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-件のコメント

[C973]

わたしは、体験で変わるものだ、とずっと思っていました。可愛い子には旅をさせろ・・もそうだと思います。
武蔵は鼻息荒く、柳生石舟斉を訪ねただろうのに、「鳥の歌を聞け」・・・。でも柳生石舟斉は強い・・。何でだろう、とずっと考えていたと思います。
体験よりも情報が大事だったなんて・・。その情報も私にはただの鳥の声。。。ああ。。
相手を凝視していては、かえって相手のことが見えなくなり、周囲が見えるような気持ちでいれば、相手の動きが良く分かる・・。すべての事に当てはまる感じです。
  • 2006/05/06-22:24:34
  • 投稿者 : REI
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[C959] >武蔵は柳生石舟斉と対戦していません

目の前の出来事さえ、真実とは何かわからないという気がします。
同じ出来事に例えば、遭遇した当事者だとしても、人が違えば、全く視点は変わってしまうような気がします。
それがさらに時間がったたものであれば、さらに何が本当だったのだろうと思うこともあるような気がします。
さらにそれが当事者でなかったとしたら、もっと、違うものになってしまったりするのかもしれません。
さらに時間などたったりすると。。。
真実とは何なのかわからないです。
そう思えば、実際に対戦したかそうでないかはたいしたことではないのかもしれません。(話よく知らないのですが。。)

[C950] >彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです

>しかし武蔵は、その詩が頭から離れません。そしてその意味について、自分で解釈して、ある日気づくのです。

「鳥の歌を聴け」は武蔵にとっては変わる情報であったと思います。

例えば10人がこれを見て皆が同じ解釈に至ることはないと思います。そのまんま受け取って、大自然の中でひたすら鳥の声に耳を傾ける人もいるかもしれません...

情報は、何時も常にそのへんに在る気がしました。それも何気なく...

情報が個にとって情報と変化する時、その個が真っ新な状態なら「おぉ~」と気が付くことができても、自分の価値観とかに囚われていたら情報と成り得なくなるのだと思いました。

すーっと浸透するように入ってくるか、最初からはねのけてしまい受け入れられないように。

同時に問いは必要だと思いますが、問いを持ったら一度白紙状態にならないと、情報として見えてこないのかもしれないと思いました。

[C932] >武蔵は柳生石舟斉と対戦していません

えー!!
驚きました!!武蔵は戦って体得したワケではないのですね。
確かに情報を受けて「気づいた」「悟った」では、テレビドラマ的には彩色を欠いて
しまいそうですが、原作はこのような展開だったんですね!

自分的には、ここ数年「体験する」ということが少なくなりました。
体験から得られるモノが少なくなったと実感はしていました。

りんごさんのように、何もしないでいるときの情報ほど、ズバッと
くるモノはないと思いました。

>本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)
そうですね。掲げられている情報と掲げた本人との間に溝があって、
受取る際に混乱することはあるかもしれませんね。
「コレだ」と思えたら、書いた本人が近くにいても、
深く聞き込んだりしないほうが、情報としての「活き」は
保たれそうですね。

[C924] 門の詩

昨年、文庫本を偶然読んだところだったので、どの部分かと、ずっと思っていた「鳥の声」の場面について、おかげさまで、ようやくわかりました。
武蔵が、門の詩を読んだ時、まだ機は熟しておらず、石舟斎の境地について、わからぬままに、及ばないものを感じその場を離れたけれど、ずっと心に残っていたのでしょう。詩についてはその境地に至らなくても、はっきり、花の切り口に、気づくことのできる武蔵は、やはり、すごいです。吉川英治の演出かもしれません。想像もつかないけど、どんな切り口だろう?と、時どき想像しようとしてしまう自分がいます。水の吸い上げが、かなり良い、鋭い切れ味だったろうか、それとも一見地味で、目立たないけれど、武蔵の
ような分かる人には必ず分かる、すごい切れ味なのだろうかと、読み終わってからも、時々考えてしまいます。

[C922] 情報が変える

武蔵は石舟斉に会っていなかったんですか。。知りませんでした。
テレビの情報をそのまま受け取っていました(笑)
 
でも、会ったほうがドラマチックで面白いです(笑)
 
人は感情で動いていて、世界は経済で動いています。
でも、もう少し踏み込んで考えると、どちらも情報によって動いていると言えそうです。
 
経験することで満足していてはサル以下です(爆)
経験から、どれだけ情報を得る事ができるのかということが、重要なのだと思っています。
 
世の中には情報が溢れています。
その中から情報を得るにはどうすればいいのか・・?
それは、問う事だと思います。問うことで問いの答えとしての情報が来るような気がしています。
 
問い以上の情報は来ないと思います。
 
武蔵は問い続けたから、石舟斉の張り紙の情報から答えを得たのだと思いました。
  • 2006/05/05-22:34:24
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[C915] 武蔵は柳生石舟斉と対戦していません

門に書いてあった詩を読んでもそのまま意味がわからずに門を叩いてしまう人もいたと思います。

その詩に心が引き付けられたのは武蔵が腕っぷしが強いだけでは自分が思い描く剣が出来ないだろうと気づき、その当時は問いを持っていたのかなと思いました。
それで、あの詩を読んでなにかを感じたのだと思います。

詩の情報が武蔵を変えたと思いますが、その前に武蔵は問いがあったように思います。

[C895] 門口にそんな詩が・・

武蔵が見た詩は、直接的に剣の極意が書いてあったわけではないです
しかし、その詩から武蔵は剣の極意を得ます
とても間接的で、ネットワーク的だと思います
 
モリケンさんは以前、「運命は突然変わります」・・と言ったことがあります
情報によって人が変わるということは、それと同じことなのかもしれないと思います

[C894] >「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」

これもずっとそう思ってきました。
でも、これも、希望や目的を持つことと同じく、今を否定する言葉だと思いました。
人と比べて、色々なことを体験できない自分を責める・・
そして、刺激的な体験を求める・・
そこに「今」はありません。

また、「昔取った杵柄」を語るときも、そこに「今」はありません。。

体験はいいことかもしれません。
確かに体で感じることは大事。
でも、体験すれば変われる・・体験しなきゃだめ・・という風に考えることや、体験したからすべて分かった、もうこれでいい、と思うことはどうかと思います。

もりけんさんは、りんごの部屋で「なにもしない」時間をたくさん持ちます。
かといって、ほんとうになにもしていないのではなく、たぶん、普通の人の何倍もの行動力を持ち、色々なことをされています。

しかし、それは、「体験したい!」と自分から求めていってる感じがしません。
いつも受身で、体験すら、向こうからやってくるかんじです。
気がついたらやっていた・・

体験そのものを求めて、いろんなことをしてる人は、本当に忙しそうです。
そしてミョーに生き生きしてたりして・・(汗)
それを自慢げに人に話したりして。

でも、もりけんさんもりんごさんも、全然忙しそうじゃありません。
さらっと、いろんなことをやっています。

体験することに対して受身になれば、情報に気づく心の余裕ができるように思います。
体験を求めている人、体験重視の人は、情報が目の前にあっても、気づかないのでは、と思います。

