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[C2974] >百姓でなければ「進む」ことのできない

人生の中で成功をどう取り扱っているかなのかと感じました。
成功をしたいと思って生きるか、あとからついてくるものであり、そんなことを考えずに生きているかなのかと思いました。
百姓というのはどこでも行ける身分なのだとつくづく思いますし、それだからこそ、運も味方に自然とついてくるのだと思います。
名を持った時点で、そこには自己満足と決められた運命しか生きられない固定された生き物になってしまうのだと思います。

[C2939] 百姓を捨てて名を取る・・

世間的には、自分の地位が上がったような
錯覚に陥ります。
でも百姓を捨てると前進がストップしてしまうのだと
したら、結果は負けの気がします。
武蔵は最後まで百姓・・そう思います。
  • 2006/07/17-16:29:54
  • 投稿者 : まる
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[C2887] >百姓でなければ「進む」ことのできない

名をとらず、権力者にならず、組織に属さないで、
百姓でいることで、

水平ネットワークで、いつでも、どこにでもつながれるのだと思いました。


そしてそれはまた、
水平ネットワークの中をすいすいと泳ぐ
自由な魚のイメージです。

空洞だから・・


自由にどこにでもいけて、
自由に泳げるのだと思いました。


それが、進む。。ってことなのかな。。と思いました。


あ。。
でも。。

外側から、進まされているともいえるかもしれません。。



  • 2006/07/15-11:20:06
  • 投稿者 : あかり
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[C2867] >百姓でなければ「進む」ことのできない

確かに、地位や名をとると、そこで固定されるような感じがします。
また、百姓から抜け出そうと、何かを目指せば、それにより自分が制限され、結局は進むことができなくなりそうです。

逆に、地位のある人でも、その地位にこだわらず、自分は百姓である、というスタンスだと、進むことができそうに思います。

百姓であることは、山の頂上には行かないことかと思いました。
その方が全方位の状態になるのかと思います。

武蔵は武道、剣の頂上には行かず、小次郎は登ってしまった・・。
それで武士というものにがんじがらめになり、一方向しかむけなかったのかと思いました。

[C2858] 百姓。。。

最大枠にひろがっていれば。。。百姓にてっすることができるかもしれないとおもいますが。。。中国から全てに繋がり。。シンクロする。。なにかがあるのかも。。でっすうう。。全ての要素+潜在意識にも。。かもでっすううう。。土地も広大ですし。。。宇宙の気と。。。地の気と+潜在意識で。。。人の気も。。。最大級にシンクロしかも。。。ランダムなので。。。渦巻いて全てに抱擁シンクロ可能で。。。ランデム最大枠なので。。。固定されず。。。絶えず流動的で。。。突き抜けてる感じかも~~♪♪モグラ穴みたいに。。。いろんな場所へ気がつづいていたりしてええ~~♪♪。。
  • 2006/07/14-10:50:09
  • 投稿者 : バニー
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[C2857] >百姓でなければ「進む」ことができない

最初は皆は百姓なのだと思います。
何にも縛られず自由度があると思います。

でも何がそうさせるのか分かりませんが、百姓である時は名を取ることにより百姓から抜け出すことが、更なる自由を得ると錯覚しているのかもしれないと思いました。

錯覚しているのなら、名を得てしまえば、結果として不自由になり制約されてもそのことに気が付けないと思いました。

[C2856] 男の独り言。。。

独り言飛ばすだけで。。。すごい影響あるひとが。。。雲にまぎれると。。。そっちの影響の方が大きいような気がしまっすううう。。。かなり微妙なプレイ。。。はいはい。。。いいかげんにしろよ。。。あそんでんのかああ。。。わらえません。。。
  • 2006/07/14-01:57:15
  • 投稿者 : バニー
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[C2855] 中国紀行。。。

全体へのシンクロ。。。なんとなく。。。列車のイメージかな。。と思いました。。。磁場的な感じかなあとも思いました。。空路。。航路とも。。それぞれ。。いみがあったりするのかもでっすううう。。百姓。。。中国では意味が少し違うような感じですが。。。北の零点で。。小百合さんが。。くわで。。よいしょよいしょと。。頑張ってはったのが。。。思い出されたり~~♪♪。。わちきはとろいので。。小さい時まねして遊んでてくわで頭をゴツンと汗汗。。血をみましたああ。。。う~~ん。。。30分くらいなら大丈夫かなああ。。。あんまり。。。自信ありません。。。(ーーllllll;)。。。
  • 2006/07/14-00:18:50
  • 投稿者 : バニー
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[C2854] >小次郎は武家に就職

就職したりして、地位を持ってしまうと、無意識にも、生活の安定維持に努めて、守りに入ってしまうような気がします。
  • 2006/07/13-22:50:44
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2853] >百姓でなければ「進む」ことのできない

有名になるとこうしてはいけない、こうしなければいけないが足枷となって進むことができなくなりそうなことがようやく分かりかけました。
武蔵が生涯ほとんどどこにも属さず放浪していたことがとても不思議でした。
鳥の声を無視できなかったからだとやっと思いはじめました。

