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[C1728] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

ブツ(刀が作られたり、携帯が普及したり)が発展していくことは、それは直接的視点で便利に効率的にしたいから発展していくのかと思いました。

このような発展は過去と現在を比較して判断しているようです。

つまり「私は原因」的な要素が多いのだろうと思います。

「私が結果」というのは、原因を探らないから、ある意味「なんでいいでしょ」という解釈に発展するのだと思います。

それはどんなにいい車乗っていても、どんなにいい家に住んでいても、そのような人がほんとに強い人なの?と言っているようなものなのかと感じました(確かに、まだいい車といい家は手に入れてないので、偉いこと叩けませんが(汗))。

「私は結果」の強さは、型にはまらず、根源の問いを持つことで、すべてのものを味方につけることができるところにあるのだろうかと思いました。

さらにぐるりめぐって、「私は原因」として欲が出る、金運などを高めてくれるのかと思いました。

ほんとにすごい考えだと思います。

[C1719] 巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

 「私は原因」と「私は結果」を、私は良く解っていないということがよく解りました。
 「「私は結果」原因の世界への旅」の本を読み返したりしていましたが、それでも良く解りません(これで解ったら、もっと前にわかっていたと思います、、、)
 しかし、ちょっと思ったのは、「私は原因」過去の積み重ねで、「私は結果」は、未来っていうふうに考えると、小次郎は過去なので、「そんな物」に見えたり、今までの修行での剣術の全てで対決しようとしますが、武蔵は今の自分の技量をあきらめて、未来を考え、武器の長さ、日の位置、言葉による心理作戦、いろんな事を考えたと思いました。
 そんなふうに、解釈すれば、「私は結果」は「私一人に責任はない!」だから、「みんなみも助けてもらおう」で、1対複数で「私は結果」が強いのかなと。

[C1701] 「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」

んん~~。。櫂では、勝てない~~。。。汗汗汗。。。ということは、概念をもっともっと。。。広げよ~~ということかなああ~~。。・・・・・がいいねん~~拡散しながらオンリィワンこもしれませ~~ん。。。え~~。。いくためには~~いくためには~~いくためには~~汗汗汗~~
  • 2006/05/28-10:44:29
  • 投稿者 : バニー
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[C1697] 体と能力・技術と道具と環境・状況・ムード

最新の道具さえあれば勝てると思います。

拳。こん棒。そして刀。
そして火縄銃。

映画ラストサムライではマシンガンを使っていました。
今は核ミサイルです。

道具自体の威力が増すほど
自分自身の能力・スキル・技術が不要になっていきます。

道具は私の体から離れています。



小次郎は道具である刀と一体化することで
刀が私の一部になるようにしていったのかと思います。

カマキリのように手が鎌みたいになれば最強になるんだとおもったかもしれません。
私は強い。です。



「自分と道具」の結びつきです。

でも武蔵は
「状況(環境)と道具」の結びつきかなと思います。

小次郎は
1自分、 2能力・技術、 3道具 じゃないかと思います。

武蔵は
1状況・環境、2道具、3技術・能力、4自分 
じゃないかと思いました。

が違うかも知れません(汗)

これは「私は原因」と「私は結果」
という区別のほうが近いかも・・・。
  • 2006/05/28-05:37:27
  • 投稿者 : ノリー
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[C1696] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

「私は結果」の世界は、積み上げ、成長、発展のない世界だと思います。
「私は原因」にはそれがあると思います。
武蔵の、歴史を逆戻りする櫂を、ここ一番の勝負に持ってくるということは、常識では考えられないことだったのかかもしれません。
でも、「私は結果」は、どの時期を切り取って取り出しても、「完全」なので、切るという行為に対して、櫂や棍棒が時代遅れということではないのだと思いました。

もりけんさんの昔の話が全く色あせてなくて、今の時代でも十分通用することと同じかなあと思いました。

[C1695] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/28-01:13:31
  • 投稿者 :
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[C1694] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

私は結果は意表をつく?

決闘で太くて重そうな櫂を使うのは腕力はいるわ機動性には劣るわで、一見武蔵がとてつもなく不利に見えたのではないかと思います。

私は結果も腑に落ちるまでは時間がかかります。
私は結果を受け入れるには意志の強い人ほど悔しいものではないかと思います。

小次郎は意表を突かれ、触れば切れる剣を持っていたのに敗れました。
櫂如きに負けて内心意外だったのではないでしょうか・・・。

私は原因派を掲げる人達も自分で選んで生れてきたと思っているのに次回の転生ではこんなつもりではなかったと意表を突かれるのでしょうか・・。
  • 2006/05/28-00:49:23
  • 投稿者 : 空タネ
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[C1693] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?


