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-件のコメント

[C1528] >あなたは私と人生を歩んでくれました

つぶやくだけでじ~ん・・と来ます。
けれども40半ばになって思うのは、愛し愛される愛について語るのは、何て難しいことなんだろうということです。男女の愛、親子愛、友情、師弟愛・・相手を大事に思うはずが束縛、従属、依存、決裂・・と、あまり好ましくないと思える変化をきたすことが多いのは、欲のせい・・つまり愛の絆のあかしを求めすぎたあげく、相手への要求がエスカレートするせいかも知れません。
武蔵とお通さんは、まるっきりそうじゃなさそうです。
一緒にいる時間は少なくても、お互いを誰よりも何よりも大事に思っているとわかるポイントを押さえ合っていたのではと思われます。
そういう関係が成り立つには、まずそれぞれがしっかりと大地に足を踏みしめて立ってることが前提かも知れません。
そして、○○をかなえたいなど自分の欠落箇所を満たすために誰かとくっつくのでなく、ともに正面を見つめてそろって歩を進める相手と巡り会ったら放さない・・で来世は是非行きたいものデスが、とりあえず大事な家族関係を気持ち新たに行くことと、サイトで表出することから始めようと思います。
タイトルの言葉、自分だけからの一方通行でも、どなたかに言える晩年、とってもいいと思いマス。

[C1495] お通は必ずしも小次郎が好んだような

華やかな美人というタイプの女ではなかったような気がします。もりけんさんの描写でしか知りませんが、伝わってくるのは、ひたむきさです。そんなひたむきで一途な女だから武蔵が安心して帰ることができたような気がします。

かたや武蔵は、その大好きなお通ともう会えないことを覚悟していた瞬間もあったのではないかと思います。小次郎との戦いを生き延びた武蔵にとってみれば「ひろった命」です。「ひろった命」で愛する人に再会することができたとき、人はどんな気持ちになるのだろうと思います。

NHKと原作のもっとも大きな違いは「その後の武蔵」をお通の手紙をかりて描いていることだと思います。

旅に出る武蔵。

小次郎を切った後、なぜ武蔵はひとつのところに定住することができなかったのか...。なぜ武蔵は旅にでなければならなかったのか。それもお通をつれて。

ひとつには、小次郎との戦いによって武蔵の中に新たな問いが生じた(あるいはもともと武蔵の中にあった問いがはっきりとした形となって浮上してきた)からかもしれません。人はなぜ生きるのか、人生にとって大事なものは何か、剣の道とは何か...。このような「問い」とは人を旅にかりたてるのかもしれません。

あるいは、小次郎との戦いの後、武蔵の中に「死」、別の言葉で言うと、「運命」が住み着いたのかもしれません。あの戦いの後の人生は武蔵にとって一種の「余生」だったのかもしれません。余生でなければお通をおいて、旅に出るはずです。

武蔵は小次郎との戦いの最中、「運命の横顔」とも言えるようなものを垣間見たのかもしれません。その瞬間、武蔵の心の中で何かが「はまった」のかもしれません。

自分の生と死そして運命はお通というひとりの女性の姿をしてこの世に顕現していると武蔵は思ったのかもしれません。華やかな美人だったら定義することができます。付き合っていればいずれ「こんな女だ」ということもわかります。

でも、お通は武蔵にとって母であり妹であり菩薩であり、いや、もっと、もっと広いもの...自分が両手を広げた以上に広いもの、広すぎて定義できないくらい大きいもの、あの海よりも空よりも広いもの...そう思った瞬間、もう言葉では語りつくせない存在である以上、自分の気持ちを表現するためには、ずっと一緒にいるしかなくなるのかもしれません。
  • 2006/05/20-22:39:58
  • 投稿者 : ナイル
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[C1488] 手紙

原作のエンディングには、人間から見れば、悠久の海の深さ、大きさに「個」を忘れました。
反対にこのお通の手紙には、「惚れた男性だったら、こんな風に待ってもいいわ。」と女心が涙しました。但し、相手が困らなければ(爆)
「愛」「理想」「夢」「希望」、感情を伴って「個」にアースされます。
死んで「しまった」と思うかどうか?
両方、いいわ。(笑)

[C1486] 「波に任せて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど誰か知ろう。百尺下の水の心を、水のふかさを。」

確かにこれを、映像で表すのは難しそうです。。すでに、もりけんさんの天人合一の表みたいかなあです。好奇心のままに浮遊する魂のようで・・・水のようで・・・「あなたは私と人生を歩んでくれました。戦いの日々もあったけど、最後はいつも私を連れに来てくれました。あなたと生きれてよかったです」 3次元で時空の解明もりけんさんがしてくれたら、死ぬときは、こっちのせりふでもいいかなああとおもいます^^
  • 2006/05/20-16:55:34
  • 投稿者 : バニー
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[C1464] o

文字と映像の表現の場の違いだと思いました。
ラストを、原作を映像で・・・は難しく、映像を文字で・・・も難しく思います。

でもどちらも、涙が出ました。原作は人間の生き方意味で心を打たれ、NHKは自分も家庭を持つ女として心を打たれました。


>あなたと生きれてよかったです

自分にはこんなこと言えるだろうか・・・多分言えないです。でも、揺さぶれます。
武蔵にとってお通はご飯のような存在で空気のようで・・・大きな存在ではないようだけど無くてはならないもの。


手紙の内容は、武蔵とともに生きるお通の姿が浮かびました。
いつもあなたと一緒なのよ・・・いつもそばにいるから安心しててね・・・
激しい自己主張はなくて、矛盾しますが、しなやかで、でもとても強くてだけれどはかなくて弱い女性像でした。

だからこそ、武蔵にとって、いつでも帰ることができたのだろうと思いました。

[C1463] あなたと生きれてよかったです

こんな言葉が言えるってとても素敵だと思います。ジーンとしてしまいました。いろんなことがあっても武蔵はお通を大切にしていたのだって思いました。人物像は多角度から作られると思いました。
NHKも小説もどちらも深いです。

  • 2006/05/20-05:03:24
  • 投稿者 : Ciel
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[C1462] ご飯のような理解者

 お通は、武蔵のすべてを受け入れることによって、武蔵の良い所も、お通にとっては良くない所も、そしてなくてはならないご飯のような存在になっていったのかもしれません、ご馳走と一緒にそして、粗食と一緒に毎日あきないそんな存在だったのかと思いました。
  • 2006/05/20-02:43:11
  • 投稿者 : yk
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[C1461] お通のような女

お通さんのように、「あなたは私と人生を歩んでくれました。戦いの日々もあったけど、
最後はいつも私を連れに来てくれました。あなたと生きれてよかったです」 と言ってく
れる女がいるとすれば、それは最高だと思います。
ですが、そういう意味での女運って、私は悪いようです。 でも、その原因は探りません。
生まれた日時で、そう設定されているだけのことです。
でもね・・・、今まで、オレと付き合ってくれた女・・・
中には、上位的な意味で???な女もいましたけど、私はこう言いたいです。
私の人生に登場してくれて、他では味わえないような刺激を私に与えてくれました。
こんな私でも許して、我慢して付き合ってくれました。 
あなたと出会えてよかったです。

[C1460]

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  • 2006/05/20-01:41:04
  • 投稿者 : yk
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[C1459] >お通の手紙

一生のうち、武蔵と過ごした日々は、普通の夫婦に比べればわずかなものだったのでしょう。
独り残される寂しさ、戦いへと送り出す辛さ・・・
そういったものもすべて受け入れて、武蔵に寄り添ったお通はとても強い人だと思います。

>「あなたは私と人生を歩んでくれました。」
話は逸れますが、目に浮かぶ光景があります・・
病床の母が、娘には弱音を吐かなかったのに、父には甘えていました。
「痛い・・」と言って、背中をさすってもらっていました。
あぁ夫婦なんだな・・と思いました。

>あなたと生きれてよかったです
二人にしかわからない結ぶつきの深さ・・・
自分の生き方を貫いた武蔵と、自分の愛し方を貫いたお通・・・
たとえ、離れている時間が多くても、共に生きていたんだとうるっとなりました。

視点が変われば、印象も変わります。
「誰か知ろう。百尺下の水の心を、水のふかを。」 をにもぐっときますが、お通の手紙にもこみ上げてくるものがあります。


[C1458] >「あなたは私と人生を歩んでくれました」

共に人生を歩める人がいるということは、とても素敵なことだと思いました・・

それは、支えになるからです


でも、支えのない人もきっといて・・

支えがない場合は、

拠り所がないから、ふわふわと浮かぶのかな。。

と、ふわふわと考えました・・


強さの裏側には、拠り所なる・・
一緒に歩む存在がある。。

そう思いました。


[C1457] >こうもりさんのメール

アップをありがとうございました。
拝見しました。
私は船井さんの事に関して、なかなかうまく文章に表せません。
もりけんさんをみてるだけではだめだ、気をもんでるだけではだめだ・・と思うのですが。

メール拝見できてよかったです。
そして、和佳さんのレス・・「もりけんさんにここまで熱心にメールを書いても。。コトを詳細に考えても。。船井さんには何も伝わらないんだと思いました。」にもすごく納得しました。

