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[C2868] >客観性を失う中国旅行

「客観性を失う」ということと、「「私」という視点がとても薄くなる」ということが、別のことのように思えて、色々考えてしまい、なかなかまとまりませんでした。

「客観性を失う」のは、その場その場で真剣に生きているからだと思いました。
周りのことを考える余裕はない・・
それは、自分のことだけを見ているという意味ではなく、以前ここでも出ていたように、自分から周りを見る目(主観的な目)しかないのだと思いました。

「良心」というのは、周りが自分を見る目だと思います。
客観性バリバリです。
自分がどう思うかではありません。。

もりけんさんは、中国での調査という場に、本当に入り込んでいるのだと思いました。
だから、紹介者の方々も、能力者の方々も、理由なく、全身で、協力してくれるのだと思いました。

場に入り込んだ状態で、主観性を持って行動したり、話したりしているとき・・・
そこに「自分」というものがなくなっているのか・・と思いました。

客観性を失っている状態は、まさに、その場に入り込んでいる状態で、その場と同化しているようなものかと思いました。
同化してしまえば・・・自分、私は、そこにはない・・
そういうことかと思いました。
(かいている途中で、二つがつながりました・・・)

孫さんが、お人形と一緒に踊りだしたのを思い出しました。

[C2828] >客観性を失う中国紀行

客観性が失うということは、エゴが消えうせてしまうということかと思いました。
誰が決めるのか決めたのか知りませんが、どこかで線を引っ張って良い悪い決める風習があります。
つまり、そこには自分のことだけしか考えれない、考えてないということなのだと思います。
自分のための客観性というが存在しているのだと思います。

しかし、今回の中国では自分のことだろうが、人のことだろうがそんなことは問題でもなく、どうでもよく、相手にもしないという環境状態になっているのだと思いました。

我々は運命に定められて生きている根源が客観性を失うにつながっているのだと思います。

[C2820] 原点回帰

成長する?^^
成長とは≪原点回帰≫ではないだろうか

新たなものを吸収しているわけでは無く
身にまとうこととなった灰汁を浮きだしピュアなスープに戻ってゆく

肉体は灰汁の固まりだ^^
しかしその灰汁こそ≪情≫というまたとないエネルギーを放出する

人間は皆余計なものを背負っているからこそ産まれてくる
余計なものが創り出すエネルギーこそ≪時間≫かもしれない

悠久無形なる存在には
≪時間≫を創る事が・・・
もうできないのかもしれない・・・

私は「素」になろうとしている
それが人生かもしれない
生身で居る限り^^もがいてみよう

今日の文字は自分でも意味不明だ・・・

[C2790] >客観性を失う中国紀行

>場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 

場の流れに乗っていて、お任せ状態のなか・・
価値観のようなものは消失してしまうのだと思いました。

私と場が一体となっているから・・

客観性が消失してしまう。。



  • 2006/07/09-17:21:54
  • 投稿者 : あかり
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[C2778] 客観性を失う中国紀行

> 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 
客観性がなく、場の流れに乗れれば、物事の本質が分かりやすくなるのかなと思います。
 
客観性から離れられなくて、場の流れにものれなければ、自分に固執したままで、新しい発見は出来ないだろうと思うのです。
 
>良心も成長すると・・・・
 
「しなければならない」といわれても、理由がハッキリしないことには、同意できません。
人間性はどうして成長しなければならないかわからないからです。

[C2772] 客観性を失う・・

おまかせ状態はそういうことだと思いました。
良心だの成長だの・・
途端にそのままの自分を、高いところから、
冷ややかなに眺めているような・・
そんな気分になります。
あたたかくない・・そんな気がします。
  • 2006/07/08-17:39:34
  • 投稿者 : まる
  • URL
  • 編集

[C2771] >客観性を失う中国紀行


このブログの題名は「不思議研究所の外側から・・・」ですが、
これは、アウトサイダー(外側)の立場から不思議研をながめてみよう・・というような意味だと思っています。

もりけんさんが中国へ旅立ってからのブログは、書き込みの雰囲気が、ガラッと変わったような気がします。

宙に漂っているような浮遊感があります・・

日本にいるときは
「外から内を見る」という感じだったのが、
中国という外に出ることで
「外から外を見る」という感じになってしまって、
見るべき「内側」というものが、すっかり無くなってしまったのだと思います。

それが客観性に喪失につながったのだと思います。

「外・内」の関係にはまだ定点がありそうですが、
「外・外」の関係になってしまうと、もう完全に定点を失って、すっかり流れに溶け込んでしまうのかもしれません・・。

[C2755] >結果にこだわらなくなりました

>紹介者がたいした人を紹介しないと、心のどこかで
 「こんな人、紹介するなよ」
 と思っていました(笑)。
あはは。。(笑)って笑えません。。(笑)
時間もお金も(その上危険も伴う)たくさんかかる調査だから誰だってそう思ってしまうと思います。

>人は一生かけて何かを成し遂げなければならないのでしょうか?
 そんなことはないはずです。
もりけんさんに出会う前までは成長しないといけないのかなって思ってました。
成長しない自分に焦りのようなものも感じていました。
でも、結果にこだわらなくってもいいんだって思うととても軽くなれます。
人は変化して生きているってことが他人からは成長に見えるのかもしれません。

