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[C4115] >概念とは下位の問いに関わることがら

人から教わるノウハウ、ハウツーによって、うまく言ったと思っている人はただ、「運」がよかっただけではないかと思いました。
結局人からのノウハウというのは言い換えれば「その人になれ」と言っているような気がします。
でも、パーツ化されている私たちがその人になることはほとんど不可能だと思うし、なりたくもないと思っています。

このHPのすごいところは、「私になれ」とか「私に近づけ」とか「私と同じ思想で生きろ」と言っている訳ではなく、それぞれが勝手に考えてね。
でも根源のテーマは「私は誰?」じゃないですか?と提案しているだけなので、そこがとてもすばらしいと思います。

[C3482] 下位の問い

上位の世界での生き方のコツ・・は
所詮上位での生き方からは、少しもはみ出さない
今までと同じ、何も変わらないものなんだと思います。
上位から切り離された下位の問いには
上位の概念としてきたものの根底を覆すものが、
上位の概念の本当の裏の意味のようなものが
沢山隠されているんだと思います。
  • 2006/08/24-13:30:01
  • 投稿者 : まる
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[C3377] >生き方のノウハウに関することは、上位の問いだと思います。

 
ノウハウは、今ここにあるものを何も変えないで、工夫して乗り切るための方法だと思います。
だから最初から何も変わらないということが前提になっていると思いました。
 
概念も、今ここにあるものを変えようとするものではないと思います。
でも概念は物事をどう見るか、どう捉えるかということだと思うので、それが変われば今まで見えていたものが全く違うものに見えるかもしれないです。
 
「私は誰?」を上位の問いとして考えたら、両親が誰で何処で生まれてどんな成長をして今は何をしていてどんな夢を持っているか…という答えが浮かぶかもしれません。それはあくまで固定した概念で見たら私はどんな人間か、ということだと思います。
 
「私は誰?」を下位の問いとして考えたら、そもそも私とは何を意味するのか…ということから始まって、固定された概念そのものが何なのかというところまで問いが広がると思いました。
  • 2006/08/18-17:19:56
  • 投稿者 : ぷく
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[C3369] 下の投稿

くるみです。
名前が抜けてました。
 ↓
  • 2006/08/17-23:15:23
  • 投稿者 : くるみ
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[C3368] >概念とは下位の問いに関わることがら


下位の問いを考えるようになると、幸・不幸の問題は吹っ飛んでしまうと思います。
 
ふと、人はみなどこかでみなしご感を抱えていて、それが不安感や不足感にすりかえられていて、それで幸せを追い求めるのかもしれないと思いました。
  • 2006/08/17-23:13:58
  • 投稿者 :
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[C3367] 概念の入れ替え

「私は原因」と「私は結果」の入れ替えると。
蝉は「私は結果」でした。自分では何もできなかったからです。だから、幸せになる自分と不幸になる自分の比較がなかったのでしょう。
蝉は他の蝉を知りません。だから、幸せな蝉と不幸な蝉の比較がなかったのでしょう。
でも、人間は、比較できます。だから、幸・不幸を作り出すのかも知れません。
しかし、「私は結果」だったら、自分の中での「なる幸せ」の比較も意味がありません。そして、人との比較で、「ある幸せ」を自慢したり誇ったり、逆に妬んだりやっかんだりも意味がありません。
まして、何度も生まれ変わって、何にでもなれるカルマとも無縁の存在だったら尚更です。

ちょっと、ぶっ飛んでますが。(爆)

[C3366] >概念とは下位の問いに関わることがら

生き方や精神世界を求めたわけでも選んでもないのに、そういう本をいくつか手にしていました。
心に残る言葉もあります。
でも、今思い直してみると、なぜだか深刻で重いものばかりです・・
人生はそういうものだと、だからあなただけではない、誰もがしんどくて、それは無理ない当然のことという意味だと思います。
なぐさめられるようでいて、しんどさは変わることなく、むしろ目の前の世界全てが重々しいものに映ってきそうに思えます・・

ところが、もりけんさんのサイトを知ってガラリと変わった気がします。
軽くなるなんてもんじゃなくって浮遊しちゃうのですから!
もりけんさんの言われるのは、下位の問いの視点から投げかけられる言葉ばかりなので、これまで見聞きしてきたことと全く違うようなのです。
うかがって、へえ~っ?と驚いたとたんスッと楽々身体に入ってくるという感じです。

きっと、もりけんさんの言葉が入るスキマを人は誰もが持っているのだと思います。
それは心の根っこのところに大きくぽっかり空いていて、もりけんさんの言葉で埋まるのを今か今かと待っているのだと思います。
そこに自然スルリと入ると、上の方の余計なものを押し出してもくれ、概念の入れ替えバッチリ完了と成り、いつの間にか気持ちが軽くなってニッコニコしてくるのだと思いました。

[C3365] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2006/08/17-14:42:12
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[C3364] 概念と上位と下位

「なぜ生きているのか」の問いから始まって、上位は「その答えはもう分かった、だから、どう生きることがより良いのか、を考えよう、そうすれば、すっきりはっきり自分がどうすべきかが分かるから」に流れていくのだと思います。そこは、自分次第の世界で、義務・責任・使命・努力・損得の世界で、安定した決まりごとの元に積み上げられていく世界感なのだと思います。


下位は「なぜ生きているのか」の問いを問い続けて手放さない、答えが出てこなくても、そして、決まりごとが本当に決まりごとなのか、疑問を投げる事をあきらめない、そこでは、既成の概念もひっくり返り、根底がひっくり返ることで、そこから沸きあがる感情すら、自然と変化していくのだと思います。そうなった時、幸せになれるのかは、自分がまだ実際体験をしたわけではないので、分かりませんが、感情がひっくり返ることだけは理解できます。


なんだか、沸かしているお風呂のお湯の上のほうが熱くて、「もう沸いた」と思っている時と、下からかき回して冷たい水と混ぜて全体を見る時との違いを思い浮かべました(あまり上手い表現ではありませんが)。
  • 2006/08/17-10:42:58
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C3363] >概念とは下位の問いに関わることがら

概念という言葉は、何故か否定されることが多い気がします。例えば、「概念的で、中身が無く意味が無い」とか言われてバッサリ切り捨てられる時に使われることが結構ある気がします。その理由は何なんでしょうか?