  • 2006/07/13-22:43:22
  • 投稿者 : 小町
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[C2852] >百姓でなければ「進む」ことのできない

仕官して役職を得ると大名に仕えて剣術の教官などとして武蔵の名声は益々高まるものと思いますが、そこで武蔵と時空との今まであった関係は途切れてしまうのでしょう。鳥の声も聞こえなくなってしまうと思います。新たな決闘でも勝てなくなるかもしれません。仕官することとは運命が固定化されてしまうということに武蔵は気がついていたのではないでしょうか。だから敢えて無役の侍として百姓であり続けようとしたのだと思います。
  • 2006/07/13-22:40:09
  • 投稿者 : おかだ
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[C2851] 宮本武蔵は、最後まで百姓だったような気がします。

 俳句の中に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が在ったとおもいます。
 
 稲穂も「百姓」です、もりけんさんもトラさんも「百姓」です、昔の人は「理解」していたと思います。

[C2850] 男の独り言

書き込みをしていると「男の子」もしくは「男」の自分が反応している
ように感じられる時があります。「男」として・・なんか私って
かっこ悪いな~って(爆)
「おまえは何モノだ?」と聞かれたら、「何者でもないです」もしくは
「百姓だよ」って言えるのかな・・?と、思います。
 ・・。
 
今、思いました。
これから・・世間の成功とは逆をいったとしても
「運命」は「百姓」にしてくれたのかもしれない・・って思うかも、と。
ある意味「恵まれた運命だ」といえるのかもしれないぞ、って。
それから世間でいわれる「成功」を手にしたとしても「ただの運命だな」
って思うかもしれない、と思いました。
もうあんまりこだわりたくないです。

[C2847] 誘惑

名を取ると、外側から制御されているのに自分からも制御をかけている気がしました。

確かに名を取る事で得られるものはありますが、運命が決まっていることを踏まえた場合、結局それは名を取らないことと価値は変わらないということだと思いました。

より変幻自在にできるだけ動ける状態を「名が無い」位置は保てるような気がしました。

[C2846] >百姓でなければ「進む」ことのできない

「名声、権力」はその人の勲章、成功、財産のように想われますが、もりけんさん、トラさんは、そんなの関係なく時空の問い、「私は誰?」のほうがよほど大切なもののように感じます。名を取ると、有名になり、チヤホヤされて先生扱いされます。そして、全国から講演の以来が殺到し、全国を飛び回っているのが、普通の講師、先生方でした。しかし、もりけんさん、トラさんは、あくまでも時空の問いかけを何度も問いかけています!問いかけがそのまま好奇心につながっている!何かになろうとしていない、そんな感じを受けます!それが、進むことにつながるような気がしました。
  • 2006/07/13-09:59:08
  • 投稿者 : じんのり
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[C2845] >百姓でなければ「進む」ことのできない

百姓という言葉のイメージが、とても変わりました。自由な個人なのだけれど、同時に、全てに対して正面から対応するヒトの事でもあると感じています。組織に所属して、部署とか肩書きのようなものに縛られると、自分とは無関係な世界というものが出来上がってしまい、結果として、全方位に対応する事が難しくなるのかもしれないと感じています。
  • 2006/07/13-09:49:43
  • 投稿者 : にしけん
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[C2844] >百姓でなければ「進む」ことができない

 名を取ることは、名のもとに道ができてしまって名のもとに限定されて、それを守るイメージがあります。名というオモシのために自由から逃走していくような感があります。ステータスを守るということは、停滞を生み先への攻めは生まれない様な気がしました。    
 百姓のままでいいというトラさんは、どこまでも攻める姿勢と着きぬけていくような感があります。とりあえず今があって明日はわからないそういうふうに感じました。
  • 2006/07/13-02:26:48
  • 投稿者 : yk
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[C2843] >「進む」という言葉にかぎカッコがついているのが

気になりました。「私は結果」だと知ったときから、もう「前進」や「進歩」をしなくてもいいと気が楽になりました。しかしやはりある意味で前に(あるいは後ろに)進むというのは、必要なのだと思いました。

それは、風景が変わるということなのかもしれません。

小次郎はツバメ返しという必殺技を発見してから、狭く深くというほうにいったと思います。これに対して武蔵は一箇所に定住せずにさまよい続けたといえるのかもしれません。

放浪しつづけるということは、何かを活性化するのかもしれないと思いました。
  • 2006/07/12-23:04:34
  • 投稿者 : ナイル
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[C2842] >百姓でなければ「進む」ことのできない

「名」を得ると、探究心が失われてしまうのではないかと思いました。
新しいことをしなくても、「名」があるだけで、すごいと思われたりちやほやされたりしてしまうからです。
そうすると、「名」を守りたくなり、保身をはかるようになります。
新奇なことをすると自分の身が危うくなるかもしれませんから、それ以上先に進めなくなると思います。
 
