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[C2446] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/20-22:51:48
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[C2445] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/20-21:22:45
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  • 2006/06/20-20:34:29
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[C2442]

小次郎がきれいに戦うイメージをくずさないのと
比較すると 武蔵は自分のすべてをつぎ込んで
戦っているという感じです。

それもただがむしゃらにすべてをつぎ込むのではなく ここまで計算されているとは 本当に驚きです 

もしかしたら死ぬかもしれないことで
奇麗事は言ってられないと思います
あらゆる情報や知識、直感などを総合的に
使うことが大切だとつくづく感じました

  • 2006/06/20-16:06:39
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[C2441] >「武士」と「賭博師」

「お前は弱い」で原初に立ち返る・・武蔵は原初に立ち返ったと思いました。
原初に立ち返ったあと、まずはがむしゃらに自分を高めようとするかもしれません、
でも、「弱い」は、きっと、ものすごく根源的な事だから、、消えずに残っていたと思います。
そして、、、「鳥の声を聞け」です。鳥の声を聞くことは、周囲との一体化
です。周囲との一体化を徹底的に行うと、視点は自ずと全方位に及ぶのでは
ないかと思いました。
(この反応は、性質によると思いました。ひとつのところ(一方向)に迎合する人も
いると思うからです。でも、まず「弱い」ことに気づけるか気づけないかで、
運命(命運)も変わるのではないかと思いました。きっと、センスする範囲がまったく違って
くるからだと思いました。)

武士道とは(検索してみました)「克己」「忠義」「卑劣な行為を忌む義」「礼儀作法」
「武士の世襲官僚化(!)」・・などなど。。書いてありました。
そういった「生き方」が美しいとされる向きがあったと思います。
ただし、、武蔵の時代は、民衆にしてみれば「そんなこと(武士道という生き方)より日々の
米(生活)が大事だよ!」
というのもあったと思いました。
武士道は・・・一部の特権に与えられた、「生活に余裕のある人が生き方をあそぶ(爆)」
のような気もしました。

すこしそれましたが。。
「弱い」「全方位」は、時空的であり、「民衆的」だったのかもしれないと思いました。
周囲との一体化をして、外側からの信号(オッズ)をうけとり、勝負に臨む時は、
「賭け」だと思いました。
それは、もちろん、真剣な、命がけのものであると思いますが、
同時に、「武士道」よりもずっとずっと根源的なものだったと思いました。
(私は誰がわかるまでは)常に最先端の未来とつながっているものだったのかも、と
思いました。
・・・まだ、考えてみたいと思います。
  • 2006/06/20-14:18:03
  • 投稿者 : マリ
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[C2440] 武蔵の印象

さりげなくなかなかできそうにない武蔵の行動を知るにつけ、「きれい」という印象を、むしろ、持ちます。

[C2439] う~む

「自信」に生きようとした者と
「臆病」と向き合い生きた者の≪戦≫だったのか・・・

人が対峙し≪戦≫が興るのは
「概念:エゴ」を守りたくなったとき・・・
もしくは
対峙した相手の「概念:エゴ」を認めたくないとき・・・

「悪意」は未だ
この世の影に留まっている
即ち
「悪意」という存在は表に大手を振って出てこられるほど
成長力が無いと言うことになる

しかし「正義」は
弊害がないせいか^^直ぐに表に顔を出す
安易な賛同も受けるため^^調子付く
その結果^^行き過ぎる・・・

「戦争」は正義が行き過ぎて起きている

人間が創り出すエネルギーの中で
この世を滅ぼす確率第一位は「正義」^^だと
へそ曲りは^^考えている

美しき考えも^^ほどほどに
神様も^^ほどほどに

力んでいる奴は「いざというとき」に限って
   
         ^^転ぶ^^

影と光はすべての存在の始まりなのだろうか・・・
どちらが「上」では無く
どちらがあなたの「お好み」か?
正直に選択し真摯に結論を飲み込みまた正直に選ぶ

目の前に「今このときの私」は存在する

偉そうなので^^直ぐに消えるかもしれない
それもまた「交わり」

[C2438] 賭けの放棄

>小次郎ははじめからカードを見せていました。それが武士道だ、それが正々堂々だ・・とか言う言葉に酔って・・。

そもそも、小次郎は最初から賭けを放棄していると思いました。
賭け自体を否定しているような感じです。

手持ちの札の何枚かを見せるやり方はあると思いますが、なんか「賭けなんかするな」と勝負の相手に言っているような気がします。

何に賭けるかが重要である気がします。
小次郎は武士としての生き方をまっとうする方に賭けたのだと思います。

しかし武蔵の賭けの対象が途方も無かったのだと思います。
武士という生き方よりも「生きるとはなんだ」みたいな問いのような気がします。

[C2437] 番外編を読んで。。

どこまでも武蔵という人は行き届いていたんだと思いました。小次郎は来ないというためだけに行ったのだから。。。

[C2436] ブタではなくなってたアア。。。

急に。。ホッソリスリムになっちゃったの。。汗汗。。う~~ん。。どんな方法か。。おしえてくれ~~♪♪汗汗。。。もしかして。。。ブタちゃんから。。デブちゃんに。。かわっただけかあもなあ~~(≧(・・)≦)ぶひぶひ~~ははは~~汗汗。。。
  • 2006/06/20-09:13:35
  • 投稿者 : バニー
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[C2435] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/19-23:57:48
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[C2434] ゲームの達人

ルールの決まったゲームの達人小次郎は、ルール以外のことには対応できません。対応できたらルール違反でそのゲームの達人とはいえません。なにせ正々堂々ですから。私は結構これにはまってしまいます。偉そうに説教したりして。恥ずかしいです。 武蔵は自分でゲームを作る達人だと思います。ゲームを作った人は、小次郎の次の動きが読めてしまいます。つまり未来がわかってしまうだと思いました。 

[C2433] 私

私は、もりけんさんの文章を真剣に読んできたでしょうか・・・
残念ながら、そうではなかったと告白しなければなりません。
私には慢心があったと思います。 そのために、もりけんさんや、武蔵や、課長を
侮辱するに等しい文章を書いてしまいました。 >(どうか、お続けください、お
願い致します)のことです。

外側が大事などと知ったつもりになってはいても、私はもりけんさんの文章をない
がしろにしてきたのです。 もっと何度も何度も読んで、理解しようとすべきでした。
しかも、それは、最ももりけんさんの核心に迫るところでした。
最も繊細なところでもありました。 

また、私が書いた次の文章も酷いものです。
>「人生は不条理です。・・理不尽で不平等とも言えます。」と書きました。
もりけんさんを読んでいながら、この文章はありません。 時空のシステムの前では、
誰もが平等なはずでした。 我ながら、恥ずかしく、情けないです。
先の文章といい、これといい、もりけんさんに「こんなヤツに読ませるんじゃなか
った」と思われても仕方ありません。

データ(もりけんさんの文章)を大切にしない・・・それが私でした。
データを読み解くよりも、もりけんさんのスピードについて行くのを優先していま
した。 それは、ついて行けている人は優秀で、ついて行けない人は失格のような
レベル分けをしてたのです。 そして、理解しているかのようなコメントを毎日書
くのが義務になりました。 なんて傲慢でしょうか。 そして、その義務をやり遂
げようとした私は、思い切り「私は原因」になっていました。 

私は、もりけんさんの何を読んでいたのでしょうか?
何よりも、もりけんさんには申し訳なくて、どうすればいいのかわかりません。
ごめんなさい。

[C2432]

>勝ったあと武蔵はわざわざその島に立ち寄り、女に言います。
「待っていてもしようがない」・・と。
 
よく考えたら…わざわざ言いにいったというのはスゴイです。命がけの勝負に送り出した女の心まで慮ったのだとおもいました。しかし恋人を殺した相手にあって冷静でいられるかどうか…う~ん極限の設定で…身の毛がよだちます。しかし…ちょっと↓のカキコは失礼な書き様でした。女性は覚悟してたのかもしれないし…。(しまった…また一人の世界で生意気なことを(滝汗))
武蔵という人は…そこではもし討たれてもしょうがないぐらいの気持ちがあったのかもしれないと思いました。賭博師は…賭博をおりているとき…世間の普通の人より弱い気がします。

[C2431]

お通は…裏切らない…のだろうと思います。
だからこそヒロインなんだと思います。
しかし…武蔵に何かあっても…彼女は以外と淡々と立ち上がる気がします。どちらかと言うとそこに母性とか少女性を感じます。そういうお通でないと武蔵と一緒に「いる」ことができないように思います。(本読んでないのでまたも超所感です(汗))

[C2430]

>すると女は立ち去ります・・。
 
↑たいそう「女」らしいとおもいました。
約束をまもるのは女らしくないというのが個人的感想です。。。女性というのは体に支配されて自由がきかないので、自分も他人も裏切り続けるのが女性性のなかにある気がします。他人との約束守ってたら…壊れると思います。超超感想です。しかしほかの女性がどうかんがえてるかは…わかりません。ちなみに私は「マジメ」ぶってるので女としては超イケテなく…小次郎の彼女には憧れます。(美人みたいだし)
 
今日は…何時にもまして妄想中です。武蔵という人に限らず剣豪はなぜ勝負にいきるのかと思っていました。そこでないと生きてる気がしないんだなと思いました。
小次郎だってそうだったのだと思いました。だけど賭けるところが違ってたのだと思います。オノレをたよりにして…オノレの掛け金を決定して…それをもとに賭場を支配しようとするか…オノレ以外まで土俵にあげて自分の掛け金をつりあげて、賭場を広げて、ゲームを不安定に落とし込んでいった(そしてソコに勝機を見いだそうとした?)…という面もあったのではないかと思いました。
自分(命)を賭ける時、その場がでかくないと…やってらんなかったのかなと思います。一番大きな札だから。小次郎は武蔵がゲームを吊り上げていったのに気づかなかったのかなと思いました。
 
しかし…わーかーりーまーせーん~(笑)
GW前後から巌流島のお話ですが…いまだ武蔵のなにもみえません。彼が櫂で勝ったという本の文になったコト以外は。

[C2429] 巌流島・・「武士」「賭博師」

アハハハと思わず、笑ってしまいました。

そうだったのかと目からうろこでした。

殺し合いだもの・・殺すか、殺されるか、他人が死ぬのではなく

やられたら自分が死んじゃうのだから、必死で『問い」を考えて

戦術も戦略もあって、戦争に挑んだとおもいます。

結果、相手の頭を叩き割ったわけで、自分の手の内を、さらして

勝負に出た小次郎は、自分は死なないと思っていたのか、よっぽど自信があったのか不思議です。

[C2428] 牛と小次郎の彼女

牛(丑)ともりけんさん・・
茶色のウシなんて見たことないし、触れそうもない(汗)
でも、かわいい(笑)
小次郎の彼女・・立ち去ったあと、ひとり静かに「小次郎さま・・」
と思ったかもしれません。負けることが、わかっていたかもしれない。
でも、そんなダメな小次郎にも彼女はいて、多分、お通のような
魅力はなかったと思うけれど、彼のことが好きだったのだと思います。
(よくワカリマセンが・・汗)
お通さんも、どんなヒトかわかりません・・でも、もしも「武蔵」の
ために出来ることがあれば、何でもできそうなチカラが溢れてきて・・
どんな場所にいても、どんな時でも、その身を案じていたように思い
ます。武蔵に「女の人生」を賭けたのだと思います。
お通は武蔵に、心底惚れていたのだとおもいます・・・・(☆)

[C2427] 牛が

のどかです~
  • 2006/06/18-23:17:52
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2426] >すると女は立ち去ります・・。

あっさりしすぎ~。でも、自信過剰な小次郎は、いつか負けると思ってたのかも。
お通だったら、やっぱあきらめなくて、自分で短刀で刺しにいくくらいしたんじゃないか‥。
  • 2006/06/18-23:16:52
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2425] わあ~

牛さん、こんばんわ(^^)

[C2424] 賭博師かそうでないか・・

賭博師は最後の最後まで手のうちを見せることなど、
ないと思います。
顔に出すことも・・。
「鳥の声を聞け」・・十分な準備が出来たら、
後はおまかせ状態です。
賭博師は人生何ひとつとして中途半端はない気がします。
女、周りとの関係、戦い・・。
そして常にポーカーフェイス・・。
賭博師ではないということは、命をかけた戦いをするには
危険すぎる気がします。
同じ土俵に上がれていない気がします。
  • 2006/06/18-22:05:42
  • 投稿者 : まる
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[C2423] 賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。

ウ~ン。。賭博ねえ~~。。お正月とか。。マージャンチョットやったことありますが。。あんましわかりません。。チョンボやったりで。。汗汗。。やぱし。。パチンコかなああ~~。。刀では。。ルパンの五衛門の斬鉄剣で~~あつ~くなったりしますが・・・そうそう。。八代亜紀の演歌の歌姫は、絵描きさんバージョンとかもありましたね~^^熱燗モードはとく。。とく。。とくと。。お酒があふれでてきて~~。。時空のお話みたいでっすううう。。。^^
で。。やっぱし。。雨の慕情かしら。。。♪♪雨雨ふれふれ~~♪♪も~っとふれ~~♪♪。。わたしのいい人つれてこい~~♪♪だなあああ~~^^


 


  • 2006/06/18-21:55:35
  • 投稿者 : バニー
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[C2422]

 昨日のひとりごとに武蔵のことが書かれていたのでそれも参考にもう一度考えてみました。武蔵がなぜ賭博師なのかを理解する助けとなる考え抜き出しました。
>「鳥の声を聞け」
 このフレーズで武蔵は、賭博に気づいたのだと 思います

「鳥の声を聞け」はリラックスすることが大切であるや、周りに目を向けろという意味があると思います。自分は剣道をやったことがありませんが、サッカーを部活動でやりました。下手でした。練習でボールコントロールや一通りのプレーはできるのですが試合では周りが見えなくなるのです。ボールだけにしか目がいかなかったり、目前の相手ぐらいしか目がいきません。遠くのボールに反応したりしていました。周囲の連携なんかあったものではありません。実際は、自分しかなかったように思います。武蔵が石舟斎のときどんな状態だったかはそこから想像しています。
 武蔵には自分の剣の腕、自分の気迫といった自分しかなかったのかと思います。剣に強くなるには自分を高める、そういう考えだったと思います。この自分を高めるが武士道なのだと思います。
 「鳥の声を聞け」は自分だけにいっている目を周りにも向けろというアドバイス。勝負の間、鳥が鳴き、花も咲いていて、太陽が強い日差しで輝いている。当然相手もいる。そういった自分以外の周りのものが勝負を決める。そこには自分ではどうすることもできない運もある。
 「鳥の声を聞く」から視点が自分(武士道かな)から自分以外の周り(運も含めて)にいったのだと思いました。
 小次郎にとって勝負は相手と自分のどちらが強いかという視点が強いのだと思います。だから自分を強くすればいいという武士道的発想(武士道がどんなものか自分はよく知っていず多分そうだろうと思って解釈しています)。
 一方武蔵は自分を含めた全てが勝敗を決めていると思っていた。周囲は自分でどうしようもない不利なものもあったりします。どんな結果になるかわからない確率的要素(運)もあります。
 なら武蔵はどう戦いに臨むか。それは賭博師的ななるのだと思います。まず相手の手の内を知ること、自分の手の内を確かめること、そしてできるだけ自分に有利な条件を作り出すことだと思います。そこに自分の手の内を見せないも入ると思います。でも、結局は勝負はやってみないと分からないのだと思います。勝負をすることは命を賭けることだと思います。

