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-件のコメント

[C1804] どちらもかなりの技です。

どっちだろう・・無意識はかっこいいけど、自分で考えて、その策略に相手がのってきた段階から楽しめそうだし。

でも性格を考えると、深く物事を考えられないからどっちかというと無意識があってるような気がします。

無意識にいろんなことが解決できると最初はうれしいと思う。でも意識を伴わないとそのうち、自分が誰かに動かされているように感じて、いやになってくるかもしれないと思いました。

意識の達人になれたらうれしいですが・・あきらめてます。

[C1714] >無意識だったろう、佐助~>武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

>無意識だったろう、佐助

目の前の光景に集中するでもなく、手元を注視するでもなく、
集中力が活きたまま、ある時間浮遊し続けることは、プロには
つきものなのかもしれません。

私は何かの試合やスポーツ競技には詳しくありませんが、私
たちの日常の展開とはあきらかに違う、時間の過ごし方がある
ように思えました。

「アイツがこう来たから、次はこうだ」と迎える“次の瞬間”よりも、
「次はこうだ」が「アイツ」とカブって展開するような、予測というか
予知というか、「次」ではない頃から「次が見える」感が、その道
のプロにはあるのでしょう。

>巌流島における意識と無意識

おそ松は自己流ではありますが、定期的に水泳をしております。
泳ぎ方も今となってはキチンと教わらず、知ることもなく、
身体意識vs水というガチンコ勝負を、ジムのプールで続けてはや
10年になります。上達なんて言葉は禁句デス(汗)

そんなおそ松でしたが、泳ぎの途中「一歩進んだ」と思う瞬間は、
やはり技術が無意識に繰り出された時なんですね。
思考することもなく、苦しさも負担も感じることなく、ズンズン前に
進めたときに、「やった!技術向上だ」と思います。

技の体得って、無意識の領域へ押しやることができたとき、はじ
めて言えることなのかもしれません。
意識が自由に使える分、次の一歩を想像することもでき、今を
充実させている感があります。まさに小次郎的です。
今にしかと根を張り、充実感が活力となって、さらに前へ前へと
進める気がします。
「私が源」「私が原因」…はい、トレンディです♪

武蔵は、水の中の私からは異端に思えるかもしれません。
「ヲイヲイ、あいつプールにまで来て、何やってんだ?」と、いぶかしく
思います。

>無意識を信用していない武蔵

体育会系的なノリで言うと、技を無意識の領域まで高め、結果を
勝ち取った際の評価には、すごい勢いがあると思います。
そのやり方がとことん称賛奨励され、そうした振るまいが市民権を
得て、ワガモノ顔で街を歩きます。
地道・誠実・努力の尾ひれが付き、地道な努力の積み重ねから
派生する無意識にプレミアが付きます。

>武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

私はプールの中での思わぬ上達ぶりから、無意識によって自由に
なることに、自らの興味が傾きました。これは、決して泳ぎがうまく
なろうとか、健康がどーのとかの目的意識はほとんどナイ状態です
から、その方法論に盲目的に従っていってしまうアヤウさがありました。

ブログを読むことのように、ふたつのやり方を示されたならば、私は
武蔵の方向から自由になりたいと思いました。

私がプールの中でたどりついた方法は、あくまでプールの中だけの
ことのように思えました。(ながい目でみれば、あらゆることに活かせ
そうですが)決闘の場のような瞬発力が求められる場所では、あまり
役立たない気がしました。
武蔵的自由取得法ならば、決闘以外の場でも威力を発揮し、どのよ
うにもアレンジできそうな気がしたからです。

[C1648] >意識の自由は科学的

でも、両方あると「認識(←うーん、、データ、かな、立証、かな、、)」したうえでの自由は、
ほんとうの自由・・かも?と思いました
(欲張りです(滝汗))

[C1647] 意識の自由

無意識の自由は、なんだか、逃げているだけのような気がしました。
意識すると、現実に戻ってしまう。。

でも、意識だけの自由も、違うと思いました。
意識だけの自由も、結局は、捜し求めているだけのもの(?)

無意識と意識、というものがある、ということをわかって、
両方ある、と認識したうえで、意識で自由になりたいな。。と思いました(意味不明。しかも欲張り)

>自由の方向性が逆
ほんとうにそうだと思いました。
剣豪、修行する人、今までは、ずっと、
無意識での自由を目指しているようなところがあると思いました。

意識での自由を目指すのは、新しい(科学的(?))な気がしました。



[C1625] どうせ、自由になるのなら、

もし、そんなチャンスがあるのなら、意識の側での自由を体験してみたいです。
無意識で自由になったって、それじゃ、見えない自由みたいです。それじゃ、自由じゃないのと区別がつきません。
自分じゃ、自由を意識できなくて、赤の他人に、「いま、あなた自由だったわよ」といわれて、自由だった自分を想像してるだけじゃ、やっぱり、もったいないです。

でも、意識で自由を感じるということは、自由も意識にしばられた、半自由程度なので、100パーセント自由ではないかもしれません。

それでも、半自由でも自由の片鱗を、自分で語れるのは、自由を知らないこととくらべると、ドエライ違いに思います。

[C1615] どちらを使って自由になりたいですか?

>自由・・すなわち、いつでも自由に勝てる状態です。
無意識も、意識もどちらも同じく自由に勝てる状態なのでしょうけれど、意識してのほうがより自由度が全方位で広がると思います。
どちらも使えたらいいですが、意識してがいいです。

  • 2006/05/25-06:49:07
  • 投稿者 : Ciel
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[C1614] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆


私は、見た目が自然で、それでいて好きなことをしているような、自由を感じさせるような人をうらやましく思っていました。
そういう人は、無意識にそう振舞える人だと思っていました。
また、アドリブで何かできるとか、芸術関係にもあこがれがあったので、以前は小次郎的な、無意識から来る自由を欲していたかもしれません。

でも、よく考えたら、先に書いた、見た目が自然で好きなことをしているように見える人が、本当に無意識で動いてるかどうかは分からないことで・・
実は意識的に色々なことを先さきやった上での、自然な振る舞いかもしれません・・

と朝にここまで書いて・・・とまってしまいました(汗)
私はこの後に、今は武蔵のように意識をつかって自由が欲しい・・と書きかけたのですが、いやまて・・と。
私が意識しようとしてることと、武蔵が意識したことは、なんだか違うような気がして・・。

武蔵と小次郎の例で行くと、確かに、小次郎は自分が「ある」状態で、自分の力を伸ばそうと、それだけを考えていて、一方武蔵は自分の力を過信してなくて、自分は「空洞」という感じがします。

でも、意識、無意識の話で行くと、無意識の方が自分が「ない」ように思ってしまって・・頭がこんがらがります(汗)

武蔵の意識は、あくまでも、自分の外側に向けれらたものなのかもしれないです。
自分自身ではなく・・
そういう意味では、小次郎は、無意識にツバメを斬れるまで、意識的に剣を振ってたと思うのですが、その時、自分個人に向いた意識をバリバリ持っていたのかも・・。

意識がネットワークを断ち切ってると思ってしまってた部分がありますが、その「意識」とは、「個」だけに向いた意識のことかもしれないです。
武蔵のように、自分の外側、全方位に向う意識は、逆にネットワークにつながるのかもしれないと思いました。
そして、やはりその方が自由になれるのではないかと・・。

[C1613] 無意識を意識せよ

 無意識と一体化していた小次郎は自由を感じていたかもしれません、しかしもしかするとそれは限定的な自由で逆に無意識を対象化できずに、ただの、人きりマシンだったのかもしれません、無意識という精神の暗部に斬り込んで行く為には、意識でもって無意識を対象化しなければ、真の自由はおとずれないかもしれません。
  • 2006/05/25-02:08:46
  • 投稿者 : yk
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[C1612] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

んmmっと、思わずうなってしまうような問いかけです。
どっちでもって自由になりたい?とおっしゃられても、、、
武蔵の肩は持ちたいけど、意識は何だか、イヤだしなぁ。という気持ちです。あとずさり。アンビバレント。自由というと、昔見た、藤原新也さんの写真集を思い出します。写真に添えて、「人は犬に食われるほど、自由だ。」とあって、インドのガートで犬が人のかかとを咥えてどこかへ持って行く写真の、です。
かなり古いです。。。腹が減ったら食う。死んだら、食われる。すんごい無意識、すんごい自由。、、怖いくらいの自由ではないでしょうか。この意味での無意識って。

[C1611] 意識と無意識

普段の生活は私は誰?という問いを持ち、どうして運命は決まってて変更が可能なのだろうかということを考えながら、生活しています。

それ以外はほぼ「流れるままに」という意識で生きていますが、これはある意味、無意識的な自由と捉えることもできる気がします。

しかし、武蔵の意識的な自由というのは、自分への「気づき」というものがあるのかと思いました。
その気づきというのは、「誰でもない」というものだと思います。

自分がからっぽの人間だからという気づきの中、意識的にまわりが答えを導きだしてくれると思っていたのではないかと思います。

武蔵の自由というのは、川のなかをせき止めて川幅を狭くすることで、魚を集めていっきに採ることをしているのかと思いました。

[C1610] まず

あの物語を、こういう問題意識から斬れるという技量に、唖然としています。
開いた口がふさがりません。これは、とんでもなくすごいことだと思います・・・
ツバメ返しを目の前で見ても、これほどは驚かないと思います。

[C1608] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

>無意識と身体が一体化することで小次郎は「自由」になりたかったのではないでしょうか・・
気が付きませんでした。
無意識は自由に近いところにあるような気がしていました。
私はどんな時に無意識になっているのかよくわからないのですが、眠っている時は意識せずに無意識状態ができているはずです。その時が一番自由なのではないかと思っていました。
でも、何にも覚えていないのだから、話になりません。
もし、意識を使って自由になれるのなら、こちらの自由が良いです。
  • 2006/05/24-23:02:58
  • 投稿者 : REI
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[C1607] >どちらを使って自由になりたいですか?

