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[C1939] 私は原因

そう思って暮らしている人は多いです。また、過去にいろんな本を読んでそう思ってましたし。

そのときは自分を変えるのは簡単だと思ってました。自分の努力が足りなかったのだ、と思えば、他の人のせいにしなくてすんだし。人のせいにしないことはいいことだ、と思ってました。

私は結果・・はやっぱり難しいです。思考回路がうまくはたらかなくて、「どうせ、結果だし・・」何をしても無駄だとつい思ってしまいます。

でも、武蔵は自分だけでは勝てないと思い、いろんな策略を考える。。

あきらめるのではなく、周りを利用する。武蔵の場面ではよくわかるのだが、自分の問題になると周りをどう利用していいのか、考えていいのかわからない・・ただのアホな私・・

やっぱりむつかしいです。(汗)

[C1684] 試合当日、

小次郎は「私は結果」を手に入れていた
ように思います。
意識せずとも、切ることができる・・。
でも、「私は結果」は手に入れるものではない。
しかも、その過程は思いっきり「私は原因」です。
武蔵は初めから剣の練習を積むということでは
勝てないと思った。
「私は原因」を捨てた・・手放したことにより、
自然と「私は結果」へとシフトしていったのかなと思います。
  • 2006/05/27-18:25:50
  • 投稿者 : まる
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[C1678] 巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

 最初武蔵は小次郎のつばめ返しを見たとき、このままじゃ負けると切実に思ったとありました。
 だから、自分がいくら頑張っても試合までには「個」と「個」の勝負じゃ、小次郎を越えることは出来ないと痛感したと思います。
 だから、「個」以外の助っ人を求めて日々策略を練ったと思いますが、それがどうして「私は結果」になるのかが解りません。
 武蔵は「個」で対決するのを諦めたと思います。そして「個」以外のもので許される範囲の応援を得ようと策略を練ったと思いますが、、、うーん、それがどうして「私は結果」になるのか。引き続き考えます。

[C1677] >策略を練る武蔵の側が普通、「私は原因」と考えられます。


私も最初はそう考えていて、でも何か違うような気がしていました。 
 
確かに自分で出来る用意はとことんして、勝てる要素を自分で増やして
いるように見えました。
でも用意万端整えた武蔵からは、勝てる自信のようなものは感じません
でした。
 
でも小次郎の「勝てば自分の技がすごいと思い、負ければ自分がダメだ
と思い」の部分を読んでやっと分かりました。
 
もし武蔵が「私は原因」で用意周到にしていたとしたら、小次郎以上に
いろんな種類の剣の技をあみ出していたかもしれないし、太陽の位置の
確認や木の櫂の改造に「これで大丈夫」という自信を持っていただろう
と思いました。

[C1670] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

小次郎は、自分が問題でした。
耳が痛いけれど、「私が原因」だと突き詰めればこれです。
「社会のために」「人のために」と恥ずかしげもなく言える人は、人を騙し、自分を騙し、二重に「嘘」をついています。
でも、「私は原因」の人同士が一緒にやって行くにはこの「嘘」が必要です。
上手に「嘘」をつく、こういう点から見ると、小次郎は、「自分のため」が見え見えで憎めません。(爆)だから、孤独そうなのでしょう。
小次郎に味方した「藩」の武士達は、「藩の名誉のため」、「小次郎様のため」、「殿様のため」と言い、間違っても「自分のため」なんて本当の事は言えません。
この「嘘」が「私は原因」なら、本来バラバラの「個」を結び付けています。

一方、武蔵の方は、どうだったでしょうか?
鳥の声が聞こえるようになってから、ただ「自分が勝つ」だけではなく、周りを含めたもっと大きな視点から「自分」を見ていた気がします。
これが、武蔵を応援する人達との共生、剣だけに拘らない「策略」に通じていたと思います。
武蔵は「私は結果」に通じていた。

昔、読んだ歴史上の人物の本だと、巌流島以降の武蔵の足跡はハッキリしなかったと思います。
「実際は、藩の武士の返り討ちに合ったのかも知れない。」と思っていました。

だから、この「嘘」は手強いです。
「嘘」と「策略」の戦いとも言えます。

[C1669] 武蔵は、自分の技だけを信じていませんでした。策略を練る事に日々を費やします

なるほど~、豪剣の武蔵なのに、自分の腕を過信せず思考し続ける様は、不思議探求し続けてるもりけんさんにしっかり重なりましたああ~♪♪武蔵も時が時なら、バーチャルモードで時空探査をし続けるもりけんさんみたいになってたのかも~~^^時空探査グッズや~セミナー~講演会~とすべてを公開実演しつづけてくれるので~~^^じきに~~バーチャルモードで時空を飛べるかもでっすうう~~♪♪最速。。最先端はもりけんさんみたいに透明人間になって~~時空間を自由に移動できることかも~~^^無色透明~~あ~~。。。無色は無職ですがあ~~。。。とうめい。。あ。。そだそだ~~シンクロ度合いをあげて~~空気でシンクロできることなんかも~~♪♪
  • 2006/05/27-08:51:55
  • 投稿者 : バニー
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[C1668] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

>勝てば自分の技がすごいと思い、負ければ自分がダメだと思います。

こう考えれば、小次郎は「私は原因」であったと思えます。
一見、「私は結果」のように見えるのに・・。
視点が個にだけ向くと、どうしても「私は原因」になるのかもしれない・・。

自分の腕を磨くことよりも周りに目をやった武蔵は、自分だけでなく、自分の周りも結果であり、それをうまく利用したのではないかと思いました。

[C1667] 世界観の差

 小次郎は自己の無意識を突き詰めた技が原因で勝とうとしたのかもしれません、自分が無意識に自由自在に動きまわれるそこまで努力した存在で負けるわけはないといういわゆる内観だけにたよった世界観を持ってたように思います。片や武蔵は自分のちっぽけさ無力さを認識して自分の力を発揮できるためにはどういう状況にあればよいかという周囲と自分の関係性を考えた世界観にもとづいて作戦を進めていったような気がします。そこに現実認識をするということに対する大きな違いがあったように思いました。
  • 2006/05/27-03:04:24
  • 投稿者 : yk
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[C1666] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

