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[C1765] 主観性

「自分の感覚だけが問題」ってすごくキマシタ。
妙に納得。。

[C1755] 巌流島の客観性と主観性

 武蔵は、自分が良いとおもった事だけを、試合に取り入れていきました。
 小次郎も自分が良いと思った事を試合に取り入れていったと思いますが、小次郎は常識、いわゆる、過去の情報に囚われた上での判断。
 しかし、武蔵は過去からの情報ではなくて、今自分の周りにある、使えるものを取り入れたとすれば、武蔵は自分が中心にいるので、主観的、小次郎はだれがみても納得する情報に合わせたので、客観的だったということかなと思いました。

[C1746] >しかし・・  視点を変えてみます。

・・・
視点が変わらない、変えられない。

道具を使うのは私なのでで「私から見た道具」だけれども「私がいる世界における道具」ならば、同じものでも違うことなのかと思いました。

同じものでも私の外側の世界から見えるものと、私から見みえるものでは違うのだと思いました。

社会が認めるものは、必ずしも「わたし」にとって良いものではないかもしれない。大多数の認知が得られていても必ずしも有効ではないのだと思います。

[C1736] これってどうよ~~

バッチシ。。いけてると思います~~@@いけてる。。異次元空間・・^^はっきりはわかりませんが・・感じることかもしれません^^うぐぐぐ~~快と異次元空間は隣り合わせに存在してるのかも~~^^もりけんさんオンリィが、シフトの近道かもしれません~~~うぐぐぐ汗汗汗プラス次への本への出筆などへの繋がりもバッチシ場が取れ続けてるのではないかとおもえまっすううう~~
  • 2006/05/29-08:17:03
  • 投稿者 : バニー
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[C1735] >巌流島の客観性と主観性

ほんとに・・視点を変えたら逆転する主観と客観・・
どういう視点の違いで、主観的か客観的かが変わるのか・・とずっと考えてました。
なかなかいい表現が見つかりませんでしたが・・

その人だけを見たときと、全体からその人を見たときとで、主観的か客観的かが変わってしまうのかと思いました。

そして武蔵の行為は、全体からすると、やはり主観的だと思います。
主観的というのは、自分中心ともとれるけど、武蔵の主観的は、周りの意見(剣のほうがよく切れるというような)に流されていないけど、自分の人生の流れ、自然の流れには乗っているような感じがします。

武蔵は自分の頭で考え、自分の体で確かめる、ということをしたのだと思いました。

[C1734] >巌流島の客観性と主観性

 小次郎は刀は櫂より強いという常識というドグマをなんの検証もせず疑う事をしなかったのかもしれません。常識という客観性をなんの批評性をもってより強いものになるには、過去の客観的なデータをまず主観でもって斬ることから始めなければ、新しい事象を見出せないかもしれないと思いました。武蔵は櫂を使えばどうだろうという、主観的な疑問をより客体化することにより、主観的であった自分の仮説を既存の客観性を超える強固な客観性を得たのかもしれないと思いました。
 既存の客観性を乗り越えるために必要なのは常に主観性によって更新されるという視点なのかもしれないと思いました。
  • 2006/05/29-03:08:14
  • 投稿者 : yk
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[C1733] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/05/29-02:04:56
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[C1732] >巌流島の客観性と主観性

>巌流島・・無意識の対決
オリンピックのメダリストが、勝算アリの試合では、試合中の自分自身を背後から
見ている自分(視点として)がいる…などと聞いたことがあります。
自分の内面から感じる調子良さだけにとどまらず、風になり、岩になり、太陽にな
るという、あらゆるモノとの連動がなされたのかもしれませんね。
自分のみにあらず、あらゆる方向に意識が飛び、あるいはあらゆるモノからの共
鳴を利用していたのかもしれません。
武蔵ってば、ちょっとバットマンみたいです(汗)

>巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い
小次郎にとっての決闘は、いわばオナニー的なモノかもしれないです。
派手にぶっ放して悦に入るか、みみっちく放出して鬱に入るかのようです。
武蔵には、そこが「イク場」ではないと感じていたのか、自らつとめてそう設定した
のかわかりませんが、何かソコでは終わらない感が、たえず胸のウチにあったの
かもしれません。

>巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?
どっちが優れた武器なのかで言ったら、小次郎の方だと思います。
短銃よりもマシンガン、マシンガンよりもレーザービームだと思います。
でも、どの戦いにおいても、優れた武器側が勝利を収めるかと言ったら、それは
違うような気がします。
愛の度数に満たされた超高等科学文明からの使者・小さな友人ことアミは、
自分たちの高度な技術を搭載したビームを放ち、おそ松の存在はおろか、過去世
すらもイレースする超テクノロジーを持っていると思います。
でも、高尚な小さい友人に勝つ手段が、おそ松にもあるかもしれません。
武蔵vs小次郎の「結果/原因」対決には、銀河連盟を驚愕しうるほどのヒントが
隠されているようにも思いました。

>巌流島の客観性と主観性
数年前のことですが、小学生だった私が学校で友達と大ゲンカした時のことです。
相手は水着を入れるスイミングバッグ(見た目は小さいサンドバッグ風)に缶のような
金属を入れて、おそ松をバンバン殴ってきました。
おそ松は素手で明らかに不利です。
スイミングバッグのヒモがある為、相手のリーチはとても長く、おそ松は攻撃される
一方です。四角い缶のカドがおそ松の頭にくい込み、血飛沫も出ました。
しかし、おそ松は何を思ったか、相手を砂場まで誘いこみ、砂をバンバンバンバン
かけました。バンバンバンバン、バンバンバンバン…圧倒的な量の砂嵐を前にして、
ついに決着がつきました。…そう、おそ松の勝ちデス(汗)

この武蔵vs小次郎のブログをここまで読み、あのときの感覚が蘇りました。
おそ松もあの時、どれほど有利な武器が相手にあろうとも、勝敗はわからないモノ
だと言うこと知ったのでした。
このとき、おそ松はガムシャラでした…でも、それだけでなく、
周囲も自分のことも見えていたように思います。
砂嵐が舞う中、映画「マトリックス」のワンシーンのように、
視点がグルグルしていました。

きっと、武蔵もそうだったのかもしれません。

[C1731] はい。。

これ以上は。。どこをどうすればいいのか。。わかりません汗汗
  • 2006/05/29-01:37:36
  • 投稿者 : バニー
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[C1730] >視点を変えてみます。

視点変えっておそろしいなと思いました。どんなふうにでも見えて。そうして、視点変わって、どんなふうに見えても、それがその視点からはまさしくそうだ、としか思えない‥どこから見たのも一理あって、真実のようで、でもそれも他人から見た視点で、本人同士から見たら、また違うかもしれないし、ずーっとミラーボールみたいにくるくるしていってしまう感じです。
  • 2006/05/28-23:51:51
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1729] >巌流島の客観性と主観性

自分という「個」は重要なのだと思います。

ネットワークの1パーツとして役割を担っているからです。

「個」が生きてくるのは、自分を客観的に見れるかどうかなのかと思いました。

自分は誰でもないと思います。常にすっからかんであると思います。

このような考えが発生したとき、「じゃ~自分は主観性じゃないではないか」という気持ちになりますが、からっぽを認識したとき、「個」がすごくまわりとつながり、生かされているのだと思います。

