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[C4868] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/11/03-00:34:09
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[C4861] んん~~。。

神なら。。ちとへんだなあ。。時空だああ。。
循環はやっぱり。。ちょう自然に微分子レベルでやってるようなきがしまっすうう~。。魂と肉体の循環は別枠のようなきがしまっすうう~。。3つになって。。ごめんなさいです。。
  • 2006/10/30-07:59:00
  • 投稿者 : バニー
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[C4860] あっと。。。

天人合一は。。あるがままで完璧な。。とセットなので。。西洋の段階層も。。すべて繋げちゃいそうですね~汗汗
学生のころから宇宙に広がってるもりけんさんは。。やはり。。神的におもうなあ~。。「私は誰?」って。。神さんじゃろ~。。♪♪五行上で広がってるから。。すごいよね~。。なるほど。。空から。。おりてくるのがぴったりね~♪♪赤道上とか。。合いも多いけど。。沖もおおいのかなあ~。。
  • 2006/10/29-23:07:24
  • 投稿者 : バニー
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[C4859] 今までのパスの方式が従来のニュートン型だとすれば、「3人目」は量子力学的とも言えます。

ニュートンと言えば。。りんご、万有引力の法則かなあ。。頭悪いので。。う~ん。。詳しくはわからないけど^^。。
ある意味引力下の制御を受けてるとも言えるのかもね~♪♪。。で。。もりけんさんが入って。。オシム氏でサッカーで繋ぐと。。天人合一と。。西洋の段階級を。。オシム氏が1回駒化して。。サッカーと。。作家繋がりで。。汗汗。。経路系で繋いで。。で。。ちょうど。。生まれ変わりの村なので。。時空全体を繋いで。。汗汗。。ははは。。ちと。。くるしいかな。。^^
  • 2006/10/29-16:48:44
  • 投稿者 : バニー
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[C4809] 3人目

量子力学的に存在しているということは、存在している確立は限りなくゼロに近いけれど、センコンマの確率で存在しているということでしょうか。

おそらく、限りなく不可能に近い条件が全てクリアしたときにあらわれる存在という感があります。

ただし、その存在は時間の流れによって変幻自在に変化するので特定できない。

そのときどきの流れのような存在に3人目にさせられた存在。

そして、一瞬のうちに流れ去ってしまう存在だと思いました。

まさかの存在に気がついて乗れれば、ガチガチの運命か
らワープすることも可能なのではないかという荒唐無稽な考えがチラと浮かびました。

もしかして、3人目の存在が時空なのかもしれないと思いました。
  • 2006/10/08-15:28:38
  • 投稿者 : ばなな
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[C4788] >「3人目」

セレンディティピーなのかと思いました。
人間の意識レベルで計算されることって、ほんの数センチほどしか未来を見れないのではないかと思いました。
時空は私たちの運命を決めているが、浮遊していて私たちの前には姿を現してくれません。
物理方程式のように数式が決まっているわけでもありません。
分からないずくしです。
見えないものがあたり前であるのだから、何が起きるかどんな展開になるのかさえ意識レベルでは解読できないということなのだと思います。
見えない世界なのだから、未来は「まさか」から来るのも当然ではないかと思いました。
意識レベルではこの部分が矛盾にあたるのだと思います。
でもこの予想だにしないことが未来なのだと思います。
そう考えると個が発達してしまうと、「まさか」から来る未来に入り込めなくなるのかと思いました。
過去の蓄積を個が行えば、時空と接近はできないのだと思いました。

[C4782] 三人目

一人二人目は確認出来ますが三人目はまさかの想定外です。しかし、二人目以降の選手が時間と空間をフルに使い走りまくって動いてているからこそ、誰もいないところにパスがとうるのだと思いました。すると三人目は意識できる二人目と無意識にパスを出す三人目のようです。これがとまっていればそのような無意識からの信号はこないでパスが通らず相手選手パスが渡る可能性が高いのかもしれません。普通は立ちどまり聞こえない声を聞けと言い見えない者をみよと言う、私は原因派と違うと思いました。静かにして聞けというより時間空間をフル使い動き回るときに三人目の間接的なパスがとおり続けていく、そんな感じがしました。
  • 2006/10/07-08:05:22
  • 投稿者 : じんのり
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[C4779] >未来に、そこに存在する可能性を考えたパスです。

3人目は見えていなくても走ったりシュートしたりすることは確実性を求めていけばムダなことなのかもしれません。けれども確実性を求めたら、決まった範囲内のことしか、コトは起こらないと思いました。

堅実であり地道であるのかもしれませんが、それは経験則からの行動にしかならないと思いました。経験則の枠から外れた時、確実性への執着がなくなるのではないかと思います。

何が起こるかは誰にも分からないのなら、過去からの執着した行動からは何も見えてこないと思いました。

未来に存在するのは何なのか全く分からなくて、誰にも分からないけど存在すると思えるのなら思い切ってパスが出来るのかもしれません。そう思うことで、まさかと思うことが起こるように思いました。

[C4775]

空きスペースを使うのは味方にとっても「まさか」の状態なんだと思います。

だからいつどこにパスが来てもいいようにまず「走る」ことができないといけないかもしれません。

走って走って走りこむことによって意識せずとも体が反応するのだと思いました。

「まさか」がどこに表れてもいいように考えて走れといってるのかなと思いました。

  • 2006/10/06-23:55:31
  • 投稿者 : 935
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[C4774] ビューティフルゲーム

とサッカーのことを呼んだ名選手がいました。なぜサッカーがビューティフルなのか考えていくと、かぎはやはり「3人目」にありそうです。3人目というのはシンクロニシティなのだと思います。

Moment of enlightment (啓示の瞬間)とよんでもいいかもしれません。3人目は誰かがそれを意図したものではなく、地からわいてこなくてはなりません...。死角から突然そこに出現しなくてはなりません。

「意味のある偶然の一致」を経験すると人間は強い快を感じます。ひとりではなく集団で、なおかつギャラリーもいて、それが実現する瞬間というのはさらにその快が増幅されます。

サッカーの本質とは「陶酔」だと思います。身体は疲れているけれどもいつまでも走れるとか怪我をしても痛くないという状態はひとりひとりの人間がトランスに入っているからだと思います。

トランスというのは「超」という意味もあります。transcendといえば超えていくという意味です。個人の限界を突破して動いても動いても腹の底から力がわいてくる。これは自分が持っている力をはるかに超えていると本人は思うかもしれません。そういう状態になったとき、昔の人なら「神がついている」と思ったかもしれません。

個人の限界を超えて神や宇宙と合一する瞬間を味わう人もいるでしょう。見ている人もプレーしている人もそういう瞬間を味わうのがサッカーだと思います。

オシムのサッカーも例外ではないと思います。ジェフの試合の描写がこのブログでも登場しましたが選手はあきらかに快を感じています。しかもこれまでに感じたことがないような強い快を。

オシムのサッカーというのは、実は、アンチクライマックス(超爆)なサッカーではないのだと思います。「3人目」がいればフアンタジスタなどという軽薄な快を排除することでより何か原始的かつ本質的な快に向かっているのだと思います。

オシムは人為的にシンクロニシティを多発させる「シンクロニシティ製造装置」かもしれません。意味のある偶然の一致を必然的に発生させるための工夫をオシムは、もちろんサッカーの枠組みの中でではありますが、そのセオリーの中に沢山取り入れているのかもしれません。
  • 2006/10/06-23:36:50
  • 投稿者 : ナイル
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[C4773] 「3人目」