長刀と木刀(櫂)だけを比較すると、「そんな物」に見えてしまうのだろうと思います。
それは、小次郎が、技や能力だけで戦ってきた証拠だと思います。
一方、全方位につながった武蔵にとって、それは一部でしかないと思いました。

[C1692]

〉「技」だけの勝負だったと思うからです。

〉小次郎から見れば「そんな物」に見えても仕方がありません。だって歴史を逆戻りするようなものだからです。

小次郎に限らず、私達というのは歴史にのって「技」を磨いているのではないか。。と思いました。確かに棍棒は鉄製の武器に替わり。。「技」は補強されました。しかし。。それで私達が成長したかと言うと。。まったくしていないのだと思いました。最新の武器であれマシンであれ。。使うのは「ただの人」だと思いました。

確かに武器そのものとしての性能の差はあるのだと思います。「技」を極めるその一角を武器の精度が。。しめるのだと思います。しかしそれが。。最新だからとて。。最強とは限らないのだと思いました。いつも「技」が極限まで発揮できる状態なんて。。あり得ないと思いました。

携帯からカキコなので。。(汗)なんか収集がつかなくなってきました。。(こんな長文書いたことない)

今日思ったことは。。成長しない人間が「技」を極めてあたかも成長したかのように思ってしまい(小次郎がそうかはわかりませんが)、その「技」だけが最大限まで発揮される瞬間を見ようとすることは。。「狭い」。。と思いました。「技」がやぶれれば終わりです。。なんかそれてキましたが「技」にかけたら終わりだと思いました。極限まで技が表現できないのが普通で。。状態。。外側を見て臨機応変にイカないといけないのかなと思いました。

[C1691] >小次郎が対戦してきた相手は、「私は原因」の人ばかりだった

ずっと、日本人は(世界中の人たちも恐らく同じでしょう)「私は原因」の人同士で戦ってき
たと思えます。 そんな戦いとは、突き詰めれば「能力の違い」がモノを言う世界かもしれま
せん。 そして、実際に戦う前から、人は目と目で火花を散らしたりします。 その瞬間に、
ある程度は勝ち負けがわかることもありそうです。 それは瞬間のことだとすれば、ほとんど
は無意識で判断しているのでしょうか? 

人は(いえ、私だけかも)知らず知らずのうちに、能力を測るモノサシのようなものを持って
いて、自分と相手との能力の差を比較しているのかもしれません。 そして、あの人は自分よ
り優れていると思えば落胆し、劣っていると思えばバカにしたり・・・ふぅ~滝汗。

一方、武蔵はと言えば、バカにしたり、バカにされたりする感覚を超えているように思えます。
「全部オレが一人でやっている」と思えば、バカにされたら悔しいと思います。
「全部をオレが一人でできない」と思えば、外を見て自由な発想が飛び出しそうです。 
武蔵はそうやって、常識を越えたのかもしれないです。

[C1690] >>巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

「私は結果」と「私は原因」の違いが今ひとつわかりませんが。。
小次郎にとって、>そんな物(櫂)<を使う武蔵の思考は想像もつかないものだったと言えると思います。思考の仕方が全く違うとも言えると思いました。

[C1689] 道具

道具の使い方は決まっています。
食器は料理に壷は生花にと決まった使い方があります。
でもその用途は人が便宜上決めたもので壷を料理の入れ物と使うことは可能です。
櫂は切れ味は無いですが叩くというものにはぜんぜん支障が無いです。
どんなものも馬鹿にできません。
母が阪神大震災の時にゴミ袋に水を確保しようという案を出して実行した覚えがあります。
それはすぐに必要ではなくなりましたが限定しないとゴミ袋も水タンクに早替りで生き残れます。

  • 2006/05/27-21:05:08
  • 投稿者 : 小町
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[C1688] >「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」

小次郎は、俺は武蔵にこばかにされているのでは・・・と思ったかもしれないと思いました。自分はつばめを斬って剣の技術に磨きをかけてきたのに、相手は櫂です。

何なんだ~コイツは・・・と思ったのかもしれないと思いました。

けど、結果から探って行き、結果である「勝ち」があるならば、何でも良いのだと思います。

結果から見ていけば、勝つための可能性を考え、そこに至るまでのさまざまな過程は広がりを見せると思いました。点から出発し、360度の思考プロセスが可能だと思います。

原因から出発すれば、点から出発しても点にしかたどり着けないと思いました。点から点への移動なら、直線コースが妥当なのではないかと感じます。

そうなると、小次郎の場合腕を磨くことは必然だったのではないかと思いました。

[C1687] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

小次郎は、剣の技を磨くという一点において、事故修練を積み重ねてきた人だと思います。

なので、使う刀も、どんどん進化させてきたことでしょう。

それは、人類にとっての文明や道具の進化とも重なります。

武蔵は、こん棒を使いました。
櫂を使いました。

それは、通常の進化というスケールを当てはめてみたとき、歴史を逆行させるようなものです。

だから、小次郎にとって、
それは、

「そんなもの」

として映ったのでしょう・・


しかし・・

道具の進化は、ある一点に向けての進化向上であり、それは、「個」の視点であり、
向かえば向かうほど、
外側が見えなくなり、
内へ内へと篭っていくことに等しいのではないかと思いました。


