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[C4594] >「血気盛ん側」と「計算側」

計算されていた・・というと、武蔵と小次郎のことを思い浮かべました。

血気盛んなタイプには、計算は見えないと思いました。
計算する方は、一見クールに見えて、でも、静かに熱いという感じがしました。
川渕キャプテンという人も、その計算が少しは見えているのかと思いました。
おそらくサッカー界で一番力を持つ人がオシム監督をそう見ているということに、ちょっとほっとしました。

[C4575] >「血気盛ん側」と「計算側」

サッカーの観点から、監督と選手のつながりについて考えれば、

血気盛ん⇒ネットワークされてない
計算⇒ネットワークされている

ということかと思いました。

計算するということは、上から下ではなく、横のつながりを重視するということなのだと思いました。

だから、スター選手なんか安易にいれてしまうと逆に計算がくるってくるのではないかと思いました。
なぜなら、スターだからスターなりの上位のプライドがあって、駒がスタンドプレーをしだす恐れがあるからと思います。

オシム監督は誰かの取柄とか誰かの活躍があってという概念はないかと思います。

基本は全体。もちろん監督自体も駒。駒は駒の役割を果たすのみというスタイルなのだと思います。

全体による動きを見せれば見せるほど、計算されていくのではないかと思いました。

個を重視すれば、こいつならやってくれる(だってスターなんだもん)みたいな期待のほうが増えて、血気盛んに走ってしまうのかと思いました。

また、計算をするのも、上位的思考では計算しても無駄ではないかと思いました。

[C4567] >「血気盛ん側」と「計算側」

血気盛んな人と、計算する人では、血気盛んな人のほうがうけます。
小説でも映画でも、血気盛んな側が主役になるほうが多いと思います。
 
でも、歴史上で生き残ってきたのは、計算していた人たちだと思います。
人類は計算することで、生き延びてきたのだと思います。
 
なのに、血気盛んで散っていった人達を賞賛します。
なぜ賞賛するのか・・・それはカッコよく見えるからだと思います。
 
計算して泥くさく生きる側は、どうしてもカッコよく見えません(笑)
大村益次郎が、ひとりが慌てて逃げるのは、どう見てもカッコ悪いです(笑)
 
勝負に勝つということは、カッコいいことではないです。
計算する側は、カッコなど、どーでもいいのだと思います。
 
計算するには、客観的なあらゆるデータが必要ですが、どう見られているのか?
というデータは必要ではないと思います。
 
  • 2006/09/30-12:53:52
  • 投稿者 : 福
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[C4541] 逆算の世界

血気盛んとはもう勢い任せで出るだけ出すというとめどもない感じがあります。
そのとめどもないパワーを制御しているようには思えません。

通常勢い任せの場合、結果がどうなるかあまり考えてないような気がします。
初期衝動がよければそれでよし・・・という感じでしょうか。

逆に大村氏やオシム監督は結果から逆算しているような気がします。
勝つという結果があってそこにたどり着くにはどうすればいいか・・・

多分、ここで問いが必ず発生しているはずです。
しかし「血気盛ん」には問いがない気がします。

問いが存在する時点で、勢い任せに制御がかかり、計算の世界へと踏み込む気がしました。

[C4538] >「血気盛ん側」と「計算側」

情というのは、人を大きくゆさぶります。
ゆさぶられるのも、これまた快感だったりします。
何かに酔うとか酔わされたいと、人はどこかで思っているかも知れません。
しかし・・・
計算ずくで物事が運ぶというのは、どんなに愉快なことだろうと思います。
占いがちょっと当たっただけでもものすごく嬉しかったデス・・
オシム監督のように長いスパンでものごとを思考、判断する視点を持てる人は、たくさんいるのかも知れないけれど、そういうブレない姿勢を維持できるのは、やはり何かどこか自分とは違う気がします。
けれども、そういう人の元で、何が起こるか起こっているのか、ワケわかんないまま流されていくのも、これまた快感だと知りました。
それにしても・・
10年前に読まれたユミット星人のお話のとおりに、中国調査が深まり進むにつれ、同様と言えそうな資料がそろっていったもりけんさんの胸中を想像すると・・・計算通りだった・・とニンマリされたのでしょうか・・それとも、これほどまでとは思わなかったと驚愕されたのでしょうか・・そこが知りたいものだと思いました。
  • 2006/09/29-15:19:08
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4530] 計算

オシムは全体のなかの駒として動けるような選手を指導していくことを計算し未来をそこに投影してたかのようです。ですが目標をたてて計画をたててそのとうりに実行実践したのとは違うとおもいした。試合をとうして練習をとうしていろんな仮説をとうして計算していったような気がします。オシムも問い掛け選手、コーチからあるいは練習から試合から何か答をえているようです。それが計算結果として現れているかのようです。ですから結果よりも過程をたいせつにし技術よりもチームプレーを大切にし人気よりも働き蜂になれる走れる選手を観ていたのだと感じました。
  • 2006/09/29-07:22:37
  • 投稿者 : じんのり
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[C4524]

「血気盛ん」な状態って、或る意味で一時的な「感情的な爆発」であり、衝き動かされる様な情動で自己制御できない衝動のようなものだと思います。

最初は勢いがあるのかもしれませんが、すぐにガタがきて
持続できません。

だから負けるのです。

「感情」に支配されると必ず負けます。
負けるとわかっていてどうして感情的になってしまうのか
と思います。

やはり「運命」は常に自分が勝利したいが為に、人間に
感情を植え付けたのかもしれません。




  • 2006/09/28-23:34:04
  • 投稿者 : ばなな
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[C4523] >オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです

新政府の大久保利通のような計算づくぶりに、ラストサムライではカツモトである西郷隆盛はぷっちんして薩摩に帰ってしまいました。その後、アンチ新政府の「血気盛ん」な人たちの総大将として決起し、新政府と戦いますが、薩軍の抜刀隊はスナイドル銃を装備した平民出身の新政府の兵を前に敗れてしまいます(官軍もまた獅子の時代の加藤剛が警視服姿で率いたような壮観な抜刀隊を編制していますが)。日本では今まではどちらかというとその西郷のようなタイプの監督が好まれてきたと思われますが、オシムのような大村益次郎タイプ(しかも数学専攻者)が現れ、日本サッカーは今、まさに御一新の時代です。
  • 2006/09/28-23:27:28
  • 投稿者 : おかだ
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[C4521] >計算しているから、一歩も引かないのです。