策略を練った武蔵は、自分の力に固執していなかったのだと思います。

だから、外側に開かれていて、外側と対等で・・

だから、武蔵は、外側とつながり、ネットワーク的だったのだと思いました。

一方、小次郎は、視点が「個」の能力・・
剣の技だけに閉ざされていた・・
私は「原因」は、とても狭い世界だと思いました。

ネットワーク的な私は「結果」は、
とても広い世界だと思いました。



[C1665] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

身体は無意識の領域なので、身体能力を高めるというと、ハンドルを手放して無意識に身をゆだね・・・と一見すると思えますが、実は自分にがちがちに固執していると思います。
自分の技を磨き、それで勝負しようというのだからです。
 
一方、剣の試合なのにあれこれ策略を練るのは、汚ねぇ~~といわれます。
剣豪としてのプライドに凝り固まっていたら、とてもできないと思います。
そして武蔵は自分の技よりも、人や自然を含めたネットワークというものを考えていたと思います。

[C1664] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/05/27-01:02:20
  • 投稿者 :
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[C1663] 今まで武蔵のような人物は私にとって

圏外でした。死角だったといういいかたもできるかもしれません。武蔵がなぜ人気があるのかもよくわかりません。一方、小次郎ならば少しは理解できます。

そこでずっと武蔵のことを考えていました。よくわからないのですが「私は原因」が明確な形になったのは、近代以降だと思います。小次郎が私は原因派だとしたらそれは小次郎が剣の道に入り、強烈な個というものを剣の道を通じて確立していったからだと思います。

そのように考えていくと、武蔵は、むしろ「私は原因」以前の人間なのではないかという考えに至りました。武蔵に強烈な個があるかというと、小次郎ほどそうではなく、剣の道に入ったとしても、その道を進むにつれて、むしろ近代的個と決別し、動物的本能を剣の道に統合する方向にいったとも考えられると思います。

小次郎が剣の道を究めるに従い、まるで獰猛な猛禽類のように鋭くなり、また同時に、視野狭窄に陥っていくのに対して、武蔵の戦い方は、草食動物のように、むしろ周りの環境に対して視野が広く、感覚が鋭敏になっていきます。

小次郎が自らを殺人機械に鍛え上げていくのに対して、武蔵がやったことは自らを非常に鋭敏なセンシングシステムにしていくことだったのかもしれません。

それは人間が自然と強烈に対峙して生きていたころの感覚(つまり、風や潮の流れ、雲などを読むなど)を呼び起こすものだったのかもしれません。近代人以前の人間としての武蔵像から武蔵を理解しなくてはならないのかもしれません。

ところで、「私が原因」の歴史がせいぜい3、400年だとすると、それに適応できずに、精神を病む人やストレスを感じる人が出てきてもおかしくないと思います。運命を含めて、周りの環境の影響や剋を強烈にうける「私は結果」的生き方のほうが、人間にとっては、むしろ自然なのかもしれません。
  • 2006/05/26-23:34:18
  • 投稿者 : ナイル
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[C1662]

自分に自信が無いときはどんなものでも取り入れて模索すると思います。
でも、何かが非常に上手くなって自信が着くと途端にそのことに固執してしまい他が見えなくなると思います。
うまくいくのは運しだいだと思っていたら自信が有る無いの問題ではありません。
だから策略ができたように感じます。

  • 2006/05/26-23:07:53
  • 投稿者 : 小町
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[C1661] >巌流島は「私が原因」と「私は結果」の戦い

自分と比べるのもなんですが、「私は結果」を私が理解するには、六爻占術や
盲師派推命占術のような精度の高い占いの考えの助けを受けなければ、絶対に
わからなかったことです。
武蔵が理解しているところの「私は結果」については、人の運命は決まって
いるというような視点ではなく、「鳥の声」のように、自分は自分以外の
すべてによって、自分というものが成り立っていると考えていたのだろうと
思いました。
しかしそれは後天的に身に付けたように見えますが、そうではないと思います。
「鳥の声」(私以外が原因)といった考えを誰もが受け入れるかというと、
そうではないと思います。
 
いくら説明しても頑として受け付けない人はいると思います。
 
しかし事実である事例をたくさん示していけばいいのだとも思います。
 
「鳥の声」つまり自分以外によって動かされているという考えを受け入れる
下地が武蔵には生まれつきあったのだと思いました。
  • 2006/05/26-22:01:33
  • 投稿者 : イーキン
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[C1660] 知ったかぶりの「私は結果論」

ハンドルを手放したつもりになって、己の無意識に身をゆだねる・・・これ、私のことです。
小次郎はまだマシです。 少なくとも、無意識化するところまで技を磨いたのですから。
私は、そういうことすらせずに、「私は結果」だとばかりに、すべての”可能性や視点”を
始めから手放して、諦めていました。(泣)

本当に手放すべきだったのは、私の浅はかな、知ったかぶりの「私は結果論」でした。

ということで、今日はこれ以上、自分に焦点を当てるのが辛くなりました。 私のことは別
にして、興味深い新聞記事を見付けました。 それを書きますが、お許しください。
一昨日5月24日の日経新聞夕刊18面、「駆ける魂」に掲載されていた記事です。
サブタイトルは”「鳥の目」から生まれる美技”。 サッカーの中村俊輔選手について書か
れたものです。

試合中の中村選手には、二つの視点があるとのこと。 グランドに立つ二次元的な視点と、
もうひとつは、空を飛ぶ「鳥の視点」です。 鳥の視点とは、上空から各選手の動きを見る
視点です。 中村選手の絶妙なパスワークは、この鳥の視点から繰り出されるのだそうです。
鳥の視点は無意識のようだと思いました。 ちなみに、中村選手は、車の縦列駐車がとても
上手いそうです。 なぜなら、上空からベストの位置を測れるから、とのことでした。
(スポーツライター荒川敬則氏による、上記日経新聞夕刊の記事から要約しました)