変化していく毎日ってとても楽しいと思います。
でもそれは手放してないと見逃してしまうのだと思います。


>今回の中国紀行は、「間」がとても楽しいです。
 しかしそれを報告するのは、大変です(笑)。
 だから「砂漠の人魚の像」を出したりしています(笑)

言葉のニュアンスってとても難しいですが、写真ってとても伝わります。。
毎日、写真をアップしてくれて、とても嬉しいです。^^
  • 2006/07/08-10:18:36
  • 投稿者 : Ciel
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[C2753] 砂漠から新規が出来ないのでここに入れます


結果にこだわらなくなりました
 
 昔、中国紀行と言えば、私自身が結果にこだわっていました。
 紹介者がたいした人を紹介しないと、心のどこかで
 
「こんな人、紹介するなよ」
 
 と思っていました(笑)。
 しかし今回は、まったくそれがありません。
 自分でもひとつの変化だと思っています。
 
 人は一生かけて何かを成し遂げなければならないのでしょうか?
 そんなことはないはずです。
 
 今回の中国紀行は、「間」がとても楽しいです。
 しかしそれを報告するのは、大変です(笑)。
 
 だから「砂漠の人魚の像」を出したりしています(笑)
 
  • 2006/07/08-09:57:43
  • 投稿者 : もりけん
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[C2752] 限度を作らない中国紀行

常識は、リミットをつくることだと思いました。
目の前の事象に、線引きをつけるということです。
中国紀行では、自分でアポを取っていないことも大きいと思いますが、何でもありだと思います。
生き方といえば、混濁一体とした、カラフルな世界をくぐる抜けるのが、中国紀行なんだと、思います。
生き方のメールは、例えば、赤い色だけにしなさいというようなものだと思います。
何でもありの状態になっているときに、こうしなさい!といわれると、ポカーンという感じになりそうです。

[C2751] 成長とかいうのは

疲れる。いつでもムリしなきゃいかんみたいで‥
今生きてるときに、そんなこと考えてない。
  • 2006/07/08-01:06:15
  • 投稿者 : 龍(ロン)
  • URL
  • 編集

[C2750] >客観性を失う中国紀行

中国紀行を経てもりけんさんは親鸞聖人が悪人正機説を唱えた時のような心境になっておられるのだと思いました。客観性を失うことによって悪人、加害者であることを認識することが可能となられると思います。他力の流れにあるとき、善も悪も存在しないということを改めて考えさせられました。
  • 2006/07/07-22:51:58
  • 投稿者 : おかだ
  • URL
  • 編集

[C2749] うーん。。

私という視点は、大事なのかどうか、わかりません・・
社会性を考えたとき、「私」が何者であるのか、しっかりしていないと
認められないシーンがあまりにも多いと感じます。
(とくに、上を目指そうとしている世界では、、疲れます・・)

今、延々と、五行やいろいろなことについて考えていて
「これだ!」みたいなのがない状態ですが、、(汗)

ほんとうに場の流れにのったとき、、というのは、
自由な状態の反動のような、制御がない状態なのかもしれないと思いました。
(意味不明だ・・・)
個の意識がなくなるから、「良心」を「個」以外の外側に
対して意識して
(意識しているということは、自分にないということだとも
思いますが)作り出す必要がないんだ、と。。
  • 2006/07/07-22:39:29
  • 投稿者 : マリ
  • URL
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[C2748] >どうでもいいこと。

椰子の木がある所や砂漠地方へと、「自分」を持ちすぎていたら卒倒してしまいそうです
(汗)。
先日同じ職場の人からストレスは溜まらないかと尋ねられて、私は一瞬だけ「?」の状態
になりました。
そりゃあ私だって些細なことでイライラしたり、他人からどう見られているかだって気に
なります(笑)。
しかし思いました。
「私は誰」なのかまったくわからないのに、ストレスなんか溜めて一体どうするのだろうか、と。
ストレスというのは、「私」はこうあらねばならない、と「自分」を“保持”しようとする
ところから来ているのだと思いました。
イライラしようが、つまらないことが気になったとしても、そういった自分を全肯定すれ
ば、後ろへどんどん流れていくものだと思いました。
  • 2006/07/07-22:16:27
  • 投稿者 : イーキン
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[C2747] >客観性を失う中国紀行

客観性を失うと、常に主体的ですね、加害者で居続けるということですね。
ダンさんが、もりけんさんの中国語に動じなかったのも、それダとわかりました。
メガネのお弟子さんが、もりけんさんの本を即読破したのもそうですね。
主体的にどんどん、どんどんこなしていく毎日は楽しそうです。

逆に、ヘタったりグダグダ言わずにいられないのは、見えない何かにすぐ圧されるせいですね。
主体が弱っている状態。
生まれつきの性分もあるでしょうけど、良心がどうのこうの成長がどうのこうのと言うやからにうっかりハメられてるせいもありそうです。
その場を丸く収めるだとか、いい人を演じるのを良しとする社会で生きてきましたもん。
客観的というと、冷静で的確な判断ができそうで良いことのように思いますが、相対評価の成績を競っているとも言えそうです。
はみ出すことを許されない枠があり、その中には動かしがたい価値観が存在し、ランキングが義務づけられている・・

世界は広そうです。
もりけんさんからうかがう中国は、テレビや新聞などで見聞きするのと全く違います。
異国で初めて会う人と心地よく過ごすってどういう感じだろうとドキドキしますが、もりけんさんはきっと、何も構えないで手放した状態でリラックスされているのだと思います。