武蔵が武家に就職していたら、遅刻をするとか、剣を捨てて櫂で戦うといったことは剣士としての評判を落とす可能性があり、できなかったかもしれません。
しかし、「名」のない百姓であったから、全方位の作戦がとれたのだと思います。
 
小次郎は、藩の師範という「名」を守るために剣の技にこだわったわけではないでしょうが、しかし、「名」をとった時点で、ツバメ返しより先に進むことのできない己を露呈してしまっていたのだと思いました。

[C2841] 百姓でなければ「進む」ことのできない

官僚なんかの世界にいったりしたら、それこそ、周りからがんじがらめになって、進むことはもとより、後退して行きそうな環境です。その点、百姓は周りも色々な事をしているので、こちらも自分の興味のあるままに進んでいけると思います。
小次郎は武家に就職したから、体面を保たなければならないし、いろいろと気を使うことも多かったと思います。そんな中では、360度の発想で剣を考えるという事は難しいと思います。

[C2840] >百姓でなければ「進む」ことのできない

なぜ武蔵は頂点に登りつめようとしなかったのか、それは鳥の声が聞こえる人だったから
だと思いました。
まわりのすべてに比べれば「個」はちっぽけな存在であり、「個」がいくら名誉を積み上げ
ても何の意味もないことがわかっていたからだと思います。
しかし私がこれを理解するにはまだまだで全然わかっていません、やっとその入り口に立
った次第です。
もしも、もりけんさんがどこかの大学の教授とか、○○省の役人だったら、女装をするこ
ともないし、アニメコスチュームでの演出や、時空トンネル飛行もないし、自分の仮説を
次から次へと壊して、つまり前に言った発言をあっさり変えるとか、そういったことは決
してしないと思いました。
  • 2006/07/12-21:44:45
  • 投稿者 : イーキン
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[C2839] 「一般の人」は 中国語で「百姓」

 「一般の人」は 中国語で「百姓」。
 
 どんなに「名前」が売れても、どんなに「お金持ち」になっても淡々と「運命」を生きるということと思いました。
 
 「私は完全」そして「60憶の人それぞれが完全」と思える事によって「百姓」が可能なのであると思います。
 
 なにかにつけ、人よりも「偉い」と思いたい「私」は、「百姓」にはほど遠いです。

[C2838] 中国紀行。。。

深いでっすうう。。。ウ~~ン。。宗教的なもの陰陽もふくまれるし。。。さらに。。。道教。。。言葉。。。学問。。。シルクロード。。。占い。。。五行。。。海繋がり。。。盲目の和尚様繋がり。。。神社仏閣。。。たくさんありまっすううう。。。シンクロにシンクロして。。。う~~~ん。。。汗汗汗。。。そいえば。。。芭蕉の句にありましたねええ。。。月日は百代のか客にして。。。行き交う人もまた旅人なり。。。だっけ。。。いにしえびとも、もりけんさんが、中国でスピーチするのしっとんたんかのううう~~♪♪
  • 2006/07/12-21:16:36
  • 投稿者 : バニー
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[C2837] >百姓でなければ「進む」ことのできない

もりけんさんの中国紀行をうかがっていると、超能力者が次々登場してきます。
その非凡な能力を惜しみなく使いながらも、淡々と日常を送る姿は、自分のことを何者かなどまるで考えていないようです。
そこでは、占う能力者も相談者も、百姓なのだと思います。

易学学会の発表者は、教授などが多いそうなので、肩書きは立派だし高名な方もいそうです。
百姓とは言えないかも知れません。

けれども、トラさんともりけんさんは、そのどちらをも自然に行き来され溶け込まれ、どちらに存在しても違和感ないと思えます。

非凡な能力を生まれ持っても、ただそれだけのことと自分を特別視しない人も百姓と言えそうですし、地位や名誉を手にしながらも、万事におけるわけじゃないと認識する人も百姓なのだと思います。

トラさんともりけんさんのように、非凡でありながらも、誰とでも対等意識を持たれる方は、そうそういないと思うのですが、だからこそ、両者をつなぐような存在となり得るのだと思いました。

誰とでも対等というのは、よほど無知か、よほど大物かのどちらかと言えそうです。
空洞を知るサルを思い出しました・・

[C2836] これは今回の中国紀行で、より鮮明になったことです。

過去側の潜入感を。。植えつけると。。潜在意識がうまくひろがらないんじゃないかでっすうう。。。やっぱ。。。未来側はひろがったほうがいいっすねええ~~♪♪
  • 2006/07/12-19:02:15
  • 投稿者 : バニー
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[C2835] >百姓でなければ、「進む」ことが出来ません。

 
「進む」手段は、百姓は徒歩で、名を取った人は直行バスという感じがします。
 
どちらも運命という道から離れることが出来ないのは同じでも、百姓は道の上
なら端へ真ん中へと好きなように歩けるし、歩くスピードも決まっていないし、
立ち止まったり引き返したりも出来ると思います。
でもその歩きは、たとえ道連れがいたとしてもみんな一人なのだと思います。
自分が歩かなければ進まないからです。
  
