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[C1863] 巌流島・・「私は原因」から迫る

>「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた。
取り巻く環境と一体になっていたからこそ、武蔵は
未来が予測できたのだろうかって思いました。
武蔵は決して自分の技を過信してないし、情報を得ては自分以外に目を向けていたからこそ勝利は時の運ってことを知っていたのかなって思いました。
  • 2006/06/02-02:12:16
  • 投稿者 : Ciel
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[C1848] >「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」

鞘を投げ捨てる、天命‥、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」ってとこはあったように思います。自分だけしか信じていない人だったら、鞘も天命も気にしないと思うし。武蔵は、いままで自分が勝ってきたことも、自分の剣の技でなく、運が大きかったと思っていたかもしれません。武蔵は誰か師匠についたわけではないし、父親の術をすこしくらい見ていたことがあったとしても、ほとんど我流の剣だし、技がろくにないときに、関が原の戦いのような乱戦で、生き残ったりしてました。天命があったから死ななかったっていう気にもなるんじゃないかと思います。
  • 2006/06/01-14:42:45
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1844] 巌流島・・「私は原因」から迫る

 武蔵は一人で戦っているとは思っていなかったのかもしれません。自分だけど、自分以外のなにかが戦っているような感じをいつももっていたのかもしれません。
 なぜならば、武蔵は剣の修行に励んだけど、名誉とか名声とかを欲した人間ではなく、(私は良く知りませんが)、なにか剣を磨かなくてはならない、それに付随する試合には勝たなければならない、と回りの環境からそう思っていったようにも思います。
 なので、余分な事を考えずに、剣の事、試合の事に大部分の時間を費やしたのではないか、その結果、未来からの情報を周りの環境から、受け取っていたのではないかと思います。
 小次郎との違いは、これまた、私はよく分かりませんが、名声や名誉とかが結構大切に思っている人間で、それを追求するために、剣を使ったのかなと、、、
 「この行き方の相違を作ったのは、いったい何か」
 うーん、周りの環境かな。

[C1838] 武蔵の

生き方が変わった瞬間があるとするなら、
「鳥の声を聞け」に、ハッとした瞬間・・。
周りを意識するようになった・・。
すると、すべてはつながっているんだ・・と
いうことを感じていたのかも知れません。
小次郎は、「鳥の声を聞け」に出会わなかった・・。
相当自分に自信があったのか、
人より多く練習していて負けるはずがないと思っていたのか・・。
  • 2006/06/01-11:40:38
  • 投稿者 : まる
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[C1830] 状況と環境そして現在から未来

 武蔵は、自分をとりまく状況を勝利するための環境へと布石を打って自分の能力を発揮できるようにひとつひとつの状況を分析して対策をこうじて周囲である環境をより自分のものになるようにと近づけていったと思いました。現在の状況を解析してよりよい未来を模索して行った感があります。片や小次郎は、自己の完結性を技の熟練と習得にあけくれ対処療法的な視点はゼロでした。同じような戦法を使っていっても武蔵は個々の戦いで対処療法的な戦術から、現在から未来を見据えていたような気がします。
  • 2006/06/01-07:01:02
  • 投稿者 : yk
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[C1829] 二人の自意識と野生

修行のために、武蔵は孤独な旅に出かけます。 しかし、お通さん、又八、沢庵和尚など、
たくさんの人達と関わりを持ちます。 たとえ一時的ではあっても、濃密な時を共有します。
また、自然とも仲良し(?)で、野宿などは毎度のことであったでしょう。
武蔵にとって、自分以外の存在とは一心同体のような関係にあったのかもしれません。
「鳥の声を聞け」と言われますが、その意味は、「データの声を聞く」と同じではないかと
考えました。 もしそうならば、環境が用意した外応やデータから、武蔵は正確にその意味
するところを感じとり、更には、未来に起こるべく事象をも読み取るところまでイッてしま
っていたのかもしれません。

一方、小次郎の人間関係はとても希薄な印象があります。小次郎にとって他人とは、文字通
りにただの他人でしかなく、自然はただの景色に見えたのではないかと。 
小次郎は、恐らくスマートに生きたかったのでしょう。 自分の力と技だけを頼りに・・・
(でも、私を含めて、多くの人が力を失うのを恐れているように見えます)
結局、小次郎は自意識過剰であったのだと思います。 しかも、自意識の向かう先が、自分
だけに固定されたままだったのでしょう。 武蔵は、逆に自意識がどんどん薄まって、とう
とう時空(の無意識)と同化するまでになったのではないでしょうか。

(主観の方が強い、というのと、自意識が薄まる方が良い、というのは矛盾しているようで
 すが、不思議なことに私の中では矛盾しません、ただ、それを今ここで説明するのが困難
 なのです(滝汗)、尚、間違っているかもしれませんが、私がここで書いた自意識とは、
 一般的な意味で使う「まず自分を中心にして考える意識」という意味のつもりです)

また、武蔵には、野を駆ける獣の感覚があったのではないでしょうか?
ある時は、外界を畏怖し、時には、外界によって助けられた・・・そのような記憶があった
とすれば、武蔵の「環境を見方につける」という感覚が、少しですが理解できる気がします。

[C1828] >巌流島・・「私は原因」から迫る


「自分を取り巻く環境が勝つ」というのは、環境が勝利に向けてお膳立てしてくれるかのようだと思いました。
武蔵はその流れに乗っていったのだと思います。

 

[C1827] >「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた・・。

小次郎は、「自分が勝つ」と思っていた、、、
小次郎にとっては、「自分が勝つ」ためには、自分以外は敵であり、障害でしかないと思います。
武蔵はもちろん敵ですが、海も、砂浜も、太陽も、風も、すべてが敵であり、障害であったと思います。
 
でも、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた武蔵にとって、自分が勝ったとき、自分を取り巻く環境は味方であり、障害とは認識していなかったと思います。
 
海も、砂浜も、太陽も、風も、みんな味方につけて、勝ちにつなげたのだと思います。
小次郎の物干し竿さえ、味方につけたようにも思います。
小次郎が物干し竿を使うから、武蔵は櫂を使ったはずです。
小次郎が長さで勝負することを利用して、長さの勝負にでたのだと思います。
 
