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-件のコメント

[C2126] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

自分も親に褒められたことがありません。
それをずっと悔やみ、呪ってきました。
愚痴というか非難というか、金属バットを持って追い掛け回した
こともありました(汗)

もりけんさんのブログを読んで、なんだかハッとしました。
申し訳無さがこみ上げてきました。
「コレでよかったのかもしれない」と思い、胸が温かくなりました。

褒められることもなかったし、何も積み上げてこなかったけど、
それでいいのだと思えるようになりそうです。
 


>巌流島・・「武蔵よ、お前は弱い」という事実を告げる
不良息子を抱えた父親が、その息子に語りかけます。
「おまえは毎日ケンカばかりでどうしょうもナイ奴だ」
「しかし、ケンカが強いというのは“望み”でもある」
「どうだ?…父さんの知り合いのボクシングジムへ行ってみないか」
そして幾年月の後、ついにボクシングチャンピオンへとのぼりつめた
元不良息子の彼がいた。

…なんてストーリーが浮かびました(汗)

はた目にはドラマティックですが、よく耳にする話です。
そして、栄華を飾るボクシング人生を終えた男が、その後
傷害事件で服役したり、破産したりするという話も、よく
耳にします。
たぶん、ボクシング界とか、自分の住まう狭い世界観の中
でしか泳げなかったことが、その後の人生へ不利に働いた
のかもしれません。…世間知らずだったのです。

井戸の中ではNo,1かもしれません。でも井戸の外では
それは通らないことが多いと思います。

「長所を活かせ」は、人から視力を奪うかもしれません。
人生を盲目のまま手探りで過ごすことになりかねません。

ボクシング選手は引退後、貯蓄したファイトマネーで株を
はじめてみましたがダメでした。
商売をはじめてもダメでした。ボクシングジムの経営もやって
みましたが、経営の手腕はありませんでした。
めっぽう強いボクシングでしか、咲く花を持っていなかったのです。

武蔵は老後、商売をはじめたら軌道にのるかもしれません。
絵を教えることもできるかもしれないし、俳句(うた)を詠めるかも
しれません。
「武蔵は弱い」と、徹底した事実認識をさせたからかもしれません。



>巌流島・・「武蔵よ、お前は弱い」2
「自分は強い」とか「自分は何でもできる」という万能感って、
時折人生の大きな足枷になることがあります。
「できるからこそ“できない”」
「成績優秀だからこそ“上に行けない”」
そんな矛盾を人生に作り出します。

武蔵の父親がどのような意味を持って、木刀を振るったかは
わかりませんが、武蔵なりに理解できる瞬間があったのかも
しれません。

[C2006] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

そうですね。褒めるって、「良くできたね。」とか言います。
要は、「おまえがやったんだよ。でかした!」と言っているようなものです。だから、「私は原因」になります。

褒める人が親の場合、子供にとっては「生存」がかかっています。師匠の場合は、「自分」がかかっています。
そういう意味では、叱るのも同じです。子供に方向性を持たせることになります。結局、親が子供を管理することになると思います。敏感に褒め言葉に反応するようになると、管理され易い大人になります。
能力のある子は、いい子からいい人へ。そうでない子は、「世の中は何故、俺を褒めないんだ。」と不適応になると思います。
世間の評価など当てになりません。陸上選手が骨折すれば、「残念ね。」で終わりです。
友人や仲間の場合は、慰めであったり励ましであったり、お互いを認め合う確認行為でしょう。

> それはなぜかと言えば、「事実」を認めつつあるからだと思います。

 「事実」を認めるって、都合よい人の評価に振り回されない事に通じると思います。

 かく言う私は褒める事が「私は原因」になるからとは、思っていませんでしたが、「男の子だから鍛えてやろう」と思っていました。(爆)
「馬に人参じゃあるまいし、人間なんだから人参よりもっと大事なものがあるでしょ。」と思っていました。
だから、管理されるような大人になってほしくないと思っています。
もりけんさんが叱らないのは正解だと思います。父親が叱るとすご~く効きますから。
私は良く怒ります。でも、効きません。ジャブみたいなものです。だから、言いたい事だけは言って置きます。
息子も犬も母親は、ご飯だと思っているようです。(笑)
でも、母親が褒めながら、いたせり尽くせり世話を焼くと効くと思います。
奥さんに臍を曲げられて、おパンツの場所すら分からない管理されている男性もいると思います。(爆)

中学中頃で、鍛えるのは止めました。男性ホルモンがバンバンに出て闘争的な息子を相手にしていると更年期障害になりそうです。(爆)
この頃です。「お母さんは、スパルタの母で全然褒めてくれなかった。」と言われたのは。「へぇ?」と自覚はありません。
今は、変人の母で揺さぶりをかけています。

でも、上位の視点から見ると「褒められ上手は、幸せ上手」なんて題の本がありそうです。(笑)

[C2005] >「私のことをもっと褒めてよ」

私も褒めてほしかったな~と、娘さんのこの言葉を読んで思い出していました。
 
娘さんが褒めてもらえるかもしれない事を報告した時、たぶんもりけんさんは
笑顔で「そう」って返事をしたんじゃないかって思いました。それで満足でき
ない娘さんは「もっと褒めて」と言い返して、もりけんさんはまた笑って。。。
 
こんな親子関係だったら、娘さんは褒めてもらえないことが不満でも、落ち込ん
だり無理に頑張るようなことはなかったんじゃないかなと思いました。
 
自分がどういう状態かという事実が見えてくるというのは、辛いこともあるかも
しれないけれど、その後はだんだんと肩の力が抜けて、今まで以上にフットワー
クが軽くなるかもしれません。
 
>褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。
 
そうとしか思えなくなると思います。
褒められたからもっと頑張った、そうしたらまた褒められた、だからもっと頑張
ったらもっと褒められた。。。これが続けば自分が原因というのが当たり前に感
じるようになると思います。

[C2003] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

大人にしても褒められるとうれしいものです。
だけど、褒められて喜びを感じる人(私も含めてかも(爆))はいざ逆のことを言われたりすれば、ぬかるみはまるケースが多いと思います。
人は褒められて生きているわけではないからだと思います。
そもそもいい所を尊重していこうという解釈もよくよく考えてみればへんな話だと思います。
長所というのは、ある角度から見ればそれが短所にもなることがあるのではないかと思います。
いいか悪いかは本人が勝手にまわりに振り回されて位置づけしているだけなのだと思います。
褒められ続けると、自分がお山の大勝だという独自世界を作り出してしまうのかと思います(軽く危険だな・・)。
個人的に定義する立派な人間は、褒められても調子に乗ることなく、他人事のように聞くことができ、今の自分に善悪をつけず、肯定できる人間なのかと思います。
ちなみに女性をくどくときは、褒めまくり作戦に徹していますが(汗汗)

[C1999] 誉められたいと思うのは

成し遂げたことそのものの出来を認めてほしいだけでなく、成し遂げるまでがんばった、耐えた苦労がむくわれることを望んでいるのだと思います。
もりけんさんの娘さんは、きっと、お友達がその親から誉められるシーンを見て、「あれ?そういえば私、誉められたことないかも・・」と気づかれ、素直に口にされたのだと思います。
子供の素直な観察眼から、誉められるお友達が何か嬉しそうでいいなぁと思われたのかも知れません。
娘さんがそう気づかれるほど、誉めるというのは100%良いことであるといった社会通念があると思います。
けれども、それに染まってしまうと、がんばったり良いことをすれば誉められて当然、誉められないワケがないとまで思いこんで、いくつになってもそう期待する可能性もありそうです。
例えば仲間内や職場での評価や賞賛を欲しているのにかなわない人というのは、他のなにものでもない、とにかくそれだけを求めてしまっているわけで、それが満たされないと気が済まないところ、それは相手の都合によってもたらされたりそうでなかったりする水物なのに、その点ちっとも考慮しないで、誉められるまで「これでもか、これでもか」と(自分勝手な)無理な努力を続けては玉砕することになりかねません。
悲劇です・・・
でも、誰に止められましょう・・・
口でいくら言っても無意味なのだと思います。

[C1988]

 武蔵は褒めない、事実を告げる父親に教えられて、良かったです。
 褒められると、周りがみえにくくなると思うからです。褒められると、これでいいんだ。このやり方で。と決めてしまった、他の可能性を見にくくすると思います。

[C1984] 褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます

なるほどでっすうう~~。。でも。。原因説も、もりけんさんが言うように最大枠の時空のにひろがっていると。。収束アンド突き抜けることも。。可能ではないかとおもいます~~。。様は。。拡大しているもりけんさんの時空論を縮小しないことだと思います。。同時に未来からメッセージで。。受け取ることで脈打つ鼓動のスタートに繋がり無限大にシフトするのではないかと思います・・・・
  • 2006/06/05-10:43:56
  • 投稿者 : バニー
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[C1982] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

