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[C2723]

白い紙に無の天と地を見て、そこに何かを描くことで有が生じる・・
 
我が何か為そうとするのではなく、何かを為すのでもない・・
 
武蔵は自分自身で動いているのではなく、動かされているのでもない
すべてが一体となって、何かが為されているのをわかっていたのだと思いました。
 
武術の修行の果てに、ある境地に達したのだと思いました。
その境地とは、五行の関係性を感じることができる境地なのだと思いました。
 

[C2662] >我でもなく、他人(ひと)でもなく

自分が何かを考えている時に、自分自身のことは気にならないで、ぼーっとしているような時があります。

ふと我に返るのですが、このぼーっとしている時というのは「我でもなく、他人でもなく」という状態なのかもしれません。

まるで自分が次の筆先をどこに置くかもただ「任せている」ような感じでしょうか。
時期が来ればおのずと動くことがわかっていたのかもしれません。

そしてその時期とは早くもあり遅くもあり、急でもあり緩やかでもあるのでしょう。

準備をしつつ時期を待つというのは「任せている」ことで「あるがままに動く」ということができるのかもしれません。

[C2652] 画心の妨げ・・

あるがまま・・
勝手にしやがれ・・
武蔵のそんな生き方を思いました。
  • 2006/07/02-18:20:33
  • 投稿者 : まる
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[C2630] 巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

自分を動かすものが自分ではない、ということがわかっているようです。
静かに白い紙に筆をもってのぞむ武蔵を想像すると、自分が静かになったとき、自分を動かすものを感じることができるのかもしれないと思いました。
それとも、紙の上に残った墨の跡から、自分を動かすものを知ったのかも知れないとも思いました。

[C2629] >我でもなく他人でもなく

悟りを得ようとしているのでもなく、「我でもなく、他人(ひと)でもなく」と思うことにより他力の流れにのってあらゆる可能性が開けてくる状態に身をゆだねようとした武蔵の姿勢が感じられます。自分自身の360度の可能性を以って武蔵に戦いを挑もうとした小次郎との大きな違いです。戦ってはいるのですが、為して為さず、戦わずに勝とうとする無為自然の武蔵です。

[C2628] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

武蔵の時代に私達が通常言葉として使っている「宇宙」といった言葉や概念は無かったの
ではないかと思いました。
でも武蔵は私達が使っている「宇宙」よりももっと広大な宇宙、時空を体感していただろ
うかと思いました。
「私」が頑張ったからでもなく、誰か具体的な他人によって得られたものでもなく、自分
には見えないけれども「宇宙」に身をゆだねて絵を描くための「何か」を意図を持たずに
待っている状態、なのかなあと思いました。
  • 2006/07/01-22:00:03
  • 投稿者 : イーキン
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[C2627] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

 
筆をとった者の心が画に映し出される状態は、まだ我がある状態なのかも知れません。
 
物語の作者がしばしば、「作中人物が勝手に動き出す」というようなことを言うことがありますが、白い紙と心とが一体になったとき、自分で筆を動かそうと思わなくても、いつのまにか勝手に、白い紙の中に風が起こり、雨が吹き、鳥が鳴く・・というような状態になるのではないかと思いました。
 
それは、剣の立ち合いの最中に鳥の声を聞くことと通じている気がします。

[C2626] >[C2621] 管理人のみ閲覧できます。

いいかげんに、こういうのやめろよ。
他人に見られたくなかったら来るな!
  • 2006/07/01-21:45:41
  • 投稿者 : イーキン
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[C2625] >「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・

絵を描いた途端にそれは過去となり、まるで武蔵の今という時間を切り取って白い紙に置いたごとく・・。
筆を持つ時、己は消失して、「私は誰でもない」状態となり、まるでなされるがままのように絵が描かれるのだろう・・。
絵を描く時は剣の道にも似て筆を白紙に置く瞬間武蔵は考えることなく、かといってまったくの無でもなく、基点を持たない五行の如く浮遊していたのではないだろうか・・・。
  • 2006/07/01-21:13:02
  • 投稿者 : 空タネ
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[C2624] >我でもなく他人でもなく