反対に、生き方のノウハウは一般的にはあまり切り捨てられない気がします。何故ならきっと中身があるんです。「社会的に有意義で、生産的なものは正しい。」といった感じの中身が・・・
そして、生き方のノウハウを教える人は、既成の道徳的な行動様式などの中身を入れ意味を持たせます。
そうすることにより、「社会的に有意義で、生産的なものは正しい。」というようなことを判断基準にしている多くの人が納得して、どんどん拡がっていくからだと思います。「意味があり、中身があるから信じることが出来る。」とか思って判断してるような気がします。論理がかなり飛躍しちゃってますが(汗)

でも、それを判断しているのって結局「私」だと思います。
論理、科学性、愛、健康、快楽、人それぞれ色んな判断基準があると思いますが、判断している(判断していると思い込んでいる?)のは「私」です。
下位の問いはその根底である「私」から問います。
だから、概念というのは浮遊しているので、積み上げることはできないんじゃないかと思いました。

[C3362] (つづき)

この場合、「生き方を変える」というのは現在のメインコンピュータにのっかっている業務システムのソリューションだと思います。メインコンピュータが変わればソリューションも違ってくるはずです。「私や結果」や「下位の問い」がメインにきたとき、「自分を変えなさい」というソリューションとは別のノウハウが選択されるようになるのではないでしょうか。
  • 2006/08/16-21:25:47
  • 投稿者 : ナイル
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[C3361] [

私の会社では、「メインフレームコンピュータを変えたら幸せになれるんかいなあ」という問いが社内を駆け巡っています。
現在のコンピュータは数十年前に入れた米国製のものでその上に色々な業務を行うためにシステムをのっけています。
時代遅れになったために、新たな業務に対応できず、またコストや維持費が非常にかかるためこのような話になっているわけです。
  • 2006/08/16-21:21:36
  • 投稿者 : ナイル
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[C3360] >概念

概念って自分とか世界の形を決めてしまうようなものだと思いました。

「世界は○○である」
「私は○○である」
のような感じです。

でもこれも私ではないものから選ばされたものを自分で考えたと思い込んでいるのだと思います。
感情さえ運命通りなら益々そうだと思います。

もしかしたら自分の概念がガラリと変わってしまう時は、運命が変更しているのかもしれません。

運命変更とは他が勝手に与えたものをこちらから入れ替えてしまっているように思うからです。

所詮、自分を自分自身で変えることなどできないとつくづく思い知らされます。
変更前後には何らかのクッションが必要に思えるからです。

[C3359] それは「私は誰?」から始まるところの、下位の問いに関わることがらだと思います。

問いが上位だと。。。収束してしまいそうですうう~~。。下位だと。。。未来側へ突き抜けた問いを常に投げかけていて。。。時空全体で答をサーチしてるのかもでっすうう。。。だから。。。3次元的には不安定な状態におかれるのかなあでっすううう。。。不安定な状態にいないと問いの答を感じとれないのかも~~でっすううう。。。
  • 2006/08/16-18:26:36
  • 投稿者 : バニー
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[C3358]

そうか、そうかもしれないと思いました。 
自分の感情を変えるには、感情に反応する自分を変えなくてはなりません。 
でも自分を自分で変えられないのだから無理なのだと思いました。 
これで幸せになれなくても、自分が変わらないから仕方がないという事にもなります。 
ノウハウを教える人は安泰です。 
 
下位の問いは、自分から目が少しでも離れないと出来ないと思いました。 
ということは自分からのみた自分と、
もう一人の自分を作り出して自分を見るの最低二つが必要だと思いました。
自分が自分自身の外側になるってことなのかなと思いました。 

[C3357] 概念とは下位の問いに関わることがら

今までいくら「生き方」の本を読んでも変わらなかった
ことが・・もりけんさんの本に出会って、変わりました。
積み上げたものはいつもグラグラしていましたがその
上にどんどんとまた積み上げてしまい・・わけがわから
なくなるくらいまできていたんだと思います。
でも・・概念を入れ替えるとゆうのは、すごかったです。
ちょっとずつ壊してゆくのではなく、ガーンと・・いちばん
下の部分を叩きだされ、一瞬にしてすべてがこなごなに消えました(汗)
そしたら「ただの私」が残りました。
そしてそこから一個も積み上げてません。
むしろ、どんどん掘り下げてゆくような感じです。
穴が深くなり、どこかに通じてしまうのではないかな・・
(汗)とゆう感じがします。
今は何があっても、自分に責任もなく、替わりもいるし
心配がありません。
それでも性格があるので・・感情は揺れますし、そんな
時、あの日あの時に誕生した「私」とゆうのを感じます。
感受性はますます強くなったような気がします。
変なことで「もうダメだ・・」と強く感じます。
でも(究極を言うと)死んでものか、と思えます(汗)
概念の入れ替えはそのぐらいのものすごい変化です。
生きていても死んでも、私じゃなくても私でも・・いい
そうゆう風に思えるとは・・全部大丈夫じゃないかと
思えるのです。