直行バスに乗ってしまえば、自分で歩かなくても楽に移動できます。
でも道よりもさらに狭い車内しか動ける範囲はなくて、車内で勝手なことは出
来ないし、降りたい所で降りることも出来ないと思います。窓の外をどんどん
流れていく風景は、ただ見えているだけで体験することはできません。
 
体験出来なければ、それは「進む」とはいえないのかもしれないと思いました。
  • 2006/07/12-18:49:58
  • 投稿者 : ぷく
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[C2834] > しかし百姓を捨てて名を取ると、そこで前進がストップされます。

何者かになりたいと思う気持ちが強かったです。
そういう刷り込みがあったのか、自分の存在意義をもとめていたのかどうかわかりませんが・・。

でも「何者かになる」ことは可能性を狭めることなんだと改めて思います。

誰でもない私を限定するみたいな感じがしました。
  • 2006/07/12-16:38:19
  • 投稿者 : なみ
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[C2833] 未来を知るということに比べたら

世俗の権力などたいして魅力がないものに思えてくるような気がします。
  • 2006/07/12-15:31:14
  • 投稿者 : Ų
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[C2832] >百姓でなければ「進む」ことのできない

百姓でいることは挫折がないと思いました。
百姓を捨てて名を取ることは、地位、権力、名誉、組織といったものが絶えずつきまといます。
これらは、すべて外形と思います。
自分では、そうならないつもりでいても、あまりの気持ちよさに、とどのつまり虚飾に行き着くのだと思います。

人間、死に臨んだとき「ああ俺は偉い人間だった」などと思っていたら、執着そのもので、それは死ぬ程の苦しみと思います。(あれっ(汗))

武蔵はたとえ敗れても、「それでは行ってきます」と軽やかに、あの世へ行ったと思います(汗)。

[C2831]

方向性を決めてしまってがんばりすぎると身動きがとれなくなってしまいます。

固定せず、浮遊して生きる事は簡単に出切る事ではないと思います。
どこかでスタートラインに戻れることができる・・・そんな人が「百姓」でいられるのかもしれません。

自分は平凡人だけれど「百姓」になりきれない中途半端な存在だと・・・・。まだ。

[C2830] 前進がとまる・・・

これは、言い換えれば、私は原因的には、突っ走ってしまうことのように思いました。

百姓で、かつネットワークのなかに身をおいて流動性を増したとしても、決して、百姓は楽ちんではないと、思います。

百姓としての、孤独感というのがあると思います。

これに、耐えられないと、ちやほやな世界にすすんで行ってしまうように思いました。

[C2827] 百姓でなければ「進む」ことのできない

昨日の式次第を見ると肩書きのある方ばかりでした。
お話は専門家の言葉にとどまっていたのかなって思いました。
トラさんも考古学者としての肩書きはありますがとても
浮遊できる環境だと思います。

目指さず進むことのほうがきっと並じゃないって思うけれど、でも面白さときたらたまらないのかもしれません。私はずっと百姓でいます。という言葉が忘れられません。
  • 2006/07/12-12:36:13
  • 投稿者 : Ciel
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[C2826] >百姓でなければ「進む」ことのできない

なにかの役職につくと、それに伴う責任とかシガラミができて自由でなくなる、ということでしょうか。

日本では貴族や武士などの支配階級でない一般庶民を百姓と呼んでいたようです。
江戸時代のある藩の記録に武士と百姓の人口しか書いてなく、職人や商人も百姓に含まれているようでした。
いつのころからか庶民に中で最も位の高い農民を百姓と呼ぶようになり、いまでは蔑称になってしまいましたが、
中国では本来の意味で使われているのですね。

実際には百姓であってもなかなか自由にはなれないですね。

  • 2006/07/12-12:04:48
  • 投稿者 : 十四郎
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[C2825]

なんか深いなって思って読みました。『宮本武蔵』を二巻まで、読んだところです。武蔵という人は生きるってことに対して百姓だって気がしました。いつもその場に対して率直に存在していると言う気がしています。(自分表現ですが)なにかいろいろよぎるのですが…なかなか言葉になりません。

[C2824] >百姓でなければ「進む」ことのできない

ここで言う、百姓ではない、一般の人ではないというのが今ひとつよくわかりませんが。。
名があると、固定されてしまったり、がんじがらめだったり、自由度というのが少なくなってしまうのかもしれないと思います。
また、名があると、それで満足してしまい、前進がストップしてしまうのかもと思います。

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百姓でなければ「進む」ことのできない

 百姓でなければ、「進む」ことが出来ません。
 これは今回の中国紀行で、より鮮明になったことです。
 
 トラさんは十分に成功しています。
 しかし百姓を捨てて名を取ると、そこで前進がストップされます。
 
 宮本武蔵は、最後まで百姓だったような気がします。
 かたや小次郎は武家に就職しました。
 この時点で勝敗は決定したのかも知れません。
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35件のコメント