私は、武蔵のように意識を使って、自由になりたいです。
もっとも、私が「鳥の声を聴く」能力があるかとか、武蔵と同等の頭脳があるかにつ
いては不問にしてください。 とにかく、もりけんさんの「自分は結果」を知ってし
まった以上、私は迷うことなく、武蔵のやり方を真似ます。 それが可能かどうかは
別の話です。

さて、仮にですが、人間の運命は90%決まっているとします。(便宜上90%とい
たします) 逆に見ますと、人間には10%の自由しかないことになります。
無意識と身体が一体化するまで技を磨いた小次郎・・・彼がそのような境地を開いた
として、小次郎はどこまで自由になれたでしょう? 私は何かを極めた経験がないの
で偉そうには言えませんが、私には、小次郎といえども、たかだか10%の自由を得
ただけではないか、と思えるのです。 技を極めたといっても、時空の視点から考え
ると、小次郎とて”運命の通り”ではないでしょうか。 運命のシナリオのままに、
小次郎は「ツバメ返し」をやらされているようなものです。 技以外の全要素・・・
つまり、決まっている90%の部分は未だ不自由な領域として、未開拓のまま横たわ
っているように思えます。 なぜ、そのように言えるかというと、武蔵を引き合いに
出して、比較すると見えてきそうです。

鳥の声が聴こえた武蔵、悪評を恐れずに策略を用いた武蔵、しかも、武蔵は何事につ
けて用意周到であり、準備万端でした。 つまり、彼にとっては、剣術以外の要素は
ゴミではなく、利用可能な武器になり得ました。
従って、「技10% + 残りの全ての要素90%」・・・つまり100%自由な世界
の実現が、武蔵には可能だったのかもしれません。

このようなことが可能だとすれば、それは、武蔵の意識がフル回転していればこそだ
と思います。 小次郎の意識は寝たも同然でした。 意識が寝ていた小次郎は、問い
すらも出なかったかもしれません。 だとすれば、この違いは大きいです。
空間係的に表現するならば、小次郎は36度の可能性しかなかったのに対し、武蔵の
可能性は360度全開の状態だったのではないでしょうか。

以上の理由により、私は意識を使って、自由になりたいです。
(能力がないのは自覚しているので、ツッコミを入れないで(笑))

追伸 魂磨いて修行だとかいう人も、自由度は高そうには見えません。

[C1606] 自由になりたい

このことはずっと思っていますがぜんぜんメドが掴めていません。
小次郎のように無意識に行くには才能が必要だと思います。
一つのことに集中できることは才能の一部だと思いますが私は散漫であまり集中できません。
無意識が制御できるようになるための鍛練がすごく大変そうです。
意識で想定して準備や用意はまだ取り組めそうです。
無意識を自由に使うには無意識はわからなさ過ぎます。
意識は考えることで手が打てるし特別な何かを探さなくて良いように思います。
自由にどうつながるかはわかりませんが。。

[C1605]

よく考えたら…自由の方向性というのが驚きでした。自由は何処かの先に一カ所であるんだと思ってました。
不思議研究所のホームページにたどり着くまで。。自由とは被支配からのがれて…できれば支配を手に入れるとこだったんじゃないか…と思い出してました。それの名前が「自由」だったかなと。
今はどうかというと…支配・被支配やってる限りは苦しいんじゃないかと思い始めてます。だってそもそも運命にガッチリ支配されてるから…(汗)
ではどっち方向が自由なのかと…考えてました。(ここから「運命」はさておきます)武蔵の無意識を信用しない姿勢(昨日の話題がでてきてしまうけど)というのはアリかもと思いました。疑いは「問い」を生むんじゃないかと思いました。そして「問い」は選択肢を呼ぶのではないかと思いました。選択肢が多い方が自由度が高い(櫂とか選べる)…動ける範囲が広がる…かなと思いました。
やー……、一日いろいろ考えました。超個人的にひっかかってしまい…独発してしまい…これていいのかと思いながら…今日はコレにて収束です……
いや…でもそうなのか…う~ん(悶)

[C1603] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

なんだかいつも言われていることと逆のような気がしました。
ハンドルを手放して無意識に身を任せると幸せになる~~はずなのに~~(爆)
・・・小次郎は負けてしまった・・。

何故負けたのか・・・それは運命どおりだったからに他ならないのかもしれません。(汗)

武蔵はもしかすると・・・運命変更したのか?
木(櫂)は金(刀)に弱いはずなのに、その日は小次郎の五行は土だったせいかもしれません。(汗)

運命変更でグッズを設置する時、意識を入れることが重要です。
この時点で小次郎の無意識が武蔵の意識に負けていたのかもしれません(汗)

今日は(汗)が多いです(汗)

[C1601] どっちもいい

はじめまして。もりけんさんのファンです。

>どちらを使って自由になりたいですか?

う~ん、どちらも自由に到達するのなら、どっちも体験してみたいです(ヨクバリ)

もりけんさんの本に登場する「オモテの世界」的方法で自由になるか?
「ウラの世界」的方法で自由になるか?ということですよね。
その人その人に合った、好みの方法で自由になれるのならいいと思います。


「自暴自棄」なんて在り得ない、という話を思い出しました。
「自暴自棄」という選択を自ら選んでいる時点で、自分を棄てていない、みたいな。

これからも、もりけんさんを応援してます♪
  • 2006/05/24-16:48:03
  • 投稿者 : Dharma
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[C1600] どちらを使って自由になりたいですか?

無意識を使うか意識なのか…

自由を得るには、自由を得るための状態をつくることが、始めに必要だと思います。
それは、生活に困らない程度の収入や自分に投資するための時間などを確保することなどです。
生きていくうえで、拘束されることや義務としてやらされる行為などから束縛されないことです。
この状態の時には、(策略など)意識を用いて自由になると思いました。

しかし、状態をつくり自由の扉を開く段階においては、それでよいのかもしれませんが、
>自由・・すなわち、いつでも自由に勝てる状態です。
精神的にそして肉体的にも深く自由を得るには、無意識の産物を取り入れることが必要となるのではないかと思いました。

つまり、無意識そして意識の両方を使い、自由を得るとするものです。

[C1599] >どちらを使って自由になりたいですか?

 私は自意識過剰で、準備を整えないと心配で行動出来なくて、頭の中は常に
雑念でいっぱいです。これって意識バリバリということなのだと思います。
 
 この状態に自由を感じているかを考えたら、逆に意識しすぎで身動きが取り
ずらくて少し苦しいような感じがしています。
 
 だから無意識に自分を委ねることが出来る小次郎は凄いと思うし、私も小次
郎の境地を体験できるものなら体験してみたいなと思いました。
 
 そしてもし小次郎のように無意識と身体が一体化する体験が出来たとしたら、
意識の世界で勝負する武蔵をどう思うだろう。。。と思いました。
 
 理由は同じ意識バリバリで生きていても、私と武蔵では全然違うかもしれな
いと思ったからです。
   
 私は無意識の方に行きたいと思っているのに、武蔵は意識の世界でもっと意
識的になろうとしているように思いました。

[C1598] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆


「オーシャンズ12」という映画を思い出しました。
(以前、もりけんさんが12より11のほうが面白いと言っていましたが、わたしもそう思いました)
 
「オーシャンズ12」では、天才的な大泥棒(ナイト・フォックス)がオーシャンズに対して秘法強奪の勝負を持ちかけます。
様々な作戦を練るオーシャンズの面々に対し、毎日黙々と身体の鍛錬に励むフォックス。
そして、強奪の日、フォックスは遠赤外線の防犯システムをまるでダンスを踊るかのような天才的な身のこなしで突破し、秘法を盗み出します。
これは、まさに無意識の世界での自由だと思います。
 