すべての要素、自分を取り巻く環境すべてを総合して、勝利という結果に至ったのだと思います。
 
石州斎に負けたとき、自分を取り巻く環境すべてが敵に見えたのかもしれないと思います。
それを反転して、「自分を取り巻く環境」を味方につけることにいたったのではないかと想像します。

[C1826] >これから、よろしく <(_ _)>

小次郎が自分の技に絶対の自信があったというのは、自分に入墓した状態、つまり
常に「今」しか見えてなかったのだと思います。
武蔵が自分以外を見ていたのは、常に今より少し先の未来を見据えていたのだと
思います。
同じ時代に生きていて何がこの二人の違いを形成したのか、二人の育った環境や、
それまでの人生で出会ってきた人達からの影響も考えられますが、どこで生まれるか、
誰に出会うかも運命で決まっていたと考えることもできると思います。
  • 2006/05/31-21:59:52
  • 投稿者 : イーキン
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[C1825] 武蔵という人は

情報に敏感だったのではないでしょうか。
鞘のセリフにも、鳥の声の一件も、今にして思えば、意志よりも情報を優先する姿勢の表れかと思います。

[C1824] >「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」

もりけんさんのブログへのレスを書いているときというのは、自分の背後にいる何者かに、書きたいようにかかせるしかないです。

もりけんさんの書き込みと自分の直面している3次元の問題とが微妙に「リンク」し、たぶん、達人になると、レスを書き終わったときに、現実の世界で直面している問題も解決していた、ということになるのだと思います。

おそらく、文章を考えているときというのは、もう一段抽象化された世界にアクセスしているのだと思います。よって、二つの全くかけはなれているように見える物事の両方に効く解決方法が見出されることもあるのだと思います。

さて、武蔵がどのようにして未来の戦いの形勢や位相を読むことができるようになったかという方法を知る手がかりを、ここ数日間、もりけんさんはかきこみを通じて探っているのだと思います。

外応とは、実際の物事の相似形を外の世界に見出し、それを手がかりにして、三次元の世界で起きる未来を知ることだと思います。そしてひとつひとつの出来事が「位相」の一部であるならば、同じような出来事でも(たとえば鳥の声をきく)常に同じ意味を持っているとは限らないと思います。

そうであるならば、鞘を投げすてたというひとつの行為も、武蔵は、位相の中のひとつの出来事として見ていたはずだと思います。武蔵が見ていたのはパターンであり、ひとつひとつの出来事ではないのだと思います。全体の中でひとつの行為がどんな意味をなすかということを見ていたのだと思います。

そのような視点にたつならば、武蔵は自分の頭上から、自分と小次郎の位置関係を、同時に、見ることもできていたように思います。全体の中で武蔵と小次郎という二つの点がどんな位置関係にあるか...。

一方小次郎は「全体の中で」という視点はかけており、二人の位置関係のみを見ていたのだと思います。よって月日の位置や海の反射やうねり、引き潮か上げ潮かなどの要素は小次郎の脳裏にはなかったのだと思います。

カットアンドトライおよび頭の中でシュミレーションをすることにより、武蔵には、太陽や潮の形勢を含めた位置関係のあらゆる想定されるパターンが頭の中に入っていたのかもしれません。

あるいは、ひとりの人間としての武蔵を超えた普遍的なパターンのデータベースにアクセスしている、一種のトランス状態を保つことにより、武蔵には自分の居るべき位置というものが非常に明確に「見えた」のかもしれません。

「鞘を投げ捨てた」という台詞も、武蔵自身、自分の口から出てきたものではないように感じたかもしれません。
  • 2006/05/31-20:31:04
  • 投稿者 : ナイル
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[C1823] >巌流島・・「私は原因」から迫る

>それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。

 
>ということは、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた・・。
 
>しかし小次郎は「自分が勝つ」と思っていた・・。
 


武蔵は、未来を包含した今を生きていたのだと思いました。
それは、今に固執しない・・ということでもあり、
同時に、「個」に固執しない・・ということでもあると思います。


「今」という時間は、時空の断面なのではないでしょうか・・
そして、「私」という「個」も、時空の断面なのだと思います。


断面的な生き方・・
というのが小次郎の生き方といえるのではないかと思いました。


一方武蔵は、今と未来がリンクされていました。

断面的な視点から飛びぬけて、視点が広がったのだと思います。

だから、時間は、未来とリンクし、用意周到で、
他者とのネットワークがつながったのだと思いました。

>この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・


武蔵は個にこだわらず、視点が外側に開かれていて・・
小次郎は、「自分」にこだわっていた・・

それが相違だと思いました。


じゃあ、その原因は、何なのか・・


うーーーん・・


生まれた時間でしょうか。。


[C1822] >この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・

小次郎は自分の技を信じきっていたのだと思います。
自分の技を美化しているから、自分の技で相手を倒すイメージが頭の中にあったのかと思います。
武蔵との戦いでも、自分の技で武蔵を斬るイメージを持っていたのではないかと思います。
願望実現に近いものがあるのかと思いました。

かたや武蔵には、そのようなイメージは一切なかったのではないかと思います。
武蔵は本人でも「予想できない」勝利の方程式があると思っていたのではないかと思いました。
それは自分を取り巻く環境が勝利を呼び込むことを確信していたからだと思います。

武蔵も「私は原因」だったと思います(バガボンドでしか武蔵を知りませんが(汗))。
しかし、たくさんのつわものと出会い、「私は原因」ではいけないと気づいたのだと思います。
この視点移動は「私は原因」なのかも知れませんが、「私は結果」への移動により、無敵となったことは武蔵も十分認識しているのではないかと思いました。

[C1821] >「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです

武蔵のセリフが単なるハッタリではないとすれば、武蔵は自分で外応を作り出したのだと思います。

「作り出した」といっても、小次郎のささいな動作に気付いただけです。

でも、気が付かなければ外応を見方にすることはできないので、
武蔵の「気付く能力」というのが、彼を無敗の境地へ導いたのかもしれません・・。

「未来」と「現在」がリンクする・・・
ゾクゾクっとします。。

なぜ武蔵がそう思ったのか・・よく分かりません・・。

ただ、武蔵は貪欲です・・
勝って生き残るために、あらゆる手段を講じます。

この貪欲さが、武蔵をして、彼の目を外側のネットワークへ向けさせたのかもしれません・・。


武蔵は決して「悟って」はいなかった・・・

かたや小次郎は、どこか「悟った」ようなところがあったのかもしれません・・。

[C1820] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/31-17:45:30
  • 投稿者 :
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[C1818] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/31-15:34:04
  • 投稿者 :
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[C1817] ?????

