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-件のコメント

[C4621]

私は「ラストサムライ」を観たときに、かなり幕府軍のサムライに感情移入していました。

「パーフェクト」とつぶやいて息絶えた渡辺兼扮するサムライを美しいと思い、連射銃を射ちまくる官軍を卑怯だと思ったし、どこまでも生き延びるドムクルーズを醜いと思いました。

でも今思うと、それを美しいと思ったのは、渡辺兼が生き残らないで自決みたいな形で死んでいったからだと思いました。散るゆく存在に憐れみを感じることもあるでしょう。とくに日本人はすぐに散る桜が好きだし。

個人的レベルでは、、死に行くことは美しいのかもしれないが、日本国全体のことを考えると、恥をさらしてでも
生き残って、西洋の列強国から人民を守ることもサムライとしての義務ではなかったかと。サムライが死んでしまったら、後の残された人民はどうなるのかと。

カッコよく散るだけがサムライではないと思います。
黒澤明監督が描いた七人の侍のサムライのほうがサムライのイメージかもしれません。





  • 2006/10/01-22:50:04
  • 投稿者 : ばなな
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[C4620] >サムライ

レベルダウンというのはゼロが起点とするのなら、マイナスに位置づけられてしまいますが、これは間違った解釈ではないかと今回のブログで感じました。
レベルダウンというのは、本来あるべき姿に戻すということなのかと感じました。
その本来あるべき姿というのは、個の中で目立つものは何もない。基本は対等な駒であるということなのではないかと思いました。
つまり、レベルダウン化こそ、真の強さが発揮されるものなのかと感じました。
やっぱり、自分を飾る意味や価値などどこ吹く風なのだと実感します。
風に吹かれる草でいいのだと感じます。

[C4604] サムライ

日本人は真似ることがとくいでよく個性がないといいます。農耕型で狩猟型ではありません。そのうえ単一民族です。オシムは、サッカーに日本人らしさを全体の中で引き出そうとしたヒーローを作るのではなく代替可能な駒として走れる選手を。サムライといえばカッコイイとか骨のあるような姿を浮かべます。しかし、本当のサムライは百姓のようなのかもしれないとおもいました。そんな気がしました。
  • 2006/10/01-13:34:53
  • 投稿者 : じんのり
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[C4601] >大村率いる官軍が勝たなかったら、日本は西洋の植民地になっていたかも知れません。

植民地とはいえないまでも近いものになっていたかもと考え込んでしまいました。

世襲制で15代も続けば政権末期の徳川幕府なんて平和ぼけで腐りきっていたと思います。時代劇でしか良く知らないのですが、「生類憐みの令(げっパソコンでも一発変換ででてくる(汗)」)とか「おーおく」とか勘弁してくれよってかんじです...。

「ますじい」みょうに気になります。

私は消費税を25%に上げて相続税も最大80%(?)に増税するべきだと思っています。しろうとの目から見ても、国の借金である国債を含む日本の現在の財政の状況はどう考えてもおかしいし、政府部門にかかわる富の配分もちょっとへんだと思うからです。

しかし、このようにすればかつてのイギリスのように金持ちはみんなアメリカやオーストラリアに脱出するかもしれません。でも私は日本は「二軍」だけでやっていけると思っています。それこそ日本に「ファンタジスタ」はいりません。

「ますじい」軍は幕府に何の権威も感じていなかったからこそ銃などという「野蛮」な武器を「将軍様」にむけることができたのかもしれません。いや、あのバカな幕府にまかせておいたら、本当に日本は植民地になってしまうという危機感もあったというのが大きな理由かもしれません。

「権威」ってなんだろうなという疑問がわきました...。
  • 2006/10/01-11:15:42
  • 投稿者 : ナイル
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[C4595] >サムライ

文章から拝見すると、大村率いる官軍はなんだか見た目にかっこ悪い感じがします。
でも最後は勝つ・・。

ヒーローはヒーローでしかなく、その人だけで終わってしまうような感じです。
本人の自己満足、周りはそこに美しさや夢を見る・・ただそれだけ。
そこには「今を生きる」という感じがありません。

本当のサムライは、自分をレベルダウンして、駒となることなのかと思いました。
日本人はアメリカなどに比べ、個性がないとか、自己主張がヘタだとかいわれることが多いと思います。
もちろんそれをよくないこととして。
でも、オシム監督は日本人のそういう面をいいこととしてとらえたのかと思いました。
駒となれる人が多いと思ったのではないかと思いました。

[C4582] >サムライ

私は大村大臣の、カツモトやオルグレン大尉の一勢が差し迫った時の「う、撃てええええ・汗汗汗~」と焦りまくった時の表情が好きです。大村大臣の軍服姿もカツモトに捕らえられて切腹したハセガワ大将やアメリカ人の大佐、そしてオルグレンの凛々しい軍服姿と比べてすごく胡散臭いです。消防出初式で町長が消防官の制服を着用している姿に通じるものがあります(笑)。映画の中で大村はちっとも格好良く描かれていません。勇敢なサムライらを全滅に追い込んだ食えない野郎、自分が窮地に追い込まれてピンチで新式銃をぶっ放したヒール役として描かれています。しかし、あの明治の胡散臭い軍服姿の人たちの奮闘によって明治維新はうまくいきました。西郷についていった人たちのナルシズム的な武士道の美学からしたら、実際にあの当時の日本にいそうな大村大臣のような胡散臭い軍服姿は許せないと思います(笑)。しかし列強から明治の日本を救ったのはあの胡散臭い軍服姿の連中だったのです。似合わない西洋式軍服を着た当時の日本人、敢えて伝統的な兜を脱いで胡散臭い軍服姿となった維新後のサムライたち、あなたがたの子孫は体格が良くなり、背丈もかなり伸びまして随分西洋の服が似合うようになりましたよ。
  • 2006/09/30-22:34:46
  • 投稿者 : おかだ
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[C4579] サムライ

オシムは日本に合うサッカーをするといいました。

これまでの話で、彼はとても、日本の事を知っているという事だと思います。

日本人でも気づかない、日本人らしいサッカーをしようとしているオシムは日本を外側から見ているから、気づくことが出来たのではないかと思いました。

[C4570] >だからオシムは日本に来たのではないでしょうか・・。

「ラストサムライ」を見ながら、侍の方に感情移入して、大村はかっこ悪い、と思っていました。
サムライはかっこよくて、美しい、、、
美しくて、負ける側でした。
サムライが勝っていたら、日本は西洋の植民地になるといわれて、いわれてみれば確かにそうだと思いました。
大村が、西洋に対抗できる日本をつくったのだと思いました。

 >だからオシムは日本に来たのではないでしょうか・・。
 
オシムは日本に来た、ということは、サッカーでもそれが出来るということなのかと、思いました。
オシムが、そんなことをわかっていないはずはないと思いました。
旧ユーゴ以来、これまで、ヨーロッパでもどこでも代表監督を引き受けなかったオシムが日本代表監督を引き受けるとき、そこに日本以外にない可能性があったから引き受けたのだと思いました。
  • 2006/09/30-17:06:04
  • 投稿者 : ワヲン
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[C4568] >サムライ