しかし、結局勝負に勝ったのはオーシャンズでした。
彼らは、事前に、フォックスの師匠に話をつけて、秘法を盗み出していたからです。
身体の鍛錬なんてまったくせず、あとはフォックスを騙すためにずっと芝居をしていただけでした。
きたねぇ~
これは、意識の世界での自由だと思います。
 
わたしも以前は身体の動きを通じた無意識の世界の自由に憧れをもっていた時期がありました。
しかし、踊りでも剣でも何でもそうだと思いますが、そのような自由を手に入れるためには、血のにじむような練習が必要です。
プリマ・バレリーナの人間とは思えないような足の動きなどを見ると、ここまで自由に踊れるようになるためには、文字通り、足の指が血だらけになるまで練習したんだろうなと思います。
小次郎だって、ツバメ返しができるようになるためには、腕が痛くなるほど剣を振っただろうと思います。
しかし、たとえ、そこまでやったとしても、その境地まで達することのできる人は、ほんの一握り、小次郎のように、生まれ持った才能をもった人だけです。
 
つまり、無意識の自由とは、求めれば求めるほど運命の轍にはまっていくものだと思います。
運命は無意識の領域だと思うからです。
 
そして、無意識の自由を求めれば求めるほど、個の閉ざされた世界に入っていくと思います。
小次郎にしても、ナイト・フォックスにしても、プリマ・バレリーナにしても、頂点を目指すようになるからです。
 
しかし、それではネットワークから切り離されてしまうと思います。

[C1597] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

意識が無意識をコントロールするということは、ほとんどあり得ないように
思えてきました。
もしそれができたと思っていても、それは意識の部分であって、無意識では
ないのだと思いました。
なぜだろうか考えましたが、無意識は「全体」と共有しているから、全体の
中に含まれた「個」(=意識)でコントロールするのは無理なのでは、と思い
ました。
それならそれを逆手にとって、無意識をコントロールすることをすっぱり諦
め、意識を利用最大限利用して、自由になる方法を模索した方が、人間とし
て生きている間の限られた時間を使っても、自由になれる可能性に近づける
のではないかと思いました。

[C1596]

両方うまく使いたいです。

[C1595] 武蔵の自由の方が、

楽しそうな気がします。
こうしてみよう、あれもしておこう・・。
小次郎の自由は、試練、目指すもの・・のような気がします。
理想は小次郎の自由ですが〈何だかカッコイイ)、
それまでの道を考えると武蔵の自由の方が
無理なく自分のペースで手に入れられそうな気がします。
  • 2006/05/24-14:52:17
  • 投稿者 : まる
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[C1594] 武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

 どちらが、楽に自由になれるかと考えたところ、無意識の内に次の一手が出てきた方が楽かなと思いました。
 意識的に自由になると、いつも自由になるために、何かをしなければならなくなります。
 しかし、無意識に自由になれば、自由になるために何かをしなくても済みます。というか、無意識の内に自由になっているので、意識する必要がないのかなと思いました。
 だから、私は無意識の方が楽でいいなと思いました。
 
 案外小次郎の最後の「ニコ」は無意識の内に倒れてしまって、鉢巻だけを見たのでその、目撃した鉢巻だけを意識したのかも、と思いました。

[C1593] 小次郎の自由の原因は無意識の側にあり、武蔵の自由の原因は、意識の側にあったということになりそうです

ある意味解明されていない無意識の世界を、取り上げて自由がないと1口で言い切るのは、賛成ではありません^^私的には意識側では限界を感じます。意識側でいまここだからでっす^^意識側と繋ぐのは、時空の解明で多次元シフトできて未来側から意識側でも繋がれてはじめて意識側も繋がるのではないかでっす。自由ある意味イマジンの世界ではないかでっす。想像する事は意識側でも、想像して浮遊しているときはすべてを超えて時空へ宇宙へ繋がってひろがり続けている感じさえしまっす。時空の解明は、ある意味イマジンを超えていると思います。シフトで、未来に繋がることがみえるからでっす。んん~~。。まるであらゆる所に行きわたる脈打つ鼓動のようでっす~~^^いど~いど~いいど~~^^でっすうう^^
  • 2006/05/24-14:24:20
  • 投稿者 : バニー
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[C1592] >どちらを使って自由になりたいですか?

武蔵と小次郎が自由になりたかったという視点は、思ってもみなかったので、とても意外です。でも、自由に勝てるように‥そういうこともあったかもと思いました。
どちらを使って‥どちらかと言えば、小次郎のほうがラクそうです。そのときどきに考えなくていいから、悩む必要もなさそう。昔、漫画のアシスタントをしていたとき、背景を描くのに、念写で、一瞬で思い通りの背景が原稿に焼付けられたら、すごいラクなのに、と思ってました。でも、やはり念写はムリ(笑)‥当然(笑)できるだけ自動生成的に描けるように訓練するしかなかったです。念写がムリなら、せめて水を飲むのと同じくらいにできないだろうかと思いました。背景を描くのをとにかくラクにしたかったのです。
無意識で自由に‥は、意識の苦痛、意識の負担を減らそうとしているのではないかと思います。でも、現実が思いどおりについてこないので、できるとこまで無意識を反映させるように鍛えて、あと意識で補強‥。無意識と意識と両方で負担を減らしあって、負担の総量を減らすのが、自由になりやすいんじゃないかと思いました。負担を「重し」と言い変えれば、「重し」をできるだけ軽くしようと‥あ、違うか‥「重し」は現実の外側からの負荷だから、意識と無意識を鍛えて、「重し」の重みを感じにくくしよう、となるのかもしれません。
  • 2006/05/24-14:11:09
  • 投稿者 : リョウコ
  • URL
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[C1591] >自由の方向性

無意識は、「今ここ」にないけれど有る全てです。意識は、「今ここ」に有るものです。
こう考えると、「今ここ」を生きるとは、意識を生きることです。
ところで、意識には「自由」はありません。しかし、無意識は何故限定される意識を生み出したのでしょうか?
「自由の方向性」を考えると、無意識はもう一度無意識の自由へ向う事を望んでいないと思います。
意識を使って自由へ向おうとしているのだと思います。

「チャネリングができる」という人に会うと周りに合わせて「へえ~」とか感心します。(汗)何しろ、「できないくせに!」と石が飛んで来たら大変です。(爆)
でも、「この人は生きているのだろうか?」とちょっと悲しい気持ちになる事があります。
これは、目の悪い方への朗読ボランティアのようなエゴをなくした行為なのかも知れません。
エゴイストの私が抵抗を感じるのか、無意識が「方向性が違う!」と叫んでいるのか・・・。

[C1590] 自由への道

携帯から見ると、スレッドテーマがわからない
くやしい・・・(爆)
「自由」
この場合(?)の自由、
>自由・・・すなわち、いつでも自由に勝てる状態
意識的と無意識的・・・
私が生まれて、そしてここに存在する・・・とゆうのは
私にも「運命」とゆうものが存在しているのだと思います。
そしてそれは、見えない道です。
朝起きて、淡々と、無意識プラス刺激に対する反応で・・・暮らしています。
どんな感情のうねりがあったとしても、それは流れの中にあるだけで
自由とはぼど遠いような、そんな感じがしています。
運命を、超える・・・ほんとうにできるのでしょうか。
いくら私が、川の中でバタバタもがいても・・・
一瞬、空中にパッと飛び出るくらいで、所詮、川の中かもしれない・・・
そう思います。
運命を超える、自由を獲得するには・・・魚が、サルに変わるくらいの変化かもしれません(汗)
魚が日々、川から顔を出し、淡々と肺呼吸をおぼえるような、そんな・・・(爆)
生まれた時点ですでに「何か」と対峙しているのが、ヒト・・・そう思いました。

[C1589] 自由の方向性

無意識の世界って、今日はじめて思いましたが、ガチガチなのかもしれません。
ただそれに目を向けて意識化することは実は自由について重要なファクターに思えました。

無意識はある意味運命通りだと思います。
個が自由になったと騒いでいるのは自分のほんの少し周辺だけで、引いてみると運命通りだった・・・ということもありそうです。

六コウによる運命変更も意識的に意識を使って行われます。
意識を使ってという状態は醒めた状態でもあり、外側に視点が向きやすいように思いました。

できるなら夢見よりも醒めたままの自由がいいです。

[C1588]

 初書き込みの者です。
 私は『自称』武道家なのですが、もりけんさんの「武蔵vs小次郎」に対する洞察、お見事です。
 私が修行する道では、もりけんさんが述べられたことを、武道で学ぶべき(用いるべき)“技法”として、系統だてて修得すべくまとめられています。
 まず「拳の三要」といいまして「技・術・略」つまり「戦技(手段)・戦術(方法)・戦略(目的)」であり、用いる際は順番が逆で「略→術→技」となります。
 私も指導の際「武蔵vs小次郎」の例えをするのですが、武蔵は正に「略(勝つ)→術(ずるい手を使ってでも)→技(この時は相手より長い木刀)」なのです。
 ところが小次郎は「技(燕返しで)→術(正々堂々と)→略(勝つ)」なのです。
 戦争に例えるなら、「技(戦車があるから)→術(どこか攻めようか)→略(理由は何にしよう)」では話しになりませんよね…。
 それと、試合の後です。
 佐助の事も絡んできますが、事後処理です。
 戦争・喧嘩・政治・外交…商売だって、話しの落としどころ、ケリのつけ方が大切ですよね?勝っても帰れなかったり、大きな恨みを残したり、自分が損するようでは…。
 長くなってスミマセン。