人が一生のうちに体験できることなど知れているように思います。
それですべてを分かったような気になることが、自分をかえって狭めるように思います。

武蔵が門前の情報で変わった・・というのは驚きです。
「知る」ということは、ほんとにすごいことなんだと思いました。

[C893] >彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。


実際の体験はそのものズバリだから得るものは多いと考えるのが普通だと思います。
実際に私も体験に勝るものはないと、いろんな場面で何度も教えられました。
 
そうだとしたら、体験出来ないことは理解できないということになると思います。
たとえ理解出来たとしても、表面的なところしか理解出来ないことになりそうです。
 
でも体験出来ることなんて、いったいどれくらいあるだろう…と思います。
 
インターネットの普及によって、私の生活は大きく変化したと感じています。
そしてインターネットで飛び交うのは情報です。受け取った情報の中で実際に
体験したことがあるものなんて殆どないです。
 
体験によって変わることもあると思います。
でも情報によっても変わると思うし、情報で変わるのは体験が関係ないから、変わる人は多いと思います。そして情報はあっという間に広まるので、変化も拡がっていくと思いました。

[C892] 鳥の歌

体験することより、0になってみることが、できるかできないか・・・が「鳥の歌を聞く」事ができるかできないかなのかなと思いました。テレビの武蔵しか知らなかったので、自分でも読んでみようと思います。

[C891] 情報は受け取る人・取り方・受け取る時の状態でで変わる


>本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)、「鳥の歌を聴け」なんて本質的なことは教えてくれなかったかも知れません(笑)

私は、
石舟斉は上手い詩が出来たから載せてただけで、それが極意とは思ってもいなかった。それを武蔵が勝手に極意だと『勘違い』しただけかも…

『気付き』なんてそんなもんかもしれない(爆

なんて感じてます。

まるで内田樹氏の『張良(能)の話』みたい。

受け取る側の受け取り方で情報の意味合いはごろりと変わってしまう。

人が笑ってると、「何笑ってるんだ!ムカー!」となるか、「楽しそうだね~w俺も楽しくなってきたw」もとい

「いい兆候だ」と感じるか…。

(問い無き解釈は、ほとんど勘違いになります)

(余談。柳生宗厳(石舟斉)七十歳のとき武蔵は十八歳)

都合良く解釈(勝手に意味付け)したら、馬鹿を観ました…。

[C890] >「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」・・なんてのは、そのまま受け取ってはいけません。

武蔵が、何でも体験していたら、命がいくつあっても足りなかったと思います。
 
何でも体験してみればいい、というスタイルは、考えることを後に追いやっていると思います。
考えればいいというわけでもないと思います。
体験は必要なのだと思います。
でも、体験してみればいいわけでもないと思います。
考えなければ、体験は、無意味かもしれないと思います。
単に無意味だったらまだましですが、お金だって時間だってかかります(汗)
やっぱり、よく考える必要があると思います。
それには、りんごの部屋が最適だと思います。

[C889]

体験したことは記憶となって、心に、肉体に残ります。
いくつもの体験を重ねて、太っちょの自分になってしまったようです。
体験しても、それに囚われないことなのかなぁと思っています。
う~難しいけど(汗)
いつも空っぽの自分に戻らないと、詩はただの詩であり、自分の求めていたものだと気づけないのだと思いました。

[C888] 問いがあれば、

体験でも、門に張ってある紙でも、なんでもヒントになると思います。
それらは、広くひっくるめて情報です。
問いがあるから、意識に上ってくのかなぁと、思いました。

でも、問いがなければ、経験しても、門に紙が張ってあっても、意識に上ることは、ないかもしれないと、思いました。

[C887] 武蔵と柳生石舟斉

わたしはこの物語をあんまり、よく知りません(汗)
もし、わたしが武蔵だったらたぶん・・・
「あのう・・・」とかいって、訪ねていっちゃう気がします。
「鳥の声を聞け・・・、?」ってなるから(笑)
でも、そう簡単に会えないすごい人物なのか。
・・・そおか。
私も現実で、色んなコトバを情報として受け取っています。
もうここ3ヶ月くらいテレビをほとんど見ていないけれど
本、音楽、インターネットそれから、自分の周りでおこる
出来事から・・・ふん、ふん、ふん(爆)ってカンジで何かを
聞いてい(?)ます。
武蔵と柳生石舟斉は、お友達でもなければ、師匠と弟子でも
ありませんが・・・武蔵にとって柳生石舟斉はずっとずっと
届かない・・・なんてゆうか、男が男に惚れたカンジなのかな
と、思いました。・・・なんか、違うかな(汗)
柳生石舟斉がいくらジジイ(オヤジか・・・)だろうが
かっこいいのは変わらない(意味不明)のです。
体をはって、自ら飛び込んでゆく武蔵がなんで・・・?
「住む世界が違う・・・」って思い、その扉を叩けなかった
のか気になりました。


[C885]

勝ち負けは関係ない。
陰陽が合い交わり
中(むすび)が生まれる。
むすびとはベンショウ法。
  • 2006/05/04-20:58:41
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[C884] 情報

情報は受け取るほうが準備できていないとただの言葉で終わってしまうのだと思いました。
同じものを見ても感じることができないと次に行けないと思います。

[C883] >彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。


変わったのは、武蔵本人にその資質があったからでしょうか?
つまり、この情報を得たことで、武蔵は自分の意志で変わろうとしたの
でしょうか? しかし、運命が決まっている説を採るならば、変わった
のは武蔵本人の自由意思というよりは、時空のシナリオ通りにそうなっ
ただけ・・・という見方もできます。

船井さんはこのブログにある全ての情報を読んで、変わるでしょうか?
それ以前に、船井さんはもりけんさんと会って、話し合うでしょうか?

疑問文だらけになってしまいました。 私には、皆目わかりません。
ただ、言えるのは、もりけんさんが船井さんに負けてもいいとお考えで
あるなら、もりけんさんは結果など知ったことではないかもしれません。
(間違ってるでしょうか?) もし、会談日が決まれば、その当日は、
出たとこ勝負で臨むおつもりでは、と想像しています。

[C882]

意味付けは視野が狭くなる。(これも意味付けでは)
全てのものに意味があると考えたら果たして視野が狭くなるのかな?と考えた。
  • 2006/05/04-20:24:35
  • 投稿者 :
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[C881] 体験と情報

体験て連続的で徐々に体に染み付けるというニュアンスがあると思います。
情報はある意味断続的で不連続です。いきなりという感じがあります。

体験でも情報を得る体験と意味づけをする体験に分けられると思います。
あかりさんが「体験はエゴかもしれない」と書かかれていますが、私はそれを「意味づけをする体験」とも思いました。
意味づけは新たな意味づけを呼び、視点が狭くなっていくからです。
意味づけは答えを得ていく行為に思いました。

一方、情報を得る体験というのは問いが基本になっていると思いました。だから正反対や突拍子も無い情報が得られると思います。

武蔵にとっても「鳥の詩」は突拍子も無いものだったのかもしれません。

でもそこに何かがあるような気がします。

[C879] 経験をたくさん積むと

繊細さが失われる場合があると思います。お金を稼ぐためにやっている
のなら、やりたくなくても中断できないということもあるでしょう。しかし、この場合、
武蔵は、職業としての剣術を高めたい、ということを思っていたのではなく、
ただ、武人として、純粋に自分の技を向上させたいと願っていたように見受けられます。

ひとりの人間が自分の人生を「生きている」というのは、自分の内面と外界
が接するところで「生きている」のであって、経験を多く積むということが「生きる」
ということでも、また、外で華々しく活躍していないから「生きていない」という
ことでもないと思います。

自分の内側において深く多様に生きるということもできると思います。単調な
日常生活を送っていても、単調な人生とは限らないと思います。

武蔵の場合は、剣の道を究めるということが、自分の人生を追求するという
ことと切り離すことができなかったのではないかと思います。

生きていると毎日いろいろなことを経験しますが、深く内面化された経験以外は、
すぐに忘れてしまうことも多いと思います。
  • 2006/05/04-18:28:01
  • 投稿者 : ナイル
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[C878] 「鳥の歌を聴け」

