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-件のコメント

[C4685] >非ファンタジスタと五行

>さまざまな場面でつながっているんです

この言葉にビビっと来ました。

さまざまということは、勝つという未来があるとしても、どこからどのようなアングルで流れが生まれるかは判らない。
いわゆる未知領域な状態を言っているような気がします。

そして、つながっている。

どんな予想だにしない展開になろうと、駒化すればつながっているということなのだと思いました。

ということは、勝つためにはつながることが大事ということだと思いました。

トップ選手が出れば通信は途絶えてしまう。
駒化されれば、どんな展開になるか判らないからその分さまざまな視点を向けることができるということなのだと思いました。

見えないものを見るということが認識、できるようになるとき、もともとあった力が表出されるのだろうと思います。

もともとあった力だから努力する必要はない。
ただ、その力が表出されただけなのだと思います。
駒化されたことで。

無駄なこともかも知れないが、走ることは意味はないかも知れませんが、価値はあるのだと思います。

[C4657] >非ファンタジスタと五行

ファンタジスタは小次郎タイプの選手たちだと思います。神様といわれるペレやマラドーナも何人もごぼう抜きしてピンポイントなパスを出したり、鮮やかなシュートを決めたりしてツバメ返しのような見事なキレのある技を繰り出すのでありましょうが、それも彼らの運命通りに動かされているに過ぎません。観客はその技の華麗さに魅了され、歓声を上げると思いますが、時空からすればちっとも面白くないと思います。自分の決めたとおり動いていますので・・・。でも、オシムサッカーにおいて3人目にパスが回され、シュートが放たれた刹那は、時空さえそのコントロールが効かないような気がします。「聞いてないよ、そのボールはどこへ行くのだよ」と。ツバメ返しで宙に浮くツバメが切られるのは運命通りと思われますが、影の放つシュートは運命を超えているとも思います。

ゆくえさん、私もモー娘。は敢えてファンタジスタをおかないユニットなのだなあとあらためて認識させられました。エースの後藤や安倍も突如、卒業を言い渡されたり、次々と新メンバーを加入させたりしていまして、センターボーカルも次々と変わりまして、司令塔のような存在がいないです。
  • 2006/10/03-00:09:38
  • 投稿者 : おかだ
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[C4651] >非ファンタジスタと五行

サッカーに詳しくないので、サッカーの戦略というものがよくわからないのですが、
オシムの戦略は読めないような気がしました。

あらゆる戦略は理詰めの部分があると思います。
実際の対戦においては、その戦略がうまくいくか、いかないかで、勝敗が決まります。
 
そして勝敗の原因は、戦略そのものにあるのか、選手にあるのかが論じられたります。
 
オシム以外の監督の場合、まず、選手がいて、その選手の能力を合わせたもので、
戦略が組まれているような気がします。
つまり、選手の能力の合計が戦略になっていて、左脳的な感じがします。
 
オシムの場合、まず試合そのものの、全体のイメージがあって、そのイメージに
合う選手が選ばれているように思えます。
もちろん、選手の能力は充分、分析しているのだと思うのですが・・
何か、右脳的にゲームをとらえているように思えます。
 
左脳的だと直接的な動きに目がいきますが、右脳的だと間接的な部分が見えてくる
ように感じます。
 
オシムは左脳で選手を見ていながら、右脳でゲームを組み立てているのではないか・・
この感覚が「3人目」の選手の存在の重要性につながっているように思えました。
  • 2006/10/02-21:48:40
  • 投稿者 : 福
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[C4635] 3人目

私も今年w-inds.のコンサートに行ったのですが、隣りは娘さんのためにわざわざ名古屋から車すっとばして金沢まで来てたお母さんでした。お母さんの隣りには娘さんの遠距離な友達のお母さんがいて、二人で年に一回の再会を楽しんでいましたよ。会場を見渡すと、ギャル・ギャル・お母さん・ギャル・お子さま・お母さん。結構お母さんいっぱいいました。お母さんもノリノリでした。また、コンサート終わったら、何時間もかけて車運転して帰るのに。お母さんも3人目だと感じました。お母さん、結構大変だけど、結構楽しそうでした。娘のために。なのに。楽しそうでした。私にも、またね。って言ってくれました。3人目なのに。。。
  • 2006/10/02-08:26:28
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4632] >非ファンタジスタと五行

>「3人目」
ファンタジスタになることとは「1人目」、あるいは限りなく1人目に近い「2人目」を目指すことだと思います。
少なくとも、「3人目」になることは意識の中にはまったく無いと思います。
それどころか、この言葉を聞けばきっと、「3人目なんかになりたくないよ!」と思うかもしれません(爆)

しかし、もし自分がサッカーのプレイヤーだとして、「3人目に徹しなさい」と言われれば、はじめは僕も抵抗を感じるかもしれません・・・(汗)
別に自分が「ファンタジスタ」のような一流プレイヤーでなくてもです・・・(汗)

なぜなら、「1人目」や「2人目」はプレーを作っていく存在であるのに対し、「3人目」は
プレーには直接関係の無い存在です。
にも関わらず、常に全力でひたすら走り続けるということが、なかなか体力的にも精神的にもかなり大変そうで、なろうと思ってなれるものではなさそうだと思うからです。
しかし考えてみると、「3人目」はなろうと思ってなるものではないように思えます。

一方で、「1人目」や「2人目」はなろうとしてなるための存在だと思います。
つまり、練習を重ねて能力をUPさせながら目指していく存在、という感じがします。

逆に、「3人目」は「目指す」という考え方を無くしたときに初めてなれる存在のような気がします。
なぜなら、良いプレーをしてやろうとか、あわよくば点を決めてやろうといった目的を持ってはだめだと思うからです。
そうしてしまうと、「1人目」や「2人目」を目指してしまうはずだからです。

しかし、「3人目」になるには「1人目」や「2人目」以上の練習量が必要ではないかと思います。
なぜなら、常にひたすら走り続けなければならないからです。
やはり「3人目」になることは、並大抵のことではなさそうです・・・。

[C4628]


うー巧く言えないのですが 
(汗)
すごく生きてる感を感じました。 
この、「常に『感じて』~さまざまな場面でつながっているんです」 
というところとか、体感しているんだと思います。 
 
縁の下の力持ちって、地味で華やかさが無いというイメージがあります。 
人は皆華やかなものに目を奪われるから 
ファンタジスタは求められて出来たのかなと思いました。 
ところが、3人目が大事になると、皆が縁の下の力持ちって感じだなあと思います。 
ピラミッドみたいな頂点とその裾野という感じではなく 
生命体という感じがしました。 
 
全員が全員と繋がっているなんて凄いし 
自分の生き方があると繋がれないと思いました。 

[C4625] >非ファンタジスタと五行

「数的優位」という言葉を最近何度か目にしたり耳にしたりするようになって、どういうことなのだろうと思っていたのですが、3人目を使った攻撃ということなのだなと思いました。
3人目を使うには、みなが走っていることが大前提なのだと思います。
そうじゃないと、誰もいないところにパスは出せない。
だから、どんなにいいパスを出そうとシュートを決めようと、足を止めたら、オシムは怒るのだと思いました。
死ぬまで走り続けるのが前提なのだと思いました。
  • 2006/10/01-23:54:14
  • 投稿者 : くるみ
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[C4623] 非ファンタジスタと五行

上位の問いと下位の問いの関係性について考えてみました。 
自分と相手が、上位の問いで、3人目が下位の問いに
あたるのではないかと・・。 
 
下位の問いについて考えていて、たまたま解けてしまう、上位の問いというのが、理想なのではーとか・・。 
 
そのときの解は、下位の問いとの関連をもった、 
解なのかもしれないと。 
 
3人目を、意識しながら、サッカーをしていると、 
3人目へつながる、2人目へのパスをおもいつくとか。 
 
五行的というのは、つまるところ、なんであれ、 
5人は、かならず、登場させてしまうということかなー 
と思いました。 
 
  • 2006/10/01-23:40:30
  • 投稿者 : マカロニ
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[C4619] >非ファンタジスタと五行

つい浮かんだのは、モーニング娘。でした・・
子供がまだ小学生のときは、BSで放送される夏のコンサートを録画して一緒に楽しんだものです。
たっくさんのカワイイ子らが踊り歌い跳ねる姿は、もう元気いっぱいで、うっわぁ~っと興奮させられました。
ひとりだと、もうもの足りない気さえしてきます。
アイドルだけとってみても一人より二人、よりもグループ・・と、大勢いる方が見所も増えて楽しさ倍増だと思います。
私は娘がファンクラブに入ってるw-inds.のコンサートに毎年ついて行くのですが、なので特にファンではなくても大人数のカトゥーン人気は納得できるところです。
やはり時代はもりけんさんの言われるとおり、一人のヒーローより粒ぞろいの多人数パワーが勝るのだと語り初めているようです・・
おかださん、おかぶとっちゃってゴメンナサイ(ペコリ)
  • 2006/10/01-21:22:09
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4618] インタビューの中で