3人目の意味(もりけんさんが言わんとしていることの)
が、わかった気がします。
あの、藩戸の外れたシュートで分かりました。
3人目の位置に出して、そこに突っ込んできたんだと
思いました。
あの時すごいギリギリで、入るか入んないか・・「あ~・・」
と外れたけれど、でもボールに触っていました。
藩戸選手が地面をばんばん叩いてすごくくやしがって
いました。あそこで決まったら・・「まさか」のことだったと
思います。
もし3人目がゴールを決めたら・・今までとは何かがひっくり返ると
そう思います。
味方の位置を確認して、いたら2人目にシュートしてもらうか
自分でシュートしていた、でも、それで確実に入るわけでも
なかった。
リスクを侵してでも、3人目にパスする、いないところへボールを
出す、失敗したらボロクソに言われるかもしれないけど、
それがどーした・・? なのだと思います。
シュートを確実に決める方法なんて無いんだ、って思いました。
e-257e-259e-258


[C4772] >「3人目」

シンクロしていないと3人目はあり得ないのではないかと思います。
あらゆるものはシンクロしているといえますが、でも、0.5秒遅い意識の世界からすると、シンクロしているようには見えなくて「まさか」になるのだと思います。
場の中にあるとき、意識によるズレがなくなって、シンクロするのではないかと思いました。
  • 2006/10/06-23:30:37
  • 投稿者 : くるみ
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[C4771] >「3人目」

ルールもよく知らないままに私も全部観戦しました。
(夫が驚いていました。)
HPに出してあったメンバー表を写して確かめながら見ていました。
MFって何だ?オフサイドって何だ?と超初心者の質問をしながら・・・。(笑)
スピーディに汗だくで走り回る選手たちを見てこれか~~と感激しつつ立ち止まらないその動きに圧倒され・・。
画面に時折映る選手の顔のアップにおおっ~~~と名前を叫びながら・・。(夫ますます驚く・・)
誰もいないところに蹴りこまれるボールにこれが三人目のボールか・・と妙に納得しながら・・(汗)
倒れては起き上がる何人もの選手たちに不屈の闘志(というより不屈の無意識か・・)を感じながら・・。
もっと未来の試合では三人目が必ずや駆けつけるであろうと確信しつつ、その時対戦相手はまさかを連発するのではないかと思いながら・・。
今は見えない三人目も未来の試合ではボールを持つ選手の目にありありとよく見えるような状態がやって来るのではないかと思います。
それにはひたすら走ることなのかと・・。
ひたすら走ることは意識で考えない状態なのかもしれません。
でないと「まさか」は降ってこないのかも・・。
う~~む、とはいっても やはり 体力はいる・・。
バンドは頭蹴られても包帯巻いて走り回ってました・・。
脳からは麻酔物質のようなものがあふれていたのだろうか・・。
そうなるには彼の無意識の力が必要とされたのかもしれない・・・。
  • 2006/10/06-23:28:28
  • 投稿者 : 空タネ
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[C4769] >「3人目」

オシムサッカーは不確実性のサッカーなのだと思いました。この「不確実性」という言葉はあまり評判がこれまで良くなかったと思います。ケインズ政策においては政府の財政出動によって経済の不安定要素を取り除き、企業のアニマルスピリット(投資意欲の血気)を高めようとします。政府がお金をばらまいて経済の不確実性を少なくさせるのです。それで、ファンタジスタ中心のサッカーも発想はこれと同じようなものだと思います。技量の優れた選手を司令塔としてボールをゴールまで運びシュートを行うというのは、大蔵省主導の護送船団方式の財政政策が連想されるのです(規制ガチガチで不確実性を徹底して排す)。選手を駒とし、とにかく走らせパスが回った3人目にシュートをさせるといったオシムの指導法はファンタジスタによるボール移送の護送船団方式を否定したもので、いわばサッカー界における構造改革といえるでしょう。3人目にシュートさせるオシムは「やってみなけりゃわからない!」と絶叫していた小泉総理のような人なのでしょうか(笑)、好むも好まざるとも今は不確実性の世に向かっています、まさかの時代です。
  • 2006/10/06-23:02:06
  • 投稿者 : おかだ
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[C4768] >未来に、そこに存在する可能性を考えたパスです。

「存在」と「存在可能性」というのが、果たしてあるのでしょうか。
「存在」と「存在可能性」を、「過去」と「未来」と言い換えてみても、問いは変わりません。
「過去」と「未来」というのが、はたしてあるのでしょうか。
 
「既知」と「未知」があるなのではだけではないでしょうか。
「未知」というのは、未来のことではありません。
ここで、わざわざ運命論を持ち出さなくても、未来は、「既知」の側に入れてしまうことができます。
なぜなら、
「私は、私の知らないことについて、考えることができない」
と思うからです。
私は、ときどき、自分が、独創的なことを思いついたような気になることがあります。しかし、それは、まったくの錯覚ではないかと、思い始めています。
私は、かつて、何一つ、新しいことを、思いついたことはなかったのではないかと、疑い始めているところです。
まだ、確証はありませんが、仮にそうだと仮定してみます。
未来という概念は、そもそも既知の概念です。
わたしは、生まれてから今日までのどこかの時点で、この概念について学び、記憶したに違いありません。
そして、今、未来について、いろいろと「独創的な」ことを考えています。
その考えを成り立たせるためにさまざまな概念や思考パターンを意識的、無意識的に用いています。そのどれひとつとして、わたしが独創したものはありません。
わたしの思考は、既知の要素の組み合わせのパターンをいろいろと編み出しているだけだと思います。
そのパターンの数というのも、無限にあるとは思えません。
わたしの考えは、こうやって、既知の枠内を動き回っているだけのような気がします。
この「既知」は、現世で、共有されている既知であり、また全人類の過去世まで含めてみてもいいのではないかと思います。
その有限の既知から、一歩も抜け出してはいないように思います。
さて、「未知」については、わたしにはわかりません。いくら必死で、未知についてかんがえてみたところで、 それは全人類の既知の組み合わせのパターンから抜け出すことはできないと思うからです。
未知に一瞬だけ出会うのが「三人目」ではないかと思います。一瞬だけです。
次の瞬間には、既知に取り込まれていると思います。
そういう意味では、「未知」とは、質量を持たない、ひとつの点みたいなものに思えます。「存在」とすらいえません。
「存在」というのは、人類の既知の側にあると思います。
そして、可能性というのも、既知の概念です。
真の未知、真の独創性は、存在とすらいえない、なにかだと思います。
もちろん、既知の側から見るからこそ、無限に小さな点に見えるだけのことで、本当は、無限の広がりがあるのかもしれません。
しかし、わたしの知っている「無限」すら、しょせんは、使い古された概念でしかありません。
わたしが真の未知にほんのわずかにでも触れることができた瞬間に、それは大きな展開をもたらすでしょうけれども、その展開すら、すでに既知の側において展開されていることのように思えてなりません。
三人目というのは、存在すらしていない、しかし、存在全体に対して決定的な影響を与える何かではないかと思います。
  • 2006/10/06-22:29:56
  • 投稿者 : L.B.
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[C4767]

「いる」のか「いない」のか、不確かでその存在は見えないけれどもどうやらいるらしい、というのが3人目だとすると、私達は出口の見えない、正解のわからない不確かな世界に身を置いて生きていくことができるのだろうか、いえ、私達は“3人目”という直接触れ合うことのできない関係性によって自分の動きを決められてしまっているのだと思いました。
私がこの世で直接接する人達はみんな私にとっての二人目であり、見えない3人目(これは単数ではなく多分数えきれないほどの複数)によってその関係が決められているのだなと思いました。
そして私も誰かにとっての二人目であり、自覚は無くても3人目として存在しているのだなと思いました。
ですから“二人目”の人と「私」との間に何かが起こったとすれば、それは65億の3人目が作用した結果なのだと思いました。
陰陽五行による改善方法は、その65億人の3人目の中で一番適切なアクセス方法を見つけ出して改善のための作用を働かせているのかなと思いました。
インターネットのwebのような蜘蛛の巣状態で私達65億人の関係が作られているとしたら、置物はその蜘蛛の糸の小さなパーツの部分を一つだけつなぎ替えて作用させているのかなと思いました。v-470
  • 2006/10/06-22:12:22
  • 投稿者 : イーキン
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[C4766] 三人目は・・・