描写が、生死を目の前にした試合の前とは思えませんでした。試合前の奮い立つ気持ちや勝ちに行くための緊張感というものが、感じられません。

そんなものは、当の昔に通り過ぎた感覚のように思いました。
荒々しいものでなく、静かで落ち着いた雰囲気を感じました。

周囲に託すしかない自分の身・・・と思っていた武蔵にとって、試合に臨む前の自分は何者でもない存在として感じていたように思いました。

[C2623] 無我の境地

という言葉が浮かびました。でも、これには、我はないですが、人でもなくは入っていません。。

武蔵は絵の専門家だったわけじゃないのに、「筆をとった者の心が永遠に画として残る。」とあります。一芸に秀でたものはどんな分野にも秀でるのでしょう。
ましてや、剣を極めていくのに、「鳥の声を聞け」ということまで極めたのだから、当然かもしれません。

>「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・というフレーズですが、武蔵には五行の性質が分かっていたのではないでしょうか・・。
周りから生じられる。自分の力だけでなく、外側からも。ということを無意識的に感じていたとすれば、感覚的にわかっていた・・ということになるんでしょうか・・

なんか、すごいです。武蔵って。

[C2622] >我でもなく他人でもなく

自分ってものが決してひとりから成り立っていないことを、武蔵は気づいていたと思います。
目に見えない何かによって生じられていることを感じでいたと思います。
>白紙のような無の境に自分もなろうとする
心がこころのまま、白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。
我でもなく他人でもなくってこういうことなのだなぁと思うと、なんだかどこまでも浮遊している気持ちのよさを感じます。
同時に吉川英治の文章ってすごいなって思いました。

  • 2006/07/01-20:59:55
  • 投稿者 : Ciel
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[C2621] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/07/01-20:28:23
  • 投稿者 :
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[C2620] >人の肉体は消えても墨は消えない。紙に宿したこころの象はいつまで呼吸していくやら、計りがたい。

武蔵はふと死を覚悟したのかもしれないと思います。しかし、その後、白紙のような無の境に自分もなろうとすることで、我でもなく、他人(ひと)でもなく、心がこころのまま、という境地になったのだろうと思います。
それがなぜ5行と結びつくのはよくわかりませんが。。。

[C2619] >一筆の落墨は、たちまち無中に有を生じる。


なんだか宇宙の始まりをイメージしているような感じがしました。
武蔵はこの世の事とか時間の流れということをよく考えていたのかも
しれないと思いました。
 
時間の流れの途方のなさや、その流れの中に、まるでほんの一瞬現れ
るような人間の一生の短さを感じ取っていたのではないかと思います。
 
>「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・
 
自分でも気が付いていない自分の心の中が白い紙の上に現れる…と、
考えていたわけではないように思いました。それはやはり「我」だと
思うからです。
 
自分の意識に邪魔されない時の自分の動きには、もしかしたら五行の
関係がそのまま動きとなって現れるのかもしれないと思いました。
 
武蔵が五行ということを考えていたかどうかはわかりませんが、自分
が無の状態で描いた絵を見て、そこから五行の関係性のようなものを
感じ取っていたかもしれないと思いました。
  • 2006/07/01-15:46:02
  • 投稿者 : ぷく
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[C2618]

うう・・・・・ん。とってもおこがましいですが絵を描く者って、武蔵のような境地になるときがある・・・と思う(滝汗)

絵を見ればすぐわかる。。。。描いた人が今どんな気持ちなのか。どんな性格か。。。。だから、絵を描くことは自分の裸を見られるようなものでもあるし・・・自分を付きぬけて奥にあるものが出るようなきもするし・・・・
キャンバスに向かうときは真剣です。
エネルギーないと描けません。。。。描いてるときは、わからないです。
描いてるのは誰なんだろう・・・・・って思うとき在るし。
(うまく言えないけど。。。)


[C2617] >「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

武蔵という人は、いったいどこまで深いのだろうと驚きます。
柔も剛も誰よりも兼ね備えていたろうと思います。
武蔵が敵を倒すのは、刀など武器の一振りによるのだけれども、それは武蔵自身が相手を包み込むような大きさを持っているからかなうのだと思いました。