ひえ~、難しいです(滝汗)。
「未来」と「現在」がリンクする・・、こういう事、あると思います。それが、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」・・に。「自分が勝つ」は、過去も現在も未来も、いつでも自分の技で勝ち抜く、という意識の現われでしょうか。「自分を取り巻く環境が勝つ」とは、いつでも環境を読んで味方につけたうえで想定できるあらゆる方法を使うことで勝つということでしょうか・・。うーん、どうなんだろう。
生き方の相違を作ったのは、何か?
何でしょう・・、武蔵の育った環境全て?!はたまた・・武蔵に影響を与えた何か・誰かの有り方や生き方?!あー、ワカリマセン。

[C1816] >巌流島・・「私は原因」から迫る

斎藤孝(声に出して読みたい日本語)の本に、体育会的思考の
中には、「千回、二千回、三千回、…」と同じ作業を繰り返すうち、
千回とか一万回とかの節目ごとに、技が大きく飛躍することが
あるのだそうです。野球で言うなら千本ノックとか、水泳ならば
千ターン目とか、小次郎ならば刀での素振りやツバメ斬りの数
かもしれません。
小次郎には、自身が納得できるような回数の積み重ねによってか、
自分が大きく飛躍したような、内面の変化があったのかもしれません。

小次郎の抱く「勝つ」という思いは、一万回ツバメ返しを行ったから
という単純な理由からきているのかもしれません。
誰もが勝負ごとの前に一万回も素振りをしないとフンで、半ば意図的
な作業かもしれません。しかし、ここで負ければ一万回は無意味に
なります。命が残るなら、次に勝つために二万回・三万回と数を
重ねて、そのためだけの無限地獄に落ちてゆくようです。

体育会的思考というか、自分に原因があるとする考えは、何かを
得ているウチはいいのですが、目的のモノを得られないときほど
狂気に満ちるときはないかもしれません。それで勝つならば、「や
はりあのやり方だから勝てたんだ」と周囲もそれを肯定し、それ
以外には盲目的になります。

投げ捨てられた鞘に武蔵が視線をむけたのは、それが意味を持ち、
自分に教えてくる…いわば外応としての役割を果たしたのだと思います。

普通の読み物としてなら、この行為は「武蔵のハッタリ」として理解
されるものだと思います。「武蔵の威勢」として、小気味良く描かれる
場面だと思います。しかし、これが外応に気づいた場面だとすると、
これまでの「鳥の声を聞く」や無意識ともとれる不思議な行動の数々が、
妙な説得力をもって存在するように思えます。

未来予測が登場する[MUSASHI]、スゴイ話だと思いマス!

[C1814] >巌流島・・「私は原因」から迫る

鞘を投げることは、その時にとっさに起きたことで、あらかじめ予想されたことではないと思います。
でもその出来事を見逃さず、さっと捕らえて、「汝の負けと見えたぞ」と言った武蔵は、戦い中も、小次郎だけを見るのではなく、常に周りに目をやっていたのではないかと思いました。


>それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。
多くの人は、「過去」と「現在」がリンクしてると思うように思います。
特に「私は原因」の考えだとそうだと思います。
時間は過去から流れてきているという・・。

「未来」と「現在」がリンクしているというのは、まさに、時間が未来からこちらへ流れてきているようです。
もりけんさんのいう、「未来則」です。
でも、武蔵はなぜそういう考え方ができたのか・・。
・・難しいです・・

>「自分を取り巻く環境が勝つ」
武蔵の勝ち方はまさにこういう感じだと思いました。
武蔵がなぜこんな考え方、生き方ができたのか・・

これも難しいですが・・
環境は、自分の力ではどうしようもない、変えることができない部分だと思います。
その中の一部である自分も、変えることはできないと思ったのかもしれません・・。

そんな自分が勝つには、そこにある環境をうまく利用することと思ったのかなあと思いました。

[C1812] >「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」

「汝は、汝の天命を投げ捨てた」じゃなく「鞘は、汝の天命を投げ捨てた」
でした(@@;
武蔵は「小次郎は自分の天命を捨てた」と言ったのだと思い込んでいました(汗)
 
鞘が主語だと「オマエを取り巻く環境がオマエの負けを教えている」と言って
るように聞こえます。
 
>それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。
 
単に相手を動揺させるようなことを言おうとしたのなら、自信タップリか語気
を荒げて言うかもしれません。
でもその時の武蔵は小次郎に向かって言っていながらも、同時に自分もその未
来からの情報に気が付いて、それを確認するみたいに淡々と言葉に出していた
のではないかと思いました。
 
>この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・
 
たとえば子供の頃から生き延びる為なら何でもした、という経験があったら、
野生の木の実を食べ雨水を飲んだかもしれないし、他人の家や店から食べ物を
盗むことだってするかもしれません。これは「自分の身の回りの全てを使って
生き延びた」と言えると思います。
 
でももし武蔵も小次郎も、子供の頃に生き延びる為なら何でもした経験があっ
たとしても、武蔵は「自分の身の回りの全てによって生き延びることが出来た」
と思い、小次郎は「自分の身の回りの全てを使って自力で生き延びた」と考え
るんじゃないかと思いました。
 
生まれ育った環境で生き方は変わるように思っていましたが、たとえ同じ環境
で生まれ育ったとしても、生き方に違いが出てくるのかもしれないと思いまし
た。

[C1811]

>ということは、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた・・。
 これに引っかかりました。えっ、自分を取り巻く環境が勝つ?
 「自分を取り巻く環境を整えて自分が勝つ」と自分は思っていたような。これは周りの環境、例えば、櫂の剣、戦う時間、太陽の位置、潮の満ち干木、佐助、大旦那・・・を自分が利用して戦う考えだと思う。
 武蔵はそうじゃなくて、環境も自分。というか、自分は環境の一部という感じかな。言葉にするとそんな視点を持っていたのかなと思いました。
 未来を知りえても武蔵のような考えていたであろう考えでないと勝負は勝てなかったのかなと思います。
 
