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[C3102] >本当に少ない「私は結果」という考え方

「すごいです!」と言われてしらけてしまう人がいれば、そこにある石につまずいて転ぶこともあり、映画を見て感動に泣くこともあれば、思い出し笑いもします。
自分の存在は両親がいたからこそだと知っています。
ものごとには必ず原因があり、世の中が途絶えることなく今日まで続いているのは、原因のつながりによると言えるかもしれません。
けれども、人はその「原因」をいったいどこまでさかのぼり拡張すれば気が済むのでしょう。
人は生まれ変わると知れば、一生だけでは事足りないと前世から来世まで延々とつなげ、因縁で自分を永遠にしばりつけます。
宗教やら精神世界など、どうしても人は決まり事社会を生きるのが好きなようです。
そういう何らかの型の中で比較しあい優秀さを競うのが当然となったのは、気の遠くなるくらい前のことかも知れません。
もりけんさんの言われる「私は結果」は、もりけんさん以外のその道のオピニオンリーダーが前世から来世へと永遠に延ばそうとするスパンを、ごくごく短く切る意味もあると思います。
おなかが減ったから何か食べようとか、腹が立ったから怒るぞくらいのスパンかなと思います。いや、もう少し長めでしょうか・・
原因を追求するのは、してもどうにもならないことが多いわりには心身の疲労がついてまわると思われます。
輪切りにしたオレンジをしぼった一滴は、どの粒からしたたったのかわからないのと同じで、ものごとの原因は一つに特定できるものばかりではなさそうです。
ならば、いつまでもしんどい詮索はやめようではないかと知る方が良いに決まっています。
ビジョンを持って事にあたると、そこからブレた事態が生じたときに少なからず混乱しそうですが、レベルゼロ、空洞で臨むとその心配は必要ないかも知れません。
もりけんさんの言われることは、通説とは逆ばかりだと思えますが、何を探していたのかわかっていなかった、何かを探していたことさえ自覚していなかった人たちに、これを探していたような気がする・・とすぐ思わせる力を持っています。
「私は原因」は、ただ時間の流れに沿うことを重視し、因縁をチラつかせては自分を過去から未来へと永遠にしばりつける考え方だと思います。
「私は結果」というのは、人の運命は決まっていると知ることだと思います。
今回の中国紀行で数々占われたもりけんさんの詳細な一生を前にして、まずその不思議さがじんじん響いてきているところですが、自分もいずれ「私は結果」を実感できる日がくる予感と、その重大さに少々おそれを抱いております・・

[C2976] >本当に少ない「私は結果」という考え方

個人的には当たり前に「私は結果」を発表なされたと思っていました。
この概念に対して吸収される方々が集結されていたかと思っておりました・・・・・・・(汗)


確かに、すべて運命は決まっているということを認めてしまった場合、では私っていったい何なの?と思ってしまいます。たいがいの人がそんなこと認めてしまったら、自由なんてどこにもないじゃないかと感じてしまうのだろうと思います。
つまり、どこかしら「私は原因」があり、それで安心させているところってあるのだろうと思います(私もそれらしいところがあって、不甲斐ないのですが・・)。

「私は結果」を展開しなくて正解だったこと・・
「私は結果」ではない人に「私は結果」になってもらおうと考えてしまうことがエゴにつながるからなのかと思いました。
あくまでも、「私」は自らの力で運命を変える主導権はなく(運命変更という例外もありますが・・)、その場の流れにそった役割を果たすだけということなのかと感じました。

つまり、それは百姓ということなのかと思います。

[C2940] 運命の研究をしていても

「私は結果」に結びつくのは難しい・・。
私も最初は何だかすごい事だとは思いましたが、よく理解できませんでした。
でも中国紀行を見るたびに、「私は結果」度が
高まります。
運命研究の第一人者の中での「私は結果」論は、
我々は第一人者だぞ・・となりかねないような気がします。
運命の決定度は70%、80%ではない・・。
トラさんの実践を通して得た言葉には重みがあります。
  • 2006/07/17-17:16:43
  • 投稿者 : まる
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[C2918] >本当に少ない「私は結果」という考え方

そうそうたるメンバーの(トラさんは助手で出席だけど)易学シンポジウムの参加者も運命すべてが決まっているかという問いに対しては100%ではないとのこと。
これは占いで当たる確率が100%行くわけではないからだと思います。
かっちり100%行かないのはその占いの精度にもよるし、占う人の実力にもよると思います。
しかしその差である20~30%の未知の部分をどうしても自分主体の私は原因に持ってゆきたいのは100%をクリアーできない人間が行き着く必然ともいえます。
私が原因派は占いに何%かの可能性、言い換えれば占いが当たらない部分を持っているわけでそう思えばほとんどすべての人が私は結果派ではないのも判る気がします。
では運命が100%決まっていることを容認できる人は占いが100%当たると知っている人に限定されるかというとそうかもしれないと思う今日この頃です。
それを目の前に突きつけられない限り、人は希望という幻影にしがみつくのだと思います。
  • 2006/07/16-21:27:24
  • 投稿者 : 空タネ
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[C2904] 主観・実感は私は結果に墜ちにくい。

いくら運命を研究して、占いも極めて、「当る」世界になればなるほど、私の運命は決まっているというところに考えが向かっていくだろうと思います。

私が原因だというは、私は、生活している実感や体感では、こうしよう・あぁししょうという、主観の海のなかに居るから、ここが強固なのだと思います。
そう思うのが、5秒前のカラダの動きにたいする後づけであるという仮説を知識で知っていても、この遅延の謎は埋まりません。

私は結果を受け入れるには、私は主役を降りないとなりません。

そこが、誰にもなかなかできないというのが、非常に大きいと思いました。

[C2894] だいたいね~~。。

仙人様で。。充分じゃないかと。。おもうんですよねええ~~♪♪。。これ以上修行すると~~。。○○人様になんどオオ~~♪♪
  • 2006/07/16-07:58:48
  • 投稿者 : バニー
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[C2893] 「私は結果論」を展開しませんでした。。

う~~ん。。もりけんさんが言ってたみなしご状態って。。みな死後の状態のときかなあ~~。。とおもいました~~。。なんとなく。。男性性は宇宙的で女性性は地球の磁場的な感じがしてましたが。。。死後はみんなみなしご状態なのかなああ。。とおもったり。。しましたああ。。

[C2892] >本当に少ない「私は結果」という考え方

 100%を受け入れられない部分というのは何か考えてみると、やはり自分に不利な要素に対して受け入れたくないという願望的なものがそうさせている部分が大きいのではないのかと思いました。何かの拍子で、こうなって欲しいと思ったことが、偶々そうなってしまって、それが織り込み済みであるにも関わらず、錯覚してしまう部分なんかに、人はもしかしてという憶測的な原因にすがってしまうのかもしれないと思いました。
  • 2006/07/15-19:59:56
  • 投稿者 : yk
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[C2891] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/07/15-19:43:12
  • 投稿者 :
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[C2890] >本当に少ない「私は結果」という考え方

