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-件のコメント

[C4512] >「個」と全体

個と全体について考えていると、よく判らなくなってきます。
 
個がないと全体はありません。
でも、全体にとっての個は、どの個でも、支障はありません。
 
全体における個は代替可能なのですが、オシムは個を選んでいます。
その選択の基準は、走れること、スター選手ではないこと、みたいです。
 
オシムの基準で個と全体を考えていると、主導権という言葉が浮かんできました。
 
場はつねに変化し続けています。
サッカーに置き換えると、開始のホイッスルがなると、ボールは動き続けます。
誰が主導権を持っているのか・・・
 
監督ではありません。審判でもありません。選手でもありません。
 
ゲームが終わるまで、主導権はどこにもなくて、ただボールが動き続ける、
そこには、主体性などないのだと思います。
 
瞬間、瞬間で動きが決まりますが、その主体はどこにもないのだと思います。
ゲームを支配しているのは個ではなく、全体なのだと思います。
 
個は全体の動きに合わせて動いているだけなのだと思います。
 
でも、スター選手は自分がゲームを動かそうとします。
場の中心は自分だと勘違いしてしまうのだとおもいます。
 
場と全体を考えてみて、オシムの思考が少しだけわかってきました。
 
  • 2006/09/28-17:51:30
  • 投稿者 : 福
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[C4494] >「個」と全体

なんか、すごく筋道通されているなと感じました。
根源のなにかを持ち、それからブレない姿を目の当たりにしているような気がします。
ジーコ監督が指揮を取ったのワールドカップの試合は有名どころの結集というところもあってか(汗)、何回か見ていました。
そのとき感じたのは、日本は他国(強いチーム)に比べてパス回しがちゃんとできていないな。ボールが自分の体と一体になっていないな。世界と台頭になるにはもっと基礎をトレーニングする必要があるのではないかと思っていました。
だけど、今回のブログとオシム監督のスタイルを読むにつれて、強くなるには他になにかやるべきことがあるのだと実感しました。
それは、個を個として尊重しないことなのだと思いました。
別に目立ったり注目されなくてもいいし、その必要もない。
花でなく、草でいいから、根源に対応した指導をされているオシム監督なんだと感じました。

[C4483] >「個」と全体を切り離して考える瞬間は、無かったのです。

時空の中で、「個」はきりはなされてはいないと思いました。個と個のつながりがあっても、どの個もすべて時空とつながっているんだと思いました。

どれだけ個を磨いたとしても、磨き方を生き方を比べているわけではない。なにを時空がしたいのかわからない。常に時空に「なぜ?」と問い掛けていることが全体と繋がりながら生きることになるのかなと思いました。

と書いても、だからどうすると具体的に自分の動きがわかった訳じゃないです。ただ、あらためて個を磨くだけではないということがわかっただけです。

[C4478] 「個」と全体

個が基本で、全体がチームプレイだとすると、
どっちも大切であると思いました。

どっちが欠けても、ゲームに勝ち進めないだろうと思います。
いくら超天才が1人いてもダメです。

時空の解明には、1つの事象を突き詰めるというよりも、それぞれの事象が解明のヒントになっているのかなと思いました。

[C4476] 基本が個とは納得

試合そのものは全体といえる。試合で使う技だけを練習するのが基本だ。これはパーツ。パーツはパーツで練習してもサッカー=試合全体はイワシの大群のようだからイワシ一匹のスキルが全体を底上げすることはなさそう。オシムの練習はシナリオをこなすだけではない。アドリブでもない。その瞬間のルールを見つける事かも。
  • 2006/09/27-12:36:10
  • 投稿者 : テクノン
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[C4467] 個と全体

オシムは独立した個として外側からみること外側にいることをゆるさなかったようです。ですから出番を待つ選手にもひたすら走らせたり一対一でも、ひとごとのようにみていることをゆるさなかった。しかし、オシムは全体を見ることで基本に忠実な個をすて、想定外な練習をさせることで全体を見るようにさせているようなかんじです。練習でも試合を想定するのはよくしてることですが、どのチームでもしてることが、あくまでも基本に沿っていて選手が納得しそうな感じです。それでは考えて走ることから全体のなかの駒として動ける様にならないのかも知れません。あるべき練習からは基本に忠実で基本を大切にすることでより個人的な考えを生み考えて走る走ることで考えるようにならないのかもしれません。技術は上手くなるかもしれないですが。オシムの目指すサッカーと違うと想いました。ですから選手は最初とまどったとおもいます。
  • 2006/09/27-07:58:02
  • 投稿者 : じんのり
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[C4461] 最初に入れた顔なのですが...

ただの顔のつもりだったのですが入れてみたら「あっかんべ~」してる...(汗)
  • 2006/09/27-00:11:35
  • 投稿者 : ナイル
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[C4460] >「お前ら、なんで助けに行かないんだ!」

v-7たぶん、そこで助けにいったら日本中どこでもアウトだと思います。ジェフに入った若者たちもチームをひと目見るなり

「ここはサッカーをするところじゃない」

と強く感じたと思います。TVでみる欧米チームのようなサッカーをやりたくても

「ヨンスさんや俺たちが今まで築いてきたものを否定するのかよv-359

と古株ににらみをきかされれば、嫌でも負け続けるための練習をして、負け続けるサッカーをやり続けるしかありません。「駒」であるひとりの新人選手としては順応するしかないでしょう。

ところどころエアポケットのように例外的な場所はあるかもしれませんが、日本中どこへいってもこんなかんじなのでしょう。そして今や安価で使い捨ての便利な労働力として生存が許されてきたフリーター・パワーは、シルバー・パワーと並んで、国をも動かす大票田となりつつあります。

オシムが契約を打ち切られたらオシムを党首に据えて(オシムが議員になる必要はないし、たぶん日本国籍をもっていないとなれないと思うが...)「日本フリーター党」を立ち上げて、若者の意見が国政に反映するようにならないかなあと妄想しました。

まず、オシムなら消費税を25%にできるだけ速やかに増税するような気がします。また、売り上げ3000万円以下の商店はどうこうとかいう、実に納得のいかない消費税納税免除をやめて、国民が税金としておさめたものは確実に国庫に入るようにするのではないかと思います。そして40歳まで作文と面接で地方公務員に応募できるようにするなどユニークな雇用制度を設けるかもしれません。いや、こんなのまだまだ普通で、なんか超越した練習方法(爆)を考え付きそうです。もちろん、オシムは政治になど興味はないでしょうが...。

オシム本人ではなくてもよいと思います。なぜならオシムが提示しているのは、問題解決の方法をあみだす考え方なのだから...。 e-487v-355v-355v-355
  • 2006/09/27-00:05:58
  • 投稿者 : ナイル
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[C4459] 「個」と全体

「全体」とは「個性」の集合体的な考え方をしていました。

だから、徹底的に個性にこだわり、伸ばすかこたが大事是だと思っていました。

頭をハンマーでガーンとやられた気分です。

主体は「個」にあるのではなくて「全体」にあるのですね。

でも、よく考えてみると、「全体」とうう概念がなければ、
「個性」という概念もうまれようがないですね。

「個」にこだわればこだわるほど、「全体」から制御がかけられるのだと思いました。

それでも、「個」にこだわるいとしている自分が情けなくなりました。


  • 2006/09/26-23:39:20
  • 投稿者 : ばなな
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[C4458] >「個」と全体

 オシムの場合個と全体、そして個と個の関わり方を強く感じました。個が駒としての全体の機能性を高める為に、全体のなかに包括された他の個もその個との関わり方について個自体が考えて行動するということが基本ルールとしてあるように思いました。ボッと見ているだけの選手にいいそうです、「人のしてるの見てマスかいてんじゃあねえよ!」(笑)なんかどっかのチームでも監督が叫んでます。「取っていくだけのヤツは、出ていけ!」(爆)と。
  • 2006/09/26-22:58:33
  • 投稿者 : yk
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[C4457] >「個」と全体

全体の自由というものを感じました。
病気を、臓器というパーツだけみるのではなく、身体全体の問題として捉えているような感覚ではないかと思いました。癌細胞だって、毎日うまれるけど、免疫機能があるから、成長しなくてすむ。それを身体に抱えていたって身体は動く、と思いました。

「個」という臓器が単独ですばらしいのではなく、それぞれが連動して、身体が全体として機能することをオシムは見ている。だから、独立した「個」の成長という発想がないのではないかと思いました。
  • 2006/09/26-22:13:36
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4456] 練習中は

