Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

-件のコメント

[C4386] シュートを外す・・

ど真ん中を見ていない指導者だったら、どんなことを
言われただろうと思います。
そして勇人はどうなっていただろうと思います。
>「シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、
あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか」
勇人自身、シュートを外したことだけに焦点が
当たっていたのではないかと思います。
あの時間帯にあれだけ走った・・
ゲームはつながっているということ、ど真ん中を見てくれる
監督とのつながり・・。
ど真ん中って、スゴク大事なところだと思いました。
  • 2006/09/24-12:04:16
  • 投稿者 : まる
  • URL
  • 編集

[C4346] >ど真ん中

>プレーとは関係ないところで評価されることが我慢できなかった

プレーにおけるミスを、プレー中の動きに原因を置くならまだしも、その選手の外見(見た目)や生活態度までをも原因とする指導者の方は割合多いと思います。
これは、その選手に関わる(内面、外面を含めた)あらゆることが、プレーの良し悪しという結果に対する原因となるという考え方だと言えます。

しかし、それらは「本当に根拠があって言ってるのか?」と思える内容がほとんどです。
むしろ根拠は無く、しかもそれらは別に原因では無いんじゃないか?とも思ってしまいます。なぜなら、それらを正したところでたいして良い結果が残せないことが多いからです(爆)(例えば、プロ野球で野村監督の指揮していた阪神、楽天とか・・)
おそらく、言ってる本人も、きちんとした根拠があるか、本当の原因であるかということをちゃんと分析したり考えたりせずに喋ってることがほとんどではないかと思えます(爆)

けれど、結果に対する理由付けをしすぎると、逆に本当に関係のある理由と別に関係の無い原因とがゴチャゴチャになってしまい、良い結果を出そうとしても、むしろそれから遠ざかっていってしまうのではないかと思います。

[C4342] >ど真ん中

>プレーそのもののど真ん中だけを評価してきたのが、オシムだったのではないでしょうか・・。

こういうオシムの視点に、小平の「白猫でも黒猫 でもネズミをとるのが良い猫だ」という言葉が頭に浮かびました。選手として自らの役割を果たし、チームに貢献することで試合は成り立っていまして、身なりや髪型など二の次でそういう選手をきちんと評価する、本質を見る監督であるとオシムは思いました。
  • 2006/09/22-22:27:15
  • 投稿者 : おかだ
  • URL
  • 編集

[C4335] ど真ん中

オシムにとっては、プレイに集中できるかどうかが一番の関心ごとで、それ以外はどうでもいいのではなかと思いました。

最後の最後、走る力も無いのに走った選手は、ホイッスルが鳴るまで、足を止めてはいけないと、足を止めなければチャンスがやってくると信じていたので、最後の力を振り絞って走る事が出来たのではないでしょうか。

選手はミスしたけど、当然のように走ったと思います。
ミスを指摘されても、しょうがないとも思った事でしょう、
しかし、監督からはよしとされました。

ここに、監督と選手の信頼関係が生まれていると感じました。

[C4327] >ど真ん中

人は何を見て、何を見ていないのだろうか。。と思いました。
 
人の視点は、その人の持っている価値観によって見えている部分が変わるのだと思います。
その価値観は、その人の持っている問いによって違ってくるように思えます。
 
勇人を理解できなかったコーチの価値観は、サッカー以外のところにあったのだと思いました。
一方、オシムの価値観は、サッカーそのものにあるのだと思いました。
 
コーチは、サッカー以外のどーでもいい部分で判断して終わっています。

オシムはサッカーを通して、勇人の本質的な部分まで見えているように思えます。
 
人は見ているけど、見えていない・・
 
見えなくしているのは、どーでもいい価値観を持っているからだと思いました。
  • 2006/09/22-12:15:21
  • 投稿者 : 福
  • URL
  • 編集

[C4309] >ど真ん中

オシム監督が持つ問いから得られる視点があり、その視点から眺めたとき、その選手の状態と結果がどうなのかというだけをオシム監督は見ていないのかと思いました。

勇人選手の過去や考えはどうであれ(どうでもよいのか・・)、オシム監督にとっては、全体の中の駒として動いた勇人選手を評価したのだと思いました。

[C4307] >ど真ん中

たとえば高校野球でも、茶髪になどしたら甲子園には行かせてもらえないだろうと思います(みんな丸刈りだし)。
何かちょっと問題が起こると、それが野球部とは直接関係なくても、出場停止になったりして、そういう報道を耳にするたびに、何もそこまでしなくても・・と思うことがあります。
 
先日、ジェフの試合をダイジェストで見たのですが、なんかこれまでに私が見たことのあるサッカーとは違っていて驚きました。
パス回しが驚くほど早くて・・なんかいつの間にあんなところに味方がいたのかと思うぐらい、本当に地面から人が湧いてきたのかと思うぐらいのスピードで、パスが回り、シュートが決まっていました。
そして、総監督として姿を見せていたオシムは、にっこり微笑んでいて、試合中はしかめっ面しか見たことがなかったので、あんなふうに優しい笑顔のときもあるのだなぁと思いました(そのゲームはジェフの勝ちでした)。
監督がど真ん中を見てくれると、選手はあんなにも走れるものなんだと思いました。
それは誰しもそうだと思います。
  • 2006/09/22-00:28:47
  • 投稿者 : くるみ
  • URL
  • 編集

[C4305] >ど真ん中

勇人は、サッカーをするときは、ただサッカーだけをしようとしたのだと思いました。
サッカーしか出来ないと思われたくないという発言は、サッカー至上主義でもないし、サッカーに全てをかけるわけでもないし、サッカーだけやっていれば許されると思っているわけではないと思いました。
逆に、サッカーをやっているときは、サッカーだけを問題にしてほしいのだと思います。
サッカーをやっているのに、茶髪を問題にされたら、ところで、サッカーはどうなんだと反問したくなるのだと思います。茶髪を黒くするよりも、パスして立ち止まらないことのほうがサッカーにおいては重要なのではないか、ということなのだと思います。
勇人はサッカーをやっているときには、サッカーだけを全力でやり、サッカーだけを問題にしていて、それをしっかりと見てくれるオシムに接し、全身が震えたのだと思いました。
  • 2006/09/21-23:04:34
  • 投稿者 : ワヲン
  • URL
  • 編集

[C4304] ど真ん中

オシムの言葉の箇所で、また泣いてしましました。


勇人は、どれだけ救われたか、どれだけ自分を理解してくれるオシムに感謝できたかが想像できるぶん、
私自身も全身しびれました。


勇人が一番望んでいたことを、オシムが認めてくれているんだという思いが体力の限界まで走らせたと思います。


一生に出会えるかの監督に、勇人のみならず誰もが
駒になってしまうと思います。

  • 2006/09/21-22:22:52
  • 投稿者 : ユリ
  • URL
  • 編集

[C4303] >ど真ん中

ここ2、3日、もりけんさんの絶対傾かない水平感覚について考えていました。
本物の下位の問いとはこういう姿勢なのかと思いました。
ただもりけんさんは自力で水平を保とうとしているわけではなく、いつも外側を主体に
しているから結果的にそうなっているのかもしれないなと思いました。
オシム氏はわかりませんが、人のど真ん中を見るとは、この水平感覚だと思いました。
茶髪だのピアスだといった周辺しか見えないのは、上から見下ろしているからだと
思います。
  • 2006/09/21-21:54:50
  • 投稿者 : イーキン
  • URL
  • 編集