[C2974] >百姓でなければ「進む」ことのできない

人生の中で成功をどう取り扱っているかなのかと感じました。
成功をしたいと思って生きるか、あとからついてくるものであり、そんなことを考えずに生きているかなのかと思いました。
百姓というのはどこでも行ける身分なのだとつくづく思いますし、それだからこそ、運も味方に自然とついてくるのだと思います。
名を持った時点で、そこには自己満足と決められた運命しか生きられない固定された生き物になってしまうのだと思います。

[C2939] 百姓を捨てて名を取る・・

世間的には、自分の地位が上がったような
錯覚に陥ります。
でも百姓を捨てると前進がストップしてしまうのだと
したら、結果は負けの気がします。
武蔵は最後まで百姓・・そう思います。
  • 2006/07/17-16:29:54
  • 投稿者 : まる
  • URL
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[C2887] >百姓でなければ「進む」ことのできない

名をとらず、権力者にならず、組織に属さないで、
百姓でいることで、

水平ネットワークで、いつでも、どこにでもつながれるのだと思いました。


そしてそれはまた、
水平ネットワークの中をすいすいと泳ぐ
自由な魚のイメージです。

空洞だから・・


自由にどこにでもいけて、
自由に泳げるのだと思いました。


それが、進む。。ってことなのかな。。と思いました。


あ。。
でも。。

外側から、進まされているともいえるかもしれません。。



  • 2006/07/15-11:20:06
  • 投稿者 : あかり
  • URL
  • 編集

[C2867] >百姓でなければ「進む」ことのできない

確かに、地位や名をとると、そこで固定されるような感じがします。
また、百姓から抜け出そうと、何かを目指せば、それにより自分が制限され、結局は進むことができなくなりそうです。

逆に、地位のある人でも、その地位にこだわらず、自分は百姓である、というスタンスだと、進むことができそうに思います。

百姓であることは、山の頂上には行かないことかと思いました。
その方が全方位の状態になるのかと思います。

武蔵は武道、剣の頂上には行かず、小次郎は登ってしまった・・。
それで武士というものにがんじがらめになり、一方向しかむけなかったのかと思いました。

[C2858] 百姓。。。

最大枠にひろがっていれば。。。百姓にてっすることができるかもしれないとおもいますが。。。中国から全てに繋がり。。シンクロする。。なにかがあるのかも。。でっすうう。。全ての要素+潜在意識にも。。かもでっすううう。。土地も広大ですし。。。宇宙の気と。。。地の気と+潜在意識で。。。人の気も。。。最大級にシンクロしかも。。。ランダムなので。。。渦巻いて全てに抱擁シンクロ可能で。。。ランデム最大枠なので。。。固定されず。。。絶えず流動的で。。。突き抜けてる感じかも~~♪♪モグラ穴みたいに。。。いろんな場所へ気がつづいていたりしてええ~~♪♪。。
  • 2006/07/14-10:50:09
  • 投稿者 : バニー
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  • 編集

[C2857] >百姓でなければ「進む」ことができない

最初は皆は百姓なのだと思います。
何にも縛られず自由度があると思います。

でも何がそうさせるのか分かりませんが、百姓である時は名を取ることにより百姓から抜け出すことが、更なる自由を得ると錯覚しているのかもしれないと思いました。

錯覚しているのなら、名を得てしまえば、結果として不自由になり制約されてもそのことに気が付けないと思いました。

[C2856] 男の独り言。。。

独り言飛ばすだけで。。。すごい影響あるひとが。。。雲にまぎれると。。。そっちの影響の方が大きいような気がしまっすううう。。。かなり微妙なプレイ。。。はいはい。。。いいかげんにしろよ。。。あそんでんのかああ。。。わらえません。。。
  • 2006/07/14-01:57:15
  • 投稿者 : バニー
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[C2855] 中国紀行。。。

全体へのシンクロ。。。なんとなく。。。列車のイメージかな。。と思いました。。。磁場的な感じかなあとも思いました。。空路。。航路とも。。それぞれ。。いみがあったりするのかもでっすううう。。百姓。。。中国では意味が少し違うような感じですが。。。北の零点で。。小百合さんが。。くわで。。よいしょよいしょと。。頑張ってはったのが。。。思い出されたり~~♪♪。。わちきはとろいので。。小さい時まねして遊んでてくわで頭をゴツンと汗汗。。血をみましたああ。。。う~~ん。。。30分くらいなら大丈夫かなああ。。。あんまり。。。自信ありません。。。(ーーllllll;)。。。
  • 2006/07/14-00:18:50
  • 投稿者 : バニー
  • URL
  • 編集

[C2854] >小次郎は武家に就職

就職したりして、地位を持ってしまうと、無意識にも、生活の安定維持に努めて、守りに入ってしまうような気がします。
  • 2006/07/13-22:50:44
  • 投稿者 : リョウコ
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[C2853] >百姓でなければ「進む」ことのできない