[C3356] >概念とは下位の問いに関わることがら

 概念とはHOWのような方法論ではなく方法論の根底をなすWHYであり人類の共通の問いへ向かうベクトルであったり過程であったり、具体性を持たず汎用性を獲得するために拡散していくために下位の問いのような、漠然とした何故に関わっていくのではないかと思いました。
  • 2006/08/15-23:00:28
  • 投稿者 : yk
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[C3355] 生き方のノウハウで自分を変える

もりけんさんにこんなことをする奴はバカだと言われる機会がなければ、一生やっていた
と思います(爆泣)。
デカイ書店に行けばわんさかと置いてあります。
片っ端から読んでやってみては失敗してと、相変わらず繰り返していたと思います。
私自身を全部肯定して、「わたし」という存在そのものを問うことが、概念の入れ替えだと
思いました。
概念の入れ替えをすることによって、表面上の私は変わらなくても、つまり生き方は変わ
らなくても、あれだけ自分でがんばっても変わらなかった周囲の状況が変わってしまうの
かなと思いました。
私はといえば、周囲の状況はそれほど変化していませんが、いつも付きまとっていた
「虚しさ」は最近ほとんど感じなくなりました。
自分を動かしているのは自分の小さな脳ミソで考えた結果ではなく、もっと大きなもので
動かされているのだと考えているからだと思います。
  • 2006/08/15-22:38:32
  • 投稿者 : イーキン
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[C3354] >概念とは下位の問いに関わることがら

ここ数日のうちに思っていたのは、概念を入れ替えていったら、変えられない概念というのもあったりするのではないかと。。そして、それが無意識のルールではないかと思ったりしていました。
でも、l今日の書き込み読んでたら、わからなくなってきました。ギブアップって感じです。

[C3353] >概念とは下位の問いに関わることがら

ここで言われている概念を持つには、体験からつかむ心証のようなものの構築が必要に感じます。
下位の問いに関わるということは、バイブルに相当するものがあると、そのとたん概念は消えうせるように感じます。
バイブルが存在して、いくら百万言をついやしても、とどのつまり「自分で自分を変えなさい」に行き着くと思うからです。

[C3352] 生き方のノウハウを教える人は、生徒(笑)に、自分を変えなさいと言ってきます。

よくわかりませんが。。。10代の頃は。。うるせーなーの気持ちが強かったけど。。今はやはり。。最低限の自分の快をキープしな~~。。と思うきもちもあるかなあでっすうう。。あ。。3次元でですが。。自分の空間があるところではでっすうう。。。そこで。。少々戦いが生じるかも~~。。なあなあで。。自分の空間が閉じるとつらいも~んでっすううう。。
  • 2006/08/15-19:16:11
  • 投稿者 : バニー
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[C3351] 生きることが、川くだりならば、

生き方の変化は、同じ川幅で、ポジションをささっと変えることができるようなことであろうと思います。
流れに乗った後・・・そんな気がします。

しかし、概念は、川の上流の分岐を替えたり、その分岐で支流を乗り換えるような部分の感じがします。
概念は、言葉でいえば、「そもそもー」ってことだと思います。
そもそも違う川に乗り換えれば、生き方のような川幅でのポジションチェンジなんてささいなもんです。
だって、同じ川にいちゃ、景色はそうそうかわりませんから。
でも、違う川に行けば、まったく違う景色になります。


ところで、概念を変えるのに、努力はいらなそうです。
努力は積みかさねですから、アナログ的です。
しかし、概念はその気になれば、一瞬でひっくりかえります。
そういう意味で、デジタルみたいです。

[C3349] 概念とは下位の問いに関わることがら

幸せになるためには、自分から目を離さないで、よく見つめて自分をよく知ろうと思っていました。幸せになりたいから幸せについて考える、のが当り前と思っていました。
でも、幸せが何なのかよくわかりません。これでは議論にもならないと思いました。自分自身もどういう状態になりたいのか分かりません。(が、今書き込みをしている時は幸せを感じています)
ハウツーと概念を並べると、ハウツーという言葉は小手先の動作に感じます。概念は大まかな感じです。
  • 2006/08/15-17:44:53
  • 投稿者 : REI
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[C3345] 概念

て、言われるとよくわかりませんでした。下位の問いに関わることがら、と言われて、そうか~と思いました。表層だけだとなにも変わってなくて、基礎部から入れ替え、ということだとわかりました。基礎部‥運命変更グッズが無意識界で認知されてはじめて変更になるというのと似ているなあと思いました。(無意識界が意識界より基礎な気がしているので、基礎に変更をかける、というところが‥)
  • 2006/08/15-12:34:04
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3344] >概念とは下位の問いに関わることがら

前回のブログで、「概念」ということばがでてきて、「概念」ってなんとなくこんな感じかなあ・・と思っても、いったいそれって何?ときかれた時、説明することはできない・・と思っていました(汗)。
でもなんとなく・・概念の入れ替え・・というのが、なんとなくイメージとしてはあり、ああ、確かにそれができれば、幸せ状態になるかも・・と思いました。

