呼ばれ、どこどこの選手の功績によってこの試合は巧くいった、どこどこの選手の失態で致命的な結果を負った、そういう原因の分析がなされます。しかし、オシムのように各々の選手が原因とならないような指導法をしているチームなんかあっては仕事になりません。スター選手もいなくては、11人全員に焦点を当てなければなりません。こんな監督のチームはマスコミにとって面白くないと思います。
  • 2006/09/19-22:40:09
  • 投稿者 : おかだ
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[C4237] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

ヒーローは原因です。
原因は記事にしやすいのだと思います。
読むほうも書くほうもわかりやすいです。
ポールだけ追っていればいいからです。
 
でも、パスを出した瞬間に走り出し、
パスを受けた選手もパスを出した瞬間に走り出し、、、
動きの中でパスが通じて、湧き出てきたように見える無名の選手がゴールを決めたら、誰がヒーローかわからなくなって、記事がかけなくなってしまうのだと思います。
ヒーローは固定点で、固定点がないと記事は書きにくいのだと思います。
だから、記者は大変かも知れません。
でも、そのような動きの全体を記事にしたら、ものすごく面白いのではないかと思います。
もちろん、全部を記事にするわけにはいかないから、記者の視点で抜き出す必要があるのだと思います。
記者だって、それは面白い作業なのではないかと思います。
  • 2006/09/19-21:50:38
  • 投稿者 : ワヲン
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[C4236] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

まさに佐々木小次郎が、自分が斬ったツバメをうっとりと見ているようなものです(汗)。
剣で相手を斬った時、自分の腕前「だけ」ではなく、相手がちょうどいい所に立っていた
ということもあるのではないか、絶妙なパス(アシストパス)をすることができたのも、
その前にアシストパスがしやすいようにパスを回した選手がいたからであり、相手チーム
との関係でちょうど良い立ち居地にいたからであり、そう考えるとどこまでも結果の連続
で、原因はその行為を行った本人自身には何も無いのかなと思いました。
オシム氏が原因は独立していないということを、どうやって気が付いたのか、もしそれが問いによってだとしたら、サッカーだけではなく、他のスポーツでも勝つためにはどうしたらよいか、という問いであるなら誰でも持っているはずの問いです。
同じ問いでもオシム氏は他の人達とはまったく違う視点から、むしろもりけんさんに近い
くらいの視点から問いを持っているのはどうしてなのか、どこかで視点を変えるようなき
っかけはあったのだと思いますが、しかしその「きっかけ」に気が付くかどうかも、本人
の問いの持ち方ではないかと思いました。
e-257v-17v-12
  • 2006/09/19-21:37:06
  • 投稿者 : イーキン
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[C4235] 原因になりたい

原因になりたがるというのは、人間のデフォルトな欲求に繋がっているのかもしれません。
私の場合だったら、認められたいとか賞賛されたいに繋がっているようです。
しかし何かの原因になって認められたとしても、時間がたてば忘れられてしまいます。

一方もし原因になれたとしてもその原因になれたきっかけというものが存在していると思います。
ならば、「結果が連鎖しているだけ」で結局は原因なんてどこにあるのか分からず、ただ自分が原因であるというルールを設定しているだけのように思いました。

オシムが怒った理由はエゴによるルール設定を禁じたからのように思います。
チームの中心とかもいわばエゴによって作られたルールです。
ルール設定をすると自動的に基準ができてしまいます。

ということは基準は不動であり、変幻自在なチームにはなりにくいと思いました。

オシムにはチームは流動的というか常に変化する動きの中に存在意義があると思っているように想像しました。

動かそうとするのではなく、ただ動き続ける・・・
無為自然に近いような気がします。

[C4234] >一瞬酔ったのです。その「結果」を見届けたかったのです。

そうかも。うまく打った、ってきっと思ったと思う。あと自分の役目は果たした、とも。でもオシム監督の言うとおり、試合が終わるまでは、終わってないわ。昔、リョウコがソフトボールで、打ったあとボールの行く先を目で追って、走り忘れて一塁でアウトになったのに似とる(汗)全体の勝利より、自意識過剰が芽を出して‥。駒と化すって自意識を捨てろってことかな。みんなファンタジスタとは言わないまでも、個人の欲みたいなもんはあるから、駒になるのって難しそうや。
  • 2006/09/19-20:13:14
  • 投稿者 : 龍(ロン)
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[C4229] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

創造性とか中心って、確かに外側にいる者の言葉だと思いました。
それも全ての事情を知っていて、事情を知らない無知な相手に解説をしていると
いう感じです。
 
グラウンドの中を全力で走ってプレーする選手のように、中側にいる当事者にし
てみたら、そんな言葉は自分が偉いみたいで、恥ずかしくて言えないと思います。
  
> 原因と結果は常に連動し、どの時点で切っても、原因として独立することはあり得
>ないのではないか・・と。
 
すごい視点だし、実行に移してしまうというのが更にすごいと思いました。
 
物事の理屈として誰かに話せば、「そうだね」という返事が返ってくるかもしれません。
会話としてなら否定されることはなさそうに思います。
 
でもそれを実行に移せば、たちまち否定されると思います。
「それは理屈の上だけだろう」と。。。
それとも「それは無理だ」と最初から諦めてしまうかもしれません。
 
理屈と現実が無関係の時には何も感じなくても、現実の中で実行に移そうとすれ
ば、私たちは途端に警戒してしまうのだと思いました。
 
> 結果が連鎖しているだけだ、自分が原因になれたなどと思うな・・
 
自分が原因になれないということを受け入れるのは難しいです。
今の良い結果は私がやったから出せたんじゃないかと、どうしても思ってしまい
ます。
でもそんな考えが吹き飛んで、結果を味わう間もなく次の行動に移って、全体が
どんどん連鎖していくのを感じるのは、結果を出す喜びよりきっと興奮するし爽
快なんじゃないかと思いました。
  • 2006/09/19-18:04:50
  • 投稿者 : ぷく
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[C4228] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