以前、もりけんさんは、お子さんに怒ったことがない・・とお聞きしていて、驚きとショックでいっぱいでした。
怒るの反対は、ほめると勝手に思っていました。
だから・・ほめたこともないとお聞きし、さらにガガーンときてます。。

今の自分は毎日のように子どもに怒り、ほめ・・
自分も怒られほめられ育てられ・・
その両方にまみれて生きてきたように思うから・・
それに、今だに、母だけでなく、誰かにほめられたい・・という気持ちがある自分。。

そして、それらは、その人をある一方向に固めてしまうように思います。
褒められたからもっとする・・
おこられたからしない・・
どちらも可能性を奪っている。。
褒めることが可能性を狭めてるというのは特になかなか気づけない部分だと思います。

私自身、子どもを怒るのは嫌です。
でも気づいたら怒ってます・・(汗)
すごいエネルギー使います。
後で落ち込みます・・。
それでも、子どもはそれでも全然こっちの思うようにはなりません(アタリマエ)
何を無駄なことをやってる・・と思うけど・・

褒めることは好きです。
でも、褒めて気分よくさせてる・・機嫌をとってる・・それだけかも・・
機嫌をとってどうするんだ・・・
褒めるのをやめれるだろうか・・
事実だけを伝える・・ということができるだろうか・・

親と先生からの、褒めと怒りの繰り返しで、すでに子どもは、褒められることをし、怒られることはしない子の道へ進んでいるような・・
自分ががんばれば褒められる・・という、「私は原因」の道へ行ってるような・・

ほめて欲しいからやる・・というのは、主観的に物を考えていないことになります。
しかし、子どものうちはそれでいい・・という考えも聞いたことがあります。
何も知らないのだから、わからないのだから、言ってわからなければ、怒ってでも・・と。

人と話していて、とりあえず話をつなげようというときに、ほめる・・ということをしてしまいます。
(その場を繕ってる・・・)
逆に、自分の話をしてるときに、ほめられると嬉しいし、ほめてくれないと、ほめてよ・・と思うこと、あります・・・
私は・・いまだに、自分がほめられたいから、認められたいから・・だから人にもそうしてしまうのかも知れません。
相手もきっと嬉しいはずと。
これもかなり押し付けです。

子どもに対してだけでなく、大人同士でも、ほめるのも、怒るのも、自分や社会を基準にしてるように思います。
ほめない、怒らないためには・・自分があってはだめなのだと思いました。
事実に自分が入り込むと、怒ったりほめたりすることになってしまうように思います。
事実を伝えて・・本人がそれを認めて、後どうするかは本人の勝手・・

>褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。
すごく納得です。
そうして、自分に自信をつけ積み上げていく・・それが自分を帰って狭めているのに・・

褒める、怒る・・は、夫との間でも、よく話に出ます。
夫との考えの違いもあります。
お互いの親の違いもあります。。
しかし・・褒めることもせず、怒ることもしない・・というところに話が落ち着いたことは一度もないです・・
こうして、自分たちもそうだし、子どもも、「私は原因」の考えが、知らず知らず染み込んでいってるのかと思いました・・。

あまりにも、ガガーンときて、話があちこちに飛びました。
(毎日ガガーンなんですが。。。汗)

[C1981] 事実を認めること

 褒められることによって、完結してしまうことより、酷くても無様でも冷淡であっても事実を知るということは次なる真理へのステップとして重要なことであると思いました。
  • 2006/06/05-04:44:05
  • 投稿者 : yk
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[C1980] ほめられると、

そればっかりやってしまいます。
ほめられたことが、武器になって、何でもその切り札に頼ろうとしてしまいます。
どんどん視野が手元にばっかりになり、狭くなりそうです。
負けたとき、自分が小さくなったとき、周りの景色を見上げると思います。

[C1979] >褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。

子供は褒めて育てろとよく言われています。
叱られてするより、褒められてその気になってやる気が出る方が自主性が伸びて良いといわれてるからでしょう。
しかし
幼稚園児に報酬を与えると絵が下手になるという実験があると以前知りました。


褒めるという行為は一見、報酬を与えない行為のようですが、実は褒められること自体が報酬なので、褒められると絵が下手になると言い換えても良いかと思います。

褒められることは期待につながり、目の前の現実、事実からだんだん遠ざかっていく可能性を否定できません。

小さい子供に事実の大切さを自分で知るように育てるのはなかなか難しいです。

なぜなら知らず知らずのうちに親自身が、子供をコントロールしようとしているからで、褒める行為で親自身が好む方向へ子供の人生を引っ張ろうと介入しているからなのかと・・・・(汗)
  • 2006/06/05-01:14:34
  • 投稿者 : 空タネ
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[C1978] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/06/05-01:11:17
  • 投稿者 :
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[C1977] ひとつの数式を変化率になおすと

掛け算はプラス、割り算はマイナスで表記されます。そして定数は消えてしまいます。変化するものは残りますが変化しないものは消えてしまうということです。

「ほめる」という行為はプラスの変化で「しかる」という行為はマイナス方向の変化だとします。これに対して「無反応」は定数であるとすると消えてしまいます。

何か自分がした行為に対して相手が全く反応をしめさない場合、何か行為をした人は自分の「位置」がわからなくなってしまうのかもしれません。

特に子供など、相手との関係性に依存している場合、自分の位置がわからないということは不安につながると思います。しかし成長して相手との関係性に依存する度合いが薄れると、相手が無反応であることにより、自分の位置づけが一瞬わからなくなっても、それほど不安に感じることはないのかもしれません。

それはおそらく意識の焦点が、成長すると、相手との関係性のみならず、基準がもっと外の世界にあるようになるからだと思います。
  • 2006/06/04-23:36:02
  • 投稿者 : ナイル
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[C1975] >「私のことをもっと褒めてよ」

今日は、”スレッドテーマ:親の思い・願い”が気になりました。
親としては、子供が無事に育ってくれればと願うものではないでしょうか。
ひとかどの人物にならなくとも、何とか無事にと・・・しかし、人の世はいろいろです。
誰かと戦うこともあるかもしれません。 運悪く、勝負に負けることもあるでしょう。
また、戦争や天災などによって、今までの努力が水の泡と帰すことだってありそうです。
そのようなときに受けるダメージの大きさや深さは、計り知れないと思います。

しかし、自分の才能や得意技に固執しない人は強いと思います。 自惚れず、事実だけを
見る人も強いと思います。 このような人は、人対人との戦いであれば、負けること自体
がないかもしれません。 また、それ以上の何らかのアクシデントが起こったとしても、
精神に大きなダメージを負わずに済むと思います。 恐らく、何があっても無事でいられ
れるのではないでしょうか。

だとすれば、親とすれば、自分の子を褒めたくても、褒められないかもしれません。
(今日、飼い猫に事実を告げるつもりで、「あんた、かわいい顔してるな~」と言ってし
 まいました・・・猫には甘い、こうもりでした)

[C1974] 誉めない・・叱りもしない

私の親は珍しいタイプかもしれません。
何をしても誉めることも叱られたことも殆ど記憶にありません。食べ物の好き嫌いも、夜まで走りまわって遊んでいても何も言われることがありませんでした。野生児のようにほったらかしにしてくれていました。
自由な環境にあったからなのかはわかりませんが、親に誉められたいと思ったことは一度もないのです。誉められないかわりに事実を告げられることもなかったのですが・・
今、親となり自分の子供には自分が親にしてもらったことの正反対をしているとよく考えます。両親の真似ができないのです。した方がよいことを私が考え、子供によかれと言い聞かせてしまう。
何て手抜きな親なのでしょう・・・
子供を信頼できていないのだなと思い知りました。

[C1973] ほめられるというのは「報酬」だと思います

「報酬」が目的になってしまったら事実のほうには目はいかず、子供は親のあやつり人形のようになってしまうのかもしれません。親はそのほうが安心かもしれませんが...(汗)。子供もあまりにも安楽なために、自分で外からの信号をキャッチしようという気はなくなってしまうのではないかと思います。
  • 2006/06/04-22:18:32
  • 投稿者 : ナイル
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[C1972] 褒められたこと自分

たまたま良かったことで褒められると私がやったんだよとってなってしまいます。
失敗もたまたまです。
成功は自分の力で失敗は周りのせいで思い込んでしまっています。
成功も失敗もそのときの成り行きの場合が多いです。
でも、たまに褒められるとすごく得意になってそのことしか目に入らない状態になってしまいます。
自分が事実を知ることから目を背けてしまうように思います。