[C1659] 技

いくら技を磨いても起点が個なら、勝負の結果は個の力量不足だと思ってしまうのだと思います。技に囚われずも、技を磨くことができるのかどうかと思いました。

分かりませんでした。

囚われなかったら、自然と技以外の外側にも目が行くのだと思いました。技に囚われないなら、技を使う自分にも囚われないのだと思いました。

現代なら、心を磨けば世の中で上手く生きていくことができるのかに置き換えてみました。

心を磨くのは、自分の視野を減少させることになると思います。
心を磨くのは、エゴの増幅になると思います。
いくら心を磨こうと思っても、磨き方も分からないし第一、磨こうとする自分の心さえ分からないと思いました。

>武蔵は、自分の技だけを信じていませんでした。策略を練る事に日々を費やします。

武蔵に失礼ですが、自分自身を信じていなかったのかもしれないと思いました。自分の技、今までの勝負の経験など。
技は、経験の積み重ねによって上がって行くと思います。でもそれだけではないことが、経験によって分かっていたのかもしれません。
案外、武蔵も技を磨いた時期があったのかもしれないと思いました。(ブログで詳しい内容を知ったので、この巖流島の部分しか知りません)

[C1658] >「私が原因」と「私は結果」の戦い

剣で生きる姿勢の違いは、生死をも左右することになります。

小次郎は信念を貫き通すタイプ…
武蔵は「自分」をちっぽけな存在として信じないタイプ…

普通信念を持つことが美徳とされています。
しかし、信念を貫き通して、自分が思い描いた結果になりませんでした。

普段私たちが教えられることも一度見直す必要がありそうです。

[C1657]

意識を太陽や潮の満ち引き、時間など、すべてにおいて想定=仮想の現実化を施しておくということは、ものすごい広範囲に「私」という結果をあらかじめマーキングしておくことのように思いました。
これが、私が結果的なら、きっと、トラップを全方位でしかけて、私は待つだけのような心境だったのではと想像してしまいました。コトを、すべてやり終えた心境です。

小次郎は、無意識の反応をする体だけに、すべてを任していたのなら、まだマーキングをどこにもしていない状態でしょう。意識を極力薄めて、剣と自分を一体化させて、反応スピードを最大限に高めます。この時、まだ、コトを起こしていない状態ですから、つねに、今の剣を握る「私」が原因になって、次の一手が繰り出されそうです。

[C1656] 巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

小次郎はあくまでも技にだけこだわって技をみがくこと
が目標だったのだろうと思います。
ツバメ返しはそれほど自信作であったと思います。
武蔵は五分五分であってもつばめ返しの技には
勝てないと自分の技を肯定したところから
全方位になれたのだろうかと思いました。
>武蔵は「私は原因」では勝てない
こう思える武蔵はやっぱりすごいです。

  • 2006/05/26-15:26:00
  • 投稿者 : Ciel
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[C1655] ソロとバンド

小次郎は自作自演のソロアーティストぽい気がします。
とてもきれいなメロディや詞が自分に降りてくるのを待っているようです。
一度ブレイクしたらそのやり方に固執しそうです。
また曲で勝負とかいって、演出などどうでもいい感じです。

世間で一発屋と言われている人はほぼソロで自作自演タイプが多いようにも思われます。

一方武蔵は一応名義はソロですが、自分のチームを作り自分の楽曲に重きを置きすぎず、ライブの演出やCM効果を同列に見て実用しています。

もしかすると武蔵バンドとしてメンバーの楽曲もプレイリストに入れるということもしていそうです。
自分の曲がダメなら他の奴のでいい奴使え!といいそうです。
またソロでも成功している人は大体チームで成功していると思います。

周囲の環境をバンドメンバーにした武蔵が勝つのは言うまでも無かったのかもしれません。


[C1654] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

どれだけまわりを味方をつけたかが勝因だったのかなと思いました。

小次郎は自分の技で武蔵を倒したかった。小次郎の持った問いは「自分の技で勝つかどうか?」だったと思います。
小次郎はそれだけこだわりを持っていたということなのでしょうが、自分に目を向けすぎていたことでまわりを味方につけれなかったということなのかと思います。それだけ自分自身がすべてだと思っていたのかと思いました。

