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[C1801] 未来を生きる

この言葉にひかれました。
「今を生きる」この言葉に踊らされていたような・・勝手に踊っていただけですが。。

今をちゃんと生きてたら、未来も素敵になるような感じがしていました。
よく考えると、どうちゃんと生きるのか、そこに焦点がいってないことに気づきました。

未来を生きるってことが、今なにをすべきなのかってことを考えながら生きることなのか・・と思いました。

[C1602] 引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさ

武蔵の用意周到さすきでっす♪♪自分がぬけてるとこおおいからですが・・・ああ~やはり。。ぼけはたいせつでっすうう~~♪♪。。ボケがないと。。。つっこめましぇ~~んん。。。最前線でのボケかまし~~こそが突き抜ける第一歩かもしれましぇ~~ん♪♪てへへへ~~「なんでやね~~んん♪♪」
  • 2006/05/24-17:19:20
  • 投稿者 : バニー
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[C1551] 巌流島における意識と無意識

武蔵は勝つことに執着していたように感じました。ここで紹介されているように、策が色々とあるからです。
一方小次郎は今のところ、剣を一生懸命極めようとしていたのかと思いました。
執着は意識しているから執着出来ると思います。
剣を極めるということは、無意識の世界が重要になるとおもいます。理由は、「極める」という行為は何も考えないですばらしい事、物ができるという事のように思うからです。
  • 2006/05/23-11:45:39
  • 投稿者 : すーりん
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[C1548] >巌流島における意識と無意識

小次郎の無意識とは「体が自動的に反応する」というのに近い気がします。
ツバメ返しはツバメの飛行軌道に対して、意識する時間よりも前に体が動くように自己調整していったような気がするのです。

と考えていくと、なんだかパブロフの犬状態に思えます(汗)。

一方、武蔵はどうかと考えると、体が自動的に反応するよりも、体がどういう反応してもいいように周囲の環境から色々設定していたような気がします。

いわば、無意識はあるけれどもそれを無視しているというか。自分がどういう体位で反応してもいいようにベッドメイキングしているような感じでしょうか(爆)。

外側からの反応に対する捉え方がまったく正反対な気がします。

外側を無意識的だとして自分が無意識に反応するように設定したのが小次郎。
外側が意識的だとして自分の周囲を意識的に設定していったのが武蔵。

ちょっと違うか・・・

武蔵はまるで自分の行動など信用していない、あるいは無視しているようにも見えてきます。

[C1547] >巌流島における意識と無意識

 ツバメ返しという必殺技を会得して無意識のうちにも剣をあやつるところまでのぼりつめた小次郎は剣によって彼の今をみつめていたかもしれません、しかし剣の道で何が可能であるかということをつきつめて考えていなかったのかもしれません、彼にとっての今は剣の技のみであって、技がすべてで、今日は昨日の続きで明日は今日の続きのような今をみていたのかもしれません。剣の道からその先を見つめて、人間までも見据えていた武蔵はどんくさくガリベンのごとく様々な角度から剣の道について考えていたのかもしれません。無意識の世界を意識のレベルで考えることを武蔵はしたのかもしれません。
  • 2006/05/23-05:58:45
  • 投稿者 : yk
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[C1546] >巌流島における意識と無意識

小次郎は決戦当日は、意識が邪魔をしないように、
意識を一つの方向ガチガチに決めて、特訓をしていたように見えました。
小次郎が予測した通りに武蔵が動いてくれれば、問題は無いですが、
それは当日になってみなければわからない、一か八かの感じがします。
一か八かという状態は、かえって無意識が上手く働かないような気がしました。
武蔵は、決戦当日に無意識が上手く働くように、決戦前から意識を一箇所
に固めないで、あらゆる方向性から考えることをしたのだと思いました。
あらゆる方向性から考える、方向を限定しないことによって、
無意識が自由に働くように思えました。

[C1545] 氷山の一角と底辺

無意識が小次郎でトレンドということは、どうもピンとこないです。もしも二人を表現するとしたら、心理学での無意識についての説明で、よく例えられることですが、もし氷山に例えると、水の上に現れてる部分が小次郎、水面下に隠れている部分が武蔵というイメージです。
考えてから動くのは、剣では、絶対に間に合わないで、
命取りなので、二人ともに、剣を持ったら、反射神経とか動体視力とか、すべてが超一流として、体に染み込んで反射的に適切な動きができたとしたら、残るは、あの妖怪サトリの話みたいな世界です。その何でも相手の思うことがわかってしまう妖怪は、捕まえようとすればするほど考えを読まれてしまい、捕まえられず、逆に、無意識になり、手元の仕事に集中した時の、予期出来ない、偶然の出来事によって、サトリに勝ってしまう話ですが、武蔵は、起こりうるあらゆることが、自分の優位に偶然が働くように、意識的に、そのお膳立を、考えに考えという気がします。氷山の水面下のような、こういう大きな見えない部分を、味方につけることができるように、意識的に働きかけた人物です。無意識と意識、を連動し、それにプラス孤独によって、毎日の何気ない日常を、「今ここ」の修練の場にしていた人のように思えます。彼にとっては、孤独は必要なものであって、忌み嫌うものでなく、意識は相手に、読まれてしまうものであって、危険の種をはらんでいて、意識的に無意識を太らせて、つまり剣以外での、日差し、帰り際の引き潮などという、見えない部分お膳立てをしたあと、天と己を信じて、無意識を縦横無尽に働かせることが出来た人、綿密に計算し考え準備した意識性ゆえに、無意識に対して、身を任せ、ハンドルを手放せることが出来た人、とか言えるかもしれません。

[C1544] 武蔵は今に生きていなかったか?