[C1971] 事実に目を向ける

 森田さんが娘さんをほめたことがないとあり、事実を知らせることの方が大事だと考えていたのはずっと以前からだったのだなぁとおもいました。自分は、森田さんのこのプログを読んで初めて考えてみた視点だったのでそうなのかと思いました。
 子供に事実を認めさせるというのは思いやりでもあり、厳しくもあると思います。
 自分ごとですが、小学校の一年の時、担任の先生が、クラス全員にアンケートをとったことがありました。細かい内容は記憶にありませんが、そのアンケートから先生に、「○○君、君、クラスの友達に嫌われているよ」と言われたことをふと思い出しました。当時、「が~ん、どうしよう」と相当ショックでした。自分では自分の行動が相手にどう影響しているのか気付いていないし、分かろうともしたこともありませんでした。で、「よく分からないけれど、セーブしないと駄目なんだな」と思ったことを思い出します。その後、その先生に「良くなったよ」といわれました。再びアンケートをとってその結果を伝えてもらえたのだと思います。
 それを思い出すと「事実を知る」というのは結構つらいものだなと思います。
 また、かなり、事実に目をそむけているなと思います。

[C1970] 巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

親が褒める時ってうちの場合、大抵、親の思い通りになった時だったと思うので、褒められると怖ろしいって思ってました(笑)何か期待されちゃうみたいで。
私は木には登らない豚だったと思います。
じゃあ自分の娘にはどうだったかというと、結構褒めてました(笑)娘はけなされるとがんばってたから、あまりけなさないようにしていました(笑)
事実を知って、がんばるのと、褒められてがんばるのとは何かが違うように思います。





  • 2006/06/04-18:52:02
  • 投稿者 : Ciel
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[C1969] >褒められる

褒められると終わるんだな・・・と今思いました。
褒めるもけなすも同じ行為で、区切りをつけてしまうのだと思います。

武蔵の父が殴りながら「お前は弱い」と言いつづけたのは、体に事実を刷り込むためであって、けなしているのとは違うと思いました。

褒められる・・・
人間は何もしなくてもそこにいるだけでOKなのだ・・・というある意味当たり前のことに気付きました。

ということは褒めずけなさず、ただ事実を伝えるのはすごいことだな・・・と感動しました。

[C1968] 子育てに、

褒めて育てよう・・は、
当たり前のようにいわれている気がします。
褒めて嫌がる子はいないと思ってる・・。
でも褒めることは、相手にとって決してプラスではないということ・・
思ってもみなかった・・です。
褒められることを自分は成し遂げたと思い・・
自分はすごいんだ・・と思う。
実態が全くないのに・・。
もしかしたら、褒められる行為に基準を合わせるかも
知れません。
褒められるように行動し、褒められるように頑張る・・。
あの、自分を成長させなきゃ・・の、
「私は原因」へ真っしぐら・・。
(メチャメチャ思い当たる節が・・・(汗))
イヤ~褒めるの、ちょっと待った~!!・・です。
  • 2006/06/04-16:38:52
  • 投稿者 : まる
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[C1967] >「私のことをもっと褒めてよ」

褒められて育ったら、私の人生、違ったかも・・・と思ってました(汗)
出来ないと思ってたことが出来ても、驚きはしても褒められたような記憶はないような・・・
だからと言って、事実も認められず、目を背けて年を重ねてしまったかもしれません(多汗)

確かに褒められれば嬉しいけれど、それが重荷になることもあると思います。
もう少し頑張れば、「成し遂げられる」という泥沼にはまり込みそうです。

[C1966] >「私のことをもっと褒めてよ」

娘さんが「私のこともっと褒めてよ」と言えることは、
自分の立位置に対する安心感があって出てくる言葉と思います。
見方を変えると、親が子供について充分に知っている
という前提があることと思います。
もっと言えば、子供に対し、いらぬおせっかいをしてないことと思います。

 
例えが何ですが
犬や猫は「私は原因」に生きていないと思います(汗)
それが証拠に、身の危険を感じると、とっさに身をかわしますが、このことを「オレハデキル」と自慢する犬や猫
はいません(笑)。
褒められて育ったので、そうなった訳ではありません。
自然です。
 
武蔵が「オレハデキル」にならなかったのは、
それがあったからと思いました。

[C1965] >褒められた「自分」がコトを成し遂げた(2)

別に親子関係だけではなく、学生時代も社会人になってからは特にバリバリに
意識してたのを、(しかも結構直近)すっかり忘れていました(爆)。
ここに来てからそういった執着が完全にはなくなってはいないけれども、
褒められることが「目標」だった自分が恥ずかしい(汗)。
このことに気が付くだけでも、他力が自分とは別世界ではなくなりそうです。
  • 2006/06/04-13:51:37
  • 投稿者 : イーキン
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[C1964] >褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

もりけんさんは、褒めないけれど、叱りもしない、ただ相談に乗るだけ。
これって、一番骨が折れると思います。
でも骨を折っているとは思っていないと思いますが。
ほとんどの親御さんは褒めるか・叱るかのどちらかしかしてないと思います。
子育て中の方々はガンバッテくださいねえ~~(爆)。
えっ、他人事のように言っているのは、私の命式はちゃんと調べてないけど、結婚もしなければ子持ちにもならないのは確実なので、もう歳だし(超爆)。
  • 2006/06/04-13:42:06
  • 投稿者 : イーキン
  • URL
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[C1963] 褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

職場で新しい部署に配属されて2ヶ月あまりになります。
配属された当初に比べて、大分シゴトができるようになってきたと自分でも思いますが、毎日毎日もりけんさんのこのブログを熱心に読んでいる私は、決して「自分が成長したからだ」とは思いません。
慣れない当初は周りを見る余裕もなくあっぷあっぷしていっぱいいっぱいだったのが、最近周りを見ることができるようになってきたからだ・・・と、とみに思います。

数日前、上司と面談を行って
「ゆんさんはシゴトの処理が早い」
「処理能力が高い。この調子で頑張って」
と、『褒めて』もらいましたが、今日のブログを読んで、喜ぶべきことではないのだな、と改めて思いました。
これで調子に乗って「私は原因」なんて思いたくない。
「私は原因」と思ったら、ものすごく、世界が狭まってしまう気がします。

「自分がコトを成し遂げた」と思ってしまったら、そこで行き止まりになってしまう気がします。
そして、行き止まりになったことに自分で気付けないまま「自分はスゴイんだ」と思いこんで、一人でおかしな方向に行ってしまうのだと思います。

私が「処理能力が高い」のは、私自身に能力があるから、では決してなく、私が外を見ることに長けているから・・・であって欲しいです。

シゴトがうまくいかなくても、ムダに反省をしないこと(笑)。反省しない、自分を責めない、落ち込まない。そんなのは時間とエネルギーのムダであること。

それよりも、外に目を向けること。鳥の声を聞くこと・・・

自分の内側を見つめることよりも、外に目を向けることを心掛けていると、とても落ち着いた気持ちで日々を過ごすことができます。
もっと早くから、このことを知っていたかったなあと思います。

[C1962] >褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

新婚の頃、夫に「もっと褒めてよ」と言ったことがあります。夫の返事は、「なに期待してんだよ、褒めてもらおうとおもってやってんの?俺なんか、親に褒めてもらったことなんか無いゼ。甘いよ。」と言い放たれて・・、すごいムカつきました(笑)。


別に褒めてもらいたいからやってるわけじゃないヨ!と反発しましたし、夫の親を変な親!と思いもしました(汗)。ただ、褒めてもらうと、認められたって気になれて、ヨシ、次はもっと頑張ろうって気になれるから、いい気持になれるから、そう思ってました。


○○であれば、褒めてもらえる、もっと△△であれば、もっと褒めてもらえる、□□したら、きっと怒られる・がっかりされる、・・・。だから、もっと自分を~~にしなくちゃ、もっと~~にならなくちゃいけない・・。そんな思考回路が頭の中に出来上がっていたんです。それに自分が気分良くいいことをやれるのは、褒めてくれる人がいてくれるからだ、せっかく頑張ってるのに、なんで評価してくれないの、という気持もあった。でも事実は、と言えば、もし褒められていたら、ものすごく張り切れるかもしれないけれど、褒めた方は、その効果を利用している(悪気は無いにしても)のではないかと思います。極端な言い方かもしれませんが、褒めておだててもっとやらせよう、みたいな後ろ暗さすら感じます。実際は褒められたから実力以上に頑張ってしまっただけで、事実は無理する手前の状態が本当の姿だと言う事を本人に忘れさせる効果があると思います。だからやってる本人はどんどん自分自身から離れようとしていく・・(なんだか書いててこんがらがってしまいそう・滝汗)。


