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-件のコメント

[C1016]

>心は、生死を離脱したつもりでも、肉体は、予感する。筋肉が締まる。ふたつが合致しない。
 
「わかっちゃいるけどやめられない」を思い出しました。
私はタバコをやめたいけどなかなかやめられないでいます…これ嘘です。吸うことをコントロールできなくて辛いときがあるのでやめたいのです。ほんとはやめたくはないのです。
武蔵の肉体は正直だと思いました。頭では分かったつもりでも、実際は死にたくはない、のではないでしょうか。
生死を分けた場を目前にしたら、大抵は生き残りたい、と思うと思います。自分でコントロールできないのに…。
  • 2006/05/08-01:32:51
  • 投稿者 : けせらん
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[C977] 闘いの幕が上がるそのまえに


私が吉川英治著「宮本武蔵」を読んだのは、中学1・2年の頃でした。
親父に勧められて読んでみましたが、なにせ長編作品であるのと、登場人物が
やたら多かったりして、中学生のガキには荷が重すぎる小説でした。
特に、斬り合いに関係ない登場人物、お通さん、又八、彼の母親、武蔵の弟子
(城太郎や伊織)などが、あれやこれやする場面になると、それはもう退屈で
退屈で、これ以上は読むに耐えないと白旗を上げたものです。
ハッキリ言って、「もっと、アクションを」が本音でした。

思春期というは、ご承知のように、少々厄介なものです。 波動という観点か
らいえば、中学生の私は相当荒い波動を放っていたと思います。
(特に、性に目覚めたのがイケマセンでした(爆))
今回もりけんさんがお書きになった「繊細な波動」のことなど、知るよしもあ
りません。 当然、大旦那や佐助のことも、全く覚えていないのでした。

ところで、実在した宮本武蔵の人物像には、多くの謎が残されているようです。
吉川英治が描いた武蔵と、本物の武蔵が同じだとは限らないとのことです。
(先ほど、ネットで少し調べてみました)
でも、そんなことは問題ではないと思いました。
実在の武蔵は「五輪書」を残しています。(地之巻、水之巻、火之巻、風の巻、
空之巻の五巻です・・・コジツケですが、なんとなく五行に似ています)
加えて、武蔵は多くの絵画を残しています。 虫を喰わんとする直前の鳥の絵
などは有名でしょう。(私でも覚えているくらいですから)
吉川英治がこれだけの材料(他にもあったと思いますが)を使って、もりけん
さんが指摘した”繊細な波動”が息づく小説「宮本武蔵」を書き上げたのなら、
吉川英治もまた達人であったと思います。
よくぞ、大旦那、佐助など、脇役からの視点で書いたものだと驚くばかりです。
巌流島へ向かう船の上の描写も傑作です。
それをすっぱ抜いてみせたもりけんさんは、見事という他ありません。
(こうして言葉にして書いても、全然追い付かないほど凄いです)

最後に、私個人が感じたこと・・・武蔵が大旦那と佐助の二人に絵を描いたと
いうのは、武蔵は死を覚悟していたからだと思います。
負けを意識していたのです。 今までは運良く生き残れたが、今度ばかりは死
ぬかもしない・・・いくら知恵を絞っても、いくら準備を整えても、自分が為
せることは如何ほども無い・・・世界は(時空は)自分の思う通りに動くもの
ではなく、所詮は自分も大河の一滴に過ぎない・・・
もりけんさんが仰るように、佐助だけは何とか生き残ってほしい、と願いを込
めながら、武蔵は絵を描いたのかもしれません。

サイン会で頂いたノベルティーCDの中で、もりけんさんはこう仰っています。
密度の薄いネットワークほど強いと。(有益な情報を得やすいとも)
大旦那、佐助、お鶴、そして武蔵のネットワークはとても微弱だと思いました。
彼ら各人の距離も、適度に離れています。 言うまでもなく、体育会系の熱い
ノリなんか欠片もありません。 このようなネットワークが構築されたとき、
時空自身が動いて、運命変更がなされたのだと思えました。
(それにしても、吉川英治は、ここまで考えて小説を書いたのでしょうか?)
(書いたのだとしたら、彼はいったい・・・)

[C972]

> 大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。

これが空気の読めない他の船頭だったら、武蔵が戦いを目の前にこのように静かに水面に意識をあわせることは出来なかったかもしれません。
あうんの呼吸 というのでしょうか・・
生死をかけた大勝負を目前に、「心得ている」佐助の存在が、どんなにか武蔵への頼もしい橋渡しとなったことと思いました。

[C968]

その場の空気が読める佐助にまかせた大旦那の人選は凄いと思いました。 
 
余計な事はペラペラ言わないことですね。

[C960] >巌流島を目指して

試合はもうそこから始まっていたのだろうと思います。
その妨げをしないような人として、佐助は選ばれたのかもしれないと思います。

[C951]

佐助はその場の空気が読める男だったのだと思いました。

暇だけど暇ではない武蔵。佐助が何かと話しかけをしていたら、武蔵はたまったものではありません。「佐助、うるせぇ・・・だまってろ」と武蔵が言うかは分かりませんが。

二人は同じ船に乗り、同じ水の上に浮き...同じことを感じていた...そう思いました。佐助は大旦那様から船頭を命じられた時から、武蔵と運命をともにすることを決めたようにも思います。

二人は一体化して同化していたのかもしれません。

>武蔵のこの状態は、多くの人が経験すると思います。

「場」なのかなと思いました。

場は自分で作り出せないと思いました。そこに係わるすべてのものが場を形成するのだと思います。ヒトだけではなく、モノ、空気、時間、すべてが...と思いました。
私は私であるが、そこに存在するすべてモノは私であり、私は存在するすべてのモノになると思いました。

[C934] 佐助と武蔵

お互いが、お互いの運命を粛々と歩んでいる・・
そんな事を思いました。
影響をあたえあってなく、
指導してもなく、
佐助は武蔵の命を送り届け、
武蔵はお任せ状態で、より視野が広がる・・。

吉川英治の小説、面白そうです。
  • 2006/05/06-09:41:14
  • 投稿者 : まる
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[C933]

それにしても、うまい文章です。


武蔵と一体になっている・・・まるでそこにいたかのように・・・・・

作者が武蔵自身のようにも思えます。


文章上手いひとって良いなあ。
思ってることを文字で伝えることは難しいです。(私にとって)会話もヘタなので困ります(汗)

[C930] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

武蔵の、この心と体のつながりは、とても緩やかなものを感じます
なんというか・・間接的というか・・
 
武蔵の心は360度に開かれていたと思います
体はどうか・・体もまた360度だったと思います
 
佐助は船の櫓をこぐ時、意識して漕いでいないと思います
では無意識かというと、そうではないと思います
常に、波や潮の流れの状態、風向きなどを考え、絶えず船の向きを修正しながら漕いでいたと思います
佐助の心と体も360度だったと思います
武蔵と佐助は「共有」していたと思います