 オシムにとっては絶妙なアシストパスさえも、チーム全体として見ているのだと思いました。

 だからこそシュートをはずした選手がいたとしても責めないのだと思います。

 しかし、チーム全体として、一人でも走ることを止めたものがいれば、激怒します。オシムの考えは一貫しています。納得します。

 「まさにサッカーで共産主義が始まろうとしている」とはおもしろいですね。
  • 2006/09/19-17:31:38
  • 投稿者 : 文蔵
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[C4227] >その選手はおそらく自分が勝利への原因になれたことに、一瞬酔ったのです。

マグロのように泳ぎ続けることなのかと思いました。
試合の時間のあいだはずっと。。
人生にたとえれば、死ぬまで走り続けること・・
今生での「私は結果」がわかるのは死んでスープを飲むまでのつかのまなのか・・な。。
  • 2006/09/19-17:15:57
  • 投稿者 : なみ
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[C4226] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

役割とゆうものがないんだ・・と思いました。
この人はこの仕事をしさえすれば良い・・とか、ないのだと
思います。
どの選手もボールを回し続ける、ボールがこない時も走る
そうして全体がいつも生き生きしていて、死んでる部分が
ないんだと思います。
そんな暇はないんだと思います。
走っていれば、ボールがなくても、敵の邪魔をすることも
出来ます。
アイツまだ走っているな・・とプレッシャーをかけることも
出来ます。
誰ひとりかけても、チームは機能しないんだと思います。
走ることって、誰でも出来るな・・と思います。
フリーキックを決めるのは難しい・・誰にでも出来る
ことではありません。
でもそれだけが重要ではないんだと思いました。
流れの中で、目立つプレーがあるだけです。
勝手にそれだけもてはやされています・・。
でも周りが動き、走っている、その中で
それに繋がるものがあったから・・出て来たもの
なんだと思います。
無関係なものなどなく
独立したものはないのかもしれません。

[C4225] というか・・

客観的に見れるといっても、
結局は偏った見方になっていると思いました。
  • 2006/09/19-13:58:38
  • 投稿者 : まる
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[C4224] 記者から

絶賛される一人の目立った選手が出るうちは
監督の思うようなサッカーが出来ていないんだなと
思いました。
>原因として独立することはあり得ない
絶妙なアシストパスが素晴らしいのではなく、
アシストパスはただ連動している結果のひとつにすぎず、
その後も変わらず動くこと、足を止めないことが大事・・。
事象の外側にいて客観的に見るということが、
決して良いことばかりではなく表面的にしか捉えていなかったり、
原因ばかりにスポットを当ててしまう場合もあるんだなと
思いました。
  • 2006/09/19-13:28:38
  • 投稿者 : まる
  • URL
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[C4223] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

 
オシムは「足を止める」ということを極端に嫌っていると思いました。
それは試合の最中だけではないのだと思います。
たとえば、「休日から得るものは何もない」といって、休日なしの練習を敢行したりもしています。
「走りながら考える」というのもそうですが、「足を止めない」というのは道教をイメージさせます。
道教には自転車を漕ぎ続けるようなイメージがあるからです。
それは「時間がない」という感覚なのかもしれません。
無為自然とは足を止めずに走り続けることなのかもしれないと思いました。
  • 2006/09/19-12:51:54
  • 投稿者 : くるみ
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[C4222]

>結果が連鎖しているだけだ、
 
このフレーズものすごくきました。現状はいつもいつも繋がってるのに、そのリスクの現場で…なぜそこで止まるのか。ホントに自分の事だと思いました。お前はそのとき生きてんのか?死んでるのか?その止まった時間、エアポケットはなんだ?お前はどこにいた?現場にいたのか?それでいいのか?お前が殺したのはなんだ?お前のパスを繋いだのは誰だ?おまえはリスクといたんじゃないのか?と怒濤のごとく言われてる気がします。…思うのですが、サッカーだから死なないけど、戦場だったら死んでるかもしれません。よくわかんないんですがオシムに取ってサッカーは命がけなんだと思います。物理的に斬った斬らない、点を取った取らないだけでなく、精神的になにかの戦場にいるのだという気がします。そしてそれを記事にしにくいってのは…サッカーを越えて皆がぶちあたってる壁なんだと思います。(日頃は迂回してさけてるような)

[C4221] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

オシムは選手一人一人の肉体と精神が連鎖によってプレーしているという視点だけを強固に持ち続けているようにみえます。
見方をかえると、選手一人一人は絶対者ではないという出発点があるのだと思います。
そんな中で、選手は次第に、チームの中に「個」を埋没させる状態を感じて行くのかも知れません。