文章にしてみようと思いました。

[C1456] >吉川英治とNHKの戦いは、引き分けにしたいと思います。

小説の舞台が、今私が生きているこの時代に近ければ問題ないのですが、
今より遥か昔で、さらに外国だったりすると、情景を想像するのが、
かなり大変で、時には苦痛に感じたこともありました(笑)。
小説よっては、そういった服装や食事中のこととは、住居だといった
描写をページの枚数をかなり大量に割いて説明してくれてたりしますが、
映像だとそれが一発でわかってしまいます。
しかし映像によって限定されない分、読者が自由に空想できるということ
もあります。
柿色の鉢巻がパラッと宙に浮いたシーンも、テレビ映像だと、さぁっと
通り過ぎてしまっていたと思いますが、小説だけではなく、もりけんさんが
取り上げたから余計に印象に残っています。
小説でなければ登場人物の個々への視点移動はできないものなのかなと
思っていましたが、お通自身が登場しなくても、視点移動はできるのだなと
思いました。
吉川氏の小説(読んでないけど)、NHKドラマ(観てないのに)、
もりけんさんブログと、三つの視点から宮本武蔵を考えることができました。

[C1455] >お通

ドラマは前半しか見なかったので、お通をつれて村を出るところや、2人が行き違う場面しか知らず、後半再び出会うところや、最後の手紙も知りませんでした。。

言葉少なな武蔵が、心の底からお通を思っているのではないか・・というのは、その様子から伺えました。
でも、強くなりたいがために、お通をわざとそばにおかずに戦いに行く武蔵。
そしてお通が、身の危険も顧みずに、武蔵を追いかけている姿に、心がぎゅうっとなっていました。

なので、最後のこの手紙はとてもうれしかったです。
というか、ほっとしました。

ご飯のような存在・・
見た感じでは、お通はとてもつらい思いをしたようにも思えますが、それも「誰が知ろう」です。
お通にすれば、当たり前のことをしていただけかもしれません。

誰にでも、ご飯のような存在ってあるような気がします。
気がついてなくても。
だから、この演出は、誰の心にもぐっとくるのではないかと思いました。


・・あ~でもすごくこの関係が、男女関係として、うらやましいなあ~と思ってしまうのは、ご飯のような相手がいないからか・・いや、やはり気づいてないのか・・
最後に「あなたは私と人生を歩んでくれました」と夫にいえるのか・・
いえたらいいけど・・(汗)
やはりこの言葉はどちらもが命をかけて生きてたからこそかも・・

[C1454] 「あなたは私と人生を歩んでくれました」

 
 NHKの宮本武蔵は見ていなかったです。テレビでは最後のエンディングは8巻の後続いたのですね。
 これまでの書き込みで男の世界が広がっている雰囲気から、今日の書き込みでいきなり、女の存在が出てきて、ちょっと私も「えっ!」とフイをつかれた感じがしました。
 なにしろ頭のモードが「男の世界」「勝負の世界」になっていたので、「お通」がひょこっと出てきたので、うーん、武蔵も人の子だったのだ。となにやら解った風な事思ってしまいました。
 もちろん、男の影に女あり、その逆もまた真なりで、当然お通の存在はあったとおもいますが、武蔵にとっての剣と同じくらいお通の存在も普段の景色なのだと思いました。

[C1453] お通

>武蔵が孤独な戦いが出来たのも、お通がいたからでした。
>たぶんご飯のような存在だったのだと思います。
 
うーん。。。いいなあ。。。と思います。
もういちど、うーん。。。いいなあ。。。
 
>まさか最後に、女性の視点に飛ぶとは思ってもいませんでした。
 
勝負の世界の視点は、武蔵の主要な世界ではあって、ほんの一部で、そのまわりにはもっともっと広い世界があって、武蔵はそこに生きていたように思います。
女性の視点で、それを表現したのかなあと思います。
 
深い深い水も、そういうことを思わせます。

[C1452] 夫婦愛で終わったんですね。

回想シーンも夫婦愛もこうして文字にすると、あまり感激できないみたいです。

女は港、男は船とか、演歌の世界で表現されるときいたことがありますが、「あ~、武蔵も最後は港にたどり着いたんだ」と思いました。

このシーンはぜひともテレビでみてみたいと思いました。でもまず、本を読んでからのほうがいいですね。先に映像を見ると本の中で同じ登場人物が動くことになってややこしいかもしれません。

両方のおもしろさがわかって楽しかったです。

[C1450] ずっとそばに、、

お通さんの手紙から、ふたりがいつも一緒に過ごしていたことがうかがえました。
いつの時代も、食卓の上のご飯ってーのは、日本人の心であり、誇りデス。
食卓のご飯同様、武蔵の人生と常に寄り添い、育み続けたふたりの
時間があるのだと思います。

僕には知る由もない水面下の深遠さ、、
水面をみつめる人が違えば、そこに揺らいで見えるドラマも、
違うのかもしれません。

[C1445] じーんときました。

たとえ遠くにいてもずっと武蔵と一緒にいたんだとじーんとしてしまいました。
武蔵をずっと見守って支え続けて最後のエンディングでお通と武蔵の映像が流れると泣けてきます。
小説としてドラマとしてどちらも最高の終わり方をしていると思いました。

[C1444] > 武蔵が孤独な戦いが出来たのも、お通がいたからでした。

武蔵にそんな存在がいて、よかったです。。。
武蔵はお通がどんな存在かということを考えたことはなかったかもしれないと
思いました。考えたことがないくらい、いて当たり前の存在、いないことなん
て考えられない存在。。。まさにご飯のような存在だと思いました。
 
存在を意識しないほどの相手がいるというのは、ご飯で考えたら飢えないとい
うことだと思います。
飢えない。。。こんなに安心できて、しかも切実なことはないかもしれません。
 
>あなたと生きれてよかったです
 
私もそう言って死にたいです。。。

[C1443] >「あなたは私と人生を歩んでくれました」

お痛は武蔵の心の支えだったのだと思いました。
バックに回想シーンを流すというのは、映像ならではの演出だなと思います。

[C1442] う~ん・・・

どちらが挑戦状を叩きつけたのかは分からない・・は、
考えさせられました。
武蔵と小次郎は、お互いにいろんなところで目障り
(見えない対立も含め)になっていて、
じゃあ一度、勝負するか・・みたいなものが
お互いの中で、自然と湧きあがってきたのでは・・
と思います。
でも、船井さんはそう思っていたとしても、切ると言うことで逃げた。
負けるわけにはいかない、いろんなものをしょっているからでしょうか・・。
(勝ち負けではないのですが)
それでも、ご自分の生き方を貫き通すもりけんさん・・。
私は、お通ほどは寄り添えませんが、
すべて公開するということが、一緒に歩いて
くれている気がしてなりません。
私は何もできませんが、ここにいます。

吉川英治とNHK、甲乙付けられません。
よって、私も引き分け・・です。
  • 2006/05/19-15:39:41
  • 投稿者 : まる
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[C1440] やっぱ

お通よ‥お通がいたから、心がねじきれるような哀愁の物語になったんじゃないかと思います。武蔵が戦うだけの話だったら、武蔵がいい男に全然思えないもん。
  • 2006/05/19-14:16:07
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1439] 武蔵が死ななかったのは

お通が待っていたからじゃないかと思いました。自分が死んだら、自分を追いかけ続けて待ち続けているお通はどうなる‥‥だから、絶対に勝ち続けなければならない、お通の元へ帰るために、ありとあらゆる勝つ方法を模索したのではないかと。戦いに勝って、自分を待つお通の元へ帰る‥それも武蔵の強さの秘密だったかもと思いました。
  • 2006/05/19-14:08:57
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1438] 武蔵とお通の関係も

雑魚の目から見ると、水の下の心のように、理解しがたいものだと思います。お通みたいにずっと追いかけて、不安定な生活を送るなんて、つらいだけだって感じするし。でも、そうじゃない、ちゃんと心のつながりがあった、って、そういう恋愛、人生もある‥
お通は武蔵によって、弱い立場にずっとさらされてたわけじゃなくって、他人にはわからなくても、ご飯みたいな強い絆があったから、離れていられたんだってことを、お通の手紙で、NHKは見せてくれたんじゃないかって思いました。
  • 2006/05/19-14:02:46
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1437] ジ~ン、、、

こうもりさんのメールと今日のタイトルがリンクして
ついついジーン、、、ときてしまいました。

もりけんさんが直接船井さんにアタックするより
周りの人間から間接的にアタックするほうが
より効果的なんじゃないかと思いました。

もりけんさんも周りのみなさんも真剣です。。。
その真剣さに「知らぬ存ぜぬ」で通せるでしょうか?