武蔵は自分のことより「勝つためには」という根底の問いを持つことで、たくさんまわりが味方についてくれたのだと思います。

やはり武蔵には「自分はなんでもないんだ・・」という認識を持っていたのだろうかと感じました。
そのことで、まわりに対する視点が確実に広がったのかと考えます。

[C1653] そうですね・・・

私は小次郎だな(爆)
「私が原因」とゆう結果を・・・ずっと生きてきたように
思います。
確かに、勝っているうちは楽しかったけど(なにに?)
「運命」にぶつかり・・・立ち往生してしまったこともあり(爆)
「私が原因」って調子づき(爆)「個」の幸せのなかに埋没し過ぎて
「不幸になってみたい・・・(爆)」といって知らないうちに(汗)
ほんとに「私は原因」から抜け出せなくなって・・・(笑)
でも、それすら・・・結果か(汗)
どっちにしろ「運命」には勝てない、と思っていた。
そして「運命」とゆうものを、すごく美しく思ってる(美化しすぎかも)
ここまでの出会いも、それはそれ、あれはあれで良かったように
思います。
苦しくても笑える、とか、笑えるようなことを大まじめにする、とか
いつだって「問い」(ツッコミ?)を入れられるのが
「私は結果」のような気がします(・・・?)
かなしいも、嬉しいも、切ないも、楽しいも・・・もしかしたら
感情までも結果なのかもしれない(受け取り方があるとしたら
原因っぽいから)そうすると、自分は一体どうなるかな?とか
なんで、今泣いてんの?とか、考えると・・・忙しい(爆)
感情だけに、かまっている暇がなくなるな(汗)
もちろん、ひたることもあるけれど(好きだから、笑)
でも、ずっと・・・ってやっぱない気がする。
こんな切ないキモチだって、きっと今しかひたれないのでしょう(?)
いや、ずっと・・・
続くかもしれないし、わかんない(汗)・・・。
なげやりでなくて、ほんとに、死んでも死なないんなら、「長っ」って
思うから(爆)
「運命」から自由になっても、まだ続く・・・(わーーー、爆)
生きてる世界だけに縛られて、あの世とか眼中になかったから
それはやっぱ、狭かった(汗)ムカついた奴もいじめ倒しても、
またあの世で復活するんだから、もっと徹底的にやってもイイの
だろう(爆)
たぶん死んでも、好きなものは変わらず、ずっと星を見上げるような
そんなキモチかもしれない。どっちも等しくある。
気づいたら生まれていたけれど、これからは、意識して死んで、また
生まれてくるんだ・・・と思った(爆)
でも、意識して生まれる時「運命ってどうなるんだろう?」そう
思いました。
今までは決められなかったけど、決められるのかな?
そしたら・・・(爆)また、面白そうだな(!!)
なんか、生まれる前に「約束して!」とか言って(なんの話?)
以上です。




[C1652] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

武蔵は自分の力だけではどうにもならないと思い、そういう意味では諦めの境地でもあって、周りのもの(自然も含め)への感謝の心みたいなものもあったのではないかと思います。そういう心が、地の利を味方に、戦う前には佐助に絵を描いて渡すというところにも表れているようにも思います。
それが、私は結果ということになるのかよくわかりませんが。。
自分の力だけでは及ばない広大な自然や世の中というものを感じていたのかもと思います。
小次郎は卓越した技を持ち、自分で努力すれば何でも叶いそうな人生を生きてきたのかもと思います。それが、外側より、個へと向かわせたのかもと思います。(よく知らないのでずれているかもしれませんが。。)

[C1651] 武蔵

 外が大事なんだと思いました。
 小次郎は自分の技中心に勝負を捉え。一方、武蔵は剣の技以外の外(太陽の位置、時刻、道具等)も捉えていた。自分以外の外の要素が勝負のゆくえを大きく作用するという、あぁ、「私は(外の)結果」の考え方になるなと理解できました。
 
 自分に有利な要素が多いほど勝負には勝てるので、武蔵のしていることはある意味当然な事かなとも思います。でも自分はやはり小次郎的な考え方、行動の仕方をしているように思います。
 武蔵の戦い方は、ものの捉え方、宇宙とか自然とかの捉え方から違うのからそうなるのかなと思いました。
「鳥の声を聞け」にあるように、「私は結果」なのだという達観があるのかなと思います。
 武蔵の評価はいろいろあるようですが、やはりすごい人だったのだなと思いました。
 

[C1650]

ハンドルを手放すというのはどういう事だろうと思いました。車の運転なら小次郎は運転テクニックに磨きをかけていったのだと思います。そして彼の代わりは誰もいない。
武蔵は誰が運転したって。。着けばいいんだよと思うのではないかと思いました。そしてそこで席を変わり。。命を預けられたのが。。強烈だ。。なんで信用できたんだろう。これができないから普通はハンドルを手放せないんだと思うのですが。。
信用。。武蔵という人は自分がたいした事ナイというのを知っていたからこそ。。外にその身を預けられたのではないかと思いました。腹だって空く。女を見ればツバメを斬らなくてもムラムラする(してたかどうか知らんけど。。武蔵。。すまん。。汗)いくら剣が強くたって。。そこだけで生きてない。。と思ってたのではないかと思いました。そして他のものだってそうだと思っていたのではないかと思います。信用できないものを沢山集めて。。それらが時折見せる一瞬の信頼に足る瞬間をとらえていたのではないかと思いました。だから。。全方位。全ては一瞬だから。その一瞬をとらえる事しか武蔵に取って確かではナイから。。
武蔵の車はドライバーが。。武蔵だったり。。太陽になったり。。櫂になったり。。佐助になったり。。だったのではないかと思いました。そしてそこに確かなドライバーを得るために。。常に全方位だったのではないかと思いました。
 
>勝てば自分の技がすごいと思い、負ければ自分がダメだと思います。
 
私はいっつもコレだけど(笑)武蔵は違ったのだろうと思います。武蔵は名プロデューサーだったのだと思います。助手席で自分を含め。。采配をしていた。。小次郎は一人で気力と体力と感によって運転していたのだと思います。武蔵という人は「汚ねぇ」。。(笑)ドライバーが。。なんでもアリです。そこに。。のれりゃなんでも。
 
しかしそうだということは武蔵はオノレの弱さみたいなものを一番知っていたのだろうと思います。いやになるほどそれとつきあっていただろうと思いました。そしてそうだから他に確かなものもはなから求めなかっただろうとおもいました。お通でさえ一緒ではなかった。。。
しかし不思議な事にそれが人と人の間では緩さをうみ。。心の付き合いが顔をのぞかせたのではないかとそう思いました。佐助も大旦那も。。信用されていなくてもそんなとこでは繋がってなかったのだと思いました。(と書きながらわかったような。。わからないような。。汗)

[C1646] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/05/26-10:34:51
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[T8] 漫画喫茶デートが実現

ヒマだったし言ってみたケバめの化粧の方が似合うって言ってくれたから気合入れてメイクしてみた・・・・
  • 2006-05-26
  • 発信元 : 優希
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巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

 どちらが「私は原因」で、どちらが「私は結果」の生き方だったでしょうか?
  