全体は一人の選手がなくても成り立ちません。
しかし全体は、一人の選手の中にはねかえり果てしなく能力を開発して行く。
そんな状態を思いました。

[C4220] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

スポーツ全般からいうと。。なんとなく。。すっきり感と爽快感が。。経路系かなとおもっていました。。オシム氏が、出身地とかにも。注目してたことなど。。とかからは磁場的。。ものを感じました。。。戦力として。。選手をあらゆる面からデータ―化していて。。各戦力として。。プラスチーム力としての100パーセント即戦力を。。めざしているのかもと。。思えました。。
  • 2006/09/19-11:52:02
  • 投稿者 : バニー
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[C4219] 自分の問題として返ってくる

なんとなく記者の気持ちが分かる気がしました。私は今までもりけんさんの本や、DVDを見たり読んだりしたことがありましたが、なぜかアネモネを読んだとき、頭がぐるんぐるんして書き込みをはじめました。そしてパソコンを開いてHPに来るときも恐かったです。自分の問題になるからです。でもなぜか恥をさらしてでも毎日きているうちに、恐さがだんだん快感になっていきました。今でもガンガンきていますが、ただ恐いだけではない感覚になっています。私は原因から結果に変化するには自力ではできないと感じています。書き込みをしていなかったら、自分はなんで生きているかを原因の世界から考えていたのではないかと思いました。
  • 2006/09/19-11:47:50
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4218] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

絶妙なアシストパスが得点を産み出し、記者は絶賛、当の選手本人はいい気持ちになる・・・
というのは当たり前のことだと思います。
誰もがそう思うでしょう。
でもきっと、オシム監督は、「点が入ったから良いということは一切ない」と言いたいのではと思います。
得点だけに注目するサッカーを否定しているのではと思います。
そういうサッカーは、あのときもしボールがゴールからはじかれたとき、ひたすら残念がられては、最後にボールを蹴った人のミスだけクローズアップされるのだと思います。
直前に絶妙なパスがあったなど、誰の気にも留められないかも知れません。
オシム監督のいう全員が走り続けるサッカーならば、絶妙なパスからシュートの後、もしはずれてもまた絶妙なパスへとつながりそうです。
選手全てを対等な駒として、監督は試合中ずっと目を光らせているからには、点に結びつかなくても、ボールの来ないポジションであっても、誰がいい動きをしたかを余さずチェックしていそうです。
素晴らしいプレイは素晴らしいに決まっているけれど、そこだけ切り取るのはサッカーではないのだとわかってきました。
つなげてつなげて走って走り、爽快感を得るサッカーこそが監督の望むあり方かと思います。
それは、選手はもちろんのこと、観客もマスコミもボールがどこへ渡って誰が運ぶかハラハラドキドキしっぱなしのこれまでにないくらい刺激的なサッカーだと思います。
良いプレイをした選手が、賞賛を浴びて酔ってしまえば、それはもりけんさんの言われる蓄積まっしぐらでもあり、やがて駒となって走れる選手という軽さからは遠ざかってしまうのでしょう。
この、記者が絶賛したアシストパスの直後も、「上手く行ったかも」と止まってコースを見定めるのではなく、続いて走ってこぼれ球へ備えた前傾姿勢で、走りながらゴールネットが揺れるのを見届けた方が、選手本人の喜びは、ゴールを決めた選手の分も味わえて、快感・刺激・感動全て、もっと深かったように思えてきました。
  • 2006/09/19-09:42:51
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4217] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

パスを出すことも、出したあとに走ることも同じくらい対等に大事なことだったからかなと思いました。 
 パスを出した瞬間はまだインプレーで、一連のプレーが終了したわけではありません。次の今のために、機能的なポジションを取るために走っていくことが、彼の役目でありそのなかのひとつとして、いいパスが出せただけだったのかもしれません。ひとりが止まると全体としての機能性は低下して、流れとして伝達してきたそれぞれの力が伝達できなくそこで停滞してしまうと思います。次の動作のためにまだボールが生きてインプレーの間はバックアップにまわるということは、球技のようなチーム・スポーツはオシム流でなくても、基本中の基本であると思います。自分のパスによってゴールが決定する前に見切りで足を止めた選手は、チーム全体の流れまでも止めてしまったのかもしれません。
  • 2006/09/19-07:21:25
  • 投稿者 : yk
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[C4216] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

中学校でサッカーの授業があったことを思い出しました。「とにかくボールのあるほうに全員で走る(笑)」とか「他の選手より前に出る」とかそれより高度なことは全く頭に残っていませんが、ボールを蹴ったら止まるなということはかなり言われたような記憶があります。サッカーの基本中の基本です。

野球でもサッカーでもプロの選手は中学で習う基本とは違う自分流の流儀でプレーをしていても、今まであまりへんだとも思いませんでした。結果が残せれば誰も文句を言う人は居ないからです。

たしかに中学校で習うことを、そろそろおっさんになりかけたプロの選手がマトモにやっていては、身体がもたないかもしれませんが、天才でもない限り、そして体調が悪くない限り、やったほうがいいと思います。

人は自分にむかってウソをつく動物です。もし瞑想かなにかで「おれはおんなにもてたいからサッカーをやってるんだあ」というところまで正直になれたら「楽したいから走るのをさぼったんだあ」という自分が見たくない自分を認めて、そこからまたプレーしていくというのもたしかにいいと思います。

しかし、それよりも「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」 と指摘してくれる監督がいるほうが、健全なのではないかと思いました。オシムは監督の仕事をやっただけだと思いました。
  • 2006/09/19-06:51:13
  • 投稿者 : ナイル
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[C4215] >>「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