もりけんさんを通じて占いに関する情報に接することで、これほど当たるのだから、「私は結果」なのだと思えています。
でも、そう思えているというのは言葉の上のことで、実感として身にしみて、思っていないように思います。
 
人生には選択肢があって、さんざん悩んで、やっとのことで決断して、この人生を生きてきたと思っていました。
別の選択をしていれば別の人生を歩んでいたのではないかと思い、後悔もしました。
 
でも、そんな悩みは関係なく、自分で選んだと思っていた選択が、決まっていたというのは、どういうことなのかということが、うまく飲み込めないでいます。
悩んだりすることも、あのときあんなふうに感じたからああした、ということも、みんな決まっていたというのは、どういうことだろうかと思います。
 
それでも、「私は結果」であるなら、それも全て決まっていたはずだと思います。
 
「私は結果」であれば後悔のしようもなく、そう考えると楽になります。
だったら、私の人生は誰が決めたのかと思いますが、時空全体ということなるのだと思います。
 
不思議研のHPやこのブログに向き合ってているとき、しっかり理解はできていなくても、「私は結果」と向き合っていると思います。
それ以外のときは、かなりあやしいです。

[C2889] 運命が決まっている

にもかかわらず、人間の意識は、未来へ未来へ向かうようにできている、ということは、考えてみれば、かなり面白いことだと思いました。
「私は結果」は、そもそも、時空の仕組みとして、なかなか受け入れられないようなツクリになっているようです。
だからこそ、わざわざ「私は結果」という表現を持ち出して「私は原因」に対立しなければ、ならないようになっています。
しかし、「私は結果」は、決して遠くにあるものではないと思います(・・などと偉そうなことを言っていますが、根拠はありません(笑))
仮に、意識的抵抗以外は、全部「私は結果」だとします。しかし、その意識的抵抗が生じることすら、運命で決まっています。
だから、「私は結果」をなかなか受け入れられないということも運命で決まっているわけです。
だから、別に私の責任じゃないんです・・と言ってしまえば、すでに「私は結果」です。
 
ところで、このブログは、不思議研に比べて投稿文のウインドウが狭い(五行しか見えない・・ん?)ので、最初に何を書いたか思い出せません。
そういう意味で、瞬間、瞬間で書いているというか・・かなり無意識的な文章になってしまうような感じがします。
  • 2006/07/15-14:17:12
  • 投稿者 : L.B.
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[C2888] >本当に少ない「私は結果」という考え方

それは、運命は100パーセント決まっている
ということだと思いますが、

それを受け入れるのは難しいのは、

個の自由は無い・・
ということを受け入れなけれなければならないからなのだと思いました。

どんな悲しみも苦しみも喜びも・・
この世に生まれさせられることも、
死ぬことも・・

縁も・・

すべてきまっているということを、
受け入れがたいからなのだと思います。

それは、自らの希望や、未来への展望が、
全く開かれない世界観だからです。

既に確定されているであろう未来がやってくるのだから・・

それも、時空の終わりまで・・


だから、難しいことではあるけれども、
個の自由が無いってこと受け入れないと、
進めないのだと思いました。


  • 2006/07/15-11:42:01
  • 投稿者 : あかり
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[C2885] つぶやき。。

中国紀行。。朝の私。。などなど・・・・あかん。。あかん。。あいたくて。。そっとーーーしそうになってキターーー♪♪m(_ _)m ゴメンナサイ 。。。
  • 2006/07/15-10:58:00
  • 投稿者 : バニー
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[C2884] >本当に少ない「私は結果」という考え方

コトが起こったときに、自分で考えて切り抜けている、と思うから、100%運命は決まっているわけではない、となるのだと思いました。
私も自分で何とかしなきゃ・・と思っていました。でも自分で考えていると思っていたことは何一つなかったのでした。脳は自発的パルスを出すことはできないという下條さんの話が、もりけんさんの不思議の友12号の中にありました。衝撃的でした。わたしの脳も例外なく自発パルスは無いと思いますが、全て私の考えによる行動ではないとしたら、誰かのシナリオ通りに行動しているのでしょう。。。でも私は、シナリオすらわかっていないのだから「私は結果」にも至れないのかと思います。
  • 2006/07/15-10:41:00
  • 投稿者 : REI
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[C2882]

昨年の中国不思議調査で、もりけんさんの座る位置まで言い当てた占い師さんのことを読んで、「このとき、ここの場所でこの位置に座る」ということまで決まっているんだーと驚きました。

自分の事においてですが半年後に起こった出来事をさかのぼって見ると、あのときになぜこう思ったのか、こちらの行動を取ったのか・・・考えてみると自分で決めていたようで何か別のモノに背中を押されていたようにも思うのです。
あのときAという行動をとったからこそ、今の**に繋がっていたのか・・・と思うと不思議だし、自分の感情や意志さえすべて決まっていたのだなと思いました。

それでも、やはり心のどこかで「まさかね~~」という気持ちも残っていますし、「私は結果」を完璧に受け入れられてるかといったら、・・・・・。

[C2881]

トラさんは…100%なんだなと思って…なんだかその心境たるやいかなるものかと思いました。コインをどう思ってふっているのか…もちろん想像はつきませんし…運命について思うところというのも…私のはとっても浅いです。躊躇無く「感じ方まできまってる」といえるというのは…トラさんには…いったいどのように見えてるのだろうと思いました。『私は結果』100%だとしてこの宇宙はなにがどうなってるのだろうと思いました。とても混乱しています。
  • 2006/07/15-00:43:43
  • 投稿者 :
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[C2880] >本当に少ない「私は結果」という考え方

生きていれば、「運命は決まっている」ということを実感する
場面に出会うと思います。
しかし、すべて・・・100%となると、それを受け入れることは
難しいのだと感じます。
「私」という存在が、とてもあやふやになってしまうような気が
します。
決まっているなら、何故、「私」が存在するのか・・・
「私」を存在させようとするならば、「私は原因」という視点に
留まるしかないのかもしれません。

[C2879] 運命は決まっているけれど決まっていない

とても単純に考えると、生まれた時点では運命の決定度は0%に見えます。そして死ぬ時点では100%です。人生の半ばにおいて、運命の決定度は今まで生きてきた日数割る寿命の日数です。運命が100%決まっているという見方は、臨終の時に自分の人生の一時点を振り返るという視点だと思います。人生の途上にいる時点でその視点を獲得できれば、確かに人生100%詳細に至るまで決定済みです。これは100%「私は結果」(私の人生は決定済み)と誰もが認める時点が確かに存在することを意味しています。もちろん100%「私は結果」ではないといえる時点もあります。それは誕生した時です。