[C4302] >ど真ん中

ど真ん中を外すのって、なんだかとても切ないなと思いました。

だって、多分従来の指導者の方々も真剣になったつもりで、「道徳性」とか「人間性」とか一生懸命考えたり、先達に叩き込まれたもの信じて、極めて主観的な視点から指導していたんだと思うからです。

自分が昔テストで一番とったのに通知表はあまりよろしくなく、学校の勉強にあまり興味がなくなったのを思い出しました(汗)

オシムに出会えた勇人さんのこと思うと、なんだかこみ上げてくるものがあります。。。

[C4301] ど真ん中を

私は見ているのだろうか・・
見ているときと、見ていないときがあります。
それから、見ようと思わなくても、見えてしまうこともあります。
たとえば、私事ですが、HP上で、バサバサ斬られている時というのは、周囲の人は、たとえ見たくなくても、ど真ん中しか見えないと思います。そもそも周辺事情(学歴)が刃にかかっているのだから、それは私を飾るものとしては役に立たなくなっているでしょうから。
そのとき見えるのは、斬られた後に残っている何かだけだと思います。
斬られなければ、ど真ん中で勝負できない奴もいます。
いいや、オシムだってオシム流で、斬ったことがあるのではないでしょうか。
今の代表で言えば、タレントにすぐ帰って来い!というのもそうだし、エースストライカーに「守備しなければ使わない」というのもそうです。
アウェーで真夜中に練習をするのもそうだと思います。
「日本の守護神」川口にトップ下の練習をやらせるのは、川口を斬っていると思います。
トップ下に入った川口は「日本の守護神」という額縁が斬れ落ちて、ど真ん中しか残っていないでしょう。
ど真ん中だけで動き回っている川口は、百姓だと思います。
そして、勇人みたいに、ど真ん中でしか勝負できない奴もいるのだと思います。
結局、人のど真ん中が見えるか、見えないか・・は、二の次です。
自分が、裸で勝負していくしかありません。
  • 2006/09/21-20:58:45
  • 投稿者 : L.B.
  • URL
  • 編集

[C4300] ど真ん中

ど真ん中は人々の常識や先入観で隠されてしまいます。オシムは問い掛け選手のプレーそのものをみた。私が選手ならうれくてたまりません。涙がでました。
  • 2006/09/21-20:48:07
  • 投稿者 : じんのり
  • URL
  • 編集

[C4298] 意外と気づかれないど真ん中

人は問いがなければ見ようとしたままにしか物事を見ないのだと思います。

それはもう生まれついた時の命式で決まっているというか、枝葉末節にしか気づけない人は、髪型髪の色など外見で判断するのでしょう。
メインで展開されているフィルターの話に呼応するようです。

確かに私もそういう部分があります。
しかし「何が大切なのか?」と考えていった先にど真ん中が見えるような気がします。

勇人選手の場合でなくても、プレーが基本だったりします。
なぜ彼がここにいるのか、どうして彼はそこまでしてサッカーをしたいのか、湧き上がる問いは接すれば接するほど出てくるように思います。
問いに対する答えは分からないけれど、想像して仮説を立てて関ることはできます。

ということは外側に居ればいるほど、ど真ん中というのは見えているようで見えない気がしました。

それにしてもこの抜粋はいつ読んでも感動します。

[C4297] ど真ん中

勇人選手が全身しびれた瞬間のように・・
熱い涙がこぼれ落ちる時、
胸がぎゅっとするような時、たぶん
ど真ん中を触れられているんだと思います。

昨日の真夜中「はにゅ~が出ているよ!」と起こされて(汗)
ナビスコカップの準決勝の試合、ジェフ千葉 対 川崎 の試合を
観ました。
ブログを読んだあとだったので、
勇人選手の走る姿を探しました。
途中、視察に来ているオシム監督の・・一瞬の、笑った顔が
写りました。
ダイジェストでも写っていたけれど・・
選手はピッチに立っているので、きっと見えないだろうし
監督が何に微笑みかけたのかわかりません。
報道の人たちもずっと、オシム監督の表情を追っていたのだと
思います。
そして、放送する時に、組み込まれたのだと思います・・でも
あたたかい気持ちがこみ上げてきて、涙が出そうになりました。



[C4296] ど真ん中

おぉ・・・と思いました。



ど真ん中って、人のど真ん中だと・・
社会(経済)のど真ん中、ではない・・と。。
社会は人が作っている、というのはよく聞きますが、
そういうのは、きれい事だと思いました。


人を指導することは、もしかしたら自分の分身を作ること
に似ている(なりやすい)かもしれないと思いました。
自分の、かなえられなかった夢。自分が成功したら、
そのコピー。

そうではなく、人を駒として見ることは、全体としての
人そのものを見ることなんだと思いました。
(うまく言葉にならないですが・・)


基準はどこにもないんだと思いました。
  • 2006/09/21-13:04:36
  • 投稿者 : マリ
  • URL
  • 編集

[C4295] >ど真ん中

>そしてそれ以上にそういう考えを否定する指導者も嫌だったのだ。
 
自分の教え子の中に優秀な選手がいたら、監督によってはこいつを育て上げてやると
考えたりするんだろうと思いました。
 
そういう監督にしてみたら、「自分はサッカーだけの人間じゃない」という選手は、
せっかく恵まれた才能を持っているのに何をバカなことを言っているのかと考えるん
じゃないかと思います。そして才能を伸ばさないのはイケナイ事だ、お前にはその才
能を伸ばす責任があるとか言って、「お前のためだ」を連発するうちに、選手はどん
どん追い込まれてその環境にいるのが嫌になってしまうんじゃないかと思いました。
 
選手は本当はサッカーが大好きで目一杯ボールを蹴って走りたいのに。。。
 
服装や髪型でダメだと言うのは、サッカーの能力だけじゃなく、選手の全てを自分の
思い通りにしたいという監督や回りの人の願望の現れじゃないかと思いました。
 
>プレーそのもののど真ん中だけを評価してきたのが、オシムだったのではないでしょうか・・。
 
サッカーが好きで選手になったのなら、監督との関係で一番嬉しいのは自分のプレー
をちゃんと見ていてくれることじゃないかと思います。ちゃんと見てくれているうえ
で怒鳴られたり猛特訓させられたりするのは全然嫌じゃないと思います。
 
オシム監督は、選手を駒のように使うけれど、その駒を自分の所有物のようには考え
ていないと思いました。
所有物じゃないから、駒として機能している時だけが重要なんだと思いました。
  • 2006/09/21-13:00:35
  • 投稿者 : ぷく
  • URL
  • 編集