いいえ武蔵は今に生きていたと思います。
確かに準備万端用意周到にやったかもしれません。
それは未来に生きていたかもしれません。

しかし小次郎と相対した時、その瞬間に生きていたと思います。
太陽の向きだの、櫂の長さを隠すのだの、確かに考えてはいたけれど、それは意識と無意識が同時に存在していたような気がします。
だから小次郎に勝てたのではないでしょうか・・。

小次郎は今を生きる無意識の剣の技を鍛えたかもしれないけれど、未来に生きる意識の世界をなおざりにしたのかもしれません。

それはピンポイントの視点で試合に臨んだことと同じで、視点の広がりを持てなかったのは、自分には大勢の後ろ盾がおり、相手はただひとりという局面が油断もしくは驕りを生んでいたのかもしれません・・。

大勢対ひとり・・・
まるで船井さんに会いに行こうとするもりけんさんみたいなシチュエーションだと思いました。

[C1543] >巌流島における意識と無意識

>引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさって武器を探したり・・つまり無意識以外の部分で準備を重ねていました。


武蔵は用意周到だと思います。
この用意周到さは、もりけんさんみたいだ・・と思いました。

武蔵ももりけんさんも、意識の部分を大切にしているのだと思います・・
そして、やれることを、あらゆる方位から見て、すべてやりつくしている・・

しかし、小次郎が磨いたのは、
剣の技だけでした。

意識の世界を超え、
無意識に身体が動くまで、
練習に練習を重ねたのだと思います。


あらゆる方位から、用意周到な準備をするには、意識の関与が大きいと思いました。


一方、小次郎は、剣の技を磨くという一点で、攻めました。
その一点が、無意識の領域にたっするまで・・


[C1542] >巌流島における意識と無意識


小次郎にとっての無意識は個に閉じられていた感じがします。
あるいは、ツバメと小次郎だけ、剣だけの世界です。
 
一方、武蔵の無意識は全方位につながっていた気がします。
潮、太陽、櫂・・
それは問い(意識)によってあらゆる準備を重ねていたからではないかと思います。
 
実際の試合では、小次郎も武蔵も無意識で動く部分が多かっただろうと思いますが、全方位につながっていた武蔵のほうが、より動けたんじゃないかと思いました。
 
意識と無意識の両方を使っていた武蔵は、六爻占術師のようだと思いました。

[C1541] 意識と無意識について

意識すること緊張することがあります。電車に乗っていて綺麗な女性が隣に来たときなどは、もう大変です。意識することプラス妄想(いけないこと)まで働いてしまいます。無意識の世界は、酔っぱらっても何故か家にたどり着いていたようなイメージです。毎日帰る家なので習慣として、家にたどり着くのだと思います。武蔵は意識を使って巌流島の状況を想定して、無意識でも動けるように落とし込んだのではないでしょうか。酔っても何故か家についているかのように

[C1540] >青春を無駄にして、受験勉強に明け暮れるようなものです

武蔵が準備を重ねたことは鈍くさい男・・・とも見えてしまいました。
コツコツと地味な行動の積み重ねです。


でも、準備ができるということは逆に言えば何を準備すれば良いのか知っていないとできません。ということは、将来起こりえる可能性のあることが見えていたことになると思いました。

勝負の時は、無意識で臨むと一発勝負に賭けるという感じがします。意識的に臨むことは、自分の中で計算された試合展開があることだと思いました。

日常に起こることをずべて意識的に処理はできないし無意識でも処理できないと思います。意識と無意識が交錯しているのだろうと思いました。でもその切り替えが自分でも分かりません。

[C1539] >青春を無駄にして、受験勉強に明け暮れるようなものです。

合格するためと勝つため。
受験勉強に明け暮れることと、考えつく準備はとにかく全部やっておくこと。
 
確かに似てると思いました(汗)
 
もしかしたら使わないかもしれないし有効ではないかもしれない準備でも
整えておくというのは、未来に備えた保険という感じもします。
  
今に生きていたら一発必中で、二発目三発目は無さそうです。
でも未来に生きていたら、一発目がダメなら二発目、それがダメなら
三発目と続くんだろうと思います。
 
>生き方からすれば、小次郎のほうがトレンディではないでしょうか・・。
 
巌流島で小次郎が勝っていたら、さぞかしカッコ良かっただろうと思います。
 
砂の上に武蔵が倒れている。。。小次郎が剣を抜いた瞬間を見た者は誰もい
なかった。。。なんてことになっていたかもしれません。
 
今に生きていたら一発必中で、二発目三発目は無さそうです。
でも未来に生きていたら、一発目がダメなら二発目、それがダメなら三発目
と、カッコ悪いけど何度でもトライ出来るんだろうと思います。

[C1538] >青春を無駄にして、受験勉強に明け暮れるようなものです。

小次郎のほうが性格とか見た目は今風と思うんですが、今を生きているということに関しては、武蔵だって同じなのではって思いました。武蔵のほうが性格も古風っぽいし、周到に準備するのは、とても地味な積み重ねで、やることは意識的にやっているけれど、でも、戦う、ということになって、「引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさって武器を探したり」ということをしようと思いつくのは、無意識からのプッシュがあったからなのではないかと思います。戦う前の準備が習慣になっていたとしても、海岸で戦ったことなかったと思うし、海岸でどう戦うかっていうアイデアの抽出は、無意識からではないかと思いました。未来のためでも、今アイデアを考えていることは、今を生きているってことじゃないかと思うんですが‥