今回、
>概念とは下位の問いに関わることがら
ああ・・そうか・・そうだよな・・・と、自分なりに、納得しました。

生き方のノウハウを教える人はいっぱいです。
それだけ、それを聞きたい人もいっぱいなのだと思います。(私もそうだった・・)
それで、もし、みなが幸せになっていたら、そろそろ、生き方を教える人もそれを教えて欲しい人も減ってきていいかも、と思いますが、そんな感じはしません。

ということは、生き方のノウハウを聞いても、幸せになったような気になるだけで、何一つかわらないのだと思います。
自分をふりかえってもそう思います。
それどころか、「あなたが変わらなきゃ」「あなたががんばらなきゃ」とハッパをかけられ、ますます自己嫌悪に陥るだけ・・。

概念が、下位の問いに関わることがらだとすると、「概念の入れ替え」=「下位の問いに関わることがらの入れ替え」ということになります。
生き方を追っていた者としては、まずは、下位の問いの存在を知り、その存在に気づくことからだな・・と思いました。

*****

実は・・最初、読み違えをしていました(汗)
読み違えたまま、レスまで考えてしまいました。

「概念とは下位の問いに関わることがら」の最後の「がら」を「から」と読んでいたのです(汗)

「概念とは下位の問いに関わることから」
文章的にちょっとおかしいと思いつつ、「概念を入れ替えるということは、まず、下位の問いに関わることからはじめよう」という風にとったのです(汗)

そしてそれを読んで・・もりけんさんてなんて優しいんだろうと思ってしまいました。
「下位の問いを理解する」とか、「持つ」とかになると、「今の私には無理だ・・」と思ってしまいそうになります。
実際、HPから離れても、常に常に下位の問いを持ち続けるのは、難しいことだと思います。
でも、「関わること」なら、私でもできる・・と思いました。
今、一番関われることは、もりけんさんのHPを読み、書き込みをすること・・。

そんなことを考え、書いていたら、「ことがら」だと気づきました(おそ・・)。
そうですよね・・主語が「概念」なんだから・・

でも、間違った掛からも正しい判断が出るように、この読み間違えも、まんざらおかしくはないと自分では思い、レスに書くことにしました。

関わること・・だけでは、入れ替えに比べれば、生ぬるいと思うのですが、それでも、まったく触れないよりはましじゃないか・・と思います。

[C3343]

まだ変なとこに落ちたまま続けますが…もっといえばアルカリと酸がなんで存在するかの話までいくのかなと…。存在を徹底的に疑えじゃないけど…。なんで?しかない…あ、また思考停止だ。

[C3342]

>では概念とは何でしょう?
>それは「私は誰?」から始まるところの、下位の問いに関わることがらだと思います。 
 
概念って何だろうと思ってました。概念ってどっかくるんだろうって。この思考の枠(ルール)はどこにあるんだろうって。
だけど私がなんだかもわからないのにこの枠がなんだかもわかりません。(でも枠があるんだからなにかなんだろうとは思います。)さっぱり訳がわかりません「私」がキーなんだとは思うのですが。なんか混乱した書き込みです(汗)
 
ハウツーはいくらかき集めても像を結ばないとおもいます。
幸せについては混乱してるのが現状なんだと思いました。
 
自分を変えなさいというのがハウツーなら、その源ってどこにあるの?です。消臭剤をまいても匂いが無くならないように…なんか違うんだ。でもそこになんかあるんだというカンジです。でもそれがなんなのか…例えば匂いは…アルカリの匂いなら酢で消せるし、酸の匂いはアルカリで消します。なんか芳香剤(ハウツー)じゃなくて…もっともともとの成り立ちの話なんだと思います。香りの良い悪いを論じてる限り辿り着けないところの話なんだと思います。
 
してみると思考枠の話じゃなくて、思考そのものの何か、思考成分についてが根源論なのかと…あー…とりとめがなくなってきたので止めます。たぶん変なとこに落っこちました(汗)

[C3341] >概念とは下位の問いに関わることがら

概念とは下位の問いを発することにより表出する、くくりのことかなと思いました。

最近、HPで、「私」という存在は、「代替可能・一過性」であるという概念がでました。
これは、「私は誰?」という下位の問いを発することによって、
無意識の層から表出してきたのかもしれません。


生き方のノウハウは、上位で、自然的だと思います。
そして、幸せになりたいと願いながら、
なかなかそうはなれなくて・・
という感じだと思います。

ところで、概念は、多くの人を巻き込んで、
論議をする中で作られていく(くくられていく)ものだと思いました。

「代替可能・一過性」という概念の発端は、大学一年生が、
もりけんさんのHPに書き込むことにより、
論議が生まれて、出てきたものであるともいえます。

概念が入れ替わることにより、
「君じゃなくてもいいんだよ」
というセリフも出てきました。

上位の問いに生きてたら、怒り出しそうであろうこのセリフも、

下位の問いを発端として、出てきたとき、
私というのは、代替可能で、私じゃなくてもいいんだし、
だから、「私」というのは、自由で、
誰にでもなれて、自由にどこにでもいけるのだな。。

と思いました。

概念が入れ替わることにより、幸せになれるというのは、
その通りだと思いました。

自由で、軽く生きられるようになるからです。


 
  • 2006/08/15-10:04:25
  • 投稿者 : あかり
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概念とは下位の問いに関わることがら

 
 前回は、概念の入れ替えで幸せになれると書きました。
 
 では概念とは何でしょう?
 