[C4293] たまちゃんへ

あいさつおくれてゴメンね。かわいいね。ずっといてね。
  • 2006/09/21-11:48:34
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
  • 編集

[C4292] >ど真ん中

涙が出ました・・
オシム監督が見ているのは、選手がプレイ中、走って走ってボールを出しているかだけなのだと思います。
そして、全ての選手の動きを逃さずとらえてもいるようです。
ボールが来ずともいい位置にいただとか、はずしたけどあのシュートを打てたのはたいしたものだなど、ひとりひとりの前傾姿勢をもらさず見て取っていると思います。
いい動きをした選手を、直接誉めることはないかも知れません。
それどころか、絶妙なアシストパスをした選手が、その瞬間立ち止まったことを叱責さえしています。
けれども、ときには鬼のような監督の目が、何かのときにはとても優しげなのに、選手は胸が暖かくなるのだと思います。
全てお見通しの監督に、何もかもすっかりゆだねてひたすら走ってボールを出すサッカーというのは、こんなにも満ち足りた気持ちになるものかと思っているのではと思います。
オシム監督は、盾(たて)となってマスコミの無神経な攻撃から選手を守ったかと思えば、またあるときは、そのマスコミを介して選手を勇気づけるとは、何て巧妙なのかと感動します。
誰かのためだけというわけではなさそうで、同時に誰にも不快を与えることもなく、関わる全ての人を次々ハッとさせては新しい気づきを与えるように思います。
どこまで深く大きい人か、ため息のみです。
う~ん・・・何て似てるんだ・・というか、どうしてこうも同時進行なのか不思議でたまりません。
運命がリンクしていることにちょっと背筋がブルッとなりました・・
  • 2006/09/21-10:28:07
  • 投稿者 : ゆくえ
  • URL
  • 編集

[C4291] >ど真ん中

ど真ん中、というのは、「今」だと思いました。
でも、未来や過去は見やすいけれど、「今」はなかなか見にくいんだと思いました。
いままでの指導者は、「今」を見る意識がなかったんだと思います。私もそうだと思います。
そして、私も「今」を見てくれたら走るかも。と思いました。
  • 2006/09/21-10:05:16
  • 投稿者 : くまぽん
  • URL
  • 編集

[C4290] (*⌒▽⌒*)

たまちゃん・・・・かわいいです♪

[C4289]

勝負してるモノ以外のべつのところで評価されるのはとても嫌です。
360度のほんの角度5度分だけをみてほかをすべてを決められてしまうのは哀しいです。

見て欲しい・・・もっとも見て欲しいところをみてくれた。。。
それがオシム監督だったのだろうなと思いました。
なんか・・・とても共感します。そういう気持ち有ります。
そんな風に自分を見てくれる人がいたらとても嬉しいです。

監督の中にも勇人と「同じナニか」があるんだと思いました。。。。

[C4288]

> * ジャンル : 育児 * スレッドテーマ : 成長
 
読みながら考えました。かつて子供で今、母です。どっちの立ち場もやってます。オシムチルドレンか…ほんとにオシムの子供たちなのかもしれない。子供というのはなんかもの凄い力で持って「私を見て!」と迫ってきてる気がします。それは本質とか存在みたいなもの、有り様でぶつかってきてるんじゃないかと思いました。親(私)はなぜかそれをそのまま見ない、「本物」のスター(揺るぎない何か、たぶん生き残って欲しい願望の現れ)に育てようとして、否定したり、褒めたりする気がします。だけど…子供の存在はそれを言っているだろうか…。
 
> いままでの指導者たちは、周辺のどうでもいところを見て、ど真ん中を外したのではないかと思います。
  
指導しようとする限り、本質には迫らないのかもしれないと思います。本質は指導されるものではないから。オシムはサッカーしてる勇人選手を見ていたのだと思います。その時に全身全霊でもってサッカーしてたところを。誰かに見てもらおうと思ってした訳ではないと思います。だけど通じた人がいたって、異国の地で同郷の人にあったようだ。なんだか泣けてきました。オシムはなにか「そのもの」をその瞬間にみたのかもしれないと思います。ただ見いだす事が…親なのかと思いました。
 
思ったのですが、「見て」って大人になるといわなくなるけど、生きてる事は「見て!」ってどっかで溢れてしまう事なのかもしれないと思います。その溢れてくるものが命なのかなと思います。そして…これは大人も子供も一緒だって気がしました。チルドレンばっかりだ。だったら親(母性)の話題ってのも深い!とおもいました。なんか混乱してきたので今日もズレレス終ります。

[C4287] >ど真ん中


勇人選手が一時期サッカーから離れていたり、反抗的だったが、オシム監督の元でやるようになってから変わった・・というのは、夫から聞いていましたが、なぜなのかなと思っていました。
それがこういうことだったのか・・と、なんだかとても感動しました。

一事が万事・・と、いいことでも悪いことでも、なにかがあったとき、その原因を、その人の周辺に見ようとすることは、よくあると思います。
あんなことしてるからこうなったんだ・・とか、こうしたからよくなったんだ・・とか。
自分でもそうしてしまうことがあります。

特に、うまく行かない場合、その人が一般的に「よい」とされてるような行動や容姿をしてなかったら、そこをつつく人は多いと思います。
その、本当はどうでもいい周辺を正せば、ど真ん中もよくなる・・と思い込んで。

これは、未来や過去ばかりに焦点を当てて、今を見ていない・・というのと似ていると思いました。

厳しいといわれるオシム監督ですが、こうしてど真ん中を見てもらった選手は、とてもうれしいと思いました。
そして、厳しい中に、大きな優しさのようなもの・・・優しさといえばなんだかちょっと違う感じがするのですが・・包み込むようなもの・・そういうのを感じたのではないかと思いました。

>この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。
・・という言葉から、いつでもどこでも見てくれてるけど、常に監視されているという感じは全くしません。
実際そんなことは全くないと思います。
でも、一番大事な部分をしっかり見てくれている・・そういう安心感をオシム監督に接した選手たちは持つのではないかと思いました。



[C4284] >ど真ん中

 サッカーをするということにおいて、サッカーをすること以外で評価されるのは、非常に理不尽で腹が立ちます。でもスポーツも教育の一環とかつまらないことをいったり、ひとつのことに打ち込むのが美徳だとかいいだす人がとても多いと思います。オシムはサッカーをすることだけに制御をかけ他を切り捨てサッカーをすることだけで評価をくだしたのかもしれません。それにかかわらないことは、サッカーをする上どうでもいいことで、性格異常だろうがなんだろうがサッカーをしていることのうえにおいて、あたリ前のようにそれだけをみていたのだと思いました。茶髪だろうがスキンヘッドだろうが、それをわかってくれるオシムに対して勇人は駒になることができたのではないかと思いました。
  • 2006/09/21-04:48:16
  • 投稿者 : yk
  • URL
  • 編集

[C4283] >ど真ん中

今日出た本の抜粋を読んで、>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。< がすんなり入ってきました。他の監督とは違うオシム氏にそれまでも惚れていたのだろうと思いますが、さらに感激したのだろうと思います.オシムの言葉という本が出版されたこともなるほどという感じがします.オシム氏が言ったことが選手や周りの人々に感動を与えてきたからだろうと思います。オシム氏はそういうことをめざしていたわけではないでしょうが、根底にあふれるハートフルな魅力に周りの人達は惹かれていったのではないかと思います。
 