さて、宇宙論の世界では物質はエネルギーとして存在すると同時に粒子でもあるという考え方、あるいは、存在と非存在の中間の状態が存在し、箱をあけた時点で何かが確定するというような状況を人間はすでに受け入れていると思います。

このような考え方にインスピレーションを受けアートの世界でも理系的な考え方に基づいた実験的な作品が作られています。

このように意識世界が拡大していく中で、人間の運命を扱う学問である易学の分野においては、上記のように20世紀以降ポピュラーに受け入れられている考え方が、あまり取り入れてこなかったというのは、考えてみれば不思議なことです。少し運命というものを理論的抽象的に考えようとするならば、容易に影響を受けたはずです。

それは運命のしくみというものを今まであまり考える試みがなされてこなかったということなのかもしれません。

たとえば「運命は決まっているともいえるけれども決まっているともいえない」という不確定原理的な考え方を受け入れるのは意外とやさしいかもしれません。そもそも現代の物理学も中国の老荘思想と非常に親和性が感じられるわけですから...。これはもりけんさんの「私は結果」という考え方と同一ではないかもしれません。しかし死ぬ時点でも運命は決まっていないとする「私は原因」の考え方よりは運命の「実物」に近いような気がします。
  • 2006/07/14-21:58:35
  • 投稿者 : ナイル
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[C2878] トラさんの弟子ですら、100%ではありませんでした。

>易学シンポジウムには、取りあえず、運命を研究している第一線の人たちが出ているはずです。
 それでも「私は結果」を受け入れるのは大変なのです。
 
 「安心」しました、やはり身体で「理解」しないと本物になれないのかとおもいます、10ヶ月間「投稿」して「私は結果」を実践しているつもりが、実は何にも変わっていませんでした。
 
 今は「私は原因」を受け入れ「上位の問い」の私を認めています。

[C2877] 本当に少ない「私は結果」という考え方

いままで周りでは「私は原因」でいろいろな事を考えて来ているので発想の転換とか、「私は結果」の考えを理解するのが難しいとおもいます。
しかし、考え方にもいろいろな歴史があり、四柱推命は存続し、六爻占術が一時途絶えたという事実から時代のながれで「私は原因」が存続してきたのだと思います。
だから、ここにきて、六爻占術が復活したという事もあり、私もいまひとつ良く分かっていませんが「私は結果」を良く考えてみたいと思っています。

[C2876] 私は30分の講演会で「私は結果論」を展開しませんでした。。

不思議の科学でも。。時空の謎にせまるもりけんさんは。。引いていなくて。。かっこよかったでっすううう~~♪♪なぜか。。3次元では。。フラフラ~~♪♪メロメロ~~♪♪してしまいますだああ~~♪♪。。。もう何度も負けているので。。。わたし的な問いの結果的には100パーセント結果のわたしてきでっすううう~~♪♪
  • 2006/07/14-18:43:51
  • 投稿者 : バニー
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[C2875] >本当に少ない「私は結果」という考え方

「私は結果論」は異端だと思っています。
 
易学を研究している方々や、トラさんの弟子の方でさえ、受け入れるのは
大変なことだと思います。
 
運命の決まっている部分が70%や80%というのは、占いが当たる確率や
運命変更できる可能性など、さまざまな考えから出ているのだと思いました。
 
 
運命がすべて決まっていて、すべてが結果だということは、
過去を含めて、あらゆることを肯定することになります。
 
すべて肯定することは、とても困難なことだと思っています。
 
人は「今」に対して、何がしかの理由が欲しくなります。
「今」の理由を「過去」に求め、「未来」の理由を「今」に求めます。
この考え方は、「私が原因」だと思います。
 
「私は結果」は存在の理由がどこにあるのかがわかりません。
理由はわからないけれど存在している・・・
 
「私は結果論」は「私は誰」という問いの結果でもあるのだと思いました。
  • 2006/07/14-17:05:49
  • 投稿者 :
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[C2874] >本当に少ない「私は結果」という考え方

>「運命は決まっています。しかし感じ方は人それぞれです。コトが起こったとき、どう感じるかは決まっていません」

最近考えていたことでした。
感じ方とか感情はやはりどこか運命と関係ないところで自由が効いているのではないかと思っていましたが・・・

「私は結果」という考えが少ないのは、動作と私の意識がシンクロしているように思えるという点が卑近なところであると思います。

意識が命令して動作が起こるという具合に見えてしまうからだと思います。
しかし、私は自分の好き嫌いを変えることができませんし、この性格を変えることもできません。
飽きたと思って変えようとしても無理でした。

私は結果を受け入れられるかどうかは「自由についての定義」の違いが底辺にあるような気がします。

[C2873] 日常生活という場では、

「私は結果」の人に会うことは全くと表現していいほどないと思います。
 
易を研究している人の集まりという場ならば「私は結果」と考えている
研究家に会えそうだと思いました。
でも、そんな簡単なことではないのだと思いました。
 
私だって毎日のように「運命」という言葉を使っているし、運命につい
て考えています。運命が決まっているためには、決まっていない部分が
あったら成り立たないように感じています。
なのに。。。「私は原因」から抜け出しているとはとても言えません。
 
自分の手足が動かされている感覚があれば「私は結果」を実感できるか
もしれませんが、私の感覚では、自分で考え判断して自分で決めて行動
しているとしか感じられません。
今ここでキーボードを打つ手を止めてしまうか打つのを続けるかと悩ん
だとしても、どちらを選んでもそれは運命で決まっていたことです。
 
私たちは思い知らされる出来事を何度も経験しなければ「私は結果」に
なることは出来ないのかもしれません。
 
思い知るための助けとなるのが占いだと思いますが、占った結果に疑問
を感じていたら、ずっと「私は原因」のままなのだろうと思います。
 
頭に浮かぶ疑問も不安も期待も全部捨てて行動に出ることが出来なけれ
ば「私は結果」はわからないのだと思います。
 
。。。。。こんな難しいことはないです。 
  • 2006/07/14-16:46:13
  • 投稿者 : ぷく
  • URL
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[C2872] 本当に少ない「私は結果」という考え方