 策略を練る武蔵の側が普通、「私は原因」と考えられます。
 そしてハンドルを手放して、「無意識」に自分をゆだねた小次郎が、「私は結果」を生きていたように感じます。
 
 しかし・・
 
 小次郎は、あくまで「自分」が問題でした。外の世界は関係ありません。自分ひとりの技だけに焦点を合わせました。勝てば自分の技がすごいと思い、負ければ自分がダメだと思います。
 
 武蔵は、自分の技だけを信じていませんでした。策略を練る事に日々を費やします。
 この点からすれば、武蔵は「私は原因」では勝てないと思っていました。

 巌流島は「私が原因」と「私は結果」の戦いだったと思います。
 
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26件のコメント

[C1939] 私は原因

そう思って暮らしている人は多いです。また、過去にいろんな本を読んでそう思ってましたし。

そのときは自分を変えるのは簡単だと思ってました。自分の努力が足りなかったのだ、と思えば、他の人のせいにしなくてすんだし。人のせいにしないことはいいことだ、と思ってました。

私は結果・・はやっぱり難しいです。思考回路がうまくはたらかなくて、「どうせ、結果だし・・」何をしても無駄だとつい思ってしまいます。

でも、武蔵は自分だけでは勝てないと思い、いろんな策略を考える。。

あきらめるのではなく、周りを利用する。武蔵の場面ではよくわかるのだが、自分の問題になると周りをどう利用していいのか、考えていいのかわからない・・ただのアホな私・・

やっぱりむつかしいです。(汗)

[C1684] 試合当日、

小次郎は「私は結果」を手に入れていた
ように思います。
意識せずとも、切ることができる・・。
でも、「私は結果」は手に入れるものではない。
しかも、その過程は思いっきり「私は原因」です。
武蔵は初めから剣の練習を積むということでは
勝てないと思った。
「私は原因」を捨てた・・手放したことにより、
自然と「私は結果」へとシフトしていったのかなと思います。
  • 2006/05/27-18:25:50
  • 投稿者 : まる
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[C1678] 巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

 最初武蔵は小次郎のつばめ返しを見たとき、このままじゃ負けると切実に思ったとありました。
 だから、自分がいくら頑張っても試合までには「個」と「個」の勝負じゃ、小次郎を越えることは出来ないと痛感したと思います。
 だから、「個」以外の助っ人を求めて日々策略を練ったと思いますが、それがどうして「私は結果」になるのかが解りません。
 武蔵は「個」で対決するのを諦めたと思います。そして「個」以外のもので許される範囲の応援を得ようと策略を練ったと思いますが、、、うーん、それがどうして「私は結果」になるのか。引き続き考えます。

[C1677] >策略を練る武蔵の側が普通、「私は原因」と考えられます。


私も最初はそう考えていて、でも何か違うような気がしていました。 
 
確かに自分で出来る用意はとことんして、勝てる要素を自分で増やして
いるように見えました。
でも用意万端整えた武蔵からは、勝てる自信のようなものは感じません
でした。
 
でも小次郎の「勝てば自分の技がすごいと思い、負ければ自分がダメだ
と思い」の部分を読んでやっと分かりました。
 
もし武蔵が「私は原因」で用意周到にしていたとしたら、小次郎以上に
いろんな種類の剣の技をあみ出していたかもしれないし、太陽の位置の
確認や木の櫂の改造に「これで大丈夫」という自信を持っていただろう
と思いました。

[C1670] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

小次郎は、自分が問題でした。
耳が痛いけれど、「私が原因」だと突き詰めればこれです。
「社会のために」「人のために」と恥ずかしげもなく言える人は、人を騙し、自分を騙し、二重に「嘘」をついています。
でも、「私は原因」の人同士が一緒にやって行くにはこの「嘘」が必要です。
上手に「嘘」をつく、こういう点から見ると、小次郎は、「自分のため」が見え見えで憎めません。(爆)だから、孤独そうなのでしょう。
小次郎に味方した「藩」の武士達は、「藩の名誉のため」、「小次郎様のため」、「殿様のため」と言い、間違っても「自分のため」なんて本当の事は言えません。
この「嘘」が「私は原因」なら、本来バラバラの「個」を結び付けています。

一方、武蔵の方は、どうだったでしょうか?
鳥の声が聞こえるようになってから、ただ「自分が勝つ」だけではなく、周りを含めたもっと大きな視点から「自分」を見ていた気がします。
これが、武蔵を応援する人達との共生、剣だけに拘らない「策略」に通じていたと思います。
武蔵は「私は結果」に通じていた。

昔、読んだ歴史上の人物の本だと、巌流島以降の武蔵の足跡はハッキリしなかったと思います。
「実際は、藩の武士の返り討ちに合ったのかも知れない。」と思っていました。

だから、この「嘘」は手強いです。
「嘘」と「策略」の戦いとも言えます。

[C1669] 武蔵は、自分の技だけを信じていませんでした。策略を練る事に日々を費やします

なるほど~、豪剣の武蔵なのに、自分の腕を過信せず思考し続ける様は、不思議探求し続けてるもりけんさんにしっかり重なりましたああ~♪♪武蔵も時が時なら、バーチャルモードで時空探査をし続けるもりけんさんみたいになってたのかも~~^^時空探査グッズや~セミナー~講演会~とすべてを公開実演しつづけてくれるので~~^^じきに~~バーチャルモードで時空を飛べるかもでっすうう~~♪♪最速。。最先端はもりけんさんみたいに透明人間になって~~時空間を自由に移動できることかも~~^^無色透明~~あ~~。。。無色は無職ですがあ~~。。。とうめい。。あ。。そだそだ~~シンクロ度合いをあげて~~空気でシンクロできることなんかも~~♪♪
  • 2006/05/27-08:51:55
  • 投稿者 : バニー
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[C1668] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

>勝てば自分の技がすごいと思い、負ければ自分がダメだと思います。

こう考えれば、小次郎は「私は原因」であったと思えます。
一見、「私は結果」のように見えるのに・・。
視点が個にだけ向くと、どうしても「私は原因」になるのかもしれない・・。