「走るのは大前提・・」とあります。
走り続けるのは、それだけで、たいへんなことだと思います。
だけど、やみくもに走っているだけでもダメなのでしょう。
なぜなら、それは「ウソの走り」になってしまうからです。たとえ全力疾走しても、ウソの走りになってしまうことはあると思います。
願望実現の走り、努力の走りに、なってしまうことはあると思います。
だから「感じる」ということが、いるのだと思います。
それは、華麗な走りのことを意味していないと思います。
生を感じているということではないでしょうか。
闇雲に走っても、生を感じられない場合もあると思います。
だからといって、止まってしまっては終わりです。
走るということが大前提だと思います。
感じられないときにも走るとすれば、それはウソの走りになってしまうはずです。完ぺき主義者は、そこで走るよりは止まることを選ぶのでしょう。
うまくつながらないときに走っているのは、暗中模索の走りだと思います。
  • 2006/10/01-21:18:02
  • 投稿者 : L.B.
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[C4617] 3人目の存在と時間のブロード

いないかもしれない3人目にパスを出すということは賭けである一方、その3人目がいる位置からどのようにボールが動くかということも考えながらパスを出したり、走らなければならないように思いました。

ということは3人目の影のような存在がいることでまたひとつ先の時間まで今にもってくる必要が発生します。

3人目とは確かにどこにいるのかわからない存在です。
だから直接的ではなく間接的です。

ということは間接的になればなるほど、時間がなくなっていくのかもしれません。

ならば五行的になればなるほど、時間が今しかなくなるのだと思います。

その点ファンタジスタはなんだか自分中心なので、時間を余らせて無駄にしてしまうように思えてきました。

[C4616] 3人目noと時間のブロード

コメントをどうぞ

[C4615] ファンタジスタ

ファンタジスタは、馬のようなデカちんをひけらかしている人に思えました。もしくは巨乳をアピールしているような。でかちちは感度が悪いと聞きます。オシムはサッカーが大好きなので、感じたいのだと思いました。ペットボトルを投げてでも感じたい。。。だからデカちんや、爆乳の国を離れ、日本に来たのだと感じました。馬のようなデカちんでは走るのにじゃまでしょう。少々皮がかぶってるくらいがちょうどいいのです。オシムも小さくていい!かまわないと言っています。日本男児は別にデカちんこに憧れなくてもよいと思いました。ゴールするだけでは感じません。貧乳でも感じればいい。真剣に思います。
  • 2006/10/01-20:26:25
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4614] ファンタジスタ

皆が、つねに動いている、動いているので誰もいないスペースにも誰かが見える隠れている、スライドしているような感覚を受けます。空間感に誰かがいる空間と一つになりプレーしてるそんなメイドのようです。分身の術をつかうサスケのようです。
  • 2006/10/01-19:29:03
  • 投稿者 : じんのり
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[C4613] >非ファンタジスタと五行

確実に点を取りに行くのだとしたら、特定の誰かにボールを集めるくらいバカらしいことはないのだなと思いました。
「個」同士の技術対決では日本は世界に勝てないです。
 
国内でも、世界の舞台においても勝率を上げるためには小次郎的存在の選手が直接対決をするのではなく、飛び掛ってきた武蔵に目を奪われて、その背後から降りかかった太陽光線に目を潰される作戦は、間接的だと思いました。
自分以外の引き潮時間(遅刻)や太陽光線を使ったことで武蔵は自分を間接的存在にしてしまったのだと思いました。
 
自分(水)が生じたり(木)剋してたり(火)している相手からは返礼を受けず、別の相手から生じられたり(金)剋されたり(土)している状態は、特定の誰かが突出しているわけではなく、5つの要素みんなが均一化しています。
お互いに間接的な関係になることによって、均一化されてしまったのだろうかと思います。
 
オシム氏の作戦は全員が攻撃できて全員が守れてと均一化をしたことによって間接的攻撃を可能にしたのだなと思いました。

[C4612] ファンタジスタからオシムサッカーへの落差

運命が決まっているのであれば、偶然に勝つということは、ありえないのだと思います。
ファンタジスタががんばるサッカーでは、シュートがはいらないかった時、ファンタジスタだけを見ると、そのミスが絶好調だったのに絶好のシュートをはずしたりすると、不運だったとかで、片付けられてしまうことがあります。神なのに、はずすなんて!とか、
それは、「サッカー」をファンタジスタ周辺でしか見ていないということだと思いました。

しかし、オシムのような視点でサッカーを見ると、そのシュートが外れたのにも、ある法則があてはまったから外れたのだというように考えるようになるかもしれないと思いました。
すると、そのシュートの意味も、がファンタジスタひとりのシュートではなく、チームの動きのなかで出たもので、しかも、そのタイミングで打ったというその時間の環境の部分もそのシュートを生み出していたであったとか、ブロードな今になればなるほど、超必然の世界に突入していくように思いました。

ファンタジスタが間接性のなかに飛び込むには、生き方を変えないとならない・・・すごい。
だって、彼らがここまで頂点に上ってきたのは、技だったりすると思います。自分の特徴ってことでもあります。
そのスペシャリスト性も破棄しないと、なりません。
走る、とにかく、走る。
匠の技の世界と、アメーバの世界は、地球の進化の歴史でいったら、数億年の時差=距離があると思いますが、極端にはそこまで降りないとぉ、と考えたら、どえらいことだと、思いました。
しかし、ファンタジスタすらアメーバ状態なんかになったらば、「サッカー」という巨大生物が見えて着そうにも妄想しました。
  • 2006/10/01-18:10:19
  • 投稿者 : テクノン
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[C4611] >非ファンタジスタと五行

>誰が彼らのために走るのか?
 
ハッとする言葉でした。確かにそうだと思いました。
ファンタジスタは自分がシュートを放つためにボールがパスされてくるのを待っているだろ

うと思います。
ファンタジスタは自分にボールがパスされれば高い確率でゴールを決めるかもしれないけれ

ど、逆に考えたら、ボールがパスされて来なければファンタジスタはシュートをしないです


シュートするポイントは本当は無数にあると思います。だからファンタジスタにボールを絞

るというのは、実はシュートチャンスを減らしているのかもしれないと思いました。
 
>数的優位をつくって、3人目(ボールを持つ選手と受ける選手以外)を使った攻撃をする
 
この攻撃をチームが始めたら、自分がファンタジスタである事から抜けられない選手は3人

目にはなれないと思いました。でも他の選手は常に3人目になる可能性を持ったまま走り続

けて、パスは無数にあるシュートポイントに届くのだと思いました。
 
> こうなると、生き方の問題かも知れません。
 
華麗な技を持つファンタジスタだけに限らないと思いました。
殆どの人が、良いところを見せたい気持ちがあったり、全く誰にも気が付いてもらえないよ

りは、少しは自分に気が付いてほしいという気持ちがあると思います。
 
駒になりきるというのは、すごく難しいと思います。
でも駒になりきった選手達は爽快感を味わっていました。
だから、難しくても、駒になりきってみたいと思いました。
  • 2006/10/01-17:32:44
  • 投稿者 : ぷく
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[C4610] >非フアンタジスタと五行

空いているとことろにボールを出す、誰か他の状況の良い仲間を使う、自分以外でも有利な状況を使う間接的というか自分が間接であるという感覚が近い気がしました。全体が各々の間接としてゴール(勝利)へと機能する、間接として一巡したり冲されている五行、どれが中心でもなく、一番目的に接近しているものの間接になるオシムのサッカーに似ている気がしました。
  • 2006/10/01-17:29:05
  • 投稿者 : yk
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[C4609]

子供の頃、時代劇を見るのが好きでした。
殿様の命令で家臣たちが斬りあいます。殿様が悪い奴でも命令されればそのように行動します。
そこに小次郎はいません。なもない一番下の家臣たちです。

3人目になれるのは、このような人達なんだと思いました。スターでもなく間接的に働く・・・五行的だなと思いました。


[C4608] サッカーはチームプレーだと・・

改めてそうだよ・・と思います。
あまりにもファンタジスタを中心に据え過ぎていた気がします。
きっと選手達自身もそうだったのではないかと思います。
皆で走り皆で考えながらボールをゴールにもっていく・・
本当に当たり前のことなんだと思います。

三人目・・間接的です。
一対一に二人目が加わり、ボールを競りながら
空いたところにいる三人目に渡す。
すごくシンプルで何だか美しいです。
どこにもファンタジスタの入る余地はないです・・。
  • 2006/10/01-15:57:48
  • 投稿者 : まる
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[C4607] 三人目の人には、誰でもなれる。