日本のどこかごくごく小さな社会で、ああしましょうこうしましょうの演技をお互い勧めあってる集団は、そういう場ではどうするのでしょう?
会話がはずまないと、相手のレベルが低すぎると接点を持たないのかもしれません。
演技に疲れてキレたりしなけりゃいいけれど・・

作家というのは、その人独自の視点でしぼったテーマに向き合うかと思いますが、もりけんさんは、視点はとどまらず全方位で、テーマは時空で何でも来いなので、つかみどころがないと言えそうです。

もりけんさんの本は、内容を説明するのもクリアに記憶するのも不可能だと思います。
流れているという感じで、読むとその流れに乗れるような気がします・・

[C2746] チャネラーという人の所に行ってきました

2チャンネラーではないです。
あちらのどこかにつながってメッセージをくれる人。

ここ数日、急にもりけんさんモードであり、読み漁っていた私は、数日前に予約をとっていたチャネラーのところに行くのが、どんなもんかなぁ、と思い出していたのですが、(指導症候群の存在、とかねぇ)まぁ、これも流れか…と思い大枚(2万)を持って出かけました。

案の定、成長や進化や使命といったことを言われました。お話を一通り聞いた後に、「わかりました。では、流れに任せてみて・・・」的なことを言ったところ、主体性がない、と叱られました。
(@△@)となって帰ってきました。

帰りに家の近くの本屋さんで、道教の本を立ち読みし、「たおがなんとかしてくれるさ。余計な手出しをしない事だ」と書いてあるのをみて、生き返った思いです。

「成長」は、今までさんざん自分に課して来たので、もうげっぷが出そうです。
  • 2006/07/07-16:14:51
  • 投稿者 : みん
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[C2745] >客観性を失う中国紀行

メルマガの文章は、自負心から出ていると思いました。
自分自身が相当な高みにあると思っていないと「人間性の成長」などという言葉は出てこないと思います。

>私は「私」という視点がとても薄くなるからです。

まるで自分自身をリストラしているように感じます。
「私」の一切を放棄することで、初めて全方位的視点に立つことが出来るのかも知れないと思いました。

[C2744] >客観性を失う中国紀行

 
「こんなにもらえないよ」といってお金を返そうとした占い師は良心に従ってそうしたのでしょうか・・
そうじゃないと思います。
 
その場その場で瞬間的に行動しているとき、良心も邪心もないと思います。
 
運命が決まっているということを知ったら、良心という前提が崩れないのだろうか・・と不思議です。

[C2743] >それは客観性を失うということです。


日常の中にいて自分が安定しているように感じるのは、身の回りに
考え方とか行動の基準としているものが沢山あるからのように思い
ます。
その基準があれば、いつでも同じ判断ができる…それを安定と感じ
ているような気がしました。
 
でもその慣れた場から離れた途端、私はオロオロします。基準なん
てなくなって、何かを考える間もなく夢中で過ごします。
それは楽しんだりのんびりしている時でも、焦ったり困ったりして
いる時でも同じです。
 
> 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 
場の流れに乗ったら、流れを感じなくなりそうです。
自分が流れていることすら感じないほど、流れと一体になっている
と思います。
 
善とか悪は、流れの中で何か基準を見つけた時に、その基準と何か
を比較するから起こる感じがします。
 
夢中な時には、判断するなんて考えは浮かんでこなくて、ただ一秒
一秒を過ごしていると思います。
 
>私は「私」という視点がとても薄くなるからです。
 
私のことを、「私は…」と考える時には客観的なのだと思いました。
「私は…」が無くなっている時、「私」というものはどこにもいな
くなってしまっているんじゃないかと思います。
  • 2006/07/07-11:57:46
  • 投稿者 : ぷく
  • URL
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[C2742]

>場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。

 そのような気がします。上手く表現できませんが。


最近では、あらゆる場面で客観性が失われている?みたいで・・・自分というフィルターバリバリ出しまくりのような。。。(汗)
場を読むことも忘れ、自分の世界に入ってるのでしょうか・・・だから良く斬られるのかも(超滝汗)

 |\(_ _ )はぁ~・・・・・自分がわからない。
って・・・またズレたかも・・・・・・。( ̄Д ̄;)

[C2741] >客観性を失う中国紀行

>私はいわゆる「作家」にはなれないと思いました。  私は「私」という視点がとても薄くなるからです。 <この辺が特によくわかりませんが。。。
自分事でいえば、良心は年をとるのつれ、減ってきている気がします。
場所が変わることで、価値観が変わるということはあるだろうと思います。

[C2739] >客観性を失う中国旅行

良心の成長と言っている時は、現場から離れて書く日記みたいなものだと思います。
我に返るというか、常識とかモラルという基準に立ち戻る感じです。

中国紀行で感じるのは現場で能力者の方に出会って「これはなんなんだ?」というもりけんさんの実感というか・・・生っぽさだと思います。

生っぽさを感じる時、外から私を見れないと思います。
そしていいとか悪いとか価値基準がぐらぐらしてくるのだと思います。
うーん、飛び越えています。

いつも時空の息遣いが聞こえてくるような感じなのかもしれないと思って読んでいます。

広大で混沌とした世界を前にすると、良心の成長がどうしたこうしたというのは瑣末なことのように思えてきました。

生の息遣いには勝てません。

[C2738] >客観性を失う中国旅行

>良心の成長は、そのまま人間性の成長ともいえます
人間は不完全です、と言ってる。そんな感じです。
成長しなければならないなら、運命は決まってない様に聞こえます。上下関係があるかのように。。。
  • 2006/07/07-10:47:18
  • 投稿者 : じんのり
  • URL
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[C2736] >客観性を失う中国旅行