私が生まれたのは、私とゆう個人が、何か使命を持ってとか
カルマを背負っていてそれを解消するためとか・・では、なさそう
です。とゆうか、違うかもしれません。
人生は楽しむためにあって、自分のしたいことをするとこで
夢は何でも叶うところ・・それも違うかもしれません。
違う、とは言いきれないですけど、私も誰かも「?」でつながっているだけの存在かもしれない、そんな風に思いました。
こんな思いだって、生まれ育った環境や性格がものをいっていたり
ただの「反応」かもしれないなんて。
なんだろうヒトって・・なんでこんなにエラそうなんだ私は・・そう
思いました。
私は結果、運命そして性格も・・もう仕方ないです。
仕方ないとゆうか、ものすごいことです。ダメなとこが
なくなってしまう・・(爆)「結果」じゃないと、恥ずかしい書き込み
たくさんあります。そもそも「結果」でないとどうしてここにいるのかが
わからないような気もします。


[C2871] >本当に少ない「私は結果」という考え方

私は結果、という概念は、もりけんさんが提唱しているレベルで今回の中国で語られるには、場が違うのだろう、と、感じています。もりけんさんが研究の中で追及される概念と、外部の場で講演をされる場合は切り口が違ってもその場に合った効果があるのだと感じます。
  • 2006/07/14-16:12:30
  • 投稿者 : にしけん
  • URL
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[C2870] >「運命は決まっています。しかし感じ方は人それぞれです。コトが起こったとき、どう感じるかは決まっていません」

感じ方も、生まれ持った性格とその時の状況によって決まってしまっているという感じがします。
それは吊り橋実験でもそうでしたし、自分自身を振り返ってみてもそう感じます。
好き嫌いでさえ、自分の自由にはなりません。
でも、実際のところ、100%決まっているのか、99.9999・・%なのか、よくわかりません。
運命変更の仕組みがまだよくわかっていないからかもしれません。
でも、「私は結果」と「私は原因」が混在しているというのもなんかヘンだなと思います。

[C2869] >本当に少ない「私は結果」という考え方

「私は結果」は、実践してつかんだ人のものと思いました。
頭で考えて到達するものではないと思います。
やった程度分かる世界なのだと思います。
トラさんの弟子ですら、100%でないことがこのことを物語っていそうに感じます。
もちろん私も100%ではありません。
残された人生で、実践してつかむことで確信に変わって行くものと思います。

[C2865] >本当に少ない「私は結果」という考え方

未来を占うことができるのは、運命が決まっているからのはず・・
でも、すべて全部決まっているとは・・なかなか思いにくいところが確かにあります。
そのお弟子さんの意見も、もりけんさんを知らなければ納得してしまうとおもいます。
いや、今でも心のどこかでそんなふうに思っているところがあるかもしれません。。

自分の意見はトラさんによって否定され、他の人には賛同されたのに、そんな中、このお弟子さんは、トラさんが正しい、トラさんに従う・・とおっしゃったのはすごいと思いました。
自分を捨てていると思いました。

やはり・・自分が「ある」と、少しでも「私は原因」の部分がほしくなるのかもしれないと思いました。
そして、私も含め、かなり多くの人が、まだまだ自分が「ある」状態なのかもしれないと思います。

[C2864] トラさんの弟子ですら、100%ではありませんでした。。

未知分野でなければ。。突き抜けないとおもうので。。3次元の100パーセントに集約されることはないのではないかともおもいます。。私達が空洞なのは。。過去側に1分も染まってない感もありますが。。時空側と一番大枠で。。。キッチリ決まっていて決まっている所が。。時空側未来側の快繋がりで。。。いつまでも。。。ずっ~~と。。未知。。永遠。。に快がひろがる感ありまっすううう。。。シフトへ~~。。。でっすううう~~♪♪
  • 2006/07/14-14:48:04
  • 投稿者 : バニー
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[C2863] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/07/14-14:09:29
  • 投稿者 :
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[C2862] >コトが起こったとき、どう感じるかは決まっていません」

性格が生まれたときから決まっていたら、コトが起こったときどう感じるかも、決まってきてしまうと思います。それを元にどんな行動をとるかも‥。でも、自分の気持ちまで全部運命どおりって、あまり思いたくないと思います。それに、自分の気持ちはどこにあるのか見えもしないし、固体じゃないから、決まっていないという気持ちにもなります。運命も目に見えないし、固体じゃないし、決まっていないという気持ちにもなります。五行も浮遊しているし‥でも、浮遊していても動き方が決まってないとも決まってないし‥‥でも、複雑に動いているものが全部決まっているってなかなか思いにくいです。
  • 2006/07/14-13:48:43
  • 投稿者 : リョウコ
  • URL
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[C2861] >その理由は想像に任せます。

中国とは外交的にむずかしい時期ですが、
もりけんさんがいろいろ配慮されている様子で
安心します。
  • 2006/07/14-12:02:17
  • 投稿者 : 十四郎
  • URL
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[C2860] >本当に少ない「私は結果」という考え方

私自身、「私は結果」を受け入れるのは大変ですし、まだまだ完全に受けいれてません。、「私は結果」の仮説を元に、あるいは、このもりけんさんのHPやブログに繋がりロムしたり書き込みしたりする中で、「私は原因」説の話しが受け入れられなくなり、抵抗を感じます。どちらが正しいとか判断するわけではないのですが、自分自身にフィットしている感じが=好奇心を駆り立ててくれるのかもしれません。未だ、なんにも理解してませんが、「私は結果」を完全に受け入れ、結果にこだわらなくなりたいものです。
  • 2006/07/14-11:24:55
  • 投稿者 : じんのり
  • URL
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[C2859] >本当に少ない「私は結果」という考え方

一般的に私は結果といえば、自分の責任転嫁的にも使われかねないと思います。しかし、個の責任追求で終わってしまっていては、未来を失ってしまうように思います。
もりけんさんは、私は結果といっていますが、その生き方は生半可ではありません.今回の中国紀行で出てきたたくさん運命変更してしまう女性も生半可ではないと思います。
でも、そういう人はとても少ないと思います。だから、
私は結果とは軽々しく言えないように思います。そのもつイメージが違うと思うからです。
運命に関していえば、私は決まっていると思っていたことがありますが、それってどういうことかよくわからなくなっています。確かにある範囲で決まってたりする事はあると思うのですが。。。

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本当に少ない「私は結果」という考え方

 人のことは言えません。
 私がそうだったからです。
 
 これを前置きして、続けます。
 
 中国で易学シンポジウムに出ました。
 そこで出会う人のほとんどが「私は結果」ではありませんでした。
 
 運命がすべて決まっているかという問いに対して、70%だの80%だのという答えが返ってきました。
 
 トラさんの弟子ですら、100%ではありませんでした。
 つまり、次のように言ったのです。
 
「運命は決まっています。しかし感じ方は人それぞれです。コトが起こったとき、どう感じるかは決まっていません」
 
 これは周りにいる人の多くの賛同を得ました。
 でもトラさんは、それをも否定しました。
 弟子は言いました。
 
「やはり王老子の意見が正しいです。最終的には王老子に従います」・・と。
 
 別に弟子を批判するためにこれを書いているわけではありません。
 
 易学シンポジウムには、取りあえず、運命を研究している第一線の人たちが出ているはずです。
 それでも「私は結果」を受け入れるのは大変なのです。
 
 私は30分の講演会で「私は結果論」を展開しませんでした。それは正解だったと思います。
 その理由は想像に任せます。
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35件のコメント