[C1587]

あれ、、(汗)「疑う」とか。。今日のもりけんさんの書き込みになかった。。およよ。。
策略を巡らすってのは現状と成功の可能性を考えて。。さらにもれなく目的にたどり着くために。思いつくケースを全て検証し。。失敗の可能性に対しては、希望的観測(成功するかも)をすてて、現実に即して構築していくということだと思ったのです。そこにはいつの間にか忍び込んでくる希望的観測をする自分を「疑う」事が必要かなと。。ん~~わかんなくなってきました。机上の空論。。きわまれりだろうか(汗)

[C1586]

しかし。。アタマがいっぱいなんですが。。
武蔵は..疑えたというところが「自由」なのかもしれないとおもいました。
例えばどちらも全て一言一句運命どおりだったとしても(それしかありえませんが。。そしてそれを持ち出すと話はオワリますが。。汗)。。疑えたというとことに。。個人的に「自由」を感じます。なりふかまわず疑う。。そこになにか感じます。
ついでに「自由」というのも。。主観的だなとも思いました。まだ混乱してるのでまた書き込むかもしれません。。。

[C1585] 自由

たった二文字の「自由」の意味するものが、どのような状態なのか分かりません。

>となると、小次郎の自由の原因は無意識の側にあり、武蔵の自由の原因は、意識の側にあったということになりそうです。


自由の定義づけの位置が、無意識なのか意識なのかによって、自分にとっての自由は変わると思いました。

生活の中で、無意識にやっていることってすごく多いと思います。例えば朝起きてトイレに行き、その後やかんに水を入れお湯を沸かし、お茶を飲む。時々、気がつくと自分の手元に熱いお茶が入っていて、あれ誰が入れたのと思うことがあります・・・

1日を振り返り、意識して行動していることがあるのかと考えてみると、あまり浮かんできません。
今、文字を打つ手だって意識してAのキーの位置を考えなくても指が勝手にAを押します。

私が意識した結果による行動が殆ど認識できないことは、無意識状態に置かれていることが常であるように思いました。自分を意識することさえできないくらいに無意識に支配されているのではないかと思います。

だとしたら無意識による自由は、不自由の中で得る幻の自由でしかないと思いました。そんな自由は、運命のままに行動していながら「想いがかなった」と喜んでいる滑稽な姿と重なりました。

>策略は意識の世界だと思います。

運命を知ることは、策略を練ることができると思います。そうだとしたら、自分を意識できることが自由なのではないかと思いました。

[C1584] 小次郎と武蔵

 野球でいったら、小次郎は長島さん。武蔵は野村さんかなと思いました。
 長島さんのプレーは天才的。練習を繰り返し、無意識でプレーできるようななるまでしたそうです。
 野村さんはID野球。データを利用し作戦をたてます。
 華やかさは長島さんに感じます。でも、プレーヤーとしては「かれは天才だから」そんなことが頭によぎり、他の方法も模索すると思います。それは、野村さんのデータを屈指する方法かなと思います。
 無意識にあこがれるけれど方法は意識かなと思います。 

 

[C1583]

>反射神経は、無意識の産物です。無意識と身体が一体化することで小次郎は「自由」になりたかったのではないでしょうか・・
 
小次郎は「意識」のその先に「無意識」を据えて。。さらに臨界点を突破しようとしたのだと思いました。神の領域に。。型を徹底的に極める事でシンクロして。。瞬時に。。越える瞬間を。。見ようとしていたのだと思いました。
天才なのだと思います。天に愛されていたのだと思います。天も彼に答えていたのだと思います。
  
>武蔵は自分の瞬発的な件の技、すなわち無意識で勝負をするのではなく、策略を使いました。策略は意識の世界だと思います。
 
しかし。。武蔵はそうではなかった。。こんなにも才能があるのに。。天にだって愛されていただろう。。しかしいつか何処かで神にシンクロするような軌跡の瞬間を待ってはいなかったのだと思いました。もしかして恐ろしく疑い深い。。「問い」の多い人だったのかもしれないと思いました。
神(親)に生殺与奪兼を握らせる事を。。まったく良しとしなかったのだと思います。なんてヤツだろう。。
意識するという事は。。全てをたぐり寄せるという事なのだと思います。意図するという事は構築するという事なのだと思います。
意図。。というと自発的だ。。しかし私は自由になりたい。。。いつかどこかにあらわれる神を期待しているってのが出来ません。。超個人的嗜好の問題だと思いますが。私のは武蔵みたいに凄みもなく。。ただ欲が深い。。待ってられないだけですが。。(汗)そして。。私がそうでないからこそ武蔵に惹かれるのだと思いますが。。。
自由。。がなにか。。わかりません。。しかし。。「汚ねぇ~」と言われるのをビビる私(縛られてる。。)だからこそ。。そこになにかあるんだと思います。「汚ねぇ~」といわれて平気な人の方が私より自由だ。。私はいわれたら凹んで支配されてしまう。私には私の有り様をなにかと比べて模索していくしかできないけど。。
支配されてる。。て感じると自由がうばわれてくのかなと思いました。
わかりません。。今日の話題は。。私にとって最大の。。どうしたらいいのかわからないところを撃ってくるお話です。

[C1582] なるほど

あかりさんのレスでなんとなく、わかったような。。。


なるほど。。。そうかもしれないです。
六爻占術で運命変更するには意識がキーですから。。。
自由になるには「意識」なのかも・・・・ほう~~~。

[C1581] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆


>小次郎の自由の原因は無意識の側にあり、武蔵の自由の原因は、意識の側にあったということになりそうです。
 
>これを読んでいるみなさんも、自由になりたい人は多いと思います。
 
>どちらを使って自由になりたいですか?


無意識の世界は、ハイアラキー的な神・・という存在を感じます。。

ということは、無意識を使って自由になるということは、ハイアラキー的な神を信じ、そこに魂を売ってしまうことに等しいかもしれない・・と思いました。


一方、意識は、全方位的で、用意周到な感じがします。そこには、「個」の視点がたくさんあり、
その視点を全方位に広げている・・という感じです。

なので、そこにはハイアラキー的な神の存在を感じません。


意識は、対等な感じがします。


それは、もりけんさんが、「不思議の友」という会報を独立して発行しているということ、

不思議研究所のホームページを独自のサーバーで運営していることとも通じるように思えます。


>どちらを使って自由になりたいですか?


無意識の世界に身を投じることは、
そもそも自由とはいえないような気がしてきました。


意識的な全方位が、自由な状態なのではないか・・と思います。


なので、意識を使ってしか、自由にはなりえないのではないか・・

そう思いました。



[C1580]

。。。。。
意味がわからない(爆)&(滝汗)


意識はとうてい無意識に勝てないのではないかと思っていましたが違うかも。


サッカーの試合でも実力のおおい選手がいるから勝つとは限らないし
やはり戦術(策略)がないと勝ちにいけないと思いました。


無意識にしたがってるだけだとロボット的な気もするし・・・・・
意識が根底にあってそこに無意識のもつ力を使う事が出きれば最高なのではと思いました。


自由か・・・・なんだろう。。。。。



 


[C1579] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

>反射神経は、無意識の産物<なるほどです。
武蔵の地の利を生かした戦いも、反射神経の域だったのではないかと思います。それはすでに無意識の領域だったのでは。。と。。。(何か違っているかもしれませんが。。)
自由になりたいか?というと、今現在、特にそういう願望もないし、不自由感もありません。

[C1578] 武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

無意識を鍛えて自由になるというのは、達人っぽいですが、よく考えるとそれは自由ではないのではないかと思います。なぜなら、無意識の反応に任せてしまうと、意識でコントロールできないからです。「あんなこともこんなことも自由にできる..」って感じではありません。
私が欲しいと思う自由は、意識的な自由だと思いました。
 無意識の反応に任せて何かが上手く行くよりも、意識的にコントロールできることに、より大きな自由を感じます。

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武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

 小次郎はツバメ返しを練習しました。
 反射神経は、無意識の産物です。無意識と身体が一体化することで小次郎は「自由」になりたかったのではないでしょうか・・
 
 自由・・すなわち、いつでも自由に勝てる状態です。
 
 武蔵は自分の瞬発的な件の技、すなわち無意識で勝負をするのではなく、策略を使いました。策略は意識の世界だと思います。
 そして意識を使って、自由になりたかったのではないでしょうか・・。
 
 自由・・すなわち、いつでも自由に勝てる状態です。
 
 となると、小次郎の自由の原因は無意識の側にあり、武蔵の自由の原因は、意識の側にあったということになりそうです。
 
 これを読んでいるみなさんも、自由になりたい人は多いと思います。
 
 どちらを使って自由になりたいですか?
 