一人目は、過去。経験や実績。二人目は、現在。見えているものや結果。三人目は、未来。これは、前倒しで未来の「場」を引き寄せたり、六爻や盲師派、側面の外応で知ったり。

でも、意識は無意識に0.5秒遅れています。その上、立ち止まったり、振り返ったりして、もっと遅れます。だから、みんな、持ち越した分だけ過去を生きていることになるのかと思いました。走り続ければ、相対的に未来を生きる三人目になるかも知れません。

[C4765] 「3人目」

3人目は間接的な存在だと思いました。
1人目、2人目はポールに対して、そのプレーに対して直接関わりますが、3人目は直接関わっていません。
未来に直接関わるかも知れないし、間接的にしか関わらないかも知れません。
間接的にしか関わらない関係というのは、どこか自由度があり、可能性があるような気がします。
間接的であっても、未来に直接関わるまた別の3人目を引き出し、相手ディフェンスを自分にひきつけることでスペースを作ることが出来るかも知れません。
そんな間接的な関係は、全員がなる可能性をもっていて、全員が3人目として連動してパスが回ったらすごいことになりそうだと思いました。
  • 2006/10/06-21:52:56
  • 投稿者 : ワヲン
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[C4764] 3人目

3人目が機能しだした日本代表はかなり強くなると思いました。結果だけみても、ガーナ戦は惜しい試合だったと思います。
旧来の代表のプレイとは違っていたと思います。
(試合は残念ながら見れませんでした)

3人目が機能しだして、日本が勝ち始めたら、オシムこそが日本サッカーの3人目になるのではないかと思いました。

[C4763] 実はまさかのパスばかり

「まさか」と思う前に、ほんの小さな気づきがあると思いました。
それがなんとなく気になって仕方がないという流れがあるかもしれません。

「まさか」のパスはまるで時空から私たちに向けられて出されているように思います。

取ってみろと言わんばかりな感じです。

もしかしたら気づくまで時空は「まさか」のパスを出し続けているように思いました。

まさかの前にどれだけ気づけるかが勝負のような気がします。

[C4762] 「まさか」の存在・・

面白いな~と思います。
止まらないところに存在しだす三人目・・。
目には見えないつながりの中での一歩先の存在・・。
過去からの流れの中で考えることは不可能なもの・・。
だから「まさか」・・。
そういえば揉め事なども第三者が入ることで早く解決できたり
するな~と思います。
当人同士や二人目までは動きが読めてしまうというのが
予想を立てやすい、道を決めやすいと思います。
空間上存在しない三人目は何をしてくれるのか、
誰も想像できないしいるのかさえも分からない・・。
「まさか」の存在って「私は原因」に対してかなり揺さぶりを
かけているのではないかと思います。

もみじにお月様・・本当に綺麗です~。
  • 2006/10/06-14:53:44
  • 投稿者 : まる
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[C4760]

昨日ブラックホールで夫婦は連携しないというのを読んでから頭がグルグルしてます。
私たち夫婦も二人で運命影響しあってるつもりで…実はバッタとかストラップとかに相当する何かに動かされてんのかなと思いました。部屋を見渡してもどいつかわかりません。運命変更まで知識がないんですが、テキスト見てると置物とかストラップとか色とか音声とか…こういうもので変更出来るってことは、こう言うもんからパスくらって動いてるってことだと思いました。二人一度にパス食らう事もあるのかな…泥棒四人組がひとくくりのとき…くらってるのかとも思います。
「まさか」とか「未来の存在」とかどうやって探知したらいいんだろ。ソイツは試算できるのか…。六爻で改善する時、ここにはこのパーツって卦からみえるのだとしたら、空いてる時だけ見えるのか(スイマセン混乱してます。)存在しないという穴みたいな存在なのかとも思います。(でも言ってて変だ(笑))
ニュートン型ってわかんないんだけど、天体→リンゴとかパスが通るってことかと思いました。
天体→リンゴ…三人目、が等しくなるのは何においてなのかとか思いましたがさっぱりわかりません。たぶん意味もあやしいです。
サッカー…もっとじっくり見ないと行けなかったかもと思っとります。三人目モデルが展開されてたんだなと思いました。i-25

[C4759] >「3人目」

テレビで観戦するサッカーの試合は、カメラがかなり上の方からグランドを映すから、両チームの選手の動きが見やすいです。だから見ていて「あそこがガラ空きなのに!」と思ったり「相手のいる方に蹴ってどうするの」と思ったりします。
 
でもカメラが選手の目の高さから映していたら、とてもじゃないけど空いている場所とか相手選手のいない所を探すなんて出来ないと思いました。
だからそれをやっている選手って凄いと思いました。
 
相手の選手がどこに蹴ろうとしているのかは、2人目の場所なら先読み出来る可能性はあっても、3人目の場所を先読みすることは出来ないと思いました。
もしパスの乱れなどで3人目がわかっても、そこでボールを奪えなければ、相手がキープしているボールは次の瞬間には新たな3人目に向けて蹴られるのだと思います。
 
> それは言い方を変えれば「まさか」の存在だからです。
 
今までの日本のチームも誰もいない方向にボールを蹴ることはありました。でもそれは相手にボールを奪われそうな時にとりあえず誰もいない方向にボールを出してしまおうという感じに見えました。
 
でも今はそんな風には感じられません。
パスし終わっても、相手と接触して倒れてもファールのホイッスルが鳴っても、次の瞬間すぐに走り出す選手達の誰かが3人目になることは分かっている、でも誰かはわからない、たぶん本人達もわかっていない、そんな感じがします。
 
3人目は、蹴って初めて本人もパスした味方も相手も誰かがわかるのだと思います。
でもわかった次の瞬間には、また別の3人目が、誰かはわからないまま走っているのだと思います。

  • 2006/10/06-13:21:52
  • 投稿者 : ぷく
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[C4758] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/10/06-13:16:26
  • 投稿者 :
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[C4756] >3人目

思いついたことを反芻していると、頭がクラクラしてきました。
もりけんさんが、この夏の中国紀行で出会われたのに、9000の言葉を組み合わせて人の一生を語る占いがありました。
このところのひとりごとでは、ユミット星人からの手紙にある、その星の運命システムを知ることができました。
そして、これまでもりけんさんが調査されてきたデータがあります。
「運命は決まっている」・・・とエコーが聞こえてくるようです。
中国では、あれほど精度の高い占いの存在や超能力占い師の活動がとても素朴だと思います。
ユミット星人の本は、フィクションだとされる面もありそうです。
もりけんさんの調査データをリアルタイムで受け止めることのできる不思議研究所のサイトを知っていることの重さというのは、どれほどのものか、ちょっとだけ感じても寒気がしています・・
パスは通った・・
3人目というのは、もりけんさんだと思いました。v-30
  • 2006/10/06-12:35:43
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4755] >「3人目」

「3人目」を使うとはこのことか・・と今回の試合ですごく思いました。
みながそれを意識しているからこそ、そこに見方が湧いて出てくるのだと思います。
見ている私は、ボールのいくところいくところにうまい具合に選手がいるので、驚きや、あ、よかった!とか、おお!すごい!・・などと思いながら、ドキドキしながら見ていました。