 武蔵は、柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、「険術」を磨くことを止めた、そして「鳥の歌を聴け」の「神髄」を身につけることが出来た。
 
 剣豪「武蔵」が生まれた「背景」が、「磨くこと」、「努力すること」を手放すことであったとしたなら、大変楽しいことです。

[C877]

違いがわかる=わかっている。
行動のすえ縁をえた。
真剣に生きていたから気付きがあった。
剣の道を探求した結果本質をえた。
とにかくこうと決めたら猛進するのみ。
すれば縁は向こうから来る。
  • 2006/05/04-17:19:26
  • 投稿者 :
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[C876]

武蔵は、「強くなりたい。どうすればもっと強くなれるか」といつも考えていたと思います。
「鳥の声を聞け」は強くなるには、といつも問いかけていた武蔵への答えだったのだと思います。

「なんでも体験しなさい。体験があなたを変える」
これは、もりけんさんを知る前だったら、あれもこれもと
体験しようとしていたと思います。
チルチルとミチルが青い鳥を探したように・・

問いが大事、ということを知りました。
問いをもって武蔵のように自分である日気づきたいです。

  • 2006/05/04-17:18:40
  • 投稿者 : 星
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[C875] 情報

いろんな「情報」は、ちまたにあふれています。
その中で、よく分からないけれど何か引っかかる・・
というものが時々あります。
後になってから、自分の問いの答えと気づいたり、
全く違う事柄の気づきとして現れたり・・。

「鳥の歌を聞け」・・一見なんの関わりもない情報に
思えますが、武蔵からすればとても本質的な情報です。

感性を鋭くするのは、情報を選び取る上で
とても大切だと思います。
本当に・・原因を探っていては、いろんな所からくる
情報(気づき)が通り過ぎてしまいます。
どんな分野から来るか分からないのに・・・。
  • 2006/05/04-17:17:35
  • 投稿者 : まる
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[C874]

むかし、ある武道の先生が、中里介山の「大菩薩峠」がいろいろ参考になった、と言うのを聞いて、私は心中「フィクションなんか参考になるのか?」と思っていました。
その後、有名な空手家が吉川英治の「宮本武蔵」を指針としている、と著書に書いていました。私はこのころには、どんなことでも参考になるものは吸収すればいい、と思うようにはなっていました。
最近、もりけんさんの書かれたものを読ませていただくようになり「気付き」を得る、という言葉を知り、あの先生たちも「気付き」を得ていたのか、と納得しました。

吉川英治の「宮本武蔵」は読んでいましたから、小説中で武蔵と石舟斎は会っていないことを知っていましたが、「ああ、もりけんさんはドラマから気付きを得ているんだな」と思っていました。

実在の武蔵は背が高くて、常に野獣のような精気を放つ、こわい武術家だったようですね。
武蔵自身はハンドルをシッカリ持っているつもりだったでしょう。時代に流れに乗っていたのかも知れません。
想像ではありますが。
  • 2006/05/04-15:46:18
  • 投稿者 : 十四郎
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[C873] >情報

以前「マーケット」のお話がありましたが、そういうことなのかぁと思いました

雑多の中で、ソレとリンクしちゃう「私」は半分「結果」で、もう半分はなんだろ~と妄想ひろがります

[C872] >武蔵も、問題意識がなければ、情報に接しても何も気づくことはなかったでしょう。

情報をよりわけるセンサーって、自分の持ってる問いなのかなと思いました。
  • 2006/05/04-14:48:02
  • 投稿者 : リョウコ
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[C870] 体験で変わる

 体験で変わるということに疑いをもっていませんでした。でも、自分は転職を何度か繰り返しましたが原因(?)は同じなような気がします。まるでパブロフの犬のように同じパターンの行動をしていたのかなと思います。
 もし誰かが、こう対処すればよいのではといった情報があれば行動を変えることができるかもしれないです。それでうまくいけばたぶんそのうまくいった行動を今後はとり、結局は自分が変わったということになるのかと思いました。
 一方、熱いやかんに触れては駄目というのは一度やかんを触れば分かることです。これは体験が行動を変える例のように思います。
 要は、本人がどうした方が良いのかという認識をどの程度もてるかだと思います。
 体験で得たものはそれを自分で情報に置き換えるておかないと活かせない。ああ、そうなるとやっぱり体験で変わるのにも情報がきっかけになるのかなと思います。

[C869] >武蔵は柳生石舟斉が対戦するシーンが載っていないのです

そう、でしたっけ(汗)原作は高校生のとき読んだきりなんで‥。原作より、武蔵‥役所広司、おつう‥小手川祐子のやった「宮本武蔵」の印象が強いです。ドラマはやっぱり対戦しないと見せ場がないんで、石舟斉の家に何度か訪づれたと思います。

でも、相手から直接言われるより、情報を知っただけで、あとピンときたという原作のほうが、武蔵の勘の冴えみたいなものを感じさせます。

体験しても、にぶかったら、なにもとらえられないと思うし、キャッチするセンサーの感度のほうが大切なのかもって気がします。微細なものまで感知できるセンサーのほうが。
  • 2006/05/04-14:36:25
  • 投稿者 : リョウコ
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[C868] 情報と体験

>彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。

>「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」・・なんてのは、そのまま受け取ってはいけません。


体験をするのが大切・・というのは、よくいわれています。


しかしそれは、私たちが、なぜか記憶をリセットさせられてしまうシステムの中にいるからだと思いました。

私たちはこれまで、何度も記憶をリセットさせられて、さまざまな人生を生きてきたと想定されます。

では、さまざまな人生を生きる必要があったのか・・

それは分かっていません。
いや、そもそも、私は誰か・・

なぜ、私がいて、世界が存在しているのか・・
分かっていません。

なので、「体験」している場合ではないと思いました。

そもそも、私たちは、生きているだけで、理由も分からず、体験させられています。

自ら体験しようとすることを捨てたとき、情報は、向こうからやってくるものかもしれません。

もりけんさんの不思議調査は、問いを発して、あとは、お任せ状態です。。
 
>だから私はりんごの部屋で、何もしません(笑)。

何もしないで、お任せ状態だから、情報がやってきて、外側とのネットワークがつながるのではないか。。。

だとすれば、「体験」することは、時空ネットワークから、「個」を分離することではないか・・

***


これを書きながら、「体験」はエゴかもしれない・・
と思いました。

それは、積み上げようとする行為だからです。
でも、積み上げたものを壊す行為は、
体験といえども、エゴがないかもしれない。。

壊すことで、個が空洞となり、
そこに情報がやってくる。。

情報は、何もしない(積み上げない)こと、あるいは壊すことによりできた空洞に、自ずと引き寄せられてくるものではないかと思いました。

[C867]

>「鳥の声を聞け」

 剣道の練習後の黙とうで、心静かにするために「風の音をきけ・・」と
自分に言い聞かせてましたがそれって「鳥の声」だったのですね(汗)

>彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです

 その情報で未来をしったのでしょうか。。。。
それとも「この親父はもう隠居か」とおもったのかも(爆)
 情報は入りすぎてもだめなのか・・・・・
そのときの武蔵の問いへの答えが門をたたく前にでたのかな・・・