今までは、その三人目が中村俊介だったり、ヒデだったこともあった。でなければならない人たちが三人目でなければいけなかった。だから、「えー、今シュートうてばいいのに」と思った場面でもそういう人たちにボールを回して、結果的にゴール出来なかったりした。

今は走りこんで、シュートしやすい場所にいる誰かが、ゴールをねらう。それが誰かわからないっていうところがいいんだと思いました。

サッカーは個の足さばきの技術が高いほうがいいと思ってきました。いいほうがいいけれど、個だけでなく全体を見る力、先を読む力、そして体力をつけていって目立たない。

と、ここまでやってファンタジスタにならないようにするというのは難しいと思う。しかしオシムはそれを望んでいるらしい。。

個をすてて 個を磨きつつ 全体を見る。
ってことかなと思いました。

[C4605]

今までは(今でもそうなのかもしれませんが)個がある意味で頂点を目ざす生き方が主流であったし、奨励されていた感があります。

こんな諺もありますよね。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」

ビジネス関連の書物に目を通すと、こんなことが書かれています。
「会議ではとにかく一番最初に発言すること。2番目、三番目に発言しても目立たない」とか。
社長やマネジャーになるためのノウハウ本はよく目にしますが、よきアシスタントになる類の本はあまり目につきません。。

会社組織だって、全員がマネージャー的な発想をしていたら、仕事が回らなくなると思うし、アシストする立場の人間がいるから仕事が動くと思うのに、注目されるのはマネージャークラスの人間だけです。
「縁の下の力持ち」的な仕事をしていたのでは、リストラの候補にもなってします。(特に外資系の会社では)

サッカーとビジネスではフィールドが異なるのですが。
「ファンタジスタ」的な存在がいるのは、観客にとっては、面白いのかもしれませんが、同じチームのメンバーには重苦しい存在かもしれません。

もしかしたら、ファンタジスタである彼の為に、自分の才能に敢て蓋をする選手もいたりして。

誰でも「3人目」になれる生き方のほうが「トップ」をめざす生き方よろも、人間に優しいと思いました。

人間の運命も固定しているのではなく、もっと流動的であったらよかったのにと思います。

「運命」がガチガチだから、皆「トップ」を目ざすようになってしまうのかもしれえません。












  • 2006/10/01-13:51:09
  • 投稿者 : ばなな
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[C4603] パスワードの件

個人的レスですみませんが・・。
あかりさん、ありがとうございました。
今度からパスワード入れてやってみます。
  • 2006/10/01-12:39:25
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4602] >非ファンタジスタと五行

>「誰が彼らのために走るのか?」・・ホントだよ、そう思う。

「おおお・・」と思いました。揺さぶられました。
相手チームにとって三人目は、影から自然に引き出されるが如く現れたように見えるのではと思いました。
三人目の当人は、バッタのように意図せず外応になってしまった感じか・・。

三人目は自分でも予想せざる状態で、ひたすら走っていたのかも知れない。
しかし、その結果現れる場面は偶然そうなったとは違うと思います。

チーム全体が「これでいい」という到達点がない、果てしない状態を想像します。
このことの前で相手チームは、ゴールされるかされないかは別に、説明しがたい防ぎようのない感覚を抱くのではないかと思いました。

[C4600] 3人目かあ...

ひとりがボールをカットして、もうひとりがいいパスを出して、ひとりが攻撃する...。

1、2、3ですね。バレーボールと一緒だなと思いました。サッカーではひとりの人がボールに何回さわってもいいので、イレギュラーに回転したボールを殺してそれからシュートを打つことが許されます。だから、ワン、ツーでもいいんだろうなと思います。

3人目を探す余裕なんかあるのかなあという気がしますが、誰かが3人目を必死でさがしているときに3人目になれなかったら、オシムはチーム全体をぶっとばすような気がします(笑)。

3人目がゲームをぶち壊したらオシムはどうするんだろう...。オシムは即刻そいつを追放するだろう。そう考えると3人目になるのも大変だ...。

それでも3人目にボールをだすサッカーを、オシムはこれからのサッカーだと考えているのでしょう。

Numberの10月5日号もオシムの特集でした。その中で日本のチームに背の高い選手がいないことについて、オシムは背の高い選手をチームにたくさんいれることは、私の解釈ですが、一時の流行でそれはもう過ぎ去ったと考えているようです。小さくても小回りの利くFWやDFは十分背の高い選手に勝つことができると。しかしその分さらにすばやく走ることが前提条件ですが...(汗)。

背の高い選手がいらないとオシムがいうとき、それは、チームに対する要求度がさらに高くなっていることがわかります。3人目を探すということも、探さないということよりも要求度や難易度が高くなっていると思うし、ファンタジスタはいらないということも、当然(激汗)、「そういうこと」だと思います。

しかしNumberを読んで、私の印象ですが、オシムは「これからのサッカー(世界のトレンド)」ということを常に非常に意識してきたような気がします。それがこれまでのジャパンと違うところなのだと思います。
  • 2006/10/01-10:25:48
  • 投稿者 : ナイル
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[C4599]

ちょっと変な感想だけど…三人かぁ…木→火→土(→はボール生じる)サッカー。木が自分だとして…土(三人目)へのパスは剋でもある。危険な賭けっていうか。それが11人。(一人はゴールキーパー)。どんなサッカーなんだろうと思いました。いったい自分関連の生剋はどこを走るのかとおもいます。
気づいたときはボールが目の前に出現するみたいなサッカーなのかなとか思いました。なんかファンタジスタ…関係ねーやって思います。ファンタジスタが目の前に出現したボールをさばいてくれる訳じゃない。むしろその冠がじゃま。まどわされる。生剋のシステムってなんかすごい。特別(ファンタジスタ・切り札)がない。誰も喰いついて蹴るしかない。私が「木」だとして、ゲームは動いてるからだれが今「土」かもわからないし。そういうトコで反応するにはどうしたらいいんだろう(汗)自分だけだったらぜってーダメだって気がする。繋がるってのは大事な事かもしんないと思いました。ネットワークというのは生剋のネットワークだけじゃなくて、もひとつ全体のネットワークみたいのいるかなと思ったりもします。(所在地がとれるような…六爻って所在ネットかなとも思いました)
 
とかなんとか、朝から大妄想中ですが…もし五行とかまったく頭になくて、いやあったとシテも…このサッカーは叩き込まれなきゃわかんないのではないか…と思いました

[C4598] パスワードの欄は

コメント欄の下にあります。

  • 2006/10/01-08:24:24
  • 投稿者 : あかり
  • URL
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[C4597] >内容変更で訂正

それをする場合は、書き込みの際、
パスワードを設定すると、可能です^^

 
  • 2006/10/01-08:21:19
  • 投稿者 : あかり
  • URL
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[C4593] >非ファンタジスタと五行

今まではファンタジスタということがクローズアップされ、それを目指す人が多かったのだろうと思います。しかし、それだけでは試合は成り立たないという事だと思います。その今まで必要だったのに注目されずにいたことにオシムは注目し、強化しようとしているのではないかと思います。
今までの監督にはない視点で、選手の発掘、指導に当たっていて,今後が楽しみです。
今すぐ試合はみれそうにないのですが、なんとかしてそのうち見たいと思います。

[C4592] >非ファンタジスタと五行

>「誰が彼らのために走るのか?」
走る・・というのは、自分が得点をするために走るのではないのだ・・と改めて思いました。
常に全体を動き続けさせるためには、走るしかありません。
足でボールをいくら上手にコントロールできても、最後のキック力があったとしても、それはチームとしての動きにはつながらないし、そこに持っていくためには誰かが走らなきゃならない・・

>こうして「個」が頂点を目指すようになる。。
代表チームクラスの人でも、そういわれてはっぱをかけられることもあっただろうし、一般的にでも、日本代表選手のなかにその目指すべき人・・ファンタジスタ・・を求め、あの選手のように・・と、頂点を目指す人、目指すようにいわれる人がいっぱいいるのだと思います。
こういうのは、サッカーに限らず、色々な面でそういう風潮はあるのではと思いました。

>インタビュー
我那覇選手のインタビューは、すごく心にきました。
我那覇選手はオシム監督の思うサッカーをよく理解されていると思いました。
他の選手のも紹介された文を読みましたが、みな、よく分かっていると思いました。
この短期間でも、しっかりと選手に伝わっているのは、オシム監督のやり方もいいのだろうし、たぶん、選手たちもちゃんと駒になって、監督のいうことをしっかり聞いているのだと思いました。
というか、そういう選手がやはり集められたのかもしれません。
「自分が!」という思いが強いと、ああいうインタビューにはならないと思います。