賭博師・・・賭ける人。ぴんときませんでした。自分は、賭け事なんかしていないと思っていました。最近は緊張感のないぼっとした生活をしているのだなと思います。
でも、ほんとはやらなければならないことがあります。仕事のことですが賭け事の真っ最中じゃないかと今ふと思いました。

[C2421] >賭博

小次郎は剣に賭けていたと思います。
剣の腕は極めても、勝負という場に関しては出たとこ勝負という行き当たりばったり、後は自分の腕=経験+勘しかないという状態だったのかもしれません。

先の自分のレスを書いている時に、武蔵を賭博師と呼ぶのはなんか変だなと思っていたのですが、やはり小次郎の背後になる何かを見てそれに対峙していたように思います。
自然というか宇宙というか・・・

鳥の歌を聴けで、自分が対峙し勝負するものが変わったような気がします。

小次郎と武蔵、どちらが汚いとかではなく、勝負を挑んでいる相手が最初から違っていたのかもしれないと思いました。

[C2420] >番外編

小次郎の恋人は、ある島で待つように指示されていました。
勝ったあと武蔵はわざわざその島に立ち寄り、女に言います。
「待っていてもしようがない」・・と。
すると女は立ち去ります・・。
  • 2006/06/18-21:00:47
  • 投稿者 : もりけん
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[C2419] 番外編

いつかのもりけんさんの書き込みで小次郎がつばめを斬ったあと、主人の女に手を出した話を思い出しました。

もし、武蔵が小次郎に殺されたら、お通は豹変したのではないかと思います。そして武蔵以上に「汚い手」を使い、策を弄して小次郎に近づき、小次郎が寝ている隙に、喉をかききるとか陽物を切り取るとかぐらいはしそうです。お通はそれぐらいのことはやりそうな幅というものを感じさせます。

かたや小次郎は武蔵に斬られたとしても、小次郎の恋人が武蔵の寝込みを襲うということは考えられません。高級ホステスのようなわかりやすい女とばかりつきあっていたのかもしれません。

最終的に女性は誰も小次郎のために捨て身になってはくれなかったということなのかもしれません。
  • 2006/06/18-20:27:32
  • 投稿者 : ナイル
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[C2418] 武蔵がW杯日本代表だったら

実力が上だと思われる相手を前にして、寸暇を惜しんで練習すると思います。武蔵もはじめはそう思ったかもしれません。しかし練習をしても試合までには間に合いそうになかったのだと思います。

そこで武蔵は方針を変えたのだと思います。実力差がある相手に対して次善の策は、戦いをやめることだったと思います。

小次郎も武蔵が定刻に現れないとき、きっと武蔵は戦いを中止したのだろうと思ったかもしれません。それほど二人の剣の実力の差は小次郎、武蔵を含む、誰の目にもあきらかだったのだと思います。

しかし、武蔵が探ったもうひとつの可能性とは、実力という本質的価値に上乗せするプレミアムの部分だと思います。実力+プレミアムの部分が小次郎を上回れば武蔵は小次郎と互角に戦え、うまくいけば勝利することができる可能性もあると武蔵は考えたのでしょう。

さて、このプレミアム部分ですが、これはリスクと呼ばれます。この部分を最大限に分厚くし、逆に小次郎のこの部分を最大限そぐようにもっていけば、お互いの現在の実力、すなわち本質的価値が変わらなくても、総合点で武蔵のほうが上回る可能性があるわけです。

このプレミアム部分というのは、不確定である、未知であるということが、その価値なのだと思います。野球のピッチャーでも球が適当に荒れているということは、メリットになります。武蔵が小次郎が絶対に考え付かないような方法を情報を遮断して画策したことはプレミアムを大きく押し上げる要因となります。逆に、小次郎が手の内を全て周知のものとしたことはこのプレミアム部分の価値を大きく減価させることとなったのだと思います。

その結果、最終的に武蔵の総合力が小次郎の総合力を一瞬上回り、その期を逃さず武蔵は小次郎をつぶしにいった結果、勝利をものにできたのではないかと思います。

このプレミアム部分(未知の部分)というのは、実に水物です、というのは、それは「実体」として常に一定のものとして存在する価値ではないからです。

冒頭に武蔵がサッカー選手だったらということを書きましたが、意外とゴルフが上手いのではないかと思いました。
  • 2006/06/18-19:23:57
  • 投稿者 : ナイル
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[C2417] >賭博師

どれだけ、捨て身になれるか。じゃないだろうか・・・・・
勝とうと思うと負ける。最初から負けを覚悟して行く・・・
それが自爆テロということじゃないか・・・・・

最初から負けを認めて「さあ。どうにでもしていいよ」と出たとき・・・・

女神が微笑むのかも・・・・・・・・


わたしはそうだった・・(滝汗)
人生終ったかと思った(爆)(終ってるけど・・・)


捨て身で行った・・・・・これからの人生を捨てる覚悟(もうどうなってもいいという)で博打うちました・・・・・

で・・・・・解決しました。
(めでたし。めでたし。。。これ。言えませんがマジな話です)
(誰もマジだと思わないだろうな。。。普段が普段なだけに(爆))



[C2416] やっぱり

小次郎も絶対勝てる自信なんてなかったのかも。自分の実力に自信はあっても、絶対勝てる保証はない。でも、そんな弱気は外に出せるはずないし、王者に、自分を見せかけようとしていただけかも。王者を演じていただけで、読者もギャラリーだから、誰もが、小次郎の手のうちにはまって、彼を王者だと思い‥
‥ずーっとループしてるような気がしてきました。

勝てる保証はどこにもないのに、いつもどこかに賭けないといけないのが人生って感じです。
  • 2006/06/18-16:18:11
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2415] 武蔵は

人生の、もしくは戦いそのものの賭博師で、小次郎は剣の上だけの賭博師だったと思いました。分野のずれた賭博師で、小次郎は、相手の異種に気づかず、戦って敗れたように思います。
  • 2006/06/18-15:39:17
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2414] >それが武士道だ、それが正々堂々だ・・とか言う言葉に酔って・・。

小次郎は、酔っていたとしても、とことん酔っている人だと思いました。とことん酔える人は、キレている人です。小次郎は、自分がこの世の帝王だと心から信じて疑っていなかったんではないかと思います。ここまでくるといっそすごいです。
小次郎は王者として、どんなやつでも、必ず叩き斬る、全力で叩き潰す、カードを全部見せにしても絶対負けないと信じていたと思います。

でも、彼が王者なのは、剣の上だけで、武蔵が剣じゃなくて櫂を持ち込むとは思ってなかったと思います。剣じゃなくて、櫂を持ち込むのは、お互いボクシングだと思ってたのに、実は相手はキックボクシングで、いつのまにか異種格闘技戦になっていた、みたいなものだと思いました(汗)

賭博師かそうでないか、というのは、武蔵が小次郎にとって、実は異種格闘技戦の相手だったというくらいの差が二人にあったってことのような気がします。
  • 2006/06/18-15:34:59
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2413] 武士と賭博師

 武士で賭博師だと、賭けに勝つために、あらゆることを想定内に。想定外については、味方につくような流れ、そういう流れを作る。絵を描いて、遅刻して、お日様背にして、結構色々細かいことが、何気に出来ないと、忙しくて気ぜわしくなりますので、日常の全てが、流れを作る瞬間の積み重ねの人生でないと、淡々とすべてを漏らすことなく準備できない気がします。細心な注意の上で、自分の足先でコロコロと、(どっちの目がでるかなー?)と、勝負の結果をビンに詰めて転がすくらいのリラックスでビンコロコロを楽しめる位のひとでないと勝てない気がします。人生が博打というのは、大いにあると思います。一方で、わらしべ長者とか、この間テレビでやってた、赤いクリップと家をば交換計画の人とか、超オープンマインドな人がリラックスして、楽しみつつ淡々と、勝負の結果を受け取るような博打の仕方に
も惹かれます。有り得なさそうだけど、面白い。究極的には、これくらい他力本願でリラックスな人生賭博はないように思えます。→ わらしべ長者。身も蓋もなく、隠された切り札は無論なく、ALLオープンで、勝負です。

[C2412] 将棋でいったら、

小次郎が名人で、武蔵が挑戦者、という感じです。小次郎は自分のすごさをあますところなく見せ付けて、「わたしを超えることはできまい」と暗にプレッシャーをかけてきます。小次郎って、身も心も王者になりきってたんだなあと思います。その風圧をはねかえす、もしくは受け流して、さらに勝機を探す武蔵‥。二人の関係は実際は、最初から対等なはずなんだけれど、小次郎は対等よりもこちらが上と思わせようとしたと思います。ギャラリーはすっかり小次郎にだまされて、小次郎が上だと思ったと思います。
  • 2006/06/18-15:09:39
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2411] 小次郎は

演出がすごいと思いました。ギャラリーがいて、そんな海岸の小高い丘で、ツバメ返し‥。「小次郎はすごい。最高の技のキレ味。輝いてる男。小次郎にかなうやつはいない」という演出。
相手が実力のない剣士なら、戦う前から、戦意喪失しそうです。小次郎と戦うのは、まるで死ににいくようなものです。
武蔵も、絶望的な気持ちから、起死回生を必死で考えたと思います。策を考えたけれど、果たしてそれで勝てるかどうか、確信はなかったと思います。それでも、そこに勝負をかけるしかなかった。武蔵は、ほんのわずかなスキマの、紙一重の勝負で勝ったと思います。
スキマに勝機を見出し、そこに賭けられるのが賭博師だと思いました。
  • 2006/06/18-14:49:26
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2410] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

武士と賭博師・・
イメージ的には武士の方が断然良いです。
 
武士道といういうのがあります。
まさに武士の道,外れることはゆるされません。
外れると武士ではなくなります。
一方、賭博道といういうのは聞いた事がないです。
なんでもありなんだと思いました。
 
武蔵の場合それが、意識と無意識の通信だったんだと思います。
外れることをゆるされない。
一見、規律を重んじる感じがしますが、外れるとまた違う道が開ける可能性もあります。
 
何でもありの賭博師。
イメージが悪かろうが、他人に指をさされようが、最強の感じがします。
 
○○道。
本当はそこに道は無いのかもしれないと思いました。
  • 2006/06/18-14:20:32
  • 投稿者 : H2O
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[C2409] なんだか・・

太陽が出ている時間にこうもり女がいるので、
なんだか、不思議な感覚です・・

昼なのに・・夜のような・・

夜と昼が混在しているような・・


・・


[C2408] 「賭博師」

賭博師は手の内を見せない。当然だと思う。
小次郎は手の内をみせた。賭博師ではない。そう、小次郎は「武士」だと思っていたから。

小次郎は「武士らしく」にこだわった。「どう生きるか」にこだわったのだと思う。

武蔵は「この勝負に勝つ」それだけであったと思う。だから勝負師。そして、勝負に勝つためのあらゆる方法を考え、練習した。そしてそれを無意識まで高めて勝った。

この世の中も常に戦いだと思う・・言ってるほど厳しく思ってないが・・だから、戦いに勝つ方法をよりたくさん知っているほうが勝つのではないか・・

運も味方にして・・そうか、だからみんな賭博師なんだ。

[C2407] >巌流島・・「武士」と「賭博師」2

小次郎は、武士道に則っていて、正々堂々としていました。

だから、それで負けてしまっても、その負けを正当化できると思いました。

俺は正々堂々と闘った・・
かたや武蔵は汚い手を使った・・と。

しかし・・

しかし・・

正々堂々を宣言するのは、始めから負けたときの言い訳を用意しているようなものであり、
負けを認めないということだと思いました。

武蔵は、武士道から降りました。

それは、360度の可能性に自分を開いたということだと思います。

鳥の声をきいたということだと思います。

外側の声に耳をかたむけ、
感覚を研ぎ澄まし、
外側とのネットワークをつないだ・・
ということだと思います。

それは、武蔵の運気を上げたと思います。

そして運気が上がれば自ずと勝つのだと思います。。


しかし・・

正々堂々を語るものにとって、
それは許せないことなのでしょう。。

それは、嫉妬であるともいえます。

でも、嫉妬するってことは、視点が「個」にあるということで、
ネットワークにつながることが、卑怯に見えるのだと思いました。

賭博とは、あらゆる可能性を試すことだと思いました。


私たちは、私が誰だか、分かりません。
私がなぜ、この世界に存在しているのか分かりません。

そもそも、この世界そのもののしくみが分かりません。

それなのに、この世界で正々堂々と生きて、真っ直ぐに生きても、
すぐに終わるだけです。

寿命が尽き果てるだけです。

そして、記憶をリセットさせられる・・
そして、生まれ変わる・・
その繰り返し・・
なんだか、たまらないです・・
知りたいです・・
いったい時空のしくみはどうなっているのか・・

なんのために、世界があるのか・・


なので、手持ちのカードを最大限に生かして、あらゆる手段を使って、
あらゆる可能性を試しながら
時空の謎にせまること・・

それが賭博師だと思いました。


正々堂々を語る武士は、方向性が決まっているので、
3次元的な支持はだんぜん大きいでしょうが、
「問い」は生まれようがないと思いました。

定められた価値観に則って、定められた運命のレールを歩み、
そして、死んでいき、
そして、また、生まれ変わり・・

そうやって、ただただ繰り返し続けるのだと思いました。



[C2406] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

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  • 2006/06/18-13:50:38
  • 投稿者 : H2O
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[C2405] >賭博師

人生は賭博だと聞くと、ああそういうこともあるかもしれないと思えます。誰にもそういう瞬間が訪れることがあるだろうと。ところが、誰もが賭博師なのだと言われると、とても自分にはそぐわない気がします。人生は選択の連続だとは思っても、それは賭博といえるほどスケールの大きなものとは思えません。
小次郎は武士道を歩んだでしょう。誰をも寄せ付けぬ実力を手にしたことは、自他共に認めるところだったでしょう。
対して武蔵は賭博師だった・・
武蔵は、過去の賞賛や名勝負の名残など、自分のどこにもとどめることをせず、勝負と勝負の合間には常にゼロの自分に戻ったのだと思います。
そして来る勝負にかけては、相手がどこの誰であろうと、手を抜くとかナメてかかることをせず、着々と態勢を整え、相手とにらみ合う寸前まで計算ずくでこれ以上できないところまで準備してかかるようです。
小次郎は、きっと実力を発揮さえすれば必ず勝てると思い、自分のコンディションに一番気を配っていたであろうのに対し、武蔵は、無類の用意周到さをもってしても、勝負の最中には何が起こるかわかったものではないと、そのときに備えて全身を針のようにとぎすませて臨んだのだと思います。
自分の弱さと向き合うというのは、そういう機会はなかなか得られるものではないんだからなど思ってみても、やはりしんしんと頭から歓迎できない感覚が全身に広がっていくようです。
自分はとことん甘いと思います。甘いです。
甘いから、すぐ誰かに頼ろうとか、誰かと通じ合っていたいなど考えます。
人は誰でもそのままで時空へ反射している存在なのだから、人と人は別に努力して手を取り合うなどしなくても気づかないうちに、お互いが時空を仲立ちに、反射のキャッチボールをしあっているのだと知りました。
個が皆博打師というと、ゼロモードから勝負モード全開までの落差に耐えうる強者ぞろいで、しかもすり寄ったり依存しあわないというすがすがしさもあるようです。
その落差を楽しんでやってのける人には、やはりぐいぐい惹かれるのはどうしようもない気がしますが、賭博師は潔いだけでなく、過去の蓄積に酔うことなど全くないのだと気づきました。小次郎は、積み上げてきた武士道の、常に頂点に位置していたのだと思います。