[C4282] >ど真ん中

>何が彼を走らせたのか・・
 
>「プレーとは関係ないところで評価されることが我慢できなかった」という一節がありましたが、プレーそのもののど真ん中だけを評価してきたのが、オシムだったのではないでしょうか・・。


勇人は、オシムに出会って、初めて、
自分を本当に見てくれる人がいる。。
と思えたのだと思いました。

それは、サッカーだけで、評価される。。ってことです。

髪型が金髪だって、アクセサリーをつけることだって、
海にいくことだって、ゲーセンにいくことだって、


別にいいじゃん。。


オシム監督は、サッカーだけで、選手を評価します。
その他のどうでもいいことはどうでもいい・・

だからこそ、選手は、
その他のことに気を煩わされず、
気を取られることが一切無くなり、
サッカーをしているときは、
サッカーだけに集中できるようになったのではないかと思いました。



生き方とか、体裁とかを周囲からいわれることは、
とてもわずらわしいですが、
どうでもいいじゃん。。と思いながらも、
結局、そういったことを気にする自分もわずらわしいです。
そういうのを取っ払えたら、
本当に、プレーに集中できるようになれそうだと思いました。


 
   
  • 2006/09/21-03:17:21
  • 投稿者 : あかり
  • URL
  • 編集

[C4281] ど真ん中

>ブレスレットやネックレスを身につけて髪を茶髪に染めていた。するとあいつはダメだ、使えない、
そんなところで判断されるってとてもムカついちゃうと思います。ブレスレットで負けるのかい?って言いたくなると思います。
ミスをしたら関係のないそこが原因とされそうなのを
オシムはちゃんと見ていてくれるんだって。。とても
嬉しくなってしまうと思います。ど真ん中を見てくれる。。
こんな監督のもとでなら、言い訳はできないけれど
どこまでも走ることをいとわないんじゃないかと思いました。
  • 2006/09/21-02:09:10
  • 投稿者 : Ciel
  • URL
  • 編集

[C4277] >ど真ん中

言われてみれば、ど真ん中をどれだけ大事にしてきたか、と自分に問い直さなければいけないな、と思いました。いつも、誰かのど真ん中を見てきたか?と問われたように感じます。どうでもいいことばかりを大事そうに扱ってなかったか?もっともらしい事を言って、肝心のど真ん中を忘れてなかったか?

いつでも、ど真ん中に気持ちを持っていくには、なによりその人本人をよく見ていなくてはできないな、と思います。いいとこ・わるいとこ、全部ひっくるめて、その人の一番肝心なとこを、ちゃんと評価する視点がないといけないな、と思いました。自分が誰かにそんな風に評価されたら、ものすごく嬉しいと思うはずだからです。
  • 2006/09/21-01:39:24
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
  • 編集

[C4276] >「プレーとは関係ないところで評価されることが我慢できなかった」

私が日本のサッカーを見てかなりびっくりしたのは、90分間走れない選手がいるということよりも、90分間集中できない選手がいるということでした。

たぶん現状、日本のサッカーというのは、ロッカールームにふらっときて着替えてプレーして帰るだけという体制にはなっていないのだと思います。服装のことやタトゥーももちろん駄目だろうし、あげくの果ては「紳士たれ」とか精神面や人格面であるべき姿を要求までされるのかもしれません。記者やチームメートと世間話のひとつもしなくてはならないかもしれません。

ここ数日の書きこみで、オシムのサッカーというのは、プレー中は選手に非常に厳格なディシプリンを求めるものだということがわかりました。しかしそれ以外のところでは「好きにしていていい」というメリハリがあるのだと思いました。

練習中に集中力も要求されずあまり厳格ではなく、練習が終わってからもだらだらと集団の価値観が押し付けられるというのが、サッカーだけではなく、日本の社会のあらゆる場面で見られることだと思います。

これに対して、オシムのやり方は、厳格な制御とそれ以外の時間に与えられる自由というのが非常にコントラストを感じさせます。

どうでもいいことに神経を使わない、使わせない...。90分間集中力を持続するためには必要なことなのだと思います。その緊張と弛緩を繰り返していくとき、私は状態が変わると人間は快感を感じるという仮説を持っていますので(笑)、その快は相当なものだと思います。
  • 2006/09/21-01:21:26
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
  • 編集

[C4275]

> いままでの指導者たちは、周辺のどうでもいところを見て、ど真ん中を外したのではないかと思います。
 
おーこれはそのものズバリという感じでズドンときました。なにより心にくるのはそれかもしれません。だって…サッカーしてるんだもの

[C4274] >ど真ん中

やさしい感じがしました。
勇人選手がどんな風貌であってもオシムはサッカーのプレーを見てくれている。
なにも押し付けたりしない。
こんな風にしろとも言わない。
ど真ん中って 意外と見えないところなのかもしれないと思いました。
そして一番見て欲しいところだと思いました。
私も ど真ん中を見てもらいたいです。
そしたら、もうどうなってもいいほど走れる気がしました。
  • 2006/09/21-01:09:39
  • 投稿者 : なんしぃ
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

新規
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

-件のトラックバック

トラックバックURL
http://fushigikenkyujo.blog62.fc2.com/tb.php/131-c5f7de70
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

ど真ん中

 
 本の抜粋です
 
*****************
 
 勇人はプロになるまで二回サッカーを辞めていた。
 自らの才能に疑問を持ったからではない。それどころか、同じ世代には絶対に負けないという自負があった。しかし他人からサッカーだけの人間だと思われることが嫌だった。そしてそれ以上にそういう考えを否定する指導者も嫌だったのだ。10代特有の自意識から、ブレスレットやネックレスを身につけて髪を茶髪に染めていた。するとあいつはダメだ、使えない、と言われた。プレーとは関係ないところで評価されることが我慢できなかった。元来は気さくで純な性格だが、口べたで人付き合いがあまり得意ではない。
 自分は指導者とは合わない人間だ。
 理解してくれないコーチの下で練習することに比べて、街や海には魅力がありすぎた。人生はサッカーだけじゃない。高校二年にはスパイクを脱ぎ、勇人はゲーセンやサーフィンにはまっていた。楽しかった。
 
******************
 
 別にどうという記事ではありません(笑)。
 これで人生を語りたくはありません(爆)
 
 この人が、体力の限界まで走り、シュートミスして、あのシーンにつながるわけです。
 
 もう一度載せます。
 
*******************
 
 質問の意味を汲み取ると、オシムは即座に返した。
 
オシム「あなたは今までミスをしたことがありませんか?」
 
 怒らせてしまったのか。緊張した空気が瞬間、会見場に流れた。
 
記者「・・・あります」
 
オシム「人間は誰しもミスをしますよ。選手もミスをします。私だってミスを犯します」
 
 場内は静まりかえる。
 
 ミックスゾーンにいた勇人は、悔しくてたまらなかった。そこへ記者が話しかけた。
 
「監督に、最後の佐藤のシュートが残念でしたね、と聞いたんだよ。そしたら『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』と言われたよ」
 