[C929] 佐助の役割

 武蔵の心と体の隙間をうまく調和させてくれる存在が佐助だったのだと思いました。心と体の隙間を確認させる船上での大きな役割をはたしていたのではないでしょうか。無言の両者の間と武蔵のコンデションを集中へとむかわす為に重要な役目をおっていたきがします。

[C927] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

こころは、360度に開かれて、からだは、目前の準備をしているのだと思いました。
360度に開かれたこころは、退屈で、静止しているようにみえて、どこかフル回転しているようでもあります。
からだも、動いてはいないけれども、準備が万端整って、一触即発の状態だと思います。
こころもからだも、高速で回転するコマのようだと思いました。
それをわかって、佐助は黙っていたのだと思います。

[C926]

心と体が一致しない描写は自分が武蔵になったような視点になりました。
逃げ足のことを考えて引き潮までの時間稼ぎで遅刻したのは佐助を殺させないためのように思いました。
佐助も自分が死ぬかもしれないのに静かに武蔵について行っている。
船の上はとても静かな印象を受けました。

[C925]

目をつむると光景が浮かび上がるが「空」とは違うような・・・
  • 2006/05/05-23:21:05
  • 投稿者 :
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[C923]

黙っている事も重要なのだと思いました。

[C921] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

抜粋の文章に思わず引き込まれました。
やるべきことはやった後に訪れる空白のような一瞬・・・
これから起こることに心は揺れていないのに、肉体はすでに感知しているようです。
心の中から思惑が消えれば消えるほどに、肉体は鋭敏になるのかもしれないと思いました。


佐助は名脇役というか、重要人物に思えます。
このお方のためならと思わせる何かが武蔵にはあったのでしょう。
漁師とはいえ、大任を躊躇することなく引き受ける度量の大きさと場を読む心配りがなんとも言えません。
すべて承知の上で、自分の仕事を黙々としていたのだと思います。


[C919] > それは自分だけでなく、佐助も助けようとしていたのかも知れません。

武蔵が勝っても負けても自分は殺されるかもしれないと、佐助は考えていたかもしれません。でも「死にに行く」と考えていたわけではないように思いました。
 
佐助も武蔵が勝った時には全力で船を漕ごうと考えていたかも知れないと思いました。
 
> こころは退屈でも、体は正直だったのです。
 
緊張なんてしていないはずなのに膝が震えたり、出番までにもうする事はないのに座って待ってはいられなかったりという経験はしたことがあります。
「暇だけど、暇じゃない」という表現はピッタリだと思いました。
 
>「へい・・」
 
無意識に呼びかけたかもしれない時に静かな返事が返って来るのは、武蔵にとっては独り言に答えが返って来るようだったのではないかと思いました。それは武蔵と佐助が同じ場を共有していたということかもしれないと思いました。

[C917] >巌流島を目指して

>引き潮になれば、逃げ足も速いです(笑)。
 
武蔵は、勝つことだけでなく、生きることも考えていたのだと思いました。

>こころは退屈でも、体は正直だったのです。
>武蔵のこの状態は、多くの人が経験すると思います。
 
はい。経験あります。
試験を受ける前とか、セミナーを受ける前とか、そうです。
もうすべてやるべきことをやって、あとは始まるのを待つだけ・・というような状態のとき・・
武蔵の場合はとくに、これから命のやり取りをしようというのですから、心はぼーっとしていても、体はきっと、全身総毛立っていただろうと思います。
 
肉体はつねに先へ先へ・・なのかなと思いました。
だからこそ、危険を察知することができて、生物は生き延びることができるのかもしれません。
 
>船にいる間ずっと、佐助からは武蔵に喋りかけていません。
 
リアルタイムの「独り言」も、こういう場を共有していると思います。
 

[C916] 巌流島を目指して

巌流島に着く舟の中では緊迫した雰囲気が漂っていたのではないかと想像しますが、「暇」だと思っていたのはびっくりしました。

でも、準備万端でその時を待つのみ状態になると、あとはその時に集中する事が成功する秘訣と思います。であれば、リラックスして波の音でも聞くしかないのかなと思いました。しかし、体だけが反応するのですね。

佐助も場を良く取っているなと思いました。快く引き受けただけのことはあります。

[C914] >巌流島を目指して

退屈は、「空白」「静寂」の時間ともいえると思います。

空白だったから・・
武蔵は、その間に、水と人の生命について思いを巡らし、

と同時に、その超然らしい考えとは合致しない、
自らの身体を感じることができたのだと思います。

「空白」という時間は、人間の持つ五感・・
己(おのれ)という枠組み崩壊させるのかもしれません。
なので、自ずと、外側から入り込んでくる「情報」を、
全方位から受信してしまうのではないか・・


静寂の時間を保つことは、情報を受信する感度を上げるのではないかと思います。


>武蔵から
「佐助・・」
 と呼びかけられ
「へい・・」
 と答えて、会話が始まります。

>大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。


なんて絶妙な間なのだろう。。と思いました。

ふたりの間柄も・・



[C913]

剣の腕ももっていない・・・
読み書きもできない・・・
ただ船をこぐしかできない・・・・
けれど、こころは静かに武蔵と同体となっている・・・・・


なにもできない佐助だけれど、となりにいられることに幸福を感じていたのではないか・・・・・・


水のながれと武蔵と佐助が一体となってただよっているような情景が目に浮かびます。

それはHPでレスしているわたしたちにも似た・・そんな気がします。


[C912] 「暇だぁ」 ・・・

いつも、忙しくしている武蔵どんは、きっと、多次元への道が、繋がりやすくなってたのかも~でっすうう。。。それで、佐助どんの船で。。ギ~コ。。ギ~コ。。とこいでいくうちに、な。。な。。なんと。。多次元へのドアが開いてしまったのかも~~~なんちて~~。。佐助どんの返事は完璧だったのかも~でっすうう。。「はい」でも「へえ」でも「はあ」でも「あいよ」でも「がってん」でも時空のドアはあかなかったかも~ですうう。。絶妙のタイミングで絶妙の大きさで「へい」と返事がかえって、武蔵どんは、未来からのメッセージを受信したのかも~でっすうう。。。へい~~^^
  • 2006/05/05-16:07:39
  • 投稿者 : バニー
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[C911] >一定の形に囚われているうちは、人間は無窮の生命は持ち得ない。

「一定の形に囚われているうちは・・」この言葉に反応してしまいました。
形にこだわるとだめなんだって。水のように形を変えながら、なんにでも合わせられる・・つまり全方位かなと。