小次郎の、ただ与えられた条件に、体が動くままに対応、というのだと、仕事の処理技術だけを磨いておいて、上司からもらった仕事を、どれだけ美しく完璧に完了できるか、みたいな気もします。小次郎って、上司がよければ宮仕えに向いてるかも。(武蔵と比べてやっぱり仕官に向いてる印象)剣技をきわめるのも、剣だけの目的じゃなくて、仕官することとか、有名になったりする未来っていうのも思い描いていたろうし、その瞬間は今を生きていても、剣の腕を磨くのは未来のためだったとも思います。
  • 2006/05/22-16:51:26
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1536]

・・・・・・・
しかし・・・・どうも武蔵が無意識で、小次郎が意識で動いてるような
気がするのはどうしてなのだろうか・・・・・・・

?(゜_。)?(。_゜)

[C1535] 武蔵の行動は、

バリバリ意識的・・です。
それに比べると、小次郎は無意識に働きかけるような
行動です。
意識せずとも相手を切れるようになる練習・・。
まさに、今を生きる・・。
でも先を見ていた意識的な武蔵の行動が、
実は無意識に知らないうちに働きかけていて、
ジャンプさせたりするのは、とても不思議です。
今を生きる・・が負けちゃうのは何故?!
勝負に焦点を合わしていないからかな・・・、
それ以上のものが出てこないからかな・・・謎だ。
  • 2006/05/22-15:36:07
  • 投稿者 : まる
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[C1534] >無意識

小次郎が身につけたのは“かみわざ”といえるほど高度な剣術だったのだと思います。
それは無意識の域に達して初めて可能な技なのでしょう。
自分にそれが備わったと気づき、自在に扱えるようになったとき、小次郎は我に敵なしと慢心したのだと思います。
対して武蔵は、さまざまな視点からなりふり構わず準備に明け暮れる姿が無心ゆえなのだと思います。
誰かや何かからアドバイスされたわけでなく、無意識に360度見渡している感じです。
だとすれば、小次郎の無意識は縦方向で、武蔵の無意識は水平方向ということになってきました。
無意識のうちに、私ももりけんさんに染められつつあるような気がしました・・

[C1532] 生き方からすれば、小次郎のほうがトレンディではないでしょうか・・。

確かに精神世界的にはトレンディかもしれないけど、精神世界の人だって、誰かが意識的に開発して発展してきた社会でモノを使い生きています。

プロの競輪選手は潜在的には素晴らしい力を発揮することができます。
数日後の試合を前にして、自転車の乗り方を一から始めるひとはいません(というか、相手にされないけど)

小次郎が競輪選手だったとしたら、きっとタイヤを一回り大きくし、その自転車を乗りこなす術を潜在的に埋め込ます修行をしたと思います。
だから小次郎にも未来に生きる意識を持ち合わせているはずです。
しかしその意識とて、自分ひとりを極めるという発想の域から出ていないように思います。
意識は自分を向いている・・・
まさに精神世界的なポジションだと思います。
自分が変われば(強くなれば)まわりが変わる(勝負に勝つ)

ところが、武蔵の意識は外側に向いていたと思います。
競輪選手でいえば、ヘルメットを流線型に削り、現実には有り得ませんが競輪場に遅刻し、スタート位置を変え・・本番でさえ実に技術的です。

そしてそういう技術的な外側を変えたり味方に(利用)したりすることのほうが、サル社会ではどうか知りませんが、人間社会では爆発的に広まりました。
改良も素早くできるし、質も向上し、記録も伸ばしました。
それはスポーツ界だけでなく様々な人間社会の場面で証明されています。

百匹目のサル現象を起こそうっていう主張に共感している人は、きっともう100人以上いるでしょうに、なんでいまだに世の中は変わらないんでしょうね?
悪いことして設けたいって人だって100人以上いるでしょうに、なんで爆発的に悪人社会にならないんでしょうか。

小次郎みたいな人が100人いるのも面白いけど、武蔵のようにいろいろ考えて楽しませてくれる人が100人いたほうが数百倍も面白いです。
小次郎や精神世界の指導者が死んでも残るものは頼りないですが、武蔵が死んで残すものには確かな存在感があると思います。

無意識の位置はわかりませんが、意識はやはり「外側に問う」ということに使う道具なのかなと思いました。

[C1530]

 > 引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさって武器を探したり・・つまり無意識以外の部分で準備を重ねていました。
 なぜ、武蔵は準備を重ねたのかなと思いました。「やばいなぁ」と感じてたのではと思います。小次郎の長剣。予想される多数の敵。「なんとかなるだろう」と思えなかったからでは思います。自然とその対策を考えざるをえなかったと思います。

 一方小次郎の方は、腕だけなら五分五分、勝負は時の運みたいな判断があったのでは思います。勝ったとしても何の不安もない状態だったし。
 小次郎にはそのときのとっさの対応がよければ勝負はいけるという判断があったと思います。

 武蔵は、策を十分にたててやっと小次郎と五分五分、あるいは勝てるかもしれないという状態にもっていったのではと思います。

 勝負のときは武蔵も無意識の世界だったんのではと思います。一瞬が決め手になる場面で意識を働かせるというのはないのではと思います。相撲の勝った人のインタビューで「どうやって勝ちましたか」という質問に対して「よく覚えていません」と昔テレビで見ましたが武蔵もひょっとしてその瞬間の記憶はないくらい意識はないのではと思います。あるいは第三者のような目で勝負を見ているようなそんな境地だったのではと思います。(想像です 汗)
 
 厳しい状況から策を十分考えた武蔵の行動もある意味、勝って生き残るのだという無意識がもたらしているのではとも思います。

 剣の勝負に関しては、無意識対無意識だったとも考えられるかなと思いました。

 