精神世界は特に「自分」を大事にしています。

しかし、精神世界では私は○○であるしてしまいます。

この「○○」を何かに定義づけているのだと思います。

つまり、ベクトルがしぼられてしまうということだと思います。

これは、自分は上の人間で下の目でまわりを客観していることなのだと思います。

主観性というのは、まわりとは対等であり、自分は誰でもないという気づきがあるかどうかで主観性の強さが最大限に出るのだろうと思いました。

[C1726] >巌流島の客観性と主観性

>巌流島の客観性と主観性
 
小次郎はツバメ返しを何度も行っていたと思いますので、その技は再現性があるといえます。
小次郎の境地まで達するのは大変だとは思いますが、その技術を習得することは不可能ではないと思います。
また、櫂よりも刀の方が強いというのは普通に考えればそうだといえます。
これは客観的といえるのだろうと思います。
 
一方、武蔵が行っていたことを再現できるかというと、そのときそのときで状況が異なるので再現は難しいし、習得も難しいと思います。
武蔵のようにあらゆる手段を使えばよいといっても、そのときそのときで効果的な方法は異なるだろうと思うので、一概にこれをやればよいとはいえないからです。
また、刀より櫂のほうが強いという視点をもつのが難しいです。
これは主観的といえるのだろうと思います。
 
全方位の無意識につながっていた武蔵が主観的というのは、いわれてみればそうなのですが、主観と客観のイメージを崩された感じです。

[C1725] >巌流島の客観性と主観性


武蔵の主観性はもりけんさんと似ていると思いました。
もりけんさんが生まれ変わりの村など不思議調査をした時、現在の科学性にのっとって調査をしたでしょうか?
違うと思います。
六爻占術にせよ、盲師派推命占術にせよ、各種占いだって科学者の目から見れば否定されると思います。
言い方を変えれば、現代科学がよしとするものに執着していたのでは調査は出来なかったと思います。

しかし色々と視点を変え、周囲を見回して、発信機を腹に入れたり、何年もかかって何度も根気よく村を訪れたり、あの世のコインを持ってきてもらったり、占いを全財産を投入して検証してみたり、夜毎ホームページで色々と仮説を立ててみたり・・・視点を広げて周囲を見回す客観的なところはむしろ多く
その科学的な考察にうならされることもしばしばです。

でも科学的な実証のみにこだわっていたら調査も進まなかったと思います。
世だから間の常識には捉われずに進むもりけんさんにその主観性を感じます。
私にも武蔵がどうも気になるのはもりけんさんと一部似ているところがあるからかもしれないと思いました。
  • 2006/05/28-21:25:46
  • 投稿者 : 空タネ
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[C1724] 武器

小次郎の客観性は、常識の範疇にあったのでしょう。
何故、武蔵が櫂を削って小次郎より、30cm長い剣を作ったか?
これは、重量ではないかと思いました。それでなくても、反射神経の良い小次郎を相手に、重い剣では余計早く振れません。
武蔵は、敵にも自分にも合わせて、常識にとらわれず武器を選んだのです。こういう意味から、主観的でしょう。
小次郎は、自分に拘ったから、自分に合った剣にも拘りました。しかし、仕官して生きていたように、自分の外側に対しては、常識的だった気がします。
私がワープして小次郎と戦うとしたら、浅瀬でも座礁しないホーバークラフトと散弾銃持っていきます。(爆)
決して、陸に上がらないで散弾銃乱射。(汗)
「汚ね~~~!」と言われそう。あっかんべ~♪

[C1723] 孤独な視点が、主観的。

きっと、小次郎はずっと刀の修行をしてきたのだと、思います。剣一筋で腕を上げて名を成したのだと思います。もりけんさんが言う客観的とは、対人戦術には刀が一番ベストの方法だと決めた視点のことだと思いました。当時、小次郎以外にも、無作為で選んだ大勢の人に、「人と戦うのなら、どんな武器を選びますか?」とアンケートをとったら、第1位、少なくとも第2位に「刀」があがると思います。武蔵の選んだ武器は、おそらくかなり下位のほうにランクするものばかりだと思います。まして、時刻や太陽、櫂なんてあげるひとは、まったくいないでしょう。
それらを、重要な武器だと選んだのは、武蔵自身だけだと思います。そのとき、武蔵は経験則も、評判もマニュアルも、常識も、人の意見も、なにも当てにせず、たったひとりで決めたのだと思います。
そういう孤独な視点が、主観的だと、思いました。

[C1722] 前提を疑う

小次郎は「刀は真剣勝負では強い」という前提を疑わなかったのだと思います。
そしてその前提は多くの人をうなづかせると思います。

しかし、武蔵はその前提を「そうなのか?」という問いをもちつつ一つ一つ検証していったような気がします。

検証をしていくというのは現場と向かい合きあわなければなりません。
データだけが勝負になると思います。

データ自体は客観的ですが、それを取捨選択するのは主観的です。

どのデータを選ぶか・・・は自分の感覚だけが頼りになり、既存の前提に依っている限り何もブレイクスルーできない=勝負には勝てないのだと思いました。

って、誰かさんに似ている気が・・・

[C1721] >もりけんさんは武蔵でも小次郎でもない

という書き込みを思い出しました。もりけんさんが武蔵だったら、不測の事態に備えて船の中に、例えば、真剣を用意しておくのではないかと思います。武蔵の想定の範囲内で物事が進めばいいのですが、武蔵のとった作戦は、想定外のことが起きることも大いに考えられたと思います。

また、もりけんさんが、小次郎だったら約束の時間に武蔵が来ないとわかったら「また日を改めて...」といってさっさと帰ってしまったのではないかと思います(爆)。武蔵のペースでそのままずるずると戦うようなことはしなかったと思います。

いずれにせよ、もりけんさんであれば、武蔵の立場であろうと小次郎の立場であろうと、幾重にもリスクをヘッジしただろうと思いました....(汗)。
  • 2006/05/28-18:57:47
  • 投稿者 : ナイル
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[C1720] どちらが・・

最初は小次郎が主観的で、武蔵が客観的だと思いました。
でももりけんさんの言われるように、
視点を変えてみると・・確かに逆にも思えます。
小次郎は客観的に見て(意識してというよりは無意識に)
刀で間違いないと、
刀に対しては何の疑問も持たなかったと思います。
一番良いに決まってるでしょう・・と。
武蔵は、自分の直感のようなものに従った。
客観的に見ると櫂で勝てるわけないと思うと思います。
でも、客観的に判断しなかった・・。
そのことが、勝敗を大きく分けた・・
・・・う~ん、イケない(汗)
  • 2006/05/28-18:38:38
  • 投稿者 : まる
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[C1718]

小次郎の客観性とは、常識と言い換えられるような気がします。
100人に刀と櫂ではどちらが強いか?と聞くと100人が刀だと答えはずです。
でも、この問いには常識の盲点があります。
「刀と櫂が交われば」どちらが強いのか?という視点です。
小次郎の刀と武蔵は櫂は、一度も交わっていません。
しかも、櫂のほうが少し長かった。。。
 
武蔵は常識的な客観性を無視して、計算しつくした主観性を持っていたのだと思いました。
 
武蔵の凄味をあらためて感じました。。

[C1717] > だから武蔵のほうが、主観的だと思いませんか?