[C3102] >本当に少ない「私は結果」という考え方

「すごいです!」と言われてしらけてしまう人がいれば、そこにある石につまずいて転ぶこともあり、映画を見て感動に泣くこともあれば、思い出し笑いもします。
自分の存在は両親がいたからこそだと知っています。
ものごとには必ず原因があり、世の中が途絶えることなく今日まで続いているのは、原因のつながりによると言えるかもしれません。
けれども、人はその「原因」をいったいどこまでさかのぼり拡張すれば気が済むのでしょう。
人は生まれ変わると知れば、一生だけでは事足りないと前世から来世まで延々とつなげ、因縁で自分を永遠にしばりつけます。
宗教やら精神世界など、どうしても人は決まり事社会を生きるのが好きなようです。
そういう何らかの型の中で比較しあい優秀さを競うのが当然となったのは、気の遠くなるくらい前のことかも知れません。
もりけんさんの言われる「私は結果」は、もりけんさん以外のその道のオピニオンリーダーが前世から来世へと永遠に延ばそうとするスパンを、ごくごく短く切る意味もあると思います。
おなかが減ったから何か食べようとか、腹が立ったから怒るぞくらいのスパンかなと思います。いや、もう少し長めでしょうか・・
原因を追求するのは、してもどうにもならないことが多いわりには心身の疲労がついてまわると思われます。
輪切りにしたオレンジをしぼった一滴は、どの粒からしたたったのかわからないのと同じで、ものごとの原因は一つに特定できるものばかりではなさそうです。
ならば、いつまでもしんどい詮索はやめようではないかと知る方が良いに決まっています。
ビジョンを持って事にあたると、そこからブレた事態が生じたときに少なからず混乱しそうですが、レベルゼロ、空洞で臨むとその心配は必要ないかも知れません。
もりけんさんの言われることは、通説とは逆ばかりだと思えますが、何を探していたのかわかっていなかった、何かを探していたことさえ自覚していなかった人たちに、これを探していたような気がする・・とすぐ思わせる力を持っています。
「私は原因」は、ただ時間の流れに沿うことを重視し、因縁をチラつかせては自分を過去から未来へと永遠にしばりつける考え方だと思います。
「私は結果」というのは、人の運命は決まっていると知ることだと思います。
今回の中国紀行で数々占われたもりけんさんの詳細な一生を前にして、まずその不思議さがじんじん響いてきているところですが、自分もいずれ「私は結果」を実感できる日がくる予感と、その重大さに少々おそれを抱いております・・

[C2976] >本当に少ない「私は結果」という考え方

個人的には当たり前に「私は結果」を発表なされたと思っていました。
この概念に対して吸収される方々が集結されていたかと思っておりました・・・・・・・(汗)


確かに、すべて運命は決まっているということを認めてしまった場合、では私っていったい何なの?と思ってしまいます。たいがいの人がそんなこと認めてしまったら、自由なんてどこにもないじゃないかと感じてしまうのだろうと思います。
つまり、どこかしら「私は原因」があり、それで安心させているところってあるのだろうと思います(私もそれらしいところがあって、不甲斐ないのですが・・)。

「私は結果」を展開しなくて正解だったこと・・
「私は結果」ではない人に「私は結果」になってもらおうと考えてしまうことがエゴにつながるからなのかと思いました。
あくまでも、「私」は自らの力で運命を変える主導権はなく(運命変更という例外もありますが・・)、その場の流れにそった役割を果たすだけということなのかと感じました。

つまり、それは百姓ということなのかと思います。

[C2940] 運命の研究をしていても

「私は結果」に結びつくのは難しい・・。
私も最初は何だかすごい事だとは思いましたが、よく理解できませんでした。
でも中国紀行を見るたびに、「私は結果」度が
高まります。
運命研究の第一人者の中での「私は結果」論は、
我々は第一人者だぞ・・となりかねないような気がします。
運命の決定度は70%、80%ではない・・。
トラさんの実践を通して得た言葉には重みがあります。
  • 2006/07/17-17:16:43
  • 投稿者 : まる
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[C2918] >本当に少ない「私は結果」という考え方

そうそうたるメンバーの(トラさんは助手で出席だけど)易学シンポジウムの参加者も運命すべてが決まっているかという問いに対しては100%ではないとのこと。
これは占いで当たる確率が100%行くわけではないからだと思います。
かっちり100%行かないのはその占いの精度にもよるし、占う人の実力にもよると思います。
しかしその差である20~30%の未知の部分をどうしても自分主体の私は原因に持ってゆきたいのは100%をクリアーできない人間が行き着く必然ともいえます。
私が原因派は占いに何%かの可能性、言い換えれば占いが当たらない部分を持っているわけでそう思えばほとんどすべての人が私は結果派ではないのも判る気がします。
では運命が100%決まっていることを容認できる人は占いが100%当たると知っている人に限定されるかというとそうかもしれないと思う今日この頃です。
それを目の前に突きつけられない限り、人は希望という幻影にしがみつくのだと思います。
  • 2006/07/16-21:27:24
  • 投稿者 : 空タネ
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[C2904] 主観・実感は私は結果に墜ちにくい。

いくら運命を研究して、占いも極めて、「当る」世界になればなるほど、私の運命は決まっているというところに考えが向かっていくだろうと思います。

私が原因だというは、私は、生活している実感や体感では、こうしよう・あぁししょうという、主観の海のなかに居るから、ここが強固なのだと思います。
そう思うのが、5秒前のカラダの動きにたいする後づけであるという仮説を知識で知っていても、この遅延の謎は埋まりません。

私は結果を受け入れるには、私は主役を降りないとなりません。

そこが、誰にもなかなかできないというのが、非常に大きいと思いました。

[C2894] だいたいね~~。。

仙人様で。。充分じゃないかと。。おもうんですよねええ~~♪♪。。これ以上修行すると~~。。○○人様になんどオオ~~♪♪
  • 2006/07/16-07:58:48
  • 投稿者 : バニー
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[C2893] 「私は結果論」を展開しませんでした。。