[C866] 情報って

門にはってあった「詩」は誰でも読めたと思います。しかし、その中から「鳥の歌を聞く」という情報を自分の中に生かした人は何人いたんだろう、と思いました。

受け取る情報は決まっている。そう思うと「なにか見逃してないか」とあせらなくてもよさそうです。

でもその情報を生かせるかどうかも決まってるとすると・・汗

[C865] >これではドラマとして面白くありません(笑)。なのでNHKでは試合をさせ、サビの部分を柳生石舟斉に語らせたのです。

私は自分史として面白く無いから体験を求めてたのかなと。。自分を振り返って思いました。時から何かを得て蓄積しようとしてたかなと思います。人に語ってつかえそうなものを。。。
 
>しかし武蔵は、その詩が頭から離れません。そしてその意味について、自分で解釈して、ある日気づくのです。
>彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。
 
今日も凄い事が書いてあるなと思って@@
では。。「情報」だらけなんだと思いました。世の中、鍵だらけなんだと思います。なにも特別な事をしなくても。。なんでしょうか目が回ります。オヤジにあったところで。。変わらない。。私は今この目でなにを見てるのだろうと思います(汗)ありとあらゆるものが何かの鍵になってる。。のだろうか。。よくわかんなくなってきました。静止してるもんなんてないような。。へんな感覚におそわれてます。おそらく私が思うに、それは武蔵にだけ響いた情報。えーホントに思考が回ってきました。酔いそうです。。。

[C864] 「鳥の歌を聞け」

なるほど~。。そうやったんや~。。ン?でも、これってちょいへんですね。。。普通平和的な鳥の声には、よっぽどでない限り、ふらふらとひかれちゃうようなきがしますうう。。。これって。。「猛犬注意!!」の間違いじゃないすかね~~♪♪家も、ネコちゃんしかいないので、「猛犬注意!!」が、かかせません^^にゃんにゃん^^
  • 2006/05/04-12:20:31
  • 投稿者 : バニー
  • URL
  • 編集

[C862]

「結果の私」が思いっきり体験すると、思いっきり「結果の私」になれるとおもいます(笑)

>「情報」

私が遭遇する情報は、突然鏡のように
見てしまった「私」が、居心地よい結果の私になぜか帰りたくないサプライズ状態なのかもと思いました

[C861] 自分で解釈して、ある日気づくのです

情報を受け取っても解釈の仕方を誤ると
体験を積むだけで終ってしまいそうです。
鳥の歌を聴くことは、=未来からの情報を聴くこと
なんだなって思います。

>本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)、「鳥の歌を聴け」なんて本質的なことは教えてくれなかったかも知れません(笑)。

あはは。。。
別な意味で住む世界が違うって思ったかもです。(笑)

  • 2006/05/04-12:11:48
  • 投稿者 : Ciel
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[C860] 鳥の歌を聞け

> 「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」・・なんてのは、そのまま受け取ってはいけません。

以前は、何でも体験することが大事なんだ、
いろんな事を体験しているほうが偉いんだ、
くらいに思わされていました。
でも命運は始めから決まっているわけで、体験することが全て織り込み済みならば
「体験するほどに自分が変われる」なんて事はないわけで。。

私にとっての「鳥の歌を聞け」という「情報」は
PCの前に座ってもりけんさんとのネットワークに繋がることです。
それが何よりも自分が「変われる」近道となっています。

[C858] >俺と住む世界が違う

 住む世界が違うからこそ鳥の歌のこだわってこだわりぬいて本質を見つめようと武蔵は思ったのかもしれません。違う世界の中から本質を見据え真理を追究していく過程というのは、歩む道は違っても見ているもの、頭の中にうかびあがってくるものは同じことであるのかもしれないと思いました。
  • 2006/05/04-11:20:44
  • 投稿者 : yk
  • URL
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[C857] 体験と情報

体験は情報量が多いので、それだけで酔ってしまうことがあると思います。
しかし、問いがなければ、どんなに体験したところでなにもかわりません。
それは情報も同じだろうと思います。
武蔵も、問題意識がなければ、情報に接しても何も気づくことはなかったでしょう。
いくら情報に接しても、かたくなに「個」を保持していれば、素通りしてしまいますし、あるいは自分の都合のように解釈して終わってしまうのだと思います。

[C856] 歴史が変わる瞬間

もりけんさんがどういう方なのか、とても知りたいと思いますが、サイトやブログでこれだけ語ってくださっていても、次々信じられないような面を発見してはおののいています。私の想像できる人物像など軽く遙かに遙かに越えているので、世の中にこんな考えが存在するものか、こんなこと考える人が実際いるんだ~っと、ただただ驚くのみです。
もりけんさんと船井さんの対談が実現されれば、それは世紀の対談なんだとだけ思っていたのですが、それだけじゃない、それどころじゃない、“世の中の歴史が変わる瞬間”なのだとわかりました。
サイトで切られた“時代”と たくさんのレスが思い出されます。
この時代に生きている幸運に感謝いたします。
お二人の対談を楽しみにしております。

[C855] 彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです

「鳥の声を聞け」が情報・・・うーん、とうなってしまいました。

情報、それは誰にでも公開されていてとっていくことができる、そしてその情報で大きく人の視点を変えることもできる・・・

中国の生まれ変わりの村の話しで「スープ伝説」はあの世に関する情報だということをもりけんさんは書いていました。情報は私たちにとって空気と同じくらい大事なものだと思います。

武蔵が柳生石舟斉との勝負だけだったら、こんなに深くは感じ取れなかったと思います。この情報をキーとして武蔵と石舟斉とがネットワークで繋がった感じです。

>本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)、「鳥の歌を聴け」なんて本質的なことは教えてくれなかったかも知れません(笑)

受けました(爆)。まさにそうだったと思います。確かに絶対に教えそうに無いです。

[C854] >門すらたたけずに、その場を離れます。

今日外出運を占ってみたら、世爻が「日」に合されていて、日と同性五行に
なっている忌神が二つ発動して、しかもそのうちの一つは回頭生です(爆)。
元々そんなに乗り気じゃなかったのも運命通りなのか、ここまでハッキリ
出ると外出するわけにはいかないです(爆)。
未来の情報がわかれば、体験するか、しないかを自分という「個」で
決めなくてもいいのだなと思いました。
「やらない」という選択・決断は、「個」が中心ではなく、外側にある
情報が決め手となるなら、自分という存在は何のために存在しているのか、
お互いが他の「個」のためにあるのかなと思いました。

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武蔵は柳生石舟斉と対戦していません

「運命を変える未来からの情報」を執筆しているとき、「鳥の声を聞け」というフレーズはキーになるので、吉川英治の原文から抜粋しようと思い、「宮本武蔵全八巻」を買ってきました。
 
 しかしどこを探しても、武蔵は柳生石舟斉が対戦するシーンが載っていないのです。
 あのシーンは、NHKの作り話だったのです(笑)。
 
 吉川英治の原作ではどうなっているかと言えば、武蔵は柳生石舟斉の家までは行くのです。その門に「鳥の歌を聞け」というような詩が書いてあったのです。
 武蔵はそれを見て、あぜんとします。
 
「柳生石舟斉というヤツは、俺とは住む世界が違う・・」
 
 門すらたたけずに、その場を離れます。
 
 しかし武蔵は、その詩が頭から離れません。そしてその意味について、自分で解釈して、ある日気づくのです。
 
 これではドラマとして面白くありません(笑)。なのでNHKでは試合をさせ、サビの部分を柳生石舟斉に語らせたのです。
 
 ドラマで武蔵は、強くなりたいがために剣豪の門を次々に積極的に叩いたように描かれています。そして体で体得していったように表現されています。
 
 でも本当はそうではなかったのだと思います。
 
 彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。
 
 本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)、「鳥の歌を聴け」なんて本質的なことは教えてくれなかったかも知れません(笑)。
 