自分を生じるものの関係性は五行だとすると、五行は見えなくて、しかも“くくり”に入らないという関係性もあって・・・これもまた深い深い世界です。
刀ではなく櫂を選ぶというふうに、武蔵は事に当たる際、既成の枠を置くことをしなかったのも、五感のみに頼っていたのではないということかも知れません。
目の前の事象をとても大切にした武蔵は、それだけでなく、見えないけれども自分を生かしている何かを感じ取っていたのかも知れないと思いました。

[C2616] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

武蔵は出発点に「私は誰」に近い問いを持ったのだと思いました。
決戦の持つ場が、自分の生命誕生の根本まで遡って向き合う状態にしたのかも知れません。
それは「この自分というのは、いったい如何なる存在なのか」と思う境地かと想像します。
その時自分自身のたよりなさ、に気づいたのかも知れません。

武蔵に沸き起こっていたのは、自分を励起(生じる)させるものは何かを自分自身で認識したと言う事なのだと思いました。

[C2615] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・絵を描くのも、闘いも、何か他の大きなものに動かされてるような・・大きな流れの中にあるような・・
そんなふうに感じていたのかと思いました。

闘いを目前にして、剣を磨くとか、体調を整えるだとか、直接闘いに関係あること、自分に関することはせず、全く関係ないように思われる絵を描こうとする武蔵。
この行為だけでも、武蔵の視点が、一方向に固まっていなかったのだろうと思えます。
そして、そうしながら考えたことも、3次元での世界の人間の行為の向こう側のこと・・。

>武蔵には五行の性質が分かっていたのではないでしょうか・・。
>自分を生じるものの関係性が・・。
直接的でなく、間接的に関係がある・・ということを知っていたのではないかと思いました。

また、このような武蔵の様子をうまく文章にしている吉川英治もすごいと思いました。


夜と昼の背景の違いが・・なんともすごくよいです(*^_^*)

[C2614] >白紙のような無の境に自分もなろうとする。

色付きの文字絵は頼まれて書くことになったのに、それは武蔵野試合前の心の準備になっているような気がしました。自分で心の準備を予定しなくても外側からその機会が与えられるというかやってくるというか。自分も外側もあい通じているかのような。偶然で無く。

色付きの文字綺麗な星空です。v-49
  • 2006/07/01-09:49:05
  • 投稿者 : なみ
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[C2613] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

>「我でもなく、他人(ひと)でもなく」
自由感です
「我」上の形態?でも「他人(ひと)」の性質の延長線上の事象でもなく、外側からキたらそれとズレる感覚というか、冷静になってみるということかもと妄想です

[C2612] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

個が薄れていく感で、なぜか爽快です
外からの刺激に反応するだけモードの個を、距離を少し置いてというか、ブツ界の性質(個)モードから自由感です

[C2611] (背景が・・・)

美麗で、でっかいです・・(亀ですが)
でも、りんごさんがちょこんと、浮かんでいるのが
かわいいです。
  • 2006/07/01-09:17:00
  • 投稿者 : マリ
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[C2610] >「わかる」と「押しつける」

紙一重です・・。アブナイです(冷や汗)
小次郎と武蔵も紙一重だった・・と思いました。
紙一重ということは同じ人間だったということでもあると
思いましたが・・・

我でもない、他人でもない、という描写は、周囲にとけ込んでいる
ような感じをうけます・・。
自分と全体が一体化・・・
悟るとかいう言葉でちんまりまとめたくないですが・・・
こういう感覚を持てたとき、すべてのネットワークを
つなぐケーブルが極太になって、、
なんでもどんどん受信・発信状態になるのかもと思いました。
(意味不明で、結局ちんまりですが・・・(がっくり))
  • 2006/07/01-09:15:21
  • 投稿者 : マリ
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[C2609] 朝だけど。。

満点の星空がみえる

  • 2006/07/01-09:12:43
  • 投稿者 : あかり
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[C2607] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

 自分を型作っているものが自分だけでなく、他人からでもなく 全てが融合して自分がある、様々な側面の結合したのが、自分であり様々な側面というのは外側の様々な状況に即した個というものが表出してくる、これもそれも、全て我なのだと武蔵は思ったのかもしれません。
  • 2006/07/01-03:50:00
  • 投稿者 : yk
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[C2606] 巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