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40件のコメント

[C1804] どちらもかなりの技です。

どっちだろう・・無意識はかっこいいけど、自分で考えて、その策略に相手がのってきた段階から楽しめそうだし。

でも性格を考えると、深く物事を考えられないからどっちかというと無意識があってるような気がします。

無意識にいろんなことが解決できると最初はうれしいと思う。でも意識を伴わないとそのうち、自分が誰かに動かされているように感じて、いやになってくるかもしれないと思いました。

意識の達人になれたらうれしいですが・・あきらめてます。

[C1714] >無意識だったろう、佐助~>武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

>無意識だったろう、佐助

目の前の光景に集中するでもなく、手元を注視するでもなく、
集中力が活きたまま、ある時間浮遊し続けることは、プロには
つきものなのかもしれません。

私は何かの試合やスポーツ競技には詳しくありませんが、私
たちの日常の展開とはあきらかに違う、時間の過ごし方がある
ように思えました。

「アイツがこう来たから、次はこうだ」と迎える“次の瞬間”よりも、
「次はこうだ」が「アイツ」とカブって展開するような、予測というか
予知というか、「次」ではない頃から「次が見える」感が、その道
のプロにはあるのでしょう。

>巌流島における意識と無意識

おそ松は自己流ではありますが、定期的に水泳をしております。
泳ぎ方も今となってはキチンと教わらず、知ることもなく、
身体意識vs水というガチンコ勝負を、ジムのプールで続けてはや
10年になります。上達なんて言葉は禁句デス(汗)

そんなおそ松でしたが、泳ぎの途中「一歩進んだ」と思う瞬間は、
やはり技術が無意識に繰り出された時なんですね。
思考することもなく、苦しさも負担も感じることなく、ズンズン前に
進めたときに、「やった!技術向上だ」と思います。

技の体得って、無意識の領域へ押しやることができたとき、はじ
めて言えることなのかもしれません。
意識が自由に使える分、次の一歩を想像することもでき、今を
充実させている感があります。まさに小次郎的です。
今にしかと根を張り、充実感が活力となって、さらに前へ前へと
進める気がします。
「私が源」「私が原因」…はい、トレンディです♪

武蔵は、水の中の私からは異端に思えるかもしれません。
「ヲイヲイ、あいつプールにまで来て、何やってんだ?」と、いぶかしく
思います。

>無意識を信用していない武蔵

体育会系的なノリで言うと、技を無意識の領域まで高め、結果を
勝ち取った際の評価には、すごい勢いがあると思います。
そのやり方がとことん称賛奨励され、そうした振るまいが市民権を
得て、ワガモノ顔で街を歩きます。
地道・誠実・努力の尾ひれが付き、地道な努力の積み重ねから
派生する無意識にプレミアが付きます。

>武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

私はプールの中での思わぬ上達ぶりから、無意識によって自由に
なることに、自らの興味が傾きました。これは、決して泳ぎがうまく
なろうとか、健康がどーのとかの目的意識はほとんどナイ状態です
から、その方法論に盲目的に従っていってしまうアヤウさがありました。

ブログを読むことのように、ふたつのやり方を示されたならば、私は
武蔵の方向から自由になりたいと思いました。

私がプールの中でたどりついた方法は、あくまでプールの中だけの
ことのように思えました。(ながい目でみれば、あらゆることに活かせ
そうですが)決闘の場のような瞬発力が求められる場所では、あまり
役立たない気がしました。
武蔵的自由取得法ならば、決闘以外の場でも威力を発揮し、どのよ
うにもアレンジできそうな気がしたからです。

[C1648] >意識の自由は科学的

でも、両方あると「認識(←うーん、、データ、かな、立証、かな、、)」したうえでの自由は、
ほんとうの自由・・かも?と思いました
(欲張りです(滝汗))

[C1647] 意識の自由

無意識の自由は、なんだか、逃げているだけのような気がしました。
意識すると、現実に戻ってしまう。。

でも、意識だけの自由も、違うと思いました。
意識だけの自由も、結局は、捜し求めているだけのもの(?)

無意識と意識、というものがある、ということをわかって、
両方ある、と認識したうえで、意識で自由になりたいな。。と思いました(意味不明。しかも欲張り)

>自由の方向性が逆
ほんとうにそうだと思いました。
剣豪、修行する人、今までは、ずっと、
無意識での自由を目指しているようなところがあると思いました。

意識での自由を目指すのは、新しい(科学的(?))な気がしました。



[C1625] どうせ、自由になるのなら、

もし、そんなチャンスがあるのなら、意識の側での自由を体験してみたいです。
無意識で自由になったって、それじゃ、見えない自由みたいです。それじゃ、自由じゃないのと区別がつきません。
自分じゃ、自由を意識できなくて、赤の他人に、「いま、あなた自由だったわよ」といわれて、自由だった自分を想像してるだけじゃ、やっぱり、もったいないです。

でも、意識で自由を感じるということは、自由も意識にしばられた、半自由程度なので、100パーセント自由ではないかもしれません。

それでも、半自由でも自由の片鱗を、自分で語れるのは、自由を知らないこととくらべると、ドエライ違いに思います。

[C1615] どちらを使って自由になりたいですか?

>自由・・すなわち、いつでも自由に勝てる状態です。
無意識も、意識もどちらも同じく自由に勝てる状態なのでしょうけれど、意識してのほうがより自由度が全方位で広がると思います。
どちらも使えたらいいですが、意識してがいいです。

  • 2006/05/25-06:49:07
  • 投稿者 : Ciel
  • URL
  • 編集

[C1614] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆


私は、見た目が自然で、それでいて好きなことをしているような、自由を感じさせるような人をうらやましく思っていました。
そういう人は、無意識にそう振舞える人だと思っていました。
また、アドリブで何かできるとか、芸術関係にもあこがれがあったので、以前は小次郎的な、無意識から来る自由を欲していたかもしれません。

でも、よく考えたら、先に書いた、見た目が自然で好きなことをしているように見える人が、本当に無意識で動いてるかどうかは分からないことで・・
実は意識的に色々なことを先さきやった上での、自然な振る舞いかもしれません・・

と朝にここまで書いて・・・とまってしまいました(汗)
私はこの後に、今は武蔵のように意識をつかって自由が欲しい・・と書きかけたのですが、いやまて・・と。
私が意識しようとしてることと、武蔵が意識したことは、なんだか違うような気がして・・。

武蔵と小次郎の例で行くと、確かに、小次郎は自分が「ある」状態で、自分の力を伸ばそうと、それだけを考えていて、一方武蔵は自分の力を過信してなくて、自分は「空洞」という感じがします。

でも、意識、無意識の話で行くと、無意識の方が自分が「ない」ように思ってしまって・・頭がこんがらがります(汗)

武蔵の意識は、あくまでも、自分の外側に向けれらたものなのかもしれないです。
自分自身ではなく・・
そういう意味では、小次郎は、無意識にツバメを斬れるまで、意識的に剣を振ってたと思うのですが、その時、自分個人に向いた意識をバリバリ持っていたのかも・・。

意識がネットワークを断ち切ってると思ってしまってた部分がありますが、その「意識」とは、「個」だけに向いた意識のことかもしれないです。
武蔵のように、自分の外側、全方位に向う意識は、逆にネットワークにつながるのかもしれないと思いました。
そして、やはりその方が自由になれるのではないかと・・。

[C1613] 無意識を意識せよ

 無意識と一体化していた小次郎は自由を感じていたかもしれません、しかしもしかするとそれは限定的な自由で逆に無意識を対象化できずに、ただの、人きりマシンだったのかもしれません、無意識という精神の暗部に斬り込んで行く為には、意識でもって無意識を対象化しなければ、真の自由はおとずれないかもしれません。
  • 2006/05/25-02:08:46
  • 投稿者 : yk
  • URL
  • 編集

[C1612] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

んmmっと、思わずうなってしまうような問いかけです。
どっちでもって自由になりたい?とおっしゃられても、、、
武蔵の肩は持ちたいけど、意識は何だか、イヤだしなぁ。という気持ちです。あとずさり。アンビバレント。自由というと、昔見た、藤原新也さんの写真集を思い出します。写真に添えて、「人は犬に食われるほど、自由だ。」とあって、インドのガートで犬が人のかかとを咥えてどこかへ持って行く写真の、です。
かなり古いです。。。腹が減ったら食う。死んだら、食われる。すんごい無意識、すんごい自由。、、怖いくらいの自由ではないでしょうか。この意味での無意識って。