[C1436]

どうも・・・感情移入してしまい上手くかけません。

こころの中でいろいろ錯綜してます。


思ったことを言葉にするのがこんなに難しいものだとは。。。。
書けない自分に苛立ちます。

[C1435] >最後はいつも私を連れに来てくれました

武蔵はお通のこと好きなくせに、冷たいって印象ありました。いつもお通を残して戦いに行ってしまって、お通は武蔵を追いかけて旅をして、武蔵のことを待ち続けて‥。でも、武蔵はそういうお通のことを気しはしていて、ところどころで連れに来るってところが、またお通の気持ちをひきよせてしまう。お通の気持ちとしては、ずっといっしょにいてほしい、と思ってるはずです。でもほとんど会わずに、ちょっとだけ連れに来て、それで一生気持ちをつなぎとめてるひどい男って感じでした。連れに来たりすると、やっぱりちょっとだけでもうれしくなっちゃうし、ひどいと思いつつも好きでいてくれることはいてくれると思うと、なかなかあきらめきれないです。武蔵の場合は天然だし、他にお通ほど思う女がいるわけじゃないからしょうがないと思えるけど、そうでなかったら女心をもて遊ぶひどい男です。それでも、お通は、そんな彼を思い続けて、幸せだったんだなあと、離れているときが多くても、お互い旅をしながら、いっしょに生きたって感じを持っていたというのがいいなと思いました。

原作も、自分が昔見た「宮本武蔵」も、武蔵はお通のこと好きなくせにほっておいて、お通のとこに帰るとは言うけれど、いつもすぐ行っちゃって、そのうちお通は病気になったりしちゃうし、お通つらいよな、って感じあったので、そこ行くと、最近のNHKのは、途中ちらっと見たシーンでは、所帯を持とうって武蔵と話して、その二人の家でお通が待ってるシーンもあって、ちゃんと約束したりして、自分が思ってた武蔵よりやさしい感じに描いていて、そこが意外だと思いました。武蔵をやった俳優のせいかという気もしました。最終回で、お通の手紙のシーンがそんなに出てきたというのを知って、やっぱりいままでよりお通にやさしく描いていたんだなって思いました。
  • 2006/05/19-13:43:15
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1434] お通・・

>「あなたは私と人生を歩んでくれました」
愛を語ることは基本的に嫌いですが、いつもいれるわけではない二人なのに、このようなことが言えること、共に歩んでいたと実感できる人どうし・・
これそこまさに「真の愛」なのかと感じてしまいました。
ほんと、いい話だなと思います。
このような関係でいれる人といれた武蔵ですが、それもまた運命で決まっていたことです。
用意周到だった武蔵は確実に他力によってネットワークとつながっていたと思います。そして運命の人であるお通とも出会えたことは、運を味方につけていたのでしょうし、それに付随して女性運もよかったということなのかと思いました。
しかし、今回の文章感動します(涙)

[C1433]

>歴史上、お通のほうが先に死にますが

なんと、お通は実在の人物でしたか!
原作では胸の病が進行し、かなり危険な状態ではあるが、死ぬ場面はなかったような、気がします。

もちろん、もりけんさんは宗教団体の教祖様ではないので、書かれたことを鵜呑みにするのはかえって失礼なこととは思っております。

お通は吉川英治の創作と勝手に思い込んでいましたので、ちょっと驚きました。
  • 2006/05/19-12:24:22
  • 投稿者 : 十四郎
  • URL
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[C1432] >あなたは私と人生を歩んでくれました

この演出はずるいです。
でも映像でしかできないことで終劇として結んでいくのなら、これはすごいと思いました。

>腹が減ったら飯を食う
夫婦やパートナーというものはこういうものかもしれません。
気付いたらそばにいる。
空気みたいなんだけど、空気がなければ生きていけない。

目頭が熱くなります。

[C1431] お通のこころ

人生ってほんとに、信じられないくらい繊細だな・・・って思います。
色んなヒトがかかわっている。
網の目のようにつながって、出来ている・・・そう、思います。
お通は、確かに「幸せだった」と思います。
ですが、そのお通さんにも「百尺下の水のこころ」があり
ひどく寂しい夜もあり、心配で眠れなかったり・・・
「だいすきじゃ・・・」でハートがいっぱいの日も、あったと思います。
「武蔵」を成立させているもの、それは、健気な「佐助」しかり、
 「大旦那」しかり、そして「小次郎」しかり・・・です。
敵、味方、とゆうのは、あるヒトから見ればそうで、あるヒトから
見れば、違います。
お通さんから見たら「最愛のひと」小次郎からみたら「最大の敵」
だからといって、その関係性がずっと同じではありません。
ヒトがいつもいい子じゃないように・・・。
バカにも、サルにも(ごめん・・・)王様にもなれる(こんな歌、ある)

お通さんは「ご飯」でしたが、きっと、疲れた時は「おかゆ」にもなり(爆)
時には、米一粒となって(笑)武蔵の傍らに、きづかれることなく
ひっついていたかもしれません。
そして、私もお通の気持ちわかります。
だって「武蔵」が大好きです。どこかでいっつも「武蔵」を想う気持ち、
深く理解できます。
武蔵を想うヒトはたくさんありました。武蔵がお通を選んだのは、
運命なんじゃないかなと思います。選んだ・・・(?)
佐助の、武蔵を慕う気持ちも「恋」の別の言い方をした何かです。
小次郎の、負けたくないとゆう気持ち・・・それも、別の言い方の「恋」
だと・・・私は、思えてしまいます。
言葉ではできない気持ち、口にした瞬間、何かの「気持ち」に
変わりますが、うんと深いところでは、深い深いところにある
水の静けさのようなもの、なのかもしれません。
ヒトは、表面に漂うような生き方をする魚かもしれません。
(深海魚もいるか・・・)
どっちにしろ、海を泳ぐ魚には変わりないと思います。
・・・なんで、魚の話になったのか(汗)
そして、不思議なのが、このお話を追ってゆくうちに
私のこころも、時に「佐助」時に「小次郎」時に「武蔵」でした。
「お通」は、なんだか・・・遠いような気がしますが。
今日、見たばっかりだからかな(見た・・・?)
名前はついているけど、まるで、それぞれのなかに自分がいるような
自分の中にそれぞれがいるような気持ちになるのです。
すごく、不思議なことのような気がします。
「わたし」をただの、「よいこ」でくくるには、ただの「悪い子」で
くくるには、なんか足んない・・・そんな気がしています。
そして書きながら、めちゃくちゃ当然のことを言っているような気が
してきました(汗)





[C1430]

 小説の終りの「・・・・・。百尺下の水の心を、水のふかさを。」 は、武蔵の心のことを表現しているのではと思いました。

武蔵がなぜ、小次郎にとどめをささなかったか。それを理解するには、海の水のように深い武蔵の心がわからないと分からんよといってるような。(間違った解釈かも)

NHKのエンディングは、お通を通して武蔵を語った。本人を直接表現するよりこっちの方が印象が強いかもと思う。例えば、「自分はこんな人間なんだ」という言葉より他者の「あの人って、こんな人なのよ。」という言葉の方が信じてしまうことある。

お通を通した武蔵のほうがより伝わり易いかもしれない。あるいは、それまで表現できなかった武蔵を表現するためだったのかなとも思う。

小説は8巻まで読んで、やはりおもしろかった。このプログを読んでから読んでいるので、頭の中では櫂は自宅で削られ、十分な練習もつんで勝負に臨んだようなストリーを勝手に作っていたような気がします(笑)。

NHK武蔵はみてないので、ビデオを探して見たいなと思う。
映像は見ていないけれど、「あなたは私と人生を歩んでくれました」という言葉を見ると目が熱くなります。

[C1429] >ダブルでやると言う手もあります

じゃあお借りします。
書くのが夜中になりそうだけど。。
同じモノを郵送でもだします。

[C1428] >

>「あなたは私と人生を歩んでくれました。戦いの日々もあったけど、最後はいつも私を連れに来てくれました。あなたと生きれてよかったです」
 
涙です。『最後はいつも私を連れに来てくれました。』って言ってみたいです。離れていても。。ここぞと言うところは一緒だったのだと思いました。そして圧倒的に隔てられていても。。相手がここにいなくても。。お通に疑いはなかったのだと思います。淡々といつも確かな存在と一緒だったのだと思いました。武蔵はいいなぁ。。お通と出会えて。。武蔵の不安定さは。。お通のなにかソコにいるような。。「確かさ」によってつなぎ止められてたのかもしれないと思います。ちょっとホント泣けてきた。お母さんすら思い出す。ドコだかわかんないけど。。とても帰りたく思いました。

[C1427] >もしかしてフシケンのページを借りて書いてみるかもしれません

できればそれが良いです。
船井さんに都合の悪い手紙は、船井さんにはとどかなくなっているからです。

ダブルでやると言う手もあります

[C1426] メール拝見しました。

あくまで私が思った事です。
自分に向かって書きます。
もりけんさんは確かに引かないけれど。。ひとりの人間です。船井さんと会って痛くないなんてコトはないと思いました。
もりけんさんにここまで熱心にメールを書いても。。コトを詳細に考えても。。船井さんには何も伝わらないんだと思いました。もりけんさんと話しても。。もりけんさんとだけ話しても。。なにも変わらず(出せるものはだしてしまっているから)。。閉じた空間で分析して。。苦しくなるだけのような気がします。私の独り言へのレスなんてそうです。そういうところに注ぐ力で。。それを船井さんあてに書いていたら違うのかもしれないと思います。
メールか手紙をまた書いてみようと思いました。
もしかしてフシケンのページを借りて書いてみるかもしれません。それでもリスマネチームにブロックされてとどかないのかもしれませんが。なんだかそう思いました。

[C1425] >船井氏について

メールの貼り付け、ありがとうございます。
やはり、みんながみれたほうが良いです。
そこには船井さんも含まれます。

[C1423] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/19-10:45:33
  • 投稿者 :
  • 編集

[C1422] >「あなたは私と人生を歩んでくれました」

もりけんさんにとっても、支える奥様がいて、娘さんがいて。。。そういう間柄があると思うのですけれど。。。
今日の最初にコメント書かれた(メールの内容)こうもりさんはじめ。。もりけんさんのhp、ブログに集う人達は皆、もりけんさんと一緒に歩んでいるような気持ちがあるのではないかと思います。
もりけんさんが、毎日書き込まれる内容に対して読んでは考えて書き込みします。わからないことはたくさんでも、私も私なりには考えて毎日、時を過ごします。
hpもここも一緒に歩んでいく場かもしれないと思います。もりけんさんとそこに集う人達と一緒に。。。です。
もりけんさんとのメールのやり取りだけで終わってしまえば、他の人達がそこに入って一緒に歩むことはありません。
公開することで皆で歩くことが可能になるのだと思います。
もりけんさんが船井さんのことも公開でされるのも、船井さん、船井さん関連の人達、そして、hpに集まる人達、皆で歩いていこうという気持ちがあるからではないかと思っています。