卑怯者と呼ばれても部屋から一歩も出てこなかった武蔵とそっくりです。
自分を中心にするのか、自分以外のデータを重んじるかで「わがまま」かそうではないかが違うのだと思いました。
プロスポーツの領域になると、体力や練習はどうでもいいものとまでは言いませんが、どこか天才度が高い人が勝ちと思っていました。
ジェフ千葉の選手だって天才度高いと思いますが、へし折られて「駒」化してしまってからまるで人が変わったかのような動きをしたのは、オシム氏の計算高さによるものなのだとわかっているのは、川渕氏とジェフ千葉の関係者だけなのだなと思いました。
人間は時流に流されないで生きるなんて無理だと思っていました。
しかし宮本武蔵やオシム氏はまるでその徹底した計算高さによって時流に逆らっているかのようです。e-352e-392
  • 2006/09/28-23:24:44
  • 投稿者 : イーキン
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[C4520] >「血気盛ん側」と「計算側」

感情というのは運命による演出なのではないかと思います。
血気盛んにさせる熱情も運命による演出でしょう。
その熱情に流されるのは簡単です。
運命のままですから・・
計算した結果も運命どおりかもしれませんが、計算から未来を予測してその未来に到達するのと、熱情に流されるまま未来に達するのとでは全然違うと思いました。
  • 2006/09/28-23:02:47
  • 投稿者 : くるみ
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[C4518] 血気盛んと計算の違いは

あまり疑わないで信じるか、
ぎりぎりまで疑った上で信じるか・・の違いだと思われます。
計算は、99%の精度へと向かっていくことができるでしょう。ただし、未来が現在になっていないうちは、計算が100%正しいということはありえません。
計算といえども、最後の1%は、自分の正しさを信じるしかないと思います。
一方、血気盛んは、もっと確率の低い大博打に打って出ていると思います。大博打はより大きな危険が伴います。だからこそ、危険を冒す自分に酔えるという面があります。
自己陶酔によって、危険を乗り越えるという心理が働いている場合が多いと思います。
  • 2006/09/28-21:32:18
  • 投稿者 : L.B.
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[C4517] オシム

e-345「悟るためには少眠少食にして瞑想すればよい」などという言い方があります。本に書かれていたりもします。でもオシムは、そんなことは言わない人だと思います。

オシムは、物事をやりながら考えて方法を見つける人で、だから意味のないスピーチなどはしないのだと思います。現地で練習をするのも「現地でやってみなければわからない」ことがあるからだと思います。

たぶんノウハウの伝授では、たどりつけないところにいくには、実際にやってみて、長い時間をかけて、気がついたり微調整をしていったりするしかないのだと思います。本には書いていないことがたくさんあって、それが大事なのだと思います。

なんか文字にしてみると平凡ですが、この二つのアプローチの方法を対比してみることで、オシムのひとつひとつの行動について、私の中ではなにか「ああなるほど」とつながりました。

数式のモデルだって、人が設定した係数をそのまま使っても、正しい計算ができるとはかぎりません。

「悟るためには少眠少食にして瞑想すればよい」という総論を前提にして各論におろしてきても、ほとんど役にたたないのかもしれません。これに対してオシムはいわば「各論のみ」でどこまでも行く人だと思います。総論めいたことは言わない人なのかもしれません。

やりながら役に立たない、柔(やわ)な総論を排除していくのかもしれません。

従来のサッカーの練習というと、身体や筋肉を鍛えている間は、頭はあまり働いていないイメージがありました。それでは実践ではあまり役にたたないし、身体も思うように動いてくれないのでしょう。

だからオシムはいわゆる「シュート練習」が嫌いなのでしょう。しかし、実戦形式の練習の中で相手のわずかな隙をついてミドルシュートをどうやって狙っていくかということを考えながらする練習は否定はしないのではないかと思いました。

こういうことをやっていくと、ちょっとだけ人生が楽しくなりそうです。 e-381
  • 2006/09/28-20:37:55
  • 投稿者 : ナイル
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[C4516] そういや

オシム監督って、麻雀とかむずかしいゲームが好きな人やったっけ‥。麻雀とかも誰のとこにいまどういう駒がいってるとか、全体をにらんでの計算が多そうで、本業のサッカーでもそんなふうにきっと計算できる人なんやなあ‥。すごい複雑な頭脳の持ち主かも…
  • 2006/09/28-19:13:35
  • 投稿者 : 龍(ロン)
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[C4515] 「血気盛ん側」と「計算側」

 オシムが何を根拠に計算をはじき出しているのかかんがえました。

 オシムは、選手のプレイを観戦し、自分の計算に合いそうな選手を選んでいると思います。
 自分の計算にあう駒を選ぶのは多少の失敗があるのかも知れませんが、召集しては試し、実践で使い、失敗なら次の駒を召集する、という事を繰り返すのかなと思いました。
 
 そして、それぞれの選手はクラブに戻り、言われた事を練習して、オシムの計算に合う自分になって選ばれるのを待つのみ。
こうして考えると、計算があって、選ばれるものはすべて駒のように思えてきました。

[C4514] >血気盛ん

て、行き当たりばったりで、スタンドプレーしかしないみたいや。新撰組だけいくらがんばっても、勝てるわけない。剣は個人技ぽいけど、銃はみんなで並んで一斉発射やから、駒化した感じが強い。練習すれば誰でも打てそうやし。部隊の配置だけ計算して、あとは撃ちまくらせればいいし。でも、配置した部隊がそのとおりに動かなかったら、だめやし、駒には全体が見えへんから、ちゃんと駒になっててくれないと困るんやと思う。
サッカーは人数少ないし、試合中に監督が直に支持出しするわけではないので、なんか計算で全体が動くようにできるのかというのがイメージしずらいけど、オシム監督の中には、全体が動くイメージがちゃんとあるのかもしれん‥
  • 2006/09/28-18:55:06
  • 投稿者 : 龍(ロン)
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[C4510] 勝てば官軍

オシム監督が、ジェフ千葉の監督に就任して優勝まで導いた時
選手が入れ替わったわけではありませんでした。
替わったのは、監督だけです。
今までいた選手で、優勝しました。
オシム監督がした(している)サッカーは
「走る」と「考える」です。
「体と頭をフルに使え」とゆうことだと思います。
監督の指導は、これを徹底的に出来るような選手(駒)に
してゆくことだったのだと思います。
監督は選手が味わうであろう「駒」化した時の「快感」も
計算していたと思います。
選手は「駒」と認識しているか、していないか、に関わらず
「駒」化していた(る)と、思います。
日本の国内で、優勝するチームとゆうのは・・まさに
「代替可能」なのだと思いました。
同じ日本人であり、似た性質を持ち、
サッカーが育った土壌は、さほどかわりはありません。
その中で「勝てる」かは、監督の指導にかかっているのだ
と思いました。
大村益次郎が持たせた「弾」の数は、計算によって出された
勝てる数だったと思います。
弾の数と関係なく、負けると判断した時は、戦わないのかも
しれません。
オシム監督は、日本代表と比べて、こちらの国の方が
強い、優れている・・とか、そういった判断はしていると
思います。
けれど
「勝つ」とゆうのは、また少し違う要素が含まれる・・と
思いました。
対戦カードによっては、日本が勝てるチームからあたること
だってあるはずです。
それこそ「運」なのではないかと思います。
名前の知られていない選手が起用されるのは
外国に対して「データ」がない・・とゆうことになります。
今、使っている選手は4年後、消えているかもしれません。
 