>こういう文書が理解不能になるのです。

この感覚が素直な感覚なんだな、と思いました。
理解したくないとか、理解できるけどこの考えに賛成したくないとかではなく。
理解ができないという感覚。そこには、努力や理想や「私」がないと思いました。


[C2735] それは客観性を失うということです。

んん~。。それは。。中国に限らないのでは~~。。汗汗。。でっすううう。。。問いと答えが交差して。。。ともいえ。。。受信と送信が交差してともいえ。。。さげないためとも。。。さげるためともいえ。。。がんじがらめとも。。。究極の快ともいえ。。。んん~~。。そんな感じかなああ。。。
  • 2006/07/07-08:12:42
  • 投稿者 : バニー
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[C2734]

う~ん…耳がアイタタ…です。でも今日思ったことには…主観というのは自分が起点というのだけ決まってて、そこからなんでもとらえられて無限に近いけど…客観というのは枠を作って対象を観察、判断するような行為かな…ということです。視点の枠があるので…命名→反吟・伏吟するレス(私において)…が書けます。(汗)
 
>私はいわゆる「作家」にはなれないと思いました。
構築したり構成する文章…を書くのが作家だと思いました。客観的にとらえながらメッセージを伝えようとするのが作家だと思いました。でも…主観的に生きてたら人に伝えたいことってほとんどないような気もします。楽しい、美味しい、嬉しいとかそんな簡単な言葉になる気がします。でもそう言う方が耳を傾ける気になるのはなんでかなって…近頃思います。難しいところにはなにもないのかなと思ったりもします。 
 
> 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
変わっていく流れの中にいるんだなって感じます。善悪とかゆっくり思う間もなく変化してるんだろうなって思います。
主観的って…人のことも考えろとか攻撃されがちな気がしますが…なにか違うって気がします。客観の方がイマイチなんじゃないかって…思ったりもします。

[C2733] >客観性を失う中国旅行

中国紀行という場に入って、私という視点から観察者として、物見高く見学者として場に入っていくのでなく今いるその場に溶けるかのように、そこんんで調査をするもりけんさんの前で様々な能力者達は何もとりつくろった様子もなくいつもの日常ルーチンをこなすかのごとくふるまってくれると思います。善も悪も同じようにあってそこにただ対等に同じように「ある」だけで、選別するのではなく、ただ「ある」ということ、場と同期することが客観性よりも事実をただ事実として正確に伝わってくるのだろうと思いました。
  • 2006/07/07-02:36:02
  • 投稿者 : yk
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[C2732] 客観性を失う中国旅行

>場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなる
 と思います。
 さっき読んでいた「あれ~、雨が降ってきたのよ~、入れて~」を
 思い出しました(汗)
 中国のヒトってあんまり、ああしたら恥ずかしいとか、ああしたら
 イケない・・とゆうのが感じられません。ですが、こうゆう話を聞くと
 とてもホっとして嬉しくなっっちゃいます。
 ああ、なんかそうだよなあ・・とそんな風に思います。
 大切なのはその時、その時の判断とゆうか「ノリ」とゆうか(汗)
 流れでそうなるのを止めないってゆうのは、良心があったらムズカしく
 なるかもしれません。
 良心を成長させて、昨日の「自分」にまた今日の「自分」を積み上げて
 いったら・・すごい重さで、どんどん身動きがとれなくなってしまうよ
 うな、何かそんな感じがしました。
 遠慮されるよりも、色々したがるうるさいおばちゃんの方が
「もう、うるさいよ~(笑)」とか言えて、とっても楽だったりする(爆)
 私は優しい人が大好きだけれど、いっつも文句ばっか言ってるひととか
 怒りっぽいひとが時々、いちばん優しいんじゃないかな・・と思う時が
 あって、世界は逆のこと言ってるんじゃないの?と思う時があります。
 
 
 
 

[C2731] 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。

未来を沖して。。。過去も沖して。。。瞬間も沖がきて~~。。なんか浮遊してきて。。ふあんていをかんじるのかなああ。。とおもったりしましたああ。。。瞬間の沖が。。∞の未来に。。。シフトするという意味なのかなああ。。もりけんさんのシフトって~~♪♪。。。
  • 2006/07/06-23:39:44
  • 投稿者 : バニー
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[C2730] > こういう文書が理解不能になるのです。

それはたぶんとても幸福な喪失なのではないかと思いました。中国にいって細胞が新しく生まれ変わったんだと思います。日本に帰ってきてももりけんさんの細胞はその記憶を刻み込んでいる...。自分の意思や意識にかかわりなく細胞レベルで起きることですから、おまかせ状態で居続けるしかないです。
  • 2006/07/06-23:39:02
  • 投稿者 : ナイル
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客観性を失う中国紀行

 
 私が中国に来て、ひとつの変化が生まれます。
 それは客観性を失うということです。
 
 こちらに来た直後、次の内容が書いてあるメルマガが来ました。
 
「良心も成長すると考えています。また、成長しなければならないものだとも思います。人間は、良心に従って生きているわけですから、 良心の成長は、そのまま人間性の成長ともいえます」
 