 全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。
 
******************** 
 
 何が彼を走らせたのか・・
 
「プレーとは関係ないところで評価されることが我慢できなかった」という一節がありましたが、プレーそのもののど真ん中だけを評価してきたのが、オシムだったのではないでしょうか・・。
 
 いままでの指導者たちは、周辺のどうでもいところを見て、ど真ん中を外したのではないかと思います。

スポンサーサイト

32件のコメント

[C4386] シュートを外す・・

ど真ん中を見ていない指導者だったら、どんなことを
言われただろうと思います。
そして勇人はどうなっていただろうと思います。
>「シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、
あそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか」
勇人自身、シュートを外したことだけに焦点が
当たっていたのではないかと思います。
あの時間帯にあれだけ走った・・
ゲームはつながっているということ、ど真ん中を見てくれる
監督とのつながり・・。
ど真ん中って、スゴク大事なところだと思いました。
  • 2006/09/24-12:04:16
  • 投稿者 : まる
  • URL
  • 編集

[C4346] >ど真ん中

>プレーとは関係ないところで評価されることが我慢できなかった

プレーにおけるミスを、プレー中の動きに原因を置くならまだしも、その選手の外見(見た目)や生活態度までをも原因とする指導者の方は割合多いと思います。
これは、その選手に関わる(内面、外面を含めた)あらゆることが、プレーの良し悪しという結果に対する原因となるという考え方だと言えます。

しかし、それらは「本当に根拠があって言ってるのか?」と思える内容がほとんどです。
むしろ根拠は無く、しかもそれらは別に原因では無いんじゃないか?とも思ってしまいます。なぜなら、それらを正したところでたいして良い結果が残せないことが多いからです(爆)(例えば、プロ野球で野村監督の指揮していた阪神、楽天とか・・)
おそらく、言ってる本人も、きちんとした根拠があるか、本当の原因であるかということをちゃんと分析したり考えたりせずに喋ってることがほとんどではないかと思えます(爆)

けれど、結果に対する理由付けをしすぎると、逆に本当に関係のある理由と別に関係の無い原因とがゴチャゴチャになってしまい、良い結果を出そうとしても、むしろそれから遠ざかっていってしまうのではないかと思います。

[C4342] >ど真ん中

>プレーそのもののど真ん中だけを評価してきたのが、オシムだったのではないでしょうか・・。

こういうオシムの視点に、小平の「白猫でも黒猫 でもネズミをとるのが良い猫だ」という言葉が頭に浮かびました。選手として自らの役割を果たし、チームに貢献することで試合は成り立っていまして、身なりや髪型など二の次でそういう選手をきちんと評価する、本質を見る監督であるとオシムは思いました。
  • 2006/09/22-22:27:15
  • 投稿者 : おかだ
  • URL
  • 編集

[C4335] ど真ん中

オシムにとっては、プレイに集中できるかどうかが一番の関心ごとで、それ以外はどうでもいいのではなかと思いました。

最後の最後、走る力も無いのに走った選手は、ホイッスルが鳴るまで、足を止めてはいけないと、足を止めなければチャンスがやってくると信じていたので、最後の力を振り絞って走る事が出来たのではないでしょうか。

選手はミスしたけど、当然のように走ったと思います。
ミスを指摘されても、しょうがないとも思った事でしょう、
しかし、監督からはよしとされました。

ここに、監督と選手の信頼関係が生まれていると感じました。

[C4327] >ど真ん中

人は何を見て、何を見ていないのだろうか。。と思いました。
 
人の視点は、その人の持っている価値観によって見えている部分が変わるのだと思います。
その価値観は、その人の持っている問いによって違ってくるように思えます。
 
勇人を理解できなかったコーチの価値観は、サッカー以外のところにあったのだと思いました。
一方、オシムの価値観は、サッカーそのものにあるのだと思いました。
 
コーチは、サッカー以外のどーでもいい部分で判断して終わっています。

オシムはサッカーを通して、勇人の本質的な部分まで見えているように思えます。
 
人は見ているけど、見えていない・・
 
見えなくしているのは、どーでもいい価値観を持っているからだと思いました。
  • 2006/09/22-12:15:21
  • 投稿者 : 福
  • URL
  • 編集

[C4309] >ど真ん中

オシム監督が持つ問いから得られる視点があり、その視点から眺めたとき、その選手の状態と結果がどうなのかというだけをオシム監督は見ていないのかと思いました。

勇人選手の過去や考えはどうであれ(どうでもよいのか・・)、オシム監督にとっては、全体の中の駒として動いた勇人選手を評価したのだと思いました。

[C4307] >ど真ん中

たとえば高校野球でも、茶髪になどしたら甲子園には行かせてもらえないだろうと思います(みんな丸刈りだし)。
何かちょっと問題が起こると、それが野球部とは直接関係なくても、出場停止になったりして、そういう報道を耳にするたびに、何もそこまでしなくても・・と思うことがあります。
 
先日、ジェフの試合をダイジェストで見たのですが、なんかこれまでに私が見たことのあるサッカーとは違っていて驚きました。
パス回しが驚くほど早くて・・なんかいつの間にあんなところに味方がいたのかと思うぐらい、本当に地面から人が湧いてきたのかと思うぐらいのスピードで、パスが回り、シュートが決まっていました。
そして、総監督として姿を見せていたオシムは、にっこり微笑んでいて、試合中はしかめっ面しか見たことがなかったので、あんなふうに優しい笑顔のときもあるのだなぁと思いました(そのゲームはジェフの勝ちでした)。
監督がど真ん中を見てくれると、選手はあんなにも走れるものなんだと思いました。
それは誰しもそうだと思います。
  • 2006/09/22-00:28:47
  • 投稿者 : くるみ
  • URL
  • 編集

[C4305] >ど真ん中

勇人は、サッカーをするときは、ただサッカーだけをしようとしたのだと思いました。
サッカーしか出来ないと思われたくないという発言は、サッカー至上主義でもないし、サッカーに全てをかけるわけでもないし、サッカーだけやっていれば許されると思っているわけではないと思いました。
逆に、サッカーをやっているときは、サッカーだけを問題にしてほしいのだと思います。
サッカーをやっているのに、茶髪を問題にされたら、ところで、サッカーはどうなんだと反問したくなるのだと思います。茶髪を黒くするよりも、パスして立ち止まらないことのほうがサッカーにおいては重要なのではないか、ということなのだと思います。
勇人はサッカーをやっているときには、サッカーだけを全力でやり、サッカーだけを問題にしていて、それをしっかりと見てくれるオシムに接し、全身が震えたのだと思いました。
  • 2006/09/21-23:04:34
  • 投稿者 : ワヲン
  • URL
  • 編集