[C2404] 賭博師

自分に欠けていたのは、人間生れ落ちたら皆賭博師だ、という視点でした。皆、だったんですね、当たり前ですね・・、どうして気付かなかったのだろう・・。本当に昨日の独り言で頭をかち割られた思いです。自分に「バーカ!」です。

小次郎は手の内を見せるという、自信たっぷりの姿勢、これってかなりの賭博師、「どうだ!我の力を見よ!お前に勝てるか?」試合前(それも命がけの)に、思いっきり相手を威嚇しているように映ります。

片や武蔵は一人隠れて静かに準備に余念がありません。櫂を使っての命がけの決戦は、ものすごい賭けに打って出る以外のなにものでもないでしょう。

こう見ると、二人とも賭博師です。ただ、小次郎は武士道に則った、であり、武蔵は、武士道を降りた、であった・・。

昨日のレスにも書きましたが、武士道に則っていると、大衆一般受けすると思います、万人に認められやすい。これが彼のつまらないところであり、自信過剰に陥るところでもある様に思います。褒められて生きてきた人の弱点か・・。

武蔵は違った、武士道の土俵は「お前は弱い」を切っ掛けに降りて、周囲を見方に付けることに徹した、真実を受け入れた人の発想転換とドンヨクなまでの情報収集と冷静な判断で、勝利を勝ち取った・・。

今はここまでで精一杯の書きこみと思います。もっと考えてみます。

[C2403] 小次郎と武蔵の練習の違い

小次郎が小高い丘でツバメ返しを練習することは、それを見た人によって、小次郎は強いと賞賛されただろうと思います。小次郎はそれに酔っていたかもしれないと思います。
一方、武蔵は地味に人気のないところで策を練って練習してきたと思います。そこには誰から褒められるということがないので、他人の言葉に酔うという事はなかったろうと思います。だから、冷静であったこと、練習に専念できたという事が勝因にも繋がったかもしれないと思います。

[C2402] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

ルーレットで腕の良いディーラーは、自分の好きなところに玉を止めることができると聞いたことがあります。もしかしたら、カードのディーラーもできるかもしれないと思います。

配られるカードは自分の外側であると思います。
普通なら公平であると思われるカードの配布が公平でないとしたら、何だか詐欺みたいです。

相手が真っ当なやり方でないとしたら、こちらだって真っ当でなくても良いのかもしれないと思いました。(不正を正当化しているのではありません。考え方としての真っ向勝負をする必要はないかもしれないということです)

実際の賭博ではどうなのか分かりませんが、ディーラーと参加者達の騙しあいのようだと思います。信じるものは、自分しかいない状況なのかもしれません。

武蔵は、外側を味方につけました。櫂を見つけ、潮の満ち引き、太陽の反射・・・
今までのブログで、武蔵は周りに身を任せきっていたと思っていました。しかし何か、違う部分もあったように感じました。


武蔵は誰にも見られず作業をして、誰もいないところで練習をした。試合の時はすべてと繋がっていたように思いました。でもそれまでは孤独に身を置いていたのだと思いました。勝負のその瞬間まで、孤独でい続けていたのかもしれません。

周りを味方につけたとしても、最後の結果が出るまでは、どうなるか分からない・・・と思っていたのではないかと感じました。結果が出るその瞬間まで、武蔵は自分のことを信じる自分があったのではないかと思いました。 

[C2401] >そんな言葉が言えるでしょうか?

言えないです。 私は何もわかっていません。 
情けないだけです。 

[C2400] >(どうか、お続けください、お願い致します)

私が課長にそんな言葉が言えるでしょうか?
大旦那や佐助が武蔵にそんな言葉が言えるでしょうか?
上下関係を問題にしているのではありません。
  • 2006/06/18-08:58:00
  • 投稿者 : もりけん
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[C2399] 人生は賭博

神は、人間に対して平等なのだろうか、と疑問に思っていました。
人は生まれ、そして、必ず死にます。 また、地球上の24時間は、誰にとって
も同じ24時間であり、酸素も何故か公平に吸える分だけはありそう。
このことを考えると、神は平等とも考えられます。

しかし、一方で、どう考えても不平等としか考えられないことが多すぎました。
なぜ貧富の差があって、人は生まれながらにしてこうも違うのか?
なぜ戦争のある国と、戦争がない国があって、それぞれの国に生まれ落ちる違いを
生じさせるものは何なのか? なぜ、悪人と呼ばれる人が豪邸に住み、長生きもし、
畳の上で死ぬことになるのか? 一方、何の罪もないと思われる子供たちが、災害や、
事故や、殺人で死ぬのか?・・・書き出したらキリがないです。
ハッキリいって、人生は不条理です。

理不尽で不平等とも言えます。 その理由を探ることで、カルマ論が出来たのかも
しれません。 また、そこから脱出するために、修行や、奉仕や、魂を磨くのうよ
うな考え方が出たのでしょうか。 しかし、そのような磨き方をしても、いっこうに
不平等も、理不尽も、不条理も改善される兆しが見えない状況だと思います。

私は、もりけんさんの研究によって、運命は90%は決まっており、私たちは結果
に過ぎないと知りました。 ならば、運命のされるがままでよいのか?・・・
私たちは結果でも、運命は決まっていても、それでも「私」という意識はあるので
はないか? 最後に残された意地かもしれません。 運命を決めたものへ対して、
せめて一矢報いたい。 それさえも放棄してしまって、逃げ出すつもりなのか?

逃げても、運命は変わるわけがありません。 しかも、次の生でも、同じ賭博場に
生まれ変わります。 どんな境遇に生まれ落ちるか知れませんが、何らかの命式を
まとった運命の子として誕生します。 つまり、どこまで逃げても、人生は賭博で
す。 生まれる瞬間も賭博であり、生まれてからも賭博です。

武蔵が「鳥の声」が聞こえたとき、武蔵は感じのかもしれません。
この世で、大切とされている一切のことは無意味だと。  
不条理な世の中で、こんなにも弱い自分が武士道にこだわってどうするのか?
そして、「鳥の声が」聞こえた武蔵は、広大な無意識の世界と繋がって、未来の
情報を意識化することが出来れば、武蔵にとっての不条理を破れる、と確信した
のかもしれません。 武蔵はそこに賭けたのだと思います。

それでも、100%武蔵が勝つ自信はなかったと想像します。
なぜなら、勝負は時の運です。 やはり、どこまでいっても賭博なのです。
武蔵の手の内を隠すやり方も、用意周到さも、賭博性を知り抜いた上でのことだっ
たと思います。

以上、遅ればせながら、書かせて頂きました。

(どうか、お続けください、お願い致します)

[C2398] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/18-08:37:00
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[C2397]

 賭博師・・・相手の手を読む、自分の手の内を見せない、賭ける。
 確かに武蔵のしていることも賭博師と同じでした。小次郎の剣を観察し、自分は櫂を木剣にし小次郎の長剣に対応するのを勝負を決める瞬間まで相手には見せていません。時間に遅れ、太陽の光を背にし準備はできうる限り整えても勝てるかどうか五分五分だったと思います。そして勝負では命をかけています。これ以上ない賭けともいえます。
 >それでも勝ちは勝ちです。
 武蔵はリアリストだったのだと思います。武士道、正々堂々という言葉は人間の価値観でした。ふと信念体系という言葉を思い出した。小次郎は自分の作った価値観にどっぷり浸かっていたのではと。
 
 

[C2396] 小次郎がはじめからカードをみせていたのは。。

特に理由はないのではないかと思います。ただ、そういう性質だったというだけで。。。
結果として、それがたまたま、武蔵に味方したかもしれません。
ただ、それだけだったのではないかと思います。
オープンのしようが、隠れて練習しようが勝つ時は勝つのではないかと思います。

[C2394] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

たった1枚のカードが上だっただけ・・とすると、武蔵だってあれほどの策略を持っても、絶対勝つというわけではなかったのだ・・と思えました。
本人にも100%の確信があったわけではなかったかもしれないと思いました。
武蔵はそれを認識していたのだと思います。
だからどこまでも慎重に準備をしたのだと思います。
そして大きな賭けに出た・・。

小次郎は、武士として、あれだけのことをやり、できるのだから、絶対勝つと思い込んでいたのではと思いました。
というか、自分に思い込ませていたというか・・
小次郎だって、すごい賭けに見えます。
自分の腕一本で挑むのだから。
でも本人に賭けという認識がなかったのかと思いました。
だからカードを全部見せてしまった。

長い剣、すごいスピード、ツバメも斬れる・・というカードを見た武蔵は、それに対する対策を練ります。
そして最後までその手の内は明かさず。

夕べのの独り言にあった「これで彼は、武士を降りたと思います 」というのが心に残りました。
小次郎は武士としても勝ちこだわったのかと思いました。
武蔵のの方は人としての勝ちにこだわったのかと思いました。

[C2393] >>巌流島・・「武士」と「賭博師」

例えば、今の世の中で、スポーツとして、剣の試合をしたとします。スポーツなので、負けても命までとられることはありません。
しかし、当時は負けることはこの世の終わりでもあったろうと思います。勝つ方法を考えるのは当然だろうと思います。そして、「武蔵は自分は弱い」というのがあったと思います。生き残る道をあらゆる方向から考えたと思います。
最後はいちかばちかしかなかったのではないかと思います。武蔵は余裕で勝ったわけではないと思います。たまたま、最後に残ったカードが、小次郎より1枚多いのが残ったのではないかと思います。
たまたま運が味方をしてくれた。。。それだけだったのかもそれません。。
しかし、運が味方するのはいちかばちかがなければありえなかったのかもしれません。。。小次郎は強かったから。。。

[C2392] 賭博師かそうでないか

 武蔵は「命を賭けて」生きていたと思います、それも「武蔵の運命」に対して。
 
 もりけんさんが「ふしけんHP」の中で言っている、「いつも命を賭けています」の言葉が浮かびました、武蔵も同じように「時空」に対して「命」を賭けていた、「小次郎」が相手では無かったと言うことに気が付きました。
 
 「自分が原因」から「周囲が原因」にしても、「命賭け」で「時空」に対峙していなければ「時空」も相手にしてくれないと気が付きました。

[C2391] 賭博師は勝ちを狙う

 賭博師が勝負を狙うとき勝ちしか見てないと思います。正々堂々としたところで負けは負けです。ましてや生死を賭けた勝負です。自分のカードを見せてしまうのはただのアホです。相手に勝つための作戦を与えてしまうでけですから、真の勝負なら手のうちは見せません、負けるために賭ける人はいません。手の内を見せないのは当たり前のことです。自分の手札がブタだとしてもイカサマして勝つという方法もあります。賭博や勝負はスポーツではありません、ましてや戦に裏切りや卑怯な戦法はありません。まして武蔵が経験した関が原は家康が用意周到に敵を裏切らせたような戦いです。勝つためには命を貼って賭博に勝負するということは、全部の可能性をセンスするという途方もない集中力を要すると思います。

[C2390]

武蔵が小次郎に勝つにはと小次郎を観察して勝負に挑みます。
勝負の勝敗は大概ちょっとした差だと思います。
どちらが有利な手を持っているかはやってみないとわかりませんが、
自分の切り札は最後まで隠して勝負に挑みます。
手の内をすべて見せた小次郎は勝負に賭けるという肝心なことを抜かしてしまったと思いました。
斬れない櫂を油断した小次郎は最後まで武士だったようです。
私も小次郎的な部分で自己満足に陥っているところがあると思います。
切り札にどんなものがなるかはわからないです。

[C2389] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

剣客は刀の腕前だけがその実力のすべてではないと思います。
相手の腕前を見、相手の動きを読み、戦いの後のことまで考え、観察力や直観力で自分の回りすべての情報を瞬時に分析、判断しなければなりません。
その大事な情報を事前に漏らすのはそれだけで腕前がない事になると思います。

でも小次郎には自信があったのでしょう・・俺は強いと・・。
そして他の人たちに情報を公開してしまいます。

正々堂々は一見格好良いと思われています。
スポーツの祭典の開会式のときにも「我々は正々堂々と戦い・・」というフレーズが聞こえてきます。

しかし色んな情報を収集して相手の攻撃に備えるのが卑怯でしょうか?
そうではないと思います。
現代のスポーツだって、敵方の情報を収集し、分析し、それに備えた訓練をします。

早々に手の内を見せてしまった小次郎を正々堂々と言う言葉で褒め称えてよいのでしょうか?
背後に見方の武士を沢山引き連れて、もし負けても追っ手を放ち追撃しようとするもっと大きな権力の後ろ盾で戦い、武蔵とは比べようもない状況だったのに・・・。
一人、船頭に送られて乗り込んでくる武蔵が果たして卑怯だったでしょうか?

古今東西の戦いで、少ない陣営で勝った例はよくありますが、ある意味、武蔵のように情報を隠し、操作し、かく乱して勝つ方法で頭脳戦とも言えます。
しかしそれも実力のうちです。
いくら実力(武力)があっても情報不足で大将が負けると部下の将兵もまた惨めに命や財産を失います。
情報収集力もまた武力のひとつだと思います。
そう考えれば、戦争も、果し合いも、いやスポーツだって実力プラス情報だと思います。

果し合いで武力のみに頼った小次郎の方がむしろ無謀な賭けをしていたというべきかもしれません。

一方武蔵は本当の意味での賭博師だったと思います。
だって、実力+情報+運をも味方につけたのだから。
  • 2006/06/18-01:35:47
  • 投稿者 : 空タネ
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[C2388] >賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。


武蔵の用心深さは、どれほど完璧な作戦を立てて準備をしていたとしても、
100%完璧なんてことはないと思っていたからだと思います。
それは一見完璧主義者のように思えてしまいます。 
 
でも完璧主義者なら、100%に持っていくことができないと分かったら
勝負から降りるのかもしれません。
 
その反対で、100%に持っていくことが出来ないと分かっていても降り
ることをしないで挑めるのが賭博師で、だから武蔵は賭博師なのかもしれ
ないと思いました。
 
とことん用心する人にとって、完璧にすることが出来ない未知の数%はと
ても不安な要素だと思います。
 
でも感じているのが不安でも、その未知の数%で起こることが不吉な事と
は限らないし吉とも限らなくて、それならばなお一層用心深く準備をして
未知の数%に挑もうとするのだと思いました。
  • 2006/06/18-01:34:44
  • 投稿者 : ぷく
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[C2387] >小次郎ははじめからカードを見せていました

小次郎は手のうちを見せすぎだと思いました。自分の技に相当自信があって、絶対敗れないと信じていたからだと思います。
でも、全部見せたら、研究されてしまうし、そこいくと武蔵は、とても用心深いです。勝つためには手のうちは見せないほうがいいってよくわかっていたと思います。賭博師って言われると、たしかにそうだなあと思います。

お金を賭けてゲーム賭博とかしたことなくても、人間関係で、まわりの人にどこまでしゃべって、どのへんは言わないとかいう用心みたいなのは、みんな賭博の要素だと思います。誰かに弱みを握られないようにとか、みんなやってると思います。武蔵は、そういう人間同士のかけひきにも敏感だったのではないかと思いました。
  • 2006/06/18-01:24:08
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2386] 賭博師

生まれながらにして、勝負です。
誰も答えられない「私は誰」・・とゆう問いに直面したら
自分の存在が恐ろしいほどちっぽけに感じられました。
それなのに、こんな不安なのに、日々に埋もれてゆくとは
戦場にいながらにして、知らないふりと同じです。
でもそのくらい恐怖です。
ヒトひとりの人生なんてほんとうに、時空からしてみたら
点にもならないかもしれません。
ですが、それに向き合う・・とゆうのは、死ににゆくようなものだと
思います。
命懸けだし、捨て身です。
「私」の中には、いつでも「女の子」とゆう・・定義が溢れてきます。
「女の子」・・でも、生まれながらに弱くて「賭博師」であることには
変わりありません。
人生はゲームではない、毎日、勝負なんだと思いました。
ずっと続くと考えると、コワいです。でも、明日、死なない保証は
ありません。
だから「何したっていい」そう考えないのは、自分の存在が小さく
弱く、なんにもひとりではできない・・ただ、この世界に生まれて
死ぬ方向へ向かって進んでいるのに、いい加減になどできません。
そう思えば思うほど、真剣度も増します。
それに「問い」も大きくなるのではないかと思います。
賭博師・・
お金を操れなくて、時空も相手に出来るはずがない・・
そう思いました。