自分の腕を磨くことよりも周りに目をやった武蔵は、自分だけでなく、自分の周りも結果であり、それをうまく利用したのではないかと思いました。

[C1667] 世界観の差

 小次郎は自己の無意識を突き詰めた技が原因で勝とうとしたのかもしれません、自分が無意識に自由自在に動きまわれるそこまで努力した存在で負けるわけはないといういわゆる内観だけにたよった世界観を持ってたように思います。片や武蔵は自分のちっぽけさ無力さを認識して自分の力を発揮できるためにはどういう状況にあればよいかという周囲と自分の関係性を考えた世界観にもとづいて作戦を進めていったような気がします。そこに現実認識をするということに対する大きな違いがあったように思いました。
  • 2006/05/27-03:04:24
  • 投稿者 : yk
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[C1666] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

策略を練った武蔵は、自分の力に固執していなかったのだと思います。

だから、外側に開かれていて、外側と対等で・・

だから、武蔵は、外側とつながり、ネットワーク的だったのだと思いました。

一方、小次郎は、視点が「個」の能力・・
剣の技だけに閉ざされていた・・
私は「原因」は、とても狭い世界だと思いました。

ネットワーク的な私は「結果」は、
とても広い世界だと思いました。



[C1665] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

身体は無意識の領域なので、身体能力を高めるというと、ハンドルを手放して無意識に身をゆだね・・・と一見すると思えますが、実は自分にがちがちに固執していると思います。
自分の技を磨き、それで勝負しようというのだからです。
 
一方、剣の試合なのにあれこれ策略を練るのは、汚ねぇ~~といわれます。
剣豪としてのプライドに凝り固まっていたら、とてもできないと思います。
そして武蔵は自分の技よりも、人や自然を含めたネットワークというものを考えていたと思います。

[C1664] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/05/27-01:02:20
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[C1663] 今まで武蔵のような人物は私にとって

圏外でした。死角だったといういいかたもできるかもしれません。武蔵がなぜ人気があるのかもよくわかりません。一方、小次郎ならば少しは理解できます。

そこでずっと武蔵のことを考えていました。よくわからないのですが「私は原因」が明確な形になったのは、近代以降だと思います。小次郎が私は原因派だとしたらそれは小次郎が剣の道に入り、強烈な個というものを剣の道を通じて確立していったからだと思います。

そのように考えていくと、武蔵は、むしろ「私は原因」以前の人間なのではないかという考えに至りました。武蔵に強烈な個があるかというと、小次郎ほどそうではなく、剣の道に入ったとしても、その道を進むにつれて、むしろ近代的個と決別し、動物的本能を剣の道に統合する方向にいったとも考えられると思います。

小次郎が剣の道を究めるに従い、まるで獰猛な猛禽類のように鋭くなり、また同時に、視野狭窄に陥っていくのに対して、武蔵の戦い方は、草食動物のように、むしろ周りの環境に対して視野が広く、感覚が鋭敏になっていきます。

小次郎が自らを殺人機械に鍛え上げていくのに対して、武蔵がやったことは自らを非常に鋭敏なセンシングシステムにしていくことだったのかもしれません。

それは人間が自然と強烈に対峙して生きていたころの感覚(つまり、風や潮の流れ、雲などを読むなど)を呼び起こすものだったのかもしれません。近代人以前の人間としての武蔵像から武蔵を理解しなくてはならないのかもしれません。

ところで、「私が原因」の歴史がせいぜい3、400年だとすると、それに適応できずに、精神を病む人やストレスを感じる人が出てきてもおかしくないと思います。運命を含めて、周りの環境の影響や剋を強烈にうける「私は結果」的生き方のほうが、人間にとっては、むしろ自然なのかもしれません。
  • 2006/05/26-23:34:18
  • 投稿者 : ナイル
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[C1662]

自分に自信が無いときはどんなものでも取り入れて模索すると思います。
でも、何かが非常に上手くなって自信が着くと途端にそのことに固執してしまい他が見えなくなると思います。
うまくいくのは運しだいだと思っていたら自信が有る無いの問題ではありません。
だから策略ができたように感じます。

  • 2006/05/26-23:07:53
  • 投稿者 : 小町
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[C1661] >巌流島は「私が原因」と「私は結果」の戦い

自分と比べるのもなんですが、「私は結果」を私が理解するには、六爻占術や
盲師派推命占術のような精度の高い占いの考えの助けを受けなければ、絶対に
わからなかったことです。
武蔵が理解しているところの「私は結果」については、人の運命は決まって
いるというような視点ではなく、「鳥の声」のように、自分は自分以外の
すべてによって、自分というものが成り立っていると考えていたのだろうと
思いました。
しかしそれは後天的に身に付けたように見えますが、そうではないと思います。
「鳥の声」(私以外が原因)といった考えを誰もが受け入れるかというと、
そうではないと思います。
 
いくら説明しても頑として受け付けない人はいると思います。
 
しかし事実である事例をたくさん示していけばいいのだとも思います。
 
「鳥の声」つまり自分以外によって動かされているという考えを受け入れる
下地が武蔵には生まれつきあったのだと思いました。
  • 2006/05/26-22:01:33
  • 投稿者 : イーキン
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[C1660] 知ったかぶりの「私は結果論」

ハンドルを手放したつもりになって、己の無意識に身をゆだねる・・・これ、私のことです。
小次郎はまだマシです。 少なくとも、無意識化するところまで技を磨いたのですから。
私は、そういうことすらせずに、「私は結果」だとばかりに、すべての”可能性や視点”を
始めから手放して、諦めていました。(泣)

本当に手放すべきだったのは、私の浅はかな、知ったかぶりの「私は結果論」でした。

ということで、今日はこれ以上、自分に焦点を当てるのが辛くなりました。 私のことは別
にして、興味深い新聞記事を見付けました。 それを書きますが、お許しください。
一昨日5月24日の日経新聞夕刊18面、「駆ける魂」に掲載されていた記事です。
サブタイトルは”「鳥の目」から生まれる美技”。 サッカーの中村俊輔選手について書か
れたものです。