我でもなく、他人(ひと)でもなく・・


武蔵は、固定された、ひとりの武蔵ではなく、
さまざまな間に漂っているような存在のように思いました・・


>心がこころのまま、白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。


行動するのは私ではあるけれども、
外側から、動かされる・・
それを待っているような・・気持ち・・。


武蔵は、浮遊していて・・
武蔵の存在は、360度に、開かれていて・・
空洞で・・


>自分を生じるものの関係性が・・。


だから、きっと、分かっていた・・
感知していたのだと・・



  • 2006/07/01-02:27:23
  • 投稿者 : あかり
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[C2604]

>「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・というフレーズですが、武蔵には五行の性質が分かっていたのではないでしょうか・・。
 
とっても難しい問いかけですが…武蔵には見えざるもの…人ならざるものが感じられていたのは確かだと思いました。それが自分を…文字通り…生かしてきたのだと思います。
 
>心に邪があれば邪が、心に惰気があれば惰気が、匠気があれば匠気のあとが覆い隠しようもなくのこる。
 
まるで六爻占術の卦のようだと思いました。(いや本当に)
 
武蔵って本当によく聴いているのだと思いました。全身センサーの塊のようです。そしてそれは…目の前を見ながらも…向こうの声に向けられてるのだと思いました。向こうに「生」があるのかもしれないと思いました。
  
試合の前に、白い紙に一筆の落墨となり…そのこえを声を聴いては…さらにまるで中に入るように外へ…一体化していったように思います。
  
そこには「我でもなく、他人(ひと)でもなく」…いったいどんな感触が広がっていたのだろうと思います。私にとっては想像もできない境地です。

[C2603] 「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

>我でもなく、他人(ひと)でもなく、心がこころのまま、
   白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。
 
   五行の性質・・「基点がなくて、浮遊しているもの(仮説)」  

 >我でもなく、他人(ひと)でもなく、心がこころのまま、
   白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。   
>武蔵には五の性質が、分かっていたのではないでしょうか・・。
>自分を生じるものの関係性が・・。

  武蔵は「自分」ひとりの力では、何もなしえないとゆうことを
  知っていました。
  一体、私たちを生じさせるものとは、目に見えないもの
 そして、心ならば、それを捉えることは出来るのでしょうか。
 心・・実体がよくわかりません。何かを感じる時、心で捉えて
 いるような気がしています。
 でも、その感じるまま、浮かんだままに、表現することは・・
 とても難しい。
 今こうして目に見える風景ですら、よく見て、どこに何があって
 色は何色で・・と、わかっているのに「絵」としてそのまま正確に
 描くことは出来ないのです。
 五行・・わかってません、何も。 もちろん、誰もわからないこと
 なのかもしれませんが・・。それでも「私」は存在できる。自分が
 どうゆう性質のものか理解していないのに、目にみえなくとも
 それによって生かされているかもしれないのに・・なんにもわかって
 いないのです。
 不思議とゆうより  「我でもなく、他人(ひと)でもなく ・・」
 五行との関係性のなかで、「私」と認識しているかもしれない
 のです。
 私が心のままにいられたらそれは「五行」そのものの性質を
 あらわすのかもしれない、そう思いました。
 
 


  
 
  

[C2602] >我でもなく他人でもなく

色付きの文字v-22
心が心のまま色とか絵文字とか選んでみました.(笑)

[C2601] 我でもなく他人でもなく。。。

どうも。。。夏はそういうきれいな気持ちになれませ~ん汗汗。。。ぜんぶ~~が。。。太くて。。。暑くて。。。なんだか。。。憂鬱になっちゃいまっすううう。。。p(`ε´q)ブーブーせめて。。。瞑想で細身の私で。。。すずし~~く。。。ふわふわ~~したいでっすううう~~。。。汗汗汗。。。
  • 2006/06/30-22:57:19
  • 投稿者 : バニー
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巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

 
 試合を前にして武蔵は絵を描こうとしていました。
 その描写です。
 
***********************
 
 白い紙は、無の天地と見ることができる。一筆の落墨は、たちまち無中に有を生じる。雨を呼ぶことも風を起こすことも自在である。そしてそこに、筆をとった者の心が永遠に画として残る。心に邪があれば邪が、心に惰気があれば惰気が、匠気があれば匠気のあとが覆い隠しようもなくのこる。
 人の肉体は消えても墨は消えない。紙に宿したこころの象はいつまで呼吸していくやら、計りがたい。
 武蔵はそんなこともふと思う。
 が、そんな考えも、画心の妨げである。白紙のような無の境に自分もなろうとする。そして筆持つ手が、我でもなく、他人(ひと)でもなく、心がこころのまま、白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。
 