「3人目」というのを説明するのに、「体で覚えているから説明するのは難しいんですけど…。」といってるところが、なんだかすごいと思いました。
体が覚えている・・
オシム監督は、理屈であーだこーだいわず、体に覚えさせてるのだと思いました。
さらに、最後に「さまざまな場面でつながっているんです」とも・・
もうほんとに感動しました。
こうして、オシム監督のやり方を体で覚えた「駒」の選手たちが、これから、その体で監督のやり方のとおりのプレーをし、さらにこうして自分の言葉で、監督のやり方を話すようになることがもっと増えてきたら、記者やサポーター、多くのファンの中にも何か変化がじわじわと起きてくるのかもしれないと思いました。
それぐらい、とても、納得のいく、そしてなぜか読んでいて気持ちのいいインタビューだと思いました。

「3人目」を使うと、全体が動く感じがします。
「3人目」に気づき、また自分が「3人目」になるには、常に走り、動き続け、周りをみてなきゃいけないのだと思いました。
こうなると、どこにもヒーローはいません・・
ヒーローがいれば、「3人目」の存在はないと思いました。

間接的に関与することができるのは、駒だからこそだと思います。
それを理解している選手たち、またそれを伝えているオシム監督はやはりすごいと思います。

記者の中にはいろんなコトを書く人がいるし、空港にはサポーターはあまり集まらなかったけど、チーム内は、周りの批評など「なにそれ?」状態で、ただひたすら、自分たちのサッカーをやっているのだと、インタビューを拝見して思いました。
(まだそれに気づかず、俊輔選手の活躍を追ううちの父ちゃんて・・・・・・(-_-;))

[C4591] すみません↓

最後の二段の文、内容変更で訂正したのですが、消えませんでした。読みずらくて失礼しました。
  • 2006/10/01-06:10:33
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
  • 編集

[C4590] >非ファンタジスタと五行

>「誰が彼らのために走るのか?」・・ホントだよ、そう思う。だからファンタジスタはいらないんだ。いらないどころか、いてもらっては困るんだ。そいつひとりのために他の10人がいるんじゃないんだ。


そうですよね、ホントにそう思います。ファンタジスタは、一人じゃあやっていけない、周りがいてくれてはじめて輝けるのに、自分一人の手柄のように振舞ってるように見えます。それも、一人につき何人もの周りを巻き込んで・・。

>彼は技術に問題はあった。しかし、気持ちが入って、走っていた。戦っていた」

勇人を見てのオシムの言葉。これを聞いたら、駒冥利に尽きると思います。

>体で覚えているから説明するのは難しいんですけど…。

どれだけ練習をしてきたことかがうかがえます。

>常に『感じて』いないといけない。安心していてはダメなんです。誰かが決めてくれるではダメなんですよ。(味方がシュートを)打つな、と思っても常に動かないといけない。そういう状態でみんなが動いている。さまざまな場面でつながっているんです」

もう完全に駒の発言です。個を手放して、全員が間接的に繋がりあっている、中心はなく、ボールをめぐって常に動いて3人目を感じて自分が走る・走る、誰かのための誰かが輝くサッカーじゃあない。

>こうなると、生き方の問題かも知れません。

そうですね、サッカーの優れた技術や豊富な経験や不屈の精神性などが肝心なことなのではない、いかに個を手放して全体を見れるか、周りを常に感じることができるか、間接的な繋がりを意識できるか、そして「気持ちが入って、走れるか、戦っているか」・・、もう生き方の問題だと思います。

ファンタジスタは要らない・・。















>体で覚えているから説明するのは難しいんですけど…。

どれだけ練習してきたことか、が伺えます。
  • 2006/10/01-06:02:08
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
  • 編集

[C4589] >沖縄魂でつかんだ夢の代表

沖縄魂。。ってなんだろう。。と、
自分が沖縄の人にもかかわらず、分からなくて、
考えていたのですが、

それは、「なんくるないさ~」(なんとかなるさ)

ということかなって。。ふと思いました。

我那覇さんが、
「チームに入ったとき、夢も目標もなかった」
といっていたのが印象的でした。

なんかしなやかで・・

しなやかって、五行的生き方につながるように思いました。


 
  • 2006/10/01-01:47:53
  • 投稿者 : あかり
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[C4588]

オシム監督が代表候補にあげた選手の「記事」を
HPの書き込みから飛んで、読みました。
全員ではないと思いますが、今までだったら代表には「不適格」
とされるような人達が沢山、代表候補にあげられています。
今まで「不適格」とされていたもの・・
例えば「足が小さい」「背が低い」
それから謎の長所「笑いが取れる(・・汗、これってサッカーに
必要?)」「頭をふまれても・・気にしない(滝汗)」
など・・。
今までは、こうでなければダメ、「代表に適格な選手」とゆう
規定があったのかもしれません。
「ファンタジスタ」とか、そうです。

 「誰が彼らのために走るのか?」の走れる選手が、全員なんだと
思います。11人とも走る選手で、主役は誰かわかりません。全体が
主役です。「3人目」も誰が、「3人目」として飛び込んでくるか謎です。
すべて決まってなく、つねにぐるぐるとしている・・走ることで、流れが
でき、とどまることなく、基点がないのだ・・と思いました。
e-353
 

 



[C4587] >非ファンタジスタと五行


>「誰が彼らのために走るのか?」・・ホントだよ、そう思う。だからファンタジスタはいらないんだ。いらないどころか、いてもらっては困るんだ。そいつひとりのために他の10人がいるんじゃないんだ。

うん。。
そいつひとりのための10人なんじゃないと、私も思います。
でも、そのひとりになることを目指していたのか、これまでのサッカーだったんだ。。と思いました。
そして、世界も・・


>誰かが決めてくれるではダメなんですよ。(味方がシュートを)打つな、と思っても常に動かないといけない。そういう状態でみんなが動いている。さまざまな場面でつながっているんです


皆が対等につながっていて、味方の誰かがゴールを決めるときも、決して、外側から見ているのではなくて、
一緒にゴールを決めている。。
ってことだと思いました。


>自分がシュートを打とうとすることによって相手が食いついてくるから、空いたスペースの味方を使ってやることも大事


プレーするフィールド全体を使っているのだと思いました。
それは、自分が自分がと、個を押し出すのではなく、
11人がネットワークでつながっているから、できることだと思いました。

パスが出せるのは、そういう味方がそろっているチームだからなのだと思いました。




  • 2006/10/01-01:36:45
  • 投稿者 : あかり
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[C4585] 五行の生き方

自分の役目は終わったとか、あの人がいるから私は休もうふう。とかそんなのではないと感じました。
バトンタッチの関係ではないのでは。
だから、いつ何時も休めないし、気も抜けない。安心もできない。常にだれかに影響していて 誰かから影響されているから忙しいのではと思いました。
短絡的なオン、オフの関係ではないと感じました。
間接的なことなので言葉にするのは難しいのかなと思いました。ファンタジスタの人は 自分一人でやってしまいそうです。チームワークとも違うので、なかなか説明できないのかと思いました。
  • 2006/10/01-00:59:33
  • 投稿者 : なんしぃ
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非ファンタジスタと五行

 
 本の抜萃です。
 
***********************
 
 オシムは述懐する。
 
「ジェフに初めて来たとき、ひとりではいい選手が沢山いた。ただ、そういう選手がひとつのチームに固まっていたら、チームは成り立たない。誰が彼らのために走るのか? 近代サッカーにおいて走らない選手、足の遅い選手は、年齢に限らずもはや使えない。勇人はサテライトの試合を見に行ったとき、すぐに見つけることができた。彼は技術に問題はあった。しかし、気持ちが入って、走っていた。戦っていた」
 
*************************
 
「誰が彼らのために走るのか?」・・ホントだよ、そう思う。だからファンタジスタはいらないんだ。いらないどころか、いてもらっては困るんだ。そいつひとりのために他の10人がいるんじゃないんだ。
 
 そういう視点は今までは無かったと思います。
 今までは逆でした。
 ひとりのファンタジスタがいたとして、監督はこう言った。
 
「みんなも頑張れば、ああなれるよ。ああなるのがサッカーの選手というものだ」
 
 こうして「個」が頂点を目指すようになる。。
 
 以下は、私のHPに書いたことですが、ここにも載せます。
 
***************************
 
オシムジャパン新戦力直撃3人
●「FW我那覇和樹 沖縄魂でつかんだ夢の代表…オシムジャパン新戦力直撃(1)」
 
>インタビュー
 
―しかし、オシム・ジャパンは、まだチームとしてどのように点を取りたいのか、見えない気がします。
「僕が思うオシム監督のサッカーは、ボールと人が動くサッカー。『走る』というのは大前提で、頭と足を常に使う。点を取りにいくには、数的優位をつくって、3人目(ボールを持つ選手と受ける選手以外)を使った攻撃をする」
 