 
はい、視野が広くて何でも使おうとした武蔵は客観的だと思っていました。
でも科学性を無視して自分の感覚に従ったのは主観的だというのは、そう
だと思いました(@@;
 
う~ん。。。
視点の違いで主観的も客観的にひっくり返ってしまうなんて。。。(汗)
いえ、主観的でもあり客観的でもあるということなのだと思います。
でも、やっぱり混乱します。
 
何を考える時でも視点を移動してみるというのは、やってみる必要が
ありそうです。

科学的な視点は人間の目では確認できないようなミクロからマクロの
性質を見つけだすことが出来るけれども、分析対象になった物とその
外側を囲む他の物質や環境との関係ということになると、分析できる
事はごくわずかなのかもしれません。
 
主観的というのは、科学的な視点では見つけられないような関係性ま
で見つけ出せるのかもしれないと思いました。

[C1716] 自分の感覚

刀と櫂では客観的に見ても刀が強いと判断されます。
誰もがそう判断すると思います。
誰もがそう判断したとしても刀で本当に勝つことができるかという問題はぜんぜん別のものです。
周りが強いと認めても本当に勝てなければ何にもなりません。
武蔵が小次郎より長くて丈夫なものに櫂があったことは自分の感覚で勝負したことになります。
勝敗は武器だけでは決まらないのを武蔵が知っていたからいろいろな策略も練れていたと思えました。


  • 2006/05/28-17:25:28
  • 投稿者 : 小町
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[C1715] 武蔵と小次郎は、どちらが客観的で、どちらが主観的だったでしょうか・・。

概念をひろげて~~さらに時空に焦点をしぼり。。自然にそって~~。。となると。。。やはり。。武蔵みたいに。。自然と一体になることかも~~とおもえてきますうう~~。。が。。多次元側での自由と。。3次元側での自由はチョイ。。ちがうような感じがしまっすうう~~う~ん。。3次元側では地球の引力的影響をやっぱりうけてしまいそうなきがしまっすうう。。拡散してるようなきもしますが。。まんざら。。それだけでもないきがしまっすうう。。まだ。。100パーセント空洞説ではないとおもっていましたが。。。そこらへんで外側つながりがでてくると。。もりけんさんのいう100パーセント空洞説があるのかなあと思ったりもしましたあ~~♪♪
  • 2006/05/28-17:05:21
  • 投稿者 : バニー
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[C1713] >>だから武蔵のほうが、主観的だと思いませんか?

これは「弟子になったとして」という視点から考えてみても、武蔵のほうが主観的であると言えると思います。

武蔵の修行についていけるでしょうか?

小次郎なら客観的にも正統派を極めていくという視点で、いわゆる剣道教室的な位置づけを認識できると思います。

武蔵の弟子はどんなことをさせられるのだろう?

森田さんがよく言う
「私の中国調査(についてこれる人はいますか?)」の話とダブります。

既知のものを極めるのは確かに主観っぽいけど客観性に守られている。
未知へ向かうことこそ実は主観がものをいうのかと思いました。

[C1712] >「刀」を捨てられなかった小次郎、科学性を無視した武蔵

武蔵の客観性においては、物事の価値に差がなかったのでは?と考えました。
科学と非科学、道徳と不道徳、武士道と非武士道・・・このような対立軸があったとしても、
武蔵は、そこに善悪や優劣の価値判断をほとんどしない人かもしれません。 そのために、
物事を既成概念ではなく、ゼロベースで考察できるのが武蔵ではないでしょうか。

そして、武蔵は(彼の主観で)一度こうと決めてしまえば、もうブレないのだと思います。
武蔵が科学性を無視したのだとすれば、もりけんさんが、科学性にこだわるの止めて、六爻
占術を学ぼうと決断されたことと似ているかな、と想像しました。

[C1711] >巌流島の客観性と主観性

>小次郎は現代科学が良しとするものを武器として使用しました。
>これは今の社会の視点からすれば、客観的だと思います。


はい。
小次郎は、現代科学というスケールを使って、
自分の道具を選んでいました。

小次郎にとっては、現代科学がよしとするものイコール、よい道具であったわけです。

しかし、武蔵は、自分の感覚に従った・・

でもそれは、世間のスケールからみれば、かなり常識はずれです。
だって、現代科学の常識からすれば、
それで勝てるなどとは、誰も思わないだろうからです。

世間の常識ではなく、自分の感覚に従った武蔵は、主観的であるといえると思います。


自分の感覚に従う・・

これは、大変なことだと思います。

とても孤独なことだと思います。

だって、たったひとり・・

自分の感覚だけが頼りなのですから・・


しかし、それは、決してひとりよがりではなく
実は、広い世界をネットワークしていました・・


主観的ということは、形式化された客観性というスケールを突き破り、広い世界をネットワークさせる力があるように思いました。

それが、武蔵の勝因の一つだったかもしれない・・と思いました。


[C1710] 小次郎は相当いっちゃってる人なのではないかと

思っていました。雇い主の女とは関係を持つし、人より長い刀を使っているということ、それに、ツバメをきって剣の修行をしているなど、はたからみたら「うつけ者」以外の何者でもありません。

上位の女を抱けるというところからして、相当クレージーです。そういう意味でも小次郎も「正統派のエリート」ではなかったのだと思います。

しかしそれを上回る「馬鹿」が武蔵だったと思います。武蔵が木のカイを使用したことや遅刻したこと、相手から長さが見えないように担いだことなどは、ひとつひとつをみれば、たいしたことではないと思います。ベツに(小次郎以外)誰にも迷惑をかけたわけではないし、なんらかの義務違反でもありません。

武蔵にしてみればそのような小さな自分に有利に働くかもしれない要因を積み重ねていはいますが、最後のところでは、それを頼みにはしていないのではないかと思います。うまくいけばいい程度のことだと思います。

しかし、予想に反してそれがうまくいってしまったため、武蔵はものたりなかったのではないかと思います。いや、ラッキーだと思ったかもしれません。勝負はこれからというときに、小次郎が勝手にコケてくれた、というのが、実は、武蔵の正直な感想なのではないかと思いました。

小次郎も「武蔵というやつは一筋縄ではいかん」と思い、砂に穴をほってその上にゴザかなにかをしき、砂をかぶせ、落とし穴のひとつやふたつ作っておくべきだったのではないかと思います。

武蔵と小次郎のどちらが優れていたかということを考えていけばいくほど、勝負にいたるまでの姑息?な手段が、実は大勝負の勝敗を分けるものであるということが、この世の真理であるような気がしてきました。
  • 2006/05/28-13:53:49
  • 投稿者 : ナイル
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[C1709] アンカーを信じれば良いのだと

思いました。
うちの子は18と15とすっかり大きくなったので、母としちゃ今が食料買い出しと洗濯に負われるピークだなと思うのですが、まだちっちゃな頃は、風邪を引いたり熱を出したりしたものです。
その頃、友人から聞いたのですが、お子さんが名医に見誤られ肺炎を見逃され、あやうく命を落とすところだったというのです。
評判の小児科で普通の風邪だと帰された後、納得がいかず大学病院に行ったら即入院となり点滴を受け持ち直したとものすごい剣幕で話してくれました。
育児ひとつにもいろんな情報が出回っているけれど、母親のカンにまさるものはないとつくづく思った次第です。
何につけてもノイズに惑わされることなく、自分の心のアンカーから伝わってくるものによぉく耳を傾けたいものだと思います。
それには、心をとぎすませてレベルゼロ状態に近づけていくのがいいように思います。