監督が、神に思えるでしょう。実際、オシムのふるまいはいかにも専制君主みたいなところがあります。
 ただし、普通の専制君主と違っている点は、彼が押し付けてくるのは、ルールそのものではなくて、ルールの流動化だという点だと思います。
 流動性というのは、「流れている」ということだから、普通は、「自由」の中に見出されるものだと思われがちです。
 しかし、実際のところは、自由の中には、ルールの固定化しか見出せないような気がします。
 オシムは、自主性を、選手に「押し付けてきている」と思います。
自由放任の中で、自主性が自然に生まれてくるような方法ではなくて、流動性が強制的に押し付けられています。
 流動性を押し付けるということは、自由を押し付けるということだから、押し付ければ押し付けるほど、専制君主本人は、次第に、専制君主の座から滑り落ちていくでしょう。
 もしも、選手が完全にすべてを考えて動くようになったとすれば、そのとき、監督は必要ないはずです。
 ガチガチのルールを押し付け、同時にその破り方を押し付ける、というやり方以外で、本当の自由、予測不可能な、管理されない自由というのはありえないのかもしれません。
  • 2006/09/26-21:06:30
  • 投稿者 : L.B.
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[C4455] 「個」と全体

"場”を作ろうとされていると思いました。
全ての個が駒となり、ひたすら走るプレイは、“場”を出現させるのだと思います。
選手ひとりひとりが爽快感を得るのは、場の力が生じたからだと思えます。
無意識領域との双方向通信がかなったからだと思います。
たった一人でも足をとめると場にならないのかと思います。
試合の最中、選手たちが爽快感を味わっているかどうかは見てわかるものでしょうか?
観客やマスコミに伝わるでしょうか?
もりけんさんのサイトやブログ参加者だけが気づけることかも知れません。
はやく次の試合を見てみたいです。v-10
  • 2006/09/26-20:09:59
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4454]

独立した個から全体のパーツへとシフトしていく過程の中で、選手達はただ監督の指示どおりに練習をこなすのではなく、状況を見て自分で考えて動くやり方へとシフトしていったこと・・。全体の中の個がどういうものなのか、とても考えさせられました。
あるチームの一員になったときその中で自分がやることと言えば、
まずは既成のマニュアルに準じて基本を積み上げる→応用の段階では自分の特長に合わせて技術を磨く→選手の配置と全体の流れを統率するのは監督の役目
これが一般的な段階を踏むやり方なのではないかと思います。
自分のやり方でやっているようなときは、実はそれほど頭を使っているわけではないのかも知れないです。
周りの出方がどうであれ、今までに馴染んできたやり方で、自分自身の流儀で・・・。
もちろん自分の流儀を作り上げるときだって、試行錯誤や工夫などで頭をひねることも多々あるでしょうけれど・・。
でも全体の状況を見ながら最も適切な自分の動きを決めていくことは、それ以上に何倍も頭を使って考えなければならないのだと思いました。
駒にされたとき、個々の自律性と創意工夫は押し殺されているどころか、全体へと拡大されているのだと。駒こそ、最も自分自身の持てる力をフルに出し切っている存在なのだと・・。
オシム監督と選手達のエピソードを読んで知るほどに、そう感じてきます。
基礎固めが出来てからでないと応用の場面で手も足も出ないだろうと考えてきました。
ですが、上手く動けるようになってから始めるんじゃなくて動くことから始まるんだ、結果をどうにか出来ても出来なくても、どんな状況でも考えることと走ることを止めるな・・・そう言っているように思えました。
  • 2006/09/26-18:16:55
  • 投稿者 : 未来
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[C4453] >「個」と全体

v-37練習メニューであっても実践と同じように全体で動けということなのかなと思いました。
これはレスでも何でもそうですが、言われたことをただやるだけに陥りがちだと思いました。
個が弱い=全体の中で動いている、というわけでもないのだと思います。
それは考えていないからだと思います。v-39
  • 2006/09/26-18:00:54
  • 投稿者 : くるみ
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[C4452] >「個」を伸ばし、それが11人集まれば素晴らしいチームになるというのが普通の考え方です


ずっとそう思ってきました。
そう思うからこそ、より強くて優秀な「個」を育ててチームを強化しようとします。

でも、個々の才能よりも、チームとしての柔軟性や適応力を重視しているのが、オシムなんだなぁ・・と・・

オシムは、チーム全体をひとつの生き物のように考えている・・。
これは、もりけんさんの時空観とも似ていると思います。

チームのネットワークから切り離された「天才」がいると、チームとしての柔軟性が失われてしまう・・
オシムはそんな風に考えているのかなあと・・。


オシムの指導によって個の自由が失われても、チーム全体としての自由はある。
むしろ、個が自由を手放してパーツに徹しないかぎり、全体の自由は生まれないのだと・・

相手チームの動きや環境に即座に適応して、自由自在に動きまわる・・
そんな、チームとして変幻自在なサッカーが、オシムのサッカーなのかも・・と思いました。

[C4451] ルールへの別回答

基本は基本。
これもルールだと思います。
個の能力を伸ばすことで全体がうまくいく。
これもルールの一つなんだと思います。

もしかしたらルールというのは思い込んだ瞬間から固定してしまうように思いました。

多分、オシムにとっルールはただの視点でしかなく、実は決め事がありそうでないというあやふやさも含んでいるような気がしました。

厳格さとあやふやさ。
  ↓↑
 個と全体。

いったりきたりな感じがします。
個が集まって行うから、逆に個と全体とを切り離せない。
個と個のつながり、関係性を非常に気にしている気がします。

逆にいえば、「スタンドアロンなんてありえないだろ?お前ら」と言っているように思えます。

[C4448] >「個」と全体

>「お前ら、なんで助けに行かないんだ!」
 
「?」となった選手と同じです。何を言っているのか分かりませんでした。
助けに行けば形勢は逆転するのは分かるし、試合や勝負じゃない事で手が足りずに
困っているのなら助けに行くだろうけど、でもこれは1対1と決めた練習試合なん
だから、「なんで助けに行かない」って言われたって行けるわけないじゃないかと
思いました。
 
だから抜粋の後のもりけんさんの文章を読んで、自分の凝り固まった視点にガック
リきました。。。
 
1対1の試合ならその形を崩すことは出来ないというのは、ルールからの視点でし
た。ルールにとってみたら、二人目が助けに行くなんてことはあってはいけないこ
とだと思います。
 
でも1対1の練習をしていた時のオシムの視点はルールなどにはなくて、試合中に
1対1になった場面を見ている監督の視点なんだと思いました。
 
>「個」を伸ばし、それが11人集まれば素晴らしいチームになるというのが普通の
>考え方です。
 
全員が個々に高い能力を発揮すれば、その相乗効果で素晴らしいプレーが生まれる
ということだと思います。
この考えだと、一人の選手が抜けただけで、全体としてのプレーに歪みが生じて、
その歪みを修整するのは容易なことではないように思いますが、それは個が個のま
まだからだと思いました。
  
でも常に全体という考え方しかなければ、選手が一人抜けたとしても、即座に残り
のメンバーが全体として動くのだと思いました。
 
 
オシムの個人やチーム全体への激や指示は、いつでも始まりの合図という感じがし
ます。
合図してしまえば、後は全体で動くということしかないんだと思いました。
監督からの合図はしっかり受け取って状況判断しなければいけない。でも次の瞬間
に状況が変われば、変わった状況に対応する動きをしろということなんだと思いま
した。
 
> これは我々が時空を考察するときの参考になりそうです。
 
たとえば人間の増減があったとしても、全体という考えでは変わりはないのだと思
います。
全体の構成に変化が起こっても、全体であることには変わりない。。。
そういう世界の中に私たちが存在するのだとしたら、私たちは時空で駒として何ら
かの動きをしている。でも駒の動きそのものには意味はない。
あるのは時空全体としての動きなのかもしれないと思いました。
  • 2006/09/26-16:13:23
  • 投稿者 : ぷく
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[C4447] 個と全体