 それは「私は誰?」から始まるところの、下位の問いに関わることがらだと思います。
 
 しかし生き方のノウハウに関することは、上位の問いだと思います。
 だからいくらノウハウを勉強しても、概念の入れ替えにはならず、幸せへの変化が無かったのではないでしょうか・・・
 
 生き方のノウハウを教える人は、生徒(笑)に、自分を変えなさいと言ってきます。
 自分で自分を変えることなど、無理なのです。
 だからやはり、幸せにはなれなかったのです。
 
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28件のコメント

[C4115] >概念とは下位の問いに関わることがら

人から教わるノウハウ、ハウツーによって、うまく言ったと思っている人はただ、「運」がよかっただけではないかと思いました。
結局人からのノウハウというのは言い換えれば「その人になれ」と言っているような気がします。
でも、パーツ化されている私たちがその人になることはほとんど不可能だと思うし、なりたくもないと思っています。

このHPのすごいところは、「私になれ」とか「私に近づけ」とか「私と同じ思想で生きろ」と言っている訳ではなく、それぞれが勝手に考えてね。
でも根源のテーマは「私は誰?」じゃないですか?と提案しているだけなので、そこがとてもすばらしいと思います。

[C3482] 下位の問い

上位の世界での生き方のコツ・・は
所詮上位での生き方からは、少しもはみ出さない
今までと同じ、何も変わらないものなんだと思います。
上位から切り離された下位の問いには
上位の概念としてきたものの根底を覆すものが、
上位の概念の本当の裏の意味のようなものが
沢山隠されているんだと思います。
  • 2006/08/24-13:30:01
  • 投稿者 : まる
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[C3377] >生き方のノウハウに関することは、上位の問いだと思います。

 
ノウハウは、今ここにあるものを何も変えないで、工夫して乗り切るための方法だと思います。
だから最初から何も変わらないということが前提になっていると思いました。
 
概念も、今ここにあるものを変えようとするものではないと思います。
でも概念は物事をどう見るか、どう捉えるかということだと思うので、それが変われば今まで見えていたものが全く違うものに見えるかもしれないです。
 
「私は誰?」を上位の問いとして考えたら、両親が誰で何処で生まれてどんな成長をして今は何をしていてどんな夢を持っているか…という答えが浮かぶかもしれません。それはあくまで固定した概念で見たら私はどんな人間か、ということだと思います。
 
「私は誰?」を下位の問いとして考えたら、そもそも私とは何を意味するのか…ということから始まって、固定された概念そのものが何なのかというところまで問いが広がると思いました。
  • 2006/08/18-17:19:56
  • 投稿者 : ぷく
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[C3369] 下の投稿

くるみです。
名前が抜けてました。
 ↓
  • 2006/08/17-23:15:23
  • 投稿者 : くるみ
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[C3368] >概念とは下位の問いに関わることがら


下位の問いを考えるようになると、幸・不幸の問題は吹っ飛んでしまうと思います。
 
ふと、人はみなどこかでみなしご感を抱えていて、それが不安感や不足感にすりかえられていて、それで幸せを追い求めるのかもしれないと思いました。
  • 2006/08/17-23:13:58
  • 投稿者 :
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[C3367] 概念の入れ替え

「私は原因」と「私は結果」の入れ替えると。
蝉は「私は結果」でした。自分では何もできなかったからです。だから、幸せになる自分と不幸になる自分の比較がなかったのでしょう。
蝉は他の蝉を知りません。だから、幸せな蝉と不幸な蝉の比較がなかったのでしょう。
でも、人間は、比較できます。だから、幸・不幸を作り出すのかも知れません。
しかし、「私は結果」だったら、自分の中での「なる幸せ」の比較も意味がありません。そして、人との比較で、「ある幸せ」を自慢したり誇ったり、逆に妬んだりやっかんだりも意味がありません。
まして、何度も生まれ変わって、何にでもなれるカルマとも無縁の存在だったら尚更です。

ちょっと、ぶっ飛んでますが。(爆)

[C3366] >概念とは下位の問いに関わることがら

生き方や精神世界を求めたわけでも選んでもないのに、そういう本をいくつか手にしていました。
心に残る言葉もあります。
でも、今思い直してみると、なぜだか深刻で重いものばかりです・・
人生はそういうものだと、だからあなただけではない、誰もがしんどくて、それは無理ない当然のことという意味だと思います。
なぐさめられるようでいて、しんどさは変わることなく、むしろ目の前の世界全てが重々しいものに映ってきそうに思えます・・

ところが、もりけんさんのサイトを知ってガラリと変わった気がします。
軽くなるなんてもんじゃなくって浮遊しちゃうのですから!
もりけんさんの言われるのは、下位の問いの視点から投げかけられる言葉ばかりなので、これまで見聞きしてきたことと全く違うようなのです。
うかがって、へえ~っ?と驚いたとたんスッと楽々身体に入ってくるという感じです。

きっと、もりけんさんの言葉が入るスキマを人は誰もが持っているのだと思います。
それは心の根っこのところに大きくぽっかり空いていて、もりけんさんの言葉で埋まるのを今か今かと待っているのだと思います。
そこに自然スルリと入ると、上の方の余計なものを押し出してもくれ、概念の入れ替えバッチリ完了と成り、いつの間にか気持ちが軽くなってニッコニコしてくるのだと思いました。

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  • 2006/08/17-14:42:12
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[C3364] 概念と上位と下位

「なぜ生きているのか」の問いから始まって、上位は「その答えはもう分かった、だから、どう生きることがより良いのか、を考えよう、そうすれば、すっきりはっきり自分がどうすべきかが分かるから」に流れていくのだと思います。そこは、自分次第の世界で、義務・責任・使命・努力・損得の世界で、安定した決まりごとの元に積み上げられていく世界感なのだと思います。