[C1708] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/28-12:40:13
  • 投稿者 :
  • 編集

[C1707]

〉彼は、「自分の感覚」だけが問題でした。 
〉小次郎は現代科学が良しとするものを武器として使用しました。 

武蔵という人は、徹底的に「自分の感覚」というものにこだわったのかなと思いました。どんな状況におかれても、自分とだけは。。武器がかわろうが、状況がかわろうが。。最後まで一緒にイカなくてはならないからです。その自分が不確かだとなれば。。外に感覚を固定する助けを求めるしかないと思いました。すると「自分の感覚」は無限に広がる気がします。外側が全てが感覚を呼び起こす対象になるからです。

小次郎は。。まわりから固めていったのではないかと思いました。客観的に。。最新の武器、最強のスキル。。最強の外側をあつめて。。ポッカリと残った不確定要素。。自分を。。固めた外側に相応しくなるように最強の自分で埋めようとしてたんじゃないかと思いました。

武蔵は不確かな内側から外側全てに向かい。。小次郎は外側を固めて内側が限定されていったのではないかと思いました。

[C1706] >巌流島の客観性と主観性

なんか・・・わかります(汗)
私の例えで恐縮ですが・・・
小次郎は、時代にあったお洒落をしていた、とゆうか(汗)
武蔵は「オレは、どーーーーーーしてもこれを、着るっ!」みたいな(汗)ゆずれないもの・・・ってゆうか、そんな感じがします。
武蔵の「主観」は、心の奥底からの叫びのような、
もっと身体的な(?)皮膚感覚とゆうか・・・。
なんか「これだな・・・」ってゆう感覚を、大切にしたのでは
ないかなと思うんです。
ギリギリまで追いつめられた時にしか、それを発揮しない時も
あったかもしれない、そして「なんでそうなの?」か、ワカラナイ
けれど・・・
「どーーーーーーーーーーーしても・・・」なキモチ。
誰に教わったわけでもない、ゆずれないもの、それを感じます。
時にそれは、口をつぐませたり、涙となって表現される・・・
そんなこともある、と、私は思います。
それが武蔵の「主観」なのではないかな・・・と思いました(汗汗汗)

[C1705] 客観性と主観性

ものすごく、深いですね、いやぁー、深いです、うなってしまいました。気が付かなかった自分が浅すぎるのかも。でも、よく分かります、言ってる意味は。


で、大きく勝敗を分けるポイントが「自分の感覚」、それだけが問題、そう、やっぱり、そうなのですね、それでよかったのですね、なんか嬉しいです。社会の視点など、武蔵には関係なかった、はい、私も関係ないと思います。これまでの感じでいくと、逆と思ってましたが、視点がぐるっと変わって、びっくりします。


武蔵は自分の主観に従うために、客観的に色んなものを利用した、とでも言えばいいでしょうか・・。小次郎は客観に従って、自分の技を自分の主観にしたつもりになった。違うでしょうか・・。

[C1704] 客観性と主観性

 客観性=みんなが言いというもの=常識
 小次郎が櫂を見て「そんな物で俺に勝てると思うのか?」と言ってしまったのは、客観性(常識)につかまったと思いました。櫂の使用方法は考えれば少なくとも10以上の可能性はあると思います。
 でも小次郎に限らずたいていは、「木と鉄じゃ鉄が有利」と判断しがちになるのでは。まして、考えるいとまをあたえられなければ他の可能性なんか考えることは無理かもしれません。
 武蔵の視点は武器の長さだったと思います。小次郎の長刀の届く範囲は危険で武蔵といえどもその中に入るのはまずいと判断していたのではと思います。離れて勝負をしたい。小次郎の剣より長いもの。長いもの。そこに、櫂を見つけたのかなと思います。
 このとき「木と鉄じゃ、木が不利だな」なんて客観性(常識)より、自分の考えた道筋で正解を選べたのが武蔵なのだなと思いました。
  
 客観も一つのものの捉え方で時と場合によりよかったりよくなかったりするものだなと思いました。
 知識も客観に入ると思いますが、結構これに自分は縛られます。なかなか武蔵のように、自分が正しい(主観)で判断するのは難しいものではと思いました。

[C1703]

どうも・・・混乱していて(いつもですが)
どう書いて良いかわかりません(なら書くなよ・・・って)

 でも無理に解ろうとするといけない・・・
 気付かなくちゃ・・・・うう~~~ん。

[C1702] >巌流島の客観性と主観性

武蔵は世間の常識に頼ることなく、自分の感覚で戦いを構築してきたのだと思います。
一方の小次郎は常識的だったと言えるのかもと思います。常識的だったので、常識を超えた武蔵の思考を読むことができなかったのでは?と思います。
それが勝敗を分けたのかもと思います。

[C1700] そう思う

素直にそう思う

そして武蔵は「臆病な自分」を認めていた
「臆病な自分」を認めていたからこそ様々な想定が出来た

臆病な私はこの様に推測する

[C1699] 客観的という程曖昧なことばはない

武蔵は自分の技を自然という中でその一部として冷静に見ることを柳生で学んだと思います。客観的ということばを使ってみれば、武蔵は自分の技を小次郎と比較すれば、より広く=より客観的に捉えることができていたのだと思います。しかし、誰から見た視点をもって客観的というかと考えると、時代や背景で変わりますから、客観的ということば程、曖昧なものはありません。武蔵は少し広い視野を身につけていたのであり、この世で自分だけがすべてではないことを、知っていましたし、奇抜な考えに見えるアイデアもこの少し人より広い視野によるるものだと思います。一般に客観性というものは規定できないものであり、主観的なものしか前提にならないと思います。ところで、原因は自分だけではないと思いますが、自分も原因の一部になりうると思いますが、いかがなものでしょうか。

[C1698] >巌流島の客観性と主観性

混乱の極みです。
もう何がなんだかわかりません(爆)。
科学性は、宇宙の発展と連動しているのだとすると、
小次郎は周りに合わせ客観性を持っていたと思います。
武蔵の逆行した行動を取ったことがなぜ勝因に結びついたのか、
ただ武蔵も客観性で向かったら、小次郎に負けたと思います。
周りに流されなかったことが勝敗の決め手になったのはなぜなのかはわかりません。
運命に逆らったからこそ勝てたのかと思いました。
  • 2006/05/28-09:36:11
  • 投稿者 : イーキン
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巌流島の客観性と主観性

 武蔵と小次郎は、どちらが客観的で、どちらが主観的だったでしょうか・・。
 
 ちょっと見、小次郎が主観的に見えます。なぜなら自分の技の世界に埋没したからです。
 武蔵はと言えば、自分にこだわらず、色々と周囲を探しました。武蔵のほうが客観的に見えます。
 
 しかし・・
 視点を変えてみます。
 
 小次郎は「刀」を捨てることはできません。相手の櫂を「そんな物で俺に勝てると思うか?」とさえ言いました。
 小次郎は現代科学が良しとするものを武器として使用しました。
 これは今の社会の視点からすれば、客観的だと思います。
 
 かたや、武蔵は違います。
 武蔵は世間一般が言うところの科学性など無視しました。
 彼は、「自分の感覚」だけが問題でした。
 だから武蔵のほうが、主観的だと思いませんか?
 