プロサッカー選手なのだから もうすでに基本は
できていると思います

なのでそれぞれの選手は少し余裕があり それをかっこよく決めたいとか 目立ちたいとか 個というものを
意識するような気がします

オシム監督はそれを忘れさせるような感じです

個を伸ばすというよりは 捨てさせて選手たち もう一度 純粋にサッカーをすることを 思い出させて
いるような感じに思えます

そこまで選手を引っ張れるのは あらゆる角度から チーム全体を見られるオシム監督の視点があるからだと思いました

以前のブログにもりけんさんが オシムは中心を知っているから と書かれていましたが その中心って
何だろう。。。と考えています

[C4446] 個を、ひとつひとつじjっくりと見る

ことなんて、誰にも出来ないんじゃないかと思います。
「ひとりひとりの可能性」とか、そういうのは、きれい事に思えます。

全体を見る、ということが今の自分にとっては
表現するのさえ、ものすごく難しく感じますが、
全体を見るとき、まず考えられるのは、三次元以上の見方になる、ということだと思いました。
(当たり前、というかもりけんさんが以前書いてました(汗))

四次元的に物を見るということは、常に現象の外側、全体をみることができると思います。
物の見方は、たぶん、時間(時間も光の仕業だから)に支配されているんだと思いますが、
オシム監督にとっては、全体と、ピンポイントの大きさが、同じなのかもと思いました。


うぉ~!!!なんだか破綻してきました・・・。


  • 2006/09/26-15:13:18
  • 投稿者 : マリ
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[C4445] ・・・唸りました。

その練習一対一で味方が押され気味のとき、自分はどこに
どのように入って動けばいいのか、どのタイミングで
入ればいいのか・・全体の中にありがら、より鮮明に
なるんじゃないかと思いました。
監督のいうことがすべてではない、自分で考えろ・・。
監督すらも全体の中にいるのを思います。
「個」はあくまで全体の中に存在しているもの・・。
「個」を伸ばしてしまうのは、全体からは邪魔になって
しまうもの、つながらなくなってしまうもの・・。
「個」を大切に・・何の疑いも無く思ってきました。
その考えは完全だと思ってきました。
・・・偏ってたんだということに、ガツンときています。
チーム・・アメーバ運動をしているみたいだと思いました。
  • 2006/09/26-13:05:25
  • 投稿者 : まる
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[C4444]

パスした後なぜ走らないんだ・・・・と言った意味がようやくわかったような気がします。
空いたスペースはフォローに回るし、パスする先を読んで先に走りこむ・・・・
個が全体と切り離されていてはできないことなんだなと思いました。

>「個」と全体を切り離して考える瞬間は、無かったのです

 それでもまだ深い所での理解は全然できていないのだろうけれど・・・
駒がひとつでも抜けたりしたら完成しないパズルのようなのかな。
思考が追いつかない自分にイライラします。


個を磨いて全体と繋がれば良いのかと思っていましたが全然見当違いなところばかり見ていることに気がつきました。
基本はなにもないんだ・・・自分は誰でもないんだから。
ナニかを大事そうに引きずっていては全体とパーツがきっちりとはまらないんだと思いました。



[C4443] >「個」と全体

最初は1対1で、そのうち、力の差がでてくると弱いほうに助っ人がついて、それでも1人で戦えることもあるかもしれないし、1人の方が弱くなれば、そちらにも助っ人がついて。。
ボールを持っている状況というのはそういうところがスタートになっているのかもしれないと思います。仲間が助けにくるというのは、チームプレーならではだと思います。
サッカーは個人競技ではないのだと改めて思います。オシムの練習メニューはそういうものに基づいているのかなと思ったりします。

[C4442]

> 我々は基本は基本として、切り離してバッチリやる傾向があります。
>「基本が大事だ」・・とか言って(笑)。
 
考えてたんですが…組み込まれパーツ(駒)なんだったら…もう基本とかルールとか個にないなと思います。
どんな駒も駒だしカードはカードなんだと思います。トランプのカードとか…ガラとか数字とかイロイロありますが、結局はトランプのカードと言うか。ゲーム(ルール)の上でしか本領発揮しないと言うか。その色とガラばっかり見て強いの弱いの言ってるのが自分なのかなと思いました。ゲームするってのはそういうことじゃないよなと思いました。なんかちょっと笑けてて…自分て駒だとしたら…色とガラとか自分でみてもしゃーないなと思いました。(見えないようになってる気もするし)いまさらどうしようもないし…もしチームがあるなら、私には自分の事は試合の中では見えないから…飛び込んだら上手く使ってくれ~ぃって感じです。(でも何チームなのか?)なんかすっごく不思議なゲームなんじゃないかと思います。誰かがするゲームじゃなくて…参加するヤツ(駒)の数だけ意識がある。それがなんかゲームを不安定にさせて、ゲームが連動してハラハラすると言うか。個ってなんなんだろう…ブログ読んでると…閉じこもるためのもんじゃないんだと思います。形態別個なのに…連立・連動してる。ゲーム(全体)における個…ゲームか…爽快感はゲームの中にある。体験してないからなんとも言えないのだけど…そりゃいったい誰のどう言う快感なのか…走る快感か、なんかプログラムがビッチリ正確に走る快感なのかと思いました。(となると個のだろうか?とも思います。なんか私にとって個ってめっちゃ不思議なものになりつつあります。)

[C4441] >「?」言われた意味が分からない。監督は1体1をやれと言ったではないか?

独り言を読んでいる時と同じだと思いました(苦笑)。
面白い話につい乗ってレスを入れると翌日はそうじゃないだろうとひっくり返される(笑)。
六爻占術の通信問題も用神は月日から生じられていないのに、翌年はOKとなる・・・
低学歴のくせに(爆)、なんで模範解答を当てにしているのだろうかと思います。
「個」が設けた確固たる基準は、全体の前、時空の前ではまったく解明の助けにはならないのだと思います。
宮本武蔵が対面したのは、剣の相手ではなく、もっと大きな相手をいつも意識していたのでしょう。
それをよくわかっていた彼の師匠や父親は「お前は弱い」と武蔵を床に叩きつけていたのだと思います。
  • 2006/09/26-09:46:06
  • 投稿者 : イーキン
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[C4439] >「個」と全体

オシムは「個」と「全体(ネットワーク)」が一つに溶け合うという視点を持っていると思います。

一対一のプレーで押されている立場になった選手は孤独と絶望に似たものを感じると思います。

>「お前ら、なんで助けに行かないんだ!」

この言葉は「個」が「全体(ネットワーク)」につながるためのキッカケづくりの言葉と思います。
監督に言われたから行ったでは、もともこもないと思います。
そこに入るには、自分で考えて自然に体が動いてしまう状態が必要と思います。

このとき、助けられた選手も、助けに行った選手も「個」が「全体(ネットワーク)」に動かされる一部分になり切っていると言えそうです。

[C4438] >「個」と全体

「強くなっているじゃないか! 自分たちは」 これは、「やっている方向は間違っていない!」ということだった。

>理解さえしていれば、やっていけないことは、何も無かった。
>なぜ指をくわえて見ているんだと言う。漫然とメニューをこなすな。自分で考えろ、と言う。
指示待ち人間ではいけない。今どうしたら一番いいのか、分かっていれば、やり方は自分で考えた方法でかまわない、だから考えろ。こういったオシムの考え方が、「地面から人が湧き出る」ように走れるチームを作ったのだな、と思いました。大事なポイントを与えて、それに向かって自主的に考えさせる、その訓練で、いつも今の瞬間をその大事なポイントからブレないで動けるように導いているのだな、と思いました。大事なポイントにどう向かっていくのかを、オシムが手取り足取り教えてしまえば、選手は考えることを止めて、オシムの指示を頼りにし、それから動くようになるでしょう。それでは、遅い、遅すぎる。

>我々は基本は基本として、切り離してバッチリやる傾向があります。
ものすごくあると思います。基礎練習・基礎学習・基礎訓練・・。個のレベルアップ。
>常に全体に組み込まれた基本なのだと思います。
この視点には、目が止まりました。しばらく呆然です。基礎は常に全体の中に。個は常に全体の中に。切り離して効果を狙うのは、基礎がなければ、これから先の全てがだめになるからだ、という考えが裏にあるからだと思います。基礎が下にあって、先を積み上げていく。個が下にあって、全体を積み上げていく。そうではなくて、常に同時進行、渾然一体となって存在していて、どちらが先も後もない。この視点は、自分の生活にもひっぱてこれます。時空を考える上でも・・。時空を考える上でも・・。この点については、また後で書き込みます。
  • 2006/09/26-08:17:52
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4437]