武蔵は、外側に視界が開かれていました・・

だから、自然界にあるすべてのものが武蔵にとっての味方であり、身体の一部だったのだと思います。

「私は結果」には、進化向上という一点に向かう方向性はなく、
今、ここで、視界がひらかれ、外側とつながるということだと思いました。


[C1686] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

剣豪にとって、鉄製の刀は命の次に大事なものだと思います。
勝敗の決め手になるのも技だけではなく、刀の出来だって作用すると思います。
小次郎は自分の技と刀の一方向だけに注意を払っていて、今までの対戦相手も
同様だったのでしょう。
そんなところに櫂なんか持って現れたら、小次郎にしてみたら、なんじゃそりゃ、
と出鼻をくじかれるようなものだし、それも武蔵の全方位の作戦の一つだったの
だと思いました。
櫂を使うことは、決戦時の太陽の位置を考慮したり、わざと時間に遅れたりといっ
たあらゆる方向の作戦のうちの一つのパーツにすぎなかったのだと思いました。
剣豪にとって重要な刀を単なるパーツにしてしまった武蔵は、自分以外にすべて
をゆだねたのだと思いました。
  • 2006/05/27-19:11:14
  • 投稿者 : イーキン
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[C1685] 小次郎は、

「私は原因」の人たちばかりと対戦してきた・・は
確かに・・です。
「私は原因」を突き詰め、身を削ってきた人たちばかり・・。
小次郎は、武蔵の持ってきた櫂を見て、本当に
何を考えているんだ・・とあきれてしまったと思います。
小次郎からすれば、きっと負けた理由がさっぱり分からない・・。
>「私は結果」のひとつの強み
相手には全く気づかれない、読めない策略?!
う~ん、何だろう・・。
  • 2006/05/27-18:52:48
  • 投稿者 : まる
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[C1683]

私は結果と私は原因の差は何なのだろうかと・・
 
ひとつは視線の方向が外側と内側なのだと思います。
  
小次郎は内側を見つめることで強くなったのだと思いますが、武蔵も同じように内側を見つめていた時期があったような気がします。
 
でも、武蔵は内側の視線に満足できなかったのかも・・
内側に限界を感じたのかもしれないと思いました。
 
内側から外側に視線を移した時、いままで見えなかったモノや、聞こえなかった音を聞くことが出来たのだと思いました。
 
内側は自己完結しています。
でも、外側は完結することがありません。
 
私は結果の強さは、決して完結しない強さなのだと思いました。

[C1682]

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[C1681] 進化・進歩とブツ

歴史の歩みって過去から未来に向かうにつれて、進化しているとか進歩していると言われたりします。
特に技術的なことは進歩や進化が生命線になっていると思います。

しかし、進化・進歩とは一本の道筋を辿っていくようなものであり、その道以外は切り捨てているのだと思います。

またブツにこだわっているような気もします。

小次郎は多分刀にこだわったと思います。
そして刀に付随するものにこだわっていったようです。

武蔵は「勝つ」という場面にこだわり、その場面に合うものを探しただけだと思います。

ブツが場面を制するのではなく、場面に応じたブツを使うことが場面を制することに繋がるのかもしれません。

[C1680] 巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?


ドラマでは、武蔵は木刀のテンションも体に覚えさせていたし、不具合を修正するために何度も櫂を削っていたと思います。

>「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」
そんな物と思わせるところもまた策略のうちなのか。。。そう思うと武蔵ってやっぱりすごいです。

 
  • 2006/05/27-15:26:18
  • 投稿者 : Ciel
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[C1679] > 小次郎はずっとそれで勝ち続けてきました。


相手が「技」だけで挑んでくるのなら、小次郎は相手の技量など関係なく
自分の技を徹底的に磨いておけばよかったんじゃないかと思います。自分
の剣の腕が相手より上ならば、自動的に勝つようなものだったのだと思い
ます。
 
でもそれは逆に言えば、自分の技量以上のものは使えなかったということ
だと思いました。
 
>「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」
 
小次郎にとって櫂は「木は鉄で切れる」だけのものだったのかもしれませ
ん。実際に木は鉄より弱いから小次郎の判断は間違っていません。
でも櫂の櫂としての性能以外のことは考えたこともなかったろうと思いま
す。たとえば見た目より長いとか、櫂の背の部分で殴ればかなり硬いとか
です。
 
それに「私は結果」は一つとは限らないということも、刀一筋の小次郎に
は考えつかなかったかもしれないと思いました。

[C1675] 油断?