「3人目」を使うというのは、リスクが高い分、やってる本人たちも、見ている人たちも、心が躍動してくる感じがします。
どうなるか分かったことをただするのではなく、分からないことをすると、こんな気分になるのか・・と思います。

どうなるか分からないことをやってみる前提として、当たり前のことをひたすらやっている・・というのがあると思います。
それが、単なる一か八かのかけとは違うところだと思います。
ギリギリまでやることをやった上で、捨て身になる・・
もりけんさんが、手を抜くとか、何もしないとか言ってても、本当に何もせずただ寝ころんでいるのではないのは、いつもギリギリまでやるべきことをやっている状態にいるのだと思います。
その上で、手放しでがけから飛び降りる・・
やることをちゃんとやっているからこそ、「3人目」が現れる、または自分が「3人目」になる確率が上がるのではないかと思いました。e-420

[C4754] 下の投稿

ナイルです。
  • 2006/10/06-11:42:31
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
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[C4753] 前半今野がGKとあたったとき

痛みを感じていなかったと思います。目がすわってました。トランスにはいってました。ニユースステーションの解説で3人目の形ができてきたことを指摘して、そうなるとゲームががぜんおもしろくなるといっていました。3人目というのはインスビレーションなのだと思います。選手はゲームをエンジヨイしていました。
  • 2006/10/06-11:39:53
  • 投稿者 : Ų
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[C4752] 追加です・・

文字がぬけてます・・・(汗)

現象自体を解明することが

  • 2006/10/06-10:21:08
  • 投稿者 : らんらん
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[C4751] >「3人目」

まさか・・・
と思うときは、自分が想定できる以上のことが
おこりえたときなので、なんとなく運命を感じずには
いられません。
そして、無意識に起こりえた、その「まさか」という
現象自体をすることが、一瞬、時空解明につながる
のかと思いました。


しかし、バッタも未のストラップも
物理的には、普通に存在するものなので、
それを反射的に、若しくは、意識的に「まさか」に
持っていけるかどうかも、人間を通してなんだなぁと
思うと、時空って、案外、懐広いのねぇと
思ってしまいました♪
  • 2006/10/06-10:14:10
  • 投稿者 : らんらん
  • URL
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[C4750] >「3人目」

試合を見ていて、3人目へのパスがうまく繋がらなかったときもありました。ボールは空間を空しく走り、相手に取られます。いつも上手く行くとは限らない。でも、パスが繋がったときもありました。それは、相手にとって痛いところを突いてくる鋭いパスになり、湧き上がってきた3人目に奇蹟的に繋がります。それはそれは、気持ちのいい瞬間です。全ては繋がってるんだよ、と言っているようです。

やってみなきゃ分からない、という世界だと思います。躊躇や足踏みや検証などしていたら、機会を逃します。上手く行った時は、未来の端っこを見たような気がすると思います。

リスクをはってやらなきゃいけない、だから怖いといってやらなかったら、一生見られないでしょう。やったからといって、必ずしも見られるわけでもないけれど、たくさんやれば、それだけたくさん見られる可能性も増えてくると思います。何度でもリスクをはって走る、オシムはそれを実践させていると思います。

運命の解明は、このリスクをjはった走りによって見えるかもしれない未来の端っこに関係しているのだと思います。すっかり姿を現してはくれないけれど、やってみれば、ときにはチラッと姿を見せてくれるのだと思います。スリル満点の賭けだと思います。
  • 2006/10/06-08:18:16
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
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[C4749] >「3人目」


>今までのパスの方式が従来のニュートン型だとすれば、「3人目」は量子力学的とも言えます。
 確率的にしか、存在しないからです。


存在するかもしれないし、しないかもしれない・・

しかし、

それをも緻密に計算し、「3人目」を

確かに実在させた。。


それでもやはり、確率的にしか存在しない。
つまり、確実性はなく、

常に、揺らぎの中にいる不安定な存在ともいえると思いました。


その存在を、感じるには、走り続けることが前提なのだと思いました。


>運命の解明に対して、この「3人目」というのが切り札になりそうな気もします。
 
>それは言い方を変えれば「まさか」の存在だからです。
 
>バッタも「まさか」に入るし、羊の携帯ストラップも「まさか」に入ると思います。


「2人目」をいくら目を凝らしてみても、真実は見えないと思いました。
「2人目」は、確実の世界です。

「まさか」の存在に目を向けること・・

でも、それは的外れかもしれないし、
そうではないかもしれない・・

だから、


「まさか」の存在に目を向けることは、
崖から飛ぶことに等しいのだと腑に落ちました。

でも、それは前提だと思いました。

飛ばないと、なんにもわからない・・
いや、飛んでもわからないかもしれない・・

でも、やってみなきゃ、何もわからない・・

 
  • 2006/10/06-04:37:53
  • 投稿者 : あかり
  • URL
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[C4748] >「3人目」

 緩慢な自然現象のなかに、確かなものはなく、3人目がくるかこないか、わからない、確かなものは何もない、だけどまさかの3人目を信じて悪戦苦闘してもかまわない、あえてするというのが、不確定性や相補性の考え方に通じるものがあるのかなと思いました。「まさか」はここにいるかもしれないし、いないかもしれない、そこにいるかもしれないし、いないかもしれない、そういう中で、電子のような人間は運命と向合っているのかもしれないと思いました。
  • 2006/10/06-04:15:08
  • 投稿者 : yk
  • URL
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[C4747] 三人目

量子力学的。よくわからないですが新しい考え方だったと思います。ニュートン力学では説明つかなかったことを説明できたものに記憶しています。
写真からみても確実に存在していない三人目にむかってパスしていました。だれもいない空間にパスしていて、
そのパスに向かって選手が走っていたと感じました。
一対一ではなくて 一対予測不可能な可能性がある感じがしました。予測不可能なので相手は防ぎようがないと感じました。すごいパスです。ほんとうにこんなパスの仕方があるんだなとびっくりしています。その考えかたにも驚き、それを実践している選手にも驚くばかりです。すごすぎます。。。
  • 2006/10/06-03:11:27
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4746] キラーパスは「なる」の世界?

ジーコの時に話題となったあの中田が放ったキラーパスは僕には強い意志をもったパスであったが、受けのネットワークが上手くいかず、自滅した感があった。
オシムになったガーナ戦でのパスは3人目を予感させる瞬間をわたしも感じました。今後が愉しみにしてます。
残念なのはゴール前のツメのアマさです。
見ていて見苦しくなってしまいました。
あれはどう見ても、周囲のネットワークが上手く取れなかった特にガーナ選手との。
名選手ほど、味方はもちろん観客も敵さえもすべて魅了し、尊敬の念に値する。そんな選手がオシムジャパン に現れることを期待したい。
今回は名キーパー川口に乾杯!!  