> 日本的思考でいけば監督の最初の指示に従っているのだ。だいいち1体1で助っ人が入ったら、フェアーじゃない。ところがオシムは実践で1体1が5秒も6秒も続くシチュエーションはない。なぜ指をくわえて見ているんだと言う。漫然とメニューをこなすな。自分で考えろ、と言う。
 
コレを読んだ時心底驚いたのを思い出しました。自分ていつもナワバリ(?)見たいのを常に考えて生きてんだなと思います。なんていうか…やっぱ自分がエラいんだと思います。自分の影響の及ぶ範囲とか、今自分が出て行っていいかとか…それはずるくないかとか考えてんだなと思います。だから腰が引けてる。(もし出てってオッケーなら…個に責任とかない気がしました。)オシムにはソレがないんだと思いました。なんか戦場にいるみたい。TVじゃ武士の立ち会いも何人いても一対一だけど(悪者が順に切り掛かる)…実際の場面で一人対敵が大勢だったら…ワッとくるだろうと思います。なんか…自分で考えろってどういうことかと思ってたけど…今日のブログを読んでおぉ~~~と思いました。なるほどなるほどです。そして私がオシムの思考をまったく介さなかったのも…なんかうなずけます。こりゃもうガンガンにやられるしかないと思います。普通(←笑)、個(基本)と全体なんて視点はないだろうと思うので、(言い方変えたら流れとかあるとは思いますが)アタマ叩かれて体で覚えるしかねぇなと思います。しかし考えるのはなんで個なんだろう。それが醍醐味なのだろうか。なんかこうバラバラのものがわーっと連携してくのが時空全体の美しさとか。なんかなのかなとアタマぐるぐるします
 
> 理解さえしていれば、やっていけないことは、何も無かった。
 
オシムが時空的思考なら…ココもやっていけない事はないのかなと思いました。サッカーのルールの上なら何でもアリなのかなと。ルール、五行でしょうか。おぉーーーーなんかスゴイとこいるんだって気がします。私のチームメイトは(五人チーム?)…どこだ?ボールはどこだ?ゴールはどこだ?生まれてるってことはホイッスルはなったってことだ。前半を終えてそうな人生なんで(汗) 『言ってどうなるわけでもナイけどさ』人生が激しさとともに…今おもろい事になってんのかなと思います。

[C4436] >「個」と全体



「1対1」と聞くと、一個人対一個人と思ってしまいます。
しかし、一個人の力が劣ってしまった場合、その一個人に「がんばれ!」というのではなく、もうひとつ個人をくわえる・・
その2人まとめて一として、一個人と闘う・・なんだかこんなう風には今まで考えなかったな・・と思いました
「1対1」の練習は、一人一人の力を伸ばすためだと思いがちです。
その人ががんばらなきゃ・・と。
でも、実際、サッカーは11人でするもの・・
この練習は、実際の試合の場面のようで、頭と体をフルに使わなければできないと思いました。

個人が集まって全体があるという考えは、いろんな場面で出てくるように思います。
だから、個人の力を伸ばそうとするし、力がないことをだめだと思ったり、劣等感を持ったりしてしまうのかもしれないです。

また、オシムのいう「自分で考えろ」とはこういうことか。。と思いました。
監督から「1対1」といわれたら、「はいってはいけない」と思ってしまうと思います。
「ひとりでなんとかするしかない」と。
またやってる本人も、「自分ががんばらなきゃ」と。
それにオシム監督は厳しいからそんな監督の指示に逆らえない・・とか(これは想像ですが)
でも、入っていいと分かったあとも、いつ、どの時点で入るか・・などを自分で考えなければなりません。
こういう練習があったから、みながいろんなポジションをこなせて、地面から味方が湧き出てくるような状態になるのだと思いました。

これまでのお話からも、同じ怒るでも、怒る視点が他の監督とは全然違うのだと思いました。
自分(監督)のいうことをよく聞く、自主的に練習する、自己管理ができる・・そういう選手がいい選手となりそうですが、オシム監督にすれば、そんなことはどうでもいいのかも、と思いました。

[C4434] >「個」と全体

>我々は基本は基本として、切り離してバッチリやる傾向があります。
 「基本が大事だ」・・とか言って(笑)。
>しかしオシムには、「基本」は無いのだと思いました。
 一見、基本をやっているようですが、常に全体に組み
 込まれた基本なのだと思います。
 
 フシケンのHPのメインは「基本」とゆう頭があります。
 けれど、ブログも、メイン以外の他の部屋もすべて・・
 全体の中に含まれた「個」なのだと思いました。
 私自身の書き込みも、ある意味でそうかもしれません。
 だいいち、もりけんさんがテーマを出さなければ、
 浮かんでくるものはありません。そして他の方の書き込みも
 私の書き込みへと影響したりもします。
 これは、これ。
 あれは、あれ。・・と切り離して考えるのは何でだろうか
 と思いました。
 物理的に距離があるから、何かに所属したわけではない・・
 と思っているから。
 これは、関係ない・・そう切り捨てる時、一体なぜそんな
 風に思うんだろうと思います。
 試合に参加していなくとも、走り続けるのがオシム監督です。
 いつでも体はあったまっていて、休む・・とゆうのが無いです。
 何かあればいつでも出ていけるでしょう
 でも「監督」だから、しないんだと思います。
 よく見えているから、私はいかない・・と出来るのだと
 思います。
 
 

[C4433] >「個」と全体

>オシムは、「個」と全体を切り離して考える瞬間は、無かったのです。
 
>これは我々が時空を考察するときの参考になりそうです。


「私」という個は、パーツではあるが、それは、全体から切り離されて存在しているわけではない・・

オシムのチームでは、個が、孤立して飛びぬけることはない・・

スターはいない。

>理解さえしていれば、やっていけないことは、何も無かった。最初にパスを足元に入れて始めろ、と言われても、裏に出したほうがうまくいく場合は、そちらを選択してもオシムは何も言わない。

しかし、パーツは、考えるパーツだ・・
全体の中で、動くパーツ

逆説的ではありますが、
全員が思考しながら、走り続け、
真っ先に、助けに出る・・

つまり・・チームメイト全員が、真っ先に飛びぬけることによって、

組織全体が、ダイナミックに脈打っているように思いました。

生きてる全体だ。。って思いました。


 
  • 2006/09/26-01:05:40
  • 投稿者 : あかり
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[C4432] 個と全体は切り離せない

ユミット星人を解剖してもなにも残らない気がしました。
なんでもかんでもばらばらにして
それは何かと考えるくせはよくないのではと思えました。基礎といっても基礎だけではない気がしました。
基礎の中に全体があるのではと思えました。
オシムはサッカーをバラバラに分解して一個一個考えなかった、常に全体だったのがすごいと思いました。
どうしても、バラバラにして理解しようとしていた自分がいたと思いました。
  • 2006/09/26-00:53:10
  • 投稿者 : なんしぃ
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「個」と全体

 
 本の抜粋です
 
*********************
 
「強くなっているじゃないか! 自分たちは」
 
 やっている方向は間違っていない、という意識が選手の中に芽生えてきた。
 その中でオシムは走る練習を加速させていく。3月15日に行われるナビスコカップ直前の練習では、3組に分けてのミニゲームを多用し、出番を待つ組には徹底して走り込みをさせた。この日、姉ヶ崎の練習場では歩いている者は誰ひとりとしていなかった。
 
 段階を経ると、それまでの常識を崩すような練習が繰り返されてきた。
 オシムは言った。
「2チームに分かれて、ハーフコートで1体1でやれ」
 選手は言われたとおりに1オン1を始めた。しばらくすると、力の差が出て片方の選手が押されてきた。成り行きを漠然と見ている両チーム。するとオシムはいきなり、負けている選手のチームに向かって言った。
 
「お前ら、なんで助けに行かないんだ!」
 
「?」言われた意味が分からない。監督は1体1をやれと言ったではないか?