 じゃなくて、未来を知りえるということは突き詰めていくと自然とそのような考えにいたるものかなとも思います。「私は結果」を自分はまだまだ理解しえていないなとと思いました。

 

[C1810]

>この生き方の相違を作ったのは何か・・・
なんでしょう(汗)
たまに何かをしていると、何かの準備かな、コレは・・・と思うことあります。
でも「何か」は未来の出来事なのですが、正確にわかりません。
私が期待しているものと同じとは限りません。
だから、こじろうの未来は「武蔵に勝つ」しかなくて
武蔵の勝利は違うのだと思います(・・・?)
やはり、こじろうと武蔵は見ているものが違う。
自分が主役の物語、自分で紡いでゆく物語がある・・・とゆうのが、こじろうで
武蔵は物語の中の一部です。周りから見たら、主役は「武蔵」ですが
本人はそんなコトどうでもよく・・・
むしろ、ほんとうに自分が主役だと気付いていたからこそ・・・
周りをも盛りたてて、周りがいるから自分があるのだ・・・と考えていたのではないかと思います。
  • 2006/05/31-12:30:26
  • 投稿者 : こはな
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[C1809] 「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」

負け感覚~~負け感覚~~やっぱり~~ビリかなあああ~~。。びり~びり~~。。いきそで。。いかねええ~~。。あううう。。。ビリ。。ビリ。。ビリ~ジョエル~~かもなあああ~~。。。そ。。そいえば。。オネ。。オネ。。オネ。。ステイ。。だはははは~~~♪♪
  • 2006/05/31-11:23:45
  • 投稿者 : バニー
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[C1808]

相違はなにか・・・・・・
それまでの生きてきた状態の結果かな・・・と思います。


うまく言えませんが、どちらかというと「人」より、自然を含む厳しい環境が武蔵に他力ということにきづかせたのではないかな・・・と。

・・・・・・わからなくなった。もう少し考えよう。。。。




[C1806] >これから、よろしく <(_ _)>

↑時空はいつもこうやって。。アチコチに。。
きてるのかもと思いました。。
よろしくと言いたいですが。どこにいるんだい。。です。

[C1805]

>「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」
>それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。
 
どこかでリンク。。なのかと思いました。もう来てるんだ。今ココにその未来が。。そしてそれを知り得るんだ。。武蔵の目に見えた。。さやを投げ捨てた小次郎は。。その兆しなのだと思いました。なんかメキメキと次々と芽が出てくのを見てるみたい。。つまり。。もうコトは現在に忍び込んでいるのだと、芽吹くのを待っているのだと思いました。土の中のタケノコみたいに未来は今の中にいるのだと思います。名人芸のように武蔵は隠れたそれを。。感触でとらえていたのかと思いました。そっちに神経を尖らしていたのかもと思いました。
 
そしてそれは。。やはり。。外からくるんだ。外を見ることで。。少し先を見たのだと思いました。なんというか。。それは外から来て。。外にあるのだと思いました。だって内面が原因なら。。自分を見ればいいけれど。。自分を見るって。。どうしたって反省とかになっちゃいます。。そこで反省してどうするっていう。。内面を見るというのは過去に向かう行為なんだ。。中にないから未来なのだと思いました。。知ってるものは過去だと思いました。。結構。。自分的に目ウロコです。。私は残像に向かって反省していたのか。。時間をつかってたのか。。(汗)と思いました。小次郎も過去に立脚してしまってたのかもしれないと思いました。それって無駄かも。。勝負は今からだから。。なんか未来情報ってすごいんだと思いました。
 
時空のプログラムというのは。。外を連綿と複数回線で走っているのだと思いました。小さな物理方程式を繋いで。。コトを為すのだと思いました。その外に囲まれて自分がいるんだと思いました。
 
>この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・
 
さっぱり…想像もつきません。本も読んでないし。
明日を待ちます。と思ったが。。未来はもう来てるんだ。。探します(汗)

[C1803] >自分を取り巻く環境が勝つ

武蔵は「鳥の唄を聴け」ということに気付いた時から、勝機を左右するのは自分の外側にあると気付いたように思います。

自分の意識で考えた自分自身の振る舞いより、外側の勝機(そのヒント)に合わせた振る舞いに変えていったのだと思います。

これは勝負の中で常に問いつつ「こういうことがあってこうなった」というデータの採取分析を行なっていたように思います。

また、外側に勝機があると気付いてから、勝負に対する空虚感というか満足がなくなっていったのかもしれません。
それもあいまって
「なぜ勝つのか?」
この問いが武蔵の生き方を変えていったように今は考えています。

[C1800] >巌流島・・「私は原因」から迫る

>「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」「なにをもって」   「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」<
これはどういう心境からでているのかよくわかりませんが。。武蔵が他の試合でもよく使ったとすれば、 相手に不利と思われる要素を言ったということかと思うのですが、心理的に動揺する場合があると思います。否定しながらも心のどこかに引っかかるというような場合もあり、それを武蔵が意図的に使っていたとすれば、そういう面でも長けた人だったのだろうと思います。 

[C1799] >この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・

えっ、続く・・・。
確かに武蔵は、外応を読んでいました。
以前、書いた刀が男性性で、鞘が女性性というのは、武蔵や小次郎の性格ー「個」に勝敗の原因があるという「私は原因」の視点でした。(爆)
剣の勝負で>「自分を取り巻く環境が勝つ」、武蔵は環境を活かしていたと思いますが、う~ん、分かりません。
明日、読まなければ負けてしまう。(笑)

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巌流島・・「私は原因」から迫る

 武蔵はなぜ「未来での戦い」ができたのでしょうか?
 その原因は、彼の生き方にありそうです。
 生き方を変えれば、「未来での戦い」ができるようになる・・まさに「私は原因」からの突っ込みをかけます。
 