 小次郎の立場になって考えると、「武蔵は自分の剣の長さに対応して長い櫂を使ってきたのか。櫂などこの剣で切ってくれよう。」と武蔵の考えの浅はかさを馬鹿にしてしまったのかなと思います。
 櫂と長剣をくらべれば、そりゃ長剣が有利だと思います。油断。
 遅刻したり、太陽の光を利用したり、小次郎にすれば武蔵は小賢しい策を利用するだけにしか見えないのかもしれません。
 「剣で勝負できないのか。」そんな言葉が聞こえてきそうです。この部分が「私が原因」そのものなのかなと思います。
 「私が原因」から見ると「私は結果」のすることが小賢しく見えてしまうものなのかなと思います。油断ができるのかな。
 逆に「私が結果」からはこの点が有利になるのか名と思いました。

 続きを読んでまた考えたいです・・・・・・。
 

[C1674] 武器としての櫂

 刀とこん棒の櫂とでは当然、殺傷能力が違うでしょう、多分武蔵が頭を狙わなければ、一撃で小次郎を倒すことは出来なかったかもしれません。刀であればそれがあたった部位は致命傷を負うはずです。もしかしたら長さを見せずに櫂で油断させる、そして頭をジャンプして攻めるまで武蔵は策略を練っていたかもしれません。小次郎は櫂と刀があえば櫂など切り落とせると思っていたと思います。それが言葉としてでたかもしれません。思い込みや常識にとらわれてると足をすくわれかねないのかもしれません。
  • 2006/05/27-12:04:39
  • 投稿者 : yk
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[C1673] そんなモノ・・・

「こん棒」って、あの木の棒ですよね。
先が丸く削られているやつ・・・かな?と思います。
小次郎は「技」は磨いたけど、道具を自分で作った(削ったり)
したわけではないんですね(?)きっと。
武蔵の「櫂」は、拾って自分で削り、磨き(?)ました。
自分で納得するまで、そうしたのだと思います。
「これで、だいじょぶか・・・?」と、自問自答していたのでは
ないでしょうか。
「技」だけに頼らない、勝負に必要なものすべてに目がゆき届いて
いる・・・。
「私は原因」とゆうのは、私が主役で、あとは付属ブツって感じで、
「私は結果」とゆうのは、周りが主役で、自分はそれらによって成立して
いる・・・そんな感じです(汗)
だから(しつこい!)こんな時代を逆行するような、木刀でも
勝てたのだと思います。
もしかして、鉄の方だったら、加工の段階から作りはじめたかも
しれません(汗)

[C1672] 「私は結果」のひとつの強み

私もそう思いました。
私は原因なんだと考える人は常識を疑いません。

でも 武蔵ほどの剣豪と対決する小次郎が武蔵を認めていたとしたら、武蔵に秘策があるのではないかと直感的に感じ取れたのではないでしょうか

にもかかわらず、武蔵に真っ向勝負を挑んだ小次郎は、私は原因を捨てられなかったのだと思いました。そりゃそうです 命賭けの勝負の真っ最中にいきなり私は結果とはいきません

  • 2006/05/27-11:43:08
  • 投稿者 : 太郎やんS
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[C1671] 今週のもりけんさんの書き込みで、

24日と25日で少し視点が変わっていたと思います。最初武蔵は意識の側に居ました。それが小次郎も無意識、武蔵も無意識で、その種類が違うのだ、という視点に変わりました。

やはり武蔵も無意識がキーか、と思いました。

小次郎と武蔵の勝負から、象徴的に、様々な対立する二つのものに思いをはせることができます。

小次郎が、ある一面だけは非常に強さを発揮するものの、実は脆弱で苦痛に満ちた「近代的自我」を象徴するとすると、武蔵は、自然の激烈な介入を受け続ける、近代的自我以前の野人としての骨太な自我、ととらえることも可能かもしれません。

人間の社会に「病」や「不具合」「暴発」などがあるとしたら、おそらく自然の剋を受けなくなったことが原因なのかもしれません。

ところで昨日、例の「100匹目のサル」の社会に精神病というものはあるのかと考えていました。おかしくなるサルはいると思いますが、問題は群れがそのようなサルをどう扱うかだと思います。

おそらくそのようなサルたちは、精神の病であっても、手厚く治療し、直そうとするのではないでしょうか。

人間であれば治療を拒否して、群れから離れてひとり旅に出ることができますが、サルはできないと思います。へんな薬物のはいったイモを食わされるかもしれません。

その結果、おそらくそのサルは治療のかいなく、群れの中で、狂死するのではないかと思います。

話は武蔵と小次郎に戻りますが、小次郎が斬られたというのは、古代の野人の本能に、近代的な薄っぺらな自我が切り捨てられたという見方も出来ると思います。

そうすると小次郎と武蔵の戦いは大脳皮質と爬虫類の脳の戦い、あるいは、生命力の充実度の差で勝負が決したと見ることもできるかもしれません。
  • 2006/05/27-10:43:00
  • 投稿者 : ナイル
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巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

 小次郎が対戦してきた相手は、「私は原因」の人ばかりだったと思います。「技」だけの勝負だったと思うからです。
 小次郎はずっとそれで勝ち続けてきました。
 
 彼は巌流島で初めて武蔵と対戦します。
 吉川英治の原作にはなく、NHKのドラマではこんなことを言うシーンがありました。
 
「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」
 
 小次郎が「私は結果」に初めて対面した場面だと思います。彼は「私は結果」をバカにしました。
 
 そりゃあそうです。長い刀と木刀(櫂)とを比べれば、刀が強いに決まっています。
 
 人類は鉄を発明します。それが発明される前は、こん棒でマンモスと戦っていました。しかし鉄が発明され、それが武器になると勝率は一段と上がりました。触れば切れるからです。
 