 「1体1で攻めきれずに苦しんでいるのなら、サポートに行って2対1にすればいいじゃないか」
 
 日本的思考でいけば監督の最初の指示に従っているのだ。だいいち1体1で助っ人が入ったら、フェアーじゃない。
 ところがオシムは実践で1体1が5秒も6秒も続くシチュエーションはない。なぜ指をくわえて見ているんだと言う。漫然とメニューをこなすな。自分で考えろ、と言う。
 
「ディフェンスがもし点を取られそうになったら、守っているほうも負けずに助けに行くよ」
 
 最終的には5対5,6体6というように、人が増えていく。
 
「このスペースでやっているのに6人も7人もいたらコンビネーションも何もできないじゃないか。そうしたらディフェンスが有利になるから、今度は攻撃は行かなきゃいいんだ」
 
 理解さえしていれば、やっていけないことは、何も無かった。最初にパスを足元に入れて始めろ、と言われても、裏に出したほうがうまくいく場合は、そちらを選択してもオシムは何も言わない。
 
********************
 
 抜粋は以上です。
 
 オシムにとって「パーツ」が独立して存在することは、有り得ないのだと思いました。
 
 我々は基本は基本として、切り離してバッチリやる傾向があります。
「基本が大事だ」・・とか言って(笑)。
 
 しかしオシムには、「基本」は無いのだと思いました。
 一見、基本をやっているようですが、常に全体に組み込まれた基本なのだと思います。
 
 いわゆる基本というのは、「個」に当たると思います。
「個」を伸ばし、それが11人集まれば素晴らしいチームになるというのが普通の考え方です。
 
 しかしオシムは、「個」と全体を切り離して考える瞬間は、無かったのです。
 
 これは我々が時空を考察するときの参考になりそうです。

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32件のコメント

[C4512] >「個」と全体

個と全体について考えていると、よく判らなくなってきます。
 
個がないと全体はありません。
でも、全体にとっての個は、どの個でも、支障はありません。
 
全体における個は代替可能なのですが、オシムは個を選んでいます。
その選択の基準は、走れること、スター選手ではないこと、みたいです。
 
オシムの基準で個と全体を考えていると、主導権という言葉が浮かんできました。
 
場はつねに変化し続けています。
サッカーに置き換えると、開始のホイッスルがなると、ボールは動き続けます。
誰が主導権を持っているのか・・・
 
監督ではありません。審判でもありません。選手でもありません。
 
ゲームが終わるまで、主導権はどこにもなくて、ただボールが動き続ける、
そこには、主体性などないのだと思います。
 
瞬間、瞬間で動きが決まりますが、その主体はどこにもないのだと思います。
ゲームを支配しているのは個ではなく、全体なのだと思います。
 
個は全体の動きに合わせて動いているだけなのだと思います。
 
でも、スター選手は自分がゲームを動かそうとします。
場の中心は自分だと勘違いしてしまうのだとおもいます。
 
場と全体を考えてみて、オシムの思考が少しだけわかってきました。
 
  • 2006/09/28-17:51:30
  • 投稿者 : 福
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[C4494] >「個」と全体

なんか、すごく筋道通されているなと感じました。
根源のなにかを持ち、それからブレない姿を目の当たりにしているような気がします。
ジーコ監督が指揮を取ったのワールドカップの試合は有名どころの結集というところもあってか(汗)、何回か見ていました。
そのとき感じたのは、日本は他国(強いチーム)に比べてパス回しがちゃんとできていないな。ボールが自分の体と一体になっていないな。世界と台頭になるにはもっと基礎をトレーニングする必要があるのではないかと思っていました。
だけど、今回のブログとオシム監督のスタイルを読むにつれて、強くなるには他になにかやるべきことがあるのだと実感しました。
それは、個を個として尊重しないことなのだと思いました。
別に目立ったり注目されなくてもいいし、その必要もない。
花でなく、草でいいから、根源に対応した指導をされているオシム監督なんだと感じました。

[C4483] >「個」と全体を切り離して考える瞬間は、無かったのです。

時空の中で、「個」はきりはなされてはいないと思いました。個と個のつながりがあっても、どの個もすべて時空とつながっているんだと思いました。

どれだけ個を磨いたとしても、磨き方を生き方を比べているわけではない。なにを時空がしたいのかわからない。常に時空に「なぜ?」と問い掛けていることが全体と繋がりながら生きることになるのかなと思いました。

と書いても、だからどうすると具体的に自分の動きがわかった訳じゃないです。ただ、あらためて個を磨くだけではないということがわかっただけです。

[C4478] 「個」と全体

個が基本で、全体がチームプレイだとすると、
どっちも大切であると思いました。

どっちが欠けても、ゲームに勝ち進めないだろうと思います。
いくら超天才が1人いてもダメです。

時空の解明には、1つの事象を突き詰めるというよりも、それぞれの事象が解明のヒントになっているのかなと思いました。

[C4476] 基本が個とは納得

試合そのものは全体といえる。試合で使う技だけを練習するのが基本だ。これはパーツ。パーツはパーツで練習してもサッカー=試合全体はイワシの大群のようだからイワシ一匹のスキルが全体を底上げすることはなさそう。オシムの練習はシナリオをこなすだけではない。アドリブでもない。その瞬間のルールを見つける事かも。
  • 2006/09/27-12:36:10
  • 投稿者 : テクノン
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[C4467] 個と全体

オシムは独立した個として外側からみること外側にいることをゆるさなかったようです。ですから出番を待つ選手にもひたすら走らせたり一対一でも、ひとごとのようにみていることをゆるさなかった。しかし、オシムは全体を見ることで基本に忠実な個をすて、想定外な練習をさせることで全体を見るようにさせているようなかんじです。練習でも試合を想定するのはよくしてることですが、どのチームでもしてることが、あくまでも基本に沿っていて選手が納得しそうな感じです。それでは考えて走ることから全体のなかの駒として動ける様にならないのかも知れません。あるべき練習からは基本に忠実で基本を大切にすることでより個人的な考えを生み考えて走る走ることで考えるようにならないのかもしれません。技術は上手くなるかもしれないですが。オシムの目指すサッカーと違うと想いました。ですから選手は最初とまどったとおもいます。
  • 2006/09/27-07:58:02
  • 投稿者 : じんのり
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[C4461] 最初に入れた顔なのですが...

ただの顔のつもりだったのですが入れてみたら「あっかんべ~」してる...(汗)
  • 2006/09/27-00:11:35
  • 投稿者 : ナイル
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[C4460] >「お前ら、なんで助けに行かないんだ!」

v-7たぶん、そこで助けにいったら日本中どこでもアウトだと思います。ジェフに入った若者たちもチームをひと目見るなり

「ここはサッカーをするところじゃない」

と強く感じたと思います。TVでみる欧米チームのようなサッカーをやりたくても

「ヨンスさんや俺たちが今まで築いてきたものを否定するのかよv-359

と古株ににらみをきかされれば、嫌でも負け続けるための練習をして、負け続けるサッカーをやり続けるしかありません。「駒」であるひとりの新人選手としては順応するしかないでしょう。

ところどころエアポケットのように例外的な場所はあるかもしれませんが、日本中どこへいってもこんなかんじなのでしょう。そして今や安価で使い捨ての便利な労働力として生存が許されてきたフリーター・パワーは、シルバー・パワーと並んで、国をも動かす大票田となりつつあります。

オシムが契約を打ち切られたらオシムを党首に据えて(オシムが議員になる必要はないし、たぶん日本国籍をもっていないとなれないと思うが...)「日本フリーター党」を立ち上げて、若者の意見が国政に反映するようにならないかなあと妄想しました。

まず、オシムなら消費税を25%にできるだけ速やかに増税するような気がします。また、売り上げ3000万円以下の商店はどうこうとかいう、実に納得のいかない消費税納税免除をやめて、国民が税金としておさめたものは確実に国庫に入るようにするのではないかと思います。そして40歳まで作文と面接で地方公務員に応募できるようにするなどユニークな雇用制度を設けるかもしれません。いや、こんなのまだまだ普通で、なんか超越した練習方法(爆)を考え付きそうです。もちろん、オシムは政治になど興味はないでしょうが...。

オシム本人ではなくてもよいと思います。なぜならオシムが提示しているのは、問題解決の方法をあみだす考え方なのだから...。 e-487v-355v-355v-355
  • 2006/09/27-00:05:58
  • 投稿者 : ナイル
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[C4459] 「個」と全体