下位は「なぜ生きているのか」の問いを問い続けて手放さない、答えが出てこなくても、そして、決まりごとが本当に決まりごとなのか、疑問を投げる事をあきらめない、そこでは、既成の概念もひっくり返り、根底がひっくり返ることで、そこから沸きあがる感情すら、自然と変化していくのだと思います。そうなった時、幸せになれるのかは、自分がまだ実際体験をしたわけではないので、分かりませんが、感情がひっくり返ることだけは理解できます。


なんだか、沸かしているお風呂のお湯の上のほうが熱くて、「もう沸いた」と思っている時と、下からかき回して冷たい水と混ぜて全体を見る時との違いを思い浮かべました(あまり上手い表現ではありませんが)。
  • 2006/08/17-10:42:58
  • 投稿者 : ぱらむ
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[C3363] >概念とは下位の問いに関わることがら

概念という言葉は、何故か否定されることが多い気がします。例えば、「概念的で、中身が無く意味が無い」とか言われてバッサリ切り捨てられる時に使われることが結構ある気がします。その理由は何なんでしょうか?

反対に、生き方のノウハウは一般的にはあまり切り捨てられない気がします。何故ならきっと中身があるんです。「社会的に有意義で、生産的なものは正しい。」といった感じの中身が・・・
そして、生き方のノウハウを教える人は、既成の道徳的な行動様式などの中身を入れ意味を持たせます。
そうすることにより、「社会的に有意義で、生産的なものは正しい。」というようなことを判断基準にしている多くの人が納得して、どんどん拡がっていくからだと思います。「意味があり、中身があるから信じることが出来る。」とか思って判断してるような気がします。論理がかなり飛躍しちゃってますが(汗)

でも、それを判断しているのって結局「私」だと思います。
論理、科学性、愛、健康、快楽、人それぞれ色んな判断基準があると思いますが、判断している(判断していると思い込んでいる?)のは「私」です。
下位の問いはその根底である「私」から問います。
だから、概念というのは浮遊しているので、積み上げることはできないんじゃないかと思いました。

[C3362] (つづき)

この場合、「生き方を変える」というのは現在のメインコンピュータにのっかっている業務システムのソリューションだと思います。メインコンピュータが変わればソリューションも違ってくるはずです。「私や結果」や「下位の問い」がメインにきたとき、「自分を変えなさい」というソリューションとは別のノウハウが選択されるようになるのではないでしょうか。
  • 2006/08/16-21:25:47
  • 投稿者 : ナイル
  • URL
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[C3361] [

私の会社では、「メインフレームコンピュータを変えたら幸せになれるんかいなあ」という問いが社内を駆け巡っています。
現在のコンピュータは数十年前に入れた米国製のものでその上に色々な業務を行うためにシステムをのっけています。
時代遅れになったために、新たな業務に対応できず、またコストや維持費が非常にかかるためこのような話になっているわけです。
  • 2006/08/16-21:21:36
  • 投稿者 : ナイル
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[C3360] >概念

概念って自分とか世界の形を決めてしまうようなものだと思いました。

「世界は○○である」
「私は○○である」
のような感じです。

でもこれも私ではないものから選ばされたものを自分で考えたと思い込んでいるのだと思います。
感情さえ運命通りなら益々そうだと思います。

もしかしたら自分の概念がガラリと変わってしまう時は、運命が変更しているのかもしれません。

運命変更とは他が勝手に与えたものをこちらから入れ替えてしまっているように思うからです。

所詮、自分を自分自身で変えることなどできないとつくづく思い知らされます。
変更前後には何らかのクッションが必要に思えるからです。

[C3359] それは「私は誰?」から始まるところの、下位の問いに関わることがらだと思います。

問いが上位だと。。。収束してしまいそうですうう~~。。下位だと。。。未来側へ突き抜けた問いを常に投げかけていて。。。時空全体で答をサーチしてるのかもでっすうう。。。だから。。。3次元的には不安定な状態におかれるのかなあでっすううう。。。不安定な状態にいないと問いの答を感じとれないのかも~~でっすううう。。。
  • 2006/08/16-18:26:36
  • 投稿者 : バニー
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[C3358]

そうか、そうかもしれないと思いました。 
自分の感情を変えるには、感情に反応する自分を変えなくてはなりません。 
でも自分を自分で変えられないのだから無理なのだと思いました。 
これで幸せになれなくても、自分が変わらないから仕方がないという事にもなります。 
ノウハウを教える人は安泰です。 
 
下位の問いは、自分から目が少しでも離れないと出来ないと思いました。 
ということは自分からのみた自分と、
もう一人の自分を作り出して自分を見るの最低二つが必要だと思いました。
自分が自分自身の外側になるってことなのかなと思いました。 

[C3357] 概念とは下位の問いに関わることがら

今までいくら「生き方」の本を読んでも変わらなかった
ことが・・もりけんさんの本に出会って、変わりました。
積み上げたものはいつもグラグラしていましたがその
上にどんどんとまた積み上げてしまい・・わけがわから
なくなるくらいまできていたんだと思います。
でも・・概念を入れ替えるとゆうのは、すごかったです。
ちょっとずつ壊してゆくのではなく、ガーンと・・いちばん
下の部分を叩きだされ、一瞬にしてすべてがこなごなに消えました(汗)
そしたら「ただの私」が残りました。
そしてそこから一個も積み上げてません。
むしろ、どんどん掘り下げてゆくような感じです。
穴が深くなり、どこかに通じてしまうのではないかな・・
(汗)とゆう感じがします。
今は何があっても、自分に責任もなく、替わりもいるし
心配がありません。
それでも性格があるので・・感情は揺れますし、そんな
時、あの日あの時に誕生した「私」とゆうのを感じます。
感受性はますます強くなったような気がします。
変なことで「もうダメだ・・」と強く感じます。
でも(究極を言うと)死んでものか、と思えます(汗)
概念の入れ替えはそのぐらいのものすごい変化です。
生きていても死んでも、私じゃなくても私でも・・いい
そうゆう風に思えるとは・・全部大丈夫じゃないかと
思えるのです。

