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-件のコメント

[C4573] >駒となれない幕府の武将たちは、新撰組の美談は残しますが、勝つことは出来ないのです。

私は歴史が苦手で、日本史の年表が全く頭に入っていません。

しかし、歴史音痴なりに、読んでいて疑問がわきました。玉は何発という話がでているということは、大村軍は、幕府軍が刀で戦っていたのにたいして、飛び道具(たぶん鉄砲か大砲の類だと思います(汗))でたたかっていたということがわかります。

幕府の武将たちは、織田信長の時代に鉄砲に剣は勝つことができないことが実証されたのに、なぜそれから200年もたったのちに、飛び道具に対して刀で戦っていたのかということが、私はよく理解できません。

なぜ、鉄砲以降の江戸時代に、武士などというものが存在したのか、なぜ武士は刀を捨てて鉄砲に切り替えなかったのか、これもよくわかりません。

大村氏にしてみれば、刀と鉄砲で戦うということで、もう最初から勝負はあったと思っていたのではないでしょうか。鉄砲や大砲であれば、弾を何発と数えることで相手を倒すためのリソースの計算ができたということなのだと思います。

「美談」という言葉を読んでおそらく、美学にこだわりすぎると、勝つこととはかけ離れた方向にむかうのだと思います。

美学というものが剣に付随しておらず、剣がたんなる戦闘手段であったならば、武士は明治維新の200年前に、とっくにほろんでいたはずです。

武士道というものが美学にがんじがらめになっており、状況の変化を見る目をくもらせ、剣を鉄砲に持ちかえるということを阻止したのだと思いました。
  • 2006/09/30-17:54:59
  • 投稿者 : ナイル
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[C4522] >「聞いてない」

用意周到なのだと思いました。
用意周到になるといろいろ頭を働かせなければならないと思います。
オシム監督は未来をも今として取り入れることができる人なのかと思いました。
それによって、用意周到をされているのかと思いました。

将棋の戦いは歩があって、王将もあります。
王将が将棋の中では一番上です。
でも戦っているのは将棋の名人です。
でも王将は自分が一番上という認識があるので、一人で動いていると思い込んでいます。
将棋の名人が動かしていることも知らずに・・

オシム監督はそんな勘違いしている王将を歩に格下げさせることが必要なのだと思われていたのだと思います。
つまり、すべて歩で戦っているのだと思いました。

オシム監督は勇人選手や羽生選手の個々の力を見ているというよりかは、とにかく駒になるやつとしてしか見ていないのかも知れないなと思いました。

[C4519] >「聞いてない」

大村益次郎といいますと、靖国神社にそびえる大きな銅像が印象的です。知謀の人、近代陸軍生みの親大村益次郎ですが、先の戦争における日本陸軍の戦いぶりは幕府軍の悲壮感とオーバーラップします。そこに逆説的なものが感じられます。計算で幕府軍に優位に立ち、官軍として勝利した後の日本帝国陸軍が、最後には万歳突撃をして終焉を迎えることとなりました。オシムは選手には万歳突撃はやらせない人です。部活動のように走らせるのも、味方が来ていないのにパスを出させるのも計算でした。同じ戦うのであれば、このような指揮官の下で戦いたいものであり、また選手もこのような監督の下で駒となるのは幸運だと思います。
  • 2006/09/28-23:01:50
  • 投稿者 : おかだ
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[C4513] >「聞いてない」

オシムの方針は、選手にとっては大変だな~と思ったのですが・・
よく考えてみると、人はみんな、その瞬間まで、何が起こるのかわからない(笑)
 
もしも、わかっているのは、時空だけなのだとすると、チームにおけるオシムは時空の
ような存在になるのだとおもいました。
 

オシムの選手起用がすべて計算されたものだとすると、その計算のもとになって
いるのは、何なのだろうか・・・
 
自分のチームの選手の身体能力は当然ですが、性格や趣味趣向まで把握している
のかもしれませんし、相手のチームの選手についても、知り尽くしていそうです。
 
それらの個のデーターから、全体の動きを計算しているのだと思います。
そして、計算どおりだと、勝つことも読めているのかも知れない・・
 
でも、個がデーターどおりに動かないと、オシムの計算が狂ってしまいます。
なので、オシムは個がなくして、駒として動く選手を選んでいるのだと思いました。
 
  • 2006/09/28-18:44:21
  • 投稿者 : 福
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[C4511] >「聞いてない」

何かをするときには、心の準備がいると思っていました。
でも、準備をするのは自分の心・・内面ではなく・・外側なのでは・・と思いました。

[C4508] >「聞いてない」


若い人を初めて使うときなど、前の日から伝えて準備させることの方が多いような気がします。
本人にもそうやってやる気を出させて・・
でもそうやって、よぉーっし!と萌え上がってしまうことがかえって試合にはよくないんだろうと思います。
すごくうれしいだろうし、自分に期待し、がんばろう!と思うことで力が入ってしまうのだろうと思います。

直前に言われたから、あれこれ考える暇もないので、ただひたすら走る働き蜂になれたのかと思います。
そして結果がでた・・

個人個人の意見を聞いているわけではないのに、その「駒」となった人たちは、途中で不満があっても、結局最後に結果を出し、満足しているところが、なんだかすごいと思いました。

計算ずくというと、ちょっと冷たい感じもするけど、オシム監督の計算ずくは、そうは感じないのはなぜだろう。。。
「駒」扱いというのも、そこだけ聞けば冷たいのでは・・と思うのに、オシム監督にはそれどころか暖かさを感じる・・・

計算してやってるからといって、高みの見物ではなく、自分もリスクをおってるからか・・・
前の記事であったように、理性だけでなく、感情も使っているからか・・
いや、なにかもっと、違うところに何かありそうな。。
私たちが知らぬ間に流されて、こうだと思っているいる常識とか感情には、すごい盲点があって、オシム監督や、もりけんさんにはそれが見えているような・・そんな感じがします。

[C4506] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/09/28-12:16:58
  • 投稿者 :
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[C4492]

「全体のなかの駒」という概念は理解できますが、やはりなかなか腑に落とし込むのは難しいと思いました。

オシム監督にしても選手にしても最終的には試合に勝つ
という目標があります。官軍にしても幕府軍に勝つために
「駒」になりきることも戦略のひとつです。

サッカーだって、試合だって未来永劫続くわけではありません。

でも、「自分は駒である」という意識を日常生活においても
持ち続けられるのでしょうか。

いったい、「運命」はどこに向かっているのでしょうか。

自分はパーツとして運命のどこのポジションにいるのか
知りたいと思いました。




  • 2006/09/27-23:14:33
  • 投稿者 : ばなな
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[C4491] >「聞いてない」

そこまで計算しつくしているから、選手が計算外のことをやると、たとえ試合に勝っても、オシムは怒るのだと思いました。
 
何も聞いていない状態のほうが、駒になれるのは、これまでの練習があり結果があるからなのだと思います。
  • 2006/09/27-23:14:29
  • 投稿者 : くるみ
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[C4490] >「聞いてない」


 
勝った試合でも謙遜したり反省点を述べる監督はいても、「偶然に勝ったに過ぎない」と
言い切ってしまう監督って殆どいないんじゃないかと思います。
勝敗の行方ではなく、チームの動きを細かく真剣に見ている監督でなければ言えないと思
いました。
 