 小次郎から見れば「そんな物」に見えても仕方がありません。だって歴史を逆戻りするようなものだからです。
 
 ここに「私は結果」のひとつの強みがあると思いました。
 
(続く)
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26件のコメント

[C1728] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

ブツ(刀が作られたり、携帯が普及したり)が発展していくことは、それは直接的視点で便利に効率的にしたいから発展していくのかと思いました。

このような発展は過去と現在を比較して判断しているようです。

つまり「私は原因」的な要素が多いのだろうと思います。

「私が結果」というのは、原因を探らないから、ある意味「なんでいいでしょ」という解釈に発展するのだと思います。

それはどんなにいい車乗っていても、どんなにいい家に住んでいても、そのような人がほんとに強い人なの?と言っているようなものなのかと感じました(確かに、まだいい車といい家は手に入れてないので、偉いこと叩けませんが(汗))。

「私は結果」の強さは、型にはまらず、根源の問いを持つことで、すべてのものを味方につけることができるところにあるのだろうかと思いました。

さらにぐるりめぐって、「私は原因」として欲が出る、金運などを高めてくれるのかと思いました。

ほんとにすごい考えだと思います。

[C1719] 巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

 「私は原因」と「私は結果」を、私は良く解っていないということがよく解りました。
 「「私は結果」原因の世界への旅」の本を読み返したりしていましたが、それでも良く解りません(これで解ったら、もっと前にわかっていたと思います、、、)
 しかし、ちょっと思ったのは、「私は原因」過去の積み重ねで、「私は結果」は、未来っていうふうに考えると、小次郎は過去なので、「そんな物」に見えたり、今までの修行での剣術の全てで対決しようとしますが、武蔵は今の自分の技量をあきらめて、未来を考え、武器の長さ、日の位置、言葉による心理作戦、いろんな事を考えたと思いました。
 そんなふうに、解釈すれば、「私は結果」は「私一人に責任はない!」だから、「みんなみも助けてもらおう」で、1対複数で「私は結果」が強いのかなと。

[C1701] 「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」

んん~~。。櫂では、勝てない~~。。。汗汗汗。。。ということは、概念をもっともっと。。。広げよ~~ということかなああ~~。。・・・・・がいいねん~~拡散しながらオンリィワンこもしれませ~~ん。。。え~~。。いくためには~~いくためには~~いくためには~~汗汗汗~~
  • 2006/05/28-10:44:29
  • 投稿者 : バニー
  • URL
  • 編集

[C1697] 体と能力・技術と道具と環境・状況・ムード

最新の道具さえあれば勝てると思います。

拳。こん棒。そして刀。
そして火縄銃。

映画ラストサムライではマシンガンを使っていました。
今は核ミサイルです。

道具自体の威力が増すほど
自分自身の能力・スキル・技術が不要になっていきます。

道具は私の体から離れています。



小次郎は道具である刀と一体化することで
刀が私の一部になるようにしていったのかと思います。

カマキリのように手が鎌みたいになれば最強になるんだとおもったかもしれません。
私は強い。です。



「自分と道具」の結びつきです。

でも武蔵は
「状況(環境)と道具」の結びつきかなと思います。

小次郎は
1自分、 2能力・技術、 3道具 じゃないかと思います。

武蔵は
1状況・環境、2道具、3技術・能力、4自分 
じゃないかと思いました。

が違うかも知れません(汗)

これは「私は原因」と「私は結果」
という区別のほうが近いかも・・・。
  • 2006/05/28-05:37:27
  • 投稿者 : ノリー
  • URL
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[C1696] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

「私は結果」の世界は、積み上げ、成長、発展のない世界だと思います。
「私は原因」にはそれがあると思います。
武蔵の、歴史を逆戻りする櫂を、ここ一番の勝負に持ってくるということは、常識では考えられないことだったのかかもしれません。
でも、「私は結果」は、どの時期を切り取って取り出しても、「完全」なので、切るという行為に対して、櫂や棍棒が時代遅れということではないのだと思いました。

もりけんさんの昔の話が全く色あせてなくて、今の時代でも十分通用することと同じかなあと思いました。

[C1695] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/28-01:13:31
  • 投稿者 :
  • 編集

[C1694] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

私は結果は意表をつく?

決闘で太くて重そうな櫂を使うのは腕力はいるわ機動性には劣るわで、一見武蔵がとてつもなく不利に見えたのではないかと思います。

私は結果も腑に落ちるまでは時間がかかります。
私は結果を受け入れるには意志の強い人ほど悔しいものではないかと思います。

小次郎は意表を突かれ、触れば切れる剣を持っていたのに敗れました。
櫂如きに負けて内心意外だったのではないでしょうか・・・。

私は原因派を掲げる人達も自分で選んで生れてきたと思っているのに次回の転生ではこんなつもりではなかったと意表を突かれるのでしょうか・・。
  • 2006/05/28-00:49:23
  • 投稿者 : 空タネ
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[C1693] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?