***********************
 
 「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・というフレーズですが、武蔵には五行の性質が分かっていたのではないでしょうか・・。
 
 自分を生じるものの関係性が・・。
 
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31件のコメント

[C2723]

白い紙に無の天と地を見て、そこに何かを描くことで有が生じる・・
 
我が何か為そうとするのではなく、何かを為すのでもない・・
 
武蔵は自分自身で動いているのではなく、動かされているのでもない
すべてが一体となって、何かが為されているのをわかっていたのだと思いました。
 
武術の修行の果てに、ある境地に達したのだと思いました。
その境地とは、五行の関係性を感じることができる境地なのだと思いました。
 

[C2662] >我でもなく、他人(ひと)でもなく

自分が何かを考えている時に、自分自身のことは気にならないで、ぼーっとしているような時があります。

ふと我に返るのですが、このぼーっとしている時というのは「我でもなく、他人でもなく」という状態なのかもしれません。

まるで自分が次の筆先をどこに置くかもただ「任せている」ような感じでしょうか。
時期が来ればおのずと動くことがわかっていたのかもしれません。

そしてその時期とは早くもあり遅くもあり、急でもあり緩やかでもあるのでしょう。

準備をしつつ時期を待つというのは「任せている」ことで「あるがままに動く」ということができるのかもしれません。

[C2652] 画心の妨げ・・

あるがまま・・
勝手にしやがれ・・
武蔵のそんな生き方を思いました。
  • 2006/07/02-18:20:33
  • 投稿者 : まる
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[C2630] 巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

自分を動かすものが自分ではない、ということがわかっているようです。
静かに白い紙に筆をもってのぞむ武蔵を想像すると、自分が静かになったとき、自分を動かすものを感じることができるのかもしれないと思いました。
それとも、紙の上に残った墨の跡から、自分を動かすものを知ったのかも知れないとも思いました。

[C2629] >我でもなく他人でもなく

悟りを得ようとしているのでもなく、「我でもなく、他人(ひと)でもなく」と思うことにより他力の流れにのってあらゆる可能性が開けてくる状態に身をゆだねようとした武蔵の姿勢が感じられます。自分自身の360度の可能性を以って武蔵に戦いを挑もうとした小次郎との大きな違いです。戦ってはいるのですが、為して為さず、戦わずに勝とうとする無為自然の武蔵です。

[C2628] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

武蔵の時代に私達が通常言葉として使っている「宇宙」といった言葉や概念は無かったの
ではないかと思いました。
でも武蔵は私達が使っている「宇宙」よりももっと広大な宇宙、時空を体感していただろ
うかと思いました。
「私」が頑張ったからでもなく、誰か具体的な他人によって得られたものでもなく、自分
には見えないけれども「宇宙」に身をゆだねて絵を描くための「何か」を意図を持たずに
待っている状態、なのかなあと思いました。
  • 2006/07/01-22:00:03
  • 投稿者 : イーキン
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[C2627] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

 
筆をとった者の心が画に映し出される状態は、まだ我がある状態なのかも知れません。
 
物語の作者がしばしば、「作中人物が勝手に動き出す」というようなことを言うことがありますが、白い紙と心とが一体になったとき、自分で筆を動かそうと思わなくても、いつのまにか勝手に、白い紙の中に風が起こり、雨が吹き、鳥が鳴く・・というような状態になるのではないかと思いました。
 
それは、剣の立ち合いの最中に鳥の声を聞くことと通じている気がします。

[C2626] >[C2621] 管理人のみ閲覧できます。

いいかげんに、こういうのやめろよ。
他人に見られたくなかったら来るな!
  • 2006/07/01-21:45:41
  • 投稿者 : イーキン
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[C2625] >「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・

絵を描いた途端にそれは過去となり、まるで武蔵の今という時間を切り取って白い紙に置いたごとく・・。
筆を持つ時、己は消失して、「私は誰でもない」状態となり、まるでなされるがままのように絵が描かれるのだろう・・。
絵を描く時は剣の道にも似て筆を白紙に置く瞬間武蔵は考えることなく、かといってまったくの無でもなく、基点を持たない五行の如く浮遊していたのではないだろうか・・・。
  • 2006/07/01-21:13:02
  • 投稿者 : 空タネ
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[C2624] >我でもなく他人でもなく