 まず、武蔵自身が「未来での戦い」であることを意識していたかという問題があります。
 
 私はあると思います。
 なぜなら以下のやりとりをしたからです。 
 
「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」
 
「なにをもって」
 
「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」
 
 武蔵は他の試合でも、この手をよく使いました。
 それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。
 
 ということは、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた・・。
 
 しかし小次郎は「自分が勝つ」と思っていた・・。
 
 この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・
 
(続く)
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29件のコメント

[C1863] 巌流島・・「私は原因」から迫る

>「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた。
取り巻く環境と一体になっていたからこそ、武蔵は
未来が予測できたのだろうかって思いました。
武蔵は決して自分の技を過信してないし、情報を得ては自分以外に目を向けていたからこそ勝利は時の運ってことを知っていたのかなって思いました。
  • 2006/06/02-02:12:16
  • 投稿者 : Ciel
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[C1848] >「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」

鞘を投げ捨てる、天命‥、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」ってとこはあったように思います。自分だけしか信じていない人だったら、鞘も天命も気にしないと思うし。武蔵は、いままで自分が勝ってきたことも、自分の剣の技でなく、運が大きかったと思っていたかもしれません。武蔵は誰か師匠についたわけではないし、父親の術をすこしくらい見ていたことがあったとしても、ほとんど我流の剣だし、技がろくにないときに、関が原の戦いのような乱戦で、生き残ったりしてました。天命があったから死ななかったっていう気にもなるんじゃないかと思います。
  • 2006/06/01-14:42:45
  • 投稿者 : リョウコ
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[C1844] 巌流島・・「私は原因」から迫る

 武蔵は一人で戦っているとは思っていなかったのかもしれません。自分だけど、自分以外のなにかが戦っているような感じをいつももっていたのかもしれません。
 なぜならば、武蔵は剣の修行に励んだけど、名誉とか名声とかを欲した人間ではなく、(私は良く知りませんが)、なにか剣を磨かなくてはならない、それに付随する試合には勝たなければならない、と回りの環境からそう思っていったようにも思います。
 なので、余分な事を考えずに、剣の事、試合の事に大部分の時間を費やしたのではないか、その結果、未来からの情報を周りの環境から、受け取っていたのではないかと思います。
 小次郎との違いは、これまた、私はよく分かりませんが、名声や名誉とかが結構大切に思っている人間で、それを追求するために、剣を使ったのかなと、、、
 「この行き方の相違を作ったのは、いったい何か」
 うーん、周りの環境かな。

[C1838] 武蔵の

生き方が変わった瞬間があるとするなら、
「鳥の声を聞け」に、ハッとした瞬間・・。
周りを意識するようになった・・。
すると、すべてはつながっているんだ・・と
いうことを感じていたのかも知れません。
小次郎は、「鳥の声を聞け」に出会わなかった・・。
相当自分に自信があったのか、
人より多く練習していて負けるはずがないと思っていたのか・・。
  • 2006/06/01-11:40:38
  • 投稿者 : まる
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[C1830] 状況と環境そして現在から未来

 武蔵は、自分をとりまく状況を勝利するための環境へと布石を打って自分の能力を発揮できるようにひとつひとつの状況を分析して対策をこうじて周囲である環境をより自分のものになるようにと近づけていったと思いました。現在の状況を解析してよりよい未来を模索して行った感があります。片や小次郎は、自己の完結性を技の熟練と習得にあけくれ対処療法的な視点はゼロでした。同じような戦法を使っていっても武蔵は個々の戦いで対処療法的な戦術から、現在から未来を見据えていたような気がします。
  • 2006/06/01-07:01:02
  • 投稿者 : yk
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[C1829] 二人の自意識と野生

修行のために、武蔵は孤独な旅に出かけます。 しかし、お通さん、又八、沢庵和尚など、
たくさんの人達と関わりを持ちます。 たとえ一時的ではあっても、濃密な時を共有します。
また、自然とも仲良し(?)で、野宿などは毎度のことであったでしょう。
武蔵にとって、自分以外の存在とは一心同体のような関係にあったのかもしれません。
「鳥の声を聞け」と言われますが、その意味は、「データの声を聞く」と同じではないかと
考えました。 もしそうならば、環境が用意した外応やデータから、武蔵は正確にその意味
するところを感じとり、更には、未来に起こるべく事象をも読み取るところまでイッてしま
っていたのかもしれません。

一方、小次郎の人間関係はとても希薄な印象があります。小次郎にとって他人とは、文字通
りにただの他人でしかなく、自然はただの景色に見えたのではないかと。 
小次郎は、恐らくスマートに生きたかったのでしょう。 自分の力と技だけを頼りに・・・
(でも、私を含めて、多くの人が力を失うのを恐れているように見えます)
結局、小次郎は自意識過剰であったのだと思います。 しかも、自意識の向かう先が、自分
だけに固定されたままだったのでしょう。 武蔵は、逆に自意識がどんどん薄まって、とう
とう時空(の無意識)と同化するまでになったのではないでしょうか。

(主観の方が強い、というのと、自意識が薄まる方が良い、というのは矛盾しているようで
 すが、不思議なことに私の中では矛盾しません、ただ、それを今ここで説明するのが困難
 なのです(滝汗)、尚、間違っているかもしれませんが、私がここで書いた自意識とは、
 一般的な意味で使う「まず自分を中心にして考える意識」という意味のつもりです)

また、武蔵には、野を駆ける獣の感覚があったのではないでしょうか?
ある時は、外界を畏怖し、時には、外界によって助けられた・・・そのような記憶があった
とすれば、武蔵の「環境を見方につける」という感覚が、少しですが理解できる気がします。

[C1828] >巌流島・・「私は原因」から迫る


「自分を取り巻く環境が勝つ」というのは、環境が勝利に向けてお膳立てしてくれるかのようだと思いました。
武蔵はその流れに乗っていったのだと思います。

 

[C1827] >「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた・・。

小次郎は、「自分が勝つ」と思っていた、、、
小次郎にとっては、「自分が勝つ」ためには、自分以外は敵であり、障害でしかないと思います。
武蔵はもちろん敵ですが、海も、砂浜も、太陽も、風も、すべてが敵であり、障害であったと思います。
 
でも、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた武蔵にとって、自分が勝ったとき、自分を取り巻く環境は味方であり、障害とは認識していなかったと思います。
 
