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-件のコメント

[C2179] 教える

 「教える」って何だろうと考えた時、自分が過去に習得してきた技術や知識、つまり相手が知らなくて、自分が知っている情報をもりけんさんがおっしゃるように「提供する」のが核になっていると思います。
 ただ、「教える」の方が、「これは、正しい事だから鵜呑みにしなさい。」という様な押し付けがましさがあります。
 親は、一様子供に教える事になっています。(笑)「教える」時の有り様を考えると・・・
 先日、高校の保護者バスツアーで水族館に行った時
「ああ、何度も子供と来ていたけれど、今まで自分が見ていたのは魚じゃなくて、魚を見ている子供だったんだわ。」と気付きました。子供も魚を見て嬉しいけれど、親と出かけるより、友達のはずだと思いました。
 一方で、子供の成長と一緒にその年代のテレビ番組を楽しめる時もありました。そういう時は、私もきっとその年代に還っていたのだと思います。「なんだ、嵌まっているよ。」とか何処か嬉しそうに指摘されます。(爆)
 人にものを教える場合、どこかで、相手の年代に還ったり、相手が初心者なら、自分も初心の頃に戻って、一緒に情報を提供しながら学ぶというのが、もりけんさんのおっしゃる生徒から学んで、対等な関係と言う事だと思います。
 
 みんな、一人一人の個性があります。これが、様々な視点です。様々な人生です。対等に自分にないものを学ぼうとしたらいくらでもあります。何処かで、これが分かっていながら、「知っている」「できる」事=「便利」「役に立つ」事に価値観が偏っているのだと思います。

 だから、「知っている」「できる」先生になると、自分が偉く、立派になった様な気になって生徒を下に見るようになります。「知っている」「できる」に労力をつぎ込んで
所謂、先生バカになるのだと思います。
そして、何がしかのトップになれば、今度は弟子を増やして更に上を目指すのだと思います。

 より上位を目指す事の一つに「教える」というのがあると思います。
 アセンションして、優等星に行ってもなんら今と変わりません。「教える人」と「教えられる人」、「できる人」と「できない人」に分かれるからです。
 このゲーム、みんなが降りたら、きっと生き易い社会になると思います。でも、降りれないのは、「一度きりの人生、快適に過ごしたい。」と思い、それなりに頑張ってしまいます。(笑)

 「私は結果」だと「上位ゲーム」もがが~~~んです。(爆)

[C2167] >巌流島・・「教える」

「教える」という行為には、相手にこうなって欲しいという意図があるように思います。
それに相手が答えなかった場合、いらいらしたり、怒ったり、相手を否定したり、せっかく教えてるのに・・となりそうです。

また、特に、自分の得意分野とか、がんばってきたことを、教えたりすると、こうなるはず、こうあるべきなどが強くなり、ますますがんじがらめな感じがします。

そんな状況ではますます「対等」「情報提供」から遠ざかる気がします。

相手と対等でなく、教えるということをしていれば・・だめになるのは、教えてる側ではないかと思いました。

[C2145] 教える

教える立場をゲットするとき、いっぱしの人として、一丁あがり!な気持ちがあると思います。

教えることがある場合は、完成したという感覚があると思います。

教え始めると、自分で自分に法則を作らないと、生徒が真似できないかもしれません。

先生になると、未知の相手に対して弱くなりそうです。

[C2141]

教えるタイプの人ってのは、
自分が「偉い」「上」ってことを証明したいが為に教えてる。
って面もあるのかと思いました。
そういう自分もつい人に教えてしまおうとして、ダメダメって思ったりします。
「教える」より「情報提供」 これなら対等ですね。
  • 2006/06/09-13:09:06
  • 投稿者 : まっす~
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[C2131] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/09-09:34:28
  • 投稿者 :
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[C2130]

立場だけは・・・・「教える」立場にあるんだけど・・・・
生徒に見下されてます(超滝汗)


「ちょっとゥ・・935先生答えみるとこ間違えてるんジャン?(怒)」
とか・・・・怒られてます(泣)


>相手は負けますが、屈辱に耐えられず、切腹します。

 酷評されて,自殺した画家がいたっけ・・・・・・・
いつも時代も生ききるのは大変なんだな。。。。。。


[C2129] 教えると情報を提供する

 教えると情報を提供するとでは、上下の関係と対等の関係とまさに違う世界が広がってます。そういう世界観を持てるのは、やはり受け取る側の責任もでてくると思いました。たんに、先生に依存してしまうのか、情報を自分なりに考えていけるのか対等になるには、全てが必要であるのかなと思いました。やはり依存する人とされる人の完全に上下の関係は美しくないとあらためて思いました。
  • 2006/06/09-06:41:04
  • 投稿者 : yk
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[C2127] >巌流島・・「教える」

>相手は負けますが、屈辱に耐えられず、切腹します。
ショックです(汗)酷すぎます、小次郎は。

TDLに勤めていたときに、はじめて人に教える役職につきました。
ある時、以前自分が教えていた後輩が、自分なんかよりずっと
丁寧な作業をしていることに気づき、自分の存在がグラつきました。
この後輩のみならず、すべての後輩と口がきけなくなりました。
よっぽど自分を恥じたのだと思います。

ずっと悩んだあげく、ポッと意識が突き抜ける瞬間があって、
「教える」立場からの「上から目線」を止めたんです。
業務情報の提供、、私が知っていることを分かち合うという
スタンスで、仕事を続けることにしました。

「教える」から「情報の提供」にかえたことで、後輩が感じる
プレッシャーが軽減されたようで、わからないことがあると
すぐにたずねてくるようになりました。わからないことをいつでも
確認できる体制が功を奏し、職場全体のミスが減って、
会社から褒められました。

「提供する」というスタンスは、下からの良い情報を受取ることも
できて、確かにお得です。「教える」だけでは得られないモノが
数多くあることを知ったのでした。




>巌流島・・「感謝」
いや~、なんだかぞわっとしました(冷汗)
そうです、小次郎のように鼻持ちならないヤツだからこそ、
「ありがとう」を言わねばならないのです。

しかも、ある程度の回数を言い終えると、小次郎的感覚が
見事に復活して、「ありがとう」を言う行為そのものにも、
鼻持ちならない感が付きまといます。
それが「レベルの低いヤツめ」などの、精神世界系住人達
特有の、冷た~い視線デス(爆)

「ありがとう」をむやみやたらと言う人は、
わざわざ言わなくてはならないほど「良いこと」の無さに
切羽詰っていて、臨時収入を得るためなどとセコイこと言っては、
他人の家の便所掃除までする、イタイ人達なのかもしれません。

武蔵的感覚では、今更感謝する必要もないかもしれません。
まして、たかが小銭目当てに便所掃除などはしません。
 



>巌流島・・武蔵と小次郎にとっての「私」とは?
自分の中で、どーしよーもないほど「よくデキた」と思える出来事って、
「自分」が真ん中にいないことがほとんどです。
武蔵同様、いろんなモノが関与した結果なんだと思います。
この時にも、後から考えても、それが自分の実力のみでないことが
すごーくよくわかっているのです。自分が開いていたことも、です。

もともと得意なことって、自分の中に入ってしまいやすく、結果が
よくても小次郎のように、誰かに感謝することなどないと思います。
自分にも、そういう一面はあります。
得意なことって、向かい合う際は要注意です。閉じてしまいがちに
なります。そーゆー意味では、得意なことほど褒められない方が、
自分にはいいのかもしれません。



>巌流島・・「お前は弱い」は否定じゃない
「お前は弱い」は否定じゃないです。
「お前のテストの点数はいつも低い」は否定じゃないです。
「お前はノロい」は否定じゃないです。
「お前は太っている」は否定じゃないです。
「お前は口が臭い」は否定じゃないです。

「魂の格を上げなさい」とは、今の私を否定しています。
「愛の度数を上げなさい」とは、今の私を否定しています。
「霊性を奉仕によって磨きなさい」とは、今の私を否定しています。
「我を制し、調和のレベルを上げなさい」とは、今の私を否定しています。