描写が、生死を目の前にした試合の前とは思えませんでした。試合前の奮い立つ気持ちや勝ちに行くための緊張感というものが、感じられません。

そんなものは、当の昔に通り過ぎた感覚のように思いました。
荒々しいものでなく、静かで落ち着いた雰囲気を感じました。

周囲に託すしかない自分の身・・・と思っていた武蔵にとって、試合に臨む前の自分は何者でもない存在として感じていたように思いました。

[C2623] 無我の境地

という言葉が浮かびました。でも、これには、我はないですが、人でもなくは入っていません。。

武蔵は絵の専門家だったわけじゃないのに、「筆をとった者の心が永遠に画として残る。」とあります。一芸に秀でたものはどんな分野にも秀でるのでしょう。
ましてや、剣を極めていくのに、「鳥の声を聞け」ということまで極めたのだから、当然かもしれません。

>「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・というフレーズですが、武蔵には五行の性質が分かっていたのではないでしょうか・・。
周りから生じられる。自分の力だけでなく、外側からも。ということを無意識的に感じていたとすれば、感覚的にわかっていた・・ということになるんでしょうか・・

なんか、すごいです。武蔵って。

[C2622] >我でもなく他人でもなく

自分ってものが決してひとりから成り立っていないことを、武蔵は気づいていたと思います。
目に見えない何かによって生じられていることを感じでいたと思います。
>白紙のような無の境に自分もなろうとする
心がこころのまま、白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。
我でもなく他人でもなくってこういうことなのだなぁと思うと、なんだかどこまでも浮遊している気持ちのよさを感じます。
同時に吉川英治の文章ってすごいなって思いました。

  • 2006/07/01-20:59:55
  • 投稿者 : Ciel
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[C2621] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/07/01-20:28:23
  • 投稿者 :
  • 編集

[C2620] >人の肉体は消えても墨は消えない。紙に宿したこころの象はいつまで呼吸していくやら、計りがたい。

武蔵はふと死を覚悟したのかもしれないと思います。しかし、その後、白紙のような無の境に自分もなろうとすることで、我でもなく、他人(ひと)でもなく、心がこころのまま、という境地になったのだろうと思います。
それがなぜ5行と結びつくのはよくわかりませんが。。。

[C2619] >一筆の落墨は、たちまち無中に有を生じる。


なんだか宇宙の始まりをイメージしているような感じがしました。
武蔵はこの世の事とか時間の流れということをよく考えていたのかも
しれないと思いました。
 
時間の流れの途方のなさや、その流れの中に、まるでほんの一瞬現れ
るような人間の一生の短さを感じ取っていたのではないかと思います。
 
>「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・
 
自分でも気が付いていない自分の心の中が白い紙の上に現れる…と、
考えていたわけではないように思いました。それはやはり「我」だと
思うからです。
 
自分の意識に邪魔されない時の自分の動きには、もしかしたら五行の
関係がそのまま動きとなって現れるのかもしれないと思いました。
 
武蔵が五行ということを考えていたかどうかはわかりませんが、自分
が無の状態で描いた絵を見て、そこから五行の関係性のようなものを
感じ取っていたかもしれないと思いました。
  • 2006/07/01-15:46:02
  • 投稿者 : ぷく
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[C2618]

うう・・・・・ん。とってもおこがましいですが絵を描く者って、武蔵のような境地になるときがある・・・と思う(滝汗)

絵を見ればすぐわかる。。。。描いた人が今どんな気持ちなのか。どんな性格か。。。。だから、絵を描くことは自分の裸を見られるようなものでもあるし・・・自分を付きぬけて奥にあるものが出るようなきもするし・・・・
キャンバスに向かうときは真剣です。
エネルギーないと描けません。。。。描いてるときは、わからないです。
描いてるのは誰なんだろう・・・・・って思うとき在るし。
(うまく言えないけど。。。)