有名になるとこうしてはいけない、こうしなければいけないが足枷となって進むことができなくなりそうなことがようやく分かりかけました。
武蔵が生涯ほとんどどこにも属さず放浪していたことがとても不思議でした。
鳥の声を無視できなかったからだとやっと思いはじめました。

  • 2006/07/13-22:43:22
  • 投稿者 : 小町
  • URL
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[C2852] >百姓でなければ「進む」ことのできない

仕官して役職を得ると大名に仕えて剣術の教官などとして武蔵の名声は益々高まるものと思いますが、そこで武蔵と時空との今まであった関係は途切れてしまうのでしょう。鳥の声も聞こえなくなってしまうと思います。新たな決闘でも勝てなくなるかもしれません。仕官することとは運命が固定化されてしまうということに武蔵は気がついていたのではないでしょうか。だから敢えて無役の侍として百姓であり続けようとしたのだと思います。
  • 2006/07/13-22:40:09
  • 投稿者 : おかだ
  • URL
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[C2851] 宮本武蔵は、最後まで百姓だったような気がします。

 俳句の中に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が在ったとおもいます。
 
 稲穂も「百姓」です、もりけんさんもトラさんも「百姓」です、昔の人は「理解」していたと思います。

[C2850] 男の独り言

書き込みをしていると「男の子」もしくは「男」の自分が反応している
ように感じられる時があります。「男」として・・なんか私って
かっこ悪いな~って(爆)
「おまえは何モノだ?」と聞かれたら、「何者でもないです」もしくは
「百姓だよ」って言えるのかな・・?と、思います。
 ・・。
 
今、思いました。
これから・・世間の成功とは逆をいったとしても
「運命」は「百姓」にしてくれたのかもしれない・・って思うかも、と。
ある意味「恵まれた運命だ」といえるのかもしれないぞ、って。
それから世間でいわれる「成功」を手にしたとしても「ただの運命だな」
って思うかもしれない、と思いました。
もうあんまりこだわりたくないです。

[C2847] 誘惑

名を取ると、外側から制御されているのに自分からも制御をかけている気がしました。

確かに名を取る事で得られるものはありますが、運命が決まっていることを踏まえた場合、結局それは名を取らないことと価値は変わらないということだと思いました。

より変幻自在にできるだけ動ける状態を「名が無い」位置は保てるような気がしました。

[C2846] >百姓でなければ「進む」ことのできない

「名声、権力」はその人の勲章、成功、財産のように想われますが、もりけんさん、トラさんは、そんなの関係なく時空の問い、「私は誰?」のほうがよほど大切なもののように感じます。名を取ると、有名になり、チヤホヤされて先生扱いされます。そして、全国から講演の以来が殺到し、全国を飛び回っているのが、普通の講師、先生方でした。しかし、もりけんさん、トラさんは、あくまでも時空の問いかけを何度も問いかけています!問いかけがそのまま好奇心につながっている!何かになろうとしていない、そんな感じを受けます!それが、進むことにつながるような気がしました。
  • 2006/07/13-09:59:08
  • 投稿者 : じんのり
  • URL
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[C2845] >百姓でなければ「進む」ことのできない

百姓という言葉のイメージが、とても変わりました。自由な個人なのだけれど、同時に、全てに対して正面から対応するヒトの事でもあると感じています。組織に所属して、部署とか肩書きのようなものに縛られると、自分とは無関係な世界というものが出来上がってしまい、結果として、全方位に対応する事が難しくなるのかもしれないと感じています。
  • 2006/07/13-09:49:43
  • 投稿者 : にしけん
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[C2844] >百姓でなければ「進む」ことができない

 名を取ることは、名のもとに道ができてしまって名のもとに限定されて、それを守るイメージがあります。名というオモシのために自由から逃走していくような感があります。ステータスを守るということは、停滞を生み先への攻めは生まれない様な気がしました。    
 百姓のままでいいというトラさんは、どこまでも攻める姿勢と着きぬけていくような感があります。とりあえず今があって明日はわからないそういうふうに感じました。
  • 2006/07/13-02:26:48
  • 投稿者 : yk
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[C2843] >「進む」という言葉にかぎカッコがついているのが

気になりました。「私は結果」だと知ったときから、もう「前進」や「進歩」をしなくてもいいと気が楽になりました。しかしやはりある意味で前に(あるいは後ろに)進むというのは、必要なのだと思いました。

それは、風景が変わるということなのかもしれません。

小次郎はツバメ返しという必殺技を発見してから、狭く深くというほうにいったと思います。これに対して武蔵は一箇所に定住せずにさまよい続けたといえるのかもしれません。

放浪しつづけるということは、何かを活性化するのかもしれないと思いました。
  • 2006/07/12-23:04:34
  • 投稿者 : ナイル
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[C2842] >百姓でなければ「進む」ことのできない