サムライは1対1で戦って華々しく散る・・・そこに西洋人は惚れたのだと思います。
 
西洋人には、サムライは美しいものであって欲しいようです。。

西洋人の考える、サムライは、個と個のぶつかりあいです。
でも、本当の戦は何でもありです。
 
ありとあらゆるものを使って、戦っていたと思います。
そして、そこに、個が入り込む余地はなかったと思います。

本当のサムライの世界は、没個の世界で、華々しさとは無縁の世界だったのだと思います。
 
  • 2006/09/30-12:55:09
  • 投稿者 : 福
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[C4552] >サムライ

私にとってサムライのイメージとは神風特攻隊や人間魚雷です。
そこには計算はなかったかもしれませんが、ヒーローも存在しません。
全体の中で生き、全体の中で死んでいくのがサムライだと思います。
「ラストサムライ」はあまりに美化しすぎていて西洋的だなと感じます。
神風特攻隊や人間魚雷は死に向かっていたので、爽快感とは無縁ですが、でも、あそこまで捨て身で駒になれる資質というのは日本人特有のものかもしれないと思います。
そこにプラス緻密な計算が加われば、無敵なのではないかと思いました。
  • 2006/09/30-03:11:47
  • 投稿者 : くるみ
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[C4549] >サムライ

江戸時代のいつだったか忘れましたが、ある一人の農民が年貢を納めることができないと、
おなじ村の他の農家が連帯責任を取ってカバーしなければいけないという制度があったと
思います。
一人の人間の責任ではなく、全体で責任を取らせるとはまさに「駒」として扱われていた
と思います。
西欧人は狩猟民族、日本人は農耕民族と俗によく言われていることで、実際そうですが、
狩で大きな鹿とかをしとめたら、「どうだぁ~、見てくれ!、俺ってスゴイだろう」と自己
主張するチャンスはありそうですが、“米”作りにそんなものはありません、誰が作っても
同じただの作物ですから(汗)。
何百年も昔の民族の歴史と、その国に生きる個人の命式(運命)はどう関わっていくのか、
なぜか無関係ではないとも思いますが、最近のオリンピックの日本の代表選手がアメリカ
人の真似してガッツポーズして弾けるものいいかもしれませんが、駒として淡々とやって
いる方が素質に合っているのかなと思いました。
惣流・アスカみたいに「わたしを見て!!」という生き方よりも、駒だからいてもいなく
ても同じだもんねぇ~と生きる方がなぜが幸せ度が高いような(笑)、それは余計な鎧を背
負わなくて済む軽さから来ているのかもしれないと思いました。v-86e-496
  • 2006/09/29-21:59:14
  • 投稿者 : イーキン
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[C4548] 字大きくしてくれてありがとう

字大きくしてくれてありがとうございます。
私の字 小さくてすみません。

[C4547] 人間を駒にする「西洋式」というと

規格化とか、大量生産とか、集中管理システムなどを連想します。
たとえばフォード型の大量生産方式の場合、工場でロボットのように単純作を繰り返す労働者と、まったく同じ型のクルマに乗る大勢の消費者という無数の没個性な駒を生み出す一方で、ヘンリー・フォードという一人の巨人を生み出しています。
PCの世界も同じです。同じウインドウズを使う無数の駒が生まれる一方で、ビルゲイツという時代のヒーローが生まれました。
一人の英雄と無数の駒を生み出すのが、西洋式であり、とりわけ、その中でも、アメリカンドリームと言われているシステムだと思います。
西洋式のヒーローは、いわば宝くじの当選者みたいなもので、みんながヒーローになりたいという願望を抱いてくじを買い続けた結果として、たった一人の当選者と、無数の駒が同時に生まれていると思います。
スクリーンに映る渡辺謙は、いわばヒーローの影というか、無数の宝くじ購入者たちが、くじの向こう側に夢見ている札束の影みたいなものではないでしょうか。
しかし、もしも、人々がヒーローに当選しようという気がなくなってしまえば、だれもくじを買わなくなるでしょう。
そのとき、当選者はいなくなってしまいます。
オシムのサッカーは、みんながヒーローを目指す結果として生まれてくる駒ではなくて、最初からヒーローを目指さしていない状態としての駒のサッカーのような感じがします。
  • 2006/09/29-21:50:56
  • 投稿者 : L.B.
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[C4546] 私も感謝です

開いてビックリ、うわぁ~嬉しい!とても見やすいです。老眼が進んで、とても辛かったデスので、助かります~。
  • 2006/09/29-21:42:25
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4545] 感謝

文字の大きさを変えられるようにしてくださったんですね。
ありがとうございます。

私ではないですが、この夜間バージョン(?)の文字が小さくて
みづらいのでなんとかお願いします、という方がいました。
この夜間バージョンは表示をいじっても文字の大きさが変わらず、
私も苦労してみていました。

そのとき、もりけんさんが私は見えます、などと言って笑っていたので、
もりけんさんってSなのか、あるいは女性部分のりんごさんが現れてるのか、
と恐怖を覚えたものです。
ア、失礼しました。
ブログの内容についてのことではないことを書き込んで、
すみません。

これからも楽しく拝見させていただきます。
では。
  • 2006/09/29-21:21:05
  • 投稿者 : 十四郎
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[C4544] >日本文化らしいのは、三島よりも川端なのではないかもしれないと思います...。

(訂正)日本文化らしいのは、三島よりも川端なのではないかと思います...。

読み返してみて、シンクロでプールに飛び込む前にすべってしまったようなかんじがしたので(汗)、やっぱり訂正を入れさせていただきます。

  • 2006/09/29-20:40:53
  • 投稿者 : ナイル
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[C4543] 「美しい日本の私」 川端康成 (講談社現代新書)

という本があります。

私は高校生のころから、日本文化の美しさといえば三島由紀夫だろうと思ってきました。しかし最近、日本文化という観点からのみみれば、やはり大多数の日本人にとって、日本文化らしいのは、三島よりも川端なのではないかもしれないと思います...。

三島文学は華麗な美しさに満ちているけれども観念的であるという意味で「個」を主張しているのに対して、川端文学は古きよき、滅び行く日本文化を、なめらかに静かに描写していきます。そこには「個」や個人の観念の世界が展開されるというよりも、日本の自然に投影された、日本人の心のふるさとに静かに読む人を導いていきます。

私は武蔵シリーズのときもブログにコメントを投稿してきましたが、武蔵シリーズのときはわからないことが多すぎて投稿していてかなり自分で苦しかったです。オシムシリーズは武蔵のときよりはサッカーという興味深い題材の助けもあり考えるのは楽だったのですが、最近、武蔵シリーズでもオシムシリーズでも、題材こそ違え、言っていることはあまりかけはなれてはいないのではないかという気になってきました。

オシムは数学が得意だということをこのブログに誰かが書き込んだコメントを読んでいて知りました。数学者や科学者は特異点を嫌うのだと思います。特異点や誤差があるかぎり、そこには自分が今手元に持っているモデルを覆す何かがあるのです。あるいは、それは宇宙を貫く法則へのアプローチを阻害する要因と感じられていらいらするのかもしれません。