[C2617] >「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

武蔵という人は、いったいどこまで深いのだろうと驚きます。
柔も剛も誰よりも兼ね備えていたろうと思います。
武蔵が敵を倒すのは、刀など武器の一振りによるのだけれども、それは武蔵自身が相手を包み込むような大きさを持っているからかなうのだと思いました。

自分を生じるものの関係性は五行だとすると、五行は見えなくて、しかも“くくり”に入らないという関係性もあって・・・これもまた深い深い世界です。
刀ではなく櫂を選ぶというふうに、武蔵は事に当たる際、既成の枠を置くことをしなかったのも、五感のみに頼っていたのではないということかも知れません。
目の前の事象をとても大切にした武蔵は、それだけでなく、見えないけれども自分を生かしている何かを感じ取っていたのかも知れないと思いました。

[C2616] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

武蔵は出発点に「私は誰」に近い問いを持ったのだと思いました。
決戦の持つ場が、自分の生命誕生の根本まで遡って向き合う状態にしたのかも知れません。
それは「この自分というのは、いったい如何なる存在なのか」と思う境地かと想像します。
その時自分自身のたよりなさ、に気づいたのかも知れません。

武蔵に沸き起こっていたのは、自分を励起(生じる)させるものは何かを自分自身で認識したと言う事なのだと思いました。

[C2615] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・絵を描くのも、闘いも、何か他の大きなものに動かされてるような・・大きな流れの中にあるような・・
そんなふうに感じていたのかと思いました。

闘いを目前にして、剣を磨くとか、体調を整えるだとか、直接闘いに関係あること、自分に関することはせず、全く関係ないように思われる絵を描こうとする武蔵。
この行為だけでも、武蔵の視点が、一方向に固まっていなかったのだろうと思えます。
そして、そうしながら考えたことも、3次元での世界の人間の行為の向こう側のこと・・。

>武蔵には五行の性質が分かっていたのではないでしょうか・・。
>自分を生じるものの関係性が・・。
直接的でなく、間接的に関係がある・・ということを知っていたのではないかと思いました。

また、このような武蔵の様子をうまく文章にしている吉川英治もすごいと思いました。


夜と昼の背景の違いが・・なんともすごくよいです(*^_^*)

[C2614] >白紙のような無の境に自分もなろうとする。

色付きの文字絵は頼まれて書くことになったのに、それは武蔵野試合前の心の準備になっているような気がしました。自分で心の準備を予定しなくても外側からその機会が与えられるというかやってくるというか。自分も外側もあい通じているかのような。偶然で無く。

色付きの文字綺麗な星空です。v-49
  • 2006/07/01-09:49:05
  • 投稿者 : なみ
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[C2613] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

>「我でもなく、他人(ひと)でもなく」
自由感です
「我」上の形態?でも「他人(ひと)」の性質の延長線上の事象でもなく、外側からキたらそれとズレる感覚というか、冷静になってみるということかもと妄想です

[C2612] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

個が薄れていく感で、なぜか爽快です
外からの刺激に反応するだけモードの個を、距離を少し置いてというか、ブツ界の性質(個)モードから自由感です

[C2611] (背景が・・・)

美麗で、でっかいです・・(亀ですが)
でも、りんごさんがちょこんと、浮かんでいるのが
かわいいです。
  • 2006/07/01-09:17:00
  • 投稿者 : マリ
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[C2610] >「わかる」と「押しつける」

紙一重です・・。アブナイです(冷や汗)
小次郎と武蔵も紙一重だった・・と思いました。
紙一重ということは同じ人間だったということでもあると
思いましたが・・・

我でもない、他人でもない、という描写は、周囲にとけ込んでいる
ような感じをうけます・・。
自分と全体が一体化・・・
悟るとかいう言葉でちんまりまとめたくないですが・・・
こういう感覚を持てたとき、すべてのネットワークを
つなぐケーブルが極太になって、、
なんでもどんどん受信・発信状態になるのかもと思いました。
(意味不明で、結局ちんまりですが・・・(がっくり))
  • 2006/07/01-09:15:21
  • 投稿者 : マリ
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[C2609] 朝だけど。。

満点の星空がみえる

  • 2006/07/01-09:12:43
  • 投稿者 : あかり
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[C2607] >巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