>「自分はまだ経験がないからとにかく走ろう」
 
思い上がりがへし折られていてよかった。。。と思いました。
へし折られて落ち込む間もないほど猛練習させられて、監督の指示には戸惑いの連続で、
でもオシムがなぜそんな事をするのかが分かってきて、しかも自分たちの動きが確実に変
わってきたのが分かったのもよかったと思いました。
  
それらがあったから、勇人と羽生はこんな気持ちでグラウンドに飛び出して行けたんだな
と思いました。
自分が目立つことや、シュートが決まって大声援を受けることを考えずに思いっきりプレー
出来るのは、きっとすごく気持ちいいだろうと思いました。
  
>「幕府軍にはこれだけで勝てる」と・・(笑)。
 
大村益次郎という人のことは初めて聞きましたが、計算して間に合うだけの数の弾しか持
たせないというのはビックリです(@@;
  
でも、何の計算も無く、持てるだけの弾を山のように持たせてもらえたとしても、それが
勝ちに繋がるというのは錯覚なんだと思いました。鉄砲を撃つ兵士がどんどん減っていけ
ば、弾の数の多さに意味はありません。
  
それよりも、綿密に計算されて限られた弾を持って行くほうが、はるかに勝ちの可能性は
高いのだと思いました。どこかで計算外のことが発生しても、またすぐに計算をすれば対
処できると思いました。
  
>聞いていたら、駒ではなくなるからだと思います。
 
これは自分に当てはめて考えてみてもすぐに想像できます。
考えたり盛り上がったりする時間がタップリあると、私ならロクなことを考えません(汗)
それよりも突然言われて、何も考える間もなく飛び出していくことになったほうが、監督
の指示通りに動けそうだと思いました。v-228
  • 2006/09/27-21:56:52
  • 投稿者 : ぷく
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[C4489] 完全にあごで使われている・・

ロボットのように操られている・・
ということと、問いを持つことは、どういう風につながるのでしょうか。
 
突然投入された2選手は、判断力を失っているとは思えません。親方の振るうムチにひたすらおびえる以外は何も考えず、ただ、いいなりになって動いている奴隷と同じには、思えません。
しかし、理詰めの判断力で動いていたという風にも思えません。
むしろ、意識を黙らせるという状態を、受け入れるクセがついていたように見えます。
それは、その日とつぜんそうなったのではなくて、ずっと以前から、すでになんらかの気づきのようなものがあって、それにしたがって、意識の主張を黙らせるクセがついていたのではないでしょうか。
その気づきは、オシムの元でプレーしてきた年月の間に生じたものだと思います。
こう言うと条件反射みたいに見えます。
たしかに、ベルの音を聞いただけで唾液が出る犬みたいです。この場合、ベルを鳴らすのは、オシムです。
しかし、選手たちは、自分がパブロフの犬状態に置かれることを意識的に受け入れた「瞬間」がどこかであったと思います。そのときの気づきみたいなものにしたがって、犬のような状態へと自分を解放していったのではないかと思います。
快の気づきにしたがって、そちらへ流れていったのではないかと思います。
  • 2006/09/27-21:45:41
  • 投稿者 : L.B.
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[C4488] >明治維新は時流の流れだとは、思っていません。

スポーツの勝敗、戦争の勝ち負けも「運」(陰陽五行)によって決まっていると思っていま
した。
しかしオシム氏は計算ずくで、偶然や奇跡を嫌っているように見えます。
運に左右されずに結果を出したとするならば、やはり三次元の経験則だけではなく、四次
元のスパンを長く置いた予測を立てたからだと思いました。
人類はあらかじめ決まっている運に流されて歴史をつくっているわけではないとするなら
ば、しかもオシム氏や大村益次郎のようにたった一人の意識がチーム全体または国の政治
を変えてしまうなんて、まるで「思えば世界は変える」という精神世界のようなものでも
ないとすれば、独りよがりの考えではなく、外側のデータに主体を置いたからであり、そ
れは大砲を撃つ人間、サッカーボールを蹴る選手を駒(空洞)扱いしたからなのかと思い
ました。e-473
  • 2006/09/27-21:41:36
  • 投稿者 : イーキン
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[C4487] >「聞いてない」

二人の選手がピシピシと気持ち良く走る姿が目に浮かびます。
髪をなびかせ何も考えてない顔で・・
快活というのがピッタリだと思います。
快活な駒v-230
素敵だと思います。
見ていて一緒に走っている気持ちになるかも知れません。
応援したいです。
西郷隆盛の名はすぐ出てきても、大村益次郎は聞いたことあったなぁくらいでした・・
先に書かれたレスのおかげ、即座に情報を得られてすごくウレシイですv-252
花神、憶えています、大村益次郎を演じた役者さんの思考する顔、思い出しました。
今日も何も考えナシでこの場に来て、もりけんさんの本文からたくさんのレスへ、そして過去の記憶へと、こんなにどんどん広がるなんて「聞いてない!」快感だとものすごく感動しています。
予期せぬ出来事からの喜びって本当に衝撃度が強いです。
計画や予想は立てない方が、その刺激を楽しめるのだとわかります。
あ、でも何か書こうとしたことを忘れてしまいました・・
情に流されないというのは、もりけんさんがちょっと前に言われた「オシム監督は指導する際、選手たちの意をくまない」ということだと思ったのでした。
  • 2006/09/27-20:55:01
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4486] 「聞いてない」

「聞いてない」なら、裸のまんまです。素のまんまです。今、に入りこみやすくなるような気がしました。だから、いろんな事を考えずに、ただ働き蜂のように走りまくる。全体の駒として。。。「誰も知らない」ことで時空の謎を代替可能な駒、メイドとしてバカみたいに知りたがるのかもしれません。もりけんさんは、何十年も前に、この「誰も知らない」「聞いてない」ことの爽快感を感じていたのだとおもいました。おそらく、勇人も羽生さんも爽快感を感じていたのだと想います。プライドはないのですから。。。
  • 2006/09/27-20:45:16
  • 投稿者 : じんのり
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[C4485] 肉を斬らせて骨を断つ

という言葉を思い出しました。

駒になるのは文字通り骨抜きなんだと思います。
骨ってプライドみたいなもので勝手に生えてくるのでしょう。

骨といえば堅くしっかりした、あるいは固定のイメージがあります。
しかし、当日のスタメン発表はフェイントとなり、そのフェイントが余計な骨を断つように思いました。

駒は柔軟に動く必要があるため、骨という拠って立つものが不要である・・・とオシムは思っているのかもしれません。

[C4484]

> 大村は時計を見てつぶやきます。
>「今頃弾が無くなった頃だ・・勝負もついた頃だ」


今日読んだオシム監督の記事「相手をふくむ22人での・・・」ってまさにこれだなと思いました。

敵をも含むすべてを見て計算しつくして勝つ・・・て
それがあって出きることなんだなと思いました。

駒としてでないと全体の流れを乱してしまうのだろうなと思いました。より早く強い流れを作るには、すべてが一体とならないと力が弱まるみたいに・・・・

オシム監督は滝じゃなくてダムのようです。(笑)

[C4482] 駒っていいなぁ

と、思いました。サッカーって個人の技量がまさってなんぼ、と思っていましたが、オシム流にはいらない。みんな駒になりきればいいんだと思いました。

若いからよけいに「駒」にたいする違和感がないのかなとも思いました。経験があればあるほど、「個」に執着してしまいそうです。今までこれでやってきたんだと。今まで・・・過去の積み上げたものなんかなんにもならないんだ。