ひとりの人間の「個性」などに邪魔されなければ、日本文化の本質に近づくことが出来る...。そういう意味では川端康成の小説に出てくる登場人物はすべて「駒」の操り人形であり、川端は日本文化そのものを主人公にすえて日本文化をその筆で捉えることに成功しているのかもしれません。日本文化そのものが放つ光は、三島由紀夫の小説、例えば「禁色」や「金閣寺」にでてくる個性豊かな登場人物が存在すれば、かすんでしまうくらいの微弱な光なのかもしれません。

「日本文化」や、(フアンタジスタではなく)サッカーそのものや、宇宙を貫く法則を狙おうとすれば、良い意味でも悪い意味でも「はなはだしきもの」を排除し、リスク・ニュートラルを狙っていく、ということになるのかもしれません。

オシムのやろうとしているサッカーは、「背景としてのサッカー」という言い方もできるかもしれないと思いました。i-259
  • 2006/09/29-20:26:18
  • 投稿者 : ナイル
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[C4542] 博物館行き

>大村率いる官軍が勝たなかったら、日本は西洋の植民地になっていたかも知れません。

後でじわじわ来たのですが、もし官軍が勝たなかったら植民地にされて日本は博物館か美術館と化したかもしれません。
西洋人が失い憧れた個性という美しさを保存されたかもしれません。

サムライは生き方の一つのお手本になったりします。
それは美しさがあるからだと思います。

しかしその美しさごっこにオシムは生を見出せなかったから日本に来たような気になりました。
今までのオシムの取り組み方を見ると、そんな博物館にあるような美しさをバッサリ切っているからです。

以前英雄についての言葉がありましたが、あれも美しさというサムライに対するアンチな気がしました。

[C4540] >非サムライ人

ここでもレベルダウンを感じました。ほんとうのサムライになれるからこそ非サムライ人になれる。。。西洋人が西洋式を嫌いだ。なんか不思議です。西洋人は個が大好き、サムライを美化しちゃってる。でもほんとのサムライはそんなんじゃない。それを知っているのが日本人という民族。。。確かに、西洋人がサ~ムラ~イ!イェイ!とか言うとき、なんか違うな。と感じていました。サムライはヒーローなんかじゃない!そう感じます。なんか目立ったりしなくて、影でバッサバッサ人を斬ってそう。そして人知れず泣いてそう。顔なんて隠して見せなさそう。そしてぶるぶる震えてそう。あ、テロとかの人に似てそう…。実行犯。実行出来なかったら殺されてもかまわなそう。へまとかもいっぱいしそう。。サムライってヒーローじゃない。そう感じました。
  • 2006/09/29-18:11:52
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4539] >サムライ

西洋人が、惚れたサムライの正反対として表現したのが、官軍の「黒系の上下ピッチリした服」で、それは創作ではなく事実だろうから間違ってはいないと思います。個性のかけらもないというのも間違っていないのだと思います。
 
でも。。。はんにゃ面で見事な太刀さばきをするような華麗なサムライ軍団はいなかったと思います。
 
時代劇にはヒーローは登場しますが、刀は数人斬ったらもう斬れなくなると聞いたことがあるし、集団に一気に斬りつけられたら、華麗な技にこだわるヒーローはひとたまりもなかっただろうと思います。
それに殆どのサムライは、何もかもが規律で縛られたサラリーマンだったと思います。
 
西洋式が取り入れられ、本当のサムライ化をしていくかもしれない日本と、西洋式を嫌い、日本のサムライに個を見出して益々西洋化していくかもしれない西洋。。。
 
なにかお互いが逆をやっているように見えるのに、そうはなっていないみたいです。
不思議な感覚はありますが、でも日本人に駒の要素があるのは、昔から変わっていないのかもしれないと思いました。
 
西洋式は人や物を駒化するから、西洋もそのままいけば駒化が進んだのかもしれないと思いましたが、当の西洋人は駒化が嫌で個でいきたいのだとしたら、自分達の作り出した西洋式に自分達が呑み込まれていくことに恐怖を覚えたのかもしれないと思いました。
 
でも日本は、日本式でも西洋式でも、どちらも駒であることは変わりなくて、だから西洋式もスンナリ取り入れたのかもしれないと思いました。
  • 2006/09/29-17:41:48
  • 投稿者 : ぷく
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[C4537] >サムライ

武士は食わねど高楊枝といいますが、もりけんさんが構想されているのは、そういう誇りと美学のために死を選ぶサムライではなくて、百姓ザムライなのだと思います。
もうカッコなんかつけてないで、そのへんにあるもの何でも武器にすべく握りしめて、いざというとき破れかぶれで敵に向かっていくようなサムライです。
もう・・・
ユミット星人も信じられるし、地球がユミット星と全く同じ運命システムにのっとっているようだとも、もりけんさんの調査が語っていると思います。
もりけんさんが握られる「勝ち」の意味は、どこまでも深いことに気づき始めたところです。
だから、オシム監督周辺など、シンクロニシティが起こっているのだとも思います。
たいへんだ・・・
  • 2006/09/29-15:09:59
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4536] >本当の意味で「サムライ」

勝たなければ命がない・・勝つために徐々に研ぎ澄まされていく。
それはありがちなヒーロー像ではなく、ヒーローとは
程遠いものなんだと思います。
自分の気配は消す、鳥の声を聞け、自然とひとつになる・・。
映画なら目立たない存在として登場しそうです。
決してスターではない・・。
でもそれは「個」のない駒化している状態なんだと
思います。
  • 2006/09/29-14:04:52
  • 投稿者 : まる
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[C4535] >本当のサムライ

人間の意識は発信することばかりに使われているんやないかと思う。発信=アピール でも、本当のサムライは、主人の命令には逆らえんし、主人の意向を受信して働かないとならない。主命で切腹だってするから、命までかけてるし。受信命かも。ほんとに駒化するのは、受信が正確にできさえすればいいのかも。
  • 2006/09/29-12:05:30
  • 投稿者 : 龍(ロン)
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[C4534] >サムライ

本当のサムライ・・

斬らなければ、斬られる
勝たなければ、明日はない

オシムや大村を見ていてそのように感じました。
大事なものを守るためには、斬るものは斬らざるを得ない。それが本当のサムライのように思いました。
そこには芸の入る余地がないように感じます。
  • 2006/09/29-11:05:00
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4533] >サムライ

>オシムはピッチから「サムライ」を排除します。

西洋人が「サムライ」に惚れるのは、「個」を絶対視する歴史の中に生きてきたからなのだと思います。
これって、つまるところ孤独に行き着くのではないかと思います。
「ヒーロー」を願望するのは、見方を変えると「自分は他人とは別の人間なのだ」の裏返しのようにも思います。
「ヒーロー」に自分を映し出しているとも言えそうだからです。
ひらたく言えば、自分勝手です。
オシムは、このことを叩き潰すことから始めているのだと思いました。

>彼が遂行するのは、「西洋式」です。

一見矛盾する、この言葉の中にオシムの真骨頂を見る思いがします。
選手は他に要求することがどこにもなくなった状態で、ひたすら外側に反応し続けるプレーをしているのだと思いました。