「名」を得ると、探究心が失われてしまうのではないかと思いました。
新しいことをしなくても、「名」があるだけで、すごいと思われたりちやほやされたりしてしまうからです。
そうすると、「名」を守りたくなり、保身をはかるようになります。
新奇なことをすると自分の身が危うくなるかもしれませんから、それ以上先に進めなくなると思います。
 
武蔵が武家に就職していたら、遅刻をするとか、剣を捨てて櫂で戦うといったことは剣士としての評判を落とす可能性があり、できなかったかもしれません。
しかし、「名」のない百姓であったから、全方位の作戦がとれたのだと思います。
 
小次郎は、藩の師範という「名」を守るために剣の技にこだわったわけではないでしょうが、しかし、「名」をとった時点で、ツバメ返しより先に進むことのできない己を露呈してしまっていたのだと思いました。

[C2841] 百姓でなければ「進む」ことのできない

官僚なんかの世界にいったりしたら、それこそ、周りからがんじがらめになって、進むことはもとより、後退して行きそうな環境です。その点、百姓は周りも色々な事をしているので、こちらも自分の興味のあるままに進んでいけると思います。
小次郎は武家に就職したから、体面を保たなければならないし、いろいろと気を使うことも多かったと思います。そんな中では、360度の発想で剣を考えるという事は難しいと思います。

[C2840] >百姓でなければ「進む」ことのできない

なぜ武蔵は頂点に登りつめようとしなかったのか、それは鳥の声が聞こえる人だったから
だと思いました。
まわりのすべてに比べれば「個」はちっぽけな存在であり、「個」がいくら名誉を積み上げ
ても何の意味もないことがわかっていたからだと思います。
しかし私がこれを理解するにはまだまだで全然わかっていません、やっとその入り口に立
った次第です。
もしも、もりけんさんがどこかの大学の教授とか、○○省の役人だったら、女装をするこ
ともないし、アニメコスチュームでの演出や、時空トンネル飛行もないし、自分の仮説を
次から次へと壊して、つまり前に言った発言をあっさり変えるとか、そういったことは決
してしないと思いました。
  • 2006/07/12-21:44:45
  • 投稿者 : イーキン
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[C2839] 「一般の人」は 中国語で「百姓」

 「一般の人」は 中国語で「百姓」。
 
 どんなに「名前」が売れても、どんなに「お金持ち」になっても淡々と「運命」を生きるということと思いました。
 
 「私は完全」そして「60憶の人それぞれが完全」と思える事によって「百姓」が可能なのであると思います。
 
 なにかにつけ、人よりも「偉い」と思いたい「私」は、「百姓」にはほど遠いです。

[C2838] 中国紀行。。。

深いでっすうう。。。ウ~~ン。。宗教的なもの陰陽もふくまれるし。。。さらに。。。道教。。。言葉。。。学問。。。シルクロード。。。占い。。。五行。。。海繋がり。。。盲目の和尚様繋がり。。。神社仏閣。。。たくさんありまっすううう。。。シンクロにシンクロして。。。う~~~ん。。。汗汗汗。。。そいえば。。。芭蕉の句にありましたねええ。。。月日は百代のか客にして。。。行き交う人もまた旅人なり。。。だっけ。。。いにしえびとも、もりけんさんが、中国でスピーチするのしっとんたんかのううう~~♪♪
  • 2006/07/12-21:16:36
  • 投稿者 : バニー
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[C2837] >百姓でなければ「進む」ことのできない

もりけんさんの中国紀行をうかがっていると、超能力者が次々登場してきます。
その非凡な能力を惜しみなく使いながらも、淡々と日常を送る姿は、自分のことを何者かなどまるで考えていないようです。
そこでは、占う能力者も相談者も、百姓なのだと思います。

易学学会の発表者は、教授などが多いそうなので、肩書きは立派だし高名な方もいそうです。
百姓とは言えないかも知れません。

けれども、トラさんともりけんさんは、そのどちらをも自然に行き来され溶け込まれ、どちらに存在しても違和感ないと思えます。

非凡な能力を生まれ持っても、ただそれだけのことと自分を特別視しない人も百姓と言えそうですし、地位や名誉を手にしながらも、万事におけるわけじゃないと認識する人も百姓なのだと思います。

トラさんともりけんさんのように、非凡でありながらも、誰とでも対等意識を持たれる方は、そうそういないと思うのですが、だからこそ、両者をつなぐような存在となり得るのだと思いました。

誰とでも対等というのは、よほど無知か、よほど大物かのどちらかと言えそうです。
空洞を知るサルを思い出しました・・

[C2836] これは今回の中国紀行で、より鮮明になったことです。

過去側の潜入感を。。植えつけると。。潜在意識がうまくひろがらないんじゃないかでっすうう。。。やっぱ。。。未来側はひろがったほうがいいっすねええ~~♪♪
  • 2006/07/12-19:02:15
  • 投稿者 : バニー
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[C2835] >百姓でなければ、「進む」ことが出来ません。