どんな積み上げもいらないんだな・・と。私はどんな駒になるようになってんだろうと思いました。

[C4481] >「聞いてない」

サッカーの試合に勝つために、人一倍練習しているプロチームはチームの数だけあると思います。
「勝っても負けてもそんなこと、どっちだっていいや」と考えているチームがあったら、世にもめずらしい希少価値です(笑)。

人一倍練習して技術を磨いて、監督に才能を認めてもらって起用されるようになりたいと思っている選手は選手の数だけいると思います。
そして、ここに多くあるのは「絶対者」のような意識なのだはないかと思います。
何かのよりどころを得ようとする意識は、とても希薄なのかと想像します。
勇人も羽生も最初はこれだったのではないかと思います。
しかし血のにじむような毎日の練習によって、オシムが考えていた通りに彼らは変わったのだと思います。
変わったということは「駒」になることが腑に落ちたのだと思います。
彼らは「駒」になることによって、自分自身の中に、限りなく爽快な状態が現れたのだと思いました。
本当の、よりどころを知った心境なのかも知れません。

[C4480]

>「もうすぐ弾が無くなります。敵は手強いです」
>大村は時計を見てつぶやきます。
>「今頃弾が無くなった頃だ・・勝負もついた頃だ」
>そうです。その時刻に味方は勝っていたのです。
 
オシムの見てる勝負ってこう言うものかと思いました。「もうすぐ弾が無くなります」といった兵士は必死だったと思います。弾がなくなったら、後は死か撤退か…全員の命を握った報告だったと思います。血相変えて走ったとおもいます。戦場でもし、ちんたら報告会やってたら死ぬだろうと思います。
 
オシムはバッチリ・ガッチリ、時間まで計算してるのだと思いました。そしてそこで駒の気(エネルギー)を削がないようにしてるんだと思いました。駒の気をそがなければ、そのエネルギーのままに場に動くと思います。なんていうか、ゴールへの道(方程式とか相手を考えたフォーメーション)はかなり正確に時間推移まで出ていて、そこで必要なのは走りきるエネルギーのある、気の緩まない駒なのかと思いました。ゴールへの方程式ありきで一分一秒が勝負なのかと思いました。
なんかオシムのチームって全体でエネルギーの猛攻撃という気がします。エネルギーが方程式になだれ込むような。駒はそこに四の五の言わずにボールを代入していくようだと思いました。
試合が始まる前には勝負は見えてるのだと思います。その勝負って式なのかもしれません。勝てるなら圧倒するほど、負けてるなら必死で、ボールを代入しろっていうサッカーを想像しました。なんか連携して代入してく、(上手くいけば結果が出る)爽快感だろうかと思いました。想像で書いてきましたが…ますますオシムのサッカーって何なんだろうと思います
 

[C4479] 大村益次郎

大村益次郎に反応してしまいました。
小学校の時にNHKの大河ドラマで「花神」をやっていました。その時の主人公が大村益次郎でした。
 
大村益次郎が幕末の官軍大将だったとは知りませんでした。
小学生でしたので、ドラマの深い内容は理解していませんが、毎週見ていてすごく面白かった記憶があり、今でも、なにが一番かと聞かれれば「花神」と答えます。
 
その時のなにが面白かったかを思い出しました。
毎週ストーリーがもたもたしないで、速く進み、二転三転し、ドラマがあったように思います。
あとは、大村益次郎は、なにかを考える人だと思ったように記憶しています。
 
最終回のナレーションで「花神」の説明をしていました。
 
「大村益次郎は、日本の転換期に灰を蒔いて、花に変えていった、中国では、花咲じじいの事を花神という」
といった時に「おおっ!」と感動しました。

だから、ここで大村益次郎が出てきたのは、日本サッカー界の転換期なのではないかと思いました。

今、オシムは灰を蒔いている最中だと思います。

[C4477] >「中心」であろうとする自分

新撰組は確かに「自分達が中心になって・・」という強い思いが
あったように思います。近藤はその頂点・・。
「中心」であろうとする自分から外れ初めて駒と化する・・。
ゲーム直前の出場選手の言い渡し・・。
まったく力みの無い状態でのスタート・・。
監督の計算通りに動きやすい状態なんだと思いました。
・・・全体の中にいて、駒と化させる存在(サッカーではオシム)
は必要なのかなと思います。
HPではもりけんさん、日本国だと総理大臣(?!)、
地球規模だと・・・どこかの星人?!・・・。
時空の駒となるにはまだ遠い?!
  • 2006/09/27-12:38:23
  • 投稿者 : まる
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[C4475] >「聞いてない」

 先日、歯医者に行きました。検診してすこし欠けた詰めものを補修して簡単に終わりそうでした。「あと一日きてください、少しだけわからないけど欠けてるところがありますので」それで当日です、いきなり「親知らず、抜きますますから」 聞いてなかった、私は嫌だと思う間もなく諦めの心境で先生の会話を聞きながら、歯を抜かれました。駒になるには、それになりきるには必要以上に考える時間があったら余計な妄想で、駒は収集がつかなくなるのではと思いました。考えるのは、駒になってからその対象に向ってからのがいいような気がします。  
 さて、大村ですが彼も医者でもありました、徹底したデータ重視の戦をしたようです。軍資金がいくら多くても、鉄砲の数が足りないとか、ここの部隊はこの人数が適当であるとか、そして彼は余計なことやあたりまえのことは言わなかったようです。夏に「暑いですね」と言ったものに「夏は暑いに決まっている」といった話しがあるくらいです。彼は余計なことを言って兵のモチベーションが下がるのや違う想定をされるのが、嫌だったのではないかと思いました。幕末の日本のまだ情で人が動く時代に理のもとに兵を指揮したので兵隊にはうけは悪かったと聞きます。彼の銅像は、情で兵を指揮した犬猿の仲でもある西郷にソツポを向いて建てられてるらしいです。  
 人が駒となるには、駒となるべく「場」が整わないと、なかなか駒になりきれるものではないのかも知れないとと思いました。
  • 2006/09/27-12:10:12
  • 投稿者 : yk
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[C4474] >「聞いてない」

以前、スーパーコンピュータ(以下SCとさせてください)と名人とのチェス対決の話を聞いた事があります。
結果はSCが名人に勝ったそうです。

SCの勝ち方、それは、「勝ち手」、将棋の「詰み」からの逆算をしていくそうです。
詰みとは、もうこれ以上やっても勝ちは決まっている状態です。そうすると、その詰み状態にかならずいく、「詰みへの詰み」の状態が存在する。それを繰り返していくことで、理論上は最初の一手が必然的に決まる。ということでした。
しかし、将棋ではその選択肢が多すぎて、まだSCは人間に勝てないそうです。それが解明されて、プログラム化されば、SCが勝つようになる、らしいです。
 
オシムが、将棋盤をみつめているようすが浮かびました。
盤上にひろがる3次元(2次元かも)と、勝利までの手の進行を見る4次元を見ながら、盤全体をみつめている気がしました。
でも、オシムでさえ、次の一手は勝利という未来からのプログラムに乗った一手を打つしかないのだと思いました。計算が出てしまえば、自分も駒を動かすという駒でしかないんだと。
盤上の実際の駒である選手も、それに乗って動いてくれないと、次にうまく進みません。
そうなると、駒が意思をもっているなら、動く瞬間に言うのが、「駒」化にはいいと思いました。
  • 2006/09/27-10:49:19
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4473] >「聞いてない」