[C1529] >巌流島における意識と無意識

武蔵も用意周到の上で、今に生きていたのだとは思うのですけど。。でなければ、船に乗る前に絵とか描くことが出来るとは思えません。
また、小次郎だって、戦いを想定した上で、ツバメ斬る練習とかしていると思います。
未来を見据えて何かをするというのが意識を使うことでで、今を生きるというのは無意識を最大限使うということではないかと思います。
誰しも、どちらか一方ということはなく、どちらもやっていることではないかと思います。



[C1527] 意識と無意識

朝、このブログを見ると、昔のお話なのに
とても新鮮に感じられ、話にのめり込んでゆきます。
まるで自分が「小次郎」のように、そして「武蔵」のように
(たぶん「佐助」が近いだろうとか、笑)
自分の中に何かが息づくような錯覚を覚えます。
そして、とても新鮮に感じられるのですが・・・もりけんさんが
提示する「問い」はクラッシックであり、ベーシックだと
(トレンディの反対語がわかりません、汗)
思うのです。
それは決して、古くさい(汗)とかそうゆうものではなく、
むしろ深く心に、うったえかけてくるようです。
どんな「問い」の中にも、同じ「問い」が隠されているような(?)
そんな不思議な気持ちにおそわれます(汗)
私が、このブログを見て投稿する時、まず読んでから
タイトルを入れて(時に、タイトルはあと)
書きます。はじめは、意識して、もりけんさんの視点からそれない
ようにしている(つもり?)ですが、書き進めてゆくうちに、
どんどん話がそれたり、飛躍してゆくように「感じる」時があります。
ですが・・・読み返してみると「物理の法則」はでてきていません(汗)
そしてなんか文系チックな(笑)なんか似たようなことしか出てきて
いません(爆)
得意なものだけ、とゆう感じです。
だから、武蔵のように色んな可能性を考えて、淡々と用意を進めて
いくことが・・・憧れです。
「出来ない・・・」といいつつ、少しはやろう!(爆)
まるで、試験前に「ぜんぜん勉強してないんだよなあ~」といいながら
テストの点が、ばっちりなように・・・(汗)
でも私はいつも「やったよ!」と言ってやってない・・・(悪)
でも・・・・少しは、やる(なにお?)(すごい、汗)
|д゚)カンサツ… (官殺)おぼえた!



[C1526] >巌流島における意識と無意識

>彼は無意識に動く技で勝とうとしていたのだと思います。
何度も練習をして、無意識のうちに体が動くよう、体に覚えこませていたと思います。

>つまり無意識以外の部分で準備を重ねていました。
武蔵は先の状態を予測して、自分に有利な場を作るような準備をしていたと思えます。

小次郎は、場が変わっても、どんな環境になっても、自分の腕が無意識でもちゃんと動くように、ウデ一本で勝てるように、とがんばって剣を振ってたと思います。。
一方武蔵は、一振りが確実に決まるような場を意識的に整えていたように思います。

前のお話で、佐助の前倒し・・というのは、武蔵にも当てはまると思いました。
前倒しというのは、用意周到ともいえると思ったからです。
そして、佐助は無意識だった・・というのも、そうだろうなあと思いました。
なので、武蔵も無意識だった・・と思ったのですが、今回のお話で、小次郎が無意識・・となっていたので、ちょっとあせりました(汗)。

でも、準備段階で、無意識の練習をしていた小次郎ですが、はたして戦いの場でそれが発揮できたのか・・と考えると、武蔵の策略で、無意識状態に入れなかったのかも・・と思いました。
また、武蔵は、準備中は意識的にやっていたけど、用意周到、準備万端、計算しつくされた場にはいった時・・もしかしたら、武蔵は無意識の領域に入ったのではないか・・自然に体が動いたのではないか・・とそんな風に思いました。
(あせったので、ちょっと無理に持っていったかも・・)

>小次郎のほうがトレンディ
先のことは考えず今がよければいい・・というのは確かに今風です(^_^;)。
ドラマでの小次郎がすっごくかっこよかったので、トレンディということばもやたらぴったりくるように思ってしまいました。

[C1524]

>|д゚)カンサツ…
こ、このように武蔵と小次郎を眺めた事はありませんでした。声もうわずります。「ガリ勉・武蔵 vs デキスギ君・小次郎」に見えてきました。。そうなのか?この戦いは。。(汗)ウ~~ん。。唸るしかナイです。。
 
>生き方からすれば、小次郎のほうがトレンディではないでしょうか・・。
 
しかもトレンディって。。参りました。小次郎がトレンディ。。う~ん新感覚です。すると武蔵は古くさくて地道で。。「プロファイリングとかできる。。デキルandイケてる刑事(小次郎) vs 地道足で捜索の執念の現場オヤジ刑事(武蔵)」とかにも見えてきました。。なんというかどっちがイイとか悪いとかでなくて違いすぎます。。剣を交えながらも。。全くの異種格闘技戦とかだったのだなと思いました。小次郎と武蔵の戦いというのは。。う~~ン最近例えに驚かされてしまいます。。全方位だとこう見えるのかと思って。。トレンディとか。。受験勉強とか。。なんか武蔵☆小次郎で同人誌とかつくりたくなりました。。うがー!