 
「進む」手段は、百姓は徒歩で、名を取った人は直行バスという感じがします。
 
どちらも運命という道から離れることが出来ないのは同じでも、百姓は道の上
なら端へ真ん中へと好きなように歩けるし、歩くスピードも決まっていないし、
立ち止まったり引き返したりも出来ると思います。
でもその歩きは、たとえ道連れがいたとしてもみんな一人なのだと思います。
自分が歩かなければ進まないからです。
  
直行バスに乗ってしまえば、自分で歩かなくても楽に移動できます。
でも道よりもさらに狭い車内しか動ける範囲はなくて、車内で勝手なことは出
来ないし、降りたい所で降りることも出来ないと思います。窓の外をどんどん
流れていく風景は、ただ見えているだけで体験することはできません。
 
体験出来なければ、それは「進む」とはいえないのかもしれないと思いました。
  • 2006/07/12-18:49:58
  • 投稿者 : ぷく
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[C2834] > しかし百姓を捨てて名を取ると、そこで前進がストップされます。

何者かになりたいと思う気持ちが強かったです。
そういう刷り込みがあったのか、自分の存在意義をもとめていたのかどうかわかりませんが・・。

でも「何者かになる」ことは可能性を狭めることなんだと改めて思います。

誰でもない私を限定するみたいな感じがしました。
  • 2006/07/12-16:38:19
  • 投稿者 : なみ
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[C2833] 未来を知るということに比べたら

世俗の権力などたいして魅力がないものに思えてくるような気がします。
  • 2006/07/12-15:31:14
  • 投稿者 : Ų
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[C2832] >百姓でなければ「進む」ことのできない

百姓でいることは挫折がないと思いました。
百姓を捨てて名を取ることは、地位、権力、名誉、組織といったものが絶えずつきまといます。
これらは、すべて外形と思います。
自分では、そうならないつもりでいても、あまりの気持ちよさに、とどのつまり虚飾に行き着くのだと思います。

人間、死に臨んだとき「ああ俺は偉い人間だった」などと思っていたら、執着そのもので、それは死ぬ程の苦しみと思います。(あれっ(汗))

武蔵はたとえ敗れても、「それでは行ってきます」と軽やかに、あの世へ行ったと思います(汗)。

[C2831]

方向性を決めてしまってがんばりすぎると身動きがとれなくなってしまいます。

固定せず、浮遊して生きる事は簡単に出切る事ではないと思います。
どこかでスタートラインに戻れることができる・・・そんな人が「百姓」でいられるのかもしれません。

自分は平凡人だけれど「百姓」になりきれない中途半端な存在だと・・・・。まだ。

[C2830] 前進がとまる・・・

これは、言い換えれば、私は原因的には、突っ走ってしまうことのように思いました。

百姓で、かつネットワークのなかに身をおいて流動性を増したとしても、決して、百姓は楽ちんではないと、思います。

百姓としての、孤独感というのがあると思います。

これに、耐えられないと、ちやほやな世界にすすんで行ってしまうように思いました。

[C2827] 百姓でなければ「進む」ことのできない

昨日の式次第を見ると肩書きのある方ばかりでした。
お話は専門家の言葉にとどまっていたのかなって思いました。
トラさんも考古学者としての肩書きはありますがとても
浮遊できる環境だと思います。

目指さず進むことのほうがきっと並じゃないって思うけれど、でも面白さときたらたまらないのかもしれません。私はずっと百姓でいます。という言葉が忘れられません。
  • 2006/07/12-12:36:13
  • 投稿者 : Ciel
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[C2826] >百姓でなければ「進む」ことのできない

なにかの役職につくと、それに伴う責任とかシガラミができて自由でなくなる、ということでしょうか。

日本では貴族や武士などの支配階級でない一般庶民を百姓と呼んでいたようです。
江戸時代のある藩の記録に武士と百姓の人口しか書いてなく、職人や商人も百姓に含まれているようでした。
いつのころからか庶民に中で最も位の高い農民を百姓と呼ぶようになり、いまでは蔑称になってしまいましたが、
中国では本来の意味で使われているのですね。

実際には百姓であってもなかなか自由にはなれないですね。

  • 2006/07/12-12:04:48
  • 投稿者 : 十四郎
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[C2825]

なんか深いなって思って読みました。『宮本武蔵』を二巻まで、読んだところです。武蔵という人は生きるってことに対して百姓だって気がしました。いつもその場に対して率直に存在していると言う気がしています。(自分表現ですが)なにかいろいろよぎるのですが…なかなか言葉になりません。

[C2824] >百姓でなければ「進む」ことのできない

ここで言う、百姓ではない、一般の人ではないというのが今ひとつよくわかりませんが。。
名があると、固定されてしまったり、がんじがらめだったり、自由度というのが少なくなってしまうのかもしれないと思います。
また、名があると、それで満足してしまい、前進がストップしてしまうのかもと思います。

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