「全体」とは「個性」の集合体的な考え方をしていました。

だから、徹底的に個性にこだわり、伸ばすかこたが大事是だと思っていました。

頭をハンマーでガーンとやられた気分です。

主体は「個」にあるのではなくて「全体」にあるのですね。

でも、よく考えてみると、「全体」とうう概念がなければ、
「個性」という概念もうまれようがないですね。

「個」にこだわればこだわるほど、「全体」から制御がかけられるのだと思いました。

それでも、「個」にこだわるいとしている自分が情けなくなりました。


  • 2006/09/26-23:39:20
  • 投稿者 : ばなな
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[C4458] >「個」と全体

 オシムの場合個と全体、そして個と個の関わり方を強く感じました。個が駒としての全体の機能性を高める為に、全体のなかに包括された他の個もその個との関わり方について個自体が考えて行動するということが基本ルールとしてあるように思いました。ボッと見ているだけの選手にいいそうです、「人のしてるの見てマスかいてんじゃあねえよ!」(笑)なんかどっかのチームでも監督が叫んでます。「取っていくだけのヤツは、出ていけ!」(爆)と。
  • 2006/09/26-22:58:33
  • 投稿者 : yk
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[C4457] >「個」と全体

全体の自由というものを感じました。
病気を、臓器というパーツだけみるのではなく、身体全体の問題として捉えているような感覚ではないかと思いました。癌細胞だって、毎日うまれるけど、免疫機能があるから、成長しなくてすむ。それを身体に抱えていたって身体は動く、と思いました。

「個」という臓器が単独ですばらしいのではなく、それぞれが連動して、身体が全体として機能することをオシムは見ている。だから、独立した「個」の成長という発想がないのではないかと思いました。
  • 2006/09/26-22:13:36
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4456] 練習中は

監督が、神に思えるでしょう。実際、オシムのふるまいはいかにも専制君主みたいなところがあります。
 ただし、普通の専制君主と違っている点は、彼が押し付けてくるのは、ルールそのものではなくて、ルールの流動化だという点だと思います。
 流動性というのは、「流れている」ということだから、普通は、「自由」の中に見出されるものだと思われがちです。
 しかし、実際のところは、自由の中には、ルールの固定化しか見出せないような気がします。
 オシムは、自主性を、選手に「押し付けてきている」と思います。
自由放任の中で、自主性が自然に生まれてくるような方法ではなくて、流動性が強制的に押し付けられています。
 流動性を押し付けるということは、自由を押し付けるということだから、押し付ければ押し付けるほど、専制君主本人は、次第に、専制君主の座から滑り落ちていくでしょう。
 もしも、選手が完全にすべてを考えて動くようになったとすれば、そのとき、監督は必要ないはずです。
 ガチガチのルールを押し付け、同時にその破り方を押し付ける、というやり方以外で、本当の自由、予測不可能な、管理されない自由というのはありえないのかもしれません。
  • 2006/09/26-21:06:30
  • 投稿者 : L.B.
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[C4455] 「個」と全体

"場”を作ろうとされていると思いました。
全ての個が駒となり、ひたすら走るプレイは、“場”を出現させるのだと思います。
選手ひとりひとりが爽快感を得るのは、場の力が生じたからだと思えます。
無意識領域との双方向通信がかなったからだと思います。
たった一人でも足をとめると場にならないのかと思います。
試合の最中、選手たちが爽快感を味わっているかどうかは見てわかるものでしょうか?
観客やマスコミに伝わるでしょうか?
もりけんさんのサイトやブログ参加者だけが気づけることかも知れません。
はやく次の試合を見てみたいです。v-10
  • 2006/09/26-20:09:59
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4454]

独立した個から全体のパーツへとシフトしていく過程の中で、選手達はただ監督の指示どおりに練習をこなすのではなく、状況を見て自分で考えて動くやり方へとシフトしていったこと・・。全体の中の個がどういうものなのか、とても考えさせられました。
あるチームの一員になったときその中で自分がやることと言えば、
まずは既成のマニュアルに準じて基本を積み上げる→応用の段階では自分の特長に合わせて技術を磨く→選手の配置と全体の流れを統率するのは監督の役目
これが一般的な段階を踏むやり方なのではないかと思います。
自分のやり方でやっているようなときは、実はそれほど頭を使っているわけではないのかも知れないです。
周りの出方がどうであれ、今までに馴染んできたやり方で、自分自身の流儀で・・・。
もちろん自分の流儀を作り上げるときだって、試行錯誤や工夫などで頭をひねることも多々あるでしょうけれど・・。
でも全体の状況を見ながら最も適切な自分の動きを決めていくことは、それ以上に何倍も頭を使って考えなければならないのだと思いました。
駒にされたとき、個々の自律性と創意工夫は押し殺されているどころか、全体へと拡大されているのだと。駒こそ、最も自分自身の持てる力をフルに出し切っている存在なのだと・・。
オシム監督と選手達のエピソードを読んで知るほどに、そう感じてきます。
基礎固めが出来てからでないと応用の場面で手も足も出ないだろうと考えてきました。
ですが、上手く動けるようになってから始めるんじゃなくて動くことから始まるんだ、結果をどうにか出来ても出来なくても、どんな状況でも考えることと走ることを止めるな・・・そう言っているように思えました。
  • 2006/09/26-18:16:55
  • 投稿者 : 未来
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[C4453] >「個」と全体

v-37練習メニューであっても実践と同じように全体で動けということなのかなと思いました。
これはレスでも何でもそうですが、言われたことをただやるだけに陥りがちだと思いました。
個が弱い=全体の中で動いている、というわけでもないのだと思います。
それは考えていないからだと思います。v-39
  • 2006/09/26-18:00:54
  • 投稿者 : くるみ
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[C4452] >「個」を伸ばし、それが11人集まれば素晴らしいチームになるというのが普通の考え方です


ずっとそう思ってきました。
そう思うからこそ、より強くて優秀な「個」を育ててチームを強化しようとします。

でも、個々の才能よりも、チームとしての柔軟性や適応力を重視しているのが、オシムなんだなぁ・・と・・

オシムは、チーム全体をひとつの生き物のように考えている・・。
これは、もりけんさんの時空観とも似ていると思います。

チームのネットワークから切り離された「天才」がいると、チームとしての柔軟性が失われてしまう・・
オシムはそんな風に考えているのかなあと・・。


オシムの指導によって個の自由が失われても、チーム全体としての自由はある。
むしろ、個が自由を手放してパーツに徹しないかぎり、全体の自由は生まれないのだと・・

相手チームの動きや環境に即座に適応して、自由自在に動きまわる・・
そんな、チームとして変幻自在なサッカーが、オシムのサッカーなのかも・・と思いました。

[C4451] ルールへの別回答

基本は基本。
これもルールだと思います。
個の能力を伸ばすことで全体がうまくいく。
これもルールの一つなんだと思います。

もしかしたらルールというのは思い込んだ瞬間から固定してしまうように思いました。

多分、オシムにとっルールはただの視点でしかなく、実は決め事がありそうでないというあやふやさも含んでいるような気がしました。

厳格さとあやふやさ。
  ↓↑
 個と全体。

いったりきたりな感じがします。
個が集まって行うから、逆に個と全体とを切り離せない。
個と個のつながり、関係性を非常に気にしている気がします。

逆にいえば、「スタンドアロンなんてありえないだろ?お前ら」と言っているように思えます。

[C4448] >「個」と全体

>「お前ら、なんで助けに行かないんだ!」
 
「?」となった選手と同じです。何を言っているのか分かりませんでした。
助けに行けば形勢は逆転するのは分かるし、試合や勝負じゃない事で手が足りずに
困っているのなら助けに行くだろうけど、でもこれは1対1と決めた練習試合なん
だから、「なんで助けに行かない」って言われたって行けるわけないじゃないかと
思いました。
 
だから抜粋の後のもりけんさんの文章を読んで、自分の凝り固まった視点にガック
リきました。。。
 
1対1の試合ならその形を崩すことは出来ないというのは、ルールからの視点でし
た。ルールにとってみたら、二人目が助けに行くなんてことはあってはいけないこ
とだと思います。
 
でも1対1の練習をしていた時のオシムの視点はルールなどにはなくて、試合中に
1対1になった場面を見ている監督の視点なんだと思いました。
 
>「個」を伸ばし、それが11人集まれば素晴らしいチームになるというのが普通の
>考え方です。
 
全員が個々に高い能力を発揮すれば、その相乗効果で素晴らしいプレーが生まれる
ということだと思います。
この考えだと、一人の選手が抜けただけで、全体としてのプレーに歪みが生じて、
その歪みを修整するのは容易なことではないように思いますが、それは個が個のま
まだからだと思いました。
  