 ―3人目というと?
「体で覚えているから説明するのは難しいんですけど…。例えばシュートを打つときに(オシム監督から)『シュートを打つことは悪くないけど、自分がシュートを打とうとすることによって相手が食いついてくるから、空いたスペースの味方を使ってやることも大事』とも言われますね」
 
 ―ストライカーとして大事な要素と?
「そうですね。(シュートを)打って外れるよりは、確実に空いている味方にパスを出して決めてもらう方が、オシム監督の理想じゃないかなと感じますね。『シュートを打つことは悪くないけど』と最初に言うんですけど、周りを見て、空いている選手がいたら、そこを使えと言いますね」
 
 ―日本人は積極的なシュートが足りないという、ジーコ前監督らの見方とは逆ですね。
「そういう意味では意外でしたね。確かに日本では(積極的にシュートを打つだけで)通用するかもしれないけど、世界が相手なら周りが見えないといけないと思います」
 
 ―だから「3人目」が大事だと。
「常に『感じて』いないといけない。安心していてはダメなんです。誰かが決めてくれるではダメなんですよ。(味方がシュートを)打つな、と思っても常に動かないといけない。そういう状態でみんなが動いている。さまざまな場面でつながっているんです」
 
****************************
 
 ここで言う「3人目」とは、影のような存在だと思います。
 計画になかったことです。
 間接的です。
 なんか、「五行」を感じます。
 
 間接になることが、ファンタジスタには難しいのだと思います。
 こうなると、生き方の問題かも知れません。
 オシムの選手になるには、生き方を変えなきゃならない・・。
 
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36件のコメント

[C4685] >非ファンタジスタと五行

>さまざまな場面でつながっているんです

この言葉にビビっと来ました。

さまざまということは、勝つという未来があるとしても、どこからどのようなアングルで流れが生まれるかは判らない。
いわゆる未知領域な状態を言っているような気がします。

そして、つながっている。

どんな予想だにしない展開になろうと、駒化すればつながっているということなのだと思いました。

ということは、勝つためにはつながることが大事ということだと思いました。

トップ選手が出れば通信は途絶えてしまう。
駒化されれば、どんな展開になるか判らないからその分さまざまな視点を向けることができるということなのだと思いました。

見えないものを見るということが認識、できるようになるとき、もともとあった力が表出されるのだろうと思います。

もともとあった力だから努力する必要はない。
ただ、その力が表出されただけなのだと思います。
駒化されたことで。

無駄なこともかも知れないが、走ることは意味はないかも知れませんが、価値はあるのだと思います。

[C4657] >非ファンタジスタと五行

ファンタジスタは小次郎タイプの選手たちだと思います。神様といわれるペレやマラドーナも何人もごぼう抜きしてピンポイントなパスを出したり、鮮やかなシュートを決めたりしてツバメ返しのような見事なキレのある技を繰り出すのでありましょうが、それも彼らの運命通りに動かされているに過ぎません。観客はその技の華麗さに魅了され、歓声を上げると思いますが、時空からすればちっとも面白くないと思います。自分の決めたとおり動いていますので・・・。でも、オシムサッカーにおいて3人目にパスが回され、シュートが放たれた刹那は、時空さえそのコントロールが効かないような気がします。「聞いてないよ、そのボールはどこへ行くのだよ」と。ツバメ返しで宙に浮くツバメが切られるのは運命通りと思われますが、影の放つシュートは運命を超えているとも思います。

ゆくえさん、私もモー娘。は敢えてファンタジスタをおかないユニットなのだなあとあらためて認識させられました。エースの後藤や安倍も突如、卒業を言い渡されたり、次々と新メンバーを加入させたりしていまして、センターボーカルも次々と変わりまして、司令塔のような存在がいないです。
  • 2006/10/03-00:09:38
  • 投稿者 : おかだ
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[C4651] >非ファンタジスタと五行

サッカーに詳しくないので、サッカーの戦略というものがよくわからないのですが、
オシムの戦略は読めないような気がしました。

あらゆる戦略は理詰めの部分があると思います。
実際の対戦においては、その戦略がうまくいくか、いかないかで、勝敗が決まります。
 
そして勝敗の原因は、戦略そのものにあるのか、選手にあるのかが論じられたります。
 
オシム以外の監督の場合、まず、選手がいて、その選手の能力を合わせたもので、
戦略が組まれているような気がします。
つまり、選手の能力の合計が戦略になっていて、左脳的な感じがします。
 
オシムの場合、まず試合そのものの、全体のイメージがあって、そのイメージに
合う選手が選ばれているように思えます。
もちろん、選手の能力は充分、分析しているのだと思うのですが・・
何か、右脳的にゲームをとらえているように思えます。
 
左脳的だと直接的な動きに目がいきますが、右脳的だと間接的な部分が見えてくる
ように感じます。
 
オシムは左脳で選手を見ていながら、右脳でゲームを組み立てているのではないか・・
この感覚が「3人目」の選手の存在の重要性につながっているように思えました。
  • 2006/10/02-21:48:40
  • 投稿者 : 福
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[C4635] 3人目

私も今年w-inds.のコンサートに行ったのですが、隣りは娘さんのためにわざわざ名古屋から車すっとばして金沢まで来てたお母さんでした。お母さんの隣りには娘さんの遠距離な友達のお母さんがいて、二人で年に一回の再会を楽しんでいましたよ。会場を見渡すと、ギャル・ギャル・お母さん・ギャル・お子さま・お母さん。結構お母さんいっぱいいました。お母さんもノリノリでした。また、コンサート終わったら、何時間もかけて車運転して帰るのに。お母さんも3人目だと感じました。お母さん、結構大変だけど、結構楽しそうでした。娘のために。なのに。楽しそうでした。私にも、またね。って言ってくれました。3人目なのに。。。
  • 2006/10/02-08:26:28
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4632] >非ファンタジスタと五行

>「3人目」
ファンタジスタになることとは「1人目」、あるいは限りなく1人目に近い「2人目」を目指すことだと思います。
少なくとも、「3人目」になることは意識の中にはまったく無いと思います。
それどころか、この言葉を聞けばきっと、「3人目なんかになりたくないよ!」と思うかもしれません(爆)

しかし、もし自分がサッカーのプレイヤーだとして、「3人目に徹しなさい」と言われれば、はじめは僕も抵抗を感じるかもしれません・・・(汗)
別に自分が「ファンタジスタ」のような一流プレイヤーでなくてもです・・・(汗)

なぜなら、「1人目」や「2人目」はプレーを作っていく存在であるのに対し、「3人目」は
プレーには直接関係の無い存在です。
にも関わらず、常に全力でひたすら走り続けるということが、なかなか体力的にも精神的にもかなり大変そうで、なろうと思ってなれるものではなさそうだと思うからです。
しかし考えてみると、「3人目」はなろうと思ってなるものではないように思えます。

一方で、「1人目」や「2人目」はなろうとしてなるための存在だと思います。
つまり、練習を重ねて能力をUPさせながら目指していく存在、という感じがします。

逆に、「3人目」は「目指す」という考え方を無くしたときに初めてなれる存在のような気がします。
なぜなら、良いプレーをしてやろうとか、あわよくば点を決めてやろうといった目的を持ってはだめだと思うからです。
そうしてしまうと、「1人目」や「2人目」を目指してしまうはずだからです。

しかし、「3人目」になるには「1人目」や「2人目」以上の練習量が必要ではないかと思います。
なぜなら、常にひたすら走り続けなければならないからです。
やはり「3人目」になることは、並大抵のことではなさそうです・・・。

[C4628]


うー巧く言えないのですが 
(汗)
すごく生きてる感を感じました。 
この、「常に『感じて』~さまざまな場面でつながっているんです」 
というところとか、体感しているんだと思います。 
 
縁の下の力持ちって、地味で華やかさが無いというイメージがあります。 
人は皆華やかなものに目を奪われるから 
ファンタジスタは求められて出来たのかなと思いました。 
ところが、3人目が大事になると、皆が縁の下の力持ちって感じだなあと思います。 
ピラミッドみたいな頂点とその裾野という感じではなく 
生命体という感じがしました。 
 
全員が全員と繋がっているなんて凄いし 
自分の生き方があると繋がれないと思いました。 

[C4625] >非ファンタジスタと五行

「数的優位」という言葉を最近何度か目にしたり耳にしたりするようになって、どういうことなのだろうと思っていたのですが、3人目を使った攻撃ということなのだなと思いました。
3人目を使うには、みなが走っていることが大前提なのだと思います。
そうじゃないと、誰もいないところにパスは出せない。
だから、どんなにいいパスを出そうとシュートを決めようと、足を止めたら、オシムは怒るのだと思いました。
死ぬまで走り続けるのが前提なのだと思いました。
  • 2006/10/01-23:54:14
  • 投稿者 : くるみ
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[C4623] 非ファンタジスタと五行