 こういう文書が理解不能になるのです。
 
 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 
 私はいわゆる「作家」にはなれないと思いました。
 私は「私」という視点がとても薄くなるからです。
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30件のコメント

[C2868] >客観性を失う中国旅行

「客観性を失う」ということと、「「私」という視点がとても薄くなる」ということが、別のことのように思えて、色々考えてしまい、なかなかまとまりませんでした。

「客観性を失う」のは、その場その場で真剣に生きているからだと思いました。
周りのことを考える余裕はない・・
それは、自分のことだけを見ているという意味ではなく、以前ここでも出ていたように、自分から周りを見る目(主観的な目)しかないのだと思いました。

「良心」というのは、周りが自分を見る目だと思います。
客観性バリバリです。
自分がどう思うかではありません。。

もりけんさんは、中国での調査という場に、本当に入り込んでいるのだと思いました。
だから、紹介者の方々も、能力者の方々も、理由なく、全身で、協力してくれるのだと思いました。

場に入り込んだ状態で、主観性を持って行動したり、話したりしているとき・・・
そこに「自分」というものがなくなっているのか・・と思いました。

客観性を失っている状態は、まさに、その場に入り込んでいる状態で、その場と同化しているようなものかと思いました。
同化してしまえば・・・自分、私は、そこにはない・・
そういうことかと思いました。
(かいている途中で、二つがつながりました・・・)

孫さんが、お人形と一緒に踊りだしたのを思い出しました。

[C2828] >客観性を失う中国紀行

客観性が失うということは、エゴが消えうせてしまうということかと思いました。
誰が決めるのか決めたのか知りませんが、どこかで線を引っ張って良い悪い決める風習があります。
つまり、そこには自分のことだけしか考えれない、考えてないということなのだと思います。
自分のための客観性というが存在しているのだと思います。

しかし、今回の中国では自分のことだろうが、人のことだろうがそんなことは問題でもなく、どうでもよく、相手にもしないという環境状態になっているのだと思いました。

我々は運命に定められて生きている根源が客観性を失うにつながっているのだと思います。

[C2820] 原点回帰

成長する?^^
成長とは≪原点回帰≫ではないだろうか

新たなものを吸収しているわけでは無く
身にまとうこととなった灰汁を浮きだしピュアなスープに戻ってゆく

肉体は灰汁の固まりだ^^
しかしその灰汁こそ≪情≫というまたとないエネルギーを放出する

人間は皆余計なものを背負っているからこそ産まれてくる
余計なものが創り出すエネルギーこそ≪時間≫かもしれない

悠久無形なる存在には
≪時間≫を創る事が・・・
もうできないのかもしれない・・・

私は「素」になろうとしている
それが人生かもしれない
生身で居る限り^^もがいてみよう

今日の文字は自分でも意味不明だ・・・

[C2790] >客観性を失う中国紀行

>場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 

場の流れに乗っていて、お任せ状態のなか・・
価値観のようなものは消失してしまうのだと思いました。

私と場が一体となっているから・・

客観性が消失してしまう。。



  • 2006/07/09-17:21:54
  • 投稿者 : あかり
  • URL
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[C2778] 客観性を失う中国紀行

> 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 
客観性がなく、場の流れに乗れれば、物事の本質が分かりやすくなるのかなと思います。
 
客観性から離れられなくて、場の流れにものれなければ、自分に固執したままで、新しい発見は出来ないだろうと思うのです。
 
>良心も成長すると・・・・
 
「しなければならない」といわれても、理由がハッキリしないことには、同意できません。
人間性はどうして成長しなければならないかわからないからです。

[C2772] 客観性を失う・・

おまかせ状態はそういうことだと思いました。
良心だの成長だの・・
途端にそのままの自分を、高いところから、
冷ややかなに眺めているような・・
そんな気分になります。
あたたかくない・・そんな気がします。
  • 2006/07/08-17:39:34
  • 投稿者 : まる
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[C2771] >客観性を失う中国紀行


このブログの題名は「不思議研究所の外側から・・・」ですが、
これは、アウトサイダー(外側)の立場から不思議研をながめてみよう・・というような意味だと思っています。

もりけんさんが中国へ旅立ってからのブログは、書き込みの雰囲気が、ガラッと変わったような気がします。

宙に漂っているような浮遊感があります・・

日本にいるときは
「外から内を見る」という感じだったのが、
中国という外に出ることで
「外から外を見る」という感じになってしまって、
見るべき「内側」というものが、すっかり無くなってしまったのだと思います。

それが客観性に喪失につながったのだと思います。

「外・内」の関係にはまだ定点がありそうですが、
「外・外」の関係になってしまうと、もう完全に定点を失って、すっかり流れに溶け込んでしまうのかもしれません・・。

[C2755] >結果にこだわらなくなりました

>紹介者がたいした人を紹介しないと、心のどこかで
 「こんな人、紹介するなよ」
 と思っていました(笑)。
あはは。。(笑)って笑えません。。(笑)
時間もお金も(その上危険も伴う)たくさんかかる調査だから誰だってそう思ってしまうと思います。