[C1420] 船井氏について

昨日5月18日付けメールを貼り付けます。


森田 健 様

前略 突然のメール送信、ご無礼の段お許し願います。 小生、「こうもり」というハンドル
ネームにて、貴ホームページやブログに書き込みをさせて頂いている者です。 

この度、このようなメールを不躾に送信致しますのは、もしや船井氏側に情報が漏れてはなら
ないようにと、少しいらぬ心配をしたからです。 といっても、小生が重要な情報を握ってい
るわけではもちろんありません。 ですから、大したことは書けないと思います。 
森田様は、きっと何を馬鹿なことをとお思いになるでしょう。 しかしながら、森田様にどの
ように評価されようとも、今の小生にとりましては、さして問題ではなくなりました。
十分に書けたか?・・・そして、このメールを実際に送ったか? それだけが、小生には大事
であります。

白状いたしますと、小生は「船井氏が森田様に会う可能性はない」と常々考えておりました。
森田様がブログやホームページで、アポ取りのFAXを送る旨を書かれたその時から、そのよう
に感じておりました。 なぜなら、船井氏の考え方がわかるような気がしたからです。
もちろん、それは、小生と船井氏が同レベル(?)を意味するからかもしれません。
もしそうならば、笑うべき戯言を小生は今書いていることになりますが。

宮本武蔵の原作では、巌流島の決闘とは、そもそも誰が望んだ試合だったのかがハッキリしま
せん。 武蔵が小次郎に挑戦状を叩きつけた様子もありませんし、その逆もなさそうです。
周りが勝手に盛り上がり、巌流島の決闘が仕組まれたようにも見受けられます。
それでも、武蔵も小次郎も当然のように闘いました。 しかし、船井氏は・・・?
小生には、船井氏が森田様との闘いのリングに上がってくるとは思えませんでした。
それは、昨年10月のFOW以降、船井氏が見せたあの冷酷な処置(氏のホームページのプログ
ラムから森田様と神坂様を削除したこと、密着DVDの発売を相談もなくとりやめたこと)を考
えますと明白に思えました。 そして、今後とも、船井氏は森田様とヤリ合う考えはないだろ
うとも。

森田様は、船井氏をホームページの中でお斬りになりました。 しかし、船井氏は、森田様を
”切った”のかもしれません。 関係を絶った、とも言えるでしょうか・・・あれは、船井氏
が森田様ことを本に書いて紹介する以前のことだったと思います。 船井氏は「ヒトラーの法
則」なるものを自身の本に書いたことがありました。(1日がかりで調べましたが、どの本に
書いてあったのかは不明です) 船井氏によると「ヒトラーの法則」のうちの一つは、次ぎの
ようなものでした。

「トップは、何があっても間違いを認めてはならない」

トップが一度でも誤りを認めて謝罪してしまえば、カリスマ性が失われ、リーダーシップどこ
ろではなくなる・・・だから、トップはどんなことがあっても謝罪してはならない、というも
のだったと記憶します。(数年前でしょうか、小泉首相の「人生いろいろ発言」がヒンシュク
を買った折り、首相は絶対に謝りませんでした、あれと同じだと思います) このような考え
方も必要である、と船井氏は自著に述べていたと思います。 ですから、船井氏が森田様との
関係を切ってきたとき、小生は、船井氏は絶対に謝罪するつもりはないのだと強く感じました。 

もっとも、森田様は謝罪を求めておられる訳ではないと思います。 ただ、船井氏の面前で、
思いの丈を述べたいだけであり、陰で悪口を言うような真似はしたくないのだと。
そして、出来ることなら、時空について語り合いたいだけだと。 森田様のそのような引けな
い想いは、下位のプライドだと思いました。 しかし、残念ながら、小生には、船井氏には上
位のプライドしかないように見受けられます。 だとしたら、そのギャップがあまりにも辛い
です。

さて、もし船井氏が上位のプライドだけならば、言い換えるなら、船井氏が世間体しか気にし
ていないのならば、下記の三つの事実がとても気になるはずだと思いました。

1)船井氏は、森田様に無断で生まれ変わりの村の情報を自身の本に書きした。

2)しかも、船井氏はその情報を自分に都合よく解釈し、森田様の仮説とは違った見解へと
  勝手に結論づけて、自説(カルマ論)を本の中で述べてしまいました。

3)何よりも、中国の各情報提供者の意見も完全に無視された形になりました。

(大きく分ければ、この三点でしょうか・・・)
(すみません、調査にかけた時間とお金と手間については、便宜上省略させて頂きます)

上記三点は、船井氏にとっては、喉に刺さった小骨かもしれません。 いえ、それではあまり
りにも軽すぎます。 スネに負った傷とも言えると思います。 可能なら、世間様には、この
ような事実があったことを隠し通したいと思うでしょう。 あるいは、一刻も早く、記憶から
消し去りたい弱み、トラウマではないでしょうか?

今後、船井氏が森田様と何らかの形で接点を持てば、上記の三つの事実が船井氏の頭の中に蘇
ります。 接点を持たなければ、思い出さずに済みます。 船井氏とて、苦い思い出は記憶か
ら消し去りたいのだと思いました。 そういう楽な方へ逃げるかの姿勢は、最近の船井氏の記
述や、森田様への返答にもよく表れていると思います。 さらに、それを無理にでも、自分を
正当化して書いているところが、小生は何とも嫌です。

いずれにせよ、小生には、お二人が会う機会が来るとはなかなか思えません。
(このような書き方をして、申し訳ございません)
そして、気になるのは、船井氏の取り巻き連中の存在です。 リスクマネージ・・・なんとか
と言うくらいですから、一度負ったスネ傷をこれ以上悪化しないように、何かと警戒している
ことでしょう。 問題が大きくなって、先の三点が世間に知れ渡ることによる、船井氏のイメ
ージダウンだけは避けたいところでしょう。 船井氏の取り巻きは、昨年10月から、不思議
研究所のホームページをつぶさに見ていたであろうし、ブログも当然チェックしていると思い
ます。 彼らも雇われている立場上、自分たちのボスを必死に守ろうとするでしょう。
従って、船井氏と対面しようにも、そして、船井氏が会う気持ちになったとしても、彼ら取り
巻き連中は、NOというカードしか出さないと思います。 その結果、森田様が下位のプライド
を胸に、いくら船井氏と会おうとしても、その望みはことごとく叶わないのではないかと危惧
します。 著作権の問題や、あるいは、名誉棄損などの法律の問題として彼らはすでに捉えて
いて、その準備にも余念がないのかもしれません。

ああ、しかしです。 小生がこんなことを書いてみたところで・・・森田様は全て理解してお
られるのではないでしょうか。 馬鹿みたいに、小生が書くことではありませんでした。 
加えて、森田様には六爻占術の名手であり、状況はお見通しでありましょう。 船井氏に会え
ぬなら、運命変更をかける(森田様を通して、時空が変更をかける?)ことも可能なのだと思
います。 しかし、実際には、運命変更をかけておられるようには見えない・・・(過去、バ
イクで事故を起こすのがわかっていながら、そのまま何も変更されなかったのを覚えています)
そして、小次郎の戦法を採るかのようなご発言もありました。 加えて、お二人の来生での因
縁(?)についても、触れておられました。(この問題は、来世にも引きずるのでしょうか?)
森田様は小生には難し過ぎます。 森田様の悔しお気持ちがわからないのではないのです。
ただ、森田様を理解するのはとても難しくて、どう対応すべきか迷うことが多いです。 

いけません、最後は何やら言い訳がましくなりました。 大して意味がないことをだらだらと
書き連ねているだけにも思えます。 そして、森田様の味方というには、小生は余りにも役立
たずです。 佐助など足許にも及びません。 それは自覚しております。 しかしながら、こ
の問題に気を揉み、最後には、森田様が満足する形で終了して欲しいと望む人間もおります。

長く書きすぎました。 本日のブログのテーマは「誰か知ろう」。 いつも、画期的、革命的
な解説をありがとうございます。(革命はお嫌いでしたね) 森田様の百尺下の水の心とその
深さは計り知れません。 でも、いつかは理解したいと密かに執念を燃やしているところです。
乱文乱筆ご容赦くださいませ。

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「あなたは私と人生を歩んでくれました」

 吉川英治の原作の最後は以下でした。
 
「波に任せて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど誰か知ろう。百尺下の水の心を、水のふかさを。」
 