「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」・・なんてのは、そのまま受け取ってはいけません。
 だから私はりんごの部屋で、何もしません(笑)。
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44件のコメント

[C973]

わたしは、体験で変わるものだ、とずっと思っていました。可愛い子には旅をさせろ・・もそうだと思います。
武蔵は鼻息荒く、柳生石舟斉を訪ねただろうのに、「鳥の歌を聞け」・・・。でも柳生石舟斉は強い・・。何でだろう、とずっと考えていたと思います。
体験よりも情報が大事だったなんて・・。その情報も私にはただの鳥の声。。。ああ。。
相手を凝視していては、かえって相手のことが見えなくなり、周囲が見えるような気持ちでいれば、相手の動きが良く分かる・・。すべての事に当てはまる感じです。
  • 2006/05/06-22:24:34
  • 投稿者 : REI
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[C959] >武蔵は柳生石舟斉と対戦していません

目の前の出来事さえ、真実とは何かわからないという気がします。
同じ出来事に例えば、遭遇した当事者だとしても、人が違えば、全く視点は変わってしまうような気がします。
それがさらに時間がったたものであれば、さらに何が本当だったのだろうと思うこともあるような気がします。
さらにそれが当事者でなかったとしたら、もっと、違うものになってしまったりするのかもしれません。
さらに時間などたったりすると。。。
真実とは何なのかわからないです。
そう思えば、実際に対戦したかそうでないかはたいしたことではないのかもしれません。(話よく知らないのですが。。)

[C950] >彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです

>しかし武蔵は、その詩が頭から離れません。そしてその意味について、自分で解釈して、ある日気づくのです。

「鳥の歌を聴け」は武蔵にとっては変わる情報であったと思います。

例えば10人がこれを見て皆が同じ解釈に至ることはないと思います。そのまんま受け取って、大自然の中でひたすら鳥の声に耳を傾ける人もいるかもしれません...

情報は、何時も常にそのへんに在る気がしました。それも何気なく...

情報が個にとって情報と変化する時、その個が真っ新な状態なら「おぉ~」と気が付くことができても、自分の価値観とかに囚われていたら情報と成り得なくなるのだと思いました。

すーっと浸透するように入ってくるか、最初からはねのけてしまい受け入れられないように。

同時に問いは必要だと思いますが、問いを持ったら一度白紙状態にならないと、情報として見えてこないのかもしれないと思いました。

[C932] >武蔵は柳生石舟斉と対戦していません

えー!!
驚きました!!武蔵は戦って体得したワケではないのですね。
確かに情報を受けて「気づいた」「悟った」では、テレビドラマ的には彩色を欠いて
しまいそうですが、原作はこのような展開だったんですね!

自分的には、ここ数年「体験する」ということが少なくなりました。
体験から得られるモノが少なくなったと実感はしていました。

りんごさんのように、何もしないでいるときの情報ほど、ズバッと
くるモノはないと思いました。

>本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)
そうですね。掲げられている情報と掲げた本人との間に溝があって、
受取る際に混乱することはあるかもしれませんね。
「コレだ」と思えたら、書いた本人が近くにいても、
深く聞き込んだりしないほうが、情報としての「活き」は
保たれそうですね。

[C924] 門の詩

昨年、文庫本を偶然読んだところだったので、どの部分かと、ずっと思っていた「鳥の声」の場面について、おかげさまで、ようやくわかりました。
武蔵が、門の詩を読んだ時、まだ機は熟しておらず、石舟斎の境地について、わからぬままに、及ばないものを感じその場を離れたけれど、ずっと心に残っていたのでしょう。詩についてはその境地に至らなくても、はっきり、花の切り口に、気づくことのできる武蔵は、やはり、すごいです。吉川英治の演出かもしれません。想像もつかないけど、どんな切り口だろう?と、時どき想像しようとしてしまう自分がいます。水の吸い上げが、かなり良い、鋭い切れ味だったろうか、それとも一見地味で、目立たないけれど、武蔵の
ような分かる人には必ず分かる、すごい切れ味なのだろうかと、読み終わってからも、時々考えてしまいます。

[C922] 情報が変える

武蔵は石舟斉に会っていなかったんですか。。知りませんでした。
テレビの情報をそのまま受け取っていました(笑)
 
でも、会ったほうがドラマチックで面白いです(笑)
 
人は感情で動いていて、世界は経済で動いています。
でも、もう少し踏み込んで考えると、どちらも情報によって動いていると言えそうです。
 
経験することで満足していてはサル以下です(爆)
経験から、どれだけ情報を得る事ができるのかということが、重要なのだと思っています。
 
世の中には情報が溢れています。
その中から情報を得るにはどうすればいいのか・・?
それは、問う事だと思います。問うことで問いの答えとしての情報が来るような気がしています。
 
問い以上の情報は来ないと思います。
 
武蔵は問い続けたから、石舟斉の張り紙の情報から答えを得たのだと思いました。
  • 2006/05/05-22:34:24
  • 投稿者 :
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[C915] 武蔵は柳生石舟斉と対戦していません

門に書いてあった詩を読んでもそのまま意味がわからずに門を叩いてしまう人もいたと思います。

その詩に心が引き付けられたのは武蔵が腕っぷしが強いだけでは自分が思い描く剣が出来ないだろうと気づき、その当時は問いを持っていたのかなと思いました。
それで、あの詩を読んでなにかを感じたのだと思います。

詩の情報が武蔵を変えたと思いますが、その前に武蔵は問いがあったように思います。

[C895] 門口にそんな詩が・・

武蔵が見た詩は、直接的に剣の極意が書いてあったわけではないです
しかし、その詩から武蔵は剣の極意を得ます
とても間接的で、ネットワーク的だと思います
 
モリケンさんは以前、「運命は突然変わります」・・と言ったことがあります
情報によって人が変わるということは、それと同じことなのかもしれないと思います

[C894] >「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」

これもずっとそう思ってきました。
でも、これも、希望や目的を持つことと同じく、今を否定する言葉だと思いました。
人と比べて、色々なことを体験できない自分を責める・・
そして、刺激的な体験を求める・・
そこに「今」はありません。

また、「昔取った杵柄」を語るときも、そこに「今」はありません。。

体験はいいことかもしれません。
確かに体で感じることは大事。
でも、体験すれば変われる・・体験しなきゃだめ・・という風に考えることや、体験したからすべて分かった、もうこれでいい、と思うことはどうかと思います。

もりけんさんは、りんごの部屋で「なにもしない」時間をたくさん持ちます。
かといって、ほんとうになにもしていないのではなく、たぶん、普通の人の何倍もの行動力を持ち、色々なことをされています。

しかし、それは、「体験したい!」と自分から求めていってる感じがしません。
いつも受身で、体験すら、向こうからやってくるかんじです。
気がついたらやっていた・・

体験そのものを求めて、いろんなことをしてる人は、本当に忙しそうです。
そしてミョーに生き生きしてたりして・・(汗)
それを自慢げに人に話したりして。

でも、もりけんさんもりんごさんも、全然忙しそうじゃありません。
さらっと、いろんなことをやっています。

体験することに対して受身になれば、情報に気づく心の余裕ができるように思います。
体験を求めている人、体験重視の人は、情報が目の前にあっても、気づかないのでは、と思います。