>人は一生かけて何かを成し遂げなければならないのでしょうか?
 そんなことはないはずです。
もりけんさんに出会う前までは成長しないといけないのかなって思ってました。
成長しない自分に焦りのようなものも感じていました。
でも、結果にこだわらなくってもいいんだって思うととても軽くなれます。
人は変化して生きているってことが他人からは成長に見えるのかもしれません。

変化していく毎日ってとても楽しいと思います。
でもそれは手放してないと見逃してしまうのだと思います。


>今回の中国紀行は、「間」がとても楽しいです。
 しかしそれを報告するのは、大変です(笑)。
 だから「砂漠の人魚の像」を出したりしています(笑)

言葉のニュアンスってとても難しいですが、写真ってとても伝わります。。
毎日、写真をアップしてくれて、とても嬉しいです。^^
  • 2006/07/08-10:18:36
  • 投稿者 : Ciel
  • URL
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[C2753] 砂漠から新規が出来ないのでここに入れます


結果にこだわらなくなりました
 
 昔、中国紀行と言えば、私自身が結果にこだわっていました。
 紹介者がたいした人を紹介しないと、心のどこかで
 
「こんな人、紹介するなよ」
 
 と思っていました(笑)。
 しかし今回は、まったくそれがありません。
 自分でもひとつの変化だと思っています。
 
 人は一生かけて何かを成し遂げなければならないのでしょうか?
 そんなことはないはずです。
 
 今回の中国紀行は、「間」がとても楽しいです。
 しかしそれを報告するのは、大変です(笑)。
 
 だから「砂漠の人魚の像」を出したりしています(笑)
 
  • 2006/07/08-09:57:43
  • 投稿者 : もりけん
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[C2752] 限度を作らない中国紀行

常識は、リミットをつくることだと思いました。
目の前の事象に、線引きをつけるということです。
中国紀行では、自分でアポを取っていないことも大きいと思いますが、何でもありだと思います。
生き方といえば、混濁一体とした、カラフルな世界をくぐる抜けるのが、中国紀行なんだと、思います。
生き方のメールは、例えば、赤い色だけにしなさいというようなものだと思います。
何でもありの状態になっているときに、こうしなさい!といわれると、ポカーンという感じになりそうです。

[C2751] 成長とかいうのは

疲れる。いつでもムリしなきゃいかんみたいで‥
今生きてるときに、そんなこと考えてない。
  • 2006/07/08-01:06:15
  • 投稿者 : 龍(ロン)
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[C2750] >客観性を失う中国紀行

中国紀行を経てもりけんさんは親鸞聖人が悪人正機説を唱えた時のような心境になっておられるのだと思いました。客観性を失うことによって悪人、加害者であることを認識することが可能となられると思います。他力の流れにあるとき、善も悪も存在しないということを改めて考えさせられました。
  • 2006/07/07-22:51:58
  • 投稿者 : おかだ
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[C2749] うーん。。

私という視点は、大事なのかどうか、わかりません・・
社会性を考えたとき、「私」が何者であるのか、しっかりしていないと
認められないシーンがあまりにも多いと感じます。
(とくに、上を目指そうとしている世界では、、疲れます・・)

今、延々と、五行やいろいろなことについて考えていて
「これだ!」みたいなのがない状態ですが、、(汗)

ほんとうに場の流れにのったとき、、というのは、
自由な状態の反動のような、制御がない状態なのかもしれないと思いました。
(意味不明だ・・・)
個の意識がなくなるから、「良心」を「個」以外の外側に
対して意識して
(意識しているということは、自分にないということだとも
思いますが)作り出す必要がないんだ、と。。
  • 2006/07/07-22:39:29
  • 投稿者 : マリ
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[C2748] >どうでもいいこと。

椰子の木がある所や砂漠地方へと、「自分」を持ちすぎていたら卒倒してしまいそうです
(汗)。
先日同じ職場の人からストレスは溜まらないかと尋ねられて、私は一瞬だけ「?」の状態
になりました。
そりゃあ私だって些細なことでイライラしたり、他人からどう見られているかだって気に
なります(笑)。
しかし思いました。
「私は誰」なのかまったくわからないのに、ストレスなんか溜めて一体どうするのだろうか、と。
ストレスというのは、「私」はこうあらねばならない、と「自分」を“保持”しようとする
ところから来ているのだと思いました。
イライラしようが、つまらないことが気になったとしても、そういった自分を全肯定すれ
ば、後ろへどんどん流れていくものだと思いました。
  • 2006/07/07-22:16:27
  • 投稿者 : イーキン
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[C2747] >客観性を失う中国紀行

客観性を失うと、常に主体的ですね、加害者で居続けるということですね。
ダンさんが、もりけんさんの中国語に動じなかったのも、それダとわかりました。
メガネのお弟子さんが、もりけんさんの本を即読破したのもそうですね。
主体的にどんどん、どんどんこなしていく毎日は楽しそうです。

逆に、ヘタったりグダグダ言わずにいられないのは、見えない何かにすぐ圧されるせいですね。
主体が弱っている状態。
生まれつきの性分もあるでしょうけど、良心がどうのこうの成長がどうのこうのと言うやからにうっかりハメられてるせいもありそうです。
その場を丸く収めるだとか、いい人を演じるのを良しとする社会で生きてきましたもん。
客観的というと、冷静で的確な判断ができそうで良いことのように思いますが、相対評価の成績を競っているとも言えそうです。
はみ出すことを許されない枠があり、その中には動かしがたい価値観が存在し、ランキングが義務づけられている・・