オシム氏は自分が絶賛されることは望んでいないのではないかと思います。それは、足を止めることにもなるからです。過去に引き戻され、今を見失う事にも繋がると思います。だから、優勝した時、胴上げも拒否したのかもしれないと思います。絶賛されることよりも、結果を残し続けていくことに重点を置いているように思います。結果を振り返らず、次に向かって行くリズムを大事にしているのではと思います。それが、結局は結果に繋がっていくから。。。皆が望んでいる結果に。。。

[C4214] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

>結果が連鎖しているだけだ。自分が原因になれたと思うな

記者は、本来、連鎖しているであろう事象を一方的に切り、
その切り口を、いいように評価しているのだと思いました。

オシムは、足を止めてはならない。。
といっているのだと思いました。

なぜなら、原因は個にないから・・

足を止めたら、全体の流れが途切れてしまうから・・


 
  • 2006/09/19-01:52:45
  • 投稿者 : あかり
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「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

 
「私は結果」を一番受け入れないのが、マスコミ関係者ではないかと思います。自分たちは事象の外側にいて、客観的にモノを見れると信じているからです。あらゆるものから独立していると思っているからです。
 独立しているからこそ、創造性とか中心という単語が、何の違和感もなく出てくるのです。
 世の中を動かしているのは自分たちだ・・と言わんばかりです。
 
 スター選手は「原因」になることができるとされています。だから、できるだけ多くの「原因」を集めることが、勝利への道だと思いこんでいます。
 
 しかしオシムの面白さは、そこに問いを発したことだと思います。
 
 原因と結果は常に連動し、どの時点で切っても、原因として独立することはあり得ないのではないか・・と。
 
 ある試合で絶妙なパス(アシストパス)をした選手がいました。試合終了後、彼は記者からインタビューされ、絶賛されていました。
 しかし記者がいなくなると、オシムは激怒して言ったのです。
 
「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」
 
 その選手はおそらく自分が勝利への原因になれたことに、一瞬酔ったのです。その「結果」を見届けたかったのです。
 しかしそのボールが、うまくヘディングされる可能性は100%ではありません。
 
 結果が連鎖しているだけだ、自分が原因になれたなどと思うな・・とオシムは言っているように思えます。
 
 だから記者がオシムを絶賛することは、自分の問題として返ってくるため、なかなかやりにくいのです。
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30件のコメント

[C4333] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

パスを出した瞬間、そのパスがすばらしいものであれば、足を止めるのは理解できるし、実際皆よくやっていると思います。

このプレイではすばらしいパスだったようです。

それでも、走るのを止めるのはいけないとオシムを言っている訳で、どんなプレイも勝利の原因になる事はなく、試合終了の時間だけが、足を止める要因であるようです。

足を止めないという事は常に動き続ける事です。
動き続ける事はつねに、結果が連続して現れる事であり、点が入らなければ、この方法は失敗したと判るので、次の方法へ、そして、さらに動いてチャンスを作る。

走らないサッカーの場合、これが出来にくいと思います。
足を止めないサッカーというのは、勝利をより確実にすると思いました。

[C4285] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

そのアシストしたパスの後、シュートが決まらなければ、もしかしたら、「なぜ足を止めた?」という人もいるかもしれません。
それは、シュートが入らなかった原因をそこに見た場合だと思います。

でも、その後のシュートが結果として決まり、報道陣に絶賛されてるなか、「なぜ足を止めた?」と激怒したオシム監督は、やはり視点が違うと思いました。
結果オーライではないんだ。
ボールの軌跡ばかり追っているのではなく、選手をよく見ている・・本当によく見ていると思いました。

最後にシュートを決めれなかった勇人選手のように、自分も周りも責めていることを、オシム監督はほめ、みなが絶賛し、本人も喜んでいることをばっさり斬る・・

その視点は、結果だけにとらわれず、またその原因を探ることにもとらわれず、常にどういう状態でいるか・・を見ているような気がしました。

[C4279] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

>原因と結果は常に連動し、どの時点で切っても、原因として独立することはあり得ないのではないか・・と。

どこを切っても同じ金太郎飴状態でないとイケナイのだと思いました。あのへんから美味しいとかこの辺は今一とかは
選んでいるのだと思います。足を止めるて酔ったのは
美味しいところをゲットした酔いだと思いました。最後まで
試合に徹してないと全体で連動のプレイとは言えないのだなって思いました。
>だから記者がオシムを絶賛することは、自分の問題として返ってくるため
監督ってバリアをはれる人でないと出来ないかもしれないって思いました。その張りかたがオシムと他の監督とは
違うのだろうって思いました。


  • 2006/09/21-01:56:27
  • 投稿者 : Ciel
  • URL
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[C4266] 流れを止めるな

ナイスパスの悦に入った瞬間オシムの構造から切断した。個人プレイの連続がサッカーと私は誤解してた。記者の視点はもりけんさんの浮遊とは違う。でもオシムサッカーなら記者でも参加できる。オシムサッカーは時間も含むくらい広いだろう。このブログからもオシムサッカーにログイン中。武蔵の件を思い出します。
  • 2006/09/20-19:38:59
  • 投稿者 : テクノン
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[C4254] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

サッカーに限らず、スポーツ新聞の見出しでは、試合を決めた選手が一面にきます。
 
もりけんさんがオシムのことを書くまで、そのことに何の違和感も持っていませんでした。

試合を決めたということは、結果に対する原因になったということですが、
原因を探っていくと、アシストした人、その前のパスを出した人・・・
と、どんどんさかのぼれます。
 