[C4532] サムライ

日本と西洋の違いを考えました。日本は陰を知ってるんだ、と思いました。陰は、見えない・弱い・かっこ悪い・従う・・・そういった状態が伴うことを受け入れていると思います。陽で生きるのは、見えていて、光が当たっていて、強くて、かっこよくて、支配的な要素を含んでいるのだと思います。
日本は制服の国というイメージが私にはあります。制服は、没個性です。みんな同じに見えます。個よりも和を大事にします。個よりも全体の調和を重んじます。
アメリカなどは、個性の国というイメージです。自分らしさで勝ち抜いたならあなたでも勝利者になれます、というイメージです。
侍は、実は生死のかかった瀬戸際でいきている人です。明日死ぬかもしれぬ人生です。本当の侍はだからかっこつけてる場合じゃあないはずです。歴史にヒーローとして残る人物は、大方かっこいいし、潔いし、凄腕だし、ハンサムだし(?)、美しい生き様に写ります。でも、実際は大村のような、根っからの人間的(?)な人もいたのだな、と思います。この人の在り方は、生きることに忠実だと思います。根逃げる卑怯な行為は、生きるため。かっこつけてないです。華麗な芸で身を守ったのではなく、実利の大きい銃です。勝って生き残るのに、意地や見得は持たない人なのだと思います。必要なのは計算です。そして、勝ちます。
オシムにとっては、ピッチは戦場にのぞんだ侍と同じで、とにかく勝つことに忠実なのだと思います。そのためには、余計なものは全て排除したのだと思います。計算した勝利は、ヒーローにゆだねられた不安定なものでなく、走る駒と化した全選手に確実に託されたのだと思います。
  • 2006/09/29-08:27:38
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4531] >サムライ

 元来、日本に在った「恥の文化」は武士的な発想に負うよなところがあります。「武門の意地」とか「刀にかけても」とか・・そして「恥を知れ」です。 
 そこには、個のプライドがとても垣間見得ます、面子の為に何かに縛られている感じがします。それゆえの美のような気がします。しかし、それは、戦の首謀者達の視点である「サムライ」のような気がします。 
 ほとんどの兵は、いわゆる兵隊です。現場で生死をさまよいます。そこに、恥もへったくれも、無いような気がします。「生きたい」から殺すにつきるように思えます。でも、彼らにそれを、具体化させたのが、西洋式だったように思います。格好良くではなく格好悪くても勝って生き延びるその方法が西洋式だった気がしました。 
 官軍が負けたら、下関あたりのどこか島が第二の香港になっていたと思います。
  • 2006/09/29-07:43:19
  • 投稿者 : yk
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[C4529] >サムライ

今日はまだ眠くなかったので、また、読んでみたら少し文章が前より入ってきました。。
「ラストサムライ」を作った西洋人にとって、サムライは憧れであり、スターだったのだろうと思います。それに対し、ここでいう「西洋式」というのは実質的とかそういう意味ではないかと思いました。
本当のサムライは美しいとか華麗とかそういうものとは対極にいるのではないかと思います。今日(昨日)紹介されていたGKの人とか思い出したりします。

[C4528]

>大村率いる官軍が勝たなかったら、日本は西洋の植民地になっていたかも知れません。
 
なんかグ~~~~ッとくる一文でした。西洋からどう描かれようが…どんな手でも勝たなくてはならなかったのです。そうしなくては明日がなかったのです。皆が布団からのんびり起きる朝はこなかったのです。植民地になっていたら生活は一変したと思います。そうなれば…どうなるか全くわからない。
 
オシムも勝たなくてはプロとしての明日がないって思いながら鬼ってるのかもと思いました。
 
サムライ…サムライは芸術ではないのだと思いました。サムライはいざって時、自分も他人も明日の日が見られるように、必死で戦ったのだと思います。主君のためといいながら…大村のように見通す目もなかったろうけど、どっかもっと大きなもの(大局)を感じて駒になってたと思います。言葉にはならなかったろうけど。そうでなきゃ命かけられるかなと思います。駒でいるって…時空を感じてるからなんじゃないかと思えてきました。誰かのしたでなく上でなく、なにか あがらいがたいものに対峙した人のそのままの姿なのかと思いました。
e-362

[C4527] >サムライ

今日はノーコメントです。なぜなら、全然わからないからです。まず、サムライというイメージもどういうものと捉えたらいいのかわからないのです。映画も見てないです.歴史的な事柄も全く覚えていません。と言うわけで、なんか全然わからないのです。

[C4526] サムライ

本当のサムライ・・ 
こないだの「働き蜂」が頭に浮かびます。
日本のお父さんのイメージです。家族の為に
必死で働く姿も浮かびます。でも、今そうゆう人
いるかな・・と思います。
皆(私も含む)個の利益を守る為に頑張っている
気がします。
駒になるって、自分を捨てているところがあると思います。
チームとか、全体の勝利をいちばんに願っている気がする。
オシム監督は、日本人のこういった性質が好きなのではないか
と思います。
今までダサイと思われていたものがひっくり変えるかも
しれません。これでよかったんだ、と見直されるものも
あるかもしれないと思います。
でもそれはずっと変わらず、性質としてあり続けたのでは
ないかと思います。
e-244


[C4525] >サムライ

>しかし、日本人は世界中で最も「非サムライ人」になれる民族ではないか・・とも思っています。それは本当の意味で「サムライ」になれるからだとも思います。本当のサムライは、「ラストサムライ」で描かれるような、美しい侍ではないと思うからです。


本当のサムライ・・っていうのは、
個をなくした駒だと思いました。。
メイドさんのようです。。

オシム監督は、はるばる日本にやってきて、監督になりました。
そして、魚を自らさばいて食べます。
いったいなぜなのだろう。。
と思ったのですが、
そういう日本に惚れたのかなと思いました。



 
  • 2006/09/29-00:29:16
  • 投稿者 : あかり
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サムライ


 きょうも本の抜粋はありません。
 
 映画「ラストサムライ」では、サムライ側(幕府側)を美しく描いていました。
 はんにゃの面を被り、馬で疾走してくる幕府軍のサムライ達を見て、官軍は逃げ出します。
 
 ことあるごとにそういうシーンが繰り返されます。
 西洋人が「サムライ」に惚れたからです。
 
 逃げる官軍は、はんにゃの面も被らず、黒系の上下ピッチリした服をまとい、そこには個性のかけらもありません。
 
 サムライが手にしているのは、たった一本の刀です。その振り方ひとつに、芸がありました。
 官軍は、連発式の銃を撃ちまくっています。数撃ちゃ当たれなので、芸もありません。
 
 大村益次郎は、「西洋式」を取り入れました。それは人間を駒化することでした。
 
「ライスサムライ」を作ったのは西洋人です。おそらく彼らは、「西洋式」が嫌いなのです(爆)。
 西洋人ほど「個」で生きたいのです。
 
 しかし一般社会において個が表出しにくい世の中になり、スポーツの試合くらいは「ヒーロー」を見いだしたいのだと思います。
 
 映画の中で大村は、逃げまくる卑怯者として描かれています。
 しかし実際に勝つのは、大村です。
 はんにゃの面を被った勇壮な幕府軍があと数十メートルまで迫った時点で、連射式の銃で全滅させるのです。
 