[C3356] >概念とは下位の問いに関わることがら

 概念とはHOWのような方法論ではなく方法論の根底をなすWHYであり人類の共通の問いへ向かうベクトルであったり過程であったり、具体性を持たず汎用性を獲得するために拡散していくために下位の問いのような、漠然とした何故に関わっていくのではないかと思いました。
  • 2006/08/15-23:00:28
  • 投稿者 : yk
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[C3355] 生き方のノウハウで自分を変える

もりけんさんにこんなことをする奴はバカだと言われる機会がなければ、一生やっていた
と思います(爆泣)。
デカイ書店に行けばわんさかと置いてあります。
片っ端から読んでやってみては失敗してと、相変わらず繰り返していたと思います。
私自身を全部肯定して、「わたし」という存在そのものを問うことが、概念の入れ替えだと
思いました。
概念の入れ替えをすることによって、表面上の私は変わらなくても、つまり生き方は変わ
らなくても、あれだけ自分でがんばっても変わらなかった周囲の状況が変わってしまうの
かなと思いました。
私はといえば、周囲の状況はそれほど変化していませんが、いつも付きまとっていた
「虚しさ」は最近ほとんど感じなくなりました。
自分を動かしているのは自分の小さな脳ミソで考えた結果ではなく、もっと大きなもので
動かされているのだと考えているからだと思います。
  • 2006/08/15-22:38:32
  • 投稿者 : イーキン
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[C3354] >概念とは下位の問いに関わることがら

ここ数日のうちに思っていたのは、概念を入れ替えていったら、変えられない概念というのもあったりするのではないかと。。そして、それが無意識のルールではないかと思ったりしていました。
でも、l今日の書き込み読んでたら、わからなくなってきました。ギブアップって感じです。

[C3353] >概念とは下位の問いに関わることがら

ここで言われている概念を持つには、体験からつかむ心証のようなものの構築が必要に感じます。
下位の問いに関わるということは、バイブルに相当するものがあると、そのとたん概念は消えうせるように感じます。
バイブルが存在して、いくら百万言をついやしても、とどのつまり「自分で自分を変えなさい」に行き着くと思うからです。

[C3352] 生き方のノウハウを教える人は、生徒(笑)に、自分を変えなさいと言ってきます。

よくわかりませんが。。。10代の頃は。。うるせーなーの気持ちが強かったけど。。今はやはり。。最低限の自分の快をキープしな~~。。と思うきもちもあるかなあでっすうう。。あ。。3次元でですが。。自分の空間があるところではでっすうう。。。そこで。。少々戦いが生じるかも~~。。なあなあで。。自分の空間が閉じるとつらいも~んでっすううう。。
  • 2006/08/15-19:16:11
  • 投稿者 : バニー
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[C3351] 生きることが、川くだりならば、

生き方の変化は、同じ川幅で、ポジションをささっと変えることができるようなことであろうと思います。
流れに乗った後・・・そんな気がします。

しかし、概念は、川の上流の分岐を替えたり、その分岐で支流を乗り換えるような部分の感じがします。
概念は、言葉でいえば、「そもそもー」ってことだと思います。
そもそも違う川に乗り換えれば、生き方のような川幅でのポジションチェンジなんてささいなもんです。
だって、同じ川にいちゃ、景色はそうそうかわりませんから。
でも、違う川に行けば、まったく違う景色になります。


ところで、概念を変えるのに、努力はいらなそうです。
努力は積みかさねですから、アナログ的です。
しかし、概念はその気になれば、一瞬でひっくりかえります。
そういう意味で、デジタルみたいです。

[C3349] 概念とは下位の問いに関わることがら

幸せになるためには、自分から目を離さないで、よく見つめて自分をよく知ろうと思っていました。幸せになりたいから幸せについて考える、のが当り前と思っていました。
でも、幸せが何なのかよくわかりません。これでは議論にもならないと思いました。自分自身もどういう状態になりたいのか分かりません。(が、今書き込みをしている時は幸せを感じています)
ハウツーと概念を並べると、ハウツーという言葉は小手先の動作に感じます。概念は大まかな感じです。
  • 2006/08/15-17:44:53
  • 投稿者 : REI
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[C3345] 概念

て、言われるとよくわかりませんでした。下位の問いに関わることがら、と言われて、そうか~と思いました。表層だけだとなにも変わってなくて、基礎部から入れ替え、ということだとわかりました。基礎部‥運命変更グッズが無意識界で認知されてはじめて変更になるというのと似ているなあと思いました。(無意識界が意識界より基礎な気がしているので、基礎に変更をかける、というところが‥)
  • 2006/08/15-12:34:04
  • 投稿者 : リョウコ
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[C3344] >概念とは下位の問いに関わることがら