 これは映像で表現することが難しいと書きました。だからNHKは最後に斬られたと書きました。
 
 でもそれは柿色の鉢巻きを斬っただけでした。ニコッと笑うのはまだ早い。
 なぜならNHKは斬られる寸前、立ち位置を変えたのです。
 
 NHKの最終回、それは、お通の手紙でした。
 もちろん架空の手紙です。
 歴史上、お通のほうが先に死にますが、死に際に書いたような手紙として朗読されます。
 
「あなたは私と人生を歩んでくれました。戦いの日々もあったけど、最後はいつも私を連れに来てくれました。あなたと生きれてよかったです」
 
 こんな内容でした。
 バックには、若い頃のふたり、お通を連れて村を逃げる場面、そして巌流島の戦いのあとお通の元に帰る武蔵、お通を連れて旅に出るシーン・・。
 
 これは吉川英治には表現できないでしょう。
 ましてや小説の最後の場面に、ふさわしくありません。
 
 でもNHKは映像の利点を生かし、これでもかと流します。
 私は見ていて、不覚にも涙を流しました。
 
 武蔵が孤独な戦いが出来たのも、お通がいたからでした。
 たぶんご飯のような存在だったのだと思います。
 
 腹が減ったら飯を食う・・そこにお通がいたのです。
 
 まさか最後に、女性の視点に飛ぶとは思ってもいませんでした。
 
「鳥の声を聞け」・・六爻占術の外応の頂点として、私の本にも書かれました。そのNHK「宮本武蔵」が、お通の手紙でエンディングを迎えていました。 
 意表を突かれたまま、画面にはエンディングテーマが流れていました。
 
 吉川英治とNHKの戦いは、引き分けにしたいと思います。
 
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41件のコメント

[C1528] >あなたは私と人生を歩んでくれました

つぶやくだけでじ~ん・・と来ます。
けれども40半ばになって思うのは、愛し愛される愛について語るのは、何て難しいことなんだろうということです。男女の愛、親子愛、友情、師弟愛・・相手を大事に思うはずが束縛、従属、依存、決裂・・と、あまり好ましくないと思える変化をきたすことが多いのは、欲のせい・・つまり愛の絆のあかしを求めすぎたあげく、相手への要求がエスカレートするせいかも知れません。
武蔵とお通さんは、まるっきりそうじゃなさそうです。
一緒にいる時間は少なくても、お互いを誰よりも何よりも大事に思っているとわかるポイントを押さえ合っていたのではと思われます。
そういう関係が成り立つには、まずそれぞれがしっかりと大地に足を踏みしめて立ってることが前提かも知れません。
そして、○○をかなえたいなど自分の欠落箇所を満たすために誰かとくっつくのでなく、ともに正面を見つめてそろって歩を進める相手と巡り会ったら放さない・・で来世は是非行きたいものデスが、とりあえず大事な家族関係を気持ち新たに行くことと、サイトで表出することから始めようと思います。
タイトルの言葉、自分だけからの一方通行でも、どなたかに言える晩年、とってもいいと思いマス。

[C1495] お通は必ずしも小次郎が好んだような

華やかな美人というタイプの女ではなかったような気がします。もりけんさんの描写でしか知りませんが、伝わってくるのは、ひたむきさです。そんなひたむきで一途な女だから武蔵が安心して帰ることができたような気がします。

かたや武蔵は、その大好きなお通ともう会えないことを覚悟していた瞬間もあったのではないかと思います。小次郎との戦いを生き延びた武蔵にとってみれば「ひろった命」です。「ひろった命」で愛する人に再会することができたとき、人はどんな気持ちになるのだろうと思います。

NHKと原作のもっとも大きな違いは「その後の武蔵」をお通の手紙をかりて描いていることだと思います。

旅に出る武蔵。

小次郎を切った後、なぜ武蔵はひとつのところに定住することができなかったのか...。なぜ武蔵は旅にでなければならなかったのか。それもお通をつれて。

ひとつには、小次郎との戦いによって武蔵の中に新たな問いが生じた(あるいはもともと武蔵の中にあった問いがはっきりとした形となって浮上してきた)からかもしれません。人はなぜ生きるのか、人生にとって大事なものは何か、剣の道とは何か...。このような「問い」とは人を旅にかりたてるのかもしれません。

あるいは、小次郎との戦いの後、武蔵の中に「死」、別の言葉で言うと、「運命」が住み着いたのかもしれません。あの戦いの後の人生は武蔵にとって一種の「余生」だったのかもしれません。余生でなければお通をおいて、旅に出るはずです。

武蔵は小次郎との戦いの最中、「運命の横顔」とも言えるようなものを垣間見たのかもしれません。その瞬間、武蔵の心の中で何かが「はまった」のかもしれません。

自分の生と死そして運命はお通というひとりの女性の姿をしてこの世に顕現していると武蔵は思ったのかもしれません。華やかな美人だったら定義することができます。付き合っていればいずれ「こんな女だ」ということもわかります。

でも、お通は武蔵にとって母であり妹であり菩薩であり、いや、もっと、もっと広いもの...自分が両手を広げた以上に広いもの、広すぎて定義できないくらい大きいもの、あの海よりも空よりも広いもの...そう思った瞬間、もう言葉では語りつくせない存在である以上、自分の気持ちを表現するためには、ずっと一緒にいるしかなくなるのかもしれません。
  • 2006/05/20-22:39:58
  • 投稿者 : ナイル
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[C1488] 手紙

原作のエンディングには、人間から見れば、悠久の海の深さ、大きさに「個」を忘れました。
反対にこのお通の手紙には、「惚れた男性だったら、こんな風に待ってもいいわ。」と女心が涙しました。但し、相手が困らなければ(爆)
「愛」「理想」「夢」「希望」、感情を伴って「個」にアースされます。
死んで「しまった」と思うかどうか?
両方、いいわ。(笑)

[C1486] 「波に任せて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど誰か知ろう。百尺下の水の心を、水のふかさを。」

確かにこれを、映像で表すのは難しそうです。。すでに、もりけんさんの天人合一の表みたいかなあです。好奇心のままに浮遊する魂のようで・・・水のようで・・・「あなたは私と人生を歩んでくれました。戦いの日々もあったけど、最後はいつも私を連れに来てくれました。あなたと生きれてよかったです」 3次元で時空の解明もりけんさんがしてくれたら、死ぬときは、こっちのせりふでもいいかなああとおもいます^^
  • 2006/05/20-16:55:34
  • 投稿者 : バニー
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[C1464] o

文字と映像の表現の場の違いだと思いました。
ラストを、原作を映像で・・・は難しく、映像を文字で・・・も難しく思います。

でもどちらも、涙が出ました。原作は人間の生き方意味で心を打たれ、NHKは自分も家庭を持つ女として心を打たれました。


>あなたと生きれてよかったです

自分にはこんなこと言えるだろうか・・・多分言えないです。でも、揺さぶれます。
武蔵にとってお通はご飯のような存在で空気のようで・・・大きな存在ではないようだけど無くてはならないもの。


手紙の内容は、武蔵とともに生きるお通の姿が浮かびました。
いつもあなたと一緒なのよ・・・いつもそばにいるから安心しててね・・・
激しい自己主張はなくて、矛盾しますが、しなやかで、でもとても強くてだけれどはかなくて弱い女性像でした。

だからこそ、武蔵にとって、いつでも帰ることができたのだろうと思いました。

[C1463] あなたと生きれてよかったです

こんな言葉が言えるってとても素敵だと思います。ジーンとしてしまいました。いろんなことがあっても武蔵はお通を大切にしていたのだって思いました。人物像は多角度から作られると思いました。
NHKも小説もどちらも深いです。

  • 2006/05/20-05:03:24
  • 投稿者 : Ciel
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[C1462] ご飯のような理解者

 お通は、武蔵のすべてを受け入れることによって、武蔵の良い所も、お通にとっては良くない所も、そしてなくてはならないご飯のような存在になっていったのかもしれません、ご馳走と一緒にそして、粗食と一緒に毎日あきないそんな存在だったのかと思いました。
  • 2006/05/20-02:43:11
  • 投稿者 : yk
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[C1461] お通のような女

お通さんのように、「あなたは私と人生を歩んでくれました。戦いの日々もあったけど、
最後はいつも私を連れに来てくれました。あなたと生きれてよかったです」 と言ってく
れる女がいるとすれば、それは最高だと思います。
ですが、そういう意味での女運って、私は悪いようです。 でも、その原因は探りません。
生まれた日時で、そう設定されているだけのことです。
でもね・・・、今まで、オレと付き合ってくれた女・・・
中には、上位的な意味で???な女もいましたけど、私はこう言いたいです。
私の人生に登場してくれて、他では味わえないような刺激を私に与えてくれました。
こんな私でも許して、我慢して付き合ってくれました。 
あなたと出会えてよかったです。

[C1460]

コメントをどうぞ
  • 2006/05/20-01:41:04
  • 投稿者 : yk
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[C1459] >お通の手紙

一生のうち、武蔵と過ごした日々は、普通の夫婦に比べればわずかなものだったのでしょう。
独り残される寂しさ、戦いへと送り出す辛さ・・・
そういったものもすべて受け入れて、武蔵に寄り添ったお通はとても強い人だと思います。

>「あなたは私と人生を歩んでくれました。」
話は逸れますが、目に浮かぶ光景があります・・
病床の母が、娘には弱音を吐かなかったのに、父には甘えていました。
「痛い・・」と言って、背中をさすってもらっていました。
あぁ夫婦なんだな・・と思いました。

>あなたと生きれてよかったです
二人にしかわからない結ぶつきの深さ・・・
自分の生き方を貫いた武蔵と、自分の愛し方を貫いたお通・・・
たとえ、離れている時間が多くても、共に生きていたんだとうるっとなりました。

視点が変われば、印象も変わります。
「誰か知ろう。百尺下の水の心を、水のふかを。」 をにもぐっときますが、お通の手紙にもこみ上げてくるものがあります。


[C1458] >「あなたは私と人生を歩んでくれました」

共に人生を歩める人がいるということは、とても素敵なことだと思いました・・

それは、支えになるからです


でも、支えのない人もきっといて・・

支えがない場合は、

拠り所がないから、ふわふわと浮かぶのかな。。

と、ふわふわと考えました・・


強さの裏側には、拠り所なる・・
一緒に歩む存在がある。。

そう思いました。


[C1457] >こうもりさんのメール

アップをありがとうございました。
拝見しました。
私は船井さんの事に関して、なかなかうまく文章に表せません。
もりけんさんをみてるだけではだめだ、気をもんでるだけではだめだ・・と思うのですが。