それでも武蔵は自分を泡にたとえている。そして、心は平静なのに身体には鳥肌が・・・

さすが、作家!うまいです。ここの描写が。

2人の時間の過ごし方も見習いたいです。信頼、運命共同体のようで、場を壊さず、場が読める。夫婦でこうだということない気がします。せめて淡々と・・

[C910] >巌流島を目指して

>こころは退屈でも、体は正直だったのです。
そんな時あります。でも、めったにないです。

佐助は船頭を引き受けたときから・・
そして、引き潮に出てたときから武蔵と同じだったのだろうって思います。(運命共同体ってことで)
だから何もしゃべらない。。
呼吸がひとつになった感じです。
>心は、生死を離脱したつもりでも、肉体は、予感する。筋肉が締まる。ふたつが合致しない。
からだは受信機である意味外側にもなれるんだって
思いました。
もりけんさんの文章を読んで、心が緊張して
体は暇な自分を感じています。

  • 2006/05/05-14:34:20
  • 投稿者 : Ciel
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[C909] 時間と場所が違えば

佐助の決闘に武蔵がつきそうこともあったのではないかと思います。
立場は固定していないような気がします。水のような多様性と豊かさがなかったら
佐助は佐助ではなかったし、武蔵は武蔵ではありえなかったのではないでしょうか。

流水のように変幻自在で絶妙というのが武術の達人武蔵の至った境地であり、
また、もうひとりの達人佐助の至った境地でもあります...。

実は、佐助は武蔵を映す鏡だと思います。そして鏡はときに、被写体自身
よりも、被写体自身の本質的な部分を映し出す場合があると思います。

そう考えていくと、佐助は人間の形をとってはいるけれども、実は流水、つまり
ここの部分の引用で示されている「海面」そのものではないのかと思います。

そして「海面」には時空の面影が見えます...。佐助は人間ではなく時空の化身
(もちろん佐助自身もそのことは気がついていません)であると考えると、
武蔵の勝利は佐助が先導として選ばれたときに、すでに決まっていた
ような気がします。

なんとなく、孫さんセミナーにおけるもりけんさんを思い出しました。また、
もりけんさんと編集者との関係にも思いが至りました。

佐助と心を通い合わせることによって、武蔵は時空や運命とつながりやすく
なったのだと思います。そう考えると佐助は、武蔵にとって媒体の役割を
果たしていたのだと思います。
  • 2006/05/05-13:59:38
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
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[C908] >巌流島を目指して

巌流島に向かうのは、もりけんさんも同じだと思います。
船井さんが試合を承諾するならば、新・巌流島の決闘は近いうちに行われます。
きっと、試合前の武蔵と同じように、もりけんさんは今”肉体は、予感する、
筋肉が締まる”の状態にあるのかもしれません。

しかし、もりけんさんの精神はいったて冷静です。
(負け戦を覚悟されているからでしょうか?)
本日の「巌流島を目指して」には、それが如実に表れています。
まさに、”鳥の声を聞くが如し”です。
巌流島の決闘について、佐助の視点で論じた人が他にいたでしょうか?
さらに、作者の吉川英治の人物像にも、思いを寄せています。
おまけに、大旦那の視点で最後を締めています。(笑)
ただ、唖然です・・・この視点移動の細やかさは、いったいどうしたら可能な
のでしょう?

宮本武蔵について語った人は、過去おおぜいいたと思います。
でも、もりけんさんほど”鳥の声を聞け”を深く掘り下げ、しかも、これほど
の視点移動の冴えを見せた人は初めてではないでしょうか。

[C907] 佐助

ここにいるけどここにいないというか、武蔵の場というものに気を配っていたのかなと思いました。

確かに映像にしても地味で難しい描写ですが、その光景が目に浮かび非常に深くて繊細な感じを受けました。

体は知っている・・・
私という意識は体を通してしか感じることができない。胸が痛いという表現も文字通り胸が痛いです。

意識だけでもダメ、体だけでもダメというか、どちらが欠けても「感じ取ること」は無理な気がします。

意外と体の感覚の方が意識よりも繊細に思えてきました。
体はとんでもない受信器なのかもしれません。

[C906] 大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。

 「長けている人」は、自分の置き場所を良く知っていると思います、決して「出しゃばる」ことなく、さりげなく相手の気配りができる人と思います。
 
 私の「運命」も、佐助の様な「運命」を生きたいと思います、もし違う「運命」であるならば「神に運命変更」をお願いしたいです。
 
 「私」は、何も為しえないと思っていますから。

[C905] 吉川英治

ほんとにうまいです。本人は剣豪ではなくて、作家なのに。心と体が一致してない状態…体は、未来を予感し、その兆候が出ているのではないかと思います。なぜ意識では認知できないのに、体には兆候がでるのか…体のほうが意識より質量があるからかなと思いました。鉄の棒の先のほうでおこった衝撃は、ダイレクトに後のほうに伝わると思うのですが、こいのぼりのこいの頭に風が当たってゆれても、しっぽのほうにも風が当たってゆれていて、頭のほうからの衝撃だけを認知できないと思いました。なので、体には未来の兆候がダイレクトに出ても、たなびく心にはダイレクトに来なくて、認知しずらいと思いました。
  • 2006/05/05-12:52:19
  • 投稿者 : リョウコ
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[C904] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

こういう時ほど、余計なことは一切考えなくて、
身体の状態にものすごく敏感になっているのだと思います。
佐助は常に乗客の視点に移動できる人だったのかなと思いました。
そうじゃないと、勝手に無遠慮に、
「今日はいい天気ですねえ」と話しかけそうです(笑)。
こころが退屈で身体が正直な時ほど、
運命のど真ん中にいる時なのかなと思いました。

[C903] たぶん決闘というのは

5分ぐらいで大勢が決まるのではないかと思います。人間の集中力からして
30分以上戦いが持続するというのは考えられないような気がします。

引き潮の時刻を狙うというのは、自分の周囲の環境を味方につけるという
ことだと思います。とすれば、おそらく、武蔵の立ち位置は、小次郎の目に
太陽の光線が入るように、太陽が傾きかけた時間を選び、また自分が太陽を
背にして立つということも、武蔵は検討していたかもしれません。

本番に全てがうまくいくようにぴりぴりするというのは、講演会も剣の試合も
状況はまったく一緒だと思います。

想定外のことが起きた場合にそれを解決することに集中できるように、想定
されるような懸念事項は全てつぶしてからことに臨むということなのだと思います。

そのようなシュミレーションを頭の中で行っている時に、余計なことは考えたく
ない、エネルギーを節約したいと、誰しも考えると思います。現代でも、なにかの
「現場」のスタッフに求められているのは、このような資質なのではないかと感じました。
  • 2006/05/05-12:39:45
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
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[C902] 一歩先に、、、、