「勝てば官軍」・・
オシム監督の抱えているものは大きいと思いました。

[C4509] >「血気盛ん側」と「計算側」

「血気盛ん側」は、いつの時代にも大衆のウケがいいのではないかと思いました。
それは、その時代の大半の人が共有している価値観に基づいて、我が正義を貫くのだ、と言っているのが「血気盛ん側」たる理由だと思うからです。

一方、「計算側」には、その時点での正義はないように思いました。つまり、まわりから「アイツ、なんかおかしなことやってるぞ。やっぱ変人だな。」といったことを裏でおもてで言われてしまっている状態です。

だからこそ、「計算側」にはまず勝利が必要なんだと思います。「血気盛ん側」の応援団にまず、「あれっ、もしかするとあの変人がやってることは間違ってないかも・・」と思ってもらう必要があるからです。そうすれば、大衆の流れは一気に「計算側」に傾くと思います。歴代の大名が寝返ったように。

そういう意味では、もう川淵キャプテンは、オシムの計算の勝利を目の当たりにしたんだと思います。
だから、「計算側」に寝返ったんだと思います(笑)
  • 2006/09/28-12:58:28
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4507] テクノン

ピンチのとき経営者にやる気を見せると満足さるることがあるがそのやる気と結果を問われることはない。オシムの奇策は思い付きではないだろう。わがままとは思い付きだしエゴ的と思う。オシムの計算は建物を設計してる感じかも。監督としての成績を計算する感じなら協会はだまってない。まだ見えないからそのままにする
  • 2006/09/28-12:38:41
  • 投稿者 : やる気と勝利は無関係
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[C4505] >官軍とて最初、勝たないとイケナイ

「血気盛ん側」は勝つためではあるけれども、とりあえず勢いで行く・・。
「計算側」は勝つための計算であり最初は必ず勝たなければ
イケナイ・・。
芯の部分で「勝つ」ということに対しての意気込み、思いが、
見た目には「血気盛ん側」の方があるように見えて、
実は比較にならないほど「計算側」の方が強いのではないかと
思いました。
計算に基づいて出てくる要望は決して「わがまま」には
ならないんだと思います。
  • 2006/09/28-12:11:41
  • 投稿者 : まる
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[C4504] >「血気盛ん側」と「計算側」

計算を実行に移す時には、計算を疑って判断をフラつかせてはいけないんだと思いました。
計算通りに実行しなかったら、計算する意味が無くなってしまいます。
計算外のことが起きれば新たに対処法を考えなければならないですが、その事と計算を疑って違う指示を出す事は全く違うんだと思いました。
 
でも計算通りに実行するということを貫き通すのは、簡単じゃないどころか凄く難しいと思います。少しでも気持ちがブレたら崩れてしまいそうです。
だから計算は大まかとか適当にするわけにはいかなくて、徹底した調査や分析が必要になるのだと思いました。
 
> ここで俊輔や松井を入れれば、幕府軍になりくだると思います。
 
オシム監督は自分で計算式を作り出しているように思います。
式を作るのに必要な材料も自分で決めて選ぶのだと思います。
 
でもメディアがやっていることは、オシム監督に、自分達が提供する材料で式を作れということなんだと思います。自分達が選んだ材料は必ず入れて、さらに最高の式を作れと言っていることになるのだと思います。
 
オシム監督に必要だから選ぼうとしている材料に待ったをかけて、それでいて最高のものを作れというのは無理な話しだと思いました。
  • 2006/09/28-11:24:41
  • 投稿者 : ぷく
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[C4503] >「血気盛ん側」と「計算側」

川淵キャプテンはオシム監督のジェフ時代の実績を買っているのだと思います。「官軍とて、最初は勝たないとイケナイ」とはそういうことだと思います。
中村や松井を呼ばないで、しかも若手に期待しているわけでもない、これは、もはやそういった誰々に頼ったサッカーをしてはいない、ということだと思います。個でなく全体なのです。全体の中で駒と化した個がどれだけ繋がってボールを回していけるか、そのためにどれだけ走り続けられるか、なのだと思います。
確かに、プッチンすると崩壊するような脆さがありません。全ての駒がいい状態でチーム全体を支えているかだと思います。なんか、異常に強いチームになりそうです。
計算するオシム監督に、将棋や囲碁の世界が重なります。すごい読みだと思います。
  • 2006/09/28-11:14:24
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4502] >「血気盛ん側」と「計算側」

 ジェフの結果の再現をオシムも川渕キャプテンも計算しているのではないかと思いました。ジェフでの手法を代表に取り入れること組織的なサッカーが代表チームの中で円滑に行える環境が整うのを計算しているような気がします。そうなったとき欧州組が入ったとしても駒としてプレーせざるえない状況になっているような気がしました。 
 大村が長州で西洋兵学で軍制改革をして結果をだして民兵組織の有用性をときました。奇兵隊を作った高杉進作は、死ぬ間際に軍の統率者の後継に大村をあげました。民兵組織ってめちゃくちゃ代替可能な戦闘集団だったと思います。それは未分社会のもと武士の精神性が横行していた時代に、農民でも集団戦を計算通りに行えば武士(幕府軍)に勝てるというとてつもない計算による方法論の変革であったと思います。オシムイズムと大村益次郎ともに勝つシステムという全体の空間をみていたような奇がしました。
  • 2006/09/28-10:36:13
  • 投稿者 : yk
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[C4501] >「血気盛ん側」と「計算側」

何かに賭けるとか、誰かに期待するというのは個人という部分に頼ってる感じがします。それに対し、計算というのは、人だけでなく、空間的環境とか時間とか身の周り全てを頭の中に入れて、出してるもののように思います.それには選手に与える心理状態も入っていると思います。その場合、優秀な個も駒の1つになるという事だと思います.前者は個だけが拡大された感じです。大抵は前者かと思いますし、その視点で外側から見た時、オシムのやり方というのは理解不能でただのわがままと映ってしまう事もあるのかもしれないと思います。いろいろな事を計算してというのではちょっと武蔵を思い出しました。。