直前に言うというのは、直前まで選ばれる人も選ばれない人も目の前の事に集中できるような気がします。また、その時、コンディションのよい選手を使う事が可能という事でもあるのではと思います。それは常に変化して行く状況を敏感に感じて、その時、ベストと思われるメンバーで臨んでいるのではないかと思います。選手が1対1での練習で状況を考えながらそれぞれが入って行くように、監督は監督で変化に応じてその時その時で判断しているのではないかと思います.翌日の練習メニュー、試合のメンバーの人選全てにおいてそれがあるのではと思います。今日食べる魚をじっくり選ぶように。。それは様々な視点からある程度計算された結果、はじき出されているのではないかと思います。

[C4472] >聞いてない

聞いてないよー!わぁーって走る人になりたいと思いました。知っている人(知ってるつもり)の人にはなりたくない。だってほんとは何にも知らないもの。。バレてますよ!計算する人にとっても愛をもらいながら、私は、聞いてないよー!!と叫んで走る人になりたい。本気でなりたいと思いました。
  • 2006/09/27-10:02:48
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4471] >「駒」はそんなことは「聞いていない」と言います

生まれ変わりの情報を思い出します。
わたしたちはいつの間にか生まれてくるみたいで
本当に「聞いてないよ」状態なんだとおもいます。
時空=運命のまま、予定は聞かされず気づいたらベンチ(あの世)からレギュラーになり試合(この世)に出現させられると。。だから駒になれるんですね。
  • 2006/09/27-09:37:40
  • 投稿者 : なみ
  • URL
  • 編集

[C4470] >「聞いてない」

私たちは駒だから、
未来を知ることができないのかと改めて思いました。
サッカー場のような人生を右往左往しながら
思わぬ所から何かがやってきて
立ち止まってしまったらえらい孤独感がやってくる・・・
常に何かを目指して走り続ける(泣)
何だか虚しくなってきます。
ホント「時空よ、おまえの思うとおりにはさせないぞ」と
言う気持ちが少し分かったような気がしました。
ただの駒では終わりたくないです。
変わった駒になりたいです。

[C4469]

テニスをしていたとき、ボールに追いつけなかったりすると「ああ・・もっと筋肉鍛えておけば良かった」とか思います。
ギリギリのところで極限まで力を振り絞ることができるかがあの「走る」だったと思いました。
だから予想外の選抜であっても駒として「出しきる」ことができるのだと思いました。

v-63

うう・・・・・ん。わたしは駒になりきれていないから、もんもんとしてるのだろうか(意味不明)

[C4468] >「えー、何も聞いていないよ!」

あー、この台詞、予想外の時、必ずといっていいほど、心によぎります。で・・、そういった場面に遭遇する時、自分が「駒」であり中心ではない、というレベルダウウンした状態なら、即座に素直に事態に従って対応できるのだと思いました。

個のプライドがないから、うぬぼれることも、ひげすることもないのだと思いました。目の前にやってきた予想外のことに、驚きはしても、実力のなせる当然のことさ!と思ったり、どうしてこんな目に会うんだ!と拒絶したりする感情が沸かないのだと思いました。何があっても、常にゼロからスタートです。よし、やってやるぞ!です。あー、すごいことです。素晴らしいと思います。

官軍の大将も、サッカーの監督も、計算ずくだったといいます。ほんとに、これぞ計算だな、と思います。駒は、いつも「聞いてない」状態、それで、GO!の合図に素直に飛び出せる。駒になりきることもすごいし、計算して駒になりきらせる人もすごい、と思いました。
  • 2006/09/27-08:00:06
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
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[C4466] >「聞いてない」


>「駒」はそんなことは「聞いていない」と言います。聞いていたら、駒ではなくなるからだと思います。前日から萌え上がってしまいます(笑)


「駒」にとって
起こる出来事や指示は、駒にとっては、いつだって、晴天の霹靂なんだと思いました・・

だって・・「聞いていない」ことが、起こるのだから。

でも、聞いていないよといいながらも、動いている・・

それは個のプライドを捨てているからこそ、
できることだと思いました。

プライドがあれば、拒否するかもしれません。


運命って、いったいなんなのか。。

なんだか、とてつもなく大きな、プログラムのように感じています。

それは、計算ずくのプラグラム・・?

そして、私にとって、予想外のことが、どんどんやってくる・・
てことは、私は駒。

でも、それを知ってしまったら、予想外のことが予想外のことじゃなくなります。。

てことは、駒は駒でなくなり、萌え上がる。。


 んん。。。萌え上がるって何だろう。。。


    
  • 2006/09/27-04:42:08
  • 投稿者 : あかり
  • URL
  • 編集

[C4465] 名前、入れ忘れました・・(滝汗)

[C4464]

自分の「運命」を知ったら、どうなるんだろう・・
と思いました。
その後、運命どうりに生きることは「駒」として
生きることです。
それを長い(といっても短いかもしれないけれど・・)
時間過ごす・・そう考えると、複雑な気持ちになりました。
自分にとって都合のよいものが出てくるわけではないかもしれない。
そうゆう今だってすでに「駒」なのに、「聞いた(知った)」
はずなのに、全く外れた・・ひとごとのように話している
瞬間が多々あります。
今も大きな「支配」の中で、考え書いている・・と
断言できません。どこか、実感がわきません。
でもすでに・・
書き込みを続けていることは「駒」になっている
働き蜂・・なんだと思います。支配しているのは「運命」
です。
監督も「駒」です。でも監督に尊敬を思う・・
そうゆう「駒」でもあると思います。
 
v-442


 
  • 2006/09/27-02:56:06
  • 投稿者 :
  • URL
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「聞いてない」

 
 本の抜萃です
 
************************
 
 Jリーグが開幕した。緒戦で東京ヴェルディを2-1で破り、2節の大分トリニータも4-0で勝利を手中に収めた。
 
 開幕2連勝。上々の立ち上がりとメディアは讃え、トリニータの小林伸二監督も「J1昇格後、最も戦慄を覚え、影響を受けた試合はジェフとの一線」と振り返る。
 
 しかし、オシムは満足していなかった。
「大分には偶然に勝ったに過ぎない。立ち上がりに2点、たまたま点が入った。だからその後コントロールが出来て4-0になったが、決して周囲が賞讃するようないい状態ではなかった」
 翌第3節、ヴィッセル神戸戦。予想していたかのようにホームで0-3で完封負けをすると、オシムは今、と判断した。
 
 4月19日。ガンバ大阪との試合前、ベンチスタートのイメージを持って来ていた勇人は突然、羽生とともに先発出場を申し渡された。
 
「えー、何も聞いていないよ!」
 
 オシムは練習試合でも公式戦でも出場選手をいつもゲームの直前に言い渡す。この日もそうだった。
 ここ数年ジェフを支えてきたふたりのベテラン選手に代わって起用されたのは、まだ先発出場のなかった21歳の勇人(171センチ)と23歳の羽生(166センチ)だった。
 
 勇人は「自分はまだ経験がないからとにかく走ろう」と決意してピッチに飛び出していった。
 この起用は当たった。前半29分には勇人が、同じく44分には羽生がゴールを決めた。勇人はボランチの位置から、積極的に飛び出し、羽生はトップの下で働き蜂のようにクリアボールを拾いまくった。
 
********************
 
 引用は以上です。
 
 飛び出していったふたりが目に見えるようです。
「自分はまだ経験がないからとにかく走ろう」というのは、「監督はとうとう俺の才能に気づいたか・・。俺だって国体では一位になったんだ。その技を今見せてやる」とは、正反対です(笑)。そういう思い上がりは、練習ですでにへし折られていたはずです(笑)。
 