 これが大きく勝敗を分けてしまうポイントだと思います。
 
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37件のコメント

[C1765] 主観性

「自分の感覚だけが問題」ってすごくキマシタ。
妙に納得。。

[C1755] 巌流島の客観性と主観性

 武蔵は、自分が良いとおもった事だけを、試合に取り入れていきました。
 小次郎も自分が良いと思った事を試合に取り入れていったと思いますが、小次郎は常識、いわゆる、過去の情報に囚われた上での判断。
 しかし、武蔵は過去からの情報ではなくて、今自分の周りにある、使えるものを取り入れたとすれば、武蔵は自分が中心にいるので、主観的、小次郎はだれがみても納得する情報に合わせたので、客観的だったということかなと思いました。

[C1746] >しかし・・  視点を変えてみます。

・・・
視点が変わらない、変えられない。

道具を使うのは私なのでで「私から見た道具」だけれども「私がいる世界における道具」ならば、同じものでも違うことなのかと思いました。

同じものでも私の外側の世界から見えるものと、私から見みえるものでは違うのだと思いました。

社会が認めるものは、必ずしも「わたし」にとって良いものではないかもしれない。大多数の認知が得られていても必ずしも有効ではないのだと思います。

[C1736] これってどうよ~~

バッチシ。。いけてると思います~~@@いけてる。。異次元空間・・^^はっきりはわかりませんが・・感じることかもしれません^^うぐぐぐ~~快と異次元空間は隣り合わせに存在してるのかも~~^^もりけんさんオンリィが、シフトの近道かもしれません~~~うぐぐぐ汗汗汗プラス次への本への出筆などへの繋がりもバッチシ場が取れ続けてるのではないかとおもえまっすううう~~
  • 2006/05/29-08:17:03
  • 投稿者 : バニー
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[C1735] >巌流島の客観性と主観性

ほんとに・・視点を変えたら逆転する主観と客観・・
どういう視点の違いで、主観的か客観的かが変わるのか・・とずっと考えてました。
なかなかいい表現が見つかりませんでしたが・・

その人だけを見たときと、全体からその人を見たときとで、主観的か客観的かが変わってしまうのかと思いました。

そして武蔵の行為は、全体からすると、やはり主観的だと思います。
主観的というのは、自分中心ともとれるけど、武蔵の主観的は、周りの意見(剣のほうがよく切れるというような)に流されていないけど、自分の人生の流れ、自然の流れには乗っているような感じがします。

武蔵は自分の頭で考え、自分の体で確かめる、ということをしたのだと思いました。

[C1734] >巌流島の客観性と主観性

 小次郎は刀は櫂より強いという常識というドグマをなんの検証もせず疑う事をしなかったのかもしれません。常識という客観性をなんの批評性をもってより強いものになるには、過去の客観的なデータをまず主観でもって斬ることから始めなければ、新しい事象を見出せないかもしれないと思いました。武蔵は櫂を使えばどうだろうという、主観的な疑問をより客体化することにより、主観的であった自分の仮説を既存の客観性を超える強固な客観性を得たのかもしれないと思いました。
 既存の客観性を乗り越えるために必要なのは常に主観性によって更新されるという視点なのかもしれないと思いました。
  • 2006/05/29-03:08:14
  • 投稿者 : yk
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[C1733] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/29-02:04:56
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[C1732] >巌流島の客観性と主観性

>巌流島・・無意識の対決
オリンピックのメダリストが、勝算アリの試合では、試合中の自分自身を背後から
見ている自分(視点として)がいる…などと聞いたことがあります。
自分の内面から感じる調子良さだけにとどまらず、風になり、岩になり、太陽にな
るという、あらゆるモノとの連動がなされたのかもしれませんね。
自分のみにあらず、あらゆる方向に意識が飛び、あるいはあらゆるモノからの共
鳴を利用していたのかもしれません。
武蔵ってば、ちょっとバットマンみたいです(汗)

>巌流島・・「私は原因」と「私は結果」の戦い
小次郎にとっての決闘は、いわばオナニー的なモノかもしれないです。
派手にぶっ放して悦に入るか、みみっちく放出して鬱に入るかのようです。
武蔵には、そこが「イク場」ではないと感じていたのか、自らつとめてそう設定した
のかわかりませんが、何かソコでは終わらない感が、たえず胸のウチにあったの
かもしれません。

>巌流島・・「私は結果」がなぜ強い?
どっちが優れた武器なのかで言ったら、小次郎の方だと思います。
短銃よりもマシンガン、マシンガンよりもレーザービームだと思います。
でも、どの戦いにおいても、優れた武器側が勝利を収めるかと言ったら、それは
違うような気がします。
愛の度数に満たされた超高等科学文明からの使者・小さな友人ことアミは、
自分たちの高度な技術を搭載したビームを放ち、おそ松の存在はおろか、過去世
すらもイレースする超テクノロジーを持っていると思います。
でも、高尚な小さい友人に勝つ手段が、おそ松にもあるかもしれません。
武蔵vs小次郎の「結果/原因」対決には、銀河連盟を驚愕しうるほどのヒントが
隠されているようにも思いました。

>巌流島の客観性と主観性
数年前のことですが、小学生だった私が学校で友達と大ゲンカした時のことです。
相手は水着を入れるスイミングバッグ(見た目は小さいサンドバッグ風)に缶のような
金属を入れて、おそ松をバンバン殴ってきました。
おそ松は素手で明らかに不利です。
スイミングバッグのヒモがある為、相手のリーチはとても長く、おそ松は攻撃される
一方です。四角い缶のカドがおそ松の頭にくい込み、血飛沫も出ました。
しかし、おそ松は何を思ったか、相手を砂場まで誘いこみ、砂をバンバンバンバン
かけました。バンバンバンバン、バンバンバンバン…圧倒的な量の砂嵐を前にして、
ついに決着がつきました。…そう、おそ松の勝ちデス(汗)

この武蔵vs小次郎のブログをここまで読み、あのときの感覚が蘇りました。
おそ松もあの時、どれほど有利な武器が相手にあろうとも、勝敗はわからないモノ
だと言うこと知ったのでした。
このとき、おそ松はガムシャラでした…でも、それだけでなく、
周囲も自分のことも見えていたように思います。
砂嵐が舞う中、映画「マトリックス」のワンシーンのように、
視点がグルグルしていました。

きっと、武蔵もそうだったのかもしれません。

[C1731] はい。。

これ以上は。。どこをどうすればいいのか。。わかりません汗汗
  • 2006/05/29-01:37:36
  • 投稿者 : バニー
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[C1730] >視点を変えてみます。

視点変えっておそろしいなと思いました。どんなふうにでも見えて。そうして、視点変わって、どんなふうに見えても、それがその視点からはまさしくそうだ、としか思えない‥どこから見たのも一理あって、真実のようで、でもそれも他人から見た視点で、本人同士から見たら、また違うかもしれないし、ずーっとミラーボールみたいにくるくるしていってしまう感じです。
  • 2006/05/28-23:51:51
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1729] >巌流島の客観性と主観性