う~~ん。。もりけんさんが言ってたみなしご状態って。。みな死後の状態のときかなあ~~。。とおもいました~~。。なんとなく。。男性性は宇宙的で女性性は地球の磁場的な感じがしてましたが。。。死後はみんなみなしご状態なのかなああ。。とおもったり。。しましたああ。。

[C2892] >本当に少ない「私は結果」という考え方

 100%を受け入れられない部分というのは何か考えてみると、やはり自分に不利な要素に対して受け入れたくないという願望的なものがそうさせている部分が大きいのではないのかと思いました。何かの拍子で、こうなって欲しいと思ったことが、偶々そうなってしまって、それが織り込み済みであるにも関わらず、錯覚してしまう部分なんかに、人はもしかしてという憶測的な原因にすがってしまうのかもしれないと思いました。
  • 2006/07/15-19:59:56
  • 投稿者 : yk
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[C2891] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/07/15-19:43:12
  • 投稿者 :
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[C2890] >本当に少ない「私は結果」という考え方

もりけんさんを通じて占いに関する情報に接することで、これほど当たるのだから、「私は結果」なのだと思えています。
でも、そう思えているというのは言葉の上のことで、実感として身にしみて、思っていないように思います。
 
人生には選択肢があって、さんざん悩んで、やっとのことで決断して、この人生を生きてきたと思っていました。
別の選択をしていれば別の人生を歩んでいたのではないかと思い、後悔もしました。
 
でも、そんな悩みは関係なく、自分で選んだと思っていた選択が、決まっていたというのは、どういうことなのかということが、うまく飲み込めないでいます。
悩んだりすることも、あのときあんなふうに感じたからああした、ということも、みんな決まっていたというのは、どういうことだろうかと思います。
 
それでも、「私は結果」であるなら、それも全て決まっていたはずだと思います。
 
「私は結果」であれば後悔のしようもなく、そう考えると楽になります。
だったら、私の人生は誰が決めたのかと思いますが、時空全体ということなるのだと思います。
 
不思議研のHPやこのブログに向き合ってているとき、しっかり理解はできていなくても、「私は結果」と向き合っていると思います。
それ以外のときは、かなりあやしいです。

[C2889] 運命が決まっている

にもかかわらず、人間の意識は、未来へ未来へ向かうようにできている、ということは、考えてみれば、かなり面白いことだと思いました。
「私は結果」は、そもそも、時空の仕組みとして、なかなか受け入れられないようなツクリになっているようです。
だからこそ、わざわざ「私は結果」という表現を持ち出して「私は原因」に対立しなければ、ならないようになっています。
しかし、「私は結果」は、決して遠くにあるものではないと思います(・・などと偉そうなことを言っていますが、根拠はありません(笑))
仮に、意識的抵抗以外は、全部「私は結果」だとします。しかし、その意識的抵抗が生じることすら、運命で決まっています。
だから、「私は結果」をなかなか受け入れられないということも運命で決まっているわけです。
だから、別に私の責任じゃないんです・・と言ってしまえば、すでに「私は結果」です。
 
ところで、このブログは、不思議研に比べて投稿文のウインドウが狭い(五行しか見えない・・ん?)ので、最初に何を書いたか思い出せません。
そういう意味で、瞬間、瞬間で書いているというか・・かなり無意識的な文章になってしまうような感じがします。
  • 2006/07/15-14:17:12
  • 投稿者 : L.B.
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[C2888] >本当に少ない「私は結果」という考え方

それは、運命は100パーセント決まっている
ということだと思いますが、

それを受け入れるのは難しいのは、

個の自由は無い・・
ということを受け入れなけれなければならないからなのだと思いました。

どんな悲しみも苦しみも喜びも・・
この世に生まれさせられることも、
死ぬことも・・

縁も・・

すべてきまっているということを、
受け入れがたいからなのだと思います。

それは、自らの希望や、未来への展望が、
全く開かれない世界観だからです。

既に確定されているであろう未来がやってくるのだから・・

それも、時空の終わりまで・・


だから、難しいことではあるけれども、
個の自由が無いってこと受け入れないと、
進めないのだと思いました。


  • 2006/07/15-11:42:01
  • 投稿者 : あかり
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[C2885] つぶやき。。

中国紀行。。朝の私。。などなど・・・・あかん。。あかん。。あいたくて。。そっとーーーしそうになってキターーー♪♪m(_ _)m ゴメンナサイ 。。。
  • 2006/07/15-10:58:00
  • 投稿者 : バニー
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[C2884] >本当に少ない「私は結果」という考え方

コトが起こったときに、自分で考えて切り抜けている、と思うから、100%運命は決まっているわけではない、となるのだと思いました。
私も自分で何とかしなきゃ・・と思っていました。でも自分で考えていると思っていたことは何一つなかったのでした。脳は自発的パルスを出すことはできないという下條さんの話が、もりけんさんの不思議の友12号の中にありました。衝撃的でした。わたしの脳も例外なく自発パルスは無いと思いますが、全て私の考えによる行動ではないとしたら、誰かのシナリオ通りに行動しているのでしょう。。。でも私は、シナリオすらわかっていないのだから「私は結果」にも至れないのかと思います。
  • 2006/07/15-10:41:00
  • 投稿者 : REI
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[C2882]

昨年の中国不思議調査で、もりけんさんの座る位置まで言い当てた占い師さんのことを読んで、「このとき、ここの場所でこの位置に座る」ということまで決まっているんだーと驚きました。

自分の事においてですが半年後に起こった出来事をさかのぼって見ると、あのときになぜこう思ったのか、こちらの行動を取ったのか・・・考えてみると自分で決めていたようで何か別のモノに背中を押されていたようにも思うのです。
あのときAという行動をとったからこそ、今の**に繋がっていたのか・・・と思うと不思議だし、自分の感情や意志さえすべて決まっていたのだなと思いました。

それでも、やはり心のどこかで「まさかね~~」という気持ちも残っていますし、「私は結果」を完璧に受け入れられてるかといったら、・・・・・。

[C2881]

トラさんは…100%なんだなと思って…なんだかその心境たるやいかなるものかと思いました。コインをどう思ってふっているのか…もちろん想像はつきませんし…運命について思うところというのも…私のはとっても浅いです。躊躇無く「感じ方まできまってる」といえるというのは…トラさんには…いったいどのように見えてるのだろうと思いました。『私は結果』100%だとしてこの宇宙はなにがどうなってるのだろうと思いました。とても混乱しています。
  • 2006/07/15-00:43:43
  • 投稿者 :
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[C2880] >本当に少ない「私は結果」という考え方

生きていれば、「運命は決まっている」ということを実感する
場面に出会うと思います。
しかし、すべて・・・100%となると、それを受け入れることは
難しいのだと感じます。
「私」という存在が、とてもあやふやになってしまうような気が
します。
決まっているなら、何故、「私」が存在するのか・・・
「私」を存在させようとするならば、「私は原因」という視点に
留まるしかないのかもしれません。