海も、砂浜も、太陽も、風も、みんな味方につけて、勝ちにつなげたのだと思います。
小次郎の物干し竿さえ、味方につけたようにも思います。
小次郎が物干し竿を使うから、武蔵は櫂を使ったはずです。
小次郎が長さで勝負することを利用して、長さの勝負にでたのだと思います。
 
すべての要素、自分を取り巻く環境すべてを総合して、勝利という結果に至ったのだと思います。
 
石州斎に負けたとき、自分を取り巻く環境すべてが敵に見えたのかもしれないと思います。
それを反転して、「自分を取り巻く環境」を味方につけることにいたったのではないかと想像します。

[C1826] >これから、よろしく <(_ _)>

小次郎が自分の技に絶対の自信があったというのは、自分に入墓した状態、つまり
常に「今」しか見えてなかったのだと思います。
武蔵が自分以外を見ていたのは、常に今より少し先の未来を見据えていたのだと
思います。
同じ時代に生きていて何がこの二人の違いを形成したのか、二人の育った環境や、
それまでの人生で出会ってきた人達からの影響も考えられますが、どこで生まれるか、
誰に出会うかも運命で決まっていたと考えることもできると思います。
  • 2006/05/31-21:59:52
  • 投稿者 : イーキン
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[C1825] 武蔵という人は

情報に敏感だったのではないでしょうか。
鞘のセリフにも、鳥の声の一件も、今にして思えば、意志よりも情報を優先する姿勢の表れかと思います。

[C1824] >「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」

もりけんさんのブログへのレスを書いているときというのは、自分の背後にいる何者かに、書きたいようにかかせるしかないです。

もりけんさんの書き込みと自分の直面している3次元の問題とが微妙に「リンク」し、たぶん、達人になると、レスを書き終わったときに、現実の世界で直面している問題も解決していた、ということになるのだと思います。

おそらく、文章を考えているときというのは、もう一段抽象化された世界にアクセスしているのだと思います。よって、二つの全くかけはなれているように見える物事の両方に効く解決方法が見出されることもあるのだと思います。

さて、武蔵がどのようにして未来の戦いの形勢や位相を読むことができるようになったかという方法を知る手がかりを、ここ数日間、もりけんさんはかきこみを通じて探っているのだと思います。

外応とは、実際の物事の相似形を外の世界に見出し、それを手がかりにして、三次元の世界で起きる未来を知ることだと思います。そしてひとつひとつの出来事が「位相」の一部であるならば、同じような出来事でも(たとえば鳥の声をきく)常に同じ意味を持っているとは限らないと思います。

そうであるならば、鞘を投げすてたというひとつの行為も、武蔵は、位相の中のひとつの出来事として見ていたはずだと思います。武蔵が見ていたのはパターンであり、ひとつひとつの出来事ではないのだと思います。全体の中でひとつの行為がどんな意味をなすかということを見ていたのだと思います。

そのような視点にたつならば、武蔵は自分の頭上から、自分と小次郎の位置関係を、同時に、見ることもできていたように思います。全体の中で武蔵と小次郎という二つの点がどんな位置関係にあるか...。

一方小次郎は「全体の中で」という視点はかけており、二人の位置関係のみを見ていたのだと思います。よって月日の位置や海の反射やうねり、引き潮か上げ潮かなどの要素は小次郎の脳裏にはなかったのだと思います。

カットアンドトライおよび頭の中でシュミレーションをすることにより、武蔵には、太陽や潮の形勢を含めた位置関係のあらゆる想定されるパターンが頭の中に入っていたのかもしれません。

あるいは、ひとりの人間としての武蔵を超えた普遍的なパターンのデータベースにアクセスしている、一種のトランス状態を保つことにより、武蔵には自分の居るべき位置というものが非常に明確に「見えた」のかもしれません。

「鞘を投げ捨てた」という台詞も、武蔵自身、自分の口から出てきたものではないように感じたかもしれません。
  • 2006/05/31-20:31:04
  • 投稿者 : ナイル
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  • 編集

[C1823] >巌流島・・「私は原因」から迫る

>それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。

 
>ということは、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた・・。
 
>しかし小次郎は「自分が勝つ」と思っていた・・。
 


武蔵は、未来を包含した今を生きていたのだと思いました。
それは、今に固執しない・・ということでもあり、
同時に、「個」に固執しない・・ということでもあると思います。


「今」という時間は、時空の断面なのではないでしょうか・・
そして、「私」という「個」も、時空の断面なのだと思います。


断面的な生き方・・
というのが小次郎の生き方といえるのではないかと思いました。


一方武蔵は、今と未来がリンクされていました。

断面的な視点から飛びぬけて、視点が広がったのだと思います。

だから、時間は、未来とリンクし、用意周到で、
他者とのネットワークがつながったのだと思いました。

>この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・


武蔵は個にこだわらず、視点が外側に開かれていて・・
小次郎は、「自分」にこだわっていた・・

それが相違だと思いました。


じゃあ、その原因は、何なのか・・


うーーーん・・


生まれた時間でしょうか。。


[C1822] >この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・

小次郎は自分の技を信じきっていたのだと思います。
自分の技を美化しているから、自分の技で相手を倒すイメージが頭の中にあったのかと思います。
武蔵との戦いでも、自分の技で武蔵を斬るイメージを持っていたのではないかと思います。
願望実現に近いものがあるのかと思いました。

かたや武蔵には、そのようなイメージは一切なかったのではないかと思います。
武蔵は本人でも「予想できない」勝利の方程式があると思っていたのではないかと思いました。
それは自分を取り巻く環境が勝利を呼び込むことを確信していたからだと思います。

武蔵も「私は原因」だったと思います(バガボンドでしか武蔵を知りませんが(汗))。
しかし、たくさんのつわものと出会い、「私は原因」ではいけないと気づいたのだと思います。
この視点移動は「私は原因」なのかも知れませんが、「私は結果」への移動により、無敵となったことは武蔵も十分認識しているのではないかと思いました。

[C1821] >「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです

武蔵のセリフが単なるハッタリではないとすれば、武蔵は自分で外応を作り出したのだと思います。

「作り出した」といっても、小次郎のささいな動作に気付いただけです。

でも、気が付かなければ外応を見方にすることはできないので、
武蔵の「気付く能力」というのが、彼を無敗の境地へ導いたのかもしれません・・。

「未来」と「現在」がリンクする・・・
ゾクゾクっとします。。

なぜ武蔵がそう思ったのか・・よく分かりません・・。

ただ、武蔵は貪欲です・・
勝って生き残るために、あらゆる手段を講じます。

この貪欲さが、武蔵をして、彼の目を外側のネットワークへ向けさせたのかもしれません・・。


武蔵は決して「悟って」はいなかった・・・

かたや小次郎は、どこか「悟った」ようなところがあったのかもしれません・・。

[C1820] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/31-17:45:30
  • 投稿者 :
  • 編集

[C1818] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/05/31-15:34:04
  • 投稿者 :
  • 編集

[C1817] ?????