試合中の中村選手には、二つの視点があるとのこと。 グランドに立つ二次元的な視点と、
もうひとつは、空を飛ぶ「鳥の視点」です。 鳥の視点とは、上空から各選手の動きを見る
視点です。 中村選手の絶妙なパスワークは、この鳥の視点から繰り出されるのだそうです。
鳥の視点は無意識のようだと思いました。 ちなみに、中村選手は、車の縦列駐車がとても
上手いそうです。 なぜなら、上空からベストの位置を測れるから、とのことでした。
(スポーツライター荒川敬則氏による、上記日経新聞夕刊の記事から要約しました)

[C1659] 技

いくら技を磨いても起点が個なら、勝負の結果は個の力量不足だと思ってしまうのだと思います。技に囚われずも、技を磨くことができるのかどうかと思いました。

分かりませんでした。

囚われなかったら、自然と技以外の外側にも目が行くのだと思いました。技に囚われないなら、技を使う自分にも囚われないのだと思いました。

現代なら、心を磨けば世の中で上手く生きていくことができるのかに置き換えてみました。

心を磨くのは、自分の視野を減少させることになると思います。
心を磨くのは、エゴの増幅になると思います。
いくら心を磨こうと思っても、磨き方も分からないし第一、磨こうとする自分の心さえ分からないと思いました。

>武蔵は、自分の技だけを信じていませんでした。策略を練る事に日々を費やします。

武蔵に失礼ですが、自分自身を信じていなかったのかもしれないと思いました。自分の技、今までの勝負の経験など。
技は、経験の積み重ねによって上がって行くと思います。でもそれだけではないことが、経験によって分かっていたのかもしれません。
案外、武蔵も技を磨いた時期があったのかもしれないと思いました。(ブログで詳しい内容を知ったので、この巖流島の部分しか知りません)

[C1658] >「私が原因」と「私は結果」の戦い

剣で生きる姿勢の違いは、生死をも左右することになります。

小次郎は信念を貫き通すタイプ…
武蔵は「自分」をちっぽけな存在として信じないタイプ…

普通信念を持つことが美徳とされています。
しかし、信念を貫き通して、自分が思い描いた結果になりませんでした。

普段私たちが教えられることも一度見直す必要がありそうです。

[C1657]

意識を太陽や潮の満ち引き、時間など、すべてにおいて想定=仮想の現実化を施しておくということは、ものすごい広範囲に「私」という結果をあらかじめマーキングしておくことのように思いました。
これが、私が結果的なら、きっと、トラップを全方位でしかけて、私は待つだけのような心境だったのではと想像してしまいました。コトを、すべてやり終えた心境です。

小次郎は、無意識の反応をする体だけに、すべてを任していたのなら、まだマーキングをどこにもしていない状態でしょう。意識を極力薄めて、剣と自分を一体化させて、反応スピードを最大限に高めます。この時、まだ、コトを起こしていない状態ですから、つねに、今の剣を握る「私」が原因になって、次の一手が繰り出されそうです。

[C1656] 巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

小次郎はあくまでも技にだけこだわって技をみがくこと
が目標だったのだろうと思います。
ツバメ返しはそれほど自信作であったと思います。
武蔵は五分五分であってもつばめ返しの技には
勝てないと自分の技を肯定したところから
全方位になれたのだろうかと思いました。
>武蔵は「私は原因」では勝てない
こう思える武蔵はやっぱりすごいです。

  • 2006/05/26-15:26:00
  • 投稿者 : Ciel
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[C1655] ソロとバンド

小次郎は自作自演のソロアーティストぽい気がします。
とてもきれいなメロディや詞が自分に降りてくるのを待っているようです。
一度ブレイクしたらそのやり方に固執しそうです。
また曲で勝負とかいって、演出などどうでもいい感じです。

世間で一発屋と言われている人はほぼソロで自作自演タイプが多いようにも思われます。

一方武蔵は一応名義はソロですが、自分のチームを作り自分の楽曲に重きを置きすぎず、ライブの演出やCM効果を同列に見て実用しています。

もしかすると武蔵バンドとしてメンバーの楽曲もプレイリストに入れるということもしていそうです。
自分の曲がダメなら他の奴のでいい奴使え!といいそうです。
またソロでも成功している人は大体チームで成功していると思います。

周囲の環境をバンドメンバーにした武蔵が勝つのは言うまでも無かったのかもしれません。


[C1654] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

どれだけまわりを味方をつけたかが勝因だったのかなと思いました。

小次郎は自分の技で武蔵を倒したかった。小次郎の持った問いは「自分の技で勝つかどうか?」だったと思います。
小次郎はそれだけこだわりを持っていたということなのでしょうが、自分に目を向けすぎていたことでまわりを味方につけれなかったということなのかと思います。それだけ自分自身がすべてだと思っていたのかと思いました。