[C2385]

賭博師って、自分の能力・技力以外に直感(時空にアクセス)してカードを
出すのだから、無意識にセンスできてないとできない事だと思う。
それってすごいことだと思う。

[C2384]

正々堂々だろうが汚かろうが勝った方が勝ちです。
命をかけてるなら尚更だと思います。


サッカーもオウンゴールだろうが、オーバーアクションだろうが、一次予選突破してくれ~~~です。

勝つのが強いのだから。。。。。。

[C2383] >「武士」と「賭博師」

>小次郎は手持ちのカードが、ハートの13と、三つ葉の11と、スペードの9と、ダイヤの12と、三つ葉の10であることを、みんなに見せています。
やっぱり、見せちゃいけないって思います。
相手に知らせるなんてって思いますが、それが武士道なのだとしたら、そこから抜け出せない小次郎がかわいそうにさえ思います。
でも、武士道ばかりじゃなくこういうのはどこにでもあるのだと思います。小次郎のように秀でた人はそうなりやすいかもしれません。
小次郎は武蔵の情報は本当に何も無かったのかって思いました。賭博師になるには相手の情報を
得ておくのが必須だと思いました。
  • 2006/06/17-23:26:56
  • 投稿者 : Ciel
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[C2382] >「武士」と「賭博師」

一見、武蔵の取っていた行動は「せこい」「ずるい」勝ち方とも見えてしまうと思います。
小次郎のように正々堂々と戦えよという人もいそうな気がします。

しかし、武蔵の意志はせこいやりかたをして小次郎に勝とうとは思っていなかったと思います。
自分が無力で、外側に味方をつけた結果がそうなったのだと思います。
この展開の中で小次郎は、「個」を披露しすぎたという感じがします。
「俺はすごいんだぜ~、俺は強いんだぜ~、もって見てくれ~、俺は強い!!」
なんてこと思っていたのかと思います(汗)
ある意味せこかったというか汚かったのは小次郎のほうだったのかも知れません(汗)

賭博師というのは自分の内面について語るやつとか、自分で運命を切り開くという考えの中、自分のことを語るやろうには、まず賭博師にはなれないのだろうと思いました。

[C2381]

>賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。
運命変更できる一瞬の様に聞こえました。
  • 2006/06/17-22:33:04
  • 投稿者 : じんのり
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[C2380] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/17-22:11:52
  • 投稿者 :
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[C2379] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

欧州、南米のサッカー選手達の華麗なプレーはまさに小次郎です。
あの「小次郎」達を相手に日本人選手が正攻法で勝てるわけないです。
昔鈴木大地が背泳ぎで、スタートしてからしばらく長い時間潜水する戦法で金メダルを取」りましたが、彼の活躍の後、あの泳ぎ方は禁止になってしまったのです。
イタチごっこになるかもしれませんが、それくらいのルール違反スレスレの汚い戦法を考
えてやってくれよぉ~と、思ったんだけど、やっぱ勝敗は運命通りか・・・
  • 2006/06/17-21:34:24
  • 投稿者 : イーキン
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[C2378] 「他力」は「無意識」

「直感」です、「意識を無意識」にすることは、「自力から他力に身を任せること」と思いました。
 
 「自力」で何とかしようとする事は、「意識」のなせることです、その「自力」の道を捨てて「他力」に身を任せることは、「意識」を「無意識」にさせ「他力に賭ける」ことと思いました。

[C2377] >賭博師

そうですね。時空をも欺きたいです。
  • 2006/06/17-18:32:14
  • 投稿者 : ナイル
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[C2376] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

小次郎は「正々堂々は良い事」という信念とモノサシを
後生大事に抱えていて、捨てられなかったのだと思い
ます。

武蔵は、良いとか悪いとかの価値観がなかったのだと
思いました。

>賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。

なんか「ドーン」と迫ってくる言葉です。

[C2375] >賭博師

正々堂々という時「相手がずるいのはダメだ」というエゴがあると思います。

相手がどういう手で来るか分からないから、お互い手の内を明かそうという意図があると思います。

正々堂々という相手は自分が有利な立場が自分で分かるところで「手の内を明かしたからもういい」となるのでしょう。
結局は腰が引けているだけです。

武蔵は武士の教科書から外れていったと思います。小次郎は武士の教科書どおりに進みました。

賭博師であることは未知のデータを検証し実践することも含まれると思います。
未知だから周りから「そりゃあんた無茶だよ」と言われるからです。

教科書は所詮過去の積み重ねに過ぎません。
一部の賭博師は、未知のデータ=未来情報を察知し検証し実践していくだけなのでしょう。

武蔵もまた鳥の声を聞きながら未来情報を知り、自分でこつこつと検証していっただけなのかもしれません。

でもそれは命がけであることがすごいです。

[C2374] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/17-17:37:26
  • 投稿者 :
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[C2373] 「武士」と「賭博師」

賭博とは、未だ見えぬ未来の結果について、リスクを張って勝負を決することだと
思われます。 そのような世界で生きる賭博師や勝負師にとって、指標となるのが
データ、つまり、配られたカードの中身ではないでしょうか。
賭博師なら、自分の手の内(カード)を明かしたりしないと思います。
そんなことをすれば、相手に裏をかかれてしまうはずですし、そうならないように
気を配るのが当然だと思います。

また、勝負は確率の問題とも言えそうです。 どちらが、勝つ要素が多いか?
あるいは、どちらが負ける要素が多いのか? 見えない未来を賭けるわけですから、
やはり頼りとなるのはデータだと思います。 それをきっちり精査し、管理するこ
とも当然ではないでしょうか? (書くのは簡単ですが、実際は・・・自分のこと
を棚に上げ、こんなことを書いてる私は詐欺師?)

小次郎が自分のカードを見せて自慢している間に、武蔵は自分のカードを入念にチ
ェックしていたように思います。 また、小次郎が手の内を先に公開してくれたの
は、武蔵にとっては願ってもないことであり、そこに、そもそも武蔵は勝機を見た
のかもしれません。 

ところで当初は、武蔵にとっては、巌流島の賭博自体、とても不利な賭けではなか
ったでしょうか? ツバメ返しを見れば、小次郎の方が強いのは明らかでしたから。
無謀にも、自分より強い相手に向かって行くようなものだったと思います。
そんな賭けに、よく打って出られたものだと思いました。 強い相手に対して・・・
そんな武蔵に、もりけんさんの姿が重なりました。(小学生、高校生、そして、富士
通のシスラボ時代の逸話のことです)(また、対船井さんへの姿勢といい、もりけん
さんは昔も今の変わりないです) 元課長も同じです。 自分より強い相手と、クビ
を覚悟で勝負されたのだと思います。

また、「武士道」や「正々堂々」に酔っていたのが小次郎だとすれば、それは小次
郎に限ったことではないと思いました。(ここでも、自分のことは棚に上げて書き
ますが) 先の「独り言」で語られた修行僧たちや船井さんは、小次郎に似ている
と感じたのは私だけでしょうか? レベルが高い低いを問題にし、自分よりレベル
が低い人をブタと思い、毛嫌いするおつもりでしょうか?
(悪口を書いたので署名します。 兵庫県芦屋市岩園町32-10 森井孝介)

[C2372] 武士と賭博師

2人のカード、たった1ポイント差・・とゆう感じで、
どうして小次郎負けたの・・(?)とゆう気もします。
同じようなカードでも、どう勝負するかで・・結果が違います。
汚い手でも、潔く美しいやり方でも・・勝負の世界は勝つか負けるか
しかありません。
武蔵のやり方きたないかもしれない。でも誰も「そんな手を使っては
イケナイ」などと言ってません。
小次郎は自分の美学を貫きとおしただけです。
でも2人のカードに大きな差はなかったんだな・・。
そうか・・(汗)

[C2371] >「武士」と「賭博師」

人というのは、一生懸命ならそれで良いと思いがちです。学生運動に熱狂する同窓生に向けた、もりけんさんの卒業スピーチは、政治に意見あるものは、選挙に立候補すべきということでした。ものごとの正規を無視した外野で好き放題言うことは誰にでもできるけれど、そこで皆が熱狂して世の中の取り決めを変えようとするのは、暴力でしかない、改革ではない、ということなのだと思います。理を通せということかと。
一方、武蔵と小次郎の戦いは、ルールなど存在せず、どちらが強いか決着をつけるということだったのかと思います。そこでは、自分の生き方だとかスタイルなどアピールするだとか体面にこだわる必要は、全くなかったのだと思います。カッコなどつけないでがむしゃらで、相手をかくらんし、油断させ、意表をついた方が勝ったのだと思います。折り目正しいのが常に良いわけではないとわかります。
自分も、学生運動の波にもまれれば熱狂しそうだし、小次郎のように構えた戦い方などしそうな気がします。
でも、前者はアウトで、後者は不要なのだと少しわかってきた気がします。
賭博師になって戦えるか・・ですが、面白そうデス。小次郎的正攻法は疲れるダケで実り少ないことは身にしみた気がするので、武蔵っぽく決して顔に出さないで、相手構わず行こうとは思いマス・・

[C2370] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

 
武蔵にとってカードは、配られたカードだけじゃなかったんじゃないかと思いました。
自分の周りのあらゆるものがカードで、配られたカードはその一部に過ぎなかったのではと。
だから、配られたカードがいいかどうかというのはそれほど重要ではなくて、周囲のものと組み合わせたり、いろいろ演出したりすることで、いくらでも手持ちカードの組み合わせを変えてみせることができたのかもしれません。
そんな武蔵にとって、配られたカードが悪くてがっかりするってことはなかったんじゃないかと思いました。
 

[C2369] >賭博師

 本の中で弟子が「・・・遠い国にいってしまえば」といい、武蔵がそれに答えて「・・・逃げては武士道がすたる。・・・・・」を思い出しました。 
 小次郎も武蔵も武士道が心の中にあることは確かなのだろうと思います。でも違うな~と。
 賭博師・・・・なんだか武蔵に失礼な言葉かもと思いつつ(汗)、「勝負は時の運」とすればなるほど、勝負の本質なのではと思います。
 勝つか負けるか分からないから、できるだけ有利になるようにこちらの手の内を見せない。だから武蔵がしたことはその点から考えると当然のような。 
 一方、小次郎はその練習を人が見えるところでしていた。「手の内を見せても俺は勝つ」という意気込みか。やはり武士とはそうあるべき者と思ってか。小次郎なりに精一杯やっていたのだろうけれど。
 勝負はどっちに転か分からないという事実より、「俺は勝つんだ」、さらに「俺は正々堂々と勝つんだ」という自分の思いが強かったのではとあれこれ想像しました。

[C2368] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/17-12:14:43
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[C2367] 賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。

汗汗。。。なんだか。。トランプのカードの意味はいまいちよくわからなかったりですが。。。迷宮入りの謎を解くみたいで。。シャーロックホームズ。。。みたいだなああ。。ともおもえましたああ~~^^櫂をつかって剣とやりあったりする様子は。。船乗りシンドバット的でもあり~で。。。好奇心と~~冒険で~~ワクワク~~^^時空枠に拡大~~~♪♪つながっちゃいそうでっすううう。。。。。。。。
  • 2006/06/17-10:48:53
  • 投稿者 : バニー
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[C2366]

賭博…昨日から考えてるのですが…したことないので(なんてイイコなのだ)想像を書きます。
  
賭博の場を渡るには…策士でないとできないかもと思います。賭博のルールや状況からトラップ(罠)を読み出し…そしてさらにその中でトラップ返し…まで仕掛けられないと出来ないんじゃないかと思います。そして常に結果が出てないと…なのだと思います。ルールと状況の間でつねにハカリゴトを巡らしてコンスタントな結果を出していくのが勝負師だって気がします。(そして「ここぞ!」の時には「張る」のが醍醐味なのかと思います)
 
小次郎の「どうだすごいだろう」という自慢は…たぶん駆け引き前の問題です。(でもこういう小次郎が個人的に好きだと思いました。)
  
武蔵は…一枚だけ上回ったカード『三つ葉の11』を…たいしたことない切り札を…あらゆる策略を巡らし、相手から隠すことで…さらにそれを使う際に…それ以上に感じられるように…仕立てていったようにも思います。「ブタ」もおだてりゃ…木に登って…『三つ葉の11』でしかないのですが…状況によって瞬間『ジョーカー』に見えるぐらいになったのだと思いました。(なんか変ですが)武蔵ってほんと勝負強いなと思いました。ありとあらゆることを組み込んで謀略を練っていたのだと思いました。(なんか…こんなふうな生き方ってアリなんだと…ちょっと驚いてます。)

[C2365] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

なぜか、「ゲッ」という言葉が浮かびました。

正々堂々とした・かっこいいまっとうな・誰もが認める・清廉潔白な・小次郎さん・・、素敵です・・。

策士・ポーカーフェイスな・武蔵さん・・、不気味です・・。

ブログ巌流島を知る前だったら、小次郎がタイプだったかも・・、いや、どっちもダメかな・・。

でも、こうして二人で客観的に観察させて頂いていると、好みの問題は別として、ブタのカードを持っていても、チャンスはある、それに、自分でブタとおもっていても、あるいは逆に、自分が優位に立ってると思っていても、実際の手の内は、僅差・・こんなもんなのかな・・現実は・・勝手にどちら側に自分がいる、と決め付けて、余裕をかましたり、あせってみたり。バカみたい。

ブタかブタでないか、最後に決まるそのポイントは、運(これまでの運という意味とは随分違う)を見方に付けられるか、なのだろうか・・。

あぁ、やっぱり「ゲッ」です。賭博師って頭良くないと。それに度胸もないと。単純バカだと、たとえ絶好のカードを持ってても、負けちゃうのかな・・。いやだなぁ・・。

[C2364] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

小次郎のように、始めから手持ちのカードを見せることは、自慢にはなるけれども、結局負けにいっているようなものだと思いました。

かたや武蔵は、手持ちのカードを隠して、相手を騙している・・

正々堂々を語るものにとって、
それは卑怯といえる手口といえますが、
やはり、勝ちは勝ちだと思います。


ブタと見せかけておいて、実はブタではなかった・・


なんか、痛快です。


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巌流島・・「武士」と「賭博師」

 
 武蔵は櫂を見つけたあと、それを削るとき、深夜に部屋を閉め切って、誰にも見られないように作業したと言われています。
 
 櫂を振る練習とて同じです。誰もいない入り江まで行って、それを振ったと言われています。
 
 かたや、小次郎は・・
 
 彼は海岸の小高い丘で、ツバメ返しを練習しました。
 みんなが下で見ています(目が点)。
 武蔵もそれを見ています(ジーと観察)。
 
 小次郎は手持ちのカードが、ハートの13と、三つ葉の11と、スペードの9と、ダイヤの12と、三つ葉の10であることを、みんなに見せています。
 どうだ、すごいだろう・・と(まあまあ)
 