メール拝見できてよかったです。
そして、和佳さんのレス・・「もりけんさんにここまで熱心にメールを書いても。。コトを詳細に考えても。。船井さんには何も伝わらないんだと思いました。」にもすごく納得しました。

文章にしてみようと思いました。

[C1456] >吉川英治とNHKの戦いは、引き分けにしたいと思います。

小説の舞台が、今私が生きているこの時代に近ければ問題ないのですが、
今より遥か昔で、さらに外国だったりすると、情景を想像するのが、
かなり大変で、時には苦痛に感じたこともありました(笑)。
小説よっては、そういった服装や食事中のこととは、住居だといった
描写をページの枚数をかなり大量に割いて説明してくれてたりしますが、
映像だとそれが一発でわかってしまいます。
しかし映像によって限定されない分、読者が自由に空想できるということ
もあります。
柿色の鉢巻がパラッと宙に浮いたシーンも、テレビ映像だと、さぁっと
通り過ぎてしまっていたと思いますが、小説だけではなく、もりけんさんが
取り上げたから余計に印象に残っています。
小説でなければ登場人物の個々への視点移動はできないものなのかなと
思っていましたが、お通自身が登場しなくても、視点移動はできるのだなと
思いました。
吉川氏の小説(読んでないけど)、NHKドラマ(観てないのに)、
もりけんさんブログと、三つの視点から宮本武蔵を考えることができました。

[C1455] >お通

ドラマは前半しか見なかったので、お通をつれて村を出るところや、2人が行き違う場面しか知らず、後半再び出会うところや、最後の手紙も知りませんでした。。

言葉少なな武蔵が、心の底からお通を思っているのではないか・・というのは、その様子から伺えました。
でも、強くなりたいがために、お通をわざとそばにおかずに戦いに行く武蔵。
そしてお通が、身の危険も顧みずに、武蔵を追いかけている姿に、心がぎゅうっとなっていました。

なので、最後のこの手紙はとてもうれしかったです。
というか、ほっとしました。

ご飯のような存在・・
見た感じでは、お通はとてもつらい思いをしたようにも思えますが、それも「誰が知ろう」です。
お通にすれば、当たり前のことをしていただけかもしれません。

誰にでも、ご飯のような存在ってあるような気がします。
気がついてなくても。
だから、この演出は、誰の心にもぐっとくるのではないかと思いました。


・・あ~でもすごくこの関係が、男女関係として、うらやましいなあ~と思ってしまうのは、ご飯のような相手がいないからか・・いや、やはり気づいてないのか・・
最後に「あなたは私と人生を歩んでくれました」と夫にいえるのか・・
いえたらいいけど・・(汗)
やはりこの言葉はどちらもが命をかけて生きてたからこそかも・・

[C1454] 「あなたは私と人生を歩んでくれました」

 
 NHKの宮本武蔵は見ていなかったです。テレビでは最後のエンディングは8巻の後続いたのですね。
 これまでの書き込みで男の世界が広がっている雰囲気から、今日の書き込みでいきなり、女の存在が出てきて、ちょっと私も「えっ!」とフイをつかれた感じがしました。
 なにしろ頭のモードが「男の世界」「勝負の世界」になっていたので、「お通」がひょこっと出てきたので、うーん、武蔵も人の子だったのだ。となにやら解った風な事思ってしまいました。
 もちろん、男の影に女あり、その逆もまた真なりで、当然お通の存在はあったとおもいますが、武蔵にとっての剣と同じくらいお通の存在も普段の景色なのだと思いました。

[C1453] お通

>武蔵が孤独な戦いが出来たのも、お通がいたからでした。
>たぶんご飯のような存在だったのだと思います。
 
うーん。。。いいなあ。。。と思います。
もういちど、うーん。。。いいなあ。。。
 
>まさか最後に、女性の視点に飛ぶとは思ってもいませんでした。
 
勝負の世界の視点は、武蔵の主要な世界ではあって、ほんの一部で、そのまわりにはもっともっと広い世界があって、武蔵はそこに生きていたように思います。
女性の視点で、それを表現したのかなあと思います。
 
深い深い水も、そういうことを思わせます。

[C1452] 夫婦愛で終わったんですね。

回想シーンも夫婦愛もこうして文字にすると、あまり感激できないみたいです。

女は港、男は船とか、演歌の世界で表現されるときいたことがありますが、「あ~、武蔵も最後は港にたどり着いたんだ」と思いました。

このシーンはぜひともテレビでみてみたいと思いました。でもまず、本を読んでからのほうがいいですね。先に映像を見ると本の中で同じ登場人物が動くことになってややこしいかもしれません。

両方のおもしろさがわかって楽しかったです。

[C1450] ずっとそばに、、

お通さんの手紙から、ふたりがいつも一緒に過ごしていたことがうかがえました。
いつの時代も、食卓の上のご飯ってーのは、日本人の心であり、誇りデス。
食卓のご飯同様、武蔵の人生と常に寄り添い、育み続けたふたりの
時間があるのだと思います。

僕には知る由もない水面下の深遠さ、、
水面をみつめる人が違えば、そこに揺らいで見えるドラマも、
違うのかもしれません。

[C1445] じーんときました。

たとえ遠くにいてもずっと武蔵と一緒にいたんだとじーんとしてしまいました。
武蔵をずっと見守って支え続けて最後のエンディングでお通と武蔵の映像が流れると泣けてきます。
小説としてドラマとしてどちらも最高の終わり方をしていると思いました。

[C1444] > 武蔵が孤独な戦いが出来たのも、お通がいたからでした。

武蔵にそんな存在がいて、よかったです。。。
武蔵はお通がどんな存在かということを考えたことはなかったかもしれないと
思いました。考えたことがないくらい、いて当たり前の存在、いないことなん
て考えられない存在。。。まさにご飯のような存在だと思いました。
 
存在を意識しないほどの相手がいるというのは、ご飯で考えたら飢えないとい
うことだと思います。
飢えない。。。こんなに安心できて、しかも切実なことはないかもしれません。
 
>あなたと生きれてよかったです
 
私もそう言って死にたいです。。。

[C1443] >「あなたは私と人生を歩んでくれました」

お痛は武蔵の心の支えだったのだと思いました。
バックに回想シーンを流すというのは、映像ならではの演出だなと思います。

[C1442] う~ん・・・

どちらが挑戦状を叩きつけたのかは分からない・・は、
考えさせられました。
武蔵と小次郎は、お互いにいろんなところで目障り
(見えない対立も含め)になっていて、
じゃあ一度、勝負するか・・みたいなものが
お互いの中で、自然と湧きあがってきたのでは・・
と思います。
でも、船井さんはそう思っていたとしても、切ると言うことで逃げた。
負けるわけにはいかない、いろんなものをしょっているからでしょうか・・。
(勝ち負けではないのですが)
それでも、ご自分の生き方を貫き通すもりけんさん・・。
私は、お通ほどは寄り添えませんが、
すべて公開するということが、一緒に歩いて
くれている気がしてなりません。
私は何もできませんが、ここにいます。

吉川英治とNHK、甲乙付けられません。
よって、私も引き分け・・です。
  • 2006/05/19-15:39:41
  • 投稿者 : まる
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[C1440] やっぱ

お通よ‥お通がいたから、心がねじきれるような哀愁の物語になったんじゃないかと思います。武蔵が戦うだけの話だったら、武蔵がいい男に全然思えないもん。
  • 2006/05/19-14:16:07
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1439] 武蔵が死ななかったのは

お通が待っていたからじゃないかと思いました。自分が死んだら、自分を追いかけ続けて待ち続けているお通はどうなる‥‥だから、絶対に勝ち続けなければならない、お通の元へ帰るために、ありとあらゆる勝つ方法を模索したのではないかと。戦いに勝って、自分を待つお通の元へ帰る‥それも武蔵の強さの秘密だったかもと思いました。
  • 2006/05/19-14:08:57
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1438] 武蔵とお通の関係も

雑魚の目から見ると、水の下の心のように、理解しがたいものだと思います。お通みたいにずっと追いかけて、不安定な生活を送るなんて、つらいだけだって感じするし。でも、そうじゃない、ちゃんと心のつながりがあった、って、そういう恋愛、人生もある‥
お通は武蔵によって、弱い立場にずっとさらされてたわけじゃなくって、他人にはわからなくても、ご飯みたいな強い絆があったから、離れていられたんだってことを、お通の手紙で、NHKは見せてくれたんじゃないかって思いました。
  • 2006/05/19-14:02:46
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1437] ジ~ン、、、

こうもりさんのメールと今日のタイトルがリンクして
ついついジーン、、、ときてしまいました。

もりけんさんが直接船井さんにアタックするより
周りの人間から間接的にアタックするほうが
より効果的なんじゃないかと思いました。

もりけんさんも周りのみなさんも真剣です。。。
その真剣さに「知らぬ存ぜぬ」で通せるでしょうか?