前回のブログで、「概念」ということばがでてきて、「概念」ってなんとなくこんな感じかなあ・・と思っても、いったいそれって何?ときかれた時、説明することはできない・・と思っていました(汗)。
でもなんとなく・・概念の入れ替え・・というのが、なんとなくイメージとしてはあり、ああ、確かにそれができれば、幸せ状態になるかも・・と思いました。

今回、
>概念とは下位の問いに関わることがら
ああ・・そうか・・そうだよな・・・と、自分なりに、納得しました。

生き方のノウハウを教える人はいっぱいです。
それだけ、それを聞きたい人もいっぱいなのだと思います。(私もそうだった・・)
それで、もし、みなが幸せになっていたら、そろそろ、生き方を教える人もそれを教えて欲しい人も減ってきていいかも、と思いますが、そんな感じはしません。

ということは、生き方のノウハウを聞いても、幸せになったような気になるだけで、何一つかわらないのだと思います。
自分をふりかえってもそう思います。
それどころか、「あなたが変わらなきゃ」「あなたががんばらなきゃ」とハッパをかけられ、ますます自己嫌悪に陥るだけ・・。

概念が、下位の問いに関わることがらだとすると、「概念の入れ替え」=「下位の問いに関わることがらの入れ替え」ということになります。
生き方を追っていた者としては、まずは、下位の問いの存在を知り、その存在に気づくことからだな・・と思いました。

*****

実は・・最初、読み違えをしていました(汗)
読み違えたまま、レスまで考えてしまいました。

「概念とは下位の問いに関わることがら」の最後の「がら」を「から」と読んでいたのです(汗)

「概念とは下位の問いに関わることから」
文章的にちょっとおかしいと思いつつ、「概念を入れ替えるということは、まず、下位の問いに関わることからはじめよう」という風にとったのです(汗)

そしてそれを読んで・・もりけんさんてなんて優しいんだろうと思ってしまいました。
「下位の問いを理解する」とか、「持つ」とかになると、「今の私には無理だ・・」と思ってしまいそうになります。
実際、HPから離れても、常に常に下位の問いを持ち続けるのは、難しいことだと思います。
でも、「関わること」なら、私でもできる・・と思いました。
今、一番関われることは、もりけんさんのHPを読み、書き込みをすること・・。

そんなことを考え、書いていたら、「ことがら」だと気づきました(おそ・・)。
そうですよね・・主語が「概念」なんだから・・

でも、間違った掛からも正しい判断が出るように、この読み間違えも、まんざらおかしくはないと自分では思い、レスに書くことにしました。

関わること・・だけでは、入れ替えに比べれば、生ぬるいと思うのですが、それでも、まったく触れないよりはましじゃないか・・と思います。

[C3343]

まだ変なとこに落ちたまま続けますが…もっといえばアルカリと酸がなんで存在するかの話までいくのかなと…。存在を徹底的に疑えじゃないけど…。なんで?しかない…あ、また思考停止だ。

[C3342]

>では概念とは何でしょう?
>それは「私は誰?」から始まるところの、下位の問いに関わることがらだと思います。 
 
概念って何だろうと思ってました。概念ってどっかくるんだろうって。この思考の枠(ルール)はどこにあるんだろうって。
だけど私がなんだかもわからないのにこの枠がなんだかもわかりません。(でも枠があるんだからなにかなんだろうとは思います。)さっぱり訳がわかりません「私」がキーなんだとは思うのですが。なんか混乱した書き込みです(汗)
 
ハウツーはいくらかき集めても像を結ばないとおもいます。
幸せについては混乱してるのが現状なんだと思いました。
 
自分を変えなさいというのがハウツーなら、その源ってどこにあるの?です。消臭剤をまいても匂いが無くならないように…なんか違うんだ。でもそこになんかあるんだというカンジです。でもそれがなんなのか…例えば匂いは…アルカリの匂いなら酢で消せるし、酸の匂いはアルカリで消します。なんか芳香剤(ハウツー)じゃなくて…もっともともとの成り立ちの話なんだと思います。香りの良い悪いを論じてる限り辿り着けないところの話なんだと思います。
 
してみると思考枠の話じゃなくて、思考そのものの何か、思考成分についてが根源論なのかと…あー…とりとめがなくなってきたので止めます。たぶん変なとこに落っこちました(汗)

[C3341] >概念とは下位の問いに関わることがら

概念とは下位の問いを発することにより表出する、くくりのことかなと思いました。

最近、HPで、「私」という存在は、「代替可能・一過性」であるという概念がでました。
これは、「私は誰?」という下位の問いを発することによって、
無意識の層から表出してきたのかもしれません。


生き方のノウハウは、上位で、自然的だと思います。
そして、幸せになりたいと願いながら、
なかなかそうはなれなくて・・
という感じだと思います。

ところで、概念は、多くの人を巻き込んで、
論議をする中で作られていく(くくられていく)ものだと思いました。

「代替可能・一過性」という概念の発端は、大学一年生が、
もりけんさんのHPに書き込むことにより、
論議が生まれて、出てきたものであるともいえます。

概念が入れ替わることにより、
「君じゃなくてもいいんだよ」
というセリフも出てきました。

上位の問いに生きてたら、怒り出しそうであろうこのセリフも、

下位の問いを発端として、出てきたとき、
私というのは、代替可能で、私じゃなくてもいいんだし、
だから、「私」というのは、自由で、
誰にでもなれて、自由にどこにでもいけるのだな。。

と思いました。

概念が入れ替わることにより、幸せになれるというのは、
その通りだと思いました。

自由で、軽く生きられるようになるからです。


 
  • 2006/08/15-10:04:25
  • 投稿者 : あかり
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