[C4745] 「3人目」

実は2人目と3人目の違いについてはよくわかっていません。相手にしたら、フェイントかけられてるようなものかとも思います。予想もしてみない人の存在。。
それは個を超えた世界だと思いました。

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「3人目」

 
 オシムは言っています。
「3人目がシュートしろ」・・と。
 
 二人目までは相手が誰だか分かっている状態です。
 しかしここで言う「3人目」とは、空間上にはまだ存在していない人のことです。
 敵にとっては視野に入りようがありません。
 存在しないのに、見ることは出来ないからです。
 
 しかし今回のガーナ戦では「3人目」が多用されていたような気がします。
 
 未来に、そこに存在する可能性を考えたパスです。
 
 今までのパスの方式が従来のニュートン型だとすれば、「3人目」は量子力学的とも言えます。
 確率的にしか、存在しないからです。
 
 運命の解明に対して、この「3人目」というのが切り札になりそうな気もします。
 
 それは言い方を変えれば「まさか」の存在だからです。
 
 バッタも「まさか」に入るし、羊の携帯ストラップも「まさか」に入ると思います。
 
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36件のコメント

[C4868] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/11/03-00:34:09
  • 投稿者 :
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[C4861] んん~~。。

神なら。。ちとへんだなあ。。時空だああ。。
循環はやっぱり。。ちょう自然に微分子レベルでやってるようなきがしまっすうう~。。魂と肉体の循環は別枠のようなきがしまっすうう~。。3つになって。。ごめんなさいです。。
  • 2006/10/30-07:59:00
  • 投稿者 : バニー
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[C4860] あっと。。。

天人合一は。。あるがままで完璧な。。とセットなので。。西洋の段階層も。。すべて繋げちゃいそうですね~汗汗
学生のころから宇宙に広がってるもりけんさんは。。やはり。。神的におもうなあ~。。「私は誰?」って。。神さんじゃろ~。。♪♪五行上で広がってるから。。すごいよね~。。なるほど。。空から。。おりてくるのがぴったりね~♪♪赤道上とか。。合いも多いけど。。沖もおおいのかなあ~。。
  • 2006/10/29-23:07:24
  • 投稿者 : バニー
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[C4859] 今までのパスの方式が従来のニュートン型だとすれば、「3人目」は量子力学的とも言えます。

ニュートンと言えば。。りんご、万有引力の法則かなあ。。頭悪いので。。う~ん。。詳しくはわからないけど^^。。
ある意味引力下の制御を受けてるとも言えるのかもね~♪♪。。で。。もりけんさんが入って。。オシム氏でサッカーで繋ぐと。。天人合一と。。西洋の段階級を。。オシム氏が1回駒化して。。サッカーと。。作家繋がりで。。汗汗。。経路系で繋いで。。で。。ちょうど。。生まれ変わりの村なので。。時空全体を繋いで。。汗汗。。ははは。。ちと。。くるしいかな。。^^
  • 2006/10/29-16:48:44
  • 投稿者 : バニー
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[C4809] 3人目

量子力学的に存在しているということは、存在している確立は限りなくゼロに近いけれど、センコンマの確率で存在しているということでしょうか。

おそらく、限りなく不可能に近い条件が全てクリアしたときにあらわれる存在という感があります。

ただし、その存在は時間の流れによって変幻自在に変化するので特定できない。

そのときどきの流れのような存在に3人目にさせられた存在。

そして、一瞬のうちに流れ去ってしまう存在だと思いました。

まさかの存在に気がついて乗れれば、ガチガチの運命か
らワープすることも可能なのではないかという荒唐無稽な考えがチラと浮かびました。

もしかして、3人目の存在が時空なのかもしれないと思いました。
  • 2006/10/08-15:28:38
  • 投稿者 : ばなな
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[C4788] >「3人目」

セレンディティピーなのかと思いました。
人間の意識レベルで計算されることって、ほんの数センチほどしか未来を見れないのではないかと思いました。
時空は私たちの運命を決めているが、浮遊していて私たちの前には姿を現してくれません。
物理方程式のように数式が決まっているわけでもありません。
分からないずくしです。
見えないものがあたり前であるのだから、何が起きるかどんな展開になるのかさえ意識レベルでは解読できないということなのだと思います。
見えない世界なのだから、未来は「まさか」から来るのも当然ではないかと思いました。
意識レベルではこの部分が矛盾にあたるのだと思います。
でもこの予想だにしないことが未来なのだと思います。
そう考えると個が発達してしまうと、「まさか」から来る未来に入り込めなくなるのかと思いました。
過去の蓄積を個が行えば、時空と接近はできないのだと思いました。

[C4782] 三人目

一人二人目は確認出来ますが三人目はまさかの想定外です。しかし、二人目以降の選手が時間と空間をフルに使い走りまくって動いてているからこそ、誰もいないところにパスがとうるのだと思いました。すると三人目は意識できる二人目と無意識にパスを出す三人目のようです。これがとまっていればそのような無意識からの信号はこないでパスが通らず相手選手パスが渡る可能性が高いのかもしれません。普通は立ちどまり聞こえない声を聞けと言い見えない者をみよと言う、私は原因派と違うと思いました。静かにして聞けというより時間空間をフル使い動き回るときに三人目の間接的なパスがとおり続けていく、そんな感じがしました。
  • 2006/10/07-08:05:22
  • 投稿者 : じんのり
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[C4779] >未来に、そこに存在する可能性を考えたパスです。

3人目は見えていなくても走ったりシュートしたりすることは確実性を求めていけばムダなことなのかもしれません。けれども確実性を求めたら、決まった範囲内のことしか、コトは起こらないと思いました。

堅実であり地道であるのかもしれませんが、それは経験則からの行動にしかならないと思いました。経験則の枠から外れた時、確実性への執着がなくなるのではないかと思います。

何が起こるかは誰にも分からないのなら、過去からの執着した行動からは何も見えてこないと思いました。

未来に存在するのは何なのか全く分からなくて、誰にも分からないけど存在すると思えるのなら思い切ってパスが出来るのかもしれません。そう思うことで、まさかと思うことが起こるように思いました。

[C4775]

空きスペースを使うのは味方にとっても「まさか」の状態なんだと思います。

だからいつどこにパスが来てもいいようにまず「走る」ことができないといけないかもしれません。

走って走って走りこむことによって意識せずとも体が反応するのだと思いました。

「まさか」がどこに表れてもいいように考えて走れといってるのかなと思いました。

  • 2006/10/06-23:55:31
  • 投稿者 : 935
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[C4774] ビューティフルゲーム

とサッカーのことを呼んだ名選手がいました。なぜサッカーがビューティフルなのか考えていくと、かぎはやはり「3人目」にありそうです。3人目というのはシンクロニシティなのだと思います。

Moment of enlightment (啓示の瞬間)とよんでもいいかもしれません。3人目は誰かがそれを意図したものではなく、地からわいてこなくてはなりません...。死角から突然そこに出現しなくてはなりません。

「意味のある偶然の一致」を経験すると人間は強い快を感じます。ひとりではなく集団で、なおかつギャラリーもいて、それが実現する瞬間というのはさらにその快が増幅されます。

サッカーの本質とは「陶酔」だと思います。身体は疲れているけれどもいつまでも走れるとか怪我をしても痛くないという状態はひとりひとりの人間がトランスに入っているからだと思います。

トランスというのは「超」という意味もあります。transcendといえば超えていくという意味です。個人の限界を突破して動いても動いても腹の底から力がわいてくる。これは自分が持っている力をはるかに超えていると本人は思うかもしれません。そういう状態になったとき、昔の人なら「神がついている」と思ったかもしれません。

個人の限界を超えて神や宇宙と合一する瞬間を味わう人もいるでしょう。見ている人もプレーしている人もそういう瞬間を味わうのがサッカーだと思います。

オシムのサッカーも例外ではないと思います。ジェフの試合の描写がこのブログでも登場しましたが選手はあきらかに快を感じています。しかもこれまでに感じたことがないような強い快を。

オシムのサッカーというのは、実は、アンチクライマックス(超爆)なサッカーではないのだと思います。「3人目」がいればフアンタジスタなどという軽薄な快を排除することでより何か原始的かつ本質的な快に向かっているのだと思います。