人が一生のうちに体験できることなど知れているように思います。
それですべてを分かったような気になることが、自分をかえって狭めるように思います。

武蔵が門前の情報で変わった・・というのは驚きです。
「知る」ということは、ほんとにすごいことなんだと思いました。

[C893] >彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。


実際の体験はそのものズバリだから得るものは多いと考えるのが普通だと思います。
実際に私も体験に勝るものはないと、いろんな場面で何度も教えられました。
 
そうだとしたら、体験出来ないことは理解できないということになると思います。
たとえ理解出来たとしても、表面的なところしか理解出来ないことになりそうです。
 
でも体験出来ることなんて、いったいどれくらいあるだろう…と思います。
 
インターネットの普及によって、私の生活は大きく変化したと感じています。
そしてインターネットで飛び交うのは情報です。受け取った情報の中で実際に
体験したことがあるものなんて殆どないです。
 
体験によって変わることもあると思います。
でも情報によっても変わると思うし、情報で変わるのは体験が関係ないから、変わる人は多いと思います。そして情報はあっという間に広まるので、変化も拡がっていくと思いました。

[C892] 鳥の歌

体験することより、0になってみることが、できるかできないか・・・が「鳥の歌を聞く」事ができるかできないかなのかなと思いました。テレビの武蔵しか知らなかったので、自分でも読んでみようと思います。

[C891] 情報は受け取る人・取り方・受け取る時の状態でで変わる


>本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)、「鳥の歌を聴け」なんて本質的なことは教えてくれなかったかも知れません(笑)

私は、
石舟斉は上手い詩が出来たから載せてただけで、それが極意とは思ってもいなかった。それを武蔵が勝手に極意だと『勘違い』しただけかも…

『気付き』なんてそんなもんかもしれない(爆

なんて感じてます。

まるで内田樹氏の『張良(能)の話』みたい。

受け取る側の受け取り方で情報の意味合いはごろりと変わってしまう。

人が笑ってると、「何笑ってるんだ!ムカー!」となるか、「楽しそうだね~w俺も楽しくなってきたw」もとい

「いい兆候だ」と感じるか…。

(問い無き解釈は、ほとんど勘違いになります)

(余談。柳生宗厳(石舟斉)七十歳のとき武蔵は十八歳)

都合良く解釈(勝手に意味付け)したら、馬鹿を観ました…。

[C890] >「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」・・なんてのは、そのまま受け取ってはいけません。

武蔵が、何でも体験していたら、命がいくつあっても足りなかったと思います。
 
何でも体験してみればいい、というスタイルは、考えることを後に追いやっていると思います。
考えればいいというわけでもないと思います。
体験は必要なのだと思います。
でも、体験してみればいいわけでもないと思います。
考えなければ、体験は、無意味かもしれないと思います。
単に無意味だったらまだましですが、お金だって時間だってかかります(汗)
やっぱり、よく考える必要があると思います。
それには、りんごの部屋が最適だと思います。

[C889]

体験したことは記憶となって、心に、肉体に残ります。
いくつもの体験を重ねて、太っちょの自分になってしまったようです。
体験しても、それに囚われないことなのかなぁと思っています。
う~難しいけど(汗)
いつも空っぽの自分に戻らないと、詩はただの詩であり、自分の求めていたものだと気づけないのだと思いました。

[C888] 問いがあれば、

体験でも、門に張ってある紙でも、なんでもヒントになると思います。
それらは、広くひっくるめて情報です。
問いがあるから、意識に上ってくのかなぁと、思いました。

でも、問いがなければ、経験しても、門に紙が張ってあっても、意識に上ることは、ないかもしれないと、思いました。

[C887] 武蔵と柳生石舟斉

わたしはこの物語をあんまり、よく知りません(汗)
もし、わたしが武蔵だったらたぶん・・・
「あのう・・・」とかいって、訪ねていっちゃう気がします。
「鳥の声を聞け・・・、?」ってなるから(笑)
でも、そう簡単に会えないすごい人物なのか。
・・・そおか。
私も現実で、色んなコトバを情報として受け取っています。
もうここ3ヶ月くらいテレビをほとんど見ていないけれど
本、音楽、インターネットそれから、自分の周りでおこる
出来事から・・・ふん、ふん、ふん(爆)ってカンジで何かを
聞いてい(?)ます。
武蔵と柳生石舟斉は、お友達でもなければ、師匠と弟子でも
ありませんが・・・武蔵にとって柳生石舟斉はずっとずっと
届かない・・・なんてゆうか、男が男に惚れたカンジなのかな
と、思いました。・・・なんか、違うかな(汗)
柳生石舟斉がいくらジジイ(オヤジか・・・)だろうが
かっこいいのは変わらない(意味不明)のです。
体をはって、自ら飛び込んでゆく武蔵がなんで・・・?
「住む世界が違う・・・」って思い、その扉を叩けなかった
のか気になりました。


[C885]

勝ち負けは関係ない。
陰陽が合い交わり
中(むすび)が生まれる。
むすびとはベンショウ法。
  • 2006/05/04-20:58:41
  • 投稿者 :
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[C884] 情報

情報は受け取るほうが準備できていないとただの言葉で終わってしまうのだと思いました。
同じものを見ても感じることができないと次に行けないと思います。

[C883] >彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。


変わったのは、武蔵本人にその資質があったからでしょうか?
つまり、この情報を得たことで、武蔵は自分の意志で変わろうとしたの
でしょうか? しかし、運命が決まっている説を採るならば、変わった
のは武蔵本人の自由意思というよりは、時空のシナリオ通りにそうなっ
ただけ・・・という見方もできます。

船井さんはこのブログにある全ての情報を読んで、変わるでしょうか?
それ以前に、船井さんはもりけんさんと会って、話し合うでしょうか?

疑問文だらけになってしまいました。 私には、皆目わかりません。
ただ、言えるのは、もりけんさんが船井さんに負けてもいいとお考えで
あるなら、もりけんさんは結果など知ったことではないかもしれません。
(間違ってるでしょうか?) もし、会談日が決まれば、その当日は、
出たとこ勝負で臨むおつもりでは、と想像しています。

[C882]

意味付けは視野が狭くなる。(これも意味付けでは)
全てのものに意味があると考えたら果たして視野が狭くなるのかな?と考えた。
  • 2006/05/04-20:24:35
  • 投稿者 :
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[C881] 体験と情報

体験て連続的で徐々に体に染み付けるというニュアンスがあると思います。
情報はある意味断続的で不連続です。いきなりという感じがあります。

体験でも情報を得る体験と意味づけをする体験に分けられると思います。
あかりさんが「体験はエゴかもしれない」と書かかれていますが、私はそれを「意味づけをする体験」とも思いました。
意味づけは新たな意味づけを呼び、視点が狭くなっていくからです。
意味づけは答えを得ていく行為に思いました。

一方、情報を得る体験というのは問いが基本になっていると思いました。だから正反対や突拍子も無い情報が得られると思います。

武蔵にとっても「鳥の詩」は突拍子も無いものだったのかもしれません。

でもそこに何かがあるような気がします。

[C879] 経験をたくさん積むと

繊細さが失われる場合があると思います。お金を稼ぐためにやっている
のなら、やりたくなくても中断できないということもあるでしょう。しかし、この場合、
武蔵は、職業としての剣術を高めたい、ということを思っていたのではなく、
ただ、武人として、純粋に自分の技を向上させたいと願っていたように見受けられます。

ひとりの人間が自分の人生を「生きている」というのは、自分の内面と外界
が接するところで「生きている」のであって、経験を多く積むということが「生きる」
ということでも、また、外で華々しく活躍していないから「生きていない」という
ことでもないと思います。