世界は広そうです。
もりけんさんからうかがう中国は、テレビや新聞などで見聞きするのと全く違います。
異国で初めて会う人と心地よく過ごすってどういう感じだろうとドキドキしますが、もりけんさんはきっと、何も構えないで手放した状態でリラックスされているのだと思います。

日本のどこかごくごく小さな社会で、ああしましょうこうしましょうの演技をお互い勧めあってる集団は、そういう場ではどうするのでしょう?
会話がはずまないと、相手のレベルが低すぎると接点を持たないのかもしれません。
演技に疲れてキレたりしなけりゃいいけれど・・

作家というのは、その人独自の視点でしぼったテーマに向き合うかと思いますが、もりけんさんは、視点はとどまらず全方位で、テーマは時空で何でも来いなので、つかみどころがないと言えそうです。

もりけんさんの本は、内容を説明するのもクリアに記憶するのも不可能だと思います。
流れているという感じで、読むとその流れに乗れるような気がします・・

[C2746] チャネラーという人の所に行ってきました

2チャンネラーではないです。
あちらのどこかにつながってメッセージをくれる人。

ここ数日、急にもりけんさんモードであり、読み漁っていた私は、数日前に予約をとっていたチャネラーのところに行くのが、どんなもんかなぁ、と思い出していたのですが、(指導症候群の存在、とかねぇ)まぁ、これも流れか…と思い大枚(2万)を持って出かけました。

案の定、成長や進化や使命といったことを言われました。お話を一通り聞いた後に、「わかりました。では、流れに任せてみて・・・」的なことを言ったところ、主体性がない、と叱られました。
(@△@)となって帰ってきました。

帰りに家の近くの本屋さんで、道教の本を立ち読みし、「たおがなんとかしてくれるさ。余計な手出しをしない事だ」と書いてあるのをみて、生き返った思いです。

「成長」は、今までさんざん自分に課して来たので、もうげっぷが出そうです。
  • 2006/07/07-16:14:51
  • 投稿者 : みん
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[C2745] >客観性を失う中国紀行

メルマガの文章は、自負心から出ていると思いました。
自分自身が相当な高みにあると思っていないと「人間性の成長」などという言葉は出てこないと思います。

>私は「私」という視点がとても薄くなるからです。

まるで自分自身をリストラしているように感じます。
「私」の一切を放棄することで、初めて全方位的視点に立つことが出来るのかも知れないと思いました。

[C2744] >客観性を失う中国紀行

 
「こんなにもらえないよ」といってお金を返そうとした占い師は良心に従ってそうしたのでしょうか・・
そうじゃないと思います。
 
その場その場で瞬間的に行動しているとき、良心も邪心もないと思います。
 
運命が決まっているということを知ったら、良心という前提が崩れないのだろうか・・と不思議です。

[C2743] >それは客観性を失うということです。


日常の中にいて自分が安定しているように感じるのは、身の回りに
考え方とか行動の基準としているものが沢山あるからのように思い
ます。
その基準があれば、いつでも同じ判断ができる…それを安定と感じ
ているような気がしました。
 
でもその慣れた場から離れた途端、私はオロオロします。基準なん
てなくなって、何かを考える間もなく夢中で過ごします。
それは楽しんだりのんびりしている時でも、焦ったり困ったりして
いる時でも同じです。
 
> 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 
場の流れに乗ったら、流れを感じなくなりそうです。
自分が流れていることすら感じないほど、流れと一体になっている
と思います。
 
善とか悪は、流れの中で何か基準を見つけた時に、その基準と何か
を比較するから起こる感じがします。
 
夢中な時には、判断するなんて考えは浮かんでこなくて、ただ一秒
一秒を過ごしていると思います。
 
>私は「私」という視点がとても薄くなるからです。
 
私のことを、「私は…」と考える時には客観的なのだと思いました。
「私は…」が無くなっている時、「私」というものはどこにもいな
くなってしまっているんじゃないかと思います。
  • 2006/07/07-11:57:46
  • 投稿者 : ぷく
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[C2742]

>場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。

 そのような気がします。上手く表現できませんが。


最近では、あらゆる場面で客観性が失われている?みたいで・・・自分というフィルターバリバリ出しまくりのような。。。(汗)
場を読むことも忘れ、自分の世界に入ってるのでしょうか・・・だから良く斬られるのかも(超滝汗)

 |\(_ _ )はぁ~・・・・・自分がわからない。
って・・・またズレたかも・・・・・・。( ̄Д ̄;)

[C2741] >客観性を失う中国紀行

>私はいわゆる「作家」にはなれないと思いました。  私は「私」という視点がとても薄くなるからです。 <この辺が特によくわかりませんが。。。
自分事でいえば、良心は年をとるのつれ、減ってきている気がします。
場所が変わることで、価値観が変わるということはあるだろうと思います。