 大村率いる官軍が勝たなかったら、日本は西洋の植民地になっていたかも知れません。
 
 オシムはピッチから「サムライ」を排除します。
 彼が遂行するのは、「西洋式」です。
 
 しかし、日本人は世界中で最も「非サムライ人」になれる民族ではないか・・とも思っています。それは本当の意味で「サムライ」になれるからだとも思います。本当のサムライは、「ラストサムライ」で描かれるような、美しい侍ではないと思うからです。
 
 だからオシムは日本に来たのではないでしょうか・・。
 
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32件のコメント

[C4621]

私は「ラストサムライ」を観たときに、かなり幕府軍のサムライに感情移入していました。

「パーフェクト」とつぶやいて息絶えた渡辺兼扮するサムライを美しいと思い、連射銃を射ちまくる官軍を卑怯だと思ったし、どこまでも生き延びるドムクルーズを醜いと思いました。

でも今思うと、それを美しいと思ったのは、渡辺兼が生き残らないで自決みたいな形で死んでいったからだと思いました。散るゆく存在に憐れみを感じることもあるでしょう。とくに日本人はすぐに散る桜が好きだし。

個人的レベルでは、、死に行くことは美しいのかもしれないが、日本国全体のことを考えると、恥をさらしてでも
生き残って、西洋の列強国から人民を守ることもサムライとしての義務ではなかったかと。サムライが死んでしまったら、後の残された人民はどうなるのかと。

カッコよく散るだけがサムライではないと思います。
黒澤明監督が描いた七人の侍のサムライのほうがサムライのイメージかもしれません。





  • 2006/10/01-22:50:04
  • 投稿者 : ばなな
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[C4620] >サムライ

レベルダウンというのはゼロが起点とするのなら、マイナスに位置づけられてしまいますが、これは間違った解釈ではないかと今回のブログで感じました。
レベルダウンというのは、本来あるべき姿に戻すということなのかと感じました。
その本来あるべき姿というのは、個の中で目立つものは何もない。基本は対等な駒であるということなのではないかと思いました。
つまり、レベルダウン化こそ、真の強さが発揮されるものなのかと感じました。
やっぱり、自分を飾る意味や価値などどこ吹く風なのだと実感します。
風に吹かれる草でいいのだと感じます。

[C4604] サムライ

日本人は真似ることがとくいでよく個性がないといいます。農耕型で狩猟型ではありません。そのうえ単一民族です。オシムは、サッカーに日本人らしさを全体の中で引き出そうとしたヒーローを作るのではなく代替可能な駒として走れる選手を。サムライといえばカッコイイとか骨のあるような姿を浮かべます。しかし、本当のサムライは百姓のようなのかもしれないとおもいました。そんな気がしました。
  • 2006/10/01-13:34:53
  • 投稿者 : じんのり
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[C4601] >大村率いる官軍が勝たなかったら、日本は西洋の植民地になっていたかも知れません。

植民地とはいえないまでも近いものになっていたかもと考え込んでしまいました。

世襲制で15代も続けば政権末期の徳川幕府なんて平和ぼけで腐りきっていたと思います。時代劇でしか良く知らないのですが、「生類憐みの令(げっパソコンでも一発変換ででてくる(汗)」)とか「おーおく」とか勘弁してくれよってかんじです...。

「ますじい」みょうに気になります。

私は消費税を25%に上げて相続税も最大80%(?)に増税するべきだと思っています。しろうとの目から見ても、国の借金である国債を含む日本の現在の財政の状況はどう考えてもおかしいし、政府部門にかかわる富の配分もちょっとへんだと思うからです。

しかし、このようにすればかつてのイギリスのように金持ちはみんなアメリカやオーストラリアに脱出するかもしれません。でも私は日本は「二軍」だけでやっていけると思っています。それこそ日本に「ファンタジスタ」はいりません。

「ますじい」軍は幕府に何の権威も感じていなかったからこそ銃などという「野蛮」な武器を「将軍様」にむけることができたのかもしれません。いや、あのバカな幕府にまかせておいたら、本当に日本は植民地になってしまうという危機感もあったというのが大きな理由かもしれません。

「権威」ってなんだろうなという疑問がわきました...。
  • 2006/10/01-11:15:42
  • 投稿者 : ナイル
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[C4595] >サムライ

文章から拝見すると、大村率いる官軍はなんだか見た目にかっこ悪い感じがします。
でも最後は勝つ・・。

ヒーローはヒーローでしかなく、その人だけで終わってしまうような感じです。
本人の自己満足、周りはそこに美しさや夢を見る・・ただそれだけ。
そこには「今を生きる」という感じがありません。

本当のサムライは、自分をレベルダウンして、駒となることなのかと思いました。
日本人はアメリカなどに比べ、個性がないとか、自己主張がヘタだとかいわれることが多いと思います。
もちろんそれをよくないこととして。
でも、オシム監督は日本人のそういう面をいいこととしてとらえたのかと思いました。
駒となれる人が多いと思ったのではないかと思いました。

[C4582] >サムライ

私は大村大臣の、カツモトやオルグレン大尉の一勢が差し迫った時の「う、撃てええええ・汗汗汗~」と焦りまくった時の表情が好きです。大村大臣の軍服姿もカツモトに捕らえられて切腹したハセガワ大将やアメリカ人の大佐、そしてオルグレンの凛々しい軍服姿と比べてすごく胡散臭いです。消防出初式で町長が消防官の制服を着用している姿に通じるものがあります(笑)。映画の中で大村はちっとも格好良く描かれていません。勇敢なサムライらを全滅に追い込んだ食えない野郎、自分が窮地に追い込まれてピンチで新式銃をぶっ放したヒール役として描かれています。しかし、あの明治の胡散臭い軍服姿の人たちの奮闘によって明治維新はうまくいきました。西郷についていった人たちのナルシズム的な武士道の美学からしたら、実際にあの当時の日本にいそうな大村大臣のような胡散臭い軍服姿は許せないと思います(笑)。しかし列強から明治の日本を救ったのはあの胡散臭い軍服姿の連中だったのです。似合わない西洋式軍服を着た当時の日本人、敢えて伝統的な兜を脱いで胡散臭い軍服姿となった維新後のサムライたち、あなたがたの子孫は体格が良くなり、背丈もかなり伸びまして随分西洋の服が似合うようになりましたよ。
  • 2006/09/30-22:34:46
  • 投稿者 : おかだ
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[C4579] サムライ

オシムは日本に合うサッカーをするといいました。

これまでの話で、彼はとても、日本の事を知っているという事だと思います。

日本人でも気づかない、日本人らしいサッカーをしようとしているオシムは日本を外側から見ているから、気づくことが出来たのではないかと思いました。

[C4570] >だからオシムは日本に来たのではないでしょうか・・。

「ラストサムライ」を見ながら、侍の方に感情移入して、大村はかっこ悪い、と思っていました。
サムライはかっこよくて、美しい、、、
美しくて、負ける側でした。
サムライが勝っていたら、日本は西洋の植民地になるといわれて、いわれてみれば確かにそうだと思いました。
大村が、西洋に対抗できる日本をつくったのだと思いました。