 武蔵は小次郎と対面したとき、天秤を担ぐように櫂を構えたと言われています。
 長さが分からないようにです。
 
 小次郎は櫂を見て言います。
 
「そんなもので俺が切れると思うか?」
 
 た・・確かに切れません(笑)。
 
 小次郎は武蔵のカードをブタだと思いました。
 
 しかし・・・
 
 武蔵のカードが振り下ろされたときは、もう遅かったのです。
 
 カードはブタではありませんでした。
 
 ハートの13と、三つ葉の11と、スペードの9と、ダイヤの12と、三つ葉の11でした。
 つまりたった一枚のカードが上だっただけでした。
 それでも勝ちは勝ちです。
 
 なぜこれが起こったのでしょうか・・。小次郎ははじめからカードを見せていました。それが武士道だ、それが正々堂々だ・・とか言う言葉に酔って・・。
 
 賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。
 
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81件のコメント

[C2446] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/20-22:51:48
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[C2445] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/20-21:22:45
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[C2444] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/20-20:34:29
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[C2442]

小次郎がきれいに戦うイメージをくずさないのと
比較すると 武蔵は自分のすべてをつぎ込んで
戦っているという感じです。

それもただがむしゃらにすべてをつぎ込むのではなく ここまで計算されているとは 本当に驚きです 

もしかしたら死ぬかもしれないことで
奇麗事は言ってられないと思います
あらゆる情報や知識、直感などを総合的に
使うことが大切だとつくづく感じました

  • 2006/06/20-16:06:39
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[C2441] >「武士」と「賭博師」

「お前は弱い」で原初に立ち返る・・武蔵は原初に立ち返ったと思いました。
原初に立ち返ったあと、まずはがむしゃらに自分を高めようとするかもしれません、
でも、「弱い」は、きっと、ものすごく根源的な事だから、、消えずに残っていたと思います。
そして、、、「鳥の声を聞け」です。鳥の声を聞くことは、周囲との一体化
です。周囲との一体化を徹底的に行うと、視点は自ずと全方位に及ぶのでは
ないかと思いました。
(この反応は、性質によると思いました。ひとつのところ(一方向)に迎合する人も
いると思うからです。でも、まず「弱い」ことに気づけるか気づけないかで、
運命(命運)も変わるのではないかと思いました。きっと、センスする範囲がまったく違って
くるからだと思いました。)

武士道とは(検索してみました)「克己」「忠義」「卑劣な行為を忌む義」「礼儀作法」
「武士の世襲官僚化(!)」・・などなど。。書いてありました。
そういった「生き方」が美しいとされる向きがあったと思います。
ただし、、武蔵の時代は、民衆にしてみれば「そんなこと(武士道という生き方)より日々の
米(生活)が大事だよ!」
というのもあったと思いました。
武士道は・・・一部の特権に与えられた、「生活に余裕のある人が生き方をあそぶ(爆)」
のような気もしました。

すこしそれましたが。。
「弱い」「全方位」は、時空的であり、「民衆的」だったのかもしれないと思いました。
周囲との一体化をして、外側からの信号(オッズ)をうけとり、勝負に臨む時は、
「賭け」だと思いました。
それは、もちろん、真剣な、命がけのものであると思いますが、
同時に、「武士道」よりもずっとずっと根源的なものだったと思いました。
(私は誰がわかるまでは)常に最先端の未来とつながっているものだったのかも、と
思いました。
・・・まだ、考えてみたいと思います。
  • 2006/06/20-14:18:03
  • 投稿者 : マリ
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[C2440] 武蔵の印象

さりげなくなかなかできそうにない武蔵の行動を知るにつけ、「きれい」という印象を、むしろ、持ちます。

[C2439] う~む

「自信」に生きようとした者と
「臆病」と向き合い生きた者の≪戦≫だったのか・・・

人が対峙し≪戦≫が興るのは
「概念:エゴ」を守りたくなったとき・・・
もしくは
対峙した相手の「概念:エゴ」を認めたくないとき・・・

「悪意」は未だ
この世の影に留まっている
即ち
「悪意」という存在は表に大手を振って出てこられるほど
成長力が無いと言うことになる

しかし「正義」は
弊害がないせいか^^直ぐに表に顔を出す
安易な賛同も受けるため^^調子付く
その結果^^行き過ぎる・・・

「戦争」は正義が行き過ぎて起きている

人間が創り出すエネルギーの中で
この世を滅ぼす確率第一位は「正義」^^だと
へそ曲りは^^考えている

美しき考えも^^ほどほどに
神様も^^ほどほどに

力んでいる奴は「いざというとき」に限って
   
         ^^転ぶ^^

影と光はすべての存在の始まりなのだろうか・・・
どちらが「上」では無く
どちらがあなたの「お好み」か?
正直に選択し真摯に結論を飲み込みまた正直に選ぶ

目の前に「今このときの私」は存在する

偉そうなので^^直ぐに消えるかもしれない
それもまた「交わり」

[C2438] 賭けの放棄

>小次郎ははじめからカードを見せていました。それが武士道だ、それが正々堂々だ・・とか言う言葉に酔って・・。

そもそも、小次郎は最初から賭けを放棄していると思いました。
賭け自体を否定しているような感じです。

手持ちの札の何枚かを見せるやり方はあると思いますが、なんか「賭けなんかするな」と勝負の相手に言っているような気がします。

何に賭けるかが重要である気がします。
小次郎は武士としての生き方をまっとうする方に賭けたのだと思います。

しかし武蔵の賭けの対象が途方も無かったのだと思います。
武士という生き方よりも「生きるとはなんだ」みたいな問いのような気がします。

[C2437] 番外編を読んで。。

どこまでも武蔵という人は行き届いていたんだと思いました。小次郎は来ないというためだけに行ったのだから。。。

[C2436] ブタではなくなってたアア。。。

急に。。ホッソリスリムになっちゃったの。。汗汗。。う~~ん。。どんな方法か。。おしえてくれ~~♪♪汗汗。。。もしかして。。。ブタちゃんから。。デブちゃんに。。かわっただけかあもなあ~~(≧(・・)≦)ぶひぶひ~~ははは~~汗汗。。。
  • 2006/06/20-09:13:35
  • 投稿者 : バニー
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[C2435] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/06/19-23:57:48
  • 投稿者 :
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[C2434] ゲームの達人

ルールの決まったゲームの達人小次郎は、ルール以外のことには対応できません。対応できたらルール違反でそのゲームの達人とはいえません。なにせ正々堂々ですから。私は結構これにはまってしまいます。偉そうに説教したりして。恥ずかしいです。 武蔵は自分でゲームを作る達人だと思います。ゲームを作った人は、小次郎の次の動きが読めてしまいます。つまり未来がわかってしまうだと思いました。 

[C2433] 私

私は、もりけんさんの文章を真剣に読んできたでしょうか・・・
残念ながら、そうではなかったと告白しなければなりません。
私には慢心があったと思います。 そのために、もりけんさんや、武蔵や、課長を
侮辱するに等しい文章を書いてしまいました。 >(どうか、お続けください、お
願い致します)のことです。

外側が大事などと知ったつもりになってはいても、私はもりけんさんの文章をない
がしろにしてきたのです。 もっと何度も何度も読んで、理解しようとすべきでした。
しかも、それは、最ももりけんさんの核心に迫るところでした。
最も繊細なところでもありました。 

また、私が書いた次の文章も酷いものです。
>「人生は不条理です。・・理不尽で不平等とも言えます。」と書きました。
もりけんさんを読んでいながら、この文章はありません。 時空のシステムの前では、
誰もが平等なはずでした。 我ながら、恥ずかしく、情けないです。
先の文章といい、これといい、もりけんさんに「こんなヤツに読ませるんじゃなか
った」と思われても仕方ありません。

データ(もりけんさんの文章)を大切にしない・・・それが私でした。
データを読み解くよりも、もりけんさんのスピードについて行くのを優先していま
した。 それは、ついて行けている人は優秀で、ついて行けない人は失格のような
レベル分けをしてたのです。 そして、理解しているかのようなコメントを毎日書
くのが義務になりました。 なんて傲慢でしょうか。 そして、その義務をやり遂
げようとした私は、思い切り「私は原因」になっていました。 

私は、もりけんさんの何を読んでいたのでしょうか?
何よりも、もりけんさんには申し訳なくて、どうすればいいのかわかりません。
ごめんなさい。

[C2432]

>勝ったあと武蔵はわざわざその島に立ち寄り、女に言います。
「待っていてもしようがない」・・と。
 
よく考えたら…わざわざ言いにいったというのはスゴイです。命がけの勝負に送り出した女の心まで慮ったのだとおもいました。しかし恋人を殺した相手にあって冷静でいられるかどうか…う~ん極限の設定で…身の毛がよだちます。しかし…ちょっと↓のカキコは失礼な書き様でした。女性は覚悟してたのかもしれないし…。(しまった…また一人の世界で生意気なことを(滝汗))
武蔵という人は…そこではもし討たれてもしょうがないぐらいの気持ちがあったのかもしれないと思いました。賭博師は…賭博をおりているとき…世間の普通の人より弱い気がします。

[C2431]

お通は…裏切らない…のだろうと思います。
だからこそヒロインなんだと思います。
しかし…武蔵に何かあっても…彼女は以外と淡々と立ち上がる気がします。どちらかと言うとそこに母性とか少女性を感じます。そういうお通でないと武蔵と一緒に「いる」ことができないように思います。(本読んでないのでまたも超所感です(汗))

[C2430]

>すると女は立ち去ります・・。
 
↑たいそう「女」らしいとおもいました。
約束をまもるのは女らしくないというのが個人的感想です。。。女性というのは体に支配されて自由がきかないので、自分も他人も裏切り続けるのが女性性のなかにある気がします。他人との約束守ってたら…壊れると思います。超超感想です。しかしほかの女性がどうかんがえてるかは…わかりません。ちなみに私は「マジメ」ぶってるので女としては超イケテなく…小次郎の彼女には憧れます。(美人みたいだし)
 
今日は…何時にもまして妄想中です。武蔵という人に限らず剣豪はなぜ勝負にいきるのかと思っていました。そこでないと生きてる気がしないんだなと思いました。
小次郎だってそうだったのだと思いました。だけど賭けるところが違ってたのだと思います。オノレをたよりにして…オノレの掛け金を決定して…それをもとに賭場を支配しようとするか…オノレ以外まで土俵にあげて自分の掛け金をつりあげて、賭場を広げて、ゲームを不安定に落とし込んでいった(そしてソコに勝機を見いだそうとした?)…という面もあったのではないかと思いました。
自分(命)を賭ける時、その場がでかくないと…やってらんなかったのかなと思います。一番大きな札だから。小次郎は武蔵がゲームを吊り上げていったのに気づかなかったのかなと思いました。
 
しかし…わーかーりーまーせーん~(笑)
GW前後から巌流島のお話ですが…いまだ武蔵のなにもみえません。彼が櫂で勝ったという本の文になったコト以外は。

[C2429] 巌流島・・「武士」「賭博師」

アハハハと思わず、笑ってしまいました。

そうだったのかと目からうろこでした。

殺し合いだもの・・殺すか、殺されるか、他人が死ぬのではなく

やられたら自分が死んじゃうのだから、必死で『問い」を考えて

戦術も戦略もあって、戦争に挑んだとおもいます。

結果、相手の頭を叩き割ったわけで、自分の手の内を、さらして

勝負に出た小次郎は、自分は死なないと思っていたのか、よっぽど自信があったのか不思議です。

[C2428] 牛と小次郎の彼女

牛(丑)ともりけんさん・・
茶色のウシなんて見たことないし、触れそうもない(汗)
でも、かわいい(笑)
小次郎の彼女・・立ち去ったあと、ひとり静かに「小次郎さま・・」
と思ったかもしれません。負けることが、わかっていたかもしれない。
でも、そんなダメな小次郎にも彼女はいて、多分、お通のような
魅力はなかったと思うけれど、彼のことが好きだったのだと思います。
(よくワカリマセンが・・汗)
お通さんも、どんなヒトかわかりません・・でも、もしも「武蔵」の
ために出来ることがあれば、何でもできそうなチカラが溢れてきて・・
どんな場所にいても、どんな時でも、その身を案じていたように思い
ます。武蔵に「女の人生」を賭けたのだと思います。
お通は武蔵に、心底惚れていたのだとおもいます・・・・(☆)

[C2427] 牛が

のどかです~
  • 2006/06/18-23:17:52
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2426] >すると女は立ち去ります・・。

あっさりしすぎ~。でも、自信過剰な小次郎は、いつか負けると思ってたのかも。
お通だったら、やっぱあきらめなくて、自分で短刀で刺しにいくくらいしたんじゃないか‥。
  • 2006/06/18-23:16:52
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2425] わあ~

牛さん、こんばんわ(^^)

[C2424] 賭博師かそうでないか・・

賭博師は最後の最後まで手のうちを見せることなど、
ないと思います。
顔に出すことも・・。
「鳥の声を聞け」・・十分な準備が出来たら、
後はおまかせ状態です。
賭博師は人生何ひとつとして中途半端はない気がします。
女、周りとの関係、戦い・・。
そして常にポーカーフェイス・・。
賭博師ではないということは、命をかけた戦いをするには
危険すぎる気がします。
同じ土俵に上がれていない気がします。
  • 2006/06/18-22:05:42
  • 投稿者 : まる
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[C2423] 賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。

ウ~ン。。賭博ねえ~~。。お正月とか。。マージャンチョットやったことありますが。。あんましわかりません。。チョンボやったりで。。汗汗。。やぱし。。パチンコかなああ~~。。刀では。。ルパンの五衛門の斬鉄剣で~~あつ~くなったりしますが・・・そうそう。。八代亜紀の演歌の歌姫は、絵描きさんバージョンとかもありましたね~^^熱燗モードはとく。。とく。。とくと。。お酒があふれでてきて~~。。時空のお話みたいでっすううう。。。^^
で。。やっぱし。。雨の慕情かしら。。。♪♪雨雨ふれふれ~~♪♪も~っとふれ~~♪♪。。わたしのいい人つれてこい~~♪♪だなあああ~~^^


 


  • 2006/06/18-21:55:35
  • 投稿者 : バニー
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[C2422]

 昨日のひとりごとに武蔵のことが書かれていたのでそれも参考にもう一度考えてみました。武蔵がなぜ賭博師なのかを理解する助けとなる考え抜き出しました。
>「鳥の声を聞け」
 このフレーズで武蔵は、賭博に気づいたのだと 思います

「鳥の声を聞け」はリラックスすることが大切であるや、周りに目を向けろという意味があると思います。自分は剣道をやったことがありませんが、サッカーを部活動でやりました。下手でした。練習でボールコントロールや一通りのプレーはできるのですが試合では周りが見えなくなるのです。ボールだけにしか目がいかなかったり、目前の相手ぐらいしか目がいきません。遠くのボールに反応したりしていました。周囲の連携なんかあったものではありません。実際は、自分しかなかったように思います。武蔵が石舟斎のときどんな状態だったかはそこから想像しています。
 武蔵には自分の剣の腕、自分の気迫といった自分しかなかったのかと思います。剣に強くなるには自分を高める、そういう考えだったと思います。この自分を高めるが武士道なのだと思います。
 「鳥の声を聞け」は自分だけにいっている目を周りにも向けろというアドバイス。勝負の間、鳥が鳴き、花も咲いていて、太陽が強い日差しで輝いている。当然相手もいる。そういった自分以外の周りのものが勝負を決める。そこには自分ではどうすることもできない運もある。
 「鳥の声を聞く」から視点が自分(武士道かな)から自分以外の周り(運も含めて)にいったのだと思いました。
 小次郎にとって勝負は相手と自分のどちらが強いかという視点が強いのだと思います。だから自分を強くすればいいという武士道的発想(武士道がどんなものか自分はよく知っていず多分そうだろうと思って解釈しています)。
 一方武蔵は自分を含めた全てが勝敗を決めていると思っていた。周囲は自分でどうしようもない不利なものもあったりします。どんな結果になるかわからない確率的要素(運)もあります。
 なら武蔵はどう戦いに臨むか。それは賭博師的ななるのだと思います。まず相手の手の内を知ること、自分の手の内を確かめること、そしてできるだけ自分に有利な条件を作り出すことだと思います。そこに自分の手の内を見せないも入ると思います。でも、結局は勝負はやってみないと分からないのだと思います。勝負をすることは命を賭けることだと思います。