[C2879] 運命は決まっているけれど決まっていない

とても単純に考えると、生まれた時点では運命の決定度は0%に見えます。そして死ぬ時点では100%です。人生の半ばにおいて、運命の決定度は今まで生きてきた日数割る寿命の日数です。運命が100%決まっているという見方は、臨終の時に自分の人生の一時点を振り返るという視点だと思います。人生の途上にいる時点でその視点を獲得できれば、確かに人生100%詳細に至るまで決定済みです。これは100%「私は結果」(私の人生は決定済み)と誰もが認める時点が確かに存在することを意味しています。もちろん100%「私は結果」ではないといえる時点もあります。それは誕生した時です。

さて、宇宙論の世界では物質はエネルギーとして存在すると同時に粒子でもあるという考え方、あるいは、存在と非存在の中間の状態が存在し、箱をあけた時点で何かが確定するというような状況を人間はすでに受け入れていると思います。

このような考え方にインスピレーションを受けアートの世界でも理系的な考え方に基づいた実験的な作品が作られています。

このように意識世界が拡大していく中で、人間の運命を扱う学問である易学の分野においては、上記のように20世紀以降ポピュラーに受け入れられている考え方が、あまり取り入れてこなかったというのは、考えてみれば不思議なことです。少し運命というものを理論的抽象的に考えようとするならば、容易に影響を受けたはずです。

それは運命のしくみというものを今まであまり考える試みがなされてこなかったということなのかもしれません。

たとえば「運命は決まっているともいえるけれども決まっているともいえない」という不確定原理的な考え方を受け入れるのは意外とやさしいかもしれません。そもそも現代の物理学も中国の老荘思想と非常に親和性が感じられるわけですから...。これはもりけんさんの「私は結果」という考え方と同一ではないかもしれません。しかし死ぬ時点でも運命は決まっていないとする「私は原因」の考え方よりは運命の「実物」に近いような気がします。
  • 2006/07/14-21:58:35
  • 投稿者 : ナイル
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[C2878] トラさんの弟子ですら、100%ではありませんでした。

>易学シンポジウムには、取りあえず、運命を研究している第一線の人たちが出ているはずです。
 それでも「私は結果」を受け入れるのは大変なのです。
 
 「安心」しました、やはり身体で「理解」しないと本物になれないのかとおもいます、10ヶ月間「投稿」して「私は結果」を実践しているつもりが、実は何にも変わっていませんでした。
 
 今は「私は原因」を受け入れ「上位の問い」の私を認めています。

[C2877] 本当に少ない「私は結果」という考え方

いままで周りでは「私は原因」でいろいろな事を考えて来ているので発想の転換とか、「私は結果」の考えを理解するのが難しいとおもいます。
しかし、考え方にもいろいろな歴史があり、四柱推命は存続し、六爻占術が一時途絶えたという事実から時代のながれで「私は原因」が存続してきたのだと思います。
だから、ここにきて、六爻占術が復活したという事もあり、私もいまひとつ良く分かっていませんが「私は結果」を良く考えてみたいと思っています。

[C2876] 私は30分の講演会で「私は結果論」を展開しませんでした。。

不思議の科学でも。。時空の謎にせまるもりけんさんは。。引いていなくて。。かっこよかったでっすううう~~♪♪なぜか。。3次元では。。フラフラ~~♪♪メロメロ~~♪♪してしまいますだああ~~♪♪。。。もう何度も負けているので。。。わたし的な問いの結果的には100パーセント結果のわたしてきでっすううう~~♪♪
  • 2006/07/14-18:43:51
  • 投稿者 : バニー
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[C2875] >本当に少ない「私は結果」という考え方

「私は結果論」は異端だと思っています。
 
易学を研究している方々や、トラさんの弟子の方でさえ、受け入れるのは
大変なことだと思います。
 
運命の決まっている部分が70%や80%というのは、占いが当たる確率や
運命変更できる可能性など、さまざまな考えから出ているのだと思いました。
 
 
運命がすべて決まっていて、すべてが結果だということは、
過去を含めて、あらゆることを肯定することになります。
 
すべて肯定することは、とても困難なことだと思っています。
 
人は「今」に対して、何がしかの理由が欲しくなります。
「今」の理由を「過去」に求め、「未来」の理由を「今」に求めます。
この考え方は、「私が原因」だと思います。
 
「私は結果」は存在の理由がどこにあるのかがわかりません。
理由はわからないけれど存在している・・・
 
「私は結果論」は「私は誰」という問いの結果でもあるのだと思いました。
  • 2006/07/14-17:05:49
  • 投稿者 :
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[C2874] >本当に少ない「私は結果」という考え方

>「運命は決まっています。しかし感じ方は人それぞれです。コトが起こったとき、どう感じるかは決まっていません」

最近考えていたことでした。
感じ方とか感情はやはりどこか運命と関係ないところで自由が効いているのではないかと思っていましたが・・・

「私は結果」という考えが少ないのは、動作と私の意識がシンクロしているように思えるという点が卑近なところであると思います。

意識が命令して動作が起こるという具合に見えてしまうからだと思います。
しかし、私は自分の好き嫌いを変えることができませんし、この性格を変えることもできません。
飽きたと思って変えようとしても無理でした。

私は結果を受け入れられるかどうかは「自由についての定義」の違いが底辺にあるような気がします。

[C2873] 日常生活という場では、

「私は結果」の人に会うことは全くと表現していいほどないと思います。
 
易を研究している人の集まりという場ならば「私は結果」と考えている
研究家に会えそうだと思いました。
でも、そんな簡単なことではないのだと思いました。
 
私だって毎日のように「運命」という言葉を使っているし、運命につい
て考えています。運命が決まっているためには、決まっていない部分が
あったら成り立たないように感じています。
なのに。。。「私は原因」から抜け出しているとはとても言えません。
 
自分の手足が動かされている感覚があれば「私は結果」を実感できるか
もしれませんが、私の感覚では、自分で考え判断して自分で決めて行動
しているとしか感じられません。
今ここでキーボードを打つ手を止めてしまうか打つのを続けるかと悩ん
だとしても、どちらを選んでもそれは運命で決まっていたことです。
 
私たちは思い知らされる出来事を何度も経験しなければ「私は結果」に
なることは出来ないのかもしれません。
 
思い知るための助けとなるのが占いだと思いますが、占った結果に疑問
を感じていたら、ずっと「私は原因」のままなのだろうと思います。
 
頭に浮かぶ疑問も不安も期待も全部捨てて行動に出ることが出来なけれ
ば「私は結果」はわからないのだと思います。
 
。。。。。こんな難しいことはないです。 
  • 2006/07/14-16:46:13
  • 投稿者 : ぷく
  • URL
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[C2872] 本当に少ない「私は結果」という考え方