[C4500] >「血気盛ん側」と「計算側」

スター選手だから血気盛んにプレーするであろうとの期待は、どこから生まれるかと考えました。
こう言っては何ですが、見栄え(実積)ではないかと思いました。
これは「今現在の実績だけがすべて」の価値観で固まっている状態なのだと思います。
前監督は見栄え(実績)をもととして、「次の試合は誰と誰を選抜して」と、こねくりまわして考えたのではないかと思ってしまいました。
「計算」がないと、こねくりまわして考えるしかないと思います。

そして「計算」は大きな枠で「場」を作り出すイメージを抱きます。

脱線しそうですが、川淵キャプテンはワールドカップ終了後の記者会見で、後任監督はオシムということを、うっかり発言してしまいました。
直感的にオシムの何たるかを分かっていたので、頭の中はオシムでいっぱいだったのかも知れません。

[C4499]

>ぬら~(´Д`)
  
↑バカウケしました。どうもこういう勢いだけのものって弱いです。笑わされてしまいます…がそう言う事だったのかと思いました。人は理解を超えて無茶苦茶なものとか、熱いもの、血気盛んなものに弱いのだと思いました(笑)オシムは計算も素晴らしいですが。ここぞというときの感情的さもスゴいんだろうなと思いました。どえりゃぁあぁぁ~みたいなフィールドちゃぶ台返し!(意味不明)みたいなカンジでフィールドで吼えて怒ってるんじゃないかと思いました。
なんていうかチームは戦場だと思いました。川淵キャプテンは怒濤のオシムジャパンを見ちゃったんじゃないかという気がしました。冷静な戦略の上で地鳴りのように吼える戦士を。これは地から湧いてくるだろうと思いました。そして…くるんじゃないかという気がします。スターは目じゃないんじゃないかなと思います。スターが吼えても軍団の咆哮にはかき消されるだろう。
しかしむやみやたらに吼えても、観客は萌えません。。吼えたいのは自分だから。観客が吼えるのは…ゴールに絶妙プレイだな。となるとやっぱ見通しがいる訳で…オシムが勝敗を冷静に見てこそだなと思いました。
意識と無意識って何なんだろうかと思いました。一人の人の中にもあり、役割分けして(監督とチーム)とかでせめぎあう事もあり…オシムの計算をを時空の計算だと思うとチームは運命をはしる駒であり…。しかし、自分の意識ってどうなんだろう、無意識が燃え上がるのをジャマしちゃうんだろうか、他の人用なのか…意識は個なのか、考えるところです。(でも考えても出ないから、もりけんさんはデータさがしに行くのかとも思ったりしました)

[C4498] オシムはメディアからバッシング

マスコミはスターを求めます。
一般人はスターがいたほうが盛り上がるからです。
いまのところはサッカー通には受けがいいようですが、
サッカーのことがよくわからない一般人は、スターをサッカーの象徴とみなして、
応援するからでしょう。

オシムがスターシステムをとらない以上、勝たないと官軍になれません。
いまのところ、チーム作りをしている段階で、勝っているのではないようです。
マスコミもガマンしているのでしょうが、早めに勝ちが多い段階に至らないと、
シビレを切らしたマスコミがメチャクチャ叩き始めるかもしれません。

どうなるでしょうか。
  • 2006/09/28-07:48:56
  • 投稿者 : 十四郎
  • URL
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[C4496] >「血気盛ん側」と「計算側」

>オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです。


「血気盛ん側」というのは、感情だけで突っ走っている状態だと思いました。
そして、とにかく勝ちたい。
とにかく、ゴールしたいのだと。

しかし、「計算側」は、理性・・
なのだと思いました。

オシム監督は数学にたけており
しかも結果を出しています。
なので、川淵キャプテンの擁護を受けている。

これまでサッカーに全く興味のなかった私も、
オシム監督になってから、
興味を持ちました。

それは、オシム監督が、数学に長けていると知ったからです。

計算とサッカーのコラボレーションが面白いです。


 
  • 2006/09/28-04:36:01
  • 投稿者 : あかり
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[C4495] >オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです。


なんとなく、卦を読んで計算して
その結果が見える(読める)。
ということに似ているかもしれない思いました。v-151

中身や内容が決まれば
結果は自動的に決まるということなのかと思いましたが

そこまでだと
>実績を元に投入した選手たちが、
>あとは内面の強さを発揮して、
>血気盛んにゴールするのを期待

になることもありそうだと思いました。
期待と計算。

計算って、「どうなるかの計算」だと思いました。

「どうなるかの計算」をした結果、
今どうするかを決めているのかもしれないと思いました。

「血気盛ん系」はどうなるか(未来は)わからない(読めない)けど
今どうするかに賭けて、未来に期待。
なのもしれないと思いました。

負けてもいい・・
というのはどうなるかの計算結果が
負ける結果になるかもしれない
と計算した結果で、そういう一面からも出て来た言葉かもしれないと思いました。

「血気盛ん」は世コウから見た卦で
「計算側」は卦(現状とそのゆくえ全体)から見た各パーツ(各人との相互関係)というイメージがしました。v-239

[C4493] オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです

オシム監督は。。。もっと広い意味で出来れば。。サッカー人気を高めたかったのかもしれないとおもいました。。。スター選手以外の選手にチャンスが広がり。。。Jリーグ人気にも。。もっと。。火がつくのを望んでいるのかもと。。。おもいました。。。
  • 2006/09/28-00:36:55
  • 投稿者 : バニー
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「血気盛ん側」と「計算側」


 きょうは本の抜萃はありません。
「オシムの言葉」という本は、8割近くまで読みました。完全には読み切りません。なぜなら、読み終われば、テンションがそこで終わってしまうから(笑)。
 
 最近このブログに、「計算」という言葉が出てきます。それは8割まで読んだところで、私がオシムに感じたフレーズだからです。
 
 昨日から大村益次郎が登場しました。
 彼も「計算」の人間だと思います。
 
 映画「ラストサムライ」では、クムクルーズ属する幕府騎馬隊が抜刀して官軍側に突撃するとき、大村ひとりが慌てて逃げ始めました(笑)。
 そういう「血気盛ん側」に、「計算側」は弱いのです。
 
 しかし「血気盛ん」は、新撰組もそうでした。
 そういうのは、みんな負けるのです。
 マンモスの時代だって。「血気盛ん」で勝てたとは思えません。
 
 ドイツワールドカップでは、「計算」がほとんど無かったのではないかと思います(ジーコさん、ごめん)。
 実績を元に投入した選手たちが、あとは内面の強さを発揮して、血気盛んにゴールするのを期待していたと思います。
 