[C1436]

どうも・・・感情移入してしまい上手くかけません。

こころの中でいろいろ錯綜してます。


思ったことを言葉にするのがこんなに難しいものだとは。。。。
書けない自分に苛立ちます。

[C1435] >最後はいつも私を連れに来てくれました

武蔵はお通のこと好きなくせに、冷たいって印象ありました。いつもお通を残して戦いに行ってしまって、お通は武蔵を追いかけて旅をして、武蔵のことを待ち続けて‥。でも、武蔵はそういうお通のことを気しはしていて、ところどころで連れに来るってところが、またお通の気持ちをひきよせてしまう。お通の気持ちとしては、ずっといっしょにいてほしい、と思ってるはずです。でもほとんど会わずに、ちょっとだけ連れに来て、それで一生気持ちをつなぎとめてるひどい男って感じでした。連れに来たりすると、やっぱりちょっとだけでもうれしくなっちゃうし、ひどいと思いつつも好きでいてくれることはいてくれると思うと、なかなかあきらめきれないです。武蔵の場合は天然だし、他にお通ほど思う女がいるわけじゃないからしょうがないと思えるけど、そうでなかったら女心をもて遊ぶひどい男です。それでも、お通は、そんな彼を思い続けて、幸せだったんだなあと、離れているときが多くても、お互い旅をしながら、いっしょに生きたって感じを持っていたというのがいいなと思いました。

原作も、自分が昔見た「宮本武蔵」も、武蔵はお通のこと好きなくせにほっておいて、お通のとこに帰るとは言うけれど、いつもすぐ行っちゃって、そのうちお通は病気になったりしちゃうし、お通つらいよな、って感じあったので、そこ行くと、最近のNHKのは、途中ちらっと見たシーンでは、所帯を持とうって武蔵と話して、その二人の家でお通が待ってるシーンもあって、ちゃんと約束したりして、自分が思ってた武蔵よりやさしい感じに描いていて、そこが意外だと思いました。武蔵をやった俳優のせいかという気もしました。最終回で、お通の手紙のシーンがそんなに出てきたというのを知って、やっぱりいままでよりお通にやさしく描いていたんだなって思いました。
  • 2006/05/19-13:43:15
  • 投稿者 : リョウコ
  • URL
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[C1434] お通・・

>「あなたは私と人生を歩んでくれました」
愛を語ることは基本的に嫌いですが、いつもいれるわけではない二人なのに、このようなことが言えること、共に歩んでいたと実感できる人どうし・・
これそこまさに「真の愛」なのかと感じてしまいました。
ほんと、いい話だなと思います。
このような関係でいれる人といれた武蔵ですが、それもまた運命で決まっていたことです。
用意周到だった武蔵は確実に他力によってネットワークとつながっていたと思います。そして運命の人であるお通とも出会えたことは、運を味方につけていたのでしょうし、それに付随して女性運もよかったということなのかと思いました。
しかし、今回の文章感動します(涙)

[C1433]

>歴史上、お通のほうが先に死にますが

なんと、お通は実在の人物でしたか!
原作では胸の病が進行し、かなり危険な状態ではあるが、死ぬ場面はなかったような、気がします。

もちろん、もりけんさんは宗教団体の教祖様ではないので、書かれたことを鵜呑みにするのはかえって失礼なこととは思っております。

お通は吉川英治の創作と勝手に思い込んでいましたので、ちょっと驚きました。
  • 2006/05/19-12:24:22
  • 投稿者 : 十四郎
  • URL
  • 編集

[C1432] >あなたは私と人生を歩んでくれました

この演出はずるいです。
でも映像でしかできないことで終劇として結んでいくのなら、これはすごいと思いました。

>腹が減ったら飯を食う
夫婦やパートナーというものはこういうものかもしれません。
気付いたらそばにいる。
空気みたいなんだけど、空気がなければ生きていけない。

目頭が熱くなります。

[C1431] お通のこころ

人生ってほんとに、信じられないくらい繊細だな・・・って思います。
色んなヒトがかかわっている。
網の目のようにつながって、出来ている・・・そう、思います。
お通は、確かに「幸せだった」と思います。
ですが、そのお通さんにも「百尺下の水のこころ」があり
ひどく寂しい夜もあり、心配で眠れなかったり・・・
「だいすきじゃ・・・」でハートがいっぱいの日も、あったと思います。
「武蔵」を成立させているもの、それは、健気な「佐助」しかり、
 「大旦那」しかり、そして「小次郎」しかり・・・です。
敵、味方、とゆうのは、あるヒトから見ればそうで、あるヒトから
見れば、違います。
お通さんから見たら「最愛のひと」小次郎からみたら「最大の敵」
だからといって、その関係性がずっと同じではありません。
ヒトがいつもいい子じゃないように・・・。
バカにも、サルにも(ごめん・・・)王様にもなれる(こんな歌、ある)

お通さんは「ご飯」でしたが、きっと、疲れた時は「おかゆ」にもなり(爆)
時には、米一粒となって(笑)武蔵の傍らに、きづかれることなく
ひっついていたかもしれません。
そして、私もお通の気持ちわかります。
だって「武蔵」が大好きです。どこかでいっつも「武蔵」を想う気持ち、
深く理解できます。
武蔵を想うヒトはたくさんありました。武蔵がお通を選んだのは、
運命なんじゃないかなと思います。選んだ・・・(?)
佐助の、武蔵を慕う気持ちも「恋」の別の言い方をした何かです。
小次郎の、負けたくないとゆう気持ち・・・それも、別の言い方の「恋」
だと・・・私は、思えてしまいます。
言葉ではできない気持ち、口にした瞬間、何かの「気持ち」に
変わりますが、うんと深いところでは、深い深いところにある
水の静けさのようなもの、なのかもしれません。
ヒトは、表面に漂うような生き方をする魚かもしれません。
(深海魚もいるか・・・)
どっちにしろ、海を泳ぐ魚には変わりないと思います。
・・・なんで、魚の話になったのか(汗)
そして、不思議なのが、このお話を追ってゆくうちに
私のこころも、時に「佐助」時に「小次郎」時に「武蔵」でした。
「お通」は、なんだか・・・遠いような気がしますが。
今日、見たばっかりだからかな(見た・・・?)
名前はついているけど、まるで、それぞれのなかに自分がいるような
自分の中にそれぞれがいるような気持ちになるのです。
すごく、不思議なことのような気がします。
「わたし」をただの、「よいこ」でくくるには、ただの「悪い子」で
くくるには、なんか足んない・・・そんな気がしています。
そして書きながら、めちゃくちゃ当然のことを言っているような気が
してきました(汗)





[C1430]

 小説の終りの「・・・・・。百尺下の水の心を、水のふかさを。」 は、武蔵の心のことを表現しているのではと思いました。

武蔵がなぜ、小次郎にとどめをささなかったか。それを理解するには、海の水のように深い武蔵の心がわからないと分からんよといってるような。(間違った解釈かも)

NHKのエンディングは、お通を通して武蔵を語った。本人を直接表現するよりこっちの方が印象が強いかもと思う。例えば、「自分はこんな人間なんだ」という言葉より他者の「あの人って、こんな人なのよ。」という言葉の方が信じてしまうことある。

お通を通した武蔵のほうがより伝わり易いかもしれない。あるいは、それまで表現できなかった武蔵を表現するためだったのかなとも思う。

小説は8巻まで読んで、やはりおもしろかった。このプログを読んでから読んでいるので、頭の中では櫂は自宅で削られ、十分な練習もつんで勝負に臨んだようなストリーを勝手に作っていたような気がします(笑)。

NHK武蔵はみてないので、ビデオを探して見たいなと思う。
映像は見ていないけれど、「あなたは私と人生を歩んでくれました」という言葉を見ると目が熱くなります。

[C1429] >ダブルでやると言う手もあります

じゃあお借りします。
書くのが夜中になりそうだけど。。
同じモノを郵送でもだします。

[C1428] >

>「あなたは私と人生を歩んでくれました。戦いの日々もあったけど、最後はいつも私を連れに来てくれました。あなたと生きれてよかったです」
 
涙です。『最後はいつも私を連れに来てくれました。』って言ってみたいです。離れていても。。ここぞと言うところは一緒だったのだと思いました。そして圧倒的に隔てられていても。。相手がここにいなくても。。お通に疑いはなかったのだと思います。淡々といつも確かな存在と一緒だったのだと思いました。武蔵はいいなぁ。。お通と出会えて。。武蔵の不安定さは。。お通のなにかソコにいるような。。「確かさ」によってつなぎ止められてたのかもしれないと思います。ちょっとホント泣けてきた。お母さんすら思い出す。ドコだかわかんないけど。。とても帰りたく思いました。

[C1427] >もしかしてフシケンのページを借りて書いてみるかもしれません

できればそれが良いです。
船井さんに都合の悪い手紙は、船井さんにはとどかなくなっているからです。

ダブルでやると言う手もあります

[C1426] メール拝見しました。

あくまで私が思った事です。
自分に向かって書きます。
もりけんさんは確かに引かないけれど。。ひとりの人間です。船井さんと会って痛くないなんてコトはないと思いました。
もりけんさんにここまで熱心にメールを書いても。。コトを詳細に考えても。。船井さんには何も伝わらないんだと思いました。もりけんさんと話しても。。もりけんさんとだけ話しても。。なにも変わらず(出せるものはだしてしまっているから)。。閉じた空間で分析して。。苦しくなるだけのような気がします。私の独り言へのレスなんてそうです。そういうところに注ぐ力で。。それを船井さんあてに書いていたら違うのかもしれないと思います。
メールか手紙をまた書いてみようと思いました。
もしかしてフシケンのページを借りて書いてみるかもしれません。それでもリスマネチームにブロックされてとどかないのかもしれませんが。なんだかそう思いました。