[C4304] ど真ん中

オシムの言葉の箇所で、また泣いてしましました。


勇人は、どれだけ救われたか、どれだけ自分を理解してくれるオシムに感謝できたかが想像できるぶん、
私自身も全身しびれました。


勇人が一番望んでいたことを、オシムが認めてくれているんだという思いが体力の限界まで走らせたと思います。


一生に出会えるかの監督に、勇人のみならず誰もが
駒になってしまうと思います。

  • 2006/09/21-22:22:52
  • 投稿者 : ユリ
  • URL
  • 編集

[C4303] >ど真ん中

ここ2、3日、もりけんさんの絶対傾かない水平感覚について考えていました。
本物の下位の問いとはこういう姿勢なのかと思いました。
ただもりけんさんは自力で水平を保とうとしているわけではなく、いつも外側を主体に
しているから結果的にそうなっているのかもしれないなと思いました。
オシム氏はわかりませんが、人のど真ん中を見るとは、この水平感覚だと思いました。
茶髪だのピアスだといった周辺しか見えないのは、上から見下ろしているからだと
思います。
  • 2006/09/21-21:54:50
  • 投稿者 : イーキン
  • URL
  • 編集

[C4302] >ど真ん中

ど真ん中を外すのって、なんだかとても切ないなと思いました。

だって、多分従来の指導者の方々も真剣になったつもりで、「道徳性」とか「人間性」とか一生懸命考えたり、先達に叩き込まれたもの信じて、極めて主観的な視点から指導していたんだと思うからです。

自分が昔テストで一番とったのに通知表はあまりよろしくなく、学校の勉強にあまり興味がなくなったのを思い出しました(汗)

オシムに出会えた勇人さんのこと思うと、なんだかこみ上げてくるものがあります。。。

[C4301] ど真ん中を

私は見ているのだろうか・・
見ているときと、見ていないときがあります。
それから、見ようと思わなくても、見えてしまうこともあります。
たとえば、私事ですが、HP上で、バサバサ斬られている時というのは、周囲の人は、たとえ見たくなくても、ど真ん中しか見えないと思います。そもそも周辺事情(学歴)が刃にかかっているのだから、それは私を飾るものとしては役に立たなくなっているでしょうから。
そのとき見えるのは、斬られた後に残っている何かだけだと思います。
斬られなければ、ど真ん中で勝負できない奴もいます。
いいや、オシムだってオシム流で、斬ったことがあるのではないでしょうか。
今の代表で言えば、タレントにすぐ帰って来い!というのもそうだし、エースストライカーに「守備しなければ使わない」というのもそうです。
アウェーで真夜中に練習をするのもそうだと思います。
「日本の守護神」川口にトップ下の練習をやらせるのは、川口を斬っていると思います。
トップ下に入った川口は「日本の守護神」という額縁が斬れ落ちて、ど真ん中しか残っていないでしょう。
ど真ん中だけで動き回っている川口は、百姓だと思います。
そして、勇人みたいに、ど真ん中でしか勝負できない奴もいるのだと思います。
結局、人のど真ん中が見えるか、見えないか・・は、二の次です。
自分が、裸で勝負していくしかありません。
  • 2006/09/21-20:58:45
  • 投稿者 : L.B.
  • URL
  • 編集

[C4300] ど真ん中

ど真ん中は人々の常識や先入観で隠されてしまいます。オシムは問い掛け選手のプレーそのものをみた。私が選手ならうれくてたまりません。涙がでました。
  • 2006/09/21-20:48:07
  • 投稿者 : じんのり
  • URL
  • 編集

[C4298] 意外と気づかれないど真ん中

人は問いがなければ見ようとしたままにしか物事を見ないのだと思います。

それはもう生まれついた時の命式で決まっているというか、枝葉末節にしか気づけない人は、髪型髪の色など外見で判断するのでしょう。
メインで展開されているフィルターの話に呼応するようです。

確かに私もそういう部分があります。
しかし「何が大切なのか?」と考えていった先にど真ん中が見えるような気がします。

勇人選手の場合でなくても、プレーが基本だったりします。
なぜ彼がここにいるのか、どうして彼はそこまでしてサッカーをしたいのか、湧き上がる問いは接すれば接するほど出てくるように思います。
問いに対する答えは分からないけれど、想像して仮説を立てて関ることはできます。

ということは外側に居ればいるほど、ど真ん中というのは見えているようで見えない気がしました。

それにしてもこの抜粋はいつ読んでも感動します。

[C4297] ど真ん中

勇人選手が全身しびれた瞬間のように・・
熱い涙がこぼれ落ちる時、
胸がぎゅっとするような時、たぶん
ど真ん中を触れられているんだと思います。

昨日の真夜中「はにゅ~が出ているよ!」と起こされて(汗)
ナビスコカップの準決勝の試合、ジェフ千葉 対 川崎 の試合を
観ました。
ブログを読んだあとだったので、
勇人選手の走る姿を探しました。
途中、視察に来ているオシム監督の・・一瞬の、笑った顔が
写りました。
ダイジェストでも写っていたけれど・・
選手はピッチに立っているので、きっと見えないだろうし
監督が何に微笑みかけたのかわかりません。
報道の人たちもずっと、オシム監督の表情を追っていたのだと
思います。
そして、放送する時に、組み込まれたのだと思います・・でも
あたたかい気持ちがこみ上げてきて、涙が出そうになりました。



[C4296] ど真ん中

おぉ・・・と思いました。



ど真ん中って、人のど真ん中だと・・
社会(経済)のど真ん中、ではない・・と。。
社会は人が作っている、というのはよく聞きますが、
そういうのは、きれい事だと思いました。


人を指導することは、もしかしたら自分の分身を作ること
に似ている(なりやすい)かもしれないと思いました。
自分の、かなえられなかった夢。自分が成功したら、
そのコピー。

そうではなく、人を駒として見ることは、全体としての
人そのものを見ることなんだと思いました。
(うまく言葉にならないですが・・)


基準はどこにもないんだと思いました。
  • 2006/09/21-13:04:36
  • 投稿者 : マリ
  • URL
  • 編集

[C4295] >ど真ん中

>そしてそれ以上にそういう考えを否定する指導者も嫌だったのだ。
 
自分の教え子の中に優秀な選手がいたら、監督によってはこいつを育て上げてやると
考えたりするんだろうと思いました。
 
そういう監督にしてみたら、「自分はサッカーだけの人間じゃない」という選手は、
せっかく恵まれた才能を持っているのに何をバカなことを言っているのかと考えるん
じゃないかと思います。そして才能を伸ばさないのはイケナイ事だ、お前にはその才
能を伸ばす責任があるとか言って、「お前のためだ」を連発するうちに、選手はどん
どん追い込まれてその環境にいるのが嫌になってしまうんじゃないかと思いました。
 
選手は本当はサッカーが大好きで目一杯ボールを蹴って走りたいのに。。。
 
服装や髪型でダメだと言うのは、サッカーの能力だけじゃなく、選手の全てを自分の
思い通りにしたいという監督や回りの人の願望の現れじゃないかと思いました。
 
>プレーそのもののど真ん中だけを評価してきたのが、オシムだったのではないでしょうか・・。
 
サッカーが好きで選手になったのなら、監督との関係で一番嬉しいのは自分のプレー
をちゃんと見ていてくれることじゃないかと思います。ちゃんと見てくれているうえ
で怒鳴られたり猛特訓させられたりするのは全然嫌じゃないと思います。
 