でも常に全体という考え方しかなければ、選手が一人抜けたとしても、即座に残り
のメンバーが全体として動くのだと思いました。
 
 
オシムの個人やチーム全体への激や指示は、いつでも始まりの合図という感じがし
ます。
合図してしまえば、後は全体で動くということしかないんだと思いました。
監督からの合図はしっかり受け取って状況判断しなければいけない。でも次の瞬間
に状況が変われば、変わった状況に対応する動きをしろということなんだと思いま
した。
 
> これは我々が時空を考察するときの参考になりそうです。
 
たとえば人間の増減があったとしても、全体という考えでは変わりはないのだと思
います。
全体の構成に変化が起こっても、全体であることには変わりない。。。
そういう世界の中に私たちが存在するのだとしたら、私たちは時空で駒として何ら
かの動きをしている。でも駒の動きそのものには意味はない。
あるのは時空全体としての動きなのかもしれないと思いました。
  • 2006/09/26-16:13:23
  • 投稿者 : ぷく
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[C4447] 個と全体

プロサッカー選手なのだから もうすでに基本は
できていると思います

なのでそれぞれの選手は少し余裕があり それをかっこよく決めたいとか 目立ちたいとか 個というものを
意識するような気がします

オシム監督はそれを忘れさせるような感じです

個を伸ばすというよりは 捨てさせて選手たち もう一度 純粋にサッカーをすることを 思い出させて
いるような感じに思えます

そこまで選手を引っ張れるのは あらゆる角度から チーム全体を見られるオシム監督の視点があるからだと思いました

以前のブログにもりけんさんが オシムは中心を知っているから と書かれていましたが その中心って
何だろう。。。と考えています

[C4446] 個を、ひとつひとつじjっくりと見る

ことなんて、誰にも出来ないんじゃないかと思います。
「ひとりひとりの可能性」とか、そういうのは、きれい事に思えます。

全体を見る、ということが今の自分にとっては
表現するのさえ、ものすごく難しく感じますが、
全体を見るとき、まず考えられるのは、三次元以上の見方になる、ということだと思いました。
(当たり前、というかもりけんさんが以前書いてました(汗))

四次元的に物を見るということは、常に現象の外側、全体をみることができると思います。
物の見方は、たぶん、時間(時間も光の仕業だから)に支配されているんだと思いますが、
オシム監督にとっては、全体と、ピンポイントの大きさが、同じなのかもと思いました。


うぉ~!!!なんだか破綻してきました・・・。


  • 2006/09/26-15:13:18
  • 投稿者 : マリ
  • URL
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[C4445] ・・・唸りました。

その練習一対一で味方が押され気味のとき、自分はどこに
どのように入って動けばいいのか、どのタイミングで
入ればいいのか・・全体の中にありがら、より鮮明に
なるんじゃないかと思いました。
監督のいうことがすべてではない、自分で考えろ・・。
監督すらも全体の中にいるのを思います。
「個」はあくまで全体の中に存在しているもの・・。
「個」を伸ばしてしまうのは、全体からは邪魔になって
しまうもの、つながらなくなってしまうもの・・。
「個」を大切に・・何の疑いも無く思ってきました。
その考えは完全だと思ってきました。
・・・偏ってたんだということに、ガツンときています。
チーム・・アメーバ運動をしているみたいだと思いました。
  • 2006/09/26-13:05:25
  • 投稿者 : まる
  • URL
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[C4444]

パスした後なぜ走らないんだ・・・・と言った意味がようやくわかったような気がします。
空いたスペースはフォローに回るし、パスする先を読んで先に走りこむ・・・・
個が全体と切り離されていてはできないことなんだなと思いました。

>「個」と全体を切り離して考える瞬間は、無かったのです

 それでもまだ深い所での理解は全然できていないのだろうけれど・・・
駒がひとつでも抜けたりしたら完成しないパズルのようなのかな。
思考が追いつかない自分にイライラします。


個を磨いて全体と繋がれば良いのかと思っていましたが全然見当違いなところばかり見ていることに気がつきました。
基本はなにもないんだ・・・自分は誰でもないんだから。
ナニかを大事そうに引きずっていては全体とパーツがきっちりとはまらないんだと思いました。



[C4443] >「個」と全体

最初は1対1で、そのうち、力の差がでてくると弱いほうに助っ人がついて、それでも1人で戦えることもあるかもしれないし、1人の方が弱くなれば、そちらにも助っ人がついて。。
ボールを持っている状況というのはそういうところがスタートになっているのかもしれないと思います。仲間が助けにくるというのは、チームプレーならではだと思います。
サッカーは個人競技ではないのだと改めて思います。オシムの練習メニューはそういうものに基づいているのかなと思ったりします。

[C4442]

> 我々は基本は基本として、切り離してバッチリやる傾向があります。
>「基本が大事だ」・・とか言って(笑)。
 
考えてたんですが…組み込まれパーツ(駒)なんだったら…もう基本とかルールとか個にないなと思います。
どんな駒も駒だしカードはカードなんだと思います。トランプのカードとか…ガラとか数字とかイロイロありますが、結局はトランプのカードと言うか。ゲーム(ルール)の上でしか本領発揮しないと言うか。その色とガラばっかり見て強いの弱いの言ってるのが自分なのかなと思いました。ゲームするってのはそういうことじゃないよなと思いました。なんかちょっと笑けてて…自分て駒だとしたら…色とガラとか自分でみてもしゃーないなと思いました。(見えないようになってる気もするし)いまさらどうしようもないし…もしチームがあるなら、私には自分の事は試合の中では見えないから…飛び込んだら上手く使ってくれ~ぃって感じです。(でも何チームなのか?)なんかすっごく不思議なゲームなんじゃないかと思います。誰かがするゲームじゃなくて…参加するヤツ(駒)の数だけ意識がある。それがなんかゲームを不安定にさせて、ゲームが連動してハラハラすると言うか。個ってなんなんだろう…ブログ読んでると…閉じこもるためのもんじゃないんだと思います。形態別個なのに…連立・連動してる。ゲーム(全体)における個…ゲームか…爽快感はゲームの中にある。体験してないからなんとも言えないのだけど…そりゃいったい誰のどう言う快感なのか…走る快感か、なんかプログラムがビッチリ正確に走る快感なのかと思いました。(となると個のだろうか?とも思います。なんか私にとって個ってめっちゃ不思議なものになりつつあります。)

[C4441] >「?」言われた意味が分からない。監督は1体1をやれと言ったではないか?

独り言を読んでいる時と同じだと思いました(苦笑)。
面白い話につい乗ってレスを入れると翌日はそうじゃないだろうとひっくり返される(笑)。
六爻占術の通信問題も用神は月日から生じられていないのに、翌年はOKとなる・・・
低学歴のくせに(爆)、なんで模範解答を当てにしているのだろうかと思います。
「個」が設けた確固たる基準は、全体の前、時空の前ではまったく解明の助けにはならないのだと思います。
宮本武蔵が対面したのは、剣の相手ではなく、もっと大きな相手をいつも意識していたのでしょう。
それをよくわかっていた彼の師匠や父親は「お前は弱い」と武蔵を床に叩きつけていたのだと思います。
  • 2006/09/26-09:46:06
  • 投稿者 : イーキン
  • URL
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[C4439] >「個」と全体

オシムは「個」と「全体(ネットワーク)」が一つに溶け合うという視点を持っていると思います。

一対一のプレーで押されている立場になった選手は孤独と絶望に似たものを感じると思います。

>「お前ら、なんで助けに行かないんだ!」

この言葉は「個」が「全体(ネットワーク)」につながるためのキッカケづくりの言葉と思います。
監督に言われたから行ったでは、もともこもないと思います。
そこに入るには、自分で考えて自然に体が動いてしまう状態が必要と思います。