 >だからオシムは日本に来たのではないでしょうか・・。
 
オシムは日本に来た、ということは、サッカーでもそれが出来るということなのかと、思いました。
オシムが、そんなことをわかっていないはずはないと思いました。
旧ユーゴ以来、これまで、ヨーロッパでもどこでも代表監督を引き受けなかったオシムが日本代表監督を引き受けるとき、そこに日本以外にない可能性があったから引き受けたのだと思いました。
  • 2006/09/30-17:06:04
  • 投稿者 : ワヲン
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[C4568] >サムライ

サムライは1対1で戦って華々しく散る・・・そこに西洋人は惚れたのだと思います。
 
西洋人には、サムライは美しいものであって欲しいようです。。

西洋人の考える、サムライは、個と個のぶつかりあいです。
でも、本当の戦は何でもありです。
 
ありとあらゆるものを使って、戦っていたと思います。
そして、そこに、個が入り込む余地はなかったと思います。

本当のサムライの世界は、没個の世界で、華々しさとは無縁の世界だったのだと思います。
 
  • 2006/09/30-12:55:09
  • 投稿者 : 福
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[C4552] >サムライ

私にとってサムライのイメージとは神風特攻隊や人間魚雷です。
そこには計算はなかったかもしれませんが、ヒーローも存在しません。
全体の中で生き、全体の中で死んでいくのがサムライだと思います。
「ラストサムライ」はあまりに美化しすぎていて西洋的だなと感じます。
神風特攻隊や人間魚雷は死に向かっていたので、爽快感とは無縁ですが、でも、あそこまで捨て身で駒になれる資質というのは日本人特有のものかもしれないと思います。
そこにプラス緻密な計算が加われば、無敵なのではないかと思いました。
  • 2006/09/30-03:11:47
  • 投稿者 : くるみ
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[C4549] >サムライ

江戸時代のいつだったか忘れましたが、ある一人の農民が年貢を納めることができないと、
おなじ村の他の農家が連帯責任を取ってカバーしなければいけないという制度があったと
思います。
一人の人間の責任ではなく、全体で責任を取らせるとはまさに「駒」として扱われていた
と思います。
西欧人は狩猟民族、日本人は農耕民族と俗によく言われていることで、実際そうですが、
狩で大きな鹿とかをしとめたら、「どうだぁ~、見てくれ!、俺ってスゴイだろう」と自己
主張するチャンスはありそうですが、“米”作りにそんなものはありません、誰が作っても
同じただの作物ですから(汗)。
何百年も昔の民族の歴史と、その国に生きる個人の命式(運命)はどう関わっていくのか、
なぜか無関係ではないとも思いますが、最近のオリンピックの日本の代表選手がアメリカ
人の真似してガッツポーズして弾けるものいいかもしれませんが、駒として淡々とやって
いる方が素質に合っているのかなと思いました。
惣流・アスカみたいに「わたしを見て!!」という生き方よりも、駒だからいてもいなく
ても同じだもんねぇ~と生きる方がなぜが幸せ度が高いような(笑)、それは余計な鎧を背
負わなくて済む軽さから来ているのかもしれないと思いました。v-86e-496
  • 2006/09/29-21:59:14
  • 投稿者 : イーキン
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[C4548] 字大きくしてくれてありがとう

字大きくしてくれてありがとうございます。
私の字 小さくてすみません。

[C4547] 人間を駒にする「西洋式」というと

規格化とか、大量生産とか、集中管理システムなどを連想します。
たとえばフォード型の大量生産方式の場合、工場でロボットのように単純作を繰り返す労働者と、まったく同じ型のクルマに乗る大勢の消費者という無数の没個性な駒を生み出す一方で、ヘンリー・フォードという一人の巨人を生み出しています。
PCの世界も同じです。同じウインドウズを使う無数の駒が生まれる一方で、ビルゲイツという時代のヒーローが生まれました。
一人の英雄と無数の駒を生み出すのが、西洋式であり、とりわけ、その中でも、アメリカンドリームと言われているシステムだと思います。
西洋式のヒーローは、いわば宝くじの当選者みたいなもので、みんながヒーローになりたいという願望を抱いてくじを買い続けた結果として、たった一人の当選者と、無数の駒が同時に生まれていると思います。
スクリーンに映る渡辺謙は、いわばヒーローの影というか、無数の宝くじ購入者たちが、くじの向こう側に夢見ている札束の影みたいなものではないでしょうか。
しかし、もしも、人々がヒーローに当選しようという気がなくなってしまえば、だれもくじを買わなくなるでしょう。
そのとき、当選者はいなくなってしまいます。
オシムのサッカーは、みんながヒーローを目指す結果として生まれてくる駒ではなくて、最初からヒーローを目指さしていない状態としての駒のサッカーのような感じがします。
  • 2006/09/29-21:50:56
  • 投稿者 : L.B.
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[C4546] 私も感謝です

開いてビックリ、うわぁ~嬉しい!とても見やすいです。老眼が進んで、とても辛かったデスので、助かります~。
  • 2006/09/29-21:42:25
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4545] 感謝

文字の大きさを変えられるようにしてくださったんですね。
ありがとうございます。

私ではないですが、この夜間バージョン(?)の文字が小さくて
みづらいのでなんとかお願いします、という方がいました。
この夜間バージョンは表示をいじっても文字の大きさが変わらず、
私も苦労してみていました。

そのとき、もりけんさんが私は見えます、などと言って笑っていたので、
もりけんさんってSなのか、あるいは女性部分のりんごさんが現れてるのか、
と恐怖を覚えたものです。
ア、失礼しました。
ブログの内容についてのことではないことを書き込んで、
すみません。

これからも楽しく拝見させていただきます。
では。
  • 2006/09/29-21:21:05
  • 投稿者 : 十四郎
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[C4544] >日本文化らしいのは、三島よりも川端なのではないかもしれないと思います...。

(訂正)日本文化らしいのは、三島よりも川端なのではないかと思います...。

読み返してみて、シンクロでプールに飛び込む前にすべってしまったようなかんじがしたので(汗)、やっぱり訂正を入れさせていただきます。

  • 2006/09/29-20:40:53
  • 投稿者 : ナイル
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[C4543] 「美しい日本の私」 川端康成 (講談社現代新書)

という本があります。

私は高校生のころから、日本文化の美しさといえば三島由紀夫だろうと思ってきました。しかし最近、日本文化という観点からのみみれば、やはり大多数の日本人にとって、日本文化らしいのは、三島よりも川端なのではないかもしれないと思います...。

三島文学は華麗な美しさに満ちているけれども観念的であるという意味で「個」を主張しているのに対して、川端文学は古きよき、滅び行く日本文化を、なめらかに静かに描写していきます。そこには「個」や個人の観念の世界が展開されるというよりも、日本の自然に投影された、日本人の心のふるさとに静かに読む人を導いていきます。