「あなたはあなたのままでいい」なんて口では言っても、「あなた以上のあなたになって」と要求しているようなもの、かな。褒めて欲しい側も、常に今以上の自分を目指さなくてはいけない、苦しいです。


タイトルの真意にどこまで迫れたか分かりませんが、「褒める」ということが、実はどういうことか、こんな風に考えたのは初めてです。

[C1961] 褒める

>褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。
>褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。


褒められることは嬉しかったと思う。
身に覚えが無くても、根拠なく褒められたりして「あれ?なんで褒めるの」と思っても、「褒められる」ことが嬉しかった。

褒められる行為が麻薬のようになり、周りの目を気にするようになった。

その結果は、原因ガチガチの人間だった。

無意味な褒めによって、自分の無力さに気がつかなくなると思います。有頂天になってしまう。

「褒め」の虜になると、褒められるために努力を重ねてしまう。その根本には認められたい思いがあるのだと感じます。


どうして人は褒めるのか。やたらと買い被る人もいる。やめてくれ・・・と思うこともあります。

情けない私は、褒められたら褒め返してあげないといけない気になってしまいます。
オトナは自分が褒められたいから、褒めるような気がします。

いくらがんばっても、誰も褒めてくれないから。
事実に目を向けたくないのだと思います。

[C1960] >「私のことをもっと褒めてよ」

娘は↑こう思ってるかもしれないなと思いました。もっといい気分にさせてくれらたいいのに…って。そしたらもっと頑張っちゃうのに…じゃないかなぁ(自分の回想も入ってます。。)私のために頑張るより…気分よく過ごして欲しいかもね。 

> 褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。
>褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。
 
今まさに育児巌流島なんで(汗)この話題はどうしても所感に。。しかし親やるのは初めてなんで(あたりまえか)自分の子供時代の回想にもなってきます。
子供のとき何をやってるかなんてわかりませんでした。親が褒めたり怒ったり。。くくってくれるから。。「ほぉそういうもんか」と思って人間(人間性とか社会・道徳)に目覚めていったと思います。それまでは小動物です。人間の流儀なんてわかりません。ただ育ててくれた人(外側)が喜んでくれるから。。もっと喜ばせたくてそっちに進んだだけの気がします。なんかして喜んでもらってソレが嬉しいからそうしただけで。。書いてて思いましたが。。精神的な餌付けですね。。親に意図があれば。。
確かになにかコトを為したのだと思ってました。じぶんじゃわからないけど。。外側から反応、リアクションがあるから。。なにをしたかは。。親の顔色。。叱る。褒めるがその基準になっていきました。(と思います。)
なんか「私」って。。親に限らずこうして外の反応を見ながら。。くくられていったのかなと思います。自分自身でくくっていったのかなと。。。そしてククリの方がふえすぎて本体(私自身)みたいに思ってきたのかも。。
事実はどうだったのかと言うと。。よくわかりません。訳もわからずしたことを。。外側の評価でくくっていった。。のかな。。評価のくくり(過去)を沢山もっているのかな「私」は。。と思いました。それは呼び出しやすくて(既にくくってあるから)。。処世術としては役立つ気もします。しかし処世術が通用しないシーンでは。。ダメなんだろうと思います。
あーいろいろ考えました。育児巌流島。。文章も反芻気味。。きょうは…けっこう考えてしまいそうです。。

[C1959] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

褒められると、子供はもっと褒められたくて、その方向でどんどん邁進してしまって、「自分」が固まっていき、自力の世界に入ってしまうんだと思いました。

[C1958] ・・・。

いま、彼のことをおもった(汗)
いつも「きょうも頑張ったかー?」と電話がくる(爆)
私に色々と修行を強要する・・・(爆)
「はい・・・汗」
(あたし「M」なのかな)
で、たまに暴走(逃げる or どうしてこれじゃダメなの・・・と、云う)
でも、仕方ない。
彼から見た私は「努力」が足りないのだから(汗)
でも私も「性格」でそれは出来ないのだから(爆)
お付き合いしているのも「運命」だ・・・(事実)
それでいて私は、別のヤツをいじめる
(あたしは「S」か?)
で・・・
いつも「褒められたいな・・・」とは思っています。
やたらめったら褒められると「ウソだ」と思ってしまうし、
面倒です。
小さい頃、父に「これどう?」とか聞くと
「中の中」とか「中の下」とか・・・ランク付け(爆)
してくれました(汗)
でも私はずっと(20歳までですが)かんぜんに自分の世界に
住んでいて、朝起きたらまず「鏡」を覗き込み、うっとり・・・して
ました(汗)
自分で思う(自然)プラス「褒められる」で成立していました。
でも、崩れさります・・・
いまも変わらず「自分」が可愛いし、スキですけど、
「私は可愛い!」って思うと背後に「ツッコミの神様」が
待機している気がします(汗)
今はもう「事実」を見ている(笑)
受け入れられない「性格」があるだけで。もしかしたら
「運命」の中で、多少の変更があるかも(ないか・・・)
しれません(笑)




[C1957] そういえば・・・

親に誉められた記憶ないな・・・・・

おしのようにしゃべらない子供だったから。。。。
親との会話もあまりなかったな。。。(滝汗&超爆)


あの世の親もわたしがネットでこんなアホボケレスしてるなどと
夢にも思っていないだろう・・・Ψ(`▽´)Ψケケケ


誰に似た????

[C1956]

>巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

「君にはできる」・・・誉められてがんばりました(汗)
しかし、自分の力量の限界を見せられました。ライバルはもっと「できるひと」だったからです(滝汗)


能力のない私が対等になろうと頑張った努力だけは認めてくれよーと
こころのなかで叫んでました。苦しかったです。

事実を認めるのは,辛いです。
でも、しばっっていた鎖がとけてとても気が楽でした。。。。


事実を認めるって・・・・・・・・
ありのままの自分をみつめるってことですかね・・・・・
そこにいるだけでいいんだよってことかな。。。。。
価値に差はないって。。。。。。。

[C1955]

僕が相手を褒めるとき。それは・・・
「綺麗だね~」とか「可愛いね~」とか言って相手にこっちを向いてもらいたい。
そんな意図があります(笑)
まるでクモの糸を放って相手を餌食にしようとするかの如くです。。。
ちょっとコメントとしてはズレてる、かな(-_-;)
  • 2006/06/04-11:11:34
  • 投稿者 : まっす~
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  • 編集

[C1954] >「私のことをもっと褒めてよ」

口に出しては言いませんでしたが、わたしもそう思ってました。
そういってくれないのはまだまだ自分の努力が足りないのだと落ち込んだりしていました。

両親が私に事実を伝えようとして褒めなかったのか、
本当に私の努力が足りないから褒めなかったのか分かりませんが、

わたしは事実を受け止める方向とは真逆で、ますます事実から逃避していったようです。

バカモノです・・・・
  • 2006/06/04-10:59:27
  • 投稿者 : なみ
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  • 編集

[C1953] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

>褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。


褒められたら、
「ああ。。私って、すごいのね。。」
と思ってしまうと思います。

で・・
ありきたりですが、
「やればできる」
という思考が形作られてく・・

しかし、コトを成し遂げたように見えるけれども
本当は、「私」がしたわけではなく、時空のプログラムであり、宇宙の始まりから決まっていとしたら。。

豚もおだてりゃ木に登る・・ということわざもありますが、人は褒めれたら
大変なエネルギーが出ると思います。
生き生きすると思います。

でも・・
それって、なんだか、利用されているだけのような気がします

上のものが、下のものを搾取する縦の構造・・


「褒める」
という一つの行為にも、そういった意図があるような気がしました。

もりけんさんの娘さんは、
褒められなかったので、
事実を認められるようになったのだと思います。

事実を認める。。ってすごいことだと思います。

だって、普通は、自分を認められずに、あがきながら生きる人がとても多いと思うからです

事実を認めること。。
って、なんていうか、人類にとって、
大きな第一歩になると思いました。


それって、すごい一歩だと思います。


いや、歩いてすらいない・・・

今、この場所でシフトする。。という感じ。。




[C1951] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

なるほどです。。褒めないんですね~。でも、怒りもしないんですよね~。そうだとすれば、いろいろな価値観からフリーになりそうに思います。

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巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

 うちには娘がいますが、彼女は小さい頃よく言いました。 
 
「私のことをもっと褒めてよ」
 
 しかし私は、褒めたことがありません。
 褒めたことがないので、娘が上記の愚痴を言うのです(笑)。
 
 今は愚痴を言いません。
 それはなぜかと言えば、「事実」を認めつつあるからだと思います。
 
 褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。
 褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。
 