本当の原因はどこにあるのかは、わからないと思います。
 
でも、スポーツ新聞の一面には、最期に決めた選手がくることが多いです。
 
マスコミ関係者は「私は結果」を受け入れていないと思いますが、
原因を特定したわかりやすい記事を求めている側も、受け入れていないのだと思いました。
 

オシムジャパンが勝ち続けていくと、マスコミはどんな記事を書くことになるのか・・

勝因がとても、わかりいくい記事を書くのか、
それとも、勝因を特定してわかりやすく書くのか、
 
無理矢理、原因となる選手を特定した記事を書くような気がしました。。
 
  • 2006/09/20-12:46:13
  • 投稿者 : 福
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[C4243] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

記者に絶賛されてその選手はさぞかしうれしかった事でしょう。
うれしくて、次も絶賛されるようなプレイをしようと思うでしょう。
子供を褒めて育てるなと言うが、褒められるともっともっと目立つプレイにあこがれるでしょう。
目立つプレイとは直接勝ち点を入れる行為につながるもの・・・原因になりたがること・・。

しかしその選手がうまくパスできたのもその前に彼にボールを渡した別の選手がいたからであり、その前にもうまく敵をけん制できた選手がいたからであり・・と勝利への道は果てしなくつながる連鎖によって形成されるもの・・。
決して一人のスター選手によって成し遂げられるものではありません・・。

すべての選手のその一挙一動すべてが他と繋がり合うことによってラストの大団円へと進む。
やっとゴールチャンスが出来ても、うまく点の入らない悔しさはテレビを見ているだけで会場の応援団とも気持ちがシンクロしてため息が出る。
そしてうまく入った時は一緒に歓声を上げてコーフンする。
やはりスター選手は観客に一種のカタルシスを与える。
そんなファンの気持ちを代弁することがマスコミが持つ宿命かもしれない。
サッカーを育てるより、目の前の観客の興味を繋げるためなのかもしれない。
だからプロは結果がすべてだといわれるのかもしれない。
オシム監督は結果そのものよりも経過を大事にしてる・・。
実際今育てている真っ最中だし・・・。
マスコミって外側の安全地帯で批評することだけで飯を食ってるからスター選手の原因を独立させて憚らないのだと思います。
v-16
  • 2006/09/20-00:50:50
  • 投稿者 : 空タネ
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[C4242] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

推測になってしまいますが、マスコミは基本は読者に興味を持ってもらいたいという気持ちがたくさんあるから、原因となるもの(めだったもの等)を選別したいのだと思いました。

原因を選別するから、読者にいろいろな想像を膨らませることができるのではないかと思いました。
想像が膨らんだ読者は、じゃー次の展開は?という興味を持ってしまうから、どんどんマスコミの情報に飛びつくのかと思います。

でも、そんな近くに原因なんてないんだよと感じているオシム監督に対するマスコミは一般的な筋道が通らないから困惑してしまうのかと思いました。

つまり、マスコミは結果が原因を変えるというシステムは流行ではないと思っているのだと感じました。

マスコミもたじたじしてしまう、オシム監督の視点や考えはやはりかっこよいと感じます。 

[C4241] 客観性

人間は誰しも主観的にしか物事を見れないと思います。

人間は誰しも何がしかの偏見を持っています。
偏見の肯定的な表現が視点なのです。
主観を通しての客観なのです。

ですから、記者蓮中が物事を客観的に書くというこはありえません。

考えてみれば、運命というものも主観的に観なければ
悪運も好運も存在しないのかもしれません。
  • 2006/09/20-00:01:03
  • 投稿者 : ばなな
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[C4240]

人事として捉えるといくらでも偉そうに言えてしまいます。
マスコミだけでなく日頃仕事をしていると客観的に進めないと物事は進まないと思いながら行動していると思いました。
もし何々だったらこうなっただろうの話は責任がありません。
 
だから目立つ選手やプレーに標準を合わせて議論していたほうが楽だろうと思います。
 
目立つ目立たないは本来、試合には関係ないというのを忘れていると思います。
 
逆に目立つことのほうが機能的に邪魔になるとオシムが言っているように思いました。
 
サッカーをちゃんと見ていないから原因ばかりを取り上げるように思います。
 
結果につながるのはひとつではないから自分の足を止めて流れを止めるな
まだ試合は続いていたんだと言っているように思いました。
 
 
  • 2006/09/19-23:17:17
  • 投稿者 : 小町
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[C4239] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

マスコミのやっていることは、サッカー報道のみならず、政治や経済の報道でも原因探しとその分析です。今、見ている報道ステーションでも、コメンテーターが何故こういうことになったのかとかしきりに原因を分析しています。サッカー報道ではスポーツ(サッカー)評論家がゲストとして呼ばれ、どこどこの選手の功績によってこの試合は巧くいった、どこどこの選手の失態で致命的な結果を負った、そういう原因の分析がなされます。しかし、オシムのように各々の選手が原因とならないような指導法をしているチームなんかあっては仕事になりません。スター選手もいなくては、11人全員に焦点を当てなければなりません。こんな監督のチームはマスコミにとって面白くないと思います。
  • 2006/09/19-22:40:09
  • 投稿者 : おかだ
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[C4237] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