ひえ~、難しいです(滝汗)。
「未来」と「現在」がリンクする・・、こういう事、あると思います。それが、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」・・に。「自分が勝つ」は、過去も現在も未来も、いつでも自分の技で勝ち抜く、という意識の現われでしょうか。「自分を取り巻く環境が勝つ」とは、いつでも環境を読んで味方につけたうえで想定できるあらゆる方法を使うことで勝つということでしょうか・・。うーん、どうなんだろう。
生き方の相違を作ったのは、何か?
何でしょう・・、武蔵の育った環境全て?!はたまた・・武蔵に影響を与えた何か・誰かの有り方や生き方?!あー、ワカリマセン。

[C1816] >巌流島・・「私は原因」から迫る

斎藤孝(声に出して読みたい日本語)の本に、体育会的思考の
中には、「千回、二千回、三千回、…」と同じ作業を繰り返すうち、
千回とか一万回とかの節目ごとに、技が大きく飛躍することが
あるのだそうです。野球で言うなら千本ノックとか、水泳ならば
千ターン目とか、小次郎ならば刀での素振りやツバメ斬りの数
かもしれません。
小次郎には、自身が納得できるような回数の積み重ねによってか、
自分が大きく飛躍したような、内面の変化があったのかもしれません。

小次郎の抱く「勝つ」という思いは、一万回ツバメ返しを行ったから
という単純な理由からきているのかもしれません。
誰もが勝負ごとの前に一万回も素振りをしないとフンで、半ば意図的
な作業かもしれません。しかし、ここで負ければ一万回は無意味に
なります。命が残るなら、次に勝つために二万回・三万回と数を
重ねて、そのためだけの無限地獄に落ちてゆくようです。

体育会的思考というか、自分に原因があるとする考えは、何かを
得ているウチはいいのですが、目的のモノを得られないときほど
狂気に満ちるときはないかもしれません。それで勝つならば、「や
はりあのやり方だから勝てたんだ」と周囲もそれを肯定し、それ
以外には盲目的になります。

投げ捨てられた鞘に武蔵が視線をむけたのは、それが意味を持ち、
自分に教えてくる…いわば外応としての役割を果たしたのだと思います。

普通の読み物としてなら、この行為は「武蔵のハッタリ」として理解
されるものだと思います。「武蔵の威勢」として、小気味良く描かれる
場面だと思います。しかし、これが外応に気づいた場面だとすると、
これまでの「鳥の声を聞く」や無意識ともとれる不思議な行動の数々が、
妙な説得力をもって存在するように思えます。

未来予測が登場する[MUSASHI]、スゴイ話だと思いマス!

[C1814] >巌流島・・「私は原因」から迫る

鞘を投げることは、その時にとっさに起きたことで、あらかじめ予想されたことではないと思います。
でもその出来事を見逃さず、さっと捕らえて、「汝の負けと見えたぞ」と言った武蔵は、戦い中も、小次郎だけを見るのではなく、常に周りに目をやっていたのではないかと思いました。


>それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。
多くの人は、「過去」と「現在」がリンクしてると思うように思います。
特に「私は原因」の考えだとそうだと思います。
時間は過去から流れてきているという・・。

「未来」と「現在」がリンクしているというのは、まさに、時間が未来からこちらへ流れてきているようです。
もりけんさんのいう、「未来則」です。
でも、武蔵はなぜそういう考え方ができたのか・・。
・・難しいです・・

>「自分を取り巻く環境が勝つ」
武蔵の勝ち方はまさにこういう感じだと思いました。
武蔵がなぜこんな考え方、生き方ができたのか・・

これも難しいですが・・
環境は、自分の力ではどうしようもない、変えることができない部分だと思います。
その中の一部である自分も、変えることはできないと思ったのかもしれません・・。

そんな自分が勝つには、そこにある環境をうまく利用することと思ったのかなあと思いました。

[C1812] >「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」

「汝は、汝の天命を投げ捨てた」じゃなく「鞘は、汝の天命を投げ捨てた」
でした(@@;
武蔵は「小次郎は自分の天命を捨てた」と言ったのだと思い込んでいました(汗)
 
鞘が主語だと「オマエを取り巻く環境がオマエの負けを教えている」と言って
るように聞こえます。
 
>それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。
 
単に相手を動揺させるようなことを言おうとしたのなら、自信タップリか語気
を荒げて言うかもしれません。
でもその時の武蔵は小次郎に向かって言っていながらも、同時に自分もその未
来からの情報に気が付いて、それを確認するみたいに淡々と言葉に出していた
のではないかと思いました。
 
>この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・
 
たとえば子供の頃から生き延びる為なら何でもした、という経験があったら、
野生の木の実を食べ雨水を飲んだかもしれないし、他人の家や店から食べ物を
盗むことだってするかもしれません。これは「自分の身の回りの全てを使って
生き延びた」と言えると思います。
 
でももし武蔵も小次郎も、子供の頃に生き延びる為なら何でもした経験があっ
たとしても、武蔵は「自分の身の回りの全てによって生き延びることが出来た」
と思い、小次郎は「自分の身の回りの全てを使って自力で生き延びた」と考え
るんじゃないかと思いました。
 
生まれ育った環境で生き方は変わるように思っていましたが、たとえ同じ環境
で生まれ育ったとしても、生き方に違いが出てくるのかもしれないと思いまし
た。

[C1811]