自分という「個」は重要なのだと思います。

ネットワークの1パーツとして役割を担っているからです。

「個」が生きてくるのは、自分を客観的に見れるかどうかなのかと思いました。

自分は誰でもないと思います。常にすっからかんであると思います。

このような考えが発生したとき、「じゃ~自分は主観性じゃないではないか」という気持ちになりますが、からっぽを認識したとき、「個」がすごくまわりとつながり、生かされているのだと思います。

精神世界は特に「自分」を大事にしています。

しかし、精神世界では私は○○であるしてしまいます。

この「○○」を何かに定義づけているのだと思います。

つまり、ベクトルがしぼられてしまうということだと思います。

これは、自分は上の人間で下の目でまわりを客観していることなのだと思います。

主観性というのは、まわりとは対等であり、自分は誰でもないという気づきがあるかどうかで主観性の強さが最大限に出るのだろうと思いました。

[C1726] >巌流島の客観性と主観性

>巌流島の客観性と主観性
 
小次郎はツバメ返しを何度も行っていたと思いますので、その技は再現性があるといえます。
小次郎の境地まで達するのは大変だとは思いますが、その技術を習得することは不可能ではないと思います。
また、櫂よりも刀の方が強いというのは普通に考えればそうだといえます。
これは客観的といえるのだろうと思います。
 
一方、武蔵が行っていたことを再現できるかというと、そのときそのときで状況が異なるので再現は難しいし、習得も難しいと思います。
武蔵のようにあらゆる手段を使えばよいといっても、そのときそのときで効果的な方法は異なるだろうと思うので、一概にこれをやればよいとはいえないからです。
また、刀より櫂のほうが強いという視点をもつのが難しいです。
これは主観的といえるのだろうと思います。
 
全方位の無意識につながっていた武蔵が主観的というのは、いわれてみればそうなのですが、主観と客観のイメージを崩された感じです。

[C1725] >巌流島の客観性と主観性


武蔵の主観性はもりけんさんと似ていると思いました。
もりけんさんが生まれ変わりの村など不思議調査をした時、現在の科学性にのっとって調査をしたでしょうか?
違うと思います。
六爻占術にせよ、盲師派推命占術にせよ、各種占いだって科学者の目から見れば否定されると思います。
言い方を変えれば、現代科学がよしとするものに執着していたのでは調査は出来なかったと思います。

しかし色々と視点を変え、周囲を見回して、発信機を腹に入れたり、何年もかかって何度も根気よく村を訪れたり、あの世のコインを持ってきてもらったり、占いを全財産を投入して検証してみたり、夜毎ホームページで色々と仮説を立ててみたり・・・視点を広げて周囲を見回す客観的なところはむしろ多く
その科学的な考察にうならされることもしばしばです。

でも科学的な実証のみにこだわっていたら調査も進まなかったと思います。
世だから間の常識には捉われずに進むもりけんさんにその主観性を感じます。
私にも武蔵がどうも気になるのはもりけんさんと一部似ているところがあるからかもしれないと思いました。
  • 2006/05/28-21:25:46
  • 投稿者 : 空タネ
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[C1724] 武器

小次郎の客観性は、常識の範疇にあったのでしょう。
何故、武蔵が櫂を削って小次郎より、30cm長い剣を作ったか?
これは、重量ではないかと思いました。それでなくても、反射神経の良い小次郎を相手に、重い剣では余計早く振れません。
武蔵は、敵にも自分にも合わせて、常識にとらわれず武器を選んだのです。こういう意味から、主観的でしょう。
小次郎は、自分に拘ったから、自分に合った剣にも拘りました。しかし、仕官して生きていたように、自分の外側に対しては、常識的だった気がします。
私がワープして小次郎と戦うとしたら、浅瀬でも座礁しないホーバークラフトと散弾銃持っていきます。(爆)
決して、陸に上がらないで散弾銃乱射。(汗)
「汚ね~~~!」と言われそう。あっかんべ~♪

[C1723] 孤独な視点が、主観的。

きっと、小次郎はずっと刀の修行をしてきたのだと、思います。剣一筋で腕を上げて名を成したのだと思います。もりけんさんが言う客観的とは、対人戦術には刀が一番ベストの方法だと決めた視点のことだと思いました。当時、小次郎以外にも、無作為で選んだ大勢の人に、「人と戦うのなら、どんな武器を選びますか?」とアンケートをとったら、第1位、少なくとも第2位に「刀」があがると思います。武蔵の選んだ武器は、おそらくかなり下位のほうにランクするものばかりだと思います。まして、時刻や太陽、櫂なんてあげるひとは、まったくいないでしょう。
それらを、重要な武器だと選んだのは、武蔵自身だけだと思います。そのとき、武蔵は経験則も、評判もマニュアルも、常識も、人の意見も、なにも当てにせず、たったひとりで決めたのだと思います。
そういう孤独な視点が、主観的だと、思いました。

[C1722] 前提を疑う

小次郎は「刀は真剣勝負では強い」という前提を疑わなかったのだと思います。
そしてその前提は多くの人をうなづかせると思います。

しかし、武蔵はその前提を「そうなのか?」という問いをもちつつ一つ一つ検証していったような気がします。

検証をしていくというのは現場と向かい合きあわなければなりません。
データだけが勝負になると思います。

データ自体は客観的ですが、それを取捨選択するのは主観的です。

どのデータを選ぶか・・・は自分の感覚だけが頼りになり、既存の前提に依っている限り何もブレイクスルーできない=勝負には勝てないのだと思いました。

って、誰かさんに似ている気が・・・

[C1721] >もりけんさんは武蔵でも小次郎でもない

という書き込みを思い出しました。もりけんさんが武蔵だったら、不測の事態に備えて船の中に、例えば、真剣を用意しておくのではないかと思います。武蔵の想定の範囲内で物事が進めばいいのですが、武蔵のとった作戦は、想定外のことが起きることも大いに考えられたと思います。

また、もりけんさんが、小次郎だったら約束の時間に武蔵が来ないとわかったら「また日を改めて...」といってさっさと帰ってしまったのではないかと思います(爆)。武蔵のペースでそのままずるずると戦うようなことはしなかったと思います。

いずれにせよ、もりけんさんであれば、武蔵の立場であろうと小次郎の立場であろうと、幾重にもリスクをヘッジしただろうと思いました....(汗)。
  • 2006/05/28-18:57:47
  • 投稿者 : ナイル
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[C1720] どちらが・・

最初は小次郎が主観的で、武蔵が客観的だと思いました。
でももりけんさんの言われるように、
視点を変えてみると・・確かに逆にも思えます。
小次郎は客観的に見て(意識してというよりは無意識に)
刀で間違いないと、
刀に対しては何の疑問も持たなかったと思います。
一番良いに決まってるでしょう・・と。
武蔵は、自分の直感のようなものに従った。
客観的に見ると櫂で勝てるわけないと思うと思います。
でも、客観的に判断しなかった・・。
そのことが、勝敗を大きく分けた・・
・・・う~ん、イケない(汗)
  • 2006/05/28-18:38:38
  • 投稿者 : まる
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[C1718]

小次郎の客観性とは、常識と言い換えられるような気がします。
100人に刀と櫂ではどちらが強いか?と聞くと100人が刀だと答えはずです。
でも、この問いには常識の盲点があります。
「刀と櫂が交われば」どちらが強いのか?という視点です。
小次郎の刀と武蔵は櫂は、一度も交わっていません。
しかも、櫂のほうが少し長かった。。。
 
武蔵は常識的な客観性を無視して、計算しつくした主観性を持っていたのだと思いました。
 
武蔵の凄味をあらためて感じました。。

[C1717] > だから武蔵のほうが、主観的だと思いませんか?