私は武蔵シリーズのときもブログにコメントを投稿してきましたが、武蔵シリーズのときはわからないことが多すぎて投稿していてかなり自分で苦しかったです。オシムシリーズは武蔵のときよりはサッカーという興味深い題材の助けもあり考えるのは楽だったのですが、最近、武蔵シリーズでもオシムシリーズでも、題材こそ違え、言っていることはあまりかけはなれてはいないのではないかという気になってきました。

オシムは数学が得意だということをこのブログに誰かが書き込んだコメントを読んでいて知りました。数学者や科学者は特異点を嫌うのだと思います。特異点や誤差があるかぎり、そこには自分が今手元に持っているモデルを覆す何かがあるのです。あるいは、それは宇宙を貫く法則へのアプローチを阻害する要因と感じられていらいらするのかもしれません。

ひとりの人間の「個性」などに邪魔されなければ、日本文化の本質に近づくことが出来る...。そういう意味では川端康成の小説に出てくる登場人物はすべて「駒」の操り人形であり、川端は日本文化そのものを主人公にすえて日本文化をその筆で捉えることに成功しているのかもしれません。日本文化そのものが放つ光は、三島由紀夫の小説、例えば「禁色」や「金閣寺」にでてくる個性豊かな登場人物が存在すれば、かすんでしまうくらいの微弱な光なのかもしれません。

「日本文化」や、(フアンタジスタではなく)サッカーそのものや、宇宙を貫く法則を狙おうとすれば、良い意味でも悪い意味でも「はなはだしきもの」を排除し、リスク・ニュートラルを狙っていく、ということになるのかもしれません。

オシムのやろうとしているサッカーは、「背景としてのサッカー」という言い方もできるかもしれないと思いました。i-259
  • 2006/09/29-20:26:18
  • 投稿者 : ナイル
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[C4542] 博物館行き

>大村率いる官軍が勝たなかったら、日本は西洋の植民地になっていたかも知れません。

後でじわじわ来たのですが、もし官軍が勝たなかったら植民地にされて日本は博物館か美術館と化したかもしれません。
西洋人が失い憧れた個性という美しさを保存されたかもしれません。

サムライは生き方の一つのお手本になったりします。
それは美しさがあるからだと思います。

しかしその美しさごっこにオシムは生を見出せなかったから日本に来たような気になりました。
今までのオシムの取り組み方を見ると、そんな博物館にあるような美しさをバッサリ切っているからです。

以前英雄についての言葉がありましたが、あれも美しさというサムライに対するアンチな気がしました。

[C4540] >非サムライ人

ここでもレベルダウンを感じました。ほんとうのサムライになれるからこそ非サムライ人になれる。。。西洋人が西洋式を嫌いだ。なんか不思議です。西洋人は個が大好き、サムライを美化しちゃってる。でもほんとのサムライはそんなんじゃない。それを知っているのが日本人という民族。。。確かに、西洋人がサ~ムラ~イ!イェイ!とか言うとき、なんか違うな。と感じていました。サムライはヒーローなんかじゃない!そう感じます。なんか目立ったりしなくて、影でバッサバッサ人を斬ってそう。そして人知れず泣いてそう。顔なんて隠して見せなさそう。そしてぶるぶる震えてそう。あ、テロとかの人に似てそう…。実行犯。実行出来なかったら殺されてもかまわなそう。へまとかもいっぱいしそう。。サムライってヒーローじゃない。そう感じました。
  • 2006/09/29-18:11:52
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4539] >サムライ

西洋人が、惚れたサムライの正反対として表現したのが、官軍の「黒系の上下ピッチリした服」で、それは創作ではなく事実だろうから間違ってはいないと思います。個性のかけらもないというのも間違っていないのだと思います。
 
でも。。。はんにゃ面で見事な太刀さばきをするような華麗なサムライ軍団はいなかったと思います。
 
時代劇にはヒーローは登場しますが、刀は数人斬ったらもう斬れなくなると聞いたことがあるし、集団に一気に斬りつけられたら、華麗な技にこだわるヒーローはひとたまりもなかっただろうと思います。
それに殆どのサムライは、何もかもが規律で縛られたサラリーマンだったと思います。
 
西洋式が取り入れられ、本当のサムライ化をしていくかもしれない日本と、西洋式を嫌い、日本のサムライに個を見出して益々西洋化していくかもしれない西洋。。。
 
なにかお互いが逆をやっているように見えるのに、そうはなっていないみたいです。
不思議な感覚はありますが、でも日本人に駒の要素があるのは、昔から変わっていないのかもしれないと思いました。
 
西洋式は人や物を駒化するから、西洋もそのままいけば駒化が進んだのかもしれないと思いましたが、当の西洋人は駒化が嫌で個でいきたいのだとしたら、自分達の作り出した西洋式に自分達が呑み込まれていくことに恐怖を覚えたのかもしれないと思いました。
 
でも日本は、日本式でも西洋式でも、どちらも駒であることは変わりなくて、だから西洋式もスンナリ取り入れたのかもしれないと思いました。
  • 2006/09/29-17:41:48
  • 投稿者 : ぷく
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[C4537] >サムライ

武士は食わねど高楊枝といいますが、もりけんさんが構想されているのは、そういう誇りと美学のために死を選ぶサムライではなくて、百姓ザムライなのだと思います。
もうカッコなんかつけてないで、そのへんにあるもの何でも武器にすべく握りしめて、いざというとき破れかぶれで敵に向かっていくようなサムライです。
もう・・・
ユミット星人も信じられるし、地球がユミット星と全く同じ運命システムにのっとっているようだとも、もりけんさんの調査が語っていると思います。
もりけんさんが握られる「勝ち」の意味は、どこまでも深いことに気づき始めたところです。
だから、オシム監督周辺など、シンクロニシティが起こっているのだとも思います。
たいへんだ・・・
  • 2006/09/29-15:09:59
  • 投稿者 : ゆくえ
  • URL
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[C4536] >本当の意味で「サムライ」

勝たなければ命がない・・勝つために徐々に研ぎ澄まされていく。
それはありがちなヒーロー像ではなく、ヒーローとは
程遠いものなんだと思います。
自分の気配は消す、鳥の声を聞け、自然とひとつになる・・。
映画なら目立たない存在として登場しそうです。
決してスターではない・・。
でもそれは「個」のない駒化している状態なんだと
思います。
  • 2006/09/29-14:04:52
  • 投稿者 : まる
  • URL
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[C4535] >本当のサムライ

人間の意識は発信することばかりに使われているんやないかと思う。発信=アピール でも、本当のサムライは、主人の命令には逆らえんし、主人の意向を受信して働かないとならない。主命で切腹だってするから、命までかけてるし。受信命かも。ほんとに駒化するのは、受信が正確にできさえすればいいのかも。
  • 2006/09/29-12:05:30
  • 投稿者 : 龍(ロン)
  • URL
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[C4534] >サムライ

本当のサムライ・・

斬らなければ、斬られる
勝たなければ、明日はない

オシムや大村を見ていてそのように感じました。
大事なものを守るためには、斬るものは斬らざるを得ない。それが本当のサムライのように思いました。
そこには芸の入る余地がないように感じます。
  • 2006/09/29-11:05:00
  • 投稿者 : くまぽん
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[C4533] >サムライ