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巌流島における意識と無意識

 前回では、無意識という話が出ました。
 これを武蔵の話に照らせて、もう少し考えてみたいと思います。
 
 小次郎は岸壁に立って、ツバメ返しの技を磨いていました。
 コンマ何秒の世界だと思いますので、意識した時はすでにツバメは通り過ぎているはずです。
 
 小次郎がその技を極めていたことは、彼は無意識に動く技で勝とうとしていたのだと思います。
 剣の世界では当然のことだと思います。
 
 しかし武蔵はどうでしょうか・・。
 引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさって武器を探したり・・つまり無意識以外の部分で準備を重ねていました。
 
 精神世界に「今を生きろ」という言葉があります。
 小次郎は、それで生きていたと思います。
 
 でも武蔵はどうでしょうか・・。
 彼は未来に生きていたと思います。
 青春を無駄にして、受験勉強に明け暮れるようなものです。
 でもそういう時代ではありません。
 
 生き方からすれば、小次郎のほうがトレンディではないでしょうか・・。
 
 しばらく、意識と無意識について考えてみたいと思います。
 
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23件のコメント

[C1801] 未来を生きる

この言葉にひかれました。
「今を生きる」この言葉に踊らされていたような・・勝手に踊っていただけですが。。

今をちゃんと生きてたら、未来も素敵になるような感じがしていました。
よく考えると、どうちゃんと生きるのか、そこに焦点がいってないことに気づきました。

未来を生きるってことが、今なにをすべきなのかってことを考えながら生きることなのか・・と思いました。

[C1602] 引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさ

武蔵の用意周到さすきでっす♪♪自分がぬけてるとこおおいからですが・・・ああ~やはり。。ぼけはたいせつでっすうう~~♪♪。。ボケがないと。。。つっこめましぇ~~んん。。。最前線でのボケかまし~~こそが突き抜ける第一歩かもしれましぇ~~ん♪♪てへへへ~~「なんでやね~~んん♪♪」
  • 2006/05/24-17:19:20
  • 投稿者 : バニー
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[C1551] 巌流島における意識と無意識

武蔵は勝つことに執着していたように感じました。ここで紹介されているように、策が色々とあるからです。
一方小次郎は今のところ、剣を一生懸命極めようとしていたのかと思いました。
執着は意識しているから執着出来ると思います。
剣を極めるということは、無意識の世界が重要になるとおもいます。理由は、「極める」という行為は何も考えないですばらしい事、物ができるという事のように思うからです。
  • 2006/05/23-11:45:39
  • 投稿者 : すーりん
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[C1548] >巌流島における意識と無意識

小次郎の無意識とは「体が自動的に反応する」というのに近い気がします。
ツバメ返しはツバメの飛行軌道に対して、意識する時間よりも前に体が動くように自己調整していったような気がするのです。

と考えていくと、なんだかパブロフの犬状態に思えます(汗)。

一方、武蔵はどうかと考えると、体が自動的に反応するよりも、体がどういう反応してもいいように周囲の環境から色々設定していたような気がします。

いわば、無意識はあるけれどもそれを無視しているというか。自分がどういう体位で反応してもいいようにベッドメイキングしているような感じでしょうか(爆)。

外側からの反応に対する捉え方がまったく正反対な気がします。

外側を無意識的だとして自分が無意識に反応するように設定したのが小次郎。
外側が意識的だとして自分の周囲を意識的に設定していったのが武蔵。

ちょっと違うか・・・

武蔵はまるで自分の行動など信用していない、あるいは無視しているようにも見えてきます。

[C1547] >巌流島における意識と無意識

 ツバメ返しという必殺技を会得して無意識のうちにも剣をあやつるところまでのぼりつめた小次郎は剣によって彼の今をみつめていたかもしれません、しかし剣の道で何が可能であるかということをつきつめて考えていなかったのかもしれません、彼にとっての今は剣の技のみであって、技がすべてで、今日は昨日の続きで明日は今日の続きのような今をみていたのかもしれません。剣の道からその先を見つめて、人間までも見据えていた武蔵はどんくさくガリベンのごとく様々な角度から剣の道について考えていたのかもしれません。無意識の世界を意識のレベルで考えることを武蔵はしたのかもしれません。
  • 2006/05/23-05:58:45
  • 投稿者 : yk
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[C1546] >巌流島における意識と無意識

小次郎は決戦当日は、意識が邪魔をしないように、
意識を一つの方向ガチガチに決めて、特訓をしていたように見えました。
小次郎が予測した通りに武蔵が動いてくれれば、問題は無いですが、
それは当日になってみなければわからない、一か八かの感じがします。
一か八かという状態は、かえって無意識が上手く働かないような気がしました。
武蔵は、決戦当日に無意識が上手く働くように、決戦前から意識を一箇所
に固めないで、あらゆる方向性から考えることをしたのだと思いました。
あらゆる方向性から考える、方向を限定しないことによって、
無意識が自由に働くように思えました。

[C1545] 氷山の一角と底辺

無意識が小次郎でトレンドということは、どうもピンとこないです。もしも二人を表現するとしたら、心理学での無意識についての説明で、よく例えられることですが、もし氷山に例えると、水の上に現れてる部分が小次郎、水面下に隠れている部分が武蔵というイメージです。
考えてから動くのは、剣では、絶対に間に合わないで、
命取りなので、二人ともに、剣を持ったら、反射神経とか動体視力とか、すべてが超一流として、体に染み込んで反射的に適切な動きができたとしたら、残るは、あの妖怪サトリの話みたいな世界です。その何でも相手の思うことがわかってしまう妖怪は、捕まえようとすればするほど考えを読まれてしまい、捕まえられず、逆に、無意識になり、手元の仕事に集中した時の、予期出来ない、偶然の出来事によって、サトリに勝ってしまう話ですが、武蔵は、起こりうるあらゆることが、自分の優位に偶然が働くように、意識的に、そのお膳立を、考えに考えという気がします。氷山の水面下のような、こういう大きな見えない部分を、味方につけることができるように、意識的に働きかけた人物です。無意識と意識、を連動し、それにプラス孤独によって、毎日の何気ない日常を、「今ここ」の修練の場にしていた人のように思えます。彼にとっては、孤独は必要なものであって、忌み嫌うものでなく、意識は相手に、読まれてしまうものであって、危険の種をはらんでいて、意識的に無意識を太らせて、つまり剣以外での、日差し、帰り際の引き潮などという、見えない部分お膳立てをしたあと、天と己を信じて、無意識を縦横無尽に働かせることが出来た人、綿密に計算し考え準備した意識性ゆえに、無意識に対して、身を任せ、ハンドルを手放せることが出来た人、とか言えるかもしれません。

[C1544] 武蔵は今に生きていなかったか?