賭博師・・・賭ける人。ぴんときませんでした。自分は、賭け事なんかしていないと思っていました。最近は緊張感のないぼっとした生活をしているのだなと思います。
でも、ほんとはやらなければならないことがあります。仕事のことですが賭け事の真っ最中じゃないかと今ふと思いました。

[C2421] >賭博

小次郎は剣に賭けていたと思います。
剣の腕は極めても、勝負という場に関しては出たとこ勝負という行き当たりばったり、後は自分の腕=経験+勘しかないという状態だったのかもしれません。

先の自分のレスを書いている時に、武蔵を賭博師と呼ぶのはなんか変だなと思っていたのですが、やはり小次郎の背後になる何かを見てそれに対峙していたように思います。
自然というか宇宙というか・・・

鳥の歌を聴けで、自分が対峙し勝負するものが変わったような気がします。

小次郎と武蔵、どちらが汚いとかではなく、勝負を挑んでいる相手が最初から違っていたのかもしれないと思いました。

[C2420] >番外編

小次郎の恋人は、ある島で待つように指示されていました。
勝ったあと武蔵はわざわざその島に立ち寄り、女に言います。
「待っていてもしようがない」・・と。
すると女は立ち去ります・・。
  • 2006/06/18-21:00:47
  • 投稿者 : もりけん
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[C2419] 番外編

いつかのもりけんさんの書き込みで小次郎がつばめを斬ったあと、主人の女に手を出した話を思い出しました。

もし、武蔵が小次郎に殺されたら、お通は豹変したのではないかと思います。そして武蔵以上に「汚い手」を使い、策を弄して小次郎に近づき、小次郎が寝ている隙に、喉をかききるとか陽物を切り取るとかぐらいはしそうです。お通はそれぐらいのことはやりそうな幅というものを感じさせます。

かたや小次郎は武蔵に斬られたとしても、小次郎の恋人が武蔵の寝込みを襲うということは考えられません。高級ホステスのようなわかりやすい女とばかりつきあっていたのかもしれません。

最終的に女性は誰も小次郎のために捨て身になってはくれなかったということなのかもしれません。
  • 2006/06/18-20:27:32
  • 投稿者 : ナイル
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[C2418] 武蔵がW杯日本代表だったら

実力が上だと思われる相手を前にして、寸暇を惜しんで練習すると思います。武蔵もはじめはそう思ったかもしれません。しかし練習をしても試合までには間に合いそうになかったのだと思います。

そこで武蔵は方針を変えたのだと思います。実力差がある相手に対して次善の策は、戦いをやめることだったと思います。

小次郎も武蔵が定刻に現れないとき、きっと武蔵は戦いを中止したのだろうと思ったかもしれません。それほど二人の剣の実力の差は小次郎、武蔵を含む、誰の目にもあきらかだったのだと思います。

しかし、武蔵が探ったもうひとつの可能性とは、実力という本質的価値に上乗せするプレミアムの部分だと思います。実力+プレミアムの部分が小次郎を上回れば武蔵は小次郎と互角に戦え、うまくいけば勝利することができる可能性もあると武蔵は考えたのでしょう。

さて、このプレミアム部分ですが、これはリスクと呼ばれます。この部分を最大限に分厚くし、逆に小次郎のこの部分を最大限そぐようにもっていけば、お互いの現在の実力、すなわち本質的価値が変わらなくても、総合点で武蔵のほうが上回る可能性があるわけです。

このプレミアム部分というのは、不確定である、未知であるということが、その価値なのだと思います。野球のピッチャーでも球が適当に荒れているということは、メリットになります。武蔵が小次郎が絶対に考え付かないような方法を情報を遮断して画策したことはプレミアムを大きく押し上げる要因となります。逆に、小次郎が手の内を全て周知のものとしたことはこのプレミアム部分の価値を大きく減価させることとなったのだと思います。

その結果、最終的に武蔵の総合力が小次郎の総合力を一瞬上回り、その期を逃さず武蔵は小次郎をつぶしにいった結果、勝利をものにできたのではないかと思います。

このプレミアム部分(未知の部分)というのは、実に水物です、というのは、それは「実体」として常に一定のものとして存在する価値ではないからです。

冒頭に武蔵がサッカー選手だったらということを書きましたが、意外とゴルフが上手いのではないかと思いました。
  • 2006/06/18-19:23:57
  • 投稿者 : ナイル
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[C2417] >賭博師

どれだけ、捨て身になれるか。じゃないだろうか・・・・・
勝とうと思うと負ける。最初から負けを覚悟して行く・・・
それが自爆テロということじゃないか・・・・・

最初から負けを認めて「さあ。どうにでもしていいよ」と出たとき・・・・

女神が微笑むのかも・・・・・・・・


わたしはそうだった・・(滝汗)
人生終ったかと思った(爆)(終ってるけど・・・)


捨て身で行った・・・・・これからの人生を捨てる覚悟(もうどうなってもいいという)で博打うちました・・・・・

で・・・・・解決しました。
(めでたし。めでたし。。。これ。言えませんがマジな話です)
(誰もマジだと思わないだろうな。。。普段が普段なだけに(爆))



[C2416] やっぱり

小次郎も絶対勝てる自信なんてなかったのかも。自分の実力に自信はあっても、絶対勝てる保証はない。でも、そんな弱気は外に出せるはずないし、王者に、自分を見せかけようとしていただけかも。王者を演じていただけで、読者もギャラリーだから、誰もが、小次郎の手のうちにはまって、彼を王者だと思い‥
‥ずーっとループしてるような気がしてきました。

勝てる保証はどこにもないのに、いつもどこかに賭けないといけないのが人生って感じです。
  • 2006/06/18-16:18:11
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2415] 武蔵は

人生の、もしくは戦いそのものの賭博師で、小次郎は剣の上だけの賭博師だったと思いました。分野のずれた賭博師で、小次郎は、相手の異種に気づかず、戦って敗れたように思います。
  • 2006/06/18-15:39:17
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2414] >それが武士道だ、それが正々堂々だ・・とか言う言葉に酔って・・。

小次郎は、酔っていたとしても、とことん酔っている人だと思いました。とことん酔える人は、キレている人です。小次郎は、自分がこの世の帝王だと心から信じて疑っていなかったんではないかと思います。ここまでくるといっそすごいです。
小次郎は王者として、どんなやつでも、必ず叩き斬る、全力で叩き潰す、カードを全部見せにしても絶対負けないと信じていたと思います。

でも、彼が王者なのは、剣の上だけで、武蔵が剣じゃなくて櫂を持ち込むとは思ってなかったと思います。剣じゃなくて、櫂を持ち込むのは、お互いボクシングだと思ってたのに、実は相手はキックボクシングで、いつのまにか異種格闘技戦になっていた、みたいなものだと思いました(汗)

賭博師かそうでないか、というのは、武蔵が小次郎にとって、実は異種格闘技戦の相手だったというくらいの差が二人にあったってことのような気がします。
  • 2006/06/18-15:34:59
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2413] 武士と賭博師

 武士で賭博師だと、賭けに勝つために、あらゆることを想定内に。想定外については、味方につくような流れ、そういう流れを作る。絵を描いて、遅刻して、お日様背にして、結構色々細かいことが、何気に出来ないと、忙しくて気ぜわしくなりますので、日常の全てが、流れを作る瞬間の積み重ねの人生でないと、淡々とすべてを漏らすことなく準備できない気がします。細心な注意の上で、自分の足先でコロコロと、(どっちの目がでるかなー?)と、勝負の結果をビンに詰めて転がすくらいのリラックスでビンコロコロを楽しめる位のひとでないと勝てない気がします。人生が博打というのは、大いにあると思います。一方で、わらしべ長者とか、この間テレビでやってた、赤いクリップと家をば交換計画の人とか、超オープンマインドな人がリラックスして、楽しみつつ淡々と、勝負の結果を受け取るような博打の仕方に
も惹かれます。有り得なさそうだけど、面白い。究極的には、これくらい他力本願でリラックスな人生賭博はないように思えます。→ わらしべ長者。身も蓋もなく、隠された切り札は無論なく、ALLオープンで、勝負です。

[C2412] 将棋でいったら、

小次郎が名人で、武蔵が挑戦者、という感じです。小次郎は自分のすごさをあますところなく見せ付けて、「わたしを超えることはできまい」と暗にプレッシャーをかけてきます。小次郎って、身も心も王者になりきってたんだなあと思います。その風圧をはねかえす、もしくは受け流して、さらに勝機を探す武蔵‥。二人の関係は実際は、最初から対等なはずなんだけれど、小次郎は対等よりもこちらが上と思わせようとしたと思います。ギャラリーはすっかり小次郎にだまされて、小次郎が上だと思ったと思います。
  • 2006/06/18-15:09:39
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2411] 小次郎は

演出がすごいと思いました。ギャラリーがいて、そんな海岸の小高い丘で、ツバメ返し‥。「小次郎はすごい。最高の技のキレ味。輝いてる男。小次郎にかなうやつはいない」という演出。
相手が実力のない剣士なら、戦う前から、戦意喪失しそうです。小次郎と戦うのは、まるで死ににいくようなものです。
武蔵も、絶望的な気持ちから、起死回生を必死で考えたと思います。策を考えたけれど、果たしてそれで勝てるかどうか、確信はなかったと思います。それでも、そこに勝負をかけるしかなかった。武蔵は、ほんのわずかなスキマの、紙一重の勝負で勝ったと思います。
スキマに勝機を見出し、そこに賭けられるのが賭博師だと思いました。
  • 2006/06/18-14:49:26
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2410] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

武士と賭博師・・
イメージ的には武士の方が断然良いです。
 
武士道といういうのがあります。
まさに武士の道,外れることはゆるされません。
外れると武士ではなくなります。
一方、賭博道といういうのは聞いた事がないです。
なんでもありなんだと思いました。
 
武蔵の場合それが、意識と無意識の通信だったんだと思います。
外れることをゆるされない。
一見、規律を重んじる感じがしますが、外れるとまた違う道が開ける可能性もあります。
 
何でもありの賭博師。
イメージが悪かろうが、他人に指をさされようが、最強の感じがします。
 
○○道。
本当はそこに道は無いのかもしれないと思いました。
  • 2006/06/18-14:20:32
  • 投稿者 : H2O
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[C2409] なんだか・・

太陽が出ている時間にこうもり女がいるので、
なんだか、不思議な感覚です・・

昼なのに・・夜のような・・

夜と昼が混在しているような・・


・・


[C2408] 「賭博師」

賭博師は手の内を見せない。当然だと思う。
小次郎は手の内をみせた。賭博師ではない。そう、小次郎は「武士」だと思っていたから。

小次郎は「武士らしく」にこだわった。「どう生きるか」にこだわったのだと思う。

武蔵は「この勝負に勝つ」それだけであったと思う。だから勝負師。そして、勝負に勝つためのあらゆる方法を考え、練習した。そしてそれを無意識まで高めて勝った。

この世の中も常に戦いだと思う・・言ってるほど厳しく思ってないが・・だから、戦いに勝つ方法をよりたくさん知っているほうが勝つのではないか・・

運も味方にして・・そうか、だからみんな賭博師なんだ。

[C2407] >巌流島・・「武士」と「賭博師」2

小次郎は、武士道に則っていて、正々堂々としていました。

だから、それで負けてしまっても、その負けを正当化できると思いました。

俺は正々堂々と闘った・・
かたや武蔵は汚い手を使った・・と。

しかし・・

しかし・・

正々堂々を宣言するのは、始めから負けたときの言い訳を用意しているようなものであり、
負けを認めないということだと思いました。

武蔵は、武士道から降りました。

それは、360度の可能性に自分を開いたということだと思います。

鳥の声をきいたということだと思います。

外側の声に耳をかたむけ、
感覚を研ぎ澄まし、
外側とのネットワークをつないだ・・
ということだと思います。

それは、武蔵の運気を上げたと思います。

そして運気が上がれば自ずと勝つのだと思います。。


しかし・・

正々堂々を語るものにとって、
それは許せないことなのでしょう。。

それは、嫉妬であるともいえます。

でも、嫉妬するってことは、視点が「個」にあるということで、
ネットワークにつながることが、卑怯に見えるのだと思いました。

賭博とは、あらゆる可能性を試すことだと思いました。


私たちは、私が誰だか、分かりません。
私がなぜ、この世界に存在しているのか分かりません。

そもそも、この世界そのもののしくみが分かりません。

それなのに、この世界で正々堂々と生きて、真っ直ぐに生きても、
すぐに終わるだけです。

寿命が尽き果てるだけです。

そして、記憶をリセットさせられる・・
そして、生まれ変わる・・
その繰り返し・・
なんだか、たまらないです・・
知りたいです・・
いったい時空のしくみはどうなっているのか・・

なんのために、世界があるのか・・


なので、手持ちのカードを最大限に生かして、あらゆる手段を使って、
あらゆる可能性を試しながら
時空の謎にせまること・・

それが賭博師だと思いました。


正々堂々を語る武士は、方向性が決まっているので、
3次元的な支持はだんぜん大きいでしょうが、
「問い」は生まれようがないと思いました。

定められた価値観に則って、定められた運命のレールを歩み、
そして、死んでいき、
そして、また、生まれ変わり・・

そうやって、ただただ繰り返し続けるのだと思いました。



[C2406] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

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  • 2006/06/18-13:50:38
  • 投稿者 : H2O
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[C2405] >賭博師

人生は賭博だと聞くと、ああそういうこともあるかもしれないと思えます。誰にもそういう瞬間が訪れることがあるだろうと。ところが、誰もが賭博師なのだと言われると、とても自分にはそぐわない気がします。人生は選択の連続だとは思っても、それは賭博といえるほどスケールの大きなものとは思えません。
小次郎は武士道を歩んだでしょう。誰をも寄せ付けぬ実力を手にしたことは、自他共に認めるところだったでしょう。
対して武蔵は賭博師だった・・
武蔵は、過去の賞賛や名勝負の名残など、自分のどこにもとどめることをせず、勝負と勝負の合間には常にゼロの自分に戻ったのだと思います。
そして来る勝負にかけては、相手がどこの誰であろうと、手を抜くとかナメてかかることをせず、着々と態勢を整え、相手とにらみ合う寸前まで計算ずくでこれ以上できないところまで準備してかかるようです。
小次郎は、きっと実力を発揮さえすれば必ず勝てると思い、自分のコンディションに一番気を配っていたであろうのに対し、武蔵は、無類の用意周到さをもってしても、勝負の最中には何が起こるかわかったものではないと、そのときに備えて全身を針のようにとぎすませて臨んだのだと思います。
自分の弱さと向き合うというのは、そういう機会はなかなか得られるものではないんだからなど思ってみても、やはりしんしんと頭から歓迎できない感覚が全身に広がっていくようです。
自分はとことん甘いと思います。甘いです。
甘いから、すぐ誰かに頼ろうとか、誰かと通じ合っていたいなど考えます。
人は誰でもそのままで時空へ反射している存在なのだから、人と人は別に努力して手を取り合うなどしなくても気づかないうちに、お互いが時空を仲立ちに、反射のキャッチボールをしあっているのだと知りました。
個が皆博打師というと、ゼロモードから勝負モード全開までの落差に耐えうる強者ぞろいで、しかもすり寄ったり依存しあわないというすがすがしさもあるようです。
その落差を楽しんでやってのける人には、やはりぐいぐい惹かれるのはどうしようもない気がしますが、賭博師は潔いだけでなく、過去の蓄積に酔うことなど全くないのだと気づきました。小次郎は、積み上げてきた武士道の、常に頂点に位置していたのだと思います。