上位の問いと下位の問いの関係性について考えてみました。 
自分と相手が、上位の問いで、3人目が下位の問いに
あたるのではないかと・・。 
 
下位の問いについて考えていて、たまたま解けてしまう、上位の問いというのが、理想なのではーとか・・。 
 
そのときの解は、下位の問いとの関連をもった、 
解なのかもしれないと。 
 
3人目を、意識しながら、サッカーをしていると、 
3人目へつながる、2人目へのパスをおもいつくとか。 
 
五行的というのは、つまるところ、なんであれ、 
5人は、かならず、登場させてしまうということかなー 
と思いました。 
 
  • 2006/10/01-23:40:30
  • 投稿者 : マカロニ
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[C4619] >非ファンタジスタと五行

つい浮かんだのは、モーニング娘。でした・・
子供がまだ小学生のときは、BSで放送される夏のコンサートを録画して一緒に楽しんだものです。
たっくさんのカワイイ子らが踊り歌い跳ねる姿は、もう元気いっぱいで、うっわぁ~っと興奮させられました。
ひとりだと、もうもの足りない気さえしてきます。
アイドルだけとってみても一人より二人、よりもグループ・・と、大勢いる方が見所も増えて楽しさ倍増だと思います。
私は娘がファンクラブに入ってるw-inds.のコンサートに毎年ついて行くのですが、なので特にファンではなくても大人数のカトゥーン人気は納得できるところです。
やはり時代はもりけんさんの言われるとおり、一人のヒーローより粒ぞろいの多人数パワーが勝るのだと語り初めているようです・・
おかださん、おかぶとっちゃってゴメンナサイ(ペコリ)
  • 2006/10/01-21:22:09
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4618] インタビューの中で

「走るのは大前提・・」とあります。
走り続けるのは、それだけで、たいへんなことだと思います。
だけど、やみくもに走っているだけでもダメなのでしょう。
なぜなら、それは「ウソの走り」になってしまうからです。たとえ全力疾走しても、ウソの走りになってしまうことはあると思います。
願望実現の走り、努力の走りに、なってしまうことはあると思います。
だから「感じる」ということが、いるのだと思います。
それは、華麗な走りのことを意味していないと思います。
生を感じているということではないでしょうか。
闇雲に走っても、生を感じられない場合もあると思います。
だからといって、止まってしまっては終わりです。
走るということが大前提だと思います。
感じられないときにも走るとすれば、それはウソの走りになってしまうはずです。完ぺき主義者は、そこで走るよりは止まることを選ぶのでしょう。
うまくつながらないときに走っているのは、暗中模索の走りだと思います。
  • 2006/10/01-21:18:02
  • 投稿者 : L.B.
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[C4617] 3人目の存在と時間のブロード

いないかもしれない3人目にパスを出すということは賭けである一方、その3人目がいる位置からどのようにボールが動くかということも考えながらパスを出したり、走らなければならないように思いました。

ということは3人目の影のような存在がいることでまたひとつ先の時間まで今にもってくる必要が発生します。

3人目とは確かにどこにいるのかわからない存在です。
だから直接的ではなく間接的です。

ということは間接的になればなるほど、時間がなくなっていくのかもしれません。

ならば五行的になればなるほど、時間が今しかなくなるのだと思います。

その点ファンタジスタはなんだか自分中心なので、時間を余らせて無駄にしてしまうように思えてきました。

[C4616] 3人目noと時間のブロード

コメントをどうぞ

[C4615] ファンタジスタ

ファンタジスタは、馬のようなデカちんをひけらかしている人に思えました。もしくは巨乳をアピールしているような。でかちちは感度が悪いと聞きます。オシムはサッカーが大好きなので、感じたいのだと思いました。ペットボトルを投げてでも感じたい。。。だからデカちんや、爆乳の国を離れ、日本に来たのだと感じました。馬のようなデカちんでは走るのにじゃまでしょう。少々皮がかぶってるくらいがちょうどいいのです。オシムも小さくていい!かまわないと言っています。日本男児は別にデカちんこに憧れなくてもよいと思いました。ゴールするだけでは感じません。貧乳でも感じればいい。真剣に思います。
  • 2006/10/01-20:26:25
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4614] ファンタジスタ

皆が、つねに動いている、動いているので誰もいないスペースにも誰かが見える隠れている、スライドしているような感覚を受けます。空間感に誰かがいる空間と一つになりプレーしてるそんなメイドのようです。分身の術をつかうサスケのようです。
  • 2006/10/01-19:29:03
  • 投稿者 : じんのり
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[C4613] >非ファンタジスタと五行

確実に点を取りに行くのだとしたら、特定の誰かにボールを集めるくらいバカらしいことはないのだなと思いました。
「個」同士の技術対決では日本は世界に勝てないです。
 
国内でも、世界の舞台においても勝率を上げるためには小次郎的存在の選手が直接対決をするのではなく、飛び掛ってきた武蔵に目を奪われて、その背後から降りかかった太陽光線に目を潰される作戦は、間接的だと思いました。
自分以外の引き潮時間(遅刻)や太陽光線を使ったことで武蔵は自分を間接的存在にしてしまったのだと思いました。
 
自分(水)が生じたり(木)剋してたり(火)している相手からは返礼を受けず、別の相手から生じられたり(金)剋されたり(土)している状態は、特定の誰かが突出しているわけではなく、5つの要素みんなが均一化しています。
お互いに間接的な関係になることによって、均一化されてしまったのだろうかと思います。
 
オシム氏の作戦は全員が攻撃できて全員が守れてと均一化をしたことによって間接的攻撃を可能にしたのだなと思いました。

[C4612] ファンタジスタからオシムサッカーへの落差

運命が決まっているのであれば、偶然に勝つということは、ありえないのだと思います。
ファンタジスタががんばるサッカーでは、シュートがはいらないかった時、ファンタジスタだけを見ると、そのミスが絶好調だったのに絶好のシュートをはずしたりすると、不運だったとかで、片付けられてしまうことがあります。神なのに、はずすなんて!とか、
それは、「サッカー」をファンタジスタ周辺でしか見ていないということだと思いました。

しかし、オシムのような視点でサッカーを見ると、そのシュートが外れたのにも、ある法則があてはまったから外れたのだというように考えるようになるかもしれないと思いました。
すると、そのシュートの意味も、がファンタジスタひとりのシュートではなく、チームの動きのなかで出たもので、しかも、そのタイミングで打ったというその時間の環境の部分もそのシュートを生み出していたであったとか、ブロードな今になればなるほど、超必然の世界に突入していくように思いました。

ファンタジスタが間接性のなかに飛び込むには、生き方を変えないとならない・・・すごい。
だって、彼らがここまで頂点に上ってきたのは、技だったりすると思います。自分の特徴ってことでもあります。
そのスペシャリスト性も破棄しないと、なりません。
走る、とにかく、走る。
匠の技の世界と、アメーバの世界は、地球の進化の歴史でいったら、数億年の時差=距離があると思いますが、極端にはそこまで降りないとぉ、と考えたら、どえらいことだと、思いました。
しかし、ファンタジスタすらアメーバ状態なんかになったらば、「サッカー」という巨大生物が見えて着そうにも妄想しました。
  • 2006/10/01-18:10:19
  • 投稿者 : テクノン
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[C4611] >非ファンタジスタと五行

>誰が彼らのために走るのか?
 