「ポジティブな言葉かけ教」の信者達は、たかが状況の説明すら
悪意に満ちた否定文として認識するようです。
子どもの創造性を破壊し、愛と調和を蝕む元凶として、それらを
忌み嫌います。
そして、いざ子どもに向ける甘美なる珠玉の言葉の数々こそが、
子どもを否定していることに気づかずにいるのです。

[C2125] >小次郎は、剣術を教えることを職業とし始めます。

武蔵は土地の開墾もやったし、剣術以外のことで結構生きてました。生きることがメインで、剣は大事だったとは思うけれど、サブだったような気がします。小次郎は、教えてしまうと、もう剣術一色で生きてしまって、他のことはあまり考えないようになってたのではないでしょうか。彼がほんとにすごいのは剣だけなのに、それをすべてにあてはめて、剣のできない人は劣った者だという感覚になってたのではないかと思いました。

あと、「教える」というと、自分のやっているやり方をそのまま伝えることになるので、相手がちょっとでも違うことすると、「自分のと違う」という感覚になってしまって、自分が多く入りすぎて、情報を提供しているだけというふうには考えずらいのではないかと思います。生徒の中にまで、自分を拡大しようとしているかのようです。
  • 2006/06/09-00:21:33
  • 投稿者 :
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[C2124] 教えたがりはたくさんいます。

教えたがり(おせっかいともいう)はいます。
知らないことがあると「え~っ、これ知らんの?」と馬鹿にしたような感じで教えてくれます。

そして、教えたあとで、「ありがとうは?」と強制したり・・そう、うちの家族はほとんどこれです。

情報提供、共に学びあう・・遠い世界のようです。

でも、私の両親は聞いたことだけ答えてました。そういえば・・知らないことは知らないと。なぜ、できたのだろう。というか、教えてやろうという気がなかったせいだ。

なぜ、私は教えたがり・・う~、こんな性格変えたい・・でも変わらない・・自分は馬鹿だと言い聞かせるといいのだろうか・・これって「私は原因」なのか。深みにはまっていってるような・・。

武蔵タイプにあこがれます。でもどう考えても小次郎タイプのようです。

[C2123] 対等とは何か

対等感は、もりけんさんの言う無敵感覚にも通じると思いました。
無敵感覚は根底に下位の問いがあるからだと思います。
私が最近になって、苦手だなあと思う人が少なくなってきたのは、
盲師派推命占術の“情報”のお陰です。
なぜここにこうして私が「自分」だと思って存在しているのか、
何もわからない、誰も知らない、という感覚は、対人関係における
劣等感や恐怖心を薄めるように思えます。
でも対等感覚を持っていないことにおいて、本人には責任が無いと思います。
時空は価値に差が無いとしているのに、「個」における“差異”をなぜ人間は
レベルの上下とみなして区別をしてしまうのか、しかし人間の歴史は人間に
レベルの高低をつけないと成り立たない社会でした。
しかし道教も古い昔からある宗教です。
ハイアラキー社会から水平ネットワーク認識社会へと歴史の転換期に今、
私達はいるのかもしれません。
それが一体何を示しているのかわかりません。
それさえも時空が差異を作り出した結果なのかと思いました。
  • 2006/06/08-22:33:26
  • 投稿者 : イーキン
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[C2122] 教えない、バカにしない、

そもそも、なぜ人間はこんなにも競い合うことが好きなのでしょう?
言論界(言論界って何?)では、誰が一番モノ知りかで競争があるようですし、
スポーツの世界では、誰が一番強いのかで争われ、ビジネスでは、誰が金儲けの才能が
あるのかで今日も話題に事欠きません。(←たぶんです・・・汗)

それは、恐らく不安が原因ではないかとも考えられます。
小次郎は、人に教えれば教えるほど、不安になったのではないでしょうか?
なぜなら、自分より強い誰かが現れたならば、小次郎の面目は失われるでしょうから。
剣豪と崇められ、有名になるに従って、逆にプレッシャーは大きくなっていったのかも
しれません。 小次郎の無意識はいつしか不安で一杯になり、そのはけ口が、自分より
格下の生徒をいじめるというサディスティックな一面となって表れたのでしょうか・・・

いずれにせよ、小次郎は先生になった時点で、かなり危険な状態に置かれたのではない
かと思います。(わかりやすく言うと、”終わった”といっても言い過ぎじゃない?)

さて、不思議研究所のホームページも、こちらのブログも、誰彼の区別なく、すべての
人に門戸が開かれています。 職業や地位も関係なく、全員が意見を寄せています。
それに対し、もりけんさんはある時は怒ったり、斬ったりしながらも、全員と相対して
いるように見受けられます。 (怒るのは、恐らく純粋な怒りだと思いますし、斬った
りできるのも、相手を対等な存在だと認識しているからだと思われます)

能力に関して言えば、もりけんさんの能力はピカ一です。 書かれる内容の質も量も超
ド級です。 本当なら、”最も優れた先生”と呼ばれても不思議ではありません。
ところが、もりけんさんがしていることといえば、本当に「情報を提供する」だけです。
間違っても、誰かを「指導する」なんてことはあり得ません。(時々、指導、指導と連
呼する輩がいますが、あれにはゾッとします)

また、もりけんさんの他に、(先生と呼ばれる人で)誰もが対等に意見を述べ合えるよ
うなサイトを運営している人がいるでしょうか? ほとんどが、書き手が一方的に自説
を述べるばかりだと思います。 もりけんさんのように、訪問者の書き込みに、本気に
なって賛同したり、斬ったりする”先生”がいるでしょうか?

私がもりけんさんを凄いと思うのは、その能力の高さばかりでなく、人は(人以外の存在
も)皆対等だという意識が、すみずみまで行き渡っているところです。
もりけんさんが張るネットワークは、まさに、それそのものだと思います。

[C2121] 巌流島・・「教える」

>相手は負けますが、屈辱に耐えられず、切腹します。
え~、切腹しちゃうんだ・・・って絶句です。汗。。
でもそれくらい小次郎のバカに仕方はすごいのかと思いました。プロで食べてる人は教えなければならない義務感バリバリなのかと思います。しかも小次郎はツバメ返しの腕を持つことで名が通っていたならなおさらなのかと。
小学1の時にピアノ教室に通うことになって。通うのならピアノを買ってくれることになってました。
その日教室に入ればそのまま授業を受けられるようになってました。母は先生に話してあるからやりたかったら授業を受けてきなさいって言って。しかし、教室に入る前に窓から授業風景が見えて。。。ちょっと見ていたら、先生がヒステリックに怒りだして。。この先生は嫌だなって思って帰ってきました。覚えなさいよが前面に出ていたのだと思います。とにかく嫌だって思いました。
武蔵とお通の塾は楽しそうだと思いました。
何でも聞けるように思います。情報を提供するって双方向だと思います。


  • 2006/06/08-21:21:24
  • 投稿者 : Ciel
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[C2120] >教える

9歳くらいだったかな、算数の宿題を姉に質問したら、「こんなのもわかんないでいったい授業中どうしてるの!」と怒られました・・
悲しくてクヤしくて、その場で教えてくれてる内容は頭に入らないし、もう二度と聞くもんか!と心に誓いました。数年経ったある日、弟から「ここがわからん・・」と、やはり算数を持ってこられ・・「この子、ここもわかんないで、この先いったいどうするんだろう・・」と心が冷え冷えしたときようやく、あのときの姉の気持ちがよぉくわかった気がしたものです。
その後、家庭教師やるときや自分の子に対して教えるときは、とにかく内容だけ伝えるよう気をつけたつもりです。教える側の気持ちなど都合は余計なもの、じゃまでしかない、受け取る側にいらぬ心配を与えるものだと思います。

[C2119] >教える

同僚だったものが上になるとそれまでの同僚を馬鹿にするケースがあり
とてもいやな感じでした。
自分はレベルが違うということで上になったと思っていたようです。
教えるということは自分が上だと錯覚が起きやすいです。
力や情報を誇示するのは上であるのを相手に認識させるためだと思います。
情報の伝達が教えることでは自分の地位を守れまいと力を誇示するほうに行きやすいように思いました。
同等であれば情報が行き交う可能性が高いと思います。

[C2118] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/08-20:20:10
  • 投稿者 :
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[C2117] 「教える」