[C2404] 賭博師

自分に欠けていたのは、人間生れ落ちたら皆賭博師だ、という視点でした。皆、だったんですね、当たり前ですね・・、どうして気付かなかったのだろう・・。本当に昨日の独り言で頭をかち割られた思いです。自分に「バーカ!」です。

小次郎は手の内を見せるという、自信たっぷりの姿勢、これってかなりの賭博師、「どうだ!我の力を見よ!お前に勝てるか?」試合前(それも命がけの)に、思いっきり相手を威嚇しているように映ります。

片や武蔵は一人隠れて静かに準備に余念がありません。櫂を使っての命がけの決戦は、ものすごい賭けに打って出る以外のなにものでもないでしょう。

こう見ると、二人とも賭博師です。ただ、小次郎は武士道に則った、であり、武蔵は、武士道を降りた、であった・・。

昨日のレスにも書きましたが、武士道に則っていると、大衆一般受けすると思います、万人に認められやすい。これが彼のつまらないところであり、自信過剰に陥るところでもある様に思います。褒められて生きてきた人の弱点か・・。

武蔵は違った、武士道の土俵は「お前は弱い」を切っ掛けに降りて、周囲を見方に付けることに徹した、真実を受け入れた人の発想転換とドンヨクなまでの情報収集と冷静な判断で、勝利を勝ち取った・・。

今はここまでで精一杯の書きこみと思います。もっと考えてみます。

[C2403] 小次郎と武蔵の練習の違い

小次郎が小高い丘でツバメ返しを練習することは、それを見た人によって、小次郎は強いと賞賛されただろうと思います。小次郎はそれに酔っていたかもしれないと思います。
一方、武蔵は地味に人気のないところで策を練って練習してきたと思います。そこには誰から褒められるということがないので、他人の言葉に酔うという事はなかったろうと思います。だから、冷静であったこと、練習に専念できたという事が勝因にも繋がったかもしれないと思います。

[C2402] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

ルーレットで腕の良いディーラーは、自分の好きなところに玉を止めることができると聞いたことがあります。もしかしたら、カードのディーラーもできるかもしれないと思います。

配られるカードは自分の外側であると思います。
普通なら公平であると思われるカードの配布が公平でないとしたら、何だか詐欺みたいです。

相手が真っ当なやり方でないとしたら、こちらだって真っ当でなくても良いのかもしれないと思いました。(不正を正当化しているのではありません。考え方としての真っ向勝負をする必要はないかもしれないということです)

実際の賭博ではどうなのか分かりませんが、ディーラーと参加者達の騙しあいのようだと思います。信じるものは、自分しかいない状況なのかもしれません。

武蔵は、外側を味方につけました。櫂を見つけ、潮の満ち引き、太陽の反射・・・
今までのブログで、武蔵は周りに身を任せきっていたと思っていました。しかし何か、違う部分もあったように感じました。


武蔵は誰にも見られず作業をして、誰もいないところで練習をした。試合の時はすべてと繋がっていたように思いました。でもそれまでは孤独に身を置いていたのだと思いました。勝負のその瞬間まで、孤独でい続けていたのかもしれません。

周りを味方につけたとしても、最後の結果が出るまでは、どうなるか分からない・・・と思っていたのではないかと感じました。結果が出るその瞬間まで、武蔵は自分のことを信じる自分があったのではないかと思いました。 

[C2401] >そんな言葉が言えるでしょうか?

言えないです。 私は何もわかっていません。 
情けないだけです。 

[C2400] >(どうか、お続けください、お願い致します)

私が課長にそんな言葉が言えるでしょうか?
大旦那や佐助が武蔵にそんな言葉が言えるでしょうか?
上下関係を問題にしているのではありません。
  • 2006/06/18-08:58:00
  • 投稿者 : もりけん
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[C2399] 人生は賭博

神は、人間に対して平等なのだろうか、と疑問に思っていました。
人は生まれ、そして、必ず死にます。 また、地球上の24時間は、誰にとって
も同じ24時間であり、酸素も何故か公平に吸える分だけはありそう。
このことを考えると、神は平等とも考えられます。

しかし、一方で、どう考えても不平等としか考えられないことが多すぎました。
なぜ貧富の差があって、人は生まれながらにしてこうも違うのか?
なぜ戦争のある国と、戦争がない国があって、それぞれの国に生まれ落ちる違いを
生じさせるものは何なのか? なぜ、悪人と呼ばれる人が豪邸に住み、長生きもし、
畳の上で死ぬことになるのか? 一方、何の罪もないと思われる子供たちが、災害や、
事故や、殺人で死ぬのか?・・・書き出したらキリがないです。
ハッキリいって、人生は不条理です。

理不尽で不平等とも言えます。 その理由を探ることで、カルマ論が出来たのかも
しれません。 また、そこから脱出するために、修行や、奉仕や、魂を磨くのうよ
うな考え方が出たのでしょうか。 しかし、そのような磨き方をしても、いっこうに
不平等も、理不尽も、不条理も改善される兆しが見えない状況だと思います。

私は、もりけんさんの研究によって、運命は90%は決まっており、私たちは結果
に過ぎないと知りました。 ならば、運命のされるがままでよいのか?・・・
私たちは結果でも、運命は決まっていても、それでも「私」という意識はあるので
はないか? 最後に残された意地かもしれません。 運命を決めたものへ対して、
せめて一矢報いたい。 それさえも放棄してしまって、逃げ出すつもりなのか?

逃げても、運命は変わるわけがありません。 しかも、次の生でも、同じ賭博場に
生まれ変わります。 どんな境遇に生まれ落ちるか知れませんが、何らかの命式を
まとった運命の子として誕生します。 つまり、どこまで逃げても、人生は賭博で
す。 生まれる瞬間も賭博であり、生まれてからも賭博です。

武蔵が「鳥の声」が聞こえたとき、武蔵は感じのかもしれません。
この世で、大切とされている一切のことは無意味だと。  
不条理な世の中で、こんなにも弱い自分が武士道にこだわってどうするのか?
そして、「鳥の声が」聞こえた武蔵は、広大な無意識の世界と繋がって、未来の
情報を意識化することが出来れば、武蔵にとっての不条理を破れる、と確信した
のかもしれません。 武蔵はそこに賭けたのだと思います。

それでも、100%武蔵が勝つ自信はなかったと想像します。
なぜなら、勝負は時の運です。 やはり、どこまでいっても賭博なのです。
武蔵の手の内を隠すやり方も、用意周到さも、賭博性を知り抜いた上でのことだっ
たと思います。

以上、遅ればせながら、書かせて頂きました。

(どうか、お続けください、お願い致します)

[C2398] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/18-08:37:00
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[C2397]

 賭博師・・・相手の手を読む、自分の手の内を見せない、賭ける。
 確かに武蔵のしていることも賭博師と同じでした。小次郎の剣を観察し、自分は櫂を木剣にし小次郎の長剣に対応するのを勝負を決める瞬間まで相手には見せていません。時間に遅れ、太陽の光を背にし準備はできうる限り整えても勝てるかどうか五分五分だったと思います。そして勝負では命をかけています。これ以上ない賭けともいえます。
 >それでも勝ちは勝ちです。
 武蔵はリアリストだったのだと思います。武士道、正々堂々という言葉は人間の価値観でした。ふと信念体系という言葉を思い出した。小次郎は自分の作った価値観にどっぷり浸かっていたのではと。
 
 

[C2396] 小次郎がはじめからカードをみせていたのは。。

特に理由はないのではないかと思います。ただ、そういう性質だったというだけで。。。
結果として、それがたまたま、武蔵に味方したかもしれません。
ただ、それだけだったのではないかと思います。
オープンのしようが、隠れて練習しようが勝つ時は勝つのではないかと思います。

[C2394] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

たった1枚のカードが上だっただけ・・とすると、武蔵だってあれほどの策略を持っても、絶対勝つというわけではなかったのだ・・と思えました。
本人にも100%の確信があったわけではなかったかもしれないと思いました。
武蔵はそれを認識していたのだと思います。
だからどこまでも慎重に準備をしたのだと思います。
そして大きな賭けに出た・・。

小次郎は、武士として、あれだけのことをやり、できるのだから、絶対勝つと思い込んでいたのではと思いました。
というか、自分に思い込ませていたというか・・
小次郎だって、すごい賭けに見えます。
自分の腕一本で挑むのだから。
でも本人に賭けという認識がなかったのかと思いました。
だからカードを全部見せてしまった。

長い剣、すごいスピード、ツバメも斬れる・・というカードを見た武蔵は、それに対する対策を練ります。
そして最後までその手の内は明かさず。

夕べのの独り言にあった「これで彼は、武士を降りたと思います 」というのが心に残りました。
小次郎は武士としても勝ちこだわったのかと思いました。
武蔵のの方は人としての勝ちにこだわったのかと思いました。

[C2393] >>巌流島・・「武士」と「賭博師」

例えば、今の世の中で、スポーツとして、剣の試合をしたとします。スポーツなので、負けても命までとられることはありません。
しかし、当時は負けることはこの世の終わりでもあったろうと思います。勝つ方法を考えるのは当然だろうと思います。そして、「武蔵は自分は弱い」というのがあったと思います。生き残る道をあらゆる方向から考えたと思います。
最後はいちかばちかしかなかったのではないかと思います。武蔵は余裕で勝ったわけではないと思います。たまたま、最後に残ったカードが、小次郎より1枚多いのが残ったのではないかと思います。
たまたま運が味方をしてくれた。。。それだけだったのかもそれません。。
しかし、運が味方するのはいちかばちかがなければありえなかったのかもしれません。。。小次郎は強かったから。。。

[C2392] 賭博師かそうでないか

 武蔵は「命を賭けて」生きていたと思います、それも「武蔵の運命」に対して。
 
 もりけんさんが「ふしけんHP」の中で言っている、「いつも命を賭けています」の言葉が浮かびました、武蔵も同じように「時空」に対して「命」を賭けていた、「小次郎」が相手では無かったと言うことに気が付きました。
 
 「自分が原因」から「周囲が原因」にしても、「命賭け」で「時空」に対峙していなければ「時空」も相手にしてくれないと気が付きました。

[C2391] 賭博師は勝ちを狙う

 賭博師が勝負を狙うとき勝ちしか見てないと思います。正々堂々としたところで負けは負けです。ましてや生死を賭けた勝負です。自分のカードを見せてしまうのはただのアホです。相手に勝つための作戦を与えてしまうでけですから、真の勝負なら手のうちは見せません、負けるために賭ける人はいません。手の内を見せないのは当たり前のことです。自分の手札がブタだとしてもイカサマして勝つという方法もあります。賭博や勝負はスポーツではありません、ましてや戦に裏切りや卑怯な戦法はありません。まして武蔵が経験した関が原は家康が用意周到に敵を裏切らせたような戦いです。勝つためには命を貼って賭博に勝負するということは、全部の可能性をセンスするという途方もない集中力を要すると思います。

[C2390]

武蔵が小次郎に勝つにはと小次郎を観察して勝負に挑みます。
勝負の勝敗は大概ちょっとした差だと思います。
どちらが有利な手を持っているかはやってみないとわかりませんが、
自分の切り札は最後まで隠して勝負に挑みます。
手の内をすべて見せた小次郎は勝負に賭けるという肝心なことを抜かしてしまったと思いました。
斬れない櫂を油断した小次郎は最後まで武士だったようです。
私も小次郎的な部分で自己満足に陥っているところがあると思います。
切り札にどんなものがなるかはわからないです。

[C2389] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

剣客は刀の腕前だけがその実力のすべてではないと思います。
相手の腕前を見、相手の動きを読み、戦いの後のことまで考え、観察力や直観力で自分の回りすべての情報を瞬時に分析、判断しなければなりません。
その大事な情報を事前に漏らすのはそれだけで腕前がない事になると思います。

でも小次郎には自信があったのでしょう・・俺は強いと・・。
そして他の人たちに情報を公開してしまいます。

正々堂々は一見格好良いと思われています。
スポーツの祭典の開会式のときにも「我々は正々堂々と戦い・・」というフレーズが聞こえてきます。

しかし色んな情報を収集して相手の攻撃に備えるのが卑怯でしょうか?
そうではないと思います。
現代のスポーツだって、敵方の情報を収集し、分析し、それに備えた訓練をします。

早々に手の内を見せてしまった小次郎を正々堂々と言う言葉で褒め称えてよいのでしょうか?
背後に見方の武士を沢山引き連れて、もし負けても追っ手を放ち追撃しようとするもっと大きな権力の後ろ盾で戦い、武蔵とは比べようもない状況だったのに・・・。
一人、船頭に送られて乗り込んでくる武蔵が果たして卑怯だったでしょうか?

古今東西の戦いで、少ない陣営で勝った例はよくありますが、ある意味、武蔵のように情報を隠し、操作し、かく乱して勝つ方法で頭脳戦とも言えます。
しかしそれも実力のうちです。
いくら実力(武力)があっても情報不足で大将が負けると部下の将兵もまた惨めに命や財産を失います。
情報収集力もまた武力のひとつだと思います。
そう考えれば、戦争も、果し合いも、いやスポーツだって実力プラス情報だと思います。

果し合いで武力のみに頼った小次郎の方がむしろ無謀な賭けをしていたというべきかもしれません。

一方武蔵は本当の意味での賭博師だったと思います。
だって、実力+情報+運をも味方につけたのだから。
  • 2006/06/18-01:35:47
  • 投稿者 : 空タネ
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[C2388] >賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。


武蔵の用心深さは、どれほど完璧な作戦を立てて準備をしていたとしても、
100%完璧なんてことはないと思っていたからだと思います。
それは一見完璧主義者のように思えてしまいます。 
 
でも完璧主義者なら、100%に持っていくことができないと分かったら
勝負から降りるのかもしれません。
 
その反対で、100%に持っていくことが出来ないと分かっていても降り
ることをしないで挑めるのが賭博師で、だから武蔵は賭博師なのかもしれ
ないと思いました。
 
とことん用心する人にとって、完璧にすることが出来ない未知の数%はと
ても不安な要素だと思います。
 
でも感じているのが不安でも、その未知の数%で起こることが不吉な事と
は限らないし吉とも限らなくて、それならばなお一層用心深く準備をして
未知の数%に挑もうとするのだと思いました。
  • 2006/06/18-01:34:44
  • 投稿者 : ぷく
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[C2387] >小次郎ははじめからカードを見せていました

小次郎は手のうちを見せすぎだと思いました。自分の技に相当自信があって、絶対敗れないと信じていたからだと思います。
でも、全部見せたら、研究されてしまうし、そこいくと武蔵は、とても用心深いです。勝つためには手のうちは見せないほうがいいってよくわかっていたと思います。賭博師って言われると、たしかにそうだなあと思います。

お金を賭けてゲーム賭博とかしたことなくても、人間関係で、まわりの人にどこまでしゃべって、どのへんは言わないとかいう用心みたいなのは、みんな賭博の要素だと思います。誰かに弱みを握られないようにとか、みんなやってると思います。武蔵は、そういう人間同士のかけひきにも敏感だったのではないかと思いました。
  • 2006/06/18-01:24:08
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2386] 賭博師