 自分を型作っているものが自分だけでなく、他人からでもなく 全てが融合して自分がある、様々な側面の結合したのが、自分であり様々な側面というのは外側の様々な状況に即した個というものが表出してくる、これもそれも、全て我なのだと武蔵は思ったのかもしれません。
  • 2006/07/01-03:50:00
  • 投稿者 : yk
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[C2606] 巌流島・・「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

我でもなく、他人(ひと)でもなく・・


武蔵は、固定された、ひとりの武蔵ではなく、
さまざまな間に漂っているような存在のように思いました・・


>心がこころのまま、白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。


行動するのは私ではあるけれども、
外側から、動かされる・・
それを待っているような・・気持ち・・。


武蔵は、浮遊していて・・
武蔵の存在は、360度に、開かれていて・・
空洞で・・


>自分を生じるものの関係性が・・。


だから、きっと、分かっていた・・
感知していたのだと・・



  • 2006/07/01-02:27:23
  • 投稿者 : あかり
  • URL
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[C2604]

>「我でもなく、他人(ひと)でもなく」・・というフレーズですが、武蔵には五行の性質が分かっていたのではないでしょうか・・。
 
とっても難しい問いかけですが…武蔵には見えざるもの…人ならざるものが感じられていたのは確かだと思いました。それが自分を…文字通り…生かしてきたのだと思います。
 
>心に邪があれば邪が、心に惰気があれば惰気が、匠気があれば匠気のあとが覆い隠しようもなくのこる。
 
まるで六爻占術の卦のようだと思いました。(いや本当に)
 
武蔵って本当によく聴いているのだと思いました。全身センサーの塊のようです。そしてそれは…目の前を見ながらも…向こうの声に向けられてるのだと思いました。向こうに「生」があるのかもしれないと思いました。
  
試合の前に、白い紙に一筆の落墨となり…そのこえを声を聴いては…さらにまるで中に入るように外へ…一体化していったように思います。
  
そこには「我でもなく、他人(ひと)でもなく」…いったいどんな感触が広がっていたのだろうと思います。私にとっては想像もできない境地です。

[C2603] 「我でもなく、他人(ひと)でもなく」

>我でもなく、他人(ひと)でもなく、心がこころのまま、
   白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。
 
   五行の性質・・「基点がなくて、浮遊しているもの(仮説)」  

 >我でもなく、他人(ひと)でもなく、心がこころのまま、
   白い天地に行動するのを待っているような気持ち・・。   
>武蔵には五の性質が、分かっていたのではないでしょうか・・。
>自分を生じるものの関係性が・・。

  武蔵は「自分」ひとりの力では、何もなしえないとゆうことを
  知っていました。
  一体、私たちを生じさせるものとは、目に見えないもの
 そして、心ならば、それを捉えることは出来るのでしょうか。
 心・・実体がよくわかりません。何かを感じる時、心で捉えて
 いるような気がしています。
 でも、その感じるまま、浮かんだままに、表現することは・・
 とても難しい。
 今こうして目に見える風景ですら、よく見て、どこに何があって
 色は何色で・・と、わかっているのに「絵」としてそのまま正確に
 描くことは出来ないのです。
 五行・・わかってません、何も。 もちろん、誰もわからないこと
 なのかもしれませんが・・。それでも「私」は存在できる。自分が
 どうゆう性質のものか理解していないのに、目にみえなくとも
 それによって生かされているかもしれないのに・・なんにもわかって
 いないのです。
 不思議とゆうより  「我でもなく、他人(ひと)でもなく ・・」
 五行との関係性のなかで、「私」と認識しているかもしれない
 のです。
 私が心のままにいられたらそれは「五行」そのものの性質を
 あらわすのかもしれない、そう思いました。
 
 


  
 
  

[C2602] >我でもなく他人でもなく

色付きの文字v-22
心が心のまま色とか絵文字とか選んでみました.(笑)

[C2601] 我でもなく他人でもなく。。。

どうも。。。夏はそういうきれいな気持ちになれませ~ん汗汗。。。ぜんぶ~~が。。。太くて。。。暑くて。。。なんだか。。。憂鬱になっちゃいまっすううう。。。p(`ε´q)ブーブーせめて。。。瞑想で細身の私で。。。すずし~~く。。。ふわふわ~~したいでっすううう~~。。。汗汗汗。。。
  • 2006/06/30-22:57:19
  • 投稿者 : バニー
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