オシムは人為的にシンクロニシティを多発させる「シンクロニシティ製造装置」かもしれません。意味のある偶然の一致を必然的に発生させるための工夫をオシムは、もちろんサッカーの枠組みの中でではありますが、そのセオリーの中に沢山取り入れているのかもしれません。
  • 2006/10/06-23:36:50
  • 投稿者 : ナイル
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[C4773] 「3人目」

3人目の意味(もりけんさんが言わんとしていることの)
が、わかった気がします。
あの、藩戸の外れたシュートで分かりました。
3人目の位置に出して、そこに突っ込んできたんだと
思いました。
あの時すごいギリギリで、入るか入んないか・・「あ~・・」
と外れたけれど、でもボールに触っていました。
藩戸選手が地面をばんばん叩いてすごくくやしがって
いました。あそこで決まったら・・「まさか」のことだったと
思います。
もし3人目がゴールを決めたら・・今までとは何かがひっくり返ると
そう思います。
味方の位置を確認して、いたら2人目にシュートしてもらうか
自分でシュートしていた、でも、それで確実に入るわけでも
なかった。
リスクを侵してでも、3人目にパスする、いないところへボールを
出す、失敗したらボロクソに言われるかもしれないけど、
それがどーした・・? なのだと思います。
シュートを確実に決める方法なんて無いんだ、って思いました。
e-257e-259e-258


[C4772] >「3人目」

シンクロしていないと3人目はあり得ないのではないかと思います。
あらゆるものはシンクロしているといえますが、でも、0.5秒遅い意識の世界からすると、シンクロしているようには見えなくて「まさか」になるのだと思います。
場の中にあるとき、意識によるズレがなくなって、シンクロするのではないかと思いました。
  • 2006/10/06-23:30:37
  • 投稿者 : くるみ
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[C4771] >「3人目」

ルールもよく知らないままに私も全部観戦しました。
(夫が驚いていました。)
HPに出してあったメンバー表を写して確かめながら見ていました。
MFって何だ?オフサイドって何だ?と超初心者の質問をしながら・・・。(笑)
スピーディに汗だくで走り回る選手たちを見てこれか~~と感激しつつ立ち止まらないその動きに圧倒され・・。
画面に時折映る選手の顔のアップにおおっ~~~と名前を叫びながら・・。(夫ますます驚く・・)
誰もいないところに蹴りこまれるボールにこれが三人目のボールか・・と妙に納得しながら・・(汗)
倒れては起き上がる何人もの選手たちに不屈の闘志(というより不屈の無意識か・・)を感じながら・・。
もっと未来の試合では三人目が必ずや駆けつけるであろうと確信しつつ、その時対戦相手はまさかを連発するのではないかと思いながら・・。
今は見えない三人目も未来の試合ではボールを持つ選手の目にありありとよく見えるような状態がやって来るのではないかと思います。
それにはひたすら走ることなのかと・・。
ひたすら走ることは意識で考えない状態なのかもしれません。
でないと「まさか」は降ってこないのかも・・。
う~~む、とはいっても やはり 体力はいる・・。
バンドは頭蹴られても包帯巻いて走り回ってました・・。
脳からは麻酔物質のようなものがあふれていたのだろうか・・。
そうなるには彼の無意識の力が必要とされたのかもしれない・・・。
  • 2006/10/06-23:28:28
  • 投稿者 : 空タネ
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[C4769] >「3人目」

オシムサッカーは不確実性のサッカーなのだと思いました。この「不確実性」という言葉はあまり評判がこれまで良くなかったと思います。ケインズ政策においては政府の財政出動によって経済の不安定要素を取り除き、企業のアニマルスピリット(投資意欲の血気)を高めようとします。政府がお金をばらまいて経済の不確実性を少なくさせるのです。それで、ファンタジスタ中心のサッカーも発想はこれと同じようなものだと思います。技量の優れた選手を司令塔としてボールをゴールまで運びシュートを行うというのは、大蔵省主導の護送船団方式の財政政策が連想されるのです(規制ガチガチで不確実性を徹底して排す)。選手を駒とし、とにかく走らせパスが回った3人目にシュートをさせるといったオシムの指導法はファンタジスタによるボール移送の護送船団方式を否定したもので、いわばサッカー界における構造改革といえるでしょう。3人目にシュートさせるオシムは「やってみなけりゃわからない!」と絶叫していた小泉総理のような人なのでしょうか(笑)、好むも好まざるとも今は不確実性の世に向かっています、まさかの時代です。
  • 2006/10/06-23:02:06
  • 投稿者 : おかだ
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[C4768] >未来に、そこに存在する可能性を考えたパスです。

「存在」と「存在可能性」というのが、果たしてあるのでしょうか。
「存在」と「存在可能性」を、「過去」と「未来」と言い換えてみても、問いは変わりません。
「過去」と「未来」というのが、はたしてあるのでしょうか。
 
「既知」と「未知」があるなのではだけではないでしょうか。
「未知」というのは、未来のことではありません。
ここで、わざわざ運命論を持ち出さなくても、未来は、「既知」の側に入れてしまうことができます。
なぜなら、
「私は、私の知らないことについて、考えることができない」
と思うからです。
私は、ときどき、自分が、独創的なことを思いついたような気になることがあります。しかし、それは、まったくの錯覚ではないかと、思い始めています。
私は、かつて、何一つ、新しいことを、思いついたことはなかったのではないかと、疑い始めているところです。
まだ、確証はありませんが、仮にそうだと仮定してみます。
未来という概念は、そもそも既知の概念です。
わたしは、生まれてから今日までのどこかの時点で、この概念について学び、記憶したに違いありません。
そして、今、未来について、いろいろと「独創的な」ことを考えています。
その考えを成り立たせるためにさまざまな概念や思考パターンを意識的、無意識的に用いています。そのどれひとつとして、わたしが独創したものはありません。
わたしの思考は、既知の要素の組み合わせのパターンをいろいろと編み出しているだけだと思います。
そのパターンの数というのも、無限にあるとは思えません。
わたしの考えは、こうやって、既知の枠内を動き回っているだけのような気がします。
この「既知」は、現世で、共有されている既知であり、また全人類の過去世まで含めてみてもいいのではないかと思います。
その有限の既知から、一歩も抜け出してはいないように思います。
さて、「未知」については、わたしにはわかりません。いくら必死で、未知についてかんがえてみたところで、 それは全人類の既知の組み合わせのパターンから抜け出すことはできないと思うからです。
未知に一瞬だけ出会うのが「三人目」ではないかと思います。一瞬だけです。
次の瞬間には、既知に取り込まれていると思います。
そういう意味では、「未知」とは、質量を持たない、ひとつの点みたいなものに思えます。「存在」とすらいえません。
「存在」というのは、人類の既知の側にあると思います。
そして、可能性というのも、既知の概念です。
真の未知、真の独創性は、存在とすらいえない、なにかだと思います。
もちろん、既知の側から見るからこそ、無限に小さな点に見えるだけのことで、本当は、無限の広がりがあるのかもしれません。
しかし、わたしの知っている「無限」すら、しょせんは、使い古された概念でしかありません。
わたしが真の未知にほんのわずかにでも触れることができた瞬間に、それは大きな展開をもたらすでしょうけれども、その展開すら、すでに既知の側において展開されていることのように思えてなりません。
三人目というのは、存在すらしていない、しかし、存在全体に対して決定的な影響を与える何かではないかと思います。
  • 2006/10/06-22:29:56
  • 投稿者 : L.B.
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[C4767]