 つまり彼の意識は「中心」であろうとする自分から、外れていったと思います。
 それは羽生とて同じです。「トップの下で働き蜂のようにクリアボールを拾いまくった」という表現が物語っています。
「ぶつちゃけ、ナンダヨ・・」と思った頃の羽生とは大違いです。なんせ、働き蜂になってしまったのですから・・(笑)。
 
 それにしても起用した二人が点を入れたとき、オシムは「計算通りだ」と思ったに違いないと思います(笑)。
 
 オシムを幕末の官軍大将、大村益次郎と比較するのは多少場違いかも知れませんが、私は似ているところを感じます。
 
 大村は計算ずくでした。味方に弾の数を計算して持たせたのです。「幕府軍にはこれだけで勝てる」と・・(笑)。
 しかし戦闘が始まり一時間ほど経つと、現場の大将の伝言をもった兵士が大村の元に走ってきます。
「もうすぐ弾が無くなります。敵は手強いです」
 大村は時計を見てつぶやきます。
「今頃弾が無くなった頃だ・・勝負もついた頃だ」
 そうです。その時刻に味方は勝っていたのです。
 
 明治維新は時流の流れだとは、思っていません。官軍は計算された技術で勝ったのです・・というのが私の仮説です。
 この場合、官軍の兵士は大村の駒です。大村の計算を実行するための駒です。
 
 ジェフ千葉とて同じだと思います。
「駒」はそんなことは「聞いていない」と言います。聞いていたら、駒ではなくなるからだと思います。前日から萌え上がってしまいます(笑)
 駒であるためには、できるだけ当時に言う・・。
 それが駒が駒となり、監督の計算の駒と化するのです。
 
 駒となれない幕府の武将たちは、新撰組の美談は残しますが、勝つことは出来ないのです。
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32件のコメント

[C4573] >駒となれない幕府の武将たちは、新撰組の美談は残しますが、勝つことは出来ないのです。

私は歴史が苦手で、日本史の年表が全く頭に入っていません。

しかし、歴史音痴なりに、読んでいて疑問がわきました。玉は何発という話がでているということは、大村軍は、幕府軍が刀で戦っていたのにたいして、飛び道具(たぶん鉄砲か大砲の類だと思います(汗))でたたかっていたということがわかります。

幕府の武将たちは、織田信長の時代に鉄砲に剣は勝つことができないことが実証されたのに、なぜそれから200年もたったのちに、飛び道具に対して刀で戦っていたのかということが、私はよく理解できません。

なぜ、鉄砲以降の江戸時代に、武士などというものが存在したのか、なぜ武士は刀を捨てて鉄砲に切り替えなかったのか、これもよくわかりません。

大村氏にしてみれば、刀と鉄砲で戦うということで、もう最初から勝負はあったと思っていたのではないでしょうか。鉄砲や大砲であれば、弾を何発と数えることで相手を倒すためのリソースの計算ができたということなのだと思います。

「美談」という言葉を読んでおそらく、美学にこだわりすぎると、勝つこととはかけ離れた方向にむかうのだと思います。

美学というものが剣に付随しておらず、剣がたんなる戦闘手段であったならば、武士は明治維新の200年前に、とっくにほろんでいたはずです。

武士道というものが美学にがんじがらめになっており、状況の変化を見る目をくもらせ、剣を鉄砲に持ちかえるということを阻止したのだと思いました。
  • 2006/09/30-17:54:59
  • 投稿者 : ナイル
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[C4522] >「聞いてない」

用意周到なのだと思いました。
用意周到になるといろいろ頭を働かせなければならないと思います。
オシム監督は未来をも今として取り入れることができる人なのかと思いました。
それによって、用意周到をされているのかと思いました。

将棋の戦いは歩があって、王将もあります。
王将が将棋の中では一番上です。
でも戦っているのは将棋の名人です。
でも王将は自分が一番上という認識があるので、一人で動いていると思い込んでいます。
将棋の名人が動かしていることも知らずに・・

オシム監督はそんな勘違いしている王将を歩に格下げさせることが必要なのだと思われていたのだと思います。
つまり、すべて歩で戦っているのだと思いました。

オシム監督は勇人選手や羽生選手の個々の力を見ているというよりかは、とにかく駒になるやつとしてしか見ていないのかも知れないなと思いました。

[C4519] >「聞いてない」

大村益次郎といいますと、靖国神社にそびえる大きな銅像が印象的です。知謀の人、近代陸軍生みの親大村益次郎ですが、先の戦争における日本陸軍の戦いぶりは幕府軍の悲壮感とオーバーラップします。そこに逆説的なものが感じられます。計算で幕府軍に優位に立ち、官軍として勝利した後の日本帝国陸軍が、最後には万歳突撃をして終焉を迎えることとなりました。オシムは選手には万歳突撃はやらせない人です。部活動のように走らせるのも、味方が来ていないのにパスを出させるのも計算でした。同じ戦うのであれば、このような指揮官の下で戦いたいものであり、また選手もこのような監督の下で駒となるのは幸運だと思います。
  • 2006/09/28-23:01:50
  • 投稿者 : おかだ
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[C4513] >「聞いてない」

オシムの方針は、選手にとっては大変だな~と思ったのですが・・
よく考えてみると、人はみんな、その瞬間まで、何が起こるのかわからない(笑)
 
もしも、わかっているのは、時空だけなのだとすると、チームにおけるオシムは時空の
ような存在になるのだとおもいました。
 

オシムの選手起用がすべて計算されたものだとすると、その計算のもとになって
いるのは、何なのだろうか・・・
 
自分のチームの選手の身体能力は当然ですが、性格や趣味趣向まで把握している
のかもしれませんし、相手のチームの選手についても、知り尽くしていそうです。
 
それらの個のデーターから、全体の動きを計算しているのだと思います。
そして、計算どおりだと、勝つことも読めているのかも知れない・・
 
でも、個がデーターどおりに動かないと、オシムの計算が狂ってしまいます。
なので、オシムは個がなくして、駒として動く選手を選んでいるのだと思いました。
 
  • 2006/09/28-18:44:21
  • 投稿者 : 福
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[C4511] >「聞いてない」

何かをするときには、心の準備がいると思っていました。
でも、準備をするのは自分の心・・内面ではなく・・外側なのでは・・と思いました。

[C4508] >「聞いてない」


若い人を初めて使うときなど、前の日から伝えて準備させることの方が多いような気がします。
本人にもそうやってやる気を出させて・・
でもそうやって、よぉーっし!と萌え上がってしまうことがかえって試合にはよくないんだろうと思います。
すごくうれしいだろうし、自分に期待し、がんばろう!と思うことで力が入ってしまうのだろうと思います。

直前に言われたから、あれこれ考える暇もないので、ただひたすら走る働き蜂になれたのかと思います。
そして結果がでた・・

個人個人の意見を聞いているわけではないのに、その「駒」となった人たちは、途中で不満があっても、結局最後に結果を出し、満足しているところが、なんだかすごいと思いました。

計算ずくというと、ちょっと冷たい感じもするけど、オシム監督の計算ずくは、そうは感じないのはなぜだろう。。。
「駒」扱いというのも、そこだけ聞けば冷たいのでは・・と思うのに、オシム監督にはそれどころか暖かさを感じる・・・