ヒーローは原因です。
原因は記事にしやすいのだと思います。
読むほうも書くほうもわかりやすいです。
ポールだけ追っていればいいからです。
 
でも、パスを出した瞬間に走り出し、
パスを受けた選手もパスを出した瞬間に走り出し、、、
動きの中でパスが通じて、湧き出てきたように見える無名の選手がゴールを決めたら、誰がヒーローかわからなくなって、記事がかけなくなってしまうのだと思います。
ヒーローは固定点で、固定点がないと記事は書きにくいのだと思います。
だから、記者は大変かも知れません。
でも、そのような動きの全体を記事にしたら、ものすごく面白いのではないかと思います。
もちろん、全部を記事にするわけにはいかないから、記者の視点で抜き出す必要があるのだと思います。
記者だって、それは面白い作業なのではないかと思います。
  • 2006/09/19-21:50:38
  • 投稿者 : ワヲン
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[C4236] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

まさに佐々木小次郎が、自分が斬ったツバメをうっとりと見ているようなものです(汗)。
剣で相手を斬った時、自分の腕前「だけ」ではなく、相手がちょうどいい所に立っていた
ということもあるのではないか、絶妙なパス(アシストパス)をすることができたのも、
その前にアシストパスがしやすいようにパスを回した選手がいたからであり、相手チーム
との関係でちょうど良い立ち居地にいたからであり、そう考えるとどこまでも結果の連続
で、原因はその行為を行った本人自身には何も無いのかなと思いました。
オシム氏が原因は独立していないということを、どうやって気が付いたのか、もしそれが問いによってだとしたら、サッカーだけではなく、他のスポーツでも勝つためにはどうしたらよいか、という問いであるなら誰でも持っているはずの問いです。
同じ問いでもオシム氏は他の人達とはまったく違う視点から、むしろもりけんさんに近い
くらいの視点から問いを持っているのはどうしてなのか、どこかで視点を変えるようなき
っかけはあったのだと思いますが、しかしその「きっかけ」に気が付くかどうかも、本人
の問いの持ち方ではないかと思いました。
e-257v-17v-12
  • 2006/09/19-21:37:06
  • 投稿者 : イーキン
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[C4235] 原因になりたい

原因になりたがるというのは、人間のデフォルトな欲求に繋がっているのかもしれません。
私の場合だったら、認められたいとか賞賛されたいに繋がっているようです。
しかし何かの原因になって認められたとしても、時間がたてば忘れられてしまいます。

一方もし原因になれたとしてもその原因になれたきっかけというものが存在していると思います。
ならば、「結果が連鎖しているだけ」で結局は原因なんてどこにあるのか分からず、ただ自分が原因であるというルールを設定しているだけのように思いました。

オシムが怒った理由はエゴによるルール設定を禁じたからのように思います。
チームの中心とかもいわばエゴによって作られたルールです。
ルール設定をすると自動的に基準ができてしまいます。

ということは基準は不動であり、変幻自在なチームにはなりにくいと思いました。

オシムにはチームは流動的というか常に変化する動きの中に存在意義があると思っているように想像しました。

動かそうとするのではなく、ただ動き続ける・・・
無為自然に近いような気がします。

[C4234] >一瞬酔ったのです。その「結果」を見届けたかったのです。

そうかも。うまく打った、ってきっと思ったと思う。あと自分の役目は果たした、とも。でもオシム監督の言うとおり、試合が終わるまでは、終わってないわ。昔、リョウコがソフトボールで、打ったあとボールの行く先を目で追って、走り忘れて一塁でアウトになったのに似とる(汗)全体の勝利より、自意識過剰が芽を出して‥。駒と化すって自意識を捨てろってことかな。みんなファンタジスタとは言わないまでも、個人の欲みたいなもんはあるから、駒になるのって難しそうや。
  • 2006/09/19-20:13:14
  • 投稿者 : 龍(ロン)
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[C4229] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

創造性とか中心って、確かに外側にいる者の言葉だと思いました。
それも全ての事情を知っていて、事情を知らない無知な相手に解説をしていると
いう感じです。
 
グラウンドの中を全力で走ってプレーする選手のように、中側にいる当事者にし
てみたら、そんな言葉は自分が偉いみたいで、恥ずかしくて言えないと思います。
  
> 原因と結果は常に連動し、どの時点で切っても、原因として独立することはあり得
>ないのではないか・・と。
 
すごい視点だし、実行に移してしまうというのが更にすごいと思いました。
 
物事の理屈として誰かに話せば、「そうだね」という返事が返ってくるかもしれません。
会話としてなら否定されることはなさそうに思います。
 
でもそれを実行に移せば、たちまち否定されると思います。
「それは理屈の上だけだろう」と。。。
それとも「それは無理だ」と最初から諦めてしまうかもしれません。
 
理屈と現実が無関係の時には何も感じなくても、現実の中で実行に移そうとすれ
ば、私たちは途端に警戒してしまうのだと思いました。
 
> 結果が連鎖しているだけだ、自分が原因になれたなどと思うな・・
 
自分が原因になれないということを受け入れるのは難しいです。
今の良い結果は私がやったから出せたんじゃないかと、どうしても思ってしまい
ます。
でもそんな考えが吹き飛んで、結果を味わう間もなく次の行動に移って、全体が
どんどん連鎖していくのを感じるのは、結果を出す喜びよりきっと興奮するし爽
快なんじゃないかと思いました。
  • 2006/09/19-18:04:50
  • 投稿者 : ぷく
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[C4228] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

 オシムにとっては絶妙なアシストパスさえも、チーム全体として見ているのだと思いました。

 だからこそシュートをはずした選手がいたとしても責めないのだと思います。

 しかし、チーム全体として、一人でも走ることを止めたものがいれば、激怒します。オシムの考えは一貫しています。納得します。

 「まさにサッカーで共産主義が始まろうとしている」とはおもしろいですね。
  • 2006/09/19-17:31:38
  • 投稿者 : 文蔵
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[C4227] >その選手はおそらく自分が勝利への原因になれたことに、一瞬酔ったのです。