「いる」のか「いない」のか、不確かでその存在は見えないけれどもどうやらいるらしい、というのが3人目だとすると、私達は出口の見えない、正解のわからない不確かな世界に身を置いて生きていくことができるのだろうか、いえ、私達は“3人目”という直接触れ合うことのできない関係性によって自分の動きを決められてしまっているのだと思いました。
私がこの世で直接接する人達はみんな私にとっての二人目であり、見えない3人目(これは単数ではなく多分数えきれないほどの複数)によってその関係が決められているのだなと思いました。
そして私も誰かにとっての二人目であり、自覚は無くても3人目として存在しているのだなと思いました。
ですから“二人目”の人と「私」との間に何かが起こったとすれば、それは65億の3人目が作用した結果なのだと思いました。
陰陽五行による改善方法は、その65億人の3人目の中で一番適切なアクセス方法を見つけ出して改善のための作用を働かせているのかなと思いました。
インターネットのwebのような蜘蛛の巣状態で私達65億人の関係が作られているとしたら、置物はその蜘蛛の糸の小さなパーツの部分を一つだけつなぎ替えて作用させているのかなと思いました。v-470
  • 2006/10/06-22:12:22
  • 投稿者 : イーキン
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[C4766] 三人目は・・・

一人目は、過去。経験や実績。二人目は、現在。見えているものや結果。三人目は、未来。これは、前倒しで未来の「場」を引き寄せたり、六爻や盲師派、側面の外応で知ったり。

でも、意識は無意識に0.5秒遅れています。その上、立ち止まったり、振り返ったりして、もっと遅れます。だから、みんな、持ち越した分だけ過去を生きていることになるのかと思いました。走り続ければ、相対的に未来を生きる三人目になるかも知れません。

[C4765] 「3人目」

3人目は間接的な存在だと思いました。
1人目、2人目はポールに対して、そのプレーに対して直接関わりますが、3人目は直接関わっていません。
未来に直接関わるかも知れないし、間接的にしか関わらないかも知れません。
間接的にしか関わらない関係というのは、どこか自由度があり、可能性があるような気がします。
間接的であっても、未来に直接関わるまた別の3人目を引き出し、相手ディフェンスを自分にひきつけることでスペースを作ることが出来るかも知れません。
そんな間接的な関係は、全員がなる可能性をもっていて、全員が3人目として連動してパスが回ったらすごいことになりそうだと思いました。
  • 2006/10/06-21:52:56
  • 投稿者 : ワヲン
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[C4764] 3人目

3人目が機能しだした日本代表はかなり強くなると思いました。結果だけみても、ガーナ戦は惜しい試合だったと思います。
旧来の代表のプレイとは違っていたと思います。
(試合は残念ながら見れませんでした)

3人目が機能しだして、日本が勝ち始めたら、オシムこそが日本サッカーの3人目になるのではないかと思いました。

[C4763] 実はまさかのパスばかり

「まさか」と思う前に、ほんの小さな気づきがあると思いました。
それがなんとなく気になって仕方がないという流れがあるかもしれません。

「まさか」のパスはまるで時空から私たちに向けられて出されているように思います。

取ってみろと言わんばかりな感じです。

もしかしたら気づくまで時空は「まさか」のパスを出し続けているように思いました。

まさかの前にどれだけ気づけるかが勝負のような気がします。

[C4762] 「まさか」の存在・・

面白いな~と思います。
止まらないところに存在しだす三人目・・。
目には見えないつながりの中での一歩先の存在・・。
過去からの流れの中で考えることは不可能なもの・・。
だから「まさか」・・。
そういえば揉め事なども第三者が入ることで早く解決できたり
するな~と思います。
当人同士や二人目までは動きが読めてしまうというのが
予想を立てやすい、道を決めやすいと思います。
空間上存在しない三人目は何をしてくれるのか、
誰も想像できないしいるのかさえも分からない・・。
「まさか」の存在って「私は原因」に対してかなり揺さぶりを
かけているのではないかと思います。

もみじにお月様・・本当に綺麗です~。
  • 2006/10/06-14:53:44
  • 投稿者 : まる
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[C4760]

昨日ブラックホールで夫婦は連携しないというのを読んでから頭がグルグルしてます。
私たち夫婦も二人で運命影響しあってるつもりで…実はバッタとかストラップとかに相当する何かに動かされてんのかなと思いました。部屋を見渡してもどいつかわかりません。運命変更まで知識がないんですが、テキスト見てると置物とかストラップとか色とか音声とか…こういうもので変更出来るってことは、こう言うもんからパスくらって動いてるってことだと思いました。二人一度にパス食らう事もあるのかな…泥棒四人組がひとくくりのとき…くらってるのかとも思います。
「まさか」とか「未来の存在」とかどうやって探知したらいいんだろ。ソイツは試算できるのか…。六爻で改善する時、ここにはこのパーツって卦からみえるのだとしたら、空いてる時だけ見えるのか(スイマセン混乱してます。)存在しないという穴みたいな存在なのかとも思います。(でも言ってて変だ(笑))
ニュートン型ってわかんないんだけど、天体→リンゴとかパスが通るってことかと思いました。
天体→リンゴ…三人目、が等しくなるのは何においてなのかとか思いましたがさっぱりわかりません。たぶん意味もあやしいです。
サッカー…もっとじっくり見ないと行けなかったかもと思っとります。三人目モデルが展開されてたんだなと思いました。i-25

[C4759] >「3人目」

テレビで観戦するサッカーの試合は、カメラがかなり上の方からグランドを映すから、両チームの選手の動きが見やすいです。だから見ていて「あそこがガラ空きなのに!」と思ったり「相手のいる方に蹴ってどうするの」と思ったりします。
 
でもカメラが選手の目の高さから映していたら、とてもじゃないけど空いている場所とか相手選手のいない所を探すなんて出来ないと思いました。
だからそれをやっている選手って凄いと思いました。
 
相手の選手がどこに蹴ろうとしているのかは、2人目の場所なら先読み出来る可能性はあっても、3人目の場所を先読みすることは出来ないと思いました。
もしパスの乱れなどで3人目がわかっても、そこでボールを奪えなければ、相手がキープしているボールは次の瞬間には新たな3人目に向けて蹴られるのだと思います。
 
> それは言い方を変えれば「まさか」の存在だからです。
 
今までの日本のチームも誰もいない方向にボールを蹴ることはありました。でもそれは相手にボールを奪われそうな時にとりあえず誰もいない方向にボールを出してしまおうという感じに見えました。
 
でも今はそんな風には感じられません。
パスし終わっても、相手と接触して倒れてもファールのホイッスルが鳴っても、次の瞬間すぐに走り出す選手達の誰かが3人目になることは分かっている、でも誰かはわからない、たぶん本人達もわかっていない、そんな感じがします。
 
3人目は、蹴って初めて本人もパスした味方も相手も誰かがわかるのだと思います。
でもわかった次の瞬間には、また別の3人目が、誰かはわからないまま走っているのだと思います。

  • 2006/10/06-13:21:52
  • 投稿者 : ぷく
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[C4758] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/10/06-13:16:26
  • 投稿者 :
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[C4756] >3人目

思いついたことを反芻していると、頭がクラクラしてきました。
もりけんさんが、この夏の中国紀行で出会われたのに、9000の言葉を組み合わせて人の一生を語る占いがありました。
このところのひとりごとでは、ユミット星人からの手紙にある、その星の運命システムを知ることができました。
そして、これまでもりけんさんが調査されてきたデータがあります。
「運命は決まっている」・・・とエコーが聞こえてくるようです。
中国では、あれほど精度の高い占いの存在や超能力占い師の活動がとても素朴だと思います。
ユミット星人の本は、フィクションだとされる面もありそうです。
もりけんさんの調査データをリアルタイムで受け止めることのできる不思議研究所のサイトを知っていることの重さというのは、どれほどのものか、ちょっとだけ感じても寒気がしています・・
パスは通った・・
3人目というのは、もりけんさんだと思いました。v-30
  • 2006/10/06-12:35:43
  • 投稿者 : ゆくえ
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[C4755] >「3人目」