計算してやってるからといって、高みの見物ではなく、自分もリスクをおってるからか・・・
前の記事であったように、理性だけでなく、感情も使っているからか・・
いや、なにかもっと、違うところに何かありそうな。。
私たちが知らぬ間に流されて、こうだと思っているいる常識とか感情には、すごい盲点があって、オシム監督や、もりけんさんにはそれが見えているような・・そんな感じがします。

[C4506] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/09/28-12:16:58
  • 投稿者 :
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[C4492]

「全体のなかの駒」という概念は理解できますが、やはりなかなか腑に落とし込むのは難しいと思いました。

オシム監督にしても選手にしても最終的には試合に勝つ
という目標があります。官軍にしても幕府軍に勝つために
「駒」になりきることも戦略のひとつです。

サッカーだって、試合だって未来永劫続くわけではありません。

でも、「自分は駒である」という意識を日常生活においても
持ち続けられるのでしょうか。

いったい、「運命」はどこに向かっているのでしょうか。

自分はパーツとして運命のどこのポジションにいるのか
知りたいと思いました。




  • 2006/09/27-23:14:33
  • 投稿者 : ばなな
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[C4491] >「聞いてない」

そこまで計算しつくしているから、選手が計算外のことをやると、たとえ試合に勝っても、オシムは怒るのだと思いました。
 
何も聞いていない状態のほうが、駒になれるのは、これまでの練習があり結果があるからなのだと思います。
  • 2006/09/27-23:14:29
  • 投稿者 : くるみ
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[C4490] >「聞いてない」


 
勝った試合でも謙遜したり反省点を述べる監督はいても、「偶然に勝ったに過ぎない」と
言い切ってしまう監督って殆どいないんじゃないかと思います。
勝敗の行方ではなく、チームの動きを細かく真剣に見ている監督でなければ言えないと思
いました。
 
>「自分はまだ経験がないからとにかく走ろう」
 
思い上がりがへし折られていてよかった。。。と思いました。
へし折られて落ち込む間もないほど猛練習させられて、監督の指示には戸惑いの連続で、
でもオシムがなぜそんな事をするのかが分かってきて、しかも自分たちの動きが確実に変
わってきたのが分かったのもよかったと思いました。
  
それらがあったから、勇人と羽生はこんな気持ちでグラウンドに飛び出して行けたんだな
と思いました。
自分が目立つことや、シュートが決まって大声援を受けることを考えずに思いっきりプレー
出来るのは、きっとすごく気持ちいいだろうと思いました。
  
>「幕府軍にはこれだけで勝てる」と・・(笑)。
 
大村益次郎という人のことは初めて聞きましたが、計算して間に合うだけの数の弾しか持
たせないというのはビックリです(@@;
  
でも、何の計算も無く、持てるだけの弾を山のように持たせてもらえたとしても、それが
勝ちに繋がるというのは錯覚なんだと思いました。鉄砲を撃つ兵士がどんどん減っていけ
ば、弾の数の多さに意味はありません。
  
それよりも、綿密に計算されて限られた弾を持って行くほうが、はるかに勝ちの可能性は
高いのだと思いました。どこかで計算外のことが発生しても、またすぐに計算をすれば対
処できると思いました。
  
>聞いていたら、駒ではなくなるからだと思います。
 
これは自分に当てはめて考えてみてもすぐに想像できます。
考えたり盛り上がったりする時間がタップリあると、私ならロクなことを考えません(汗)
それよりも突然言われて、何も考える間もなく飛び出していくことになったほうが、監督
の指示通りに動けそうだと思いました。v-228
  • 2006/09/27-21:56:52
  • 投稿者 : ぷく
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[C4489] 完全にあごで使われている・・

ロボットのように操られている・・
ということと、問いを持つことは、どういう風につながるのでしょうか。
 
突然投入された2選手は、判断力を失っているとは思えません。親方の振るうムチにひたすらおびえる以外は何も考えず、ただ、いいなりになって動いている奴隷と同じには、思えません。
しかし、理詰めの判断力で動いていたという風にも思えません。
むしろ、意識を黙らせるという状態を、受け入れるクセがついていたように見えます。
それは、その日とつぜんそうなったのではなくて、ずっと以前から、すでになんらかの気づきのようなものがあって、それにしたがって、意識の主張を黙らせるクセがついていたのではないでしょうか。
その気づきは、オシムの元でプレーしてきた年月の間に生じたものだと思います。
こう言うと条件反射みたいに見えます。
たしかに、ベルの音を聞いただけで唾液が出る犬みたいです。この場合、ベルを鳴らすのは、オシムです。
しかし、選手たちは、自分がパブロフの犬状態に置かれることを意識的に受け入れた「瞬間」がどこかであったと思います。そのときの気づきみたいなものにしたがって、犬のような状態へと自分を解放していったのではないかと思います。
快の気づきにしたがって、そちらへ流れていったのではないかと思います。
  • 2006/09/27-21:45:41
  • 投稿者 : L.B.
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[C4488] >明治維新は時流の流れだとは、思っていません。

スポーツの勝敗、戦争の勝ち負けも「運」(陰陽五行)によって決まっていると思っていま
した。
しかしオシム氏は計算ずくで、偶然や奇跡を嫌っているように見えます。
運に左右されずに結果を出したとするならば、やはり三次元の経験則だけではなく、四次
元のスパンを長く置いた予測を立てたからだと思いました。
人類はあらかじめ決まっている運に流されて歴史をつくっているわけではないとするなら
ば、しかもオシム氏や大村益次郎のようにたった一人の意識がチーム全体または国の政治
を変えてしまうなんて、まるで「思えば世界は変える」という精神世界のようなものでも
ないとすれば、独りよがりの考えではなく、外側のデータに主体を置いたからであり、そ
れは大砲を撃つ人間、サッカーボールを蹴る選手を駒(空洞)扱いしたからなのかと思い
ました。e-473
  • 2006/09/27-21:41:36
  • 投稿者 : イーキン
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[C4487] >「聞いてない」

二人の選手がピシピシと気持ち良く走る姿が目に浮かびます。
髪をなびかせ何も考えてない顔で・・
快活というのがピッタリだと思います。
快活な駒v-230
素敵だと思います。
見ていて一緒に走っている気持ちになるかも知れません。
応援したいです。
西郷隆盛の名はすぐ出てきても、大村益次郎は聞いたことあったなぁくらいでした・・
先に書かれたレスのおかげ、即座に情報を得られてすごくウレシイですv-252
花神、憶えています、大村益次郎を演じた役者さんの思考する顔、思い出しました。
今日も何も考えナシでこの場に来て、もりけんさんの本文からたくさんのレスへ、そして過去の記憶へと、こんなにどんどん広がるなんて「聞いてない!」快感だとものすごく感動しています。
予期せぬ出来事からの喜びって本当に衝撃度が強いです。
計画や予想は立てない方が、その刺激を楽しめるのだとわかります。
あ、でも何か書こうとしたことを忘れてしまいました・・
情に流されないというのは、もりけんさんがちょっと前に言われた「オシム監督は指導する際、選手たちの意をくまない」ということだと思ったのでした。
  • 2006/09/27-20:55:01
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4486] 「聞いてない」

「聞いてない」なら、裸のまんまです。素のまんまです。今、に入りこみやすくなるような気がしました。だから、いろんな事を考えずに、ただ働き蜂のように走りまくる。全体の駒として。。。「誰も知らない」ことで時空の謎を代替可能な駒、メイドとしてバカみたいに知りたがるのかもしれません。もりけんさんは、何十年も前に、この「誰も知らない」「聞いてない」ことの爽快感を感じていたのだとおもいました。おそらく、勇人も羽生さんも爽快感を感じていたのだと想います。プライドはないのですから。。。
  • 2006/09/27-20:45:16
  • 投稿者 : じんのり
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[C4485] 肉を斬らせて骨を断つ