生まれながらにして、勝負です。
誰も答えられない「私は誰」・・とゆう問いに直面したら
自分の存在が恐ろしいほどちっぽけに感じられました。
それなのに、こんな不安なのに、日々に埋もれてゆくとは
戦場にいながらにして、知らないふりと同じです。
でもそのくらい恐怖です。
ヒトひとりの人生なんてほんとうに、時空からしてみたら
点にもならないかもしれません。
ですが、それに向き合う・・とゆうのは、死ににゆくようなものだと
思います。
命懸けだし、捨て身です。
「私」の中には、いつでも「女の子」とゆう・・定義が溢れてきます。
「女の子」・・でも、生まれながらに弱くて「賭博師」であることには
変わりありません。
人生はゲームではない、毎日、勝負なんだと思いました。
ずっと続くと考えると、コワいです。でも、明日、死なない保証は
ありません。
だから「何したっていい」そう考えないのは、自分の存在が小さく
弱く、なんにもひとりではできない・・ただ、この世界に生まれて
死ぬ方向へ向かって進んでいるのに、いい加減になどできません。
そう思えば思うほど、真剣度も増します。
それに「問い」も大きくなるのではないかと思います。
賭博師・・
お金を操れなくて、時空も相手に出来るはずがない・・
そう思いました。

[C2385]

賭博師って、自分の能力・技力以外に直感(時空にアクセス)してカードを
出すのだから、無意識にセンスできてないとできない事だと思う。
それってすごいことだと思う。

[C2384]

正々堂々だろうが汚かろうが勝った方が勝ちです。
命をかけてるなら尚更だと思います。


サッカーもオウンゴールだろうが、オーバーアクションだろうが、一次予選突破してくれ~~~です。

勝つのが強いのだから。。。。。。

[C2383] >「武士」と「賭博師」

>小次郎は手持ちのカードが、ハートの13と、三つ葉の11と、スペードの9と、ダイヤの12と、三つ葉の10であることを、みんなに見せています。
やっぱり、見せちゃいけないって思います。
相手に知らせるなんてって思いますが、それが武士道なのだとしたら、そこから抜け出せない小次郎がかわいそうにさえ思います。
でも、武士道ばかりじゃなくこういうのはどこにでもあるのだと思います。小次郎のように秀でた人はそうなりやすいかもしれません。
小次郎は武蔵の情報は本当に何も無かったのかって思いました。賭博師になるには相手の情報を
得ておくのが必須だと思いました。
  • 2006/06/17-23:26:56
  • 投稿者 : Ciel
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[C2382] >「武士」と「賭博師」

一見、武蔵の取っていた行動は「せこい」「ずるい」勝ち方とも見えてしまうと思います。
小次郎のように正々堂々と戦えよという人もいそうな気がします。

しかし、武蔵の意志はせこいやりかたをして小次郎に勝とうとは思っていなかったと思います。
自分が無力で、外側に味方をつけた結果がそうなったのだと思います。
この展開の中で小次郎は、「個」を披露しすぎたという感じがします。
「俺はすごいんだぜ~、俺は強いんだぜ~、もって見てくれ~、俺は強い!!」
なんてこと思っていたのかと思います(汗)
ある意味せこかったというか汚かったのは小次郎のほうだったのかも知れません(汗)

賭博師というのは自分の内面について語るやつとか、自分で運命を切り開くという考えの中、自分のことを語るやろうには、まず賭博師にはなれないのだろうと思いました。

[C2381]

>賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。
運命変更できる一瞬の様に聞こえました。
  • 2006/06/17-22:33:04
  • 投稿者 : じんのり
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[C2380] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/06/17-22:11:52
  • 投稿者 :
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[C2379] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

欧州、南米のサッカー選手達の華麗なプレーはまさに小次郎です。
あの「小次郎」達を相手に日本人選手が正攻法で勝てるわけないです。
昔鈴木大地が背泳ぎで、スタートしてからしばらく長い時間潜水する戦法で金メダルを取」りましたが、彼の活躍の後、あの泳ぎ方は禁止になってしまったのです。
イタチごっこになるかもしれませんが、それくらいのルール違反スレスレの汚い戦法を考
えてやってくれよぉ~と、思ったんだけど、やっぱ勝敗は運命通りか・・・
  • 2006/06/17-21:34:24
  • 投稿者 : イーキン
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[C2378] 「他力」は「無意識」

「直感」です、「意識を無意識」にすることは、「自力から他力に身を任せること」と思いました。
 
 「自力」で何とかしようとする事は、「意識」のなせることです、その「自力」の道を捨てて「他力」に身を任せることは、「意識」を「無意識」にさせ「他力に賭ける」ことと思いました。

[C2377] >賭博師

そうですね。時空をも欺きたいです。
  • 2006/06/17-18:32:14
  • 投稿者 : ナイル
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[C2376] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

小次郎は「正々堂々は良い事」という信念とモノサシを
後生大事に抱えていて、捨てられなかったのだと思い
ます。

武蔵は、良いとか悪いとかの価値観がなかったのだと
思いました。

>賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。

なんか「ドーン」と迫ってくる言葉です。

[C2375] >賭博師

正々堂々という時「相手がずるいのはダメだ」というエゴがあると思います。

相手がどういう手で来るか分からないから、お互い手の内を明かそうという意図があると思います。

正々堂々という相手は自分が有利な立場が自分で分かるところで「手の内を明かしたからもういい」となるのでしょう。
結局は腰が引けているだけです。

武蔵は武士の教科書から外れていったと思います。小次郎は武士の教科書どおりに進みました。

賭博師であることは未知のデータを検証し実践することも含まれると思います。
未知だから周りから「そりゃあんた無茶だよ」と言われるからです。

教科書は所詮過去の積み重ねに過ぎません。
一部の賭博師は、未知のデータ=未来情報を察知し検証し実践していくだけなのでしょう。

武蔵もまた鳥の声を聞きながら未来情報を知り、自分でこつこつと検証していっただけなのかもしれません。

でもそれは命がけであることがすごいです。

[C2374] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/06/17-17:37:26
  • 投稿者 :
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[C2373] 「武士」と「賭博師」

賭博とは、未だ見えぬ未来の結果について、リスクを張って勝負を決することだと
思われます。 そのような世界で生きる賭博師や勝負師にとって、指標となるのが
データ、つまり、配られたカードの中身ではないでしょうか。
賭博師なら、自分の手の内(カード)を明かしたりしないと思います。
そんなことをすれば、相手に裏をかかれてしまうはずですし、そうならないように
気を配るのが当然だと思います。

また、勝負は確率の問題とも言えそうです。 どちらが、勝つ要素が多いか?
あるいは、どちらが負ける要素が多いのか? 見えない未来を賭けるわけですから、
やはり頼りとなるのはデータだと思います。 それをきっちり精査し、管理するこ
とも当然ではないでしょうか? (書くのは簡単ですが、実際は・・・自分のこと
を棚に上げ、こんなことを書いてる私は詐欺師?)

小次郎が自分のカードを見せて自慢している間に、武蔵は自分のカードを入念にチ
ェックしていたように思います。 また、小次郎が手の内を先に公開してくれたの
は、武蔵にとっては願ってもないことであり、そこに、そもそも武蔵は勝機を見た
のかもしれません。 

ところで当初は、武蔵にとっては、巌流島の賭博自体、とても不利な賭けではなか
ったでしょうか? ツバメ返しを見れば、小次郎の方が強いのは明らかでしたから。
無謀にも、自分より強い相手に向かって行くようなものだったと思います。
そんな賭けに、よく打って出られたものだと思いました。 強い相手に対して・・・
そんな武蔵に、もりけんさんの姿が重なりました。(小学生、高校生、そして、富士
通のシスラボ時代の逸話のことです)(また、対船井さんへの姿勢といい、もりけん
さんは昔も今の変わりないです) 元課長も同じです。 自分より強い相手と、クビ
を覚悟で勝負されたのだと思います。

また、「武士道」や「正々堂々」に酔っていたのが小次郎だとすれば、それは小次
郎に限ったことではないと思いました。(ここでも、自分のことは棚に上げて書き
ますが) 先の「独り言」で語られた修行僧たちや船井さんは、小次郎に似ている
と感じたのは私だけでしょうか? レベルが高い低いを問題にし、自分よりレベル
が低い人をブタと思い、毛嫌いするおつもりでしょうか?
(悪口を書いたので署名します。 兵庫県芦屋市岩園町32-10 森井孝介)

[C2372] 武士と賭博師

2人のカード、たった1ポイント差・・とゆう感じで、
どうして小次郎負けたの・・(?)とゆう気もします。
同じようなカードでも、どう勝負するかで・・結果が違います。
汚い手でも、潔く美しいやり方でも・・勝負の世界は勝つか負けるか
しかありません。
武蔵のやり方きたないかもしれない。でも誰も「そんな手を使っては
イケナイ」などと言ってません。
小次郎は自分の美学を貫きとおしただけです。
でも2人のカードに大きな差はなかったんだな・・。
そうか・・(汗)

[C2371] >「武士」と「賭博師」

人というのは、一生懸命ならそれで良いと思いがちです。学生運動に熱狂する同窓生に向けた、もりけんさんの卒業スピーチは、政治に意見あるものは、選挙に立候補すべきということでした。ものごとの正規を無視した外野で好き放題言うことは誰にでもできるけれど、そこで皆が熱狂して世の中の取り決めを変えようとするのは、暴力でしかない、改革ではない、ということなのだと思います。理を通せということかと。
一方、武蔵と小次郎の戦いは、ルールなど存在せず、どちらが強いか決着をつけるということだったのかと思います。そこでは、自分の生き方だとかスタイルなどアピールするだとか体面にこだわる必要は、全くなかったのだと思います。カッコなどつけないでがむしゃらで、相手をかくらんし、油断させ、意表をついた方が勝ったのだと思います。折り目正しいのが常に良いわけではないとわかります。
自分も、学生運動の波にもまれれば熱狂しそうだし、小次郎のように構えた戦い方などしそうな気がします。
でも、前者はアウトで、後者は不要なのだと少しわかってきた気がします。
賭博師になって戦えるか・・ですが、面白そうデス。小次郎的正攻法は疲れるダケで実り少ないことは身にしみた気がするので、武蔵っぽく決して顔に出さないで、相手構わず行こうとは思いマス・・

[C2370] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

 
武蔵にとってカードは、配られたカードだけじゃなかったんじゃないかと思いました。
自分の周りのあらゆるものがカードで、配られたカードはその一部に過ぎなかったのではと。
だから、配られたカードがいいかどうかというのはそれほど重要ではなくて、周囲のものと組み合わせたり、いろいろ演出したりすることで、いくらでも手持ちカードの組み合わせを変えてみせることができたのかもしれません。
そんな武蔵にとって、配られたカードが悪くてがっかりするってことはなかったんじゃないかと思いました。
 

[C2369] >賭博師

 本の中で弟子が「・・・遠い国にいってしまえば」といい、武蔵がそれに答えて「・・・逃げては武士道がすたる。・・・・・」を思い出しました。 
 小次郎も武蔵も武士道が心の中にあることは確かなのだろうと思います。でも違うな~と。
 賭博師・・・・なんだか武蔵に失礼な言葉かもと思いつつ(汗)、「勝負は時の運」とすればなるほど、勝負の本質なのではと思います。
 勝つか負けるか分からないから、できるだけ有利になるようにこちらの手の内を見せない。だから武蔵がしたことはその点から考えると当然のような。 
 一方、小次郎はその練習を人が見えるところでしていた。「手の内を見せても俺は勝つ」という意気込みか。やはり武士とはそうあるべき者と思ってか。小次郎なりに精一杯やっていたのだろうけれど。
 勝負はどっちに転か分からないという事実より、「俺は勝つんだ」、さらに「俺は正々堂々と勝つんだ」という自分の思いが強かったのではとあれこれ想像しました。

[C2368] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/06/17-12:14:43
  • 投稿者 :
  • 編集

[C2367] 賭博師かそうでないかが、巌流島の勝敗を決定したのです。

汗汗。。。なんだか。。トランプのカードの意味はいまいちよくわからなかったりですが。。。迷宮入りの謎を解くみたいで。。シャーロックホームズ。。。みたいだなああ。。ともおもえましたああ~~^^櫂をつかって剣とやりあったりする様子は。。船乗りシンドバット的でもあり~で。。。好奇心と~~冒険で~~ワクワク~~^^時空枠に拡大~~~♪♪つながっちゃいそうでっすううう。。。。。。。。
  • 2006/06/17-10:48:53
  • 投稿者 : バニー
  • URL
  • 編集

[C2366]

賭博…昨日から考えてるのですが…したことないので(なんてイイコなのだ)想像を書きます。
  
賭博の場を渡るには…策士でないとできないかもと思います。賭博のルールや状況からトラップ(罠)を読み出し…そしてさらにその中でトラップ返し…まで仕掛けられないと出来ないんじゃないかと思います。そして常に結果が出てないと…なのだと思います。ルールと状況の間でつねにハカリゴトを巡らしてコンスタントな結果を出していくのが勝負師だって気がします。(そして「ここぞ!」の時には「張る」のが醍醐味なのかと思います)
 
小次郎の「どうだすごいだろう」という自慢は…たぶん駆け引き前の問題です。(でもこういう小次郎が個人的に好きだと思いました。)
  
武蔵は…一枚だけ上回ったカード『三つ葉の11』を…たいしたことない切り札を…あらゆる策略を巡らし、相手から隠すことで…さらにそれを使う際に…それ以上に感じられるように…仕立てていったようにも思います。「ブタ」もおだてりゃ…木に登って…『三つ葉の11』でしかないのですが…状況によって瞬間『ジョーカー』に見えるぐらいになったのだと思いました。(なんか変ですが)武蔵ってほんと勝負強いなと思いました。ありとあらゆることを組み込んで謀略を練っていたのだと思いました。(なんか…こんなふうな生き方ってアリなんだと…ちょっと驚いてます。)

[C2365] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

なぜか、「ゲッ」という言葉が浮かびました。

正々堂々とした・かっこいいまっとうな・誰もが認める・清廉潔白な・小次郎さん・・、素敵です・・。

策士・ポーカーフェイスな・武蔵さん・・、不気味です・・。

ブログ巌流島を知る前だったら、小次郎がタイプだったかも・・、いや、どっちもダメかな・・。

でも、こうして二人で客観的に観察させて頂いていると、好みの問題は別として、ブタのカードを持っていても、チャンスはある、それに、自分でブタとおもっていても、あるいは逆に、自分が優位に立ってると思っていても、実際の手の内は、僅差・・こんなもんなのかな・・現実は・・勝手にどちら側に自分がいる、と決め付けて、余裕をかましたり、あせってみたり。バカみたい。

ブタかブタでないか、最後に決まるそのポイントは、運(これまでの運という意味とは随分違う)を見方に付けられるか、なのだろうか・・。

あぁ、やっぱり「ゲッ」です。賭博師って頭良くないと。それに度胸もないと。単純バカだと、たとえ絶好のカードを持ってても、負けちゃうのかな・・。いやだなぁ・・。

[C2364] >巌流島・・「武士」と「賭博師」

小次郎のように、始めから手持ちのカードを見せることは、自慢にはなるけれども、結局負けにいっているようなものだと思いました。

かたや武蔵は、手持ちのカードを隠して、相手を騙している・・

正々堂々を語るものにとって、
それは卑怯といえる手口といえますが、
やはり、勝ちは勝ちだと思います。


ブタと見せかけておいて、実はブタではなかった・・


なんか、痛快です。


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