>ということは、「自分が勝つ」のではなく、「自分を取り巻く環境が勝つ」と思っていた・・。
 これに引っかかりました。えっ、自分を取り巻く環境が勝つ?
 「自分を取り巻く環境を整えて自分が勝つ」と自分は思っていたような。これは周りの環境、例えば、櫂の剣、戦う時間、太陽の位置、潮の満ち干木、佐助、大旦那・・・を自分が利用して戦う考えだと思う。
 武蔵はそうじゃなくて、環境も自分。というか、自分は環境の一部という感じかな。言葉にするとそんな視点を持っていたのかなと思いました。
 未来を知りえても武蔵のような考えていたであろう考えでないと勝負は勝てなかったのかなと思います。
 
 じゃなくて、未来を知りえるということは突き詰めていくと自然とそのような考えにいたるものかなとも思います。「私は結果」を自分はまだまだ理解しえていないなとと思いました。

 

[C1810]

>この生き方の相違を作ったのは何か・・・
なんでしょう(汗)
たまに何かをしていると、何かの準備かな、コレは・・・と思うことあります。
でも「何か」は未来の出来事なのですが、正確にわかりません。
私が期待しているものと同じとは限りません。
だから、こじろうの未来は「武蔵に勝つ」しかなくて
武蔵の勝利は違うのだと思います(・・・?)
やはり、こじろうと武蔵は見ているものが違う。
自分が主役の物語、自分で紡いでゆく物語がある・・・とゆうのが、こじろうで
武蔵は物語の中の一部です。周りから見たら、主役は「武蔵」ですが
本人はそんなコトどうでもよく・・・
むしろ、ほんとうに自分が主役だと気付いていたからこそ・・・
周りをも盛りたてて、周りがいるから自分があるのだ・・・と考えていたのではないかと思います。
  • 2006/05/31-12:30:26
  • 投稿者 : こはな
  • URL
  • 編集

[C1809] 「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」

負け感覚~~負け感覚~~やっぱり~~ビリかなあああ~~。。びり~びり~~。。いきそで。。いかねええ~~。。あううう。。。ビリ。。ビリ。。ビリ~ジョエル~~かもなあああ~~。。。そ。。そいえば。。オネ。。オネ。。オネ。。ステイ。。だはははは~~~♪♪
  • 2006/05/31-11:23:45
  • 投稿者 : バニー
  • URL
  • 編集

[C1808]

相違はなにか・・・・・・
それまでの生きてきた状態の結果かな・・・と思います。


うまく言えませんが、どちらかというと「人」より、自然を含む厳しい環境が武蔵に他力ということにきづかせたのではないかな・・・と。

・・・・・・わからなくなった。もう少し考えよう。。。。




[C1806] >これから、よろしく <(_ _)>

↑時空はいつもこうやって。。アチコチに。。
きてるのかもと思いました。。
よろしくと言いたいですが。どこにいるんだい。。です。

[C1805]

>「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」
>それは「未来」と「現在」がどこかでリンクしていたと思っていたはずです。
 
どこかでリンク。。なのかと思いました。もう来てるんだ。今ココにその未来が。。そしてそれを知り得るんだ。。武蔵の目に見えた。。さやを投げ捨てた小次郎は。。その兆しなのだと思いました。なんかメキメキと次々と芽が出てくのを見てるみたい。。つまり。。もうコトは現在に忍び込んでいるのだと、芽吹くのを待っているのだと思いました。土の中のタケノコみたいに未来は今の中にいるのだと思います。名人芸のように武蔵は隠れたそれを。。感触でとらえていたのかと思いました。そっちに神経を尖らしていたのかもと思いました。
 
そしてそれは。。やはり。。外からくるんだ。外を見ることで。。少し先を見たのだと思いました。なんというか。。それは外から来て。。外にあるのだと思いました。だって内面が原因なら。。自分を見ればいいけれど。。自分を見るって。。どうしたって反省とかになっちゃいます。。そこで反省してどうするっていう。。内面を見るというのは過去に向かう行為なんだ。。中にないから未来なのだと思いました。。知ってるものは過去だと思いました。。結構。。自分的に目ウロコです。。私は残像に向かって反省していたのか。。時間をつかってたのか。。(汗)と思いました。小次郎も過去に立脚してしまってたのかもしれないと思いました。それって無駄かも。。勝負は今からだから。。なんか未来情報ってすごいんだと思いました。
 
時空のプログラムというのは。。外を連綿と複数回線で走っているのだと思いました。小さな物理方程式を繋いで。。コトを為すのだと思いました。その外に囲まれて自分がいるんだと思いました。
 
>この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・
 
さっぱり…想像もつきません。本も読んでないし。
明日を待ちます。と思ったが。。未来はもう来てるんだ。。探します(汗)

[C1803] >自分を取り巻く環境が勝つ

武蔵は「鳥の唄を聴け」ということに気付いた時から、勝機を左右するのは自分の外側にあると気付いたように思います。

自分の意識で考えた自分自身の振る舞いより、外側の勝機(そのヒント)に合わせた振る舞いに変えていったのだと思います。

これは勝負の中で常に問いつつ「こういうことがあってこうなった」というデータの採取分析を行なっていたように思います。

また、外側に勝機があると気付いてから、勝負に対する空虚感というか満足がなくなっていったのかもしれません。
それもあいまって
「なぜ勝つのか?」
この問いが武蔵の生き方を変えていったように今は考えています。

[C1800] >巌流島・・「私は原因」から迫る

>「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」「なにをもって」   「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。鞘は、汝の天命を投げ捨てた」<
これはどういう心境からでているのかよくわかりませんが。。武蔵が他の試合でもよく使ったとすれば、 相手に不利と思われる要素を言ったということかと思うのですが、心理的に動揺する場合があると思います。否定しながらも心のどこかに引っかかるというような場合もあり、それを武蔵が意図的に使っていたとすれば、そういう面でも長けた人だったのだろうと思います。 

[C1799] >この生き方の相違を作ったのは、いったい何か・・

えっ、続く・・・。
確かに武蔵は、外応を読んでいました。
以前、書いた刀が男性性で、鞘が女性性というのは、武蔵や小次郎の性格ー「個」に勝敗の原因があるという「私は原因」の視点でした。(爆)
剣の勝負で>「自分を取り巻く環境が勝つ」、武蔵は環境を活かしていたと思いますが、う~ん、分かりません。
明日、読まなければ負けてしまう。(笑)

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