という言葉を思い出しました。

駒になるのは文字通り骨抜きなんだと思います。
骨ってプライドみたいなもので勝手に生えてくるのでしょう。

骨といえば堅くしっかりした、あるいは固定のイメージがあります。
しかし、当日のスタメン発表はフェイントとなり、そのフェイントが余計な骨を断つように思いました。

駒は柔軟に動く必要があるため、骨という拠って立つものが不要である・・・とオシムは思っているのかもしれません。

[C4484]

> 大村は時計を見てつぶやきます。
>「今頃弾が無くなった頃だ・・勝負もついた頃だ」


今日読んだオシム監督の記事「相手をふくむ22人での・・・」ってまさにこれだなと思いました。

敵をも含むすべてを見て計算しつくして勝つ・・・て
それがあって出きることなんだなと思いました。

駒としてでないと全体の流れを乱してしまうのだろうなと思いました。より早く強い流れを作るには、すべてが一体とならないと力が弱まるみたいに・・・・

オシム監督は滝じゃなくてダムのようです。(笑)

[C4482] 駒っていいなぁ

と、思いました。サッカーって個人の技量がまさってなんぼ、と思っていましたが、オシム流にはいらない。みんな駒になりきればいいんだと思いました。

若いからよけいに「駒」にたいする違和感がないのかなとも思いました。経験があればあるほど、「個」に執着してしまいそうです。今までこれでやってきたんだと。今まで・・・過去の積み上げたものなんかなんにもならないんだ。

どんな積み上げもいらないんだな・・と。私はどんな駒になるようになってんだろうと思いました。

[C4481] >「聞いてない」

サッカーの試合に勝つために、人一倍練習しているプロチームはチームの数だけあると思います。
「勝っても負けてもそんなこと、どっちだっていいや」と考えているチームがあったら、世にもめずらしい希少価値です(笑)。

人一倍練習して技術を磨いて、監督に才能を認めてもらって起用されるようになりたいと思っている選手は選手の数だけいると思います。
そして、ここに多くあるのは「絶対者」のような意識なのだはないかと思います。
何かのよりどころを得ようとする意識は、とても希薄なのかと想像します。
勇人も羽生も最初はこれだったのではないかと思います。
しかし血のにじむような毎日の練習によって、オシムが考えていた通りに彼らは変わったのだと思います。
変わったということは「駒」になることが腑に落ちたのだと思います。
彼らは「駒」になることによって、自分自身の中に、限りなく爽快な状態が現れたのだと思いました。
本当の、よりどころを知った心境なのかも知れません。

[C4480]

>「もうすぐ弾が無くなります。敵は手強いです」
>大村は時計を見てつぶやきます。
>「今頃弾が無くなった頃だ・・勝負もついた頃だ」
>そうです。その時刻に味方は勝っていたのです。
 
オシムの見てる勝負ってこう言うものかと思いました。「もうすぐ弾が無くなります」といった兵士は必死だったと思います。弾がなくなったら、後は死か撤退か…全員の命を握った報告だったと思います。血相変えて走ったとおもいます。戦場でもし、ちんたら報告会やってたら死ぬだろうと思います。
 
オシムはバッチリ・ガッチリ、時間まで計算してるのだと思いました。そしてそこで駒の気(エネルギー)を削がないようにしてるんだと思いました。駒の気をそがなければ、そのエネルギーのままに場に動くと思います。なんていうか、ゴールへの道(方程式とか相手を考えたフォーメーション)はかなり正確に時間推移まで出ていて、そこで必要なのは走りきるエネルギーのある、気の緩まない駒なのかと思いました。ゴールへの方程式ありきで一分一秒が勝負なのかと思いました。
なんかオシムのチームって全体でエネルギーの猛攻撃という気がします。エネルギーが方程式になだれ込むような。駒はそこに四の五の言わずにボールを代入していくようだと思いました。
試合が始まる前には勝負は見えてるのだと思います。その勝負って式なのかもしれません。勝てるなら圧倒するほど、負けてるなら必死で、ボールを代入しろっていうサッカーを想像しました。なんか連携して代入してく、(上手くいけば結果が出る)爽快感だろうかと思いました。想像で書いてきましたが…ますますオシムのサッカーって何なんだろうと思います
 

[C4479] 大村益次郎

大村益次郎に反応してしまいました。
小学校の時にNHKの大河ドラマで「花神」をやっていました。その時の主人公が大村益次郎でした。
 
大村益次郎が幕末の官軍大将だったとは知りませんでした。
小学生でしたので、ドラマの深い内容は理解していませんが、毎週見ていてすごく面白かった記憶があり、今でも、なにが一番かと聞かれれば「花神」と答えます。
 
その時のなにが面白かったかを思い出しました。
毎週ストーリーがもたもたしないで、速く進み、二転三転し、ドラマがあったように思います。
あとは、大村益次郎は、なにかを考える人だと思ったように記憶しています。
 
最終回のナレーションで「花神」の説明をしていました。
 
「大村益次郎は、日本の転換期に灰を蒔いて、花に変えていった、中国では、花咲じじいの事を花神という」
といった時に「おおっ!」と感動しました。

だから、ここで大村益次郎が出てきたのは、日本サッカー界の転換期なのではないかと思いました。

今、オシムは灰を蒔いている最中だと思います。

[C4477] >「中心」であろうとする自分

新撰組は確かに「自分達が中心になって・・」という強い思いが
あったように思います。近藤はその頂点・・。
「中心」であろうとする自分から外れ初めて駒と化する・・。
ゲーム直前の出場選手の言い渡し・・。
まったく力みの無い状態でのスタート・・。
監督の計算通りに動きやすい状態なんだと思いました。
・・・全体の中にいて、駒と化させる存在(サッカーではオシム)
は必要なのかなと思います。
HPではもりけんさん、日本国だと総理大臣(?!)、
地球規模だと・・・どこかの星人?!・・・。
時空の駒となるにはまだ遠い?!
  • 2006/09/27-12:38:23
  • 投稿者 : まる
  • URL
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[C4475] >「聞いてない」

 先日、歯医者に行きました。検診してすこし欠けた詰めものを補修して簡単に終わりそうでした。「あと一日きてください、少しだけわからないけど欠けてるところがありますので」それで当日です、いきなり「親知らず、抜きますますから」 聞いてなかった、私は嫌だと思う間もなく諦めの心境で先生の会話を聞きながら、歯を抜かれました。駒になるには、それになりきるには必要以上に考える時間があったら余計な妄想で、駒は収集がつかなくなるのではと思いました。考えるのは、駒になってからその対象に向ってからのがいいような気がします。  
 さて、大村ですが彼も医者でもありました、徹底したデータ重視の戦をしたようです。軍資金がいくら多くても、鉄砲の数が足りないとか、ここの部隊はこの人数が適当であるとか、そして彼は余計なことやあたりまえのことは言わなかったようです。夏に「暑いですね」と言ったものに「夏は暑いに決まっている」といった話しがあるくらいです。彼は余計なことを言って兵のモチベーションが下がるのや違う想定をされるのが、嫌だったのではないかと思いました。幕末の日本のまだ情で人が動く時代に理のもとに兵を指揮したので兵隊にはうけは悪かったと聞きます。彼の銅像は、情で兵を指揮した犬猿の仲でもある西郷にソツポを向いて建てられてるらしいです。  
 人が駒となるには、駒となるべく「場」が整わないと、なかなか駒になりきれるものではないのかも知れないとと思いました。
  • 2006/09/27-12:10:12
  • 投稿者 : yk
  • URL
  • 編集