マグロのように泳ぎ続けることなのかと思いました。
試合の時間のあいだはずっと。。
人生にたとえれば、死ぬまで走り続けること・・
今生での「私は結果」がわかるのは死んでスープを飲むまでのつかのまなのか・・な。。
  • 2006/09/19-17:15:57
  • 投稿者 : なみ
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[C4226] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

役割とゆうものがないんだ・・と思いました。
この人はこの仕事をしさえすれば良い・・とか、ないのだと
思います。
どの選手もボールを回し続ける、ボールがこない時も走る
そうして全体がいつも生き生きしていて、死んでる部分が
ないんだと思います。
そんな暇はないんだと思います。
走っていれば、ボールがなくても、敵の邪魔をすることも
出来ます。
アイツまだ走っているな・・とプレッシャーをかけることも
出来ます。
誰ひとりかけても、チームは機能しないんだと思います。
走ることって、誰でも出来るな・・と思います。
フリーキックを決めるのは難しい・・誰にでも出来る
ことではありません。
でもそれだけが重要ではないんだと思いました。
流れの中で、目立つプレーがあるだけです。
勝手にそれだけもてはやされています・・。
でも周りが動き、走っている、その中で
それに繋がるものがあったから・・出て来たもの
なんだと思います。
無関係なものなどなく
独立したものはないのかもしれません。

[C4225] というか・・

客観的に見れるといっても、
結局は偏った見方になっていると思いました。
  • 2006/09/19-13:58:38
  • 投稿者 : まる
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[C4224] 記者から

絶賛される一人の目立った選手が出るうちは
監督の思うようなサッカーが出来ていないんだなと
思いました。
>原因として独立することはあり得ない
絶妙なアシストパスが素晴らしいのではなく、
アシストパスはただ連動している結果のひとつにすぎず、
その後も変わらず動くこと、足を止めないことが大事・・。
事象の外側にいて客観的に見るということが、
決して良いことばかりではなく表面的にしか捉えていなかったり、
原因ばかりにスポットを当ててしまう場合もあるんだなと
思いました。
  • 2006/09/19-13:28:38
  • 投稿者 : まる
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[C4223] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

 
オシムは「足を止める」ということを極端に嫌っていると思いました。
それは試合の最中だけではないのだと思います。
たとえば、「休日から得るものは何もない」といって、休日なしの練習を敢行したりもしています。
「走りながら考える」というのもそうですが、「足を止めない」というのは道教をイメージさせます。
道教には自転車を漕ぎ続けるようなイメージがあるからです。
それは「時間がない」という感覚なのかもしれません。
無為自然とは足を止めずに走り続けることなのかもしれないと思いました。
  • 2006/09/19-12:51:54
  • 投稿者 : くるみ
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[C4222]

>結果が連鎖しているだけだ、
 
このフレーズものすごくきました。現状はいつもいつも繋がってるのに、そのリスクの現場で…なぜそこで止まるのか。ホントに自分の事だと思いました。お前はそのとき生きてんのか?死んでるのか?その止まった時間、エアポケットはなんだ?お前はどこにいた?現場にいたのか?それでいいのか?お前が殺したのはなんだ?お前のパスを繋いだのは誰だ?おまえはリスクといたんじゃないのか?と怒濤のごとく言われてる気がします。…思うのですが、サッカーだから死なないけど、戦場だったら死んでるかもしれません。よくわかんないんですがオシムに取ってサッカーは命がけなんだと思います。物理的に斬った斬らない、点を取った取らないだけでなく、精神的になにかの戦場にいるのだという気がします。そしてそれを記事にしにくいってのは…サッカーを越えて皆がぶちあたってる壁なんだと思います。(日頃は迂回してさけてるような)

[C4221] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

オシムは選手一人一人の肉体と精神が連鎖によってプレーしているという視点だけを強固に持ち続けているようにみえます。
見方をかえると、選手一人一人は絶対者ではないという出発点があるのだと思います。
そんな中で、選手は次第に、チームの中に「個」を埋没させる状態を感じて行くのかも知れません。

全体は一人の選手がなくても成り立ちません。
しかし全体は、一人の選手の中にはねかえり果てしなく能力を開発して行く。
そんな状態を思いました。

[C4220] 「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

スポーツ全般からいうと。。なんとなく。。すっきり感と爽快感が。。経路系かなとおもっていました。。オシム氏が、出身地とかにも。注目してたことなど。。とかからは磁場的。。ものを感じました。。。戦力として。。選手をあらゆる面からデータ―化していて。。各戦力として。。プラスチーム力としての100パーセント即戦力を。。めざしているのかもと。。思えました。。
  • 2006/09/19-11:52:02
  • 投稿者 : バニー
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[C4219] 自分の問題として返ってくる

なんとなく記者の気持ちが分かる気がしました。私は今までもりけんさんの本や、DVDを見たり読んだりしたことがありましたが、なぜかアネモネを読んだとき、頭がぐるんぐるんして書き込みをはじめました。そしてパソコンを開いてHPに来るときも恐かったです。自分の問題になるからです。でもなぜか恥をさらしてでも毎日きているうちに、恐さがだんだん快感になっていきました。今でもガンガンきていますが、ただ恐いだけではない感覚になっています。私は原因から結果に変化するには自力ではできないと感じています。書き込みをしていなかったら、自分はなんで生きているかを原因の世界から考えていたのではないかと思いました。
  • 2006/09/19-11:47:50
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4218] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