「3人目」を使うとはこのことか・・と今回の試合ですごく思いました。
みながそれを意識しているからこそ、そこに見方が湧いて出てくるのだと思います。
見ている私は、ボールのいくところいくところにうまい具合に選手がいるので、驚きや、あ、よかった!とか、おお!すごい!・・などと思いながら、ドキドキしながら見ていました。

「3人目」を使うというのは、リスクが高い分、やってる本人たちも、見ている人たちも、心が躍動してくる感じがします。
どうなるか分かったことをただするのではなく、分からないことをすると、こんな気分になるのか・・と思います。

どうなるか分からないことをやってみる前提として、当たり前のことをひたすらやっている・・というのがあると思います。
それが、単なる一か八かのかけとは違うところだと思います。
ギリギリまでやることをやった上で、捨て身になる・・
もりけんさんが、手を抜くとか、何もしないとか言ってても、本当に何もせずただ寝ころんでいるのではないのは、いつもギリギリまでやるべきことをやっている状態にいるのだと思います。
その上で、手放しでがけから飛び降りる・・
やることをちゃんとやっているからこそ、「3人目」が現れる、または自分が「3人目」になる確率が上がるのではないかと思いました。e-420

[C4754] 下の投稿

ナイルです。
  • 2006/10/06-11:42:31
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
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[C4753] 前半今野がGKとあたったとき

痛みを感じていなかったと思います。目がすわってました。トランスにはいってました。ニユースステーションの解説で3人目の形ができてきたことを指摘して、そうなるとゲームががぜんおもしろくなるといっていました。3人目というのはインスビレーションなのだと思います。選手はゲームをエンジヨイしていました。
  • 2006/10/06-11:39:53
  • 投稿者 : Ų
  • URL
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[C4752] 追加です・・

文字がぬけてます・・・(汗)

現象自体を解明することが

  • 2006/10/06-10:21:08
  • 投稿者 : らんらん
  • URL
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[C4751] >「3人目」

まさか・・・
と思うときは、自分が想定できる以上のことが
おこりえたときなので、なんとなく運命を感じずには
いられません。
そして、無意識に起こりえた、その「まさか」という
現象自体をすることが、一瞬、時空解明につながる
のかと思いました。


しかし、バッタも未のストラップも
物理的には、普通に存在するものなので、
それを反射的に、若しくは、意識的に「まさか」に
持っていけるかどうかも、人間を通してなんだなぁと
思うと、時空って、案外、懐広いのねぇと
思ってしまいました♪
  • 2006/10/06-10:14:10
  • 投稿者 : らんらん
  • URL
  • 編集

[C4750] >「3人目」

試合を見ていて、3人目へのパスがうまく繋がらなかったときもありました。ボールは空間を空しく走り、相手に取られます。いつも上手く行くとは限らない。でも、パスが繋がったときもありました。それは、相手にとって痛いところを突いてくる鋭いパスになり、湧き上がってきた3人目に奇蹟的に繋がります。それはそれは、気持ちのいい瞬間です。全ては繋がってるんだよ、と言っているようです。

やってみなきゃ分からない、という世界だと思います。躊躇や足踏みや検証などしていたら、機会を逃します。上手く行った時は、未来の端っこを見たような気がすると思います。

リスクをはってやらなきゃいけない、だから怖いといってやらなかったら、一生見られないでしょう。やったからといって、必ずしも見られるわけでもないけれど、たくさんやれば、それだけたくさん見られる可能性も増えてくると思います。何度でもリスクをはって走る、オシムはそれを実践させていると思います。

運命の解明は、このリスクをjはった走りによって見えるかもしれない未来の端っこに関係しているのだと思います。すっかり姿を現してはくれないけれど、やってみれば、ときにはチラッと姿を見せてくれるのだと思います。スリル満点の賭けだと思います。
  • 2006/10/06-08:18:16
  • 投稿者 : ぱらむ
  • URL
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[C4749] >「3人目」


>今までのパスの方式が従来のニュートン型だとすれば、「3人目」は量子力学的とも言えます。
 確率的にしか、存在しないからです。


存在するかもしれないし、しないかもしれない・・

しかし、

それをも緻密に計算し、「3人目」を

確かに実在させた。。


それでもやはり、確率的にしか存在しない。
つまり、確実性はなく、

常に、揺らぎの中にいる不安定な存在ともいえると思いました。


その存在を、感じるには、走り続けることが前提なのだと思いました。


>運命の解明に対して、この「3人目」というのが切り札になりそうな気もします。
 
>それは言い方を変えれば「まさか」の存在だからです。
 
>バッタも「まさか」に入るし、羊の携帯ストラップも「まさか」に入ると思います。


「2人目」をいくら目を凝らしてみても、真実は見えないと思いました。
「2人目」は、確実の世界です。

「まさか」の存在に目を向けること・・

でも、それは的外れかもしれないし、
そうではないかもしれない・・

だから、


「まさか」の存在に目を向けることは、
崖から飛ぶことに等しいのだと腑に落ちました。

でも、それは前提だと思いました。

飛ばないと、なんにもわからない・・
いや、飛んでもわからないかもしれない・・

でも、やってみなきゃ、何もわからない・・

 
  • 2006/10/06-04:37:53
  • 投稿者 : あかり
  • URL
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[C4748] >「3人目」

 緩慢な自然現象のなかに、確かなものはなく、3人目がくるかこないか、わからない、確かなものは何もない、だけどまさかの3人目を信じて悪戦苦闘してもかまわない、あえてするというのが、不確定性や相補性の考え方に通じるものがあるのかなと思いました。「まさか」はここにいるかもしれないし、いないかもしれない、そこにいるかもしれないし、いないかもしれない、そういう中で、電子のような人間は運命と向合っているのかもしれないと思いました。
  • 2006/10/06-04:15:08
  • 投稿者 : yk
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[C4747] 三人目

量子力学的。よくわからないですが新しい考え方だったと思います。ニュートン力学では説明つかなかったことを説明できたものに記憶しています。
写真からみても確実に存在していない三人目にむかってパスしていました。だれもいない空間にパスしていて、
そのパスに向かって選手が走っていたと感じました。
一対一ではなくて 一対予測不可能な可能性がある感じがしました。予測不可能なので相手は防ぎようがないと感じました。すごいパスです。ほんとうにこんなパスの仕方があるんだなとびっくりしています。その考えかたにも驚き、それを実践している選手にも驚くばかりです。すごすぎます。。。
  • 2006/10/06-03:11:27
  • 投稿者 : なんしぃ
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[C4746] キラーパスは「なる」の世界?

ジーコの時に話題となったあの中田が放ったキラーパスは僕には強い意志をもったパスであったが、受けのネットワークが上手くいかず、自滅した感があった。
オシムになったガーナ戦でのパスは3人目を予感させる瞬間をわたしも感じました。今後が愉しみにしてます。
残念なのはゴール前のツメのアマさです。
見ていて見苦しくなってしまいました。
あれはどう見ても、周囲のネットワークが上手く取れなかった特にガーナ選手との。
名選手ほど、味方はもちろん観客も敵さえもすべて魅了し、尊敬の念に値する。そんな選手がオシムジャパン に現れることを期待したい。
今回は名キーパー川口に乾杯!!  

[C4745] 「3人目」

実は2人目と3人目の違いについてはよくわかっていません。相手にしたら、フェイントかけられてるようなものかとも思います。予想もしてみない人の存在。。
それは個を超えた世界だと思いました。

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