[C4474] >「聞いてない」

以前、スーパーコンピュータ(以下SCとさせてください)と名人とのチェス対決の話を聞いた事があります。
結果はSCが名人に勝ったそうです。

SCの勝ち方、それは、「勝ち手」、将棋の「詰み」からの逆算をしていくそうです。
詰みとは、もうこれ以上やっても勝ちは決まっている状態です。そうすると、その詰み状態にかならずいく、「詰みへの詰み」の状態が存在する。それを繰り返していくことで、理論上は最初の一手が必然的に決まる。ということでした。
しかし、将棋ではその選択肢が多すぎて、まだSCは人間に勝てないそうです。それが解明されて、プログラム化されば、SCが勝つようになる、らしいです。
 
オシムが、将棋盤をみつめているようすが浮かびました。
盤上にひろがる3次元(2次元かも)と、勝利までの手の進行を見る4次元を見ながら、盤全体をみつめている気がしました。
でも、オシムでさえ、次の一手は勝利という未来からのプログラムに乗った一手を打つしかないのだと思いました。計算が出てしまえば、自分も駒を動かすという駒でしかないんだと。
盤上の実際の駒である選手も、それに乗って動いてくれないと、次にうまく進みません。
そうなると、駒が意思をもっているなら、動く瞬間に言うのが、「駒」化にはいいと思いました。
  • 2006/09/27-10:49:19
  • 投稿者 : くまぽん
  • URL
  • 編集

[C4473] >「聞いてない」

直前に言うというのは、直前まで選ばれる人も選ばれない人も目の前の事に集中できるような気がします。また、その時、コンディションのよい選手を使う事が可能という事でもあるのではと思います。それは常に変化して行く状況を敏感に感じて、その時、ベストと思われるメンバーで臨んでいるのではないかと思います。選手が1対1での練習で状況を考えながらそれぞれが入って行くように、監督は監督で変化に応じてその時その時で判断しているのではないかと思います.翌日の練習メニュー、試合のメンバーの人選全てにおいてそれがあるのではと思います。今日食べる魚をじっくり選ぶように。。それは様々な視点からある程度計算された結果、はじき出されているのではないかと思います。

[C4472] >聞いてない

聞いてないよー!わぁーって走る人になりたいと思いました。知っている人(知ってるつもり)の人にはなりたくない。だってほんとは何にも知らないもの。。バレてますよ!計算する人にとっても愛をもらいながら、私は、聞いてないよー!!と叫んで走る人になりたい。本気でなりたいと思いました。
  • 2006/09/27-10:02:48
  • 投稿者 : なんしぃ
  • URL
  • 編集

[C4471] >「駒」はそんなことは「聞いていない」と言います

生まれ変わりの情報を思い出します。
わたしたちはいつの間にか生まれてくるみたいで
本当に「聞いてないよ」状態なんだとおもいます。
時空=運命のまま、予定は聞かされず気づいたらベンチ(あの世)からレギュラーになり試合(この世)に出現させられると。。だから駒になれるんですね。
  • 2006/09/27-09:37:40
  • 投稿者 : なみ
  • URL
  • 編集

[C4470] >「聞いてない」

私たちは駒だから、
未来を知ることができないのかと改めて思いました。
サッカー場のような人生を右往左往しながら
思わぬ所から何かがやってきて
立ち止まってしまったらえらい孤独感がやってくる・・・
常に何かを目指して走り続ける(泣)
何だか虚しくなってきます。
ホント「時空よ、おまえの思うとおりにはさせないぞ」と
言う気持ちが少し分かったような気がしました。
ただの駒では終わりたくないです。
変わった駒になりたいです。

[C4469]

テニスをしていたとき、ボールに追いつけなかったりすると「ああ・・もっと筋肉鍛えておけば良かった」とか思います。
ギリギリのところで極限まで力を振り絞ることができるかがあの「走る」だったと思いました。
だから予想外の選抜であっても駒として「出しきる」ことができるのだと思いました。

v-63

うう・・・・・ん。わたしは駒になりきれていないから、もんもんとしてるのだろうか(意味不明)

[C4468] >「えー、何も聞いていないよ!」

あー、この台詞、予想外の時、必ずといっていいほど、心によぎります。で・・、そういった場面に遭遇する時、自分が「駒」であり中心ではない、というレベルダウウンした状態なら、即座に素直に事態に従って対応できるのだと思いました。

個のプライドがないから、うぬぼれることも、ひげすることもないのだと思いました。目の前にやってきた予想外のことに、驚きはしても、実力のなせる当然のことさ!と思ったり、どうしてこんな目に会うんだ!と拒絶したりする感情が沸かないのだと思いました。何があっても、常にゼロからスタートです。よし、やってやるぞ!です。あー、すごいことです。素晴らしいと思います。

官軍の大将も、サッカーの監督も、計算ずくだったといいます。ほんとに、これぞ計算だな、と思います。駒は、いつも「聞いてない」状態、それで、GO!の合図に素直に飛び出せる。駒になりきることもすごいし、計算して駒になりきらせる人もすごい、と思いました。
  • 2006/09/27-08:00:06
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
  • 編集

[C4466] >「聞いてない」


>「駒」はそんなことは「聞いていない」と言います。聞いていたら、駒ではなくなるからだと思います。前日から萌え上がってしまいます(笑)


「駒」にとって
起こる出来事や指示は、駒にとっては、いつだって、晴天の霹靂なんだと思いました・・

だって・・「聞いていない」ことが、起こるのだから。

でも、聞いていないよといいながらも、動いている・・

それは個のプライドを捨てているからこそ、
できることだと思いました。

プライドがあれば、拒否するかもしれません。


運命って、いったいなんなのか。。

なんだか、とてつもなく大きな、プログラムのように感じています。

それは、計算ずくのプラグラム・・?

そして、私にとって、予想外のことが、どんどんやってくる・・
てことは、私は駒。

でも、それを知ってしまったら、予想外のことが予想外のことじゃなくなります。。

てことは、駒は駒でなくなり、萌え上がる。。


 んん。。。萌え上がるって何だろう。。。


    
  • 2006/09/27-04:42:08
  • 投稿者 : あかり
  • URL
  • 編集

[C4465] 名前、入れ忘れました・・(滝汗)

[C4464]

自分の「運命」を知ったら、どうなるんだろう・・
と思いました。
その後、運命どうりに生きることは「駒」として
生きることです。
それを長い(といっても短いかもしれないけれど・・)
時間過ごす・・そう考えると、複雑な気持ちになりました。
自分にとって都合のよいものが出てくるわけではないかもしれない。
そうゆう今だってすでに「駒」なのに、「聞いた(知った)」
はずなのに、全く外れた・・ひとごとのように話している
瞬間が多々あります。
今も大きな「支配」の中で、考え書いている・・と
断言できません。どこか、実感がわきません。
でもすでに・・
書き込みを続けていることは「駒」になっている
働き蜂・・なんだと思います。支配しているのは「運命」
です。
監督も「駒」です。でも監督に尊敬を思う・・
そうゆう「駒」でもあると思います。
 
v-442


 
  • 2006/09/27-02:56:06
  • 投稿者 :
  • URL
  • 編集

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