オシム監督は、選手を駒のように使うけれど、その駒を自分の所有物のようには考え
ていないと思いました。
所有物じゃないから、駒として機能している時だけが重要なんだと思いました。
  • 2006/09/21-13:00:35
  • 投稿者 : ぷく
  • URL
  • 編集

[C4293] たまちゃんへ

あいさつおくれてゴメンね。かわいいね。ずっといてね。
  • 2006/09/21-11:48:34
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
  • 編集

[C4292] >ど真ん中

涙が出ました・・
オシム監督が見ているのは、選手がプレイ中、走って走ってボールを出しているかだけなのだと思います。
そして、全ての選手の動きを逃さずとらえてもいるようです。
ボールが来ずともいい位置にいただとか、はずしたけどあのシュートを打てたのはたいしたものだなど、ひとりひとりの前傾姿勢をもらさず見て取っていると思います。
いい動きをした選手を、直接誉めることはないかも知れません。
それどころか、絶妙なアシストパスをした選手が、その瞬間立ち止まったことを叱責さえしています。
けれども、ときには鬼のような監督の目が、何かのときにはとても優しげなのに、選手は胸が暖かくなるのだと思います。
全てお見通しの監督に、何もかもすっかりゆだねてひたすら走ってボールを出すサッカーというのは、こんなにも満ち足りた気持ちになるものかと思っているのではと思います。
オシム監督は、盾(たて)となってマスコミの無神経な攻撃から選手を守ったかと思えば、またあるときは、そのマスコミを介して選手を勇気づけるとは、何て巧妙なのかと感動します。
誰かのためだけというわけではなさそうで、同時に誰にも不快を与えることもなく、関わる全ての人を次々ハッとさせては新しい気づきを与えるように思います。
どこまで深く大きい人か、ため息のみです。
う~ん・・・何て似てるんだ・・というか、どうしてこうも同時進行なのか不思議でたまりません。
運命がリンクしていることにちょっと背筋がブルッとなりました・・
  • 2006/09/21-10:28:07
  • 投稿者 : ゆくえ
  • URL
  • 編集

[C4291] >ど真ん中

ど真ん中、というのは、「今」だと思いました。
でも、未来や過去は見やすいけれど、「今」はなかなか見にくいんだと思いました。
いままでの指導者は、「今」を見る意識がなかったんだと思います。私もそうだと思います。
そして、私も「今」を見てくれたら走るかも。と思いました。
  • 2006/09/21-10:05:16
  • 投稿者 : くまぽん
  • URL
  • 編集

[C4290] (*⌒▽⌒*)

たまちゃん・・・・かわいいです♪

[C4289]

勝負してるモノ以外のべつのところで評価されるのはとても嫌です。
360度のほんの角度5度分だけをみてほかをすべてを決められてしまうのは哀しいです。

見て欲しい・・・もっとも見て欲しいところをみてくれた。。。
それがオシム監督だったのだろうなと思いました。
なんか・・・とても共感します。そういう気持ち有ります。
そんな風に自分を見てくれる人がいたらとても嬉しいです。

監督の中にも勇人と「同じナニか」があるんだと思いました。。。。

[C4288]

> * ジャンル : 育児 * スレッドテーマ : 成長
 
読みながら考えました。かつて子供で今、母です。どっちの立ち場もやってます。オシムチルドレンか…ほんとにオシムの子供たちなのかもしれない。子供というのはなんかもの凄い力で持って「私を見て!」と迫ってきてる気がします。それは本質とか存在みたいなもの、有り様でぶつかってきてるんじゃないかと思いました。親(私)はなぜかそれをそのまま見ない、「本物」のスター(揺るぎない何か、たぶん生き残って欲しい願望の現れ)に育てようとして、否定したり、褒めたりする気がします。だけど…子供の存在はそれを言っているだろうか…。
 
> いままでの指導者たちは、周辺のどうでもいところを見て、ど真ん中を外したのではないかと思います。
  
指導しようとする限り、本質には迫らないのかもしれないと思います。本質は指導されるものではないから。オシムはサッカーしてる勇人選手を見ていたのだと思います。その時に全身全霊でもってサッカーしてたところを。誰かに見てもらおうと思ってした訳ではないと思います。だけど通じた人がいたって、異国の地で同郷の人にあったようだ。なんだか泣けてきました。オシムはなにか「そのもの」をその瞬間にみたのかもしれないと思います。ただ見いだす事が…親なのかと思いました。
 
思ったのですが、「見て」って大人になるといわなくなるけど、生きてる事は「見て!」ってどっかで溢れてしまう事なのかもしれないと思います。その溢れてくるものが命なのかなと思います。そして…これは大人も子供も一緒だって気がしました。チルドレンばっかりだ。だったら親(母性)の話題ってのも深い!とおもいました。なんか混乱してきたので今日もズレレス終ります。

[C4287] >ど真ん中


勇人選手が一時期サッカーから離れていたり、反抗的だったが、オシム監督の元でやるようになってから変わった・・というのは、夫から聞いていましたが、なぜなのかなと思っていました。
それがこういうことだったのか・・と、なんだかとても感動しました。

一事が万事・・と、いいことでも悪いことでも、なにかがあったとき、その原因を、その人の周辺に見ようとすることは、よくあると思います。
あんなことしてるからこうなったんだ・・とか、こうしたからよくなったんだ・・とか。
自分でもそうしてしまうことがあります。

特に、うまく行かない場合、その人が一般的に「よい」とされてるような行動や容姿をしてなかったら、そこをつつく人は多いと思います。
その、本当はどうでもいい周辺を正せば、ど真ん中もよくなる・・と思い込んで。

これは、未来や過去ばかりに焦点を当てて、今を見ていない・・というのと似ていると思いました。

厳しいといわれるオシム監督ですが、こうしてど真ん中を見てもらった選手は、とてもうれしいと思いました。
そして、厳しい中に、大きな優しさのようなもの・・・優しさといえばなんだかちょっと違う感じがするのですが・・包み込むようなもの・・そういうのを感じたのではないかと思いました。

>この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。
・・という言葉から、いつでもどこでも見てくれてるけど、常に監視されているという感じは全くしません。
実際そんなことは全くないと思います。
でも、一番大事な部分をしっかり見てくれている・・そういう安心感をオシム監督に接した選手たちは持つのではないかと思いました。



[C4284] >ど真ん中

 サッカーをするということにおいて、サッカーをすること以外で評価されるのは、非常に理不尽で腹が立ちます。でもスポーツも教育の一環とかつまらないことをいったり、ひとつのことに打ち込むのが美徳だとかいいだす人がとても多いと思います。オシムはサッカーをすることだけに制御をかけ他を切り捨てサッカーをすることだけで評価をくだしたのかもしれません。それにかかわらないことは、サッカーをする上どうでもいいことで、性格異常だろうがなんだろうがサッカーをしていることのうえにおいて、あたリ前のようにそれだけをみていたのだと思いました。茶髪だろうがスキンヘッドだろうが、それをわかってくれるオシムに対して勇人は駒になることができたのではないかと思いました。
  • 2006/09/21-04:48:16
  • 投稿者 : yk
  • URL
  • 編集