>こころは退屈でも、体は正直だったのです。

心も、体も、正直なことも多い、私ですが、、、、

運命を知っているのは、無意識(体)と意識のどちらかなと、ふと思ったのですが、

無意識(カラダ)は、何も知らない意識よりは、ちょっと未来(試合の時間はわかりませんが・・・・だいたい30分くらいでしょうか、汗)を知っているのかもしれません。
無意識が、試合の結果を知っていれば、この時点で、勝ちを見込んで筋肉が緩んでいたりするかもしれません。
この場合は、意識より先にカラダが試合開始時=臨戦体制直前の状態になっていたのかもしれません。

しかし、試合中は、きっと武蔵ほどの名人であれば、カラダは緩むはずでしょうから、カラダはそんな未来のことすらわからないのかもしれません。

しかし、

ロッコウセンジュツを使えば、意識は、カラダよりも断然先に未来を知ることができます。
通常は、意識は、カラダの動きの世界から0.5遅れた結果の世界を生きているといいます。

しかし、意識が、無意識よりも先の世界に生きることだって、可能だということに、気がつきました。

[C901] 鏡のような水面

永遠に語り継がれる小次郎と武蔵の不朽の決戦直前、武蔵には佐助という、心を通わせ瞬間寄り添う船頭がいたとは知りませんでした。
頭は暇で全身は高ぶる武蔵にとって、気負いなく静かにそこにいた佐助はどんな存在だったのか・・・
言葉にならないまでも、そこには暖かい空気が流れたであろうと思えました。
原作を読んでみたいと思いました。
そして もりけんさんの今のお気持ちは、胸中は・・と考えると、万感迫るものがあるのでは・・と考えますが、
実は、「今日のランチは何にしようかな・・?」だったりするかも知れません。
でも同時にお心は鏡のような水面、ひたすら静かに待っていらっしゃるかと思います。

[C900]

佐助も・・・・そうだったのかも。

[C899]

 こころはとても静かで、目の前の風景にただよってるのに

胸のあたりからふいにひろがり、皮膚が萎縮するような・・
なにかが血管をとおして手のひら・指先にビリビリ伝わる

皮膚から・・毛穴から飛び出ていく感覚・・・・痛い・・・・・・・・です・・・

[C898] >巌流島を目指して

武蔵以外の視点・・思い切り脇役である、先頭である佐助からの視点・・からの武蔵をかいた作者もすごいなあと思いますが、そのことに着目したというのが、やはりもりけんさんだなあと思いました。

武蔵からだけの視点では分かりにくい部分が、そういう視点移動で分かることもあるかもしれないと思います。

>それは自分だけでなく、佐助も助けようとしていたのかも知れません。
相手に勝つことだけを考えていたら、ここまで思わなかったかもしれないけど、鳥の声が聞こえる武蔵だったら、そう思ったかもしれないと思いました。

>船の中
ここという、命がけで挑む場面の前の、一時の空白・・
時が止まったような・・
知らない人からこの2人をみれば、なんてことない普通の状態に見えるかもしれない。
でもそこには穏やかな中にすごい緊張した空気が流れているのではと思いました。

本の抜粋は、心と体の違いをすごくうまく表していると思いました。
こういうとき、心が動揺しそうにも思うのですが、さすがに武蔵は心が落ち着いている・・
でも体は正直に反応している。
このことからも、心(意識)よりも体の方が無意識からの情報に正直なのかもと思いました。

>櫂(かい)も削ったし、タスキのためのコヨリもよれたし・・そして考える何事も持たない。
武蔵の退屈は、準備万端からくる、心の余裕だと思いました。
もりけんさんの講演会前の綿密で完璧な準備を思い出します。

>船にいる間ずっと、佐助からは武蔵に喋りかけていません。
その空白の時間を一緒に過ごすのに、佐助という人は、とてもぴったりだったのだと思いました。
でしゃばりすぎず、ひきすぎず、ただ、自分の役目(舟をこぐ)のを淡々とやる・・
そのままの武蔵を受け止めていると思いました。

[C897] そうか・・・。「巌流島を目指して」を読んで

こころは暇、でも、忙しい・・・(笑)
なんか、わかる気がします(?)
今日、目が覚めたらうちのママは居なかった。
「餃子、食べてね」と書き置きを残し・・・(爆)
映画を観にいったようだ。
・・・わたしを、一人にするためかもしれない(笑)
でも、暇で、忙しい・・・とゆうのを知っているのかも
しれない。
いや、違うな・・・。心が忙しくて、体が暇だ(爆)
佐助を、思う・・・。そうゆうことか?(どうゆうこと?)
やはり、なんで佐助が良かったのかワカリません・・・(汗)

[C896] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

すごい文章だなと思いました。シーンとしていながら皮膚が太陽でチリチリとやけるようです。(私の中の内部的表現ですいません)確かに体の中にいるのに。。時間が瞬時にも永遠にもなるような。。ぼんやりしたGWの朝なのに海辺にいる気分です。太陽の反射まで感じるようだ。波の揺れまで感じるようだ。

>大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。

確かにそんな気がします。こういう人っているよなと思います。繊細なシグナルを頭でなく感じ取るような。。自分はこうではないのでこういう人にあこがれます。こういう人は「名もない人」に多いと思うのですが。。なろうと思ってなれるもんじゃないと思います。 何が違うんだろう。。明らかに違うのは自分はでしゃばりだということでしょうか(笑)淡々とただ武蔵に寄り添うような。。なんだか今日一日考えそうです。

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巌流島を目指して

 武蔵を巌流島に運ぶ船頭は「佐助」と言います。彼は大旦那様からその役を命じられたとき
「こんな御用は船師一代のうちにもないことだと思います」
 と言ってこころよく引き受けています。
 
 しかし武蔵が勝てば、追っ手によって同時に殺されることも覚悟の上です。
 
 でも武蔵は巌流島にも「遅刻」をします。
 それはなぜかと言えば、引き潮になるときを狙っていたのです。
 引き潮になれば、逃げ足も速いです(笑)。
 
 それは自分だけでなく、佐助も助けようとしていたのかも知れません。
 
 さて吉川英治の小説が、NHKの大河ドラマを完璧に超えるシーンがあります。
 それは巌流島に向かうとき、視点が佐助になったりするのです。
 これをドラマで表現するのは、とても難しいです。
 
 佐助は、前を見据えている武蔵は、いったい何を考えているのだろうと思います。
 しかし武蔵が思っていたことは
 
「暇だぁ」
 
 でした(爆)
 その部分の、本の抜粋を入れます。
 
*************************
 
 彼(武蔵)はかつて、退屈というものを知らずに生活してきたが、この日、船の中では、いささか退屈を覚えた。
 櫂(かい)も削ったし、タスキのためのコヨリもよれたし・・そして考える何事も持たない。
 ふと。
 船縁から真っ青な海水の流紋に眼を落としてみる。
 深い・・底知れず深い・・。
 水は生きている。無窮の生命を持っているかのようである。しかし一定の形を持たない。一定の形に囚われているうちは、人間は無窮の生命は持ち得ない。
 眼前の死も生も、そうした眼には、泡沫に似ていた。
 ・・・が、そういう超然らしい考えがふと頭をかすめるだけでも、体自由の毛穴は、意識無く、そそけ立っていた。
 それはときどき、冷たい波しぶきに吹かれるからではない。
 心は、生死を離脱したつもりでも、肉体は、予感する。筋肉が締まる。ふたつが合致しない。
 