>その場合、「教える」のではなく「情報を提供する」というのが正しいと思います。
 
ネットワーク的と思いました。
情報の「交感」や「「交流」によって何かが引き出される
イメージを抱きます。
一方的に「教えよう」としているところが、どこにも
ないのだと思いました。

[C2116] 巌流島・・「教える」

 教えた事が敗因とは、小次郎の教え方は「教えてやる!」という教え方。自分内だけの知識のくせに、「教えてやる!」という広がりのない教え方だと思います。

 でも、「情報を提供する」教え方だと、自分だけの知識だけでなく、もっと他にいい方法や新しい方法はないかと、いつも周囲にアンテナを張って、自分一人の知識とプラスアルファがあるような教え方だと思います。
 
 そっちの方が、教えてもらう方も楽しい気がします。
威圧的な雰囲気は苦手です。

[C2115] >巌流島・・「教える」

>「情報を提供する」

これは、とても大切なことだなと思います。
もりけんさんの調査した、生まれ変わりの情報を知ったとき、魂に上下もなければ性差もない・・と思いました。
人は、理由も分からず、何度も何度も生まれ変わるという情報をしりました。

教えるというのは、上下関係があることが前提になります。
でも、それがなくなったとき、
生き物は、一つの駒となります。


それを知ったとき、教える・・というエラそうなことはできなくなります。


>生徒から学ぶという態度です。

双方向通信は、時空の秘密を解く鍵になると思います。

教えるという高圧的な態度では、
通信はできないです

情報を開示して、レスポンスしあうことが大切なのだな・・と思います。


[C2114] 教える

 >いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。

自分より「下」と判断することが・・・そもそも違うと思います。
何を持って「下」と判断するのか。

相手を見る基準は、自分自身を中心にして作るのだと思います。
何事も基準は、「自分」です。


自分の基準に合わない時は「教えてあげよう」の態度になるのだと思います。

基準の自分が偉いと思うから、教えることができるのだと思いました。 

[C2113] 小次郎は自分に「誰よりも強い」ということを

課していたように思います。一方武蔵は「もっともっと弱くならなければ」という意識がどこかにあったのではないでしょうか。剣の技術のことではありません。この時空の中でもっともっと自分が弱者にならなければならないということなのだと思います。

もっともっと弱くなって自分が行き倒れの遺体のように土に還る直前まで弱くなる。その瞬間にはきっと渡っていく風の音も虫の声もとてもよく聞こえるのではないかと思います。
  • 2006/06/08-18:56:09
  • 投稿者 : ナイル
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[C2112]  いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。

教えるとは違いますが~~。。。最新情報を入手しておくと。。。うっそ~~!マジマジ~~ほんまに~~!。。と。。井戸端会議等で。。話が弾むと思います~^^気をつけてても~~背の低い人の前で。。「うわ~!!あの人背が高くてかっええや~ん^^」とか。。叫んでるときありまっすうう~~汗汗。。{ホローしますし。。悪気はありません}ので。。3次元では。。360度あちらをたてれば。。こちらがたたずが発生するのは、いたしかたないのでは~とも思えますし。。。。。あ~~。。ちょい。。ずれましたああ。。教えるだったら~~。。どうなんだろ~~。。教える的なもう今はほとんどないような気もしますうう~~。。小学校の、あいうえおぐらいかなああ~う~~ん。。。あ。。。そいえばね。。。「腹切り」で思い出しましたが。。女の人の腸のほうが、男の人より50センチぐらい長かったんかなあ~~ははは~^^やっぱ。。女の人のほうが同じもの食べても吸収率が高いのかなあ。。。表面積ももち。。。高いなあ~~^^もしかしたら。。。3次元的にはシフトしやすかったりするのかなあ~~^^
  • 2006/06/08-16:48:25
  • 投稿者 : バニー
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[C2110] >教える

情報を得ることについて
「意図をもって上から伝える→教えてやろう」
になるようです。

教えてやろうの前には隠れた言葉があると思います。
「(私はこれを知っていてすごい。だから知らないお前に)教えてやろう。」

自分が知らない情報や技術を知っていたりすることが、そんなに偉いのかと思ってしまいます。
教えてやろうな人じゃ結局相手のためを思ってなく、自己満足の塊です。

経験値が高くても、本番に弱い人はいるのになぁ。

[C2109] 教える

また来てしまいました(汗)。
というのも、今数年前までの自分を思い出したからです。どういうわけか、自分の周りには、私に教えたがる人ばかりが集まって来ていました。
勉強ならまだしも、人生においての様々な考え方とか判断の仕方とかを、頼みもしないのに、皆教えてくれました。私は嬉しくなかったです、うるさかったです。
だから、聞き流していました。でも、全てそう出来ていたわけでもありませんでした。本気で受け入れようと思ったり、あるいは跳ね除けたり、もしてました。今思うと、私を対等に扱ってなかったんですね、薄々そんな気はしてましたが、今日はっきり分かりました。
最近は誰も教えめいたことを私に言えなくなってきたようで、安堵しています。教えの押し付けは迷惑です、知りたければ自分から聞きに行きます、そうしないではいられない気持になるから。

[C2108] >「教える」

>いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。
程度の低いとか言って・・

子供とかに対して、果して自分は「横」なのか「縦」なのか判らないときがあります(汗)
自分の内面しか見てない人に対しても同様なことを感じてしまいます。
「それだと運から見放されるよ」と思ってしまうときがありますが、このときに精神世界系の人をへたすれば「下」としてバカにしているのではないかとさえ思ってしまうときがします(汗)。
教えるというのは、小次郎のようになってしまうと、それは教えるじゃなくなり、「あ~俺はやっぱり強いんだな~」と感じているだけになっているのかと思います。
対等な関係である世界から考えると、教えるってことはないのかと思います。
併せて教わるってこともないのかと思います。
教えるでなく対話するってことなのかと感じました。
学校にしても、剣塾にしても、そこにあるのは、やはり「ネットワーク」なのかと思いました。

[C2107] >巌流島・・「教える」

武蔵は剣術を「教える」ことなんてできないと思っていたのではないかと思いました。
いつもカットアンドトライでやっていたからです。
周囲から教わることはあっても、自分が教えることなんてできないと・・
情報提供は双方向的な感じがしますが、「教える」というのは一方的で高圧的だと思います。

[C2106] >「教える」のではなく「情報を提供する」

「情報の提供」と思うと、途端に気持ちが軽くなります。
「教える」タイプ・・
小次郎は剣に関して自分を随分と上に位置させていたと思います。
自分の腕を信じて疑わなかった。
共に万全を尽くすであろう命をかけた勝負・・
思い上がることの、手落ち・・を感じました。
  • 2006/06/08-13:10:16
  • 投稿者 : まる
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[C2105] 教える

「おしえる」って言葉の前に、何故か「イケナイことを」とゆう
枕ことばが浮かびました(汗)
誰かの耳元で「・・・!」相手「!!!」といった具合です(笑)
これ「情報」ですね。「裏」とか「秘密」とかは、すぐに頭に入ります。

友だちにはこうやって話すこと、あります・・・(笑)
家族には話せないこと(汗)

私が子どもの頃、塾には通いませんでした。
父とふたり「進○ゼミ」をただ、やる(笑)
決まった時間にテレビを消してとにかく机の前にいる。
たったこれだけでした(汗)
もちろん勉強はしましたが、父はただ横に座っているだけ(汗)
小説を書いたり、本を読んだりしていました。そして、私が
「ワカラナイ」ことがあると、「教えて・・・(?)」くれました。
でも基本的に、父の役割は「消しゴム係」で・・・(汗)
「父から教わったなあ」とゆう記憶は、ありません(ゴメンね)
デッカい地図に綺麗な色のペンで書き込んだり、偽の「テスト」
とかしたり、父はいつでも「本気」だったから面白かったです(笑)
塾に通う子がほとんどでしたが「塾にいきたい!」とか思わなかった。
いや、思ったかもしれないけれど、行きませんでした。