 しかし「血気盛ん」は、プッチンすると、崩壊します。
 まるで幕末の幕府側です。
 あとは時勢の流れが取って代わります。
 歴代の大名も、薩長に寝返ります。
 
 しかし重要なポイントがあります。
 官軍とて最初、勝たないとイケナイのです。
 勝てば官軍ということわざの通りです。
 
 さて、オシムはメディアからバッシングされています。
「オシム日本不人気 1万6千枚チケット売れ残り…10・4ガーナ戦」という見出しで、「イビチャ・オシム監督(65)が中村俊輔(セルティック)、松井大輔(ルマン)ら欧州勢の招集を見送っていることが人気面では裏目に出ていることは間違いない」などと書かれます。
 
 しかし・・です。
 ここで俊輔や松井を入れれば、幕府軍になりくだると思います。
 
 では、オシムは、若手の連中に賭けているでしょうか?
 私は賭けてはいないと思います。
 オシムは計算しているのです。
 計算しているから、一歩も引かないのです。
 こういう記事もありました。
 
>川淵キャプテンは「スポンサーやマスコミの意見は聞いていくが、年内はこのままでいい。トルシエ(元監督)のようなわがままを言っているわけではないから」とオシム監督を擁護した。“オシムイズム”は、選手だけでなく協会内部にも変革をもたらしている。
 
 なぜ「わがまま」ではないのでしょうか・・
 オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです。
 
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29件のコメント

[C4594] >「血気盛ん側」と「計算側」

計算されていた・・というと、武蔵と小次郎のことを思い浮かべました。

血気盛んなタイプには、計算は見えないと思いました。
計算する方は、一見クールに見えて、でも、静かに熱いという感じがしました。
川渕キャプテンという人も、その計算が少しは見えているのかと思いました。
おそらくサッカー界で一番力を持つ人がオシム監督をそう見ているということに、ちょっとほっとしました。

[C4575] >「血気盛ん側」と「計算側」

サッカーの観点から、監督と選手のつながりについて考えれば、

血気盛ん⇒ネットワークされてない
計算⇒ネットワークされている

ということかと思いました。

計算するということは、上から下ではなく、横のつながりを重視するということなのだと思いました。

だから、スター選手なんか安易にいれてしまうと逆に計算がくるってくるのではないかと思いました。
なぜなら、スターだからスターなりの上位のプライドがあって、駒がスタンドプレーをしだす恐れがあるからと思います。

オシム監督は誰かの取柄とか誰かの活躍があってという概念はないかと思います。

基本は全体。もちろん監督自体も駒。駒は駒の役割を果たすのみというスタイルなのだと思います。

全体による動きを見せれば見せるほど、計算されていくのではないかと思いました。

個を重視すれば、こいつならやってくれる(だってスターなんだもん)みたいな期待のほうが増えて、血気盛んに走ってしまうのかと思いました。

また、計算をするのも、上位的思考では計算しても無駄ではないかと思いました。

[C4567] >「血気盛ん側」と「計算側」

血気盛んな人と、計算する人では、血気盛んな人のほうがうけます。
小説でも映画でも、血気盛んな側が主役になるほうが多いと思います。
 
でも、歴史上で生き残ってきたのは、計算していた人たちだと思います。
人類は計算することで、生き延びてきたのだと思います。
 
なのに、血気盛んで散っていった人達を賞賛します。
なぜ賞賛するのか・・・それはカッコよく見えるからだと思います。
 
計算して泥くさく生きる側は、どうしてもカッコよく見えません(笑)
大村益次郎が、ひとりが慌てて逃げるのは、どう見てもカッコ悪いです(笑)
 
勝負に勝つということは、カッコいいことではないです。
計算する側は、カッコなど、どーでもいいのだと思います。
 
計算するには、客観的なあらゆるデータが必要ですが、どう見られているのか?
というデータは必要ではないと思います。
 
  • 2006/09/30-12:53:52
  • 投稿者 : 福
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[C4541] 逆算の世界

血気盛んとはもう勢い任せで出るだけ出すというとめどもない感じがあります。
そのとめどもないパワーを制御しているようには思えません。

通常勢い任せの場合、結果がどうなるかあまり考えてないような気がします。
初期衝動がよければそれでよし・・・という感じでしょうか。

逆に大村氏やオシム監督は結果から逆算しているような気がします。
勝つという結果があってそこにたどり着くにはどうすればいいか・・・

多分、ここで問いが必ず発生しているはずです。
しかし「血気盛ん」には問いがない気がします。

問いが存在する時点で、勢い任せに制御がかかり、計算の世界へと踏み込む気がしました。

[C4538] >「血気盛ん側」と「計算側」

情というのは、人を大きくゆさぶります。
ゆさぶられるのも、これまた快感だったりします。
何かに酔うとか酔わされたいと、人はどこかで思っているかも知れません。
しかし・・・
計算ずくで物事が運ぶというのは、どんなに愉快なことだろうと思います。
占いがちょっと当たっただけでもものすごく嬉しかったデス・・
オシム監督のように長いスパンでものごとを思考、判断する視点を持てる人は、たくさんいるのかも知れないけれど、そういうブレない姿勢を維持できるのは、やはり何かどこか自分とは違う気がします。
けれども、そういう人の元で、何が起こるか起こっているのか、ワケわかんないまま流されていくのも、これまた快感だと知りました。
それにしても・・
10年前に読まれたユミット星人のお話のとおりに、中国調査が深まり進むにつれ、同様と言えそうな資料がそろっていったもりけんさんの胸中を想像すると・・・計算通りだった・・とニンマリされたのでしょうか・・それとも、これほどまでとは思わなかったと驚愕されたのでしょうか・・そこが知りたいものだと思いました。
  • 2006/09/29-15:19:08
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4530] 計算

オシムは全体のなかの駒として動けるような選手を指導していくことを計算し未来をそこに投影してたかのようです。ですが目標をたてて計画をたててそのとうりに実行実践したのとは違うとおもいした。試合をとうして練習をとうしていろんな仮説をとうして計算していったような気がします。オシムも問い掛け選手、コーチからあるいは練習から試合から何か答をえているようです。それが計算結果として現れているかのようです。ですから結果よりも過程をたいせつにし技術よりもチームプレーを大切にし人気よりも働き蜂になれる走れる選手を観ていたのだと感じました。
  • 2006/09/29-07:22:37
  • 投稿者 : じんのり
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[C4524]

「血気盛ん」な状態って、或る意味で一時的な「感情的な爆発」であり、衝き動かされる様な情動で自己制御できない衝動のようなものだと思います。

最初は勢いがあるのかもしれませんが、すぐにガタがきて
持続できません。

だから負けるのです。

「感情」に支配されると必ず負けます。
負けるとわかっていてどうして感情的になってしまうのか
と思います。

やはり「運命」は常に自分が勝利したいが為に、人間に
感情を植え付けたのかもしれません。




  • 2006/09/28-23:34:04
  • 投稿者 : ばなな
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[C4523] >オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです

新政府の大久保利通のような計算づくぶりに、ラストサムライではカツモトである西郷隆盛はぷっちんして薩摩に帰ってしまいました。その後、アンチ新政府の「血気盛ん」な人たちの総大将として決起し、新政府と戦いますが、薩軍の抜刀隊はスナイドル銃を装備した平民出身の新政府の兵を前に敗れてしまいます(官軍もまた獅子の時代の加藤剛が警視服姿で率いたような壮観な抜刀隊を編制していますが)。日本では今まではどちらかというとその西郷のようなタイプの監督が好まれてきたと思われますが、オシムのような大村益次郎タイプ(しかも数学専攻者)が現れ、日本サッカーは今、まさに御一新の時代です。
  • 2006/09/28-23:27:28
  • 投稿者 : おかだ
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[C4521] >計算しているから、一歩も引かないのです。

卑怯者と呼ばれても部屋から一歩も出てこなかった武蔵とそっくりです。
自分を中心にするのか、自分以外のデータを重んじるかで「わがまま」かそうではないかが違うのだと思いました。
プロスポーツの領域になると、体力や練習はどうでもいいものとまでは言いませんが、どこか天才度が高い人が勝ちと思っていました。
ジェフ千葉の選手だって天才度高いと思いますが、へし折られて「駒」化してしまってからまるで人が変わったかのような動きをしたのは、オシム氏の計算高さによるものなのだとわかっているのは、川渕氏とジェフ千葉の関係者だけなのだなと思いました。
人間は時流に流されないで生きるなんて無理だと思っていました。
しかし宮本武蔵やオシム氏はまるでその徹底した計算高さによって時流に逆らっているかのようです。e-352e-392
  • 2006/09/28-23:24:44
  • 投稿者 : イーキン
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[C4520] >「血気盛ん側」と「計算側」

感情というのは運命による演出なのではないかと思います。
血気盛んにさせる熱情も運命による演出でしょう。
その熱情に流されるのは簡単です。
運命のままですから・・
計算した結果も運命どおりかもしれませんが、計算から未来を予測してその未来に到達するのと、熱情に流されるまま未来に達するのとでは全然違うと思いました。
  • 2006/09/28-23:02:47
  • 投稿者 : くるみ
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[C4518] 血気盛んと計算の違いは

あまり疑わないで信じるか、
ぎりぎりまで疑った上で信じるか・・の違いだと思われます。
計算は、99%の精度へと向かっていくことができるでしょう。ただし、未来が現在になっていないうちは、計算が100%正しいということはありえません。
計算といえども、最後の1%は、自分の正しさを信じるしかないと思います。
一方、血気盛んは、もっと確率の低い大博打に打って出ていると思います。大博打はより大きな危険が伴います。だからこそ、危険を冒す自分に酔えるという面があります。
自己陶酔によって、危険を乗り越えるという心理が働いている場合が多いと思います。
  • 2006/09/28-21:32:18
  • 投稿者 : L.B.
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[C4517] オシム

e-345「悟るためには少眠少食にして瞑想すればよい」などという言い方があります。本に書かれていたりもします。でもオシムは、そんなことは言わない人だと思います。

オシムは、物事をやりながら考えて方法を見つける人で、だから意味のないスピーチなどはしないのだと思います。現地で練習をするのも「現地でやってみなければわからない」ことがあるからだと思います。

たぶんノウハウの伝授では、たどりつけないところにいくには、実際にやってみて、長い時間をかけて、気がついたり微調整をしていったりするしかないのだと思います。本には書いていないことがたくさんあって、それが大事なのだと思います。

なんか文字にしてみると平凡ですが、この二つのアプローチの方法を対比してみることで、オシムのひとつひとつの行動について、私の中ではなにか「ああなるほど」とつながりました。

数式のモデルだって、人が設定した係数をそのまま使っても、正しい計算ができるとはかぎりません。

「悟るためには少眠少食にして瞑想すればよい」という総論を前提にして各論におろしてきても、ほとんど役にたたないのかもしれません。これに対してオシムはいわば「各論のみ」でどこまでも行く人だと思います。総論めいたことは言わない人なのかもしれません。

やりながら役に立たない、柔(やわ)な総論を排除していくのかもしれません。

従来のサッカーの練習というと、身体や筋肉を鍛えている間は、頭はあまり働いていないイメージがありました。それでは実践ではあまり役にたたないし、身体も思うように動いてくれないのでしょう。

だからオシムはいわゆる「シュート練習」が嫌いなのでしょう。しかし、実戦形式の練習の中で相手のわずかな隙をついてミドルシュートをどうやって狙っていくかということを考えながらする練習は否定はしないのではないかと思いました。

こういうことをやっていくと、ちょっとだけ人生が楽しくなりそうです。 e-381
  • 2006/09/28-20:37:55
  • 投稿者 : ナイル
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[C4516] そういや

オシム監督って、麻雀とかむずかしいゲームが好きな人やったっけ‥。麻雀とかも誰のとこにいまどういう駒がいってるとか、全体をにらんでの計算が多そうで、本業のサッカーでもそんなふうにきっと計算できる人なんやなあ‥。すごい複雑な頭脳の持ち主かも…
  • 2006/09/28-19:13:35
  • 投稿者 : 龍(ロン)
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[C4515] 「血気盛ん側」と「計算側」

 オシムが何を根拠に計算をはじき出しているのかかんがえました。

 オシムは、選手のプレイを観戦し、自分の計算に合いそうな選手を選んでいると思います。
 自分の計算にあう駒を選ぶのは多少の失敗があるのかも知れませんが、召集しては試し、実践で使い、失敗なら次の駒を召集する、という事を繰り返すのかなと思いました。
 
 そして、それぞれの選手はクラブに戻り、言われた事を練習して、オシムの計算に合う自分になって選ばれるのを待つのみ。
こうして考えると、計算があって、選ばれるものはすべて駒のように思えてきました。

[C4514] >血気盛ん

て、行き当たりばったりで、スタンドプレーしかしないみたいや。新撰組だけいくらがんばっても、勝てるわけない。剣は個人技ぽいけど、銃はみんなで並んで一斉発射やから、駒化した感じが強い。練習すれば誰でも打てそうやし。部隊の配置だけ計算して、あとは撃ちまくらせればいいし。でも、配置した部隊がそのとおりに動かなかったら、だめやし、駒には全体が見えへんから、ちゃんと駒になっててくれないと困るんやと思う。
サッカーは人数少ないし、試合中に監督が直に支持出しするわけではないので、なんか計算で全体が動くようにできるのかというのがイメージしずらいけど、オシム監督の中には、全体が動くイメージがちゃんとあるのかもしれん‥
  • 2006/09/28-18:55:06
  • 投稿者 : 龍(ロン)
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[C4510] 勝てば官軍