***************************
 
 こころは退屈でも、体は正直だったのです。
 
 それにしても吉川英治の文章は、うまいです。
 NHKがいくら頑張っても、抜粋の部分を表現するのは出来ないでしょう。
  
 武蔵のこの状態は、多くの人が経験すると思います。
 
 何かの試合前、開始まで時間があるとき・・・
 
 私なんか、講演会が始まる前が、それです。
 
 暇だけど、暇じゃないのです。
 
 船にいる間ずっと、佐助からは武蔵に喋りかけていません。
 武蔵から
「佐助・・」
 と呼びかけられ
「へい・・」
 と答えて、会話が始まります。
 
 大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。
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37件のコメント

[C1016]

>心は、生死を離脱したつもりでも、肉体は、予感する。筋肉が締まる。ふたつが合致しない。
 
「わかっちゃいるけどやめられない」を思い出しました。
私はタバコをやめたいけどなかなかやめられないでいます…これ嘘です。吸うことをコントロールできなくて辛いときがあるのでやめたいのです。ほんとはやめたくはないのです。
武蔵の肉体は正直だと思いました。頭では分かったつもりでも、実際は死にたくはない、のではないでしょうか。
生死を分けた場を目前にしたら、大抵は生き残りたい、と思うと思います。自分でコントロールできないのに…。
  • 2006/05/08-01:32:51
  • 投稿者 : けせらん
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[C977] 闘いの幕が上がるそのまえに


私が吉川英治著「宮本武蔵」を読んだのは、中学1・2年の頃でした。
親父に勧められて読んでみましたが、なにせ長編作品であるのと、登場人物が
やたら多かったりして、中学生のガキには荷が重すぎる小説でした。
特に、斬り合いに関係ない登場人物、お通さん、又八、彼の母親、武蔵の弟子
(城太郎や伊織)などが、あれやこれやする場面になると、それはもう退屈で
退屈で、これ以上は読むに耐えないと白旗を上げたものです。
ハッキリ言って、「もっと、アクションを」が本音でした。

思春期というは、ご承知のように、少々厄介なものです。 波動という観点か
らいえば、中学生の私は相当荒い波動を放っていたと思います。
(特に、性に目覚めたのがイケマセンでした(爆))
今回もりけんさんがお書きになった「繊細な波動」のことなど、知るよしもあ
りません。 当然、大旦那や佐助のことも、全く覚えていないのでした。

ところで、実在した宮本武蔵の人物像には、多くの謎が残されているようです。
吉川英治が描いた武蔵と、本物の武蔵が同じだとは限らないとのことです。
(先ほど、ネットで少し調べてみました)
でも、そんなことは問題ではないと思いました。
実在の武蔵は「五輪書」を残しています。(地之巻、水之巻、火之巻、風の巻、
空之巻の五巻です・・・コジツケですが、なんとなく五行に似ています)
加えて、武蔵は多くの絵画を残しています。 虫を喰わんとする直前の鳥の絵
などは有名でしょう。(私でも覚えているくらいですから)
吉川英治がこれだけの材料(他にもあったと思いますが)を使って、もりけん
さんが指摘した”繊細な波動”が息づく小説「宮本武蔵」を書き上げたのなら、
吉川英治もまた達人であったと思います。
よくぞ、大旦那、佐助など、脇役からの視点で書いたものだと驚くばかりです。
巌流島へ向かう船の上の描写も傑作です。
それをすっぱ抜いてみせたもりけんさんは、見事という他ありません。
(こうして言葉にして書いても、全然追い付かないほど凄いです)

最後に、私個人が感じたこと・・・武蔵が大旦那と佐助の二人に絵を描いたと
いうのは、武蔵は死を覚悟していたからだと思います。
負けを意識していたのです。 今までは運良く生き残れたが、今度ばかりは死
ぬかもしない・・・いくら知恵を絞っても、いくら準備を整えても、自分が為
せることは如何ほども無い・・・世界は(時空は)自分の思う通りに動くもの
ではなく、所詮は自分も大河の一滴に過ぎない・・・
もりけんさんが仰るように、佐助だけは何とか生き残ってほしい、と願いを込
めながら、武蔵は絵を描いたのかもしれません。

サイン会で頂いたノベルティーCDの中で、もりけんさんはこう仰っています。
密度の薄いネットワークほど強いと。(有益な情報を得やすいとも)
大旦那、佐助、お鶴、そして武蔵のネットワークはとても微弱だと思いました。
彼ら各人の距離も、適度に離れています。 言うまでもなく、体育会系の熱い
ノリなんか欠片もありません。 このようなネットワークが構築されたとき、
時空自身が動いて、運命変更がなされたのだと思えました。
(それにしても、吉川英治は、ここまで考えて小説を書いたのでしょうか?)
(書いたのだとしたら、彼はいったい・・・)

[C972]

> 大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。

これが空気の読めない他の船頭だったら、武蔵が戦いを目の前にこのように静かに水面に意識をあわせることは出来なかったかもしれません。
あうんの呼吸 というのでしょうか・・
生死をかけた大勝負を目前に、「心得ている」佐助の存在が、どんなにか武蔵への頼もしい橋渡しとなったことと思いました。

[C968]

その場の空気が読める佐助にまかせた大旦那の人選は凄いと思いました。 
 
余計な事はペラペラ言わないことですね。

[C960] >巌流島を目指して

試合はもうそこから始まっていたのだろうと思います。
その妨げをしないような人として、佐助は選ばれたのかもしれないと思います。

[C951]

佐助はその場の空気が読める男だったのだと思いました。

暇だけど暇ではない武蔵。佐助が何かと話しかけをしていたら、武蔵はたまったものではありません。「佐助、うるせぇ・・・だまってろ」と武蔵が言うかは分かりませんが。

二人は同じ船に乗り、同じ水の上に浮き...同じことを感じていた...そう思いました。佐助は大旦那様から船頭を命じられた時から、武蔵と運命をともにすることを決めたようにも思います。

二人は一体化して同化していたのかもしれません。

>武蔵のこの状態は、多くの人が経験すると思います。

「場」なのかなと思いました。

場は自分で作り出せないと思いました。そこに係わるすべてのものが場を形成するのだと思います。ヒトだけではなく、モノ、空気、時間、すべてが...と思いました。
私は私であるが、そこに存在するすべてモノは私であり、私は存在するすべてのモノになると思いました。