自分の内側において深く多様に生きるということもできると思います。単調な
日常生活を送っていても、単調な人生とは限らないと思います。

武蔵の場合は、剣の道を究めるということが、自分の人生を追求するという
ことと切り離すことができなかったのではないかと思います。

生きていると毎日いろいろなことを経験しますが、深く内面化された経験以外は、
すぐに忘れてしまうことも多いと思います。
  • 2006/05/04-18:28:01
  • 投稿者 : ナイル
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[C878] 「鳥の歌を聴け」

 武蔵は、柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、「険術」を磨くことを止めた、そして「鳥の歌を聴け」の「神髄」を身につけることが出来た。
 
 剣豪「武蔵」が生まれた「背景」が、「磨くこと」、「努力すること」を手放すことであったとしたなら、大変楽しいことです。

[C877]

違いがわかる=わかっている。
行動のすえ縁をえた。
真剣に生きていたから気付きがあった。
剣の道を探求した結果本質をえた。
とにかくこうと決めたら猛進するのみ。
すれば縁は向こうから来る。
  • 2006/05/04-17:19:26
  • 投稿者 :
  • URL
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[C876]

武蔵は、「強くなりたい。どうすればもっと強くなれるか」といつも考えていたと思います。
「鳥の声を聞け」は強くなるには、といつも問いかけていた武蔵への答えだったのだと思います。

「なんでも体験しなさい。体験があなたを変える」
これは、もりけんさんを知る前だったら、あれもこれもと
体験しようとしていたと思います。
チルチルとミチルが青い鳥を探したように・・

問いが大事、ということを知りました。
問いをもって武蔵のように自分である日気づきたいです。

  • 2006/05/04-17:18:40
  • 投稿者 : 星
  • URL
  • 編集

[C875] 情報

いろんな「情報」は、ちまたにあふれています。
その中で、よく分からないけれど何か引っかかる・・
というものが時々あります。
後になってから、自分の問いの答えと気づいたり、
全く違う事柄の気づきとして現れたり・・。

「鳥の歌を聞け」・・一見なんの関わりもない情報に
思えますが、武蔵からすればとても本質的な情報です。

感性を鋭くするのは、情報を選び取る上で
とても大切だと思います。
本当に・・原因を探っていては、いろんな所からくる
情報(気づき)が通り過ぎてしまいます。
どんな分野から来るか分からないのに・・・。
  • 2006/05/04-17:17:35
  • 投稿者 : まる
  • URL
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[C874]

むかし、ある武道の先生が、中里介山の「大菩薩峠」がいろいろ参考になった、と言うのを聞いて、私は心中「フィクションなんか参考になるのか?」と思っていました。
その後、有名な空手家が吉川英治の「宮本武蔵」を指針としている、と著書に書いていました。私はこのころには、どんなことでも参考になるものは吸収すればいい、と思うようにはなっていました。
最近、もりけんさんの書かれたものを読ませていただくようになり「気付き」を得る、という言葉を知り、あの先生たちも「気付き」を得ていたのか、と納得しました。

吉川英治の「宮本武蔵」は読んでいましたから、小説中で武蔵と石舟斎は会っていないことを知っていましたが、「ああ、もりけんさんはドラマから気付きを得ているんだな」と思っていました。

実在の武蔵は背が高くて、常に野獣のような精気を放つ、こわい武術家だったようですね。
武蔵自身はハンドルをシッカリ持っているつもりだったでしょう。時代に流れに乗っていたのかも知れません。
想像ではありますが。
  • 2006/05/04-15:46:18
  • 投稿者 : 十四郎
  • URL
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[C873] >情報

以前「マーケット」のお話がありましたが、そういうことなのかぁと思いました

雑多の中で、ソレとリンクしちゃう「私」は半分「結果」で、もう半分はなんだろ~と妄想ひろがります

[C872] >武蔵も、問題意識がなければ、情報に接しても何も気づくことはなかったでしょう。

情報をよりわけるセンサーって、自分の持ってる問いなのかなと思いました。
  • 2006/05/04-14:48:02
  • 投稿者 : リョウコ
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[C870] 体験で変わる

 体験で変わるということに疑いをもっていませんでした。でも、自分は転職を何度か繰り返しましたが原因(?)は同じなような気がします。まるでパブロフの犬のように同じパターンの行動をしていたのかなと思います。
 もし誰かが、こう対処すればよいのではといった情報があれば行動を変えることができるかもしれないです。それでうまくいけばたぶんそのうまくいった行動を今後はとり、結局は自分が変わったということになるのかと思いました。
 一方、熱いやかんに触れては駄目というのは一度やかんを触れば分かることです。これは体験が行動を変える例のように思います。
 要は、本人がどうした方が良いのかという認識をどの程度もてるかだと思います。
 体験で得たものはそれを自分で情報に置き換えるておかないと活かせない。ああ、そうなるとやっぱり体験で変わるのにも情報がきっかけになるのかなと思います。

[C869] >武蔵は柳生石舟斉が対戦するシーンが載っていないのです

そう、でしたっけ(汗)原作は高校生のとき読んだきりなんで‥。原作より、武蔵‥役所広司、おつう‥小手川祐子のやった「宮本武蔵」の印象が強いです。ドラマはやっぱり対戦しないと見せ場がないんで、石舟斉の家に何度か訪づれたと思います。

でも、相手から直接言われるより、情報を知っただけで、あとピンときたという原作のほうが、武蔵の勘の冴えみたいなものを感じさせます。

体験しても、にぶかったら、なにもとらえられないと思うし、キャッチするセンサーの感度のほうが大切なのかもって気がします。微細なものまで感知できるセンサーのほうが。
  • 2006/05/04-14:36:25
  • 投稿者 : リョウコ
  • URL
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[C868] 情報と体験

>彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。

>「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」・・なんてのは、そのまま受け取ってはいけません。


体験をするのが大切・・というのは、よくいわれています。


しかしそれは、私たちが、なぜか記憶をリセットさせられてしまうシステムの中にいるからだと思いました。

私たちはこれまで、何度も記憶をリセットさせられて、さまざまな人生を生きてきたと想定されます。

では、さまざまな人生を生きる必要があったのか・・

それは分かっていません。
いや、そもそも、私は誰か・・

なぜ、私がいて、世界が存在しているのか・・
分かっていません。

なので、「体験」している場合ではないと思いました。

そもそも、私たちは、生きているだけで、理由も分からず、体験させられています。

自ら体験しようとすることを捨てたとき、情報は、向こうからやってくるものかもしれません。

もりけんさんの不思議調査は、問いを発して、あとは、お任せ状態です。。
 
>だから私はりんごの部屋で、何もしません(笑)。

何もしないで、お任せ状態だから、情報がやってきて、外側とのネットワークがつながるのではないか。。。

だとすれば、「体験」することは、時空ネットワークから、「個」を分離することではないか・・

***


これを書きながら、「体験」はエゴかもしれない・・
と思いました。

それは、積み上げようとする行為だからです。
でも、積み上げたものを壊す行為は、
体験といえども、エゴがないかもしれない。。

壊すことで、個が空洞となり、
そこに情報がやってくる。。

情報は、何もしない(積み上げない)こと、あるいは壊すことによりできた空洞に、自ずと引き寄せられてくるものではないかと思いました。

[C867]

>「鳥の声を聞け」

 剣道の練習後の黙とうで、心静かにするために「風の音をきけ・・」と
自分に言い聞かせてましたがそれって「鳥の声」だったのですね(汗)

>彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです

 その情報で未来をしったのでしょうか。。。。
それとも「この親父はもう隠居か」とおもったのかも(爆)
 情報は入りすぎてもだめなのか・・・・・
そのときの武蔵の問いへの答えが門をたたく前にでたのかな・・・


[C866] 情報って

門にはってあった「詩」は誰でも読めたと思います。しかし、その中から「鳥の歌を聞く」という情報を自分の中に生かした人は何人いたんだろう、と思いました。

受け取る情報は決まっている。そう思うと「なにか見逃してないか」とあせらなくてもよさそうです。

でもその情報を生かせるかどうかも決まってるとすると・・汗

[C865] >これではドラマとして面白くありません(笑)。なのでNHKでは試合をさせ、サビの部分を柳生石舟斉に語らせたのです。

私は自分史として面白く無いから体験を求めてたのかなと。。自分を振り返って思いました。時から何かを得て蓄積しようとしてたかなと思います。人に語ってつかえそうなものを。。。
 
>しかし武蔵は、その詩が頭から離れません。そしてその意味について、自分で解釈して、ある日気づくのです。
>彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです。
 
今日も凄い事が書いてあるなと思って@@
では。。「情報」だらけなんだと思いました。世の中、鍵だらけなんだと思います。なにも特別な事をしなくても。。なんでしょうか目が回ります。オヤジにあったところで。。変わらない。。私は今この目でなにを見てるのだろうと思います(汗)ありとあらゆるものが何かの鍵になってる。。のだろうか。。よくわかんなくなってきました。静止してるもんなんてないような。。へんな感覚におそわれてます。おそらく私が思うに、それは武蔵にだけ響いた情報。えーホントに思考が回ってきました。酔いそうです。。。

[C864] 「鳥の歌を聞け」

なるほど~。。そうやったんや~。。ン?でも、これってちょいへんですね。。。普通平和的な鳥の声には、よっぽどでない限り、ふらふらとひかれちゃうようなきがしますうう。。。これって。。「猛犬注意!!」の間違いじゃないすかね~~♪♪家も、ネコちゃんしかいないので、「猛犬注意!!」が、かかせません^^にゃんにゃん^^
  • 2006/05/04-12:20:31
  • 投稿者 : バニー
  • URL
  • 編集

[C862]

「結果の私」が思いっきり体験すると、思いっきり「結果の私」になれるとおもいます(笑)

>「情報」

私が遭遇する情報は、突然鏡のように
見てしまった「私」が、居心地よい結果の私になぜか帰りたくないサプライズ状態なのかもと思いました

[C861] 自分で解釈して、ある日気づくのです

情報を受け取っても解釈の仕方を誤ると
体験を積むだけで終ってしまいそうです。
鳥の歌を聴くことは、=未来からの情報を聴くこと
なんだなって思います。

>本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)、「鳥の歌を聴け」なんて本質的なことは教えてくれなかったかも知れません(笑)。

あはは。。。
別な意味で住む世界が違うって思ったかもです。(笑)

  • 2006/05/04-12:11:48
  • 投稿者 : Ciel
  • URL
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[C860] 鳥の歌を聞け

> 「何でも体験しなさい、体験があなたを変えます」・・なんてのは、そのまま受け取ってはいけません。

以前は、何でも体験することが大事なんだ、
いろんな事を体験しているほうが偉いんだ、
くらいに思わされていました。
でも命運は始めから決まっているわけで、体験することが全て織り込み済みならば
「体験するほどに自分が変われる」なんて事はないわけで。。

私にとっての「鳥の歌を聞け」という「情報」は
PCの前に座ってもりけんさんとのネットワークに繋がることです。
それが何よりも自分が「変われる」近道となっています。

[C858] >俺と住む世界が違う

 住む世界が違うからこそ鳥の歌のこだわってこだわりぬいて本質を見つめようと武蔵は思ったのかもしれません。違う世界の中から本質を見据え真理を追究していく過程というのは、歩む道は違っても見ているもの、頭の中にうかびあがってくるものは同じことであるのかもしれないと思いました。
  • 2006/05/04-11:20:44
  • 投稿者 : yk
  • URL
  • 編集

[C857] 体験と情報

体験は情報量が多いので、それだけで酔ってしまうことがあると思います。
しかし、問いがなければ、どんなに体験したところでなにもかわりません。
それは情報も同じだろうと思います。
武蔵も、問題意識がなければ、情報に接しても何も気づくことはなかったでしょう。
いくら情報に接しても、かたくなに「個」を保持していれば、素通りしてしまいますし、あるいは自分の都合のように解釈して終わってしまうのだと思います。

[C856] 歴史が変わる瞬間

もりけんさんがどういう方なのか、とても知りたいと思いますが、サイトやブログでこれだけ語ってくださっていても、次々信じられないような面を発見してはおののいています。私の想像できる人物像など軽く遙かに遙かに越えているので、世の中にこんな考えが存在するものか、こんなこと考える人が実際いるんだ~っと、ただただ驚くのみです。
もりけんさんと船井さんの対談が実現されれば、それは世紀の対談なんだとだけ思っていたのですが、それだけじゃない、それどころじゃない、“世の中の歴史が変わる瞬間”なのだとわかりました。
サイトで切られた“時代”と たくさんのレスが思い出されます。
この時代に生きている幸運に感謝いたします。
お二人の対談を楽しみにしております。

[C855] 彼は柳生石舟斉の表札の脇に書かれた「情報」で、変わったのです

「鳥の声を聞け」が情報・・・うーん、とうなってしまいました。

情報、それは誰にでも公開されていてとっていくことができる、そしてその情報で大きく人の視点を変えることもできる・・・

中国の生まれ変わりの村の話しで「スープ伝説」はあの世に関する情報だということをもりけんさんは書いていました。情報は私たちにとって空気と同じくらい大事なものだと思います。

武蔵が柳生石舟斉との勝負だけだったら、こんなに深くは感じ取れなかったと思います。この情報をキーとして武蔵と石舟斉とがネットワークで繋がった感じです。

>本当に柳生石舟斉に会ったら、タダのオヤジで(爆)、「鳥の歌を聴け」なんて本質的なことは教えてくれなかったかも知れません(笑)

受けました(爆)。まさにそうだったと思います。確かに絶対に教えそうに無いです。

[C854] >門すらたたけずに、その場を離れます。

今日外出運を占ってみたら、世爻が「日」に合されていて、日と同性五行に
なっている忌神が二つ発動して、しかもそのうちの一つは回頭生です(爆)。
元々そんなに乗り気じゃなかったのも運命通りなのか、ここまでハッキリ
出ると外出するわけにはいかないです(爆)。
未来の情報がわかれば、体験するか、しないかを自分という「個」で
決めなくてもいいのだなと思いました。
「やらない」という選択・決断は、「個」が中心ではなく、外側にある
情報が決め手となるなら、自分という存在は何のために存在しているのか、
お互いが他の「個」のためにあるのかなと思いました。

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森田健(もりけん)

Author:森田健(もりけん)
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■無料会報誌「不思議の友」について
森田健が実際に足で歩いて遭遇した出来事を皆さんに報告する場として「不思議の友」という無料会報誌を出版しています。
この本は、読んでいただけるだけで嬉しいです。
でも、何か意見を返してくれるともっと嬉しいです。
不思議なことに興味がある方、不思議なことを解明したい方、または新しい生き方を見つけたい方のためのものです。
最新号は常に無料でお送りしています。
新しくお申し込みの方はこちらからどうぞ


最新号「不思議の友15」が届いていない方。
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