>オシムはピッチから「サムライ」を排除します。

西洋人が「サムライ」に惚れるのは、「個」を絶対視する歴史の中に生きてきたからなのだと思います。
これって、つまるところ孤独に行き着くのではないかと思います。
「ヒーロー」を願望するのは、見方を変えると「自分は他人とは別の人間なのだ」の裏返しのようにも思います。
「ヒーロー」に自分を映し出しているとも言えそうだからです。
ひらたく言えば、自分勝手です。
オシムは、このことを叩き潰すことから始めているのだと思いました。

>彼が遂行するのは、「西洋式」です。

一見矛盾する、この言葉の中にオシムの真骨頂を見る思いがします。
選手は他に要求することがどこにもなくなった状態で、ひたすら外側に反応し続けるプレーをしているのだと思いました。

[C4532] サムライ

日本と西洋の違いを考えました。日本は陰を知ってるんだ、と思いました。陰は、見えない・弱い・かっこ悪い・従う・・・そういった状態が伴うことを受け入れていると思います。陽で生きるのは、見えていて、光が当たっていて、強くて、かっこよくて、支配的な要素を含んでいるのだと思います。
日本は制服の国というイメージが私にはあります。制服は、没個性です。みんな同じに見えます。個よりも和を大事にします。個よりも全体の調和を重んじます。
アメリカなどは、個性の国というイメージです。自分らしさで勝ち抜いたならあなたでも勝利者になれます、というイメージです。
侍は、実は生死のかかった瀬戸際でいきている人です。明日死ぬかもしれぬ人生です。本当の侍はだからかっこつけてる場合じゃあないはずです。歴史にヒーローとして残る人物は、大方かっこいいし、潔いし、凄腕だし、ハンサムだし(?)、美しい生き様に写ります。でも、実際は大村のような、根っからの人間的(?)な人もいたのだな、と思います。この人の在り方は、生きることに忠実だと思います。根逃げる卑怯な行為は、生きるため。かっこつけてないです。華麗な芸で身を守ったのではなく、実利の大きい銃です。勝って生き残るのに、意地や見得は持たない人なのだと思います。必要なのは計算です。そして、勝ちます。
オシムにとっては、ピッチは戦場にのぞんだ侍と同じで、とにかく勝つことに忠実なのだと思います。そのためには、余計なものは全て排除したのだと思います。計算した勝利は、ヒーローにゆだねられた不安定なものでなく、走る駒と化した全選手に確実に託されたのだと思います。
  • 2006/09/29-08:27:38
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4531] >サムライ

 元来、日本に在った「恥の文化」は武士的な発想に負うよなところがあります。「武門の意地」とか「刀にかけても」とか・・そして「恥を知れ」です。 
 そこには、個のプライドがとても垣間見得ます、面子の為に何かに縛られている感じがします。それゆえの美のような気がします。しかし、それは、戦の首謀者達の視点である「サムライ」のような気がします。 
 ほとんどの兵は、いわゆる兵隊です。現場で生死をさまよいます。そこに、恥もへったくれも、無いような気がします。「生きたい」から殺すにつきるように思えます。でも、彼らにそれを、具体化させたのが、西洋式だったように思います。格好良くではなく格好悪くても勝って生き延びるその方法が西洋式だった気がしました。 
 官軍が負けたら、下関あたりのどこか島が第二の香港になっていたと思います。
  • 2006/09/29-07:43:19
  • 投稿者 : yk
  • URL
  • 編集

[C4529] >サムライ

今日はまだ眠くなかったので、また、読んでみたら少し文章が前より入ってきました。。
「ラストサムライ」を作った西洋人にとって、サムライは憧れであり、スターだったのだろうと思います。それに対し、ここでいう「西洋式」というのは実質的とかそういう意味ではないかと思いました。
本当のサムライは美しいとか華麗とかそういうものとは対極にいるのではないかと思います。今日(昨日)紹介されていたGKの人とか思い出したりします。

[C4528]

>大村率いる官軍が勝たなかったら、日本は西洋の植民地になっていたかも知れません。
 
なんかグ~~~~ッとくる一文でした。西洋からどう描かれようが…どんな手でも勝たなくてはならなかったのです。そうしなくては明日がなかったのです。皆が布団からのんびり起きる朝はこなかったのです。植民地になっていたら生活は一変したと思います。そうなれば…どうなるか全くわからない。
 
オシムも勝たなくてはプロとしての明日がないって思いながら鬼ってるのかもと思いました。
 
サムライ…サムライは芸術ではないのだと思いました。サムライはいざって時、自分も他人も明日の日が見られるように、必死で戦ったのだと思います。主君のためといいながら…大村のように見通す目もなかったろうけど、どっかもっと大きなもの(大局)を感じて駒になってたと思います。言葉にはならなかったろうけど。そうでなきゃ命かけられるかなと思います。駒でいるって…時空を感じてるからなんじゃないかと思えてきました。誰かのしたでなく上でなく、なにか あがらいがたいものに対峙した人のそのままの姿なのかと思いました。
e-362

[C4527] >サムライ

今日はノーコメントです。なぜなら、全然わからないからです。まず、サムライというイメージもどういうものと捉えたらいいのかわからないのです。映画も見てないです.歴史的な事柄も全く覚えていません。と言うわけで、なんか全然わからないのです。

[C4526] サムライ

本当のサムライ・・ 
こないだの「働き蜂」が頭に浮かびます。
日本のお父さんのイメージです。家族の為に
必死で働く姿も浮かびます。でも、今そうゆう人
いるかな・・と思います。
皆(私も含む)個の利益を守る為に頑張っている
気がします。
駒になるって、自分を捨てているところがあると思います。
チームとか、全体の勝利をいちばんに願っている気がする。
オシム監督は、日本人のこういった性質が好きなのではないか
と思います。
今までダサイと思われていたものがひっくり変えるかも
しれません。これでよかったんだ、と見直されるものも
あるかもしれないと思います。
でもそれはずっと変わらず、性質としてあり続けたのでは
ないかと思います。
e-244


[C4525] >サムライ

>しかし、日本人は世界中で最も「非サムライ人」になれる民族ではないか・・とも思っています。それは本当の意味で「サムライ」になれるからだとも思います。本当のサムライは、「ラストサムライ」で描かれるような、美しい侍ではないと思うからです。


本当のサムライ・・っていうのは、
個をなくした駒だと思いました。。
メイドさんのようです。。

オシム監督は、はるばる日本にやってきて、監督になりました。
そして、魚を自らさばいて食べます。
いったいなぜなのだろう。。
と思ったのですが、
そういう日本に惚れたのかなと思いました。



 
  • 2006/09/29-00:29:16
  • 投稿者 : あかり
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Author:森田健(もりけん)
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この本は、読んでいただけるだけで嬉しいです。
でも、何か意見を返してくれるともっと嬉しいです。
不思議なことに興味がある方、不思議なことを解明したい方、または新しい生き方を見つけたい方のためのものです。
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