[C934] 佐助と武蔵

お互いが、お互いの運命を粛々と歩んでいる・・
そんな事を思いました。
影響をあたえあってなく、
指導してもなく、
佐助は武蔵の命を送り届け、
武蔵はお任せ状態で、より視野が広がる・・。

吉川英治の小説、面白そうです。
  • 2006/05/06-09:41:14
  • 投稿者 : まる
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[C933]

それにしても、うまい文章です。


武蔵と一体になっている・・・まるでそこにいたかのように・・・・・

作者が武蔵自身のようにも思えます。


文章上手いひとって良いなあ。
思ってることを文字で伝えることは難しいです。(私にとって)会話もヘタなので困ります(汗)

[C930] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

武蔵の、この心と体のつながりは、とても緩やかなものを感じます
なんというか・・間接的というか・・
 
武蔵の心は360度に開かれていたと思います
体はどうか・・体もまた360度だったと思います
 
佐助は船の櫓をこぐ時、意識して漕いでいないと思います
では無意識かというと、そうではないと思います
常に、波や潮の流れの状態、風向きなどを考え、絶えず船の向きを修正しながら漕いでいたと思います
佐助の心と体も360度だったと思います
武蔵と佐助は「共有」していたと思います

[C929] 佐助の役割

 武蔵の心と体の隙間をうまく調和させてくれる存在が佐助だったのだと思いました。心と体の隙間を確認させる船上での大きな役割をはたしていたのではないでしょうか。無言の両者の間と武蔵のコンデションを集中へとむかわす為に重要な役目をおっていたきがします。

[C927] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

こころは、360度に開かれて、からだは、目前の準備をしているのだと思いました。
360度に開かれたこころは、退屈で、静止しているようにみえて、どこかフル回転しているようでもあります。
からだも、動いてはいないけれども、準備が万端整って、一触即発の状態だと思います。
こころもからだも、高速で回転するコマのようだと思いました。
それをわかって、佐助は黙っていたのだと思います。

[C926]

心と体が一致しない描写は自分が武蔵になったような視点になりました。
逃げ足のことを考えて引き潮までの時間稼ぎで遅刻したのは佐助を殺させないためのように思いました。
佐助も自分が死ぬかもしれないのに静かに武蔵について行っている。
船の上はとても静かな印象を受けました。

[C925]

目をつむると光景が浮かび上がるが「空」とは違うような・・・
  • 2006/05/05-23:21:05
  • 投稿者 :
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[C923]

黙っている事も重要なのだと思いました。

[C921] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

抜粋の文章に思わず引き込まれました。
やるべきことはやった後に訪れる空白のような一瞬・・・
これから起こることに心は揺れていないのに、肉体はすでに感知しているようです。
心の中から思惑が消えれば消えるほどに、肉体は鋭敏になるのかもしれないと思いました。


佐助は名脇役というか、重要人物に思えます。
このお方のためならと思わせる何かが武蔵にはあったのでしょう。
漁師とはいえ、大任を躊躇することなく引き受ける度量の大きさと場を読む心配りがなんとも言えません。
すべて承知の上で、自分の仕事を黙々としていたのだと思います。


[C919] > それは自分だけでなく、佐助も助けようとしていたのかも知れません。

武蔵が勝っても負けても自分は殺されるかもしれないと、佐助は考えていたかもしれません。でも「死にに行く」と考えていたわけではないように思いました。
 
佐助も武蔵が勝った時には全力で船を漕ごうと考えていたかも知れないと思いました。
 
> こころは退屈でも、体は正直だったのです。
 
緊張なんてしていないはずなのに膝が震えたり、出番までにもうする事はないのに座って待ってはいられなかったりという経験はしたことがあります。
「暇だけど、暇じゃない」という表現はピッタリだと思いました。
 
>「へい・・」
 
無意識に呼びかけたかもしれない時に静かな返事が返って来るのは、武蔵にとっては独り言に答えが返って来るようだったのではないかと思いました。それは武蔵と佐助が同じ場を共有していたということかもしれないと思いました。

[C917] >巌流島を目指して

>引き潮になれば、逃げ足も速いです(笑)。
 
武蔵は、勝つことだけでなく、生きることも考えていたのだと思いました。

>こころは退屈でも、体は正直だったのです。
>武蔵のこの状態は、多くの人が経験すると思います。
 
はい。経験あります。
試験を受ける前とか、セミナーを受ける前とか、そうです。
もうすべてやるべきことをやって、あとは始まるのを待つだけ・・というような状態のとき・・
武蔵の場合はとくに、これから命のやり取りをしようというのですから、心はぼーっとしていても、体はきっと、全身総毛立っていただろうと思います。
 
肉体はつねに先へ先へ・・なのかなと思いました。
だからこそ、危険を察知することができて、生物は生き延びることができるのかもしれません。
 
>船にいる間ずっと、佐助からは武蔵に喋りかけていません。
 
リアルタイムの「独り言」も、こういう場を共有していると思います。
 

[C916] 巌流島を目指して

巌流島に着く舟の中では緊迫した雰囲気が漂っていたのではないかと想像しますが、「暇」だと思っていたのはびっくりしました。

でも、準備万端でその時を待つのみ状態になると、あとはその時に集中する事が成功する秘訣と思います。であれば、リラックスして波の音でも聞くしかないのかなと思いました。しかし、体だけが反応するのですね。

佐助も場を良く取っているなと思いました。快く引き受けただけのことはあります。

[C914] >巌流島を目指して

退屈は、「空白」「静寂」の時間ともいえると思います。

空白だったから・・
武蔵は、その間に、水と人の生命について思いを巡らし、

と同時に、その超然らしい考えとは合致しない、
自らの身体を感じることができたのだと思います。

「空白」という時間は、人間の持つ五感・・
己(おのれ)という枠組み崩壊させるのかもしれません。
なので、自ずと、外側から入り込んでくる「情報」を、
全方位から受信してしまうのではないか・・


静寂の時間を保つことは、情報を受信する感度を上げるのではないかと思います。


>武蔵から
「佐助・・」
 と呼びかけられ
「へい・・」
 と答えて、会話が始まります。

>大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。


なんて絶妙な間なのだろう。。と思いました。

ふたりの間柄も・・



[C913]