今思えば、あの時、父が「指導」の立場で私に「数学」や「理科」を
教えてくれていたなら、いまこんなに苦労しないのに・・・そう思い
ますが(爆)でも、もう仕方ない。

父は福祉施設の園長さんだった(汗)それなりにエラい(どこが?)
ヒトだったし「教育」をする現場にいたのにあんまり指導者っぽく
なかったと思います(父の自慢だ・・・滝汗)

ああでもいま、父が「指導霊」になって(笑)これを書かせて
いるのかもしれない~・・・(汗)
コワいです(滝汗)






 

 

[C2104]

 >生徒と先生が対等な関係
 >「情報を提供する」
 >「生徒から学ぶという態度」
        ↑
        ↓
   生徒と先生が上下の関係
 
 なぜ上下の関係が駄目なのかなと思いました。
ふと思ったのは、情報が双方向にならないからかなと思います。上下の関係だと、上である先生から一方的に生徒のほうに情報が流れに偏ると思います。
 周囲も先生と持ち上げてくれるようになり情報の流れがやはり偏る傾向にあるのではと思います。
 小次郎は武蔵に敗れてようやく、自分の剣はまだまだという情報に接することができたのではと思います。小次郎ぐらい強くなると情報が入らなくなるのかな、教え子からも学べる姿勢がなかったから剣の上達もともっていたのかもと思います。
 一方、塾で教えていた武蔵は、子供からも学んだということだと思います。もちろん剣の技術を学べるわけではなかったであろうけれど、そのヒントは得ていたのではと想像できます。
 上下の上もある種の快楽があるけれど、土つぼにはまった状態でもあるのかなと思いました。

[C2103]

> しかし教えても、自分をダメにしないタイプもいると思います。それは先生と生徒が対等な関係の時だと思います。その場合、「教える」のではなく「情報を提供する」というのが正しいと思います。
 
…なんというか…そうでないと先生ってボロボロになっちゃうなと思いました。沢山の生徒に与えられる中味なんてないだろうと思います。
 
どうにも自分のこと思い出してて…そういう習い事の先生がいたなと思い出しました。(それるの決定…汗)その先生は作ったものを批判しなかった。基礎技法みたいなのも教えなかった。何をしてたかと言うと…たくさんの素材をあたえるだけだった。で、ほぼ好きなように自由にやらせてた。量だけは豊富だった。でどうなったかというと…私は基礎が身に付いてないのがコンプレックスだったけど…なんでかその方面は…怖いモノなしになってた。(たいしたことないのにね…)そして今思えば基礎なんてつまらんと思ってたのです。(おー自慢だ…ははは…汗)基本というのは…最終ロボットみたいなシステムに負けるとこあると思います。音楽なら(音階を求めるなら)調律したピアノに勝るものなし。なのにみんな必死でそれをするのだ。青筋立てて…(暴言か…汗)そしてソレに価値観ごと縛られていくのだ。コレがいいんだよ…と人間じゃなくなっていく。今思えば先生はそんなことを求めてなかった。ご自身はキッチリ基礎してきたひとだったとおもうけど。視点は目の前の子供の…もっとどっかむこうだった。そして先生自身がどっか「負け」感のある人だったとおもう。技で喰えなかったみたいな。だからいまでもあの教室がだいすき…。今まで分析したことなかったけど…(最近ブログよんでるとなぜか過去に戻されます。)子供にもこう接してみようかなと…おもいました。あの教室がなかったら…18歳まで生きながら死んでたかもと思います。マジメだから。
 
しかし…こういう体験があったのに自分の人生はなぜそれから分離しているのだろう。「私が原因」だと(そのころそれしかナイです)絶対見えないのだろうかと思いました。そしてここまで毎日書き込んでも…私は…いまなお原因世界に着地してんだと思いました。頭が熱くなってて見えてないんだと思いました。
 
>しかし私が知る限り、武蔵は剣術で食べてはいなかったと思います。しかも人に教えてはいなかったとも思います。
 
武蔵なら何やったって最低限食べられただろうと思うし、そんなところに無駄な力を使わないように思いました。小次郎は…サラリーマンだったのか…上司もいただろうし…気がそがれて大変だったろうなと思います

[C2102] >巌流島・・「教える」

同じ教えるでも、武蔵は子供の読み書きを教えていたということで、幅広い感じです。一方、小次郎は自分の得意な剣を教えていた、さらに、自分より「下」のものをばかにしていたということで、視野が狭い感じです。お通と一緒に子供に読み書きを教えることは、武蔵もいろいろ学ぶ事が多かったのではないかと思います。

[C2101] 「情報を提供する」って

 
いい言葉だなぁ~と思います。
自分が情報として持っているものを、ただ見せるという感じです。
先生がそういうスタンスなら、生徒も萎縮しないでどんどん情報提供を
求めるだろうと思います。
 
先生と呼ばれる人ならば、その分野での能力は高いと思います。
でもそのことを、情報を提供される側の生徒に思い知らせてやり込める
のは、余計な事を通り越して、生徒の勉強の妨害です。
 
今勉強中の生徒と既に勉強を終えている自分(先生)を比較して生徒をバ
カにして、そんなわかりきった結果に自己満足を得て嬉しいの?と思っ
てしまいます。
 
小次郎だって、挑戦してきた生徒と同じ道具で戦って生徒にギャフンと
言わせればよかったんです。そうすれば生徒は自分の現実を知ることが
出来たのにと思います。
 
生徒をバカにしていなかったら、稽古している中で「こいつの剣さばき
は面白い」と、何か気がつく事もあったかもしれません。

[C2100] >「教える」

知らない人に教えるのにバカにするというのは変ですが、そういうときにマックス「私は原因」のわたしがいるかもです(汗)
それを伝達するだけなのに、よく考えると「結果」なのに特化する意識が働いてしまうのかもと思いました

またまた、メリメリ感です

[C2099]

絵の師匠は小次郎タイプでした・・・・

絵を描くうえでセンスのありなしを人間性にまで喩えられて・・我慢できずに退会する人がほとんどだった。
辞めて良かった。。。。。


対等ってほんとうにすごい事だと思います。
天才も凡才もおなじ・・・うれしい。
でもちょっと天才がうらやましいかも(爆)

世の中を良くしようと言う人は対等だなんて思わないのでしょうね。。。。。

う・・・・・ん。武蔵・・・いいですね。。。

(またしても意味不明)

[C2098] > いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。

うわぁ~、耳が痛いですぅ~。ホントニ、あいたたたぁ~。


人に教えるってとっても難しいと思ってました。
特に自分の子供に教えるって、不可能!と思える位。
自分の親に教えてもらっていた時も、苦痛でしたし、自分が自分の子に教える時も、苦痛でした。


他人ならもう少し遠慮が入って優しくなれるんだろうな、とか思ってました。実際他人の子ならいくらでも優しく出来るわよ!と言っていた友人(ピアノの先生)もいました。


身内だと、すぐに「熱く」なってしまって、冷静に楽しく教えられなくなってしまうんです。「どーして、こんなことも分かんないの?」とかいう感情が沸いて来てしまって。
自分でも良くないし、恐ろしいと思うので、止めました。


他人だと遠慮が入る、って、だから、やってる事が悪い事だっていう認識があるんです、あるのに止められない。いちばん始末に悪いタイプかもしれません。


>先生と生徒が対等な関係
>「教える」のではなく「情報を提供する」
はぁー、そうなんですよね、こうあるべきだと思います。
『人をバカにする・下に見る・程度が低いと思う』これが根底にあるんですよね、いけません、いけません。
小次郎のこと悪くなんか言えませんよ、自分が現代の小次郎やってるんですから。バカにしている相手よりずっと最低ーな人間になってるんですから。

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巌流島・・「教える」

 小次郎は、剣術を教える事で食べていました。なのでプロの剣術師でした。
 しかもお城に雇われて、サラリーマンしていました。
 
 しかし私が知る限り、武蔵は剣術で食べてはいなかったと思います。しかも人に教えてはいなかったとも思います。
 
 武蔵は江戸に行ったとき、子供相手に読み書きを教える塾を開いています。お通と一緒に・・です。
 
 かたや小次郎は、剣術を教えることを職業とし始めます。
 
 教えたことが小次郎の敗因かも知れません。
 
しかし教えても、自分をダメにしないタイプもいると思います。それは先生と生徒が対等な関係の時だと思います。その場合、「教える」のではなく「情報を提供する」というのが正しいと思います。
 