[C2739] >客観性を失う中国旅行

良心の成長と言っている時は、現場から離れて書く日記みたいなものだと思います。
我に返るというか、常識とかモラルという基準に立ち戻る感じです。

中国紀行で感じるのは現場で能力者の方に出会って「これはなんなんだ?」というもりけんさんの実感というか・・・生っぽさだと思います。

生っぽさを感じる時、外から私を見れないと思います。
そしていいとか悪いとか価値基準がぐらぐらしてくるのだと思います。
うーん、飛び越えています。

いつも時空の息遣いが聞こえてくるような感じなのかもしれないと思って読んでいます。

広大で混沌とした世界を前にすると、良心の成長がどうしたこうしたというのは瑣末なことのように思えてきました。

生の息遣いには勝てません。

[C2738] >客観性を失う中国旅行

>良心の成長は、そのまま人間性の成長ともいえます
人間は不完全です、と言ってる。そんな感じです。
成長しなければならないなら、運命は決まってない様に聞こえます。上下関係があるかのように。。。
  • 2006/07/07-10:47:18
  • 投稿者 : じんのり
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[C2736] >客観性を失う中国旅行

>こういう文書が理解不能になるのです。

この感覚が素直な感覚なんだな、と思いました。
理解したくないとか、理解できるけどこの考えに賛成したくないとかではなく。
理解ができないという感覚。そこには、努力や理想や「私」がないと思いました。


[C2735] それは客観性を失うということです。

んん~。。それは。。中国に限らないのでは~~。。汗汗。。でっすううう。。。問いと答えが交差して。。。ともいえ。。。受信と送信が交差してともいえ。。。さげないためとも。。。さげるためともいえ。。。がんじがらめとも。。。究極の快ともいえ。。。んん~~。。そんな感じかなああ。。。
  • 2006/07/07-08:12:42
  • 投稿者 : バニー
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[C2734]

う~ん…耳がアイタタ…です。でも今日思ったことには…主観というのは自分が起点というのだけ決まってて、そこからなんでもとらえられて無限に近いけど…客観というのは枠を作って対象を観察、判断するような行為かな…ということです。視点の枠があるので…命名→反吟・伏吟するレス(私において)…が書けます。(汗)
 
>私はいわゆる「作家」にはなれないと思いました。
構築したり構成する文章…を書くのが作家だと思いました。客観的にとらえながらメッセージを伝えようとするのが作家だと思いました。でも…主観的に生きてたら人に伝えたいことってほとんどないような気もします。楽しい、美味しい、嬉しいとかそんな簡単な言葉になる気がします。でもそう言う方が耳を傾ける気になるのはなんでかなって…近頃思います。難しいところにはなにもないのかなと思ったりもします。 
 
> 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
変わっていく流れの中にいるんだなって感じます。善悪とかゆっくり思う間もなく変化してるんだろうなって思います。
主観的って…人のことも考えろとか攻撃されがちな気がしますが…なにか違うって気がします。客観の方がイマイチなんじゃないかって…思ったりもします。

[C2733] >客観性を失う中国旅行

中国紀行という場に入って、私という視点から観察者として、物見高く見学者として場に入っていくのでなく今いるその場に溶けるかのように、そこんんで調査をするもりけんさんの前で様々な能力者達は何もとりつくろった様子もなくいつもの日常ルーチンをこなすかのごとくふるまってくれると思います。善も悪も同じようにあってそこにただ対等に同じように「ある」だけで、選別するのではなく、ただ「ある」ということ、場と同期することが客観性よりも事実をただ事実として正確に伝わってくるのだろうと思いました。
  • 2006/07/07-02:36:02
  • 投稿者 : yk
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[C2732] 客観性を失う中国旅行

>場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなる
 と思います。
 さっき読んでいた「あれ~、雨が降ってきたのよ~、入れて~」を
 思い出しました(汗)
 中国のヒトってあんまり、ああしたら恥ずかしいとか、ああしたら
 イケない・・とゆうのが感じられません。ですが、こうゆう話を聞くと
 とてもホっとして嬉しくなっっちゃいます。
 ああ、なんかそうだよなあ・・とそんな風に思います。
 大切なのはその時、その時の判断とゆうか「ノリ」とゆうか(汗)
 流れでそうなるのを止めないってゆうのは、良心があったらムズカしく
 なるかもしれません。
 良心を成長させて、昨日の「自分」にまた今日の「自分」を積み上げて
 いったら・・すごい重さで、どんどん身動きがとれなくなってしまうよ
 うな、何かそんな感じがしました。
 遠慮されるよりも、色々したがるうるさいおばちゃんの方が
「もう、うるさいよ~(笑)」とか言えて、とっても楽だったりする(爆)
 私は優しい人が大好きだけれど、いっつも文句ばっか言ってるひととか
 怒りっぽいひとが時々、いちばん優しいんじゃないかな・・と思う時が
 あって、世界は逆のこと言ってるんじゃないの?と思う時があります。
 
 
 
 

[C2731] 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。

未来を沖して。。。過去も沖して。。。瞬間も沖がきて~~。。なんか浮遊してきて。。ふあんていをかんじるのかなああ。。とおもったりしましたああ。。。瞬間の沖が。。∞の未来に。。。シフトするという意味なのかなああ。。もりけんさんのシフトって~~♪♪。。。
  • 2006/07/06-23:39:44
  • 投稿者 : バニー
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[C2730] > こういう文書が理解不能になるのです。

それはたぶんとても幸福な喪失なのではないかと思いました。中国にいって細胞が新しく生まれ変わったんだと思います。日本に帰ってきてももりけんさんの細胞はその記憶を刻み込んでいる...。自分の意思や意識にかかわりなく細胞レベルで起きることですから、おまかせ状態で居続けるしかないです。
  • 2006/07/06-23:39:02
  • 投稿者 : ナイル
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