武蔵は自分のことより「勝つためには」という根底の問いを持つことで、たくさんまわりが味方についてくれたのだと思います。

やはり武蔵には「自分はなんでもないんだ・・」という認識を持っていたのだろうかと感じました。
そのことで、まわりに対する視点が確実に広がったのかと考えます。

[C1653] そうですね・・・

私は小次郎だな(爆)
「私が原因」とゆう結果を・・・ずっと生きてきたように
思います。
確かに、勝っているうちは楽しかったけど(なにに?)
「運命」にぶつかり・・・立ち往生してしまったこともあり(爆)
「私が原因」って調子づき(爆)「個」の幸せのなかに埋没し過ぎて
「不幸になってみたい・・・(爆)」といって知らないうちに(汗)
ほんとに「私は原因」から抜け出せなくなって・・・(笑)
でも、それすら・・・結果か(汗)
どっちにしろ「運命」には勝てない、と思っていた。
そして「運命」とゆうものを、すごく美しく思ってる(美化しすぎかも)
ここまでの出会いも、それはそれ、あれはあれで良かったように
思います。
苦しくても笑える、とか、笑えるようなことを大まじめにする、とか
いつだって「問い」(ツッコミ?)を入れられるのが
「私は結果」のような気がします(・・・?)
かなしいも、嬉しいも、切ないも、楽しいも・・・もしかしたら
感情までも結果なのかもしれない(受け取り方があるとしたら
原因っぽいから)そうすると、自分は一体どうなるかな?とか
なんで、今泣いてんの?とか、考えると・・・忙しい(爆)
感情だけに、かまっている暇がなくなるな(汗)
もちろん、ひたることもあるけれど(好きだから、笑)
でも、ずっと・・・ってやっぱない気がする。
こんな切ないキモチだって、きっと今しかひたれないのでしょう(?)
いや、ずっと・・・
続くかもしれないし、わかんない(汗)・・・。
なげやりでなくて、ほんとに、死んでも死なないんなら、「長っ」って
思うから(爆)
「運命」から自由になっても、まだ続く・・・(わーーー、爆)
生きてる世界だけに縛られて、あの世とか眼中になかったから
それはやっぱ、狭かった(汗)ムカついた奴もいじめ倒しても、
またあの世で復活するんだから、もっと徹底的にやってもイイの
だろう(爆)
たぶん死んでも、好きなものは変わらず、ずっと星を見上げるような
そんなキモチかもしれない。どっちも等しくある。
気づいたら生まれていたけれど、これからは、意識して死んで、また
生まれてくるんだ・・・と思った(爆)
でも、意識して生まれる時「運命ってどうなるんだろう?」そう
思いました。
今までは決められなかったけど、決められるのかな?
そしたら・・・(爆)また、面白そうだな(!!)
なんか、生まれる前に「約束して!」とか言って(なんの話?)
以上です。




[C1652] >巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い

武蔵は自分の力だけではどうにもならないと思い、そういう意味では諦めの境地でもあって、周りのもの(自然も含め)への感謝の心みたいなものもあったのではないかと思います。そういう心が、地の利を味方に、戦う前には佐助に絵を描いて渡すというところにも表れているようにも思います。
それが、私は結果ということになるのかよくわかりませんが。。
自分の力だけでは及ばない広大な自然や世の中というものを感じていたのかもと思います。
小次郎は卓越した技を持ち、自分で努力すれば何でも叶いそうな人生を生きてきたのかもと思います。それが、外側より、個へと向かわせたのかもと思います。(よく知らないのでずれているかもしれませんが。。)

[C1651] 武蔵

 外が大事なんだと思いました。
 小次郎は自分の技中心に勝負を捉え。一方、武蔵は剣の技以外の外(太陽の位置、時刻、道具等)も捉えていた。自分以外の外の要素が勝負のゆくえを大きく作用するという、あぁ、「私は(外の)結果」の考え方になるなと理解できました。
 
 自分に有利な要素が多いほど勝負には勝てるので、武蔵のしていることはある意味当然な事かなとも思います。でも自分はやはり小次郎的な考え方、行動の仕方をしているように思います。
 武蔵の戦い方は、ものの捉え方、宇宙とか自然とかの捉え方から違うのからそうなるのかなと思いました。
「鳥の声を聞け」にあるように、「私は結果」なのだという達観があるのかなと思います。
 武蔵の評価はいろいろあるようですが、やはりすごい人だったのだなと思いました。
 

[C1650]

ハンドルを手放すというのはどういう事だろうと思いました。車の運転なら小次郎は運転テクニックに磨きをかけていったのだと思います。そして彼の代わりは誰もいない。
武蔵は誰が運転したって。。着けばいいんだよと思うのではないかと思いました。そしてそこで席を変わり。。命を預けられたのが。。強烈だ。。なんで信用できたんだろう。これができないから普通はハンドルを手放せないんだと思うのですが。。
信用。。武蔵という人は自分がたいした事ナイというのを知っていたからこそ。。外にその身を預けられたのではないかと思いました。腹だって空く。女を見ればツバメを斬らなくてもムラムラする(してたかどうか知らんけど。。武蔵。。すまん。。汗)いくら剣が強くたって。。そこだけで生きてない。。と思ってたのではないかと思いました。そして他のものだってそうだと思っていたのではないかと思います。信用できないものを沢山集めて。。それらが時折見せる一瞬の信頼に足る瞬間をとらえていたのではないかと思いました。だから。。全方位。全ては一瞬だから。その一瞬をとらえる事しか武蔵に取って確かではナイから。。
武蔵の車はドライバーが。。武蔵だったり。。太陽になったり。。櫂になったり。。佐助になったり。。だったのではないかと思いました。そしてそこに確かなドライバーを得るために。。常に全方位だったのではないかと思いました。
 
>勝てば自分の技がすごいと思い、負ければ自分がダメだと思います。
 
私はいっつもコレだけど(笑)武蔵は違ったのだろうと思います。武蔵は名プロデューサーだったのだと思います。助手席で自分を含め。。采配をしていた。。小次郎は一人で気力と体力と感によって運転していたのだと思います。武蔵という人は「汚ねぇ」。。(笑)ドライバーが。。なんでもアリです。そこに。。のれりゃなんでも。
 
しかしそうだということは武蔵はオノレの弱さみたいなものを一番知っていたのだろうと思います。いやになるほどそれとつきあっていただろうと思いました。そしてそうだから他に確かなものもはなから求めなかっただろうとおもいました。お通でさえ一緒ではなかった。。。
しかし不思議な事にそれが人と人の間では緩さをうみ。。心の付き合いが顔をのぞかせたのではないかとそう思いました。佐助も大旦那も。。信用されていなくてもそんなとこでは繋がってなかったのだと思いました。(と書きながらわかったような。。わからないような。。汗)

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  • 2006/05/26-10:34:51
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