 もうひとつ、あります。
 生徒から学ぶという態度です。
 NHKのドラマで小次郎は、生徒をバカにしきっていました。
 挑戦してきた相手に対して
「お前なんか、小刀でたくさんだ」
 と言って、物干し竿すら、抜きませんでした。
 相手は負けますが、屈辱に耐えられず、切腹します。
 
 いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。
 程度の低いとか言って・・
 
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35件のコメント

[C2179] 教える

 「教える」って何だろうと考えた時、自分が過去に習得してきた技術や知識、つまり相手が知らなくて、自分が知っている情報をもりけんさんがおっしゃるように「提供する」のが核になっていると思います。
 ただ、「教える」の方が、「これは、正しい事だから鵜呑みにしなさい。」という様な押し付けがましさがあります。
 親は、一様子供に教える事になっています。(笑)「教える」時の有り様を考えると・・・
 先日、高校の保護者バスツアーで水族館に行った時
「ああ、何度も子供と来ていたけれど、今まで自分が見ていたのは魚じゃなくて、魚を見ている子供だったんだわ。」と気付きました。子供も魚を見て嬉しいけれど、親と出かけるより、友達のはずだと思いました。
 一方で、子供の成長と一緒にその年代のテレビ番組を楽しめる時もありました。そういう時は、私もきっとその年代に還っていたのだと思います。「なんだ、嵌まっているよ。」とか何処か嬉しそうに指摘されます。(爆)
 人にものを教える場合、どこかで、相手の年代に還ったり、相手が初心者なら、自分も初心の頃に戻って、一緒に情報を提供しながら学ぶというのが、もりけんさんのおっしゃる生徒から学んで、対等な関係と言う事だと思います。
 
 みんな、一人一人の個性があります。これが、様々な視点です。様々な人生です。対等に自分にないものを学ぼうとしたらいくらでもあります。何処かで、これが分かっていながら、「知っている」「できる」事=「便利」「役に立つ」事に価値観が偏っているのだと思います。

 だから、「知っている」「できる」先生になると、自分が偉く、立派になった様な気になって生徒を下に見るようになります。「知っている」「できる」に労力をつぎ込んで
所謂、先生バカになるのだと思います。
そして、何がしかのトップになれば、今度は弟子を増やして更に上を目指すのだと思います。

 より上位を目指す事の一つに「教える」というのがあると思います。
 アセンションして、優等星に行ってもなんら今と変わりません。「教える人」と「教えられる人」、「できる人」と「できない人」に分かれるからです。
 このゲーム、みんなが降りたら、きっと生き易い社会になると思います。でも、降りれないのは、「一度きりの人生、快適に過ごしたい。」と思い、それなりに頑張ってしまいます。(笑)

 「私は結果」だと「上位ゲーム」もがが~~~んです。(爆)

[C2167] >巌流島・・「教える」

「教える」という行為には、相手にこうなって欲しいという意図があるように思います。
それに相手が答えなかった場合、いらいらしたり、怒ったり、相手を否定したり、せっかく教えてるのに・・となりそうです。

また、特に、自分の得意分野とか、がんばってきたことを、教えたりすると、こうなるはず、こうあるべきなどが強くなり、ますますがんじがらめな感じがします。

そんな状況ではますます「対等」「情報提供」から遠ざかる気がします。

相手と対等でなく、教えるということをしていれば・・だめになるのは、教えてる側ではないかと思いました。

[C2145] 教える

教える立場をゲットするとき、いっぱしの人として、一丁あがり!な気持ちがあると思います。

教えることがある場合は、完成したという感覚があると思います。

教え始めると、自分で自分に法則を作らないと、生徒が真似できないかもしれません。

先生になると、未知の相手に対して弱くなりそうです。

[C2141]

教えるタイプの人ってのは、
自分が「偉い」「上」ってことを証明したいが為に教えてる。
って面もあるのかと思いました。
そういう自分もつい人に教えてしまおうとして、ダメダメって思ったりします。
「教える」より「情報提供」 これなら対等ですね。
  • 2006/06/09-13:09:06
  • 投稿者 : まっす~
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[C2131] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/06/09-09:34:28
  • 投稿者 :
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[C2130]

立場だけは・・・・「教える」立場にあるんだけど・・・・
生徒に見下されてます(超滝汗)


「ちょっとゥ・・935先生答えみるとこ間違えてるんジャン?(怒)」
とか・・・・怒られてます(泣)


>相手は負けますが、屈辱に耐えられず、切腹します。

 酷評されて,自殺した画家がいたっけ・・・・・・・
いつも時代も生ききるのは大変なんだな。。。。。。


[C2129] 教えると情報を提供する

 教えると情報を提供するとでは、上下の関係と対等の関係とまさに違う世界が広がってます。そういう世界観を持てるのは、やはり受け取る側の責任もでてくると思いました。たんに、先生に依存してしまうのか、情報を自分なりに考えていけるのか対等になるには、全てが必要であるのかなと思いました。やはり依存する人とされる人の完全に上下の関係は美しくないとあらためて思いました。
  • 2006/06/09-06:41:04
  • 投稿者 : yk
  • URL
  • 編集

[C2127] >巌流島・・「教える」

>相手は負けますが、屈辱に耐えられず、切腹します。
ショックです(汗)酷すぎます、小次郎は。

TDLに勤めていたときに、はじめて人に教える役職につきました。
ある時、以前自分が教えていた後輩が、自分なんかよりずっと
丁寧な作業をしていることに気づき、自分の存在がグラつきました。
この後輩のみならず、すべての後輩と口がきけなくなりました。
よっぽど自分を恥じたのだと思います。

ずっと悩んだあげく、ポッと意識が突き抜ける瞬間があって、
「教える」立場からの「上から目線」を止めたんです。
業務情報の提供、、私が知っていることを分かち合うという
スタンスで、仕事を続けることにしました。

「教える」から「情報の提供」にかえたことで、後輩が感じる
プレッシャーが軽減されたようで、わからないことがあると
すぐにたずねてくるようになりました。わからないことをいつでも
確認できる体制が功を奏し、職場全体のミスが減って、
会社から褒められました。

「提供する」というスタンスは、下からの良い情報を受取ることも
できて、確かにお得です。「教える」だけでは得られないモノが
数多くあることを知ったのでした。




>巌流島・・「感謝」
いや~、なんだかぞわっとしました(冷汗)
そうです、小次郎のように鼻持ちならないヤツだからこそ、
「ありがとう」を言わねばならないのです。

しかも、ある程度の回数を言い終えると、小次郎的感覚が
見事に復活して、「ありがとう」を言う行為そのものにも、
鼻持ちならない感が付きまといます。
それが「レベルの低いヤツめ」などの、精神世界系住人達
特有の、冷た~い視線デス(爆)

「ありがとう」をむやみやたらと言う人は、
わざわざ言わなくてはならないほど「良いこと」の無さに
切羽詰っていて、臨時収入を得るためなどとセコイこと言っては、
他人の家の便所掃除までする、イタイ人達なのかもしれません。

武蔵的感覚では、今更感謝する必要もないかもしれません。
まして、たかが小銭目当てに便所掃除などはしません。
 



>巌流島・・武蔵と小次郎にとっての「私」とは?
自分の中で、どーしよーもないほど「よくデキた」と思える出来事って、
「自分」が真ん中にいないことがほとんどです。
武蔵同様、いろんなモノが関与した結果なんだと思います。
この時にも、後から考えても、それが自分の実力のみでないことが
すごーくよくわかっているのです。自分が開いていたことも、です。

もともと得意なことって、自分の中に入ってしまいやすく、結果が
よくても小次郎のように、誰かに感謝することなどないと思います。
自分にも、そういう一面はあります。
得意なことって、向かい合う際は要注意です。閉じてしまいがちに
なります。そーゆー意味では、得意なことほど褒められない方が、
自分にはいいのかもしれません。



>巌流島・・「お前は弱い」は否定じゃない
「お前は弱い」は否定じゃないです。
「お前のテストの点数はいつも低い」は否定じゃないです。
「お前はノロい」は否定じゃないです。
「お前は太っている」は否定じゃないです。
「お前は口が臭い」は否定じゃないです。