長刀と木刀(櫂)だけを比較すると、「そんな物」に見えてしまうのだろうと思います。
それは、小次郎が、技や能力だけで戦ってきた証拠だと思います。
一方、全方位につながった武蔵にとって、それは一部でしかないと思いました。

[C1692]

〉「技」だけの勝負だったと思うからです。

〉小次郎から見れば「そんな物」に見えても仕方がありません。だって歴史を逆戻りするようなものだからです。

小次郎に限らず、私達というのは歴史にのって「技」を磨いているのではないか。。と思いました。確かに棍棒は鉄製の武器に替わり。。「技」は補強されました。しかし。。それで私達が成長したかと言うと。。まったくしていないのだと思いました。最新の武器であれマシンであれ。。使うのは「ただの人」だと思いました。

確かに武器そのものとしての性能の差はあるのだと思います。「技」を極めるその一角を武器の精度が。。しめるのだと思います。しかしそれが。。最新だからとて。。最強とは限らないのだと思いました。いつも「技」が極限まで発揮できる状態なんて。。あり得ないと思いました。

携帯からカキコなので。。(汗)なんか収集がつかなくなってきました。。(こんな長文書いたことない)

今日思ったことは。。成長しない人間が「技」を極めてあたかも成長したかのように思ってしまい(小次郎がそうかはわかりませんが)、その「技」だけが最大限まで発揮される瞬間を見ようとすることは。。「狭い」。。と思いました。「技」がやぶれれば終わりです。。なんかそれてキましたが「技」にかけたら終わりだと思いました。極限まで技が表現できないのが普通で。。状態。。外側を見て臨機応変にイカないといけないのかなと思いました。

[C1691] >小次郎が対戦してきた相手は、「私は原因」の人ばかりだった

ずっと、日本人は(世界中の人たちも恐らく同じでしょう)「私は原因」の人同士で戦ってき
たと思えます。 そんな戦いとは、突き詰めれば「能力の違い」がモノを言う世界かもしれま
せん。 そして、実際に戦う前から、人は目と目で火花を散らしたりします。 その瞬間に、
ある程度は勝ち負けがわかることもありそうです。 それは瞬間のことだとすれば、ほとんど
は無意識で判断しているのでしょうか? 

人は(いえ、私だけかも)知らず知らずのうちに、能力を測るモノサシのようなものを持って
いて、自分と相手との能力の差を比較しているのかもしれません。 そして、あの人は自分よ
り優れていると思えば落胆し、劣っていると思えばバカにしたり・・・ふぅ~滝汗。

一方、武蔵はと言えば、バカにしたり、バカにされたりする感覚を超えているように思えます。
「全部オレが一人でやっている」と思えば、バカにされたら悔しいと思います。
「全部をオレが一人でできない」と思えば、外を見て自由な発想が飛び出しそうです。 
武蔵はそうやって、常識を越えたのかもしれないです。

[C1690] >>巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

「私は結果」と「私は原因」の違いが今ひとつわかりませんが。。
小次郎にとって、>そんな物(櫂)<を使う武蔵の思考は想像もつかないものだったと言えると思います。思考の仕方が全く違うとも言えると思いました。

[C1689] 道具

道具の使い方は決まっています。
食器は料理に壷は生花にと決まった使い方があります。
でもその用途は人が便宜上決めたもので壷を料理の入れ物と使うことは可能です。
櫂は切れ味は無いですが叩くというものにはぜんぜん支障が無いです。
どんなものも馬鹿にできません。
母が阪神大震災の時にゴミ袋に水を確保しようという案を出して実行した覚えがあります。
それはすぐに必要ではなくなりましたが限定しないとゴミ袋も水タンクに早替りで生き残れます。

  • 2006/05/27-21:05:08
  • 投稿者 : 小町
  • URL
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[C1688] >「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」

小次郎は、俺は武蔵にこばかにされているのでは・・・と思ったかもしれないと思いました。自分はつばめを斬って剣の技術に磨きをかけてきたのに、相手は櫂です。

何なんだ~コイツは・・・と思ったのかもしれないと思いました。

けど、結果から探って行き、結果である「勝ち」があるならば、何でも良いのだと思います。

結果から見ていけば、勝つための可能性を考え、そこに至るまでのさまざまな過程は広がりを見せると思いました。点から出発し、360度の思考プロセスが可能だと思います。

原因から出発すれば、点から出発しても点にしかたどり着けないと思いました。点から点への移動なら、直線コースが妥当なのではないかと感じます。

そうなると、小次郎の場合腕を磨くことは必然だったのではないかと思いました。

[C1687] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

小次郎は、剣の技を磨くという一点において、事故修練を積み重ねてきた人だと思います。

なので、使う刀も、どんどん進化させてきたことでしょう。

それは、人類にとっての文明や道具の進化とも重なります。

武蔵は、こん棒を使いました。
櫂を使いました。

それは、通常の進化というスケールを当てはめてみたとき、歴史を逆行させるようなものです。

だから、小次郎にとって、
それは、

「そんなもの」

として映ったのでしょう・・


しかし・・

道具の進化は、ある一点に向けての進化向上であり、それは、「個」の視点であり、
向かえば向かうほど、
外側が見えなくなり、
内へ内へと篭っていくことに等しいのではないかと思いました。


武蔵は、外側に視界が開かれていました・・

だから、自然界にあるすべてのものが武蔵にとっての味方であり、身体の一部だったのだと思います。

「私は結果」には、進化向上という一点に向かう方向性はなく、
今、ここで、視界がひらかれ、外側とつながるということだと思いました。


[C1686] >巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?