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37件のコメント

[C2126] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

自分も親に褒められたことがありません。
それをずっと悔やみ、呪ってきました。
愚痴というか非難というか、金属バットを持って追い掛け回した
こともありました(汗)

もりけんさんのブログを読んで、なんだかハッとしました。
申し訳無さがこみ上げてきました。
「コレでよかったのかもしれない」と思い、胸が温かくなりました。

褒められることもなかったし、何も積み上げてこなかったけど、
それでいいのだと思えるようになりそうです。
 


>巌流島・・「武蔵よ、お前は弱い」という事実を告げる
不良息子を抱えた父親が、その息子に語りかけます。
「おまえは毎日ケンカばかりでどうしょうもナイ奴だ」
「しかし、ケンカが強いというのは“望み”でもある」
「どうだ?…父さんの知り合いのボクシングジムへ行ってみないか」
そして幾年月の後、ついにボクシングチャンピオンへとのぼりつめた
元不良息子の彼がいた。

…なんてストーリーが浮かびました(汗)

はた目にはドラマティックですが、よく耳にする話です。
そして、栄華を飾るボクシング人生を終えた男が、その後
傷害事件で服役したり、破産したりするという話も、よく
耳にします。
たぶん、ボクシング界とか、自分の住まう狭い世界観の中
でしか泳げなかったことが、その後の人生へ不利に働いた
のかもしれません。…世間知らずだったのです。

井戸の中ではNo,1かもしれません。でも井戸の外では
それは通らないことが多いと思います。

「長所を活かせ」は、人から視力を奪うかもしれません。
人生を盲目のまま手探りで過ごすことになりかねません。

ボクシング選手は引退後、貯蓄したファイトマネーで株を
はじめてみましたがダメでした。
商売をはじめてもダメでした。ボクシングジムの経営もやって
みましたが、経営の手腕はありませんでした。
めっぽう強いボクシングでしか、咲く花を持っていなかったのです。

武蔵は老後、商売をはじめたら軌道にのるかもしれません。
絵を教えることもできるかもしれないし、俳句(うた)を詠めるかも
しれません。
「武蔵は弱い」と、徹底した事実認識をさせたからかもしれません。



>巌流島・・「武蔵よ、お前は弱い」2
「自分は強い」とか「自分は何でもできる」という万能感って、
時折人生の大きな足枷になることがあります。
「できるからこそ“できない”」
「成績優秀だからこそ“上に行けない”」
そんな矛盾を人生に作り出します。

武蔵の父親がどのような意味を持って、木刀を振るったかは
わかりませんが、武蔵なりに理解できる瞬間があったのかも
しれません。

[C2006] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

そうですね。褒めるって、「良くできたね。」とか言います。
要は、「おまえがやったんだよ。でかした!」と言っているようなものです。だから、「私は原因」になります。

褒める人が親の場合、子供にとっては「生存」がかかっています。師匠の場合は、「自分」がかかっています。
そういう意味では、叱るのも同じです。子供に方向性を持たせることになります。結局、親が子供を管理することになると思います。敏感に褒め言葉に反応するようになると、管理され易い大人になります。
能力のある子は、いい子からいい人へ。そうでない子は、「世の中は何故、俺を褒めないんだ。」と不適応になると思います。
世間の評価など当てになりません。陸上選手が骨折すれば、「残念ね。」で終わりです。
友人や仲間の場合は、慰めであったり励ましであったり、お互いを認め合う確認行為でしょう。

> それはなぜかと言えば、「事実」を認めつつあるからだと思います。

 「事実」を認めるって、都合よい人の評価に振り回されない事に通じると思います。

 かく言う私は褒める事が「私は原因」になるからとは、思っていませんでしたが、「男の子だから鍛えてやろう」と思っていました。(爆)
「馬に人参じゃあるまいし、人間なんだから人参よりもっと大事なものがあるでしょ。」と思っていました。
だから、管理されるような大人になってほしくないと思っています。
もりけんさんが叱らないのは正解だと思います。父親が叱るとすご~く効きますから。
私は良く怒ります。でも、効きません。ジャブみたいなものです。だから、言いたい事だけは言って置きます。
息子も犬も母親は、ご飯だと思っているようです。(笑)
でも、母親が褒めながら、いたせり尽くせり世話を焼くと効くと思います。
奥さんに臍を曲げられて、おパンツの場所すら分からない管理されている男性もいると思います。(爆)

中学中頃で、鍛えるのは止めました。男性ホルモンがバンバンに出て闘争的な息子を相手にしていると更年期障害になりそうです。(爆)
この頃です。「お母さんは、スパルタの母で全然褒めてくれなかった。」と言われたのは。「へぇ?」と自覚はありません。
今は、変人の母で揺さぶりをかけています。

でも、上位の視点から見ると「褒められ上手は、幸せ上手」なんて題の本がありそうです。(笑)

[C2005] >「私のことをもっと褒めてよ」

私も褒めてほしかったな~と、娘さんのこの言葉を読んで思い出していました。
 
娘さんが褒めてもらえるかもしれない事を報告した時、たぶんもりけんさんは
笑顔で「そう」って返事をしたんじゃないかって思いました。それで満足でき
ない娘さんは「もっと褒めて」と言い返して、もりけんさんはまた笑って。。。
 
こんな親子関係だったら、娘さんは褒めてもらえないことが不満でも、落ち込ん
だり無理に頑張るようなことはなかったんじゃないかなと思いました。
 
自分がどういう状態かという事実が見えてくるというのは、辛いこともあるかも
しれないけれど、その後はだんだんと肩の力が抜けて、今まで以上にフットワー
クが軽くなるかもしれません。
 
>褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。
 
そうとしか思えなくなると思います。
褒められたからもっと頑張った、そうしたらまた褒められた、だからもっと頑張
ったらもっと褒められた。。。これが続けば自分が原因というのが当たり前に感
じるようになると思います。

[C2003] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

大人にしても褒められるとうれしいものです。
だけど、褒められて喜びを感じる人(私も含めてかも(爆))はいざ逆のことを言われたりすれば、ぬかるみはまるケースが多いと思います。
人は褒められて生きているわけではないからだと思います。
そもそもいい所を尊重していこうという解釈もよくよく考えてみればへんな話だと思います。
長所というのは、ある角度から見ればそれが短所にもなることがあるのではないかと思います。
いいか悪いかは本人が勝手にまわりに振り回されて位置づけしているだけなのだと思います。
褒められ続けると、自分がお山の大勝だという独自世界を作り出してしまうのかと思います(軽く危険だな・・)。
個人的に定義する立派な人間は、褒められても調子に乗ることなく、他人事のように聞くことができ、今の自分に善悪をつけず、肯定できる人間なのかと思います。
ちなみに女性をくどくときは、褒めまくり作戦に徹していますが(汗汗)

[C1999] 誉められたいと思うのは

成し遂げたことそのものの出来を認めてほしいだけでなく、成し遂げるまでがんばった、耐えた苦労がむくわれることを望んでいるのだと思います。
もりけんさんの娘さんは、きっと、お友達がその親から誉められるシーンを見て、「あれ?そういえば私、誉められたことないかも・・」と気づかれ、素直に口にされたのだと思います。
子供の素直な観察眼から、誉められるお友達が何か嬉しそうでいいなぁと思われたのかも知れません。
娘さんがそう気づかれるほど、誉めるというのは100%良いことであるといった社会通念があると思います。
けれども、それに染まってしまうと、がんばったり良いことをすれば誉められて当然、誉められないワケがないとまで思いこんで、いくつになってもそう期待する可能性もありそうです。
例えば仲間内や職場での評価や賞賛を欲しているのにかなわない人というのは、他のなにものでもない、とにかくそれだけを求めてしまっているわけで、それが満たされないと気が済まないところ、それは相手の都合によってもたらされたりそうでなかったりする水物なのに、その点ちっとも考慮しないで、誉められるまで「これでもか、これでもか」と(自分勝手な)無理な努力を続けては玉砕することになりかねません。
悲劇です・・・
でも、誰に止められましょう・・・
口でいくら言っても無意味なのだと思います。

[C1988]

 武蔵は褒めない、事実を告げる父親に教えられて、良かったです。
 褒められると、周りがみえにくくなると思うからです。褒められると、これでいいんだ。このやり方で。と決めてしまった、他の可能性を見にくくすると思います。