このとき、助けられた選手も、助けに行った選手も「個」が「全体(ネットワーク)」に動かされる一部分になり切っていると言えそうです。

[C4438] >「個」と全体

「強くなっているじゃないか! 自分たちは」 これは、「やっている方向は間違っていない!」ということだった。

>理解さえしていれば、やっていけないことは、何も無かった。
>なぜ指をくわえて見ているんだと言う。漫然とメニューをこなすな。自分で考えろ、と言う。
指示待ち人間ではいけない。今どうしたら一番いいのか、分かっていれば、やり方は自分で考えた方法でかまわない、だから考えろ。こういったオシムの考え方が、「地面から人が湧き出る」ように走れるチームを作ったのだな、と思いました。大事なポイントを与えて、それに向かって自主的に考えさせる、その訓練で、いつも今の瞬間をその大事なポイントからブレないで動けるように導いているのだな、と思いました。大事なポイントにどう向かっていくのかを、オシムが手取り足取り教えてしまえば、選手は考えることを止めて、オシムの指示を頼りにし、それから動くようになるでしょう。それでは、遅い、遅すぎる。

>我々は基本は基本として、切り離してバッチリやる傾向があります。
ものすごくあると思います。基礎練習・基礎学習・基礎訓練・・。個のレベルアップ。
>常に全体に組み込まれた基本なのだと思います。
この視点には、目が止まりました。しばらく呆然です。基礎は常に全体の中に。個は常に全体の中に。切り離して効果を狙うのは、基礎がなければ、これから先の全てがだめになるからだ、という考えが裏にあるからだと思います。基礎が下にあって、先を積み上げていく。個が下にあって、全体を積み上げていく。そうではなくて、常に同時進行、渾然一体となって存在していて、どちらが先も後もない。この視点は、自分の生活にもひっぱてこれます。時空を考える上でも・・。時空を考える上でも・・。この点については、また後で書き込みます。
  • 2006/09/26-08:17:52
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
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[C4437]

> 日本的思考でいけば監督の最初の指示に従っているのだ。だいいち1体1で助っ人が入ったら、フェアーじゃない。ところがオシムは実践で1体1が5秒も6秒も続くシチュエーションはない。なぜ指をくわえて見ているんだと言う。漫然とメニューをこなすな。自分で考えろ、と言う。
 
コレを読んだ時心底驚いたのを思い出しました。自分ていつもナワバリ(?)見たいのを常に考えて生きてんだなと思います。なんていうか…やっぱ自分がエラいんだと思います。自分の影響の及ぶ範囲とか、今自分が出て行っていいかとか…それはずるくないかとか考えてんだなと思います。だから腰が引けてる。(もし出てってオッケーなら…個に責任とかない気がしました。)オシムにはソレがないんだと思いました。なんか戦場にいるみたい。TVじゃ武士の立ち会いも何人いても一対一だけど(悪者が順に切り掛かる)…実際の場面で一人対敵が大勢だったら…ワッとくるだろうと思います。なんか…自分で考えろってどういうことかと思ってたけど…今日のブログを読んでおぉ~~~と思いました。なるほどなるほどです。そして私がオシムの思考をまったく介さなかったのも…なんかうなずけます。こりゃもうガンガンにやられるしかないと思います。普通(←笑)、個(基本)と全体なんて視点はないだろうと思うので、(言い方変えたら流れとかあるとは思いますが)アタマ叩かれて体で覚えるしかねぇなと思います。しかし考えるのはなんで個なんだろう。それが醍醐味なのだろうか。なんかこうバラバラのものがわーっと連携してくのが時空全体の美しさとか。なんかなのかなとアタマぐるぐるします
 
> 理解さえしていれば、やっていけないことは、何も無かった。
 
オシムが時空的思考なら…ココもやっていけない事はないのかなと思いました。サッカーのルールの上なら何でもアリなのかなと。ルール、五行でしょうか。おぉーーーーなんかスゴイとこいるんだって気がします。私のチームメイトは(五人チーム?)…どこだ?ボールはどこだ?ゴールはどこだ?生まれてるってことはホイッスルはなったってことだ。前半を終えてそうな人生なんで(汗) 『言ってどうなるわけでもナイけどさ』人生が激しさとともに…今おもろい事になってんのかなと思います。

[C4436] >「個」と全体



「1対1」と聞くと、一個人対一個人と思ってしまいます。
しかし、一個人の力が劣ってしまった場合、その一個人に「がんばれ!」というのではなく、もうひとつ個人をくわえる・・
その2人まとめて一として、一個人と闘う・・なんだかこんなう風には今まで考えなかったな・・と思いました
「1対1」の練習は、一人一人の力を伸ばすためだと思いがちです。
その人ががんばらなきゃ・・と。
でも、実際、サッカーは11人でするもの・・
この練習は、実際の試合の場面のようで、頭と体をフルに使わなければできないと思いました。

個人が集まって全体があるという考えは、いろんな場面で出てくるように思います。
だから、個人の力を伸ばそうとするし、力がないことをだめだと思ったり、劣等感を持ったりしてしまうのかもしれないです。

また、オシムのいう「自分で考えろ」とはこういうことか。。と思いました。
監督から「1対1」といわれたら、「はいってはいけない」と思ってしまうと思います。
「ひとりでなんとかするしかない」と。
またやってる本人も、「自分ががんばらなきゃ」と。
それにオシム監督は厳しいからそんな監督の指示に逆らえない・・とか(これは想像ですが)
でも、入っていいと分かったあとも、いつ、どの時点で入るか・・などを自分で考えなければなりません。
こういう練習があったから、みながいろんなポジションをこなせて、地面から味方が湧き出てくるような状態になるのだと思いました。

これまでのお話からも、同じ怒るでも、怒る視点が他の監督とは全然違うのだと思いました。
自分(監督)のいうことをよく聞く、自主的に練習する、自己管理ができる・・そういう選手がいい選手となりそうですが、オシム監督にすれば、そんなことはどうでもいいのかも、と思いました。

[C4434] >「個」と全体

>我々は基本は基本として、切り離してバッチリやる傾向があります。
 「基本が大事だ」・・とか言って(笑)。
>しかしオシムには、「基本」は無いのだと思いました。
 一見、基本をやっているようですが、常に全体に組み
 込まれた基本なのだと思います。
 
 フシケンのHPのメインは「基本」とゆう頭があります。
 けれど、ブログも、メイン以外の他の部屋もすべて・・
 全体の中に含まれた「個」なのだと思いました。
 私自身の書き込みも、ある意味でそうかもしれません。
 だいいち、もりけんさんがテーマを出さなければ、
 浮かんでくるものはありません。そして他の方の書き込みも
 私の書き込みへと影響したりもします。
 これは、これ。
 あれは、あれ。・・と切り離して考えるのは何でだろうか
 と思いました。
 物理的に距離があるから、何かに所属したわけではない・・
 と思っているから。
 これは、関係ない・・そう切り捨てる時、一体なぜそんな
 風に思うんだろうと思います。
 試合に参加していなくとも、走り続けるのがオシム監督です。
 いつでも体はあったまっていて、休む・・とゆうのが無いです。
 何かあればいつでも出ていけるでしょう
 でも「監督」だから、しないんだと思います。
 よく見えているから、私はいかない・・と出来るのだと
 思います。
 
 

[C4433] >「個」と全体

>オシムは、「個」と全体を切り離して考える瞬間は、無かったのです。
 
>これは我々が時空を考察するときの参考になりそうです。


「私」という個は、パーツではあるが、それは、全体から切り離されて存在しているわけではない・・

オシムのチームでは、個が、孤立して飛びぬけることはない・・

スターはいない。

>理解さえしていれば、やっていけないことは、何も無かった。最初にパスを足元に入れて始めろ、と言われても、裏に出したほうがうまくいく場合は、そちらを選択してもオシムは何も言わない。

しかし、パーツは、考えるパーツだ・・
全体の中で、動くパーツ

逆説的ではありますが、
全員が思考しながら、走り続け、
真っ先に、助けに出る・・

つまり・・チームメイト全員が、真っ先に飛びぬけることによって、

組織全体が、ダイナミックに脈打っているように思いました。

生きてる全体だ。。って思いました。


 
  • 2006/09/26-01:05:40
  • 投稿者 : あかり
  • URL
  • 編集

[C4432] 個と全体は切り離せない

ユミット星人を解剖してもなにも残らない気がしました。
なんでもかんでもばらばらにして
それは何かと考えるくせはよくないのではと思えました。基礎といっても基礎だけではない気がしました。
基礎の中に全体があるのではと思えました。
オシムはサッカーをバラバラに分解して一個一個考えなかった、常に全体だったのがすごいと思いました。
どうしても、バラバラにして理解しようとしていた自分がいたと思いました。
  • 2006/09/26-00:53:10
  • 投稿者 : なんしぃ
  • URL
  • 編集

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