いいえ武蔵は今に生きていたと思います。
確かに準備万端用意周到にやったかもしれません。
それは未来に生きていたかもしれません。

しかし小次郎と相対した時、その瞬間に生きていたと思います。
太陽の向きだの、櫂の長さを隠すのだの、確かに考えてはいたけれど、それは意識と無意識が同時に存在していたような気がします。
だから小次郎に勝てたのではないでしょうか・・。

小次郎は今を生きる無意識の剣の技を鍛えたかもしれないけれど、未来に生きる意識の世界をなおざりにしたのかもしれません。

それはピンポイントの視点で試合に臨んだことと同じで、視点の広がりを持てなかったのは、自分には大勢の後ろ盾がおり、相手はただひとりという局面が油断もしくは驕りを生んでいたのかもしれません・・。

大勢対ひとり・・・
まるで船井さんに会いに行こうとするもりけんさんみたいなシチュエーションだと思いました。

[C1543] >巌流島における意識と無意識

>引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさって武器を探したり・・つまり無意識以外の部分で準備を重ねていました。


武蔵は用意周到だと思います。
この用意周到さは、もりけんさんみたいだ・・と思いました。

武蔵ももりけんさんも、意識の部分を大切にしているのだと思います・・
そして、やれることを、あらゆる方位から見て、すべてやりつくしている・・

しかし、小次郎が磨いたのは、
剣の技だけでした。

意識の世界を超え、
無意識に身体が動くまで、
練習に練習を重ねたのだと思います。


あらゆる方位から、用意周到な準備をするには、意識の関与が大きいと思いました。


一方、小次郎は、剣の技を磨くという一点で、攻めました。
その一点が、無意識の領域にたっするまで・・


[C1542] >巌流島における意識と無意識


小次郎にとっての無意識は個に閉じられていた感じがします。
あるいは、ツバメと小次郎だけ、剣だけの世界です。
 
一方、武蔵の無意識は全方位につながっていた気がします。
潮、太陽、櫂・・
それは問い(意識)によってあらゆる準備を重ねていたからではないかと思います。
 
実際の試合では、小次郎も武蔵も無意識で動く部分が多かっただろうと思いますが、全方位につながっていた武蔵のほうが、より動けたんじゃないかと思いました。
 
意識と無意識の両方を使っていた武蔵は、六爻占術師のようだと思いました。

[C1541] 意識と無意識について

意識すること緊張することがあります。電車に乗っていて綺麗な女性が隣に来たときなどは、もう大変です。意識することプラス妄想(いけないこと)まで働いてしまいます。無意識の世界は、酔っぱらっても何故か家にたどり着いていたようなイメージです。毎日帰る家なので習慣として、家にたどり着くのだと思います。武蔵は意識を使って巌流島の状況を想定して、無意識でも動けるように落とし込んだのではないでしょうか。酔っても何故か家についているかのように

[C1540] >青春を無駄にして、受験勉強に明け暮れるようなものです

武蔵が準備を重ねたことは鈍くさい男・・・とも見えてしまいました。
コツコツと地味な行動の積み重ねです。


でも、準備ができるということは逆に言えば何を準備すれば良いのか知っていないとできません。ということは、将来起こりえる可能性のあることが見えていたことになると思いました。

勝負の時は、無意識で臨むと一発勝負に賭けるという感じがします。意識的に臨むことは、自分の中で計算された試合展開があることだと思いました。

日常に起こることをずべて意識的に処理はできないし無意識でも処理できないと思います。意識と無意識が交錯しているのだろうと思いました。でもその切り替えが自分でも分かりません。

[C1539] >青春を無駄にして、受験勉強に明け暮れるようなものです。

合格するためと勝つため。
受験勉強に明け暮れることと、考えつく準備はとにかく全部やっておくこと。
 
確かに似てると思いました(汗)
 
もしかしたら使わないかもしれないし有効ではないかもしれない準備でも
整えておくというのは、未来に備えた保険という感じもします。
  
今に生きていたら一発必中で、二発目三発目は無さそうです。
でも未来に生きていたら、一発目がダメなら二発目、それがダメなら
三発目と続くんだろうと思います。
 
>生き方からすれば、小次郎のほうがトレンディではないでしょうか・・。
 
巌流島で小次郎が勝っていたら、さぞかしカッコ良かっただろうと思います。
 
砂の上に武蔵が倒れている。。。小次郎が剣を抜いた瞬間を見た者は誰もい
なかった。。。なんてことになっていたかもしれません。
 
今に生きていたら一発必中で、二発目三発目は無さそうです。
でも未来に生きていたら、一発目がダメなら二発目、それがダメなら三発目
と、カッコ悪いけど何度でもトライ出来るんだろうと思います。

[C1538] >青春を無駄にして、受験勉強に明け暮れるようなものです。

小次郎のほうが性格とか見た目は今風と思うんですが、今を生きているということに関しては、武蔵だって同じなのではって思いました。武蔵のほうが性格も古風っぽいし、周到に準備するのは、とても地味な積み重ねで、やることは意識的にやっているけれど、でも、戦う、ということになって、「引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさって武器を探したり」ということをしようと思いつくのは、無意識からのプッシュがあったからなのではないかと思います。戦う前の準備が習慣になっていたとしても、海岸で戦ったことなかったと思うし、海岸でどう戦うかっていうアイデアの抽出は、無意識からではないかと思いました。未来のためでも、今アイデアを考えていることは、今を生きているってことじゃないかと思うんですが‥