[C1984] 褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます

なるほどでっすうう~~。。でも。。原因説も、もりけんさんが言うように最大枠の時空のにひろがっていると。。収束アンド突き抜けることも。。可能ではないかとおもいます~~。。様は。。拡大しているもりけんさんの時空論を縮小しないことだと思います。。同時に未来からメッセージで。。受け取ることで脈打つ鼓動のスタートに繋がり無限大にシフトするのではないかと思います・・・・
  • 2006/06/05-10:43:56
  • 投稿者 : バニー
  • URL
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[C1982] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

以前、もりけんさんは、お子さんに怒ったことがない・・とお聞きしていて、驚きとショックでいっぱいでした。
怒るの反対は、ほめると勝手に思っていました。
だから・・ほめたこともないとお聞きし、さらにガガーンときてます。。

今の自分は毎日のように子どもに怒り、ほめ・・
自分も怒られほめられ育てられ・・
その両方にまみれて生きてきたように思うから・・
それに、今だに、母だけでなく、誰かにほめられたい・・という気持ちがある自分。。

そして、それらは、その人をある一方向に固めてしまうように思います。
褒められたからもっとする・・
おこられたからしない・・
どちらも可能性を奪っている。。
褒めることが可能性を狭めてるというのは特になかなか気づけない部分だと思います。

私自身、子どもを怒るのは嫌です。
でも気づいたら怒ってます・・(汗)
すごいエネルギー使います。
後で落ち込みます・・。
それでも、子どもはそれでも全然こっちの思うようにはなりません(アタリマエ)
何を無駄なことをやってる・・と思うけど・・

褒めることは好きです。
でも、褒めて気分よくさせてる・・機嫌をとってる・・それだけかも・・
機嫌をとってどうするんだ・・・
褒めるのをやめれるだろうか・・
事実だけを伝える・・ということができるだろうか・・

親と先生からの、褒めと怒りの繰り返しで、すでに子どもは、褒められることをし、怒られることはしない子の道へ進んでいるような・・
自分ががんばれば褒められる・・という、「私は原因」の道へ行ってるような・・

ほめて欲しいからやる・・というのは、主観的に物を考えていないことになります。
しかし、子どものうちはそれでいい・・という考えも聞いたことがあります。
何も知らないのだから、わからないのだから、言ってわからなければ、怒ってでも・・と。

人と話していて、とりあえず話をつなげようというときに、ほめる・・ということをしてしまいます。
(その場を繕ってる・・・)
逆に、自分の話をしてるときに、ほめられると嬉しいし、ほめてくれないと、ほめてよ・・と思うこと、あります・・・
私は・・いまだに、自分がほめられたいから、認められたいから・・だから人にもそうしてしまうのかも知れません。
相手もきっと嬉しいはずと。
これもかなり押し付けです。

子どもに対してだけでなく、大人同士でも、ほめるのも、怒るのも、自分や社会を基準にしてるように思います。
ほめない、怒らないためには・・自分があってはだめなのだと思いました。
事実に自分が入り込むと、怒ったりほめたりすることになってしまうように思います。
事実を伝えて・・本人がそれを認めて、後どうするかは本人の勝手・・

>褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。
すごく納得です。
そうして、自分に自信をつけ積み上げていく・・それが自分を帰って狭めているのに・・

褒める、怒る・・は、夫との間でも、よく話に出ます。
夫との考えの違いもあります。
お互いの親の違いもあります。。
しかし・・褒めることもせず、怒ることもしない・・というところに話が落ち着いたことは一度もないです・・
こうして、自分たちもそうだし、子どもも、「私は原因」の考えが、知らず知らず染み込んでいってるのかと思いました・・。

あまりにも、ガガーンときて、話があちこちに飛びました。
(毎日ガガーンなんですが。。。汗)

[C1981] 事実を認めること

 褒められることによって、完結してしまうことより、酷くても無様でも冷淡であっても事実を知るということは次なる真理へのステップとして重要なことであると思いました。
  • 2006/06/05-04:44:05
  • 投稿者 : yk
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[C1980] ほめられると、

そればっかりやってしまいます。
ほめられたことが、武器になって、何でもその切り札に頼ろうとしてしまいます。
どんどん視野が手元にばっかりになり、狭くなりそうです。
負けたとき、自分が小さくなったとき、周りの景色を見上げると思います。

[C1979] >褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。

子供は褒めて育てろとよく言われています。
叱られてするより、褒められてその気になってやる気が出る方が自主性が伸びて良いといわれてるからでしょう。
しかし
幼稚園児に報酬を与えると絵が下手になるという実験があると以前知りました。


褒めるという行為は一見、報酬を与えない行為のようですが、実は褒められること自体が報酬なので、褒められると絵が下手になると言い換えても良いかと思います。

褒められることは期待につながり、目の前の現実、事実からだんだん遠ざかっていく可能性を否定できません。

小さい子供に事実の大切さを自分で知るように育てるのはなかなか難しいです。

なぜなら知らず知らずのうちに親自身が、子供をコントロールしようとしているからで、褒める行為で親自身が好む方向へ子供の人生を引っ張ろうと介入しているからなのかと・・・・(汗)
  • 2006/06/05-01:14:34
  • 投稿者 : 空タネ
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[C1978] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/06/05-01:11:17
  • 投稿者 :
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[C1977] ひとつの数式を変化率になおすと

掛け算はプラス、割り算はマイナスで表記されます。そして定数は消えてしまいます。変化するものは残りますが変化しないものは消えてしまうということです。

「ほめる」という行為はプラスの変化で「しかる」という行為はマイナス方向の変化だとします。これに対して「無反応」は定数であるとすると消えてしまいます。

何か自分がした行為に対して相手が全く反応をしめさない場合、何か行為をした人は自分の「位置」がわからなくなってしまうのかもしれません。

特に子供など、相手との関係性に依存している場合、自分の位置がわからないということは不安につながると思います。しかし成長して相手との関係性に依存する度合いが薄れると、相手が無反応であることにより、自分の位置づけが一瞬わからなくなっても、それほど不安に感じることはないのかもしれません。

それはおそらく意識の焦点が、成長すると、相手との関係性のみならず、基準がもっと外の世界にあるようになるからだと思います。
  • 2006/06/04-23:36:02
  • 投稿者 : ナイル
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[C1975] >「私のことをもっと褒めてよ」

今日は、”スレッドテーマ:親の思い・願い”が気になりました。
親としては、子供が無事に育ってくれればと願うものではないでしょうか。
ひとかどの人物にならなくとも、何とか無事にと・・・しかし、人の世はいろいろです。
誰かと戦うこともあるかもしれません。 運悪く、勝負に負けることもあるでしょう。
また、戦争や天災などによって、今までの努力が水の泡と帰すことだってありそうです。
そのようなときに受けるダメージの大きさや深さは、計り知れないと思います。

しかし、自分の才能や得意技に固執しない人は強いと思います。 自惚れず、事実だけを
見る人も強いと思います。 このような人は、人対人との戦いであれば、負けること自体
がないかもしれません。 また、それ以上の何らかのアクシデントが起こったとしても、
精神に大きなダメージを負わずに済むと思います。 恐らく、何があっても無事でいられ
れるのではないでしょうか。

だとすれば、親とすれば、自分の子を褒めたくても、褒められないかもしれません。
(今日、飼い猫に事実を告げるつもりで、「あんた、かわいい顔してるな~」と言ってし
 まいました・・・猫には甘い、こうもりでした)

[C1974] 誉めない・・叱りもしない

私の親は珍しいタイプかもしれません。
何をしても誉めることも叱られたことも殆ど記憶にありません。食べ物の好き嫌いも、夜まで走りまわって遊んでいても何も言われることがありませんでした。野生児のようにほったらかしにしてくれていました。
自由な環境にあったからなのかはわかりませんが、親に誉められたいと思ったことは一度もないのです。誉められないかわりに事実を告げられることもなかったのですが・・
今、親となり自分の子供には自分が親にしてもらったことの正反対をしているとよく考えます。両親の真似ができないのです。した方がよいことを私が考え、子供によかれと言い聞かせてしまう。
何て手抜きな親なのでしょう・・・
子供を信頼できていないのだなと思い知りました。

[C1973] ほめられるというのは「報酬」だと思います

「報酬」が目的になってしまったら事実のほうには目はいかず、子供は親のあやつり人形のようになってしまうのかもしれません。親はそのほうが安心かもしれませんが...(汗)。子供もあまりにも安楽なために、自分で外からの信号をキャッチしようという気はなくなってしまうのではないかと思います。
  • 2006/06/04-22:18:32
  • 投稿者 : ナイル
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[C1972] 褒められたこと自分

たまたま良かったことで褒められると私がやったんだよとってなってしまいます。
失敗もたまたまです。
成功は自分の力で失敗は周りのせいで思い込んでしまっています。
成功も失敗もそのときの成り行きの場合が多いです。
でも、たまに褒められるとすごく得意になってそのことしか目に入らない状態になってしまいます。
自分が事実を知ることから目を背けてしまうように思います。