「魂の格を上げなさい」とは、今の私を否定しています。
「愛の度数を上げなさい」とは、今の私を否定しています。
「霊性を奉仕によって磨きなさい」とは、今の私を否定しています。
「我を制し、調和のレベルを上げなさい」とは、今の私を否定しています。

「ポジティブな言葉かけ教」の信者達は、たかが状況の説明すら
悪意に満ちた否定文として認識するようです。
子どもの創造性を破壊し、愛と調和を蝕む元凶として、それらを
忌み嫌います。
そして、いざ子どもに向ける甘美なる珠玉の言葉の数々こそが、
子どもを否定していることに気づかずにいるのです。

[C2125] >小次郎は、剣術を教えることを職業とし始めます。

武蔵は土地の開墾もやったし、剣術以外のことで結構生きてました。生きることがメインで、剣は大事だったとは思うけれど、サブだったような気がします。小次郎は、教えてしまうと、もう剣術一色で生きてしまって、他のことはあまり考えないようになってたのではないでしょうか。彼がほんとにすごいのは剣だけなのに、それをすべてにあてはめて、剣のできない人は劣った者だという感覚になってたのではないかと思いました。

あと、「教える」というと、自分のやっているやり方をそのまま伝えることになるので、相手がちょっとでも違うことすると、「自分のと違う」という感覚になってしまって、自分が多く入りすぎて、情報を提供しているだけというふうには考えずらいのではないかと思います。生徒の中にまで、自分を拡大しようとしているかのようです。
  • 2006/06/09-00:21:33
  • 投稿者 :
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[C2124] 教えたがりはたくさんいます。

教えたがり(おせっかいともいう)はいます。
知らないことがあると「え~っ、これ知らんの?」と馬鹿にしたような感じで教えてくれます。

そして、教えたあとで、「ありがとうは?」と強制したり・・そう、うちの家族はほとんどこれです。

情報提供、共に学びあう・・遠い世界のようです。

でも、私の両親は聞いたことだけ答えてました。そういえば・・知らないことは知らないと。なぜ、できたのだろう。というか、教えてやろうという気がなかったせいだ。

なぜ、私は教えたがり・・う~、こんな性格変えたい・・でも変わらない・・自分は馬鹿だと言い聞かせるといいのだろうか・・これって「私は原因」なのか。深みにはまっていってるような・・。

武蔵タイプにあこがれます。でもどう考えても小次郎タイプのようです。

[C2123] 対等とは何か

対等感は、もりけんさんの言う無敵感覚にも通じると思いました。
無敵感覚は根底に下位の問いがあるからだと思います。
私が最近になって、苦手だなあと思う人が少なくなってきたのは、
盲師派推命占術の“情報”のお陰です。
なぜここにこうして私が「自分」だと思って存在しているのか、
何もわからない、誰も知らない、という感覚は、対人関係における
劣等感や恐怖心を薄めるように思えます。
でも対等感覚を持っていないことにおいて、本人には責任が無いと思います。
時空は価値に差が無いとしているのに、「個」における“差異”をなぜ人間は
レベルの上下とみなして区別をしてしまうのか、しかし人間の歴史は人間に
レベルの高低をつけないと成り立たない社会でした。
しかし道教も古い昔からある宗教です。
ハイアラキー社会から水平ネットワーク認識社会へと歴史の転換期に今、
私達はいるのかもしれません。
それが一体何を示しているのかわかりません。
それさえも時空が差異を作り出した結果なのかと思いました。
  • 2006/06/08-22:33:26
  • 投稿者 : イーキン
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[C2122] 教えない、バカにしない、

そもそも、なぜ人間はこんなにも競い合うことが好きなのでしょう?
言論界(言論界って何?)では、誰が一番モノ知りかで競争があるようですし、
スポーツの世界では、誰が一番強いのかで争われ、ビジネスでは、誰が金儲けの才能が
あるのかで今日も話題に事欠きません。(←たぶんです・・・汗)

それは、恐らく不安が原因ではないかとも考えられます。
小次郎は、人に教えれば教えるほど、不安になったのではないでしょうか?
なぜなら、自分より強い誰かが現れたならば、小次郎の面目は失われるでしょうから。
剣豪と崇められ、有名になるに従って、逆にプレッシャーは大きくなっていったのかも
しれません。 小次郎の無意識はいつしか不安で一杯になり、そのはけ口が、自分より
格下の生徒をいじめるというサディスティックな一面となって表れたのでしょうか・・・

いずれにせよ、小次郎は先生になった時点で、かなり危険な状態に置かれたのではない
かと思います。(わかりやすく言うと、”終わった”といっても言い過ぎじゃない?)

さて、不思議研究所のホームページも、こちらのブログも、誰彼の区別なく、すべての
人に門戸が開かれています。 職業や地位も関係なく、全員が意見を寄せています。
それに対し、もりけんさんはある時は怒ったり、斬ったりしながらも、全員と相対して
いるように見受けられます。 (怒るのは、恐らく純粋な怒りだと思いますし、斬った
りできるのも、相手を対等な存在だと認識しているからだと思われます)

能力に関して言えば、もりけんさんの能力はピカ一です。 書かれる内容の質も量も超
ド級です。 本当なら、”最も優れた先生”と呼ばれても不思議ではありません。
ところが、もりけんさんがしていることといえば、本当に「情報を提供する」だけです。
間違っても、誰かを「指導する」なんてことはあり得ません。(時々、指導、指導と連
呼する輩がいますが、あれにはゾッとします)

また、もりけんさんの他に、(先生と呼ばれる人で)誰もが対等に意見を述べ合えるよ
うなサイトを運営している人がいるでしょうか? ほとんどが、書き手が一方的に自説
を述べるばかりだと思います。 もりけんさんのように、訪問者の書き込みに、本気に
なって賛同したり、斬ったりする”先生”がいるでしょうか?

私がもりけんさんを凄いと思うのは、その能力の高さばかりでなく、人は(人以外の存在
も)皆対等だという意識が、すみずみまで行き渡っているところです。
もりけんさんが張るネットワークは、まさに、それそのものだと思います。

[C2121] 巌流島・・「教える」

>相手は負けますが、屈辱に耐えられず、切腹します。
え~、切腹しちゃうんだ・・・って絶句です。汗。。
でもそれくらい小次郎のバカに仕方はすごいのかと思いました。プロで食べてる人は教えなければならない義務感バリバリなのかと思います。しかも小次郎はツバメ返しの腕を持つことで名が通っていたならなおさらなのかと。
小学1の時にピアノ教室に通うことになって。通うのならピアノを買ってくれることになってました。
その日教室に入ればそのまま授業を受けられるようになってました。母は先生に話してあるからやりたかったら授業を受けてきなさいって言って。しかし、教室に入る前に窓から授業風景が見えて。。。ちょっと見ていたら、先生がヒステリックに怒りだして。。この先生は嫌だなって思って帰ってきました。覚えなさいよが前面に出ていたのだと思います。とにかく嫌だって思いました。
武蔵とお通の塾は楽しそうだと思いました。
何でも聞けるように思います。情報を提供するって双方向だと思います。


  • 2006/06/08-21:21:24
  • 投稿者 : Ciel
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[C2120] >教える

9歳くらいだったかな、算数の宿題を姉に質問したら、「こんなのもわかんないでいったい授業中どうしてるの!」と怒られました・・
悲しくてクヤしくて、その場で教えてくれてる内容は頭に入らないし、もう二度と聞くもんか!と心に誓いました。数年経ったある日、弟から「ここがわからん・・」と、やはり算数を持ってこられ・・「この子、ここもわかんないで、この先いったいどうするんだろう・・」と心が冷え冷えしたときようやく、あのときの姉の気持ちがよぉくわかった気がしたものです。
その後、家庭教師やるときや自分の子に対して教えるときは、とにかく内容だけ伝えるよう気をつけたつもりです。教える側の気持ちなど都合は余計なもの、じゃまでしかない、受け取る側にいらぬ心配を与えるものだと思います。