絶妙なアシストパスが得点を産み出し、記者は絶賛、当の選手本人はいい気持ちになる・・・
というのは当たり前のことだと思います。
誰もがそう思うでしょう。
でもきっと、オシム監督は、「点が入ったから良いということは一切ない」と言いたいのではと思います。
得点だけに注目するサッカーを否定しているのではと思います。
そういうサッカーは、あのときもしボールがゴールからはじかれたとき、ひたすら残念がられては、最後にボールを蹴った人のミスだけクローズアップされるのだと思います。
直前に絶妙なパスがあったなど、誰の気にも留められないかも知れません。
オシム監督のいう全員が走り続けるサッカーならば、絶妙なパスからシュートの後、もしはずれてもまた絶妙なパスへとつながりそうです。
選手全てを対等な駒として、監督は試合中ずっと目を光らせているからには、点に結びつかなくても、ボールの来ないポジションであっても、誰がいい動きをしたかを余さずチェックしていそうです。
素晴らしいプレイは素晴らしいに決まっているけれど、そこだけ切り取るのはサッカーではないのだとわかってきました。
つなげてつなげて走って走り、爽快感を得るサッカーこそが監督の望むあり方かと思います。
それは、選手はもちろんのこと、観客もマスコミもボールがどこへ渡って誰が運ぶかハラハラドキドキしっぱなしのこれまでにないくらい刺激的なサッカーだと思います。
良いプレイをした選手が、賞賛を浴びて酔ってしまえば、それはもりけんさんの言われる蓄積まっしぐらでもあり、やがて駒となって走れる選手という軽さからは遠ざかってしまうのでしょう。
この、記者が絶賛したアシストパスの直後も、「上手く行ったかも」と止まってコースを見定めるのではなく、続いて走ってこぼれ球へ備えた前傾姿勢で、走りながらゴールネットが揺れるのを見届けた方が、選手本人の喜びは、ゴールを決めた選手の分も味わえて、快感・刺激・感動全て、もっと深かったように思えてきました。
  • 2006/09/19-09:42:51
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4217] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

パスを出すことも、出したあとに走ることも同じくらい対等に大事なことだったからかなと思いました。 
 パスを出した瞬間はまだインプレーで、一連のプレーが終了したわけではありません。次の今のために、機能的なポジションを取るために走っていくことが、彼の役目でありそのなかのひとつとして、いいパスが出せただけだったのかもしれません。ひとりが止まると全体としての機能性は低下して、流れとして伝達してきたそれぞれの力が伝達できなくそこで停滞してしまうと思います。次の動作のためにまだボールが生きてインプレーの間はバックアップにまわるということは、球技のようなチーム・スポーツはオシム流でなくても、基本中の基本であると思います。自分のパスによってゴールが決定する前に見切りで足を止めた選手は、チーム全体の流れまでも止めてしまったのかもしれません。
  • 2006/09/19-07:21:25
  • 投稿者 : yk
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[C4216] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」

中学校でサッカーの授業があったことを思い出しました。「とにかくボールのあるほうに全員で走る(笑)」とか「他の選手より前に出る」とかそれより高度なことは全く頭に残っていませんが、ボールを蹴ったら止まるなということはかなり言われたような記憶があります。サッカーの基本中の基本です。

野球でもサッカーでもプロの選手は中学で習う基本とは違う自分流の流儀でプレーをしていても、今まであまりへんだとも思いませんでした。結果が残せれば誰も文句を言う人は居ないからです。

たしかに中学校で習うことを、そろそろおっさんになりかけたプロの選手がマトモにやっていては、身体がもたないかもしれませんが、天才でもない限り、そして体調が悪くない限り、やったほうがいいと思います。

人は自分にむかってウソをつく動物です。もし瞑想かなにかで「おれはおんなにもてたいからサッカーをやってるんだあ」というところまで正直になれたら「楽したいから走るのをさぼったんだあ」という自分が見たくない自分を認めて、そこからまたプレーしていくというのもたしかにいいと思います。

しかし、それよりも「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ?」 と指摘してくれる監督がいるほうが、健全なのではないかと思いました。オシムは監督の仕事をやっただけだと思いました。
  • 2006/09/19-06:51:13
  • 投稿者 : ナイル
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[C4215] >>「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

オシム氏は自分が絶賛されることは望んでいないのではないかと思います。それは、足を止めることにもなるからです。過去に引き戻され、今を見失う事にも繋がると思います。だから、優勝した時、胴上げも拒否したのかもしれないと思います。絶賛されることよりも、結果を残し続けていくことに重点を置いているように思います。結果を振り返らず、次に向かって行くリズムを大事にしているのではと思います。それが、結局は結果に繋がっていくから。。。皆が望んでいる結果に。。。

[C4214] >「パスを出した瞬間、なぜ足を止めたんだ」

>結果が連鎖しているだけだ。自分が原因になれたと思うな

記者は、本来、連鎖しているであろう事象を一方的に切り、
その切り口を、いいように評価しているのだと思いました。

オシムは、足を止めてはならない。。
といっているのだと思いました。

なぜなら、原因は個にないから・・

足を止めたら、全体の流れが途切れてしまうから・・


 
  • 2006/09/19-01:52:45
  • 投稿者 : あかり
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