[C1611] 意識と無意識

普段の生活は私は誰?という問いを持ち、どうして運命は決まってて変更が可能なのだろうかということを考えながら、生活しています。

それ以外はほぼ「流れるままに」という意識で生きていますが、これはある意味、無意識的な自由と捉えることもできる気がします。

しかし、武蔵の意識的な自由というのは、自分への「気づき」というものがあるのかと思いました。
その気づきというのは、「誰でもない」というものだと思います。

自分がからっぽの人間だからという気づきの中、意識的にまわりが答えを導きだしてくれると思っていたのではないかと思います。

武蔵の自由というのは、川のなかをせき止めて川幅を狭くすることで、魚を集めていっきに採ることをしているのかと思いました。

[C1610] まず

あの物語を、こういう問題意識から斬れるという技量に、唖然としています。
開いた口がふさがりません。これは、とんでもなくすごいことだと思います・・・
ツバメ返しを目の前で見ても、これほどは驚かないと思います。

[C1608] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

>無意識と身体が一体化することで小次郎は「自由」になりたかったのではないでしょうか・・
気が付きませんでした。
無意識は自由に近いところにあるような気がしていました。
私はどんな時に無意識になっているのかよくわからないのですが、眠っている時は意識せずに無意識状態ができているはずです。その時が一番自由なのではないかと思っていました。
でも、何にも覚えていないのだから、話になりません。
もし、意識を使って自由になれるのなら、こちらの自由が良いです。
  • 2006/05/24-23:02:58
  • 投稿者 : REI
  • URL
  • 編集

[C1607] >どちらを使って自由になりたいですか?

私は、武蔵のように意識を使って、自由になりたいです。
もっとも、私が「鳥の声を聴く」能力があるかとか、武蔵と同等の頭脳があるかにつ
いては不問にしてください。 とにかく、もりけんさんの「自分は結果」を知ってし
まった以上、私は迷うことなく、武蔵のやり方を真似ます。 それが可能かどうかは
別の話です。

さて、仮にですが、人間の運命は90%決まっているとします。(便宜上90%とい
たします) 逆に見ますと、人間には10%の自由しかないことになります。
無意識と身体が一体化するまで技を磨いた小次郎・・・彼がそのような境地を開いた
として、小次郎はどこまで自由になれたでしょう? 私は何かを極めた経験がないの
で偉そうには言えませんが、私には、小次郎といえども、たかだか10%の自由を得
ただけではないか、と思えるのです。 技を極めたといっても、時空の視点から考え
ると、小次郎とて”運命の通り”ではないでしょうか。 運命のシナリオのままに、
小次郎は「ツバメ返し」をやらされているようなものです。 技以外の全要素・・・
つまり、決まっている90%の部分は未だ不自由な領域として、未開拓のまま横たわ
っているように思えます。 なぜ、そのように言えるかというと、武蔵を引き合いに
出して、比較すると見えてきそうです。

鳥の声が聴こえた武蔵、悪評を恐れずに策略を用いた武蔵、しかも、武蔵は何事につ
けて用意周到であり、準備万端でした。 つまり、彼にとっては、剣術以外の要素は
ゴミではなく、利用可能な武器になり得ました。
従って、「技10% + 残りの全ての要素90%」・・・つまり100%自由な世界
の実現が、武蔵には可能だったのかもしれません。

このようなことが可能だとすれば、それは、武蔵の意識がフル回転していればこそだ
と思います。 小次郎の意識は寝たも同然でした。 意識が寝ていた小次郎は、問い
すらも出なかったかもしれません。 だとすれば、この違いは大きいです。
空間係的に表現するならば、小次郎は36度の可能性しかなかったのに対し、武蔵の
可能性は360度全開の状態だったのではないでしょうか。

以上の理由により、私は意識を使って、自由になりたいです。
(能力がないのは自覚しているので、ツッコミを入れないで(笑))

追伸 魂磨いて修行だとかいう人も、自由度は高そうには見えません。

[C1606] 自由になりたい

このことはずっと思っていますがぜんぜんメドが掴めていません。
小次郎のように無意識に行くには才能が必要だと思います。
一つのことに集中できることは才能の一部だと思いますが私は散漫であまり集中できません。
無意識が制御できるようになるための鍛練がすごく大変そうです。
意識で想定して準備や用意はまだ取り組めそうです。
無意識を自由に使うには無意識はわからなさ過ぎます。
意識は考えることで手が打てるし特別な何かを探さなくて良いように思います。
自由にどうつながるかはわかりませんが。。

[C1605]

よく考えたら…自由の方向性というのが驚きでした。自由は何処かの先に一カ所であるんだと思ってました。
不思議研究所のホームページにたどり着くまで。。自由とは被支配からのがれて…できれば支配を手に入れるとこだったんじゃないか…と思い出してました。それの名前が「自由」だったかなと。
今はどうかというと…支配・被支配やってる限りは苦しいんじゃないかと思い始めてます。だってそもそも運命にガッチリ支配されてるから…(汗)
ではどっち方向が自由なのかと…考えてました。(ここから「運命」はさておきます)武蔵の無意識を信用しない姿勢(昨日の話題がでてきてしまうけど)というのはアリかもと思いました。疑いは「問い」を生むんじゃないかと思いました。そして「問い」は選択肢を呼ぶのではないかと思いました。選択肢が多い方が自由度が高い(櫂とか選べる)…動ける範囲が広がる…かなと思いました。
やー……、一日いろいろ考えました。超個人的にひっかかってしまい…独発してしまい…これていいのかと思いながら…今日はコレにて収束です……
いや…でもそうなのか…う~ん(悶)

[C1603] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

なんだかいつも言われていることと逆のような気がしました。
ハンドルを手放して無意識に身を任せると幸せになる~~はずなのに~~(爆)
・・・小次郎は負けてしまった・・。

何故負けたのか・・・それは運命どおりだったからに他ならないのかもしれません。(汗)

武蔵はもしかすると・・・運命変更したのか?
木(櫂)は金(刀)に弱いはずなのに、その日は小次郎の五行は土だったせいかもしれません。(汗)

運命変更でグッズを設置する時、意識を入れることが重要です。
この時点で小次郎の無意識が武蔵の意識に負けていたのかもしれません(汗)

今日は(汗)が多いです(汗)

[C1601] どっちもいい

はじめまして。もりけんさんのファンです。

>どちらを使って自由になりたいですか?

う~ん、どちらも自由に到達するのなら、どっちも体験してみたいです(ヨクバリ)

もりけんさんの本に登場する「オモテの世界」的方法で自由になるか?
「ウラの世界」的方法で自由になるか?ということですよね。
その人その人に合った、好みの方法で自由になれるのならいいと思います。


「自暴自棄」なんて在り得ない、という話を思い出しました。
「自暴自棄」という選択を自ら選んでいる時点で、自分を棄てていない、みたいな。

これからも、もりけんさんを応援してます♪
  • 2006/05/24-16:48:03
  • 投稿者 : Dharma
  • URL
  • 編集

[C1600] どちらを使って自由になりたいですか?

無意識を使うか意識なのか…

自由を得るには、自由を得るための状態をつくることが、始めに必要だと思います。
それは、生活に困らない程度の収入や自分に投資するための時間などを確保することなどです。
生きていくうえで、拘束されることや義務としてやらされる行為などから束縛されないことです。
この状態の時には、(策略など)意識を用いて自由になると思いました。

しかし、状態をつくり自由の扉を開く段階においては、それでよいのかもしれませんが、
>自由・・すなわち、いつでも自由に勝てる状態です。
精神的にそして肉体的にも深く自由を得るには、無意識の産物を取り入れることが必要となるのではないかと思いました。

つまり、無意識そして意識の両方を使い、自由を得るとするものです。

[C1599] >どちらを使って自由になりたいですか?