剣豪にとって、鉄製の刀は命の次に大事なものだと思います。
勝敗の決め手になるのも技だけではなく、刀の出来だって作用すると思います。
小次郎は自分の技と刀の一方向だけに注意を払っていて、今までの対戦相手も
同様だったのでしょう。
そんなところに櫂なんか持って現れたら、小次郎にしてみたら、なんじゃそりゃ、
と出鼻をくじかれるようなものだし、それも武蔵の全方位の作戦の一つだったの
だと思いました。
櫂を使うことは、決戦時の太陽の位置を考慮したり、わざと時間に遅れたりといっ
たあらゆる方向の作戦のうちの一つのパーツにすぎなかったのだと思いました。
剣豪にとって重要な刀を単なるパーツにしてしまった武蔵は、自分以外にすべて
をゆだねたのだと思いました。
  • 2006/05/27-19:11:14
  • 投稿者 : イーキン
  • URL
  • 編集

[C1685] 小次郎は、

「私は原因」の人たちばかりと対戦してきた・・は
確かに・・です。
「私は原因」を突き詰め、身を削ってきた人たちばかり・・。
小次郎は、武蔵の持ってきた櫂を見て、本当に
何を考えているんだ・・とあきれてしまったと思います。
小次郎からすれば、きっと負けた理由がさっぱり分からない・・。
>「私は結果」のひとつの強み
相手には全く気づかれない、読めない策略?!
う~ん、何だろう・・。
  • 2006/05/27-18:52:48
  • 投稿者 : まる
  • URL
  • 編集

[C1683]

私は結果と私は原因の差は何なのだろうかと・・
 
ひとつは視線の方向が外側と内側なのだと思います。
  
小次郎は内側を見つめることで強くなったのだと思いますが、武蔵も同じように内側を見つめていた時期があったような気がします。
 
でも、武蔵は内側の視線に満足できなかったのかも・・
内側に限界を感じたのかもしれないと思いました。
 
内側から外側に視線を移した時、いままで見えなかったモノや、聞こえなかった音を聞くことが出来たのだと思いました。
 
内側は自己完結しています。
でも、外側は完結することがありません。
 
私は結果の強さは、決して完結しない強さなのだと思いました。

[C1682]

コメントをどうぞ

[C1681] 進化・進歩とブツ

歴史の歩みって過去から未来に向かうにつれて、進化しているとか進歩していると言われたりします。
特に技術的なことは進歩や進化が生命線になっていると思います。

しかし、進化・進歩とは一本の道筋を辿っていくようなものであり、その道以外は切り捨てているのだと思います。

またブツにこだわっているような気もします。

小次郎は多分刀にこだわったと思います。
そして刀に付随するものにこだわっていったようです。

武蔵は「勝つ」という場面にこだわり、その場面に合うものを探しただけだと思います。

ブツが場面を制するのではなく、場面に応じたブツを使うことが場面を制することに繋がるのかもしれません。

[C1680] 巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?


ドラマでは、武蔵は木刀のテンションも体に覚えさせていたし、不具合を修正するために何度も櫂を削っていたと思います。

>「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」
そんな物と思わせるところもまた策略のうちなのか。。。そう思うと武蔵ってやっぱりすごいです。

 
  • 2006/05/27-15:26:18
  • 投稿者 : Ciel
  • URL
  • 編集

[C1679] > 小次郎はずっとそれで勝ち続けてきました。


相手が「技」だけで挑んでくるのなら、小次郎は相手の技量など関係なく
自分の技を徹底的に磨いておけばよかったんじゃないかと思います。自分
の剣の腕が相手より上ならば、自動的に勝つようなものだったのだと思い
ます。
 
でもそれは逆に言えば、自分の技量以上のものは使えなかったということ
だと思いました。
 
>「そんな物(櫂)で俺に勝てると思うか?」
 
小次郎にとって櫂は「木は鉄で切れる」だけのものだったのかもしれませ
ん。実際に木は鉄より弱いから小次郎の判断は間違っていません。
でも櫂の櫂としての性能以外のことは考えたこともなかったろうと思いま
す。たとえば見た目より長いとか、櫂の背の部分で殴ればかなり硬いとか
です。
 
それに「私は結果」は一つとは限らないということも、刀一筋の小次郎に
は考えつかなかったかもしれないと思いました。

[C1675] 油断?