オシム監督が、ジェフ千葉の監督に就任して優勝まで導いた時
選手が入れ替わったわけではありませんでした。
替わったのは、監督だけです。
今までいた選手で、優勝しました。
オシム監督がした(している)サッカーは
「走る」と「考える」です。
「体と頭をフルに使え」とゆうことだと思います。
監督の指導は、これを徹底的に出来るような選手(駒)に
してゆくことだったのだと思います。
監督は選手が味わうであろう「駒」化した時の「快感」も
計算していたと思います。
選手は「駒」と認識しているか、していないか、に関わらず
「駒」化していた(る)と、思います。
日本の国内で、優勝するチームとゆうのは・・まさに
「代替可能」なのだと思いました。
同じ日本人であり、似た性質を持ち、
サッカーが育った土壌は、さほどかわりはありません。
その中で「勝てる」かは、監督の指導にかかっているのだ
と思いました。
大村益次郎が持たせた「弾」の数は、計算によって出された
勝てる数だったと思います。
弾の数と関係なく、負けると判断した時は、戦わないのかも
しれません。
オシム監督は、日本代表と比べて、こちらの国の方が
強い、優れている・・とか、そういった判断はしていると
思います。
けれど
「勝つ」とゆうのは、また少し違う要素が含まれる・・と
思いました。
対戦カードによっては、日本が勝てるチームからあたること
だってあるはずです。
それこそ「運」なのではないかと思います。
名前の知られていない選手が起用されるのは
外国に対して「データ」がない・・とゆうことになります。
今、使っている選手は4年後、消えているかもしれません。
 
「勝てば官軍」・・
オシム監督の抱えているものは大きいと思いました。

[C4509] >「血気盛ん側」と「計算側」

「血気盛ん側」は、いつの時代にも大衆のウケがいいのではないかと思いました。
それは、その時代の大半の人が共有している価値観に基づいて、我が正義を貫くのだ、と言っているのが「血気盛ん側」たる理由だと思うからです。

一方、「計算側」には、その時点での正義はないように思いました。つまり、まわりから「アイツ、なんかおかしなことやってるぞ。やっぱ変人だな。」といったことを裏でおもてで言われてしまっている状態です。

だからこそ、「計算側」にはまず勝利が必要なんだと思います。「血気盛ん側」の応援団にまず、「あれっ、もしかするとあの変人がやってることは間違ってないかも・・」と思ってもらう必要があるからです。そうすれば、大衆の流れは一気に「計算側」に傾くと思います。歴代の大名が寝返ったように。

そういう意味では、もう川淵キャプテンは、オシムの計算の勝利を目の当たりにしたんだと思います。
だから、「計算側」に寝返ったんだと思います(笑)
  • 2006/09/28-12:58:28
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4507] テクノン

ピンチのとき経営者にやる気を見せると満足さるることがあるがそのやる気と結果を問われることはない。オシムの奇策は思い付きではないだろう。わがままとは思い付きだしエゴ的と思う。オシムの計算は建物を設計してる感じかも。監督としての成績を計算する感じなら協会はだまってない。まだ見えないからそのままにする
  • 2006/09/28-12:38:41
  • 投稿者 : やる気と勝利は無関係
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[C4505] >官軍とて最初、勝たないとイケナイ

「血気盛ん側」は勝つためではあるけれども、とりあえず勢いで行く・・。
「計算側」は勝つための計算であり最初は必ず勝たなければ
イケナイ・・。
芯の部分で「勝つ」ということに対しての意気込み、思いが、
見た目には「血気盛ん側」の方があるように見えて、
実は比較にならないほど「計算側」の方が強いのではないかと
思いました。
計算に基づいて出てくる要望は決して「わがまま」には
ならないんだと思います。
  • 2006/09/28-12:11:41
  • 投稿者 : まる
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[C4504] >「血気盛ん側」と「計算側」

計算を実行に移す時には、計算を疑って判断をフラつかせてはいけないんだと思いました。
計算通りに実行しなかったら、計算する意味が無くなってしまいます。
計算外のことが起きれば新たに対処法を考えなければならないですが、その事と計算を疑って違う指示を出す事は全く違うんだと思いました。
 
でも計算通りに実行するということを貫き通すのは、簡単じゃないどころか凄く難しいと思います。少しでも気持ちがブレたら崩れてしまいそうです。
だから計算は大まかとか適当にするわけにはいかなくて、徹底した調査や分析が必要になるのだと思いました。
 
> ここで俊輔や松井を入れれば、幕府軍になりくだると思います。
 
オシム監督は自分で計算式を作り出しているように思います。
式を作るのに必要な材料も自分で決めて選ぶのだと思います。
 
でもメディアがやっていることは、オシム監督に、自分達が提供する材料で式を作れということなんだと思います。自分達が選んだ材料は必ず入れて、さらに最高の式を作れと言っていることになるのだと思います。
 
オシム監督に必要だから選ぼうとしている材料に待ったをかけて、それでいて最高のものを作れというのは無理な話しだと思いました。
  • 2006/09/28-11:24:41
  • 投稿者 : ぷく
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[C4503] >「血気盛ん側」と「計算側」

川淵キャプテンはオシム監督のジェフ時代の実績を買っているのだと思います。「官軍とて、最初は勝たないとイケナイ」とはそういうことだと思います。
中村や松井を呼ばないで、しかも若手に期待しているわけでもない、これは、もはやそういった誰々に頼ったサッカーをしてはいない、ということだと思います。個でなく全体なのです。全体の中で駒と化した個がどれだけ繋がってボールを回していけるか、そのためにどれだけ走り続けられるか、なのだと思います。
確かに、プッチンすると崩壊するような脆さがありません。全ての駒がいい状態でチーム全体を支えているかだと思います。なんか、異常に強いチームになりそうです。
計算するオシム監督に、将棋や囲碁の世界が重なります。すごい読みだと思います。
  • 2006/09/28-11:14:24
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4502] >「血気盛ん側」と「計算側」

 ジェフの結果の再現をオシムも川渕キャプテンも計算しているのではないかと思いました。ジェフでの手法を代表に取り入れること組織的なサッカーが代表チームの中で円滑に行える環境が整うのを計算しているような気がします。そうなったとき欧州組が入ったとしても駒としてプレーせざるえない状況になっているような気がしました。 
 大村が長州で西洋兵学で軍制改革をして結果をだして民兵組織の有用性をときました。奇兵隊を作った高杉進作は、死ぬ間際に軍の統率者の後継に大村をあげました。民兵組織ってめちゃくちゃ代替可能な戦闘集団だったと思います。それは未分社会のもと武士の精神性が横行していた時代に、農民でも集団戦を計算通りに行えば武士(幕府軍)に勝てるというとてつもない計算による方法論の変革であったと思います。オシムイズムと大村益次郎ともに勝つシステムという全体の空間をみていたような奇がしました。
  • 2006/09/28-10:36:13
  • 投稿者 : yk
  • URL
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[C4501] >「血気盛ん側」と「計算側」