 私は自意識過剰で、準備を整えないと心配で行動出来なくて、頭の中は常に
雑念でいっぱいです。これって意識バリバリということなのだと思います。
 
 この状態に自由を感じているかを考えたら、逆に意識しすぎで身動きが取り
ずらくて少し苦しいような感じがしています。
 
 だから無意識に自分を委ねることが出来る小次郎は凄いと思うし、私も小次
郎の境地を体験できるものなら体験してみたいなと思いました。
 
 そしてもし小次郎のように無意識と身体が一体化する体験が出来たとしたら、
意識の世界で勝負する武蔵をどう思うだろう。。。と思いました。
 
 理由は同じ意識バリバリで生きていても、私と武蔵では全然違うかもしれな
いと思ったからです。
   
 私は無意識の方に行きたいと思っているのに、武蔵は意識の世界でもっと意
識的になろうとしているように思いました。

[C1598] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆


「オーシャンズ12」という映画を思い出しました。
(以前、もりけんさんが12より11のほうが面白いと言っていましたが、わたしもそう思いました)
 
「オーシャンズ12」では、天才的な大泥棒(ナイト・フォックス)がオーシャンズに対して秘法強奪の勝負を持ちかけます。
様々な作戦を練るオーシャンズの面々に対し、毎日黙々と身体の鍛錬に励むフォックス。
そして、強奪の日、フォックスは遠赤外線の防犯システムをまるでダンスを踊るかのような天才的な身のこなしで突破し、秘法を盗み出します。
これは、まさに無意識の世界での自由だと思います。
 
しかし、結局勝負に勝ったのはオーシャンズでした。
彼らは、事前に、フォックスの師匠に話をつけて、秘法を盗み出していたからです。
身体の鍛錬なんてまったくせず、あとはフォックスを騙すためにずっと芝居をしていただけでした。
きたねぇ~
これは、意識の世界での自由だと思います。
 
わたしも以前は身体の動きを通じた無意識の世界の自由に憧れをもっていた時期がありました。
しかし、踊りでも剣でも何でもそうだと思いますが、そのような自由を手に入れるためには、血のにじむような練習が必要です。
プリマ・バレリーナの人間とは思えないような足の動きなどを見ると、ここまで自由に踊れるようになるためには、文字通り、足の指が血だらけになるまで練習したんだろうなと思います。
小次郎だって、ツバメ返しができるようになるためには、腕が痛くなるほど剣を振っただろうと思います。
しかし、たとえ、そこまでやったとしても、その境地まで達することのできる人は、ほんの一握り、小次郎のように、生まれ持った才能をもった人だけです。
 
つまり、無意識の自由とは、求めれば求めるほど運命の轍にはまっていくものだと思います。
運命は無意識の領域だと思うからです。
 
そして、無意識の自由を求めれば求めるほど、個の閉ざされた世界に入っていくと思います。
小次郎にしても、ナイト・フォックスにしても、プリマ・バレリーナにしても、頂点を目指すようになるからです。
 
しかし、それではネットワークから切り離されてしまうと思います。

[C1597] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

意識が無意識をコントロールするということは、ほとんどあり得ないように
思えてきました。
もしそれができたと思っていても、それは意識の部分であって、無意識では
ないのだと思いました。
なぜだろうか考えましたが、無意識は「全体」と共有しているから、全体の
中に含まれた「個」(=意識)でコントロールするのは無理なのでは、と思い
ました。
それならそれを逆手にとって、無意識をコントロールすることをすっぱり諦
め、意識を利用最大限利用して、自由になる方法を模索した方が、人間とし
て生きている間の限られた時間を使っても、自由になれる可能性に近づける
のではないかと思いました。

[C1596]

両方うまく使いたいです。

[C1595] 武蔵の自由の方が、

楽しそうな気がします。
こうしてみよう、あれもしておこう・・。
小次郎の自由は、試練、目指すもの・・のような気がします。
理想は小次郎の自由ですが〈何だかカッコイイ)、
それまでの道を考えると武蔵の自由の方が
無理なく自分のペースで手に入れられそうな気がします。
  • 2006/05/24-14:52:17
  • 投稿者 : まる
  • URL
  • 編集

[C1594] 武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

 どちらが、楽に自由になれるかと考えたところ、無意識の内に次の一手が出てきた方が楽かなと思いました。
 意識的に自由になると、いつも自由になるために、何かをしなければならなくなります。
 しかし、無意識に自由になれば、自由になるために何かをしなくても済みます。というか、無意識の内に自由になっているので、意識する必要がないのかなと思いました。
 だから、私は無意識の方が楽でいいなと思いました。
 
 案外小次郎の最後の「ニコ」は無意識の内に倒れてしまって、鉢巻だけを見たのでその、目撃した鉢巻だけを意識したのかも、と思いました。

[C1593] 小次郎の自由の原因は無意識の側にあり、武蔵の自由の原因は、意識の側にあったということになりそうです

ある意味解明されていない無意識の世界を、取り上げて自由がないと1口で言い切るのは、賛成ではありません^^私的には意識側では限界を感じます。意識側でいまここだからでっす^^意識側と繋ぐのは、時空の解明で多次元シフトできて未来側から意識側でも繋がれてはじめて意識側も繋がるのではないかでっす。自由ある意味イマジンの世界ではないかでっす。想像する事は意識側でも、想像して浮遊しているときはすべてを超えて時空へ宇宙へ繋がってひろがり続けている感じさえしまっす。時空の解明は、ある意味イマジンを超えていると思います。シフトで、未来に繋がることがみえるからでっす。んん~~。。まるであらゆる所に行きわたる脈打つ鼓動のようでっす~~^^いど~いど~いいど~~^^でっすうう^^
  • 2006/05/24-14:24:20
  • 投稿者 : バニー
  • URL
  • 編集

[C1592] >どちらを使って自由になりたいですか?

武蔵と小次郎が自由になりたかったという視点は、思ってもみなかったので、とても意外です。でも、自由に勝てるように‥そういうこともあったかもと思いました。
どちらを使って‥どちらかと言えば、小次郎のほうがラクそうです。そのときどきに考えなくていいから、悩む必要もなさそう。昔、漫画のアシスタントをしていたとき、背景を描くのに、念写で、一瞬で思い通りの背景が原稿に焼付けられたら、すごいラクなのに、と思ってました。でも、やはり念写はムリ(笑)‥当然(笑)できるだけ自動生成的に描けるように訓練するしかなかったです。念写がムリなら、せめて水を飲むのと同じくらいにできないだろうかと思いました。背景を描くのをとにかくラクにしたかったのです。
無意識で自由に‥は、意識の苦痛、意識の負担を減らそうとしているのではないかと思います。でも、現実が思いどおりについてこないので、できるとこまで無意識を反映させるように鍛えて、あと意識で補強‥。無意識と意識と両方で負担を減らしあって、負担の総量を減らすのが、自由になりやすいんじゃないかと思いました。負担を「重し」と言い変えれば、「重し」をできるだけ軽くしようと‥あ、違うか‥「重し」は現実の外側からの負荷だから、意識と無意識を鍛えて、「重し」の重みを感じにくくしよう、となるのかもしれません。
  • 2006/05/24-14:11:09
  • 投稿者 : リョウコ
  • URL
  • 編集

[C1591] >自由の方向性

無意識は、「今ここ」にないけれど有る全てです。意識は、「今ここ」に有るものです。
こう考えると、「今ここ」を生きるとは、意識を生きることです。
ところで、意識には「自由」はありません。しかし、無意識は何故限定される意識を生み出したのでしょうか?
「自由の方向性」を考えると、無意識はもう一度無意識の自由へ向う事を望んでいないと思います。
意識を使って自由へ向おうとしているのだと思います。

「チャネリングができる」という人に会うと周りに合わせて「へえ~」とか感心します。(汗)何しろ、「できないくせに!」と石が飛んで来たら大変です。(爆)
でも、「この人は生きているのだろうか?」とちょっと悲しい気持ちになる事があります。
これは、目の悪い方への朗読ボランティアのようなエゴをなくした行為なのかも知れません。
エゴイストの私が抵抗を感じるのか、無意識が「方向性が違う!」と叫んでいるのか・・・。

[C1590] 自由への道

携帯から見ると、スレッドテーマがわからない
くやしい・・・(爆)
「自由」
この場合(?)の自由、
>自由・・・すなわち、いつでも自由に勝てる状態
意識的と無意識的・・・
私が生まれて、そしてここに存在する・・・とゆうのは
私にも「運命」とゆうものが存在しているのだと思います。
そしてそれは、見えない道です。
朝起きて、淡々と、無意識プラス刺激に対する反応で・・・暮らしています。
どんな感情のうねりがあったとしても、それは流れの中にあるだけで
自由とはぼど遠いような、そんな感じがしています。
運命を、超える・・・ほんとうにできるのでしょうか。
いくら私が、川の中でバタバタもがいても・・・
一瞬、空中にパッと飛び出るくらいで、所詮、川の中かもしれない・・・
そう思います。
運命を超える、自由を獲得するには・・・魚が、サルに変わるくらいの変化かもしれません(汗)
魚が日々、川から顔を出し、淡々と肺呼吸をおぼえるような、そんな・・・(爆)
生まれた時点ですでに「何か」と対峙しているのが、ヒト・・・そう思いました。

[C1589] 自由の方向性

無意識の世界って、今日はじめて思いましたが、ガチガチなのかもしれません。
ただそれに目を向けて意識化することは実は自由について重要なファクターに思えました。

無意識はある意味運命通りだと思います。
個が自由になったと騒いでいるのは自分のほんの少し周辺だけで、引いてみると運命通りだった・・・ということもありそうです。

六コウによる運命変更も意識的に意識を使って行われます。
意識を使ってという状態は醒めた状態でもあり、外側に視点が向きやすいように思いました。

できるなら夢見よりも醒めたままの自由がいいです。

[C1588]