私が生まれたのは、私とゆう個人が、何か使命を持ってとか
カルマを背負っていてそれを解消するためとか・・では、なさそう
です。とゆうか、違うかもしれません。
人生は楽しむためにあって、自分のしたいことをするとこで
夢は何でも叶うところ・・それも違うかもしれません。
違う、とは言いきれないですけど、私も誰かも「?」でつながっているだけの存在かもしれない、そんな風に思いました。
こんな思いだって、生まれ育った環境や性格がものをいっていたり
ただの「反応」かもしれないなんて。
なんだろうヒトって・・なんでこんなにエラそうなんだ私は・・そう
思いました。
私は結果、運命そして性格も・・もう仕方ないです。
仕方ないとゆうか、ものすごいことです。ダメなとこが
なくなってしまう・・(爆)「結果」じゃないと、恥ずかしい書き込み
たくさんあります。そもそも「結果」でないとどうしてここにいるのかが
わからないような気もします。


[C2871] >本当に少ない「私は結果」という考え方

私は結果、という概念は、もりけんさんが提唱しているレベルで今回の中国で語られるには、場が違うのだろう、と、感じています。もりけんさんが研究の中で追及される概念と、外部の場で講演をされる場合は切り口が違ってもその場に合った効果があるのだと感じます。
  • 2006/07/14-16:12:30
  • 投稿者 : にしけん
  • URL
  • 編集

[C2870] >「運命は決まっています。しかし感じ方は人それぞれです。コトが起こったとき、どう感じるかは決まっていません」

感じ方も、生まれ持った性格とその時の状況によって決まってしまっているという感じがします。
それは吊り橋実験でもそうでしたし、自分自身を振り返ってみてもそう感じます。
好き嫌いでさえ、自分の自由にはなりません。
でも、実際のところ、100%決まっているのか、99.9999・・%なのか、よくわかりません。
運命変更の仕組みがまだよくわかっていないからかもしれません。
でも、「私は結果」と「私は原因」が混在しているというのもなんかヘンだなと思います。

[C2869] >本当に少ない「私は結果」という考え方

「私は結果」は、実践してつかんだ人のものと思いました。
頭で考えて到達するものではないと思います。
やった程度分かる世界なのだと思います。
トラさんの弟子ですら、100%でないことがこのことを物語っていそうに感じます。
もちろん私も100%ではありません。
残された人生で、実践してつかむことで確信に変わって行くものと思います。

[C2865] >本当に少ない「私は結果」という考え方

未来を占うことができるのは、運命が決まっているからのはず・・
でも、すべて全部決まっているとは・・なかなか思いにくいところが確かにあります。
そのお弟子さんの意見も、もりけんさんを知らなければ納得してしまうとおもいます。
いや、今でも心のどこかでそんなふうに思っているところがあるかもしれません。。

自分の意見はトラさんによって否定され、他の人には賛同されたのに、そんな中、このお弟子さんは、トラさんが正しい、トラさんに従う・・とおっしゃったのはすごいと思いました。
自分を捨てていると思いました。

やはり・・自分が「ある」と、少しでも「私は原因」の部分がほしくなるのかもしれないと思いました。
そして、私も含め、かなり多くの人が、まだまだ自分が「ある」状態なのかもしれないと思います。

[C2864] トラさんの弟子ですら、100%ではありませんでした。。

未知分野でなければ。。突き抜けないとおもうので。。3次元の100パーセントに集約されることはないのではないかともおもいます。。私達が空洞なのは。。過去側に1分も染まってない感もありますが。。時空側と一番大枠で。。。キッチリ決まっていて決まっている所が。。時空側未来側の快繋がりで。。。いつまでも。。。ずっ~~と。。未知。。永遠。。に快がひろがる感ありまっすううう。。。シフトへ~~。。。でっすううう~~♪♪
  • 2006/07/14-14:48:04
  • 投稿者 : バニー
  • URL
  • 編集

[C2863] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2006/07/14-14:09:29
  • 投稿者 :
  • 編集

[C2862] >コトが起こったとき、どう感じるかは決まっていません」

性格が生まれたときから決まっていたら、コトが起こったときどう感じるかも、決まってきてしまうと思います。それを元にどんな行動をとるかも‥。でも、自分の気持ちまで全部運命どおりって、あまり思いたくないと思います。それに、自分の気持ちはどこにあるのか見えもしないし、固体じゃないから、決まっていないという気持ちにもなります。運命も目に見えないし、固体じゃないし、決まっていないという気持ちにもなります。五行も浮遊しているし‥でも、浮遊していても動き方が決まってないとも決まってないし‥‥でも、複雑に動いているものが全部決まっているってなかなか思いにくいです。
  • 2006/07/14-13:48:43
  • 投稿者 : リョウコ
  • URL
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[C2861] >その理由は想像に任せます。

中国とは外交的にむずかしい時期ですが、
もりけんさんがいろいろ配慮されている様子で
安心します。
  • 2006/07/14-12:02:17
  • 投稿者 : 十四郎
  • URL
  • 編集

[C2860] >本当に少ない「私は結果」という考え方

私自身、「私は結果」を受け入れるのは大変ですし、まだまだ完全に受けいれてません。、「私は結果」の仮説を元に、あるいは、このもりけんさんのHPやブログに繋がりロムしたり書き込みしたりする中で、「私は原因」説の話しが受け入れられなくなり、抵抗を感じます。どちらが正しいとか判断するわけではないのですが、自分自身にフィットしている感じが=好奇心を駆り立ててくれるのかもしれません。未だ、なんにも理解してませんが、「私は結果」を完全に受け入れ、結果にこだわらなくなりたいものです。
  • 2006/07/14-11:24:55
  • 投稿者 : じんのり
  • URL
  • 編集

[C2859] >本当に少ない「私は結果」という考え方

一般的に私は結果といえば、自分の責任転嫁的にも使われかねないと思います。しかし、個の責任追求で終わってしまっていては、未来を失ってしまうように思います。
もりけんさんは、私は結果といっていますが、その生き方は生半可ではありません.今回の中国紀行で出てきたたくさん運命変更してしまう女性も生半可ではないと思います。
でも、そういう人はとても少ないと思います。だから、
私は結果とは軽々しく言えないように思います。そのもつイメージが違うと思うからです。
運命に関していえば、私は決まっていると思っていたことがありますが、それってどういうことかよくわからなくなっています。確かにある範囲で決まってたりする事はあると思うのですが。。。

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この本は、読んでいただけるだけで嬉しいです。
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