剣の腕ももっていない・・・
読み書きもできない・・・
ただ船をこぐしかできない・・・・
けれど、こころは静かに武蔵と同体となっている・・・・・


なにもできない佐助だけれど、となりにいられることに幸福を感じていたのではないか・・・・・・


水のながれと武蔵と佐助が一体となってただよっているような情景が目に浮かびます。

それはHPでレスしているわたしたちにも似た・・そんな気がします。


[C912] 「暇だぁ」 ・・・

いつも、忙しくしている武蔵どんは、きっと、多次元への道が、繋がりやすくなってたのかも~でっすうう。。。それで、佐助どんの船で。。ギ~コ。。ギ~コ。。とこいでいくうちに、な。。な。。なんと。。多次元へのドアが開いてしまったのかも~~~なんちて~~。。佐助どんの返事は完璧だったのかも~でっすうう。。「はい」でも「へえ」でも「はあ」でも「あいよ」でも「がってん」でも時空のドアはあかなかったかも~ですうう。。絶妙のタイミングで絶妙の大きさで「へい」と返事がかえって、武蔵どんは、未来からのメッセージを受信したのかも~でっすうう。。。へい~~^^
  • 2006/05/05-16:07:39
  • 投稿者 : バニー
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[C911] >一定の形に囚われているうちは、人間は無窮の生命は持ち得ない。

「一定の形に囚われているうちは・・」この言葉に反応してしまいました。
形にこだわるとだめなんだって。水のように形を変えながら、なんにでも合わせられる・・つまり全方位かなと。

それでも武蔵は自分を泡にたとえている。そして、心は平静なのに身体には鳥肌が・・・

さすが、作家!うまいです。ここの描写が。

2人の時間の過ごし方も見習いたいです。信頼、運命共同体のようで、場を壊さず、場が読める。夫婦でこうだということない気がします。せめて淡々と・・

[C910] >巌流島を目指して

>こころは退屈でも、体は正直だったのです。
そんな時あります。でも、めったにないです。

佐助は船頭を引き受けたときから・・
そして、引き潮に出てたときから武蔵と同じだったのだろうって思います。(運命共同体ってことで)
だから何もしゃべらない。。
呼吸がひとつになった感じです。
>心は、生死を離脱したつもりでも、肉体は、予感する。筋肉が締まる。ふたつが合致しない。
からだは受信機である意味外側にもなれるんだって
思いました。
もりけんさんの文章を読んで、心が緊張して
体は暇な自分を感じています。

  • 2006/05/05-14:34:20
  • 投稿者 : Ciel
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[C909] 時間と場所が違えば

佐助の決闘に武蔵がつきそうこともあったのではないかと思います。
立場は固定していないような気がします。水のような多様性と豊かさがなかったら
佐助は佐助ではなかったし、武蔵は武蔵ではありえなかったのではないでしょうか。

流水のように変幻自在で絶妙というのが武術の達人武蔵の至った境地であり、
また、もうひとりの達人佐助の至った境地でもあります...。

実は、佐助は武蔵を映す鏡だと思います。そして鏡はときに、被写体自身
よりも、被写体自身の本質的な部分を映し出す場合があると思います。

そう考えていくと、佐助は人間の形をとってはいるけれども、実は流水、つまり
ここの部分の引用で示されている「海面」そのものではないのかと思います。

そして「海面」には時空の面影が見えます...。佐助は人間ではなく時空の化身
(もちろん佐助自身もそのことは気がついていません)であると考えると、
武蔵の勝利は佐助が先導として選ばれたときに、すでに決まっていた
ような気がします。

なんとなく、孫さんセミナーにおけるもりけんさんを思い出しました。また、
もりけんさんと編集者との関係にも思いが至りました。

佐助と心を通い合わせることによって、武蔵は時空や運命とつながりやすく
なったのだと思います。そう考えると佐助は、武蔵にとって媒体の役割を
果たしていたのだと思います。
  • 2006/05/05-13:59:38
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
  • 編集

[C908] >巌流島を目指して

巌流島に向かうのは、もりけんさんも同じだと思います。
船井さんが試合を承諾するならば、新・巌流島の決闘は近いうちに行われます。
きっと、試合前の武蔵と同じように、もりけんさんは今”肉体は、予感する、
筋肉が締まる”の状態にあるのかもしれません。

しかし、もりけんさんの精神はいったて冷静です。
(負け戦を覚悟されているからでしょうか?)
本日の「巌流島を目指して」には、それが如実に表れています。
まさに、”鳥の声を聞くが如し”です。
巌流島の決闘について、佐助の視点で論じた人が他にいたでしょうか?
さらに、作者の吉川英治の人物像にも、思いを寄せています。
おまけに、大旦那の視点で最後を締めています。(笑)
ただ、唖然です・・・この視点移動の細やかさは、いったいどうしたら可能な
のでしょう?

宮本武蔵について語った人は、過去おおぜいいたと思います。
でも、もりけんさんほど”鳥の声を聞け”を深く掘り下げ、しかも、これほど
の視点移動の冴えを見せた人は初めてではないでしょうか。

[C907] 佐助

ここにいるけどここにいないというか、武蔵の場というものに気を配っていたのかなと思いました。

確かに映像にしても地味で難しい描写ですが、その光景が目に浮かび非常に深くて繊細な感じを受けました。

体は知っている・・・
私という意識は体を通してしか感じることができない。胸が痛いという表現も文字通り胸が痛いです。

意識だけでもダメ、体だけでもダメというか、どちらが欠けても「感じ取ること」は無理な気がします。

意外と体の感覚の方が意識よりも繊細に思えてきました。
体はとんでもない受信器なのかもしれません。

[C906] 大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。

 「長けている人」は、自分の置き場所を良く知っていると思います、決して「出しゃばる」ことなく、さりげなく相手の気配りができる人と思います。
 
 私の「運命」も、佐助の様な「運命」を生きたいと思います、もし違う「運命」であるならば「神に運命変更」をお願いしたいです。
 
 「私」は、何も為しえないと思っていますから。

[C905] 吉川英治

ほんとにうまいです。本人は剣豪ではなくて、作家なのに。心と体が一致してない状態…体は、未来を予感し、その兆候が出ているのではないかと思います。なぜ意識では認知できないのに、体には兆候がでるのか…体のほうが意識より質量があるからかなと思いました。鉄の棒の先のほうでおこった衝撃は、ダイレクトに後のほうに伝わると思うのですが、こいのぼりのこいの頭に風が当たってゆれても、しっぽのほうにも風が当たってゆれていて、頭のほうからの衝撃だけを認知できないと思いました。なので、体には未来の兆候がダイレクトに出ても、たなびく心にはダイレクトに来なくて、認知しずらいと思いました。
  • 2006/05/05-12:52:19
  • 投稿者 : リョウコ
  • URL
  • 編集

[C904] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

こういう時ほど、余計なことは一切考えなくて、
身体の状態にものすごく敏感になっているのだと思います。
佐助は常に乗客の視点に移動できる人だったのかなと思いました。
そうじゃないと、勝手に無遠慮に、
「今日はいい天気ですねえ」と話しかけそうです(笑)。
こころが退屈で身体が正直な時ほど、
運命のど真ん中にいる時なのかなと思いました。