[C4283] >ど真ん中

今日出た本の抜粋を読んで、>全身がしびれた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。< がすんなり入ってきました。他の監督とは違うオシム氏にそれまでも惚れていたのだろうと思いますが、さらに感激したのだろうと思います.オシムの言葉という本が出版されたこともなるほどという感じがします.オシム氏が言ったことが選手や周りの人々に感動を与えてきたからだろうと思います。オシム氏はそういうことをめざしていたわけではないでしょうが、根底にあふれるハートフルな魅力に周りの人達は惹かれていったのではないかと思います。
 

[C4282] >ど真ん中

>何が彼を走らせたのか・・
 
>「プレーとは関係ないところで評価されることが我慢できなかった」という一節がありましたが、プレーそのもののど真ん中だけを評価してきたのが、オシムだったのではないでしょうか・・。


勇人は、オシムに出会って、初めて、
自分を本当に見てくれる人がいる。。
と思えたのだと思いました。

それは、サッカーだけで、評価される。。ってことです。

髪型が金髪だって、アクセサリーをつけることだって、
海にいくことだって、ゲーセンにいくことだって、


別にいいじゃん。。


オシム監督は、サッカーだけで、選手を評価します。
その他のどうでもいいことはどうでもいい・・

だからこそ、選手は、
その他のことに気を煩わされず、
気を取られることが一切無くなり、
サッカーをしているときは、
サッカーだけに集中できるようになったのではないかと思いました。



生き方とか、体裁とかを周囲からいわれることは、
とてもわずらわしいですが、
どうでもいいじゃん。。と思いながらも、
結局、そういったことを気にする自分もわずらわしいです。
そういうのを取っ払えたら、
本当に、プレーに集中できるようになれそうだと思いました。


 
   
  • 2006/09/21-03:17:21
  • 投稿者 : あかり
  • URL
  • 編集

[C4281] ど真ん中

>ブレスレットやネックレスを身につけて髪を茶髪に染めていた。するとあいつはダメだ、使えない、
そんなところで判断されるってとてもムカついちゃうと思います。ブレスレットで負けるのかい?って言いたくなると思います。
ミスをしたら関係のないそこが原因とされそうなのを
オシムはちゃんと見ていてくれるんだって。。とても
嬉しくなってしまうと思います。ど真ん中を見てくれる。。
こんな監督のもとでなら、言い訳はできないけれど
どこまでも走ることをいとわないんじゃないかと思いました。
  • 2006/09/21-02:09:10
  • 投稿者 : Ciel
  • URL
  • 編集

[C4277] >ど真ん中

言われてみれば、ど真ん中をどれだけ大事にしてきたか、と自分に問い直さなければいけないな、と思いました。いつも、誰かのど真ん中を見てきたか?と問われたように感じます。どうでもいいことばかりを大事そうに扱ってなかったか?もっともらしい事を言って、肝心のど真ん中を忘れてなかったか?

いつでも、ど真ん中に気持ちを持っていくには、なによりその人本人をよく見ていなくてはできないな、と思います。いいとこ・わるいとこ、全部ひっくるめて、その人の一番肝心なとこを、ちゃんと評価する視点がないといけないな、と思いました。自分が誰かにそんな風に評価されたら、ものすごく嬉しいと思うはずだからです。
  • 2006/09/21-01:39:24
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
  • 編集

[C4276] >「プレーとは関係ないところで評価されることが我慢できなかった」

私が日本のサッカーを見てかなりびっくりしたのは、90分間走れない選手がいるということよりも、90分間集中できない選手がいるということでした。

たぶん現状、日本のサッカーというのは、ロッカールームにふらっときて着替えてプレーして帰るだけという体制にはなっていないのだと思います。服装のことやタトゥーももちろん駄目だろうし、あげくの果ては「紳士たれ」とか精神面や人格面であるべき姿を要求までされるのかもしれません。記者やチームメートと世間話のひとつもしなくてはならないかもしれません。

ここ数日の書きこみで、オシムのサッカーというのは、プレー中は選手に非常に厳格なディシプリンを求めるものだということがわかりました。しかしそれ以外のところでは「好きにしていていい」というメリハリがあるのだと思いました。

練習中に集中力も要求されずあまり厳格ではなく、練習が終わってからもだらだらと集団の価値観が押し付けられるというのが、サッカーだけではなく、日本の社会のあらゆる場面で見られることだと思います。

これに対して、オシムのやり方は、厳格な制御とそれ以外の時間に与えられる自由というのが非常にコントラストを感じさせます。

どうでもいいことに神経を使わない、使わせない...。90分間集中力を持続するためには必要なことなのだと思います。その緊張と弛緩を繰り返していくとき、私は状態が変わると人間は快感を感じるという仮説を持っていますので(笑)、その快は相当なものだと思います。
  • 2006/09/21-01:21:26
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
  • 編集

[C4275]

> いままでの指導者たちは、周辺のどうでもいところを見て、ど真ん中を外したのではないかと思います。
 
おーこれはそのものズバリという感じでズドンときました。なにより心にくるのはそれかもしれません。だって…サッカーしてるんだもの

[C4274] >ど真ん中

やさしい感じがしました。
勇人選手がどんな風貌であってもオシムはサッカーのプレーを見てくれている。
なにも押し付けたりしない。
こんな風にしろとも言わない。
ど真ん中って 意外と見えないところなのかもしれないと思いました。
そして一番見て欲しいところだと思いました。
私も ど真ん中を見てもらいたいです。
そしたら、もうどうなってもいいほど走れる気がしました。
  • 2006/09/21-01:09:39
  • 投稿者 : なんしぃ
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

新規
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

0件のトラックバック

トラックバックURL
http://fushigikenkyujo.blog62.fc2.com/tb.php/131-c5f7de70
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

Appendix

くろこ

プロフィール

森田健(もりけん)

Author:森田健(もりけん)
もりけんブログへようこそ。
楽しんでいって下さい。

■無料会報誌「不思議の友」について
森田健が実際に足で歩いて遭遇した出来事を皆さんに報告する場として「不思議の友」という無料会報誌を出版しています。
この本は、読んでいただけるだけで嬉しいです。
でも、何か意見を返してくれるともっと嬉しいです。
不思議なことに興味がある方、不思議なことを解明したい方、または新しい生き方を見つけたい方のためのものです。
最新号は常に無料でお送りしています。
新しくお申し込みの方はこちらからどうぞ


最新号「不思議の友15」が届いていない方。
以前不思議の友が何度かお手元に届いた方で、この号が届いてないという方
は、


●03-3378-9845
●平日10:00~12:00、13:00~18:00

にお電話下さい。
その際「ブログを見た」と言っていただけると嬉しいです。

最近の記事

最近のコメント

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

たまちゃんカップ時計

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。