 
はい、視野が広くて何でも使おうとした武蔵は客観的だと思っていました。
でも科学性を無視して自分の感覚に従ったのは主観的だというのは、そう
だと思いました(@@;
 
う~ん。。。
視点の違いで主観的も客観的にひっくり返ってしまうなんて。。。(汗)
いえ、主観的でもあり客観的でもあるということなのだと思います。
でも、やっぱり混乱します。
 
何を考える時でも視点を移動してみるというのは、やってみる必要が
ありそうです。

科学的な視点は人間の目では確認できないようなミクロからマクロの
性質を見つけだすことが出来るけれども、分析対象になった物とその
外側を囲む他の物質や環境との関係ということになると、分析できる
事はごくわずかなのかもしれません。
 
主観的というのは、科学的な視点では見つけられないような関係性ま
で見つけ出せるのかもしれないと思いました。

[C1716] 自分の感覚

刀と櫂では客観的に見ても刀が強いと判断されます。
誰もがそう判断すると思います。
誰もがそう判断したとしても刀で本当に勝つことができるかという問題はぜんぜん別のものです。
周りが強いと認めても本当に勝てなければ何にもなりません。
武蔵が小次郎より長くて丈夫なものに櫂があったことは自分の感覚で勝負したことになります。
勝敗は武器だけでは決まらないのを武蔵が知っていたからいろいろな策略も練れていたと思えました。


  • 2006/05/28-17:25:28
  • 投稿者 : 小町
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[C1715] 武蔵と小次郎は、どちらが客観的で、どちらが主観的だったでしょうか・・。

概念をひろげて~~さらに時空に焦点をしぼり。。自然にそって~~。。となると。。。やはり。。武蔵みたいに。。自然と一体になることかも~~とおもえてきますうう~~。。が。。多次元側での自由と。。3次元側での自由はチョイ。。ちがうような感じがしまっすうう~~う~ん。。3次元側では地球の引力的影響をやっぱりうけてしまいそうなきがしまっすうう。。拡散してるようなきもしますが。。まんざら。。それだけでもないきがしまっすうう。。まだ。。100パーセント空洞説ではないとおもっていましたが。。。そこらへんで外側つながりがでてくると。。もりけんさんのいう100パーセント空洞説があるのかなあと思ったりもしましたあ~~♪♪
  • 2006/05/28-17:05:21
  • 投稿者 : バニー
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[C1713] >>だから武蔵のほうが、主観的だと思いませんか?

これは「弟子になったとして」という視点から考えてみても、武蔵のほうが主観的であると言えると思います。

武蔵の修行についていけるでしょうか?

小次郎なら客観的にも正統派を極めていくという視点で、いわゆる剣道教室的な位置づけを認識できると思います。

武蔵の弟子はどんなことをさせられるのだろう?

森田さんがよく言う
「私の中国調査(についてこれる人はいますか?)」の話とダブります。

既知のものを極めるのは確かに主観っぽいけど客観性に守られている。
未知へ向かうことこそ実は主観がものをいうのかと思いました。

[C1712] >「刀」を捨てられなかった小次郎、科学性を無視した武蔵

武蔵の客観性においては、物事の価値に差がなかったのでは?と考えました。
科学と非科学、道徳と不道徳、武士道と非武士道・・・このような対立軸があったとしても、
武蔵は、そこに善悪や優劣の価値判断をほとんどしない人かもしれません。 そのために、
物事を既成概念ではなく、ゼロベースで考察できるのが武蔵ではないでしょうか。

そして、武蔵は(彼の主観で)一度こうと決めてしまえば、もうブレないのだと思います。
武蔵が科学性を無視したのだとすれば、もりけんさんが、科学性にこだわるの止めて、六爻
占術を学ぼうと決断されたことと似ているかな、と想像しました。

[C1711] >巌流島の客観性と主観性

>小次郎は現代科学が良しとするものを武器として使用しました。
>これは今の社会の視点からすれば、客観的だと思います。


はい。
小次郎は、現代科学というスケールを使って、
自分の道具を選んでいました。

小次郎にとっては、現代科学がよしとするものイコール、よい道具であったわけです。

しかし、武蔵は、自分の感覚に従った・・

でもそれは、世間のスケールからみれば、かなり常識はずれです。
だって、現代科学の常識からすれば、
それで勝てるなどとは、誰も思わないだろうからです。

世間の常識ではなく、自分の感覚に従った武蔵は、主観的であるといえると思います。


自分の感覚に従う・・

これは、大変なことだと思います。

とても孤独なことだと思います。

だって、たったひとり・・

自分の感覚だけが頼りなのですから・・


しかし、それは、決してひとりよがりではなく
実は、広い世界をネットワークしていました・・


主観的ということは、形式化された客観性というスケールを突き破り、広い世界をネットワークさせる力があるように思いました。

それが、武蔵の勝因の一つだったかもしれない・・と思いました。


[C1710] 小次郎は相当いっちゃってる人なのではないかと

思っていました。雇い主の女とは関係を持つし、人より長い刀を使っているということ、それに、ツバメをきって剣の修行をしているなど、はたからみたら「うつけ者」以外の何者でもありません。

上位の女を抱けるというところからして、相当クレージーです。そういう意味でも小次郎も「正統派のエリート」ではなかったのだと思います。

しかしそれを上回る「馬鹿」が武蔵だったと思います。武蔵が木のカイを使用したことや遅刻したこと、相手から長さが見えないように担いだことなどは、ひとつひとつをみれば、たいしたことではないと思います。ベツに(小次郎以外)誰にも迷惑をかけたわけではないし、なんらかの義務違反でもありません。

武蔵にしてみればそのような小さな自分に有利に働くかもしれない要因を積み重ねていはいますが、最後のところでは、それを頼みにはしていないのではないかと思います。うまくいけばいい程度のことだと思います。

しかし、予想に反してそれがうまくいってしまったため、武蔵はものたりなかったのではないかと思います。いや、ラッキーだと思ったかもしれません。勝負はこれからというときに、小次郎が勝手にコケてくれた、というのが、実は、武蔵の正直な感想なのではないかと思いました。

小次郎も「武蔵というやつは一筋縄ではいかん」と思い、砂に穴をほってその上にゴザかなにかをしき、砂をかぶせ、落とし穴のひとつやふたつ作っておくべきだったのではないかと思います。

武蔵と小次郎のどちらが優れていたかということを考えていけばいくほど、勝負にいたるまでの姑息?な手段が、実は大勝負の勝敗を分けるものであるということが、この世の真理であるような気がしてきました。
  • 2006/05/28-13:53:49
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
  • 編集