[C1971] 事実に目を向ける

 森田さんが娘さんをほめたことがないとあり、事実を知らせることの方が大事だと考えていたのはずっと以前からだったのだなぁとおもいました。自分は、森田さんのこのプログを読んで初めて考えてみた視点だったのでそうなのかと思いました。
 子供に事実を認めさせるというのは思いやりでもあり、厳しくもあると思います。
 自分ごとですが、小学校の一年の時、担任の先生が、クラス全員にアンケートをとったことがありました。細かい内容は記憶にありませんが、そのアンケートから先生に、「○○君、君、クラスの友達に嫌われているよ」と言われたことをふと思い出しました。当時、「が~ん、どうしよう」と相当ショックでした。自分では自分の行動が相手にどう影響しているのか気付いていないし、分かろうともしたこともありませんでした。で、「よく分からないけれど、セーブしないと駄目なんだな」と思ったことを思い出します。その後、その先生に「良くなったよ」といわれました。再びアンケートをとってその結果を伝えてもらえたのだと思います。
 それを思い出すと「事実を知る」というのは結構つらいものだなと思います。
 また、かなり、事実に目をそむけているなと思います。

[C1970] 巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

親が褒める時ってうちの場合、大抵、親の思い通りになった時だったと思うので、褒められると怖ろしいって思ってました(笑)何か期待されちゃうみたいで。
私は木には登らない豚だったと思います。
じゃあ自分の娘にはどうだったかというと、結構褒めてました(笑)娘はけなされるとがんばってたから、あまりけなさないようにしていました(笑)
事実を知って、がんばるのと、褒められてがんばるのとは何かが違うように思います。





  • 2006/06/04-18:52:02
  • 投稿者 : Ciel
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[C1969] >褒められる

褒められると終わるんだな・・・と今思いました。
褒めるもけなすも同じ行為で、区切りをつけてしまうのだと思います。

武蔵の父が殴りながら「お前は弱い」と言いつづけたのは、体に事実を刷り込むためであって、けなしているのとは違うと思いました。

褒められる・・・
人間は何もしなくてもそこにいるだけでOKなのだ・・・というある意味当たり前のことに気付きました。

ということは褒めずけなさず、ただ事実を伝えるのはすごいことだな・・・と感動しました。

[C1968] 子育てに、

褒めて育てよう・・は、
当たり前のようにいわれている気がします。
褒めて嫌がる子はいないと思ってる・・。
でも褒めることは、相手にとって決してプラスではないということ・・
思ってもみなかった・・です。
褒められることを自分は成し遂げたと思い・・
自分はすごいんだ・・と思う。
実態が全くないのに・・。
もしかしたら、褒められる行為に基準を合わせるかも
知れません。
褒められるように行動し、褒められるように頑張る・・。
あの、自分を成長させなきゃ・・の、
「私は原因」へ真っしぐら・・。
(メチャメチャ思い当たる節が・・・(汗))
イヤ~褒めるの、ちょっと待った~!!・・です。
  • 2006/06/04-16:38:52
  • 投稿者 : まる
  • URL
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[C1967] >「私のことをもっと褒めてよ」

褒められて育ったら、私の人生、違ったかも・・・と思ってました(汗)
出来ないと思ってたことが出来ても、驚きはしても褒められたような記憶はないような・・・
だからと言って、事実も認められず、目を背けて年を重ねてしまったかもしれません(多汗)

確かに褒められれば嬉しいけれど、それが重荷になることもあると思います。
もう少し頑張れば、「成し遂げられる」という泥沼にはまり込みそうです。

[C1966] >「私のことをもっと褒めてよ」

娘さんが「私のこともっと褒めてよ」と言えることは、
自分の立位置に対する安心感があって出てくる言葉と思います。
見方を変えると、親が子供について充分に知っている
という前提があることと思います。
もっと言えば、子供に対し、いらぬおせっかいをしてないことと思います。

 
例えが何ですが
犬や猫は「私は原因」に生きていないと思います(汗)
それが証拠に、身の危険を感じると、とっさに身をかわしますが、このことを「オレハデキル」と自慢する犬や猫
はいません(笑)。
褒められて育ったので、そうなった訳ではありません。
自然です。
 
武蔵が「オレハデキル」にならなかったのは、
それがあったからと思いました。

[C1965] >褒められた「自分」がコトを成し遂げた(2)

別に親子関係だけではなく、学生時代も社会人になってからは特にバリバリに
意識してたのを、(しかも結構直近)すっかり忘れていました(爆)。
ここに来てからそういった執着が完全にはなくなってはいないけれども、
褒められることが「目標」だった自分が恥ずかしい(汗)。
このことに気が付くだけでも、他力が自分とは別世界ではなくなりそうです。
  • 2006/06/04-13:51:37
  • 投稿者 : イーキン
  • URL
  • 編集

[C1964] >褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

もりけんさんは、褒めないけれど、叱りもしない、ただ相談に乗るだけ。
これって、一番骨が折れると思います。
でも骨を折っているとは思っていないと思いますが。
ほとんどの親御さんは褒めるか・叱るかのどちらかしかしてないと思います。
子育て中の方々はガンバッテくださいねえ~~(爆)。
えっ、他人事のように言っているのは、私の命式はちゃんと調べてないけど、結婚もしなければ子持ちにもならないのは確実なので、もう歳だし(超爆)。
  • 2006/06/04-13:42:06
  • 投稿者 : イーキン
  • URL
  • 編集

[C1963] 褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

職場で新しい部署に配属されて2ヶ月あまりになります。
配属された当初に比べて、大分シゴトができるようになってきたと自分でも思いますが、毎日毎日もりけんさんのこのブログを熱心に読んでいる私は、決して「自分が成長したからだ」とは思いません。
慣れない当初は周りを見る余裕もなくあっぷあっぷしていっぱいいっぱいだったのが、最近周りを見ることができるようになってきたからだ・・・と、とみに思います。

数日前、上司と面談を行って
「ゆんさんはシゴトの処理が早い」
「処理能力が高い。この調子で頑張って」
と、『褒めて』もらいましたが、今日のブログを読んで、喜ぶべきことではないのだな、と改めて思いました。
これで調子に乗って「私は原因」なんて思いたくない。
「私は原因」と思ったら、ものすごく、世界が狭まってしまう気がします。

「自分がコトを成し遂げた」と思ってしまったら、そこで行き止まりになってしまう気がします。
そして、行き止まりになったことに自分で気付けないまま「自分はスゴイんだ」と思いこんで、一人でおかしな方向に行ってしまうのだと思います。

私が「処理能力が高い」のは、私自身に能力があるから、では決してなく、私が外を見ることに長けているから・・・であって欲しいです。

シゴトがうまくいかなくても、ムダに反省をしないこと(笑)。反省しない、自分を責めない、落ち込まない。そんなのは時間とエネルギーのムダであること。

それよりも、外に目を向けること。鳥の声を聞くこと・・・

自分の内側を見つめることよりも、外に目を向けることを心掛けていると、とても落ち着いた気持ちで日々を過ごすことができます。
もっと早くから、このことを知っていたかったなあと思います。

[C1962] >褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

新婚の頃、夫に「もっと褒めてよ」と言ったことがあります。夫の返事は、「なに期待してんだよ、褒めてもらおうとおもってやってんの?俺なんか、親に褒めてもらったことなんか無いゼ。甘いよ。」と言い放たれて・・、すごいムカつきました(笑)。


別に褒めてもらいたいからやってるわけじゃないヨ!と反発しましたし、夫の親を変な親!と思いもしました(汗)。ただ、褒めてもらうと、認められたって気になれて、ヨシ、次はもっと頑張ろうって気になれるから、いい気持になれるから、そう思ってました。


○○であれば、褒めてもらえる、もっと△△であれば、もっと褒めてもらえる、□□したら、きっと怒られる・がっかりされる、・・・。だから、もっと自分を~~にしなくちゃ、もっと~~にならなくちゃいけない・・。そんな思考回路が頭の中に出来上がっていたんです。それに自分が気分良くいいことをやれるのは、褒めてくれる人がいてくれるからだ、せっかく頑張ってるのに、なんで評価してくれないの、という気持もあった。でも事実は、と言えば、もし褒められていたら、ものすごく張り切れるかもしれないけれど、褒めた方は、その効果を利用している(悪気は無いにしても)のではないかと思います。極端な言い方かもしれませんが、褒めておだててもっとやらせよう、みたいな後ろ暗さすら感じます。実際は褒められたから実力以上に頑張ってしまっただけで、事実は無理する手前の状態が本当の姿だと言う事を本人に忘れさせる効果があると思います。だからやってる本人はどんどん自分自身から離れようとしていく・・(なんだか書いててこんがらがってしまいそう・滝汗)。