[C2119] >教える

同僚だったものが上になるとそれまでの同僚を馬鹿にするケースがあり
とてもいやな感じでした。
自分はレベルが違うということで上になったと思っていたようです。
教えるということは自分が上だと錯覚が起きやすいです。
力や情報を誇示するのは上であるのを相手に認識させるためだと思います。
情報の伝達が教えることでは自分の地位を守れまいと力を誇示するほうに行きやすいように思いました。
同等であれば情報が行き交う可能性が高いと思います。

[C2118] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/06/08-20:20:10
  • 投稿者 :
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[C2117] 「教える」

>その場合、「教える」のではなく「情報を提供する」というのが正しいと思います。
 
ネットワーク的と思いました。
情報の「交感」や「「交流」によって何かが引き出される
イメージを抱きます。
一方的に「教えよう」としているところが、どこにも
ないのだと思いました。

[C2116] 巌流島・・「教える」

 教えた事が敗因とは、小次郎の教え方は「教えてやる!」という教え方。自分内だけの知識のくせに、「教えてやる!」という広がりのない教え方だと思います。

 でも、「情報を提供する」教え方だと、自分だけの知識だけでなく、もっと他にいい方法や新しい方法はないかと、いつも周囲にアンテナを張って、自分一人の知識とプラスアルファがあるような教え方だと思います。
 
 そっちの方が、教えてもらう方も楽しい気がします。
威圧的な雰囲気は苦手です。

[C2115] >巌流島・・「教える」

>「情報を提供する」

これは、とても大切なことだなと思います。
もりけんさんの調査した、生まれ変わりの情報を知ったとき、魂に上下もなければ性差もない・・と思いました。
人は、理由も分からず、何度も何度も生まれ変わるという情報をしりました。

教えるというのは、上下関係があることが前提になります。
でも、それがなくなったとき、
生き物は、一つの駒となります。


それを知ったとき、教える・・というエラそうなことはできなくなります。


>生徒から学ぶという態度です。

双方向通信は、時空の秘密を解く鍵になると思います。

教えるという高圧的な態度では、
通信はできないです

情報を開示して、レスポンスしあうことが大切なのだな・・と思います。


[C2114] 教える

 >いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。

自分より「下」と判断することが・・・そもそも違うと思います。
何を持って「下」と判断するのか。

相手を見る基準は、自分自身を中心にして作るのだと思います。
何事も基準は、「自分」です。


自分の基準に合わない時は「教えてあげよう」の態度になるのだと思います。

基準の自分が偉いと思うから、教えることができるのだと思いました。 

[C2113] 小次郎は自分に「誰よりも強い」ということを

課していたように思います。一方武蔵は「もっともっと弱くならなければ」という意識がどこかにあったのではないでしょうか。剣の技術のことではありません。この時空の中でもっともっと自分が弱者にならなければならないということなのだと思います。

もっともっと弱くなって自分が行き倒れの遺体のように土に還る直前まで弱くなる。その瞬間にはきっと渡っていく風の音も虫の声もとてもよく聞こえるのではないかと思います。
  • 2006/06/08-18:56:09
  • 投稿者 : ナイル
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[C2112]  いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。

教えるとは違いますが~~。。。最新情報を入手しておくと。。。うっそ~~!マジマジ~~ほんまに~~!。。と。。井戸端会議等で。。話が弾むと思います~^^気をつけてても~~背の低い人の前で。。「うわ~!!あの人背が高くてかっええや~ん^^」とか。。叫んでるときありまっすうう~~汗汗。。{ホローしますし。。悪気はありません}ので。。3次元では。。360度あちらをたてれば。。こちらがたたずが発生するのは、いたしかたないのでは~とも思えますし。。。。。あ~~。。ちょい。。ずれましたああ。。教えるだったら~~。。どうなんだろ~~。。教える的なもう今はほとんどないような気もしますうう~~。。小学校の、あいうえおぐらいかなああ~う~~ん。。。あ。。。そいえばね。。。「腹切り」で思い出しましたが。。女の人の腸のほうが、男の人より50センチぐらい長かったんかなあ~~ははは~^^やっぱ。。女の人のほうが同じもの食べても吸収率が高いのかなあ。。。表面積ももち。。。高いなあ~~^^もしかしたら。。。3次元的にはシフトしやすかったりするのかなあ~~^^
  • 2006/06/08-16:48:25
  • 投稿者 : バニー
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[C2110] >教える

情報を得ることについて
「意図をもって上から伝える→教えてやろう」
になるようです。

教えてやろうの前には隠れた言葉があると思います。
「(私はこれを知っていてすごい。だから知らないお前に)教えてやろう。」

自分が知らない情報や技術を知っていたりすることが、そんなに偉いのかと思ってしまいます。
教えてやろうな人じゃ結局相手のためを思ってなく、自己満足の塊です。

経験値が高くても、本番に弱い人はいるのになぁ。

[C2109] 教える

また来てしまいました(汗)。
というのも、今数年前までの自分を思い出したからです。どういうわけか、自分の周りには、私に教えたがる人ばかりが集まって来ていました。
勉強ならまだしも、人生においての様々な考え方とか判断の仕方とかを、頼みもしないのに、皆教えてくれました。私は嬉しくなかったです、うるさかったです。
だから、聞き流していました。でも、全てそう出来ていたわけでもありませんでした。本気で受け入れようと思ったり、あるいは跳ね除けたり、もしてました。今思うと、私を対等に扱ってなかったんですね、薄々そんな気はしてましたが、今日はっきり分かりました。
最近は誰も教えめいたことを私に言えなくなってきたようで、安堵しています。教えの押し付けは迷惑です、知りたければ自分から聞きに行きます、そうしないではいられない気持になるから。

[C2108] >「教える」

>いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。
程度の低いとか言って・・

子供とかに対して、果して自分は「横」なのか「縦」なのか判らないときがあります(汗)
自分の内面しか見てない人に対しても同様なことを感じてしまいます。
「それだと運から見放されるよ」と思ってしまうときがありますが、このときに精神世界系の人をへたすれば「下」としてバカにしているのではないかとさえ思ってしまうときがします(汗)。
教えるというのは、小次郎のようになってしまうと、それは教えるじゃなくなり、「あ~俺はやっぱり強いんだな~」と感じているだけになっているのかと思います。
対等な関係である世界から考えると、教えるってことはないのかと思います。
併せて教わるってこともないのかと思います。
教えるでなく対話するってことなのかと感じました。
学校にしても、剣塾にしても、そこにあるのは、やはり「ネットワーク」なのかと思いました。

[C2107] >巌流島・・「教える」

武蔵は剣術を「教える」ことなんてできないと思っていたのではないかと思いました。
いつもカットアンドトライでやっていたからです。
周囲から教わることはあっても、自分が教えることなんてできないと・・
情報提供は双方向的な感じがしますが、「教える」というのは一方的で高圧的だと思います。

[C2106] >「教える」のではなく「情報を提供する」

「情報の提供」と思うと、途端に気持ちが軽くなります。
「教える」タイプ・・
小次郎は剣に関して自分を随分と上に位置させていたと思います。
自分の腕を信じて疑わなかった。
共に万全を尽くすであろう命をかけた勝負・・
思い上がることの、手落ち・・を感じました。
  • 2006/06/08-13:10:16
  • 投稿者 : まる
  • URL
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[C2105] 教える

「おしえる」って言葉の前に、何故か「イケナイことを」とゆう
枕ことばが浮かびました(汗)
誰かの耳元で「・・・!」相手「!!!」といった具合です(笑)
これ「情報」ですね。「裏」とか「秘密」とかは、すぐに頭に入ります。

友だちにはこうやって話すこと、あります・・・(笑)
家族には話せないこと(汗)

私が子どもの頃、塾には通いませんでした。
父とふたり「進○ゼミ」をただ、やる(笑)
決まった時間にテレビを消してとにかく机の前にいる。
たったこれだけでした(汗)
もちろん勉強はしましたが、父はただ横に座っているだけ(汗)
小説を書いたり、本を読んだりしていました。そして、私が
「ワカラナイ」ことがあると、「教えて・・・(?)」くれました。
でも基本的に、父の役割は「消しゴム係」で・・・(汗)
「父から教わったなあ」とゆう記憶は、ありません(ゴメンね)
デッカい地図に綺麗な色のペンで書き込んだり、偽の「テスト」
とかしたり、父はいつでも「本気」だったから面白かったです(笑)
塾に通う子がほとんどでしたが「塾にいきたい!」とか思わなかった。
いや、思ったかもしれないけれど、行きませんでした。