[C903] たぶん決闘というのは

5分ぐらいで大勢が決まるのではないかと思います。人間の集中力からして
30分以上戦いが持続するというのは考えられないような気がします。

引き潮の時刻を狙うというのは、自分の周囲の環境を味方につけるという
ことだと思います。とすれば、おそらく、武蔵の立ち位置は、小次郎の目に
太陽の光線が入るように、太陽が傾きかけた時間を選び、また自分が太陽を
背にして立つということも、武蔵は検討していたかもしれません。

本番に全てがうまくいくようにぴりぴりするというのは、講演会も剣の試合も
状況はまったく一緒だと思います。

想定外のことが起きた場合にそれを解決することに集中できるように、想定
されるような懸念事項は全てつぶしてからことに臨むということなのだと思います。

そのようなシュミレーションを頭の中で行っている時に、余計なことは考えたく
ない、エネルギーを節約したいと、誰しも考えると思います。現代でも、なにかの
「現場」のスタッフに求められているのは、このような資質なのではないかと感じました。
  • 2006/05/05-12:39:45
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
  • 編集

[C902] 一歩先に、、、、

>こころは退屈でも、体は正直だったのです。

心も、体も、正直なことも多い、私ですが、、、、

運命を知っているのは、無意識(体)と意識のどちらかなと、ふと思ったのですが、

無意識(カラダ)は、何も知らない意識よりは、ちょっと未来(試合の時間はわかりませんが・・・・だいたい30分くらいでしょうか、汗)を知っているのかもしれません。
無意識が、試合の結果を知っていれば、この時点で、勝ちを見込んで筋肉が緩んでいたりするかもしれません。
この場合は、意識より先にカラダが試合開始時=臨戦体制直前の状態になっていたのかもしれません。

しかし、試合中は、きっと武蔵ほどの名人であれば、カラダは緩むはずでしょうから、カラダはそんな未来のことすらわからないのかもしれません。

しかし、

ロッコウセンジュツを使えば、意識は、カラダよりも断然先に未来を知ることができます。
通常は、意識は、カラダの動きの世界から0.5遅れた結果の世界を生きているといいます。

しかし、意識が、無意識よりも先の世界に生きることだって、可能だということに、気がつきました。

[C901] 鏡のような水面

永遠に語り継がれる小次郎と武蔵の不朽の決戦直前、武蔵には佐助という、心を通わせ瞬間寄り添う船頭がいたとは知りませんでした。
頭は暇で全身は高ぶる武蔵にとって、気負いなく静かにそこにいた佐助はどんな存在だったのか・・・
言葉にならないまでも、そこには暖かい空気が流れたであろうと思えました。
原作を読んでみたいと思いました。
そして もりけんさんの今のお気持ちは、胸中は・・と考えると、万感迫るものがあるのでは・・と考えますが、
実は、「今日のランチは何にしようかな・・?」だったりするかも知れません。
でも同時にお心は鏡のような水面、ひたすら静かに待っていらっしゃるかと思います。

[C900]

佐助も・・・・そうだったのかも。

[C899]

 こころはとても静かで、目の前の風景にただよってるのに

胸のあたりからふいにひろがり、皮膚が萎縮するような・・
なにかが血管をとおして手のひら・指先にビリビリ伝わる

皮膚から・・毛穴から飛び出ていく感覚・・・・痛い・・・・・・・・です・・・

[C898] >巌流島を目指して

武蔵以外の視点・・思い切り脇役である、先頭である佐助からの視点・・からの武蔵をかいた作者もすごいなあと思いますが、そのことに着目したというのが、やはりもりけんさんだなあと思いました。

武蔵からだけの視点では分かりにくい部分が、そういう視点移動で分かることもあるかもしれないと思います。

>それは自分だけでなく、佐助も助けようとしていたのかも知れません。
相手に勝つことだけを考えていたら、ここまで思わなかったかもしれないけど、鳥の声が聞こえる武蔵だったら、そう思ったかもしれないと思いました。

>船の中
ここという、命がけで挑む場面の前の、一時の空白・・
時が止まったような・・
知らない人からこの2人をみれば、なんてことない普通の状態に見えるかもしれない。
でもそこには穏やかな中にすごい緊張した空気が流れているのではと思いました。

本の抜粋は、心と体の違いをすごくうまく表していると思いました。
こういうとき、心が動揺しそうにも思うのですが、さすがに武蔵は心が落ち着いている・・
でも体は正直に反応している。
このことからも、心(意識)よりも体の方が無意識からの情報に正直なのかもと思いました。

>櫂(かい)も削ったし、タスキのためのコヨリもよれたし・・そして考える何事も持たない。
武蔵の退屈は、準備万端からくる、心の余裕だと思いました。
もりけんさんの講演会前の綿密で完璧な準備を思い出します。

>船にいる間ずっと、佐助からは武蔵に喋りかけていません。
その空白の時間を一緒に過ごすのに、佐助という人は、とてもぴったりだったのだと思いました。
でしゃばりすぎず、ひきすぎず、ただ、自分の役目(舟をこぐ)のを淡々とやる・・
そのままの武蔵を受け止めていると思いました。

[C897] そうか・・・。「巌流島を目指して」を読んで

こころは暇、でも、忙しい・・・(笑)
なんか、わかる気がします(?)
今日、目が覚めたらうちのママは居なかった。
「餃子、食べてね」と書き置きを残し・・・(爆)
映画を観にいったようだ。
・・・わたしを、一人にするためかもしれない(笑)
でも、暇で、忙しい・・・とゆうのを知っているのかも
しれない。
いや、違うな・・・。心が忙しくて、体が暇だ(爆)
佐助を、思う・・・。そうゆうことか?(どうゆうこと?)
やはり、なんで佐助が良かったのかワカリません・・・(汗)

[C896] >こころは退屈でも、体は正直だったのです。

すごい文章だなと思いました。シーンとしていながら皮膚が太陽でチリチリとやけるようです。(私の中の内部的表現ですいません)確かに体の中にいるのに。。時間が瞬時にも永遠にもなるような。。ぼんやりしたGWの朝なのに海辺にいる気分です。太陽の反射まで感じるようだ。波の揺れまで感じるようだ。

>大旦那が佐助に船頭を命じたのは、単に船の操作に長けていただけではないと思いました。

確かにそんな気がします。こういう人っているよなと思います。繊細なシグナルを頭でなく感じ取るような。。自分はこうではないのでこういう人にあこがれます。こういう人は「名もない人」に多いと思うのですが。。なろうと思ってなれるもんじゃないと思います。 何が違うんだろう。。明らかに違うのは自分はでしゃばりだということでしょうか(笑)淡々とただ武蔵に寄り添うような。。なんだか今日一日考えそうです。

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Author:森田健(もりけん)
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この本は、読んでいただけるだけで嬉しいです。
でも、何か意見を返してくれるともっと嬉しいです。
不思議なことに興味がある方、不思議なことを解明したい方、または新しい生き方を見つけたい方のためのものです。
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