[C1425] >船井氏について

メールの貼り付け、ありがとうございます。
やはり、みんながみれたほうが良いです。
そこには船井さんも含まれます。

[C1423] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/19-10:45:33
  • 投稿者 :
  • 編集

[C1422] >「あなたは私と人生を歩んでくれました」

もりけんさんにとっても、支える奥様がいて、娘さんがいて。。。そういう間柄があると思うのですけれど。。。
今日の最初にコメント書かれた(メールの内容)こうもりさんはじめ。。もりけんさんのhp、ブログに集う人達は皆、もりけんさんと一緒に歩んでいるような気持ちがあるのではないかと思います。
もりけんさんが、毎日書き込まれる内容に対して読んでは考えて書き込みします。わからないことはたくさんでも、私も私なりには考えて毎日、時を過ごします。
hpもここも一緒に歩んでいく場かもしれないと思います。もりけんさんとそこに集う人達と一緒に。。。です。
もりけんさんとのメールのやり取りだけで終わってしまえば、他の人達がそこに入って一緒に歩むことはありません。
公開することで皆で歩くことが可能になるのだと思います。
もりけんさんが船井さんのことも公開でされるのも、船井さん、船井さん関連の人達、そして、hpに集まる人達、皆で歩いていこうという気持ちがあるからではないかと思っています。

[C1420] 船井氏について

昨日5月18日付けメールを貼り付けます。


森田 健 様

前略 突然のメール送信、ご無礼の段お許し願います。 小生、「こうもり」というハンドル
ネームにて、貴ホームページやブログに書き込みをさせて頂いている者です。 

この度、このようなメールを不躾に送信致しますのは、もしや船井氏側に情報が漏れてはなら
ないようにと、少しいらぬ心配をしたからです。 といっても、小生が重要な情報を握ってい
るわけではもちろんありません。 ですから、大したことは書けないと思います。 
森田様は、きっと何を馬鹿なことをとお思いになるでしょう。 しかしながら、森田様にどの
ように評価されようとも、今の小生にとりましては、さして問題ではなくなりました。
十分に書けたか?・・・そして、このメールを実際に送ったか? それだけが、小生には大事
であります。

白状いたしますと、小生は「船井氏が森田様に会う可能性はない」と常々考えておりました。
森田様がブログやホームページで、アポ取りのFAXを送る旨を書かれたその時から、そのよう
に感じておりました。 なぜなら、船井氏の考え方がわかるような気がしたからです。
もちろん、それは、小生と船井氏が同レベル(?)を意味するからかもしれません。
もしそうならば、笑うべき戯言を小生は今書いていることになりますが。

宮本武蔵の原作では、巌流島の決闘とは、そもそも誰が望んだ試合だったのかがハッキリしま
せん。 武蔵が小次郎に挑戦状を叩きつけた様子もありませんし、その逆もなさそうです。
周りが勝手に盛り上がり、巌流島の決闘が仕組まれたようにも見受けられます。
それでも、武蔵も小次郎も当然のように闘いました。 しかし、船井氏は・・・?
小生には、船井氏が森田様との闘いのリングに上がってくるとは思えませんでした。
それは、昨年10月のFOW以降、船井氏が見せたあの冷酷な処置(氏のホームページのプログ
ラムから森田様と神坂様を削除したこと、密着DVDの発売を相談もなくとりやめたこと)を考
えますと明白に思えました。 そして、今後とも、船井氏は森田様とヤリ合う考えはないだろ
うとも。

森田様は、船井氏をホームページの中でお斬りになりました。 しかし、船井氏は、森田様を
”切った”のかもしれません。 関係を絶った、とも言えるでしょうか・・・あれは、船井氏
が森田様ことを本に書いて紹介する以前のことだったと思います。 船井氏は「ヒトラーの法
則」なるものを自身の本に書いたことがありました。(1日がかりで調べましたが、どの本に
書いてあったのかは不明です) 船井氏によると「ヒトラーの法則」のうちの一つは、次ぎの
ようなものでした。

「トップは、何があっても間違いを認めてはならない」

トップが一度でも誤りを認めて謝罪してしまえば、カリスマ性が失われ、リーダーシップどこ
ろではなくなる・・・だから、トップはどんなことがあっても謝罪してはならない、というも
のだったと記憶します。(数年前でしょうか、小泉首相の「人生いろいろ発言」がヒンシュク
を買った折り、首相は絶対に謝りませんでした、あれと同じだと思います) このような考え
方も必要である、と船井氏は自著に述べていたと思います。 ですから、船井氏が森田様との
関係を切ってきたとき、小生は、船井氏は絶対に謝罪するつもりはないのだと強く感じました。 

もっとも、森田様は謝罪を求めておられる訳ではないと思います。 ただ、船井氏の面前で、
思いの丈を述べたいだけであり、陰で悪口を言うような真似はしたくないのだと。
そして、出来ることなら、時空について語り合いたいだけだと。 森田様のそのような引けな
い想いは、下位のプライドだと思いました。 しかし、残念ながら、小生には、船井氏には上
位のプライドしかないように見受けられます。 だとしたら、そのギャップがあまりにも辛い
です。

さて、もし船井氏が上位のプライドだけならば、言い換えるなら、船井氏が世間体しか気にし
ていないのならば、下記の三つの事実がとても気になるはずだと思いました。

1)船井氏は、森田様に無断で生まれ変わりの村の情報を自身の本に書きした。

2)しかも、船井氏はその情報を自分に都合よく解釈し、森田様の仮説とは違った見解へと
  勝手に結論づけて、自説(カルマ論)を本の中で述べてしまいました。

3)何よりも、中国の各情報提供者の意見も完全に無視された形になりました。

(大きく分ければ、この三点でしょうか・・・)
(すみません、調査にかけた時間とお金と手間については、便宜上省略させて頂きます)

上記三点は、船井氏にとっては、喉に刺さった小骨かもしれません。 いえ、それではあまり
りにも軽すぎます。 スネに負った傷とも言えると思います。 可能なら、世間様には、この
ような事実があったことを隠し通したいと思うでしょう。 あるいは、一刻も早く、記憶から
消し去りたい弱み、トラウマではないでしょうか?

今後、船井氏が森田様と何らかの形で接点を持てば、上記の三つの事実が船井氏の頭の中に蘇
ります。 接点を持たなければ、思い出さずに済みます。 船井氏とて、苦い思い出は記憶か
ら消し去りたいのだと思いました。 そういう楽な方へ逃げるかの姿勢は、最近の船井氏の記
述や、森田様への返答にもよく表れていると思います。 さらに、それを無理にでも、自分を
正当化して書いているところが、小生は何とも嫌です。

いずれにせよ、小生には、お二人が会う機会が来るとはなかなか思えません。
(このような書き方をして、申し訳ございません)
そして、気になるのは、船井氏の取り巻き連中の存在です。 リスクマネージ・・・なんとか
と言うくらいですから、一度負ったスネ傷をこれ以上悪化しないように、何かと警戒している
ことでしょう。 問題が大きくなって、先の三点が世間に知れ渡ることによる、船井氏のイメ
ージダウンだけは避けたいところでしょう。 船井氏の取り巻きは、昨年10月から、不思議
研究所のホームページをつぶさに見ていたであろうし、ブログも当然チェックしていると思い
ます。 彼らも雇われている立場上、自分たちのボスを必死に守ろうとするでしょう。
従って、船井氏と対面しようにも、そして、船井氏が会う気持ちになったとしても、彼ら取り
巻き連中は、NOというカードしか出さないと思います。 その結果、森田様が下位のプライド
を胸に、いくら船井氏と会おうとしても、その望みはことごとく叶わないのではないかと危惧
します。 著作権の問題や、あるいは、名誉棄損などの法律の問題として彼らはすでに捉えて
いて、その準備にも余念がないのかもしれません。

ああ、しかしです。 小生がこんなことを書いてみたところで・・・森田様は全て理解してお
られるのではないでしょうか。 馬鹿みたいに、小生が書くことではありませんでした。 
加えて、森田様には六爻占術の名手であり、状況はお見通しでありましょう。 船井氏に会え
ぬなら、運命変更をかける(森田様を通して、時空が変更をかける?)ことも可能なのだと思
います。 しかし、実際には、運命変更をかけておられるようには見えない・・・(過去、バ
イクで事故を起こすのがわかっていながら、そのまま何も変更されなかったのを覚えています)
そして、小次郎の戦法を採るかのようなご発言もありました。 加えて、お二人の来生での因
縁(?)についても、触れておられました。(この問題は、来世にも引きずるのでしょうか?)
森田様は小生には難し過ぎます。 森田様の悔しお気持ちがわからないのではないのです。
ただ、森田様を理解するのはとても難しくて、どう対応すべきか迷うことが多いです。 

いけません、最後は何やら言い訳がましくなりました。 大して意味がないことをだらだらと
書き連ねているだけにも思えます。 そして、森田様の味方というには、小生は余りにも役立
たずです。 佐助など足許にも及びません。 それは自覚しております。 しかしながら、こ
の問題に気を揉み、最後には、森田様が満足する形で終了して欲しいと望む人間もおります。

長く書きすぎました。 本日のブログのテーマは「誰か知ろう」。 いつも、画期的、革命的
な解説をありがとうございます。(革命はお嫌いでしたね) 森田様の百尺下の水の心とその
深さは計り知れません。 でも、いつかは理解したいと密かに執念を燃やしているところです。
乱文乱筆ご容赦くださいませ。

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