[C1709] アンカーを信じれば良いのだと

思いました。
うちの子は18と15とすっかり大きくなったので、母としちゃ今が食料買い出しと洗濯に負われるピークだなと思うのですが、まだちっちゃな頃は、風邪を引いたり熱を出したりしたものです。
その頃、友人から聞いたのですが、お子さんが名医に見誤られ肺炎を見逃され、あやうく命を落とすところだったというのです。
評判の小児科で普通の風邪だと帰された後、納得がいかず大学病院に行ったら即入院となり点滴を受け持ち直したとものすごい剣幕で話してくれました。
育児ひとつにもいろんな情報が出回っているけれど、母親のカンにまさるものはないとつくづく思った次第です。
何につけてもノイズに惑わされることなく、自分の心のアンカーから伝わってくるものによぉく耳を傾けたいものだと思います。
それには、心をとぎすませてレベルゼロ状態に近づけていくのがいいように思います。

[C1708] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/28-12:40:13
  • 投稿者 :
  • 編集

[C1707]

〉彼は、「自分の感覚」だけが問題でした。 
〉小次郎は現代科学が良しとするものを武器として使用しました。 

武蔵という人は、徹底的に「自分の感覚」というものにこだわったのかなと思いました。どんな状況におかれても、自分とだけは。。武器がかわろうが、状況がかわろうが。。最後まで一緒にイカなくてはならないからです。その自分が不確かだとなれば。。外に感覚を固定する助けを求めるしかないと思いました。すると「自分の感覚」は無限に広がる気がします。外側が全てが感覚を呼び起こす対象になるからです。

小次郎は。。まわりから固めていったのではないかと思いました。客観的に。。最新の武器、最強のスキル。。最強の外側をあつめて。。ポッカリと残った不確定要素。。自分を。。固めた外側に相応しくなるように最強の自分で埋めようとしてたんじゃないかと思いました。

武蔵は不確かな内側から外側全てに向かい。。小次郎は外側を固めて内側が限定されていったのではないかと思いました。

[C1706] >巌流島の客観性と主観性

なんか・・・わかります(汗)
私の例えで恐縮ですが・・・
小次郎は、時代にあったお洒落をしていた、とゆうか(汗)
武蔵は「オレは、どーーーーーーしてもこれを、着るっ!」みたいな(汗)ゆずれないもの・・・ってゆうか、そんな感じがします。
武蔵の「主観」は、心の奥底からの叫びのような、
もっと身体的な(?)皮膚感覚とゆうか・・・。
なんか「これだな・・・」ってゆう感覚を、大切にしたのでは
ないかなと思うんです。
ギリギリまで追いつめられた時にしか、それを発揮しない時も
あったかもしれない、そして「なんでそうなの?」か、ワカラナイ
けれど・・・
「どーーーーーーーーーーーしても・・・」なキモチ。
誰に教わったわけでもない、ゆずれないもの、それを感じます。
時にそれは、口をつぐませたり、涙となって表現される・・・
そんなこともある、と、私は思います。
それが武蔵の「主観」なのではないかな・・・と思いました(汗汗汗)

[C1705] 客観性と主観性

ものすごく、深いですね、いやぁー、深いです、うなってしまいました。気が付かなかった自分が浅すぎるのかも。でも、よく分かります、言ってる意味は。


で、大きく勝敗を分けるポイントが「自分の感覚」、それだけが問題、そう、やっぱり、そうなのですね、それでよかったのですね、なんか嬉しいです。社会の視点など、武蔵には関係なかった、はい、私も関係ないと思います。これまでの感じでいくと、逆と思ってましたが、視点がぐるっと変わって、びっくりします。


武蔵は自分の主観に従うために、客観的に色んなものを利用した、とでも言えばいいでしょうか・・。小次郎は客観に従って、自分の技を自分の主観にしたつもりになった。違うでしょうか・・。

[C1704] 客観性と主観性

 客観性=みんなが言いというもの=常識
 小次郎が櫂を見て「そんな物で俺に勝てると思うのか?」と言ってしまったのは、客観性(常識)につかまったと思いました。櫂の使用方法は考えれば少なくとも10以上の可能性はあると思います。
 でも小次郎に限らずたいていは、「木と鉄じゃ鉄が有利」と判断しがちになるのでは。まして、考えるいとまをあたえられなければ他の可能性なんか考えることは無理かもしれません。
 武蔵の視点は武器の長さだったと思います。小次郎の長刀の届く範囲は危険で武蔵といえどもその中に入るのはまずいと判断していたのではと思います。離れて勝負をしたい。小次郎の剣より長いもの。長いもの。そこに、櫂を見つけたのかなと思います。
 このとき「木と鉄じゃ、木が不利だな」なんて客観性(常識)より、自分の考えた道筋で正解を選べたのが武蔵なのだなと思いました。
  
 客観も一つのものの捉え方で時と場合によりよかったりよくなかったりするものだなと思いました。
 知識も客観に入ると思いますが、結構これに自分は縛られます。なかなか武蔵のように、自分が正しい(主観)で判断するのは難しいものではと思いました。

[C1703]

どうも・・・混乱していて(いつもですが)
どう書いて良いかわかりません(なら書くなよ・・・って)

 でも無理に解ろうとするといけない・・・
 気付かなくちゃ・・・・うう~~~ん。

[C1702] >巌流島の客観性と主観性

武蔵は世間の常識に頼ることなく、自分の感覚で戦いを構築してきたのだと思います。
一方の小次郎は常識的だったと言えるのかもと思います。常識的だったので、常識を超えた武蔵の思考を読むことができなかったのでは?と思います。
それが勝敗を分けたのかもと思います。

[C1700] そう思う

素直にそう思う

そして武蔵は「臆病な自分」を認めていた
「臆病な自分」を認めていたからこそ様々な想定が出来た

臆病な私はこの様に推測する

[C1699] 客観的という程曖昧なことばはない

武蔵は自分の技を自然という中でその一部として冷静に見ることを柳生で学んだと思います。客観的ということばを使ってみれば、武蔵は自分の技を小次郎と比較すれば、より広く=より客観的に捉えることができていたのだと思います。しかし、誰から見た視点をもって客観的というかと考えると、時代や背景で変わりますから、客観的ということば程、曖昧なものはありません。武蔵は少し広い視野を身につけていたのであり、この世で自分だけがすべてではないことを、知っていましたし、奇抜な考えに見えるアイデアもこの少し人より広い視野によるるものだと思います。一般に客観性というものは規定できないものであり、主観的なものしか前提にならないと思います。ところで、原因は自分だけではないと思いますが、自分も原因の一部になりうると思いますが、いかがなものでしょうか。

[C1698] >巌流島の客観性と主観性

混乱の極みです。
もう何がなんだかわかりません(爆)。
科学性は、宇宙の発展と連動しているのだとすると、
小次郎は周りに合わせ客観性を持っていたと思います。
武蔵の逆行した行動を取ったことがなぜ勝因に結びついたのか、
ただ武蔵も客観性で向かったら、小次郎に負けたと思います。
周りに流されなかったことが勝敗の決め手になったのはなぜなのかはわかりません。
運命に逆らったからこそ勝てたのかと思いました。
  • 2006/05/28-09:36:11
  • 投稿者 : イーキン
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