ハッとする言葉でした。確かにそうだと思いました。
ファンタジスタは自分がシュートを放つためにボールがパスされてくるのを待っているだろ

うと思います。
ファンタジスタは自分にボールがパスされれば高い確率でゴールを決めるかもしれないけれ

ど、逆に考えたら、ボールがパスされて来なければファンタジスタはシュートをしないです


シュートするポイントは本当は無数にあると思います。だからファンタジスタにボールを絞

るというのは、実はシュートチャンスを減らしているのかもしれないと思いました。
 
>数的優位をつくって、3人目(ボールを持つ選手と受ける選手以外)を使った攻撃をする
 
この攻撃をチームが始めたら、自分がファンタジスタである事から抜けられない選手は3人

目にはなれないと思いました。でも他の選手は常に3人目になる可能性を持ったまま走り続

けて、パスは無数にあるシュートポイントに届くのだと思いました。
 
> こうなると、生き方の問題かも知れません。
 
華麗な技を持つファンタジスタだけに限らないと思いました。
殆どの人が、良いところを見せたい気持ちがあったり、全く誰にも気が付いてもらえないよ

りは、少しは自分に気が付いてほしいという気持ちがあると思います。
 
駒になりきるというのは、すごく難しいと思います。
でも駒になりきった選手達は爽快感を味わっていました。
だから、難しくても、駒になりきってみたいと思いました。
  • 2006/10/01-17:32:44
  • 投稿者 : ぷく
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[C4610] >非フアンタジスタと五行

空いているとことろにボールを出す、誰か他の状況の良い仲間を使う、自分以外でも有利な状況を使う間接的というか自分が間接であるという感覚が近い気がしました。全体が各々の間接としてゴール(勝利)へと機能する、間接として一巡したり冲されている五行、どれが中心でもなく、一番目的に接近しているものの間接になるオシムのサッカーに似ている気がしました。
  • 2006/10/01-17:29:05
  • 投稿者 : yk
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[C4609]

子供の頃、時代劇を見るのが好きでした。
殿様の命令で家臣たちが斬りあいます。殿様が悪い奴でも命令されればそのように行動します。
そこに小次郎はいません。なもない一番下の家臣たちです。

3人目になれるのは、このような人達なんだと思いました。スターでもなく間接的に働く・・・五行的だなと思いました。


[C4608] サッカーはチームプレーだと・・

改めてそうだよ・・と思います。
あまりにもファンタジスタを中心に据え過ぎていた気がします。
きっと選手達自身もそうだったのではないかと思います。
皆で走り皆で考えながらボールをゴールにもっていく・・
本当に当たり前のことなんだと思います。

三人目・・間接的です。
一対一に二人目が加わり、ボールを競りながら
空いたところにいる三人目に渡す。
すごくシンプルで何だか美しいです。
どこにもファンタジスタの入る余地はないです・・。
  • 2006/10/01-15:57:48
  • 投稿者 : まる
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[C4607] 三人目の人には、誰でもなれる。

今までは、その三人目が中村俊介だったり、ヒデだったこともあった。でなければならない人たちが三人目でなければいけなかった。だから、「えー、今シュートうてばいいのに」と思った場面でもそういう人たちにボールを回して、結果的にゴール出来なかったりした。

今は走りこんで、シュートしやすい場所にいる誰かが、ゴールをねらう。それが誰かわからないっていうところがいいんだと思いました。

サッカーは個の足さばきの技術が高いほうがいいと思ってきました。いいほうがいいけれど、個だけでなく全体を見る力、先を読む力、そして体力をつけていって目立たない。

と、ここまでやってファンタジスタにならないようにするというのは難しいと思う。しかしオシムはそれを望んでいるらしい。。

個をすてて 個を磨きつつ 全体を見る。
ってことかなと思いました。

[C4605]

今までは(今でもそうなのかもしれませんが)個がある意味で頂点を目ざす生き方が主流であったし、奨励されていた感があります。

こんな諺もありますよね。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」

ビジネス関連の書物に目を通すと、こんなことが書かれています。
「会議ではとにかく一番最初に発言すること。2番目、三番目に発言しても目立たない」とか。
社長やマネジャーになるためのノウハウ本はよく目にしますが、よきアシスタントになる類の本はあまり目につきません。。

会社組織だって、全員がマネージャー的な発想をしていたら、仕事が回らなくなると思うし、アシストする立場の人間がいるから仕事が動くと思うのに、注目されるのはマネージャークラスの人間だけです。
「縁の下の力持ち」的な仕事をしていたのでは、リストラの候補にもなってします。(特に外資系の会社では)

サッカーとビジネスではフィールドが異なるのですが。
「ファンタジスタ」的な存在がいるのは、観客にとっては、面白いのかもしれませんが、同じチームのメンバーには重苦しい存在かもしれません。

もしかしたら、ファンタジスタである彼の為に、自分の才能に敢て蓋をする選手もいたりして。

誰でも「3人目」になれる生き方のほうが「トップ」をめざす生き方よろも、人間に優しいと思いました。

人間の運命も固定しているのではなく、もっと流動的であったらよかったのにと思います。

「運命」がガチガチだから、皆「トップ」を目ざすようになってしまうのかもしれえません。












  • 2006/10/01-13:51:09
  • 投稿者 : ばなな
  • URL
  • 編集

[C4603] パスワードの件

個人的レスですみませんが・・。
あかりさん、ありがとうございました。
今度からパスワード入れてやってみます。
  • 2006/10/01-12:39:25
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
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[C4602] >非ファンタジスタと五行

>「誰が彼らのために走るのか?」・・ホントだよ、そう思う。

「おおお・・」と思いました。揺さぶられました。
相手チームにとって三人目は、影から自然に引き出されるが如く現れたように見えるのではと思いました。
三人目の当人は、バッタのように意図せず外応になってしまった感じか・・。

三人目は自分でも予想せざる状態で、ひたすら走っていたのかも知れない。
しかし、その結果現れる場面は偶然そうなったとは違うと思います。

チーム全体が「これでいい」という到達点がない、果てしない状態を想像します。
このことの前で相手チームは、ゴールされるかされないかは別に、説明しがたい防ぎようのない感覚を抱くのではないかと思いました。

[C4600] 3人目かあ...

ひとりがボールをカットして、もうひとりがいいパスを出して、ひとりが攻撃する...。

1、2、3ですね。バレーボールと一緒だなと思いました。サッカーではひとりの人がボールに何回さわってもいいので、イレギュラーに回転したボールを殺してそれからシュートを打つことが許されます。だから、ワン、ツーでもいいんだろうなと思います。

3人目を探す余裕なんかあるのかなあという気がしますが、誰かが3人目を必死でさがしているときに3人目になれなかったら、オシムはチーム全体をぶっとばすような気がします(笑)。

3人目がゲームをぶち壊したらオシムはどうするんだろう...。オシムは即刻そいつを追放するだろう。そう考えると3人目になるのも大変だ...。

それでも3人目にボールをだすサッカーを、オシムはこれからのサッカーだと考えているのでしょう。

Numberの10月5日号もオシムの特集でした。その中で日本のチームに背の高い選手がいないことについて、オシムは背の高い選手をチームにたくさんいれることは、私の解釈ですが、一時の流行でそれはもう過ぎ去ったと考えているようです。小さくても小回りの利くFWやDFは十分背の高い選手に勝つことができると。しかしその分さらにすばやく走ることが前提条件ですが...(汗)。

背の高い選手がいらないとオシムがいうとき、それは、チームに対する要求度がさらに高くなっていることがわかります。3人目を探すということも、探さないということよりも要求度や難易度が高くなっていると思うし、ファンタジスタはいらないということも、当然(激汗)、「そういうこと」だと思います。

しかしNumberを読んで、私の印象ですが、オシムは「これからのサッカー(世界のトレンド)」ということを常に非常に意識してきたような気がします。それがこれまでのジャパンと違うところなのだと思います。
  • 2006/10/01-10:25:48
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
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[C4599]

ちょっと変な感想だけど…三人かぁ…木→火→土(→はボール生じる)サッカー。木が自分だとして…土(三人目)へのパスは剋でもある。危険な賭けっていうか。それが11人。(一人はゴールキーパー)。どんなサッカーなんだろうと思いました。いったい自分関連の生剋はどこを走るのかとおもいます。
気づいたときはボールが目の前に出現するみたいなサッカーなのかなとか思いました。なんかファンタジスタ…関係ねーやって思います。ファンタジスタが目の前に出現したボールをさばいてくれる訳じゃない。むしろその冠がじゃま。まどわされる。生剋のシステムってなんかすごい。特別(ファンタジスタ・切り札)がない。誰も喰いついて蹴るしかない。私が「木」だとして、ゲームは動いてるからだれが今「土」かもわからないし。そういうトコで反応するにはどうしたらいいんだろう(汗)自分だけだったらぜってーダメだって気がする。繋がるってのは大事な事かもしんないと思いました。ネットワークというのは生剋のネットワークだけじゃなくて、もひとつ全体のネットワークみたいのいるかなと思ったりもします。(所在地がとれるような…六爻って所在ネットかなとも思いました)
 
とかなんとか、朝から大妄想中ですが…もし五行とかまったく頭になくて、いやあったとシテも…このサッカーは叩き込まれなきゃわかんないのではないか…と思いました

[C4598] パスワードの欄は

コメント欄の下にあります。

  • 2006/10/01-08:24:24
  • 投稿者 : あかり
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[C4597] >内容変更で訂正

それをする場合は、書き込みの際、
パスワードを設定すると、可能です^^

 
  • 2006/10/01-08:21:19
  • 投稿者 : あかり
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[C4593] >非ファンタジスタと五行