「あなたはあなたのままでいい」なんて口では言っても、「あなた以上のあなたになって」と要求しているようなもの、かな。褒めて欲しい側も、常に今以上の自分を目指さなくてはいけない、苦しいです。


タイトルの真意にどこまで迫れたか分かりませんが、「褒める」ということが、実はどういうことか、こんな風に考えたのは初めてです。

[C1961] 褒める

>褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。
>褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。


褒められることは嬉しかったと思う。
身に覚えが無くても、根拠なく褒められたりして「あれ?なんで褒めるの」と思っても、「褒められる」ことが嬉しかった。

褒められる行為が麻薬のようになり、周りの目を気にするようになった。

その結果は、原因ガチガチの人間だった。

無意味な褒めによって、自分の無力さに気がつかなくなると思います。有頂天になってしまう。

「褒め」の虜になると、褒められるために努力を重ねてしまう。その根本には認められたい思いがあるのだと感じます。


どうして人は褒めるのか。やたらと買い被る人もいる。やめてくれ・・・と思うこともあります。

情けない私は、褒められたら褒め返してあげないといけない気になってしまいます。
オトナは自分が褒められたいから、褒めるような気がします。

いくらがんばっても、誰も褒めてくれないから。
事実に目を向けたくないのだと思います。

[C1960] >「私のことをもっと褒めてよ」

娘は↑こう思ってるかもしれないなと思いました。もっといい気分にさせてくれらたいいのに…って。そしたらもっと頑張っちゃうのに…じゃないかなぁ(自分の回想も入ってます。。)私のために頑張るより…気分よく過ごして欲しいかもね。 

> 褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。
>褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです。
 
今まさに育児巌流島なんで(汗)この話題はどうしても所感に。。しかし親やるのは初めてなんで(あたりまえか)自分の子供時代の回想にもなってきます。
子供のとき何をやってるかなんてわかりませんでした。親が褒めたり怒ったり。。くくってくれるから。。「ほぉそういうもんか」と思って人間(人間性とか社会・道徳)に目覚めていったと思います。それまでは小動物です。人間の流儀なんてわかりません。ただ育ててくれた人(外側)が喜んでくれるから。。もっと喜ばせたくてそっちに進んだだけの気がします。なんかして喜んでもらってソレが嬉しいからそうしただけで。。書いてて思いましたが。。精神的な餌付けですね。。親に意図があれば。。
確かになにかコトを為したのだと思ってました。じぶんじゃわからないけど。。外側から反応、リアクションがあるから。。なにをしたかは。。親の顔色。。叱る。褒めるがその基準になっていきました。(と思います。)
なんか「私」って。。親に限らずこうして外の反応を見ながら。。くくられていったのかなと思います。自分自身でくくっていったのかなと。。。そしてククリの方がふえすぎて本体(私自身)みたいに思ってきたのかも。。
事実はどうだったのかと言うと。。よくわかりません。訳もわからずしたことを。。外側の評価でくくっていった。。のかな。。評価のくくり(過去)を沢山もっているのかな「私」は。。と思いました。それは呼び出しやすくて(既にくくってあるから)。。処世術としては役立つ気もします。しかし処世術が通用しないシーンでは。。ダメなんだろうと思います。
あーいろいろ考えました。育児巌流島。。文章も反芻気味。。きょうは…けっこう考えてしまいそうです。。

[C1959] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

褒められると、子供はもっと褒められたくて、その方向でどんどん邁進してしまって、「自分」が固まっていき、自力の世界に入ってしまうんだと思いました。

[C1958] ・・・。

いま、彼のことをおもった(汗)
いつも「きょうも頑張ったかー?」と電話がくる(爆)
私に色々と修行を強要する・・・(爆)
「はい・・・汗」
(あたし「M」なのかな)
で、たまに暴走(逃げる or どうしてこれじゃダメなの・・・と、云う)
でも、仕方ない。
彼から見た私は「努力」が足りないのだから(汗)
でも私も「性格」でそれは出来ないのだから(爆)
お付き合いしているのも「運命」だ・・・(事実)
それでいて私は、別のヤツをいじめる
(あたしは「S」か?)
で・・・
いつも「褒められたいな・・・」とは思っています。
やたらめったら褒められると「ウソだ」と思ってしまうし、
面倒です。
小さい頃、父に「これどう?」とか聞くと
「中の中」とか「中の下」とか・・・ランク付け(爆)
してくれました(汗)
でも私はずっと(20歳までですが)かんぜんに自分の世界に
住んでいて、朝起きたらまず「鏡」を覗き込み、うっとり・・・して
ました(汗)
自分で思う(自然)プラス「褒められる」で成立していました。
でも、崩れさります・・・
いまも変わらず「自分」が可愛いし、スキですけど、
「私は可愛い!」って思うと背後に「ツッコミの神様」が
待機している気がします(汗)
今はもう「事実」を見ている(笑)
受け入れられない「性格」があるだけで。もしかしたら
「運命」の中で、多少の変更があるかも(ないか・・・)
しれません(笑)




[C1957] そういえば・・・

親に誉められた記憶ないな・・・・・

おしのようにしゃべらない子供だったから。。。。
親との会話もあまりなかったな。。。(滝汗&超爆)


あの世の親もわたしがネットでこんなアホボケレスしてるなどと
夢にも思っていないだろう・・・Ψ(`▽´)Ψケケケ


誰に似た????

[C1956]

>巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

「君にはできる」・・・誉められてがんばりました(汗)
しかし、自分の力量の限界を見せられました。ライバルはもっと「できるひと」だったからです(滝汗)


能力のない私が対等になろうと頑張った努力だけは認めてくれよーと
こころのなかで叫んでました。苦しかったです。

事実を認めるのは,辛いです。
でも、しばっっていた鎖がとけてとても気が楽でした。。。。


事実を認めるって・・・・・・・・
ありのままの自分をみつめるってことですかね・・・・・
そこにいるだけでいいんだよってことかな。。。。。
価値に差はないって。。。。。。。

[C1955]

僕が相手を褒めるとき。それは・・・
「綺麗だね~」とか「可愛いね~」とか言って相手にこっちを向いてもらいたい。
そんな意図があります(笑)
まるでクモの糸を放って相手を餌食にしようとするかの如くです。。。
ちょっとコメントとしてはズレてる、かな(-_-;)
  • 2006/06/04-11:11:34
  • 投稿者 : まっす~
  • URL
  • 編集

[C1954] >「私のことをもっと褒めてよ」

口に出しては言いませんでしたが、わたしもそう思ってました。
そういってくれないのはまだまだ自分の努力が足りないのだと落ち込んだりしていました。

両親が私に事実を伝えようとして褒めなかったのか、
本当に私の努力が足りないから褒めなかったのか分かりませんが、

わたしは事実を受け止める方向とは真逆で、ますます事実から逃避していったようです。

バカモノです・・・・
  • 2006/06/04-10:59:27
  • 投稿者 : なみ
  • URL
  • 編集

[C1953] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

>褒められて何かをすると、次第に「私は原因」になっていきます。


褒められたら、
「ああ。。私って、すごいのね。。」
と思ってしまうと思います。

で・・
ありきたりですが、
「やればできる」
という思考が形作られてく・・

しかし、コトを成し遂げたように見えるけれども
本当は、「私」がしたわけではなく、時空のプログラムであり、宇宙の始まりから決まっていとしたら。。

豚もおだてりゃ木に登る・・ということわざもありますが、人は褒めれたら
大変なエネルギーが出ると思います。
生き生きすると思います。

でも・・
それって、なんだか、利用されているだけのような気がします

上のものが、下のものを搾取する縦の構造・・


「褒める」
という一つの行為にも、そういった意図があるような気がしました。

もりけんさんの娘さんは、
褒められなかったので、
事実を認められるようになったのだと思います。

事実を認める。。ってすごいことだと思います。

だって、普通は、自分を認められずに、あがきながら生きる人がとても多いと思うからです

事実を認めること。。
って、なんていうか、人類にとって、
大きな第一歩になると思いました。


それって、すごい一歩だと思います。


いや、歩いてすらいない・・・

今、この場所でシフトする。。という感じ。。




[C1951] >巌流島・・褒められた「自分」がコトを成し遂げたと思うからです

なるほどです。。褒めないんですね~。でも、怒りもしないんですよね~。そうだとすれば、いろいろな価値観からフリーになりそうに思います。

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