今思えば、あの時、父が「指導」の立場で私に「数学」や「理科」を
教えてくれていたなら、いまこんなに苦労しないのに・・・そう思い
ますが(爆)でも、もう仕方ない。

父は福祉施設の園長さんだった(汗)それなりにエラい(どこが?)
ヒトだったし「教育」をする現場にいたのにあんまり指導者っぽく
なかったと思います(父の自慢だ・・・滝汗)

ああでもいま、父が「指導霊」になって(笑)これを書かせて
いるのかもしれない~・・・(汗)
コワいです(滝汗)






 

 

[C2104]

 >生徒と先生が対等な関係
 >「情報を提供する」
 >「生徒から学ぶという態度」
        ↑
        ↓
   生徒と先生が上下の関係
 
 なぜ上下の関係が駄目なのかなと思いました。
ふと思ったのは、情報が双方向にならないからかなと思います。上下の関係だと、上である先生から一方的に生徒のほうに情報が流れに偏ると思います。
 周囲も先生と持ち上げてくれるようになり情報の流れがやはり偏る傾向にあるのではと思います。
 小次郎は武蔵に敗れてようやく、自分の剣はまだまだという情報に接することができたのではと思います。小次郎ぐらい強くなると情報が入らなくなるのかな、教え子からも学べる姿勢がなかったから剣の上達もともっていたのかもと思います。
 一方、塾で教えていた武蔵は、子供からも学んだということだと思います。もちろん剣の技術を学べるわけではなかったであろうけれど、そのヒントは得ていたのではと想像できます。
 上下の上もある種の快楽があるけれど、土つぼにはまった状態でもあるのかなと思いました。

[C2103]

> しかし教えても、自分をダメにしないタイプもいると思います。それは先生と生徒が対等な関係の時だと思います。その場合、「教える」のではなく「情報を提供する」というのが正しいと思います。
 
…なんというか…そうでないと先生ってボロボロになっちゃうなと思いました。沢山の生徒に与えられる中味なんてないだろうと思います。
 
どうにも自分のこと思い出してて…そういう習い事の先生がいたなと思い出しました。(それるの決定…汗)その先生は作ったものを批判しなかった。基礎技法みたいなのも教えなかった。何をしてたかと言うと…たくさんの素材をあたえるだけだった。で、ほぼ好きなように自由にやらせてた。量だけは豊富だった。でどうなったかというと…私は基礎が身に付いてないのがコンプレックスだったけど…なんでかその方面は…怖いモノなしになってた。(たいしたことないのにね…)そして今思えば基礎なんてつまらんと思ってたのです。(おー自慢だ…ははは…汗)基本というのは…最終ロボットみたいなシステムに負けるとこあると思います。音楽なら(音階を求めるなら)調律したピアノに勝るものなし。なのにみんな必死でそれをするのだ。青筋立てて…(暴言か…汗)そしてソレに価値観ごと縛られていくのだ。コレがいいんだよ…と人間じゃなくなっていく。今思えば先生はそんなことを求めてなかった。ご自身はキッチリ基礎してきたひとだったとおもうけど。視点は目の前の子供の…もっとどっかむこうだった。そして先生自身がどっか「負け」感のある人だったとおもう。技で喰えなかったみたいな。だからいまでもあの教室がだいすき…。今まで分析したことなかったけど…(最近ブログよんでるとなぜか過去に戻されます。)子供にもこう接してみようかなと…おもいました。あの教室がなかったら…18歳まで生きながら死んでたかもと思います。マジメだから。
 
しかし…こういう体験があったのに自分の人生はなぜそれから分離しているのだろう。「私が原因」だと(そのころそれしかナイです)絶対見えないのだろうかと思いました。そしてここまで毎日書き込んでも…私は…いまなお原因世界に着地してんだと思いました。頭が熱くなってて見えてないんだと思いました。
 
>しかし私が知る限り、武蔵は剣術で食べてはいなかったと思います。しかも人に教えてはいなかったとも思います。
 
武蔵なら何やったって最低限食べられただろうと思うし、そんなところに無駄な力を使わないように思いました。小次郎は…サラリーマンだったのか…上司もいただろうし…気がそがれて大変だったろうなと思います

[C2102] >巌流島・・「教える」

同じ教えるでも、武蔵は子供の読み書きを教えていたということで、幅広い感じです。一方、小次郎は自分の得意な剣を教えていた、さらに、自分より「下」のものをばかにしていたということで、視野が狭い感じです。お通と一緒に子供に読み書きを教えることは、武蔵もいろいろ学ぶ事が多かったのではないかと思います。

[C2101] 「情報を提供する」って

 
いい言葉だなぁ~と思います。
自分が情報として持っているものを、ただ見せるという感じです。
先生がそういうスタンスなら、生徒も萎縮しないでどんどん情報提供を
求めるだろうと思います。
 
先生と呼ばれる人ならば、その分野での能力は高いと思います。
でもそのことを、情報を提供される側の生徒に思い知らせてやり込める
のは、余計な事を通り越して、生徒の勉強の妨害です。
 
今勉強中の生徒と既に勉強を終えている自分(先生)を比較して生徒をバ
カにして、そんなわかりきった結果に自己満足を得て嬉しいの?と思っ
てしまいます。
 
小次郎だって、挑戦してきた生徒と同じ道具で戦って生徒にギャフンと
言わせればよかったんです。そうすれば生徒は自分の現実を知ることが
出来たのにと思います。
 
生徒をバカにしていなかったら、稽古している中で「こいつの剣さばき
は面白い」と、何か気がつく事もあったかもしれません。

[C2100] >「教える」

知らない人に教えるのにバカにするというのは変ですが、そういうときにマックス「私は原因」のわたしがいるかもです(汗)
それを伝達するだけなのに、よく考えると「結果」なのに特化する意識が働いてしまうのかもと思いました

またまた、メリメリ感です

[C2099]

絵の師匠は小次郎タイプでした・・・・

絵を描くうえでセンスのありなしを人間性にまで喩えられて・・我慢できずに退会する人がほとんどだった。
辞めて良かった。。。。。


対等ってほんとうにすごい事だと思います。
天才も凡才もおなじ・・・うれしい。
でもちょっと天才がうらやましいかも(爆)

世の中を良くしようと言う人は対等だなんて思わないのでしょうね。。。。。

う・・・・・ん。武蔵・・・いいですね。。。

(またしても意味不明)

[C2098] > いわゆる「教える」タイプの人は、自分より「下」の者が来ると、とたんにバカにするようになるのです。

うわぁ~、耳が痛いですぅ~。ホントニ、あいたたたぁ~。


人に教えるってとっても難しいと思ってました。
特に自分の子供に教えるって、不可能!と思える位。
自分の親に教えてもらっていた時も、苦痛でしたし、自分が自分の子に教える時も、苦痛でした。


他人ならもう少し遠慮が入って優しくなれるんだろうな、とか思ってました。実際他人の子ならいくらでも優しく出来るわよ!と言っていた友人(ピアノの先生)もいました。


身内だと、すぐに「熱く」なってしまって、冷静に楽しく教えられなくなってしまうんです。「どーして、こんなことも分かんないの?」とかいう感情が沸いて来てしまって。
自分でも良くないし、恐ろしいと思うので、止めました。


他人だと遠慮が入る、って、だから、やってる事が悪い事だっていう認識があるんです、あるのに止められない。いちばん始末に悪いタイプかもしれません。


>先生と生徒が対等な関係
>「教える」のではなく「情報を提供する」
はぁー、そうなんですよね、こうあるべきだと思います。
『人をバカにする・下に見る・程度が低いと思う』これが根底にあるんですよね、いけません、いけません。
小次郎のこと悪くなんか言えませんよ、自分が現代の小次郎やってるんですから。バカにしている相手よりずっと最低ーな人間になってるんですから。

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