何かに賭けるとか、誰かに期待するというのは個人という部分に頼ってる感じがします。それに対し、計算というのは、人だけでなく、空間的環境とか時間とか身の周り全てを頭の中に入れて、出してるもののように思います.それには選手に与える心理状態も入っていると思います。その場合、優秀な個も駒の1つになるという事だと思います.前者は個だけが拡大された感じです。大抵は前者かと思いますし、その視点で外側から見た時、オシムのやり方というのは理解不能でただのわがままと映ってしまう事もあるのかもしれないと思います。いろいろな事を計算してというのではちょっと武蔵を思い出しました。。

[C4500] >「血気盛ん側」と「計算側」

スター選手だから血気盛んにプレーするであろうとの期待は、どこから生まれるかと考えました。
こう言っては何ですが、見栄え(実積)ではないかと思いました。
これは「今現在の実績だけがすべて」の価値観で固まっている状態なのだと思います。
前監督は見栄え(実績)をもととして、「次の試合は誰と誰を選抜して」と、こねくりまわして考えたのではないかと思ってしまいました。
「計算」がないと、こねくりまわして考えるしかないと思います。

そして「計算」は大きな枠で「場」を作り出すイメージを抱きます。

脱線しそうですが、川淵キャプテンはワールドカップ終了後の記者会見で、後任監督はオシムということを、うっかり発言してしまいました。
直感的にオシムの何たるかを分かっていたので、頭の中はオシムでいっぱいだったのかも知れません。

[C4499]

>ぬら~(´Д`)
  
↑バカウケしました。どうもこういう勢いだけのものって弱いです。笑わされてしまいます…がそう言う事だったのかと思いました。人は理解を超えて無茶苦茶なものとか、熱いもの、血気盛んなものに弱いのだと思いました(笑)オシムは計算も素晴らしいですが。ここぞというときの感情的さもスゴいんだろうなと思いました。どえりゃぁあぁぁ~みたいなフィールドちゃぶ台返し!(意味不明)みたいなカンジでフィールドで吼えて怒ってるんじゃないかと思いました。
なんていうかチームは戦場だと思いました。川淵キャプテンは怒濤のオシムジャパンを見ちゃったんじゃないかという気がしました。冷静な戦略の上で地鳴りのように吼える戦士を。これは地から湧いてくるだろうと思いました。そして…くるんじゃないかという気がします。スターは目じゃないんじゃないかなと思います。スターが吼えても軍団の咆哮にはかき消されるだろう。
しかしむやみやたらに吼えても、観客は萌えません。。吼えたいのは自分だから。観客が吼えるのは…ゴールに絶妙プレイだな。となるとやっぱ見通しがいる訳で…オシムが勝敗を冷静に見てこそだなと思いました。
意識と無意識って何なんだろうかと思いました。一人の人の中にもあり、役割分けして(監督とチーム)とかでせめぎあう事もあり…オシムの計算をを時空の計算だと思うとチームは運命をはしる駒であり…。しかし、自分の意識ってどうなんだろう、無意識が燃え上がるのをジャマしちゃうんだろうか、他の人用なのか…意識は個なのか、考えるところです。(でも考えても出ないから、もりけんさんはデータさがしに行くのかとも思ったりしました)

[C4498] オシムはメディアからバッシング

マスコミはスターを求めます。
一般人はスターがいたほうが盛り上がるからです。
いまのところはサッカー通には受けがいいようですが、
サッカーのことがよくわからない一般人は、スターをサッカーの象徴とみなして、
応援するからでしょう。

オシムがスターシステムをとらない以上、勝たないと官軍になれません。
いまのところ、チーム作りをしている段階で、勝っているのではないようです。
マスコミもガマンしているのでしょうが、早めに勝ちが多い段階に至らないと、
シビレを切らしたマスコミがメチャクチャ叩き始めるかもしれません。

どうなるでしょうか。
  • 2006/09/28-07:48:56
  • 投稿者 : 十四郎
  • URL
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[C4496] >「血気盛ん側」と「計算側」

>オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです。


「血気盛ん側」というのは、感情だけで突っ走っている状態だと思いました。
そして、とにかく勝ちたい。
とにかく、ゴールしたいのだと。

しかし、「計算側」は、理性・・
なのだと思いました。

オシム監督は数学にたけており
しかも結果を出しています。
なので、川淵キャプテンの擁護を受けている。

これまでサッカーに全く興味のなかった私も、
オシム監督になってから、
興味を持ちました。

それは、オシム監督が、数学に長けていると知ったからです。

計算とサッカーのコラボレーションが面白いです。


 
  • 2006/09/28-04:36:01
  • 投稿者 : あかり
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[C4495] >オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです。


なんとなく、卦を読んで計算して
その結果が見える(読める)。
ということに似ているかもしれない思いました。v-151

中身や内容が決まれば
結果は自動的に決まるということなのかと思いましたが

そこまでだと
>実績を元に投入した選手たちが、
>あとは内面の強さを発揮して、
>血気盛んにゴールするのを期待

になることもありそうだと思いました。
期待と計算。

計算って、「どうなるかの計算」だと思いました。

「どうなるかの計算」をした結果、
今どうするかを決めているのかもしれないと思いました。

「血気盛ん系」はどうなるか(未来は)わからない(読めない)けど
今どうするかに賭けて、未来に期待。
なのもしれないと思いました。

負けてもいい・・
というのはどうなるかの計算結果が
負ける結果になるかもしれない
と計算した結果で、そういう一面からも出て来た言葉かもしれないと思いました。

「血気盛ん」は世コウから見た卦で
「計算側」は卦(現状とそのゆくえ全体)から見た各パーツ(各人との相互関係)というイメージがしました。v-239

[C4493] オシムは、自分の計算結果が正しいという仮説を持っているだけなのです

オシム監督は。。。もっと広い意味で出来れば。。サッカー人気を高めたかったのかもしれないとおもいました。。。スター選手以外の選手にチャンスが広がり。。。Jリーグ人気にも。。もっと。。火がつくのを望んでいるのかもと。。。おもいました。。。
  • 2006/09/28-00:36:55
  • 投稿者 : バニー
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この本は、読んでいただけるだけで嬉しいです。
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不思議なことに興味がある方、不思議なことを解明したい方、または新しい生き方を見つけたい方のためのものです。
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