小次郎の、ただ与えられた条件に、体が動くままに対応、というのだと、仕事の処理技術だけを磨いておいて、上司からもらった仕事を、どれだけ美しく完璧に完了できるか、みたいな気もします。小次郎って、上司がよければ宮仕えに向いてるかも。(武蔵と比べてやっぱり仕官に向いてる印象)剣技をきわめるのも、剣だけの目的じゃなくて、仕官することとか、有名になったりする未来っていうのも思い描いていたろうし、その瞬間は今を生きていても、剣の腕を磨くのは未来のためだったとも思います。
  • 2006/05/22-16:51:26
  • 投稿者 : リョウコ
  • URL
  • 編集

[C1536]

・・・・・・・
しかし・・・・どうも武蔵が無意識で、小次郎が意識で動いてるような
気がするのはどうしてなのだろうか・・・・・・・

?(゜_。)?(。_゜)

[C1535] 武蔵の行動は、

バリバリ意識的・・です。
それに比べると、小次郎は無意識に働きかけるような
行動です。
意識せずとも相手を切れるようになる練習・・。
まさに、今を生きる・・。
でも先を見ていた意識的な武蔵の行動が、
実は無意識に知らないうちに働きかけていて、
ジャンプさせたりするのは、とても不思議です。
今を生きる・・が負けちゃうのは何故?!
勝負に焦点を合わしていないからかな・・・、
それ以上のものが出てこないからかな・・・謎だ。
  • 2006/05/22-15:36:07
  • 投稿者 : まる
  • URL
  • 編集

[C1534] >無意識

小次郎が身につけたのは“かみわざ”といえるほど高度な剣術だったのだと思います。
それは無意識の域に達して初めて可能な技なのでしょう。
自分にそれが備わったと気づき、自在に扱えるようになったとき、小次郎は我に敵なしと慢心したのだと思います。
対して武蔵は、さまざまな視点からなりふり構わず準備に明け暮れる姿が無心ゆえなのだと思います。
誰かや何かからアドバイスされたわけでなく、無意識に360度見渡している感じです。
だとすれば、小次郎の無意識は縦方向で、武蔵の無意識は水平方向ということになってきました。
無意識のうちに、私ももりけんさんに染められつつあるような気がしました・・

[C1532] 生き方からすれば、小次郎のほうがトレンディではないでしょうか・・。

確かに精神世界的にはトレンディかもしれないけど、精神世界の人だって、誰かが意識的に開発して発展してきた社会でモノを使い生きています。

プロの競輪選手は潜在的には素晴らしい力を発揮することができます。
数日後の試合を前にして、自転車の乗り方を一から始めるひとはいません(というか、相手にされないけど)

小次郎が競輪選手だったとしたら、きっとタイヤを一回り大きくし、その自転車を乗りこなす術を潜在的に埋め込ます修行をしたと思います。
だから小次郎にも未来に生きる意識を持ち合わせているはずです。
しかしその意識とて、自分ひとりを極めるという発想の域から出ていないように思います。
意識は自分を向いている・・・
まさに精神世界的なポジションだと思います。
自分が変われば(強くなれば)まわりが変わる(勝負に勝つ)

ところが、武蔵の意識は外側に向いていたと思います。
競輪選手でいえば、ヘルメットを流線型に削り、現実には有り得ませんが競輪場に遅刻し、スタート位置を変え・・本番でさえ実に技術的です。

そしてそういう技術的な外側を変えたり味方に(利用)したりすることのほうが、サル社会ではどうか知りませんが、人間社会では爆発的に広まりました。
改良も素早くできるし、質も向上し、記録も伸ばしました。
それはスポーツ界だけでなく様々な人間社会の場面で証明されています。

百匹目のサル現象を起こそうっていう主張に共感している人は、きっともう100人以上いるでしょうに、なんでいまだに世の中は変わらないんでしょうね?
悪いことして設けたいって人だって100人以上いるでしょうに、なんで爆発的に悪人社会にならないんでしょうか。

小次郎みたいな人が100人いるのも面白いけど、武蔵のようにいろいろ考えて楽しませてくれる人が100人いたほうが数百倍も面白いです。
小次郎や精神世界の指導者が死んでも残るものは頼りないですが、武蔵が死んで残すものには確かな存在感があると思います。

無意識の位置はわかりませんが、意識はやはり「外側に問う」ということに使う道具なのかなと思いました。

[C1530]

 > 引き潮の時間を調べたり、太陽の高さを調べたり、海岸をあさって武器を探したり・・つまり無意識以外の部分で準備を重ねていました。
 なぜ、武蔵は準備を重ねたのかなと思いました。「やばいなぁ」と感じてたのではと思います。小次郎の長剣。予想される多数の敵。「なんとかなるだろう」と思えなかったからでは思います。自然とその対策を考えざるをえなかったと思います。

 一方小次郎の方は、腕だけなら五分五分、勝負は時の運みたいな判断があったのでは思います。勝ったとしても何の不安もない状態だったし。
 小次郎にはそのときのとっさの対応がよければ勝負はいけるという判断があったと思います。

 武蔵は、策を十分にたててやっと小次郎と五分五分、あるいは勝てるかもしれないという状態にもっていったのではと思います。

 勝負のときは武蔵も無意識の世界だったんのではと思います。一瞬が決め手になる場面で意識を働かせるというのはないのではと思います。相撲の勝った人のインタビューで「どうやって勝ちましたか」という質問に対して「よく覚えていません」と昔テレビで見ましたが武蔵もひょっとしてその瞬間の記憶はないくらい意識はないのではと思います。あるいは第三者のような目で勝負を見ているようなそんな境地だったのではと思います。(想像です 汗)
 