今まではファンタジスタということがクローズアップされ、それを目指す人が多かったのだろうと思います。しかし、それだけでは試合は成り立たないという事だと思います。その今まで必要だったのに注目されずにいたことにオシムは注目し、強化しようとしているのではないかと思います。
今までの監督にはない視点で、選手の発掘、指導に当たっていて,今後が楽しみです。
今すぐ試合はみれそうにないのですが、なんとかしてそのうち見たいと思います。

[C4592] >非ファンタジスタと五行

>「誰が彼らのために走るのか?」
走る・・というのは、自分が得点をするために走るのではないのだ・・と改めて思いました。
常に全体を動き続けさせるためには、走るしかありません。
足でボールをいくら上手にコントロールできても、最後のキック力があったとしても、それはチームとしての動きにはつながらないし、そこに持っていくためには誰かが走らなきゃならない・・

>こうして「個」が頂点を目指すようになる。。
代表チームクラスの人でも、そういわれてはっぱをかけられることもあっただろうし、一般的にでも、日本代表選手のなかにその目指すべき人・・ファンタジスタ・・を求め、あの選手のように・・と、頂点を目指す人、目指すようにいわれる人がいっぱいいるのだと思います。
こういうのは、サッカーに限らず、色々な面でそういう風潮はあるのではと思いました。

>インタビュー
我那覇選手のインタビューは、すごく心にきました。
我那覇選手はオシム監督の思うサッカーをよく理解されていると思いました。
他の選手のも紹介された文を読みましたが、みな、よく分かっていると思いました。
この短期間でも、しっかりと選手に伝わっているのは、オシム監督のやり方もいいのだろうし、たぶん、選手たちもちゃんと駒になって、監督のいうことをしっかり聞いているのだと思いました。
というか、そういう選手がやはり集められたのかもしれません。
「自分が!」という思いが強いと、ああいうインタビューにはならないと思います。

「3人目」というのを説明するのに、「体で覚えているから説明するのは難しいんですけど…。」といってるところが、なんだかすごいと思いました。
体が覚えている・・
オシム監督は、理屈であーだこーだいわず、体に覚えさせてるのだと思いました。
さらに、最後に「さまざまな場面でつながっているんです」とも・・
もうほんとに感動しました。
こうして、オシム監督のやり方を体で覚えた「駒」の選手たちが、これから、その体で監督のやり方のとおりのプレーをし、さらにこうして自分の言葉で、監督のやり方を話すようになることがもっと増えてきたら、記者やサポーター、多くのファンの中にも何か変化がじわじわと起きてくるのかもしれないと思いました。
それぐらい、とても、納得のいく、そしてなぜか読んでいて気持ちのいいインタビューだと思いました。

「3人目」を使うと、全体が動く感じがします。
「3人目」に気づき、また自分が「3人目」になるには、常に走り、動き続け、周りをみてなきゃいけないのだと思いました。
こうなると、どこにもヒーローはいません・・
ヒーローがいれば、「3人目」の存在はないと思いました。

間接的に関与することができるのは、駒だからこそだと思います。
それを理解している選手たち、またそれを伝えているオシム監督はやはりすごいと思います。

記者の中にはいろんなコトを書く人がいるし、空港にはサポーターはあまり集まらなかったけど、チーム内は、周りの批評など「なにそれ?」状態で、ただひたすら、自分たちのサッカーをやっているのだと、インタビューを拝見して思いました。
(まだそれに気づかず、俊輔選手の活躍を追ううちの父ちゃんて・・・・・・(-_-;))

[C4591] すみません↓

最後の二段の文、内容変更で訂正したのですが、消えませんでした。読みずらくて失礼しました。
  • 2006/10/01-06:10:33
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4590] >非ファンタジスタと五行

>「誰が彼らのために走るのか?」・・ホントだよ、そう思う。だからファンタジスタはいらないんだ。いらないどころか、いてもらっては困るんだ。そいつひとりのために他の10人がいるんじゃないんだ。


そうですよね、ホントにそう思います。ファンタジスタは、一人じゃあやっていけない、周りがいてくれてはじめて輝けるのに、自分一人の手柄のように振舞ってるように見えます。それも、一人につき何人もの周りを巻き込んで・・。

>彼は技術に問題はあった。しかし、気持ちが入って、走っていた。戦っていた」

勇人を見てのオシムの言葉。これを聞いたら、駒冥利に尽きると思います。

>体で覚えているから説明するのは難しいんですけど…。

どれだけ練習をしてきたことかがうかがえます。

>常に『感じて』いないといけない。安心していてはダメなんです。誰かが決めてくれるではダメなんですよ。(味方がシュートを)打つな、と思っても常に動かないといけない。そういう状態でみんなが動いている。さまざまな場面でつながっているんです」

もう完全に駒の発言です。個を手放して、全員が間接的に繋がりあっている、中心はなく、ボールをめぐって常に動いて3人目を感じて自分が走る・走る、誰かのための誰かが輝くサッカーじゃあない。

>こうなると、生き方の問題かも知れません。

そうですね、サッカーの優れた技術や豊富な経験や不屈の精神性などが肝心なことなのではない、いかに個を手放して全体を見れるか、周りを常に感じることができるか、間接的な繋がりを意識できるか、そして「気持ちが入って、走れるか、戦っているか」・・、もう生き方の問題だと思います。

ファンタジスタは要らない・・。















>体で覚えているから説明するのは難しいんですけど…。

どれだけ練習してきたことか、が伺えます。
  • 2006/10/01-06:02:08
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C4589] >沖縄魂でつかんだ夢の代表

沖縄魂。。ってなんだろう。。と、
自分が沖縄の人にもかかわらず、分からなくて、
考えていたのですが、

それは、「なんくるないさ~」(なんとかなるさ)

ということかなって。。ふと思いました。

我那覇さんが、
「チームに入ったとき、夢も目標もなかった」
といっていたのが印象的でした。

なんかしなやかで・・

しなやかって、五行的生き方につながるように思いました。


 
  • 2006/10/01-01:47:53
  • 投稿者 : あかり
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  • 編集

[C4588]

オシム監督が代表候補にあげた選手の「記事」を
HPの書き込みから飛んで、読みました。
全員ではないと思いますが、今までだったら代表には「不適格」
とされるような人達が沢山、代表候補にあげられています。
今まで「不適格」とされていたもの・・
例えば「足が小さい」「背が低い」
それから謎の長所「笑いが取れる(・・汗、これってサッカーに
必要?)」「頭をふまれても・・気にしない(滝汗)」
など・・。
今までは、こうでなければダメ、「代表に適格な選手」とゆう
規定があったのかもしれません。
「ファンタジスタ」とか、そうです。

 「誰が彼らのために走るのか?」の走れる選手が、全員なんだと
思います。11人とも走る選手で、主役は誰かわかりません。全体が
主役です。「3人目」も誰が、「3人目」として飛び込んでくるか謎です。
すべて決まってなく、つねにぐるぐるとしている・・走ることで、流れが
でき、とどまることなく、基点がないのだ・・と思いました。
e-353
 

 



[C4587] >非ファンタジスタと五行


>「誰が彼らのために走るのか?」・・ホントだよ、そう思う。だからファンタジスタはいらないんだ。いらないどころか、いてもらっては困るんだ。そいつひとりのために他の10人がいるんじゃないんだ。

うん。。
そいつひとりのための10人なんじゃないと、私も思います。
でも、そのひとりになることを目指していたのか、これまでのサッカーだったんだ。。と思いました。
そして、世界も・・


>誰かが決めてくれるではダメなんですよ。(味方がシュートを)打つな、と思っても常に動かないといけない。そういう状態でみんなが動いている。さまざまな場面でつながっているんです


皆が対等につながっていて、味方の誰かがゴールを決めるときも、決して、外側から見ているのではなくて、
一緒にゴールを決めている。。
ってことだと思いました。


>自分がシュートを打とうとすることによって相手が食いついてくるから、空いたスペースの味方を使ってやることも大事


プレーするフィールド全体を使っているのだと思いました。
それは、自分が自分がと、個を押し出すのではなく、
11人がネットワークでつながっているから、できることだと思いました。

パスが出せるのは、そういう味方がそろっているチームだからなのだと思いました。




  • 2006/10/01-01:36:45
  • 投稿者 : あかり
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  • 編集

[C4585] 五行の生き方

自分の役目は終わったとか、あの人がいるから私は休もうふう。とかそんなのではないと感じました。
バトンタッチの関係ではないのでは。
だから、いつ何時も休めないし、気も抜けない。安心もできない。常にだれかに影響していて 誰かから影響されているから忙しいのではと思いました。
短絡的なオン、オフの関係ではないと感じました。
間接的なことなので言葉にするのは難しいのかなと思いました。ファンタジスタの人は 自分一人でやってしまいそうです。チームワークとも違うので、なかなか説明できないのかと思いました。
  • 2006/10/01-00:59:33
  • 投稿者 : なんしぃ
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