 小次郎の立場になって考えると、「武蔵は自分の剣の長さに対応して長い櫂を使ってきたのか。櫂などこの剣で切ってくれよう。」と武蔵の考えの浅はかさを馬鹿にしてしまったのかなと思います。
 櫂と長剣をくらべれば、そりゃ長剣が有利だと思います。油断。
 遅刻したり、太陽の光を利用したり、小次郎にすれば武蔵は小賢しい策を利用するだけにしか見えないのかもしれません。
 「剣で勝負できないのか。」そんな言葉が聞こえてきそうです。この部分が「私が原因」そのものなのかなと思います。
 「私が原因」から見ると「私は結果」のすることが小賢しく見えてしまうものなのかなと思います。油断ができるのかな。
 逆に「私が結果」からはこの点が有利になるのか名と思いました。

 続きを読んでまた考えたいです・・・・・・。
 

[C1674] 武器としての櫂

 刀とこん棒の櫂とでは当然、殺傷能力が違うでしょう、多分武蔵が頭を狙わなければ、一撃で小次郎を倒すことは出来なかったかもしれません。刀であればそれがあたった部位は致命傷を負うはずです。もしかしたら長さを見せずに櫂で油断させる、そして頭をジャンプして攻めるまで武蔵は策略を練っていたかもしれません。小次郎は櫂と刀があえば櫂など切り落とせると思っていたと思います。それが言葉としてでたかもしれません。思い込みや常識にとらわれてると足をすくわれかねないのかもしれません。
  • 2006/05/27-12:04:39
  • 投稿者 : yk
  • URL
  • 編集

[C1673] そんなモノ・・・

「こん棒」って、あの木の棒ですよね。
先が丸く削られているやつ・・・かな?と思います。
小次郎は「技」は磨いたけど、道具を自分で作った(削ったり)
したわけではないんですね(?)きっと。
武蔵の「櫂」は、拾って自分で削り、磨き(?)ました。
自分で納得するまで、そうしたのだと思います。
「これで、だいじょぶか・・・?」と、自問自答していたのでは
ないでしょうか。
「技」だけに頼らない、勝負に必要なものすべてに目がゆき届いて
いる・・・。
「私は原因」とゆうのは、私が主役で、あとは付属ブツって感じで、
「私は結果」とゆうのは、周りが主役で、自分はそれらによって成立して
いる・・・そんな感じです(汗)
だから(しつこい!)こんな時代を逆行するような、木刀でも
勝てたのだと思います。
もしかして、鉄の方だったら、加工の段階から作りはじめたかも
しれません(汗)

[C1672] 「私は結果」のひとつの強み

私もそう思いました。
私は原因なんだと考える人は常識を疑いません。

でも 武蔵ほどの剣豪と対決する小次郎が武蔵を認めていたとしたら、武蔵に秘策があるのではないかと直感的に感じ取れたのではないでしょうか

にもかかわらず、武蔵に真っ向勝負を挑んだ小次郎は、私は原因を捨てられなかったのだと思いました。そりゃそうです 命賭けの勝負の真っ最中にいきなり私は結果とはいきません

  • 2006/05/27-11:43:08
  • 投稿者 : 太郎やんS
  • URL
  • 編集

[C1671] 今週のもりけんさんの書き込みで、

24日と25日で少し視点が変わっていたと思います。最初武蔵は意識の側に居ました。それが小次郎も無意識、武蔵も無意識で、その種類が違うのだ、という視点に変わりました。

やはり武蔵も無意識がキーか、と思いました。

小次郎と武蔵の勝負から、象徴的に、様々な対立する二つのものに思いをはせることができます。

小次郎が、ある一面だけは非常に強さを発揮するものの、実は脆弱で苦痛に満ちた「近代的自我」を象徴するとすると、武蔵は、自然の激烈な介入を受け続ける、近代的自我以前の野人としての骨太な自我、ととらえることも可能かもしれません。

人間の社会に「病」や「不具合」「暴発」などがあるとしたら、おそらく自然の剋を受けなくなったことが原因なのかもしれません。

ところで昨日、例の「100匹目のサル」の社会に精神病というものはあるのかと考えていました。おかしくなるサルはいると思いますが、問題は群れがそのようなサルをどう扱うかだと思います。

おそらくそのようなサルたちは、精神の病であっても、手厚く治療し、直そうとするのではないでしょうか。

人間であれば治療を拒否して、群れから離れてひとり旅に出ることができますが、サルはできないと思います。へんな薬物のはいったイモを食わされるかもしれません。

その結果、おそらくそのサルは治療のかいなく、群れの中で、狂死するのではないかと思います。

話は武蔵と小次郎に戻りますが、小次郎が斬られたというのは、古代の野人の本能に、近代的な薄っぺらな自我が切り捨てられたという見方も出来ると思います。

そうすると小次郎と武蔵の戦いは大脳皮質と爬虫類の脳の戦い、あるいは、生命力の充実度の差で勝負が決したと見ることもできるかもしれません。
  • 2006/05/27-10:43:00
  • 投稿者 : ナイル
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