 厳しい状況から策を十分考えた武蔵の行動もある意味、勝って生き残るのだという無意識がもたらしているのではとも思います。

 剣の勝負に関しては、無意識対無意識だったとも考えられるかなと思いました。

 

[C1529] >巌流島における意識と無意識

武蔵も用意周到の上で、今に生きていたのだとは思うのですけど。。でなければ、船に乗る前に絵とか描くことが出来るとは思えません。
また、小次郎だって、戦いを想定した上で、ツバメ斬る練習とかしていると思います。
未来を見据えて何かをするというのが意識を使うことでで、今を生きるというのは無意識を最大限使うということではないかと思います。
誰しも、どちらか一方ということはなく、どちらもやっていることではないかと思います。



[C1527] 意識と無意識

朝、このブログを見ると、昔のお話なのに
とても新鮮に感じられ、話にのめり込んでゆきます。
まるで自分が「小次郎」のように、そして「武蔵」のように
(たぶん「佐助」が近いだろうとか、笑)
自分の中に何かが息づくような錯覚を覚えます。
そして、とても新鮮に感じられるのですが・・・もりけんさんが
提示する「問い」はクラッシックであり、ベーシックだと
(トレンディの反対語がわかりません、汗)
思うのです。
それは決して、古くさい(汗)とかそうゆうものではなく、
むしろ深く心に、うったえかけてくるようです。
どんな「問い」の中にも、同じ「問い」が隠されているような(?)
そんな不思議な気持ちにおそわれます(汗)
私が、このブログを見て投稿する時、まず読んでから
タイトルを入れて(時に、タイトルはあと)
書きます。はじめは、意識して、もりけんさんの視点からそれない
ようにしている(つもり?)ですが、書き進めてゆくうちに、
どんどん話がそれたり、飛躍してゆくように「感じる」時があります。
ですが・・・読み返してみると「物理の法則」はでてきていません(汗)
そしてなんか文系チックな(笑)なんか似たようなことしか出てきて
いません(爆)
得意なものだけ、とゆう感じです。
だから、武蔵のように色んな可能性を考えて、淡々と用意を進めて
いくことが・・・憧れです。
「出来ない・・・」といいつつ、少しはやろう!(爆)
まるで、試験前に「ぜんぜん勉強してないんだよなあ~」といいながら
テストの点が、ばっちりなように・・・(汗)
でも私はいつも「やったよ!」と言ってやってない・・・(悪)
でも・・・・少しは、やる(なにお?)(すごい、汗)
|д゚)カンサツ… (官殺)おぼえた!



[C1526] >巌流島における意識と無意識

>彼は無意識に動く技で勝とうとしていたのだと思います。
何度も練習をして、無意識のうちに体が動くよう、体に覚えこませていたと思います。

>つまり無意識以外の部分で準備を重ねていました。
武蔵は先の状態を予測して、自分に有利な場を作るような準備をしていたと思えます。

小次郎は、場が変わっても、どんな環境になっても、自分の腕が無意識でもちゃんと動くように、ウデ一本で勝てるように、とがんばって剣を振ってたと思います。。
一方武蔵は、一振りが確実に決まるような場を意識的に整えていたように思います。

前のお話で、佐助の前倒し・・というのは、武蔵にも当てはまると思いました。
前倒しというのは、用意周到ともいえると思ったからです。
そして、佐助は無意識だった・・というのも、そうだろうなあと思いました。
なので、武蔵も無意識だった・・と思ったのですが、今回のお話で、小次郎が無意識・・となっていたので、ちょっとあせりました(汗)。

でも、準備段階で、無意識の練習をしていた小次郎ですが、はたして戦いの場でそれが発揮できたのか・・と考えると、武蔵の策略で、無意識状態に入れなかったのかも・・と思いました。
また、武蔵は、準備中は意識的にやっていたけど、用意周到、準備万端、計算しつくされた場にはいった時・・もしかしたら、武蔵は無意識の領域に入ったのではないか・・自然に体が動いたのではないか・・とそんな風に思いました。
(あせったので、ちょっと無理に持っていったかも・・)

>小次郎のほうがトレンディ
先のことは考えず今がよければいい・・というのは確かに今風です(^_^;)。
ドラマでの小次郎がすっごくかっこよかったので、トレンディということばもやたらぴったりくるように思ってしまいました。

[C1524]

>|д゚)カンサツ…
こ、このように武蔵と小次郎を眺めた事はありませんでした。声もうわずります。「ガリ勉・武蔵 vs デキスギ君・小次郎」に見えてきました。。そうなのか?この戦いは。。(汗)ウ~~ん。。唸るしかナイです。。
 
>生き方からすれば、小次郎のほうがトレンディではないでしょうか・・。
 
しかもトレンディって。。参りました。小次郎がトレンディ。。う~ん新感覚です。すると武蔵は古くさくて地道で。。「プロファイリングとかできる。。デキルandイケてる刑事(小次郎) vs 地道足で捜索の執念の現場オヤジ刑事(武蔵)」とかにも見えてきました。。なんというかどっちがイイとか悪いとかでなくて違いすぎます。。剣を交えながらも。。全くの異種格闘技戦とかだったのだなと思いました。小次郎と武蔵の戦いというのは。。う~~ン最近例えに驚かされてしまいます。。全方位だとこう見えるのかと思って。。トレンディとか。。受験勉強とか。。なんか武蔵☆小次郎で同人誌とかつくりたくなりました。。うがー!

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