 初書き込みの者です。
 私は『自称』武道家なのですが、もりけんさんの「武蔵vs小次郎」に対する洞察、お見事です。
 私が修行する道では、もりけんさんが述べられたことを、武道で学ぶべき(用いるべき)“技法”として、系統だてて修得すべくまとめられています。
 まず「拳の三要」といいまして「技・術・略」つまり「戦技(手段)・戦術(方法)・戦略(目的)」であり、用いる際は順番が逆で「略→術→技」となります。
 私も指導の際「武蔵vs小次郎」の例えをするのですが、武蔵は正に「略(勝つ)→術(ずるい手を使ってでも)→技(この時は相手より長い木刀)」なのです。
 ところが小次郎は「技(燕返しで)→術(正々堂々と)→略(勝つ)」なのです。
 戦争に例えるなら、「技(戦車があるから)→術(どこか攻めようか)→略(理由は何にしよう)」では話しになりませんよね…。
 それと、試合の後です。
 佐助の事も絡んできますが、事後処理です。
 戦争・喧嘩・政治・外交…商売だって、話しの落としどころ、ケリのつけ方が大切ですよね?勝っても帰れなかったり、大きな恨みを残したり、自分が損するようでは…。
 長くなってスミマセン。

[C1587]

あれ、、(汗)「疑う」とか。。今日のもりけんさんの書き込みになかった。。およよ。。
策略を巡らすってのは現状と成功の可能性を考えて。。さらにもれなく目的にたどり着くために。思いつくケースを全て検証し。。失敗の可能性に対しては、希望的観測(成功するかも)をすてて、現実に即して構築していくということだと思ったのです。そこにはいつの間にか忍び込んでくる希望的観測をする自分を「疑う」事が必要かなと。。ん~~わかんなくなってきました。机上の空論。。きわまれりだろうか(汗)

[C1586]

しかし。。アタマがいっぱいなんですが。。
武蔵は..疑えたというところが「自由」なのかもしれないとおもいました。
例えばどちらも全て一言一句運命どおりだったとしても(それしかありえませんが。。そしてそれを持ち出すと話はオワリますが。。汗)。。疑えたというとことに。。個人的に「自由」を感じます。なりふかまわず疑う。。そこになにか感じます。
ついでに「自由」というのも。。主観的だなとも思いました。まだ混乱してるのでまた書き込むかもしれません。。。

[C1585] 自由

たった二文字の「自由」の意味するものが、どのような状態なのか分かりません。

>となると、小次郎の自由の原因は無意識の側にあり、武蔵の自由の原因は、意識の側にあったということになりそうです。


自由の定義づけの位置が、無意識なのか意識なのかによって、自分にとっての自由は変わると思いました。

生活の中で、無意識にやっていることってすごく多いと思います。例えば朝起きてトイレに行き、その後やかんに水を入れお湯を沸かし、お茶を飲む。時々、気がつくと自分の手元に熱いお茶が入っていて、あれ誰が入れたのと思うことがあります・・・

1日を振り返り、意識して行動していることがあるのかと考えてみると、あまり浮かんできません。
今、文字を打つ手だって意識してAのキーの位置を考えなくても指が勝手にAを押します。

私が意識した結果による行動が殆ど認識できないことは、無意識状態に置かれていることが常であるように思いました。自分を意識することさえできないくらいに無意識に支配されているのではないかと思います。

だとしたら無意識による自由は、不自由の中で得る幻の自由でしかないと思いました。そんな自由は、運命のままに行動していながら「想いがかなった」と喜んでいる滑稽な姿と重なりました。

>策略は意識の世界だと思います。

運命を知ることは、策略を練ることができると思います。そうだとしたら、自分を意識できることが自由なのではないかと思いました。

[C1584] 小次郎と武蔵

 野球でいったら、小次郎は長島さん。武蔵は野村さんかなと思いました。
 長島さんのプレーは天才的。練習を繰り返し、無意識でプレーできるようななるまでしたそうです。
 野村さんはID野球。データを利用し作戦をたてます。
 華やかさは長島さんに感じます。でも、プレーヤーとしては「かれは天才だから」そんなことが頭によぎり、他の方法も模索すると思います。それは、野村さんのデータを屈指する方法かなと思います。
 無意識にあこがれるけれど方法は意識かなと思います。 

 

[C1583]

>反射神経は、無意識の産物です。無意識と身体が一体化することで小次郎は「自由」になりたかったのではないでしょうか・・
 
小次郎は「意識」のその先に「無意識」を据えて。。さらに臨界点を突破しようとしたのだと思いました。神の領域に。。型を徹底的に極める事でシンクロして。。瞬時に。。越える瞬間を。。見ようとしていたのだと思いました。
天才なのだと思います。天に愛されていたのだと思います。天も彼に答えていたのだと思います。
  
>武蔵は自分の瞬発的な件の技、すなわち無意識で勝負をするのではなく、策略を使いました。策略は意識の世界だと思います。
 
しかし。。武蔵はそうではなかった。。こんなにも才能があるのに。。天にだって愛されていただろう。。しかしいつか何処かで神にシンクロするような軌跡の瞬間を待ってはいなかったのだと思いました。もしかして恐ろしく疑い深い。。「問い」の多い人だったのかもしれないと思いました。
神(親)に生殺与奪兼を握らせる事を。。まったく良しとしなかったのだと思います。なんてヤツだろう。。
意識するという事は。。全てをたぐり寄せるという事なのだと思います。意図するという事は構築するという事なのだと思います。
意図。。というと自発的だ。。しかし私は自由になりたい。。。いつかどこかにあらわれる神を期待しているってのが出来ません。。超個人的嗜好の問題だと思いますが。私のは武蔵みたいに凄みもなく。。ただ欲が深い。。待ってられないだけですが。。(汗)そして。。私がそうでないからこそ武蔵に惹かれるのだと思いますが。。。
自由。。がなにか。。わかりません。。しかし。。「汚ねぇ~」と言われるのをビビる私(縛られてる。。)だからこそ。。そこになにかあるんだと思います。「汚ねぇ~」といわれて平気な人の方が私より自由だ。。私はいわれたら凹んで支配されてしまう。私には私の有り様をなにかと比べて模索していくしかできないけど。。
支配されてる。。て感じると自由がうばわれてくのかなと思いました。
わかりません。。今日の話題は。。私にとって最大の。。どうしたらいいのかわからないところを撃ってくるお話です。

[C1582] なるほど

あかりさんのレスでなんとなく、わかったような。。。


なるほど。。。そうかもしれないです。
六爻占術で運命変更するには意識がキーですから。。。
自由になるには「意識」なのかも・・・・ほう~~~。

[C1581] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆


>小次郎の自由の原因は無意識の側にあり、武蔵の自由の原因は、意識の側にあったということになりそうです。
 
>これを読んでいるみなさんも、自由になりたい人は多いと思います。
 
>どちらを使って自由になりたいですか?


無意識の世界は、ハイアラキー的な神・・という存在を感じます。。

ということは、無意識を使って自由になるということは、ハイアラキー的な神を信じ、そこに魂を売ってしまうことに等しいかもしれない・・と思いました。


一方、意識は、全方位的で、用意周到な感じがします。そこには、「個」の視点がたくさんあり、
その視点を全方位に広げている・・という感じです。

なので、そこにはハイアラキー的な神の存在を感じません。


意識は、対等な感じがします。


それは、もりけんさんが、「不思議の友」という会報を独立して発行しているということ、

不思議研究所のホームページを独自のサーバーで運営していることとも通じるように思えます。


>どちらを使って自由になりたいですか?


無意識の世界に身を投じることは、
そもそも自由とはいえないような気がしてきました。


意識的な全方位が、自由な状態なのではないか・・と思います。


なので、意識を使ってしか、自由にはなりえないのではないか・・

そう思いました。



[C1580]

。。。。。
意味がわからない(爆)&(滝汗)


意識はとうてい無意識に勝てないのではないかと思っていましたが違うかも。


サッカーの試合でも実力のおおい選手がいるから勝つとは限らないし
やはり戦術(策略)がないと勝ちにいけないと思いました。


無意識にしたがってるだけだとロボット的な気もするし・・・・・
意識が根底にあってそこに無意識のもつ力を使う事が出きれば最高なのではと思いました。


自由か・・・・なんだろう。。。。。



 


[C1579] >武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

>反射神経は、無意識の産物<なるほどです。
武蔵の地の利を生かした戦いも、反射神経の域だったのではないかと思います。それはすでに無意識の領域だったのでは。。と。。。(何か違っているかもしれませんが。。)
自由になりたいか?というと、今現在、特にそういう願望もないし、不自由感もありません。

[C1578] 武蔵と小次郎は、自由の方向性が逆

無意識を鍛えて自由になるというのは、達人っぽいですが、よく考えるとそれは自由ではないのではないかと思います。なぜなら、無意識の反応に任せてしまうと、意識でコントロールできないからです。「あんなこともこんなことも自由にできる..」って感じではありません。
私が欲しいと思う自由は、意識的な自由だと思いました。
 無意識の反応に任せて何かが上手く行くよりも、意識的にコントロールできることに、より大きな自由を感じます。

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